はてなキーワード: 青天の霹靂とは
2022年11月24日付で、半年間働いてきた欧州拠点の某スタートアップ企業からRedundancyを言い渡された。永住権を持たない国で働く女性として、この経験はシェアしておくべきだろうと判断したので、文章にまとめて公開する。将来的に、自分自身でもこの経験を振り返ることがあるとも思う。
なお、Redundancyととはこの文脈では「会社都合による余剰人員の整理」を意味する。基本的に、Redundancyは個人の能力やパフォーマンスと関係なく、財政的都合に拠って行われる(Fire、いわゆるクビは個人の能力が会社で求められる基準に満たないため起こるので、Redundancyとは異なる…とイギリス人上司に言われた。実際、退職金の扱いなどもFireかRedundancyかでは違う)。アメリカ英語ではLayoffと呼ぶらしい。最近TwitterやMetaで行われているのもこれではないかと思う。
当事者: 29歳日本人女性、イギリス在住(執筆時)。Youth Mobility Scheme(30歳以下の候補者のための2年間の就労ビザ)を所持、マネージャーからは、会社がスポンサーとなって今後5年間の就労ビザへ切り替えを行う可能性があると告げられていた。
会社全体の状況: 創業10年以下、本社はオランダだがロンドンにも支社あり。私の勤務地はイギリス。社員の人数は100程度のスタートアップ。一般の人には知られていないものの、業界内ではある程度名前を知られている会社だったのではないかと思う。
当事者の会社での役割: 主に日本語を話すクライアントとの関係構築。所属部署の中でも特にAPAC(アジア太平洋地域)担当チームに配属されていた。当該部署に日本人は私のみ。数字だけで見れば業務成績は悪くなかったし、日本語スピーカーかつ前職でも当該分野での経験を積んでいたため、会社内ではユニークなポジションにいたと思う。
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女として生まれ約30年。その内の25年間くらいは一般的なセクシャルを携えて生きていた。疑問や違和感もなく、特段、不幸を感じることもなく生きてきた。男性を好きになり、男性と恋愛をし、ごく自然に自分はヘテロなんだと思いながら、ヘテロとしての人生を歩んできた。
そんな自分が、ひょんなことをきっかけ(このきっかけの部分、途中まで書いてたけど長すぎるから割愛します!)に「女の子を責めたい」ってセクシャルを自認した。気づいたのは30歳になる手前くらい。
それに気づいてから「ネナベ」に手を染めるまでの期間は一瞬だった。最初は「なりきり」に手を出したけど、違う!だめだこれじゃない!相手が自分のことを本当に男って思ってくれてた方が燃える!!と思って、すぐさま匿名チャットアプリに居住を移した。
匿名チャットは楽しかった。女の子とも男の子とも文字で楽しく話した。もちろん相手だってネカマやネナベかもしれない。それでも全然構わなかった。自分が男として発言できることが物凄く楽しかった。チャットでえっちなこともいっぱいした。
でも、嘘は嘘だ。通話しようとかライン交換しようとか言われる度、様々な理由で断ってフェイドアウトするばかりだった。ボイス変換機能がある通話サービスはないのかって毎晩血眼になって探したし、「ネナベ、通話、バレない」で死ぬほどググったりもしてた。
ある時、一人の女の子に根負けして通話まで行った。「女にすごい間違われるから通話は嫌だったんだよね」と本気で嫌そうに言ってたら、なんとかいけた。そう、いけてしまったのである。で、今度は通話でえっちすることに溺れた。通話はチャットの比じゃない。良すぎる。月に20回くらいやりまくった。
その子には後々、女であることを明かしたんだけど「明かされるまで男だと思ってた」と言われた。いけるもんなんだな…と思ってしまった。思ってたよりいけるよ、ネナベのみんな!
で、その子とは別で、そうゆう自分の悪癖を全部晒してる女の子がいた。仮名を「つんちゃん」としよう。
つんちゃんにはネナベ秘話やネナベ裏話をたくさん聞いてもらってた。つんちゃんも「いいな〜私もかわいい女の子と気持ちいいことしたい」とよく言ってたから、自分は当時つんちゃんのことをタチなんだと思ってた。
でも、違った。つんちゃんはネコだったんだ。つんちゃん曰く「自分の見た目はかわいいと言うよりかっこいい部類だから」って理由で、今までの人生はタチ役を担うことがほとんどだったらしい。(ちなみに、つんちゃんも自分と同じように、男女問わず恋愛をしてきた人だ)
でも、つんちゃんがネコだったんだと知るのは、ずっと後の話なんだけど。
しばらくして自分は、別の場所から現れた女の子に猛アタックされた。それも、お互いの素性を知ってて、会ったこともある女の子に。
え、ネナベって嘘を吐かなくても女の子と気持ちいいことできる世界線、あるの????え、マ?????
それで、めちゃくちゃ調子に乗ってしまった。その子の勢いに飲まれて、なんか付き合う手前の楽しいムーブを外部にも撒き散らかしてしまった。
そしたらつんちゃんが、青天の霹靂みたいに一気に崩れた。「元気になるまでちょっと諸々おやすみするね」って。泣きながら。
もうすっっっごいショックだ。だってつんちゃんの楽しい話悲しい話は全部、いつだって自分が一番最初に知れると思ってたから!驕りだけど、自分とつんちゃんは心の一番近い場所に居るんだって、感じてたから!
「おやすみの間ずっと待ってる、寂しいなって思いながら、この寂しさだって抱きしめたまんま待ってる!」と伝えた。伝えまくった。自分が苦しかった時たくさん助けてもらった。みっともないところも汚いところもキモいところも、全部聞いてくれた。このまま言葉なく関係がなくなってしまうのは嫌だ!と、思った。
つんちゃんは、遠いところに住んでいる。だから、それまでずっと会ったことがなかった。匿名チャット遊びをしている頃から自分のことを慕ってくれてたにも関わらずだ。「会えるもんなら会いたいね」って、お互いずっと耳にタコができるくらい言ってた。
でもつんちゃんは、いろんなものに緩く首を絞められていて、なかなか自分の意思で遠出したり外泊したりするのが難しい生活をしていた。
「会いたいと思うから苦しくなるんだ。会えないって思っちゃえばさ、いいんだよね。」いつも明るいつんちゃんが、崩れる前にそういえば、こんな言葉をこぼしてた。
つんちゃんが諸々をおやすみしている間もラインを送った。既読はつくし返信も来る。連絡の全てが断絶された訳じゃないんだと思って、寂しいながらも安心した。だけど「おやすみするね。」の理由は、すぐには知ることができなかった。つんちゃんは「時効が来たら言うね」と言っていた。
「…もしかして」と思った。
もしかして、つんちゃんは、自分のことが好きなのかな。だとしたらうわぁぁぁ、え、うわぁぁぁ。
で、本人に通話の時、直接聞いてみた。「ねえ、つんちゃんはさ、恋愛の気持ちで自分のこと好きと思ってくれてるの?」って。
つんちゃんは、一番最初は「わかんない…」みたいなことを言ってた気がするけど、だんだん素直になってきて「あの時から周りの女の子が羨ましかった」とか「ずっと前からネトストみたいに見てた」とか「私の方が会いたいのにって、あの子に対して思ってた」とか、ぼろぼろ教えてくれた。え、えぇ〜〜〜〜。か、か、か、か、かわ〜〜〜。
かわいさにノックアウトされてしまって、ひゃーーー好きになってしまって、ひゃーーー両思いになりました。
で、周囲に割と明確な名言をした。自分に好意を持った女の子が寄ってこないように&つんちゃんに言い寄ってくる男が現れないようにってことで。
それからちょっとして、今年初めてつんちゃんと会うことができた!!つんちゃんはあらゆる呪いを振り切って、片道6時間かけて、会いに来てくれたんだ!!!わぁ!!!
つんちゃん、白くて細くて体が全体的に薄っぺらいんだ。嗚呼めちゃくちゃ性癖だ。自分はおっぱいが小さくて華奢な子がとても好きなんだ。
女の子を責めるのが好きだと言っといて、もしかしたら自分は実際には何もできないのかもしれない。いざ本物の女性の体を前にしたら「あ…」ってなるのかもしれない。
そうゆう一抹の不安もあったけど、全然、いらん心配だった。つんちゃんが濡れてることを直接自分の指で確かめて、こっちも最高にだらだらになった。
一回目に会った時は、ちゅーと、指でいかせるクリイキだけしかしなかった(諸事情で)。だから次に会う時は手マンもクンニもしてみたい!童貞だけどいいかな!?と本人に聞いてみた。つんちゃんは「えっちなお願いはなんでも聞いちゃうよ」と言ってくれた。や、やったあ。
で、つい先日、二回目の逢瀬を果たした!宣言通りクンニと手マンもしてみた。全部初めてだったけど、自分の中に欠片も嫌悪感が湧かなくて、興奮しかなくて、あー本当にマジで自分は女の子の体で興奮するんだーと理解した。
クンニ、どんなんだろうと思ってたけどちょっとしょっぱいだけで何の匂いもしなかった!(綺麗にしてくれてたのかも)吸引のおもちゃにちょっと興味あるって言ってたから、吸ったりもしてみた。気持ち良さそうにしてくれてた!と思う!
あと、初めての手マンは大成功だった。冗談か?って思うくらい上手くいった。つんちゃん、自分と出会うまでナカイキしたことなかったんだって。なのに手マンで何回もいってくれた。嬉しいしかないです。指が気持ちいいところに当たる度「だめだめだめだめだめ」って言いながら、すぐいく。自分に呆気なくいかされてしまう、そんなつんちゃんに、馬鹿みたいに燃えた。
二泊三日の逢瀬だったんだけど、四回くらいやった。つんちゃんは多分累計で50回くらいいってたと思う。自分は、自分のナカイキにはこれっぽっちも興味がないので、射精の要領で最後だけ一緒にいく感じのスタイルを取った。
「一緒にいってもいい?」って聞くと必死でうんうんって頷いて「だいすき」って言ってくれる。嬉しい。棒がないから概念だけど、言葉は魔法だから「中に出していい?」「中出しでいってもいい?」って言いながら、自分の性器をがしがし擦った。つんちゃんはその間、おもちゃでセルフこんこんをする。自分の擦る速度に合わせてこんこんしてくれるから「速いのだめ」とか「いっちゃう、これいっちゃう」とか、昂るセリフをいっぱい言ってくれた。嬉しかったし気持ち良かった。
女の子同士でやる、というより、自分は「男」になりきって女の子を責めるのがやっぱり好きみたいだ。つんちゃんもその辺に問題はないみたい。通話の時は「俺」って一人称を使うんだけど、実写だと現実の自分の体が壁となって立ちはだかるから、一人称迷子になってしまう。これが今の小さな悩み。(あだ名で呼ばれてるので、とりあえず現状は「◯◯(自分のあだ名)も一緒にいきたいなー」みたいな方法を取ってる)
ハメ録りもした!後で一緒に聞き返したけど、百点満点をつけたいくらい最高の仕上がりだった。自分の声もまあ、聞きようによってはところどころ男に聞こえなくもない、かな〜?って感じ。自分の声に萎えちゃうかなと思ってたけど、つんちゃんの気持ち良さそうな声がそれを遥かに凌駕してくれてたから大変に助かった。10分ちょいの、このハメ録りが、今一番抜けるおかずです。
次はいつ会えるかな〜!今度はホテル行こうね、大きい声たくさん聞かせてね、いっぱい録ろうねって約束した。
あと、これは嫌じゃなかったらで良いんだけど、自分は「おもらし」が好きなので、もしできたらおもらししちゃうところ見たいな〜…とも言ってある。つんちゃんは「…うん、おもらしでも、なんでも…」と言ってくれている。や、や、やったぁ。
また会えるのが楽しみ。会えない間は最高のおかずと、通話で乗り切ります!
世の中の、まだ陽の目を浴びてないサディスト側の皆さん!サディストは結構需要が高いと思うので、がんがん素を出してください!責められたくて、でも報われてない人間が多分この世にはたくさんいる気がします。
嫌いな方ご注意を。
買い物中にうんこを漏らした。
もう漏らしたらその後の予定全部キャンセル以外選択肢ないのだろうか。ないよな。
予兆などなかった。
腹痛っ、、、、→あ、、、
水下痢っぽいあれであった。
当方普段は便秘がちのため、青天の霹靂、5年ぶり2度目くらいのレアケースである。
店員さんに試着を勧められていた最中だったが、たった今試着という選択肢は消えた。なにしろ、こちら、出ている。
「すいません、検討します•••ところでお手洗いどこですか!?」
鬼気迫る形相で、確認し、トイレへ向かう。その間も引き続き猛襲は止まらない。出ている。
個室に入って下着を下ろすと、そこには爆発後の惨状が。不慣れのためどうしたらいいのかわからない。
パンツはそのまま捨て、ワンピースの汚染を確認する。臀部にあたる部分は無事であったが、裾がやられていた。
絶望しながら、裾に茶色いシミがところどころついたワンピースにノーパンで近場のGUで着替えを買い、平静を保ちながらトイレで着替え、平静を保ちながら歯医者と習いごとの予約をキャンセルした。
暑い中、決死で外に出て何も成し遂げずにうんこだけ漏らして帰ってきた。
私:30歳女性。男性向けエロ漫画家兼イラストレーターをしている
商業エロ漫画を描いてると、男性のアレを指す際のセリフは"おち〇ぽ"表記でと出版社側から指導される事があるのだけれど、
私にとってこの単語は人生で一度も使用した事が無く、縁遠いどこかファンタジーに等しい単語である。
が、しかし
エロ漫画のヒロイン達は、まるで常用単語のようにスラスラと平気で連呼しまくる。
明らかに清楚の塊な君たちが一体人生のどこでこの単語を学び、知り、覚え、瞬間的に口に出せるようになったのだろうか?Why?
そもそも"おち〇ぽ"という単語は一体どういった起源の元生まれ、どういう存在としてエロ漫画界の重鎮として存在してきたんだろうか、
私は自分の作品内に登場する単語に対し無知なままでも良いのだろうか、いいや、良くない。
私は身近な単語、ち〇ち〇から一体どのようにしてこの単語に進化し派生したのか調べることにした。
まず身近な一般男性に
「"おち〇ぽ"って生まれてこのかた耳にしたことないんだけど、どういう人がどういうタイミングで使用するのだろうか?」
と尋ねてみた。
相手はかなり面食らった様子だったが、難しい顔をした後
『"おち〇ぽ"は、幼児語である"ち〇ち〇"が成長したものであり、成人語である。』
『例えば幼児は車を指し"ぶーぶー"と言う。』
『"ぶーぶー"の成人語は"車"であり、心身の成長に伴い次第に後者の名称へと移行する。』
と答えた。
なるほど、理にかなっている気がする。
名詞の変容についての分かりやすい例えとして幼児語を例に挙げたが、
おおかた思春期の中学生前後でこの単語は変化するといったニュアンスを私は感じ取った。
小学生までは「オレのち〇ち〇がさー!」
と語っていたところ、
大学生頃になると「俺のおち〇ぽがさぁ!」
なるほど、そうだったのか。
点と点が繋がらなかった状態が線で繋がった感覚だ、青天の霹靂である。
一般男性に感謝を述べ、続いて英知の塊インターネッツにてググることにした。
"ち〇ち〇 おち〇ぽ" 検索
>>おち〇ぽの場合、"お"をつけることで愛おしいものとしてのニュアンスがあり、ち〇ぽで主に成人の勃起した男性器・下品なものとしての意味合いを表す。
…???
どういう事だろうか。頭が混乱する。
"お"は愛しい物につけるもの、"ち〇ぽ"は下品なものとしての意味合い…?
一般男性の回答とはまるでかけ離れた一文に、思考を放棄しそうになる。
よくわからない。
そもそも"ち〇ぽ"って何だ…?
調べてみる。
>>"ち〇ぽ"は関東地方での"ち〇ち〇"に対する呼び名である。
「"おち〇ぽ"とは、主に関東地方で使用される陰茎に対する呼び名"ち〇ぽ"を、1段階エロティックにするべく"お"を付けた呼称であり、主に成人男性に使用される。」
↓
「"おち〇ぽ"は関東地方と言う人口密集地でのメジャーな呼び方であることから、商業誌でも広く用いられる。」
もう何も分からん。
他にも
"ち〇この呼び方が「ち〇こ」や「ち〇ぽ」の女性は落ち着いた大人の女性。" だとか
"ち〇この呼び方が「ち〇ち〇」の場合、優しく明るい女性。" だとか書いてある。
また5chでは"おち〇ぽ"呼びが興奮するだとか萎えるだとか議論が繰り広げられている。
もしかしたら陰茎を持たざるたった1人の人間が解を得ようなんておこがましい議題だったのかもしれない。
当時ラインなかったんよ
ガラケーだったからDMも今ほどスイスイと送れるもんじゃなかったしなにより本当に昨日まで3人で仲良くリプ送り合ってたから青天の霹靂で気が動転していた。すぐそのリプは削除した。
直リプで聞くのが一般的でないことは分かったよ。
ツイッター上で仲いいA(その子)+B(ネットで知り合った人)+私っていうグループがあって
前日まで仲良くリプ送りあってたのにある日なんの前触れもなく突然AがBをブロックした。
本当になんの前触れもなかったので私とBはなんで????しかなくて戸惑いとショックとワンチャン誤動作とかかな?と思って直リプでBのことブロった?って聞いた。
そしたらAは「はい。ブロックしました」とだけリプしてその後@tosで「なんで直リプで聞くかな…」「相互の友達他にもいるのにこんなん晒しと一緒じゃん」「DMとか授業で会ったとき口頭で聞くとかあるじゃん…」とぐちぐち言ってたのでなるほど確かにクローズドな場で聞くべきだったなと反省してリプ消してごめん動揺してすぐ聞きたくてついリプで送ってしまったと謝罪した。
その場ではわかった次からは気を付けてと許されたがそこから敵視されたっぽくて私のツイートほぼ全部にエアリプでネガティブなニュアンスのツイートをするようになった。
それでも学校で会ったときは普通に仲良く会話するし同じ授業取ったりとなりの席に来たりしてた。
そのネット上とのギャップがいい加減うっとおしくてまたエアリプされたときにエアリプ返しをしたら無事ブロられてリアルでも交流断絶というわけ
これは現在の話ではないです。
アラサーの学生時代に起きた思い出話なのでアドバイスをもらっても既に交流断絶済でいまどこで何してるかも知らないです。でもありがとう。
こちらが悪かったとはいえその悪かったところとは関係ないことをエアリプでネチネチ言われて耐えてたけど耐えられなくなって一回言い返したら即ブロられてリア友に悲劇のヒロイン風に相談してたなあという思い出なのでAへの描写には「ぐちぐち」とかちょっと嫌なバイアスかかった書き方してたな、と読み返して思った。
直リプで聞いた理由
ブロられたBから「私はブロられてて聞けないから誤動作ブロなのか聞いてほしい」とリプで言われ、
当時はラインもなかったしガラケーだったからDMも今ほどスイスイと送れるもんじゃなかったしなにより本当に昨日まで3人で仲良くリプ送り合ってたから青天の霹靂で気が動転していた。上に書いてある通りそのリプはすぐ削除した。
自分はブロった人間について聞かれても気にしないけど、気にする人の方が多く直リプで聞くのが一般的でないことは理解しました。
「またそういう…」の「また」はなんなのか
当時ツイッター上でキャラを作って交流するみたいな遊びが流行ってて、Aと私と学校の友達何人かでそれぞれ専用アカウントまで作って遊んでた。
んでAは「僕なんて好かれるわけないですよ…」とか『そんなことないよ!待ちの発言』をキャラにさせる、いわゆる誘い受けが地雷だと公言していた。
私のキャラは自信が無い設定のキャラだったので誘い受けにならないよう発言には気を付けてたし、
Aも前は「そんなところが可愛い!」と仲良くしてくれていたんだが私本体が敵視されてからは袈裟まで憎くなったようで。
「あなたに釣り合うようにがんばります」ぐらいのセリフでも「またそういう…」とエアリプされてしまってえっこれも誘い受け判定なの、と戸惑った。
あとは本アカでの「1時限目ねむすぎ~」とか学生ならだれでもこんなん言うやろみたいなツイートにも「思ってても言わない方がいいと思うけどな」みたいな逐一エアリプがあって辟易していた。
まあ所詮エアリプなので私宛じゃなかったと言われたらそうかもしれないんだけど、なんもないときは「〇〇ちゃん尊いwwww」とかテンションたっかいツイートしてたツイ廃Aが、毎回私のツイート後すぐ草も生えず固い口調でエアリプしてたらまあまあ私のツイートに対してなんやろなと思う。
昔のことすぎて一字一句間違えず覚えているわけではないけどだいたいこんな感じ。
私の実家がある地域では、成人の日の前日、日曜に成人式が開かれる。それなりにこだわって選んだ振袖と、それなりに調べて決めたヘアスタイルで、成人式に出た。コロナ禍とはいえ、それなりに盛り上がったように思う。二次会の飲み会は“自粛”の名の下に日付が変わるくらいまでで終わった。友達同士で三次会に繰り出すグループもあったけれど、私は優等生、つまり「クソつまらない真面目グループ」の人間だったので、二次会で帰ってきた。
「クソつまらない真面目グループ」の面々は、都会暮らしをして垢抜けてる子も、高校デビューか大学デビューを済ませ少し派手になっている子もいたけれど、「地元」の中ではまったくかたなしで、おしゃれにしているはずの着物姿の向こうに、当時の地味な彼女等の姿がオーバーラップしてみえた。たぶん、「それなり」のよそおいはできていたはずの私の向こうにも、耳の下で馬鹿みたいに量の多い髪を箒みたいに括っていたダサい芋女が映っていただろう。
いじめられるほどの哀れさも、いじられキャラに躍り出るような強さもなかった私は、同じ中学出身者が誰も受けない高校を受けた。真面目グループのひっそりしたマウントの取り合いにも疲れたから、誰にも相談しなかった。高校ではそこそこのポジションで、なんとか過ごし切ることができた。でも、何か満たされなかった。都内に住むためだけに受けた滑り止めの滑り止めの大学に進学しても、やっぱり満たされない。
満たされなさの理由に気がついたのは、オンライン塾講師の面接を受けていたときのことだ。面接官とは名ばかりのヘラヘラした先輩講師からかけられた「ところで◯◯大ってことは、◯◯サークルあるでしょ?俺、そこのOBなんだよ〜、立ち上げからやってさ〜。楽しいから入りなよ笑」という言葉がきっかけだった。面接だしニコニコしておくか、と思った私は、ひたすら「そうですか、いやあ私どうにも出不精で」と断る方法に話を進めつつ相槌を打った。その後しばらく話してようやく、私を「アルバイト志望の学生」ではなく「ヤれそうな女」として話している、と気がついた。「てか結構おっぱい大きいよね笑 やべ、セクハラだよね笑」とまで言われてからだったが。
私はそこで、目の覚める思いがした。そうか、私がかけられたかった言葉はこれなのか、と。電車通学をしていた高校生の頃は、何度か痴漢にあい電車を変えたりしていた。痴漢にあうのはムカつく以上に怖いので、ひたすら恐怖と戦っていた。「性的な目で見られる」ことは不快なことで、恐ろしいこと、だったはずだ。それなのに、私はどこかでカースト上位のちやほやされるために生きているような同級生には憧れていた。服装検査で引っ掛かる以上のメイクと、校則で禁止されたリュックを背負って、彼氏の話ばかりしている子たち。私はといえば、高二の冬に一度彼氏ができたけど、たった一度キスしただけで別れてしまった。それからは、ダサい人間に落ちないように過ごしただけだ。
私はそれまで、満たされなさの理由を、「彼氏が欲しいから」だと思っていた。周りに自慢できる、顔が良くて優しい素敵な彼氏がいたら、それはそれで満たされるだろう。でも、現実問題そこまで高望みできない。だから、青天の霹靂だった。「てか結構おっぱい大きいよね笑」そうだ、私は、おっぱいが、大きいんだ。そして、おっぱいは、手っ取り早いセックスの代替だ。そこにあるだけで、(そこそこの数の男性は)ニヤニヤした目つきを私だけに向けてくれる。
アンダー75のGカップ。Gカップなんて、ネットの世界では、有象無象に近い、どうでもいいサイズだと思う。それに加えて、アンダー75は正直デブだ。運動部に入ろうと思ったことすらない私は、我ながら締まりのない体をしている。でも、自撮りならおっぱいだけ写せばいい。もっとびっくりするほど大きいおっぱいの女の子や、アニメキャラみたいなスタイルのいい女の子も自撮りをアップしているけれど、おっぱいだけを撮影している限り、それでも私(のおっぱい)を褒めてくれるのだ。ダルダルにふにゃけた体だって、ぽっちゃりです、と言ってネットにあげれば、「ぽっちゃり好きです」なんて褒め言葉が飛んでくる。みんな私を承認欲求を満たすために気軽に乳を晒すバカな女、としてちやほやしてくれる。
私はおっぱいを晒しながら、今も(リアル男性を対象とした)処女であり続けている。私の膣に挿入されたことがあるのは、ひとり暮らしを始めてからAmazonで取り寄せたピンクローターとスティックローター、そして無数のポスカくらいのものだ。別に大事に取っておきたいわけなんかではなくて、小心者なだけだ。根っこは今も、「クソつまらない真面目グループ」の半端者だ。死ぬ程セックスはしたいけれど、危険を冒す勇気はない。ネットで知り合った男性は、みんな私をナマで犯し、中出しして、要らない子供を産ませようとしていると思う。それか、ホテルで私に薬を飲ませ、刺し殺すかも。
だから、私はネットにおっぱいを晒す。成人式でさもそれなりの大学生活を送っているかのような話をした飲み屋のトイレで撮影したおっぱいを、晒す。オナニーだってそこそこ気持ちいいし、何より安全だ。これまで「それなり」で生きてきた私にとっては、いろんな人におっぱいを褒められて、ローターを挿れて、AVで喘ぎ声を聴きながらイくことができているだけでほぼほぼセックスだ。
顔を晒して叩かれたら立ち直れないから、晒すのはおっぱいだけ。でも、みなさん私をちやほやしてくれる。いつかちやほやされなくなる日までに、処女を捨ててめくるめくセックスライフを享受できるようになればいいんだけど。そうは言っても、そのための努力より、手軽に得られる「えっちだね」「ペロペロしたい」なんて言葉の方が、やっぱり手軽だ。安全なセックスが手軽に得られるようになればいいのに、そんなことを思いながら、成人式の夜を終えようとしている。名前も朧げなかつてのクラスメイトのおちんちんには、やっぱりとうとう縁がなかったみたいだ。
※ただの愚痴です
俺は昔から比較的女顔で、そっちのケがあるヤツにはしばしば狙われていた。
小学生の時は知らないオッサンからよく飴玉を貰っていた。(警察官が通りすがってからそのオッサンは見なくなった)
高校の時には泥酔したオッサンから「お兄ちゃーん」と叫ばれながら抱きつかれて身体をまさぐられた。
社会人になってからもホモ野郎に身体やケツの穴を狙われたことは何度もあった。
その都度なんとか純ケツは守り抜いたが、20代半ばになる頃には俺はすっかりホモ野郎嫌いに育っていた。
そんなある日、親しくはないがそれなりに長いこと面識のあったヤツ(以下A)から急に連絡が来た。
Twitterによくそのジャンルの投稿をしていたから気になったらしい。
俺は喜んだ。
俺は同好の士が増えることを何よりも歓迎するタイプのオタクだったからだ。
詳しい話は数日後にと約束してから、Aに興味を持ってもらえるような資料作りに奔走した。
ジャンルの魅力、奥深さを極力客観的に紹介しつつ、そのジャンルの楽しさを体験してもらえるような導線を準備した。
どんな質問を投げかけられても答えられるように、繰り返しプレゼンをリハーサルした。
そして、約束の日。
完璧だったかどうかは分からないが、Aが満足するに足るプレゼンテーションは行えたらしい。
「とても良かった。このジャンルにハマるかもしれない」
そう目を輝かせるAを見て、俺も満足した。
重なる出費に悩みながらも推しサークルの新作に手を出したがるAのその姿は、
ジャンル歴数ヶ月にして、まごう事なき沼の住人だった。
友人たちと集まった時には新作を持ち寄り布教し合った。
ここまではお互い楽しかったと思う。
だが、段々と歯車は狂い始めた。
『あいつ(俺のことだ)の魅力について』
青天の霹靂とはこのことだろうか。
俺は推しのジャンルを布教しただけで、Aには何もしていないはずだ。
だがこの時、Aの熱意はジャンルにではなく、俺に向かっていた。
『かなり可愛い』
『仕草がとてもいい』
『ママになって欲しい』
はっきり言うと、引いた。
こんなヤツではなかったはずだ。
『好きになりすぎておかしくなりそう』
『あいつでシコった』
『たくさん出た』
連日おシコり報告を受ける俺はドン引きを通り越した物凄い感情を感じていた。
語彙の限りを尽くして罵倒してやりたいと思った。
しかし、Aは長年面識があるヤツだ。
ここ数ヶ月は仲良くしていたこともあるし、
少なくとも、身内認定はしていた。
そのため、
「男同士には興味ないんだよな」
軽口のようにそう伝えて、しばらくAとは距離を置くことにした。
それから数ヶ月が経った。
昼ドラのように痴情の絡れから刃傷沙汰が起こることもなく、連日続いていたAのラブコールは次第に減っていき、やがてパッタリとなくなった。
『もう冷めた』
何ともまあ…という感じだが、ひとまず安堵した。
少なくとも連日「シコった」という報告をされるよりはよっぽど精神衛生上良いだろうと思った。
Aはその後もジャンルに残ってはいるようだが、俺宛てのツイートは全て削除され、Twitterの相互も外れ、連絡も取らなくなった。
ここで一件落着…と言いたいが、ちょっと待って欲しい。
俺は気付いてしまった。
なんでこのクソホモ野郎がまだジャンルに残ってやがるんだ????????
呑気にイベントの参加報告してんじゃねえよ!
こっちはてめえと鉢合わせになるのが未だに怖くて参加できねえんだよクソが!!!
◯◯さんとこの新作が〜じゃねえよ俺の推しと被せてくんなクソ!クソ!!クソ!!!
殺意というのはこういうものかと悟ったのはこの瞬間だし金玉蹴り飛ばしてぶっ潰してやりてえと思ったのもこの瞬間だし去勢しろやホモ野郎!!!!!
「冷めちゃった♡」で禊が終わったと思ってんじゃねえぞ下半身ブンブン丸がよ!!!
失礼、取り乱した。
ジャンルに馴染んで貰おうとAに構いすぎたのが悪かった。あまりにも一緒にいたので別の友人からは「今日は一緒じゃないんだ?」と揶揄されたこともある。
最初にAがツイートを投稿した時も、穏便に済ませようと「照れるな〜」とかテキトーなことを言って流した。
熱心に構う一方で、性的な目線に関しては日和見的などっちつかずの態度がAをヒートアップさせてしまったのだとしたら、あの時きっちり否定しておけば…
たらればになるが、Aと絶縁状態になっていない未来があったかもしれない。
…だが、これだけはAに伝えたい。
B L は ナ マ モ ノ で や る な
仮面ライダーは孤独に戦う等身大のヒーローだって?いつの話をしているんだい?たしかに今YouTubeで絶賛配信中の仮面ライダーBLACKなんかは確かに孤独に戦う等身大のヒーローだ。なんがしかの組織に属していたり多人数だったりする平成令和に比べると南光太郎はびっくりするほど一人で戦っている。彼が仮面ライダーだって知る人はほとんどいないし、南光太郎はあくまで仮面ライダーの友達で通してて、バックアップしてくれる組織もない。だが平成令和とくだっていくにつれて、孤独でもなければ「職業、仮面ライダー」みたいな仮面ライダーはゴロゴロ出てくる。当然私はこれら全部を書き明かすほど知識も文章力もあるわけじゃないが、コレコレ!コレだよ!っていう仮面ライダーをつらつらあげていこうと思う。
巨大化する仮面ライダーといえばJがあまりにも有名だが、個人的に好きなのはやはり「お前たちの平成って醜くないか?」でお馴染みの「仮面ライダージオウ Over Quartzer」だろう。
回を重ねるごとに昆虫ベースの改造人間からかけ離れていく仮面ライダー。毎年出てくる仮面ライダーは最早改造人間ですらなく改造人間設定はオマージュの対象となり、改造人間よりも怪人の方が強いライダー作品まで出てくる始末。年々ふざけていく見た目、毎年ガラリと変わる作風。あまりにもおふざけが過ぎる仮面ライダーのなかでもジオウはとくにふざけてた。なんだ!顔に!!「ライダー」って!!!2号は平仮名で「らいだー」って書いてあるぞ!ふざけているのか!と思って1年間見てたらもう顔に「ライダー」って書いてないと物足りなくなってしまった!
そんなジオウの劇場版、ISSAが演じる敵ボスは、そんな毎年毎年作風が変わりまくってデコボコな平成ライダーに一石を投じるべく仮面ライダージオウに戦いを挑む男である。それゆえの「お前たちの平成って醜くないか?」というパワーワードだ。彼も仮面ライダーに変身するが、仮面ライダーBLACKがベースの仮面ライダーバールクスに変身してジオウと戦う。平成の力を無効化する能力。忠臣だと思っていた男が実は敵方の人間だった衝撃の事実。囚われの身となったジオウを励ましにサプライズ出演する仮面ノリダー。憲武が!仮面ライダーの映画に!出てくるのだ!パロディライダーが本家の劇場版に出てくる!劇場で見た時、これはもう青天の霹靂であった。最後は巨大化して戦うISSAことバールクス。小渕の平成のパロディまでやってくれる!エピソードファイナルやパラダイスロストも名作だが、ジオウたちが巨大化したバールクスとどう戦うのか、是非とも見てほしい!
特定組織に属した仮面ライダーが増えていくのは先ほど書いたとおりだが、もはや書くことがいっぱいありすぎる!まず組織とは!というところから始めないといけないが、巨大組織との軋轢、という面でいうと、ショッカーから始まりゴルゴム、スマートブレイン、BOARD、ZECT、ユグドラシル、野座間製薬、果ては警察まで出てくる。
クウガに出てくる仮面ライダーは平成にしては珍しくたった一人である。どこの組織にも属さない。一応警察と協力して戦っているが、あくまで協力であり言ってしまえば業務委託のようなものだ。OPでも「英雄はただ一人でいい」と歌われているが、敵の暴力に暴力で対抗できる人間は自分一人だけでいいのだ。ある時、芝居の先生を敵に殺されたヒロイン(奈々がヒロインかどうかは民意に委ねる)に暴力の虚しさを説くクウガ。日夜暴力を振るっていることなどつゆ知らず「あんたの言ってることは綺麗事ばっかりやんか!」と言われ悲しい顔をするも「そうだよ、本当は綺麗事が良いんだもん。暴力でしか解決できないなんて悲しすぎるから!」と悲痛な返答をするクウガ。警察や世間からは「未確認生命体第4号」と呼ばれ他の怪人と同じく当初は射殺対象となるも、日々の戦いのなかで警察と協力して戦うようになっていく。少しずつ警察や世間の信頼を勝ち得ていく流れを、敵の暴力を暴力でしか解決出来ない最終バトルまでの悲哀を、是非とも見てほしい。
そのほかにも、所属している組織が1話でいきなり壊滅して、「オンドゥルルラギッタンディスカ」と叫ばざるを得ないなか、訳の分からないストーリーや勝手気ままに敵対して回る先輩ライダーなど、滑舌しかネタにすることのなかったのに、いざというときしか役に立たない男、肝心な時にしか役に立たない男、平成の善逸、強敵にしか勝てない男、などさまざまな異名を持つ男や、最終回の自己犠牲が後続のライダーの最終回に大きな影響を与えた男など、信じられる組織が初回で消滅してしまった男たちの生き様を、ぜひ見てほしい。
アギトのG3は未確認生命体第4号を模した警察のパワードスーツで、G3ユニットを巡って警察内部でずっと争いと諍いがあったのは見ての通りだ。なんなら最終回までずっと揉めてたからな、あいつら。イヤミなエリート刑事北條さんにずっと付け狙われるG3ユニット、あかつき号事件をネタにG3に変身するも敵前逃亡キャストオフでクビになり、めげずにギャバンみたいなシステムで対抗するもG3Xとの模擬戦でボコボコにされ、最終的にアギトは人類の敵認定されて怪人活動保護組織に成り下がりかける警察。これもぜひ見てほしい。
他にも555、剣、カブト、鎧武など、ベルトが組織の持ち物、ライダー対組織、という構図が年々強めになっていく。シンゴジラほどじゃないにしても組織描写は多いわけだ。賛否両論激しいゼロワンのお仕事五番勝負も会社対会社の争いで、あれも組織対組織の争いと言える。幹部同士の諍い、組織の中の揉め事、そういうの俊樹の十八番だな。組織描写が庵野の十八番なら、より面白いストーリーにしてくれることは期待できるだろう。
そんなわけで仮面ライダーのコンテンツはとても膨大なので私の知識と文章力では書ききれない。みなさん是非とも仮面ライダーの面白さをブコメなりトラバなりで語っていってほしいと思う。
私30代前半元オタク、大学時代からは年に不定期で同人誌も描いてたタイプ!
新卒でそこそこ忙しめな業界に希望職種で無事就職!実家自体が都内ではないものの都心に程近く、他色々と理由があり就職後もしばらく両親健在の実家暮らしをしていた。
そんな社会人1年目の冬、当時爆ハマりしていたアニメジャンルで冬コミにサークル参加しつつ、実家暮らし社会人の財力(ちゃんと家にお金は入れてたわよ!)を持って、公式にも同人誌にもそこそこの金をつぎ込んでいた。
この頃が一番オタクとして輝いていたと思う。
ちなみに部屋は物が多すぎてとっ散らかっている。
社会人2年目に突入し、徐々に仕事が増えていき、爆ハマりアニメも放送終了。ちなみにアニメオリジナル且つ推しキャラ(同人的にも一番人気キャラ)ほぼ死亡みたいな事になった。
そんなこんなで3年目以降からは完全に社会人モードにシフトしていき、アニメを追う事もほぼなくなり今は晴れてワーカーホリックです!生活の8〜9割くらいが仕事状態!イエーイ!(仕事自体は楽しいので良い)
チャリで帰れる距離だからたまにご飯食べに帰ったりしてた、ありがたさが染み渡る…
【本題】
一人暮らしするにあたって、件のオタクグッズなどはほぼ持ってこなかった。何故なら一人暮らし始める前からオタクをしてる暇がなくなり、自然とオタク心が収まっていった。
そもそも物が多すぎて地獄のようにとっ散らかった実家の部屋で過ごすのがメンタル的にキツくなっていったこともあり、(仕事忙しすぎて掃除する時間ない&物多すぎてどこから手をつければいいかわからなくなった)
一人暮らしの家では同じこと繰り返したくない!という想いから、半ば自室を倉庫にして実家を出た。
そしてある日母から、「実家をなんやかんやするからアンタの部屋どうにかして」と、連絡が。いわゆる青天の霹靂である。
両親からワケを聞くとどうやら、私物を置いておくことが物理的に完全に無理そう。ついに来たかこの時が…という気持ちである。
とはいえ家を出た時のまま、部屋の物をいじらず(たまに掃除はしてくれてた)置いておいてくれた事に感謝しかない。
それにいずれはどうにかしなければと思っていたので、今が年貢の納め時なのかもしれない。
ということで、アニメグッズの断捨離を始める事にした。グッズ自体は社会人になってからの方が多かったが、円盤は高校生の頃から買っていたので、パッケージを見るだけで作品の事や、ハマっていた当時の自分や友達や気持ちを今でも思い出す。
創業経営者と比べると、大企業の経営者による「私の履歴書」はいったいに面白くない。とくに金融系はつまらない。それにしても、石原氏の連載には刮目させられた。底抜けにつまらないのである。他の大企業経営者と比べても、つまらなさの次元が違う。それがたまらなく面白い。
読んでいない方のために内容をかいつまんで紹介する(ある意味で読みどころ満載なので、要約するのが心苦しい。ぜひ原文に当たることをお薦めする)。日比谷高校から東京大学法学部に進学。東京海上に就職する。新人時代の使い走り時代を経て、商品開発部門に配属。専門書で勉強し、世の中の変化に合わせて保険商品をつくる楽しさを知る。仕事が終わると先輩と2時3時まで飲み歩く日々。しかし、非常事態に対応するのが損害保険会社。翌日の仕事に差し障るのはプロとしてよろしくないと、日付が変わるまでに酒席を終えるようになる。
顧客対応の難しさ。人が行きかう駅で土下座をすることもある。代理店から出禁をくらっても、粘り強く何度も足を運び、ようやく納得してもらう。丁寧に意図を説明して誤解を解き、信頼を勝ち得るために努力を惜しまないことが大切と知る。
部下と上司の板挟みに苦しんだ課長時代。ストレスで十二指腸潰瘍を患う。職場の雰囲気がギスギスしていて、3人の女性社員が辞めたいと言い出す。ムードを和らげることに努めた結果、「まだ続けます」といってもらったときの嬉しさ。
■ヤマはない。オチもない。波乱も万丈もない。
畑違いのシステム部門に異動に。勤務先は国立市のコンピューター・センター。初対面の人ばかり。打ち解けるために週末を除いて56日間連続で部下と飲み、本店からの無理難題で疲弊しているシステム部門の現場の悩みを知る。本店との風通りをよくしようと努力を重ねる。ときには丸の内OLになりたくて入社した女子社員が国立に行くのがイヤだと駄々をこねることもある。本店まで自ら迎えに行って、国立勤務を受け入れてもらう。
取締役に昇進し北海道本部長に。当時、取引先の拓銀は破綻の危機。正月、拓銀の守り神の神社にお参りし、「拓銀さん、今年もどうか頑張ってください」と祈る。支援に奔走するが、拓銀はあえなく破綻。「いろいろご支援いただきましたが、こういう結果になりました。本当に申し訳ありません」という副頭取にかける言葉もなかった――。
こういう調子で、淡々とした仕事生活の回想が延々と続く。ヤマはない。オチもない。波乱も万丈もない。強いて言えば、連載17日目(これを書いている時点で最新の回)の次期社長を打診されたときの話がヤマといえばヤマだ。
前社長に「後任は君だ」と言われ、予想もしなかった話に呆然とする。「考えさせてください」とだけ答え、帰宅してから仏壇の両親に「大変なことになりました」と語りかける。それをひそかに見ていた夫人(またこの奥さまが石原氏にお似合いの「古風でしっかりした」女性。女子大を出たばかりのときに高校時代の美術の先生の紹介でお見合い結婚。内助の功をいかんなく発揮。もちろん美人)が「お受けしたら……」。で、受けることにした――と、これだけなのである。
経営者の「私の履歴書」にお決まりの「のるかそるかの大勝負」とか「修羅場での決断」がまるでない。目の前の仕事に誠実かつ真摯に向き合う。こつこつと着実に小さな成果を積み重ねていく。「週末を除いて56日間連続で部下と飲む」ということは、ちゃんと日数を数えていたわけで、この辺真面目としか言いようがない。
大企業の経営者が書き手の場合、月の半ばから後半に入るころに、「次期社長は君だ」のエピソードが出てくるのがお決まりのパターンとなっている。社長のポストを打診されて「青天の霹靂だった」とか「思ってもみないことであった」というのがこれまたお約束なのだが、読んでいる僕にしてみれば「よく言うよ。絶対自分が次の社長になる、それだけ考えてやってきたんじゃないの……」と思わせる人が多い。ところが、石原氏の場合、本当に「予想もしなかった話に呆然」としたのではないかという気がする。それだけ筆致が率直なのだ。
はじめは単に「面白くないなあ……」と流し読みしていたのだが、そのうちぐいぐいと引き込まれ、連載10日目を過ぎたころからは襟を正して読むようになった。その桁違いのつまらなさに、むしろ保険会社の経営者としての凄みを感じたからだ。
コロナ禍でどう感染対策しながら家族サービスをしたら良いのか?を考えた結果、妻が突飛な発想をした。
青天の霹靂、予想だにしない極めて有用な意見である。
なぜなら私は漁師の子であり、東京海洋大学卒であり、海技士免状取得者だからだ。
しかも私は学生時代に学友たちと無人島を借りてキャンプをした経験がある。
いやエントリのタイトルが「ぶっちゃけ」なので無人島を借りてキャンプした理由も正確にお伝えしなければならないだろう。
無人島キャンプの最大の理由はナンパだ。
我々のような海へ親しい技能者は若い時分にクルーザーなどを借りて海水浴場の近くへ係留・錨泊し「クルーザー乗ってみない?」と女の子をナンパするのが定番ナンパ術なのだ。
このナンパ術、その成功率は9割を超えると言って良い。
このナンパ術の失敗理由は声をかけた女の子が家族もしくは彼氏と海水浴場へ遊びに来ていることに起因する。それ以外の理由を女の子から言われたことがない。
なんなら「今日はダメだったけれど」とコッソリ電話番号をくれる子まで居た。
もし血気盛んな若者がこのエントリを読んでいるのであれば夏場のナンパはクルーザーが強いと覚えておこう。
そしてこのクルーザーナンパの延長線上に無人島キャンプがある。
貸し出している無人島にはたいていプライベートビーチがあるので自分たちだけが専有できる特別な海水浴場となるためコレも女の子ウケが非常に良いのだ。
お前はパリピかとそう思うだろう。バブル世代の成金かとそう思うだろう。それは全く違うと全力否定させてもらう。
学内で野郎を5人程度集めて割り勘でクルーザー借りたり無人島借りたりするのだ。
1泊2日ならクルーザーレンタルやキャンプ道具費用を合わせても50万円あればお釣りが来る。意外とリーズナブルではないかな?
そもそもお前らがイメージしているパリピが新1級小型船舶操縦士とか海技士免状とか持ってるのかと。むしろ金色のネックレスしてそうなバブル世代のオッサンとかのほうが持ってそうだろ。
しかし私はバブル崩壊後生まれであり1万円振ってタクシーを停めた経験とかそういうのはネットで読んだみたいな世代だ。
話はそれるが先日話題になった暴走運転する水上バイク、水上バイクの免許(特殊小型船舶操縦士)ではクルーザー運転できないので、こいつらともまた我々はカテゴリが違う。
いや確かに水上バイクもまたナンパに使えるが、クルーザーほどの威力はない。いやだってクルーザーだぞ?男女関係なくホイホイついてくるやつ一杯居るだろ?w
そしてそのホイホイついてきたのが私の妻である。
つまり妻からすると若い頃に私と楽しんだ思い出のレジャーなのだ。妻は突飛な発想だと思ってなかったかもしれない。
思い立ったら吉日、船と無人島の予約だ。
無人島は瀬戸内か三重が良い。内海なので船が揺れにくく船酔い耐性が低い人でも酔いにくい。
しかし、当日になると折りが悪く停滞前線の影響が強く残る天候で、気象の変動が読みにくい停滞前線では正直現地へ行ってみないと船を出せるかどうかわからない。
こっちも海に関してはプロなので無謀な航海計画を立てることはない。これは学生だった頃からそうだ。遊びで死にたくはないし可愛くセクシーな女の子(妻)の心証を損ねてしまう。
子供たちは釣りや海棲生物の捕獲を楽しみにしている様子だったが「ごめん、もしかしたら無理かも?天候だけは父ちゃんどうしようもない」と伝えると絶望した表情を浮かべていた。
現地へ行ってみないとどうにもわからなかったのでクルーザーと島の貸主へ電話連絡を取り「天候理由ならキャンセル料頂きませんよ」と快く言って頂けたので「無理なら帰る」ことを子供たちへ伝えて車を走らせた。
車の走行中、天候を確認しながら運転していたが「あれ?意外と悪くないかも?」なんて思ったが子供たちへ伝えると期待感を膨らませてしまうだけなので黙っていた。
そしてマリーナへ到着。めっちゃ凪。すごい凪。
流石にミラーウォーターと呼ばれる鏡面のような凪ではなかったが風も等級ゼロと言って良いほど無風。
しかし無人島へ移動してから荒れたら嫌なのでマリーナ周辺を散策しながら注意深く海を観察し、漁港近くを歩いていた風格あるご老人が居たので訪ねてみると「このまま晴れると思うよ。むしろ暑くなりそう」と太鼓判を頂いたので出港決定。
子供たちへ「行くぞ!」と伝えたら手を付けられないほど歓喜していた。
出発前の不安は何だったのか、YAMAHAの船外機も調子よくマリーナの整備士へ心の中で称賛を送り、フルアヘッドで無人島へ向かう。私のチキンハートのせいで時間が多少押してたので暗くなる前にキャンプ拠点をしっかり作り込みたい。
この時点で妻も子供たちもスゴイ良い笑顔だ。船が滑走し水しぶきを浴びてキャッキャと喜んでいる。どうやらお父ちゃん何とか格好付けられてるようだ。
無人島へ到着する。どうだこの究極のソーシャルディスタンスは!
当然、我が家族以外誰も居ない、時折近くを通る漁船も水平距離にして300mは離れてるだろう。まぁ自然以外何も無いけどな!電気もガスも水道も通ってない!
ただ内海を選ぶことのメリットに携帯電話の通信圏内であることがあったりする。LINEやInstagramへ写真をアップするとかそういうことは可能なのだ。Youtubeだって観れる。
しかし数万mAhの容量があるキャンプ用ポータブルバッテリはあったほうが良い。それに合わせてトーチやランプも充電式にしておくと何かと便利で、火種も基本は充電式電子ライターとかにしておくと不便がない(無人島へ行く場合、火種の着火方式は複数用意しておこう。オイルライターなどを予備として必ず持っていくこと)。
キャンプなのに文明の利器使うのかよと思うかも知れないが子供相手せにゃならんのでキャンプっぽいことをすることが大事であってガチで石器時代やる余裕なんてないののである。
石器時代やって大人のキャパシティ超えちゃうと子供を危険へ晒すことになるのでこういうシチュエーションで石器時代はあまりメリットない。
石器時代やるなら第3者のヘルプが使えるとこで私はやりたい。
無人島では真水が大事なので浄水器、鍋、ビニール袋(ゴミ袋で良い)なども必須。特にビニール袋は帰れなくなった際に着込むことで保温効果も期待できるので忘れることが許されない。火種があればビニール袋を繋げて真水も作れるぞ。
あとは医療品だな。私は医療品をイチから用意するの面倒だったので自然災害用避難グッズ。全部揃っていて迷う必要がない。
ほかはまぁだいたいのキャンプで使うようなもの持っていけば良いんじゃないか?
最後に、実は私は家族の中で唯一2回目のワクチン接種が終わってないんだよなぁ。
むしろ無人島キャンプしたときは私だけワクチン接種してなかった。したかったんだけど職域接種の混乱に巻き込まれてしまって遅れたのだ。
1回目は幸い副反応もまったくなく腫れも幼少期ハチに刺されたのと比べれば腫れてないって言って良いレベル。蚊かなにかに刺され掻いてしまい腫れあがったときみたい?って感じ。
多くのご家庭が自分の家族のためにどうにかして夏の思い出を作ろうと試行錯誤していると思う。
中には子供を遊ばせるとは何事か!とか心なく言うような人も居るけど、だからこそ私は私なりの試行錯誤をここに記すことにした。
我々大人は子供時代に多くの夏の思い出を大人たちの協力によって積み上げた。これは事実であり否定しようがないものだ。
ならば次は私の番である。私が大人になったのならば今の子供たちへ報いる番なのだ。
子供よりも経験豊富で知恵のある大人として育てて頂けたからこそ私は子供たちのために試行錯誤をしなければならないのだ。
今の子供たちに将来「夏の思い出を大人に奪われた」と言わせないために!
今の子供たちに将来「次は自分の番だ」と言ってもらえるように!
そこそこ長く続いてるゲームで最近一気に人が引退するようになった騒動が起きたっていうともうひとつしかないので、簡単に特定されちゃうと思うけど。別にその騒動を語りたいわけじゃないことだけ書いておく。
友人五人と同じソシャゲを学生時代からずっとプレイしていた。そうは言っても全員ゲーム内で入ってるギルド的な組織は別で課金もバカみたいにしてる奴からキャラを選べるチケットだけ課金してる奴までまちまちで、だから当たり前に強さもバラバラで、別に一緒にプレイしてたわけじゃなかった。
ただSNSでも顔合わせてもよくそのゲームの話をして人のガチャ結果に一喜一憂したり装備の話をするのは楽しくて、もう四年くらいになるからそんなやりとりも当たり前になっていた。
ある騒動が起きて六人中三人が引退した。自分含めた引退しないことにした三人は今回の騒動にマジで何も感じてなくて、青天の霹靂どころか今もまだ友人のドッキリなんじゃね?と思っている。別にこれで話題がなくなって六人バラバラになるとか気まずくなるとかそういうことはなく、SNSのグループからその三人が抜けてそこがそのゲームを話す場所になって、新しく六人のグループができただけだ。残された三人でゲームの話するグループも六人で関係ないくだらない話してるグループも元気に動いている。これで関係が崩れたとかではない。
ただ、大袈裟かもしれないが一つの日常が終わったんだなあって実感がある。全員でゲーム始めたときからもう数年経ってるんだからみんな生活環境も変わってるが、なんとなく何も変わってないような気がした。でももう変わってるんだよな。もうコロナが明けてもみんなでわざわざ集まって人がガチャ引いたり強いボスと戦ってるところを応援したりしないわけだ。六人で集まることは変わらずあっても、別のことをしてるんだろうな。今まで引っ越して会いづらくなるとか結婚したとか色んな変化が全員にたくさんあったのに、今一番時間の流れや変化を感じている。六人で何度もリアイベ行ったりしたからかな。人間の感覚ってわかんないもんだな。
特段メジャーなジャンルでもなかったので何のジャンルかは多分わからんと思う。多分。
5年ぐらい前、作者が蒸発した。
犯罪紛いのイザコザを起こし、ブログで意味のわからない謝罪をし消えた。
やらかした内容に関しては、自ジャンル作品とは直接関係がなく、別の活動が発端(その人は所謂マルチクリエイターだった)だったらしい。
別の活動については追っていなかった私にとって正に寝耳に水、青天の霹靂、自ジャンルもメディアミックスなどが行われこれからだと思っていた時だった。
私は自ジャンルのとあるカップリングにハマっていて、それはもう世界の全てが自カプに見えるほどのハマりようだった。
しかし作者は蒸発した。もう続きは絶望的。あれから何の音沙汰もない。作者の人柄にも絶望し、私はジャンルをそっと離れることに…
できねえ…
作者がクズみたいな人間でも、物語が未完のままでも、ファンに厄介な人がいても、そんなもの跳ね除けるくらいには自カプが好きだ。
こんなに狂ったカプは初めてだった。この約五年間の間、色んな作品を見、感動もしたけれど、それでも自カプのことが忘れられない。
両片思いの二人の気持ちが届くところまで見届けられなきゃ死ぬに死ねない。
たぶんもう世間からは忘れられかけてる自ジャンル。今だに時折読み返しては、二人の関係性に狂い、歓喜している。
今更二次創作しても見てくれる人はほとんどいないと思うけど、やっぱり自分の中でだけでも2人を見届けないと死ねない。ブックマークも、感想も、あれば嬉しいけど、なくてもいい。この気持ちこそが二次創作の原動力。
せめて、せめて、終わらせてから蒸発してほしかった…。未完で作者がやばい問題起こした作品なんて人に勧められないよ…。
追いかけ始めて思えば8年ぐらい、自カプを忘れられる日はまだ来ない。
高校卒業までは目標を決めてひた走った時代だった。得たもの、学力体力友達と自信。
得られなかったもの、自己分析、視野の広さ。自分に余裕がなかったんだ。
自分のコンプレックス、すなわちマイナスをプラスにしないといけなかった時代。
自信が欲しかった。
大学時代はそれまでの呪縛から解けて一転、ふわふわと流された時代だった。
視野の狭さもコンプレックスだったので、色々なことをやってみるけど、
そもそもやりたいことがない、また別のことをとりあえずやるの繰り返し。
今思えばある程度将来が不明でも何か資格など、これと決めて頑張れば良かったのかもしれないが、しょうがない。
就職はもちろん目標持ってチャレンジなんかできず、消去法を何回も繰り返して見つけたところへ。
意気揚々と就職してからは、自分のダメッぷりに落ち込む始末。同期と比較されるのが辛かったのと、配属されたところが社内一忙しい部署だったので更に嫌になる。
相談できる先輩もおらず、
また、当時付き合っていた彼氏と上手く行かず人生の傷を負う。この話は家族にも言えてない。
ま、恋愛対象ではないけど趣味は合うから二人で話してみるかと思ったら3ヶ月後に結婚の話が出るぐらい仲良くなってしまった。
話を聞くと、同期も両親を同時に亡くして人生のどん底だったからお互いがお互いを必要だった。
思えばここから運が上向いて来た気がする。
結婚し、嫌だった実家を離れ、数カ月後には異動願いが通り業務も楽になった。
自分が望んで動いたわけではないが。気付いたら自分が望む状況が出来上がっていた。
毎日泣きながら電車に乗って元彼に復讐する計画を考え、会社では上司と目を合わせない日々だったことを考えると本当に運が良かった。
けれどもそれでいいやと思えるぐらい助けられた。
という感じで1年、2年、余裕も出来て、やりたいことも沢山やれるようになってきた。
7年ぐらい運が落ち込んでたのが、やっと上向いてきた感じがする。
生きてると、思わぬいい事もある。
(備忘録)
今さ他部署に応援に行ってるんだけどさ。そこの新人らしき四十代のおっさん、少し頭がアレなんだよ。主に電車とかバスとかの公共交通機関に一定確率でスポーンする、妙に落ち着きないクソデカ独り言マシン、それその人なんだよね。
隣で作業してると怒鳴るような声量でブツブツ垂れ流すもんだから、何度か周りに注意されてるんだけどね。もう馬耳東風、聞こえないフリしてんの。
それで度々話しかけてくるから、適当に話聞き流すんだけどさ。よくよく聞いてみると全部武勇伝とか不幸自慢なんだよね。マジどうでもいい。うるせえ。
それで僕は思ったわけだよ。組織に迷惑を撒き散らしているなら、それは差別しないと嘘だろうと。まさしく青天の霹靂。どうして全体のマイナスになるような人間を平等に扱う必要があるのか、という話。
アラフォー子持ち。
外でコミュ障なりにちゃんとするから疲れちゃって、暗闇で本当はポツンとしてたい。
一人部屋が与えられてからは部屋で過ごした。
繊細な子供として扱われてたと思われるが、妹がいたので家は平和だった。
大抵のことはすんなり出来たので育てやすい子として扱われた。
妹は幼少期は内弁慶で、高校ぐらいからはコミュ力が上がり家でも外でもよく喋り笑う子供だった。
母親とべったりで、正直助かってた。でも寂しかったんだと思う。
大人になり妹とは価値観の違いで、冠婚葬祭程度の付き合いとなった。
なんか会うと疲れる。コンプレックスが刺激される。
久しぶりにこの前母親と3人で食事をしたが相変わらずだった。どうやって会話に入ったらいいのかわからない。
母親は定期的にこっちに来るが、あっちから連絡が途絶えたら私から連絡することはないだろう。妹とも冠婚葬祭以外はやっぱりしんどい。
喋らないのは教育に悪いし、幼少期は頑張ったが、思春期を迎えると子供もあまり喋らなくなったので、こちらも遠慮なく無口復活させた。(ほどぼどに)
仮面ライダーが好きだった頃と違い、すきなものを一緒に楽しむことも少なくなり、家で何を話したらいいのか、どうやって接したらいいのかわからない。自分の子供なのに、一緒にいると疲れる人になりつつある。
うまく行かなくても血の繋がりを意識しなくていい。
友達は選べるけど家族は選べないという言葉を聞いたときに、青天の霹靂のようだった。
別に毒親でもないし、自分のコミュ障のせいなんだけど、血の繋がりが重い鎖のように感じる。
離れたら離れたできっとさみしいのに、一緒にいてもしんどくって、笑い方なんて忘れつつある。外みたいにすると休まる場所がなくてしんどいし。でも家族と接するたびに家族が苦手な自分がくるしい。一人で死にたい。
母子家庭で育った。
勉強する意味もわからず勉強に励んでいた。おかげで中学時代は成績自体はそこそこだった。
たが高校時代、思春期の頃に自分の将来についてちゃんと考えることが出来なくて
成績は急落、一浪した。母子家庭で一浪、それを許してくれる母親に感謝し心を入れ替えて勉強した。
全ては自分のため、そして家族の一員として期待に応えるためだった。翌年、志望校には合格できた。
以前の自分は家族の期待には応えるように行動していた。実際自分は、自分自身よりも他人のために行動するときのほうが集中していた。
だがその結果、自己肯定する能力は人より劣ってた。就活も苦労した。拠り所を家族のためだと思って頑張った。やがて内定は得られた。
自分には趣味があった。他人には話しにくい趣味だが自分の思春期の言いようのないストレスのはけ口として
何度も心の支えとして機能していた。生憎 お金はそこまでかからないので中高大になってもそれを続けていたし
就職してからは、友人とも会うこともなくなり益々のめり込んでいた。どこかで常人の閾値を超えてしまっていたようだ。
数年前にその知見を活かして本を出さないかと出版社から打診があった。あの日の青天の霹靂のような瞬間を今でも覚えている。
二つ返事で執筆開始。好評だったのかその一冊以外にもその後も何度か仕事があり、現在はリーマンと二足の草鞋で活動している。
その当時の話だが、出版したことが嬉しくなって母親に話した。しかし母は別にその趣味に理解は示さなかった。それ自体は別に良いのだ。
それよりも今度帰ったのなら一緒にゴルフでもしないかと誘ってきた。どうやら一緒にコースを周るのが夢だったそうだ。
執筆があるからと断った。生憎 ゴルフには全く興味がなかった。母親の思い通りに、家族に帰属意識を持たない故の行動だった。
母は兄弟姉妹のなかで唯一 このようなわけの分からぬ趣味を持った自分が理解できなかったと思う。母の描く理想にはなれなかった。
家族を離れ地方に就職し一般的な社会の荒波に揉まれた自分は、いつしか家族に感謝はしても併合する気持ちが無くなっていた。
話は変わるが自分は進撃の巨人のエレンに非常に共感している。自分の自由のためになら何だってする精神は日々の生活で活かしている。
例えば自分は会社で、献立が決まった弁当を頼むことがない。必ずコンビニで買う。理由は自分で食べるものは、自分で選びたいからだ。
献立の決まった弁当は、考えることを止めた人間の選択だと本気で思っている。もしその日死んだら絶対にその事で自分は後悔すると思う。
たとえ自分が選んだ事で不幸が生じても、その選択を選んだ事自体に後悔はしない。同僚にこの話をして理解してもらった事はないが気にもしない。
冒険の反対が「母」というのは正しいと思う。家族という帰属組織の中で生きていた自分にとっては15年くらい
住んでた6畳半のアパートは正に牢獄のようなものだったと振り返れる。敢えて嫌味のようにその事を告げるつもりはない。だが未だに牢獄の中で
生活せざるを得ない母には同情している。せめて役割めいた母ではなく、本名で向き合えたらもっと話せるのになと思う。難しいんだけどね。
ホス狂の皆様にとっては少額であろうが私にとっては人生最大の買い物だ。
ここまでに至った経緯と共に書いていこうと思う。
多分長くなると思うし、駄文です。しかも走り書きに近いので読みずらくて恥ずかしい。
それでも1人だけでも興味を持ってくれて、読んでくれたら嬉しいです。
(コロナウイルスが蔓延しているのにホストクラブに行くなんてと怒る方もいらっしゃるでしょう。ごもっともです。最初に謝っておきます。ごめんなさい)
ホストクラブに初めて足を踏み入れたのは2年程前に歌舞伎町のSMバーに入り浸っていた頃。
歩いていたらよくキャッチに「お姉さんホスト行きません?初回1000円で飲み放題ですよ」と声を掛けられていた。
その時は別にホストは興味無いし、後々多額のお金がかかるものだと思って敬遠していた。あとディズニーとそのバーにハマっていたから心惹かれなかった。
ある日そのバーで飲んだ帰り、急に寂しい気持ちと共に社会科見学がてらホストクラブにでも行こうかと思い立つ。
よく「1000円でいいんで!それ以上お金は掛からないんで!」と言っていたキャッチの言葉を思い出し、財布とは別に貧相なパスケースに1000円だけいれて適当なキャッチに声を掛けられるのを待ってついて行った。
この時は朝方の6時。2部営業と言われる朝の6時からオープンするホストクラブだった。
キャッチにお店に案内され、いざエレベーターに乗った時は酷く緊張したのを覚えている。
意を決してドアを開けると白と黒を基調とした煌びやかな空間と大きなBGMが掛かっていた。しかもお客さん誰もいないし。
お店のスタッフに案内されるがままに席に着き初回のシステムを説明された。
暫くするとホストが席に着いてくれた。
「お姉さん何飲んでんの?今の時間まで何してたの?」
と聞かれるがまま答える。 緊張のせいで酔いは醒めてはいるがしどろもどろな私。
ここから6人くらいと話したがみんな上記の会話しかしない。マニュアルでもあんのか?って思うくらい。
早く帰りたいでいっぱいだった私は飲み直し(延長)を勧めるホストとスタッフに「本当に1000円しかないんで!」とパスケースを見せ引き下がらせた。
(今思えば本当に営業妨害の何物でもないだろう。お店の名前も覚えていないけれど、あの時のホストクラブさんすみませんでした)
店を出て「あれの何が楽しいんだろう...もう一生行くことは無いな」と心の中で呟いた。
コロナウイルスが流行り、ディズニーは休園してよく行っていたバーも店も閉めてしまった。
毎日毎日風俗で稼ぐ日々。 今までのストレス発散の場が無くなってしまい毎日がつまらなかった。
そんな中YouTubeで誰もが知ってる某有名ホストが経営していたホストクラブの密着動画がおすすめに出てきて、その動画に出た男の子に興味を持った。
まあ、言ってもいつか会いたいな〜くらいにだけど。
たまたま歌舞伎町のネカフェで泊まった夜、意を決してその子が働いてるお店に行ってみることに。
相変わらずあの煌びやかな内装とかっこいい男の子が沢山いる空間は緊張してお酒の味が分からないし、酔えない。
目の前に現れた彼は本当にかっこよかった。
気分が高揚し、軽くパニックになって上手く喋れない私を優しくリードしてくれた。もう少し彼と一緒に居たかった私は彼と飲み直しする事に。
ホストクラブといえばシャンパンを入れなかったら失礼かなって思って10万円くらいのシャンパンも下ろした。
目の前に男の人がわらわらと集まってマイクでコールされる。何言ってるのか分からないけれど、何やらこの人達は感謝の気持ちを申してるみたい。
「お金使って、沢山の男に囲まれて気持ちいい!」なんて全く思わなかった。
居心地の悪さと緊張が混じった中、キョロキョロと目を動かすのが精一杯だった。
これは今も続いててシャンパンコールは嫌いじゃないが、少しだけ居心地が悪い。
閉店時間になった頃、帰ろうとしたら彼が「この後時間ある?待っててくれない?」との提案。
頭の中ではパニック。
え?何で?いわゆるアフターってやつ?10万と少ししか使ってないのに...? なんで私?
と思いつつも了承する。恥ずかしい話だが特別なんじゃないかと思い上がった気持ちも少しばかりあった。
(今思えばこのホストの行動は「育て」って言われるやつですね。 この先もっとお金を使ってもらう女に育てあげることです)
その後少し待って彼とカラオケに行って、お別れする。
なんだか緊張こそしていたが楽しかった気がするし、かっこいいしと思ってまた行こうと思った。だってアフターまでしてくれたんだもん 。
その後は何度か通ったけれど、ヘルプ(指名しているホストとは別に着いてくれるホスト)に痣をつけられて我慢したが指名している担当ホストに言ったら迷惑が掛かるのでは無いかと思い自分から行くのを辞めた。
本当に今思えば担当からしたら突然居なくなるのが1番迷惑なのにね。
その彼は独特な世界観を持っていて、自信に満ち溢れた立ち振る舞い。端正なお顔立ち。
ドンピシャに心を撃ち抜かれた。
すぐさま指名しに行った。
彼は一度に使う額はそこまで多くはなかったけれどシャンパンと行く回数は多かったかな。
元々ソープは以前からやっているからお金はあったが足りなくて出勤時間も伸ばし、出稼ぎにも行き始めた。7時から24時まで出勤する日もしばしば。
彼の事は盲目的に好きで「彼に切られたら死ぬ」とさえ思っていた。
少し話は逸れるが、以前ネットで通話した人が元ホストの方で彼が言っていた「ホストって夢みたいな物だから。ほんの些細な指パッチンで夢が覚めるよ。覚めた時に後悔しないようにね」と。
本当にこの言葉通り。 その夢の覚める合図が彼のパンチだった。
身バレが怖いので詳しくは書かないがお店で彼に殴られ骨が折れた。
まさに青天の霹靂。
もうホスト通いなんて辞めよう。 身と心を削って何をしていたんだろうな
そう思った。
はずだった。
そう、今も通っている。
ここでようやくタイトルにした「私がホストに行く理由」に触れる。
ここまでつらつらと書いておいて答えは単純明快でも申し訳ないが
「寂しいから」
歌舞伎町で通う子や働く人間はそれぞれの生きづらさを抱えた人が多い気がする(勿論そうじゃない人だって沢山いるよ 個人の意見です)
通ってる人間が言うのも何だが「社会の吹き溜まり」みたいなものだと思ってる。 みんなそれぞれの生きづらさや苦しさがあるからあの町は安心するのだ。
通う人間は寂しさ 苦しさ
どうしようない現状 ストレス
働く人間は普通に朝起きて働く事が難しいから夜で働いたり、一攫千金を夢見て酒を飲み嘔吐しながら血を吐く。
この街に居たら喧嘩 リスカ OD 自殺 嘘 が日常的になって麻痺してくる。
私もその1人。自分の苦しさや寂しさと向き合えないからお酒で溶かす。
その中で好きで応援したい人が居て、たまたまその人と一緒にいるにはお金を多額の仲介するしかなかった。
ただそれだけ。
いつまでも夢を見ていられるとは思わない。
自分の中の十数年分の寂しさと苦しさに向き合わなきゃ行けない。
自分の中でトラウマを植え付けられたあの日から成長もせずに、泣いている過去の自分を泣き止ませなきゃ行けない時が来る。
本当に歌舞伎町から卒業する時はちゃんと自分の寂しさと向き合えた時だと思うんだ。
まだその術が分からないから、こうして誤魔化すことしか出来ないの。
つらつらと長く書いてしまった。
今の80万使った担当については身バレの都合上書けません。とっても考え方が面白くって歌舞伎町の中では優しくて人の痛みが分かる、そんな素敵な人です。 今の所は好きでお金を使って応援するに値すると本気で思っています。今のところ。
人と人の付き合いですから、これが正解かは分からない。今の所は後悔していないけどもしかしたら後悔する日が来るかもしれない。
でも今はね、この金額を使ったことはちっとも後悔はしていません。
誰がなんと言おうと。
あと、風俗をしていると「親に貰った身体を粗末にするな」とか言われます。
親には顔向けが出来ませんが、生まれた瞬間から体も人生も私のモノだと思っています。
だから自分で稼いだ金をホストクラブで原価の10倍の値段のシャンパンを買ったいいじゃない。
いつかホスト通いを辞める時は
卒業式をするねと今の担当ホストと約束をしました。回避依存症の為か、恋愛も1人のホストも3ヶ月以上愛せなかった私ですが、この彼を最後の指名ホストにしたいなと思っています。
彼が愛を込めてタワーのマイクで「もう二度と歌舞伎町歩くんじゃねぇぞ!」と言ってくれるその日を目指して私はホストに通おうかなと思います。
正直もっとボロクソに叩かれると思っていたのでびっくりしました。 読んでくださってありがとうございます。
お金を払っているのになんで殴られるの?
→ なんで殴られたかは分かりません。
「何か悪い事したかな?」って聞いたら「なんもしてないよ○○はお金使ってくれるいい子だよ好き!」なんて言ってました。
本当に喧嘩はしてなかったので、じゃれてるつもりだったんでしょうね。 それか酔ってたか、私の事が嫌いだったか。 はたまたDVか。
女も男も殴られる、それが歌舞伎町なんです。
高嶋めいみの本に〜
ホス狂の本だったら中村うさぎのエッセイは読んだことあります。
私は強く図太く生きています。
昨今はブームだ何だとかであいつを取り扱う店が増えてきて、街を出る度にうんざりする自分がいる。アレを目に入れるだけで不快になるから出かけるときはなるべく販売店近くを通らないルートにして自衛しているけれど、どうやら最近はショッピングモールの中でも販売フェアなどというものをやっているようだ。もうコンビニかスーパーしか行けなくなるかもしれない。
私の嫌いなものについて他人に話すと、大抵は苦笑いが返ってくる。
「何で?可愛いじゃん」
「わたし早くあれに乗りたくて急いで免許取ったのに、何も分かってない」
「誤解しているだけだよ。今度乗せてあげるよ」
何が可愛いだ馬鹿馬鹿しい、分かってないのはお前達の方だろうが。最も苦笑いして此方の考えを矯正させるようなことを言う輩と一生分かりあえる気はしないのだけど。
布団に潜り込み目を閉じる度、三年前の記憶がふつふつと蘇ってくる。
女手一つで私を育て上げた自慢の母が忙しい合間を縫ってファミレスに連れてってくれた。その日は丁度かんかん照りで、だから私と母の影がふたつ伸びていてカオナシみたいだねって笑った思い出があった。額に汗をたくさん滲ませていた私に、母は「じゃあ今日は特別にパフェ頼んでもいいよ」って笑って言ってくれた……
「お母さん、お母さん!!!ねえお母さん、目を開けてよ!!!」
明るくて優しくて、時に厳しくも温かく見守ってくれた母はあの夏の日、ファミレスに飛び込んできた複数のかたまりによって殺された。
「お母さん、お母さんってば……!!」
和やかに家族との時間を楽しんでいた私にとって、それは青天の霹靂の様な出来事だった。時速何キロで飛び込む私の背丈よりも大きいもの。飛び散る硝子の破片。衝撃によって崩された建物の一部。テーブルから落ちて粉々になる食器類。事故の三分前、卓に届いた母のオムライス。
世間は「あれ」を無害で善良なものだ、事故なんて起こらないなんて言う。確かにあれは生身でぶつかってもさして問題無いかもしれない。だがそれだけでどうして「無害だ」「安全だ」って言い切れる?
アレが店に突っ込まなかったら、母は事故の衝撃で頭を強く打たなくて済んだのに!
「前にもああいうことがあったんだよ」私をあの時保護してくれた警官は言っていた。
体内に猫を置き去りにした馬鹿な女がいて、だからその女の車は焦ってファミレスに突っ込んだらしい。その時は誰も怪我人などはおらず、寧ろ突っ込んだ方は猫を助けた功績だとかいって表彰までされたそうだ。
私はそれを聞いて心底怖くなってしまった。どうして世間は、あの肉の車を愛好する人々は話も通じない、予想出来ない行動を取る生き物に命を預けられるんだ?
「あの子たちを困らせることして、ああ人間は愚かだな」自分がいつ彼奴らの御機嫌を損ねる行動をするかも分からないのに、裏切られるか分からないのにどうしてそう平気に言えるんだ?
私は彼奴らが、「モルカー」と呼ばれる全ての個体を絶対に信用できない。もう鉄の塊が全盛期だったあの頃には戻れないけれど、もし叶うのならあの時代に早く戻ってほしいとも思う。
母の墓参りの帰り道、私は電車の中でモルカーに乗り込む親子二人組を見つけた。
運転手であろう若い女性も、彼女の子供である小さい女の子も、二人を迎え入れる黒いモルカーも全員幸せそうな顔をしていた様に見える。
そう言えば母は私と違って小さな動物、特にモルモットが好きだった。きっと母がまだ生きていたのなら、きっと近いうちに我が家にもあれがやって来てたのかもしれない。
最も、それはたらればの話なのだけれど。
誰かに話すのも、SNSで吐き出すのもなんだか気恥ずかしいので増田に放流することにする。
本当に青天の霹靂だった。
母に見つかった病気は珍しいタイプのもので、まあ簡単に言えば腫瘍らしい。
私の家族は父を筆頭に医者が多い(というか兄と姉は医学系の大学生だし、母自身もそっち関係の仕事の資格は持ってるので、何も知らないのは大学で芸術なんかやってる私だけだ)ので、あまり誤魔化す事なくスッパリと病名は告げられた。
ここまでだと突然の余命を宣告された母...みたいな流れっぽいけど、別にそうではない。大半の例では良性で、命に別状はない...
普段大学の授業で使い慣れたciniiとかでその病名を入れると、出るわ出るわ、急速に増大して1年足らずで死んだ悪性のタイプの例だの、良性だったが半年で再発し、後に全身転移しまもなく死んだだの、目を覆いたくなるような話が...
頭では分かってる。わざわざ学会報告になるようなレアなものだから論文検索に引っかかるってことは。この病気に罹った大半の人は報告のネタになることもなく、組織の欠片を切り取って、それで終いなのだろう。
だけど、うちの母が報告のネタにならない保証なんて一つもない。私はいつも最悪のパターンを考えてしまう。あの報告のように、すぐ悪性再発したら?報告通りなら、私が母と居られる時間はもう1年もない。
知り合いがみんな親と上手く行ってなかったりする中で、私は本当に両親との仲だけは良好だった。父親とはうまく行かないこともあったし、正直今でも合わないと思うことはあるけど、母親だけは私を理解してくれたと今更ながらに思う。そんな母を失うとは正直考えたくないが、頭の片隅にちらついて離れない。
父に良く言われる通り、私はマザコンなんだろう。20にもなって母にはしょうもないことで甘えまくって、母の方も私が末っ子だからって甘やかしまくってきたんだと思う。兄姉にも呆れられた事もよくあった。そりゃ小さいころに兄姉に虐められても仕方ないよ、彼らは「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」なんだからといつも言われていたから。
私含め医療の知識がある3人は能天気にしてる(さすがに本人は落ち着いてるみたいだ)。私を産んでから殆ど休みなく家にいて家事をやり続けた母が手術で1週間ほど居なくなるから「俺らも家のことやらないとな〜」とか、その程度だ。
勿論彼らがさっき言ったようなド素人の私がいっちょ噛みで知った話を知らない筈がない。知った上で、そんなこと考えても仕方ないだろと思っているんだろうし、それを薄情だとかは全然思わない。
私だけが、親離れできていない。
当たり前のように存在していた母、その絶対性にほんの少し罅が入るだけでこんなに精神が揺れて、失う事まで考えて勝手にふさぎ込んで。
そんな母に対する今できる精一杯の親孝行は、来年の頭に迫った卒業論文をちゃんと書いて、とりあえず卒業することなんだろうけど、この心のざわめきは暫く消えてくれそうにない。来週には細胞診の結果が出るらしい。それで「良性」と言ってくれれば、少しは落ち着けるのだろうが。