はてなキーワード: シンゴジラとは
エヴァは面白いんだけど、やっぱり俺、シンエヴァとか旧エヴァも嫌いだわ
というか、エヴァって若さゆえの過ちの話でもあって、俺の中ではやっぱりテレビ版の最終回で終了してた
マリとかいう追加キャラはまったくキャラとして立ってない、造詣が甘い、何のためにこいついるんだろう、と思ってたら最終回だった
俺の中では旧劇場版で完全に終わってて、終わった話に尾ひれが付くのを蛇足というのを監督は知らんのか?
その蛇足が蛇足に見せた本丸だったらと期待もしたが、それも裏切られた
アニオタに現実に戻れは分かるが、自然に帰れ、農業をやれ、新卒になれ、それが大人だ、自立だ、そういうことらしい
蝶オーグとの戦闘のあたりで寝てた
シンゴジラは左翼臭いし、ウルトラマンはごめん観てない、エヴァは上記の通り
でも、エヴァの初回限定ボックスは赤い透明な箱に入ってて、キレイなんだよなぁ
できれば売りたくないんだけど、売ってギターにしたいんだよ
RottenTomatoesで14時現在
批評家スコアと視聴者スコアの乖離が話題になったスーパーマリオは
視聴者レビューでよく比較されているのは、同種の怪獣映画よりもノーランのオッペンハイマー
ゴジラはレビュー数がまだ少ないのでこれから下がっていくだろうが、
演技がクサイだの設定がご都合主義だの通ぶった日本の批評家にはボロクソ言われているが、
ローカルなガラパゴス感性の日本人の価値観が歪んでいるだけで、
真に世界に通じる普遍的な価値観を持っているのは「ゴジ泣き」山崎貴の方だったのだ
MCUがいよいよもって危機に瀕している。最新作、マーベルの興行収入はズタボロだ。
製作費2億7000万ドルと言われ、リクープ可能なラインを表す2.5倍の法則を適用すると資金を回収するのに6億ドル近くの興行収入を稼がねばならない。
MCUが凋落するにつれ、ついにスーパーヒーロー映画コミュニティが行ってきたプロパガンダが暴かれるかもしれない。
MCUは日本のTwitterなどでも見られるようにリベラルで国外の文化に親和性があるような人が取り上げムーブメントを作り上げてきた。
その中で彼らはMCUは"女性の活躍が見られる"や"ダイバーシティが..."と言った言説でMCUへ観客を誘致してきたわけだが実際にはマーベルはそれらの作品群とは真逆の客層に対して物を売っていた。
マーベルの読者が別に保守主義者にモノを売っていたというつもりはない。
実際にはDCの方が傾向で言えば保守主義的な人々にモノを売っていたし、スタン・リーを筆頭にどちらかというとリベラルで左派的な価値観の作品群を従来から押し出していた。
しかし重要なのはそれらの作品は女性ではなく男性にモノを売っていたと言う事だ。
つまり基本的にスーパーヒーロー物のアメコミはboyが主要客層だったし、女性作家が増えたとはいえマーベルコミックは今でもそうだ。
そういった作品群の中であまりにも男性メインすぎたので女性を主体としたキャラクターを開発してきたという歴史がある。
これはつまり週刊少年ジャンプがあくまで男の子をマーケティングターゲットにしてきたが、現実の読者を精緻に分析することで、それに合わせて徐々に女性キャラクターの造形が変化していったに過ぎない。
しかし、MCUはそのバックグラウンドを奇妙に偽装してきた。一部のMCU作品は女性キャラが主体となった女性主導の女性向け映画だというように喧伝してきた。
しかし実態は男性向けの作品を無理やり女性向けにアジャストしたに過ぎない。
スーパーヒーロー映画は映画館のスクリーンをあまりにも独占しすぎるため、女性向け映画がまるで上映できず、むしろ2000年代後半からアメリカの映画館はどんどん男の向けになっていった。
そういった文脈知らない日本人向けに、こんなに立派な女性向けヒーロー物があるぞと日本の一部スーパーヒーローファンは喧伝してきたがその化けの皮がついに剝がれる時が来た。
実態としては日本の映画館でのヒーロー物は男性によく見られていたのだがアメコミクラスタはなぜか女性にも人気があるかのような言説を押し出していた。
実際には女性キャラが主導する作品でも男性の方が良く見ていたのだ。いくつかの記事ではよく見ると女性スーパーヒーロー映画の男女比が男性の方が多いと書いてあるにもかかわらず、女性の観客が多いと勘違いしている人を見た。
しかし、これはシンゴジラが女性にも人気があるなどとうそぶくようなものだ。もちろんシンゴジラを好む女性はいるが圧倒的少数派だ。
これは、そういった実情に対して苦悩している女性に対して"実際にシンゴジラは女性に人気だ!お前もそう言え!"と強制しているようなものだ。
邦キチで取り上げられてまた話題になってたシン仮面ライダーの評価の話を書き残しておきたい。ネタバレなし。
棒読み台詞で共感のできない登場人物…つながりの変なカット割り…チープなCG…アニメみたいな謎演出もツライ。
正直言ってつまらない。
でも「一体なんだったんだろう」と思って映画館で見た人からパンフレットを借りて読んでみたり、NHKのドキュメンタリーを見たりしたらだんだん印象が変わった。
ドキュメンタリーは話題になってたころ俳優が愚痴る場面とか一部の切り取りで大げさに騒いでるんだろうなと思ってた。
実際はもっとやばかった。
なかなか決まらないアクションシーンの方向性、スケジュールの問題。
アクション担当が撮影してきた殺陣を全否定したり、現場でもどかしさから声を荒げる庵野監督。
みんな悩んで迷って苦悩して模索し続けて紆余曲折を経てあの映画はできていた
(もちろん番組としてストーリーや対立構図が仕立てられている面はあるんだけど)。
パンフの方はそういう生々しさはないけど、ドキュメンタリーを見てから読み直すと俳優やスタッフインタビューの端々にその苦労が読み取れて味わい深い。
システマチックな映画作りとはまるでちがう、学生が自問自答して自分や環境の限界と戦いもがきながら卒業制作をするような作品だったのだ。
そういう背景や演出の意図、やろうとしていたこと・出来なかったことを踏まえて本編を見返したら今度はおもしろい。
興味深い、に近いのかもしれないけれど。
せっかく制作の終盤で進むべき道筋が定まったんだから続編が見てみたいなあと思うようになっていた。
やっぱり作品単体で見たらつまらないんだからダメじゃないかと思う人もいるかもしれない。
ピカソの絵だってそれだけを見せられても美術のプロはともかくほとんどの人の目には留まりすらしないだろう。
それを「あのピカソの絵」だと知って初めて注意深く見てみようという気になる。
シン仮面ライダーが無名の監督作だったら駄作と切り捨てて終わっていたかもしれない。
でもこれは庵野作品で、庵野監督はそれだけの実績を積み上げてきた。
まあ読み解きが必要というのはマニアックというかアートの領域に近い映画なのかもしれない。
続編、ほんと見たいなあ。
(追記)
ちょっと今更かなと思って投稿したけど反応が多くてびっくりしてる。
目が離せない作品というのはすごい。
ちなみに私はシンゴジラは映画館で見たけどシンウルトラマンは(まだ)見てない、昔のエヴァは見てるけど最近のエヴァは見てない(興味はある)、という一般人です。
最近見ているキングオージャーが面白いんだが、その理由がわかってきた
主役級の人物に加えて脇役がきちんと活躍しているからなんじゃないかな
5つの王国同士の物語というスケール感から群像劇になりやすいんだけど、この物語は全体的に王様だけじゃなくてきちんと国と国民も描いている
今回の話では国を守るために国民へ協力を依頼しているし、その一人は大事なキーパーツを運ぶ役割もこなしている
ンコソパに関してもちゃんと側近や部下が仕事をしているし、それ以外でも役割を持ったモブがとても多くてそれぞれが魅力的だ
ヒーローに守られるだけの一般人じゃなくて共に戦う仲間や支えあっている国民という立ち位置があって、そこにこたえる王様って構図がよくできていると思う
特撮って、身勝手なヒーロー気取りが勝手に怪人と戦って平和や理想のために活動しているけど、一般人は我関せずか巻き込まれるだけって印象だった
この物語は全体に国民という形でモブが取り込まれているので部外者がほぼいない
それどころか脇役にフォーカスしてもちゃんと物語ができそうなくらいに作りこまれているし、重要人物の数も非常に多い
それでいて今のところ話が破綻していないってのも凄いよな
原爆を悪の兵器だと考えているのは日本人とドイツ人くらいではないか。それくらい珍しい。
「原爆のおかげで第2次世界大戦を早期終結し被害を最小に防げた」と習うだろう
日米の原爆に対する反応の違いは教育の結果であるということは意識した方が良いと思う
アメリカ・イギリス・ロシア・フランス・中国のみが保持して良い。他の国は禁止するという立場。
ただしちょっと複雑なのは、日本国としては核拡散防止条約に批准しているのである。
国としては核不拡散、国民一人一人の思想としては反核という少し不思議な国なのだ。
一方、現在のアメリカの立場として核兵器の放棄ができないというのはなんとなく感じるところだと思う。
アメリカが国民に反核教育を施すことはこれからもおそらくないだろう。
米ソ冷戦時代には日本の核武装も盛んに議論されていた。世論が一気に反核に傾いたきっかけは第五福竜丸事件である。
1954年、ビキニ環礁でアメリカ軍により行われた水爆実験に巻き込まれ被爆した。
シンゴジラでは役人達の群像劇だったが初代ゴジラは研究者達による群像劇である。
水爆実験で生み出されたゴジラが街を破壊し始める。そこに三人の研究者が登場する。
上の二つは 核武装、原子力発電 のことである。三つ目は当時原子力委員を務めていた湯川秀樹の主張である。原子力発電を輸入する前に基礎研究を進め理解することを訴えたが受け入れられずに辞任した。以降湯川は反核運動を率いた。
初代ゴジラの主人公もまた研究者である。ゴジラを倒す兵器オキシジェンデストロイヤーを開発するが、それを公表すべきか苦悩する。使えばゴジラを倒せる。でも戦争で新たな犠牲者を生むかもしれない。
主人公はオキシジェンデストロイヤーを使いゴジラを倒した後、ゴジラと共に海に沈んだ。自らの命を断ち兵器の秘密を守ったのである。
以上が初代ゴジラのあらすじだ。当時の世相、そして原爆を生み出した核理論屋の苦悩を色濃く映し出している。
日本のアニメ・漫画・ゲーム等のコンテンツには悪の兵器として核兵器が登場することがしばしばある。
例えばメタルギアシリーズ。
メタルギアシリーズでは悪の兵器として核搭載二足歩行ロボが登場する。
初代の時点では特に他意なく、悪役の持つ最悪な兵器といえば核兵器、という日本のアニメでは特にめずらしくもない設定であったと思う。
ところがメタルギア・ソリッドが米国で大ヒットしたことで「アメリカの若者に反核思想を植え付けている」と批判の声が上がった。
小嶋監督がこの反応をどう受け止めたかわからないが、MGS2 以降ごそっと反核をテーマにした作品になった。
アニメやゲームが反核思想を広めるというのは興味深い動きだと思う
取り留めもなくなってしまいましたが
邦画によくある『この物語を見て貴方はどう感じましたか?』みたいな問いかけにとにかくうんざりしてる。何なんだよあれ。
こっちは『映画とか作る』気とか無くて、『映画を見る』を体験しに来てるのに落とし所をなあなあにしてこの先は自由に想像してねみたいな終わり方にしてるのって創作者の内輪受け狙いって感じで本当に最悪だ。
坂元裕二のファンで怪物を見たんだけど「出たよ、出た出た。邦画の悪いところ(笑)」ってなったんだけどなんなんだ。途中までめちゃくちゃ面白かったのによ。最後を誤魔化すな。是枝、お前のことだぞ。
勿論余韻を感じさせる意味とか理解できるけど雰囲気漫画と同じに感じるし何よりも逃げを感じる。想いを吐露することから逃げるなよ。ちゃんと最後まで案内しろ。
勘違いしないで欲しいのは俺は日本の俳優は結構好きだ。若い頃に活躍してた上の世代だけじゃなくて広瀬すず、神尾楓珠、清水尋也とか若手俳優の繊細な演技に圧巻されることもある。ドラマは結構見る方で今季はだが情熱はあるが凄い良い。主演2人のジャニーズはこれからを担っていくオーラはあるが濃いキャラ演技は出来ても繊細な演技が出来るのかわからないという意味で今後がすごく楽しみだし。
ドラマってのは基本的に最後までちゃんと書き切る話が多い。黒沢脚本なんかそれが顕著に出てる。今季のラストマンはイマイチだが当たり外れが多い人なのでまあ仕方がない。ここ数年で一番のヒットがFILM REDなので黒沢は今後映画に行ったりするのだろうか。細田守の脚本にうんざりしてるのでもういっそここがタッグ組んで欲しいものだ。作風的には坂元裕二の方が合いそうだけど。
話はそれたがドラマはバカでもわかるように作られてるのではっきりくっきり決着がついて終わることの方が多い。誤魔化したりしない。そういうのは受けが悪いんだろう。俺は邦画のそういうところがマジで嫌いだ。
その点で流浪の月は良かった。終わりを誤魔化さなかった。原作を読んだ上だからそう感じたのかもしれないがちゃんと最後まで導いて本人の価値観を示してくれる作品だった。
マジで観客側に価値観を委ねる邦画やめてくれ。そういうのばっかだから映画が廃れてくんだろ。ヒットした洋画やアニメ映画、シンゴジラなんかを見てみろよ。爽快にわかりやすく落とし所をつけてるだろ。勿論意味深に終わる部分はあるがあれらは話の本筋に蹴りをつけた上でのプラスアルファだ。観客が求めているエンタメってそういうものだってあれだけ売れなくてもわからないのか?