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はてなキーワード: 「母」とは

2024-04-23

やっぱ母子手帳マイナ統合するしかないんでないの

anond:20240422214038

・細かいが、関係してきた役所の「母子健康課」や「母子手帳」などの名称現代にはそぐわないと感じた。母子手帳などは子どものためのものワクチン接種などにも必須なので引き渡しを依頼したが、「母」子だから、という理由で拒まれたりした。妊娠間中を考えるとしょうがいかもしれないけど…。

母子手帳「母」は「妊娠中の母体」という意味しかない。

そもそも母子手帳正式名称母子健康手帳であり、妊婦~生まれた子の医療情報を記録するためのもの。それ以外の子育てアドバイスページなんかはただのおまけ。

父が妊娠して産むわけじゃないんだから、そこに父は関係ない。

で、「母」手帳から離婚する夫には渡したくない、ってのも正当な主張だよ。

だって「母」個人情報が満載なんだから

「母」の住所氏名生年月日に職業の詳細、既往症だのそれまでの妊娠歴(流産死産歴や堕胎歴含む)だのが全部載ってるものだよ。

そんなセンシティブ個人情報の塊を離婚する夫になんか渡したくない人はそりゃ沢山いるだろうし、

法的にも個人情報他人に渡す事を強制する事は出来ないのではないか

(これ、裁判起こしたりしたらどうなるんだろうね?予防接種情報だけ必要ならそこコピーすりゃいいだろで終わるかもしれないが)

そもそも本来、例え子の父であろうと知らせる必要はないであろう「母」個人情報

子の父と共有すべき「子」の個人情報が一冊にまとめられてる事が時代にそぐわない。

子供を産む女は当然結婚しているし、子を産んだからには離婚せず一生夫と添い遂げるし、夫は妻の個人情報を全て知る権利がある」

と当たり前に考えられていた時代であればこれで良かっただろうが、もうそんな時代でもないだろう。

子供を産む女が子の父と結婚しているとは限らないし、結婚していても離婚する事もある。子の父と言えども他人だし個人情報を何でもかんでも他人に知られたくないのは当たり前。

うそういう時代だろ。

かと言って「母」情報と「子」の情報を紙で分冊にしてしまうと「子」の胎児時代母体状態が分かりにくくなる。

なら、マイナ統合して「子」のポータルからは「医学的に必要な母の情報けが匿名化された状態で見られる」ようにすればいいのではないか

医学的には母体医療情報けが必要なのであって、別に母の住所氏名なんか要らんだろうし

既往症や妊娠歴なんかも出生してある程度時間が経てば要らないだろう。

母の申し出で「母」情報は「子」のポータルからは削除出来るとかでもいいかもしれない。

未だに紙の手帳に書き込むだけというアナログ管理しか自治体によってはおまけページが多くて無駄に厚く持ち運びが面倒だったりするし

本来必要医療部分よりおまけ部分の方が多い自治体が多いせいで「便利な子育てアドバイス手帳」だと勘違いした無知な人によって

「『母子手帳』という名称おかしい!」とかおかしい事言われる状況なのをいい加減どうにかするべき。

せめておまけ部分は別冊にしろ、おまけなんだから

大体にして自治体によって内容もサイズ全然違うのに公的書類扱いってのがおかしい。統一しろよ。

anond:20240423071143

母子手帳のページのコピー貰えば済む話だよ。

でも「母」手帳だって主張するなら、母「子」手帳だろで終わる話だと思うんだけどな。もうお前は母親じゃねーんだから

2024-04-22

母による子の連れ去りから裁判で監護権を取れた父の記録

共同親権などで最近話題になっているので、妻による子ども連れ去りから監護権・親権裁判で勝ち取った身として、ある程度時間もたったし自分経験などから共有してみる。

増田投稿は初めてなので不備があったらすみません

結論

裁判所などで男女差別はなくはないが決定的なものではない

②一番大事なのは別居までにどちらが子どもの世話(専門用語で監護)をしていたか(なので社会的理由では男女差が出る)

離婚を考え、親権が欲しい親は子どもの世話をとにかく自分で行い、その記録を残すべき

離婚理由

関係もあるのでそれぞれの主張を軽く触れると、

自分の主張:妻が仕事もせず、育児もせず、家事もほぼしないのを改めてほしいことを言っていたところ、突然子どもを連れ去り遠方の実家に帰られたことが最終的な理由

相手の主張:頑張っているのにモラハラをされ続けて鬱になったので耐えられなくなり実家に帰った

経緯

離婚検討しよう、という段階で「お互いに子どもの連れ去りは行わない」誓約書を交わす

②1週間ほど後、こちらが外出中に保育園に迎えに行ってそのまま実家に帰る

弁護士相談、監護権と保全処分申し立て

④2か月くらい後、保全否認される

⑤5か月くらい後、監護権はこちらの審判が出る

⑥その後ひと月ほどで引き渡し

審判がはじまった段階では離婚はまだ成立していないため、最初は監護権を争うことになる。

こちらはそれまでの環境との継続性を柱に、誓約書などもあるので保全処分申し立てたが、その段階では「母親といるんだし…」という論理で緊急性はないと裁判官に判断された。また誓約書もただの約束だしねえ、と言われて唖然とする。裁判官は高齢男性で、この辺は「連れ去ったのが女親ならそっちと一緒でいいでしょ」という感覚如実に感じられ、一番男女差別を感じたポイントであった。

その後、監護権の争いになるわけだが、ここで最重要なのが「家庭裁判所調査官による調査調査」。それぞれの家庭や関係する親族保育園学校などに調査官が出向き、調査を行うんだけど、この調査調査の報告結果≒審判結果となる非常に重要調査らしい。

また、並行して調査官が別室でカメラを見ながら父母それぞれが子どもと面会する「試行的面会交流」も行う。この結果も調査官の報告に盛り込まれる。

この報告により、どちらが監護親としてふさわしいかの報告を行うわけだけど、最も影響するのは「今までどちらが監護をしていたのか」という点になるので、自分が行っていたことを強調するのが超重要

自分のケースの場合、当然双方が監護していたと主張したわけだけど、報告書の結果としてはこっち側視点で「少なく見積もっても半分以上していた」という結果を得られた。

こちらはリモートワークであり、先方の体調不良もあって家事育児をすべてこなしていた期間が相当ある

こちらが日記などを元に具体的に監護歴を提出したのに対して先方からは「やってた」という主張のみ

モラハラしていた、という証拠として提出された録音は淡々と話し合っているだけのものが二つのみ(こっち視点では当然していないので当たり前)

・先方の入院などで長期間こちらだけで監護していた事実

試行的面会交流でも先方は子どもに対しての課題などがクリアできない

・先方実家においても、家事などは先方両親がほとんどやっており、子どもが母の世話をするという逆転現象である

上記諸々から「母側の主張をすべてのんでも父側が半数以上やっていただろう」と言った結果になる

などなど、そりゃそうでしょ、という内容であった。

というわけで、監護に関しても半分以上父側がやっており、今までの環境も父側にあり、今後に関しても父側の方が子どもにとって望ましい、という結論でそのまま審判が出た。

よほどの問題がなければ、その後離婚となっても監護親がそのまま親権も持つので、ほぼこの段階で決着となる。


以下、思いつくままに。

・向こう側は「お腹いためて産んだ子どもから母親と一緒にいて当然」などと平気で言う価値観であり、また先方弁護士も(過去がそうだったからか)母親が連れ去ったパターンなら勝って当然、と思っている節があって最後までなめた法廷態度であった。弁護士は「審判が出ても守らない」と裁判官の前で平気で言う程度には無能でもあったので、敵失は大きかったと思う。

とはいえこちらの弁護士も任せたらすべて大丈夫、というものではなかった。伝手があったので肩書など相当立派な弁護士に依頼ができたのだが、聞いた質問には法的に答えてくれるし、書面もすべて用意してもらえるがそこまで。敵失に乗る、と言ったことや、提出書面の方向性など、戦略的なことはすべてこっちから出さざるを得なかった。

・細かいが、関係してきた役所の「母子健康課」や「母子手帳」などの名称現代にはそぐわないと感じた。母子手帳などは子どものためのものワクチン接種などにも必須なので引き渡しを依頼したが、「母」子だから、という理由で拒まれたりした。妊娠間中を考えるとしょうがいかもしれないけど…。

・別居している場合理由を問わず婚姻費用」というものを双方の収入に応じて支払う必要がある。その結果、監護権に関する審判が出た後、離婚に関しては争う点が双方にないにもかかわらず、先方が和解提案してそのままこちらが飲んでも拒否したりなどして少しでも長く婚姻費用を取ろうという戦略を取られた。ここは腹立たしい仕組みの欠陥点と感じる。

最後共同親権に関して。現状、先方からは一切養育費の支払いなどはなく、また母と子の面会も離婚調停中にこちから働きかけて1年たってようやく仕組みが作られるほどだった(現状月1回で面会)。別居後、先方が一切の直接連絡を絶っているのが一番の理由だが、当然そんな状況では共同親権などは成り立たないと考えている。

2024-02-20

anond:20240220114233

「冠を持つ神の手」ってゲーム14歳まで無性別で15歳で儀式やってから男女に分化していく世界観

先天的性別要素である「娘」「姉」「妹」という単語存在せず、女になった人でも「息子」「兄」「弟」呼びだったなあ

王配」は本来は「女王の夫」を指す言葉だが、あの世界では「男王の妻」も「王配」と呼んだり

「妻」「母」という言葉存在するけど

2023-11-11

anond:20231110184134

なんで「母」に固定するんですか?

そういうのジェンダーロールの押し付けですよね

2023-08-05

anond:20230805192958

文末の問いに関しては、くだんの「論争」もネタにした続編小説を読めばおそらく正解がわかると思うけれど読んでいない

「いったん世に出た小説からと言って読み手自由な/間違った解釈は許されない」と桜庭一樹が主張したのはなぜなのか?

最大の理由は「田舎の人は朝日新聞掲載されたその書評により虐待事実だと信じ込んでしまう」「そう信じ込まれると他人への関心の強い故郷共同体で(私と)「母」への風評被害で困ったことになる」である

2023-07-19

任天堂の「マザー」ってすげえ名前だよね

「母」「母2」「母3」みたいなゲーム名ってことだよね。

なんかすごい。

2023-03-13

母さんがガンで死んだ(追記

から連絡があり、母さんの体調が悪いこと、癌の可能性もあることを知らされる。母さんは自分意志でがん検診は受けていなかったから、不安を感じつつも、「姉は大袈裟からなー」と、大ごとになるとは思っていなかった。

ただ、残念ながら婦人科系の癌だった。コロナ禍ではあったものの、運良く地域の基幹病院入院することができ、溜まっていた腹水を抜いてもらったり、検査をしたりと、色々と処置をしてもらったらしい。

医者から一般論として「5年後にはいないだろう」という話をされたが、「医者は短めに言うんだろうな」と、前向きに捉えようとした。仕事の帰り、一つ手前の駅で降りて、歩きながら母さんに電話した。

「そうじゃないかと思ってたから、分かってスッキリしてるよ。子供たちは立派に独立して、みんな家族もいるし、私は思い残すことはないから。」

とサラッと話していた。なんとか気丈に話そうとしたが、涙が出た。帰宅し、妻に報告したら、また涙が出た。祖父を癌で看取った妻は「そんな簡単に亡くなりはしないよ」と、怒っていた。彼女なりに励ましてくれてたんだろう。

「何で癌で人が死ぬのか」ということすら知らないことに気づいて、いくつかの本を読んで、「多臓器不全で死ぬ」ということを今さらながら知った。

翌月、帰省すると、「で、何しに帰ってきたの?」と、とぼけたことを聞かれたので「様子見にだわ」と。特段変わった様子はなく、いつもの調子

溜まっていた腹水を抜いてもらって、楽になったらしい。「しばらくは大丈夫かな」と思う。翌朝、母さんは「そのうち、『あれが最後に作ってもらった朝ごはんだったな』ってなるわよ」と軽口を叩きながら、目玉焼きを焼いてくれた。

その後の検査で、癌はそれなりに進行していて、「ステージⅢの後ろの方」と評価された。外科手術や放射線治療を行う段階にはなく、化学療法プラチナ製剤)を試してみて、癌細胞が小さくなるようであれば、外科手術や放射線治療検討しようということに。

母さんは「『髪の毛が抜けることがある』じゃなくて『絶対抜ける』って言われたわ」と笑っていた。

程なく、抗がん剤治療が開始され、母さんの髪の毛が抜けた。この頃は、抗がん剤副作用が抜ければ、食べたいものだとかも色々あったから、買いだめしといてあげたりした。

実家家族帰省して、夜遅くまで母さんも交えて酒を飲んだりもした。まだ、言葉もしゃべれなかった娘も、母さんにはよく懐いていた。

副作用に耐えながら抗がん剤治療を続けたものの、思うような効果は得られなかった。

「癌の専門医先生の方がいいんじゃないか」という思いもあり、主治医先生にも相談の上で、セカンドオピニオンを取ることにした。

その道の専門医先生2名にお話を伺いに行ったが、どちらも「うちなら治るかもよ」だとか「この治療法よりも、こっちの方がいい」なんて話は、当然なく、今診てもらってる病院で、「そのままお世話になる方が良い」とやんわりと伝えられた。

それでも、「やっぱり経験値が高い専門医先生の方がいいんじゃないか」と、先の2名の先生のうちお一人にお世話になることにした。

細かく検査もしてもらったが、「やれることは限られている。選択肢がないわけではないが、リスキーな上、効果期待値は低いので、おススメはしない。本人の希望に沿うならば、通いやすい、もともと診てもらっていた病院で改めて診てもらっては。」

とのお話があり、結局、出戻ることにした。その病院からの帰路、高速道路の大きなSAに寄った。

あなたたちが小さい頃には、旅行の度に、いつもこのSAに寄ってたのよ」と懐かしそうに話していた。

ちなみに、今でもそのSAを通過すると、その時の母さんを思い出して、なんだか泣きそうになる。

改めてもともと診てもらっていた病院に伺ったところ、事前に調整はしていたこともあってか、主治医先生は嫌な顔一つ見せず引き受けてくださり、次の段階の抗がん剤(単剤)にトライすることになった。

これ以降、段々と体力の低下、食欲不振が顕著になりだし、当初は「抗がん剤副作用かな」と考えていた。思うような効果が得られず、抗がん剤の投与を中止してから状態改善しなかった。

母さんが癌であることは、母さんの希望もあって、積極的に知らせることもせず、また隠すこともしなかったが、状況を知った遠方の親類達が揃って見舞いにきてくれたりもした。

この頃は、まだ座ってコーヒー飲むらいのことはできていて、楽しそうにお喋りもしていた。

妹が介護休業を取り、母さんの面倒を見てくれることになった。その時点では、自分のことは自分でできていたし、正直言って「早いんじゃないかな」と思っていたが、結果的には、ドンピシャタイミングだった。

死ぬまでに行きたいと言っていたスカイツリー東京結婚式に出席したので、その足でスカイツリーに行き、ビデオ通話で見てもらった。「すごいねー」と笑ってくれた。

12月下旬は、早めの冬休みを取って実家に。妹からは、体力の低下が著しいということは聞いていたが、想像よりずっと悪かった。

ベッドの脇に座って吐いてばかりいた。思っていた以上の状態言葉が出なかった。夜も眠れず、食事も摂れず、水分を摂れば吐き。かわいそうで見ていられなかった。

足のむくみもひどく、母さん曰く、頭の中は「しんどい」一色だった様子。肩をさすったり、足を揉んであげたりしかできない。足をマッサージしてあげていると、少しの間だけ、寝てくれたのが、せめてもの救いだった。

そんな中、母さんは「とても渡せそうにないから」と、お年玉と一緒に娘の七五三の祝いを渡してくれた。涙が溢れた。母さんも「湿っぽくなってごめんね。」と言いながら泣いていた。年明けも早々に再入院。あまりに辛そうな母さんの姿に、打ちのめされてしまった。

母さんの希望は、「できる限り家にいたい」だったので、妹が訪問看護段取りを取ってくれ、病院には無理を言って予定より早く退院した。この訪問看護のチームが素晴らしく、親身になって、それも超速で対応してくれた。母さんは「病院から逃げ出して正解だった」と、喜んでいた。

急遽、仕事休み実家へ。妹と交代で診る体制に。眠れず、体の置き所がない母さんは、15分おきくらいで、姿勢を変えてあげなければいけなかった。辛そうだった。

少し話ができそうなタイミングで、「今までありがとう。母さんの子どもで良かったよ。」と口に出すと、涙が溢れた。喋るのも辛く、手をあげるのもしんどいはずの母さんは「何を言ってるの。こっちのほうが、ありがとうよ。いい子だね。」と言って、頭や頬を撫でてくれた。涙が止まらなかった。

妹と交代で眠りながら看ていたが、日に日に意思疎通がとれなくなり、意識レベルも低下。せめて、苦しまず、穏やかに逝かせてあげたいと、鎮静剤の量も増やしていった。眠る時間が増え、顔をしかめる頻度も少なくなり。

「母さん、先に横になるね。また後でね。」と声をかけて寝ようとしたところ、ほとんど意識のないはずの母さんが、少し手を上げて応えてくれた。「バイバイしてんの?」と、妹と2人で笑った。

その晩、妹に「やばいかも」と起こされ、会ったときにはほとんど呼吸もなく。子供3人が揃ったところで、母さんは静かに息をひきとった。目を瞑り、とても穏やかな顔だった。皆、口々に「お疲れ様。よく頑張ったね。」と母さんの闘病生活の終わりを労った。

泣き崩れてしまうかもと思っていたが、不思議と涙は出ず、ホッとしたような気持ちになった。

訪問看護に連絡したところ、深夜にも関わらず、看護師さんが来てくれた。死亡診断は医師しかできないとのことだったが、脈拍を見たり、瞳孔を見たりして「確かに亡くなられていますね」と手を合わせてくれた。

そこからは、子供三人で、看護師さんの指示に従って、母さんの体を拭いたり服を着せたり。服は死装束じゃなく、妹が見繕ってくれていた、いつも母さんが来ていた服を着せることにした。

最後看護師さんが、母さんに化粧をしてくれると、すっかり血色が良くなって、まるで寝てるみたいだった。

看護師さんが帰られてからは、葬儀屋を探したり、段取り役割分担を話したり。葬儀屋は、空いてるところに頼むしかなかったというのが実態で、なんなら「火葬場に直送しろ」くらいのことを言っていた母さんの考えとは違ったんだろうけど、普通に葬儀屋に頼むことになった。

一旦、各自寝て、翌日以降に備えた。

翌日は午前6時の医師の死亡診断に始まり、寺や葬儀屋との調整や、親類への連絡、行政関係手続きなどで忙殺され、あっという間に通夜になった。どんな感じで動いたのか、正直、思い出せない。

覚えているのは、いつも気にかけてくれていた母さんの友達が、偶然訪ねて来られ、母さんに会って「信じられない」と泣いてくれたことと、一報を受けた母さんの義姉にあたるおばさんが寄ってくれて、母さんに会って「寝てるみたい」と泣いてくれたこと。

おばさんは「お母さんは若い頃はお父さん(自分祖父自分が小さい頃に他界。)と、喧嘩ばかりしててね。今頃、お父さんから「うるさいのが来た」って言われて、また喧嘩してるかも。」と、知らない話をしてくれた。

納棺ときには、たくさんの花と一緒に父さんの写真や、自分を含む子ども写真を納めた。

短い髪の毛の頭には、ウィッグをつけたかったんだけど、生前に「あんな高いものを燃やすなんてもったいないから棺桶には入れるな。」と言われていたので、やむなく頭はそのままに。誰が使うんだよ。マジで

葬祭会館で通夜を終え、そのままそこに泊まることにし、姉と妹は一旦、家族帰宅。酒を飲みながら待ち、時々、隣室の母さんの顔を覗きに行っては、線香をあげ、その度に泣いた。

夜中の2時になっても、誰も帰って来ず、体力的にも限界だったので、寝た。深夜に姉が、朝型に妹が戻ってきた。

翌日も葬儀火葬バタバタ。孫たちが大騒ぎしてくれたおかげ(?)で、終始、湿っぽくならずに済んだような気がする。母さんも、「あんたらねぇ」と笑ってくれただろう。

母さんが望んでいたような「火葬場に直送」じゃなくて、普通見送り方にはなってしまったけれど、許してくれると思う。

それから職場に復帰するまでは、皆で家の片付けや、クレジットカードの解約やら銀行関係やらのたくさんの事務手続き、親類縁者への連絡などを分担して対応している間に、あっという間に過ぎていった。

その間、近所の方だとか、母さんの旧来の友達だとかがたくさん弔問に訪ねてきてくれた。皆が口々に「いい写真だね」と言ってくれた祭壇の遺影は、母さんが自分で選んで、わざわざトリミングまでしていたものだったから、本人も満足してるだろう。

母さんの旧来の友達からは、母さんの若い頃の話や、その後の友人関係の話しを伺った。学生時代のことや、社会人時代のことだとか、自分が知らない母さんの一面をたくさん知ることになった。

当たり前だけど、母さんは「母」としてだけでなく、一人の人間として、たくさんの人と関係を作り、それを続けていたんだなと気付き、なんだか新鮮な気持ちになった。

そういえば、ウィッグ友達の一人で、自分もよく知っているおばさんが貰い受けてくれることになった。何度も「管理が大変だけど大丈夫?」と聞いたけど、それを踏まえて快く受け取ってくれた。

ウィッグ販売店には、その旨は連絡しておいた。弔問に来てくれた時にお渡ししたところ、母の遺影に向かって「返さないからね」と笑っていた。

思い返してみると、母さんが癌になってからというもの、母さんとは色んな話ができた。父さんのことだとか、嫁いできた経緯だとか、これからのことだとか。

癌との闘いは、とても辛かったと思うけど、近い将来確実に訪れる「死」に向かって、本人も家族も、心の整理も含めて、時間をかけて準備することができたように思う。僕は癌で死にたくないけれど、そんなふうに、ちゃんと準備をして死にたいなと思う。

母さん、ありがとう。母さんの子どもで良かったよ。

追記

たくさんの方に、暖かな言葉いただき、恐縮しておりますありがとうございました。

私自身が、母さんが癌になるまで癌のことを何も知らず、また、どのような経過を辿るのかを知らなかったので、「自分用に書いたけど、同じ境遇を迎えてたり、これから迎えるかもしれない誰かのためになるかも」と、乱文を投稿させていただきました。

野暮かなとも思いましたが、いくつかコメントいただいた内容を踏まえ、その趣旨に合うかなとも思うので、いくつか追記いたします。

母さんが癌の宣告を受けたのは、2月上旬で、翌年の1月中旬に60台後半で他界しました。10月頃まではまずまず元気でしたが、以降は段々と体力の低下が顕著になりました。12月中旬までは、体調が良ければ妹の運転ドライブに行く程度の元気さもあったのですが、食事を受け付けなくなってからは、あっという間でした。思っていたよりもずっと早い経過だったので、「もっと会いに帰ったら良かった」と思うこともありますが、「そうさせないところが母さんらしいな」とも感じています

経過は個人差が非常に大きいものだと思います。母さんよりも早い経過を辿る方もいれば、もっと緩やかな経過を辿る方もおられるでしょう。早い経過を辿ることを前提に、たくさん話し合って、準備をしておいた方が良いと思います特に、残された時間はできたら住み慣れた自宅で過ごしたいという方が多いと思うので、それができるよう、家族介護+訪問看護体制を整えられるかをしっかり考えておくべきだとも思います。うちの場合は、姉が実家比較的近くに住んでいたこと、妹が介護休業に理解のある職場環境だったこと、また、訪問看護のチームが素晴らしかたこと等、様々な要因が重なって、自宅で看取ることができました。

なお、母さんがやっていてくれた事で本当に助かったのは、エンディングノートをしっかり書いていてくれたことと、重要書類(通帳、カード年金手帳マイナンバーカード等)を整理してくれていたことです。特に、亡くなったことを誰に知らせるのかは、親類縁者ならまだしも、友人関係ほとんど分からなかったので、これがなかったら不可能でした。「私も書くから一緒に書かない?」と、提案されてみても良いと思います

長くなってしまいましたが、皆様の一助になりましたら、幸いです。皆様のコメントから、元気をもらいました。改めて、ありがとうございました。

2023-02-16

弱者男性製造業に勤めて10年経ったが弱者男性が主ラインの主力にはならない

私は20代の頃に就職した弱者男性30代未婚。

結論から言えばタイトルにも書いてある通り、弱者男性が主ラインの主力にはなることは今後数十年は無いだろうという話。

もちろんこれは男女共同参画社会に関連した話題だ。

私が現在配属されているのは実際に男体が流れるラインへ様々に組み合わされた部品(これをアッセブリ部品という)を供給する副ラインに居るのだけれど、まさに女性の天下である

このライン女性がメインで働いているし、ライン長も女性だし、班員もほぼ全員が女性

そしてライン構成する人員ほとんどが女性なのでライン長は「女」ではなく「母」と呼ばれる。

さらライン長だけではなく副ライン長や管理職も全て女性が独占している。

ちなみにライン長は40代のおばさんであり、副ライン長は30代のおばちゃんである

ここまで言えば分かると思うが、このラインにおいて男は私だけである

いや別に男が働いていけないなんていう決まりはないのだが、世間的な常識として男が働くことはあまりよろしくないとされる風潮がある。

からライン長が「男なんか邪魔なだけだからあんたが辞めるかクビになりなさいよ」と面と向かって言ったことがある。

もちろんこんなことを言われても黙って従う必要は全く無いし、むしろ堂々と反論すればいいのだが、悲しいことにこのラインではこれがまかり通ってしまう。

というのも、そもそもの話になるがラインというのは生産効率を上げるために複数工程を繋げて1つの製品を作り出すために存在するものであり、そのラインを動かすためには当然のことながらライン構成する全ての人間必要となるわけだが、現実問題として弱者男性は本当に使えない。

たとえば私の同期入社弱者男性がいたとする。

彼は大学卒業して新卒とある大手企業就職したのだが、就職してから一ヶ月くらいすると早速上司に呼ばれてこう言われたらしい。

「お前さあ、もうちょっと頑張れよ。仕事できない奴はウチの会社じゃやってけないぞ?」

この言葉に対して彼が返した言葉がこれだ。

はい!分かりました!」

正直言って馬鹿かと思った。

何が「分かりました!」だよ。

何を分かったんだよ。何も分かってねーじゃん。

そう思った。

でも彼はこれで納得してしまったらしく、それからずっと彼の姿を見たことがない。

恐らくどこかあの世に異動になったんだろうけど、それはそれで良いことだとは思う。

だってあん無能と一緒に仕事をするのは誰にとっても迷惑なことだと思うし。

ただそうなると困るのは残された我々のような有能かつ優秀な人材である

まり私がそうだ。

私は確かにそれなりに有能な方だと自負しているが、それでもやはり限度というものはある。

例えば私と同じラインに配属された同期の女性社員は4人居たのだが、その内2人が産休に入り、残る一人も育休に入ることになった。

そこで空いた穴を埋めるべく、ラインから指示があったので、私は自分なりに精一杯頑張ってみた。

しかいくら私が出来が良くとも限界というものは必ず存在する。

それがたまたまライン長の目に止まっただけであって、彼女達の仕事ぶり自体は決して悪くなかったはずだ。

なのに結局は私に回ってきた。

なんで? どうして私なの? 他の誰でも出来るような簡単仕事までわざわざ私に振らないで欲しい。

ライン長が言うには、「私達が忙しい時に新人教育係をしていたのはあなただったでしょう?だからこういう時こそ後輩のために率先して残業するべきじゃないのかしら?」とのこと。

意味不明すぎる。

私はそんなことを考えつつ、必死になって与えられた仕事をこなした。

そして気付いたら月の勤務時間が100時間を超えていた。

もはやこれは労働基準法違反レベルを超えて完全にアウトである

でも誰も何も言わない。言えない。なぜならこの職場は「女性のための弱肉強食」だから

もし仮にここで私が泣き言を口にしようものなら「逆らうな」と言われて余計にこき使われるだろうし、下手したらセクハラとかパワハラ扱いされてあの世左遷させられるかもしれない。

anond:20230215171319

2023-02-15

anond:20230215073642

はだしのゲン父親とかって自分人生を生きてなくて「こうあるべき」を演じてるだけだから全然だと思う。「父」とか「母」とか「教師」とかいアーキタイプに従って芝居のように演じていればそれで良かった時代。楽でいいよな。だから30代そこそこでも立派な人間のフリができた。発達障害でも普通人間として生きられた。天才でもない凡人に個人必要とされる今の方が難しいよ。

2023-01-05

anond:20230105175436

男児「母」なんかねあれ

どっちかっつーと父向けだと思ってた

「母」向けなのは(母が気にするのは)圧倒的に「頭の良しあし」だと思う

子が賢くなる系商売は山ほど見る

2022-10-26

anond:20221024005019

実際に子供いるかどうか、ではなく

「母」属性が強調されているか、それ以外のアイデンティティがあるかどうか、って話だよな

中年男性キャラがいても、子供いるかどうか分からん別に属性持ってるわけでもないのも山ほどいるけど

女性はそれが許されない、と

でなければ色気強調キャラになる

女を母と売春婦に分ける世界観別にゲームに限った事でもないが

2022-10-25

anond:20221024005019

貞淑恋人からいずれ妻となり母となる女性」と「性的に奔放なあけっぴろげな遊び相手」。

って書いてるのに「母」しかいないとか書いてて後者無視されてるぞ

でも男性が作る女キャラって若くても母性担当か色気担当かどっちかになる気もする

子供除く。子供でも中高生くらいだとこのどちらかに寄ってるのもいるけど)

2022-10-18

両親のことを父親母親って言う人の幼さ

あんまり指摘されないことだから私だけの主観かもしれないんだけど、両親のことを「父親」「母親」っていう人、幼く感じない?

もちろん「パパがね?ママがね?」のほうが幼いんだけど、それはともかくとして。

改まった場で「父親」「母親」を使う人っているじゃん?

「そうですね、うちは父親が○○だったので〜」みたいな。

「父」「母」と言うべきところを「父親」「母親」って、なんか幼さを感じてしまう。

高校生的なぶっきらぼうさっていうのかな。とにかくスマートじゃないんだよな。

私の主観ですけど。

2022-10-17

母親が息子を虐待する場合被害者はどちらなのだろうか

三つ子虐待死の減刑嘆願のあれこれを見るに、育児トラブルにおいては、たとえ子殺しであろうとも「母」被害者であり、罪は男の作った社会にあり、男が償うべき問題らしい。

であれば、虐待を受ける息子は幼児と言えども「加害する側の性別」であり「後には男社会に属する」わけだから、「男社会の罪は男が償え」論によってその責任を背負うはずである

即ち、「政治的に正しい理解」においては、殴っている母こそが被害者であり、殴られている息子こそが加害者なのではないか

虐待された息子が虐待した母を糾弾するようなことは、己の加害者性に目を背ける行為であり、「政治的に正しくない」のではないだろうか。

虐待を受けている少年は母から一打を受けるたびに、母をそのような凶行に走らせている社会(の構成員となる己)の罪に向き合い、母の心を救えるように努力する事が求められているし、それができない者はミソジニストで、弱者男性で、失格である

2022-08-26

(追記)りゅうちぇるとぺこがうちの親みたいでわろた

父親ゲイなのに世間体気にして友達として愛してた母親結婚して俺を作って、強くて優しく厳しい日本の父って感じだったのにそのうち俺ら子供がお父さんって呼んだり人から◯◯くんのお父さん、◯◯さんの旦那さんって言われるのがつらい、そう言う存在であるのがつらいとか泣きながら言い出して離婚したんだよな

でも養育費ガンガン払ってくれたし大事にしてくれたし社会人になった今もわりと仲良い

https://www.instagram.com/p/ChroQDard2a/?igshid=YmMyMTA2M2Y=

クソ長いインスタの文章読んだけど多分こういうこと 間違ってたらすまん

りゅうちぇるゲイ(or ゲイ寄りバイ)、もしくは性自認女性(orXジェンダー)またはその両方

・ぺこを女性としてというか人間として愛しているから付き合って「彼氏」でいることを頑張り次は「夫」「父」であることを頑張ってきたけどもう限界

・ぺことは離婚することでその肩書きから離れるけど家族としていたいのは変わらないし愛してるし子供は一緒に育てていく

これに対する俺の考え

・まあそもそも現代人は「母」「妻」「父」「夫」として色々求められすぎだから普通にやっててもきついのに自分を偽ってたらそりゃしんどいだろなと思うのでりゅうちぇるに同情する 芸能人でもあるしな

・でもちょっと決断が遅すぎんか まあ仕方ないことではあるけど性自認うんぬんLGBTQを盾にして子供がいるのに家庭かき乱すのはどうなんだろうな 色々問題ありだとしてもやっぱり結婚という制度家族を守るために便利だし(だからこそ同性婚も認められるべき) 多様性を履き違えてる気がする

・とりあえず子供含めて3人が幸せになれるといいな うちはわりと家庭崩壊したんで 兄は思いっきりグレたし姉は怒り狂ってたし俺も普通に父親のことでいじめられたし母親は辛そうにしてた

・ぺこが心配 LGBTQに理解のあるインフルエンサーとして受け入れるふりをしなきゃいけないだろうし親くらいにしかぶちまけられないのでは

ここでブチギレてお前なんなんだよってなってもおかしくないがそれだとりゅうちぇるは傷付けるわ世間では理解のない妻レッテル貼られるわで大変そうだ

(追記)

子供目線で言うと、「言わないでほしかった、最後まで隠しておいてほしかった」とは思わなかったんだよな 姉はそうじゃなかったらしいから人によると思うんだけど

しろ父親最後まで隠して辛い思いして精神的に孤独に死んでいくというのもあったと思うとぞっとする 父親がかわいそうだというのもあるし、俺らって生きてるだけで父親を苦しめてたのかと後からわかるのもキツかったと思う

ただやっぱりカミングアウトというのはタイミングを間違えると暴力性を含むと思うし、言った側は辛いながらもある程度すっきりするけど言われた側はもやもやを積み重ねていくことになる

からといってカミングアウトするのが悪いわけではなく、自分のことを話すのがカミングアウトと言われる社会が悪いとは思う

ただ誰もが「俺はこういう人間だ」(某ダディではないが)マインドでいると無法地帯になるのかなとも

親はこうあるべきだ!子供に身を捧げるべきだ!と自分を縛り付けすぎるのは誰にとっても良くないけど、やっぱ子供産むならば子供を優先できる親であるべきだと思ってしまう 俺はそうする

例えば「母親父親だって恋愛していい!」って言う人いるらしいくけど、まあいいとは思うがそれを毒親とする人もいっぱいいるわけで…

難しすぎるけど、こういうことを世間に考えさせられた時点でりゅうちぇるは凄いと思うし、3人に幸あれ

あと、りゅうちぇる理想父親像を語ってたらしくてそれも一種自己暗示というか頑張るためだったのかもね

また違うけど職業SNSでいい経営者アピールしたり社員のためにって言いまくってる人が超ワンマン経営でぼくがかんがえたさいきょうのかいしゃと善意押し売りしまくってるだけで社員はむしろ苦しんでたり…みたいなののいつも見てるからそれよかましだと思ってしま

(追記2)

Twitterでうちの父親批判ツイートしててメディア欄に自分の半顔晒してる人顔見知りでわろた 世間は狭い

金払って終わりじゃなくて家族のために色々やってくれてたよ

2022-05-01

anond:20220501092750

読めば分かるけど、別に母兼ラブドールになってないんだわ。

ハトクロ顧客に凸するオタク幼児性」と無理やり繋げようとして、突然「母」言及したろ?

そういう雑なことをするからフェミニズムの信用が失われるんだぜ?

2022-04-13

anond:20220413142941

ワイの家は、他人かいなくても父親のことを「父」と呼び、母親のことを「母」と呼ぶで。スパイファミリーアーニャみたいな感じや。

あと兄弟同士では元の名前の原型をとどめへん「ぼぼ」「びび」みたいなアダ名で呼び合っとるで。

2022-03-09

タコピー星に住みたい

不幸や暴力概念が無く、科学技術進歩しており仲間同士和気藹々と暮らせる。

「母」が強い権力を持っているっぽいところだけ気になるが、星人になれば気にならないだろう。

きっと通貨労働概念も無いに違いない。

頭の中をハッピーにして暮らしたいなぁ。

2022-02-21

anond:20220220205211

メコン川(河)の由来は、メーが「母」、コンが「水」となっていて、「母なる川」を意味する。

英語表記ではMekong River、なので「母なる川-河」!?

ま、許してあげて。

2022-02-07

anond:20220207165323

なんか微妙に改変してるんだよな

「母」→「妻」

とか

最後コロナとか時事ネタ入れてみたり

何が目的なんだろ

2022-01-14

主婦が夫の金で生活費心配なく大学院に行く事に対して

圧倒的に肯定の声が多いじゃん

世間では既婚女性が「妻」「母」という役割を立派に果たした上で

男の邪魔にならない程度の自己実現を図る事には寛容だよ

ごく一人くらいか批判されたからといって

何故それをもって「奨学金大学院行ってるだけで外野文句言われる属性、それが女性」とか言っちゃうのか

2021-11-02

お母さん食堂記事に付随するコメントを読んでいて感じたことをまとめるための文章

名称変更の是非はおいておいて

コメントを読んでいくと、よくミルキーやお袋の味が引き合いに出される

「母」という言葉からの引き合いだろうが、読んでいると違和感があった

そもそも提示された問題はざっくりまとめると「お母さん食堂という名前理不尽労働強要させる」というもの

まり結び付くのは労働という行動

対して、ミルキーカントリーマアム、お袋の味が結び付くのは味覚のイメージなので、これらと問題にされたお母さん食堂カテゴリが違うので比べると違和感を覚える

理不尽労働強要が駄目といった意見なので、引き合いにだすなら同じく、理不尽労働強要と結び付く言葉がいい

やはり記事投稿されたコメントひとつに、ざっくりまとめると「サラリーマンは男が金を稼ぐことを強要する言葉」というものがあってなるほどとなった

たとえば、主夫になりパートで働いている男性がいる

彼はパート先などで「やっぱり男は働いて妻子を養ってなんぼ」といった意見を時を変え品を変え耳にしている

そして立ち寄ったホームセンターあたりでサラリーマンのための~と展開されている日用品などのシリーズを見たとき心理想像するのが今のところ一番しっくりした

あと気になったのは、コメント欄では問題提起した女子高生を酷く言っているのを結構見るが、それはちょっとどうかと思う

それこそ攻撃的なフェミがやってることと同じだよなぁとね

それと、お母さんは食事作りを強要されてなんてないよ!みたいなコメントもよくあるけど、そのわりにはネット上ではモラハラ夫の話を良く見るよねって

ポテサラ爺や冷凍餃子は手抜きだといった旦那はお母さんに食事作りを強要してるし、減ってきてはいるだろうけど、病気奥さんに夕食作らせる旦那もきっと、絶滅してないだろうし

まぁそれとこれとは違う問題から誰も気にしないんだろうけど、お母さん食堂に嫌なイメージを持つことすら否定するのもどうかと思う

大多数の人がいいイメージを持っているのは理解できるけど、そうじゃない人もいるし、今回たまたまろくでもないのに目をつけられちゃって利用された可能性もあるし

文章にまとめると大分整理される

2021-10-25

anond:20211025004645

ワクチンとかコロナ陰謀論とか自然派()って理系分野に弱いか女性が引っ掛かりやすいって聞いたけど、この増田の家も「母」祖母」と見事に女の家族がやられてるな

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