はてなキーワード: 義務的とは
土曜日に1時間の練習走行を一回したあと、決勝レースのスタートする順番を決めるための予選を行います。
熱心なファンは練習走行からチェックするでしょうが大抵のファンは予選と決勝しか配信を見ません。
サーキットに足を運んで観戦するファンも練習走行、予選、決勝と進むにつれて増えます。
そこで頭のいい人が考えました。
日曜日だけじゃなくて土曜日にもレースをすればサーキットの観客は増える(収入が増える)し、
こういった考えのもとF1では年に何回か土曜日にもレースが行われます。
金曜日に練習走行を1回、土曜日のレースのスタート順番を決めるための予選を実施し、
土曜日に土曜日レース(日曜日のレースより周回数が少ないミニレース)と日曜日のレースの予選。
こうすると視聴者や観客が少ない練習走行を2回減らして、人気がある予選とレースを1回ずつ増やすことが出来ます。
で、それがいいことなのか?
というのがこの文章の本題です。
私はF1を見ますが練習走行まで目を皿にして見るほどの熱心さはありません。
しかし、一方で私の娯楽に使える時間は限りがあり、今週末の土曜日はつまらない用事にふりまわされてF1を見る時間がありませんでした。
通常であれば、予選とレースを消化するために3時間ほど使えばいいだけのところを
予選×2、ミニレース、レースと合わせて5時間ほどかかることになります。
娯楽というのは負担に感じる、消化しないといけないという義務感を感じると途端に嫌になってきます。
またリアルタイムで視聴していないとうっかりと情報が目に入って結果を知ってしまいます。
私はまだ金曜日の予選も土曜日のミニレースも土曜日の予選も見ていませんが結果を知っています。
だから予選×2、ミニレース×1を見るモチベーションがそれほど高くはありません。
しかし、これを消化しておかないと日曜日までの流れを掴むことが出来ずに決勝レースの面白さが半減します。
見ないわけにはいきません。
これが通常であれば予選の1時間を見れば決勝レースに追いつけますが今回は3時間必要になります。
こういったことはF1だけではなく、あらゆるジャンルで蔓延しています。
いかにして時間を専有するか?時間の陣取り合戦がエンターテイメント業界では熾烈に争われています。
ただ我々はそういった義務的なエンターテイメント消化に疲れ切っています。
そしてこれは皮肉なことにその反動としてあらゆる予習を必要とせず、止めたいときにすぐやめれる(ような気がする)、
TikTokのような短編動画配信へと時間を使うようになります。
TikTokには消化しておくべき事前情報というものがありません。
世の中にはディズニーはただの子供を連れて行くだけの義務的イベントだと思っていて
その中でも最悪レベルの施設だと感じてる人が「割と多い」ことを知って欲しい
「憧れのディズニー!」
以下に嫌いな理由を書いてく
なぜか大人でも楽しめる施設、みたいなプッシュをされているけれど
冷静に考えてどう考えても子供向けの施設なので大人にとっては全然楽しくない
大人になってもディズニーの映画やアニメが好き、というのは全然分かるし自分も観る
だが好きだからといって等身大のファブリックなキャラクターが出てきても全然会いたいと思わないし
「中の人はどんな人なんだろう」
アトラクションも長蛇の列に並んでヘトヘトになって5分で終わってしまうので微妙感が半端ない
子供にとっては新鮮味があるだろうけれど大人になるとこの手のアトラクション・アクティビティは各地で体験したりしてきてるので
という余計な推測をしてしまうのでちっとも楽しくない
シーならレストランで酒が飲める、とか言われても
別に海が見えるわけでも無ければ山の上でも無くて
しょぼい作り物の施設を観ながら酒を飲んでも何も新鮮味はないし
ただただ高いだけの店でメシも全然美味しくない
大人が楽しめる要素はゼロで、まだ4DXの映画観てる方が楽しめる
それこそ昔はエレクトリカルなパレードは新しさがあっただろうけれど
昼間のパレードなんてただただ暑いか寒いかのどちらかの印象しか残らない
ショーもプレミアムチケットのくせに内容スカスカで全然面白くない
おまけに自分の好きな作品の舞台を見れるんだからわざわざ興味の無いディズニーのショーなんて見なくて良い
子供にとっては面白いと思うが、やっぱり大人ならまだ4DXの方が面白い
上記のような人でもそれほど混雑してないなら楽しめると思う
例えばレゴランドとかレゴに興味なくても混雑してないので楽しめる
おまけにそんな人混みに行くのに高い金を払わされるし
おまけに飲食関係は全てが高額、お土産もクッソしょうもない駄菓子にプリントしただけで高額
アホらしくて二度と行きたいとは思わない
夏場になると高齢者の方が水分の補給を忘れてしまって熱中症になることがある。
話に聞くとどうも身体は脱水し始めているのにのどが渇いたという欲求を感じにくくなっていることによることに原因があるらしい。
自分の場合はそういう脱水を感じないこと性欲バージョンとでもいうのだろうか?
性欲が溜まってきていて、そろそろ抜いてあげないといけないのにそのことに気づきにくくなってきている。
もちろん自分は水分補給を忘れて熱中症になる高齢者の方ほど年齢がいっているわけではない。
それでも中年としては大ベテランといっていいほど月日は経った。
そのくらいの年令になると日々の強烈な性欲に惑わされることはなくなる。
週に一回程度は義務的に行っていた自慰行為ももうやめてしまった。
ときおり気が向いたときに興が乗ったときに自慰行為にふけることはあるものの、果てたあとの虚しさのほうが強くて気がつけばそのような行為を忌避するようになってしまっていた。
そう感じるほうが多くなってしまった。
我ながら歳をとったものだ。
……で、済んでいればいいのだがそうはいかないのが残念なところ。
性的な刺激を受ける機会が少なくなる。
いや、むしろ普段性的な感情を爆発させていないだけに一旦火が付くと抑えられなくなる。
そのことに気づいたのは半年まえほどのことだ。
ある日、仕事中ふと視界の中に入った、コピー機の前で用紙の補給をする新入社員の女性。
その曲げた腰つきが目に入った瞬間、異常な興奮とともに性器がカッチコチに固まってしまった。
自分の頬が上気して赤くなっていることだろうことが鏡を見なくても感じられる。
〇〇君(新入社員の女性の名前)から視線を外すことが出来ない。
その視線に気づいたのかどうか。
〇〇君がふりかえってこちらを見た。
今思い返すと。
あのさ
銭湯の夢見たのよ。
銭湯に行く夢。
もう最近1年ぐらい行って足繁く通っていない感じかな?
そうインターネットサービスのマップで最後の訪問時期の季節を感じさせる記述があったの。
それが昨年の3月。
それ以来行っていないから雄にゆうゆうと1年以上は銭湯行ってないと言うことで、
もうそんなに空く?って思っちゃったわ。
一番近所のみかんの花咲く丘公園前駅の商店街の便利で都合の良いところにあった銭湯は廃業になってしまって。
あとは歩いて行ける距離のところはちょっと遠いけど足がしばらく向けてないわね。
やっぱり普通の日に行く際はどうしても行って帰ってきて2時間はかかんじゃない?
1時間ってなるとほんと銭湯に飛び込み前転で入店してすぐに出て入ってって感じになっちゃうからね。
烏の行水も甚だしいわ。
それぐらいの時短を求める理由は最近の睡眠時間大切論があって、
やっぱり常日頃つねならむ6時間の睡眠時間を確保しまくりまくりまくりすてぃーとなると、
難しいわね時間的に。
それをトレードオフしてなにかを失えば何かを得ると考えたら。
それじゃーゲーム辞めて控えたら良いじゃん!って言う意見多数決でとったらそうやって議会は決まる少数派の意見全無視みたいなことになっちゃうから
私多数決って嫌いなのよね。
でその多数決で決めたとしても
私は夜どーせゲームやってんでしょ!って言われるもがな、
とくに平日は15分!と決めているのよ。
それで終わっちゃうからやってないのにも等しい値を叩き出しているのよ。
となると、
もうちょっと事務所からりだつして帰宅時間が早くなればなぁーなんて。
夢のまた夢努々しき夢見事なのよ。
1回かーんと熱いお風呂でも使って一汗流したいところと思っているモヤモヤしている潜在意識があったのかも知れないわ。
とか何とか言っているうちにピンチ到来!
私早速もう朝ドラの『虎に翼』を1回分の録り溜めたものを随時背負うか鑑賞していくことを誓ったのにせっかく誓ったのに昨日すっかり見るのを忘れて
もうばたんきゅーと寝ちゃったのよ。
朝気付いたわ。
録ってることすら忘れている事態。
でもまだ1回だから取り返せるわよ!
まだ4月の始まりだしこれからどんどん気合い入れて消化していけるようにするわ!
もうさー
ちょっと空き容量が空いたら、
いつも録らない番組とか録って結局忘れてまた見ないうちに消しちゃってって。
いい加減新しいハードディスクレコーダーを買いたいと思うけれどね。
それも古い型のレコーダーだとそう言った番組の取り回しが絶望的なので悲しくなるわ。
違う違うそうじゃなくって、
私は意を決して朝ドラは今回はリアルタイムで追い続けて録り溜めないというテーマの元に『虎に翼』はしっかりととりあえず義務的に世間のなにかの話題に引っかかりそうなので観ることにしている山脈に向かってヤッホー!って叫ぶけど、
でもこれ幸い。
ドラマはもっぱらもう4月になって朝ドラ以外の朝ドラは観ていないから、
そこでドラマに対して費やす時間は朝ドラしか無いから負担は少ない分まだマシよね。
私も1回次郎系ラーメンのモヤシ増し増しラーメンってのを目にして食べてみて、
もう私以外誰も今後言わなさそうなインスパイヤザネクストな体験をハイタッチしたいの!
こつこつとこれは見続けていくしかないわ。
あとはもうレコーダーが壊れちゃったらそれまで
一切合切きれいさっぱり録った番組もやむなく忘れてしまうことが出来るから。
そんなことを言ったら言霊になるから言いたくないよなんて言わないよ絶対解かないし!
なんかさー
サイゼリヤなんていつ行っても空席あんじゃん!って過信していたら
お腹が空いたまま帰路につくことにしたのよ。
街に出ると人が多くて慣れない土地のお店に行く混み具合も分からないし、
休憩ポイントは必ずチェックしてしっかりセーブできるようにしておきたいと思うけど
そんなことを言っていたら
オートセーブじゃん!って言われそうだけど
オートセーブされてるの分かっていてもメニューから開いて自らしっかりと手動セーブしないと気が済まない人っていない?
それ私かも。
いやオートセーブを信じていないわけではないのよ。
きっとセーブ癖やつなのよ。
ごめん涙拭くね。
オートセーブしてるの分かっていても、
わざわざブキを変える画面を開いて意味もなくブキやギアを変更してオートセーブの発動するきっかけをあたえることをするの辞めるね!
うん!
そうするね!
うふふ。
私って猫舌じゃないですかーって知らないわよ!って言われそうだけど、
そうするとマイルドな温度になってマイルドな味わいで飲み干すことが出来るわよ!
同時にシジミの力も!
飲み応えあるからそれだけでも朝ダッシュできるような元気が出るから
なんか新生活!って気がしない?
コーンポタージュスープをお湯入れてそのティースプーンでくるくる掻き混ぜてふーふーしながら飲むの!
川口春奈さんみたいじゃない?
新生活感みを感じるだわー!
夜飲んでも良いし朝飲んでも良いし、
これも便利なデトックスウォーラーに困ったらとりあえずホッツルイボスティーウォーラーってところが憎めないわ。
温めのお湯で作って仕上げれば、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
そうそう。結局これが多くの夫婦がセックスレスになる理由じゃない?
日本だと夫婦と子供が同じところで寝ているのが普通で、やっている最中に子供に起きられたら面倒だしな。
回避する方法は寝床ではないところでやるか、某漫画家のように子供が日中外出しているときにやるかなんだろうけれど、どちらも抵抗感があるよね。
それに加えて、体力も落ちてくるので睡眠時間を多少削っても昼も元気でいられるともいかなくなってくる。
妊活中はそれでも義務的にやれるところはあるけれど、妊活しなくなったらそういうのもなくなるしね。
韓国に移住してしばらくが経った。移住前に様々な韓国在住系Youtubeを眺めて事前予習したが、今振り返ってみると明らかに視聴者数稼ぎの誇張や嘘ばかりである。それで啓蒙と怒りの発散を兼ねて増田に残すことにした。空き時間の読み物として楽しんでもらえたら嬉しい。
田舎に住むならいざ知らず都会ではまず遭遇しない。三一節(3月1日の独立運動記念日)や光復節(8月15日の日本からの独立記念日)は国民の祝日で、テレビでは大統領演説や儀式の様子が生中継されるが、外を出歩いていても危ない目に会うことはおろか日本人と知られても敵対的な視線すら浴びない。愛国心の高まる日でこれなら、通常の日はなおさら言うまでもない。
ちなみに現在40代くらいの世代では、政府が許可していなかった日本のアニメや歌をインターネットもない当時あの手この手で入手し楽しんでいたという層が大変多く、現在の若者のフラットな対日観を超えかなり親日であることは意外と知られていない。日本でも韓国でも、反韓反日を煽ることで懐が温まる層が一定居るのだろうが、住んでみるとその実情はイメージとは大きくかけ離れているのである。
総じて韓国はせっかちな人が多く、バスやタクシーなどの運転が非常に荒いと言われるが、日本の関西や名古屋の運転と大差ない。むしろクラクションなど普段ほとんど聞かない。例えばバスなら降車前、バスが停まる前にICカードを降車時の機械にかざしてすぐ降りられるようにしないとキレられるという噂があるが、早く降りたい人がそうしているだけで、普通に降りても何の問題もない。
スーパーやデパートのレジでも、相手の言っていることが分からなかったりセルフレジの操作が分からなかったりしてもたついても、遅いことを理由に邪険に扱われるということはほぼない。むしろ義務的な日本の店員以上に親身に教えてくれることも少なくない。いわゆる「古き良き日本」的な人情の精神が残っているというイメージである。
さて、ここまで読んで(なんだこの増田韓国推しか…)と思った読者の皆様は安心してほしい。増田は韓国に腹が立っている。
韓国の多くの場所は今でこそ日本の大抵の都市と変わらないような景観をしているが、その実は完全な新興国である。それを如実に表すものの一つが運転のクソさである。「正しいコンギョを言え!」とそこのあなたは仰るだろう。これを見てほしい。
100人当たりの自動車保有台数 | |
---|---|
1999年 | 24 |
2005年 | 32 |
2011年 | 28 |
2017年 | 42 |
2023年 | 50 |
およそ10年前には3人に1人も車を持っていなかったのが、現在では2人に1人と急激に増加している。つまり運転歴10年以下のドライバーが大変多いのである。若~中年層の多い都市部近郊ではこの傾向はさらに顕著で、ベテランドライバーは清掃車に乗っているおやじくらいのものである。結果、運転のレベルが総じて呆れるほど低い。ソウルやプサンでは荒い運転に気を付けて!というYoutuberが多くいるが奴らは本質を分かってない。単に韓国人の運転スキルが押しなべてうんこなだけである。
韓国では日本以上にドラレコが普及しており、前方に加えて後方も録画していることが少なくないが、そうでもしないと事故の処理でこじれてたまったものではないのだ。ちなみに人口10万人当たりの交通事故死亡率(2021)を世界トップのブラジルが16.6人、韓国が7.5人、日本が2.4人とあげてみても、交通事情の深刻さがよく分かる。韓国で運転される機会がある際は、若葉マークがそこらじゅうを走ってるつもりでの警戒運転の上、怒りで血管がプッチンしないように気を付けていただきたい。
駅でも公共施設でもデパートでもトイレは総じて綺麗に清掃されており、新興国のように紙が無いなんてこともない。見たところ日本と変わらぬ高品質のトイレだ…!と思って安心してはいけない。韓国のクソなトイレで油断してクソをすると泣きを見ることになる。敵は隠れたところにいる。クソを流す水流がクソほど弱いのである。毎食のキムチで食物繊維を取った韓国人の固いクソが果たしてどうやって毎度無事にトイレに流れているのか、その答えに私は未だにたどり着けない。ちょっと大型種のクソが出現したり、保守的にペーパーを使おうものならもう詰まる率70%である。パワプロなら体感100%ケガ確定の震える手でレバーを引き、思った通りトイレが詰まって「クソ!」と叫びたくなった記憶は数知れない。
ここで更に増した水量で力業で押し切ろうと「倍プッシュ!」の掛け声とともにもう一度レバーを引こうものならさらに恐ろしい事態を迎えることさえある。一旦大人しく撤退したかに見えるペーパークソ混合部隊が、その奥に控える第二関門で再度詰まりこちらに2倍量の水と共に突撃してくるのである。移住して間もない頃、これでトイレ全体の床と自分の靴を絶望で浸した記憶は今でもトラウマになって海馬に緩めのクソのようにこびりついている。
ここで斜め上の解決策を持ち出してくるのが韓国である。解決策その①、超強化威力3倍スッポン!!冗談みたいに聞こえるかもしれないが、日本の標準的なスッポンに範馬みを足したフォルムの強化版スッポンがあちこちの個室に標準装備されている。これを使ってクソ水を押し出すのは韓国人の極ありふれた日常の風景である。可愛い韓国のあの子のモーニングルーティーン動画にこのスッポンが出てこないとしても、皆陰ではスッポンやってるんだよ。
https://dotradeex.com/products/three-plunger-the-best-rubber-toilet-plunger-pump-made-in-korea
更に信じられないのがトイレ詰まり解消ラップ。何が信じられないかは以下の動画を見てほしい。これに至っては脳裏によぎる最悪のシナリオの恐怖が上回って使う気にもなれない。数あるスポーツでの韓国選手のメンタリティの強さはこうした日々のトレーニングから来ているのかもしれない。
https://www.youtube.com/watch?v=Gw9abgNDF4Q&t=90s
飲料品の値段が高い、年上を敬え文化が根強いなど韓国に来て少々腹が立つことは幾らかあるが、生活に支障をきたしかねないクソなものを2つ挙げさせてもらった。逆に観光で韓国に来る機会がある読者の皆は是非これら二つを現地で味わうことを楽しみにしてみてほしい。
アラサーの増田だが、近ごろどうも感情が摩耗していると感じることが多々ある。それはYoutubeやAmazon Primeのような動画ストリーミングサービスを見ているとよく自覚することだが一喜一憂(画面内に向けて感情移入した結果だ)することが以前(記憶上一年)よりもめっきり減った。もし一喜一憂したければアルコールを摂取することで出来ていたが最近その効能も薄れてきた。だから初心に帰ろうとけいおん!!を見た。今までは最後の文化祭の後、五人が部室で足を放って語らい、あり得ない来年の勧誘ライブプランを補強し合うシーンに今まで幾度も泣かされてきた。が、どうにも泣けなかったばかりか真顔で見る始末。どうにもオカシイ。ならばとクラナドを見た。が、泣けない。ならばダリフラの最後の二話を見た。が、真顔のまま。他の泣いたことがあるアニメを漁っても変わらずだった。とここまでは単なるアニメから無意識のうちに足を洗ったのだと理解されるだろうがその範囲はアニメには留まらない。現実の職場でも同じだ。
前ならイラついていたに違いない後輩の不出来さや上司の理不尽さ、同僚のいい加減さに今ではなにも思うところがなくなった。その尻ぬぐいをする時でも、なんとも思えなくなってきた。あるのは自己保身だけで、だから自覚した自分の感覚としては反応しかない。後輩の不出来さで自分が足を引っ張られやしないか、上司の理不尽さをどう掻い潜るか、同僚のいい加減さの連帯責任をどう回避するか。その怯え、それだけだ。何も出世しようとかは考えていない。だから出世意欲に根差した反射ではないと自分では思っている。
前なら内心で気に入らなかった同僚が上司に呼び出されるのを見てザマァと思って愉快に浸っていたのもなくなったし、コンビニのレジ前で精算にまごつく老人(これは意外に若者でもそう)に内心苛立つこともなくなった。これはこれで一つの悟りとも言えるだろうが、自分では危機感がある。何も正直欲が消えたのが今だ。
恥ずかしい話になるが、結構な頻度(月二回)で本番ありの風俗で発散することも以前の趣味だったし、風俗のサイトでコンパニオンを見ながら想像たくましくするのも愉快だった。けれど今じゃ(ついさっきも見ていた)風俗のサイトを見ても、今まで楽しんできた分の経験があるからかなんなのか解らないが、仏塔が艶やかにそそり立つことがなくなった。じゃあEDなんじゃないかとも思うが、夢精は一昨日した。だからそうじゃないと思う。
母親から電話があった。電話越しにでも老いた母親の元気そうな声を聴くのは良いことだ。三年くらい前に夫を亡くして、離れてはいないが県を跨いだ土地で一人暮らす母は自分の身の上以上に一人息子のこの増田を心配してくれている。月一、二で送られてくる生活用品や食料が詰められた段ボールを開封していくと、大学入学を機に上京したあの頃を思い出して感慨に耽ること多事であったが、今では義務的な、送られてきたから開ける、そして電話でありがとう、と言うのが日常の一部に組み込まれたようで、まるで業務をこなすように、日常がそう言った物事に浸食されていく感覚がある。
職場では以前と変わらない振る舞いで、事務のおばさんとも世間話が出来るし、具体的な仕事内容は伏せるが業務連絡も漏れなくこなすし、ミスなく仕事をしている。職場では、特に不具合なく過ごせているのに、マンションに帰った途端にスイッチが切れたか入ったみたいに別人になるのを感じる。なんと言うか、スンとなる感覚。
たぶん人間らしさって言うのは、あえて他のものから区別するためにある言葉なんじゃないか。一二年前の自分は、仕事に追われているからとかじゃなくて純粋に人間らしさを失っているとは考えなかったからだ。考えてしまう今、前のように一喜一憂することもなくなった現状、人間性を失っているのだろうと思う。共感性もそうだし、関心も失っている。自閉的かと言われればそうではない。正直自分でもよく解らない存在になっているようにも感じる。まるで情報処理機関と化したような感覚さえ覚える。これって一体なんなのかしら
龍が如くをやってるんだけど、いつまで経っても要素を全部回収できないので飽きた。
そこでふと気づいた。私はいつの間にか、「ゲームをプレイしている過程を楽しむ」のではなく、「ただ単にプレイした実績が欲しいだけなんだ」と。
考えてみれば、就職してからも、アニメや漫画、ゲームは話題のものは一通り触れてきたが、
それは楽しいからと言うより、義務感と惰性であって、別にそれ自身を楽しんだことは一度もなかったのだ。
私が求めているのは「流行りのものを摂取した」と言う実績であって、作品そのものではないのだ。
ただ単に就職して働き始めたと言うだけなのに、それまで楽しめていたものが、義務的に消化するべきものに変わった。
一度気づいてしまえば何も楽しくなくなった。
ここ2週間はアニメも見ず、ゲームも立ち上げず、仕事から帰ってきたら飯食って風呂入って布団に直行している。
それでも何の感情も湧かない。このまま私は仕事のことだけを考えて、自分の時間を楽しむことなく老いて死んでいくのだろう。
最近は、そんな人生なら別に死んでもいいんじゃないか?って思ってる。
別に仕事が楽しい訳じゃないし、恋愛・結婚ごっこにも興味がないし、
実在する人間を推しと呼ぶ界隈にいるんだけどオタクが事あるごとに「推しててよかった」とポストしてる。
この言葉にすごく違和感があって、見かけるたびに良し悪し(利害や損得)で推しているのか?「推さなきゃよかった」もあるのか?と思っている。
義務的なものを感じてしまうのが違和感の原因だと思う。これを「推しを好きになってよかった」「推しと出会えてよかった」と置き換えると気持ち悪さを感じないので動詞としての「推す」のせいなんだろうけど、「推しててよかった」は今挙げた置き換えた言葉と同じ意味なんだろうか?
書いてて思ったけど、推しを推してない人へのマウントのようにも捉えられる気がする。推しが誉れ高いことを誇りに思ったり嬉しくなったりする気持ちもあまり分からないので、これとも繋がっているかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20231224205347
宗教と科学が対立するものとして所与のように扱われているが、実態は異なる。人類の長い歴史のほとんどの期間において、宗教は真理を追究するという目的のため、教育や研究を提供する場として存在してきた。中世では科学の最先端はイスラム科学であり、ヨーロッパで近代科学の誕生のきっかけとなるルネサンス運動が起きたのは、十字軍がそれを中東から持ち帰った結果である。
歴史的経緯はさておき、近代に科学的手法が発見されて以降、宗教が科学に負けつつあると考える人は多い。真理の追求という意味ではそうかもしれないが、それは宗教の一つの側面にすぎない。宗教の影響力が決定的に弱まっているのは、科学のせいではなく、ナショナリズム信仰のせいである。
ナショナリズムはあまりに成功しすぎたせいで、最早それを疑問視する人間はほとんどいないが、ナショナリズムほど宗教臭いイデオロギーは存在しない。生まれた時から勝手に入信させられ、"税金"の名のもとに資産を収奪される。改宗することでしか棄教できないが、大抵の"国"では入信のハードルが異常に高く設定されており、容易に棄教することはできない。幼少期から学校教育により、"国語"/"歴史"/"道徳"などの授業を通じて義務的な洗脳を施され、"国"が決めた正しい言語、言葉遣いを強制させられる。憲法というドグマとそれに基づいたおびただしい数の法令が日常生活において恣意的に適用されるが、その内容全てを理解しているものはいない。それらを破ると投獄されたり、罰金を払わされたり、社会的に制裁されたりする。信徒によっては"国"の方針に盲目的に追従したり、逆にその行動を批判することこそあれ、アイデンティティの核として"国民"であることそれ自体を疑問に思うことはない。
宗教は、心の拠り所としてだけでなく、出自の異なる人々をまとめあげる共同体として、また教会を通じて様々な福祉を提供する役割を持っていた。"国"はそれらの機能や権力を宗教から取り上げ、政教分離の名のもとに精神的領域へと押しやった。
※タイトルや以下における「エンジニア」とはソフトウェアエンジニア的なものを指すとする。
この時期に各種アドベントカレンダーで見かけるような、あるいは平時でもはてブの「テクノロジー」タブに上がってくるような記事は魂に訴えかけるものが皆無な浅い記事ばかりだ。マネジメントがどうのだとか、○○プログラミング言語で△△してみましただとか、無味乾燥なこと甚だしい。それはなぜかというと、そうした記述はいわば児戯を一生懸命やっているだけであって、社会や世界のことをなんら考慮しておらずなんの影響も与えることができないものだからだ。
求職側において、個人ブログ等で発信することでポートフォリオ代わりになり、転職活動に有利になるというインセンティブがある。求人側から見ると、自社ドメインの技術ブログ等で発信することで採用市場におけるプレゼンスを高めたいという動機がある。この双方向の動きにおいては、情報を多く出したもん勝ちであるため、浅い記事が量産されるというわけだ。
求職者は人材会社の陰謀に嵌められて義務的に情報発信させられていることも多く、被害者だとも言える。しかし、求人側がこの動きに加担するのは非道徳的である。たかが採用のために競合と人間の認知許容量を巡るゼロサムゲームを繰り広げて貴重な人類の知的エネルギーを浪費しているのは端的に反社・売国奴である。
IT業界は、火のない所に無理やり火をつけてからなるべく複雑な消火のソリューションをなるべく高値で提供するというブルシットジョブの宝庫である。何社もの企業がキラキラ業界ヅラして犇めいている分野においても、冷静に見るとその分野自体が社会に不要(それどころか有害)であるということはよくある。自分が携わっている分野においては正常性バイアスでそう感じないかもしれないが、他分野を見たときには同じように感じる方は多いだろう。
そもそもがブルシットジョブなのだから、それについて何をどう語ったところで本質的に伽藍堂なのである。
AIは身体性を持たないため、記号を記号としてしか処理できず、現実の実体が持つ意味と結びつけられないという記号接地問題が課題となっていた。特にサーバーレス環境において、エンジニアもAIと同様な状況に陥っている。コードを書いてCDでデプロイしてクラウドで動かすという開発のサイクルは現実の物体との関わりがなく、自分の行いが現実においてどういう意味をなすかという意識が希薄になるからだ。そのような状況では空論を弄ぶことしかできなくなるのは当然の帰結だ。
記号接地問題を解決する側にいるはずのエンジニア自身が同じ問題に囚われるとは、なんたる痛快事であろうか。
エンジニアというのは誰でもできる職業なのに高給取りだというイメージが付いており、思考停止しているくせに一発逆転を狙う馬鹿を呼び寄せている。
また、仕事それ自体によって、あるいは仕事で金を稼ぐことによって自己実現をしようと企むナイーブな価値観が蔓延している。もともと馬鹿ならそのままぬくぬくと馬鹿のまま育つし、大学で一般教養を学び大学院でコンピュータサイエンスを学んだような本来は"頭の良い"人までそうした朱の馬鹿共に交わってより赤き馬鹿に成り下がってしまう環境なのだ。
レスりレスられ話で難しいなと思うの、結局話し合って義務でセックスしても双方の満足度ってそれほど向上しないっていうところなんだよなあ
年単位のレスで、話し合いから頻度決めてセックスするようになったけど義務的なのが辛い、もっと幸せそうにしてほしい、みたいなのはXとかでもしばし見かける
そりゃそうだろって話なんだけどさ。愛し愛されでセックスはできてるけど頻度が少ない、とか長持ちしないみたいな話じゃなくて、そもそも相手が「したくない」と感じていることそのものが嫌なんだろうから、「したい」と思ってほしいってのが主題なんだよね、多分。
レスではないとしても、セックスしようと言えば応じてくれるけど無反応とかマグロ、義務腰振りみたいなレス予備軍パターンはそれなりにあるのではないかと思う。
レスられ側からするとそういう義務的な態度はしんどいだろうけど、レスり側も当然やりたくもないのに気持ちを奮い立たせなきゃいけないわけで(男の場合物理的に勃たせなきゃいけないから余計大変だろうが)、結果として双方よりストレスを溜める事態になりがちなように思う。
お互いストレスなくレス解消するのって難しくて、結局外注とかが1番なのかね。他人の気持ちを外部からコントロールできる手段が生まれれば、簡単に解消できるのかもしれないが…。
の元増田です。予想以上に多くのコメント・ブコメ・ブクマを頂き嬉しく思うのと同時に、調べ直して誤解を招きかねないところがあったので補足とコメント返しをしていきます。
ただあまりにも多く頂いたので当方にて取捨選択します。恣意的だという批判は甘んじて受けます。
なお、文中で「研究者の」などと記載するときは特に断りがなければ多数派のという意味を含有します。
前回の記事で(外部通勤作業の)令和4年度の対象者は全国で4人と書いた。この数字は正確だがその推移は以下の通りだ。(いずれも犯罪白書より)
【令和4年4人、令和3年7人、令和2年4人、平成31年20人、平成30年23人、平成29年19人、平成28年21人、平成27年15人、平成26年14人、平成25年12人、平成24年10人】
一貫してほぼ右肩上がりだったところ、平成30年の松山刑務所からの脱獄事件と平成31年の新型コロナウイルス禍により現象に転じたということだと思う。
よって4人だけ!というのはミスリードの可能性が大きく、元々法務省も徐々にこの取り組みを拡大させていたことを考慮すると、平成30年程度の規模までは早期に回復する可能性が高い(今回のホタテの件がなかったとしても)。まぁ20人としても全国の刑務所が70弱あることを考えると一施設平均0.3人なので労働市場にインパクトを与える数ではないという結論に変わりはないが。
更に補足すると外部通勤作業の必要性は研究者も法務省も一致しているものの、スタンスは若干違う。法務省は絶対に脱獄しない受刑者ってのを何重にもスクリーニングして選んでいて、研究者の側は「法務省の取り組みは遅いもっと積極的に」という感想になる。
○働くかどうかはともかく、
・仮釈放は真面目に受刑生活を送っていれば刑期のラスト2割くらいは釈放される制度。仮釈放期間中に悪さをしたらまた刑務所に連れ戻される。令和元年の再犯防止推進計画加速化プランにおいて積極的に仮釈放を認める運用としている。
・刑の一部執行猶予は新しい制度(平成28年施行)で、判決時点で実刑部分と執行猶予部分を指定してしまうというもの。(例えば懲役3年だが、実刑部分2年猶予部分1年、猶予部分の1年間は刑務所にいなくて良いが悪さをしたら刑務所に入れられるような感じ)
○いずれも犯罪者の社会復帰のためには社会内処遇が重要であり、施設内処遇(刑務所への収容)だけでは足りないという流れがあるからだ。受刑者の社会復帰のためには、受刑者が刑務所に適応してしまうのではなく、社会に包摂していくことが必要との議論に国が応えた形となる。
○つまり、制度全体として、刑務所にいる期間をできるだけ短くしようという制度設計と運用になりつつある。いくつかのコメントにあった「単純労働者確保のために受刑者を増やす」なんてのはこれまでの流れと正反対なので、不可能とは言わないが極めて困難であり、批判するのであればその予兆が見えてからで十分だろう。(そんな予兆は一切ない)
○加えて、令和7年度から懲役刑がなくなる、作業をさせることが義務的ではなくなると書いたけど、これは刑務作業(強制的な労働)がなくなるわけではない。が、作業時間は確実にかなり減ることが見込まれており、こちらの観点からも受刑者を労働力として考える方向とは真逆となる。
○いくつかの刑務所を見学してみると分かるが予想以上に身近なものを作ってるよ。刑務所で作ったものとして売られているだけでなく、名だたる高級ブランドが販売する際の紙袋を折ったりとか。
○たぶん優遇はないんじゃないかな、前も書いたように感謝状をくれることがあるくらいで。ただ、元受刑者を雇用してくれる企業にははっきり優遇があるよ、補助金って形で。(これは無職者の方が再犯率がはるかに高いって統計によるもの。)
○受刑者に給料はでないよ。法律上の賃金ではないので。企業⇒法務省⇒国庫とお金が流れる。受刑者にはこの流れと完全に別枠でお気持ち程度のお金が国から出る。この額が少なすぎるとする研究者は多いが、「受刑者に月10万円出します!衣食住保証!」なんてのが国民感情として認められるはずもなく。
○私は半官半民の刑務所反対派で、当時のブコメにもそう書いたと思うが、理由としては、そもそもそれは国でやれ、民間の力を借りるなと言うことだった。その反論があるかと思ったけどなかった
○現在では、法務省は可能な限り国に業務を戻そうとしていて、研究者側は一定の民間領域を残すべきだとの議論が多い。(半官半民の刑務所は今まさに契約更新の時期を迎えていて、民間事業者への委託範囲がかなり小さくなっている)
○法務省ははっきりとは言わないが、この制度の発端が過剰収容からであり、それが解消されたため(15年間で被収容者数が55%程度に減少)だと思う。このままだと公務員の減員まで言われる可能性があると思っているのではないかな。ここ5年で3ヵ所か4ヵ所ほど刑務所閉鎖してるし。
※(追記)ゴメン法務省が言ってた「平成19年当時,刑事施設は過剰収容の状態であり,収容能力と要員の確保が喫緊の課題であった。このため,民間事業者に委託できる業務は可能な限り民間委託することを基本とされたものの,今般,過剰収容状態が解消され,また,老朽化した刑事施設の整理統合が行われていることに鑑み,次期事業においては,民間のノウハウを活かせるような内容のみに絞ること」(https://www.moj.go.jp/content/001298607.pdf)
○研究者は、一定の専門職種については民間の協力を得た方が効果が高いのではとの意見が多い。
○微罪だろうが片っ端から実刑判決下して刑務所にぶち込めば収容者1人あたりのコストは下げられるよね、B型作業所やシルバー人材センターあたりも含めて低賃金労働力確保に向けた第一歩と考える方が自然だと思うが
○身内の利益誘導にはどこまでも血道を上げる人達なので、ここからどんな横紙を破っていっても驚かない、くらいの感想かな。あの時からガラッと運用が変わりました、があり得るのがこれ迄の政権まとめといった所なので
○“○平成19年頃の刑事施設の収容者数は8万人を越えており、現在は4.5万人を下回っていることから、この指摘は全くの的外れだったといって良いだろう。” 今はそうでないことと、制度的に可能であることは両立する
○今はそうじゃないよ、でもこれからはそっちの方向だよって理屈は両立するよね?受刑者に大卒が少ない?じゃあネットで誹謗中傷したら刑務所なって流れだしw 奴隷の皆さん、ご準備は出来てますか?
○御用学者ポストを狙ってるのか?頭が悪すぎてびっくりする。政治の話をしているのであって、現行法での位置付けは誰も問題にしていない。「現運用ではありえない」ことがこの10年どれだけ行われてきた?
○ご指摘の通り収容者数を増やせば一人あたりのコストは減る。どこまで減らせるだろうか。平成18-19年の被収容者数がピークを迎えていた頃の、被収容者一人あたりのコストが年300万円程度(当時)と言われていた。
○ただ、このときは非常に無理をし、定員以上に収容していて結局4つの刑務所の新設(前述の半官半民の刑務所)と刑務官の1000人規模の増員を招いてしまったので、実際のコストはもっとかかっていると言って良いだろう。
○下限の一人あたり一年300万円としても、これに警察、検察、裁判所、保護観察所などの費用を足せば、労働力としてコストを賄うほど利益を出すことが不可能なのは分かると思う。
○前述の通り刑務所内での処遇期間を短くしよう、社会内処遇にシフトしようとしており、その方向性が変わるような議論はなされていない。そんな中でここまで過剰に反応する必要はないと思う。
○制度的に可能なだけなら何でも言えてしまう(すべての殺人について死刑にすることも制度的には可能だし)ので、その予兆もない中で振りかざすのは陰謀論と言えるのでは。
○今回のニュースだって基準を緩和するだのなんだのといった話はない。というか脱獄の責任を取りたくない法務省の役人が農水省や政治家に言われたくらいで基準を緩和するとは思えないが。(むしろとっとと緩和してもっと出せよと思ってる研究者が多いのでは)
○コロナと脱獄事件で減ってしまった外部通勤作業の実績をあげたいという法務省側の意向はあると思う、というか前も書いた通り法務省側は数を増やす方向性なのは間違いない(それが研究者から見て遅々としてもどかしいというだけで)
○ただ、それにしても業界にインパクトを与えるような規模になることは考えられないよ。(一人親方の伝統芸能みたいなのなら話は別)
○あるよ!(https://www.moj.go.jp/hisho/saihanboushi4/r04/html/n1130000.html)
○網走刑務所がオホーツクの地場産業であるホタテ加工に売り込みをかけているのでは、というオレの推測はだいたい当たってたんじゃないかな。
○俺が気になったのは、ホタテの殻剥きが社会復帰に役立つ技能の付与になるのかって点かな。イメージの強い木工とかもどうなのと思わなくもないけど。技能を得られる仕事は結果も求められて厳しいのなら悲しいな。
○おっしゃるとおり。研究者の側はそれぞれの受刑者に個別に社会復帰のための訓練をするのが理想って議論をしている。
○法務省側も職業訓練などのメニューも持ちつつも、「毎日規則正しく生活して仕事するって生活習慣自体が社会復帰に繋がるんだよ!」と言ってくる。現実問題一人ひとりに見合った職業訓練を用意できないのが実態と思うけど。
○いろいろ勉強になったが、元記事の「(事業者には)福利厚生費や保険料などがかからないメリットがある」部分への批判の答えにはなってないのでは。(ホタテに限らず)現行制度で適法でもダンピングはダンピング。
○法律上認められたダンピング、でもいいよ。結論は変わらないし。これを否定するなら懲役刑ってのの否定になる。塀の中で作業しようが労賃は格安だからね。ただ、これは法律上予定されたことで、今回の件の批判としては筋違いと言える。それこそ医者が手術しても傷害罪にならないのと同様で。
○もちろん別枠で懲役刑なんてけしからん!なんて批判ももちろんあり。日本ではあまり聞かないけど欧米だと主流だし(単に刑務所に入るだけで働かなくていい)
○懲役刑が減って拘禁刑が主流になるの、犯罪者の高齢化とかで刑務作業が困難な側面もあるのかな。今ですら健康な受刑者と刑務官で介助してるような状況だし。
○2年前にテレビで岡山刑務所の特集見たけど受刑者の3割が高齢者で当然認知症患者もいてって有り様(肝心の受刑者数もたった430人でピーク時より減ってる)。奴隷労働させたくても物理的に不可能
○よく議論されているのは、「作業をさせることができなかったり、作業をさせること以上に社会復帰のために必要なことがある受刑者(ご指摘の高齢者も含む)っているよね!」ってことだね。
○拘禁刑のイメージは、「作業に限らず社会復帰のために必要な働きかけは何でもするよ!もちろんその内容が作業をさせるって場合もあるよ!」ってので差し支えないと思う。
○全国で矯正展が開催されているのでこの機会にぜひ足を運んでほしい→https://bit.ly/45yrSA8
○最寄りのところに行ってみると楽しいよ!無料で性格診断をしてくれたり、刑務所の中に入れたりする。
○ちなみにこういったイベントじゃなくても、学校(勉強名目)や職場(研修名目)で何人か人を募れば見学させてくれるところが多いと思う。忙しい先生だと大学の授業で一コマ潰すのにも使われたりする。最小挙行人数なんてのは無いはず。さすがに個人だと断られるかもだけど。
普段注目されてないとコメント集まったらめっちゃ嬉しいね!ありがとう
あと、政治的なところはあえてコメントを拾わなかった。専門外でてきとーなこというのは記事を分けててきとーに書くかてきとーにブコメした方がいいと思うので。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20231018/k00/00m/010/261000c
ブコメが批判一色に近い。まぁ分からなくもないのだが、刑事司法制度の中でも裁判が確定した以降の話ってのは認知度が低く誤解によるものと思われる批判も多いので解説してみようと思う。
余談だが、一応法学部には「刑事政策」という科目が置かれ執行猶予や保護観察、刑事施設のあり方や再犯防止について学ぶことができるものの、大部分の学生は刑訴法までしかやらないのでマイナーな分野となっている。これは研究者でも同じで割とアカポスに辿り着きやすい分野でもあり狙い目だ。歓迎する。
体系的に解説するには労力も時間もなく、しかも書いても誰も読まないだろうからブコメに対応していく形で書いていく。
○単純労働力不足を受刑者で穴埋めすれば良いと学んだ自民党政府は、それなら受刑者を増やせば良いと考えそうなんだよな、軽犯罪者も反自民党も強制労働へw自民党は無能な上に元々ソ連的な全体主義目指してるしねw
○元記事にはこうある。
「受刑者を加工場に派遣して作業させる予定だ。仮釈放の決定など一定の要件を満たしている受刑者は、刑務官らの同行なしに刑事施設外の民間事業所に通勤して作業に従事することができる。」
これは外部通勤作業(刑事収容施設法96条)と言われるもので、刑務官の付き添い(監視)なしに刑務所外で受刑者が仕事を行うと言うものだ。
受刑者の健全な社会復帰のためには、刑務所の中だけではなく可能な限り社会に近い環境も重要だからある制度だが、令和4年度の対象者は全国で4人だけだ。刑務官の付き添いなしに外部に出して良いと判断される受刑者がそこまで多くないのだろう。仮に対象受刑者を10倍にしてもブコメにあるような「単純労働力の穴埋め」のタシになんてなりやしない。
○また、対象受刑者がいたとしても、受刑中の人を受け入れてくれる企業だってほとんどない。企業が良いといっても一緒に働く人が嫌がることが多い。
○余談だが、外部通勤作業ではないが、平成30年には塀のない刑務作業実施場所である松山刑務所大井造船作業場から脱獄事件が発生している。こういった現場に出る受刑者は相当に選別されているはずだが、それでもこのような事件が起きているのでリスクを嫌う刑務所側が急激に対象受刑者を増やすことはまず考えられない。
○不正競争防止法にならんのか??
○「移民は低賃金労働を助長する」って移民に反対する人がいるがこれそれどころの話じゃないよね。最低賃金も社会保険料も無視の労働価格破壊だよ。
○懲役受刑者に強制労働させることは現行法上予定されている。まぁそもそも「懲らしめ」「役務」だしね。(刑法12条2項「所定の作業を行わせる」)
ちなみに令和7年から懲役刑が徐々になくなり拘禁刑という刑罰に替わり、仕事を行わせることは義務的なものではなくなる。(既に刑法は改正済み)
○この件に限ったものではなく、法務省では受刑者に行わせる仕事の募集を常時行っている(https://www.moj.go.jp/KYOUSEI/KEIMUSAGYO/bosyu)。少なくとも今回の件で特別に何か制度的な変更があるわけではく、価格破壊や利益誘導というものではないだろう。
○技能実習生の代わりが見つかったぞおおおお!数年後には、農場でレタスを収穫したり、ホテルでベッドメイクしてたりしてそう。
○実際に刑務所内でベッドメイクの技術を教える訓練がある(https://www.yomiuri.co.jp/topics/20210401-OYT8T50093/)。仮に外部での実習先が見つかったら、社会復帰に繋がるということで法務省も(刑事政策の学者のマジョリティも)かなり嬉しいのではないかな。
○ 日本で監獄ビジネスをやるのか?米国はその反省から万引き程度では捕まらないという無法状態になったんだよな。日本人は弾圧されてもおとなしいからえぐいことになりそう
○アメリカで問題になっとるやつじゃないか。こりゃそのうち刑務所民営化とかやり始めるぞ
○アメリカは刑務所を民営化し受刑者を働かせて儲けるという金持ちのスキームが大流行しましたわ。中心人物はジョー・バイデン
○アメリカみたいになってきた。微罪逮捕の受刑者がパソナの運営する民営刑務所で働く未来が見える。
○刑務所の運営には当然税金がつぎ込まれてるので、特殊な補助金を特殊な環境で運営してるともいえる。アメリカだと刑務作業が産業化してるらしく変な後追いはやめて欲しいのだが。
○既に日本でも、アメリカやヨーロッパの取り組みを参考にして半官半民の刑務所がある。出来たのは平成19-20年頃で、日本に4ヵ所ある「社会復帰促進センター」というのがそれだ。
○出来た当初、主に左翼系の学者や共産党からは正にこのブコメのような批判があったが、実情をみてみよう。
○平成19年頃の刑事施設の収容者数は8万人を越えており、現在は4.5万人を下回っていることから、この指摘は全くの的外れだったといって良いだろう。
○まあシャバと完全に同じ仕事をさせるのは社会復帰のためには実際いいことなんだが、労働市場より安く使おうという魂胆は許せないので事業者間でオークションさせて労働市場との差額を国庫に納めさせてほしい。
○刑務作業を依頼する際の労賃は国庫に帰属される。オークションというが、そもそもオークションをするほど発注がないのが実情だ。(嘘だと思うなら上述の法務省のサイトで電話をかけてみると良い。歓迎してくれるはずだ。)
○労賃が安いのになぜ人気がないのか。端的に言うと品質が低く、納期が遅い上に柔軟性もないからだ。受刑者は刑期も能力も様々で品質が一定ではなく、また必要に応じて採用したり残業したりということもないので非常に硬直した契約となる。したがって永きにわたって刑務所に発注をしている企業は法務省から表彰されたりする。
○そもそも被収容者にかかるコストは、研究者にもよるがだいたい一人あたり一年で500-600万円程度だ。(法務省予算のうち、矯正関係予算2400億円を被収容者数で割り戻した数字(https://www.moj.go.jp/kaikei/bunsho/kaikei02_00117.html))
ここから更に警察や検察、裁判所や保護観察所に要するコストを考えれば大赤字にしかなりようがなく、受刑者の労働力をあてにしたり、国庫や経済にインパクトを与えるなんてのは不可能だ。(二度と犯罪を犯さないのが一番国庫へのインパクトが大きい)
○受刑者の報酬が最低賃金を余裕で割っていて、出所後の生活や被害者への補償に支障をきたすことは意外と知られていない。一般労働者や作業所の賃金はについては議論されるのに。
○このあたり、受刑者へのお金はそもそも法的に報酬ではないという法的な立て付けは置いておいたとして、研究者ではもっと手厚くとする人が多いが社会的に受け入れられないだろうとする人もまた多いところだ。
○なんでホタテにはそんなに手厚いの?ホタテ屋ってすでに大儲けしてて別に困窮してるわけでもないだろ。有り余ったゼニで議員を抱き込んでるのか?
○なんでホタテにだけこんな手厚いんでしょうな。
○ホタテに手厚いかどうかは知らないが、各刑務所では地場の企業に、刑務作業として発注してもらえるものがないか日々営業に回っている。その一つにホタテ工場が入ったとしても手厚いとは言えないのでは。
○受刑者にとっても塀の外に出る機会があることはいいことじゃないの?はてブには政府の行うことには何がなんでも反対な人が多いけど受刑者が塀の外=社会に触れる機会が増えることは更生に役立つと思う。賛成だ。
○いや、選挙対策のネタレベルだろう。今ある工場に労働力出しても生産能力が爆上がりする訳ではない。来年に向けては生産を控えるしかないだろうし。
○おそらく法務農水両省の狙いはこの両者だろう。法務省側は塀の外での作業を受け入れてくれる事業者をつねづね探している、農水省は今回の件で政府として何らかのアクションを起こさなければならない、程度ではないだろうか。(その政治的な意味合いとか宣伝の必要性はよく分からんが)
ほほほ本当でござるか~~~~~拙者のような底辺キモータでいいんでござるか~~~~。
拙はテレビアニメの歴史には全く詳しくないのでござるが、昔のアキハバラが映るとなんとなくデ・ジ・キャラットなんかを思い出しちゃったりするでござるよ。
さてさてこの懐かしいアスペクト比、ぶっちゃけもう今の若い子は「懐かしい」とさえ思わないんでござるな。
「知らない」のでござるよ。
これがいつ頃から始まったのか、大雑把に言えば『デジタル放送に合わせて』でござる。
細かい部分はアニメに詳しいオタクが教えてくれるでござろうから、シロートである拙者に言えるのは「WIKIで日本の地上デジタルテレビ放送でググれ」ぐらいでござるな。
日本の地上デジタルテレビ放送(にほんのちじょうデジタルテレビほうそう)とは、日本における放送局により行われる地上(陸上)のデジタル方式テレビ放送である。2003年(平成15年)12月1日の正午に導入が開始され、2011年(平成23年)7月24日の正午にアナログからの完全移行(アナログ放送の終了)[注 1]となった。略称は、「地デジ」。
2000年(平成12年)12月1日より、BSデジタル放送が開始され、2003年(平成15年)12月1日11時より、3大都市圏である東京・大阪および名古屋のNHK3局、民放16社から地上デジタル放送が開始された。残る43道府県でも段階的に放送が開始され、2006年(平成18年)12月1日には全ての県庁所在地および近接する市町村で放送が開始された。これらのことから、12月1日はデジタル放送の日とされた。
つまり、物心ついたのが2011年以降の子供は4:3の画面なんなんて知らないので御座るよ。
昔のアニメのビデオなんかとして残ってるのかも知れないでござるが、それがテレビで放送されていた時代のほうは「物心つく前」なんでござるな少なくとも。
大雑把に言えば今の小中学生ぐらいでござるな。
いやーびっくりでござるよ。
しかしてこのアニメのオタクはテンプレオタクファッションは着るくせに「ござる」と言わないでござるな。
じゃあ俺もやめるか。
しかしあれだな、主人公が「タイムリープするのは選ばれし人間だけで凡人がするものではない」という感性をもっているのも令和風だな。
カマトトぶって「え?そもそも何が起きたの?」からスタートなんてしない。
社長の声がテンプレキモータで「あっ、これぐらいのステレオタイプは令和でもゆるされるでござるか」となる。
ラノベやVに追われるエロゲ業界というイメージはまあ確かにって感じ。というより1人でつよつよ出来る人はエロゲ業界なんて岩の下日陰通りダンゴムシ横丁なんてスルーして表舞台で売ってるから才能が流出しとんのよな。
パープル?って実在するの?あっググったら実在した。あれ?結構でかいなこの会社。あれ?俺なにしに来たんだマジで。
もう書くのやめるか。
ちな説明するが俺はエロゲ全盛期が終わった頃、大体シュタゲがアニメ化されたぐらいでエロゲからは抜けたぜ。
逆にこのアニメにふさわし気がしてきた。
書くの続けるか。
俺がエロゲから離れたのも「え?大作が見たいなら全年齢の方が強いじゃん。じゃあもう抜きゲーでいいじゃん?でも抜きゲーもわざわざクリックカチカチするのだるいじゃん?」だしな。
セックスシーンが物語の中で重要な意味を持っている文学的な作品なんて結局ほとんど生まれず、義務的なセックスシーンを描くか、義務的な物語を描くか、そうしてどっちつかずな何かだらけになっちまった。
というには拙者エロゲ知らなすぎるでござるのに口が勝手に動いたでござるよ。
誰彼100円!
自分でも知ってるあの時代の伝説のライター達が今やってるのがプリコネ、レドバン、FGOとソシャゲばかりなのはマジで時代なんでござるなあ。
フルプラの10倍の値段払ってガチャ回すんだからそりゃソシャゲが強いでござるな。
対魔忍のサ終とかちょっと話題になったしアイギスも10周年、そう考えるとエロソシャゲもまあまあ元気はあるっぽいが、表のソシャゲと比べると弱いんだよなあ。
いや古いってほどじゃね―んだけど、露骨に緩急つけてくるからすげー高低差見えるっつ―の?
「20年か25年かぐらいでもいざ意識しだすとスゲー昔に感じるよな」を演出してきてる?
いやそれならバチリコ刺さってるわ。
はぁ~~~声優の起用一つでもこういうこと狙えんのね。
1話目に20分かけて面白いもん仕込んでくるなあ。
まあ、俺は続き見るけど見る気のない人に薦めようって気はしないな。
面白そうと思った人間以外が見て楽しめるものがある感じではないだろ。
気になった奴は見たほうが良いけど、気になってないなら見なくて良い。
まあマジで「このコンセプトでアニメが見たい人が見る」のプラマイゼロなんよな。
俺は気になったから見るけどな。
しかしあれだな書くことがなんというか偏るな。
コノハの好感度をジワ上げしつつ物語の導入してるだけで終わってるから、あえて見てる側が語るほどのことがないというか。
コノハ時代のキャラ付けのコンセプトである「レトロ美少女ゲーヒロインっぽさ」+「今みてもうわッ!キッツ!にならない程度の大人しさ」+「物語を転がす時に適度に摩擦抵抗を持てそうな尖り具合」の掛け合わせが滅茶苦茶無難というかね。
やっぱ作者がエロゲ沢山やってるだけあって最大公約数がどの辺りなのかは外さねえなとは思うんだが、「最大公約数だね」で終わってしまうのはそれはそれで弱点じゃねえのかという気持ちもある。
でもキャラ単体として尖らせすぎると最も出したかったであろう「どことないテンプレ感」がそっちに飲まれるリスクがあるから出来ないんだるな。
まあデザインってのは結局こういうものというか、デザインでやりたいことをまず優先して個性を出すのはそのあとに回すのが正解なんだろうと思うわけよ。
神のみのエルシィは「ファンタジーだと一目で分かるキャラデザが世界の中で浮きやすく、他のヒロインとの集合でみたとき攻略対象とは別枠として映りやすい」を狙っていて、ある意味で逆なんだよな。
露骨なテンプレヒロイン感を意図的に外せる人間は、逆にど真ん中に投げ込もうと思えば投げ込めるっていう。
野球でもなんかあるっぽいんだよな、ど真ん中すぎるとすっぽ抜け感があって逆に打てないみたいな現象。
コノハはそれっていうか……こうヒロインとして扱いにくさがあるとういか……つまりはヒロインでありながら主人公としてデザインできてるんだよ。
だからこう「エロゲヒロインに対して向けるような品定めの目で見ないで済む」っていうかさ。
うん。これを少しでも脱臭して言うためにここまで長々と書いたけど結局コレなんだな。・
それが中心に1話が進むから「ちゃんと出来てるね」で1話が終わっちゃう。
良くも悪くも。
まあこれはひょっとして「まだOPの部分なんですよ~~~」が伏線な感じ?
期待していい?
迷惑?
子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である、共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対に負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人の意思や願望でもうけるもの」から、個人、および共同体の持続性に必要不可欠なものと位置付け、税のように広く必ず「共同体で負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由と人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育ての負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率が改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。
【出生率低下の原因】
・現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人の意思でコントロールできるようになった)。
→出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業の労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊、堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフの関係だった。
→しかし現在の日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった
→子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。
・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由は経済や環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供の位置付けが生産材→消費財へ)
・原因は子作りや結婚の経済や環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。
→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから、個人の裁量の対象になり、個人の志向
に依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまったから)
・理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的に存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。
・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分の時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。
・先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性の育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児の負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担の問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要。
・個人が自分にとって最適な行動(コストや負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する
・過去と比べた場合の出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済や環境で諦める対象になった。子作りにおける世代間扶助より自己実現を優先)経済や環境は原因ではなく結果。
・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる
・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己の利益を犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。
・社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている
・教育費が高い問題→子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。
・負担を回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いかに負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理、摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする
・子作りは楽ではなく、元々大変なもの→問題なく少子化が解決できる「魔法の聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。
・移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人の少子化問題は解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成が移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。
・少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。
・出生の機序と誤解
→子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。
・そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供は本能や希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれた子供に愛情が芽生えるのであって、愛情が最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。
・労働ややりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命の大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしまう
・子作りは生物学的原理なのに、個人の価値観の対象としてとらえらてしまっている。→生物は自己の価値観に合致しているから子供を作るわけではなく、あくまで本能。人間は生物額的本能が退化してしまった可能性がある。
・共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人の利益と相反)共同体というプールがあるから、人間が存在できる。一代(今の自分自身)の人間の利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間は少子化によりどんどん存在できなくなる。
・選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス」江戸時代の農村は結婚相手が限られていた
・「出生率向上の目標」は子育て環境の満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力は出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率の数字向上を重要視する(少子化は感情やモラルや倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)
・子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。
・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化のデメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化は時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。
→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境を改善しよう」と雀の涙の給付と無責任な念仏を唱えるだけ
・子作りは自由だから逆に責任が生まれ、責任回避の動機から減ってしまう。
子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単。動物の繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会で性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率が改善しにくい原因は子育て世代の人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現や生活水準を我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要。
・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代間扶助」)の重要性を教え、その価値観を社会と共有する
→親や先祖による世代間扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由や人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。
→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から、社会的に共同体にとって「絶対に必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。
→子作りを義務的に考えれば、必然的に教育競争は弱まる。現在は自由意志だから結婚も子育ても競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。
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・社会的に解決困難な課題、個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担を社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代も事実上、ルールとして意識されていた。
①ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代の希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚し子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。
(個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からのセオリー、例えば税金は貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)
子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康に問題がある人は除く)
・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーションや環境に左右されてて必要な出生率を確保できない)
(政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物に共通する、共同体が持続するための『世代間扶助の原則(負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)
・個人の「幸福の手段」の一つとして子作りを位置付けるから、幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福の手段という位置付けだから、基本「勝手に自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人の存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ、政府も会社も社会も負担を受け入れて協力的になるはず。
②有利不利で動機付ける
・実質的な「子なし税」の導入
人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得の10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担の原則からいっても、共同体の構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある
・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定)
一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。
財源節約には、最初の動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。
良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先の労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。
・誰でも使える認可保育園や学童保育の24時間営業(バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)
繰り返すが、人権や個人の自由などを一部、我慢して、仮に自身の環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人も少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。