2023-12-24

なぜエンジニアは「浅い」記事しか書かないのか?

浅薄記事ばかり書くな

タイトルや以下における「エンジニア」とはソフトウェアエンジニア的なものを指すとする。

この時期に各種アドベントカレンダーで見かけるような、あるいは平時でもはてブの「テクノロジー」タブに上がってくるような記事は魂に訴えかけるものが皆無な浅い記事ばかりだ。マネジメントがどうのだとか、○○プログラミング言語で△△してみましただとか、無味乾燥なこと甚だしい。それはなぜかというと、そうした記述はいわば児戯を一生懸命やっているだけであって、社会世界のことをなんら考慮しておらずなんの影響も与えることができないものからだ。

そうした浅い記事が生まれ理由について考察してみた。

理由1: 採用転職ゼロサムゲームの1つのギミックから

求職側において、個人ブログ等で発信することでポートフォリオ代わりになり、転職活動に有利になるというインセンティブがある。求人から見ると、自社ドメイン技術ブログ等で発信することで採用市場におけるプレゼンスを高めたいという動機がある。この双方向の動きにおいては、情報を多く出したもん勝ちであるため、浅い記事が量産されるというわけだ。

求職者は人材会社陰謀に嵌められて義務的情報発信させられていることも多く、被害者だとも言える。しかし、求人側がこの動きに加担するのは非道徳的であるたか採用のために競合と人間認知許容量を巡るゼロサムゲームを繰り広げて貴重な人類知的エネルギーを浪費しているのは端的に反社売国奴である

理由2: ブルシットジョブから

IT業界は、火のない所に無理やり火をつけてからなるべく複雑な消火のソリューションをなるべく高値提供するというブルシットジョブの宝庫である。何社もの企業キラキラ業界ヅラして犇めいている分野においても、冷静に見るとその分野自体社会不要(それどころか有害であるということはよくある。自分が携わっている分野においては正常性バイアスでそう感じないかもしれないが、他分野を見たときには同じように感じる方は多いだろう。

そもそもがブルシットジョブなのだから、それについて何をどう語ったところで本質的伽藍堂なのである

理由3: 記号接地していないか

AI身体性を持たないため、記号記号としてしか処理できず、現実実体が持つ意味と結びつけられないという記号接地問題課題となっていた。特にサーバーレス環境において、エンジニアAIと同様な状況に陥っている。コードを書いてCDデプロイしてクラウドで動かすという開発のサイクルは現実物体との関わりがなく、自分の行いが現実においてどういう意味なすかという意識希薄になるからだ。そのような状況では空論を弄ぶことしかできなくなるのは当然の帰結だ。

記号接地問題解決する側にいるはずのエンジニア自身が同じ問題に囚われるとは、なんたる痛快事であろうか。

理由4: 馬鹿から

エンジニアというのは誰でもできる職業なのに高給取りだというイメージが付いており、思考停止しているくせに一発逆転を狙う馬鹿を呼び寄せている。

また、仕事それ自体によって、あるいは仕事で金を稼ぐことによって自己実現をしようと企むナイーブ価値観蔓延している。もともと馬鹿ならそのままぬくぬく馬鹿のまま育つし、大学一般教養を学び大学院でコンピュータサイエンスを学んだような本来は"頭の良い"人までそうした朱の馬鹿共に交わってより赤き馬鹿に成り下がってしま環境なのだ

まり、端的に馬鹿からそもそも浅い思考・浅い言論しかできないのだ。

  • 他の業界の勉強会も、しょうもない体験談とか、読んだ論文を雑に纏めたのを発表しているだけなんやでという話。

  • 自分はゴミみたいな大量の情報をパラパラ読んで手がかりを見つけるのが得意だから浅い情報でも溢れている方が良いと思うなあ。 記事には筆者も意図してないような痕跡残ってる事が...

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