実在する人間を推しと呼ぶ界隈にいるんだけどオタクが事あるごとに「推しててよかった」とポストしてる。
この言葉にすごく違和感があって、見かけるたびに良し悪し(利害や損得)で推しているのか?「推さなきゃよかった」もあるのか?と思っている。
義務的なものを感じてしまうのが違和感の原因だと思う。これを「推しを好きになってよかった」「推しと出会えてよかった」と置き換えると気持ち悪さを感じないので動詞としての「推す」のせいなんだろうけど、「推しててよかった」は今挙げた置き換えた言葉と同じ意味なんだろうか?
書いてて思ったけど、推しを推してない人へのマウントのようにも捉えられる気がする。推しが誉れ高いことを誇りに思ったり嬉しくなったりする気持ちもあまり分からないので、これとも繋がっているかもしれない。
なんやかんや辛かったことがあったというか、努力があったからやろ。 Mr,SASUKEが、SASUKEやってて良かったって言いだすようなもん。 本質的に他人任せの趣味だとしてもね。
スパチャするのが苦しい時期もあったんじゃね
はぁー、単に「推し(を好きになっ)てて良かった」の短縮形だと思っとけばいいだろ 言葉が簡潔になったことで生まれるネガティブニュアンスなんていちいち誰もが精査してないっての
そりゃ「推す」っていうのはむしろ「萌え」や「尊い」よりも利害や損得が絡む言葉じゃん。 「今後の活躍に期待して今はまだ未熟なタレントを応援・支援する」みたいな意味合いがあ...
なるほどな。 私は「自分が好きになって一方的に存在にありがたさを感じて勝手に金を払っている相手」を推しとして認識しているけど、「今後の活躍に期待して今は未熟なタレントを...