はてなキーワード: 棄教とは
イスラム教は棄教が認められていませんがこれは信教の自由に反していませんか? なぜなら信者に子供ができた場合その子供は物心もつかないうちに生まれた瞬間から拒否権もなく信者にさせられるからです。そして物心ついて改宗したくなったりしても、棄教は死刑ですのでここ日本であって少なくとも迫害の対象にはなると思います。ここに事実上の信教の自由の侵害が生じていると感じます。どうなんでしょうか?普通に人権問題だと思うんですが。
質問としてはなぜこのように信教の自由に対して教義が必然的にもたらす構造上の問題を抱えたイスラム教を日本が許可してるのかということです。政治家や裁判所の人たちがこの問題に気づいてないからですか?それともこの程度の議論はとっくに知っている上で(それどころか典型的な周回遅れの素人の発想?)なんらかの正当化が可能なので看過しているのですか?
https://anond.hatelabo.jp/20231224205347
宗教と科学が対立するものとして所与のように扱われているが、実態は異なる。人類の長い歴史のほとんどの期間において、宗教は真理を追究するという目的のため、教育や研究を提供する場として存在してきた。中世では科学の最先端はイスラム科学であり、ヨーロッパで近代科学の誕生のきっかけとなるルネサンス運動が起きたのは、十字軍がそれを中東から持ち帰った結果である。
歴史的経緯はさておき、近代に科学的手法が発見されて以降、宗教が科学に負けつつあると考える人は多い。真理の追求という意味ではそうかもしれないが、それは宗教の一つの側面にすぎない。宗教の影響力が決定的に弱まっているのは、科学のせいではなく、ナショナリズム信仰のせいである。
ナショナリズムはあまりに成功しすぎたせいで、最早それを疑問視する人間はほとんどいないが、ナショナリズムほど宗教臭いイデオロギーは存在しない。生まれた時から勝手に入信させられ、"税金"の名のもとに資産を収奪される。改宗することでしか棄教できないが、大抵の"国"では入信のハードルが異常に高く設定されており、容易に棄教することはできない。幼少期から学校教育により、"国語"/"歴史"/"道徳"などの授業を通じて義務的な洗脳を施され、"国"が決めた正しい言語、言葉遣いを強制させられる。憲法というドグマとそれに基づいたおびただしい数の法令が日常生活において恣意的に適用されるが、その内容全てを理解しているものはいない。それらを破ると投獄されたり、罰金を払わされたり、社会的に制裁されたりする。信徒によっては"国"の方針に盲目的に追従したり、逆にその行動を批判することこそあれ、アイデンティティの核として"国民"であることそれ自体を疑問に思うことはない。
宗教は、心の拠り所としてだけでなく、出自の異なる人々をまとめあげる共同体として、また教会を通じて様々な福祉を提供する役割を持っていた。"国"はそれらの機能や権力を宗教から取り上げ、政教分離の名のもとに精神的領域へと押しやった。
私は統一教会2世として生まれて、成人してから徐々に信仰が薄らいでいまでは信仰は無い。死ぬほど貧乏だったり精神病んだりで色々とツラい思いもした。
だから統一教会とも関わりたくないしたくさん愚痴を言う場所もほしい。
でも、反カルトにも近づきたくない。反カルトの核心に近づけば近づくほど、統一教会信者を暴力的に拉致し監禁してきた「拉致監禁ビジネス」と縁のない者の割合は薄れていく。いまテレビで活躍している弁護士だってかなり怪しい。下の資料は「青春を返せ訴訟」(統一教会を霊感商法関連で訴えた有名な裁判)で原告側代理人だった伊藤弁護士の証言だ。彼が統一教会の信者側に立って証言するのはあまりにも不利益が大きい。それゆえに真実性がある。本当にあの弁護士たちは大丈夫なのか??
http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-112.html
相手がいくらカルトであろうと、信者を路上で10人がかりとかで無理やり車に連れ込み、窓やドアも全て南京錠をかけて部屋に閉じ込めて何ヶ月も時には十年以上も監禁するのは、人権侵害以外の何物でもない。
この拉致監禁を直接に実行するのは親族だから、反カルトは「家族との話し合い」などと言うが、近い知り合いに被害者が複数いて内情をよく知っている自分としては、こんなもんは「話し合い」ではなく「拉致監禁強制棄教」としか言いようがない。反カルトの例外的な逸脱でもなく、これが常態化していた。だから、近い知り合いに被害者が複数いるのだ。被害者は数千人に及ぶはずだ。ツイッターでも拉致監禁経験者(統一教会を脱会したから統一教会にも批判的だが拉致監禁にも反対している人達)は探せばいる。
いま話題になっている統一教会関連の学術書を書いている人だって、著書の中で拉致監禁に関与した人物を「脱会カウンセリング」の専門家として紹介している。アカデミアの腐敗もいいところだ。
どうせこの機会に統一教会の闇はたくさん暴かれるからそれはそれでいいのだが、反カルトの闇は放置されるのだろう。
こんな状況じゃ信仰を棄てた2世としては誰も頼れない。正義の味方のふりをしている社会が憎い。
追記1
これは統一教会側の人のブログ記事ではあるけれど裁判資料に基づいているので無視もできない内容。統一教会研究第一人者の櫻井義秀は、「拉致監禁強制棄教」経験者を「自発的脱会者」としてカウントしているという告発。事実なら研究不正。統一教会も関わりたくないが反カルトの欺瞞はもっと気持ち悪い。
http://suotani.com/archives/2198
追記2
拉致監禁されて脱会した人の中には監禁の時のトラウマでずっとPTSDで苦しむ人もたくさんいる。監禁中に脱会説得者(牧師であることが多い)にレイプされたケースもある。餓死寸前に追い込まれた人もいる。自殺した人もいる。人権侵害のてんこ盛りみたいなものだぞ。これじゃどっちがカルトなのかわからない。
例えばオウムの様に公安の監視対象にしたり、暴力団の様に関わる事自体を違法化したりって事が可能なんだろうか?
国民の間で統一教会はヤバいから排除しようって合意が作れたら、合法的に特定の宗教団体を国内から排除する事は可能なのかな?
具体的には統一教会関係者や信者は棄教しない限り国外退去、応じない場合は刑務所や入管みたいなとこに放り込む事って感じ。
流石に強制的な排除は人権侵害だからアウト? 信教の自由に引っかかっちゃう?
強制排除が難しいのだとしたら可能なラインってどこらへんまで?
統一教会がヤベー集団ってのは散々言われてるけど、実際のところどこまで対処可能なのかよく分からんのよね。
俺は国外退去とかは流石に難しそうだし、多額の寄付については行政の審査を義務づけるとかそういう感じになるのかなぁと思ってる。
福岡で司祭をやっていたが宗教弾圧で長崎に逃れ、1年後に病死。享年43
弾圧から逃げながら各地を流浪し20年間布教活動したが捕縛され、「穴吊るしの刑」で逆さに吊るされ4日目に死亡。享年65
弾圧から逃れマカオへ移住し以降は平和に暮らし15年後に死去。享年60
・千々石ミゲル ←墓の奴
皆と共に神学を学ぶも奴隷制に疑問を持ち棄教、キリストアンチと信者両方に命を狙われる。享年64
時の大名、宗教洗脳が儲かるけど仏教はもう既得権益があって新規参入が難しいのでキリスト教に目をつける
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大名に自分も棄教したいと相談され、キリスト教はゴミカス人身売買組織だからそうしろと発言 一緒に宗教弾圧
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長年の布教で藩はキリスト教に感化された者が大量におり反発が多く、大名は信仰を続けることにしてミゲル追放
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伝承ではミゲルの墓は「憎い大名を睨みつけられるように大名の土地を向いて建てられた」
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民主主義国家とは国の代表と違う考え方や意見を表明したり、彼ら彼女らを批判したりしても処罰を受けることのない国家だと思う。
日本では首相や政府の考えに反対する意見を表明しても逮捕されたり投獄されたりしない。
それが普通の世界で考えれば、個人のプーチンに対する意見を言い、それが言えないなら社会的抹殺もまあ、あるかもしれない。
仕事を奪うと脅して棄教を迫っている感じがして、それはそれで民主主義としてどうなの?とちょっと思うところはあるけれど。
国家主席の批判をすると本人の投獄は当たり前。最悪一族もろとも処刑じゃないの?
そういう国の人に自国批判しろってのは正直、なんという世間知らずだろうと呆れたよ。
そこでロシアを支持するというのはロシア在住の家族を守るためというのも十分あり得ると思うんだが、それとも、選手の家族の命を危険にさらしてまでプーチン批判の絵を欲しいのか?
玉袋ゆたかくんみたいな陽気なドスケベ創作活動してるんだったら、同じく男の娘Vという「かわいいけどチンチンあるのが魅力の属性です」とう存在のチンチンについての言及するのは別に変じゃないよな。
言及先のVとか先生の口調とかが軽くググっても出なかったから確認できなかったけど、よっぽど口汚くなければ問題ないと思うわ。若干のセクハラ性はあっても、多数派な男オタクやVtuberオタク倫理観では許容されうる。
大手の絵描きが大手Vtuberのエロ絵とか、そうじゃなくともお色気絵描いて、V側もファンアートありがと~ってなってるのと同じ。そしてそういうのが描かれたくないVはやめてねと明言するのがこの業界だと普通。
つまり、この「男の娘Vへのエロ言及はよくない」とたしなめてきた玉袋側のファンというのがフェミ的な繊細感性を持つ人で面倒くさいし、そしてそれに対して「説教うるせぇ~無視しよ」でいいのに真面目に考えてダメージを負ってしまっちゃったのが残念ポイントだな。
エロオタク倫理観ではOKだけど、フェミ倫理観ではNGな振る舞いをして、板挟みになってフェミ倫理観に殉じたんやね。
年明けのある日に面識のない男の娘Vtuberが気になったのかなんなのかしらないけど
それまで過激ツイフェミ活動をしていたから、ドスケベ性的消費活動に移ってもフェミ的なファンが付きやすかったし、前見たときは本人も「自分は過去のフェミニズム的な正しさを捨てる気はない」みたいな立場だったぽいし、フェミ的な説教にマジで反省しちゃうんだろうね。
いっぺん戒律の厳しい生き方を選ぶと、そこから俗化しようとしても過去の繋がりや過去の自分の思想から責められやすくなるので、還俗は難しいんすねえ。
普通の宗教ならはっちり抜けますって宣言すればまだいいけど、フェミニズムは明確な線引きが無くて一般道徳と地続きなぶん特に難しそう。元フェミが棄教して還俗したと思ったら、俗人を通り越して右翼修行になっちゃうとかもあるもんな。