はてなキーワード: 戦後日本とは
予断を持たずに事件に取り組み、判決などで具体的な理由を示すにあたっては、最終審としての説明責任を果たす内容になるよう、力を尽くしたい。最高裁には多様な紛争についての不服が申し立てられ、どの事件も最終的な決着が求められている。社会的に影響の大きな事件も少なくなく、責任の重さを日々痛感している。
広い視野の下で、公正な判断を行うことが期待されていると感じる。その期待に応えるためには、判断の内容を説得力ある分かりやすいものにすることが大切である。また、裁判所の存在が国民に身近なものとなるよう、情報発信や手続きの工夫などといった面にも一層留意する必要がある。
地裁や高裁で勤務した時代、3人の裁判官の間でさまざまな議論を重ね、充実した判断につながったと感じられた事件は、著名かどうかを問わず長く記憶に残っている。最高裁においても同じだろうと思う。
任命権限に関わる事柄であり意見は差し控えたいが、現在、バックグラウンドの異なる同僚裁判官とさまざまな角度から率直な意見交換ができる環境にあり、日々の仕事にとって大きな意義があると感じている。
裁判の中で憲法判断を示す立場にあり、お答えは差し控えたいが、憲法は、我が国における「法の支配」の基盤となるものであり、普段からそのありように国民の目が注がれていることは、大切なことであると考える。
前項と同じ。
これまでに関与した定数訴訟についての私の意見は、大法廷判決の中で示してきたところであり、これからも個々の事件の判断の中で示していきたい。
注:16年参院選の「1票の格差」を合憲とする多数意見(17年9月)
法的判断が司法に求められている大きな問題の一つであるが、今後訴訟が最高裁に係属する可能性があるので、意見は差し控えたい。
国民の皆さんの理解と協力に支えられて、制度が定着しつつあることを、刑事裁判に携わってきた者としてうれしく思っている。大改革であり長期的なものさしで改善を図っていくべき課題もなお残っているが、刑事裁判が、「開かれた司法」の方向に大きく変わったことは確かである。
誤判を防ぐためには、一つ一つの事件において、当事者が適切な訴訟活動を行い、裁判官が曇りなき目で判断を下すことが、何より重要である。制度や運用の改善点については、法曹三者の間で、実情をもとにして、率直で冷静な検討を深めることが欠かせない。
国民の間で議論を深めていくべき重要なテーマであると思っているが、具体的事件に関与する立場にあるので、立法論に関わるご質問についてはお答えは差し控えたい。
重大な刑事事件は裁判員裁判によって審理されており、今回の新制度の運用については、裁判員裁判の証拠調べにおいてどのような評価が示されるかが、重要なポイントになると思う。裁判員裁判と同様に、長期的なものさしで検討すべき問題であると考える。
さまざまな課題を抱えていることは認識している。法曹養成制度も教育制度の一つであり、時間をかけて行うべき人づくりの土台だといえる。長期的なゴールを見定めて、じっくり検討していく姿勢も大事だと思う。
国際的な経済活動が原因となった訴訟はこれからますます増加すると思う。裁判官は、紛争の背景にある実情も視野に入れた上で、判断を下すことが求められる。そのためには、研修、人的交流などの機会も一層充実させる必要がある。
「開かれた司法」を推進していく上で、テクノロジーの活用は重要な柱の一つだと考える。それだけに、単に「便利かどうか」というのにとどまらず、司法へのアクセスや裁判手続きの将来のあり方も念頭に置いた上で、総合的に電子化などの改革を進めていく姿勢が大切だと考える。
個人的には、今年は名演と観客席の熱気が一体となったライブに出会う機会が多く、終演後はその場の一員であった幸福感を味わえた(例えば、ロシアの劇作家チェーホフの「ワーニャ伯父さん」)。
「尊敬」という意味とは少し違うように思うが、強さ、弱さを含めて、人間的魅力に富んだ人物として、最近興味があるのは、森鷗外。趣味はコンサート、観劇。好きな言葉はゲーテの「人間は努力する限り迷うものだ」。
千葉聡の「歌うカタツムリ」。身近な生物を手のひらの上に乗せながら、生物進化に関するダーウィン以降の研究の歴史が物語られており、科学読み物として非常に新鮮だった。
約40年間、弁護士の活動から培った経験や市民感覚を踏まえ、弁護士出身の裁判官であることの自覚と誇りを持って、正義と公平にかない、かつ、健全な社会常識にかなう法律の解釈・適用に努めていきたいと考えております。最高裁裁判官に就任して約1年3カ月経過しました。最終審としての判断の重さを更に自覚し、一つ一つの事件に謙虚に向き合い、よりよい判断・解決のため、誠実に職責を果たしていく覚悟です。
裁判所に対して、一つ一つの事件について、迅速かつ適正妥当な判断を期待していると思います。最高裁判所としては、主な事件の判決などについて、ホームページなどでも公表していますし、法廷の傍聴人の方々にも事件の争点など概要がわかるような工夫を積極的に進めています。
個別事件の判決の中で示した意見のとおりであり、これを離れてお答えするのは控えさせていただきます。
いずれの質問についても、憲法で定められている任命権者が判断する事柄ですので、お答えするのは控えさせていただきます。
憲法の改正は、国会の発議により国民投票を経て行われるもので、主権者としての国民が判断される事柄であり、各国民が真剣に考え議論すべきものと思います。
国家存立の基盤である国の安全保障政策については、各国民が自分の問題として真剣に考えるべき事柄であり、司法の立場にある者として、個人的意見は控えさせていただきます。
注:16年参院選の「1票の格差」を合憲とする多数意見(17年9月)
裁判所は、どのような訴訟においても、法にのっとり公平かつ適正妥当な判断をしていかなければならないものと考えております。
裁判員制度はおおむね順調に運営されてきていると思いますが、問題点もご指摘のとおりあります。更なる審理の工夫や制度の広報に努める必要があると考えております。
誤判は絶対にあってはならないものです。刑事事件の事実認定においては、思い込みを排し、様々な視点から十分に証拠を吟味することが大事です。刑事司法に携わるすべての者が、誤判防止に向けて、それぞれの立場で誠実に職務を行わなければなりません。
死刑制度の存廃や終身刑の創設などは、最終的に国民の意見により決められるべき立法の課題であり、司法の立場からの意見は控えさせていただきます。とはいえ、死刑は究極の刑罰であり、その適用は極めて慎重に行われるべきものと考えております。
新制度は、捜査・公判が取り調べ及び供述調書に過度に依存している状況にあるとの指摘を受けて立法化されたものであり、これにより、刑事手続きにおける証拠収集方法の適正化及び多様化がされ、公判審理の更なる充実が期待されます。
具体的な政策についての発言は控えさせていただきますが、法科大学院で5年間教壇に立った者として、法曹養成の理想に向けて開校した有力な法科大学院で募集停止が相次ぐこととなり、残念でなりません。社会の様々な分野で法律家が活動することは、法の支配する公正な社会を実現するために必要であり、大変意味のあることだと思います。わが国社会の今後の発展を支える有為な人材として質の高い法律家をいかに計画的に養成するかという観点で検討されることを望みます。
国際取引事件、家事渉外事件をはじめとする国際的紛争事件に十分対応できるよう、裁判所における人材の育成が求められるものと考えております。
裁判手続きのIT化のあり方としては、裁判手続きの利用者の利便性の向上だけでなく、本人訴訟への対応を含む関係者の手続き保障、情報セキュリティー、事務の合理化を含めた費用対効果などの諸般の事情に配慮しつつ、裁判手続きにとって真に望ましい姿を探る必要があります。
趣味は、歌舞伎鑑賞です。尊敬する人物は自分を育ててくれた両親で、感謝と尊敬をしています。好きな言葉には「道を伝えて、己を伝えず」という言葉があります。日本の幕末から明治にかけての動乱期に、キリスト教の伝道を行った宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズの生き方を表現した言葉です。私はキリスト教の信徒ではありませんが、ウィリアムズは、幾多の困難に全身全霊で立ち向かいながら人々の心を一つにまとめ、教会や学校・病院を造り、社会や世界を動かしました。そのような信仰の姿こそが、「『道を伝え』ることではないか」と思われます。そして「己を伝えず」。真の意味はいまだ計り知れないものの、「自分の考えを相手に独善的に押しつけようとしない」とか、「自分の名誉や欲望のためにけっして人を利用しない」と解釈されています。事実、ウィリアムズは一介の宣教師に過ぎない自分の名が記憶されることを徹底して拒み、日記や手紙の多くを燃やしまでしたとも言われています。
当事者の主張に耳を傾け、証拠に基づいて、中立・公平で公正な判断をすることが必要だと考えています。最高裁として判断すべき事件数の多さと事件の多様さに直面して、最高裁判事の使命の重大さを改めて痛感しています。
詰まるところ、中立・公平で公正な裁判を迅速に行うことが求められているのだと思います。結論に至る過程をできるだけ分かりやすく示すことも大切だと考えております。また、裁判所としては、情報発信をさらに進めていくことが望まれるように思います。
就任直後に関与したGPS捜査に関する大法廷判決が、刑事手続き法に関する近年の最も重要な判決の一つであるだけに強く印象に残っています。
注:令状のない全地球測位システム(GPS)捜査は違法とした大法廷判決(17年3月)
任命権者が判断すべき事項ですので、回答は差し控えさせていただきたいと思います。
憲法改正の是非などは国民が判断し、決めるべきことで、憲法を尊重し擁護する義務を負う立場にある者としては、回答を差し控えさせていただきたいと思います。
前項と同様の理由により、回答は差し控えさせていただきたいと思います。
私の考えは、当審に係属した具体的な事件について判断する中で示すべきものと考えております。
注:16年参院選の「1票の格差」を合憲とする多数意見(17年9月)
今後当審にも関係する事件が係属する可能性がありますので、回答は差し控えさせていただきたいと思います。
全体的に見れば、課題はあるものの、うまくいっているのではないかと考えておりますが、制度の運用上、裁判員の負担軽減に配慮することが必要だと思います。
判断の誤りを避けるため、様々な観点から証拠評価をしっかりと行い、手続きを適正に運用することが重要だと思います。
死刑の存廃などについては国民的な議論が大切だと思います。一般論としての回答は差し控えさせていただきます。
法改正に向けた法制審の審議には私も参加いたしました。改正法は現状を改善する方向に向けた重要な一歩だと考えております。今後、関係者がそれを適切に運用していくことが大切です。
私は最高裁判事就任前には法曹養成教育の一端に携わっており、様々な課題があることを痛感しておりました。関係者の地道な努力が実を結ぶことを願うばかりです。
裁判を行うという点では変わりがないと思いますが、両当事者の主張・立証をしっかりと踏まえた適切な判断を可能な限り迅速に行うことが大切だと思います。
課題は多いとは思いますが、利用者の利便性向上の観点から、手続きの電子化の導入に向けた検討が行われてよいと思います。
人生はうれしいこと、腹立たしいことの連続ですが、法科大学院教授時代の教え子から司法試験合格の報告が届いたことは最近うれしく感じたことの一つです。
趣味はウォーキングと読書(乱読です)。いままでに大変多くの人と出会い、その出会いを大切にするようにして参りました。特定した「尊敬する人物」の名前を挙げるのは難しいように思います。好きな言葉、座右の銘というほどのものはありませんが、研究者のときには、どのように小さなものを執筆する場合であっても、常に「全力投球」を心がけておりました。
多分野の書物を乱読するのが趣味ですので、特定の書名をあげることは難しいように思います。小説でいえば、人の生き方を描いたものに感動したり、歴史的な事件を題材にしたものをとくに面白いと感じたりしています。
誠実と共感を信条とし、意識的に多数の観点から見ることを心がけてきました。更に広い視野から見直しながら、バランスのとれた適正な判断ができるよう努めたいと考えます。個別事件の問題と法解釈の問題、更には社会的影響や将来にわたる問題などが混在している事件に接するとき、頭を悩ませることが多いです。
迅速さを含めた質の高い判断が期待されていると考えます。常に社会の進歩・変革に即していくとともに、安定感のある判断が求められているのではないでしょうか。最高裁においても、分かりやすい判決に留意したいと考えます。
外国人の親と子どもの退去強制処分事件、フィリピン人母の子どもたちの国籍事件、台湾ハンセン病訴訟、様々な会社更生事件など、多数の事件が心に残っております。子どもの人権や自立性の確保が難しい事件、あるいは、多数の人々の利害の調整が難しい事件が一番記憶に残るように思います。
憲法改正については、議論のもと、各国民が決めることであり、その解釈適用に当たっている裁判官が発言すべきではないと考えます。
憲法9条については、国民一人一人が考えていく問題であり、裁判官が一般的意見を述べるべきではないと考えます。
注:16年参院選の「1票の格差」を合憲とする多数意見(17年9月)
具体的事件にかかわる点については、意見を控えさせていただきます。ただ、一般論として言えば、裁判所は、法令に照らして厳密に検討しているものと考えます。
裁判員制度については、全体としては順調に進んでいると思います。ただ、迅速さを含めた適正な刑事司法の理想に向けて、一層の工夫や研究が欠かせないと考えます。
誤判はあってはならないことです。それを防ぐには、各裁判官が、客観的証拠を重視するという裁判の基本を再確認しながら、多面的に考え抜くことが重要と思います。
死刑制度の存廃などは、国民の意見により決められるべき立法の問題と考えます。
刑事司法改革関連法の影響などについては、最高裁判事として意見を言う立場にはありませんが、今後各制度の趣旨に沿った運用が積み重ねられていくものと考えております。
司法、ひいては法曹界は、専ら人によって支えられていますので、志の高い誠実な法曹候補者が増えていくことを願っております。
国をまたぐ争いであっても、スピード・費用・公正さに着目されるのは変わりません。また、裁判官が広い視野を持ち、必要な場合には専門家の助力も得られるよう、工夫を継続することが重要と考えます。
司法手続きにおける国民の負担をできる限り減らしていくことが重要です。電子手続きの活用も、そのメリット、デメリット双方を検討しながら、適する分野につき進展していくのではと期待しております。
うれしかったのは、この数年、何人もの日本人科学者がノーベル賞を受賞したこと。夢をかきたてられました。
好きな言葉は、誠実と共感です。裁判、特に民事裁判は、命令や説得ではなく、心を開いて話し合い、それぞれの立場や考えを共有することが重要と考えております。
趣味は、読書、特にSFと経済関係です。SFでは、J・G・バラード、スタニスワフ・レム、レイ・ブラッドベリなどが好きです。SFは、思考や感性の幅を広げてくれるものと思います。次いで、音楽鑑賞(シャンソン、カンツォーネなど)。元々天文学者志望だったので、星を見て宇宙について思いをはせることも好きです。
22日投開票の衆院選と同時に実施される最高裁裁判官の国民審査に向け、朝日新聞社を含む報道各社は、審査対象の裁判官7人に共通アンケートを行いました。質問と回答の全文は次の通りです(文意を損なわない範囲で、表現の一部を変えています)。
質問と回答が分かれていて読みづらいので整形した。
参考:国民審査 | 衆議院選挙2017 - Yahoo!みんなの政治
常に中立公正であること。法と良心に従い、幅広い視野から事件に取り組み、考え方の筋道がよく分かる判断をするように努めたい。
適正迅速で分かりやすい裁判をすること。利害や見解の対立する事柄について、証拠と法に基づき筋道立てて判断を示す裁判の役割への期待に応えることが大切だと考えている。
これ一つと挙げることは難しい。医療事件は、事実認定、法律判断、科学的知見の理解、当事者の心情などについて考えを巡らせることが多く、深く記憶に残るものが少なくない。
国のかたちを定める憲法の改正については、国民的な議論を経て国民が判断することであるので、回答は差し控えたい。
具体的な事件を離れて、憲法条項の在り方について見解を述べることは差し控えたい。
議員定数訴訟の判決の中で示した意見のとおりである。具体的な事件を離れて見解を述べることは差し控えたい。
注:14年衆院選の「1票の格差」を違憲状態とする多数意見(15年11月)
具体的な事件を離れて見解を述べること、個別事件に対する見解を述べることは差し控えたい。
裁判員制度は、課題はあるが、おおむね順調に運営されていると考えている。司法の国民的基盤に関わる極めて重要な制度であるので、課題については実証的な検討を重ね、中長期的な構想をもって粘り強く対応していくことが大切だと考えている。
司法制度改革以降、刑事司法は大きく改善されてきたと思う。事実認定については、常に謙虚さと恐れをもって取り組み、誤りのないよう様々な角度から慎重に証拠を吟味することが大切であると考えている。
究極の刑罰である死刑については、様々な意見や議論があるところであり、格別の検討が必要であると考えているが、具体的な事件を離れて見解を述べることは差し控えたい。
かねてよりの懸案事項が立法化されたものであり、刑事司法の適正化などが更に促進されることを期待している。
具体的な政策についての見解を述べることは控えたいが、幅広い素養を備えた法律家が養成され、司法制度を支え、更に様々な分野で活躍することを期待している。
国際取引事件、家事渉外事件をはじめとする国際的紛争事件に円滑に対応するためには、手続き的整備のほか、裁判所における人材の育成、専門集中部などの処理態勢の整備を図ることが重要であると考えている。
裁判も一種の情報処理作用であるから、情報処理革命の外にいられない。法的手当て、関係者の発想転換などが必要になるが、情報伝達、情報の整理検索などの切り口から従来方法の思い切った見直しを図ることにより、アクセス、迅速性などが大きく変化するであろう。
若いスポーツ選手、棋士たちが伸び伸びと活躍していることを頼もしく、うれしく思う。理不尽な事柄に対しては、感情によるより、事実を見つめて捉えるようにしている。
好きなことは、読書、速歩による散歩、総菜作りなど。好きな言葉は「初心忘るべからず」。市井に生きた両親への感謝と尊敬の念を忘れることはない。
コリン・パウエル氏の「マイ・アメリカン・ジャーニー」。パウエル氏の軌跡からアメリカの社会構造を興味深く感じ取ることができた。
当事者に主張立証を尽くす機会が与えられ、裁判所が適正で公平な審理判断をしたかという観点から原審までの手続き・判断を先入観なく審査したい。上告理由など該当性の判断と結果の妥当性とのバランスや従前の判例との整合性など、上告審、法律審としての判断の在り方に難しさを感じている。
納得性の高い審理に基づき、分かりやすい理由を示した適正で迅速な裁判が行われ、その内容が社会一般の正義の観念にも合致するものであること。傍聴して内容を理解できる分かりやすい審理・判断をすることが重要であり、最高裁で行われ始めた判決理由要旨の告知などもよいことだと思う。
任命後半年余りに過ぎず、無我夢中で事件に取り組んできたというのが正直なところであり、まだ記憶に残る事件を申し上げられるだけの経験がない。
最高裁判事の任命の在り方などについては、最高裁判事の任命権が属する内閣において検討される事柄であるので、お答えは差し控えたい。
憲法改正は、国会による発議と国民投票によるものであり、司法権に属する立場から個人的な意見を述べることは差し控えたい。
諸情勢が変化する中で憲法9条を巡り様々な議論があることは承知しているが、司法権に属する立場から個人的な意見を述べることは差し控えたい。
具体的な事件の中で判断を示すべき事柄であるので、回答は差し控えたい。
注:16年参院選の「1票の格差」を合憲とする多数意見(17年9月)
高度な科学技術を用いたシステムの効用とリスクや社会的許容性の的確な判断は困難だが、中立公平な姿勢で双方の意見に耳を傾け、多角的な判断をするよう心掛けたい。
長期化は証人らの記憶の減退、被告人の身柄拘束の長期化などの弊害を招く。法曹三者が具体的な長期化要因を分析・共有し、改善策を協議することが重要。辞退率上昇の原因は様々だと思うが、法曹三者は、審理期間、審理・判断の難易度、心理的負担感等、裁判員の負担感を軽減するための努力が重要。
誤判はあってはならず、裁判官は、虚心に被告人の弁解や証拠を精査し、わずかな疑問点でも納得するまで解明する姿勢を堅持しなければと自戒している。
死刑制度の存廃は国民の間で様々な観点から議論されるべき問題であり、司法権に属する立場から個人的な意見を述べることは差し控えたい。
新制度の下で得られる証拠が事案の解明に効果的であればあるほど、証拠としての適格性や信用性の判断も一層慎重に行わなければならないと考えている。
法科大学院の教育の更なる充実を図るとともに、プロフェッションとしての法曹の価値に対する社会の評価を高め、需要の裾野を広げることも重要。
国際感覚を身に付け、事案に応じて外国の法制度、文化、生活様式、価値観などを適切に考慮した判断を行うことのできる裁判官の育成が求められる。
電子手続きは、裁判所へのアクセス負担を軽減する等の効用が期待できるが、当面はコストに見合う利用と効果が期待できる分野から始めるのが現実的。
うれしかったことは、1968年メキシコ五輪の年に100mで10秒の壁が破られてから49年後に日本人も10秒の壁を破ったこと。体格差を考えると偉業。腹立たしく感じたことは、歩きスマホ、自転車スマホの人とぶつかりそうになった時。本人も危ないが、相手に負わせるかもしれない被害を想像してほしいと思う。
鉄道趣味全般。古い車両に乗るのが楽しい。健康維持で始めたウォーキングは10年になり、街歩き、街道歩き(ゴールは遠い)も楽しんでいる。小学校から高校時代の恩師の中には人間形成面で重要な影響を与えてくださった方がおられ、折に触れて思い出し、感謝の気持ちを新たにしている。好きな言葉、座右の銘は、「一隅を照らす」。どんな仕事でも受けた以上責任を持って行わなければならないという戒めとして。「一度に一つずつ」(One thing at a time)。トム・クランシーの小説の中で主人公が緊迫した状況で出る言葉で、仕事が交錯して煮詰まった時の呪文として。
少し前に読んだものであるが、鎌田浩毅著「地球の歴史(上)(中)(下)」(中公新書)。地球46億年の歴史がコンパクトに記述され、億年単位の長いスパンの地球の活動の前では人類は微小な存在であることが素人にもよく分かる。
「立憲民主党の枝野さんの演説を聞いてきたので全文を書き起こす」
https://anond.hatelabo.jp/20171014230038
を書いたものです。
違う党の人の話も聞きたいという子供の要望もあり、またそうやって違う立場の話を聞いて自分なりに考えたほうが教育的にもよかろうと思ったので、
同様に、演説の全文を書き起こしてみたので、ご参考まで。なお、純粋な応援演説部分は省略してあります(ここにいるだれだれに一票を、みたいな部分)。
みなさんこんにちは。雨のなかこうやって足を止めていただいて誠にありがとうございます。
さあみなさん、いま総選挙がはじまって間もなく終わろうとしている。
あれなんだっけ、なんでこの選挙はじまったんだっけ、みんな忘れてますよねえ。
北朝鮮情勢?だってこんな情勢のときにそもそも選挙やるのかよ。みなさんそう思ったに違いありません。
いつミサイルが発射されるかわからないような状況において、この選挙、この判断、大丈夫なものかと私も思いますよ。
そして二つ目。再来年行われる、この消費税の増税、8から10%に引き上げる。
ここまでは、まあ決まっていたかというか、これまでの流れでそうなっている。
しかし今回の総選挙というのは、その使い道をみなさんに聞いてみたいと言われる。
何か後付けのような理由、あとづけとしか思えないような解散総選挙。
きっとそのことを追求されるのがいやなために冒頭解散という手を使ったのではないか、わたくしそう思うんですけど、みなさんいかがでしょうか。
わたくし、みなさまがたの一票一票で都庁に押し上げていただいた、
情報公開することによって70万件にもおよびます公のお金、みなさんのお金、
その使い道がどうであったか。
個人情報を除いては徹底して公開するという方向にもう変えたんですよ。
これがわたくしが都知事になって新たにできた条例でございます。
そして見える化することによって政治に緊張感を、行政に緊張感を、そして何よりも
無駄遣いを防いでいくと、このようなことをしている。
しかしながら今はあの森友加計問題ひとつとってみても、隠そう隠そうという政府では
ございませんか。
そして情報公開を徹底することこそ、これからの社会保障、お金がかかるばかりでございます。
そのことを皆様方のご納得がいかないと、これから負担をただただお金の負担をお願いするばかりでは、
あまりにも政治の役目がおろそかになってしまうではありませんか。
みなさんいかがでしょうか。
みなさん、さらには8から10にあげる。子供さんの授業料の無償化、それも結構でありましょう。
しかし私はここで一旦立ち止まって考えましょうと申し上げているのは、
2020年オリンピック、パラリンピック。今準備をしております。
できるだけコストを削減して、かつ、宴が終わった後の建物が廃墟にならないで、
むしろ稼ぎ頭になるようなそんな方向性で、民間の力を入れてコンセッション方式というのを
だからこういう形で2020年、その前に2019年W杯もございます。
そのために今回みなさんお選びいただいた都民ファーストの議員。
この3人の都民ファーストの議員が第一党の責任を持って、このたび
議員条例を議員提案による条例を成立させたのをご存知でしょうか。
知らない、知らない。これは子供さんに対する受動喫煙を防止する条例でございます。
まさしくこどもファーストの条例が議員の提案によってできたこれがまさしく
都議会が変わったという一番わかりやすい例だと思いますが、みなさん
いかがでしょうか。
成果、まず一つできあがりました。
みごとに反対されました。
こどもファーストよりも業界ファースト、利益団体誘導ファースト。
その成果が現れるのが今回の総選挙といっても過言ではございません。
ということで今回の総選挙よろしくね。
これでどうやって改革ができるんですか。
これでどうやってしがらみから脱却ができるんですか。
これから真の改革をすべきところ、ずーっと既得利益の団体のいうことばっかり聞いていたら。
どうなるんですかみなさん。
あのかなり有名な企業が、どんどんいいところばっかり売りに出されてしまっている。
このような状態で、日本の稼ぎ頭はいったいどこに行ってしまうのでありましょうか。
しがらみを超えて、そしてまさしくあの森友問題で、ネガティブな印象がついてしまった
あの特区こそ、東京は成長戦略としてもっともっと活用していきたい。
わたくしがキャスターをやっておりましたころは、日経平均バブルといえども4万円でしたよ。
最近株価も上がってアベノミクスも上々だね、とんでもありません。
世界の株式はとっくに上昇をきわめていて、たった一つ取り残されていたのは東京で、
その間、値ごろ感が出たので、このところ選挙もあってGPIFもきっと活躍をしてこの株価が上がっていると
言ってみんな思っていることでございましょう。
さあみなさん、こうしてしがらみがあるとなかなか動かない。
ぬるま湯のなかの茹でガエルになるのか、
成長戦略をこの東京一区からつくっていくのか、その選択だとわたくしは
そしてわたくし、成長戦略のいちばん大きな部分を担っているのは女性だと思います。
今回、わたくしども希望の党の女性候補者比率、20%であります。
スキルを持った女性、弁護士資格を持った女性、医師の資格を持った女性、これまで子育てで
さまざまな苦労を重ねてきた女性、いろいろな女性の方々が手をあげてくださいました。
候補者になってくださいました。
宝くじは買わなければ当たらないといつも申し上げてきた。
ぜひとも女性候補勝たせていただきたい。そして女性の声をぜひとも国会へとお届けいただきたい。
ちなみに自民党の女性候補比率は8%という、そういう数字でございます。
あれは地球温暖化対策、そしてエネルギー対策、そしてまたもちろんCO2対策とか
いろいろございますけれども、まずはみなさんのマインドセット、意識から変えた。なぜか。
地球温暖化防止、CO2、省エネ、いろいろございますけれども、一番わかりやすい例は
夏なのに冷房が効きすぎているなかで、ひざ掛けをして、カーディガンをはおって、女性たちは
ずーっと寒い寒い事務所のなかで仕事をしていたんですよ。それで体調を崩す人だっていたことでありましょう。
わたくしは、男性のスーツに合わせたオフィスの環境は女性には不適当であったと、
社会保障、2020年オリンピックパラリンピックの話まではいたしました。
その後の5年、2025年にはこの日本の姿勢を一生懸命つくった団塊の世代のみなさんが、
元気な高齢者が多いことはたいへんよろこばしいですが、
じゃあ子供さんにこんどは使うんですよといいながら、
これから今度は足りませんので12%、いや15%20%と
ただただ何も無駄を切り詰めることなく政治家も身を切る改革をすることもなく、
ただ、たらずまいを増税に求めるのでは政治の知恵もなにもあったもんじゃないじゃないですか。
みなさんいかがですか。
いや社会が社会保障制度に体を合わせてきたといっても過言ではない。
みてみましょう。
子育てしてるあいだに自分の帰る場所がなくなっちゃったのよね、という
だからこそわたくしは、いま待機児童対策を都知事としてまっさきに取り組んで、
1万6千人分増やしたところでございます。
その分、待機児童が減った分、働くお母さんが増えたという話。
いま人手不足だといわれている。
つまり高度成長を支えてきたのは、女性は家で家内として子育て、
そして親の面倒を見ている、その分103万円の壁、130万円の壁があって
それを体に合わせてきて、その分、配偶者控除があったり、
それに体をあわせて仕事をしてきたんですよ。
103万円に合わせていたら途中で仕事をパートを辞めちゃわないといけない。
重箱の中の話にすぎないんですよ。
これだけ女性を家庭に縛り付けていながらも、少子化が進んでいることが
おかしいではないですかみなさん、女性のみなさんいかがお考えでしょうか。
変えていきましょうよ。しがらみなく変えていきましょうよ。
このことを申し上げているわけでございます。
過去の延長線だけではもうやっていけません。
日本を大きく変えていく、
いまの安倍政治に任せておくと、このままだらだらと続いていって、
気がついたときには遅いんですみなさん。
守るべきは守る。
どうぞみなさん、心意気と政策、しっかり理解をいただいて、わたしたちに希望、
そしてみなさんの希望、ぜひかなえてまいりましょう。
単なる無知なネトウヨの寝言だが、一つ思うのは、戦後日本における朝鮮文化のローカル化(日本の朝鮮化)かなと。
(6)無気力化
等々
教育とマスコミをコリアンの人に握られて徹底的に洗脳されたのですでに日本人の血肉になっている。
Wikipediaで一番更新のあるのは、他の国では政治分野だが、日本の場合、アニメのような話を聞いた記憶もある。
多分、日本は李氏朝鮮化(某所では東朝鮮と言われているが)したから、支える側が苦しい。
結局、「いかにおいしいところを持っていくか」「良いポジションを取るか」という話になり、「誰にババを引かせるか」という話になる。
人を助けたり、真面目にやると損なので誰も真面目にやらなくなる。
お母さんの言うことは当たり前だと思うよ
そしてあなたの言うことも当たり前
自分も明治生まれの親戚に子供の頃よく朝鮮人は大嫌いと悪口言われた
その親戚は大好きだったけどその言葉だけは子供ながら許せなかった
ところが彼らについての信頼ある書籍のいくつかを勉強して、彼らが何をしてきたか、なぜ戦後隠され続けてきたのかその意味を知った。
だからあなたもえたと言われる人たちの真実を書いた書物を自分の力で探して勉強すると良いよ。
何でも相手の言うことを徹底的に理解してみてから反論しようよ。
「差別」はいけない。だけれど、戦後日本はこの差別を利用して日本人のお金を吸い上げて日本国民を裏で支配し続けている人が現実にいることを知った方が良いよ。
日本の戦争が、実はまったくの自衛のための正義の戦争で、南北戦争でアジアの植民地主義に出遅れた出遅れたアメリカのルーズベルトらが画策した戦争を、アメリカは人類史に残る歴史のすり替えを行ったと言う事実が厳然とあることに気づくよ。
戦後日本の経済を牽引したのは「とにかく奴隷を低賃金で雇って、物を作りまくって売れば勝てる」というスキームだった。これは「とにかくガムシャラに働く」という昭和の価値観そのもので、何しろ頭脳労働でなく、体を動かせばいいだけだった労働者たちはとにかく働いた。昭和の労働者たちは、家族のために、未来のために、バカ丸出しの精神論を振りかざしてガムシャラに働いたんだ。しかしそれはうまくいった。考えてこのやり方を選んだのか、それともただ“今まで通り”やっていただけなのか。このやり方というのは「欲しがりません勝つまでは」という戦時体制をそっくりそのまま引き継いだだけだった。しかし偶然にしろ何にしろ、これがその時代の勝ちパターンだったので、うまくいったんだ。日本は高度経済成長を迎えた。そしてこの黄金の勝ちパターンに乗っかって世界を席巻した最も代表的な企業といえばTOYOTAだろう。自動車産業はずっと日本の花形だった。今までは。
今、2017年になってまで、ほとんど同じやり方しかできない日本に本当にヤバさを感じる。製造業からサービス業に至るまで、戦時体制をそのまま引き継いだかのような奴隷労働の名残りが未だに色濃く残っている。いわゆるブラック企業だ。“それしか知らない”んだ。日本人はそれしかできない。
もはや物を作って売れば良い時代は終わった。より品質の良い“物”を、より安い値段で大量に売ればよかった時代は、終わった。ではこれから先「価値」となるものとは一体何だろうか。
一つ例を挙げよう。今、googleなど世界有数の企業が自動運転カーの開発をしている。自動で動く車は世界を変えるだろう。都市計画を丸ごとひっくり返し、遊びから仕事まで個々人の生活スタイルに重大な変革をもたらす。電話の登場のように、ラジオの登場のように、スマートフォンの登場のように。自動運転カーは世界を変えるだろう。
これから先、人類の間で求められる「価値」とはこのようなものだ。物を情報化できれば、今まで以上に圧倒的な活用ができる。ここにはまだまだ開拓の余地がある。ほとんど全てのものはインターネットに接続させることができる(が、まだされていない)。ここに伸びしろがある。付加価値を与える余地がある。機械学習が有効な分野であれば、それによって大変な革新が得られるかも知れない。ただ物を作って売れば良い時代は終わった。しかしただネットに繋げば良いというわけでもない。物を“どのように”情報化できるか、だ。或いは有形物でなくとも、コミュニケーションや、異性との出会いや、他人からの承認など、元々無形物であるものを、どのように高度に情報化し活用できるか、だと思う。これから先、求められる価値とはこのようなものだ。
TOYOTAは車を作れる。しかしその車に(これからの時代それが当然になるであろう“自動運転”という)付加価値を加えることは、できない。これが先進国であった日本の象徴的かつ決定的な終わりとなるだろう。
ブラック企業の組織構造・組織体質は「ただ物を作れば良かった時代」には最適なものだった。憎まれようが嫌われようが、昭和の時代にはあれが最適解だった、という事実は認めなければならない。しかしこれからの時代はそうではない、ということだ。俺は日本人をとりわけ優秀だとも無能だとも思わない。問題は組織の体質、社会の構造にある。これを変えるのにあと何十年かかるだろうか。それまでに一体、どれほど落ちぶれるだろうか。
自分の今過ごしている世界に気に入らないことがあったからってさあ
一足飛びになんとかしようとして
とか大声で叫んだって薔薇の花嫁とエンゲージしてるわけでもないんだから何も起こらないんだよなあ
いやあれもよくわからん大して力のあるわけでもない単なる片手剣が出てくるだけで特に世界が革命はされてなかったけど。なんかあれはおっさん的にはやる気が可視化されたものと今になっては思ってるんだけど。心のちんこというか。
そう革命だとかいうけど革命はまず自分の気に入らないことが改善されるか考える必要がある
革命起こしていろいろぶっ壊したら同胞がめっちゃ死んだりなんか殺す羽目になって今度はぶっ壊される羽目になるとか笑えない
ええっと仮に戦後日本に限ろうか
武力革命は成功したものがないけど、現行の国のシステムにのっとった政権交代は何度か成功してる。自民党があんまりひどいことになると他の党がトップをとる。
でさ、なんか成功した?
ぶっ壊すのは良いよ。気に入らないことがあったんだろ。そのあとつくるものが丸投げでぶっ壊された奴任せってほんとマジでふざけんなよと思うよ。チャンス全く生かせてないじゃん。だったらぶっ壊すなよ。ひっくり返した意味ないじゃん。
こういうのが続くと必要な時にぶっ壊せなくなるんだよ。ほんとむかつくわ。
なんのはなしだっけ。そもそもジャンプに文句言った馬鹿の話をしようとしてたんだよ。なんかもうめんどくさくなった。もう生まれてくんなよ人間に。次は魚とかになれよ。性的な悩みはなくなるだろ多分。
今の高校教科書が別に価値中立に書かれているわけではなく、マルクス主義史観全盛の時代の研究をベースとして書かれているということが、
で扱われています。書評 http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/51968564.html、 http://blog.goo.ne.jp/jchz/e/6d0a500cfe4c61cdc6c8334c84ea5bb3 など。
また中国史では東京学派(歴史学研究会)と京都学派の間で時代区分論争があり(谷川道雄編『戦後日本の中国史論争』2001年 河合出版)、日本史でも時代区分についての議論があったようなので(こちらについてはあまり知らない)、そうした議論との距離の取り方も教科書の書き方に影響があるのかもしれません。
参考になれば。
あと出来れば続きを書いてほしい。
まさに、ブルマーについて「なぜそれが使われてきたのか」という研究が出版された。
おそらく制服についてもほぼ同じ論理で読み解けると思うので一読を勧める。
http://www.seikyusha.co.jp/wp/books/isbn978-4-7872-3410-0
女子体操着であるブルマーは、ブルセラブームを契機に批判を受け、1990年代半ば以降に学校現場から急速に姿を消した。消滅の社会的背景はこれまでも断片的には語られてきたが、では、腰に密着して身体の線があらわになる服装が、なぜ60年代に一気に広がり、その後30年間も定着・継続したのだろうか。
地道な資料探索や学校体育団体、企業への聞き取り調査を通して浮かび上がってきたのは、中学校体育連盟の存在だった。そこから、中体連の資金難、企業との提携などのブルマー普及の背景を解き明かす。また、受容の文化的素地として、東京オリンピックの女子体操が与えたインパクト、戦前から続くスカートの下の2枚ばきの伝統などとの関連も検証する。
ブルマーは導入当初から性的なまなざしにさらされてきた。にもかかわらず、学校現場でブルマーが存続してきたのは、ブルマーをはく女子の身体に女子修身教育の幻を見る戦前回帰派と、美と健康を見る戦後民主主義派とが思わぬかたちで共謀していたためではないかと指摘する問題提起の一書。
多くのブコメの指摘に気付かされたが、蓋しこれは日本が太平洋戦争〜終戦を歩んだ道のカリカチュアだ。
たが、森友が戦後を迎え、マトモな(私と同じ)立場に来たという点では心から歓迎するが、一方で失望もした。
それはなぜか。
結局、「戦前」を総括しモダンな人権水準に持っていくために、戦前の思想はほぼ全否定し国際的(西洋的)を移植するという、戦後日本が歩んだ道そのものだったからだろう。
教育勅語を読ませる森友に賛辞を送っていた人たちは、この全否定というプロセスに拒否反応を示していると個人的には思っている。
彼らを私達の仲間に向かい入れるには、新しい戦前の超克の手法が必要なのではないか。
森友があちらの立場にいたからこそ、もっとこう、保守の人をも包含できる、新しい戦前の超克の仕方を期待していたのだ。
今後の森友に期待する。
本来、三大命題の二つ目を書きたかったところだが、こちらの問題を先に論じさせてもらう。
この論考は以下のURLにたいする一人の若者からの反論である。
https://togetter.com/li/1080097
以上の新聞記事で、上野女史は「経済を犠牲にしてでも、平和国家として衰退すればいい」と主張している。
この主張にたいする批判等は、本職の社会学者に任せるとして、ここでは私の純粋なる反感について述べていきたい。
上野女史は無邪気にも、戦後日本を「平和国家」としてとらえている。
この考えはまったくの見識違いといわざるをえない。
そもそも、戦後日本の社会体制は1940年代の「総力戦」体制を「経済最優先」の形として再編したものである。
扶養控除、源泉徴収、終身雇用制、護送船団方式のすべてが元々「戦争を想定して」造られたものだ。
1950~60年代には、「高度経済成長」の美称の裏で、世界でも稀にみる学生運動、市民運動、社会不安が吹き荒れていた。
70~90年代にかけては、家庭や企業に社会体制のガタが入り、人々を「死へと誘う」システムへと変貌していった。
これが少年非行やいじめ、過労死などの狂気的な状況を引き起こした。
戦後日本とは、世界的にも稀にみるただの「ゆたかな社会」である。
まったく「平和」でも「民主的」でも「自由」でもなかった。ただただ「ゆたか」だっただけである。
しかも、「ゆたかな社会」は90年代~2011年にかけて完全に崩壊した。
最後に、原発事故とともに社会の安全神話が吹き飛んでしまった。
この事実について語らない者はすべて、今の時代にたいして不誠実である。
それはギデンズやバウマン、ジョッグ・ヤングなどを見てもらえば分かるが「流動的、効率的」である。
企業におけるセーフティーネットが「生産性や自己実現の神話」の名のもとに縮小され、
政府が担っていた安全保障は「構造改革」の名のもとに縮小され、
監視カメラやSNSの監視なしに、人々は安心して生きることができない。
不誠実な脳科学や認知神経科学、AI研究によって人間という「私」の特権性が失われ、
人々は常に失職と人間的尊厳の消失を心配するようになっている。
そして、このような多様な人々が同じ町で同じように暮らしている。
このように、後期近代社会とは
当たり前だったものがすべて崩れ去り、人間を永遠の虚無へと投げ出すのである。
このような状況では、人々は二つのレベルの不安を抱えることになる。
である。
人生の多くを占める活動である仕事にふさわしい「対価」が支払われなくなってしまった。
一方、ただ一日中、パソコンを見つめて投資とやらというギャンブルをするだけでも「対価」を得られる人々もいる。
「不当な地位にいる!」
「ふさわしい金額、敬意をもらっていない!」
という相対的剥奪感を抱かせる。
また、後期近代の社会はいわゆる「コミュ力」の高い人々が成功する。
軽薄に仕事にたいする敬意なく、強者に追従する人々が「評価」され、グローバルエリートとして出世していく。
そして、仕事に真面目ながらも報われない弱者は常に「自己批判」と「変革」を迫られる。
二極化する現実に人々は「私は人間らしい扱いを受けていない」という存在論的不安を抱かせる。
そして、人々はつねに不平不満をもらすのだ。
「私はこうなれたのに……」
「私もこうしたかった……」
ここでは深く述べないが、この可能性としての私=‹他我›にたいする深い怒りの感情が現代の社会不安の核心にあるように思う。
上野女史は「みんな貧しくなる」ことによって、この怒りを無くせるなんて無邪気にも思っている。しかし、それは不可能である。
この感情こそが永遠の虚無において、私を生きることのできる唯一の鍵だからである。
――常に人々に嫉妬を抱かせながら、その嫉妬を用いて欲望を加速させる。そして、その嫉妬を全身に受ける者は高笑いしつづける。
このような後期近代のグロテスクさに最初に抗議をあげたのが赤木智弘だった。
彼はある論考で「夢は戦争」とドゥルーズ的な集団自殺の理論を主張した。
今や「戦争」こそが「富裕層」を富ませ、「貧困層」を殺すことを知っているからだ。
加藤智大、植松聖などの社会的自殺者は、情報として処理され資本となる。
そして、情報となった「自殺」は「貧困層」による社会転覆の不可能性を解き、
後期近代において、「自殺」こそが「富裕層」へのもっとも積極的な「支援行為」なのだ。
防ぎようのない「天災」によって、
この瞬間を心の底から待ち望む。
109が崩壊し、秋葉原が灰塵に帰し、大手町のサーバーがダウンし
白金の御婦人たちが焼け出され、お台場の子どもたちが押しつぶされるとき、
そのときに来るのが、
東のいう変質したファシズムなのか
知ったことではない。
相対的剥奪感や存在論的不安に晒されることなく嗤いたいのである。
そして、私は嗤いながら確信する。
そろそろ戦後日本からの古い教育システムの体制を革新して、必要な科目、必要ではない科目の取捨選択をして効率的な学習を目指し、国としての教育レベルを底上げしてほしいと思うけど、なにしろ教育のトップが文科省だから。
日本の教育の根幹とか考えない。教育の根幹は家庭からだろ。そういうの指導しろよ。学校はできること限られてるんだよ。家庭と学校の線引きのガイドラインつくれよ。家庭ですべきことを明確にして示唆しろよ。
でもそんなの誰もしない。目先の業績をちょっとあれこれしておしまい。挙句の果てに天下りでニュースっすよ。
やっぱり期待できない。現場の意見くみ上げて学校をよくしようとかしない。社会も変わって家庭の姿も変わってるのに、なにかと上物を取り繕うだけ。
現場の先生の待遇がよくなるわけもない。一番大変なのは先生なのにな。
どうしたらいいのだろう。国の教育予算も下がっていく一方。みんな自分の生活を守るのに精いっぱい。先生の負担は増える一方。
どうしたらいいのだろう。
別に漫画でなくとも創作ならなんでも良いんだけれど、多い。漫画は特に多い気がする。
「結婚」を物語アイテムとする場合、ハーレム系ストーリーなら『結婚=最終回』は良いのだ。
なぜなら『あっちもこっちもとつまみ食いをして幸せだったけど、一人の相手と添い遂げる覚悟をした』ということで結末を迎えるのだから。
でもそれ以外の系統の作品で結婚ゴールをされるとポカーンとしてしまう。
これは少女漫画に多い話、というわけではない。少女漫画は1話で結婚してる場合もあるし有名どころで言えば『いたずらなkiss』なんかは物語中盤で結婚し、そのまま続いていく。
「むかしむかしあるところに可愛らしい子が居ました。やがて成長し、立派になって結婚しました」
っていう終わり方をする話は、ある種の古典と言えるかもしれない。ディズニープリンセスなんかもそうだ。(最近は違ったりする)
だから「結婚」は物語の終焉を指す、という方式が自然と浮かぶのかもしれない。
にしても、WHOの国際基準では高齢者とは65歳以上だ。この高齢者基準も相当古いと思われ、戦後日本の寿命くらいなのでそのうちもっと引き上げられる。
とりあえず平和なとこに暮らしそこそこ健康な人が80歳まで生きるとしよう。
漫画などの結婚年齢が20~30の間だとする(感覚的にはそれが多い。そしてそれもまた最近の感覚だと若い)。
50年以上、その人は生きるのだ。
結婚してゴールしてしまえば物語は終了するのか。いやもっと長く先に物語は伸びているはずだ。
勿論描き方にもよる。身寄りのなく寂しい人が人間的に苦悩し成長し見つけた運命の相手との結婚で終焉。「家族になった」オチ、人間ドラマがあれば良いと思う。
でもバトル漫画の終焉が結婚子供エンドとか、それがまた少年誌だったりしたら、本当にそこが人生の墓場みたいに子供に思わせては居ないだろうか。
多くの週刊漫画家は結婚して頑張って連載続けてるっぽいので、むしろ結婚してからがスタートだ!みたいな人生を過ごしていると思うのだが…そのオチを描いてて違和感はないのだろうか。
少女漫画にもこれは言える。結婚がゴールのような漫画も多くある。でもその主人公が望んでいるのは結婚した未来のはずであり、絶対ゴールでは無いと思うのだ。
いやでも結婚したら描くことないじゃん?って思う人も居るかもしれない。
「メジャーリーグ史において最も重要な40人」はアメリカの著名スポーツメディア「スポーティングニュース」が先日発表して話題となったもの。ソースはこちら。
The 40 most important people in baseball history, ranked | MLB | Sporting News
ここで挙げられている40人について調べてみたんだけど、筆者はMLBにそこまで詳しいわけではないので、何か誤認・誤訳があったらごめんな。
MLB史上最大のスター。驚異的なペースでホームランを放ち、MLBの野球を「ライブボール時代」へと変えた。当時、ブラックソックス事件により信頼を失っていたMLBは、ルースの人気によって復活し、さらにはアメリカ最大のスポーツにまでなった。
近代MLBにおける初の黒人選手。ニグロリーグで活躍した後、1947年にドジャースでMLBデビューして、MLBの「カラーライン」を打ち破った。またMLBの初代新人王でもある。
1920年、ブラックソックス事件の収拾を図るために、強大な権力を有するコミッショナー職が新設され、判事であったランディスが就任した。事件に関わった8人の選手は永久追放とされ、その厳格な対処がMLBの信頼回復に繋がったと考えられている。
1900年にアメリカンリーグを創設し、現在まで続くMLBの2リーグ体制を作り上げた。審判に権力を与え、違反行為に厳しい罰則を課すことで、クリーンなイメージを生むことに成功した。強権的な性格から、のちにランディスと対立して辞任した。
カージナルスやドジャースのGMを歴任し、MLBで初めて選手育成のためのファーム制度を整えた。また、ジャッキー・ロビンソンと契約して、黒人選手がMLBに参加する道筋を作った。
1966年、エコノミストとしての経験を買われてMLB選手会の代表に就任し、最低年俸の増額、選手年金の拡充、そしてFA制度の導入に貢献した。彼の在任期間中に選手の平均年俸は1.9万ドルから32.6万ドルにまで向上した。
スポーツ用品のSpalding社を興し、ナ・リーグ創設にも関わった。初めて野球のルールブックを出版、ボールの標準化に努めるなど、初期のMLBの発展に尽力した。野球選手としても超一流で、通算勝率のMLB最高記録を保持している。
シカゴ・カブス(の前身)の社長であり、1876年のナショナルリーグの創設者の一人である。のちにナ・リーグの第二代会長に就任して公正かつ厳格な運営を行い、MLBの基盤を作り上げた。スポルディングとは盟友だった。
黒人野球チームのスター選手であり、また球団オーナーとしても成功した。彼の呼びかけによって、1920年にニグロリーグが設立された。「ブラックベースボールの父」と呼ばれる。
野球評論家・統計家で、「野球の父」とも呼ばれる。ボックススコアを考案して試合の記録を取り、「打率」などの指標を提唱した。またスポルディングのもとでガイドブックを刊行するなど文筆活動も盛んに行い、野球の普及に多大な貢献をした。
元はブルワーズのオーナー。MLB選手会とオーナーの対立が激化していく中で、1998年(実質的には1992年)に第9代MLBコミッショナーに就任。リーグの再編、収益分配制度の導入、オンライン配信の開始などにより、就任前と比較して5倍以上とも言われる空前の収益をMLBにもたらした。
ドジャースのオーナー。冷徹な経営者であり、1957年に球団をブルックリンからロサンゼルスへ移転させた。それによりアメリカ西海岸における野球ビジネスを開拓し、経済的には大成功を収めたが、ブルックリン住民からは深く恨まれた。
1977年から1988年まで刊行した「Baseball Abstract」を通じてセイバーメトリクスを提唱した。米国野球学会(SABR)のデータと統計の手法を用いて、RCやRFなどの様々な新しい指標を作り出した。
1974年、ドジャースの選手だったトミー・ジョンに、自らが考案した靭帯再建手術を施し、それを成功させた。この手術は「トミー・ジョン手術」として、いまでは広く施術されている。また、1990年には肩再建手術も成功させている。
ブレーブスで活躍し、ベーブ・ルースの記録を超える通算本塁打755本を放った。黒人のアーロンが白人のルースの記録を破ることには反発もあったが、彼はそれを乗り越えた。通算打点2297点は現在でもMLB記録である。
ヤンキースに所属し、当時の記録である2130試合連続出場を達成して「鉄の馬」と呼ばれた。しかし筋萎縮性側索硬化症に苦しみ引退、そして37歳の若さで亡くなった。背番号の「4」はMLBで初めて永久欠番となった。
野球クラブのニッカーボッカーズや全米野球選手協会(NABBP)において、チームの人数や塁間の距離、一試合のイニング数、バウンドルールの撤廃など、基本的なルールの策定に貢献した。遊撃手のポジションの創始者とも言われる。
(野球ルールの策定に関してはアレクサンダー・カートライトの名前がよく挙がるが、現在ではドク・アダムスを評価する声が多いようだ)
ニグロリーグで活躍した後に、MLBで最初の黒人スカウトとなり、最初の黒人コーチとなった。ニグロリーグ野球博物館の設立や、ドキュメンタリーへの出演、多くのインタビューを通して、ニグロリーグへの関心を高めることに尽力した。
MLBにおけるヒスパニック系選手の先駆けであり、中南米出身で初めてMLB殿堂入りした。慈善活動中の飛行機事故により38歳で亡くなり、そのため慈善活動に貢献した選手に贈られる賞にその名が冠されることになった。
肩、肘、膝に関する整形外科医。1985年、ロジャー・クレメンスに施術した関節鏡手術で脚光を浴び、以降もスポーツ医学の権威として数多くの選手の手術を担当している。
「シューレス」の異名で知られるMLB初期の名選手。しかし、MLB最大の八百長事件であるブラックソックス事件に巻き込まれ、MLBから永久追放された。ファンは彼に同情的であり、いまなお悲運の選手として記憶されている。
最多安打4256本や最多出場3562試合などのMLB記録を持つ「安打王」。しかし、引退後の1989年に野球賭博に関わっていたことが発覚し、MLBからは追放された。
走攻守すべてに優れたMLB史上最高のオールラウンダーであり、当時MLBにおいて台頭しつつあった黒人選手の代表格でもあった。オールスター24回出場は最多タイであり、「オールスターはメイズのために作られた」と評された。
1901年にアスレチックスの初代監督に就任すると、それから1950年まで指揮を取り続け、5度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。もちろん監督の就任期間としてはMLB史上最長である。
上院議員、ケンタッキー州知事、そして第二代MLBコミッショナー。ランディスが黒人参加に否定的だったのに対して、チャンドラーは進歩的であり、1947年にドジャースおよびジャッキー・ロビンソンを支持し、その契約を承認した。
連邦最高裁判所の名判事として著名。1922年、球団が選手の移籍を制限できる「保留制度」について、それが反トラスト法に該当しないとの判決を下した。これにより、現在までもMLBは反トラスト法適用免除の特例として扱われている。
1900年にパイレーツのオーナーとなった。その後のナ・リーグとア・リーグの対立を調停し、「ワールドシリーズ」を提唱して1903年の初開催に尽力した。また1909年に、鉄筋コンクリート製の近代的な球場を建設したことでも知られる。
スコットランド出身のビジネスマン。1934年、野球発祥の地であるクーパーズタウン(これはスポルディングが広めたデマであるが)に野球博物館を作ることを思いつき、そのアイディアがアメリカ野球殿堂の元になった。クリーランド自身は野球に全く興味がなかった。
レッドソックスで活躍し、MLB史上最高のバッターの一人とされる。最後の4割打者であり、通算出塁率.482はMLB記録である。1970年に刊行された、自身の打撃理論を記した「The Science of Hitting」は、後の多くの打者に影響を与えた。
大学で統計を学び、1969年にスポーツ百科事典「The Baseball Encyclopedia」を、1974年からは「Sports Encyclopedia: Baseball」を毎年刊行し、高い評価を得た。他にサッカーやバスケットボールの百科事典も編纂している。
ジョン・マグローらと並んでMLB史上最高の名将とされる。ホワイトソックス、アスレチックス、カージナルスの監督を歴任し、ワールドシリーズを3度制した。データを駆使した細かな継投を得意とし、現代的な「クローザー」というポジションの確立に貢献した。
MLBで首位打者を獲得するなど活躍し、引退後は監督となった。1934年に日本の野球チームと対戦したとき、相手チームに「ジャイアンツ」というニックネームを贈った。1949年に訪日した際にはチームを率いて全国巡業を行うなど、戦後日本に野球を広めるのに貢献した。
アストロズのオーナー。1965年、世界初のドーム球場・アストロドームを建設し、さらにドーム球場では天然芝が使えないために、人工芝アストロターフを開発した。人工芝は70年代に流行し、その走りやすさからMLBの野球をスピーディなものに変えた。
MLBのインターネット部門であるMLB Advanced Media社(MLBAM)のCEO。MLB.comを運営し、試合のオンライン配信や、チケットの販売などを開始したことで、巨額の利益を上げている。
1998年のサミー・ソーサとの最多本塁打争いにより、1994年のストライキで低迷したMLBへの注目を取り戻した。最終的に70本塁打を放って当時の新記録を作ったが、2005年頃からステロイドの使用が確実視されるようになり、その名声は失墜した。
1969年、カージナルスに所属していたフラッドはトレードを拒否し、マービン・ミラーと共に「保留条項は反トラスト法違反であり、トレードは無効である」との訴訟を起こした。裁判には敗れたが、この事件をきっかけにFA制度が導入された。
日本での任意引退を経て、1995年にMLBのドジャースと契約した。30年以上前の村上雅則を除けば、MLBで長年に渡って活躍した初めての日本人選手であり、その後も続々とMLBに移籍する日本人選手たちの先駆けとなった。
1977年のワールドシリーズで、当時のMLBコミッショナーだったボウイ・キューンは、女性記者であることを理由にラットクの取材を許可しなかった。彼女は平等な取材を求めて訴訟を起こし、勝利した。これ以降、全てのチームが取材に制限を設けないようになった。
1920年、カージナルスの選手だった彼は、野球用品メーカーとして有名なローリングス社に、グラブの親指と人差指のあいだに「網」を貼るべきだと提案した。これにより現在の形の野球グラブが完成した。
2002年、レッドソックスのGMに史上最年少となる28歳で就任する。2004年のWS優勝で「バンビーノの呪い」を打ち破ると、2012年には新たにカブスの球団社長となり、2016年のWS優勝で「ビリー・ゴートの呪い」までも打ち破ってみせた。
明治天皇、大正天皇、昭和天皇、平成天皇と来たけど、ほとんどはずれのない天皇ってすごくね? 京都御所での天皇Sってそんなに仕事できるイメージないんだけど。公家とかより華族が戦後日本作ったよな?
敗戦責任は公式にはなくても十字架しょったまま長生きしてくれて、上からにしろ人間になって全国行脚した昭和天皇。生きてた時から伝説。
宮中祭祀を完璧こなしながら、災害後復興を各地で祈りまくる平成天皇。国家地鎮を地で行きながら、完璧夫婦、何も知らない偏差値40のJKたちに存在だけでモテるじいちゃん。
まさに二足の草鞋。天皇の仕事を現代風に変えていくという、どう考えても無理ゲ~を、『やりたいことあるなら、仕事完璧にしながら、やる。これ、ジョーシキ』という凡人が鬱になるパターンをしかも55歳から行うという、、、。
ほんと生前退位してください。すみませんでした。安心できる余生になるよう、本気で取り組んでくれだれか。。
てか、仕事厳しいからって部下に当たり散らすやつら、天皇は部下をののしるか? でも天皇のためにきっと命がけで仕事するだろ。お前、命がけで仕事したいと思わせてんのかよ。
英語のアルファベットは簡単な形を26個覚えれば問題なく読めるし書けるのに、日本語は平仮名だけでもまず46ものややこしい形を覚えねばならず、さらに濁音半濁音拗音などいくつ覚えないといけないんだよと切れたくなるくらい覚える事が多い、しかもカタカナまであるのでこれらが倍になる。
それらを覚えても平仮名カタカナだけでは日本語は読めないし、平仮名カタカナだけの文は読みにくいので漢字を覚えなければならない。
漢字の形は死ぬほどややこしく膨大にあり、ほとんどの日本人は全ての漢字を読み書きする事は出来ない。
英語圏に比べて言語の習得に割かねばならない労力と時間が桁違いな上に世界には通用しない。
終戦後日本語を捨てて英語を使おうぜ的な主張があったらしいが、マジでそうしといてくれれば語学の勉強にここまで苦しまなくてすんだし日本人は今より国際社会に出れてたよ。
江戸時代の日本は米・金・銀という三種類の通貨システムを平行して扱っていた。徳川幕府と諸侯領(明治時代以降藩と呼ばれるようになるやつ)が入り乱れた連合国家であった。諸侯領間における政治経済システムの違いは大きかった(要するに戦国の遺風を引きずった藩とそうでない藩があった)。上記のような事情があった結果金融業の発達は著しく、幕末には多くの諸侯がこうした金融業者の支配下に置かれるありさまだった。
などといった問題に対処するために、新貨条例および国立銀行条例が制定した。これらの制度は
というなにがなんだか分からない制度になっていた。しかしこれは当時の国際情勢を考えると仕方がない話で
といった状態で、日本は近代的金融システムを構築するにあたって模範とすべき制度はまだなかった。結果アメリカを真似して兌換券の分権的発行を主軸とする制度が作られた。このため各地に割拠していた金融資本は国立銀行への転換が進んでいった。
しかし殖産興業の進展、西南戦争による莫大な戦費などといった問題に対処するために、不換紙幣の発行を国立銀行に認めるに至った。
結果インフレなど金融システムの混乱が見られたため、ここにアメリカ型分権型金融システムには限界があることが明らかになり、日銀法と旧銀行法が導入されイギリス式の中央銀行制度が導入されることになった。これが 1882 年。
このような経緯があったため、金融資本の再編といった事態にまでは話が進まず、そのまま第一次世界大戦→関東大震災 に突入する。戦争景気による企業の無理な業容拡大と戦後の景気後退に震災によって銀行には不良債権が蓄積された。
上記のように各地に雑多に存在する金融資本は江戸時代のそれを引きずっていたため近代的銀行としては規模が小さく、これによって金融不安が高まり昭和金融恐慌に至った。これが 1927 年(1929 年や 1930 年ではない)。
その状態でさらに 1929 年 10 月 24 日はやってきた。 1930 年にはその影響が日本にも及ぶに至った。
かかる状況の中で昭和二年旧銀行法改正により 1927 年から中小銀行の整理が進められていたが、 1936 年馬場鍈一大蔵大臣により「一県一行主義」が掲げられた。馬場は大蔵大臣としては失格者で財界との対立の結果大蔵大臣から放逐され憤死することになるのだが、翌 1937 年に日中戦争が開戦、日米開戦もほぼ既定路線となるなかで一県一行主義は継続され日米開戦のころには中小銀行の整理は完了した。
こうした集権的かつ計画的な経済運営にあたったのはいわゆる革新官僚たちで、その親玉は吉田茂だった。彼らは社会主義的な経済思想と国家主義的な政治思想を併せ持っており、戦中戦後の日本の内政を主導した。
全然関係ない話だが、社会主義、国家主義、反自由主義という思想セットは革新官僚のリーダーの一人である岸信介の孫の安倍晋三にも受け継がれていることはよく指摘される。
戦後岸が政界に進出したこともあり、結果として一県一行主義体制および統制的な銀行体制はほぼそのまま戦後に引き継がれることになった。もちろん建前上は一県一行主義は廃止され、戦後の資金流通の円滑化のために戦後地銀がいくらか設立されたが大勢に大きな影響をあたえることはなかったのだった。
このような情勢のなかで、戦後日本の金融当局==大蔵省は銀行に対して
を求めて各種の行政指導や各種許認可を縦横にもちいて銀行群をコントロールした。これをいつしか護送船団方式と呼ぶようになっていた。
これは実際うまくいっていた。バブル崩壊までは。バブル崩壊の余波は大きく、護送船団方式では銀行を守り切れないことは明らかになっていた。 1995 年には木津信用組合と兵庫銀行が倒産するに至った。
また長らくの護送船団によって日本の金融システムの陳腐化は著しく国際社会において東京が金融都市としてまったく影響力が無い点も問題とされた。
これらの問題に対処するためとして金融ビッグバンと称し護送船団は解体されてしまった。銀行はここに自由なサービスや投資を行えるようになった。
ところで足元の経済情勢を見るに 1993 年から 1996 年にかけて経済成長率は 2-3% を維持しており、ここに橋本総理大臣はバブル崩壊による不景気は終了したという判断をするに至った。また 1995 年には武村正義大蔵大臣により「財政危機宣言」が出されており財政再建を開始すべきという機運が高まっていた。
そこで橋本内閣は 1997 年、消費税増税などを含んだ超緊縮予算を成立させる。これが大失敗であった。緊縮財政により景気は悪化、金融システム不安は再発し北海道拓殖銀行、山一證券が破綻、翌 98 年には橋本内閣は総辞職、現在まで続く長い長い不景気が始まった。
しかしここに至って護送船団方式の再開は難しく、銀行はノーガードで野に放り出されてしまった。かかる状況のなかでは銀行の経営効率を上昇させるような積極投資は難しいことは明らかで、銀行は合併による規模の拡大によって身を守るという手段をとらざるを得なかった。
結果生まれたのが三大メガバンクである。このような事情によって、消極的な理由で成立した合併であるから当事者たちは乗り気であるはずもなく、旧来の自己の立場の防衛のために果てしない内紛が始まることは、それはもう仕方のないことだったと言えるのではないか。
そのような事情の中で銀行システムの開発にあたる SIer や技術者は内紛の道具の一つとなり疲弊を重ねている。
僕が言いたいことは何か。誰か頭が悪い人が一人いたからこのような状況になっているという訳ではないということ。むしろ一人ひとりができることを着実にやった結果がこうなのだということ。つまり、逆に言えばこの状況を解決する手段など無いということ。みずほの現場で苦しむエンジニアにできることは、逃げることだけだということだ。