多くのブコメの指摘に気付かされたが、蓋しこれは日本が太平洋戦争〜終戦を歩んだ道のカリカチュアだ。
たが、森友が戦後を迎え、マトモな(私と同じ)立場に来たという点では心から歓迎するが、一方で失望もした。
それはなぜか。
結局、「戦前」を総括しモダンな人権水準に持っていくために、戦前の思想はほぼ全否定し国際的(西洋的)を移植するという、戦後日本が歩んだ道そのものだったからだろう。
教育勅語を読ませる森友に賛辞を送っていた人たちは、この全否定というプロセスに拒否反応を示していると個人的には思っている。
彼らを私達の仲間に向かい入れるには、新しい戦前の超克の手法が必要なのではないか。
森友があちらの立場にいたからこそ、もっとこう、保守の人をも包含できる、新しい戦前の超克の仕方を期待していたのだ。
今後の森友に期待する。