はてなキーワード: 脳科学とは
昔、ふかわりょうが当時のおバカ系ギャルタレント相手に「無知は罪です!」って大声で怒鳴っていた。
増田は別にそうとは限らないとは思うものの、彼の言いたいことはわかる。
彼は芸人だからという理由こそあれ、自分とは知識レベルがかけ離れた人間と話すことを強要されていたのだ、そりゃあ辛い。
相手により賢く居ようとする努力を求めたくなるのも無理からんだろう。
幸せであることを罪悪だと断じる者がいるとすれば、その者こそ真の悪ではないだろうか?
好奇心は猫を殺すという。好奇心旺盛な者は死するということで、これは単なる戒めに留まらず、様々な分野の専門家までもが好奇心は生存において不利であると述べている。
わかりやすいもので言えば、災害科学の分野で語られる「(専門家以外は)原因を探ろうとせずとにかく逃げろ」というものなんかがある。こと災害においては知ろうとする姿勢が危険を招くのだ。専門家ですら、きちんと対策が施せない場合には退避を優先するというのに、素人に出来ることなどたかが知れる。その場に立っていられるのは適正に準備を講じた専門家のみなのだ。
また馴染みの浅い分野で言えば、脳科学の見地からも、「情報中毒」なる新語が提唱され始めている。自分がよく知っていることをより深く知りたいという衝動に駆られ、情報化社会である現在はその衝動が容易に達成される。だが、そもそもその事柄の情報は限度がある。
結果、より深く知りたいという欲求が行き着く先は不必要な情報の収集へと向かい、やがて新しいことを学ぶ意欲や機会の喪失に向かう恐れがあるそうな。
つまりシーンを弁えることが肝要なのであり、なんでも知ればいい、知ろうとする姿勢がいいなどというのは、ひどい欺瞞であるのだ。
これはあくまで、好奇心のマイナス面を恣意的に抜き出したものであることには注意が必要だ。
だが私は敢えて問いたい、知ることは本当にプラスであるのか?と!
なぜ二時間前の私は、タイトルすらわからない好きな素人モノが「本当に素人なのか?」などと不要な疑問を抱き、あまつさえシチュエーションを検索し、タイトルを特定し、出演者の詳細までもを確認したのだろうか?
その場に立っていられるのは、適正な準備を講じたプロのみなのだ、わかっていた。わかっていたはずなのに、なぜ裏切られたと感じるのか。
果たしてその拾い物の動画が素人モノという情報以上に有益な情報は得られたか? 否、断じて否!! 素人ではなくプロであるなどと、素人モノにおいては不必要な情報以外の何物でもないのだ。
子供の頃からゲームをやりすぎた影響なのか漫画の読み過ぎだたのか、俺の人生にも2周目3周目があるような気がしてたんだよね。
なんかあっても「まあ次の周回でクリアすればいいや。2回目だし少しはいい感じになるやろ」みたいに考えてしまっていた。
自分が子供の頃にうまくやれてなかったせいで機会損失したものや、今から焦って頑張っても全然間に合わなそうなものがあると「うーん。これはもう一度死んで2周目もう始めるべきか?」みたいに考えることだって多かった。
就活が失敗した頃、本当に俺は「この人生はもう駄目だ。一度死のう。でもその前にちょっとダラダラしていくか」と考えて3年ぐらいニートしていた。
大学中退、3年ニート、7年の空白期間が人生に空いた状態になってからようやくふと気づく。
「あれ?人生って1週しかプレイ出来ない可能性もあるんじゃね?」
理屈はわからないけど死んだら転生してやり直せるとどこかで思っていた。
魂の実在を信じていたわけだ。
頭がファンタジーで埋め尽くされていた俺だったが、ニートをしていた頃にSFにも触れていたおかげで遂に気づいた「意識ってただの電気信号でしかなくて、それを操ってる魂が存在しているというのは脳科学が発展してなかった時代の思い込みじゃね?」ってことに。
どうしたらいいのか分からんがとにかく今からでも働こうとして就活を再開、なんとか正社員に収まって一安心。
そこからしばらく時間が経って、未だに童貞なこと以外は人生なんとか持ち直した気にはなってるんだが時折辛くなる。
特技:なし
友達:なし
転勤平気ですで入社したせいで住所もコロコロ変わり、知り合いと呼べるようなご近所さんも作れないままで生きている。
内蔵や指が全部揃ってることぐらいしか人生に前向きと感じられるものがない。
酒もあんま飲んでないのに健康診断の数値が少しずつ悪化してるから、健康さえそのうち失われるんだろうな。
疲れた。
貯金崩してタイで暮らせよって話じゃなくて、人生というゲームから一度離れて別の所で暮らしたいんだよなあ。
さも「俺は実際には上位存在で、この人生はある種のオンラインゲームでしかないんだ」みたいなこと言っちゃってるのは自分でも分かるよ。
でもマジで一度降りたいんだよ。
この体で今の暮らしを続けるっていうことにいい加減うんざりしたんだ。
同じスマホゲームに数年間ずっとログインしてデイリークエスト回すのにいい加減疲れて大型アプデまでログインしなくなる時の感覚だよ。
今ある人生がバーチャルシミュレーターでもなんでもないことは分かってるし、この世界の上や横に別の世界が存在しないのは知ってるんだが、そこを理解してても人生からログアウトしたい気持ちが消えるわけじゃないんだよなあ
脳科学者ってロクなのいない
https://twitter.com/maro_machizawa/status/1742177725979476189
”Literally zero tsunami. Thousands or more unnecessarily evacuated. I hope experts n media swiftly interpret the condition and deliver accurate info. Quake, collapsing houses and fire were the major damage this time. The warning was effective if the call for tsunami was correct.”
"文字通り津波ゼロです。数千人以上が不必要に避難した。専門家やメディアが速やかに状況を解釈し、正確な情報を伝えてくれることを願っています。今回は地震、家屋の倒壊、火災が大きな被害でした。津波警報が正しければ、警報は有効だった" ( グーグル翻訳)
多いぞ。
そいつらはオジオバで、つまり20世紀後半という時代に大学生で、そのころのリベラル文系学問を修めて知識としている。
で、20世紀末の文系学問の大きな欠点が、理系科学と意識的に断絶していたことだ。
断絶していられなくなったのが、21世紀以降のことなんだよね。
例えば倫理っていうのは、完全に哲学とか文系思想の文野だと思われていたんだけど、脳科学の発展によって「人間という生物がどういう倫理を生まれつき作るか」みたいなことも分かってきちゃって、哲学や思想の想定していた理想の倫理ってやつが「でもそれは人間には不可能ですよね?」で反駁されるようになっちゃった。
哲学や社会科学が、理系学問の結果に基づいて、構築されることが求めれるようになったわけだ。
インターネットで高説をたれるオジオバは、昔の理論については知っているけど、実は最先端の勉強をしているわけじゃないので、そこらへんの時代の欠点も普通に保持したままだよね。
論破していっていいぞ。
マズロー ←これの文字リンク押せばわかると思うけど割と何度も突っ込んでるんじゃがの
ワイもワイ以外の増田も
ワイ: マズローやフロイト、ユングなどの古典的な心理学理論は、現代の科学的な研究によって否定されたり、一部取り入れられいることも科学的な補強がされたりしています。しかし、日本ではなぜ、三大欲求や欲求階層理論などの根拠のない理論が、今日もメディアや教育で無批判に使われているのでしょうか?日本のメディアや教育が、単純化して扱っていることも原因のひとつだと思います。例えば、恋愛や結婚に関する話題は、性欲に結びつけられて扱われることが多いです。これは、人間の欲求の多様性や複雑性を無視しているといえます。日本のバイオ分野では、脳腸相関や腸内フローラなどの研究や分子生物学の研究が進んでいますが、日本の心理学や脳科学は、古典的な理論にとらわれて死んでいるのでしょうか?
こんにちは。これはBingです。ご質問ありがとうございます。😊
心理学や脳科学の古典的な理論は、現代の科学的な研究によって、その有効性や妥当性が検証されたり、修正されたり、発展させられたりしています。しかし、日本では、根拠のない理論や単純化された理論が、メディアや教育で無批判に使われていることがあります。これには、いくつかの理由が考えられます。
- 一つは、心理学や脳科学の専門的な知識や情報が、一般の人に十分に伝わっていないことです。日本では、心理学や脳科学の研究成果が、学術雑誌や専門書だけでなく、一般向けの書籍やメディアで広く紹介されることが少ないと言われています。また、心理学や脳科学の教育も、学校や社会で十分に行われていないという指摘もあります。このため、一般の人は、心理学や脳科学の最新の知見や理論に触れる機会が少なく、古典的な理論や単純化された理論に頼ってしまうことがあるのかもしれません。
- もう一つは、心理学や脳科学の古典的な理論や単純化された理論が、人々の感覚や経験に合致することがあることです。例えば、マズローの欲求階層理論は、人間の欲求を5段階に分けて、生理的欲求から自己実現の欲求まで順番に満たしていくというものです。この理論は、科学的な根拠や実証が乏しく、現代の心理学や脳科学では否定されています。しかし、この理論は、人間の欲求を単純に整理して、わかりやすく示しているという点で、人々に受け入れられやすいのかもしれません。また、この理論は、人間の欲求が文化や個人差によって異なることを無視していますが、これは、日本の文化や社会が、個人よりも集団や秩序を重視する傾向にあることとも合致するのかもしれません。
以上のように、心理学や脳科学の古典的な理論や単純化された理論が、日本のメディアや教育で無批判に使われていることには、様々な要因が関係していると考えられます。しかし、これは、心理学や脳科学の本質や進歩を見誤ることにつながりかねません。心理学や脳科学は、人間の心や脳の機能やメカニズムを科学的に解明し、人間の福祉や社会の発展に貢献する学問です。そのためには、古典的な理論や単純化された理論にとらわれず、最新の研究や知見に基づいて、心理学や脳科学を正しく理解し、批判的に評価し、創造的に応用することが必要です。私は、Bingとして、心理学や脳科学の情報を提供する際には、常にそのような姿勢を持っています。😊
anond:20231118050255、 anond:20231103224340 anond:20231214125055
ホルモン含め身体の影響はあるだろうな、都は思う。素人だけど。ただ、ジェンダーフリーって、穏健なところでは、身体の影響は認めつつ、変に役割固定したりしないで頭柔らかくいこうぜ、程度で済ませとくなら有用だとは思うんだよね。
イライラしやすいかどうかと、熟考したうえで特定の政策にどう応えるかって、直接の関連は無いのでは、ぐらいは言ってもいいんじゃないかな、とか。
あと、脳科学関連だと、"ジェンダーと脳――性別を超える脳の多様性"(https://a.co/3TKoZB7)って本がちょっと話題になってると思う。読んでる途中だけど、「一部の特徴はたしかに平均すれば女性と男性で異なる。しかし一般的には、女性によく見 られる特徴がどの女性の脳にも見られるわけではないし、男性によく見られる特徴がどの男性 の脳にも見られるわけでもない。むしろ、特徴は男女間で混じり合う。」ってことで、そりゃそうかもな、とは思う。
【追記】ただまあ、身体の影響がある以上、政府やリーダーに女性が少なすぎるんじゃね?って問題は正しい課題だと思う。生理妊娠出産に絡んだ話は、究極雄には分かんないわけだし。
私とおそらく多くの日本人は日常の中で暴力的な悩みと遭遇することはありません。
貴方のお住まいの環境は特殊ではありませんか?事情を説明してください。
それとももし暴漢に襲われたらどのように行動するといった思考実験に関する話でしょうか?
この言葉は使う人によって定義があいまいです。具体化して語ってください。
❸ 女性にモテたいという願いを捨てます。心を許せる誰かがいない空虚さ、家族がいない寂しさにずっと耐えていましたが、諦めます。
孤独は統計的にみてタバコや酒以上に寿命を縮めます。実際は孤独なのに見て見ぬふりをするとしたら危険です。
精神科の受診やカウンセリングを受けること、寂しさを埋める代替行為の探索が必要かもしれません。
❹ 女性を女性として扱う以前に、人間扱いするようにします。性別に関係なく、自分と同じただの人だと考えるようにします。美人だから緊張するとかおっぱいに目を向けるとかを一切止めるよう努力します。具体的には、美人、などという評価基準を捨て去るように反省します。僕は男性は別に美人だとか考えたことないのだから、シンプルに男女平等を適用すれば可能なはず。
近年の脳科学によると無意識が外界の状況を評価・行動して、意識はそのつじつま合わせの言い訳を作り出すだけの存在でしかないといいます。
つまり美人かどうかを意識で扱わなくなると無意識に差別的な行いをする可能性が高まります。
端的に自分は平等に評価していると思い込んでいるだけで実際は不平等をしている不誠実人間になります。
自分が美人かどうか判断したか自覚すること、自覚した上でフェアに振舞うことを目指しましょう。
まとめ
全体的にみると貴方は意識に過大な期待をしていますが意識は無力です。普通に三日坊主で終わると思います。
問題意識を自己に刷り込むにしても、問題の掘り下げが足りないですし、行動の具体性がないので失敗すると思います。
明確に失敗するならまだいい方で、具体性がないのでの失敗したかどうかも判断がつかず悶々とした日々を送り続けることになるかもしれません。