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2023-05-02

anond:20230501002824

それって戦時経済体制で、いわゆる革新官僚たちが作ったんじゃなかったっけ。某昭和の妖怪とかがw

2021-05-25

和包丁という文化が無くなるかもしれんよという話

和包丁という文化が無くなるかもしれんよという話

日本包丁というのは切れ味が格段に良くて海外からわざわざ取り寄せる人が居るほどカルト的な人気がある。

コロナ前はかっぱ橋道具街にも外国人が沢山いて数万円もする包丁がよく売れていた。

だが実はこの高級和包丁の原料を作っている会社というのはほんの僅かなのだ。寡占市場なんである

その一番の鋼材供給である日立金属安来工場の先行きが不透明である

 

和包丁には作りが二つあって

1.刃物鋼を軟鉄でサンドイッチして鍛造する「霞」(割り込み包丁

2.全身が刃物鋼の「本焼き」(全鋼とも)

一般的に霞より本焼きの方が高くて玄人好みなのだが、どっちの包丁でも肝心の切れ味を左右する刃先は刃物鋼という特殊鋼で作られる。

この刃物鋼には炭素鋼の白紙炭素鋼にタングステン等を混ぜて切れ味を長持ちさせた青紙などがある。

だがこの白紙も青紙も作っているのは島根県日立金属安来工場一か所なんである

他に例えばステンレスの高級包丁などではV金10号なんていうステンレス刃物鋼を使い、これは武生特殊鋼という会社が作っている。こっちも独占市場だ。

でも和包丁と言ったらやはり鋼であって、この安来鋼と言われる刃物鋼はほぼ必ず日立金属安来工場製だ。

 

この日立金属最近売却され、日立グループから離脱した。

なんで製鉄部門を手放したかといえば日立グループの決済が悪化たからだ。

その一つの主な原因は英国での原発輸出失敗である

 

この原発輸出の失敗は非常に不思議な事で、例えば判りやすい方の東芝のウエスチングハウス買収では構造的に原発の新設が不可能と知られる所に巨額の投資をして失敗している。

アメリカ原発新設が不可能になったのは電力自由化スリーマイル島事故の為というのは有名である

電力自由化はペイできないリスクを抱え込む事を不可能にする。日本でも国策企業電源開発がなければ原発新設なんて出来なかった。

そこへスリマイル事故安全基準が上がったら国策ではなくて商売としての原発新設なんて不可能だ。更に福一である

こういう構造的な問題が知られているのに何故か東芝WHの決済書を読んでいけると考えた。WHはどういう魔法クリアしたのか?

蓋を開けると粉飾決済という魔法で、単に巨額資金負債を買った結果となった。でもこの結果はそりゃそうでしょというもんで不思議でも何でもない。

 

日立の方はそこまで酷くないが、それでも福一で格段に上がった安全基準の為に償却の目途が付かずにご破算となった。

だがなぜ甘い見通しのままで巨額資金を投じているのか?

要するに重用された経産省の傍流革新官僚が持ちかけた投資話なのであろう。官邸の数人で児戯のような「国策」を設計してみた結果だ。

人に金出させて失敗した仕手筋なんて刑務所にブチ込まれるのが経済事件常識だが、この革新官僚は未だ霞が関溜池にいる。

それにしてもバブル最中でもないのにこんな雑な投資話なんてそうそうない。どんな美味しい話をされたのか脅されたのか気になるところだ。

 

何れにしても日立金属は売却されてしまったが問題事業規模だ。

日本は製鉄大国だ。それ故製鉄の取引額は莫大で韓国世界一の造船を支え、アメリカ北部の製鉄業を壊滅させてラストベルトを作った。

刃物鋼は冶金や特殊鋼の一部門であってその特殊鋼の事業規模も製鉄全体から見たら非常に小さい。

まり製鉄大国であるが故に、刃物鋼の生産というのは町久場レベルの極小事業なんである

 

その為に地元では工場が整理されて閉鎖されるのではないかとの懸念が出ていて去年から商工会議所知事陳情したり県知事市長を交えた会議があったり、知事日立要望出したりしている。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC203NZ0Q1A520C2000000/

だが経済界では和包丁文化の取り替えきかない要だという事を理解する人は少ないようなのだ

 

一方、料理人は?といえばどうも経済紙を読む人は少ないようで騒いでいる人は見ない。

今日も「和包丁日本刀の流れをくむ文化で~」とかの言説に悦に入っているような人ばかりなんである。困ったもんだ。

因みに幕末まで刀鍛冶大名に雇われた存在で、包丁などは野鍛冶、村鍛冶の仕事だった。職分が違う。

また冶金技術戦後に鉄の流通が急拡大してから急激に伸びている。

戦前の製鉄は官需や軍需に過分に依存した歪な業界構造で、包丁など調理具はその官需軍需から離れた所にいた。

戦後軍港の転換で造船所が出来、製鉄需要に火をつけて造船、建築自動車などの大需要が発生してきたが、刃物鋼はやはりこの大市場の外部にいた。

経済人が唯一無比の高級和包丁原料製造者である事に気づかない原因でもある。

和包丁日本刀の流れをくむ世界に誇る文化」なんて程度の低い客向けの口上の筈なのに自分たちがその口上に酔ってしまい、業界構造を頭に入れずにその「世界に誇る文化」が危機に瀕しているのに気が付かない。

白紙包丁店頭から全て消えてからあたふたしても遅いのである

 

以上が今や文化とさえなっている和包丁を巡る今の状況である

因みに海外調理メーカーでも数万円ラインの高級品ではやはり安来工場刃物鋼を使っている。

それから「紙」っていうのは、ロール状に巻いた鉄板とか数十メートルもあるH鋼なんかと違って刃物鋼はコピー用紙とか新聞紙レベルの板として取引されるのでそう言われる。

和包丁が無くならない事を願うばかりだ。

2019-04-27

anond:20190427204427

このコピペ思い出した

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朝日日露戦争マンセーした事をもって保守化したとか言ってる奴がいるが、

日本思想対立構造が分かってないな。

日本対立構造

大陸派=親アジア主義、親儒教、親社会主義、親官僚制(=中央集権) 親全体主義、親人治主義

英米派=親国際主義、親資本主義、親封建制(=地方分権)、親自由主義、親立憲主義

なんだよ。

大陸派は天皇制を認めるかどうかで国家社会主義(親ドイツ)か共産主義(親ソ連)に分かれ、

英米派は伝統の重視の度合いで保守主義自由主義に分かれる。

今風の言葉で言えば、反米保守は親大陸派で、親米保守昔ながらの英米派なんだよ。

両者は戦後反共産主義という一点で手を組んだ訳だが、元々は水と油

共産主義崩壊した90年代以降、元の親大陸派vs親英米派の構図に戻っただけの話。

戦前革新官僚軍部の中に国家社会主義者に儀装した共産主義者が沢山いたってのは

有名な話で、この両者は天皇の扱いを除いては対立点はないから、転向簡単

西部邁小林よしのりも何度も転向してるでしょ。

でも、親大陸派は絶対に親英米派にはなれない。逆もしかり。根本思想が違う。

で、日露戦争評価について言えば、「白人に対する被支配有色人種勝利」と言う点を重視するのが

大陸派の特徴で、英米日の文明国専制的(=アジア的)なツァーリロシア勝利したと言

う点を重視するのが親英米派の特徴。当時の人々はどう思っていたかと言うと、圧倒的に後者

が多いだろね。当時の一般日本人は文明の度合いを肌の色よりも重視した。

このように考えると、朝日日露戦争を賛美したのは何の不思議も無い。国家社会主義共産主義

の間は容易に転向できる。そのうち、大東亜戦争の「白人支配から解放」という面について

賞賛する日も近いだろうね。そして孫文アジア主義の訴えだが、中国伝統的に日本英米との

離間を企てるのに熱心で、孫文日英同盟にも強硬に反対していた。今の中国日米同盟反対と同じだな。

これに東洋王道だなんて感動してる奴は馬鹿しか言いようが無い。

2018-12-21

anond:20181221005046

戦後まで続いた国家総動員体制作ったのは社会主義の影響受けた革新官僚ってのは有名じゃないの?

2016-07-07

銀行はなぜ合併しなければならなかったのか

江戸時代日本は米・金・銀という三種類の通貨システムを平行して扱っていた。徳川幕府諸侯領(明治時代以降藩と呼ばれるようになるやつ)が入り乱れた連合国家であった。諸侯領間における政治経済システムの違いは大きかった(要するに戦国の遺風を引きずった藩とそうでない藩があった)。上記のような事情があった結果金融業の発達は著しく、幕末には多くの諸侯がこうした金融業者の支配下に置かれるありさまだった。

明治政府戊辰戦争後、

などといった問題対処するために、新貨条例および国立銀行条例が制定した。これらの制度

というなにがなんだか分からない制度になっていた。しかしこれは当時の国際情勢を考えると仕方がない話で

といった状態で、日本近代金融システムを構築するにあたって模範とすべき制度はまだなかった。結果アメリカを真似して兌換券の分権的発行を主軸とする制度が作られた。このため各地に割拠していた金融資本国立銀行への転換が進んでいった。

しか殖産興業の進展、西南戦争による莫大な戦費などといった問題対処するために、不換紙幣の発行を国立銀行に認めるに至った。

結果インフレなど金融システムの混乱が見られたため、ここにアメリカ型分権型金融システムには限界があることが明らかになり、日銀法と旧銀行法が導入されイギリス式中央銀行制度が導入されることになった。これが 1882 年。

このような経緯があったため、金融資本の再編といった事態にまでは話が進まず、そのまま第一次世界大戦関東大震災突入する。戦争景気による企業の無理な業容拡大と戦後景気後退震災によって銀行には不良債権が蓄積された。

上記のように各地に雑多に存在する金融資本江戸時代のそれを引きずっていたため近代銀行としては規模が小さく、これによって金融不安が高まり昭和金融恐慌に至った。これが 1927 年(1929 年や 1930 年ではない)。

その状態さらに 1929 年 1024 日はやってきた。 1930 年にはその影響が日本にも及ぶに至った。

かかる状況の中で昭和二年旧銀行法改正により 1927 年から中小銀行の整理が進められていたが、 1936 年馬場鍈一大蔵大臣により「一県一行主義」が掲げられた。馬場大蔵大臣としては失格者で財界との対立の結果大蔵大臣から放逐され憤死することになるのだが、翌 1937 年に日中戦争が開戦、日米開戦もほぼ既定路線となるなかで一県一行主義継続され日米開戦のころには中小銀行の整理は完了した。

こうした集権的かつ計画的経済運営にあたったのはいわゆる革新官僚たちで、その親玉吉田茂だった。彼らは社会主義的な経済思想国家主義的な政治思想を併せ持っており、戦中戦後日本の内政を主導した。

全然関係ない話だが、社会主義国家主義反自由主義という思想セットは革新官僚リーダーの一人である岸信介の孫の安倍晋三にも受け継がれていることはよく指摘される。

戦後岸が政界進出したこともあり、結果として一県一行主義体制および統制的な銀行体制はほぼそのまま戦後に引き継がれることになった。もちろん建前上は一県一行主義廃止され、戦後資金流通の円滑化のために戦後地銀いくら設立されたが大勢に大きな影響をあたえることはなかったのだった。

このような情勢のなかで、戦後日本金融当局==大蔵省銀行に対して

  • とにかく安定して資金供給を行うこと
  • 間違っても競争などしないこと

を求めて各種の行政指導や各種許認可を縦横にもちいて銀行群をコントロールした。これをいつしか護送船団方式と呼ぶようになっていた。

これは実際うまくいっていた。バブル崩壊までは。バブル崩壊の余波は大きく、護送船団方式では銀行を守り切れないことは明らかになっていた。 1995 年には木津信用組合兵庫銀行倒産するに至った。

また長らくの護送船団によって日本金融システム陳腐化は著しく国際社会において東京金融都市としてまったく影響力が無い点も問題とされた。

これらの問題対処するためとして金融ビッグバンと称し護送船団は解体されてしまった。銀行はここに自由サービス投資を行えるようになった。

ところで足元の経済情勢を見るに 1993 年から 1996 年にかけて経済成長率は 2-3% を維持しており、ここに橋本総理大臣バブル崩壊による不景気は終了したという判断をするに至った。また 1995 年には武村正義大蔵大臣により「財政危機宣言」が出されており財政再建を開始すべきという機運が高まっていた。

そこで橋本内閣は 1997 年、消費税増税などを含んだ超緊縮予算を成立させる。これが大失敗であった。緊縮財政により景気は悪化金融システム不安は再発し北海道拓殖銀行山一證券破綻、翌 98 年には橋本内閣総辞職現在まで続く長い長い不景気が始まった。

しかしここに至って護送船団方式の再開は難しく、銀行はノーガードで野に放り出されてしまった。かかる状況のなかでは銀行経営効率を上昇させるような積極投資は難しいことは明らかで、銀行合併による規模の拡大によって身を守るという手段をとらざるを得なかった。

結果生まれたのが三大メガバンクである。このような事情によって、消極的理由で成立した合併であるから当事者たちは乗り気であるはずもなく、旧来の自己立場防衛のために果てしない内紛が始まることは、それはもう仕方のないことだったと言えるのではないか

そのような事情の中で銀行システムの開発にあたる SIer技術者は内紛の道具の一つとなり疲弊を重ねている。

僕が言いたいことは何か。誰か頭が悪い人が一人いたからこのような状況になっているという訳ではないということ。むしろ一人ひとりができることを着実にやった結果がこうなのだということ。つまり、逆に言えばこの状況を解決する手段など無いということ。みずほ現場で苦しむエンジニアにできることは、逃げることだけだということだ。

2012-12-08

安倍氏公約幼児教育無償化」は「毒まんじゅう」だ。

安倍氏が「幼児教育無償化します、財源はあります」と言っている。

一見「耳障りのいい」公約だが、よ~く見てみると、彼は幼児「教育」と言っている。

まり幼稚園系の「しつけとしての幼児教育」、文部科学省立ち位置なのであり、

女性社会進出のアシストとしての、保育サービス無償化」(厚生労働省立ち位置)とは、そもそも立ち位置が違う。

ところで、ほぼ同時に、

「6・3・3・4制の見直し」も自民党内で取り沙汰されている。

世間的には、「中学進学時期を変えるのだろうか?」とか「中高一貫を導入するのだろうか?」的な捉え方がされているが、

自民党の思惑は、違うところにある気がする。

ズバリ、「義務教育開始年齢の早期化」、「5歳、あるいは4歳から義務教育の開始」を意図しているのではないか

そう考えると、安倍氏公約と、見事に符合する。

義務化を言い出すからには、当然「無償化」がなされなくてはならない。幼児教育無償化、というのは、

実は幼児教育の義務化、ということなのだ

これは、小生の勝手な憶測ではない。

数年前、読売新聞に謎の飛ばし記事があった。

文部科学省幼児教育の義務化を検討

その後続報がなく沙汰止みになっているが、「火のないところに煙は立たない」。

これは、文部科学省内部で、義務教育開始年齢を早期化させたいグループ存在して、彼らが

読売新聞を使って「世間観測気球飛ばした」のではないか、と推測している。

安倍氏の発言は、彼の信念から発せられている、という面も多分にあるが、

と同時に、安倍氏の信念を「利用」して、自らの政策を実現しようとする文部官僚の思惑があるのではないか

その意味では、安倍氏は「革新官僚の振り付けに沿って発言している」だけなのかもしれない。

革新官僚、というのは、サヨク、という意味じゃなく、右の方面に突破しようとしている官僚

で、幼児教育義務化、6・3・3・4制の前倒しの、何が「毒まんじゅう」なのか?

共働き世帯で、未就学段階だと保育園子供を預けられていた家庭も、子供小学校進学したら、

「授業終了後から、17~18時まで、小学一年生を、どこで過ごさせるか」が問題になる。

1年生だと、「家にカギで入って、一人で過ごしなさい」とも言いづらい。

学童保育サービスというのが、あるにはあるが、保育園ほどには充実していない。

そのため、「小学校1年生児童の居場所を見つけてあげられなかったので、母親仕事を断念する」ケースも少なくない。

子供小学校に上がることによって、保育サービスが一気に低下し、女性社会進出の足を引っ張る」という現象が起きている。

で、「義務教育開始年齢を5歳、4歳と引き下げる」と、どういうことになるのか?

今まで6歳の時に発生していた「子供の居場所確保のために、母親仕事を断念する」という現象が、前倒しで発生することになる。

それなりに学童保育サービスも拡充することになるのだろうが、トータルで見れば、義務教育年齢引き下げは、

母親社会進出には「マイナス」の方向に作用するだろう。

それが「毒まんじゅう」の正体なのだ

2011-07-13

hamachanがリベラル左派もリベサヨも御免被るとなると

ソシウヨっぽくなる気がするんだよなあ。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-e470.html

hamachanは中野剛志のような反自由貿易主義の人を評して、

社会における貧困を憂い、アジア以外から孤立した経済大国を導こうとした戦前革新官僚と結びつける事でソシウヨと言うけど、

hamachan自身も、

社会における労働問題を憂い、労働大国を導こうとする部分がソシウヨのように見えてしまう。

 
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