「文意」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 文意とは

2017-07-26

ニセ科学批判ネトウヨが結び付けられるようになったことについて

 最近、ニセ科批判とネトウヨの結びつき、みたいなのについてツイッターでよく見るので、思うところを書いてみることにする。

 先に、俺の立場について書いておくと、もともとニセ科学批判クラスタにいる(た)人間である。以下、いろいろと書き連ねたような事情もあって、最近はニセ科学批判クラスタを批判的に言及することが多くなってきたが、やっぱり世界科学だろう、という思いは変らない。

 余談だが、ニセ科学批判クラスタを批判する人、というのがニセ科学勢力とか、トンデモ勢力というのは意外に成り立たない。そういう連中を自分積極的フォローしてないというのもあるかもしれないが、その手合いはまず自分たちに批判的な人がいることについて詳しく言及すること自体不都合なので、あんまり触れないのではないかとも思う。クラスタの言説に詳しく触れながら批判する人というのは、何だかんだいって「ニセ科学は嫌い」寄りの人間が多いようだ。

 あらかじめ書いておくと、自分見解は、「ニセ科学批判とネトウヨ本来、つながらない」であるしかし、そう言い出す人がけっこういる、というのも理解できないではない。まして、「またネトウヨ連呼厨ガァー!」などと言い出す気にはなれない。なので、どうしてそう思われるようになってしまったのか、といういくつかの自分の思っている理由について書いてみようと思う。

 なお、あくま自分観測範囲ベースなので、それ以上のエビデンス統計的根拠はない。ほしかったら基盤Bでも持って出直してきたら調べてやらんでもない。

 あと、話は基本的ツイッター世界が中心である

3.11以後の動き

 ニセ科学批判とウヨの親和性、という問題が語られるようになったのは、やっぱり3.11以後が決定的である。いちおう、3.11以降について、特に放射能デマをめぐる後始末についていうなら、ニセ科学批判派がおおむね正しかった(細かいとこで間違いや軽口があったのは否定しない)というのは間違いないので、これはどんどん認めていくべきである。そして、その上で、致命的なレッテルを引き寄せる結果となったことについてもそろそろ考えるべきだと思う。

 3.11直後にデマ批判をする人が、今となってはかなり信じがたい形で「ウヨ」と手を結んでいたのは確かだ。これはひとえに、デマの流布をほっておくことが人権問題になりかねない状況だったことによる。一例としては、ゴリゴリ左派左巻健男石井孝明をRTしていたことがあるくらいである。それは、個人的にそこはRTしなくてよかったんじゃないかと思うツイートだったが(別にどうしてもしなきゃいけないRTでもなかった)、しかし当時はそれでも連帯できるところは連帯しないといけない事情だったのも確か。とはいえ、そのRTを見てニセ科学批判派の中にいる自分でも嫌悪感を覚えたので、その外にいて、かつ左派寄りの人がどうとらえたか想像に難くない。

 元々、デマ批判を発信していた人には政治的には左派が多く、その中には、事態が落ち着いた今は左派クラスタのなかへと帰っていった人も少なくない。今となっては、「福島差別」について関心が高いアカウントというのの少なから割合がただのウヨアカウントであり、人権問題危機感を抱いて近づいてきたというよりは単に「ダシにしにきた」ことも明らかになりつつあるのだから、この時期のことについては、ちゃんと後処理をしておくべきではないかと思う。一方で、安易にウヨレッテルを張った側も、そのレッテルについて再検討する必要がある。

多層的な「ニセ科学批判者」

 ニセ科学批判というのは多層的に発信される。最初の発信者、つまり、積極的に資料をあたったり文献をあたって、情報を発信していた人はもちろんいるにしろ、その人たちの話がどう広まっていったかといえば、メディアが広めた場合ももちろんあろうが、ツイッターなどネットではそれを再発信する人によって広まったわけだ。この人たちの中にも濃度がいろいろあって、「なんとなくRTした人」「そういう話を見たら積極的にRTする人」「RTして、自分でもそれをベース意見をいったりする人」「それがさらにバズって積極的ニセ科学情報を集める人」とまあ、いろいろだ。

 こうなると、ニセ科学批判クラスタといっても、もともとの「ニセ科学批判派」の声は流通する情報割合的にはごくわずかということになる。

 俺がやばいと思う層は、じつはこの水増しされた部分であるデマ批判が機能したのはこの部分あってこそなので、水増しという言い方は語弊があるのかもしれないが、しかし、ネトウヨニセ科学批判がむすびつけて論じられることに責任があるのはこの層ではないかとも思う。

 この層、とひとくちにいっても、いくつかある。

(1)善意悪用して、自分イデオロギーをのっける層

 まあこれは文字通りの「ウヨ」層だ。前述の石井孝明とか、池田信夫なんてのもそうだろう。この亜種(1A)としては、ウヨというよりは「左派が憎い」というイデオロギーをかぶせていくケースもある。佐々木俊尚とか、伊藤剛あたりがそうだろうか。そうそう、伊藤剛と昔仲良し今は犬猿の仲唐沢俊一も忘れてはいけない。君たちお仲間だよおめでとう。あるいは、こうやって膨らんだ層を客層にあてこんだ「御用文化人」というケースも亜種(1B)の一つだろう。いちえふの作者なんてのはそうだと思う。最初はけっこうまじめな信念を持って作業員のルポを始めたんじゃないかなー、とは思うのだが。

(2)人を叩くのが好きな層

 言っちゃあ何だが、科学正義であるしかも、ある程度実証が積み重なれば、相対化しようがない正義だ。本当は正義とか正しさなんて一ミリも興味はないのかもしれないが、とにかく人を叩く根拠がほしいならず者にとって、こんな都合のいいものはない。しかも、人権問題としての問題意識までくっついている。人権なんて一ミリも興味がないのかもしれないが、以下同文。

 正義暴走がデンデンという人はネットによく転がっているが、あまりこの点には言及しない、どころかこの正義だけは振りかざすのが大好きだったりもする。彼らの心情は、よくわからない。

(3)理系としての選民思想の持ち主

 一昔前のメディアに流れる文章には、理系に対する嘲笑偏見がいりまじったものというのが結構あった。それを見た理系人が、お前ら哲学で作った飛行機に乗れるのかよ、というような反発を持つのは想像に難くない。俺も昔はそうだったし。それは仕方ないところもあると思う。

 ところが、ネット理系研究者がどっぷりつかっていたり、エンジニアがどっぷりつかっていたりする場なので、そういう人が意外にマスをもてる世界である。それはいいことでもあるんだけど、結果、「理系カルト」のようなものが出来てしまうという面もある。その結果、「文系」をバカにするようなアカウントが出来上がる。昔、科学ネタアニメ談義が話が合うという理由高専生や理系大学生をけっこうフォローしていたのだが、どうもこういう方向に流れていく人が多く、非難がましいツイートが増えた結果リムられたりリムったりブロックされたりが増えた残念な記憶もある。

 これらの人が、放射能デマ批判、さらにはより広いニセ科学批判に群がったわけだ。どれもこれもあまり近づきたくないタイプである

 しかし、本来意味でのウヨはこの中では(1)か、せいぜい(1A)までに限られる。それが全体のうちどれくらいの割合を占めるかというと、あんまり高くないと思われる。おそらく、悪印象のかなりの部分は(2)(3)に起因しているのではないか。(2)と(3)は、本来的にはウヨ思想とは関係がない。しかし(2)はそもそもモラルを欠いている層で、ネットイナゴといわれる集団に近い。そういう人が、ネトウヨ思想親和性を持つのはまあ時間問題である。(3)は正直因果関係を断定しづらいのだが、確かに自分観測範囲では重なる人が多い。理系でもウヨ色の薄い人は理系絶対主義みたいなところには陥らない、みたいな雑な印象がある。

 そうすると、本来関係のない「ウヨ」と「ニセ科学批判」がセットで観測されるということが大量発生する。しかも、(2)(3)は人間性として最悪の、できればブロックしておきたいタイプだ。どこをどういじっても、ニセ科学批判がいい印象を持たれる展開がない。しかも、こういうアカウントに限って、やけにRTされる数が多く、ダメな方向にネットへ広がっていく。

 (この部分追記)「冷笑系」と呼ばれるような集団がともかなり重なっている、というのもいくつかの反応で見かけた。これはもっともだと思う。特に(1A)や(3)あたり。

 後出しじゃんけん承知で言うと、推敲前は言及していたのだけど、定義にやかましい人の怒りが二乗になりそうなのと、話がとりとめもなくなったのでなんとなく端折ってしまった。けれど、ニセ科学批判との関係について考える場合には、「いわゆるネトウヨ」より重要カテゴリーかもしれない。

こじらせびとたちの罪

 ネトウヨ定義というのは曖昧である。むしろ、厳密に定義したところで境界線附近人間大手をふって歩き出すだけなので、ある程度曖昧でいいと思う。ライトノベル定義みたいなものだ。物語シリーズラノベかとか三毛猫ホームズラノベかと言ってる分には意味もあろうが、そこにかこつけて「聖書はラノベでは」とか言い出す奴はつまみ出せばよい。

 しかし、世の中には問題児がいる。自分たちはつまらない理由ネトウヨ扱いされた、だからネトウヨを名乗ってトンチキなことを言い募ってやる!と言わんばかりの連中である。いまどき子供ももう少ししつけられていると思うのだが、そんないい大人がネットにはたくさんいる。被害者意識をこじらせているとしかいいようがない。本人はネトウヨ認定したほうが悪いと思い込んでいるのかもしれないが、申し訳ないが狂人の真似だと言い張って東大路通を走る人間京大生でなければ狂人である京大生でも狂人かもしれない。

 菊池誠氏があんなふうになったのは、一つのきっかけはここにあると思う。しかし、年齢的にも知性的にも社会的立場的にも、責任能力を逃れられる人ではなかろう。自分の不始末は自分でつけていただきたい。きっかけのもう一つの原因(と俺が思ってること)は、次の項で述べる。

 ジャンルは違うけれど、所謂キモくて金のないおっさん」を名乗りたがるネット住民、についても似たようなことが言える。

フィードバックはめぐる

 ツイッターにはRTとかふぁぼという機能がある。ふぁぼはまあいいとして(最近はこれもTLに流れてくるようになったが)、RTは誰が何をRTはしたかが、ある程度分かる。

 RTの基準は人によっていろいろだろうが、まあ第ゼロ近似としては「それに共感するんですね」だろう。直後のツイートで批判的に言及でもしておかないと、そう思われないほうがおかしい、と思う。

 ここでめんどくさいのは、「それに共感するんですね」の「それ」はツイート文章のものであるツイートしてる本人であるか、である。直感的には、前者だろう。後者は雑な見方に映る。ただ、発言属人的に見ない、というのはけっこうなことに見えるが、発言主と合わせて文意判断しない、ただの無責任な態度となることもある。見てる側が、いつも「こいつはどうしようもない奴だな」と認識していれば、それをRTする方も同類とみなされることもある。そんなのおかしい、という人もいようが、そういうものだ。

 さてここで上のニセ科学批判情報の発信の話になる。発信者する側も、自分が発信した情報を受けて賛同し、意見を述べたり非難したりするツイート自分のRTという形で放流するということをよくやる。別に発信者じゃなくてもやると思うからニセ科学批判に集まった人も、さらにそれをやるわけだ。

 ところが、その放流元が「札付き」であった場合、それを「ニセ科学批判に賛同してくれた」という文脈だけで読んでくれる人は、あんまりいない。ごくふつうアカウントなら、はいはい賛同者だね、ということになる。ところがそうじゃない場合問題だ。そりゃあ、ツイート単体ではいいことを言ってるように見えたりするかもしれない。でもそれを、みんな属人的に見ないでくれるだろうな、というのはおめでたい

 でもまあ、そういうことが一度や二度あった、というだけなら、まあどうということもないかもしれない。しかし、これを長く繰り返し続けていくとどうなるか。

 「お前はそういうやつなのか」で離れる人というのは離れられる側にとっても、分かりやすいし素直だ。だが、「お前のRTうぜえわ」で離れる人も出てくる。離れられた側は、もしかしたらなんだか事故にあったつもりになるかもしれない。自分はただ「賛同できるツイートを流しただけなのに」、と。

 それもそうかもしれない。でもそれが繰り返されるうちに、クラスタ自体が、濃縮されてだんだん汚染されていく。そして、やり取りをする相手というのは、本人も気づかないうちに影響を与えていく。フィードバックされちゃうのだ。

 2012年か2013年くらいまでは、きくまこ先生もそこまで変ではなかったが、その後加速するようにヘンな発言が連発されていくのは、こんな感じだったのではないかと考えている。

 ニセ科学批判そのものを凶器として振り回す層というのが出来た結果、その印象がネットイナゴ、あるいはネトウヨと非常に近いものになってしまう。あとは災害が広がるのみだ。子宮がんワクチン水素水、EM菌。本来ならネトウヨと関連付けられる要素なんてないものも、そのスジのアカウントが言及してはバズる、という光景は、「そこ」がイニシアチブを握っている、と認識されることになる。そうなれば、ウヨに批判的な人は近寄りがたくなる。もちろん、もともと発信元として活動していたような人は、自分左派であろうと発信を続けるだろう。でもそこまで中心にいない人は、距離を置くか、あるいはニセ科学批判派の語り口に疑問を持つようになる。

そして深まる左右対立

 このような先鋭化の過程で、本来なら近しいところにいるはずの、歴史修正主義批判や、反知性主義批判(本来意味も、日本独自派生した意味もどっちも含まれる)との溝が深まっていくことになる。めんどくさいことに、これらの集団原発や巨大科学のようなものには批判的で、甚だしい場合放射能デマに一定の親和性がある人もいたりするので、頭が痛い。

 よく、ニセ科学批判クラスタはこれらのニセ社会科学・ニセ人文科学問題には無関心だと言われる。発信する側については実際には必ずしもそうではないアカウントも多いのだが、群がっている層については確かに無関心…… どころか敵意を持っている人が少なくない。理系人が多いので馴染みが薄いし慎重な態度でいる…… というのはなくはないのだろうが、どうもそれだけで済まないところがある。歴史問題法律あたりに目をつけて観察していると、「馴染みが薄いからかかわらない」ではなく嬉々としてトンデモさんを引っ張ってきて何かつぶやいている、という光景を目にして頭を抱えることになる。

 「Aを批判しているのにBを批判しないのはなぜか」はほっといてくれというのは分からないでもない。ただ、それは本当にたまたまのこともあれば、党派性を後ろに秘めてみて見ぬふりをする場合もあるので、けっこう一概には言いにくい論点である状況証拠次第によっては、判断材料として持ちたくなる疑問であるのは確かだ。また、別にこういう「疑問」はニセ科学批判クラスタけが受けるものではなく、左派いちゃもんのように昔から言い立てられてきたことでもあるので、やはり状況しだいでこう問いたくなるのも当然だろう。

 しかしその結果、溝はますます深くなるのである

 こんなことが続いていくうちに、ニセ科学批判クラスタは「身内」に甘い、というような見方もされてくる。そんなことないよ、と言いたいところだが、最近たまにはてブあたりに上がってくるニセ科学批判批判へのブクマコメントなど見ると、妙にニセ科学批判サイドへの批判を矮小化しようとする「ニセ科学批判者」のコメントが見受けられたりして「ああこの人もかあ」という気分になってくる。

経済をめぐる対立

 先日ツイッター問題になっていたのは、これのようだ。mika_berry氏というツイッタラーリフレニセ科学批判とネトウヨのつながりについて言い始めてそれにニセ科学批判派やネトウヨ定義が気になるタイプが反発して少し炎上のようになったらしい。

 経済には明るくないので、具体的なところには踏み込まない。が、ニセ科学批判クラスタ、あるいはもしかしたら理系クラスタまで枠を広げてもいいのかもしれないが、けっこうな割合がいわゆる「リフレ」に近づいたのは確かにそうだなと思う。

 ただしここも距離の違いはけっこうあって、単に「反緊縮」に近づいた人もいれば、はっきり「リフレ」に近づいた人もいる。俺も反緊縮については多分同意すべきなんだろうな、と思う。

 なぜこういう動きが起きたかは分からない。単に、時代的に緊縮はもういい、という風潮だったのかもしれない。反緊縮は数字勘定してイメージやすい「ロジカル」なものからという、もっともらしい理由がつけられるのかもしれない。それはわからないのだが、しかしこの「リフレに近づいた側」の少なからぬ人が、その後決定的にウヨに近づいていくことになる。

 これも理由は分からない。反緊縮には賛同する、という程度の人は、あまりそっちへ動かなかったからだ。アベノミクスなるものがあったからといって、他の論点がいっぱいあるのだから、ウヨに近づく理由にはならないのである。むしろ経済で結果を継続して出せるように安定させるためにこそ、おかしな動きは徹底的に批判すべき、と思うのだが、なぜかそうならない人というのがいた。ニセ科学批判クラスタの外にもそういう人がやはり「なぜか」いて、新たな集団を作るようになる。リフレ経済的に豊かになることを期待するクラスタ、というよりは「政権を応援しマスコミを憎み野党のアラ探しをする」クラスタとなる。経済には明るくないのでよくわからないのだが、アベノミクスのような政策はほっとくだけだと企業が潤うだけだと聞く。こういう人が「再分配を求めるべき」「企業給料をあげよ」というような動きをしたという話を寡聞にして聞かない。本当に経済大事だと思っていたのか、いまいちよくわからないところがある。

おわりに

 昔ながらのニセ科学批判は、党派性から距離を置いているつもりの人が多い。これは「左派が多い」という、上で書いた話とも別に矛盾しない。もちろん、ノンポリもいる。俺だって党派がかるのは大嫌いだ。

 それはいいんだけど、そうありたいと思うこととか、自分たちはそうだと思い込むことは、あんまり何かを担保してくれることではない。

 ここ10年くらいのインターネット歴史は、ノンポリ政治的な層、特にウヨに振り回される歴史だった。

 1970年ごろの学生運動だって、多くは本質的にはノンポリだったという話はよく聞く。でも、左翼運動の迷走についての責任を問われないかといえば、そんなことはないだろう。

 俺が思うのは要するにそういうことだ。ニセ科学批判=ネトウヨというくくりは、なるほど雑だ。だけど、それを一笑に付せる無邪気さは、ちょっと俺には持てない。

(追記しました→https://anond.hatelabo.jp/20170802040735

2017-07-22

https://anond.hatelabo.jp/20170722052912

まあそう捉えられてもおかしくないが、そう捉えるならばそう捉えればいい。

現実は俺の本意でもあなた文意でも、何も変わらん。

2017-07-14

https://anond.hatelabo.jp/20170714083840

hanyan0401のコメント 2017/07/13 11:10

id:zatpek 再三申し上げているように「事実上強制と仄めかして」はおりません。/ はあ。では自主規制当事者は唯一表現者出版社)だけであり、同様に「一方的決めつけは当然」となるのではありませんか?

zatpekのコメント 2017/07/13 18:18

id:hanyan0401 http://b.hatena.ne.jp/entry/341645160/comment/hanyan0401 非公開を言論上の円満解決とは見ていないから「都合がよろしいですね」と書かれたのでは?//たぶん私の言葉足らずが原因ですが、後半の文意がわかりません。

hanyan0401のコメント 2017/07/13 18:32

id:zatpek なぜ自主規制円満解決「とだけ」みなさなければならないのですか? / 「セクハラ暴力」なる決めつけが許されるなら、「事実上強制」という決めつけも許されるということです。貴方論理に倣えば。

zatpekのコメント 2017/07/13 19:46

id:hanyan0401まり、実際はケースバイケースと知っているけれども、対抗言論として「事実上強制」という体をとる、ということですか?//(ところでなぜかスマホだとidコール通知が飛んできませんねこれ)

hanyan0401のコメント 2017/07/14 12:26

id:zatpek いえ。ケースバイケースだからこそ、言論の自由市場表現への批判があるなら批判への反論存在すべきであり、後者だけを一方的に「批判の封じ込め」とみなすのアンフェアだということです。

zatpekのコメント 2017/07/14 13:23

id:hanyan0401批判自主規制事実上強制」という図式を暗に想定されることに対する危惧が「批判の封じ込め」ですから、この図式を暗黙の前提とする「反論」こそアンフェアでしょう。ずっと言ってますが。

hanyan0401のコメント 2017/07/14 13:32

hanyan0401 id:zatpek ケースバイケースなのだから事実上強制」の可能性も内包するのは当たり前で可能性の存在を前提とした想定と断定は異なりますそもそも貴方論理では「当事者ではないから決めつけは当然」な筈ですが?

zatpekのコメント 2017/07/14 13:49

id:hanyan0401きちんと書くと「先方の事情を十全には知りえない以上、先方の批判が『一方的決めつけ』に見えるのは仕方ない」という諦観ですね。でも論理として反論はできるので。サーキシアンとか全然評価しない。

hanyan0401のコメント 2017/07/14 14:06

id:zatpek はあ。では批判側が「性暴力」「セクハラ」と決めつけて見えるのも、批判への反論側が「事実上強制」と決めつけて見えるのも、どちらもやむを得ないが反論可能である。ということでよろしいでしょうか。

zatpekのコメント 2017/07/14 14:19

id:hanyan0401ええと、それ主体は「私」でいいんですよね?まあ、現にもうやってますよね。

hanyan0401のコメント 2017/07/14 14:31

id:zatpek そうなると貴方論理に倣えば、貴方批判なり反論なりは「印象操作扇動」以上の意味を持たないことになりますが。以下引用。「印象操作扇動以上の意味があるんですか?」

zatpekのコメント 2017/07/14 14:48

id:hanyan0401あなたに逐一文意確認しているのに、扇動印象操作余地があるんでしょうか?//あなたブコメスターは、ケースバイケースなんて想定してないんじゃないかな。

hanyan0401のコメント 2017/07/14 15:03

id:zatpek 対象意味確認すれば例外となるということでしょうか。であるならば、「セクハラ」「性暴力」等の批判を行なっている側はその確認を行なっていない。当該批判印象操作扇動しかないことになります

zatpekzatpekのコメント 2017/07/14 15:24

id:hanyan0401特に性の事情に関しては、確認行為自体デリケート問題をはらむ、という点をかんがえてください。(というかそこにデリカシーがないから揉めるんだよなあ)

hanyan0401のコメント 2017/07/14 15:53

id:zatpek はあ。問題とは性に限らず全てデリケートなのでは。また「印象操作または扇動に該当する」という指摘への反論に全くなっていませんがデリケートから印象操作扇動正当化されるというご主張でしょうか。

zatpekのコメント 2017/07/14 16:56

id:hanyan0401私の確認行為デリケートな部分が傷ついたのなら申し訳ないですね。(要するにこうやって揉めるんですよ)//基本、確認が難しいから「安全係数を大目にとる」という運用しますね。ゾーニングって奴です。

hanyan0401のコメント 2017/07/14 18:17

id:zatpek 私の内心の話はしていません。表現への批判貴方論理に倣えば決めつけであって、印象操作扇動以上の意味を持たない。この点については特に反論がないという理解で正しいでしょうか。

zatpekのコメント 2017/07/14 19:22

id:hanyan0401あなたの「反論」は、です。最初にケースバイケースと言わなかったでしょ?排他律なのに。芸術わいせつの両立はチャタレイ裁判で結果が出てますけども。

hanyan0401のコメント 2017/07/12 02:27

ジャンプ編集部でつい最近、「トイレマークを扱った漫画」が非公開とされたばかりなのに、「批判であり規制要求ではない(から反論批判を封じるな)」とは、批判側にご都合がよろしいですねとしか言いようがなく。

zatpekのコメント 2017/07/12 10:30

id:hanyan0401非公開にした主体批判を受け入れたジャンプ編集部ですね。//つまり言論の枠内で片づいた話でしょう?そこで規制の話を絡めてくるのが「ヒステリック批判封じ」だってことですよ。

hanyan0401のコメント 2017/07/12 10:59

反論なき批判暴走しますよ? / id:zatpek そうですね。私はその決定自体特に否定しません。表現への批判のみが顕在化して素通しされることがないよう、批判に対する反論存在重要であるということです。

zatpekのコメント 2017/07/12 12:32

id:hanyan0401そもそも「素通し」が生じるとして責任はこの場合反論しなかったジャンプ編集部」なので、あなたジャンプ編集部批判的でないのは筋が通らないのでは。

hanyan0401のコメント 2017/07/12 12:55

id:zatpek 元より責任を問うてはおりません。非公開も編集部判断であり自由でしょう。素通しされないよう批判への反論可視化されるべきだと私は考えますし、批判への反論もまた自由であるということです。

zatpekのコメント 2017/07/12 13:51

id:hanyan0401それはそもそも批判が不当であるしか出版社は不当な批判反論しない」という前提の論理ですよね。出版社側が妥当批判と受け止めた、という筋はないわけですか。

hanyan0401のコメント 2017/07/12 14:15

id:zatpek いえ。批判に対する反論を「封じ込め」とすることが批判側に都合が良い論理だという指摘なので、批判正当性出版社側の判断論点ではありません。批判に対し反論すべきではないとお考えなのですか?

zatpekのコメント 2017/07/12 14:29

id:hanyan0401批判の封じ込め」とは、必ずしも法的規制を望まない意見表明まで一括りにされる危惧表現されたものですね。自主規制言論上の解決ではなく抑圧とだけ捉えるならば、その危惧妥当でしょう。

hanyan0401のコメント 2017/07/12 17:41

id:zatpek 「一括り」とありますが「法的規制を望まない批判」は規制を求める批判とは異なり、反論対象とすべきではないということでしょうか? 自主規制円満事実上強制かはケースバイケースでしょうね。

zatpekのコメント 2017/07/12 17:56

id:hanyan0401事実上強制」と見なしたから例に上げたんですよね?だからあなたはすでに「一括り」にして反論してしまっているでしょう?

hanyan0401のコメント 2017/07/12 18:28

id:zatpek いえ、そうではなく。規制要求の有無に関わらず、表現への批判表現と同様に、自由反論批判)される対象と思われますが、規制を求めていないという理由反論すべきではないとお考えなのですか?

zatpekのコメント 2017/07/12 19:29

id:hanyan0401ケースバイケースであるはずの自主規制一方的に「事実上強制」と決めつけた「反論」に、印象操作扇動以上の意味があるんですか?

hanyan0401のコメント 2017/07/12 21:10

id:zatpek 答えになっていません。条件付けではなく、まずは原則として規制求めない批判反論すべきではないとお考えなのか、お答えください。また「事実上強制と決めつけた」の主語は私を指しているのですか?

zatpekのコメント 2017/07/12 21:54

http://b.hatena.ne.jp/entry/341691185/comment/hanyan0401 あなたのこのブコメは「事実上強制」とみなしているのでは? ならば原則論無意味でしょう。あなたの中では批判顕在化は「単により狡猾な規制」に過ぎないのだから

hanyan0401のコメント 2017/07/13 04:16

id:zatpek批判顕在化だけで自主規制に至る」は外形的事実の指摘であり、「強制」とはそのブコメでは評しておりません。顕在化による自主規制が「事実上強制」かどうかはケースバイケースだということです。

1hanyan0401のコメント 2017/07/13 04:25

id:zatpek ちなみに貴方論理を踏まえてお尋ねしますが、必ずしも一意ではない多義的フィクション一方的に「性暴力」「セクハラ」などと決めつけた批判には、印象操作扇動以上の意味があるのでしょうか?

hanyan0401のコメント 2017/07/13 11:10

id:zatpek 再三申し上げているように「事実上強制と仄めかして」はおりません。/ はあ。では自主規制当事者は唯一表現者出版社)だけであり、同様に「一方的決めつけは当然」となるのではありませんか?

zatpekのコメント 2017/07/13 18:18

id:hanyan0401 http://b.hatena.ne.jp/entry/341645160/comment/hanyan0401 非公開を言論上の円満解決とは見ていないから「都合がよろしいですね」と書かれたのでは?//たぶん私の言葉足らずが原因ですが、後半の文意がわかりません。

hanyan0401のコメント 2017/07/13 18:32

id:zatpek なぜ自主規制円満解決「とだけ」みなさなければならないのですか? / 「セクハラ暴力」なる決めつけが許されるなら、「事実上強制」という決めつけも許されるということです。貴方論理に倣えば。

zatpekのコメント 2017/07/13 19:46

id:hanyan0401まり、実際はケースバイケースと知っているけれども、対抗言論として「事実上強制」という体をとる、ということですか?//(ところでなぜかスマホだとidコール通知が飛んできませんねこれ)

2017-07-09

https://anond.hatelabo.jp/20170709175507

要するにあなた(方)は、女性尊厳が冒されるのは死ぬほど許せないけど男性はどうでも良いかBLものには全く文句言わないんでしょ?

それってセクハラ親父並みの物凄い性差別主義者だよねってこと。男女問わずに主張するなら未だしもね。

別に現実の女を原作としている」ことに反論なんてしてないよ。

ただ、「まるで全てが現実女性と同じだ!」と思ってる人はちょっと頭が残念だよね。アレンジされた存在と、オリジナルを同一視してることがおかしいって話でしょ。ちゃんと文意を汲めてる?


え、改善って魚とか獣にすればいいの?

そもそもなんで確約しなきゃならんの?

あなたはいから世界女性代表選手になったの?

2017-06-15

anond:20170615065145

規制したがっている」と書いたが「規制している」とは書いてないだろ?

よく文意理解しような。

2017-05-26

英単語は暗記してはいけない

さて、今回は私の英語学習法の核心、「英単語の暗記をしない」ということについて語ってみたい。

英単語を覚えた」とはどういう状態

http://anond.hatelabo.jp/20170524213622

ここで前回リスニングについて語った内容には、凄まじい反響があった。私は1500というブクマ数にoverwhelmされてしまった。

いきなり何を言ってるのか、と思われるだろうが、私の感覚の中では、1500ブクマという気分を一番表せるのは、日本語の「圧倒された」ではなく、英語の"overwhelm"だ。

この単語はただ「圧倒された」だけでなく、「圧倒的な力に晒されて、疲弊してしまった」という感覚がある。もしこれが増田でなく普通ブログだったら、プレッシャーで何も書けなくなっていたかもしれない。

他にも、前回の「英語をあるがままに受け入れなければならない」という結論の部分は、最初は「英語をあるがままにembraceしなければならない」と書いてあったのだが、伝わらなさそうなので書き直した。embraceは「抱擁するように受け入れる」というような感覚だが、日本語で書くと何のことやらわからない。

英単語を覚えるということは、こういった単語に伴う感覚を一つ一つ身につけていくことだ。そうすれば英単語自分のものなり、ライティングスピーキングでも自然単語が湧いてきて、自由に使うことができるようになる。

英単語それぞれに固有であるこの感覚をどう身につけるのか、というのがここで語りたい話題である

日本語訳語を覚えるのは有効

英語学習世界で良く出て来るスローガンに「英語英語のままに理解しなさい」「日本語に訳して理解してはいけません」というのがある。

しかし「英語英語のままで理解しろ」と言われても、初心者には何のことか分からず、何か魔術的な、自分には絶対にできない思考法によってしか英語理解できないのではないか、という気にさせられてしまう。私も高校生の頃に、このスローガンを聞いて、そんな絶望感に襲われたことがある。

日本語しかできない日本人にとって、言語思考する際に使える唯一のツール日本語だ。英単語意味を知りたいなら、日本語訳語なり、日本語で書かれた説明によって理解するしかない。

日本語訳語を当てはめ、文法ルールに従って語順を並び替えて、並び替えた日本語から文意をつかむ。ノンネイティブである学習者はそこからスタートするしかない。そして大学受験レベルになっても、難関校を受験するのでなければ、その方法論で通用するだろう。

そのレベル英語力が欲しいならば、訳語を覚えることは有効だ。

ただ、「英単語を覚えるぞ!」と単語帳を開き、そこに記された訳語や例文を見たり、書いたり、発音したりしてみても、それで記憶できるのは記憶力がいい人だけで、普通は無理だ。

そしてそのレベルの、日本語訳語並べ替えるような英語力では、現実世界にあるほとんどの英文は読めず、あまり役に立たない。日本語英語はあまりにも違いすぎるので、逐語訳、直訳はほとんど通用せず、日本語訳語をそのまま適用しても英文理解することは出来ない。

なので、受験関係ない大人にとって、日本語訳語による英語理解は、目指すべき目標にはなりえない。

英英辞典を引くのは有効

「『英語英語のままに理解しなさい』か。ならば英英辞典を使って英語意味を覚えよう!」と考えるのは自然な発想だ。しかし、これもうまくいかない。

日本語を介して英語理解する段階を超えるには、英単語の持つ固有の感覚を覚える必要がある。

英単語から日本語訳語が想起されるようではいけない。それと同様に、英英辞典に書いてある語の定義が想起されるのも、その隣に書いてある同意語が想起されるのもアウトだ。そういった余計なものが出て来るようでは、リスニングはできるはずもないし、リーディングにも苦労を伴うことになる。

日本人にとっては、日本語単語が持っている感覚を想起するのは容易い。一方、英語から感覚を想起するのは難しい。英単語感覚を結びつけるという意味では、日本語訳語を介したほうが早い。

しかし、日本語訳語英単語では、意味に違いがある。日本語訳語を介して英単語理解しても、不正確な理解しかならない。しかしそれは、英英辞典に書いてある定義にしても、同意語にしても同じことだ。同意語といっても、単語が違う以上はニュアンスの違いがあり、辞典の短い説明でそれを完全に言い表すことは出来ない。

なので、単語を覚えるために英英辞典を使うべきではない。(*1)

英単語の本当の意味

英和辞典英英辞典では、英単語が持っている本当の感覚を掴むことはできない。

英単語の本当の意味は、その単語が実際に使われたシチュエーションの中にあり、その中にしかない。その単語を発した人の感情であったり、伝えたいメッセージがその単語の中に込められる。それを感じ取ることが出来れば、その単語の本当に意味するところが伝わってくる。

もちろん人によって、単語に込める意味には多少の違いがあるし、一度や二度その単語出会っただけで、その感覚を本当に自分のものに出来るかはわからない。その単語に何度も出会い修正を重ねながら、感覚を確かなものにしていく必要がある。

いずれにしても、実際にその単語が使われている生の英語を、深く理解し、言葉を発した人物気持ちシチュエーションをしっかりと読み取ることで、そこに出てきた単語の本当の意味を掴むことが出来る。辞書定義や、ぶつ切りにされた例文からでは分からない。

小説映画を介して英単語を学ぶ意味

小説映画シチュエーションを深く感じ取って理解し、記憶の中に蓄積していくことで、そこで出てきた英単語イディオムといった英語表現意味を、実感を伴って理解することが出来る。やがてその英語表現自分身体の中に染み込んで、感覚的に使いこなすことができるようになる。

http://anond.hatelabo.jp/20170522214348

私が以前ここに書いた学習法では、「辞書を引きながら小説を読む、映画英語字幕を一時停止しながら解釈する」といった事が勧められている。それは小説映画が、人物の心情があり、シチュエーションがある生の英語の塊だからだ。そして「自分が楽しめるものを見る」ことを勧めているのは、そうでないと登場人物の心情に寄り添ったり、シチュエーションハラハラすることが難しくなり、英語感覚的に深く読み取ることができないために、著しく学習効果が落ちてしまうからだ。

ここで使う辞書はもちろん英和で構わない。ただし辞書記述はヒント程度にとどめ、単語の本当の意味作品の中から感じ取ることが重要だ。辞書から単語感覚理解することは出来ず、実際に使用されたシチュエーションを蓄積することでしか単語自分のものとすることは出来ない。

英語英語のまま理解する

単語イディオム等、全ての英語表現は、小説映画実体験などから記憶の中にその表現使用されたシチュエーションが蓄積されることで、その表現に固有の感覚が醸成されていく。

そのシチュエーションが印象深いほどに、感覚はより明確になり、記憶への定着率も上がる。そしてシチュエーションの数が増えるほどに、感覚はより正確に、記憶はより強固になっていく。

シチュエーション自体は時とともに忘れてしま場合が多い。しかしその表現に染み付いた感覚は、シチュエーションを忘れた後も残っている。

そして英語表現からその感覚が直接想起されるようになれば、日本語を介さず「英語英語のまま理解する」状態に至ることができる。その状態に至れば、その英語表現感覚的に理解し、適切な時に適切な形でアウトプットすることも出来るようになる。

作品を味わうために必要英語

そうはいっても、「私の英語力では小説映画もとても歯が立たない。それは語彙力が足りないからだ。まず単語を覚えなければ」と考える人は多い。

そして単語学習のあまりのつまらなさ、記憶の定着しなさに絶望して諦めてしまうというという人が後を絶たない。しかしそれは根本が間違っている。

辞書というものがある以上、英語解釈するのに語彙力は必須ではない。テスト問題を解くためには、辞書なしで英語を読み解く力が必要かも知れないが、小説映画を味わうために必須ものではない。

単語を調べるためにいちいち辞書を引いていたら、話が先に進まず、読書体験がぶつ切りになるので楽しめない」という考え方もあるだろう。しかし私は「辞書を引きながら頑張って読んだからこそ、心に深く残る読書体験になる」と考えている。

通常の母国語読書では、立ち止まり辞書を引き、文法構造を考え、熟考しながら読み解くというような作業はまず行わない。学習者が文章理解するために行うそれらの作業は、文章を深く読むことにも役立っている。

最初に読んだ一冊、私の場合は"There's a Boy in the Girls' Bathroom"という児童書だったが、当時の私には非常に難しく、何度も立ち止まり辞書を引き、検索し、英文法に立ち返り、悪戦苦闘した。ただ、これは本当に素晴らしい本で、読む価値があると思えたから頑張ることができた。登場人物の心情に寄り添い、シチュエーションハラハラしながら、苦しいながらも素晴らしい読書体験をすることが出来た。

一冊目を終えれば二冊目はずっと簡単に読めた。三冊、四冊と進むに連れて英語力がぐんぐんと増していき、読書から苦が減り喜びが増していった。やがて「ゲームの達人」のような大人向けにも手が出せるようになり、刑事ハリーボッシュシリーズにハマる頃には映画英語字幕で存分に楽しめるようになっていた。

そして今はKindleがある。単語を長押しすれば辞書が引ける、検索も直ぐに出来る、洋書はなんでも安くダウンロードでき、スマホに入れて持ち運べる。これは英語学習のために存在するような素晴らしいツールだ。

Kindleがあれば語彙力は読書障害にはなりえない。ただし、児童書レベルでも英文を読むためには、ある程度の文法力が必要だ。そのためには受験参考書活用してほしい。日本受験英語界には素晴らしい文法解説がたくさんある。

日本語訳使用してもよいのか

日本語を介してしまうと英語を深く感じ取れないため、基本的日本語訳は使うべきではないと考えている。

ただ、どうしても理解できない英文出会うことはある。いくら時間を費やしても理解できない、そういう時には、日本語訳を見る。日本語字幕であったり、訳書であったりだ。プロフェッショナルの訳からは、独習では得難いものが得られることも多い。

作品から単語を覚えるのは非効率ではないか

世の本屋には「基本単語1000」とか「TOEIC必須単語3000」といったような、頻出単語とその意味を並べた参考書が大量に並んでいる。

英文に登場する単語の90%は1000語に含まれる、だからこの基本語をまず暗記して、それから英文を読むのが効率的だ」などと言う人もいる。しかしこれはほとんどデタラメである

英文に登場する単語の大半が基本語なのは確かだ。しかし500ページそこそこの参考書に1000個も意味が書けるほど、基本語の内容は浅くない。私は今でも日常的に、基本語を辞書で引いている。そしてその単語のさまざまな使い方を見て、基本語の奥深さを噛み締めている。

英語は読むにしても、書くにしても、聞くにしても、話すにしても、基本語は身体の一部になるぐらいまで深く理解する必要がある。実際の英語の中で気が遠くなるほど何度も遭遇し、使用シチュエーションを蓄積し、自分でも使ってみる、そういった積み重ねの中でしか、その本当に意味するところは分からない。参考書レベルで基本語を分かった気になっても、少し派生的な意味で登場しただけで分からなくなるのがオチだろう。

そして英語の語彙の中で特に難しいのは、基本語の組み合わせによって発生する熟語イディオムであるイディオム意味単語意味するものから大きくかけ離れていることが多く、故にイディオムと呼ばれるわけだが、この知識参考書ではほとんど得られない。このように、90%とされる基本語の中にも、参考書に含まれていないものが大量にある。

「それでも、頻出単語基本的意味だけでも抑えておくのは重要ではないか小説などでランダムに出て来るのに任せたら、時間がどれだけかかるかわからない」そう思う人もいるだろう。

しかし、頻出語は頻出するから頻出語と言われる。基本単語1000ぐらいなら、小説を1冊読む頃には否応なく頭に染み付いているはずだ。それも単語参考書で得たものとは違って、単語から想起される感覚を伴った、生きた英単語として身についている。

TOEIC3000語も、何の本でも数冊読めばほぼ頭に入っているはずだ。3000語を感覚的に理解できるようになれば、その3000語で構成された文は、日本語を介さず感覚的に理解できるようになり、「英語英語のままで」理解できるようになる。そうなれば読書スムーズに進むようになり、インプットスピードが上がり、それが英語の上達を加速させる好循環に入ることができる。成長の実感は英語学習モチベーションを高め、それがさらに成長を加速させる。3000語を感覚理解できる頃には、英語学習にドハマリして抜け出せなくなっているはずだ。

高難度の単語

高難度の単語は出現頻度が低くなるので、そういった単語網羅的に学習するのは、小説映画ばかりを偏って見ているノンネイティブには難しいかもしれない。英語上達完全マップによると、多読などの自然方法に任せると二万五千~七千程度で語彙力は伸びなくなるという。

現在私の語彙は2万5千~7千と思われますが、多読などの自然ボキャビルにまかせると、この当たりで語彙の伸びは止まるようで、ここ10年くらい同じレベルにとどまっていますhttp://mutuno.o.oo7.jp/05_training/05_training06.html

それ以上の高難度の単語網羅的に学習したい場合は、単語参考書を使うのは有効だろう。高難度の単語なら基本語のように意味派生したりイディオムになったりということは少なく、参考書レベル理解でもなんとかなるかもしれない。

ただ、参考書による単語学習はやっても覚えられないので、私はやらない。無数にある見たことのない単語の予習に励むより、知らない単語が出てきても、話を追い続ける力を磨いたほうが現実的だと考えている。

自分がやるべき学習法とは

何の学習法でも言えることだが、自分が今やるべきでない学習法、自分に合ってない学習法は、やってみると身体本能的に拒否する。そういう学習法は、無理にやっても身が入らないのでやらないほうが良い(もちろん私の勧めている学習法も含めて)。

気持ちよくて、クタクタに疲れられる学習法と出会ったら、それをやるべきだ。疲れているということは脳が働いているということで、気持ち良ければずっと続けられる。

そのうちに慣れると疲れなくなってくる。トレーニングしても疲れていない場合、上達は見込めない。そうなったら学習法をアレンジし、負荷を上げて、気持ちよく疲れられるところまで調節する。誰かに教わった学習法でも、こうして自分の今のレベルに合った形にアレンジすることで、効果を高めることが出来る。

追記:

長くなりすぎてしまった。ここまで読んでくれてありがとう

 *1 しか英英辞典自体は、それを使いこなせる英語力が身についた後ならば、英語学習の強力な武器になる。
 私は普段オックスフォード英英辞典を使っている。グーグル使用言語英語にして単語ググると、一番上にオックスフォード記述が出てくるので、まずこれを見る(出てこない場合検索語にdefinitionを加える)。Kindle無料でついてくる英英辞典オックスフォードだ。
 オックスフォードでは、英単語をより難しい英単語説明している。その単語辞書で引くことで、際限なく難しい単語出会えるため、いくらでも語彙を増やすことが出来る。単語定義も難解で味わい深く、その文章に触れること自体英語力を向上させてくれる。

2017-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20170514231823

ホットエントリ入った数なら、数十はあるけど、明らかに文意のとれてない頓珍漢なコメントが増えた上にそれにスターつけられて不愉快になることばかりだったので、あんまりブクマ集めたいとは思わん。実感としては、ブクマ数5〜20までが、わりと良い感じで、それを超えると脊髄反射的見当違いブコメが目立ってくる。

2017-04-30

http://anond.hatelabo.jp/20170425100651

 なんだぁ? 読めねーのがタカってんなぁ。w

俺はこの元増田創作かどうかなんてどーだっていいし語るつもりもねぇぞ?

 そういう事実があるのに「出来過ぎだ」っつった奴を一概に責められんのかって話をしてんだよ。


 ついでに言うと

増田ステマしてるとか運営側が書いてる」

じゃねぇよ。

増田ステマしてるとか運営側が書いてるって話はある」

だ。

 ダブルミーニングからこの部分の文意解釈的には俺が悪いが、「運営が書いてるって話を増田で見た」んじゃねぇからな?w ランサーズだかなんだかのライター募集登録制サイトで、はてな近辺の記事ブログコメント、Fav、ブクマなんかをする仕事があったって話を個人的twitterで見たんだよ。だから俺のフォロワーデタラメ書いたんなら事実じゃねーかもな。尤も、俺はどっちでも構わないものとして書き捨ててるが。


 いいか? もう一度だけ書いておく。

俺の「増田ステマ云々」の文章をよーく読めよ?

 俺は元増田創作かどうかは認定も判定していないし、それがどうだとも言っていない。

作為ある指摘ってのの概要については上述した。

 ついでだがチンケで卑しいどーのって書いてる奴な? 正しくは"血道を上げる"だからよく覚えとけよ?w

別に意味が通じりゃ俺はそういうのはどーだっていい性分だけどな。

2017-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20170302185556

から事件が起こった後の後付だろーが

落ち度がある=やるべき対策をやってなかった=責任がある

文意は変わってねーんだよ

お前はいつも独自解釈他人低能呼ばわりするパターンばかりじゃねーか

http://anond.hatelabo.jp/20170302184532

それ落ち度でも責任でも文意変わらないよね

無意味ってのは、「ツイッターキチガイブロックしてはいけない」ってのが、そんな自明なことか?ってことでしょ?

結果論じゃないか、ってことでしょ。

2017-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20170214153614

明らかに常軌を逸した負担です。

はいでました、主観

自分教師ってそういうもんだろっていうスタンスなんで、すみませんね。

あのトラバ

ゴミ収集車運転手が『汚いのもうやだ』っていってる?

馬鹿、そういう仕事から仕方ないだろ、嫌ならやめりゃあいい」

っていう考えでつけたんです。文意わかってました?

収集車の運転手労働環境改善すれば

心身が回復して能力も向上するし新しい人材も入ってくるだろう」

あなたは考えるわけですけど

実際はその仕事に就こうと思う人は増えないと思うんです。

教師って誰もやりたくないけど誰かがやらなきゃいけない仕事だと思うんですよ

医者とか弁護士と同じですね

でも教師医者弁護士と違うのはその職種を設けるのが社会義務になっているところですよね

教師っていうのは嫌でも誰かがやらされる職業なんです

すでに今の人数で回っているように見受けられる状況なら

わざわざ教師になろうと思う人なんてそんないないと思うんですよね

それどころか安易人材を減らしたり人件費を増やして財源を圧迫すれば

現場の質は下がるのではないですか?

運転手給料休みを増やしたら、

結果、人員が削減されて、回収日も火曜と金から火曜日だけになった。

処理施設の稼働に割く予算も減らされて、やがて街にはゴミがあふれかえるようになった。」

極端なたとえですがこういう事態に陥れば運転手もその不便を強いられるわけじゃないですか

汚い街に住み、より大量のゴミをより少ない人数で処理しなければならない。

そうなったとしたら本末転倒でないですか。

安直すぎるんですよね、

教師労働環境を向上させるっていうのは易しくても増田のなかで打開案なんてもってる人間いないでしょ?

気が利かない人間なんで変な喩えになりましたが子どものことをゴミだとかそんな風に思っているわけじゃないんであしからず

2017-01-05

[] #11-4「バトルアンドファイト

前回までのあらすじ

俺、マスダ!

体力も限界に近づいていたその時、とうとう新パックを見つけたんだ。

けど、あのジョウとかいう明らかに嫌な奴が、この期に及んで邪魔してきやがる。

こうなったら仕方がない、口で言っても分からないならカードで分からせる。

それがバトルアンドファイトの掟だ。

相手子供みたいな大人だが、どうか俺にジャストコーズを!

あ、今回のカードバトル部分は読まなくても構成上まったく支障ないぜ!


「まずはワタクシから。今のあなたでは絶対にできない戦いをお見せしましょう。まずはコーズを1消費して、『無作為語学収集人』をエントリー!」

!? 新パックのカードか。コーズたったの1で、他の条件もなしにエントリーなんて低コストすぎる」

「もちろん、デメリットがありますわ。ダイアリーにあり続ける限り、ターン毎にコーズを1消費しますの。ですからワタクシはコーズを1消費して、この『権威の打撲武器』を装備。これを装備したユーザーカードのコーズ消費は0になりますの」

「なんだ、そのぶっ壊れた効果!?

「ワタクシのコーズはまだ残っていてよ? コーズを3消費して、『連呼される文意なき言葉』をエントリー! 同じカテゴリーカードを1ターンで何枚でもダイアリーに出せる!」 

「うわあ、公式大会での使用禁止まったなしだ!」

「そして『カレーレシピ』をエントリー! コーズを全て消費してカレー材料を合体! 『オリジナルカレー』がエントリーしまわ!

「1ターンで大型合体カード!?

「ほほほ、このゲームにおいて強力なカードは決め手ですわ。オセロで端を手に入れたようなもの。さあ、次はあなたのターンですわ」


「……確かに驚いたよ。新パックのカードはかなり強力なようだ。けど、あんガチ勢じゃないだろ?」

!? なぜ、そう思うのかしら?」

「このゲームにおいて最も重要なのはコーズのリソース管理だ。デッキからカードを引くのにも、カードを出すのにも、ほとんどの行動に消費する。コーズを消費しないカードもあるにはあるが、代わりに重たいコストがつきものからな。勝負を決めに行くときならともかく、攻撃ができない先攻1ターン目から全消費するのは有り得ない」

「ふん、別に毎ターン一定量回復しますし、上限もありますから使わないと損するだけですわ」

「やっぱり分かっていないようだな。まあ、直に分かることさ。『一括払い』をエントリー! これでコーズの消費は任意タイミングで一括して行う。そして『虚言の賢者』をエントリー! このカードは、疑問系カード無効化してエントリーできる!」

効果無効化していては何の意味も……」

「『あと一つは?』をエントリー! 本来ならこのカードエントリー時に同カテゴリカードを手札から2枚捨てなければいけないが、『虚言の賢者』の効果無効化されているのでその必要がない。そしてこのカード無効化エントリー時のみ適用される。つまり以降の効果は発動可能

「なっ……まさか無効化メリットにするなんて!?

「『あと一つは?』の効果で『隙あらば自分語りメソッド』と、『冷やかしのテンプレート』をエントリー! そしてこの2枚を消費することで、『露悪センセーショナル』をエントリーできる!」

「そ、そのカードは!?」

「『露悪センセーショナル』のエントリーによって、このターン消費するコーズは一度だけ相手が消費する。あんたの現在のコーズは0。知っているだろうけど、0の状態でもコーズは消費することができる。マイナス状態だと発動できない効果も多いし、毎ターン回復するコーズやHPペナルティが発生するがな」

「な、なんてこと……」

「だが、俺が消費させるのはコーズのほうじゃない。『観測外の一貫性』をエントリー! このターン、お互いのプレイヤーはコーズ残量0以下の状態でコーズを消費するとき、場のユーザーを代わりに消費する!」

!? ま、まさか……」

「察しの通り。俺が今まで消費したコーズ、あんたのユーザーで消費させてもらうぜ! そしてユーザーカードが場になければ、エントリーカードの『オリジナルカレー』も消滅するというわけさ」

「ワ……ワタクシの『オリジナルカレー』がぁぁぁぁぁ…」

大人の皮を被った子供め、覚悟しろ! ジャストコーズは俺にある!」

(#11-5へ続く)

2016-12-28

[]とかなくてしす

いろは歌 暗号

巷間の一部に、いろは歌の作者が折句暗号を埋め込んでいるとする俗説が古くから流布している。暗号からめて表面上の文意にも二重三重の異なった意味なども指摘される。『金光明最勝王経音義』など古文献の一部では、七五調区切りではなく、下のように七文字ごとに区切って書かれていることがある。この書き方で区切り最後文字縦読みすると「とか(が)なくてしす(咎無くて死す)」となる。これをもっていろは歌には作者の遺恨が込められており、源高明を作者とする説が出た。しか大矢透はこれを「付会」としている

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%AF%E6%AD%8C

2016-12-19

暗号みたいな指示を改めて欲しい

ちょっとした出版編集に携わっています

大好きな仕事ながら、私の上司の指示が全く意味不明で困ってます、助けてください。

「3ページ2行削除」

「4ページ下4行8ページ上7行に挿入」

「絵の右3行下移動」

原稿のどこの部分のことを指しているのかが分からない。

3ページと2行分の文章を削除しなさいという意味にも取れる。

3ページ目の2行になっている文章を削除するというようにも受け取れる。

もちろん確認しますよね?

すると「3ページと2行分削れって意味だよ!それくらいの指示は送ったメールで分かるだろ!」という顛末なんです。

・・・えーっと、どこからどこの3ページと2行分の文章をを削ればいいんですかね。

それを確認をすればしたで「電話で話す必要もない内容だからメールで指示してるのに効率って言葉意味分かってる?」ときたもんだ。

ひゃっほーい。

はっきり言って全く仕事にならない。

適当に3ページと2行分の文章を削って提出すると、ご満悦に「これで完璧やな!」というメールが届けられる。

あぁ・・・きっとこの人は文字数しか見ていない。

提出から1ヶ月くらい経つと「文意不明付けて」という謎の指示が飛び込んでくる。

こんな職場やめていいよね?

2016-12-07

自分の敵が言った時は言葉をそのまま受け取って言葉が悪いとか言ったりバカにしたりするくせに、味方が言ったとき文意を読み取れとか書かれてないことも考えろとか言い出すネトウヨの頭の悪さ。

2016-11-18

こどもの算数宿題

こどもの算数宿題を見ていて、大人の私が混乱してしまった。

「みっちゃんは、くりひろいに としおくんと いきました。みっちゃんは 17こ としおくんは 24こ ひろいました。どちらが どれだけ たくさん とったでしょうか。」

こどもが、式はわかるが答え方で迷う、という。

式は当然「24-17=7」。で、答えは「としおくんが 7こ たくさんとった」になるだろう。

そこでふと、他の問題にどう答えたかを見てみると、「17本」「85円」「36人」などの簡潔な答えが並ぶ。

ん?ここだけ文章で答えるのか?しかし、テストでは「聞かれた言葉を用いて答える」が原則

あれ、なら、

「100円の けしゴム20円の いろがみと 15円の がようしを かいました。ぜんぶで いくら はらえば よいでしょうか」

という問題には、「85円」ではなく「85円はらえばよい」と答えるべきなのか?

算数」の問題は「数学」とすこし違い、文意を正しく読み取ることも見られている、と聞く。

(掛け算の順序問題などもこれに関わるとか。調べてみると非常に根深い…。)

なら、上の文具問題で聞かれているのは「ぜんぶで いくら」の部分。「はらう」「よい」など問としては末節、「85円」という答えで十分意味が通じる。「85円」という答えでいいだろう。

そして、くりひろい問題は、「~どちらが どれだけ たくさん とったでしょうか」である

聞かれているのは「どちらが どれだけ たくさん」の部分。

「としおくん 7こ」

意味は通じるがこりゃ変だ。

「としおくんが 7こ たくさん」

いや、「たくさん」はおかしい。「たくさん」は多い少ないといった量を表す言葉から

「としおくんが 7こ おおい」

だろう、と思った。

これだと「どうした → とった」という動詞がなくなるので「としおくんが 7こ おおく(い)食べた」可能性が出てきてしまうが、いや、それこそ「算数から、また「文意を読み取る」から遠くかけ離れた心配だろう。さっきの「85円」だって盗んだのかもしれないし。

「としおくんが 7こ おおい」でいいんじゃない?と、こどもに答えた。

次の日。

こどもが持って帰ってきた昨日の宿題プリントは、

「としおくんが 7こ おおい」→「としおくんが 7こ たくさんとった」

に赤で訂正されていた。採点としては「○」。(文具問題は「85円」で正解、「○」。)

そうだよな、テストなんだから確実に答えるなら問題文どおり「~たくさんとった」だよな。

いったい、自分が何に引っかかっていたのかわからなくなった。

2016-11-17

http://anond.hatelabo.jp/20161115175041

文意理解してない批判ブコメ/トラバが多すぎで文意理解したうえでの批判があっても見つけにくい。まずトリックがあることは気づけ。

2016-11-16

http://anond.hatelabo.jp/20161115110314

ミノ粉みたいに

レーダー無効化して近接有視界戦闘を成立させる舞台装置としてのミノ粉に相当するような

人工知能だけ殺す電波が作られた世界観

AIロボット操縦を不可能にする仕組みを導入する必要があるのでは?

という文意でしょ。

http://anond.hatelabo.jp/20161115175041

これの文意を汲めてないブコメが多すぎて、俺ははてブを使い続けていいのかと思ってしまった。

文意を汲めてない(皮肉にも気付けていない)コメントをしたアカウントは全て非表示にしようかと思ったけど、大変なので諦めた。

ブコメには自分が持たない視点知識に基づく意見があったりして重宝するんだけど、

こういう人たちが書いてると思ったら読めない。

俺も自分であらゆる記事の良し悪しを判断できるぐらい知識があればなぁと思うんだけど。

はてブを使うようになってすっかり集合知に頼るようになってしまった。

その集合知が信頼できないとなれば、なんだかなぁ

でも、星がたくさんついてるコメントのおかげで自分最後まで読む気になったわけだし、

まぁぼちぼち使うか。

2016-11-15

恣意的誤用

追記

誤用ではありませんでした

恣意的誤用」という記事は誤りです

http://anond.hatelabo.jp/20161119102702

謹んでお詫び申し上げます

本文

最近恣意的」の本当の意味を知りました

恣意的 誤用」で検索すると非常に沢山の記事が出て来ます、もう何年も前から有名な話なんですね

こんな有名な誤用も知らずに自分は今の今まで、ドヤ顔で「恣意的に~」とか使っていたわけです

正しい意味を知っている人たちは誤用を見るたびに内心笑っていたことでしょう

本当に恥ずかしい……

以下正しい使用例です

はてなキーワード - 恣意

恣意的であるとは一貫した思想に基づかずその場限りの考えに基づいている点で、明確な目的をもった「意図的」とは区別されるべきである

ttp://d.hatena.ne.jp/keyword/%D7%F3%B0%D5

ニコニコ大百科 - 恣意的

恣意的』という言葉は、文中での登場の仕方が似ているせいか意図的作為的故意とという意味で使われることがあるが、恣意的には、無作為や定まった意図がないというニュアンスがあり、正しくない

http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%81%A3%E6%84%8F%E7%9A%84

▼「恣意的」を「意図的」と同じ意味で使ってる人は低学歴 「恣意的」は「偶然に」という意味ですよ

http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1343400752/

▼「意図的」と「恣意的(しいてき)」の正しい使い分け方

自分や誰かの行動の理由説明できない(と思われる)ときに使います

https://nanapi.com/ja/105751

恣意的の読み方は?皆が誤用しているその意味とは?反対語は?

ランダム」と言い換えることもできます

http://rubeusu-trend.com/1709/

▼どうして意図的って書かないの?

勝手気ままに」「任意に」「ランダムに」「自分勝手に」「無作為に」「その場その場の思いつきで」

http://blogs.yahoo.co.jp/delightful_mikan/60763792.html

▼【誤字等の雑記帳 3】

深く考えず、でたらめに行動している様子

http://www.tt.rim.or.jp/~rudyard/misc003.html

解釈記事によって少し揺れています

分かりやすく2点書き出すとすると

ということらしいです

まり意図的」という言葉に置き換えてもニュアンスこそ違えど意味が十分に伝わる文章や、"偶然に"といった意味が含意されていない文章誤用ということですね

ではここから誤用だということも知らずにドヤ顔で「恣意的に~」とか言ってる日本語の下手くそ馬鹿達を見ていきましょう

▼****さんのツイート

NHK恣意的編集にはうんざり

まずは個人です、まあ可哀想なので晒さないであますが、NHK批判の前に自分言葉を直してほしいですね、思いっき誤用しています

政府年金運用情報を開示へ…懸念払拭の狙い : 政治 : 読売新聞

運用信託銀行などに委託しているが、情報公開には恣意(しい)的な運用への懸念などを払拭する狙いがある。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/20160307-OYT1T50167.html

次は世界最多の発行部数を誇る読売新聞、なんと振り仮名まで振って誤用しています、これは恥ずかしいですね、情報公開で偶然性を廃するなんて意味不明ですからこれは言い逃れできません

フェイスブックニュース表示 恣意的と指摘で調査 | NHKニュース

フェイスブック利用者の画面に表示するニュースについて共和党政治家話題を避けるなど恣意的(しいてき)に選ばれているとアメリカの一部のメディアが伝え、内部で調査が進められることになりました

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160514/k10010520761000.html

言葉遣いには厳しいはずのNHK、なんと表題誤用してます、相当恥ずかしいですね、しかもこれは"偶然に"という意味だったとは絶対言い逃れできない誤用です、NHKしっかりw

▼「哲學研究入門」小石川書房 - 1949(昭和24)年9月30日発行

併しこういう歴史的現實の把握は全く恣意的な直觀に訴えるわけにはいかないから、そこに類型了解ということが必要になって來る

京大名誉教授矢田部達郎先生1949年上梓した本の一節です、旧字体でカッコつけてる割には普通に誤用してます

場当たり的な直感っておかしいですし、明らかに「作為的な」という意味で使っています先生どんまい

▼「文芸」1940(昭和15)年1月

今度の問題は、素子がそれほど恣意的に振舞う筈のものだろうか。

宮本百合子という文壇の元天才少女小説家先生です

全文読めばわかりますが、明らかに偶然性など含んでいませんし、自分の思うままに~という典型的誤用例と同じ形で使っています

▼「文藝春秋 第二八巻第一号」 1950(昭和25)年1月1日発行

まことに二つながら恣意的で、こうワガママでは、どこまで行っても、同じくりかえしにすぎない。

皆さんご存知、坂口安吾文章です、文意にはまったくもって「ランダム性」など含まれていません、典型的誤用ですね

油脂の浪費は法度監視制を創設 : 帝国油糧重点統制要綱決る : 化学 日本産業経済新聞 1943.4.14

地方割当民需(雑工業油、食料油等)の割当を、地方官吏の低度観点、古めかしい実績主義業者請託による虞あるが如き恣意的割当等に委せない制度確立

戦中の新聞記事です、こんな古くから誤用してます

▼日支政府呼応す : 社説 - 大阪朝日新聞 1940.3.31

思うに、今般反共和平建国親日政府樹立の挙たるや、他国家のロボット政権として恣意的に駆使するていの意図によるものでもなくてさりとて戦争相手政府として講和談判の衝に当っているわけでもない

少し遡って戦前朝日新聞の社説です、誤用してます

政党ファッショ大阪時事新報 1933.1.1-1933.1.7

かれらは所謂議院内閣主義否認し、国王恣意的に任命した官僚内閣組織し、議会対立したのである

更に遡って昭和一桁の頃の新聞記事です、誤用してます

▼減債基金存廃問題 大阪朝日新聞 1916.11.22(大正5)

経常費とす可しというにあり、乍併這は既にシェフレーの言えるが如く国債償還費は恣意的に定む可き最可動的の臨時費として各年の予算状態に応じ国家余裕を考察し大小有無伸縮的に定めらる可く

大正新聞記事です、「ほしいままに~」という意味で使っています、偶然やランダム性などという意味は含まれていません誤用ですね

ちなみにこの大正5年の使用例が調べる限りでは最も古い「恣意的」の使用例となっています

まり恣意的」という言葉は一番最初に使われた時、生まれた瞬間から誤用されていたんですね

そしてこの大正5年から2000年頃まで、1世紀近くの間、ほぼ全ての使用例が誤用となっています

酷いですね

正しい使い方、本来意味で使われるのは2000年以降、ネットが普及してからになります

特に最近は親切な人達ネット上で

とか

とか言って正しい使い方を普及してくれています

ありがたいですね

皆さんも誤用には気を付けましょう

2016-11-01

マスダとマスダ

サラダ

「ここに新しくレストランできたんだ」

「入ってみるか」

「すいません、どんなサラダがあるんですか」

「有名なものほとんどありますよ」

「じゃあ、ワードサラダください」

申し訳ございません、取り扱っておりません」

「嘘つき!」

ワードサラダ

「おい、ワードサラダってのは食べ物ではないぞ」

「え、サラダなのに」

言語障害ワードサラダという通称があって、それに倣って、自動生成した文意の通らない文章などを指すんだよ」

「そうなの? でも、そんな文章作ってどうするんだよ」

SEO妨害として主に使われている。文法的には正しいから、文意を読み取れない検索エンジンはそれを排除することが難しいんだ」

「よく分かんないけど、ないほうがいいサラダってことなのか」

「そうだ、つまりこの店は、いい店だってことだ」

食べ物名前

「それにしても、食べ物名前をつけるなんて、ややこしいことをするなあ」

「まあ、こういう通称には食べ物名前が使われることが多いな。ワードサラダスパム目的でよく使われているし」

スパム食べ物なの?」

「そうだな」

スパムなら取り扱っておりますが」

「おい、スパムあるって言っているぞ、この店ヤバくないか!?

「いや、食べ物のほうのスパムを言っているんだと思うぞ」

ネット観測される人格をなんとなく分類してみる

ネットってのは文章だけしか見えないがそれだけでもなんとなく分類できるなと。

 

文意が全く通じない

 └外国人(含スパム業者

 └知能が測定不能なほど低い

   └猫 on the keyboard

   └bot人工無能人工知能(含スパム業者

   └消防赤ん坊

   └精神障害のうち非常に重い症状の人

 

文意が通じそうで通じない

 └「全く通じない」に挙げたうちの軽い人

 └陽性期の糖質ワードサラダ

 └詩人厨房

 └社会常識・基礎知識が欠けている

   └65歳以上

   └義務教育を修了できていないハイティーン~成人、厨房

   └ねとうよ・ねとさよ

   └宗教

 

文意はわかるが重いので読むとすごく疲れる 

 └愛情乞食・構ってちゃん

 └(元)メンヘラ(診断済み)

  └(境界性)人格障害

  └高機能自閉症アスペルガー

  └鬱・双極性の陰性・糖質の陰性

 └・・・をお世話している人(育児介護ブロガー

 

そもそもネット自分で書いた長文などほとんど投稿しない

 └ウェーイ・リア充

 └高校生大学生サラリーマン育児中の主婦フリーター

 └ADHD

 └商材ブログまとめブログ・インスタ

 

で、そのどれでもないのがプロブロガーだ。

 

とやればきれいにオチるかとおもいきや、アスペルガーADHD女性)とプロブロガーの相性ってものすごく良いんじゃないかと思う今日このごろ。

あの人もこの人も「実は発達障害と診断されたことがあって・・」って書いてるんだよなあ。

そろそろ日常的にネットに3000字以上の記事投稿する人は全員アスペ素質となってもおかしくないのではとおもいました。

ちなみにアスペADHDとちがって投薬治療はないので、診断を得ても得なくても生活は同じ(まわりがちょっと気をつけてサポートできるかどうかで残りの人生が違うだけ。でもそれ今までの普通の人と全く同じじゃん)なんだけど、カフェインと相性良さそう。

しろアスペって胎児期に高学歴母親にもらってたカフェインが足りなくなってるやつのことじゃないかとも思った。

===

ドーモ、ブクマカサン。元益田です。12ブクマ、慈悲はない。(←よろこんでいる)

胎内の影響を後天性というかどうか。定義はしらぬ。

アスペその他は自閉症スペクトラム」とつくとおり、完全に兆候がない人とはっきりした自閉症の間にバラエティがあってたとえば1%刻みくらいであてはまる人が世間にいるんだという考え方が主流。ただしアメリカ問題児男児からはじまった診断。

 

で、最近読んだ本。日本女児場合は脳梁が太いせいかホルモンのせいかしらんが、小学生の間全く兆候が出てなくて(乳児期の言葉も完全に普通に出る、授業中の立ち歩きもない、女児感覚過敏は日本社会では目立たない、学習に余裕があるので頑固=学級委員長タイプなだけとみられる)。で、思春期からバタッと人格が変わった感じになって発達障害とかその二次障害メンヘル系の診断名がつく。というストーリー医者が書いてておだやかすぎるので増田誇張あり)。

 

バイオインゴットならぬカフェイン(唯一の合法覚せい剤です)ドーゾ、と無責任にだれにでもすすめるつもりではない。

個人的に、昭和初期生まれ女性(無診断ADS?)で、コーヒー生活をこなしてる感じの人をよくみる。

アスペブロガーがんばれ。でも診断は重くみたほうがいいよ・・・たまにアスペならではの視野の狭さで、相手を選ばず場面をわきまえず喧嘩を売ってしまって炎上する人もいる。コーヒーものんでゆっくりしてください。

トーリアス先生にイアイドがんばれっていうようなものだけどな。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん