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2017-08-13

コミケ徹夜組の撲滅に対する提言

1 はじめに

筆者はコミックマーケット(通称コミケ」)を愛する者である

私は、徹夜組を撲滅したい。

本稿では、なぜコミケ徹夜組がなくならないか、今後どうすべきかを考察する。

2 コミケにおける徹夜組とは?

2017年8月11~13日の間、東京ビッグサイト(国際展示場)でコミケが行われた。

3日間で例年50万人を超える人が来場し、プロアマ個人法人を問わず自己制作した創作物(主に同人誌)を自由に売り買いできる即売会である

コミケはあらゆる問題を抱えているが(どのような問題があるかはウィキペディア等を参照)、ここでは徹夜組問題を取り上げたい。

徹夜組」とは、文字通り、コミケの開催前夜から東京ビッグサイトの周辺で待機する人々のことである

コミケ準備会徹夜行為禁止しており、原則として、電車の始発で開場で来ることを要請している。

徹夜行為禁止理由は様々考えられるが、主な理由は、深夜に大勢が集まることによる周辺地域治安悪化犯罪生活環境の悪化騒音を防止すること、また未成年者が深夜に出回ることで犯罪に巻き込まれることを防止すること等であるとされている。

禁止されているにもかかわらず、毎年大勢徹夜組が現われる。

なぜか。

3 徹夜組がなくならない理由

(1) 徹夜しないと買えないものがある

始発で並んで入場しても既に目当ての商品完売していることがあるという現状がある(筆者も何度も経験がある)。

これは、ルールを犯してでも、徹夜行為をせねば手に入らない商品存在することを意味する。

事実として、在庫を僅少にしか用意しない人気サークルがあり、これが、徹夜組の創出の遠因となっていることは否定できない。

しかし、サークル参加者には販売数を自分で決める権利がある。また、人気サークルはい個人であることがほとんどなので、たくさん在庫を用意することを強いて赤字危険一方的に負わせるのも酷である

そこで、販売数に実績のある人気サークル芸能人出展者、継続的プロとして活動している出展者は、事前に販売予定数を準備会に申告するとともに、購入希望者は事前申込みをすることができるようにルール化すべきである。事前に申し込んだ者は、申込時点ですでに売買契約が締結されているので、キャンセルはできない。会場へは受け取りにいくだけであり、受け取らない人間に対しては送料・手数料受取人負担で送付する、ということである

準備会は人気サークルを把握しているので(壁サークル存在)、このシステムは実現可能であると思う。

これに関連して、後日通販を強制するという手段も唱えられることがある。しかし、販売数についてはサークル側が予測できない場合があり、十分な量を確保していたつもりでも予想外に早くすべて売れてしまうという場合があるから、後日再生産を義務付けるのは酷であること、また再生産には最小ロット数の制約があり再生産も簡単ではない場合があることから問題がある。

(2) 徹夜行為には法的ペナルティがない

さら問題なのは徹夜禁止ルール違反に対するペナルティ存在しないことである

履行強制がないルールには実効性がなく、参加者からみて「ルールを守る意味がない」のである

たとえば、何者かが開場時間前に勝手に会場内に侵入した場合国際展示場管理権者および捜査機関は、建造物侵入罪(刑法130条)として現行犯逮捕(刑事訴訟法213条)することができる。

しかし、徹夜組のうろつく国際展示場周辺は公道であって、原則として何時でも誰でも出入りできる空間である

したがって、徹夜行為に対する法的なペナルティはない。

東京都条例によってこれを禁止することも考えられないではない。しかし現状生じている不都合といえば、始発で駆け付けたマジメで純朴なオタクが、お目当てのものを買えないくらのもので、徹夜組が出ようと目立ったトラブルが生じていないから、立法事実(条例を作るべき十分な社会的背景)がないといわざるを得ない。

(3) 徹夜行為に対する準備会ペナルティもない

東京都が法的なペナルティを課さないのであれば、コミケ準備会こそ徹夜行為に対してペナルティを課すべきである

そうであるのに、コミケ準備会は深夜も国際展示場周辺に待機し、徹夜組誘導、整列させ、始発できた人間より先に入場させている。

準備会はいう、「徹夜組容認しているわけではない。しかし深夜に国際展示場周辺にきた人は整理せねばならない」と。

欺瞞である準備会徹夜組容認しているとしかいえない。

準備会としても、東京都条例を設けないのと同じ理由なのであろう。すなわち「大した問題ではないから今のままでいい」と考えているのだ。

繰り返すが、準備会徹夜組に対して何らかのペナルティを課すべきである

具体例としては、始発前に国際展示場周辺で待機していた者は、入場ができないようにすべきである

これを徹底させる手段としては、準備会は深夜に列形成をしない。治安維持本来その職務を担うべき警察に任せる。または、列形成してもその形成した列からは入場させないという手段が考えうる。

なお、参加者をあらかじめ管理し、次回以降の参加を禁止するなどといったペナルティも考えられるが、いかんせん徹夜をする人間が多すぎるので、人的・金銭リソースが足りず、このアプローチは困難であろう。

4 コミケ欺瞞は正すべき

コミケ一見自由表現ができる楽しい場、そして神聖な場のように見える。

しかし、このような欺瞞がまかり通るイベントでもあるのだ。

まず、正直者が馬鹿を見る状況はなんとしても変えるべきである

メディアで、いわゆる「始発ダッシュ」が取り上げられることがある。本当に哀れだな、と思う。だってルールを守って損をしている人々だから

そして、欺瞞容認するままであれば、コミケ自体価値が下がる。とことん下がる。

コミケを知らない人間から、やはり低俗イベントなんだね、と思われる。

コミケが「参加者はみな平等という崇高な理念を掲げる」なら、たとえ困難が付きまとおうとも崇高さを追及せねばならない。

今のままでいいなどという考え方はコミケを滅ぼすであろう。

2017-07-12

キャラバージョンラッキースケベ

ゆらぎ荘が問題になって疑問に思うんだけど、

キャラがスケべな目にあって恥ずかしがる描写漫画とかってないの?

規制とかしないでエッチ表現もっと男女平等だったら「女性向けの男性キャラでも同じようなことやってるからok」になって、そんなに炎上しなくなると思いたい。

現状は男性向けのコンテンツの方が歴史も長いし、文化社会的背景から女性向けはこれから表現クオリティにおいて男性向けと然程変わらなくなっていくんじゃないかな。

追記:男側がラッキースケベを受けてる漫画等があるなら、作品名を教えてください。

2017-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20170614132845

例えばロンドンのテロ事件を聞いて

あれがどういう犯人によって起こされたか社会的背景はどういうものか、これから増えるのか否か、イギリスはどんな防止策を取れるのか、

あたりには興味が湧くけど、

爆弾で死傷した被害者1人1人について想像して胸を痛めろって言われても痛めないわけ。


君は痛めるんだよね?大変だね。

痛ましい事件毎日沢山あるからちゃんと一つ一つ被害者の身になって胸を痛めてくれ。

やってるんだよね?

やってねーだろこの偽善者が。

2017-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20170522072925

まさに、ブルマーについて「なぜそれが使われてきたのか」という研究出版された。

おそらく制服についてもほぼ同じ論理で読み解けると思うので一読を勧める。

ブルマーの謎 〈女子身体〉と戦後日本

http://www.seikyusha.co.jp/wp/books/isbn978-4-7872-3410-0

女子体操着であるブルマーは、ブルセラブームを契機に批判を受け、1990年代半ば以降に学校現場から急速に姿を消した。消滅社会的背景はこれまでも断片的には語られてきたが、では、腰に密着して身体の線があらわになる服装が、なぜ60年代に一気に広がり、その後30年間も定着・継続したのだろうか。

地道な資料探索や学校体育団体企業への聞き取り調査を通して浮かび上がってきたのは、中学校体育連盟存在だった。そこから、中体連の資金難、企業との提携などのブルマー普及の背景を解き明かす。また、受容の文化的素地として、東京オリンピック女子体操が与えたインパクト戦前から続くスカートの下の2枚ばきの伝統などとの関連も検証する。

ブルマーは導入当初から性的まなざしさらされてきた。にもかかわらず、学校現場ブルマーが存続してきたのは、ブルマーをはく女子身体女子修身教育の幻を見る戦前回帰派と、美と健康を見る戦後民主主義派とが思わぬかたちで共謀していたためではないかと指摘する問題提起の一書。

2016-05-04

神経内科医が語る総合診療

医者さん以外には関係ない話かもしれませんが、今後専門医制度というのが大きくかわるということでお医者さん近辺は大変揉めています

端的にいうと今まである程度自由更新されていた、整形、とか皮膚、とか泌尿器といった専門医更新する際に勤務実績を付け加える、学会出席だけではなくレポートを課すなどして

更新を困難にして、(専門医を維持するのであれば)ある程度制度に基づいた臨床をやっていかないといけなくするということでしょうか。

内科については結構抜本的に話がすすんでおりまして、今まで内科認定医⇒各科(消化器、血液、呼吸器、循環器)専門医で事足りていたもの

今後はまず総合内科専門医なるもの進化してから各科専門医にすすむという形になるということで大変煩雑になります

 煩雑であっても、患者さんの利益になるのであれば一向に構わないと思うのですが、ここに内科専門医ではなく総合内科専門医という名前にしたところに

どこやかのえらい人の方図がすけているような気がしてならないのです。

 というのも、現状、日本国見回してみれば医療格差は確実に進行しています。某地域では当番病院を作って、あるいはその他の地域ではマンパワーがあって、ACS疑い、脳卒中疑いの患者搬送連絡などあろうものなら

あっという間にチームが参集して血管内治療含めてできるだけの方策施行するでしょう。ただしそんなことできるのは(国土面積でいったら)十数パーセントにも満たない地域しかありません。

厳然として、住んでる住所、病院との距離、そこの病院医者がその日たまたま月に一度の休日だったなんでことで受ける医療の質は極めて大きなブレがあり、僕はこの状況については

国民基本的人権を侵しているとしかいえないのではないかと考えています

 一方で国民の八割以上が都市圏で行えるような「スタンダード」な医療提供できるようなシステムを構築するなんて医療従事者の確保からしてむりだし無い袖もふれないし予算なんてどうしてもつきません。人口1万人の町で年に四回起こる心筋梗塞と年に二回おこるtPA適応のために、365日体制スタンバイさせるわけには行かないというのはお分かりいただけると思います

そういった「居所」による人権侵害現実存在する中で、それを声高に訴えられる前に、偉い人はわれわれ内科医をすべて内科専門医ではなく「総合内科専門医にしようとし、また基本領域に総合診療科をつくり

そちらに若い医師誘導するようきわめて複雑な新内専門医制度押し付けようとしているのでしょう。

もしあなたの街に総合内科専門医先生(専門は神経だけどね)みたいな人が赴任したらとりあえずあの人に相談したらいわゆるテレビでやっているような茫漠としたイメージ最先端医療につなげてもらえるというイメージをおもちではないですか?はっきりいって大きな間違い。です。

やっぱり初療で各科専門医が見た方が明らかに予後は良好と思います総合診療科がなんとかみていくということと、各科待機のそろった病院の行う医療を比べれば雲泥の差です。

総合」にはこんな意味がこめられているのでしょう。何かこの田舎病気しても「総合」なあの人はなんとかしてくれるにちがいない。それ総合なんだと。残念ながらそんなことは期待できないと思います

そうやって本来意味での適切な医療が受けられずに亡くなっていく田舎在住の人たち。彼らの適切な医療を受ける権利を守ることは、現状の保険診療では無理だと思うし

気づかれる前に制度を変えてうやむやに何でも見れますなんて無責任なことを広めてなんとかしようなんてのがえらい人の考えなら、そのとばっちりを食らう現場内科医もっと反発してもいいのではと思います

私は、看板として総合診療をかかげて治療することに大いに疑問をもっています基本的内科の力量を持った各臓器専門医病態社会的背景、かかりつけ具合などをみて、他分野専門医相談してそのつど適切な医療提供すればいいと思うのだが。それより、せっかくスペシャリティーを確立して生きていこうと思っているしょっぱなに、総合内科総合診療と称して地域医療格差押し付けられる役割をはたすのはごめんだ。

2015-12-10

宮崎駿こそ、児童性愛ではなくて自己投影の典型

日本アイドルを支えているのは、児童性愛ではなくおっさんたちによる自己投影だと何度言えばわかるのか。

宮崎作品に出てくる少女たちは、彼の憧れだ。

それは、性や恋愛対象という意味ではなく、彼がなりたいと憧れる少女の姿にほかならないのだ。

男性は、自身が薄汚い獣だという自覚を持っている。

からこそ百合が受け入れられるし、BLを毛嫌いするのだ。

しか女性と違い蓄積型である性欲は、発散しないかぎり否応なしに発散を求めてくる。

これを汚らわしいなどと簡単な問題に置き換えるべきではない。

なぜなら、進化過程としてそのメカニズムを持たなかったものが淘汰された結果なのだから

から男性葛藤するのだ。

少女お姫様に憧れるように、男性アイドルを夢見るのだ。

絶対に叶わない夢と知っているからこそ、応援という立場に甘んじているに過ぎないのだ。

しかし性欲は否応なしに蓄積されていく。

それを発散しないでいれば間違いを起こす可能性は増していくばかりだ。

そうしてうちに秘める獣に絶望するのだ。

衝動に任せて発散した自分を悔い、責めるのだ。

吸血鬼が涙ながらに愛した人間の生き血を吸い尽くしていくかのように。

しかし、その対象少女たちである可能性は限りなく低い。

そうして生まれたのが”らしきもの需要だ。

顔は少女、身体や社会的背景は大人というキャラクターが支持されるようになったのだ。

己の倫理崩壊させないがために、合法という砦を作るのだ。

一部フェミニストがこの界隈を性的虐待の原因だとしていたがそれは違う。

この界隈があるからこそ、本物が守られているということを忘れないでいただきたい。

こうした存在があるおかげで、彼らは自己投影性的興奮の対象を切り離すことに成功しているのだから

以前、某漫画家が宮﨑駿作品危険性を「素人にはわからないように巧妙にエロバイオレンスが隠されてるものが一番危ない」と指摘したことがあったのはこうした理由にある。

男性本来薄汚い獣として生きていくべきなのだ

そこに、少女自己投影対象として許すきっかけを与えてしまうことは危険性にほかならないのだ。

そうした文化地盤なくして、二次作品けが脱法児童ポルノのように海外に輸出されていくことは確かに危険である

しかし、日本かわいい文化に触れて、外国人気づき始めているはずだ。

そうした存在が、自分たち犯罪から遠ざけてくれているのだということに。

しま自己投影性的興奮との境界曖昧男子諸君は気づいて欲しい。

君たちにもアイドルに憧れることが許されているのだということを。

そしてそれは、あくま自己投影であり、性的興奮は切り離して解決すべき問題だということを。

2015-03-20

偏見差別無力感

ルミネCM大炎上していますね。

私は今二十代後半の女性です。

最近ジェンダー間や世代間での価値観の違いについてずっと考えていました。この前は、島耕作シリーズの作者の弘兼憲史氏が育児積極的男性について否定的意見を表明し叩かれていました。かぐや姫の物語放送され、現代的な価値観で生きる姫を追い詰めていく翁が叩かれていました。そういった話題きっかけです。社会的背景環境の違いにのためにどうしても価値観の違いは生まれもの。お互いの価値観を受け入れられなくて摩擦ばかり産んでしまっても、「そういう人もいる」と存在を認めることが大切ではないか。でも、それから具体的にどうすればいいのか?というところで悩んでいたのです。

しかし、ルミネCM炎上過程をみて。いや、それだけではなく、価値観の相違からくるあらゆる摩擦を改めて認識して、もう偏見差別からくる人と人との殴り合いはなくなるわけないほっとけ皆勝手に殺し合ってろ、という気持ちになってしまったのです。自分とは異なる価値観環境を持つ人の辛さを考えるだけの想像力なんて皆持ってないんじゃないのかと。

男が育児料理をするなんてかっこ悪い、男にはわからない、女はすっこんでろ、女にはわからない、男が泣くなんてみっともない、女は化粧しろ失礼だ、オシャレしないとか女じゃない、女は可愛ければいい、仕事ができない男はかっこ悪い、性欲を煽る格好をするような女が悪い、男は性欲の塊、男は女を性的な消費物としてしかみてない、若くない女は価値がない、ブサイク男はキモい、一人で歩く男は不審者、童貞はみっともない、処女じゃない女はビッチただしイケメンに限る旦那ATM母親恋愛するな、女としての需要、男としての需要、女としての幸せ、男としての幸せ

私はこういうことを、個人の価値観ならまだしも、さも一般的なことかのように口にすることが大嫌いです。どれだけの男性が男らしさを押し付けられ、どれだけの女性が女らしさを押し付けられ、今もすり潰されていっているのかを考えると、もう世界とか滅びた方がマシだなんて考えてしまます。周りから価値観押し付け偏見に苦しめられていることに気づかないまま、自分とは違う人々を叩いて憂さ晴らししている人もたくさんいると思います社会から視線を本当に無視できる人なんてなかなかいません。

別に男女に関することだけではありません。若者高齢者オタクリア充シングルマザー独身、子持ち、同性愛者、経済的強者経済的弱者うつ病主語を入れ替えれば偏見一方的な一般化は数え切れない程です。

まるで、私だけは差別偏見を嫌い、他人の苦しみを理解できる想像力を持つ聖人なのですみたいな口ぶりで話しましたが、全くもってそんなことはないのです。私は生来病気悪化のためここ数年は働いておらず、家族以外と話すことはほぼない、完全に社会の外にいる人間なのです。槍玉に挙げられがちなうつ病でもなく、セクハラパワハラにもあったことない。世の中で起こることは全てインターネットの向こう側で、私自身は少しも傷つかないところにいる。あらゆることの当事者ではない私が、多様過ぎるくらいの価値観がぶつかり合う現代で、うーんうーんと頭を捻ってどうすればいいか考えることに何の意味があるか、わからなくなりました。ただひたすらインターネットに吐き出されるヘイトの数々を、わざわざ自分から見に行って暗い気持ちになるだけです。

社会から弾き出されて、かえって社会の中で頑張っている人たちの気持ちが想像できないのは、私自身のことなのです。

偏見差別からくる殴り合いは、インターネットがどんなに手軽に他の価値観を持つ人々を視界内に入れさせても、むしろ摩擦は増えるばかりで、自分自身すら想像力の足りない馬鹿ならば、もう全ての思考放棄して、自分の好みに合う漫画小説情報だけを選択してその中の世界だけで生きていきたいと思ってしまます

高尚な書き出しをしておいて、結局は私の無力感を吐き出したいだけでした。無力感というか、私は無力なんです。

それでも傷ついたり捻くれたりする人が少しでも減って欲しいとは思っていますポリティカルコネトレスだとか、言葉狩りして少しでも傷つきそうな表現は消せと言いたいのではありません。古い価値観でも新しい価値観でもいい、無理やり適応しなくてもいいし、好きなものは好きで嫌いなものは嫌いでもいい。みんながそれぞれの思想価値観自由を保ったまま、それを人に押し付けない寛容さを持つにはどうすればいいのか、ということです。

皆さんはどうすればいいと思いますか。私にはまだわかりません。

 
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