はてなキーワード: 京都御所とは
京都市長選挙が終わった。
自民党・公明党の国政与党だけでなく立憲民主党・国民民主党といった野党からの推薦を受けた松井孝治氏が当選し、共産党などの支援を得た福山和人氏などが落選したとのことである。
SNSを見ていると、主にリベラル・左派と見られる人たちからの立憲民主党への批判の声が非常に大きい。そりゃ共産党と立憲民主党が共闘していれば勝てたかもしれない選挙、そう言いたくなる気持ちもわかる。
だが、少しでも京都の政界について関心があればそれは極めて困難(多分関係者が鬼籍に入るまで不可能)なことがわかる。中高年以上の京都人には半ば常識だが、全国的には有名でないだろうから、選挙も終わったことだし残しておこうと思う。
2008年
1996年
1989年
(1981年も大激戦だが省略)
票差は951票、4,092票、321票で御覧の通り激戦続きだ。
今回は非共産で有力候補が三分裂しており、過去よりも共産党有利だったはずが16,251票もの差がついてしまった。
これまでの京都を知らない人からすると善戦に見えるかもしれないが、政府への批判が強まる中でのこの結果は、共産党の側からすると惨敗と言わざるを得ないだろう。
今回もその形であり決して珍しくはないが、他地域ではリベラル・左派系相乗り候補もちらほら見られる中で京都ではそれが望み薄だ(国政選挙ならともかく)。
元々京都では共産党が異様に強い。それは何故か。その大きな理由の一つが、部落解放同盟に対する優遇に対してハッキリとNOを言っていたのが共産党だったからだ。
「ある地域には高級車が路駐されまくってるが通報しても警察は取り合ってくれない」
「別に働いていて高給を貰って高級車を乗り回しているのに生活保護も受けている」
エトセトラエトセトラ(このあたりは寺園敦史氏の【だれも書かなかった「部落」】シリーズに詳しい。そういえばこれもかもがわ出版で共産党系か)
当然他の住民たちは不満に思う。その支持が共産党に入っていったわけだ。
そしてこの部落解放同盟を支持基盤にしていたのが旧社会党であり、立憲民主党にもその流れが多く入っている。
京都ではこの部落解放同盟(旧社会党)と全国部落解放運動連合会(共産党)(現在の全国地域人権運動総連合)が文字通り血みどろの争いを繰り広げていた歴史があり、彼らが生きている間は感情的なしこりがあるため共闘は難しいだろう。
今回の選挙で福山氏(共産党)が勝った区は北区・上京区・左京区だ。特に左京区は圧勝と言って良い。
いずれも京都市北部で、京都御所近辺であり、どちらかというと裕福であったり誇るべき歴史(やんごとなき一族)であったりする人たちが住む地域だ。(北区と左京区はやたらと広いが、人口密集地に限ればこのとおり)
このあたりからも、「過去共産党が部落解放同盟の横暴から護ってくれた記憶」が連綿と続いていることが見て取れる(逆に京都市内で差別されてきた歴史を持つ山科区・伏見区・南区あたりでは惨敗なのもわかりやすい)
今の市政は、大企業や「部落解放同盟」幹部にばかり顔を向けています。
(略)
なんと一言目に部落解放同盟へのあり方批判、具体策でも二番目に同和(部落)行政批判だ。わかりやすいね。
こういった歴史を持ちつつも今回共産党が惨敗となったのは、当時の記憶を持つ人が少なくなっていった、すなわち京都での共産党人気の低下をあらわしているように感じる。
奈良は職員が上司に「違法だ」と進言したら逆に低評価を受けた案件だね
上司「んなこと言われてもこの事業切ると俺の命がやべーんだよ」
くらいのことはあっても驚かないね
しまちゃん家にはパパが二人いる。能天気でマイペースな茜パパと、理性的で優しい葵パパだ。
そんな二人に愛されすくすくと健やかに育ったしまちゃん。ところが、授業参観の後、パパが二人いてママがいないなんて変だとクラスメートに言われてしまう。
「変じゃない」と言い返したしまちゃん。だが、しまちゃんは自分の家族に何の不満もないものの、茜パパと葵パパがどうして結婚したのか、ふと疑問に思ったのだった。
授業参観の帰り道にパパ二人に疑問を投げかけたしまちゃんに、茜パパが葵パパとの馴初めを語ってくれた。そう、初めての出会いは、葵パパの「秘密基地」で……。
オメガバース作品。オメガバースとはなんぞ? というのは、ググれば私の説明よりもよっぽど解りやすい図解がいくつも出てくるので割愛。
私は普段、ツルツルテカテカな絵柄のビーボーイコミックスってあまり読まないんだけれども、表紙が助平じゃない作品は当たり率が高いという個人的観測により、試し読みを読んだ。そしたらパパ達の過去話の出落ち感が気に入ってしまい、購入してしまったという次第。実際のところ、わりと当たりだった。
オメガバース設定の作品は性質上悲惨になりがち……特にΩのほうが。そして悲惨な暮らしぶりのΩが理解のある彼くんに出逢って幸せになるというのがよくあるパターンのようだ。
だが、本作は型破りなストーリーだった。つまり、野性の本能に振り回された挙げ句の不幸展開ではなく、αもΩもそれぞれ本能を抑え着けてお互い相手を気遣って着々と幸せになっていったという、そんな結婚生活の序章話。
このご時世なんで、なるべくポリティカルコレクトネスに配慮したストーリー構成なのだろうか……。BLという時点で男性同性愛者の性的搾取だろけしからんと言われたら終わりだけれども。まあ、Ωが一方的にヤられて不幸になる話よりはストレスなく読めていいと思った。
茜と葵の若い頃に使っていたガラケーの型からして、彼らは00年代半ばくらいに高校生だった模様。ということは、現在は見た目は若いけど30代半ば。で、娘のしまちゃんが小学校低学年ぽいので、彼らはガチで計画的人生を歩んできたことがわかる。芸が細かい……。
とはいえ、エロシーンはエロい。別にエロがエロいのは悪くないけど、個人的にあんまり受けが派手にトロ顔するのは好きじゃないんで、そこだけは微妙と思った。
あ、これはネタバレになるけど、彼らはちゃんとゴムは着けていたというのが後のページに書かれていて、そんな後出し設定をだされてもなと思いつつ、ページを遡ってみたら、ほ、本当にゴムして致している!? それを修正が入らないように描くだなんて、なんつう芸と配慮の細かさなんだ……。半端ねぇ。
オメガバース設定はその性質と物語のよくあるパターンから、ずっとBL読みからも批判され一部からは嫌悪されて来たのだけれども、批判される部分を全て排除した作品も出て来るとは……。これもまた業界の自主的表現規制のたまものかと思えば、良し悪しだなぁ。そもそも、女性向けの作品で今時は古風な嫁入り譚とかが書きづらくなってきたというのも、オメガバース等特殊設定が流行った原因の一つだと思うので、オメガバまでクリーンになると行き場のない物語の受け入れ処が更になくなってしまうのでは。
この世ならざる者をホイホイ拾い、しかもまぐわうことで相手を成仏させるという特殊スキルを持った若者・左近桜蔵(さこんさくら)を主人公とした短編~中編連作集。シリーズは『左近の桜』『咲くや、この花』『さくら、うるわし』『その花の名を知らず』の全部で四作品が刊行されている。
大学生の桜蔵は、父方の祖父の墓参りに行く為にバスに乗った。そこで彼はまた自分が異界に迷い込んだことを察知し身構えたが、起きたのはなんと交通事故。
そこで物語は四年前、彼が高校に上がる春に遡る。祖父の遺品を祖父の縁者に形見分けをする際、遺品の一つが函だけを遺して中身がないことが判明。桜蔵は無くなった茶碗〈ざくろ〉探しの手伝いをすることになった。桜蔵は〈ざくろ〉の手がかりを求めて、祖父の生家・白鳥家の家系を辿るが……。
『さくら、うるわし』までは幻想小説の体だったが、『その花の名を知らず』はそこにミステリー要素が加わる。といっても、殺人など事件が起きて主人公がその解決にのり出すという話ではない。テーマは茶碗〈ざくろ〉の行方探しというよりは、茶碗探しにかこつけて桜蔵と血の繋がりのない父親・柾の系譜を遡り、彼らの因縁を解き明かすことにある。
そもそも、『左近の桜』シリーズのはじまりは、桜蔵が柾に懐いた疑問、「どうして柾は子どもを持つことにしたのか」なので、今回もまたその謎に、一族の系譜を紐解くことで迫ろうということのようだ。
私はずっとこのシリーズをなんかよくわからん幻想小説と思って読んでいたので、物語にミステリー要素があるということを完全に見逃していた。なんなら、あれだけ頻繁に登場しまくる柾をただの味のある脇役くらいに思っていたりとか……。なんだかなぁ、すごい訳わかんない話だけどなんなのこれ? と。
ところが、最新作『その花の名を知らず』を読んでみて、既刊とテイストが違いミステリー要素があるのは一体何故なのかと不思議に思い、それから、万葉集などの和歌や謡曲などの引用があるのが気になった。もしかすると、このシリーズは単なる思いつきとインスピレーションで書かれた幻想小説というより、何らかの大仕掛けが仕込まれた大作なのでは? と思い付いて、シリーズ一作目から全部読み返した。ああ疲れた!
細かいことは全部省くけど、『左近の桜』ワールドには「蛇性」というかつては水神を祀っていた一族……その者達自身が蛇あるいは水神なのかも……と、その伴侶となる「女」の血筋があって、前者が柾の家系、後者が桜蔵の血筋のようだ。桜蔵の育った左近家は、何故か「女」の血を継いだ男の子を、養子にするなど何らかの形で代々引き取ってきたらしい。
「蛇」も桜蔵の血筋(おそらく、『左近の桜』に出てきた「とても長生きな蜃=龍の子ども」というのがこれだ)も長寿だというが、家系図をみれば、柾の先祖にも桜の先祖にも誰も度を超えて長生きした人物はいない。「長寿」というのは、血統が絶えることなく長く続いているという意味なのだろう。
そもそも、タイトルおよび主人公の名が「左近桜」に由来している。左近桜は京都御所にあるとても長い歴史を持った桜だが、すごく長生きな一本の木なのではなく、枯死するごとに新しい桜を植え替えて守り続けて今に至るものだ。『左近の桜』シリーズにおける「長寿」も、そういう意味での長寿なのだと思う。
まあそういうわけで。桜蔵は「蛇」の伴侶になる「女」で、彼の戸籍上の父親の柾は「蛇」だ。柾は過去に彼の最愛の「女」を亡くした模様。そこで柾は桜蔵を自分のあたらしい「女」にするべく桜蔵を育て、彼が大人の「女」になるのを待っているのか、それとも単に「女」を育てるのが自分の役目と思って育てただけなのかは、『その花の名を知らず』でもまだ不明。
まあ、柾×桜蔵というカップリングが成立するのかどうかってとこだけど、年齢差が20歳以上もあるから、どうなるんだか。
『その花の―』はストーリーの大部分が桜蔵の子ども時代の話で、柾と桜蔵が親子らしくキャッキャしているシーンが微笑ましくてよかった。それを読まされると、あーこの二人がカップリングになることは無いかもしれんなぁーという気もしてくるけども。
「猫飼停」と呼ばれる豪奢な屋敷に棲む兄弟達のもとへ、とある必然によって引き寄せられた男達のなんやかんや。
『左近の桜』シリーズみたいに深い謎があるわけではない、肩の力を抜いて読めるちょっとえっちなBL短編連作小説だったー。
猫シッターのアルバイトのつもりがセックスのポジション的な意味で猫にされてしまう大学生の話から始まったので、猫飼停に住まわされて客を取らされる話かなあと思ったら別にそんな話ではなかった。
BL要素以上に、猫飼停の和洋折衷の豪華絢爛な内装や調度を想像するのが、とても楽しかった。
今回はこれまで。最近某BLレビューサイトのくじが当たらないし、長野まゆみ先生の新刊待ちでBLに使えるお金が乏しいので、BL日照りだ……。
この日記の内容はみだしのとおりだ。京都での学生生活の4年間をキャバクラでの黒服の仕事に捧げた。
昨年末のこと。コロナのおかげでストレスが溜まる中、ふと京都が懐かしくなって一人旅に行った。学生時代と社会人約十年目では、さすがに景色に差があった。いろいろと感じるものがあったので、ちょっとしたためてみることにした。
広島の田舎から京都に出たばかりの、当時18才だった私は大学生活に憧れを抱いていた。第一志望ではなかったが、行きたいと思っていた大学だった。
4月はあっという間に過ぎた。入学式、オリエンテーション、サークル勧誘、学部学科での新入生歓迎会、初めての履修登録、初めての講義、初めてのゼミ活動。
楽しくもあったし、不安もあったけど、5月になって、まだあることをしていないのに気が付いた。
アルバイトである。大学生はアルバイトをするものだと思っていた。それ以前に読んだ漫画やアニメでは、大学生はみんなアルバイトをしていた。
早速、求人情報の掲示板を見た。インターネットではない。学生課の前に貼ってある物理的なやつだ。すると、学内カフェがよさそうな気がしてきた。時給もいい(850円だった気がする)。
その日のうちに、お店に行って店員のおばさんに声をかけた。アルバイトがしたい、と。
何分間か話した後、「土曜日にシフトにはいれます」と告げると、大歓迎な感じで、「今度オーナーも交えて面接しましょう」と言ってくれた。私の携帯電話の番号を伝えた。
その翌日だった。知らない番号から着信があった。携帯が鳴っている最中、ガラケーの通話ボタンを押す直前に着信が切れた。
もう一度かけなおすと、女性の人が電話に出た。どうも話がかみ合わない。「こちらからはかけていません」とのこと。どうやら、大学全体の電話受付窓口に繋がっていたようだ。でも学内の誰かが、私に電話をかけている……。
増田の処刑はすでにおわかりだろう。あのカフェからの着信だったのだ。私はそんなことにも気が付かなかった。
それから3日が経って、あのカフェに行って、面接の件がどうなったのか聞いたところ、「オーナーに、あなたが電話に出ないと伝えたら、もう面接はいいって」という衝撃の答えが返ってきた。
私が阿呆だっただけだ。今でも、仕事でこういう感じのミスを冒すことがある。
ある日、京都御所の近くにあるコンビニで求人雑誌を持ち帰った。
パラパラと中を覗いてみる。飲食店や小売店が多いようだ。ただ、どのお店も時給が低い。大学の近所にあるお店は、だいたい750円~800円だった。今思えば、こういう視点はやはり若いな、と思う。
大学生の場合は、たとえ時給400円だろうと、釈迦に生きる人としてふさわしい常識や言動、知識を身に着けられる職場がいい。大学の同期で、一流どころの企業や官公庁やNPO法人に就職した連中は、リクルートや株式会社はてなや高島屋でアルバイトをしていた。
当時の私は、リクルートもはてなも高島屋も知らなかった。私の出身は広島県の府中市だった。そんなオシャンな会社は地元にはない。天満屋だったらあるのだけど。もし私が東京の府中市出身だったら、リクルートもはてなも高島屋も知っていたのかもしれない。
さて、求人情報誌も終わりの方まで来た。すると、スナックやキャバクラ、バーのページが出ていた。
あるお店の男性スタッフの時給のところを見ると、22時までが900円で、22時以降が1000円とあった。基本の労働時間が20:30~5:30で、開店準備と片付けを除いた9時間に対して給与が支払われる。ツッコミどころが満載だが、こういう業界なのだ。今でもおそらくこんな感じだろう。
「でも、夜の店はちょっとなあ」と感じつつ、「失敗したとしても私はまだ若い。なんとかなる」とよくわからないポジティブも抱いていた。
あるページを捲ろうとして私は、ある求人に目が留まった。「木屋町で一番レベルが高い店です!」みたいなことが延々と書いてあった。自画自賛もいいところだ。※本当に一番レベルが高い店だった。
でも、「面白いな」と思った。しかも深夜時間帯の時給は1100円ときている。さっそく電話をかけて、簡単に自己紹介をして年齢と大学名を言ったら、「ぜひ面接に!」ということになった。
5月の割と寒い夜、私は親からもらった原付に乗って、家から木屋町まで10分ほどの距離を慎重にゆっくりと駆けていった。
マクドナルド河原町三条店の近くにある、小ぢんまりとしたビルの地下1階にその店はあった。
当時の私はビルの前に立ち竦んでいた。田舎育ちの私は、ビルの下に降りていく階段を見たことはなかった。真下の方から数人の話し声が聴こえる。
おそるおそる階下に降りていくと、廊下が十メートルぐらい続いていて、奥には分厚い扉が開け放たれていた。表面に店の名前が書いてありそうな。近づいていくと、店の中から男女が笑い合う声が響いた。
扉の前には小さい丸椅子が設えてあって、2人のお客さんとイケメンの黒服(ボーイ)が楽しそうに話をしていた。お客さんは、丸っこい小さいグラスに入ったお茶を飲んでいる。
ふと、ひとりの嬢が出てきた。黄色い、ひらひらとしたドレスだった。歩く度に、ドレスの裾がブゥンと上下していた気がする。顔つきは覚えていない。失礼ではあるが、「化粧濃いな」と感じたのは覚えている。外国人風の浅黒い肌の、ツンとした表情だった――人生で初めてキャバクラ嬢を見た瞬間だった。
さて、イケメンの人に「面接に来ました」と告げると、「ちょっと待ってね」と言われ、奥に引っ込むと……すぐに別の男性がヌッと出てきた。
体格が大きい、熊みたいだ。笑っている。当時の私には恐い人に思えた。実際には、恐ろしさと優しさが同居するタイプ……と見せかけて、普通にサイコパスだった。
店長と名乗るその人と、同じビルの2階にある事務室に入って、さっそく面接が始まった。私はソファに座らせてもらっていて、ガラス張りの机の上にペットボトルの緑茶が置いてあった(はずだ)。店長は反対側のソファに腰かけた。
「飲んでよ」
思い出せる限りだと、こんな感じだった。
「いい高校行ってたんだね」
「18才か。若いね~」
こんな感じだったと思う。当時は、落ちる可能性が高いと思っていた。ボーイの経験がないどころか、アルバイトをしたこともなかったからだ。自分が盆暗な方だということもわかっていた。
ところで、キャバクラで4年も働いていたのだ。私のような類型(実務経験のない若い子)を採用する理由はわかる。
①単純な労働力として
多くのお店では、ホールやキッチンの仕事を8時間ぶっ続けでやらないといけない。開店の準備と片付けもある。休憩はあるが非常に短い。キッチンのビア樽に座って5分間など。なので、体力のある人がほしい。
②肉壁として
態度の悪いお客さんは必ずいる。特にお酒が入っていると、接客が気に入らないということで難癖をつけたり、声を荒げたり、脅迫してくることもある。
※稀に暴力団組員も来る。「暴力団お断り」のステッカーをどの飲み屋も貼っているだろう? あれは歓楽街では冗談の一種だと当時は思っていた。この業界では、清濁を併せ呑み、判断が早く、臨機応変に対応できる者が生き残る(と店長が言っていた)。
お客さんとトラブルになっても、年が若くてガタイのいい奴がいるのといないのとでは展開が違ってくることがある。たとえ殴られても、私みたいに若いのは自分が悪いと判断して、お店に治療費を請求しないことが多い。
③レアドロップ枠として
一例として、私と同じ同志社大学で、かつ同じ法学部法律学科の奴で、大学生活の4年間、ホストをしていた奴がいる。週に3日ほどの出勤で、大学3回生になる頃には月に30万~40万ほどは稼いでいた。本人いわく、「いろいろあるので稼ぎ過ぎないように気を付けていた」とのこと。全く正しい行動だ。大学生の年齢でその判断ができる時点で、奴は普通ではなかった。2021年現在も、堅気ではない仕事で大金を稼ぎ続けている。その彼は、KFJ(京都風俗情報掲示板)のホスト板にもスレッドができるほどの猛者だった。つまり、年が若くても超スゴイ奴は一定数必ずいる。そういった人材を時給1000円前後で使えるチャンスに賭けているのだ。
当時の木屋町や祇園にあったスナックやラウンジやキャバクラは、そのほとんどが個人もしくは社員10名以下の会社が経営していた。
私が働いていたお店(以後S店とする)は、それなりの企業が経営母体だった。モデルや女優なんかを育てている芸能事務所が、副業としてキャバクラを出していたのだ。
※もうみんな読んでないのでぶっちゃけるが、㈱オスカープロモーションが母体として経営している店だった。当時の私は、そんな会社の存在自体を知るはずもなく。
そこに所属している子が修業や小遣い稼ぎの意味で働きに出てくる。そういう構造のお店だった。もちろん普通の子もいる。
以下、私が働いていた4年間で記憶に残っていることを書き出してみようと思う。たぶん長文になる。
キッチンとホールの仕事をやっていた。時給は1,100円。キッチンが主で、社員の人が少ない時に限ってホールに出る。
最初の頃は、強面のM主任に怒られてばかりだった。今思えば強面ではなかったし、体格も中肉中背だったが、当時若輩だった私には圧が強すぎた。
キッチンの仕事というのは、いうまでもなく優先順位がモノをいうわけで……おしぼりとつきだしの用意も、ドリンク作りも、フード作りも、皿やグラス洗いも……人生で最初に覚えた仕事は、社会に出てからの仕事の縮図だった。
・次の次くらいまで優先順位を決めながら動く
・途中で別の仕事に移らない
・雑多な仕事はまとめておいて後でやる
より精神的な意味での教えもあった。例えば、トレンチ(お盆)の持ち方について。S店での持ち方は、指を立てて、手のひらが触れないようにして胸の前で持つというものだった。
当然、最初のうちはできない。いや、言われたとおりにできるのだが、どうしても、たまに手のひらでベッタリと持ってしまう。
最初にそのミスをした時だった。「おい」というM主任の声が聞こえた。怒られると思って身構えていると、「新人が間違えた持ち方しとんぞ」と、上で述べたイケメンの人が叱られていた。確かに、私は最初にトレンチの持ち方をイケメン先輩に教わった。
でも、当時は「なんでイケメン先輩が怒られるんだろう。なぜ私じゃないんだろう」と素朴に考えていた。
このS店では、そういう社会人として基本的なことを教わる機会が何度もあった。私は盆暗でノロいタイプの人間だったから、ありがたい教えでも、耳から耳にスーッと抜けていったのがたくさんあったに違いない。日記にもっと細かくつけておけばよかった。
今でもM主任を思い出すことがある。厳しい人だったけど、まともに仕事をこなすことを誰よりも考えていた。私のことを考えてくれていたかはわからないけど、今でも確かに思い出すのだ。
めちゃくちゃ厳しくて……でも、ふいに無邪気で優しい笑顔を見せてくれる。私はずっとM主任の後ろを追いかけていた。今、この場で感謝を述べさせてください。ありがとうございます。
この年の春先から初夏にかけて、正社員と同じ仕事が増えていった。一例として、ホールを回る仕事が主になった。棚卸しもするようになった。時給が上がり1,200円になった。
本来、大学生のアルバイトは、キッチンでフード作りや洗い物をするものだ。ホールに出ることもあるが、あくまで代打的に割り振られる。原則、社員がキッチンでアルバイトがホールということはない。にもかかわらず、なぜ私がホールの担当になったかというと……。
信じられないだろう。でも事実だ。私がS店に入った時、社員5人のアルバイト3人(私を含む)体制だった。1年目の梅雨時に社員がひとり免職処分(能力不足だと思う)になって、また秋になった頃に社員1人が系列店に行って、3月の春休みの頃、ひとつ上の学生アルバイトが飛んだ。従業員が3人いなくなって、3人補充された結果こうなった。
ホールを回る仕事について、思い出せる範囲で優先順位が高い方から挙げていくと、①お客さん又は女の子(=キャスト。以下嬢とする)の監視、②オーダーの受取と実行(買い出しを含む。お客さんだと煙草、女の子だとストッキングや生理用品)、③嬢によくない行為をしているお客さんへの注意、④お客さんからのイジリや自慢話やお酌に付き合う、⑤灰皿やアイスペールの交換、⑥喧嘩を止める(リアルファイト含む)……といったところか。
重労働だが、そこまでキツイということはない。一般的な飲食店でもこれらに近いことをしているはずだ。最初は立っているだけでも辛かった。足が棒になってしまう。慣れてもやっぱり足の裏が痛い。
思い出に残っているのは、やはりM主任だ。仕事ができる男性で、30代半ばで月給は45万円(残業代は基本給に含まれている)だった。客引きのプロであり、街を歩く人でその気のなさそうなお客さんでも、1分も経たないうちにお店への興味を起こさせ、大体3分以内にお店に連れていく。何より損切が早い。この人はだめだと感じたらすぐにその場を去って、別の人に声をかける。
真夏の夜だった。私に初めての仕事が割り振られた。いわゆる、キャバクラの店の前にいる人の役だった。客引きではなく、連絡役に近い。お店に用のある人、例えばリース関係の業者だったり、面接希望の嬢だったり、店長の知り合いだったり……むろん、通りがかりのお客さんにサービス内容を聞かれることもある。
さて、ある3人組のお客さんが店の前を通った時、S店に興味を示した。「お兄さん。どのセットがお勧め?」と聞かれた私は、しどろもどろになりながら、2万円(2h)と1万3千円(1.5h)と1万円(1h)の3つのコースを説明した。金額はうろ覚えだ。たぶん違う。
3人組のリーダー格は、「う~ん」という表情になって、何点か質問をしてきた。うまく答えられなかったのは間違いない。最後は、私の方が心が折れてしまった。
その場を立ち去る3人組を見送る私の後ろに、M主任がいた――縄跳びで打たれたような、痺れた痛みが私を襲った。主任の回し蹴りが私のお尻にクリーンヒットし、地下に入る階段の手すりの辺りにもんどり打って転げた。頭を壁面にぶつけたのを覚えている。
主任に何と言われたかはよく覚えていない。罵倒の数が多すぎたのだ。「お前!売る気ないやんけ!」だったら確実に言われている。「すいません」とだけ謝ると、「〇〇ちゃん。次はないぞ」と言ってお店に入っていった……。
数分後、また別のお客さんが店の前を通った。私は、ここまでの人生で最大の過ちを犯した。私はM主任の真似をして、お客さん候補とトークを始めた。
「こんばんは。これから何件目ですか」
「2件目」
「どこ行ってきたんです」
「居酒屋」
「どちらにいらしたんです」
「和民」
「この店は高いからいい」
こんなやり取りだった。話すうち、だんだんと相手の気が乗ってきて、でもお金がないのも事実のようで、でもお店に入ってほしくて、M主任を見返したくて……去ろうとする相手の腕に触ってしまった。
「はいそこやめて!」※確かこんな口上だった。早口な警官だった。
その場で2名の警察官にサンドイッチにされた私は、しどろもどろに言い訳を始めた。やがて応援の警察官が到着し、単独でお店の中に入っていった……。
(続きます)
俺は京都市北山通在住の大学生。最近、ずっと家にこもってる生活ばかりしてたのだが、集中力が大きく落ち、そわそわするような感じがした。原因は運動不足かも知れない。ずっとほとんど体を動かしてこなかったからだ。そこで北山通から京都御所の方まで歩いて行くことにした。鴨川沿いをひたすら下った。周りには散歩してる人、少年のサッカーチーム、楽しそうに遊ぶ親子連れなど大勢の人が居た。川の方をみれば、サギ、カモ、カモメと多種多様な鳥たちがいた。途中でウが何度も川に潜って、浮かんでくる度に魚を咥えてたので大したものだなと感心した。他にもスズメを狙う三毛猫がいた。大勢のスズメが土手に群れなしていて、それを猫が虎視眈々と狙っていた。姿勢を低くし、じっとスズメたちをにらみつける。できる限り低姿勢で大股に歩み寄る様子は以前に自然番組で見たチーターかヒョウの狩りの様子を彷彿とさせた。ある程度近づいたところで一転、全力で突撃したのだが、鳥たちは一斉に飛び立ち、猫は一羽も捕まえられなかった。それを見て笑うと猫はさっさと走って行ったのだが、その様子が笑われたのを恥ずかしがっているように見えた。こうしてひたすら川を下り、丸太町の橋で川から離れ、御所へ向かおうかと思ったが、やっぱり面倒くさくなったので引き返すことにした。
今度は対岸沿いを歩いて帰ることにした。途中、鴨川デルタに差し掛かった。そうだついでに下鴨神社に参ろうと思った。立派な赤い鳥居を潜り、林の中をひたすら進む。途中、河合神社という小さな神社に寄った。下鴨には参ったことがあるのだが、河合神社は初めてだ。そこにも参ってみよう。すると面白い形をした絵馬がいくつも並んでいた。鏡みたいな形の絵馬だ。どうやらこれは美容を祝う神社らしい。ぼっちの俺には関係ないやと思いながらも5円納めた。河合神社を離れ、下鴨へと向かう。朱塗りの立派な建物だ。中には複数の神殿があり、自分の干支の神様を選んでお参りするらしい。卯の神様を選んだのだが、隣で白い服を着た男が賽銭箱を開けて、中を漁っていた。別に神社の金儲けを否定するつもりなんて無いが、こういうことは参拝客がいないときにやってほしいものだ。神社にはイメージが大切だ。すぐ横で金銭主義を見せつけられては興ざめも甚だしい。次に水みくじというのをやってきた。神のくじを境内の川の水に浸すと文字が浮かび上がってくる。読みにくい字で苦労した。内容は以下の通り
・体調 少しずつ体を鍛えよ
・旅行 用心せよ
・学業 続ければ実力がつく
・願い事 いずれ叶う
体調に関しては納得だ。ずっと引きこもりの運動不足の生活だったんだから。恋愛はまじで意味が分からない。俺はずっとぼっち。年齢=彼女いない歴で絶望的にコミュ症だから、これからも出来ないだろう。なのに今の愛情を信じろってどういうことだ?好きなアニメのキャラを一途に愛し続けろとでも言うのか?次に旅行。インドアの俺に無関係だ。学業はどうだろう。ずっと勉強もできないアホで、大学では学業を頑張ろうと誓うも、志が折れ、周囲への劣等感で病んでずっとやる気が出なかった。眉唾物だが、それでも少し勇気がもらえた。願い事。本当に叶うのだろうか。俺の夢は死一流の動物生態学者になることだ。正直俺みたいなやつに研究者になる資格なんて無いだろう。現状に反しておみくじの答えはポジティブだ。馬鹿馬鹿しかったがちょっとだけ元気になった。来た道を引き返し、帰宅することにした。
途中の公園を見ると、ベンチに見慣れた顔が二人並んでいた。同じ部活のカップルだ。それを見て泣きそうになりながら帰った。俺は今までカップルを見ても、そこまでショックを受けることはなかったのだが、なぜか今回は応えた。こんな俺に産んだ親を呪った。やっぱり人生は椅子取りゲームなんだな。
以下、妄想。本当はこれから述べることくらいはやってほしかった。
A:ひそかに1億円ほど資金を貯めておいて、大学当局との交渉でマスコミ含みで現金を見せる。その場で、独立国家を宣言し、難民を受け入れると表明。国連に掛け合う。
B:退寮させられて終わるが、ひそかに京都御所へと通じる地下トンネルを完成させて、取り壊されたその日に「京都の中心の空き地にて、ここを吉田寮とする!」と宣言。
C:来年の五山送り火に合わせて、キャンプファイヤーに処す。焼け落ちた後に、記念碑が現われる演出があるとさらに良い。
D:現行の建物を覆う、新しい吉田寮外壁を自分たちで建築してしまう。
標高40メートル前後の平坦地がどこまでも続く大阪北部のベッドタウン。万が一淀川や神崎川が氾濫したとしても、千里丘陵に被害は及ばない。急傾斜地も少ないので、土砂災害の危険も少ない。ただ、6月の大阪北部地震の震源地に程近いことには留意。
大阪・天王寺から南部の一帯(ただし大和川沿いは除く)。JR阪和線から東側一帯の広大なエリアは基本的に地盤が強い。生駒山の稜線群からも離れているので、土砂災害の危険性も低い。
3.京都市北区
京都御所と船岡山に挟まれた一帯。周囲を山に囲まれている京都盆地の中では、標高が比較的高く、山の麓や鴨川・桂川の河道から少し離れているあの辺りが一番安定している場所。
伊丹空港から西側一帯は、地盤の固い場所がどこまでも広がっている。神戸のように山が市街地に迫っていないので、土砂災害の危険性も低くなる。
5.徳島平野
徳島平野内を流れる吉野川は古くから氾濫を繰り返していて、逆に治水がしっかりしている。今回の豪雨でも高知や愛媛が甚大な被害を受けていても、徳島は特に被害は無かった。
広大な讃岐平野の中央に位置する地盤の強固な丘陵地帯。この辺りは水不足はひどいが、近年の豪雨の増加によって、あまり欠点にならなくなりつつある。
高潔なる天皇家を認めることは、当然その対極に、穢れたる存在を生み出す。
天皇や皇族を、家柄や血統が良いとして崇める事は、構造的に部落民を差別する事と一緒である。
天皇が聖性を家柄・血統として、代々伝えることを認めるならば、部落民の賤性もまた、家柄・血統として代々伝えられることを認めることになるのである。
また、賤であり穢れた存在を置くことは、天皇自らの聖性・浄性を相対的に高めるという効果がある。
天皇家にゆかりがある関西や、大和朝廷と関係がある地域と思われる福岡・熊本・大分に被差別部落が多いのは、おそらく古代・中世期に天皇制権力が賤民や部落民の原形を作り上げたからではないかと考える。
天皇が聖性を家柄・血統として代々伝えることを認めるならば、部落民も当然その賤性を代々伝えていくことまで認めることになるのである。
天皇家は天照大神から万世一系に繋がっていると信じさせている。何が万世一系と見なされているのか。
一つ目は、三種の神器の継承、である。これは天照大神の時代から代々伝わっているとされている。
二つ目は、霊が繋がっている、とされている。大嘗祭は、収穫を祝う祭であるが、それだけでなく、現在の天皇が旧天皇の死体と共に寝るという儀式もある。これによって、先帝の天皇霊が新天皇の身体に憑くのである。したがって、天皇は天照大神と霊的につながっている現人神とされたのである。
三つ目は、血が連続している、とされている。皇位の根拠が古代以来連続してきた血統にあるとされた。
そしてこの連続性は当然今後も継続することが当たり前であるということを正当化させる。こうした天皇の万世一系性は、あらゆる家系に優越し超越する天皇家の家系を強調し、皇位の不動性をわれわれに当然のものとして受け取らせるのである。
万世一系を唱えることのメリットとしては、天皇の宗教的権威や統治権の絶対性、さらには身分と地位の永続性が担保されるということが考えられる。
奈良・平安時代などは、天皇や皇族の後ろ盾にいる各豪族の抗争次第で、皇位は血統原理と関係なく移動したのである。
例えば、聖徳太子は、血統原理から言えば正統な皇位継承者だったのだが、結局天皇にはなれなかった。また672年に起きた壬申の乱では、天皇と名乗る大友皇子(天智天皇の子)を大海人皇子が武力で倒し自らが天皇になった。
又、天皇家は、万世多系であった。桓武天皇の母親は朝鮮からきた人というのは有名な話である。また皇室には代々側室なるものが存在し、その側室は平民から選ばれたのである。明治天皇や大正天皇は側室の子供である。(明治天皇の側室で大正天皇の生母であった柳原愛子さんは大正天皇が知的障害者であったことの責任をなすりつけられたそうである)そのことは皇室の家系図には書かれておらず、あたかも天皇が一人で子供を産んだように書かれており、見る人に天皇家は万世一系につながっていると思い込ませているのである。
更に、現在の天皇家は足利尊氏が無理矢理作り出した北朝の子孫であることである。血統原理でいくならば、正統な皇位継承権は南朝にあるのである。(南朝の子孫とされる熊沢という人が大東亜戦争後に、皇位継承権は自分にある。と訴えた話は有名である)
天皇陛下はいつも国民のことを考えておられる。福祉にも御興味をもたれ、障害者にも優しいお方である。などと思っている人の何と多いことであろう。しかし天皇家は実は思いっきり穢れた家柄・血統の人間を差別しているのである。
天皇・皇族の部落民に対する差別事例をここでいくつか挙げてみる。
1868年に制定された『法令全書』の第1巻686号には、天皇が巡幸する際に穢れ多い部落が見えないように部落を筵で隠すべきということが書いてある。
そのことの事例として、1922年に起きた大分県の的が浜地区焼き討ち事件、がある。事件のあらましは、皇族が列車で巡幸する際、沿道沿いにある、的が浜スラム地区、が皇族の目に触れないように、その地区を警官が焼き討ちした、という事件である。的が浜地区は正確には被差別部落ではないが、非人系の部落民や、ハンセン病者や、浮浪者が多数居住していたスラム地区であった。
これは大正年代の出来事だが、奈良県の畝傍山のふもとにあった洞(ほうら)部落が、その下にある神武天皇陵を見下ろす位置にあるとして、行政側は1917年にその部落の強制移転を求め、20年にそれを強制執行した。その際、洞部落の部落民の遺骨も穢れているとして、徹底的に取り除かせた。
例えば、宮中の賢所に使える女官を選ぶ基準は血統・血筋である。穢れも未だに重視しており、彼女らが月経のとき、お下り、といって強制的に休ませている。月経が終わっても穢れを祓う儀式をしないと元の仕事に戻れないそうだ。
そして最も重大なのが、結婚相手の調査を正々堂々としているということである。
1993年1月5日付け読売新聞朝刊の一面によると、宮内庁は、皇太子妃候補の身元調査を大手興信所に頼んだとのことである。そこには皇室専門の興信所員がいるとのことである。そして直系は4代先まで溯り、大祖父、祖父のきょうだいまで徹底的に調べたそうである。そして雅子さんが優秀な家系で驚いたなどと興信所は言ったそうである。皇室は差別主義に凝り固まっていると言える。
天皇制擁護者の大多数は、天皇・皇室は日本の伝統だ。という理由で賛成していることだろう。しかし天皇制は日本オリジナルではない。天皇という概念は、中国における道教の最高の信仰対象であった天皇大帝から来ているのだ。
天皇家は、伊勢神宮か京都御所で儀式とか神主でもやるべきだ。もちろん、その際でも、天皇・皇族も国民という立場で勤労・納税の義務を負い、また参政権を含めた基本的人権を有する立場に置かれるべきだ。
全体としては。
とても。
おもしろかったです。
明治天皇、大正天皇、昭和天皇、平成天皇と来たけど、ほとんどはずれのない天皇ってすごくね? 京都御所での天皇Sってそんなに仕事できるイメージないんだけど。公家とかより華族が戦後日本作ったよな?
敗戦責任は公式にはなくても十字架しょったまま長生きしてくれて、上からにしろ人間になって全国行脚した昭和天皇。生きてた時から伝説。
宮中祭祀を完璧こなしながら、災害後復興を各地で祈りまくる平成天皇。国家地鎮を地で行きながら、完璧夫婦、何も知らない偏差値40のJKたちに存在だけでモテるじいちゃん。
まさに二足の草鞋。天皇の仕事を現代風に変えていくという、どう考えても無理ゲ~を、『やりたいことあるなら、仕事完璧にしながら、やる。これ、ジョーシキ』という凡人が鬱になるパターンをしかも55歳から行うという、、、。
ほんと生前退位してください。すみませんでした。安心できる余生になるよう、本気で取り組んでくれだれか。。
てか、仕事厳しいからって部下に当たり散らすやつら、天皇は部下をののしるか? でも天皇のためにきっと命がけで仕事するだろ。お前、命がけで仕事したいと思わせてんのかよ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.sankei.com/politics/news/160309/plt1603090006-n1.html
脊髄反射的に、いきすぎだと思ったけど、よく考えるとそうでもない気がしてきた。ローマ教皇の話がすぐに思いつくけど、バチカン市国はカトリックの布教のために存在する国だから、日本と比べることはできない。バチカンの国民は、基本的にカトリック教徒であることが前提となっている。
天皇は二つの役割があり、その切り分けがついてないってことだと思う。憲法的に考えると、天皇は、仏教徒やキリスト教徒や無神論者が含まれる日本国の象徴だ。政教分離や男女平等を考えると、女性が天皇になれない、というのは不当であろうと思う。伝統だからという理由だけで合理的な理由なく存在する差別を撤廃するために国連の人権関連の諸機関は存在する。
神道のトップとしての天皇家を考えるなら、男系だろうが女系だろうが信徒でもない外国人が口を出す筋合いの話ではない。個人の自由権、特に結社の自由や信仰の自由の範囲内だ。ただ、天皇は、国の形を決める憲法の第1条に規定されているわけで、「個人の自由の範囲内です。」と言い張るのは苦しいような気がする。
あれ?わりと国連正しい?個人的には天皇家に対して、国の象徴の役割を解いて、神道の祭祀として京都御所で暮らしたらと思うんだけどなー。