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はてなキーワード: シニカルとは

2015-09-08

http://anond.hatelabo.jp/20150903155746

15年前くらいに、高校中退した者です。

日本高校行かずに、親を説得して、海外に行こう。

親が説得できなかったら、奨学金など、他の手立てを頑張って探そう。

留学手続きは本当に煩雑だけど、今すぐ取りかかればきっと間に合うよ。

シニカルに構えるでしょう、で、多少マシな高校行けば状況違うかな、って少し思うでしょう。

全然変わらないよ。

失望が色濃くなって、ますますシニカルになって、けど周りはバカばっかりに見えるから、どんな助言も適当にあしらって、そうすると、ただでさえ薄い、自分のしたいことを、自分他人もどうすることもできなくなって、しだいに何者でもない自分が嫌になって、自己嫌悪ばかり増していって、あっという間に輝かしいと思ってた十代は消え失せてしまうよ。

それは私のような怠け者で、馬鹿者で、皮肉屋の末路であって、元増田はそうならないと信じてるよ。

学校行く必要は本当にないよ。

あれはもともとは国民皆兵思想を植え付けるためのシステムだよ。

柄谷行人あたり読むと分かりやすくて面白いよ。

学校などで、他の人と協調することで学ぶことがある、という人が確実にいる。

それは正しい。

けど、20代からでいいよ。

十代なんて、めいいっぱい自意識を高く、それに合わせて身体も飛び回らせて、かつ、性格は、ものすごくイヤ〜な奴でオッケー。

そのうち自分の嫌なやつさは、ある種の発達の遅さだということも、無理矢理気付かされることになるけど、そんなのをわざわざ自分から味わおうとする必要はなし。

増田以外の人間バカ

日本学校行く必要なし、明日から行かなくて良し

・速攻で海外学校に進学しよう

・それができなきゃ元増田は私のように十代ムダにしてしまうかも

以上です。

私も、大変遅ればせながら、30歳直前にして、ようやく身体を飛び回らせてみよう、と思っている。

からカナダ行ってきます

追記:

トラバもらって見返したら、たしか海外万歳のめちゃ頭悪い文章で恥ずかしくなった…。

なんでもいいから、手っ取り早く分母を広げたほうがいいということが言いたかった。

万能感からでも劣等感からでも、現場に行き詰まりを感じたら、赤ちゃんレベルで扱われるようなところにいって環境リセットするのがいい方法だと思う。

特別やりたいことないなら海外がいいのではないか、ということだったが、先走ってしまった。

でもそれなら、プログラミングでも起業でもなんでもいいのかもしれない。

勢いで海外万歳かましてしまって、お恥ずかしい。

とても自分能力では敵わない!と思える環境にいると、自意識について考えるヒマもなくなって、元増田の才気がフルで活かされると思うよ。

2015-07-28

笑う門には

俺はあまり洞察力もなく、思慮も深くないが、これまでの人生で「これは世の原理原則と言っても差し支えないのではないか?」と言えるほどの法則を見つけた。

それは「よく笑うやつは好かれる」ということ。

性別わず、よく笑う人・表情豊かな人は好かれ、頼られ、仲間と認められ、出世する。少なくとも、そうなりやすいという法則だ。

好かれるやつは100%よく笑って表情豊かである、というのが成り立たないのが謎だが、人に好かれるため、人間関係を円滑にするために、「よく笑う」ことはとても有効なのだ確信している。

一般論じゃねーか意識いね、と思うだろう?

これはみつを的な戒めでも、自己啓発でもなく、ライフハックでもない。ただのよくある処世術ひとつだ。

笑いたくもないのに笑え、とか、終始笑顔で口角アップでモテ顔、という無理な話でもない。

ただ、相手の話に合わせて、自分でもちょっと大げさかな、と思える程度に笑い声を上げる。それだけだ。

それだけでいい。すぐに効果は現れないかもしれない。だが、それを癖付けると、周囲の反応が少しずつ変わってくる。相手と打ち解けるレベルが下る。俺はそれを実践し、その効果を少しずつ感じてきた。現時点で、その法則は成り立つ、と仮定し、自分の中では確信している。

思い出してほしい。合コンで人気のあの子は、相手の男の(どうでもいい)話にアハハと笑っていなかったかサークルで中心人物を務めていたあの男は、お前らのくだらない笑い話にもガハハと笑ってくれなかったか。となりの部署の下っ端は、飲みの席や雑談でダハハと破顔し、愛嬌があるやつだと、少しずつ認められていなかったか

お前らと来たら、昔の俺ときたら、そんなやつらを「なんだ大げさな下品な。そんな低レベル話題で笑ってんじゃねーよ」と孤高ぶって、話を振られても「フヒヒ」とか「フへッ」とか、息継ぎにしか聞こえない弱々しい笑い声を上げるしかできないんじゃなかったか

人気者を眺めてみた。自分にとって好感が持てる人物を思い描いてみた。

どう考えても、自分が浮かべるシニカルな笑いしかできない人物ではなく、大げさにワハハと笑う男性笑顔を見せて、口を手で押さえる女性がそれに当てはまる。自分話題にそんなリアクションをされると、まんざらでもないんだ。きっと誰だってそうだ。

だったら俺もそうしよう。そうする努力をしよう。そう思って、実践した。

できないだって?難しいだってクールで賢こぶってキャラを捨てられないだって

変われるよ、現に俺は変われた。

というネタはさておき、その法則に気づいてから、ほんのちょっと笑いのリアクションを高めてみた。

手を叩いて芸人のように笑うのは上級者しか許されぬ行為だし、現状との落差が大きく、ともすればDQNっぽく下品になるのでオススメできない。「フヒヒ」を「わはは」に変えるだけでいい。笑いたいときに、少しだけ大げさかな?くらいに笑ってみる。慣れないうちは違和感自分にも相手にも与えるだろう。でも恥ずかしがることはない。素直に面白いと思ったら笑うんだ。それが相手を受け入れているというサインになる。自分にとっても、相手にとっても。最初は少し大げさに。続けていると慣れてきて、スタイルになる。それが継続的サインになる。

結果、昔の自分よりは社交的になれたし、コミュニティにも打ち解けられたと感じている。初対面の相手であっても打ち解けやすくなった。気に入られることも増えた。仕事もうまくいくようになった。営業やプレゼンで結果を出せるようになった。

なぜこんなことを書こうと思ったかというと、最近ブラタモリ」を観ていて桑子アナリアクションがその法則理想的体現していると感じたからだ。あの笑顔、あの佇まい。タモリ面白いことを(たとえひとことでも)言ったあとに見せる笑顔と笑い声。作り笑いには見えない。毎回変わる案内人一言にも応える笑い声。きっとみんな彼女をスキになるだろうと思う。その秘密はあの豊かな表情と笑い声だ。

自身、かなり彼女をスキになっている。恋愛対象としてではない。秘書にほしい。友だちになりたい。そばにいてもらって、話を聞いてもらいたい。同僚として笑いあいたい。そんな妄想が一気にほとばしる、すばらしい存在である。ぜひ番組で確かめてほしい。番組公式写真からしてヤバイ。表情豊かすぎる。

他に好例を挙げるならば、「水曜どうでしょう」の藤村くんだ。大泉洋の話に律儀に笑い、出演者視聴者の笑いを引き出す。カメラを超えて無遠慮に聞こえる「ガハハハ」という笑い声。彼のその姿勢は「水曜どうでしょう」が愛されるコンテンツになった大きな要因の一つである確信している。無論、大泉洋の笑い声も素晴らしい(ただし真似するには大げさなので要注意)。

出演者気持ちいいだろう。視聴者気持ちいい。ガハハと笑ってくれる人。自分がそうあってもいいじゃないか。

笑わない桑子アナ、笑わない藤村くんが想像できないように、笑いはその人のキャラ雰囲気を容易に彩るファクターだ。それも、高い確率で、ポジティブに彩るのだ。それにより、あなたは今より少しだけ、世界に愛される。

その法則が分かったら、明日からちょっとおもしろい話を聞いたら、素直に笑い声を上げよう。シニカルキャラ世界への失望?そんなもの、快活な笑い声の前にはちょっとだけ薄まるだろうよ。

無理して手を叩いて笑おうなんて思わなくていい。つまんない話に無理して笑うな。

面白かったら、ちょっとだけ大きく笑う、それが鉄則だ。自分面白い話なんてしなくていい。人の話に、心を込めて、素直に笑うんだ。常に笑ってる必要なんかない。

やがて、笑う門に福が来る。たぶん来る。

俺はあまり洞察力もなく、思慮も深くないが、笑いあう世間もいいもんだ。そう思う。

追記


書きなぐった増田にたくさんのブクマコメントがついて大変うれしいです(ニッコリ)

80ブクマ超えたあたりでキャズムを超えて、500ブクマ超えたあたりで人気から落ちて落ち着いた感じ。

キャズムって言いたいだけですので適当です。

話が長くなってすみませんおっちゃん話が長いんや。同じこと何回も書いてしまう。気をつけます。

もっと叩かれたり異論があるかと思っていましたが、同意いただけるコメントが多くほっこりしています(ニッコニコ)。

桑子アナかわいいよね~。大物になると見抜いた人がいた、なんてトラバあったけど、そのくらいのポテンシャルがある。

藤村くんの評価は見受けられなかったが。

というわけで、スマホ片手にトイレ時間潰している皆さん。

ヘラヘラ笑うのではなくて、笑いたいときに気持よく笑いましょう。自分が好きな笑い方ってあるはずなので、真似してみようぜ。

ではまたどこかの増田で。

ただひとつ言わせてくれ。

なんだこの名言トラバビビるわ!!

2015-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20150703214220

出すんだったら医療系だったな

医療系は実際妙なことが立て続けにおきてもそんなの構ってられないから放置するけどな

あと五感に訴える何かがでたら検査してもらうしな

シニカルに言って理系いちばん不思議を信じてるって思ってるんだろ

不思議を当然のこととする日常を描画している様子を見るのが好き

②当然とするべき事柄を当然と受け止める立場からみた超常的な空想が好き

③関連性のない事柄を混ぜ合わせると新しい認識が生まれるという空想好き

他者の構築した理論解説伝播することが好き

他者の構築した理論自己視点から破壊するのが好き

⑤’破壊された事柄について他者が再構築に勤しむ姿を傍観するのが好き

おまえ①の近代アニメストーリー的な心理構造なんじゃないか?

最近まったく見かけない

無知もの世界認識していく空想が好き(古い童話作家タイプ

もあるが ほんとこれは絶滅したな

2015-06-14

なぜはてな民田舎を嫌い、都市を礼賛するか――100の理由

1. イケハヤ都市を捨てて田舎に住んでいる

2. 暗い子ども時代を過ごした田舎まれ根暗優秀はてな民怨嗟

3. 大学文化格差を体験した田舎まれはてな民記憶

4. 都会生まれはてな民プライド

5. 横溝正史の読み過ぎ

6. ジャパニーズホラーの影響

7. 「田舎はこわい」系まとめサイト記事の影響

8. 「田舎はこわい」系ニュース記事の影響

9. 田舎アウトドア、という短絡的なイメージを持つインドアもやしっこの勝手な恨み

10. 農業に対する無意識蔑視

11. 「田舎ぐらしっていいよね!」系エンタメ価値観に対するシニカル視線

12. 思春期

13. 田舎で何か嫌なことがあった

14. 肥溜めに落ちた

15. 被曝した

16. 大量殺人鬼に出くわした

17. 羆に殺されかけた

18. ある村に迷い込んだら不思議な力により出られなくなった

19. 田舎の家に泊めてもらえれば、その家の娘(処女)にサービスしてもらえるという雑な藤子不二雄A期待感で行ったけどなんもなかった

20. ハンセン病を抱えた父親を記憶している村民がいる

21. 天狗が出る。

22. 家に白羽の矢がたって、姉が八岐大蛇の生贄に差し出されたことがある

23. 臭いから

24. 交通機関が貧弱だから


残りはあなたたちの胸のなかに……

2015-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20130330033950

こういったことを書いたのが2年前。

で、yahooなんかだと最近一部ニュース記事に対するオーサーコメントなんて物が見られるようになった。

その中にはやはり最近yahooの個人ニュースに進出した昔よく見ていたサイト管理人さんの名前があったりする。

で、やはり切なくなってしまうのである

昔はマイナーネタを興味深い視点面白おかしく伝えてくれた人のコメントが、どうにもある種の「大衆」に媚びたようなやたらと厭世的かつシニカルで、しかしごくありふれた陳腐な物に見えてしまうのだ。

しかも時事的に衆目を集めそうな記事ばかりにそれがあるのだからまらない。

もちろん個人ニュースに出て来たってことはより知名度を上げたいのだろうし、

となれば、やはりみなが期待するようなあるいは強烈に肯定されそうな、そういったコメントになるのも仕方ないだろうとも思う。

ちなみにこれはyahooだけでなくtwitterfacebookコメントを受け付けているニュースサイトではよくある「事件」だ。もちろん以前書いたようにはてブも。

そもそもこれは私自身に起因する問題で彼らは全く変わってなく、私自身の変質、一種の中二病とか高二・大二病みたいなものなのかもしれない。

それでも彼らのコメントの中にある、なんというか何かに対する漠然とした攻撃的なニュアンスに、私はなんとも言えないいやな気分になってしまうのだ。

あるいはただの自己憐憫なのかも知れないけど。

2015-04-01

マンハッタン計画はなかった

原爆なんて、原発なんて、最初からなかった—全体主義に怯える西洋の知識世界が総力を挙げて案出した虚妄世界から脱出し、全人類解放せよ!!

2015/4/25追記:ネタですた。詳細はぶくまこめ参照

2015/4/29追記:なんかロスアラモプライマーの邦訳出るんだって

2015-01-04

SAOが合う人合わない人

SAOの色んな感想を見ていて気づいたんですけど、大雑把に分けて


ネット電脳世界を完全に切り分けた方が良いと考える人

ネット電脳世界を切り分けず、ツールとして使う人


の2パターンに別れる事に気づきました。

まぁ、要はポジティブ思考ネガティブ思考かってところでしょうか。


前者の人は、ネットはそもそも悪意やネガティブ空気に満ちた空間であり、切り分けないとネットの悪意に現実自身人格が影響をうけるため切り分けることが良策であり、懸命だと考えている。

後者の人は、ネット現実世界の延長上に考えており、悪意もあるが善意もあると考えており、きっちり使えば毒にもなるし、薬にもなると考えている。


例えばSAOでは以下の様な台詞があります

ALO編キリト

しょせん、ゲームなんだからなんでもありだ。

殺したければ殺すし、奪いたければ奪う。

そんなふうに言う奴には、嫌ってほど出くわしたよ。

一面ではそれも事実だ。俺も昔はそう思っていた。

でもそうじゃないんだ。仮想世界からこそ、守らなきゃならないものがある。俺はそれを大切な人に教わった。

この世界で欲望に身を任せれば、その代償はリアル人格へと帰っていく。

プレイヤーキャラクターは一体なんだ。

俺、リーファの事好きだよ。友達になりたいと思う。

たとえどんな理由があっても、自分利益のために、そういう相手を切るようなことは俺は絶対にしない。

GGO編シノン

「ええと……キリトあなた言ってることがこのあいだと違うわ」

「え……?」

仮想世界なんかない、ってあなた言った。その人のいる場所現実なんだ、って。VRMMOゲームは一杯あるけど、その世界ごとにプレイヤーが分割されてるわけじゃないでしょ? いま私のいる、この……」

 右手を伸ばし、指先で軽くキリトの左腕に触れる。

「この世界が、唯一の現実だわ。もしここが、実はアミュスフィアの作った仮想世界だったとしても、私にとっては現実……ってことだと思う」

 キリトは目を見開き、詩乃が気恥ずかしくなるほどの時間、ずっと視線を合わせていたが、やがて珍しくシニカルさの欠片もない――と見える――笑みを唇に浮かべた。

「……そうか。そうだな」


上記の2つの台詞は共にSAOテーマの根幹に関わるわけですが、後者(=キリト達)は電脳空間現実の延長上にあると考え人格を分離させていません。

前者の人はALOやGGOで本気になったりトラウマを解消するという行為を個人を分離させずに社会的自分をだすのがどうも馬鹿馬鹿しいと考えがちなようです。

ネット世界ネット世界だろう。という考えなわけですね。

この類の人はシノンがトラウマを克服するのにGGOを使用したり、ユウキの死に際にネット内で集まったりするのが馬鹿馬鹿しいと考える。

まぁ、ユイのパパ・ママ呼びが嫌いでSAOが合わないとかはあるようですが、根本的なところではどもう上記の2種類の対立をそこかしこで見かける。

個人的にはどっちの言い分も分かるんですけど、ソーシャルやってる人って後者が多いんですかね?

どうも2chとかの匿名文化圏は前者が多い気がする。

個人を特定できないからかな?・・・

2014-12-11

ペヤングゴキブリ騒動について元食品メーカー営業・現ニートが言いたい

2014-09-28

http://anond.hatelabo.jp/20140928142818

ということは、YMO系ということだね。

このあたりの80年代シニカル感覚っていうのは。およそ魂の叫び的なものとは遠く、小林克也先生

「きんさいきんさいハワイにきんさい」

みたいなものも含めて、本気でやりたい人達から見れば、なかったことにしたいという感じがつかめてきた。

で、集大成が「業界こんなもんだラップ」ということか。

内藤理恵子 のブログ: 後藤明夫『Jラップ以前』+SEGA・ソニーの1996年作品+DAGANE

でも、その辺の感じが読み取れる。

書いてみるもんだね。いろいろ参考になった。

でも、行き着いた先が、母ちゃん有難う、俺本気でリスペクト、でよかったのかどうかはまた別の話なんだろうけど。

2014-09-08

愛着障害大学友達ができない雑魚

 大学友達ができないことを、まぁ俺が悪いんだろうな、でも無理して周りに合わせることもないし適当に生きるわHAHAHAと、そう重要問題でもないと捉えてやってきたのだけれど、事の原因となる精神上のバグ結構看過できないんじゃないかと思えてきた。

 僕は物事メタ的に考える癖があって(この文章もそうなんだけど)、何に参加するにしても、何を見聞きするにしても、務めて客観的判断しようとしてきた。そうすると、どんな物事にもある長所短所明確化してしまい、それをリターンとリスクに置き換えることで心の天秤にかける癖がついてしまった。するとリスクが怖くて一歩が踏み出せなくなって、でもそんな臆病な自分を認めたくなくて、結果的物事シニカル批判することで、それをしようとしない自分の立ち回りを正当化してきた。

 もちろんこういう態度は少しずつ改めなければならないと思うのだけれど、友達ができないことと性格を結びつけたとき、やっぱり「あんな遊び方をする大学生はアホだなぁ」と、見下して、滑稽にも自分精神的優位性を何よりも大事大事にしてきたのかな、と思っていた。

 でも本当にそれだけが原因なのか?と感じたのは、何をしても楽しくないと気付いたときだった。

 いつものように分析的になる前に、いや、よく考えなくてもやっぱりこれは楽しくないなと思ってしまったのだった。要するに今まで現状の原因は全て自分自己形成にあったのだと思っていたのが、やっぱり先天的集団に向いていないのではないかと思い返さざるをえなくなったのだった。

 昔からなんとなく、僕は人に媚びるのも媚びられるのも嫌いだった。友達が描いた絵よりも雑誌で見る絵のほうがかっこよかったから、なんだか友達を褒める気になれなかったし、友達から来た内輪ギャグメールにも対応する気になれなくて全て無視してしまっていた。よく言えば、自分の中の評価ラインを持っていて、身内だからといって贔屓しようとは思わなかった、のかもしれないが。

 けれども友情相互承認から生まれてくるものだと思うし、相互承認自覚必要なのだから、きちんと承認を伝え合わなければいけないと思う。

 さて、表題なのだけれど、自分集団や相手に愛着を持てない原因は自己形成なのではなく育ち方にあったのではないかと、別方向の考え方を提供してくれたのが「愛着障害」という本でした。同じように悩む方は是非読んでみるとよいと思います

 例えば母親をなくした人が、例えば安心できる家庭環境になかった人が、愛着の持てるものを幼少期に与えられなかった人は愛着障害に陥り、過度な人間回避又は他者依存に陥るのだという。その他にも重度のトラウマを抱えたり、親に褒められたことがなかった場合など、多岐に渡るケースが取り上げられているので参照されたい。

 要するに、まぁ前半の僕の自分語りはほんとどうでもよくて、すみません人間関係で悩む方は自責するばかりではなく、別の視点から問題を知ることで、解決に役立てればよいのではないかなと思いました。

 最後に、この文章結構痛くて、中二病ぽいんだけど、僕としてもそうであってほしかったというか、他人と違う自分を誇らしく思っていた時期もあったのだけれどそれは自己韜晦の上に成り立つ特異感だと思っていたからであって、いざその時期を過ぎると本気で悩みの種にしかならなかったのです。そういうことってありませんかね?

2014-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20140528105454

シニカルになるのもわからなくもないが、自己アピールでもまだマシなんじゃないの?

2014-05-18

ASKA版『夢の中へ』 たる『共謀者』『ブラックマーケット』という名曲

みんな『SAY YES』だの『YAH YAH YAH』だの、大喜利ネタがいかにもありきたり。確かに『SAY YES』とか『僕はこの瞳で嘘をつく』は汎用性高いけど。

ということでファン歴5年(つまりほぼ新参だけど)の俺が、ASKAの曲の中で、薬物疑惑と絡めて聴くと味わい深い曲を紹介します。

それが『共謀者』と『ブラックマーケット』。

どちらも1997年ソロアルバムONE』に収録された曲。

共謀者

自分達を犯罪者になぞらえて、もう後戻りは出来ない、俺たちはひとつに結ばれちまってるぜ、このまま進もうぜーと歌い上げる。

今聞くともう、薬物中毒でありながらCHAGEandASKAにとってなくてはならない存在であるASKAが、CHAGE事務所人間に語りかけてるようにしか聞こえない。

もう出だしが良い。

びくびくするな 顔を変えるな

何もなかった そのままでいい

誰も思わない 聴かれもしない

すべてを認めるな

今まさにこんな感じなんじゃないんですかねえ。

これに続く、

手抜かりは掃いて捨てるほど

あるにはあったさ

それでもここまで潜り抜けてきたさ


というフレーズも実に香ばしい。バレかけたことあったのかも。

というかそのときに書いた曲という可能性すら(ry

サビの

Nothing will ever change.We are the ONE

とか、CHAGE事務所人間が今聞いたらどんな気分になるんだろうと思う。

とりあえず俺は本当にこれぐらい開き直ってほしいと思ってる。

一番目のサビはそうでもないんだけど、

二番目のサビがいい。

Nothing will ever change. We are the ONE

俺たちの鐘の音がどこかで鳴るはずだ

鐘の音意味深


Cracking open the cage. Close to the line

俺たちはひとつ名で結ばれちまってるよ

ケージ(直球)

開けるんですか。

いや、実際にはあけられないんだけど。クラックっていうか多分ただの保釈だけど。

そして、それに続くフレーズがこの曲で一番強烈だと思う。

だってまあ、CHAGEandASKAだもんね……J-WALKとかラッツと違うもんね……ふたり名前堂々と載せたんだもんね……。

そりゃCHAGEもいまさら抜けられねえわ。

ブラックマーケット

今日もたくさん売りましょ もっとたくさん売りましょ

Ah みんなこっちだよ 素敵なとこだよ

出だしド直球

不良品でも並べます あしたは場所を変えます

Ah みんなこっちだよ 他人同士さ

電波になって 秘密になって 汗の出所も消えてます

汗の出所と来た。

結局は尿でしたけどね。

これはBメロだけど、2番Bメロはこんな感じ。

楽しんだ人が勝ちです 怒った人が負けです

(略)

口を汚すケーキのようなもんだよ


納得する人は少ないかもしれないけど、この曲、何か詞の調子が『パラダイス銀河』とかの頃に戻ってる。変な敬語で。

これを歌ってる光GENJIとかアリだと思いますどうでしょうか。

で、サビ。

みんなで行こう 仲良しこよしで行こう

ここは世界ブラックマーケット

裸足で行こう 行こう 行こう

何にそんなうきうきしてるんですかねえ。

この曲、詞がシニカルな分、メロディをポップにしたとASKAは語ってたんだけど、もう残念なぐらいマッチしてる。

そのピークがやはりこのサビ。


極めつけはCメロ

ブレーキなんてありませんから 好きにどんどんやりましょう

どんなもんでも揃いますから やりっ放しでやりましょう

刺激好きですジャパニーズ

ブレーキなかったんだね(悲嘆)


一部週刊誌では渡英したときに薬物を覚えたとされてたけど、この『ONE』こそはASKAソロアルバム唯一のロンドンレコーディング

本場でキメてはしゃいでたんですかね。

と。こんな感じで、将来きっと『夢の中へ』に並ぶことになる名ネタ曲だと思う。

でもってそれ抜きでも名曲から、みんな聴け。この機会に。


最後に言っておくと、

ASKAの詞はだいたい、クスリ決めながら書いたとか言われても仕方ないぶっ飛び方のものが多い(実際キメて書いてたの曲があるのか、それがどれなのかはもちろんわからん)。

コード進行も笑えるぐらい複雑だし。

薬物騒動を面白がってる初心者はどれ聴いてもげらげら笑えるはず。

まあそういう奴らを全員殺してやりたいけど今は我慢してやる。


他に味わい深い曲を聴きたいやつは、

『kicks』に入ってる薬物について直接言及してる『kicks street』を抑えるといい。

後は、最近の曲である『いろんな人が歌ってきたように』とか『birth』を聴けば良い。

2000年代後半以降のASKA輪廻転生だとかめぐりあわせだとか宗教じみた思想を取り入れた末に、「すべては愛なんだ、君も認めたっていいだろう」と繰り返す地獄に踏み込んでた。

『いろんな人がうたってきたように』がその極北。年食った後の曲にしては喉の調子トップクラスなのが憎らしい。

2014-05-11

ネットってさあ

自分が参入したころにはすでにポモの出来損ないみたいなシニカル()がマジョリティーで、今に至るまでそれは変わってないと思うんだけど、いつからそうだったの?最初から

2014-03-17

君、科学思想化するなかれ

科学は「あるべき」論を欲しない。それが求めるのはただ「である」の集大成であって、科学科学者に「あるべき」姿を望んだことなぞ金輪際ない。「あるべき」姿を求める行為は常に人と社会の関わりの間でのみ起こりうる現象であり、すなわちそれを求めるのは科学でなくて社会なのであるからして、まるで科学のもの原理として、「あるべき」姿のごとき、ともすれば宗教タブー律法のようなもの存在するかのような議論は、極めて非科学的と断ずる他ない。

ノバルティス社の臨床試験データ偽装は何が問題だったのか。言うまでもなく、効果の不確かな薬品をそうでないと偽って売り出そうとした商業的な詐欺片棒をかついだことであり、すなわち社会的行為としての罪であって、決して科学として「あるべき」姿を犯したからでも、タブーを破って神の怒りを買ったからでもない。科学はいついかなるときもその「あるべき」姿を自ら求めることはなく、従って「あるべき」ように見える科学のあり方に反したことそのものが罪になることなどあり得ない。

論文剽窃もまた、何故か当たり前の様に科学のものルールに反した行為のように語られているが、実際のところそれの何が問題であるのかと言うと、単に労働市場競争原理にもとる行為であるからに他ならない。誰が誰を剽窃し功績を偽ろうと、それは科学の「である」ことの積み重ねそのものには何の直接的な影響もないし、それを利用するものにとって、正しい知識が誰から得られたものであるのかを気にする意味はない。ただ、金銭や名誉という社会的インセンティブ人間としての科学者に間接的な影響をもたらすのみである

不思議な現象は、科学哲学立場からこれらの「あるべき」論を押しつける風潮のあることであるしかし、科学哲学科学がどう「である」かを論じるものであって、科学がどうで「あるべき」かを論じるものではない。哲学に出来るのは、それが「科学と呼べるのかどうか」を「哲学の外」(主に科学現場から持って来た観察を元にすりあわせることだけであって、「哲学の中」で決まった「あるべき」論を元に「これは科学」「これは科学でない」と勝手現場事象を振り分ける様になってしまっては、宗教原理をもとにありとあらゆる森羅万象解釈する妄信と何ら変わらなくなってしまう。

科学論文の不正捏造が批判されるべきでないなどとは言わない。言うはずがない。しかし、このように本当のところ何が問題であるのかは社会的行為として誰が誰に罪を負うのかを個別の事例として見なければはっきりとは言いがたいものであって、それが「科学であるが故に「いかなる瑕疵も許されない」、「たった一つの不正が信頼を揺るがす」などとヒステリックに騒ぐのは、ナイーブと言うか原理主義的と言うか、非常に危うい日本人知的状況を浮き彫りにするだけのものに見える。科学をもって「信頼を損ねる」などと、信じるか信じないかの問題にしようとしてしまう勢力を前にして、「科学所詮現代宗教」とシニカルに眺めていれば良い状況とは、自分にはとても思えない。

2014-03-12

http://anond.hatelabo.jp/20140312120347

悪いけど、お前の書き方じゃ省略しすぎて喧嘩売ってるようにしか読めないね

「持ってっちゃったなー」とかシニカルな書き方しといて「トラバ追ってない」とかねーわ。

人の読解力に文句付ける前に、もっと分かりやすく書こうな。


で、損得の話だっけ?

追い出すのが一番だからそうするって、一番コストからないというだけで何をしてもいいと判断するって、人としてどうよ?

損得の話であっても、やっていいことと悪いことはある。

から追い出すのは論外。周囲も追い詰められて追い出すケースは多々あるだろうし、それを止めることは難しいけど。

2014-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20140303154910

田村ゆかりの「17歳」はお約束と言ってしまえばそれまでなのだが、

ディズニーランドスタッフを「キャスト」と呼ぶというのとは性質が違うと思う。

田村ゆかりが実年齢を明言するというのは、

ヒールキャラの「ぶっ殺してやる!」より、

ギャグ漫画での「こういうネタが読者に受けるのさ」みたいなメタ発言に近い。

プロレス繋がりでいくと、ヒールキャラが「俺も家に帰ると子供とお風呂に入るんすよ」とか言っちゃう感じ。

いま演じている物語自分で崩して不安定にしてしまう。

田村ゆかりはちょくちょくこういうことをやる。

17歳」を演じつつも、その設定に対するシニカルな態度みたいなものが一方にあって、

その「どっぷり浸からない感じ」が彼女ライブおもしろであると思う。

で、王国民はどうするのかというと、

「そうだよねー知ってるよー」とはならない。

王国民を演じ、物語を立て直すことで、王国としての結束を固めることになる。

からツイッターとかに流れてくる王国民の発言だけを見ると、

ゆかりんが37歳だなんてありえない!」

みたいな本気で言ってるのかどうか微妙なやつが多いのである

もちろん「分かった上で言ってるんだよ」ということを示すためのマーカーはある。

たとえば、先月のイベント17才だよ?! ゆかりちゃん祭り!!」というのも、

「?!」のとこを冷静に解釈すれば、本気でないことは一目瞭然。

そのへんの文脈を読めない部外者ゆかりんを語るべきではないと憤慨するのも理解できなくはないのだ。

ただ、田村ゆかりとりま空気感微妙ものであり、

外部から観察する限りでは生の姿が捉えられない。

ハゲ持ちネタにして「私はハゲておりません」とか言ってる山本一郎は、

本来そういう空気感理解できるはずの人だと思うので、調べずに煽ったという批判は受けても仕方がない。

だが、彼にしても与えられたテキストを文字通りに理解しただけであり、

その点については許してやってもいいのではないか。

虚構新聞ついても同じようなことが言えそう。

信者いわく、

虚構新聞という文脈を分かっていればネタだと理解できる。

きちんと読めばネタだと気づくはずなのだから読み方が甘い。

だが、これは全て「読み手」の側の責任なのか?

正しく読めないやつは言及してはいけないのか?

お約束ばかりだとつい閉鎖的になってしまものである

王国民としてはドッシリ構えて、

「お前らがなんと言おうとゆかりん17歳だけどね」

とか言っておけばいいのではないでしょうか。

結局みんなライブに行けばいいのである

2013-12-30

アトムdeポン!

ゲームhttp://web.archive.org/web/20060112062814/http://www.atom.meti.go.jp/game/atomdepon/index2.html (要FLASH

遊び方:http://web.archive.org/web/20060116040813/http://www.atom.meti.go.jp/game/atomdepon/howto/index.html

検索で見つけた紹介文:(ttp://www.green.dti.ne.jp/mmazda86/diary/diary0408.htmlより引用

アトムdeポン!』は一見原発推進色はないように思えるが、

先ずタイトルが『アトムdeポン!』であり、プレイヤーは「アトミくん」

となり「火の玉小僧」「アクアちゃん」「エネちゃん」をやっつける

である

またゲームの役についても平役でもっとも高い5ハン役が

原子力通貫(ウラン廃棄物処分+再処理工場)で、

さら役満については

エコ名人プルサーマル廃棄物処分+再処理工場

プルサーマル計画(原子力発電所+プルサ―マル+再処理工場

エナジーダスト(原子力発電所廃棄物処分+再処理工場

これから原子力リサイクルウランプルサーマル+再処理工場

軽水炉原子力発電所ウランプルサーマル

なんと全て原子力がらみ!このあからさまな原子力プッシュ!

そしてここでも再処理・プルサーマル!高得点を狙っているうちに

知らず知らずのうちにウラン原子力発電所を手に残してしま

というサブリミナル効果抜群の恐ろしいゲーム

誰かさん不謹慎アピールしながら自画自賛している原発麻雀よりも、かつて経済産業省さんが直々に公開していたこちらのゲームのほうが、よりシニカルでよりアトミックに楽しめるのではないかと思います

2013-12-05

痛いニュース限界

 機動戦士ガンダム監督が「進撃の巨人」コキ下す 「絶対に読みたくないし、評価もしたくない」

 http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1781679.html

 このブログを見ていくつか違和感を覚えたので列挙してみる。

 ・ なぜ富野という名前を使わなかったのか?

 ガンダム監督よりも富野の方がその手の筋では有名であり、そちらの方が多くのユーザーを獲得できるはずだ。スレタイの問題だろうか?

 ・ その代わりに「評価」や「コキ下ろす」という言葉をなぜタイトルに使ったのか?

 コッチのほうが記事に登場する人物が悪口を言っている印象をあたえる。広告代理店がよくやる小手先の手口だ。

 ・ 富野は「じじい」「老害」という言葉ばかりを抜き出しているのか?

 富野監督と言えば、ルサンチマンであり、今回のブログ最初はそれを象徴している文章を拝見できた。しかし、段々と、じじいだ、老害だという、年寄りをバカにした書き込みばかりが並んでいる。この手の言葉まとめブログを見る人間にとって好きな言葉から選んだのか? 編集恣意的な要素が見て取れて、うんざりした。

 ・ 落とし方が雑。

 オチはいはいおじいちゃんそうですねーって流しときゃいいよ

 

 そこは富野からとか、他の言葉を探して欲しかった。いくらなんでも、老齢介護で落とすのは編集者としてどうよ。

 □ 痛いニュースは変わったのか? 管理人か? それとも2ちゃんユーザーか?

 痛いニュース2ちゃんまとめブログの中でも老舗の部類に入り、まとめブログの基礎を作ったブログであり、ライブドアブログカンバンの一つである痛いニュースというタイトル通り、記事の中身は痛快さとシニカルを上手いバランスでまとめられていた。

 しかし、長年ブログ更新していると管理人センスが悪くなってくるのか、鋭かった切れ味がなくなり、棒でなぐりかかっているような鈍さしかない。これは書き込んでいる2ちゃんユーザーセンスの低下かもしれないが、管理人がわざとその鋭さを気付かずに、アクセス数を稼げる、この言葉があれば閲覧者は満足だろうといういい加減な編集をしている。今回の記事はそれが顕著に出てきた。

 富野監督というおいしい素材を、ただの老害、という言葉で終わらせるのはいささかもったいない。黒富野が復活、とか、やっぱり富野富野だったとか、そういうのを期待していた。しかし、それがないということは2ちゃんの書き込みが富野監督を知らないライト一般人ばかりになったことを遠回しに表しているのか? なんにせよ、この記事は期待ハズレだった。

 いや、前兆はすでにあった。痛いニュース最近他のブログより更新が遅くなり、まとめ方も粗くなってなり、待っていたオチも悪口で終わらせるようになってきた。これはどういうことなのだろうか? 完全なる怠慢だろうか、いや、管理人毒電波を受信過ぎて、悪くなったのだろう。そう思いたい。

 

 □ 痛いニュース限界だ。

 今の痛いニュース死に体スクエニグリーと同じように、名前だけでなんとか生きている腐った巨人のようなものだ。これからも同じようなまとめ方をして、痰吐きの吹き溜まりから痰と吹き溜まりしか集められないブログになっていくだろう。なんにせよ、痛いニュース限界なのだ。すべての書き込みが予想ができるものへとなった。

 

 自分の中で整理できた。リーダーも消した。アプリも消した。

 最後に一つ、老害はあんただ、痛いニュース。そして、富野監督も……いや、あなた平常運転です。

2013-08-31

はてブコメント欄アイコンイラッとする

アイコンというかプロフィール画像というか。

顔写真似顔絵アイコンイラっとしてしまう。

とくにドヤ顔でPLUSマーク付けてるお前だよ、お前。

twitterでは平気なのになんでだろう。

したり顔やシニカルコメントが多いからかな?

こいつよく見かけるな、と認知してしまうとダメイライラ

もちろん私が心狭すぎるというか、かなりおかしいというのは分かってる。

最近目につくIDが増えてやばい

はてブコメント欄が気にならなくなる方法を考えないと。

2013-08-09

わたしがあの人にはじめて会ったのは13歳の秋だった。

中学入学祝いに父親からパソコンを送られた私はすぐにインターネット世界にのめり込んでいった。

中でも楽しかったのはチャット

友達放課後マックに行ったり、クラス男の子を好きになってすったもんだしてる都会在住の女の子の都会っぽい生活に憧れたり、、

ちょっと不良ちっくな男の子達のリアル体験談にわくわくした。

わたしは地味で目立たないタイプ中学生で、自分に自信が持てなくてうまく人とコミュニケーションが取れなかったので、今ではよくわからないようなものにまで憧れたりしていた。

というか、クラス友達がいるっていうだけで、クラスメイト普通に話せる人だっていうだけで、私にとっては憧れの的だった。

そんな普通に楽しい中学生活を送っている人たちとお話できるのがほんとに楽しかった。

あの人に出会ったのも同じチャットルームだった。

あの人は常連のひとりでいつもロムってるんだけど、

そのくせふとあらわれてなんとなく心に残ることをぐさっと言ってはまたいなくなる、みたいなかんじだった。

毎日入り浸っていたわたしはあの人と自然あいさつとかするようになった。

あの人はほかの誰とも違う不思議な独特な空気感をまとっていて、

(あとで聞いたらちゃんとキャラ設定があったらしい)

あの人と文字で交わす会話を心地よく感じた。

あの人はいつも真夜中、みんなが落ちていったあとのひと気のないチャットルームに現れた。

つの間にかそれを心待ちにしている自分がいて、

つの間にかあの人と話すことが一日の楽しみになっていた。

あなたはどんな人なんだろう、

どんな生活をしてるんだろう

どうやら新潟県在住の歳はひとつ上。

人望厚く、生徒会長をやってるらしい。

(同じ学校だったら関わることもないだろうなー)

部活野球部ポジションは不明。

すきなマンガはるろけん。

てゆーかけっこうオタク

(じゃぁ私もアニメ詳しくなろうかな!?

シニカル時事問題論破!そこがまたかっこいいよー!!

って思っていた。

ある日あの人が自分小学生の頃の恋愛について話し始めた。

それは深夜で、チャットルームにはよく顔(?)を合わす女の子二人とあなたとわたしの四人だけで、その話は10代の私にとってはとても重いお話で、

というかまだ恋のなんたるかを知らない私にとっては目の回るような話で、

(確か、好きな女の子がいて両思いだったんだけれど、その女の子につらい思いをさせたまま別れてしまった、みたいな話だったと思う。)

その長いお話が終わる頃にはわたしたちはとてもしんみりしていた。

でもそういう特別なことを共有したことをきっかけに私たち四人はメールアドレスを交換することになった。

私は心の中でその成り行きにガッツポーズを決めていた。

だってずっとアドレスを聞きたかったけど、乙女で内気なわたしにはどうしても言い出せなかったからだ。

そうしてあの人のアドレスをゲットしたわたしは、

使い方が謎すぎて放置していたメーラー説明書100万回読んでメールのやり方を会得し、

メールの画面が夢にまで出てきた)

やっとあの人とのメールのやり取りを開始した。

あの頃の私にとってあの人は遠い(友達いっぱい!楽しい学校生活リアルではお近づきになれるはずもない人!みたいな笑)夢の世界に住む憧れの人で、

あの人から毎日メールが届くのが嬉しくて仕方なかった。

何回も何回も推敲推敲をかさねて返事を書いた。

他愛のないお話ばかりをしたと思う。

学校友達部活先生

そして、友達たくさんいて楽しい生活送ってんだー!

みたいな見栄もはったきがする。

本当はクラス友達なんていないし、

楽しいことなんかなにひとつない毎日だったけど。

でもそういうメールのやり取りを繰り返すうちに、

チャットだけではわからなかったあの人の本当の姿が、

少しずつ少しずつ見えてくるような気がした。

夢の世界に住んでるように思えたあの人にもたくさん悩みや考え事があることを知った。

あの人がどんどん近くなって来るような気がした。

ずっと昔から友達みたいに。

ある日わたしは決心した。

どうしてもあの人が同じ世界にいることを確かめたくなった。

あの人が生活する街を見てみたくなった。

本当は会いたかったけど、言えなかった。

から誰にも秘密で行ってみた。

電車で六時間雪国

そこは穏やかに時間が流れる真っ白い世界だった。

あの人が歩いているだろう道を歩いて、

あの人が買い物をするだろうショッピングセンターに行って映画を観た。

源氏物語みたいなやつ。

今思えば、あの頃のわたしにとってあの人が唯一の友達だったんだと思う。

ストーカー・・・??

ではないと思いたい。

帰ってからもそんなことは書かずにずっとメールを続けた。

そのうちどうしても気持ちを抑えられなくなってわたしはあの人に告白した。

それが本当の好きなのかどうなのかわからなかった。

文字以外のあの人のことを何も知らない、

会ったことも見たこともない。

でも気持ちだけは本当だった。

そしてあの人にはあっさりふられた。

理由は好きな人いるか・・・だったと思う。

まり覚えていない(笑)

都合のいい脳みそだな(笑)

そして私たちの1年間のメル友生活は終わった。

それから一年間はあの人のことが頭をよぎって仕方なかった。

あの人からメールが恋しかった。

そのあいだにわたしは高校に上がった。

高校生活は最悪だった。

高校生になったわたしはけっこうないじめを受けるようになっていた。

唯一仲がよかった友達からも口を聞いてもらえなくなった。

成績もガタ落ちで留年寸前だった。

先生からは通信の高校定時制に編入することを勧められた。

私は自分の部屋にひとりで閉じこもるようになった。

心を閉ざして暗い顔をしている私に家族も冷たかった。

両親は仕事やまだ小さい兄妹たちの面倒に忙しくて

わたしの苦しさを理解できる余裕はなかったんだと思う。

私は中学の頃以上に孤独だった。

誰かに理解されたかったんだろうけど、

それをうまく言葉にすることもできなかった。

勇気をふりしぼってあの人にメールを送ってみた。

あの夏の夜、あの人からメールの返信が来た。

絶対に来ないと思ってたからかなり驚いた。

どういう話の流れだったのかは思い出せないけど、

私たち携帯の番号を交換して電話で話すことになった。

たぶん私が言いだしたようなきがする。

心臓が口からまじで飛び出しそうになりながら電話に出たのを覚えてる。

その時、わたしははじめてあなたの当の名前を知った。

それまでは蒼紫様とゆこ殿、みたいなメルヘンHNでやりとりしてたの笑

なんか本当に不思議な感じだった。

はじめて聞くあの人の声は上ずったかんじの甘い声でわたしは本当にどきどきした。

私たちは何時間も何時間も話した。

なにをあんなに話したんだろう?

たぶんとてもしょーもないことばかり話してたんだろうと思う。

気づくと朝日が昇って、朝になってた。

そしたらあの人は恥ずかしそうに言ったんだよ。

「俺の言いたいことわかる?わかって、テレパシーで。」

・・・わかんないよ笑」

・・・すき。」

どういう気持ちの流れがあの人にあってそうなったのかは今でもよくわからない。

たぶんあの人も覚えてないんじゃないかな?笑

でもわたしたちはこの電話きっかけに付き合いはじめることになった。

その日から私たちは何回も好きだよって言い合って、

毎日明け方まで電話お話しをした。

携帯の請求がすごいことになってお母さんに何回も怒られた(笑)

会ったこともない人と付き合うなんて浅はかなことだと思うけど、

どうしてもあの人と毎晩長電話するのが辞められなかった。

あの人は早朝の高速バスで遠い学校に通っていた。

その登校時間ギリギリまで話してることもあった気がする。

あの女の子の化粧が濃くてキモイ、とか、モデル女の子がいてなぜかその子が俺のこと好きっぽい、とか他愛のない話しを!(笑)

そうしているうちにあの人からあることを告白された。

それは、仲のいい友達がいたんだけど、その子が亡くなってしまってとてもつらい、それはたぶん自分のせいなんだっていう話し。

それがあったから今は誰かと深く関わるのが怖いんだって話してくれた。

当時のわたしは自分のことを客観的に見る余裕なんか皆無だったからどうして自分がそんな気持ちになるのかわからなかったんだけど、その話を聞いてものすごく悲しくなった。

今考えるとわかるんだけど、わたしはあの人と深く関わることを望んでたからだと思う。

自分でも訳のわかんない私をあのひとなら理解してくれて助けてくれるような気がしてた。

でもお互いに問題をかかえたままお互いを理解しあえるわけもなく、私たちはすぐに別れてしまったんだ。

本当なら私があの人の傷を癒してあげられたらよかったんだと思うけど、当時のわたしには無理だった。

それを説明することともできなくて、

たぶん相当意味のわかんない理由で別れたと思う。

実はほかの人とのあいだに子供ができて、もうあなたとは一緒に居られません、みたいな出鱈目を言った気がする。

なんでそんなこと言ったんだろうね、10年前のわたし。(笑)

変だよね。(笑)支離滅裂だ。

壊れる前にぶち壊しにして安心たかったのかなとも思う。

大切なものからこそ。

よくわかんないけどそういう心理だったんじゃないかなーって思う。

あの人と別れてすぐに私は高校中退した。

やめる前後はピークに荒んでいたけど、

いざ辞めてしまえば私の心は徐々に落ち着きを取り戻していった。

15歳にして社会の外に放り出されてしまったことは恐怖だったけど、

それは逆にこれからのことを真剣に考える原動力だったような気がする。

わたしは友達がほしかった。

から信頼できる仲間が欲しかった。

身も心も生まれ変わって新しい自分になりたかった。

それから3カ月。

今度こそ連絡が来ることは2度とないだろうと思っていたところに

冬、連絡をくれたのはあの人の方だった。

私の誕生日に短いメールを送ってくれた。

そのメールきっかけにあの人とまた連絡を取るようになった。

ちょうど寮制の定時制高校への受験を決めて一念発起を心に誓った頃だった。

厳しい環境に身を置くことで私は最低な自分から脱出できると思った。

家族とも、育った街とも、この街の人とも、全てに距離をおいて新しい自分を始めるつもりだった。

付き合っていた頃みたいにまた明け方まで電話することも何回かあった。

でもそういう自分の状況をあの人にうまくせる自信がなくて黙っていた。

相変わらずどうでもいいような話しを何時間もしていた。

というか今気づいたけど、わたしどれだけ素直じゃないんだw

わたしは本当はあの人ともう一度お付き合いがしたかった。

でも自分からはとても言い出せなかった。

あの人が今でも私を好きでいてくれればなって思った。

春、私は高校入学して天理の寮に入った。

ぞの生活の厳しさたるや、それはもう想像を絶するものだった。

朝6時に起きて掃除点呼、先輩の洗濯や食器洗いをすませてから仕事に行って、夕方から学校

はげしいルーティン。

金曜日ジェイソンとかよりずっとずっとこわーい先輩。(笑)

ここに来たことを後悔してないと言ったら嘘になるけれど、

それでも自分自分で決めたことだから頑張ろうと思った。

もちろん携帯電話は禁止。

どじでまぬけな私は入学早々携帯が見つかり没収(笑)

反省10枚は書いた)

というわけであの人への連絡手段を失ったわけだけど、

どうしてもくじけそうな時は負けじと寮の公衆電話から10円片手にあの人に電話した。

この公衆電話がまたすっごいの!

長蛇の列に並んでやっとたどり着けるの!

でも時間が決まっていてやっと順番が来たと思ったら1分とかしか話せないこともあるの!!(笑)

ちょー不便!!!(笑)

そんなわけで満足にあの人ともお話できないし、忙しくて3ヶ月に1回とかしか電話できない時もあったんだけど、

あの人の声を聞くと本当に元気が出たもんでした(笑)

あの人は相も変わらずずっと私の支えだった。

別に電話しても何を話すわけでもなかったけどさ。笑

それでも。

地元に帰った時は便利な便利な(笑)家電で思う存分長話をした。

そうだ、手紙も何通か交換したんだ。

今でも大事にとってある。

あの人は字が下手だからってとても恥ずかしがったけど。

(確かにあの人は字がへただった(笑)

そういう生活が4年目に突入した頃、

あの人と実際に会おうかって話になった。

あの人は大学生になっていて、

サークル関係京都に来ることになったので、

せっかくだからついでに会おうよってことになった。

その少し前にわたしたちは小さな喧嘩みたいなことになっていた。

あの人が私のことを何も考えていないただふらふら生きてる奴、

みたいなことを冗談で言ってきて、わたしがそれに反論のメールを送ったんだ。

わたしはわたしなりに色々考えていて、考えた答えには従って生きてる、みたいなメール

でもあの人が私についてそう思うのは仕方ないことだった。

だって私はあの人に自分についてなんにも話したことがなかったんだから

と、いうより私は誰にも自分について話したことなんかなかった。

いつも自分が何を考えているのかわかんなかったし、

誰かが自分を理解しようとしてくれるなんて考えたこともなかった。

から私の気持ちはずっと迷宮をさまよってるみたいな感じだった。

家族との間に感じている確執にも、

ずっと悩んできた自分の心の暗い淵みたいなものに対する葛藤にも、

なんにも向き合えてなかった。

実際に待ち合わせの場所に着いても私はあの人と会うことをまだ悩んでいた。

会うのが怖かった。

実際に会って本当の自分を見せるのがとっても。

あの時、わたしはもう本当に緊張していた。

心臓爆発だった。

京都駅アトムの下で私たちははじめて会った。

2007年5月12日

出会ってから7年がたってた

わたしの人生で一番綺麗なあの初夏の日を

わたしは一生忘れないと思う。

あの人は細くて折れそうな体で

外人みたいに彫の深い顔立ちをしてた。

黒いジャケットに黒いジーンズの全身黒づくめの人だった。

京都駅の長いエレベーターをあがりながら

あの人は私に一言

「でかっ!」

って言ったんだ笑

不思議な感じだった。

はじめて見たあの人は知らない人だったけど、

声はずっと馴染んできてわたしを支てくれたあの声だった。

人見知りな私はあの人をやっぱり人見知ってたけど、

それなのにあの人はずっと昔から一番よく知っている人だった。

よく晴れた気持ちのいい日で、清水寺散歩に行った。

綺麗な新緑のさわやかな感じも、

景色の良いお店で食べたカレーの味も、

あの人の横顔も

今もあの日のように思い出せるよ。

よく歩いて、よくしゃべった。

あなた大学の話を、

わたしは寮生活の話を。

帰りはわたしの近くの駅まであの人が送ってくれた。

手をふりながら猛烈な離れ難さがおそってきたけど、

あのときの私にはそれがどうしてなのかわからなかった。

寮に帰ってからもなんだか夢の中にいるような気分だった。

あの人からメールが来た。

「楽しかった。また会いたい」って。

私もおなじ気持ちだった。

数日後の5月22日に私たちは付き合いはじめた。

いま考えれば不思議なことはなんにもない。

必然だったと思う。

私は寮生活仕事学校で本当に時間がなかったけど、

時間を作っては早朝まであの人と長電話した。

あの人は高校生の頃からずっと苦しみ続けてたみたいだった。

自分の些細な一言のせいで大切な人を亡くしてしまって、

もう人と深く関わるのが怖いって。

ずっと一人で生きてきたし、これからもそれは変わらないと思うってあの人は言った。

自分は生きてる意味なんかないのかもとも。

私になにかできることはないのか?って思った。

少しでもあの人の心が軽くなるようになればいいと思った。

あの人が誰にも心を開けなくなってしまったことを、

本当はものすごく苦しんでるように見えたから。

怖くないって言いたかった。

そうしながら少しづつわたしもあの人に自分のことを話した。

あの人が本当にわたしを理解しようとしてくれていることが分かって言葉不思議とすらすら出てきた。

いじめられてたこと、家族について、自分性格について。

そういうことをちゃんと言葉にするのは生まれて初めてだった。

混沌としていた頭の中が言葉によって整理されていくのがわかった。

私たちはできる限りの言葉をつくして自分たちについて話し合った。

それは数年前の私たちにはできなかったことだ。

今までどうしても踏み込むことができなかった、

でもとても知りたかった、

知って欲しかったことだった。

話しても話しても話したりなかった。

やっとわかりあえた喜びを私は一生忘れない。

ずっとそうしたかったんだと思う。

たぶん14歳ときから

一生懸命耳を傾けてくれたあの人には感謝してもし尽くせないよ。

あの人が私に言葉をくれたんだ。

はじめてあの人に会いに新潟に行った夏休み

本当はわたしは不安だった。

戸惑ってたんだ。

あの人と話すのは楽しいっていう言葉意味を超えて楽しい

でも私たちはまだ一回しか会ったことがないのにこの気持ちは本物なのか?って。

それが無意味不安だってすぐに分かった。

あの人がはじめて私に作ってくれた料理ペペロンチーノ

そのあとに丁寧にロイヤルミルクティーを入れてくれた。

帰る前の日にあの海で撮った写真は今でも宝物だ。

あの日、ホームであの人の手を握りながら本当に離れたくない、

離れたくないってこういう気持ちのことだったのかって思った。

あの人はあなたになら心をひらけるって言ってくれた。

わたしも同じだった。

出会ったことが奇跡なんだって思った。

メール電話でやりとりをしていた頃はまったく気づかなかったんだけど、

あの人は神様かそうでなければスーパーマンみたいな人だった。

いつもわがままばかり失敗ばかりまぬけばかりの私にきちんと向き合ってくれて、

私に悩み事があれば一緒になって考えてくれた。

自分のことがよくわからなくなってすぐに投げ出す私の、

私にさえわかんなかったわたしを教えてくれた。

ちゃんとはなしてごらん、ってあの人だけが私に言ってくれたんだ。

お父さんみたいだった。

肉親以上の愛情を注いでくれた。

あの人と一緒にいた数年間は信じられないくらい幸せだった。

思い出が綺麗な綺麗なおとぎ話しみたいだよ。

わたしたちはなにもかもがぴったりだったように思う。

わたしが持っていないものをあの人はちゃんと持っていてあの人が持っていないものをわたしが持っていて嘘みたいだった。

なにもかもが上手く噛み合っていて、あんな風に出会えたことも、こうして一緒にいることも、全部が起こり得ないような奇跡だとおもった。

それはあの人が優しくそう感じさせてくれていただけだったのかもしれないと今になったら思うんだけど、それでも。

幸せエピソードを並べはじめたらきりがない。

真夜中の長電話、一緒に観た何本もの映画、あの人の小さなアパートの部屋、まっすぐに続く海岸沿いの道、

会いたくて我慢できずに何回も最終電車に飛び乗ったこと、旅行に行ったのは神戸栃木クリスマスに買いすぎたモスチキン

大学ピアノがある小さい部屋、高速バスに乗って一緒に出かけたこと、

別れる時に悲しかったぶん会えた時はほんとに嬉しかったこと、あの海辺の夕日、あの人を残してホームから走り出す電車、あの人のかなしそうな顔。

ねえ、わたしはおかしいのかな?

思い出を美化しているだけなのかな?

もしそうだとしても懐かしくて叫び出しそうになるよ。

たまに幸せ妄想をするんだよ

あの人に出会うために何回も何回もの生を生きて

やっとこの世界めぐり会えたのかもしれないなって

からはじめて会ったあの日からずっと離れるのが本当に嫌だったんだ

あの人がいればなんだってできるような気がした

あの人に話してないことがひとつだけある。

わたしはそれでも迷っていたんだ

私は若くて無知だった

本物がどれなのか判別がつかない程に。

奇跡だと思ってた

完璧だと思ってた

からこそ関係が変化するのが怖くて仕方なかった

わたしは自分があの人を段々大切にできなくなっていってるのを知ってた

いつか自分の未熟さが原因で壊れて終わってしまうだろうと思った

しろそうなるべきとも思った

そうしたらあの人の本当の大切さがわかるから

早くあの人を大切にできる自分になりたい

つの間にかあの人にめぐり合うことができた奇跡を当たり前に思い、

あの人がわたしにかけてくれる愛情を当たり前に思い、

あの人に求めてばかりでいつも苛立っているのが苦しかった

わたしはわたしたちの幸せをめちゃくちゃにした

わたしは確信がほしくてほしくてたまらなかった

あの人を失ったわたしは

かたずっぽになって

うまく立つことができなくなった

うまく声も出せなった

うまく笑えなくなった

うまく人と話せなくなった

世界は違うものに見えた

怖くてわたしを押しつぶしてくるの

何時の間にかわたしはあなた

荷物を預けて楽してたみたいだ

全部がのしかかってきて

息ができなくなった

笑顔は今でも引きつってる気がしてる

それでも

時間と一緒に少しづ

あの人がいない新しい灰色世界

わたしは受け入れていった

考えることをはじめた

どうしてこうなってしまったのか、

ここはどこなのか、

これからどう生きていくべきなのか 、

あの人のことを何度も思った

ずっと考えていて

分かったことはふたつだった。

ひとつめは、

自分感謝できることを必死で探してありがとうって思えるように絶対にならなきゃ同じことを繰り返してしまうってこと

どんな幸せを持っていたってそれをわかってなくちゃそれは不幸と一緒だ

ふたつめは、

本当に愛し合える人を見つけられずに死んでしまう人も多いこの世界で、わたしはあなた出会えたこと、そしてあんな時間を持てたことがすでに奇跡だってこと。

出会えたことがすべてってこと。

ここは確かにあの人がいない Permalink | 記事への反応(2) | 23:51

2013-07-31

http://anond.hatelabo.jp/20130731163932

ざっと読んでみました(無課金で読めるところまで)。

これは「人生の重大事インタビュー形式であえて客観的に見せている読み物」なのですが、

それを「人生の重大事をまるで他人事のように語っている」ように読んでしまうと、

もう佐藤秀峰氏が無責任な「クソ野郎」にしか見えなくなるのでしょう。

さらに、それを有料メルマガとして配信しているということで、

配偶者や息子を不幸にした自らの悪行について責任を取らない上に金儲けの道具にまでしている」、

そんな風に見えるわけです。

一方、あくまで表現の一形式、シニカルエッセイとでも思えば、この読み物はとても面白いものですし、

読者はむしろ、このような不道徳行為面白く思ってしまう自らの心性にこそ、グロテスクさを感じているのかもしれません。

2013-07-30

フジロック1日目

朝は快晴。暑さで起床。日差しが辛い。


・ROUTE 17 Rock 'n' Roll Orchestra

池畑潤二率いるバンドに、ゲストとしてトータス松本甲本ヒロト大江慎也ルースターズボーカル)がゲストとして登場。

グリーンステージ一発目としてお祭りの始まりを飾るに相応しい、愉快なロックンロールバンド

甲本ヒロトがYMCAを歌っていた時に物販列に並んでいたのが非常に悔やまれる。

トータス松本金髪似合ってないからやめたほうがいいと思う。

あと、いつの間にかクリス・ペプラーベース弾いててワロタ


SOIL & "PIMP" SESSIONS

社長はいつも通りガウン羽織ってらっしゃって非常に暑そうだ。

バンド内で社長役割は「アジテーター」となっているが、実際はサックスエフェクターをいじってダブ風にしたりパーカッションをしたりとちゃんと他の仕事もしていた。

クラブジャズバンドであるため、どうしても後に見たJazzanova比較してしまうのだが、Jazzanovaの方に軍配が上がるかな。人数で負けてるし。

からといってカッコ悪いというわけでなく、むしろこの二つはクラブジャズ頂上決戦くらいな感じなので、最高に踊れた。

トランペットの人がソロの後に酸素吸入器使ってて、管楽器って大変だと思ったよ。


怒髪天

普通ロックンロール。ただでさえ暑いのにめちゃくちゃ暑苦しかった。

別に嫌いとかそういうわけじゃなくて、「ゴミ別に参加してタオルをもらおうキャンペーン」列に並んでた時に聞いたので、暑いのが辛かったってだけ。

ちなみに、「ゴミ別に参加してタオルをもらおうキャンペーン」に関しては、タオル目的に参加するとフジロックごみ問題について考えざるを得なくなるという良企画だった。

みんな、リサイクル食器は食べかすが残らないよう綺麗に食べよう。


KEMURI

往年のスカコアバンド

モッシュピットでは若者ではなく、いわゆるエアジャム世代のオッサンたちが大騒ぎ。

今でしょ!と思い人生ダイブに挑戦するも、うまく支えてもらえずしょっぱい感じで前から退場。


THE SEA AND CAKE

今回二番目に楽しみにしてたバンド

ついにJacking the Ballを生で聞ける時が来たか!灼熱のオレンジコート涼しい風が吹き抜ける!と期待が高まるが…

CD音源の方がよかった。てかライブなのに露骨に既成音源使いすぎなんだよ…これ以上何も言うまい

折角二列目で聞いてたけど途中で後ろに下がってしまった。

Twitter見てたら「オッサン感動して泣いてしまったよ」みたいな人が複数いたが、これで感動はさすがにハードル低すぎorノスタルジー効果しかない。


MY BLOODY VALENTINE

2月来日公演を見逃したマイブラ、ついにお目にかかれました。

Twitter小野島大さんが指摘していたが、最初は音が小さく迫力不足だった。なんだマイブラこんなものかと。

音量は徐々に上がっていき、最後の曲くらいになるときちんと轟音と呼べるレベルになったので、ノイズの波に包まれる感覚はちゃんと味わえた。

しかし音量は上がったとはいえ、全体的は音の解像度が低く、音のレイヤーが緻密に重ねられているCD音源に比べるとかなりお粗末なサウンド。

ケヴィン・シールズの後ろには10台ほどのアンプが並び、ギター一曲一曲取り替えていたが、努力虚しくといったところか。

Only Shallowのイントロとかライブだとどうなるのか楽しみだったのにな。

最後の曲で「うおーノイズの雨だ!」とか思ってたら本当に雨が降り始めて、「これはマイブラの演出か!?ハンパねぇ!!」とか感動していたのだが、その後雨は笑えないレベルに。


Chara

豪雨によりレッドマーキーには人が殺到

後ろの方で見るハメになったが、後ろの人達目的Charaではなくテント屋根

静かな曲の時も、隣の外国人が大声で会話をしており勘弁してくれという感じだった。

しかし「やさしい気持ち」は一応聞けたのでよかった。

Charaの声は生で聴く尋常じゃなくハスキーであり、s/n比が大変なことになっていた。

もはやノイズボーカルといっていいレベルであり、非常階段のシャウト担当の人を思い出す。

「やさしい気持ち」サビでは絞りだすような歌い方がさらノイズ成分を増していて、音程かい世界をもはや超越していた。。。

これは是非ライブ聴くべき。前で聞けなかったのが悔やまれる。

参考動画https://www.youtube.com/watch?v=EoUSERsC8VI


フライングロータス

音楽もさることながら、注目を集めたのはその舞台演出だろう。

日見初音ミクオペラTHE ENDと同じ舞台構造で、背景のスクリーンと前面にある半透明スクリーンの間にDJブースがあるという構造

このVJがすごすぎて、ちゃんとみんな音楽聞いてなかったんじゃないの?と思うレベル

というか私自身が音楽に集中できず、あまり覚えていない。

印象的だったのは、インテリジェントなサウンドと裏腹に、フライングロータス本人がかなり頭悪そう(いい意味で)でハイテンションアジテーターだったことw

無駄に「オキナワー!キョウトー!インザマザファカ!」とか叫んでた。


Char

迷うことなく1日目のベストアクト。

ライブはなんとノープランCharが友人ギタリスト及びフジロック出会ったギタリストを順番に招いてひたすらジャムセッションしていくというもの(なんと二時間半も!!)。

ギターを少しでもかじったことがある人なら感動せざるを得ないライブだった。

Charはそれぞれのゲストギターで会話。必要言葉は「キーはDで!」というセリフのみ。

ギターでの会話にはきちんとシンタックスがあり、方言もあった。

奥田民生ソロの後にCharが「おっ、ギター広島弁だねぇ」と言ったのが印象的。

フジロック当日に初めて会ったEddie Roberts(The New Masteroundsのギタリスト)はファンクギタリストであり、Charブルースギタリスト

ジャンルの違いは方言の違いのようなものであり、お互い歩み寄り会話を成立させていく様には全てのギター小僧が感動したことだろう。

Char本人に関して言えば、立ち居振る舞い、声、ギター、何をとっても最高にかっこいい不良中年だった。

ライブ中にタバコは吸うわ、ビール缶を蹴って客席に飛ばすわ、そんでもって58歳にもなってビールを口から友人に噴きかけるやつなんてCharくらいのものだ。

そして、Charゲストたちだけではなく観客との掛け合いも忘れない。

「そろそろ声出しとく?」とライブ中何回もコールアンドレスポンスはさみ、雨でずぶぬれになった観客たちの体を温めてくれた。

最後Warの「Cisco Kid」の替え歌で、全てのギタリスト総出で「Fuji Rock Kid」を演奏

我々観客はサビで「Fuji Rock Kid was a friend mine」と大合唱

裏でやってた(どちらかと言えばCharが裏だが)ナイン・インチ・ネイルズも少し気になったが、Charを選んで本当によかったと思えるライブだった。

佐藤タイジ奥田民生ハードロック鈴木賢司エレキシタール、Eddie Robertsはファンク、CHABOとCharブルースという、もう本当に異種格闘技戦だったわけで。

Char×Eddie Robertsなんてもう二度と見られないだろう。


勝井祐二 and The Magic Caravan

日付も変わってなんと25時からライブ

ピラミッドガーデンという辺境の地でしかも深夜ということもあり、夕方のCharaとは対照的にセレクトされた客層。

どれくらい辺境かというと、メインステージがある方向と反対方面にテントサイトから徒歩20分というレベルなのだが、この場所は勝井さんたっての希望らしい。

まずは勝井祐二×U-zhaan即興演奏。先ほどのCharとはシンタックスこそ異なれど、これまた達人同士による会話が繰り広げられる。

多分彼らは無限に会話を続けられるだろう。こうした即興演奏を見ると、もはや曲という概念がよくわからなくなってくる。

そしてギターボーカルとしてSORA、青葉市子が順番に登場。

青葉市子はポンチョサングラス、箒を振り回しながら登場し、その場にいた全員を困惑させる不思議ちゃんぶり。

青葉市子は弾き語り音源ライブを聞いたことがあったが(翌日にも見た)、そこにエレキバイオリンタブラが加わるとさらに素晴らしい曲に仕上がっていた。

どうせなら三人でやった音源CD化してほしい。

最後はその日が命日であったrei harakamiU-zhaanが共作した「川越ランデブー」を勝井祐二U-zhaan、青葉市子の三人で演奏

大げさな言い方だが、即興演奏の達人たちはもはや死者とも会話していた。

といってもシリアスな感じではなく、曲はむしろU-zhaan特有なシニカルユーモアあふれるものだった。

からYouTube原曲を聞いたが、歌の部分は青葉市子が歌う方が可愛げがあっていいと思う。

しかし、斎藤牛蒡店は自らのやばさに気づいてないあたり、U-zhaanよりもさらやばい

参考動画https://www.youtube.com/watch?v=NICEXdZ2s3o

勝井さんの演奏を見るのはこれで4回目だが、毎度毎度違った印象だ。

一緒に演奏する相手によって音が変わるさまは、まるで多言語話者のようである

この日は以上。お風呂に入っておやすみなさい。

2013-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20130624011034

激しく同意元増田と全く同じ状態。

リアルな嫁自慢や子供自慢をされても、すごいねよかったね以外の反応が出来ず、うんざり

本当はシニカルツッコミを入れたいけど、社会性を無駄に疑われるのも嫌だし。

アカウントを消すのも面倒なので、ROMってるだけ。「どうでもいいね

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