「ステートメント」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ステートメントとは

2020-08-03

anan表紙とフェミニストに関するinumash氏の詭弁について

董卓不燃ごみ

@inumash 16時間

ananの表紙を批判する男性側の言説の多くは、自身が「問題だ」とか「これは嫌だ」と考えるのであれば

まず「○○は止めてほしい」という主張になるはずのところ、

それをすっ飛ばして「○○を批判しないフェミニストおかしい」という主張に転嫁してるという点で

弱者男性問題におけるそれと同じ構図です

これについて見ていきたいと思います。 

 

 

1.

1行目から間違っていると思います

ananの表紙を批判する男性側の言説の多くは、自身が「問題だ」とか「これは嫌だ」と考えるのであれば

これはおそらく違うでしょう。

anan表紙を批判しているのではなく、

フェミニスト表現規制派がanan表紙を批判しないこと」を指摘しているのだと思います。 

そして高い確率董卓氏もそれはわかっていて

意図的に話をすり替えています

 

まず「○○は止めてほしい」という主張になるはずのところ、

そのような主張になるはずはありません。

そもそもフェミニスト表現規制派に反対していく集団が、

別の表現たる○○を「止めてほしい」という主張になるのは考えづらいことです。

そして高い確率董卓自身それはわかっていて

意図的相手側の意思や主張を捻じ曲げていこうとしています

  

それをすっ飛ばして「○○を批判しないフェミニストおかしい」という主張に転嫁してるという点で

弱者男性問題におけるそれと同じ構図です

すでに明らかなように

批判されているのは「○○という表現(今回で言えばananの表紙)」ではなく

フェミニスト表現規制派の表現を焼く行為及び、その際に掲げてきた大義名分欺瞞」の方です。

 

そして高い確率で、董卓氏はそのことを理解できています

であるにも関わらず後者反論しないのは後者に正対すれば不利になると読めているためで、

かわりに反論やすい別の相手論陣(「ananの表紙が許せない」「我々も表現を焼きたい」)を捏造しているのです。

これは藁人形論法といいます

 

 

2.

フェミニスト表現規制派が表現を焼く際

「私がなんか嫌だから焼くだけ」と正直な名分を掲げていれば、董卓氏の今回の擁護は成り立ちました。

しかし実際の名分がそうではなかったことは、董卓氏含めた我々全員が知っています

表現規制大義名分はほぼ常に

「これは環境セクハラである

「これは人権侵害である

というものでした。

 

セクハラはもちろん議論をまたない重罪·人権侵害であるため、セクハラであろうといわれてしまえば責任者や団体に重い圧力がかかります

 

しか

セクシャル表現された肢体が「好き嫌い次元キモい」ではなく「セクハラ問題人権侵害問題」なのであれば、

そしてフェミニスト表現規制派が「自分の嫌なものを焼く集団」ではなく「セクハラに立ち向かう人権闘士」なのであれば、

その抗議対象女性の肢体である男性の肢体であるかで抗議の鋭さが激変する(果ては、後者には抗議しない)ことは名分と多いに矛盾し、都合の悪いことです。

 

anan表紙の表現イケメンの半裸やその横に添えられたSEXなどの文言には同じ人達からの抗議の声が弱いのであれば、

「あれ、『公共の場セクシャル表現セクハラだ』という主張は本心ではなかったのかな」

「単に男性が喜ぶと思われる表現が憎かっただけで、同じような表現でも女性向けであれば看過したり楽しんだりするのかな」

といった疑いの視線が周囲に起こるのは当然ではないでしょうか。

  

 

 

フェミニスト表現規制派はつまり、そのダブルスタンダードが疑われるような反応の違い·ステートメントの違いを指摘されており、

ひいては「あなた達が表現を焼くときに使った大義名分正義の旗は嘘だったのか」

ということが問われているのではないでしょうか。

 

 

anan表紙が気に入らないの?」

フェミニストを羨んでるならあんた達も焼けば?」

という反論はかなりつまらない詭弁を使った誤魔化しであり

フェミニスト表現規制派とその擁護者がこの陣地に集まりだしているのは

本来の指摘に対して反論出来ない弱さに見えてしまうと思います

2020-07-22

anond:20200722135033

この本で数学的に意味のある記述って、

くらいだから

レポート用紙半分くらいの内容しかない

あと全部ポエム

で、もちろんこれらを知ったところでIUT理論の内容は全く分からない

「数式を使わずに難しいことを説明している」のではなくて、そもそも内容自体がない

2020-07-21

if文というのは

真偽値をcmp命令で真か偽かを判定したあとにフラグをみて

フラグが偽だった場合にJMPにより命令レジスタを変更しますそうでないいばあいそのまま次の命令を実行し

そのステートメントが終了した場合やはりJMP命令でTHEN節の次に移動しますここでTHENとELSEが合流しま

このときに、予測分岐という回路が働きますがそれは次のお話として先にはなしをすすます。このときハイパーリンクも次回とします。

宇宙宇宙をつなぐ数学 - IUT理論の衝撃」の感想

Amazonレビューなどに書くと過去レビューから身バレする可能性があるのと、わざわざ別アカウントを作ってまで批評するほどのものではないと思ったので、こちらに書きます

初めに断っておきますが、本稿は別に加藤文元先生人格や業績などを否定しているわけではありません。また、IUT理論やその研究者に対する批判でもありません。「IUT理論が間違っている」とか「望月論文査読体制問題がある」などと言う話と本稿は全く無関係です。単純にこの本に対する感想しかありません。

----

加藤文元先生の「宇宙宇宙をつなぐ数学 - IUT理論の衝撃」を読みました。結論から言って、読む価値の無い本でした。その理由は、

ほとんど内容がない」

この一言に尽きます数学書としても、一般書としてもです。

本書の内容と構成

本書は、RIMS(京都大学数理解析研究所)の望月新一教授が発表した数学理論である、IUT理論宇宙タイミューラー理論)の一般向けの解説書です。

1~3章では、数学研究活動一般説明や、著者と望月教授交流の話をし、それを踏まえて、IUT理論画期的であること、またそれ故に多くの数学者には容易には受け入れられないことなどを説明しています

4~7章では、IUT理論の基本理念(だと著者が考えているアイデア)を説明しています技術的な詳細には立ち入らず、アイデア象徴する用語フレーズを多用し、それに対する概念的な説明や喩えを与えています

8章がIUT理論解説です。

まず、数学科の学部3年生以上の予備知識がある人は、8章だけ読めばいいです。1~7章を読んで得られるものはありません。これはつまり「本書の大部分は、IUT理論本質的関係ない」ということです。これについては後述します。

各章の内容

1~3章は、論文受理されるまでの流れなどの一般向けに興味深そうな内容もありましたが、本質的には「言い訳」をしているだけです。

IUT理論が多くの数学者に受け入れられないのは、従来の数学常識を覆す理論から

望月教授が公開された研究集会などを開かないのは、多数の人に概要だけを話しても理解できないから。

などの言い訳が繰り返し述べられているだけであり、前述の論文発表の流れなどもその補足のために書かれているに過ぎません。こういうことは、数学コミュニティの中でIUT理論懐疑的人達説明すればいい話であって、一般人に長々と説明するような内容ではないと思いますもっとも、著者が一般大衆も含めほとんどの人がIUT理論懐疑的である認識して本書を書いたのなら話は別ですが。

4~7章は、「足し算と掛け算の『正則構造』を分離する」とか「複数の『舞台』の間で対称性通信を行う」などの抽象的なフレーズが繰り返し出てくるだけで、それ自体の内容は実質的説明されていません。

正則構造とは、正方形の2辺のように独立に変形できないもの

対称性とは群のことで、回転や鏡映などの操作抽象化したもの

のように、そこに出てくる「用語」にごく初等的な喩えを与えているだけであり、それが理論の中で具体的にどう用いられるのかは全く分かりません(これに関して何が問題なのかは後述します)。そもそも、本書を手に取るような人、特に1~3章の背景に共感できるような人は、ここに書いてあるようなことは既に理解しているのではないでしょうか。特に6~7章などは、多くのページを費やしているわりに、数学書に換算して1~2ページ程度の内容しか無く(誇張ではなく)、極めて退屈でした。

8章はIUT理論解説ですが、前章までに述べたことを形式的につなぎ合わせただけで、実質的な内容はありません。つまり、既に述べたことを並べて再掲して「こういう順番で議論が進みます」と言っているだけであり、ほとんど新しい情報は出て来ません。この章で新しく出てくる、あるいはより詳しく解説される部分にしても、

複数数学舞台対称性通信をすることで、「N logΘ ≦ log(q) + c」という不等式が示されます。Θやqの意味は分からなくてもいいです。

今まで述べたことは局所的な話です。局所的な結果を束ねて大域的な結果にする必要がありますしかし、これ以上は技術的になるので説明できません。

のような調子で話が進みますいくら専門書ではないとはいえ、これが許されるなら何書いてもいいってことにならないでしょうか。力学解説書で「F = maという式が成り立ちます。Fやmなどの意味は分からなくていいです」と言っているようなものだと思います

本書の問題

本書の最大の問題点は、「本書の大部分がIUT理論本質的関係ない」ということです(少なくとも、私にはそうとしか思えません)。もちろん、どちらも「数学である」という程度の意味では関係がありますが、それだけなのです。これがどういうことか、少し説明します。

たとえば、日本には「類体論」の一般向けの解説書がたくさんあります。そして、そのほとんどの本には、たとえば

素数pに対して、√pは三角関数特殊値の和で表される。(たとえば、√5 = cos(2π/5) - cos(4π/5) - cos(6π/5) + cos(8π/5)、√7 = sin(2π/7) + sin(4π/7) - sin(6π/7) + sin(8π/7) - sin(10π/7) - sin(12π/7))

4で割って1あまる素数pは、p = x^2 + y^2の形に表される。(たとえば、5 = 1^2 + 2^2、13 = 2^2 + 3^2)

のような例が載っていると思います。なぜこういう例を載せるかと言えば、それが類体論典型的重要な例だからです。もちろん、これらはごく特殊な例に過ぎず、類体論一般論を説明し尽くしているわけではありません。また、類体論一般的な定理証明に伴う困難は、これらの例とはほとんど関係ありません。そういう意味では、これらの例は類体論理論的な本質を示しているわけではありません。しかし、これらの例を通じて「類体論が論ずる典型的現象」は説明できるわけです。

もう一つ、より初等的な例を出しましょう。理系なら誰でも知っている微分積分です。何回でも微分可能実関数fをとります。そして、fが仮に以下のような無限級数に展開できたとします。

f(x) = a_0 + a_1 x + a_2 x^2 + ... (a_n ∈ ℝ)

このとき、両辺を微分して比較すれば、各係数a_nは決まります。「a_n = (d^n f/dx^n (0))/n!」です。右辺の級数を項別に微分したり積分したりしていい場合、これはかなり豊かな理論を生みます。たとえば、等比級数の和の公式から

1/(1 + x^2) = 1 - x^2 + x^4 - x^6 + ... (|x| < 1)

両辺を積分し、形式的にx = 1を代入すると

arctan(x) = x - x^3/3 + x^5/5 - x^7/7 + ...

π/4 = 1 -1/3 + 1/5 - 1/7 + ...

のような非自明な等式を得ることができます。これは実際に正しい式です。また、たとえば

dy/dx - Ay = B (A, B ∈ ℝ、A≠0)

のような微分方程式も「y(x) = a_0 + a_1 x + a_2 x^2 + ...」のように展開できて項別に微分していいとすれば、

Σ((n+1)a_{n+1} - Aa_n) = B

  • a_1 - Aa_0 = B
  • (n+1)a_{n+1} - Aa_n = 0 (n ≧ 1)

よって、

  • a_{n+1} = Aa_n/(n+1) = A^n (B + A a_0)/(n+1)! (n ≧ 0)

a_0 = -B/A + C (Cは任意の定数)とおけば、

  • a_n = C A^n/n! (n ≧ 1)

「e^x = Σx^n/n!」なので、これを満たすのは「y = -B/A + Ce^(Ax)」と分かります

上の計算正当化する過程で最も困難な箇所は、このような級数収束するかどうか、または項別に微分積分ができるかどうかを論ずるところです。当然、これを数学科向けに説明するならば、そこが最も本質的な箇所になりますしかし、そのような厳密な議論とは独立に「微分積分が論ずる典型的現象」を説明することはできるわけです。

一般向けの数学の本に期待されることは、この「典型的現象」を示すことだと思います。ところが、本書では「IUT理論が論ずる典型的現象」が数学的に意味のある形では全く示されていません。その代わり、「足し算と掛け算を分離する」とか「宇宙間の対称性通信を行う」などの抽象的なフレーズと、それに対するたとえ話が羅列されているだけです。本書にも群論などの解説は出て来ますが、これは単に上のフレーズに出てくる単語注釈しかなく、「実際にIUT理論の中でこういう例を考える」という解説ではありません。これは、上の類体論の例で言えば、二次体も円分体も登場せず、「剰余とは、たとえば13 = 4 * 3 + 1の1のことです」とか「素因数分解ができるとは、たとえば60 = 2^2 * 3 * 5のように書けるということです」のような本質的関係のない解説しかないようなものです。

もちろん、「本書はそういう方針で書く」ということは本文中で繰り返し述べられていますから、そこを批判するのはお門違いなのかも知れません。しかし、それを考慮しても本書はあまりにも内容が薄いです。上に述べたように、誇張でも何でもなく、数学的に意味のある内容は数学書に換算して数ページ程度しか書かれていません。一般向けの数学の本でも、たとえば高木貞治の「近世数学史談」などは平易な言葉で書かれつつも非常に内容が豊富です。そういう内容を期待しているなら、本書を読む意味はありません。

繰り返し述べるように本書には数学的に意味のある内容はほとんどありません。だから、極端なことを言えば「1 + 1 = 2」や「1 + 2 = 3」のような自明な式を「宇宙宇宙をつなぐ」「正則構造を変形する」みたいに言い換えたとしても、本書と形式的に同じものが書けてしまうでしょう。いやもっと言えば、そのような言い換えの裏にあるもの数学的に正しい命題意味のある命題である必要すらありません。本書は少なくとも著者以外にはそういうもの区別が付きません。

本書の続編があるなら望むこと

ここまでネガティブなことを書いておいて、何食わぬ顔でTwitter加藤先生ツイートを拝見したり、東工大京大に出向いたりするのは、人としての信義に反する気がするので、前向きなことも書いておきます

まず、私は加藤先生ファンなので、本書の続編が出たら買って読むと思います。まあ、ご本人はこんな記事は読んでいないでしょうが、私の考えが人づてに伝わることはあるかも知れませんから、「続編が出るならこんなことを書いてほしい」ということを書きます

まず、上にも書いたような「IUT理論が論ずる典型的現象」を数学的に意味のある形で書いていただきたいです。類体論で言う、二次体や円分体における素イデアル分解などに相当するものです。

そして、IUT理論既存数学との繋がりを明確にしていただきたいです。これは論理的な側面と直感的な側面の両方を意味します。

論理的な側面は単純です。つまり、IUT理論に用いられる既存重要定理、およびIUT理論から導かれる重要定理を、正式ステートメント証明抜きで紹介していただきたいです。これはたとえば、Weil予想からRamanujan予想が従うとか、谷山-志村予想からFermatの最終定理が従うとか、そういう類のものです。

直感的な側面は、既存数学からアナロジーの部分をより専門的に解説していただきたいです。たとえば、楕円曲線のTate加群が1次のホモロジー群のl進類似であるとか、Galois理論位相空間における被覆空間理論類似になっているとか、そういう類のものです。

以上です。

加藤文元先生望月新一先生、およびIUT理論研究・普及に努めていらっしゃるすべての方々の益々のご健勝とご活躍を心から祈り申し上げます

2020-07-03

サブカル左翼転向

とあるサブカルレコードレーベル所属アーティストジャケットや、過去サブカル界の教科書みたいな雑紙などを手掛けていたデザイン事務所が、ネトウヨ御用達ヘイト本デザインを手掛けていたというツイートが流れてきた。その事務所過去仕事アーカイブ掲載されていたようだ。サブカル界隈のリベラルたちが見せしめとして炎上させている。

すぐにステートメントを発表して謝罪していた。

正直、かわいそうだなと思った。黙ってりゃ良かったのに。

サブカル界隈で著名なデザイン事務所でも、ひとつひとつのギャラの単価、安いだろうから台所事情的にヘイト仕事でも受けないとやってけなかったのではないだろうか。

その事務所、著名とはいえ個人商店みたいなもので、連絡先も公開されているのだし、いきなりSNS放火しないで直接メールなりなんなりで言えば良かったのではないか。こういう意見は、トーンポリシング一種だと叩かれそうだが、強大な権力や規模を持つような相手ではない限り、SNSは叩く力が強すぎるように思う。

同じような事例をこのところ何度も見かけてる。右も左も先鋭化した人ばかりがSNSに残っているのでTLをみていられない。自分リベラルだと思っていたが、疲れてしまった。

2020-01-01

anond:20200101052010

ステートメントのところだけに反応するけど

「生かされている。生きることを許されている」って必ずしもポジティブ言葉ではないよね。

いや米津の言った文脈としてはポジティブ意味だったんだろうけど

許しがなければ生きていけない、自分生殺与奪の件を誰かに握られているってことであり、

それはある種の諦めであり敗北宣言だよね。

米津のことを考えすぎて頭が爆発しそうなので書き捨てる

 紅白見た? 本人歌唱はないけど3曲が米津作曲作詞っていう待遇。何年か前も浅倉大介の曲が2曲流れたけど今回はめっちゃピックアップされた米津。

 私は米津のファンで、次のツアーも行く予定。でもさ、嵐への楽曲提供であるカイトいくらなんでもあれはなくね???

 嵐の歌唱前にあった本人のステートメントがもう嫌なんだよね。「周りに生かされている。生きていくことを許されている」とかいうの。千葉雅也がTwitterで「生かされているんじゃないくて生きていくんだよ」って言ってたけど、本当それに尽きると思うんだよね。

 歌詞も全体的に「糸=他者とのつながり」を強調したものだし……。

 私が好きな曲のひとつにTEENAGE RIOTがあるけど、そこに「誰より独りでいるなら誰より誰かに届く歌を」ってのがあるんだよね。これ、本人がなんかの番組で言ってたけど「SNSとか、周りとなじもうとしなきゃみたいな同調圧力への抵抗」みたいなことを含んでいるらしくて、それがとても響いたんよ。でもさ、カイトはなんか「生かされている」って共同体的な考え方が前に前に出てきてしまっていてさ……。もちろん、そういうのが好きな人はいいのかもしんないよ。私が個人主義からってのもでかいと思う。そこは個人の嗜好だけどね。TEENAGE RIOTカイトの米津、どっちが本物なのかってことでもないだろうし、きっとどっちも本当なんだろうし。

 しかし、音が全く面白くないのも問題だなあという。

 米津は変な音たくさん使って電子音楽しい系って面もあると思うんだ。でもなんかカイトはそういうのないんだよね。勿論、嵐の曲だからってのは確実にあるんだろうけど、オーケストラっぽい音がこれまた「お手軽壮大感」を出している気がしてならない……。馬と鹿でその片鱗をちょっと感じちゃったのもあって、余計にね。

 カイト歌唱後に、内村が「これが来年オリンピックでたくさん流れるわけだよね」とにこやかに言ってたのもまたひっかかって、この「他者との繋がり」を強調する音楽オリンピックかいナショナリズムを、創造共同体を強く結びつけるイベントに乗せられることを思うと暗い気持ちになる……。

 結局は、米津玄師劣化したってことじゃなくて、「ウケるものをわかった」こなれ感を感じてしまったという失望感なんだよな。勿論、本人がどんなものを好むかなんてわかんないしさ、私が勝手幻想を抱いていただけなのもわかってるよ。でもなんかさ、中高生の時にハチが直撃した身としては米津は「変な文体ファンタジー書く人」みたいな印象が強くて。謎の空想世界を見せてくるようなのもすごく好きだった(パンダヒーローもそうだし、KARMA CITYとか爱丽丝が大好きなのよ)。けどなんか、そういう独自性を感じられなかったんだよね。なんか、薄まったものを、悪い意味でのJ-POPを聴いた気分になった。

 これから応援するしCD買う(高音質マスターがあるならさっさとハイレゾで出してくれ)けど、カイトみたいな方針がずっと続かないように私は勝手に願っておく……。まあ、楽曲提供だけのスタンスもあるだろうし、嵐だからということも絶対にあると思うので、今までの米津とリニアに結びつけるのは乱暴だともわかってる。あと、これが好きな人はごめんな。

 推敲する気もあまりないし長くて本当にすまない。

追記

人気エントリに挙げられ、ブコメもたくさんいただいた。駄文を読んでくれて感謝

指摘が多かったけど「初期が良かった!!!!」って言ってる自称古参ワガママという面があるのは本当にその通りだと思う。米津自身が「スタンダードにならなければならない」って発言をどっかでしてたのも知ってる。

あと、「これはあくまで嵐の曲なのだから」という指摘も同意してる。米津自身が歌うのと意味が違うだろう、というのもその通りだと思う。

この追記で書きたいことは、「ファンは声を上げるべき」ということだ。私は信者ではなくてファンだし(ファナティックがどうとかは無視)、批判はすべきだと思ってる。ファンなので米津は神のような存在で、その意向は最大限尊重すべきだと思う自分がいる一方で、「作者は死んだ」のだから提示されたものに対して真摯に考えようという自分もいるんだ。

まあ、この文章は全体として「米津の今までの曲が好きになって期待しすぎたけど肩透かしを食らった人の喚き」というものだと受け取っていただければ……。懐古厨にならないよう自戒しつつ、米津先生次回作に(理性的に)期待します。

あっ、ブコメで「平沢進は」ってご意見があったがヒラサワには既に行っております

2019-08-07

何故あいちトリエンナーレはここまで社会の関心を持つようになったのか?

報道や各種メディア個人が様々な媒体で伝えているこの事柄に対して、私個人のごく私的見解など、どうしようもない話の一部になるのだろうけれど、つらつら書いてみようと思う。

検閲

今回発生した問題検閲問題ではない。現在紙面やネットで騒いでいる検閲という問題は、当事者の手を離れた部外者による場外乱闘であった。扇情的な展示に対して、権力を扱う不用意な政治家が、自制せず権利侵害する発言を行ったことは大問題であるが、ここまでくるともはや展示云々ではなく、国家自治体による権利侵害(の実行又は脅迫)という、大事問題だが、別方向の問題として切り離して考えるべきで、後述する問題を覆い隠してしまうことになる。展示を取りやめたのは、大量の抗議や脅迫犯罪予告により、芸術祭にかかわる方々の安全を確保できなくなったという状況に陥り、該当展示の実行委員会(実行キュレーター)の同意なしで中止に至ったという顛末理解している。

税金使用したイベントについて

芸術市場が大きい欧米諸国に対し、日本国は元々芸術品の売買に対して諸国のような減税優遇措置をとっておらず、バブル期を除き、民間ギャラリーを経由した売買や、流通操作伝統工芸品を大型百貨店の展示場で、国内のみ通用する相場販売する程度であったが、バブル期90年代の大型公共投資連続からハード面での地域振興策資金コンプライアンスの両面で実行が不可能になった自治体における「少額で、短期間で既存インフラ活用でき負担が少なく、運が良ければ国際的知名度を上げることができる。」ツールとして、この10雨後の筍のように芸術祭が乱立する事態となった。そこでは、ノウハウのない自治体が、自称地域文化担い手である新聞社に丸投げ、そこからコネ採用された力のないキュレーターは、自身の貧弱なコネクションで囲い込んだ微妙作家しか呼べず、投下した税金の割に貧相な芸術祭になった場合自治体が運悪く山師に金を預けてしまい、多額の不適切支出泣き寝入りになった場合。など皆さんが思っている以上に税金使用したイベントにはトラブルが多い。税金が投入されるイベントは前提条件として・補助金申請等の手続煩雑・大小の自主規制や、地域ルールに縛られる・税金が原資なので、疲弊した財務状況の自治体では開催不能批判を招く場合がある。税金芸術より生活政策資金が回されるのは当然である所詮流行りの水物なのだが、皆さんが思っているより所謂コスパの良い地域振興策なのでなくならないだろう。

表現の自由

今回の問題では、アートと異なる展示がなされているという意見が多く出ているが、大きく表現の自由と括られる中でも、その自由の元に「どの媒体で」「どのような手段で」「どの程度の深度で」、成果物として表現しているかは人それぞれ、所属する社会により異なるという点。またアート政治と不可分であるが、極端な扇情アジ)を行わなくとも、その行為そもそも自由行使しなければ表現できない、自由平和な状況でなければ創作活動はできず、人の創造性を発揮できない点が大前提であり、自由の中で個々人が世界との関わりの中で何らかの美醜混じった真理を見つけ、それを昇華したのがアートとすると、今も表に出ない問題の一つ、表現の自由行使する媒体手段の衝突という背景が見えてくる。

新聞社や論壇を中心とするジャーナリズムは、文字を用い、抽象化している諸概念文章化し、権利自由を、守り、啓蒙し、扇情したりするわけだが、小説などと異なり「直感的に察する/察させる」機能は弱く、相手文字化、文脈という論理化してしまった問題に対し、「同意するか」「同意しないか」の二者択一を求めてしまう。そして問題となった展示は、実行委員会の多くが学者又はジャーナリズム出身という状況で、同じ表現の自由でも、性質が異なる表現を行ったことが原因にあり、一般市民が考える「アート」とイコールにならなかった。「これはアートではない」という声である表現はしているが、アートではないと。

ステートメント芸術、或いはキャプション芸術と呼ばれるもの

アーティストと名乗る作家にも問題がある、この「ステートメント芸術」と揶揄される表現は、業界に詳しくなれば詳しくなるほど根深く、呪いともいえる。

アートという行為物質/空間/映像/音楽意図が伝わるよう、意識特定ベクトルへ向けるよう誘導し、表現しなければならない所なのだが、その実力がない作家の中に、延々とそれらしい説明文を付けて意味づけする行為や、文脈という補助要素を主要素に持って来て、実態だけを見ても理解不能となる。そのような作家は大体退場していくのだが、言葉が主戦場ジャーナリズム界隈と親和性が高いので、変な形で融合してしまうことがある。

文脈を追うのが現代アートだ」という解釈誕生である。一面では事実だが、全てではない。

ビジネス世界でこの行為を言い換えた表現としては「ストーリー」という言葉がある、そしてこれを最大限活用した米国企業セラノスの末路は多くの人を巻き込み凄惨ものであった。

・何が問題だったのか

監督芸術キュレーター経験がなく、自身の分野であるジャーナリズム文脈解釈した表現を、芸術祭ねじ込んだ為、酷く食傷を起こしてしまった。

食傷を起こしてしまった後の対応が、構造理解している人の不足で収まっていない。

食傷を起こした理由は長々と書いた。経緯として自分たち表現の自由最前線で、他の作家は何も考えていない。ように捉えられてしまキュレーション自由世界におけるジャーナリズム優越性)をしてしまったのが原因にあると考える。結果、津田氏がFM番組発言したように「自分一人ならナイフで刺されてもいい覚悟だが、関係のない人を闘争に巻き込んでしまった」という発言につながっている。

表現自由であるから闘争を持ち込むなとは言えないが、徹底的なゾーニングと仕掛(言語化できている主張表現に容易にアクセスできる導線を作る)ことが必要であった。言語化できている(と思われる)主張表現に対して、実態が追い付いていなかったのではないだろうか。

不特定多数威圧行為は、少数で行う創作活動にとって凶悪暴力であり、過去も多々あり、これからもなくならない。すべての事柄に寛容な社会など来ないし、永遠に付き合わなければならない。

②をわざわざ書いたのが、今回の騒動で最も被害を受けている、他の参加作家に対して謝罪対策を行っているのかよくわからない状況だからである

・誰が最も被害を受けたのか

昨日声明文を出さざる得ない状況に追い込まれた、他の参加作家である。それぞれの表現を深化させて今日を迎えているが、キュレーターバランスを取らず、独自プレイヤーとして創作活動我田引水した結果。必要のない状況で、自身作品を見てもらうという重要事柄を達成されないまま原理原則論確認や主張を行わされたのは、イベント主催者として責任が重大である表現の自由大事だと言うに決まっている。また、作品撤収せざる得ない状況に追い込まれ海外から参加者に対して、展示機会を奪った結果になった事も忘れてならない。マスコミが何をキーヴィジュアルとして記事にするか理解して、扇情的人形を配置しているのは明白で、記事を見た輩が抵抗/抗議を通り越して、挑発解釈してしまった訳である撤収した2人は、必要のない場面で・積極的日本側の行為に抗議を行う・無視した場合自国内で起きている扇情的民族主義の標的になることを避ける。2者択一判断に迫られた。

昨日声明に協賛したのは参加作家全員でないだろう、検閲を受けたわけでもない、こういうキュレーターミスによる騒動に対してのスタンス作家ごとに異なるのは当然である

・なぜここまで注目が集まったのか

芸術本質的生活必需品とは言えない。生活環境が改善し、可処分所得余暇がある状況下で初めて人は関心を持つようになる。今の日本問題は起きているが、ネットで百家争鳴する位この国は文化的に成熟しており、得体の知らない世界に関わりを持ちたい気持になったのは素晴らしいと思う。物事の全ては飛び込んでこそ妙が分かる。威圧脅迫はださく醜悪である。そしてアートはこんな長文も飛び越えて一瞬であなた感性に突き刺さる力を持っている。

2019-06-11

送信から送られた文字列をhtmlspecialcharsでエスケープした気でSQL文にそのまま組み込んでた社内ライブラリをプリペアステートメントで幾分かセキュリティ向上させたものにしても給与は向上しない

2019-04-08

anond:20190408184149

ちゃん定義から入ってて笑える。

1.便失禁の定義

ステートメント

・「無意識または自分意思に反して肛門から便がもれる症状」を便失禁と定義する.

・便失禁とガス失禁をあわせて肛門失禁と定義する.

2019-04-07

日曜日が終わってしまうので、ここらで一発、何らかの生産的な行動をやっていきたいぞ、と思ったわけですけども、なぜかこうして増田に張り付いています

人はなぜ、このような選択をしてしまうのでしょうか。

前頭前野の敗北であり、辺縁系勝利です。勝利勝利、大勝利長良辺縁系ではありません。

なぜか私のPCデスクには知恵の輪が転がっています。なぜでしょう。お見舞いでもらった品です。なぜ知恵の輪。ボケ防止にとのことでしたが。

ところで、先程PCデスクと言いましたが、これは厳密に言うと、いえ別にそんな厳密とかじゃなくて普通に言ってそうなんですが、私が今パソコンを置いている場所は、PCデスクなどという大層な代物ではありません。

というかデスクですらありません。

私は椅子の上にディスプレイキーボードマウスを置いています

正確には、椅子の上に、ホームセンターで買った合板を乗せて、それを机とし、周辺機器を乗っけているのです。

これは案外便利です。広い、安い、手軽、収納やすい。見た目のアレさにさえ目をつむれば、非常に合理的選択であると言ってよいでしょう。

あるいは、見た目などという些事に囚われていないことが、余計に合理的選択であることを強調している、とさえ言ってもよいかもしれません。

ところで、さっきまで、やむを得ない事情により、VBAなる恐ろしい言語を使っていたのですが、これには様々な謎仕様があるようです。それらは名状しがたき恐怖で我々を戦かせます

一般的に知られていると思われる謎仕様と致しましては、例えば、配列におけるReDimなるステートメントが上げられるでしょう。

他にも、例えばマクロ高速化のための方策として、範囲配列に代入するというテクニックが紹介されることがありますが、この配列範囲との間にも謎の関係性が存在しています

この手のソフトウェアを扱うに当たり、いちいち一つずつセルに値を書き込むことはご法度、というのが定番ではありまして、私も素直にこの定石にしたがい、セル範囲二次元配列に格納したりしております

しかし、範囲配列に代入した場合、その配列の要素のインデックスは、どうも1から始まるようなのです。

なぜ1スタートなのでしょうか。VBA仕様においても、配列の添字はいちおう0から始まることになっているのですが、範囲配列に格納した場合、0行0列の要素は空となっており、Array(1,1)にRangeの始点の値が格納されております

まあたとえ1スタートであっても、言語内で仕様統一されているのであれば、まだよいのです。

しかしここが彼の言語の恐怖ポイントなのでありまして、どういうことかといいますと、

すなわち、今度は逆に配列範囲に代入、すなわち配列の各要素の値を対応する範囲セルに書き込む場合インデックスが0である要素から順に処理されるのです。

範囲配列に代入するときインデックスが1から始まるのに、配列範囲に代入するときインデックスが0から始まるのです。

Array = Range

Range = Array

とすると、一番上の行と一番左の列が、空白行、空白列になってしまうのです。

なんですかこれは。誰が考えたんですか。おかしいでしょう。私はおかしさのあまり死にました。

この理不尽さに比べれば、Collectionなる連想配列の添字が1から始まることなど些事に過ぎません。

昨日までJavaJavaしていた人は、どうやら配列なんぞには目もくれていなかった様子でしたので、この謎仕様に気づくこともなかったのでしょうが、悲しいことに、この謎仕様配列を用いた高速化テクニックはほぼ必須スキルでありますので、例の御人も、遅かれ早かれ、この罠に絡め取られていたことでしょう。

あるいは、この謎現象回避するための方策はきちんと用意されており、無知な私はそれを知らないがゆえに、このような的はずれな不満をぶちまけているのかもしれません。

しかし、上述したような単純かつ直感的な代入が上手くいかないという仕様は、やはり、なかなかの欠陥ではないかと思うわけです。

まあそんな愚痴はどうでもいいのです。変な仕様適当にハックしてやればよいのです。

でもクラスモジュールとやらのパワーは貧弱なのでそれも大変困難ではあります

標準モジュールライブラリもどきをちまちまと作っていくしかないのでしょうか。

とてもではありませんが、こんなもんを極める気にはなりませんので、そこら辺のことをいい感じにまとめてくれている知見があればよいのですけれども、しかし、まともな人間はこんなもんを相手にしたりはしない、というパラドックスがあります

https://sites.google.com/site/compositiosystemae/home/vbaworld/upper/interface はわりとよかったような気がします。システムハンガリアン使ってますけど)

こんなもんを扱わざるを得ないような環境に留まってしまっている私がおかしいという話もあります

悪いことは言いません。pythonで書かせてください。お願いします。

そんな増田の切なる願いは、社会という名の抗いがたい泥沼に絡め取られ、今日も悲しみに満ち満ちたコードを生成していくのであります

そういえば今日休日でした。休日普通楽しいものなのではないでしょうか。どうしてこんな悲しい気分になっているのでしょう。

答えは簡単でして、悲しいことを書いているからです。楽しい気分になるには、楽しいことを書く必要があります

楽しいこととは何でしょうか。例えばオナニーなどが挙げられます人生において、オナニーよりも楽しいことは、あまりありません。

よって、楽しくなるには、オナニーの話をすればよいです。

私は一時期、DLditeで同人音声を漁っておりまして、催眠に掛かるべく邁進していた時期もありました。

しかし一度も催眠に掛かれませんでした。

なぜ私は催眠に掛かれないのか。

集中力の欠如、衝動性の強さ、慢心、環境の違いなど、様々な要因が考えられますが、最も大きな原因と思われるのは、台詞めっちゃ気になることです。

おっさんが考えた可愛い二次元女の子みたいな台詞が、えらく癇に障るのです。

そのために、可愛らしい女性の声に没頭できないばかりか、声によって現実に引き戻されてしまう、という逆説に襲われるのです。

おっさんは蓮を咲かせる泥だという話もありますが、恐らく、真に良質な泥おっさんというのは、非常に稀な存在なのでしょう。

まり、いいおっさんは泥ですが、悪いおっさんゲロということです。

しかし、これもおっさんに限らず、大抵のことに言える話でありまして、良質なものはどこでも少ないものです。

生の増田を見てもそうでしょう。

ホッテントリに上がる増田しか見ないライト増田、あるいはブクマカには想像もできない世界が、生の増田には広がっています。例えばこの増田とかです。

(これは私見ですが、VIPやなんj、あるいは虹裏などと比べても、増田の毛色は違います

増田ほとんどは泥であり、ホッテントリに上がった増田は花なのです。

私も泥として、増田たちに養分供給していきたいと思います

何だかまた悲しい話になってるじゃないですか。なぜ私はいつも悲しい話をしてしまうのですか。

それは恐らく、心の通奏低音(俗用)のようなものが、悲しみに染まっているからです。

基本的に悲しんでいるので、無意識に任せて話すと、悲しい話ばかりが飛び出てくる、というわけです。

この休日も悲しいまま終わりそうです。恐ろしい恐ろしい。これも人生という感じですね。

2018-03-31

入れ子階層構造理解できない奴なんなの

2017-12-21

anond:20171220224402

まあこれがフリーランス限界よな。チェック機能がない。

 

組織であれば法務部門があり広報部門があり危機管理部門がありで、大事ステートメントは何人ものしかめっつらしたおっさんが目を通すんだけどねー(それでもダメダメ謝罪文しか出せない会社はあるけど)。

2017-10-08

ミッションステートメントって言葉

ここ数年で色々と聞く。弊社のHPでも貴社のHPでも。

これって『7つの習慣』の影響?

だとしたらすげーな。

2017-09-28

これで憲法改正がほぼ確実になった

希望民進合流で、憲法改正がほぼ確実になった。

自民と希民連合で2/3はいくだろう。

https://www.minshin.or.jp/article/112648/%E5%85%9A%E5%93%A1%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%80%81%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E5%9B%BD%E6%B0%91%E3%81%AE%E7%9A%86%E6%A7%98%E3%81%B8

自衛隊日米同盟の強化は必要ですが、そのために憲法違反法律を強引に成立させることは許されません。 

 

前原ステートメントで、新しい法律憲法違反はいっているが、憲法改正しないとは言っていない。

というより希望公認当選したら、改正に反対はできないだろう。

護憲派の私としては、少しでも護憲派議席を確保することを切に望んでいる。

2017-07-26

高須氏の訴訟について

などと高須氏が一昨日の第1回期日について吹き上がっておられます。本案の問題は後述するとして,このようなことをおっしゃるのは,弁護士説明不足なのでは?と思ってしまうわけなので,同業者として考察したく存じます

ちなみに結論としては,訴える相手が間違っているのが訴えの却下になります(なのにそのことを説明してないだろうことが問題。)。

所々で既に指摘があるとおり,民事訴訟の第1回というのは訴状陳述,答弁書擬制陳述,被告から予め出された日程に沿って第2回の期日を決定,それで終わるケースがほとんどです。場合によっては第2回の期日も期日前で書記官が調整していることも有ります。それくらいセレモニー性の高いものとご理解ください。なお,第1回に被告側の出頭が不要根拠

訴状等の陳述の擬制

第百五十八条  原告又は被告最初にすべき口頭弁論の期日に出頭せず,又は出頭したが本案の弁論をしないときは,裁判所は,その者が提出した訴状又は答弁書その他の準備書面に記載した事項を陳述したものとみなし,出頭した相手方に弁論をさせることができる。

この規定になります。第1回なので「最初にすべき口頭弁論の期日」となり,「答弁書~を陳述したものとみな」すことができるわけです。もうこれは慣例ですので,裁判所も第1回の期日を決める時に被告側の都合を聞きません。ところで私わからないんですが,今回被告らの代理人は出頭したのでしょうか。重要裁判だったり,前後裁判所用事があれば第1回でも出廷したりしますが,今回はどうだったんでしょう。高須氏の口ぶりからすれば出廷していたようですが。

僕の意見陳述の後,次回の公判期日が決められただけです。
僕の意見陳述だけで初戦は終了しています
詳細な反論どころか被告人弁護士の主張はなんにも聞いていません。
民進党コメントなるものは誰が出したものですか?
これ嘘ですよ

民進党ステートメントを見る限り,三行半答弁書請求棄却訴訟費用負担原告,との判決を求めるとだけ記載してある答弁書普通これを出します。)ではなかったようですが,高須氏の口ぶりだと次回の裁判までに用意するように指示されていた,ということなので三行半でだしたのでしょうか。よくわかりません。

僕は丁寧な意見陳述をいたしました。あなた様方は何の反論もしていないのに,あたかも丁寧な反証をして勝利確信しているがごときコメントをしています
民進党代表してコメントした方は僕の冒頭意見陳述を確認していないことは明らかです。あらかじめ用意してあったコメントですか?不誠実です。

高須氏の発言内容を伝え聞く限り,刑事裁判じゃあるまいし訴状に書くか証人尋問でやれよ,と言った類のものなので,これからも一昨日述べたことについて触れられる機会はないのではないでしょうか。

被告側は答弁陳述していません。次回の裁判までに用意するよう裁判官に指示されていました。

とのことですので,やはり実質的内容はなかったか,あるいはあったけども不足があったのでもう少し詳しく反論してほしい,ということだったのでしょうか。とも思いましたが,後述の検討からすれば,明らかに訴える相手を間違えているので却下してほしい,ということを答弁書に書いたんでしょうね。それは必勝ですわ。

被告がでて来ないならもう裁判には行きません。弁護士同士の代理戦争になります
僕は当事者大西健介健介議員蓮舫代表と論戦したいのです。対決したら一瞬で勝つ自信があります正義は僕の方にあります最後勝利は常に正義の側です。

このあたりも本来であれば弁護士から説明があるところですが,民事訴訟当事者間が意見を戦わせることはないと言っていいです。まあ対質という手続もあるにはありますけども,とらないのではないでしょうか。特に蓮舫については今回なぜ訴えられたかもわからない有様で,尋問にも呼ばれない(おそらく尋問までやることになったとしても被告申請しないでしょう。原告から申請しても却下になるのでは?)と考えられます。で,他の期日はおそらく被告ら本人は出頭しないでしょうから,論戦の機会はないといえます。ちなみに他人尋問中に発言した場合最悪退廷です。ということは普通説明がありますがどうなんでしょう。

僕がどんなに不快な思いをしたか法廷で丁寧に陳述しました。その後の展開では,謝罪はなく,大西健介議員蓮舫代表が開き直ったように見えます。嘘のコメント民進党名で出してますね(怒)
開戦しました。全力で戦います
正々堂々としてくださるよう望みます

嘘かどうかは分かりませんが,上記の推測が当たっているのであれば,最低限の反論はしたのではないでしょうか。ただ,発言から2ヶ月強しかたっておらず,そこまで準備できているとは思えない(被告代理人に時間がなさすぎて死ぬ)ところではあります


さてさて,本案の内容ですが,憲法51条の免責特権棄却になるものと考えます。みな国会議事録くらい確認してから論じてほしいものですが,おそらく問題発言がこれ(おそらく,というのは訴状を見てないから)。5月17日衆院厚生労働委員会,91番以下の発言です。

http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=62856&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=10&DOC_ID=9536&DPAGE=1&DTOTAL=1&DPOS=1&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=64961

さて,広告の話にちょっと入っていきたいと思うんです。

 今回の医療法では,医療に関する広告規制見直しが含まれているわけですが,そもそも医療分野は人の生命身体にかかわるものであり,また専門性が高いということで,広告原則禁止のような非常に強い規制がかかっているということであります

 ただし,美容医療というのは,今,医政局長の答弁の中にも少しありましたけれども,普通医療とはちょっと違う。つまり,何かすぐ治さないといけない病気があるわけじゃなくて,客観的医療必要性ではなくて,患者主観的意向に沿って施術が行われる,また,結果についても,きれいになったかどうかは患者主観で決まる,また,美容医療を受けたことがある人は普通他人には余り自分から言いませんから,私,美容医療を受けたのよというのは,ですから口コミというのが余り機能しない,それから自由診療であるので非常に金額が高くなる,こういういろいろな特徴が医療の中でも少し違うんだろうなと。だから,派手な広告であったり,強引な勧誘による集客行為が行われやすい傾向があるのではないかというふうに思います

 一方で,医療分野においては,先ほど言ったように,原則広告禁止になっていて,非常に限定的な事項しか広告することが認められていない,医療機関名であったり,連絡先であったりということでありますので。だから,非常にCM陳腐ものが多いんですね。

 皆さんよく御存じのように,例えば,イエス○○とクリニック名を連呼するだけのCMとか,若い女性が,〇一二〇で始まる電話番号とクリニックの名前を言いながらごろごろごろごろ転がっているCMというのを皆さん見たことがあるというふうに思います。あるいは,テレビでおなじみのニューハーフタレント音楽に合わせて踊りながら○○美容外科というのをずっと言い続ける,こういうCMがよく見られるんですね。

 選挙でも,我々,名前連呼というのをやります名前連呼というのを。確かに,知らない人の名前は書けませんから名前連呼するわけですけれども,ただ,名前連呼だけだったら,その候補者が何を考えているのかもわからない,誰に投票していいのかわからないということがあります

 そういう意味では,こうしたクリニックの名前とか電話番号だけを連呼するこういう広告というのは,患者医療機関治療方法選択する上では私は有用ものではないというふうに思うんですけれども,こういう広告というのは非常に陳腐だと思いますけれども,大臣はどのように思われますでしょうか。

日本語を解すれば容易に理解できる明快なロジックですが,大西議員ロジック

医療広告には厳しい規制がある→イエス○○クリニックなどという陳腐CMが多い→医療機関選択にとって有用ものではないと思うが,大臣はどう思うか?

というものです。その後の発言を追うと,

ですから,さっき言ったように,本来は,患者さんが治療方法とかクリニックを選択する上で有用情報であれば私は別にテレビCMでも流してもいい。ただ,先ほど来言っているような,間違った誘引をするようなとか虚偽のとか,そういう内容についてはしっかりチェックをかけていかなきゃいけないけれども,今言ったように,ある部分ではすごく厳しくしているからクリニック名だけ言っているんですけれども,ある部分ではめちゃくちゃやっているわけですよ。このアンバランスというのを,大臣,どのように思われますか。

ということですから(93番参照),大西議員の論旨としては,広告規制が厳しすぎ,必要情報が流せていないのではないか,ということにあることは明らかです。

このような前提のもとに,まず免責特権無視して名誉毀損が成立するか検討します。問題となっているのが「イエス○○~が陳腐」との部分でしょうから,その中でも「陳腐」という部分が問題なのでしょうから,その部分を考えます。「陳腐」とは事実ではなく評価ですから,論評に当たりますので,以下引用する最高裁判例との関係問題になります。年月日等引用するのが面倒なので調べてください。

ある事実を基礎としてなされた意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては,①その行為公共の利害に関わる事実に係わり,かつ,②その目的が専ら公益を図ることにあった場合に,③意見ないし論評の前提としている事実重要な部分について真実であることの証明があったときには,人身攻撃に及ぶなど意見ないい論評としての域を逸脱したものでない限り,違法性を欠く。

今回,医療広告広告規制という問題に際してなされたものなので,公共性公益性は明らかに存在するでしょう。そして,前提となる事実イエス○○クリニック」なるCM存在真実であることは争いなく明らかでしょうから問題は「論評としての域を逸脱」しないか問題となります。この部分が一つの争点でしょうが,例示としてあげられている人身攻撃には当たらないことは明らかですし,名前連呼するだけの広告陳腐であることに皆さん異論はないと思いますので,域を逸脱,とまでは言えないのではないかと思います。そうすると,名誉毀損自体が成立しないわけです。


仮にここの微妙なところで原告が上手くやったとして,名誉毀損だということになると免責特権の話になります(おそらく裁判所の主張整理としては,まず免責特権に当たるかどうかを先に検討すると思いますが,わかりやすくするために順序を逆にしました)。

以上によれば,国会議員国会で行った質疑等において,個別国民名誉や信用を低下させる発言があったとしても,これによって当然に国家賠償法1条1項の規定にいう違法行為があったものとして国の損害賠償責任が生ずるものではなく,右責任肯定されるためには,当該国会議員が,その職務とはかかわりなく違法又は不当な目的をもって事実摘示し,あるいは,虚偽であることを知りながらあえてその事実摘示するなど,国会議員がその付与された権限趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別事情があることを必要とすると解するのが相当である

問題となる判旨はここ。この判旨の「国家賠償法1条1項」ということからわかるように,実は国会議員公務員ですので,その発言公権力行使であるかぎり,直接賠償請求することはできないのです。びっくりですね。そうすると,今回の請求が立つため(というよりも本案の問題になるため)には,公権力行使ではないとの主張を成立させないといけないわけですが,上の判決ではそこはあっさり否定されておりますので,例外が入り込む余地はないのではないでしょうか。ということで,国を被告としていないこの裁判はここで終了でございます。ここまで検討して私も考えが固まりましたが,という簡単なことを述べればいいので,民進党も自信満々に「勝ったな」というコメントを出したのでしょう。ただそれでは原告の気が済まない(=控訴されて裁判官の成績が下る)と考えたので,とりあえず本案についても反論してください,というのが今回の裁判の経緯であると推測できますね。ちなみに上記の判旨は国に対する請求が立つかどうかの問題ですので,今回は検討しません。


ということを,提訴にあたって弁護士としては説明しなければならないのですが,ご理解なさっておられないご様子。説明しなかったんだろうなあ,と思います

最後に,ネトウヨさんサイドは今回の件で蓮舫議員戸籍謄本を取得してやる!などと息巻いていたようだが,これは完全なおバカそもそも個人を訴えるとき戸籍謄本必要ございません。住所の特定とかそういう意味弁護士資格で取得請求ができるだろうけども,蓮舫議員場合民進党本部訴状を送りつければ足りると考えられる(就業場所送達なんだろうか?)からそもそも必要ないでしょう。仮に取得できたとしても,記述のとおり訴状送達のために取得しているものなので,ソレを公開,いわんや政治目的が絡むとなると,それを顧客である高須氏に渡した弁護士は間違いなく懲戒請求コースでしょうね。伊藤弁護士というらしいですが,さすがにそういうことはしないと同業者の後輩として信じております。と思ってウィキ見たら似たようなことやって懲戒4月くらってた。ワロス

2017-05-18

上京してきた田舎者とそこで生まれ育った人間とをシャッフルして出来たのが都会で、要するにそれが問題だと思ってる

構造的に、他者は「自分はあずかり知らぬ他人」にしかなり得ないか

「都会の人間は冷たい」というステートメントは、その意味において正しい、と考える

2017-01-09

写真家には高学歴が多くなってきた。

今、写真勉強をしているが、写真家と呼ばれる人達高学歴になってきたので学がない自分にとっては非常に辛い時代になってきた。

写真家と呼ばれる職業人達が意外と高学歴が多い。ここでいう写真家とはプロカメラマンと呼ばれるような職種人達ではない。

今でこそコンセプチュアルアーティストとも芸術家とも呼べるような写真家達だ。

以前は東京写真専門学校ビジュアル系専門学校卒やどこかのカメラマンのアシから写真技術を駆使しながらも作品を完成し、コンテストに応募し

優秀の美を飾るようなことがステータスだったが、ここ最近写真作品はどれも現代アートのようにコンセプト重視となってきたため、写真技術だけ

ではなく写真言葉ステートメントポートフォリオの見せ方、プレゼンが重視になってきたように思える。

ちなみに写真家大学を、一部挙げておくと。

畠山直哉筑波

荒木経惟千葉大

岩合光昭法政大学

鬼海弘雄法政大学

杉本博司立教大学

鷹野隆大早稲田大

大山千賀子ー学習院

港 千尋ー早稲田大

赤鹿 麻耶関西大学

奥山由之ー慶応義塾

木藤公紀ー東北大学

・・

そのほかにも最近写真受賞をしている方を見るとコンセプトがしっかりしておりとても哲学的視点面白い

プレゼンスタイル高学歴だと簡単だし、コンセプト文章を作るのも簡単なのだろう。

勿論、これだけではないので東京芸大であったり、京都市芸大、その他の多摩美日大武蔵美、大芸大なども

多くいるが、それらの人は芸大できっちりと教育を受けてきた人達ばかりだ。他にも海外写真を学んできている人もいるだろう。

写真ポートフォリオレビューでもフランス人アメリカ人ポートフォリオレビュアーが増えてきており、一通りに

まずは英語が最低でもできていないと自分写真意図が通じない。自分はF欄大卒であるが故に英会話はおろか人のステートメントさえ理解できない、

書けない、プレゼンすらできる能力もない。はっきり言う「バカ」だ。

「明るい部屋」や「写真論」を読んでもプンクトゥム理解できず3行で寝てしまうという始末。

元々、コンセプト写真海外写真家が活発に制作してきたものではあるものの、写真技術センスはなんとかなるが、頭を使って文章を組み立てる

となると元々の良さがあるから努力できない。

特に最近写真家と名乗る人が少なくなってきており、写真芸術とみなし、芸術家自称する人も多いので写真家と呼ばれる人も少なくなってきたように

思えるし、InstagramSNSの発達で従来の写真表現の在り方も日々変化しつつある。それらにもうついていけない。

写真集は集めてみるものの、どの写真が良いのかわからない。自分が良いと思った写真は周囲からは「そんな写真家写真集が良いの?」

揶揄される始末。マイナーホワイトピーター・ウィトキンなどの写真には特に強く惹かれるが未だに「どこが良いの、そんな写真が。」と言われる。

マイナーホワイトが良いと言ってる時点で写真を見る目やセンスすらないのかもしれない。

逆に赤鹿さんや奥山さんの「BACON ICE CREAM」の良さが理解できないと言うと攻撃される。

今後は写真芸術勉強するなんて高学歴じゃないとだめなんだ・・今、気づいた、ああ・・どうしよう。バカなんだな・・。

2016-12-06

http://anond.hatelabo.jp/20161206022506

いや、音楽雑誌とか業界の慣習だろうがなんだろうがさー それをKDDI系列Webメディアでやってるのが問題なんじゃないかってことだろ?

ファッション業界だって同じような流れあるけど、だったらMERYステマ加減がなんでこれだけ叩かれてるんだ?って話だろ

ちなみにCINRAは同じようなことして叩かれて、メディアとしてのステートメント変更にまで追い込まれてる

これを見ていて知らんぷりしているナタリーって相当悪質だよ・・・

http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinoharashuji/20150803-00048137/

http://taichisugiura.com/685

http://taichisugiura.com/758

2016-11-27

WELQの面接で落とされ、その後WELQが炎上して、思うところ

WELQの運営方針や内容の信頼性を巡って炎上が続いている。DeNAは慌てて専門家の監修を開始するというリリースを出しているが、遅きに失した形だ。

個人的な話だが、夏頃転職を考えていたこともあり、DeNA候補の一つとして面接を受けてきた。メディア系の職歴であったため、DeNAパレット(同社のキュレーションプラットフォーム。Find TravelやMERYもこれ)においてプロダクトオーナーをやってほしいというオファーがあった。

その内の一つがWELQだった。WELQについて調べてみると、オープン半年利用者600万人超のメディアになったと誇っていた。なるほどSEOが強烈に強く、適切な医療知識を持たない人々であればうっかりクリックし、信じてしま可能性があるほど、順位ワードもこなれたものだった。記事ボリュームも圧倒的にあり、優位性は明らかで、それなりにやりがいのある仕事ができそうに思えた。

一方でマネタイズを真面目に考えると、著作権法薬事法医師法を遵守し、内容の信頼性を高めていかなければならないと思った。記事をパクられた側の抗議によるレピュテーションリスクがあり、広告ではきちんとしたクライアントが付かない。なによりユーザーが内容を不審に思い始めるのは時間問題だろうと思った。

また、編集長という立場の人が明示されておらず(強いて言えば村田マリ)、記事匿名ほとんど。署名記事でも著者が実在するのか不明。調べればクラウドワークス等で集めた医療従事者でもないライターが激安価格で記事を量産しているという。その内パクリ元のオリジナル記事が枯渇し、内容的には過去の焼き直しでジリ貧になっていく問題も抱えていると思った。現時点でも既に、同じテーマなのに書いてあることが違うという、メディアとしての主張に筋が通っていない部分が見受けられる(例えば食物アレルギー記事)。まあこのあたりはパクリ元に収益還元する仕組みを作ればYouTubeのような発展も有りや無しや、ではある。

これらのことを面接では鋭く主張してさしあげた。面接相手KDDI出身DeNAに来たというM氏だ。まずあった反論は「医師の監修は検討しているが、今はメディアとして完全に定着させることが先」とのことだった。要するに投資ステージなので外野はゴチャゴチャ言うなということなのだろう。しかしそこは永久ベンチャー標榜しているとはい東証一部上場企業いくら面接相手でもコンプライアンス意識なしというのをあからさまに伝えるのはまずいという意識があったのだろう、「将来的にはキュレーションを抜け出し、一次メディア化したい」という補足もしっかりあった。面接自己評価としては、よりよい方向、健全な成長に導ける有能な人材であろうことを強く印象づけられたと確信し、渋谷ヒカリエを颯爽と後にした。

で、落ちた。「貴殿のための適切なポジションが社内にご用意できませんでした」という、転職業界ではテンプレート化しているお祈り文言だ。言うまでもなく、批判が図星で、わざわざ入社させてDeNAパレット事業方向性撹乱させることはしたくないという判断が働いたのだろう。

ファウンダー南場智子コンプガチャ問題で手痛い失敗をして以来、業界はもちろん、自社の事業ポリシー健全化に務めてきた。この辺は著書『不格好経営』にも載っているとおりだ。公平性や透明性意識の浸透を狙ってスローガンDeNA Quality」を定めた。しかし、WELQはもとより同社のDeNAパレット事業全体においてグレーなやり方がはびこっており、掛け声倒れに終わっている感は否めない。お友達感覚で連れてきた事業責任者にもそれを理解させ切れているのか。旦那病気療養のために一旦引退し、そして得た医療健康事業への熱い思いが、自らの社員役員らによって反故にされている現状をどう考えているのか。

何も面接で落とされたから腹いせにこういうことを書いているのではない。むしろ今は受からなくてよかったとさえ思う。キュレーションという新しいメディアのあり方と、正確性や信頼性が最重要視される医療情報との食合せが悪かったという問題だけではない。WELQを閉鎖すれば終わりでもない。DeNAソーシャルゲーム以外の事業の柱を作っていくうえで、体質を根本的に変えていかなければならない現状に直面しているのであり、それに対するしっかりとしたステートメント必要だと考える。決してWELQだけに問題矮小化するべきではないことを、DeNA理解するべきだ。

補足:なおWELQの前身はMedエッジといい、こちらは比較信頼性のある著者が書いていたり、転載元医療サイトだったりする、(相対的に)いいサイトなのだが、現在はMedエッジ時代掲載された記事は埋もれてしまいがちになっている。

2016-07-09

結婚生活はすばらしい - それを知らせたい

自分結婚して子供が二人いる。

夫婦のそれぞれの問題でとても大変なこともあるが、それらを乗り越え幸せ結婚生活を送っている。

■■結婚についての教育

そもそも現代日本社会において、小・中・高・大と結婚について詳細な教育を受けることがない。

下手すると親から結婚とはなにかと教わることがないかもしれない。

漠然と、結婚はよいものだ。だからおつきあいしてラブラブだったら結婚しようという社会的な風潮だ。

結婚に至るモデルというのは、安いドラマとかにでてくる情緒的なカップルモデルとする場合も多いだろう。

結婚について教育を受けてこなかった私たちは、なにをモデルにすればよいのか。

結婚してどのようなことが大変で、逆にどのようにしてより幸せになれるのだろうか。



■■夫婦互いが当事者になる

夫婦間で課題が生じ、それについて解決しようとするとき

口論ディスカッションするとき、互いが当事者になる。

問題の渦中にいる当事者パラダイムは、感情的主観的だ。

なかなか客観的にはなりにくい。

自分欠点を強く指摘される、逆に相手の弱さについてストレート言及する。

そのような中において、互いが主観的になる。

これが会社ビジネス上の課題だったらどうか?

ビジネス上の課題がある、この解決すべき課題については客観的に見つめることができる。

冷静に多角的に把握して分析ができるのだ。対象自己の外に向いているからだ。

逆に、夫婦問題場合、己の中にある問題、そして相手の心の奥にある問題に向き合わなくてはならない。

そして、これらに互いが触れる時、主観的になる。

主観的なので視野は狭まり自分相手が持っているそれぞれのバイアスが強く働く。




■■まずロジャースになれ

伴侶が愚痴や不平を言ったときは、まずロジャースになれ。

来談者中心療法を確立した臨床心理大家カールロジャーズだ。

「無条件の肯定的関心」「共感理解」「自己一致」を基軸にしたカウンセリング法だ。

自分が夜家に疲れて帰宅したら、リビングに既に仕事を終えて帰ってきた仏頂面の伴侶がいたとする。

そして、相手会社愚痴・不平不満をいったとする。自分会社ストレスを抱えていてとても疲れていてそんな話し聞きたくない。

それでも、「無条件の肯定的関心」「共感理解」でまず話を聴いて相手理解しようとすることだ。

相手の抱える問題を強く解決しようとしなくていい。

私をはじめ男性はつい、解決案提案しようとやっきになってしまう。ビジネスだったらそれでもいい。

でも、相手感情理解して欲しいのだ。そしてその感情言語化したいのだ。

感情言語化する過程において相手自身課題に気づくのだ。

解決する力はその伴侶のうちにあるのだ。

しかし、自分肯定的に伴侶の話を聴いていて、相手が一線を越えた場合どうするのか?

自分罵倒してきた、言葉による暴力をしてきた、さら言語道断であるが、

暴力を振るってきた場合倫理に逸脱した行為をしてきた場合、どうするのか?




■■正の強化

相手が一線を越えてきた場合、黙っていてはいけない。

応用行動分析学的に、黙っていると言うことは、黙認していること、

その行為を認めていることだ。

相手が行動を起こす→黙認する(認める)→その行動が学習され強化される

といことになる。

自分の考え・感情をきちんと相手に伝えることがとても大切になる。





■■ミッションステートメント

ではどうすればいいのか?

相手の話を聴き、自分の考えを相手に分かるように伝える。

互いが感情的主観的パラダイムにおいて、

結婚当初の愛を深めていくにはどうすればいいのか。

夫婦合意のもと、二人でミッションステートメントを書くのだ。

ミッションステートメントの詳細については検索するとか『七つの習慣』を読むとかで調べて欲しい。

複数価値観のバラバラな人間が集まる会社ですら、ミッションステートメントを書いている。

価値観・生まれ環境が異なる夫婦という共同体においても、

ミッションステートメントはとても重要だ。


まず、それぞれ己のミッションステートメントを1週間ほど書けて紙に書いてみよう。

次に、出来た物を夫婦で見せ合って、語り合おう。それぞれ人生において

なにを目的にしているのか、何を価値観としているのか、いろいろ気づきと共有するところがでてくるだろう。


互いに尊敬し合い、語り合いながら、それぞれのステートメントをまとめて、

つの夫婦家族)のミッションステートメントを書き上げてみるのだ。

なにか夫婦問題が生じても、まずミッションステートメントを取り出してきて、

これを中心に問題について語り合うのだ。

ミッションステートメントなしで話し合うと、「いった」「いわない」の互いに非常に主観的パラダイムになるが、

紙に書かれているミッションステートメントを見ながら語り合うとより客観的問題について語り合うことができる。

まり夫婦それぞれが中心ではなく、その上の原則ミッションステートメント)に従って行動していくということだ。

これが非常に大切なのだ

ミッションステートメントは定期的に語り合いながら見直して、夫婦の節目においてバージョンを上げていくことも重要だ。

■■最後

夫婦互いが主観的パラダイムになりやすいが、もう一つ重要なことがある。

第3者を見つけておくことだ。第3者というのは、夫婦の状況を客観的に見て、

鏡のようにフィードバックしてくれる人だ。

結婚カウンセラーなどがそうかもしれない

だが、カウンセラーでもよいが、

お金をかけずに近所のおばちゃん、親戚のおじさん、学生時代学校先生神父さん誰でもよい。

夫婦お互いが尊敬出来る人、人格が優れている人がいいだろう。

日頃からそのような人と良好な関係を作っておき、相談できる環境を整えておくことは非常に重要だ。

夫婦2人ではなく3人で語り会いフィードバックをもらえば、

夫婦バイアスによって気づかなかった新しい認識を得ることができる。

これはホント大切だ。



最後に、結婚生活ケンカも沢山して、とても大変なことも多いが、

己の欠点相手欠点を見つめ、それらを互いに乗り越え、

己の人格がより向上していく場であると私は認識している。

結婚して本当に良かった。幸せだ。


妻への深い愛と感謝のうちに

2016-06-12

言語ごとの定数の宣言方法

C,C++

→defineを使って、主にヘッダファイル定義

VBVBA

Constステートメントを使って定義

Java

→定数定義という概念がないので、

 final変数を変更不可の変数として宣言する。

 定数をクラスでまとめるのが普通

2015-11-23

ミスコン批判」は正当に行われたか

 京大ミスミスターコンテスト2015がTwitter上で盛んに行われた批判(と一部中傷)により中止に追い込まれた。私自身は京大生でもジェンダー論界隈の人間でもないのだが、この過程を見ていて多くの疑問を感じたので、ここにまとめていく。別にミスコン批判について詳しく解説する記事ではないので、そのようなものを期待していたなら別に読まなくていい。

京大ミスミスターコンテスト2015の問題点まとめ」を振り返る

http://togetter.com/li/903456

 基本的にはこのtogetterに沿って発言していく。ミスコン批判者側のパースペクティヴがわかりやすく整理された良いまとめであると思う。最初に断っておくが、私はミスコンをやめさせることには賛成であり、その意味ミスコン批判者側であるミスコンを開催するようなやつらは大抵が最も憎むべきタイプキモい人間であるしかし今回、ミスコン開催反対派としていち早くステートメントを出していた人々の持つある決定的な傾向が私にはないと感じたので、普通意味でのミスコン批判を〈ミスコン批判〉と呼び、この記事で疑問を投げかける対象となるものを「ミスコン批判」と呼ぶことにしよう。

 注意しなければならないのは、私は「ミスコン批判」者に敵意は全くない、ということだ。ミスコンを中止に追いやったこと、ただその一点に関しては全面的肯定したい。この記事特定の人々に対する人格攻撃に見えたのなら先に謝罪しておこう。申し訳ない。私が考えたことのどこが間違っているのかをわかりやすく教えてくれるひとが現れれば、私は満足だ。

 11月16日に「京大ミスミスターコンテスト」なるアカウントが取り上げられたことから騒動は始まる(アカウント作成自体7月のようである)。

【開催】本日より京大ミスミスターコンテストを開催します!???????? 11/29まで1日1回投票を受け付けております????是非サイトをCHECKしてみて下さい????✨ ▶︎http://www.missmisterkyoto.com/

https://twitter.com/kyotomissmr/status/666089786373877761

 これまでに何度かミスコンに関し議論が繰り広げられてきた(そして開催を阻止してきた)京大でのミスコン開催がこの時点で全くと言っていいほど問題視されていなかったという事態を重く見たひでシス氏らは、「京大ミスミスターコンテスト2015の問題点まとめ」なる文書の公開及びミスコン運営団体に対する公開質問状の提出を実行した。

京大ミスミスターコンテスト2015の問題点まとめ」草案 です。気が付いた点があれば自由コメント編集をしてください。 https://t.co/ZZeaWzn81b

https://twitter.com/hidesys/status/666153853885247488

.@kyotomissmr 京大ミスミスターコンテスト京大ミスコン)に対して公開質問状送りました。https://t.co/ENgjjDZwvk 多くの京大生たちが貴団体コンテストについて違和感・疑問点を抱いています生産的な対話となることを期待し、誠実な回答を希望します。

https://twitter.com/hidesys/status/666567472485695488

 正直に言うと私にはこの公開質問状意味がわからない。大学当局主催ならまだしも、単なるひとつ学生団体企業が関わっているかどうかは本質的問題ではない)にこのような物々しい文書を送りつけても「一部のTwitterユーザー臨場感提供できる」ことくらいしか得られないだろう。

今回、貴団体が「京大ミスミスターコンテスト」をWeb上で開催していることを知りました。しかし、私はこのコンテストにどこか違和感を覚えざるを得ませんでした。それは、これまで京大において積み重ねられてきた、ミスコン開催を巡る歴史議論をまったく軽視しているように思えたからです。

 「これまでのミスコン開催を巡る歴史議論を軽視している」のは当たり前ではないか? そんな歴史議論認知している学生がいったどれ程いるというのだろうか。私が部外者であるから知らないだけでほんとうは多くの京大生――あくまでも「当時の」――がミスコン問題認知している、という可能性もあるが、そもそも前回類似問題が取り沙汰されたのが2012年(なんと3年も前である! 当時の2回生留年・休学あるいは大学院進学していなければもういない)らしいということからも明らかであろう(そしてあなた京大生ならば、2012年から2015年にかけてあなたフォロー欄にどれだけの変化があったか考えてみてほしい)。2012年ミスコン問題について調べたところ今回のものとは異なる質の問題だとも感じたので、実質2004年まで遡って議論を追っていく必要がある。Twitter存在しない時代じゃないか。突然「これまでのミスコン開催を巡る歴史議論」などと言われても混乱するだけだ。

今回議論に参加したわれわれ京大生の多くは本コンテストの開催を知りませんでした。京大名前を冠しているにも関わらず、京大生への認知不足に不信感を感じる覚える意見が多く出たのは事実です。「大部分の京大生の知らぬ間に京大ミスミスターコンテストを開催し既成事実を作ろうとしたのではないか」等の疑問点や不満を持っている方が多くいますミスコン開催容認派からもこのような声は聞かれました。本コンテストの告知をどのように行ったか具体的にご回答下さい。

 これは単なる団体の体力の問題だろう。7月アカウントを作り、9日間でフォロワーを300人まで増やし、ビラも配っていたのに「知らぬ間に」などと責めたてるのはちょっと厳しすぎる。普通にかわいそう。「京大」名義の使用には許可必要という話は置いておくとして、京大名前を冠しているかどうかは本質的重要な要素なのだろうか。逆に、誰の目から見ても十分な告知が成されたところで京大名前を冠しても良いと言えるのだろうか。ところで私の大学ミスコンも毎年知らぬ間に終わっている。あれが外見至上主義的だなんて思ったこともない(し無自覚に外見至上主義を推奨しているようにも見えない)。

「知と美の狂演」とWebサイトには書かれていました。コンテスト開催の意図を教えて下さい。

 「美」のほうには噛みつくのに「知」のほうには噛みつかない理由についてひでシス氏は以下のようにツイートしている。

ちなみに「人を社会的容姿で順序付けることはよくない」と考えている人たち、その理論論理力という権力勾配に乗って展開されてること、人を学力で順序付けることに関してはどう考えてるのだろう。ぼくは「学力による順序付けは生産性向上を通じて人類幸福に影響する」で一応決着つけてるんだけど

https://twitter.com/hidesys/status/667511609619841025

 故にこの批判の核、と言うか土台は、ガッチガチ功利主義であることが明らかとなった。「普遍的道徳が前提とされていて、それに従っている」というわけではないらしい(「ミスコン批判」者の中には功利道徳混同が見られるステートメントを提出する者が多く見られた)。功利に基づく批判ホリィ・セン氏の以下のツイートの後半と衝突する。

容姿」という価値基準絶対化してしまった世界――「顔という牢獄」――からの逃げ場はあるべきで、京大はその逃げ場を担っていると思う。もし京大ミスコンを許してしまったら、他大学も「右にならえ」でしょうよ。ある種の「多様性の維持」のためにもミスコンは阻止しなきゃならん。マジで

https://twitter.com/holysen/status/666300727346618368

 〈ミスコン批判〉とは「多様性の維持」のためにミスコンを阻止しようという運動であるという側面を持つ、ということか。「功利」という価値基準絶対化してしまった世界――「ユーティリティという牢獄」――からの逃げ場もあるべきである。もし京大功利主義を許してしまったら、他大学も「右にならえ」でしょうよ。ある種の「多様性の維持」のためにも功利主義には断固として抵抗しなきゃならん。マジで

今回気になったのは、そういった少しでもマシな社会を引き寄せるための泥臭い活動を、シニカルを装って冷笑したりこのヒドい現状をさも世の中の真理のように説いたりする言説があったことですかね。「たしかおかしいとは思うが仕方ない」と言った瞬間に少しでもマシな社会は手から離れていってしま

https://twitter.com/hidesys/status/667449023977123840

 良い社会を実現するためには何をやってもいいのだろうか。功利主義的には良いんだけど。社会的に悪い影響を与えるというただその一点だけを根拠にして、単なる一つの企画弾圧することを手放しで称賛するような風潮を放置しているとさらにとんでもないことになるのは火を見るより明らかであろう。正当かつ普遍的理由で反対していないのだから、中止の時点で追及はやめるべきである

 先程のホリィ・セン氏のツイートに従うなら、今回のミスコン功利主義的に弾圧することは避けるべきなのだホリィ・セン氏のツイートそれ自体京大における 「多様性の維持」という価値基準絶対化してしまった世界――「ダイバーシティという牢獄」――を象徴してしまっているのが残念ではあるが。

 さて、公開質問状に戻ろう。

a. 容姿による人間の順序付けという行為についてどういった意見を持っていますか?

 突然「容姿による人間の順序付け」というワードが出てきたが、ミスコンと何の関係があるんだ? そもそも「ミスコン」と「容姿」の間に直接的な関係はあるのだろうか。これらの間接的・結果的な「つながり」がこの一文によって再生産されている、ただそれだけである

c. 所謂女性らしさ」や「男性らしさ」の押し付けに繋がることについてどういった意見を持っていますか?

大学という本来容姿や性で判断されてはならない場でこういった企画を行うことは問題だ。という意見が寄せられています

ミスミスターコンテストは、ほとんど容姿判断されるコンテストと言って過言ではなく、そういったコンテストを男女で分けて行い、女性男性)同士を比べてその中で1番を決めると、「この人が女性男性)の中で1番」という「基準」が生まれしまう。その「基準」は女性男性)らしさの押し付けに繋がっているという意見が出ました。

 同上。直接的には繋がらない。最初からルッキズムが浸透していることを仮定しており、本末転倒である。また、ミスコンときが出場者以外への特定価値基準の「押し付け」に繋がるとは到底思えない。

 公開質問状についての主要な議題は以上である。この質問状とTwitterでの制御の効かなくなった批判中傷によりミスコンは中止となった。

今回のコンテストの中止を決定いたしましたのでご報告いたします。

詳細につきましては、ホームページにてご確認ください。

お騒がせ致しまして申し訳ございませんでした。

http://www.missmisterkyoto.com/

https://twitter.com/kyotomissmr/status/667328501154844673

 中止についてのtogetterでのコメントはこうだ。

中止の決定の後4時間ほどで公開質問状に対する回答が送られてきた。ただ多くの質問説明責任がないとして回答しないもので、不誠実だと感じられた。

 説明責任はない。どうして説明責任があると思ったのだろう。純粋に、不思議だ。

京大ミスコン問題2015の公開質問状に対して回答が得られたので、議論用のDocsと総括用Docs作成しました。ご自由コメント編集下さい。 回答と議論https://docs.google.com/document/d/1BybFd2Th2NzTMQ3AK76kTrVjxB7S0jkMBSjVKGdQ4oE/edit 総括とこれからhttps://docs.google.com/document/d/1L8bcokWX-gEHD0ecqT8UC_NyDBrboPULl3TSlZewjY4/edit

https://twitter.com/hidesys/status/667397142751911936

 また、以下のような危うい意見もあった。

ミスコンの基盤となる差別的価値観日常模倣で、「ミスコン」はステージだけでなく日常で行われ続けているという事を認識してたら、一つ企画が中止になったところで「勝利」なんて言えないと思うけど。。ミスコン反対もクエストになってどうすんの。 >京大ミスコンクエスト

https://twitter.com/mearythindong/status/667393567006965760

 このような発言をすることによって差別的価値観再生産し続けると永遠に闘い続けなきゃいけなくなりますよ、としか言いようがない。自足自給はやめましょう。

ちなみに言っておきますけど、ミスコン内包している問題構造日常の中に浸透しているからこそ今回ミスコンミスコンとして具現化した・言い換えるならばミスコン日常的にも起きている、というのはその通り。

https://twitter.com/hidesys/status/667443372475424770

 同上。

京大生、変人を気取っていても不義不正は許せないモラリストが多いんだなあという感じだ

https://twitter.com/KTPGR/status/667357996343648256

 moralistよりもethicistになりましょう。そして自分たちがやったことについてもう一度よく考え直してみましょう。

 以上、眠くなってきて最後の方はテキトーになっているが、ここで終わろう。言葉をうまく選べているか不安だが、最初に述べた通り、攻撃意思はない。

2015-11-12

参考訳:拡散したJavaシリアル化の脆弱性についてApache Commons声明

原文:https://blogs.apache.org/foundation/entry/apache_commons_statement_to_widespread

原題Apache Commons statement to widespread Java object de-serialisation vulnerability

翻訳日:2015年11月12日(午後にタイトル日本語しました)

----

2015年11月1日 火曜日

Apache CommonsJavaオブジェクトのデシリアライゼーション脆弱性に関するステートメント

著者:Bernd Eckenfels(コミッター), Gary Gregory(Apache Commons副責任者)

AppSecCali2015 でGabriel Lawrence (@gebl) と Chris Frohoff (@frohoff) によって発表された "Marshalling Pickles - how deserializing objects will ruin your day" は、信頼されないソースからシリアル化されたオブジェクトを受け取るときセキュリティ問題をいくつか明らかにしました。主な発見は、Java オブジェクトシリアライゼーション(訳注:seriarization/シリアル化/直列化=ネットワークで送受信できるようにメモリ上のオブジェクトデータバイト列で吐き出すこと。シリアル化されたJava オブジェクトRMIなどのリモート通信プロトコル使用される。)を使用する際に任意Java関数の実行や操作されたバイトコードの挿入さえもを行う方法説明です。

Frohoff氏のツールである ysoserial を使って、Foxglove Security社のStephen Breen (@breenmachine) 氏はWebSphereJBossJenkinsWebLogic、OpenNMSといった様々な製品調査し、(http://foxglovesecurity.com/2015/11/06/what-do-weblogic-websphere-jboss-jenkins-opennms-and-your-application-have-in-common-this-vulnerability/) に各々の様々な攻撃シナリオ記述しています

両者の調査活動は、開発者Javaオブジェクトシリアライゼーションに信頼を置きすぎていることを示しています認証前のシリアル化されていないオブジェクトにも。

Javaにおけるオブジェクトのデシリアライゼーション(訳注:de-serialization/非直列化=ソフトウェアで扱うことができるように、送受信されたデータを元に戻すこと)が行われるとき、大抵は想定された型にキャストされ、それによって、Javaの厳しい型のシステムが、得られた有効オブジェクトツリーだけを保証しています

不幸にも、型のチェックが起こるまでの間に既にプラットホームコードが生成されて、重要ロジックは実行されてしまっています。そのため、最終的な型がチェックされる前に、開発者コントロールを離れた多くのコードが様々なオブジェクトの readObject() メソッドを通じて実行されてしまます脆弱性のあるアプリケーションクラスパスから得られるクラスの readObject() メソッドを組み合わせることで、攻撃者は(ローカルOSコマンドを実行するRuntime.exec()の呼び出しを含めて)機能を実行することができます

これに対する最も良い防御は、信頼されていないピア通信相手)とは複雑なシリアルプロトコルを使うことを避けることです。ホワイトリストアプローチ http://www.ibm.com/developerworks/library/se-lookahead/実装するように resolveClass をオーバーライドするカスタム版の ObjectInputStream を使うと、影響を制限することができますしかしながら、これは常にできることではなく、フレームワークアプリケーションサーバがエンドポイント提供しているような時にはできません。簡単な修正方法がなく、アプリケーションクライアントサーバプロトコルアーキテクチャを再検討する必要があるため、これはかなり悪いニュースです。

これらのかなり不幸な状況において、エクスプロイトのサンプルが見つかっています。Frohoff氏は、 Groovy ランタイムSpringフレームワークApache Commons コレクションからクラスを組み合わせるサンプルのペイロードに gadget chains (ガジェット・チェーン)を見つけています(訳注:provided)。これはこの脆弱性エクスプロイトのためにより多くのクラスを組み合わせられることは完全に確実なことで、しかし、これらは今日攻撃者が簡単に得られるチェーンです。

(Twitter画像)https://blogs.apache.org/foundation/mediaresource/ce15e57e-94a4-4d7b-914c-8eb8f026659c

この脆弱性のために利用される(訳注:blamed)ことができない確かな機能実装するクラスができ、安全性が信用できないコンテキストにおけるシリアル化を利用されないようにするような既知のケースの修正ができたとしても、少なくとも分かったケースだけでも継続的修正していくことが要求されますモグラ叩きゲームを始めるだけであるかも知れませんが。実際にはこれは、オリジナルチームが Apache Commons チームに警告が必要だと考えていない理由で、それゆえに比較的、活動開始が遅れました。

Apache Commons チームは InvokerTransformer クラスのでデシリアライゼーションを無効化することによって commons-collection の 3.2 と 4.0 のブランチにおける問題対処するために、チケット COLLECTION-580(http://svn.apache.org/viewvc/commons/proper/collections/branches/COLLECTIONS_3_2_X/src/java/org/apache/commons/collections/functors/InvokerTransformer.java?r1=1713136&r2=1713307&pathrev=1713307&diff_format=h) を使っています議論されているやるべきことのアイテムは、変化させる仕組み毎(per-transformer basis)に、プログラマティックに有効にするような機能提供するかどうかです。

これには前例がありますOracle と OpenJDK JRE の一部であったり、バイトコードを挿入して実行することを許したりする com.sun.org.apache.xalan.internal.xsltc.trax.TemplatesImpl クラスで、セキュリティマネージャー定義されているとデシリアライゼーションを拒否します。

これはシステムプロパティ jdk.xml.enableTemplatesImplDeserialization=true とすることで無効にできますApache Commons Collection は、本来よりもこの実行モデルは一般化していないため、セキュリティマネージャー存在独立したこの機能無効化することを計画しています

しかしながら、明確化のために述べておくと、この便利な"ガジェット"は、唯一知られている方法でもなければ、特に未知のものでもありません。そのため、インストールされたものを強化されたバージョンApache Commons Collection に置き換えることが、アプリケーションをこの脆弱性に対抗できるようにするわけではありません。

このブログポストレビューのために Gabriel Lawrence に感謝したいと思います

Apache Commons Collection は、Java コレクションフレームワークに加えて追加のコレクションクラス提供する Java ライブラリです。InvokerTransformerコレクションにあるオブジェクトを(特にリフレクション呼び出しを通じてメソッドを呼び出すことで)変換するために使うことができる Transformer ファンクションインターフェース実装の一つです。

一般のSallyによる2015年11月10日午前10字15分にポスト | コメント[1]

コメント

OracleWeblogicセキュリティアラートを発行しています

http://www.oracle.com/technetwork/topics/security/alert-cve-2015-4852-2763333.html?evite=WWSU12091612MPP001

提供されている回避策は、T3プロトコルへのアクセス(とリバースプロキシーにおけるT3メソッドフィルタリング)です。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん