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はてなキーワード: 絶対化とは

2024-10-05

anond:20241005031451

論文ロンブーン!」

バカから何かを権威づけてそれを崇めて絶対化して、自分ものを考えずに従いたいんだよね?

論文など読まなくてもコロナウイルスベネフィットなど計算できる

 

日本では人口100万人あたりの感染者数(のべ)=271,999人

同100万人あたりのコロナ死者数=601人

https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/death.html

↑を参照(2022年人口基準

致死率は0.22%

しかもこの死者数は「死んだ時にコロナ感染していた」という数え方だった

死者はほぼ老人(老衰で死んでもコロナ感染してたら「コロナ死」)

 

よっぽどコロナに相性の悪い持病でもない限り、

健康壮年下の人間は打つベネフィットが全くないワクチン

 

今、はっきりと数字で言えることがこれ

こんなの2020年の後半にはだいたい明らかになってたこ

2024-07-13

anond:20240713164719

子曰く、「増田よ、倹約重要戦略だが、それが度を越すと心を蝕むことがある。孫子兵法節約絶対化から得られる利益と損失のバランス考慮し、適切な行動を取ることを教えている。孫子的に言えば、『其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山』なり。節約もまた、風のごとく迅速に行動するべき場面と、山のごとく堅固に静観するべき場面がある。」

増田の姉が通信費を削減しつつもストレスを感じ、家族迷惑をかける場面を目撃しているようだが、孫子言葉から合理的節約と不合理な倹約の間には明確な線引きが必要だ。たしかに、格安キャリアを使うことは良いことだが、その結果として生活の質や家族関係に悪影響を及ぼすのであれば、それは節約目的から外れてしまっていることを意味する。

また、趣味範囲で多くの時間を費やし、それが生活に影響を与えるほどであるならば、それも見直すべきだろう。「用兵の道は先ず勝ちて而る後に戦闘し、敗軍のは負けて而る後に戦闘す」という孫子言葉が示すように、勝利確信がないままに無駄な戦いを挑むことは避けるべきだ。つまり増田の姉は本質的価値を見失い、無駄な労力を費やしているかもしれない。

最後に、老後の資金問題について心配するのは理解できる。だが、重要なのはバランスである。「知彼知己、百戦不殆」という名言もあるように、自分自身と状況を冷静に分析し、最適な節約戦略を見つけることが大切だ。増田節約を考える際には、自身生活の質と心の健康を常に第一に考えることを忘れずに。

2024-02-18

anond:20240217232910

個人的感覚だと、低身長でも高身長でも男性男性。でも背が高いと魅力が五割増しくらいになる。 これは男性おっぱいの大きい女性に惹かれるのと同じく、性的に抗えない魅力だと思われる。本能的に抗えない魅力に理屈つけて目をそらすのはやめよう。オッパイがなけりゃそれ以外の魅力をつければいい、背が低けりゃ(同文)。絶対化せず、人間の数ある魅力の一つと捉えれば良いではないか

2024-01-18

anond:20240118140432

党外の意見なんかどうでもいい、というような話っぷりがすげーこわかった。

ほんとにただただ内輪の論理だけなんだな。

党員以外の日本国民支配対象しか見てないんかね。

内輪の論理絶対化するのはカルトだろうに。

まあ、やや日刊カルト新聞共産党カルトに分類されてたのは妥当だったことがよくわかった。

2023-11-28

anond:20231128071931

はてなに湧いてる高学歴ほどエビデンスを軽視しがちなのはなんなんだろうな、とは思ってる

増田職業上多く論文に触れざるを得ないから知ってた、というのも大きいんだろうけど

はてなって新書ノベルス程度の読書なら嗜んでますよ、くらいの中途半端高学歴マン自身経験をそれと紐づけて絶対化する傾向がある気がする

はてなたちも自分領域であれば、こうした論文とか精確な研究ベースの語りが出来るんだろうかしらね

2023-06-17

anond:20230617172413

子どもの頃の感情、忘れたの?

これはあなた感情に過ぎない。一般化しているし、絶対化している。

2023-06-14

anond:20230613214051

主食に偏り申し訳程度のおかずしかなかった戦後暫くまでの庶民の食習慣"三角食べ"をそんな絶対化されましても

2023-02-22

「公平(フェア)である」というのは想像よりもずっと高度な技術なのかも知れない

賢い人にとっては当たり前のことなのかも知れないが、私は最近になってようやく気付いた。

そもそもの発端は周囲にいるアンフェアしか言いようがない人間思考について様々な考察を重ねたことにある。

とにかく奇妙なほどに身勝手人種がいて、それでも彼らと何とか交流して仕事を進める必要があるために、その生態について推理する必要があったのだ。

彼らは子供のように駄々を捏ねているだけなのをさも「自分の正当な主張が通らない。不当な権力勾配や多数決原理に苦しめられている」と言わんばかりに主張するのである

我田引水を主張し合うことを社会の基本構造と捉える、アメリカ式勘違いしたような世渡り術なのかと思ったが、どうもそもそも自分の状況を理解していないようなのだ

我田引水という慣用句世界観を流用すると、他人が共有水路の水を使えば自分田んぼの水が減ることは認識できても、自分が共有水路の水を使うことで他人田んぼから水が減ることが認識できないようなのである

単に近視眼的と言えばそれまでだが、近視眼なりに他者自分と同じ状態になっていないか想像することが出来ないのだ。

他人自分が両者にとっての赤の他人から見れば等しく同じ重さであることが想像できず、自分にとっての自分自身の重要性を他人から見た自分に対しても平気で適用し続けている所がある。

これこそがまさに「世間はお前のママじゃない。お前のママみたいにお前を特別扱いしたりしない」という奴なのだろう。

自分の両親が自分特別扱いしてくれたのを、人生のあらゆる所で繰り返し、その面倒臭さから大目に見てもらってきた日々を成功体験とし、自分は常に特別扱いされるのが当たり前だと信じている永遠プリンセスなのだ

こういった身勝手クソ野郎共を「ただのバカ」で終わらせるのは簡単だし、実際彼らはその分野において明らかにバカなのだが、ソレ以外の分野においてもバカかと言うと意外とそうではない。

十二分な経歴と思考力を持った人の中にも、このような自己思考回路を世渡りのためのロールプレイでもなく本気で正しいものと思っている狂人が混じってくる。

ある種の得手不得手として、自分が公平に振る舞えているのかを客観的想像する能力があるようなのだ

そう考えてみるとこの能力は意外と奥が深いことに気づく。

自分特別扱いしない客観的発想

自分価値基準絶対化しない多様な価値基準

他人の側に立って状況を考える想像

人間が陥りがちな思考の癖に関しての知識

複数の重み付けが絡み合った状態計算するだけの思考メモリ

自分過去にした発言を振り返れるだけの記憶

個人認識している世界には歪みや限界があることを理解するだけの思考

「出来るやつは幼稚園の段階でもなんとなく出来るだろ。出来ないやつは小学生未満のカス」の一言で終わらせたくなってしまうのをグっと堪えて考察を深めると驚くほど多様な前提能力を要していた。

「公平であるかどうかを考える」というのはこれらの能力の掛け算に寄って成立しており、どこかにボトルネックがあるとそれだけで一気に習得が難しくなる。

ただこれらの能力の多くが知識獲得によるブースト可能であるため、生まれつきそれらの能力が弱くても学習意欲や偏りのない好奇心があればいつの間にか習得できてしまう。

逆に言うと、勉強が嫌いで特定分野に対してだけ強い興味をもつような人間として産まれしまうと、まともな共感能力を持つこともないまま一生を終えかねないのだ。

しかたらこ世界にある「人格破綻しか思えない言動」も、大抵の場合は「特定能力ボトルネックがあることによって、それに関連する思考に至ることが出来ていないだけ」なのではないか

そう考え出すと途端に恐ろしくなる。

ぶっちゃけしまえば、生まれつき知能に関する能力バランスが悪い、ないしは知能に関してあらゆる面で劣っている場合、本人の意思とは無関係人格破綻者としての道を転がり落ちるということじゃないか

こんなに恐ろしいことがあるか?

私はどこかでノートルダムの鐘のような「グズでのろまに見えるが、心はきれいな人物存在する」という物語を何処かで信じていた。

だがそうではないのだ。

知能が低いものは、人生において一時的に極めて優れた人間性を見せることはあるかも知れないが、その知性の低さゆえに何が正しいのかを判断する能力をいつ失ってもおかしくないのだ。

公平とは「天秤を正常に傾かせることが出来る」という状態なのだが、この重み付けは簡単ではない。

身近なもので天秤をモチーフにしているものと言えば裁判所があるが、あの中でメインキャストとして働くために求められる頭脳労働能力の高さたるや。

だが、「あらゆるものの重み付けを正しく行う」ということを目指せば、自然とあれだけの学習が求められてしまうのだろう。

地獄だ。

「身勝手自分の都合や価値観を押し付けずに公平に物を見るだけのことがなんで出来ないの?」という私の今までの思考もまた、その難易度の高さに対しての無自覚から来ていたに違いない。

まり、私もまた誰かからみてひどく不公平ポジショントークを繰り返す異常な人物として映っていた可能性があるのだ。

なんてことだ。

ただ誠実にフェアに生きていくというただそれだけのことがなんでこんな難しいんだ。

「こうあって欲しいを押し付け理想の世界」と「人間の思い通りになんて全くいかない現実世界」の乖離が激しすぎる。

2022-09-10

anond:20220910091236

それよね

自分に都合の悪いとこは相対化、自分に都合のいいとこは絶対化

ガイジの思考パターンなんよね

2022-04-26

丸山真男を読むと日本ネットバトル様式を分かった気になれるのでお薦め

丸山真男日本思想』を読んでいるのだが、海外比較としての日本人の思考様式精神性の解釈が非常にしっくりと腑に落ちる。

この本の書かれた年代は古いが、現在SNS政治トピックスにおける論戦の様相などにも適用できる程度には、日本人というもの精神性の核をとらえているように思える。

例えばこれ

ともあれ、こうした国学儒教批判は、

(1)イデオロギー一般嫌悪あるいは侮蔑

(2)推論的解釈拒否して「直接」対象に参入する態度(解釈多義性に我慢ならず自己直観解釈絶対化する結果となる)、

(3)手応えの確な感覚日常経験にだけ明晰な世界をみとめる考え方、

(4)論敵のポーズあるいは言行不一致の摘発によって相手理論信憑性を引下げる批判様式

(5)歴史における理性(規範あるいは法則)的なものを一括して「公式」゠牽強付会として反撥する思考

等々の様式によって、その後もきわめて強靭思想批判の「伝統」をなしている。

丸山 真男. 日本思想 (Japanese Edition) (p.28). Kindle 版.

1-5まで、スタンスの左右を問わず現代twitterはてなブックマークでもよくみるような批判様式だと思いません?

これらの思考様式の背景にある要因もいくつか挙げられているが、私が面白いと思ったのはキリスト教圏との対比。

キリスト教圏では唯神論に対する反発(対立軸)として市民社会思想が発展した背景から思想それ自体神格化して同じ轍を踏まないために、思想形式的不備を市民監視する構造が浸透している。

一方で日本においてはそういった背景がないため、「思想」それ自体を道具の一つのようにプラグマティックに取り扱う傾向がある。矛盾する思想でも状況に応じて使い分ければよい。思想の中身はさておき、その思想適用すると何が便利なの?という発想である思想それ自体形式(建前の正当性)を重視するキリスト教圏との大きな違いがここにある。

なお中国儒教の影響が支配的なのでまた別ということになっている。日本のこの柔軟性は神道がそういった特性であったことも背景として挙げられている。

日本人は「物分かりがよい」という表現もなかなか味わい深いと思った。

引用にあるような「感覚的な便益を重視し、抽象化・体系化や論理的整合性価値を見ない」という評価と、「物分かりが良い」という評価一見矛盾するようで、そうでもない。

道具として使える程度に理解することにおいては日本人は早い。なぜなら既存価値観との整合性を気にしないから、(便利である限りにおいては)新しい考え方に対しても衝突したり反発したりせず、すぐにとり入れることができる。その際には、既存価値観を拡大解釈する(へえ、外国人はこういう考え方をするのか、でも日本のこの考え方と一緒のもの解釈できるな)という様式が使われやすい。既存価値観と同一視するという輸入様式はまさに抽象化だと思うのだが、抽象化自然に行うため逆説的にそれに価値を置かないという精神性が成立しているということだろうか。

一方で抽象化一般化された思想体系を戴くことを嫌う。それは思想体系を一度決めてしまうと前述の拡大解釈による柔軟性が損なわれるからだろう。

日本人の精神性は「そういう考え方もあるよね〜」を地で行っており、その意味で非常に包摂力が高い。包摂力の高さを維持するために、統一基準を作ることを嫌う。イデオロギー嫌いがイデオロギーである、とも言えるか。とはいえ新たなイデオロギーから影響を受けないわけではなく、拡大解釈意図的誤訳によって、既存価値観と同居させる形でイデオロギー解体して取り込むのである

個人主義リベラリズムフェミニズムなどが、日本になじまなさそうで、でもやっぱりなじみそうな(それらにまつわる論戦において、各論ごとに各人のスタンス右派なのか左派なのかも判然としない)のは、それらの思想各論での実利については認めており、慣習としては取り込んでよいと思いながらも、原理原則として戴くつもりはない、というイデオロギーが影響しているようにも思える。

2022-04-14

「過度の相対化」は誤っている

福島原発事故の後「過度の相対化は害悪が大きい」って物言いが(特に右翼の間で)多くなり、確かにその通りであると思うのだが、馬鹿もの間で「相対化そのものが悪」みたいな、いかにも馬鹿が考えつきそうな「過度の単純化」が生じていて、時折は試みられるべきである真実とされること、正義であるとされていることを『一旦相対化して』再考察すること」も悪であると決めつける馬鹿を見かける様になった。

正義を一旦相対化することは、正義否定(=あらゆる正義の主張は等しく価値がある、あるいは等しく無価値である)ではなく、より良い正義概念にたどり着くためのプロセス(の一つ)であるのに、それがわからない馬鹿と、わからないふりをして自分正義絶対化したい欲求のある保守野郎が本当に多いのだ。

2021-09-14

暴力革命路線を無かったことにする歴史修正主義政党共産党

2021年

日本共産党は、社会変革の道すじにかかわって、過去の一時期に、「敵の出方」論という説明をしてきましたが、その内容は、(1)選挙で多数の支持を得て誕生した民主的政権に対して、反動勢力があれこれの不法暴挙に出たさいには、国民とともに秩序維持のために必要合法的措置をとる。(2)民主的政権ができる以前に反動勢力民主主義暴力的破壊しようとした場合には、広範な国民世論結集してこれを許さないというものです。それは、どんな場合でも、平和的・合法的に、社会変革の事業を進めるという日本共産党の一貫した立場説明したものにほかなりません。これをもって「暴力革命」の「根拠」にするなどということは、まったく成り立つものではありません。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2021-08-06/2021080607_01_0.html

1968年平和革命必然論を全否定する不破さん

暴力革命唯一論』者の議論は、民主主義擁護する人民の力を無視した受動的な敗北主義議論であるしかし、反対に『平和革命』の道を唯一のものとして絶対化する『平和革命必然論』もまた、米日支配層の反動的攻撃にたいする労働者階級人民の警戒心を失わせる日和見主義的『楽観主義』の議論であり、解放闘争方法を誤まらせるものなのである

— 不破哲三日本社会党綱領路線問題点」[8](1968年1月、『前衛』、日本共産党中央委員会[9])

1964-1970年

革命平和的か暴力的かは敵の出方による。現在国家権力がたやす権力人民譲渡するとは考えられない。

— 1964年5月21日 第八回党大会政治報告」[4]

革命への移行が平和的となるか非平和的となるかは、結局敵の出方によることは、マルクス・レーニン主義重要原則である

— 宮本顕治日本革命展望』(1967年新日本新書

わが党は革命への移行が最後的には敵の出方にかかるという立場をとっている。

— 不破哲三人民議会主義』(1970年新日本出版社)

ちなみに不破さんは2006年まで共産党議長をしていた方なので共産党お得意の「アレは分派勝手にやった(言った)事と言い訳するのも無理

2021-09-11

表現の自由毀損しているのはどっちか

松戸警察署Vtuber問題について、アンチフェミニストに腹が立ったのでここに書く。

警察署玄関水着女性ポスターが貼ってあったら、「女性の裸を公共広告に用いるのはTPOに反しているし、女性差別的ではないか」という批判には、ほとんどの人が共有するだろう。同じように、萌え絵水着ポスターと同じカテゴリー公共広告に相応しくないのではないか、という違和感に基づく意見感性の人は一定存在する。そしてその違和感公共的な声にして、政治を通じてを変えていこうとする運動が起こることはのまったく正当な権利であり、まさに日本自由民主的社会であることの証である

いうまでもなく、自由民主的社会である以上、フェミニストの抗議を「誤解」「無理解」として批判する声は当然あってしかるべきであるしか批判者はなぜか、公共広告に対する批判を「表現の自由否定」などと批判してしまうので、根本的に議論が間違った方向に進んでしまう。しかも「価値観が古い」とか、「古い」ことがただちに間違っているかのような、その人の主観を無根拠絶対化した論法を多用している。どうやら批判者たちは、「古い価値観」なるもの尊重に値せず、みんなで否定して嘲笑し合うような社会がいいと思っているようだ。百歩譲ってそうした主張を認めるとして、そんな社会自由民主的社会であるとは到底思えない。

公共的な表象として国旗という分かりやすい例を出せば、「日の丸日本国旗に相応しくない、変えるべき」という主張があってはならない、という人は(一部の極右以外は)いないだろう。それは表現言論の自由である。ところが、なぜか批判対象が「萌え絵」になった途端に、この原則が完全に無視されて、同様の性質を持つ主張が逆に「表現の自由否定」と批判されている。そして、表現の自由行使しているフェミニストたちを、表現の自由否定する人々として批判し、SNS大炎上させている。これはとんでもないことであると思う。公共的な広告物や表現に対する批判を萎縮させる効果を持つものであり、表現の自由毀損するものに他ならない。

2021-03-17

anond:20210317001619

全く説明になって居ない自覚は有るか?

お前は、出来ないしやっちゃいけない「ことになってる」としか言っていない、ではその「ことになってる」が正当化される理由は?絶対化される理由は?

信教の自由憲法保障されてる、たしかに、では憲法保障される理由は?憲法保障されないように変えることは可能か?不可ならその理由は?そもそも憲法絶対か?

なぜ憲法保障されているなら修正できないんだ?憲法より上位の規則規範は無いのか?無いならそもそも憲法はそれより上位の正当化根拠を持っていないことになるが、ならそこで正当化は崩れているのでは?

他にも色々考えることが出来るだろう、憲法信教の自由も相対化できるだろう

勿論それらは既に過去に俺よりずっと頭の良い人間達がすでに考えたことで、「勉強」すればその答えが有るかも知れない

しかしそれが正しい保証はどこにある?そもそもお前は「勉強」を思考をやめさせるための蓋としてしか使っていない

過去に俺よりずっと頭の良い人間が考えた所で、所詮そいつらは過去だ、下手したら同性愛差別肯定される時代天才

例え天才でもそういう時代価値観から自由じゃない、つまりその「勉強」も過去時代価値観汚染されている可能性も有るという事だ

従って「勉強」の結果が覆される事は絵空事ではない、そもそも学問とはそういう転覆の繰り返しで出来ている

そもそもお前の言う「勉強」は例えば科学の様な、検証可能論理体系か?必ずしもそうじゃ無いんじゃないか?だとすれば正当化システムそれ自体もそれなりに脆弱だ、絶対化するには余りに頼りない

から自分の頭で考えろ

2021-02-27

anond:20210227135155

二次創作はしてもいいけど、それを売ってはいけないっていうのは絶対化されてほしい

ってのはそういう意味じゃないん?

anond:20210227132301

だって売ってはいけないを「絶対化されてほしい」と言うなら、そういう契約する権利も認めないと思ってるかもしれんし・・

2020-10-31

anond:20201031092413

口呼吸良くないって

マスクをし、マスク越しに鼻呼吸がいいと聞いてます……。

うろ覚えから間違ってるかも、なるべく鼻呼吸にしてます

まり健康を保つためには「鼻呼吸」という身体の使い方をしなくてはならないわけだ。

から吸って鼻から出すのだ。鼻から吸った空気は鼻腔を通ることで、異物が除去され清浄となり、暖められ、湿っている。

上鼻甲介という脳の近くを通るので脳の冷却も行われる。鼻腔粘膜の異物除去作用を侮ってはいけない。

相当な面積を持つ上に高性能である細菌ウイルス粉塵花粉などを含む外気は必ず鼻から入れる。

出す時も鼻からだ。安易に口から出すと、湿気・体温が外に奪われてしまう。ため息も鼻からだ。

http://www.niigatah.johas.go.jp/about/archives/2015-08.html

鼻毛あんま抜いてツルツルにする人いるけど良くないと思う。

私、喉がいがらっぽいときやなまつば貯まったとき絶対化粧室までいくもん。

よっぽど風邪ひきの人に接近されない限りは風邪ひかない。

身体空気酸素)を取り込む時に、ウィルスを予防しようって意味なら

隙間はいけないんじゃないかなぁ。

網戸に隙間があると蚊が入ってくるのと同じ……。

2020-01-16

自分政治

ブコメでみんなが右翼左翼保守革新だ言ってるの眺めてたら、極左だと思ってた自己認識が揺らいできたので、自分輪郭を残すために思いついた順でメモを残しておく。

重要だと考えるもの

自由

表現の自由

思想良心の自由

学問の自由

強制されないこと

論理

議論

熟議

専門知

広い意味でのアーカイブ

心の安寧

他者に丁寧であること

建前

下品にならないこと

懐疑

思考実験

美味しいもの

睡眠

差別解体

男女の平等

人類平等

貧困の解消

自分選択したものへの愛着

善く生きること

【嫌いなもの

強制

暴力

分断を煽ること

強制すること

重要ではないと考えるもの

家父長制

結婚制度

血縁

地縁

所属集団への愛着

国家という単位絶対化

氏名

【悩んでいるもの、よく分からないもの

経済

感情

人類以外との平等

アファーマティブアクション

親による子への教育

2019-05-30

後輩の女性社員妥協点として有りか無しか

かなり迷ってる。

もも来年30だし彼女居ないことを無遠慮にいじられる事も増えてきた。それに自分自身正直焦りもあるし、かと言って顔も普通からモテるわけでもないし、美人可愛い相手なんかじゃ絶対無理だし…って事で、そのデブの後輩女性社員なら痩せたら美人になりそうだからそこを伸びしろとして目を瞑れば妥協点としてまあまあ有りなんじゃないかと思うんだがどうだろうか?

脈はあるというか明らかに男性経験無くて少し周りより優しくすればすぐ絆されそうな子だから正直付き合うのは難しくなさそう。ただ付き合うにも周りの目ってもんがあるし、俺は「誰も見向きもしないようなデブに惚れた変態」に思われるかもしれないからやっぱり痩せてくれないかなと思う。

フリー状態で痩せて下手にチヤホヤされ出したら舞い上がって彼氏作ってしまいそうだし、ある程度親しくしておいて痩せる努力をさせるように誘導しつつ付き合えたらベストなんだがそうそう上手くいくはずも無さそうだし悩みどころ。

以下そいつスペック

26歳 3歳歳下 彼氏なし。

痩せたら確実に美人になるよなーって顔立ちなんだが、今のままならただのデブで誰も女として見なしてないし手出してない。ただ痩せたら絶対化けるタイプだと思う。安藤なつとかゆりやんレトリィバァみたいな感じのデブじゃなくて、渡辺直美とか柳原可奈子系統の顔のデブから

仕事の出来はまあ普通というか平凡レベル。ただ何か成功した時に絶対自分より周りを立てるのは好感。俺の超個人的意見なんだが私が私がってうるさいタイプの女ってどんだけ仕事できてても正直あんまりよく思わないし、ああいう平凡であんまり優秀じゃなくても常にこっちを立てて謙虚に裏方や補佐に徹してくれる子のほうがよっぽど一緒に仕事してて気持ちいから。

性格は人見知りが激しい点と稀に入るネガティブ期の病み方が面倒って点を除けば普通に明るいし面白いし真面目だし、まあ悪くないと思う。親しい一部の相手への態度がいい歳して大学生のノリのままって感じなのは気になる。

わかりやす長所としては他人悪口を言わない、後輩や仲間を褒めるのが上手い、全然キレたり怒らない。

俺の嫌いなデブスの特徴の「無駄な少食アピール」や、諦めきった卑屈デブありがちなノーメイクダサい服装絶対しない。ちゃん流行りに敏感だし若い女社員の中には服や化粧のアドバイスをその子に求める子もいるって聞くから女性社員の間でもデブだけどお洒落って共通認識なんだと思う。綺麗好きでデスク周りはいつも整頓されてるし、女性社員曰く料理も上手いらしい。俺的には気遣いちゃんとできて出しゃばらない点と話聞き上手な点、気が利く点が特に好感持てる。言い方が悪いがこれでデブでさえなかったら…っていうタイプ

あとは名前忘れたけど欅坂か何かのアイドルグループオタクらしいが、そこは俺もオタクから気にしない。

こうして書くと長所多いし妥協点としてなら悪くない物件に思えるんだがいかんせん太ってるのがな。どうしよう。

2019-02-15

またロリ規制

キリスト教圏はどうしてああも「貧相な体を好意的に描く」ことを憎むのかね。根源にあるのはマッチョイズム信仰絶対化だと思うんだが。

2019-01-14

独自性多様性

松本人志独自性

ただ多様性侵害する独自性は認められない

松本人志多様性侵害する独自性だろうか?

グローバル正義絶対化するには日本は特異すぎる

肌の色も、歴史

2018-11-12

結婚に向いていない男性に向けたメッセージ

「夫が定年したら離婚を考えています。夫の年金って、妻が半分もらえるんですよね?」 https://precious.jp/articles/-/8510

人気のブコメをいくつか抽出:

でもまあ、時代的にも事実上旦那さんが仕事に集中できたのは奥さん内助の功みたいだし(奥さん談ではあるが)妥当では?

まあ子育てのためのプロジェクトチームプロジェクト終わって解散したと考えると妥当

労働力再生産や育児を妻に任せきりで働けていたのに「年金横取りとかちゃんちゃらおかしい。

あなた価値観がどうであれ、世の価値観はこのような感じなのだ。これに反発を覚える男性結婚に向いていない。幸い 結婚させようとする社会的圧力は低下傾向にあり、家事労働も道具の発達で軽減されているので、生涯未婚という選択肢も十分現実的だ。かくいう私もその一人に挙げられる。

ミソジニーをこじらせるのも結構だが、価値観対立する場面は 視野が広がるチャンスだ。少しだけ冷静になって自分生き方・考え方をよい方向にできないかを考えよう。

役割分担と謙虚

「二人とも働いて、家事も半々で」みたいなノリは必ず破綻する。家事育児に関連するあれこれを完全に半々にすることなんてできっこいからだ。「どっちかが得しないように全部半々。これで公平でしょ」という価値観対立を生むだけだし、均衡する領域が非常に狭く、環境の変化に対して脆弱な かりそめの安定をもたらすだけだ。

そこで、二人の間で役割を決めるという発想になる。昭和的な価値観では「猛烈リーマンの夫&専業主婦の妻」という役割分担があり、最近価値観では「共働き夫婦家事育児を分担」という分担が一般的になっている。程度の差こそあれ、役割分担を選択するということは、数あるタスクへのコミットメント具合が夫婦間で異なることを意味する。「お金を稼ぐ」というタスクに対して夫が400万円のコミットメントをし、妻が200万円のコミットメントをするという事態は不当ではないのだ。同じく、「幼稚園児の送迎」というタスクに対して、夫が週 1回のコミットメントをし、妻が週 4回のコミットメントをするという事態は不当ではない。

タスクごとに夫婦間でコミットメント具合が異なることを受け入れ、安定した共同生活を営むために必要なことは何か?もちろん、不公平がないようコミットメントの総量が同程度になるよう調整することは大事だが、どうせ、そんなことはできっこない。一番大切なのは、お互いを信頼し、尊重することだ。「確かに俺の方が稼いでいるけど、奥さんはその分面倒な町内会活動をやってくれているし、俺より生鮮食品を安く手に入れる術を持っている」とか、「夫は送り迎えをしてくれないけど、買い出しの際や終電を逃したときにすぐに車を出してくれる」とか。

それでは、このように、お互いを尊重することを阻害している要因はなんだろうか?そのうちの一つとして、価値観の狭さがあげられよう。自分コミット過大評価し、相手コミット過小評価する。「俺は稼いでやっているのに」とか「家事の大変さがわかってないでしょ」などの典型的夫婦喧嘩はこれに起因する。もちろん、価値観の近い相手パートナーに選ぶことはこの問題を軽減させることに寄与するだろう。しかし、このズレは累積して破滅的な結末を迎えることも少なくない。

結局、謙虚精神必要なのだろう。「自分には価値が見いだせないがあの人は一生懸命やっている。きっと私にはまだ十分感じることができない価値があるのだろう。その判断尊重して、今ある不満をぶつけるより事態の推移を見守ろう」。男性には結構独善的な人が多いので、いか謙虚になれるかというのは一つのカギだろう。自分のモノサシを絶対化せずに、相手のモノサシの価値を認めるということだ。

幸せになるということ

あなた幸せになる権利がある。だがその一方、幸せとは何かについて深く考えているだろうか?

日々の仕事忙殺されると、「とりあえず金稼ぎたい。稼げれば幸せになれるっしょ。」「この金をどう使えば楽しいだろ。旅行?メシ?ゲーム?」といった短絡的な思考に陥りやすい。まあそれを否定するわけでもないが、その価値観いつまでも続けられる?とは問いたい。自分幸せになるという課題に対してもう少しの熟慮してもよいとは思わないだろうか。そして、「普通の」人間にとって幸せ生活には結婚という家族形態が伴うことが多いのも事実だ。

あなた、本当に結婚しなくていいの?結婚をしなくて幸せになれますか?

結婚に向いていない男性に向けて

私は、仕事が嫌いで、自分が一番頭がいいと思っていて、社会性を獲得しきれずにおり、お金が一番好きで、家事になんの価値も見出さず、子供が嫌いだ。若いころは性欲ドリブンで結婚をしようかと思ったこともあったが、30も半ばを過ぎて落ち着いた今は結婚をしていなくて本当に良かったと思っている(もし結婚していたら、相手も全く同じことを思っていただろう)。

だが、それとこれとは話が別だ。結婚に向いている男性というのは、同時に対人関係が良好な男性という側面もある。結婚しなくていーや、という単純な話ではなく、社会で上手くやっていくために、結婚に向いている価値観を身に着けたり、身に着いているフリをすることは大事だと強調したい。

2018-10-16

anond:20181016120506

わかるよ。弱者マウンティングや、権力者マウンティング(何て言うのが正しいんだろう)って流儀絶対化されていて、権力者の味方をするネトウヨは準権力者として、同じようにどんなに暴力的攻撃してもいいし、暴力だってさないっていうのがいきわたっている。弱者無罪カウンター無罪権力者有罪みたいのも自明な事として扱うしね。

彼らはそれなりに善意でそれを行っているのが怖い所なんだけど。

2017-08-15

https://anond.hatelabo.jp/20170815095212

公式絶対化するよくわからない風潮があるから元増田のようなことになってしまう人が増えてるんだろうが

やはりあのゴミアニメは悪。ニコマス時代に戻るべき、というくらい公式信仰が酷いわ昨今。

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