2015-01-04

SAOが合う人合わない人

SAOの色んな感想を見ていて気づいたんですけど、大雑把に分けて


ネット電脳世界を完全に切り分けた方が良いと考える人

ネット電脳世界を切り分けず、ツールとして使う人


の2パターンに別れる事に気づきました。

まぁ、要はポジティブ思考ネガティブ思考かってところでしょうか。


前者の人は、ネットはそもそも悪意やネガティブ空気に満ちた空間であり、切り分けないとネットの悪意に現実自身人格が影響をうけるため切り分けることが良策であり、懸命だと考えている。

後者の人は、ネット現実世界の延長上に考えており、悪意もあるが善意もあると考えており、きっちり使えば毒にもなるし、薬にもなると考えている。


例えばSAOでは以下の様な台詞があります

ALO編キリト

しょせん、ゲームなんだからなんでもありだ。

殺したければ殺すし、奪いたければ奪う。

そんなふうに言う奴には、嫌ってほど出くわしたよ。

一面ではそれも事実だ。俺も昔はそう思っていた。

でもそうじゃないんだ。仮想世界からこそ、守らなきゃならないものがある。俺はそれを大切な人に教わった。

この世界で欲望に身を任せれば、その代償はリアル人格へと帰っていく。

プレイヤーキャラクターは一体なんだ。

俺、リーファの事好きだよ。友達になりたいと思う。

たとえどんな理由があっても、自分利益のために、そういう相手を切るようなことは俺は絶対にしない。

GGO編シノン

「ええと……キリトあなた言ってることがこのあいだと違うわ」

「え……?」

仮想世界なんかない、ってあなた言った。その人のいる場所現実なんだ、って。VRMMOゲームは一杯あるけど、その世界ごとにプレイヤーが分割されてるわけじゃないでしょ? いま私のいる、この……」

 右手を伸ばし、指先で軽くキリトの左腕に触れる。

「この世界が、唯一の現実だわ。もしここが、実はアミュスフィアの作った仮想世界だったとしても、私にとっては現実……ってことだと思う」

 キリトは目を見開き、詩乃が気恥ずかしくなるほどの時間、ずっと視線を合わせていたが、やがて珍しくシニカルさの欠片もない――と見える――笑みを唇に浮かべた。

「……そうか。そうだな」


上記の2つの台詞は共にSAOテーマの根幹に関わるわけですが、後者(=キリト達)は電脳空間現実の延長上にあると考え人格を分離させていません。

前者の人はALOやGGOで本気になったりトラウマを解消するという行為を個人を分離させずに社会的自分をだすのがどうも馬鹿馬鹿しいと考えがちなようです。

ネット世界ネット世界だろう。という考えなわけですね。

この類の人はシノンがトラウマを克服するのにGGOを使用したり、ユウキの死に際にネット内で集まったりするのが馬鹿馬鹿しいと考える。

まぁ、ユイのパパ・ママ呼びが嫌いでSAOが合わないとかはあるようですが、根本的なところではどもう上記の2種類の対立をそこかしこで見かける。

個人的にはどっちの言い分も分かるんですけど、ソーシャルやってる人って後者が多いんですかね?

どうも2chとかの匿名文化圏は前者が多い気がする。

個人を特定できないからかな?・・・

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