32歳で一人暮らしをしている。
アレキサンドロス大王が、当時の文明世界のほとんどを征服し、「最強のものが帝国を継げ!」と言い残して死んだ歳だというのに、サラリーマンをして現実に泣きたくなる。
知識もたいして増えてないし、体つきもよくなるどころかたるんできた。
たるんだカラダと老けた顔に、高い服を合わせたって若くなれやしない。
10年後の今日も、同じように一人暮らしの散らかった部屋で、半額の惣菜で腹を満たし、ネット弁慶をしてるんだろう。
今よりも老けた顔で、だらしないカラダで、その時もまだいつか来るだろうとロマンスにしがみついて。
同世代の、40代の彼女でも作りゃいいのに、20代とか30代の女を追いかけて、「どうして俺はモテない!」と馬鹿を言ってるんだろう。
ダメです。欲しくないし悪い事です。
「単純に考える」ということの意味を分かってない人って多いのかねー。
「難しい問題を単純に考えたら失敗するだけだ」みたいなこと言ってる人を見かけたんだが、まったくそんなことないから。
「難しい問題を単純に考える」ことができる人こそが、その問題を解決に導くんだよね。
単純に考えられないってことは結局その人の力量が不足してるってことなんだよ、ほとんどの場合。
たとえば素人さんにはとても手が付けられないような複雑な事件も、実体法をしっかり勉強して要件事実も学んだ法律家であれば、かなり単純な要素に切り分けることができる。
だから、(俺は読まないけど)自己啓発本とかが「単純に考るのがよい」と言ってるなら、それ自体は正しい。
ただ、「単純に考える」という行為自体は簡単な事でもなんでもなくかなりの修練が必要である、という事実を隠蔽してるだけでね。
【追記】
俺が見かけた分かってなさそうな人(の一人)がやってきてて笑った。
単純に考えることと大雑把に考えることとは違うって説明してるんだけど、案の定分かってないなあ
よく
「医療・年金・介護制度維持のために、とにかく出生率を早急に2.07回復させろ、人口1億人維持を目指せ」
と識者が主張し、政治家が主張する。
「出生率を回復させれば、医療財政や年金財政や介護財政の崩壊を防げる」のロジックは、一見正しいように見える。
しかし、このロジック、長期的には成立するも、中期的には残念ながら成立しない。
医療年金介護が「ヤバイ」とされるのは、いわゆる団塊世代がリタイアして年金受給側に回り、
その後後期高齢者側に回って医療負担介護負担が増えてしまうから。
団塊世代のリタイアは2010~2015頃に始まり、年金介護の負担増は、団塊が後期高齢者になる2025頃から急増する。
で、仮に
「出生率が異常に高騰し、1.4程度だったのが3とか4とかに上がり、出生数も100万人⇒200万人300万人に急回復した」
そういう高出生社会に転換したとして、それが「2025年問題」の解決に役立つのか?
答えは残念ながら「No」である。
かりに、2015年から、異常に出生数が増えたとして、その人々が「社会福祉に貢献し始める」のは、早くても2033年以降。
(2033年になって、ようやっと、2015年生まれが18歳になる)
実際には2040年以降だろう。
だから、今更出生数を爆上げさせたところで、「2025年問題の解決には、全く手遅れ」である。
(2015年世代が社会に出る2040年頃には、既に団塊世代の殆どが鬼籍入りしている)
むしろ、もし2015年から出生数を爆上げさせたら、2025年社会は
「後期高齢者の医療介護と、年少世代の扶養を、ダブルで苦しむ社会」ということになり、社会負担が増大してしまう。
逆に言えば、団塊世代の年金・医療・介護負担をさせるために、「2000年前後の出生数を増やしておくべきだった」、
団塊ジュニアに30歳前で出産させるべきだったのであり、「もはや手遅れ」なのである。
もっとも、今から出生数を急回復させることに意味がない訳ではなく、
「団塊ジュニアが後期高齢者入りする2050頃」の福祉の担い手を増やしておく、という点においては、意味がある。
イベントと言ってもただの飲みだ。ちなみにHPには恋愛を主目的にするのは禁止、って書いてあるんだけど幹事が一番可愛いこと付き合ってたのには笑った。
彼女に最近ふられて、色々はイベントに出ている。ネット上だと「出会い」というのが否定的で後ろめたいワードになっているんだけど、それってそんなに悪いことなの?
みんな彼女彼氏欲しくないの?って思う。割りきって出会い目的で行ったほうが出来る気がしている。ただ最初からがっつき過ぎると引かれるから加減が難しいのだけどね。
あと最初に書いた幹事じゃないけど、ほんとに効率よく出会いを求めるなら自分で主催するのがいちばん手っ取り早いと思った。何故か皆やりたがらないけど。
ボールボーイ、審判、スタンドのファールボール係り、外の案内など、運営にものすごく人がいた。100人くらい。他のチームのメンバーだろうか。
ラジオと新聞の取材陣がいた。マイナーな部活と扱いが違いすぎる。
ショーアップされた興行につながっているので、その卵たちは特別なんだろう。
中継の人や取材の人は仕事としてやっているだけなので、野球には興味がないようだった。
ピッチャーは大変だろうけど、9人合わせてもむさい感じと汗臭い感じがないくらいに運動していない。冷静に見ると不思議なスポーツだ。
急に球が飛んでくるから、気は抜けないだろうけど。
試合中の運動量のなさに比べ、普段のトレーニングが無意味に過酷に感じた。
サッカーが45分×2の間、ほとんどのメンバーが走り続けるのと比べると運動していない。
プロとは段違いに下手だった。これは弱小県だからかもしれない。
決勝大会なのにファールフライでお見合いしたり、微妙なプレーが多かった。プロなら取るのにみたいところでつめが甘い。
この中から0.3人くらいがプロ行きと考えるとそういうものなのかもしれない。
試合を進める上でのテンプレが存在した。全体の進行がこれでもかとお約束が多すぎる。
試合前のウォーミングアップから試合開始時のスタンドへのあいさつとか必要以上にテンプレされていて気持ち悪い。
プロの頂点を自負する球団に「軍」が付いているせいなのだろうか。
前半の回にノーアウトのランナーが出るとすぐに送りバントという指示はいかがなものかと思った。その割りにランナーのリードや走塁はぬるいプレーが多かった。
ファールでカットしまくるとか相手のピッチャーを疲れさせる作戦としては有効だと思うが評判が悪いみたいだ。
盗塁は卑怯で犠牲バントは是なのだろうか。さわやか路線を貫くならば、バントとかやめたらいい。
コレもテンプレのひとつなのだろう。常連校だと応援の動員もあるとみた。
ベンチに入れない子とか応援しまくっていた。
ブラスバンドは来てなかった。甲子園に行かないとこないのかな。
スポーツとして歴史が長いせいか、様式がかっちりと決まっていて、自由度がないことと、取り巻きが多過ぎなところが、?な気持ちの原因なのかもしれないと思った。
これだけ、誠実でかついろいろな権威の信頼を得ていると考えられているが、高校野球OBに貸した2万円が返ってきていない。イメージだけで信頼してはダメだ。
長いです。そして大部分が「自分語り」です。そんなの読みたくないよ、と言う人はブラウザのバックボタンを押してください。
で、なぜ自分語りをするのかというと、結論部分の教育に関わる人たちや、子供の「親」となっている人、もしくはこれから「親」になる人たちに伝えたい事につなげる為なので、時間がない人はその部分だけ読んでもらっても構いません。
それでは、物好きな人はどうぞ……
20代も後半になってくると、「結婚しないの?」とよく聞かれるようになった。「相手がいない」、「仕事が忙しくて相手を探す余裕がない」と言うと、たまに「いい人紹介しようか?」と言われることがある。
しかし、私にとって友人や知り合いや同僚から相手を紹介されるというのは、最も避けたい出会い方だ。「自分のようなつまらない人間を紹介することで、相手の評価を下げたくない」「紹介してもらったところで、うまくいくはずがない」と考えてしまう。
「自分には価値があり尊敬されるべき人間であると思える感情」のことを自尊感情と言うが、私はこの感情が非常に低く、一日一回は「死にたい」「この世から消えてなくなりたい」と考えている(これでも回数は減った方。昔は一日十回は死にたいと思っていた)し、友人と遊んだり飲んだりしていても「自分なんかのために時間を使ってもらって申し訳ない」と考えてしまう。自分と実際にあったことがある人の中には「自分の話ばっかりするから、自尊感情高いんじゃないの?」と言う人もいるかもしれないが、それも自尊感情の低さの裏返しだと思う。自尊感情が無いからこそ、他人から褒められたり、認められることを期待して自分の話を頻繁にしてしまうのだろう。私が「知り合いからの異性の紹介」を避けているのも、この自尊感情の低さからきているのだろう。
それでは何故私の自尊感情は低くなってしまったのか。色々な原因が考えられるが、一番大きいのは、私が「普通の人が出来ることを、出来なかったから」だと思う。
まず、私は小学生時代、「普通の子供と同じように授業を受けることが出来なかった」。静かに、教室の椅子に座って授業を受けることができない。授業中に教室を抜け出し、先生を慌てさせる。教室にいても、授業い集中できず、本を読んだり他の子供にちょっかいを出す。
そんな子供だったせいか、小学生の一時期、いじめられていた。いじめは「異質な存在」が標的にされやすいことから考えると、自分がいじめの対象になったのも自然なことで、意味もなく殴られたり、筆箱を窓から投げ捨てられたりしていた。そこまで酷いいじめではなかったので、不登校になるほどではなかったが、自分は人と交流することに臆病になってしまっていた。
未だによく覚えているのが、隣に住む一学年下の友人の家のチャイムを押すのに一時間以上ためらった挙句、押せずに自分の家に帰ってしまったこと。小学生の時点で、私は友人の家に遊びに行っても、「そろそろ帰らないと鬱陶しいと思われるのでは」と考えてしまう、人間関係を形成することに臆病な人間となっていた。
小学生低学年の時のこの問題行動は、ADHD(注意欠陥・多動性障害)によるものであり、診断後、月に数回、大学の研究室に通うことになった。そこに行くと宝探しゲームやパズルなどをさせてもらえるので、私は「遊びに連れて行ってもらっている」という感覚だったのだが、今では「あれは行動療法の一環だったのだ」と理解できる。
大学での療法の結果、私のADHDの症状は目立たなくなっていったが、中学校入学後、私に新たな「普通の人が出来るのに、自分には出来ないこと」が出来てしまった。
それは、「普通の人と同じように起きていること」。
授業参観、テスト、学校行事、時と場合を選ばず、どんな時でも居眠りをしてしまう。その眠気は尋常ではなく、拳で太腿を殴りつけても、ペンで血が滲むほど掌を突き刺しても、消えることは無く、結局は寝てしまう。なんとか地元の公立高校には入れたものの、いくつかの授業にはついていくことが難しくなってしまった。そして三年生の時は難関大学を目指していたのにも関わらず、文系の一番下のクラスへ。一部の教科の成績と授業態度(よく居眠りをする)を考えれば当然のことではあったが、授業のレベルが大学受験レベルではなかったのは困りものだった。居眠りをしているのに教師のところに「わからないところを教えてください」と行くことなんて出来ないし、独学もなかなか難しい。そんな時に自分を救ってくれたのが予備校の配信授業。自分が通っていた塾では予備校が衛星配信する授業をビデオに録画したもので受講することができた。ビデオなら途中で居眠りをしてしまっても居眠りをする前の段階まで巻き戻せばいい。そうして90分の講義を毎回120分以上かけて受講し、なんとか受験に対応できる学力をつけていった。
結果として、第一志望の大学に合格することはできなかったものの、国立大学に進学することが出来た。自分の居眠りは怠けからきていると思っていたので、大学に入れば、環境が変われば少しは改善するとおもっていた。……だが、そんなことはなかった。
自分が受けたいと思い、はりきって教室の一番前の席に座った講義で寝てしまった時の絶望感。サークルのミーティングで居眠りをしてしまった自分への冷たい視線を感じた時のこの世から消えてしまいたい気持ち。大学に入れば何かが変わると期待していただけに絶望感は大きかった。ずたずたになっていく自尊心。
自尊感情が低い故に人間関係を構築するのに臆病なのは相変わらずで、自分から食事や飲みに誘うことなど殆ど出来ず、昼食も一人で食べてばかり。
大学院に進学してからも居眠りは止まらず、二年次に受けた公務員試験も当然のことながら不合格に。修士課程だったので二年で修了できたのだが、自分では働きながら試験の勉強はできない、とわかっていたので、親に頼み込んで一年間留年することにしてもらった。
留年時は相も変わらず寝てはおきてを繰り返しての勉強生活。一日十時間勉強しても、実質的に集中して勉強できているのは六~七時間なのだから効率は非常に悪かった。
二回目の受験でなんとか公務員試験に合格し、就職。このときはまだ自分の居眠りは自分の怠けからきていると思っていたため、さすがに就職すれば意識が変わって居眠りも無くなるだろうと思っていた。しかし就職してからも止まらない居眠り。会議で、行事で、起きていようとしても寝てしまう。当然のことながら、同じ居眠りでも学生と勤め人ではその捉えられ方は大きく異なる。面と向かって厳しく注意されることも増えたし、必要以上の会話をしてくれない同僚も増えていった。完全に自信を無くし、せっかく合格できたのに、退職しないといけないかな、と思い詰めていた時に、上司が睡眠障害外来の受診を勧めてくれた。
休みを取って「睡眠ポリグラフ検査」というものを受けた。体中に脳波、体の動き、血中酸素濃度、呼吸などを計測するセンサーを付け、一晩眠り、起床後は二時間ごとに横になって検査を行った。
検査の結果、入眠直後にレム睡眠期があること(普通の人は入眠直後はノンレム睡眠らしい)、前日に十分睡眠をとっていたのも関わらず、横になると数分で入眠してしまうこと、夢見や脳波などから、「ナルコレプシー」と診断された。ナルコレプシーとは非常に強い眠気の発作を起こす脳疾患(睡眠障害)の一つで、私の居眠り癖は自分の怠けからではなく、睡眠障害からきていたものだったのだ。
睡眠障害というと、「眠れない」障害ばかりが注目されがちだが、実際には「眠りすぎてしまう」「眠気が強すぎる」睡眠障害というのも数多くあるらしい。しかし、後者はあまり知られていない為、私のようにそれに気づかずに、発症後も長く苦しむ人が多いそうだ。
根本的な治療法はないが、薬物により日中の眠気が抑えられるということで、「モディオダール」という薬を処方された。早速薬を飲んでみると、劇的に症状は改善された。仕事の効率も良くなり、「普通の人はこんなに起きていられるのか」と驚いたと同時に本当に悔しくなった。もう少し早くこの障害のことがわかっていれば、これまで人間関係や学業でここまで苦しむことは無かったのに、と。
私はこのように二つの他人から理解されにくい障害をかかえて生きてきたのだが、それによる自尊感情の低さは、原因が分かった今もなかなか解消できそうにない。三つ子の魂百までではないが、一度形成された人間性というのは、なかなか変わらないものなのだ。
自分の体験を通して、教育に関わる人たちや、子供の「親」となっている人、もしくはこれから「親」になる人たちに伝えたいことは、「自分の教え子や子供に、何か気になるところがあったら、ためらわずに専門機関で検査を受けさせてほしい」、そして「もし自分の教え子や子供が何らかの障害をかかえていたら、その子に合った教育、療法を受けさせてほしい」ということだ。
自分の教え子や子供がそんな障害を抱えているとは思いたくない気持ちはよくわかる。しかし、障害を持つ子は検査を受けて診断を貰えなければ、自分にあった治療や教育を受けることもできずに成長することになってしまう。
さらに、「普通の人が出来るのに、自分には出来ないこと」があるということは、自尊心を大きく傷つけてしまう。自分がそうであったように。
一般の人が想像する以上に、発達障害や、睡眠障害を抱えている人間は多い。「他人事」だと思わずに、教育に関わる人たちや、「親」、これから「親」になる人たちには、発達障害や睡眠障害について学んでほしい。
対自転車ならうまくまけばいいだろ
アニメの寄生獣が見たくて番組を買ったけど、単品で買えないから月額コースをいったん契約して必要な分だけポイントを購入してから解約って手順を踏まないといけない。
価格が1800円だけど、1800円ちょうどで払えないから、1000円の月額コースに入って500円と300円を二回追加購入。
こういうの慣れてない人は1000円追加購入して200円余らせるんじゃないの。悪くすると月額コースをずっと契約し続けるとか。
恋愛小説よりもミステリー小説の方が好きだったし、恋愛映画なんてどこがいいのかわからなかったし、
恋愛ドラマよりコメディドラマの方が好きだったし、西野カナなんて意味不明だった。
恋人に振られて寝付けなくなったとか、飯が喉も通らず何キロ痩せたとか、全く理解できなかった。
あいのりにきゅんとすることは会ったけど、未来日記なんて何が楽しいのかわからなかった。
テラスハウスは観てない。
そんな自分に、つい最近、今までにないくらい本気で好きな人ができた。
会った回数は2回くらいなんだけど、2回目にしてもう夜の営みはしてるんだけど、
別に付き合ってるわけじゃない。
「え、それって両思いじゃん?」って思われそうだけど、多分そうでもない。
辛い。
でもこっちは違った。
夜を一緒に過ごして、完全にハマってしまった。
その日から、ずっとそいつのことばっかり考えて、色々なことが集中できなくなった。
何かあると、連絡きてないか、スマホばっかり見てる。
「今何してるのかな」
「別の男と会ってるのかな」
って考えがぐるぐるぐるぐるぐる。
「もしかしたら、こないだの俺みたく、他の男と夜を一緒に・・・」
なんて考えると、大声を出したくなる。
そんな自分が格好悪くて嫌になる。
そいつを忘れようと、ここ数日で手当たり次第別の人と会ってみたんだけど、
どんな人でも、そいつ以上の人に会える気がしない。
実はそいつと会う前に、他のやつといい関係になって、気軽にちゅーとかしちゃったんだけど、
今すんげー後悔してる。
結構かわいかったし、そのときは「あーこいつとヤレたらな」くらいの軽い行動だった。
でも、今の俺は好きな人ができたせいで、ほとんどちゅーの相手に興味がなくなった。
そいつとヤリたいとすら思えなくなった。
30歳になってやっとお前らの気持ちがわかったよ。
死にたくなるやつの気持ちもわかるわ。
俺も禿げそうだ。
今は西野カナが俺の心の支えになってる。
で、もうこのままじゃ廃人になりそうだから、思いを伝えようと思って、「今度会お」ってさっきLINEした。
したらやっぱり既読虫。
もう辛い。
恋愛ってこんなに苦しいんだねw
whois でドメイン所有者つきとめて、レジストラにこいつ迷惑メール送ってるんだけどどうなってんの?って問い合わせたらどうなんのかな。
崩壊までのレベル表 レベル1 普通の友達・同僚には無い感情を抱いている レベル2 秘密裏にメールしはじめた レベル3 二人だけで飲みに行った レベル4 手をつないだ レベル5 抱き合った レベル6 キスした レベル7 ディープキスした レベル8 胸に触った レベル9 性器に触った ↓寸止め維持ライン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 崩壊点 挿入した
★ダイヤモンドオンラインによれば、「2045年には、介護業従業員数は、製造業従業員数を上回る」(計算にならざるを得ない)らしい。
(野口悠紀雄氏の試算、http://htn.to/yyz6Qk)
これって、「消滅自治体が続出」レポートに勝るとも劣らない、衝撃なレポートなんじゃないか?
日本の経済、教育、文化、すべてにおいて「製造業ファースト」だったのが、「介護業ファースト」になる、そういう時代になってしまう。
★例えば「経済界」への影響だと、現在東証一部銘柄の半分程度が製造業だと思うが、
★地方財界の盟主も、今は「地銀」「マスコミ」「電力」「バス会社」辺りだが、
これが2045には「介護業者」が地方財界の要職を占めるようになる。
日経新聞なんかも、今は紙面のうち3ページ位はメーカーについて記載しているが、これがせいぜい1ページ程度になり、
代わりに1~2ページ程度、介護業界のニュースばかり載せるようになり、そして「日経介護新聞」が創刊される。
東京ビッグサイトの展示も、今は半分程度が製造業系の展示ばかりで、介護系の展示などは数える程度だが、
2045には、これも逆転する。
★教育分野で言えば、製造業向けの人材輩出母体である大学工学部とか高専とか、今の半分で済んでしまい、
★現状、今の介護業界は、マンパワーの大半は中高年主婦に頼ってる。
逆に言えば、中高年主婦のマンパワーだけでなんとか間に合っていて、若者新卒のマンパワーはさほど投入しなくても済んでいる。
これが2045には、「新卒の数割は介護業界に入社しないと間に合わなくなる」社会になる。
就活で学生が回る先の3割4割が介護会社、という社会を想像してほしい。
★30年前などは、そもそも「介護業界」という業界そのものが存在しなかった。
それが30年後には「全業界の中で最大の業界」になる。これほどの劇的な変化は想像しづらい
現代日本人は「製造業最適」な思考パターンになっていて、その証拠に小学校4年では「製造業から見た日本地理」を教育する。
これも2045には、小学校4年の社会授業は「介護業から見た日本地理」に変わらざるを得ない
2045の小学校社会科では、「愛知県でクルマを作ってます」とか「海岸にコンビナートを作ります」なんて授業は、もう必要とされない。
2045の小学校社会科では「老人ホームとサ高住の違い」とか「なぜグループホームは少人数、木造がいいのか? 」を授業してる。
あるいは、高校あたりで必修科目で「老人心理学」「老人行動学」を学ばせる、「介護」授業が高校(或いは中学)に入ってくるんだろうなあ。
★欧米では「今の小学生の6割は、まだ世の中に出現していない新職業に就く」とされてる。社会のダイナミズムを感じる。
・・・日本じゃ「今の小学生の6割は、介護業界に就く」てなハナシになる。
まあ6割よりは少ないだろうが
段階的に変遷してきたので、どこから入ったかで原点が違って見えるってことなのかという考えになってきた。
http://anond.hatelabo.jp/20140927094024
いろいろ意見をもらって参考になった。
それらは、ラップだったかもしれないがHIPHOPではない、という意見だけど、
まず、元の
とんかつQ&A「今だから抑えておきたいジャパニーズHIPHOPの歴史【入門編】」 | ホームページ作成サービス「グーペ」のキャラクターブログ「とんかつ教室」
が、
これを前提として、ここではあくまで「ラップ」を中心としたHIPHOP音楽について、日本での発展と現在について記していくね。
と書いているのを踏襲したつもり。すでにロックステディクルーなんかも玉椿あたりに来てたし。
この意見を待ってた。やっぱり80年代初期の文化は現代からは切れているように見えるということか。
Technoの源流、デトロイト・テクノもYMOも(それと「とんかつ」で出てくるアフリカ・バンバータも)クラフトワークつながりでお仲間じゃん、ということにはならない、っていうことだね。
同じ理屈で、韓流ファンも「李博士」をK-POPの源流に入れたくないんだろうね。
この辺の感覚、近いと思うか遠いと思うか、の線引きが面白いと思うんだよな。
あるジャンルの歴史なんかを書いたりすると、一丁噛みしたくなる俺みたいのも出てくるからやっかいだよね。
どうして「なんでコレコレについて書かないんだ?」じゃなくて「これじゃ足りないから俺が書いてやる」にはならないのか?
いやあるよ、すでにすごい本が。これをご覧あれ。
http://anond.hatelabo.jp/20140925103653
もう自分を抑えきれん。かわいいあの子の留学先まで行くことにした。
金が無いから向こう一年間オナニーを禁ずる!!AVなど買わない!!
あと煙草もやめる。
○○、大好きだー!!待ってろよー!!
悔いが残るな。
今までに、オーダーに対して自分の力量やセンスなどが足りなくて微妙な映像を納品したことは2回記憶がある。
この頃は経験値がなさすぎて(制作経験も浅い上、プロフィール映像初制作だった)
微妙かどうかもわかっていなかったが、今振り返ると相当ひどいものを納めた。
オーダーの意図を全く汲めていなかった。
企画演出は自分の力量では手に余ると理解しつつ、必死に作ったがもうひどい仕上がり。
プロの仕事とは言えない、納品レベルに達していないと自覚して納めた。
この2回目の経験が胃に穴が空きそうに辛くて、でも色々学んだ。
自分に企画演出は向いていない。技術力がないと、自分が作っているものの低クオリティが辛くて手が進まない。
ただ、辛くてもOKをもらえれば納品はできる、無理だと思った仕事もいずれ終わる。
技術と経験を積んで、ノウハウも増えて表現の幅も広がって、苦手な企画演出もそれなりにできるようになってきた。
しかし今回、3回目の失敗をした。
人目に触れる映像で、微妙だと思いつつ納めたが観客の反応はやはり微妙だった。イマイチだねという声を聞いた。
プロデューサー・ディレクター・クライアントからはチェックを経てOKを貰っているので仕事として問題はない、お金はいただける訳だが…
結局それじゃ内輪受けだ、見てもらえる人に喜んでもらえないのはやはり、悔しい…というか駄目だ…
今回の反省点は何だ。
だから企画演出は完全にクライアントとプロデューサー・ディレクターに投げた。結果的にこれが原因の2つ目になった。
ディレクターも経験が浅く、こうして欲しいという要望が全くない。
微妙だ、正直修正やオーダーが欲しいと思って確認に上げたものがそのまま通った。
仕事の流れ的には問題ないんだよなぁ…内輪の人間には満足だと言ってもらっている。
映像が流れていた現場では、その微妙な仕上がりに目を覆いたくなった。
少しでもクオリティを上げようと色々試みたが、小手先でどうにかなる話じゃなかったな…
ただ今回、内容に口を出せるノウハウがなかった。
クライアントさんは素人なのでともかく、プロデューサー・ディレクターはこれで満足なのかな。
観客に喜んでもらえないものを納めてしまって、クライアントさんがかわいそうだ…というか申し訳ない。
こんなに経験値とセンスのないチームに当たってしまったのは不運としか言いようがない。