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はてなキーワード: アメリカ映画とは

2022-06-18

anond:20220618133237

障害を持つ人を積極的マッチングサービスで選ぶ人が日本は少ないからじゃないか

 

いかいかは別として、アメリカ映画とかなら、敢えて障害者を選ぶみたいなフェチ共依存支配的な人いるよなw みたいな

ブラックジョークを見たことがあるな

いかいかは別として、日本じゃ欠損カフェ(欠損バー)がフェチとして騒つかれたくらいだったと思う

 

こういう体型・生い立ちだから萌えるとか言う変態ではなく、

障害があっても人間同士で向き合えるマッチングサービスに構えることなく参加できると良いね

 

まぁ障害などの困難抱えてなくて、健常者ってことになっている人でも、出会い婚活界隈は地獄ですけどね

2022-05-06

駅のホーム自動販売機の釣銭を漁っているおじさんを見てしまった

彼はキョロキョロしたと思ったら自販機に体を向けず、さっと手だけ後ろに伸ばして受取口に手を入れて確認しすぐ立ち去った

古いアメリカ映画知識でこういう人がいるのを知ってはいたのだが、

日本で、しかも実物を目の当たりにして少なからずショックを受けた

2022-05-04

なぜ邦画特撮CGはショボいママなのか

昭和の頃は同年代アメリカ映画特撮と遜色なかったように思えるんだけど

2022-04-19

日本戦争映画

思想とか置いといて緊迫感が薄いよな〜って感じ続けてた。

さっきたまたまMAD動画(今世紀上映された著名作品戦艦最後の出撃が舞台)を見かけて気づいた。

兵隊が戦ってない。

対空機銃を撃つシーンで始終

「あ゛〜〜〜〜!!!」とか

「うをおおおおおお!!」

みたいに叫んでる。

カットが切り替わる度に「ああああああああぁぁぁ」が始まるんだ。

いやいやいや、敵に集中できないし号令も聞こえないし、戦闘にならないよ。

撃たれてパニクって声あげるのはわかる。敵機に弾が当たったら喜びの声をあげることもあるだろう。

なんで引き金引くだけで「ああああああああぁぁぁ」なんだよ?

念の為さっきアメリカ映画再生してみたけど、銃で撃たれたとか敵を倒した時以外変な声あげてなかった。あとパーティーやる時。

まあ昔のアクション映画だと「オア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!」とか叫びながら撃ちまくるシーンとかあるんだけどね。

2022-04-12

anond:20220411233617

海外でも日本人他人に対する無関心の様は有名で、アメリカ映画日本事件が起きて人が倒れていても誰もきにせず、周りの人(日本人)がスマホでパシャパシャ写真とっているシーンは衝撃的だった。つまり、これが彼らの日本人に対するイメージ

2022-04-07

予選落ち「同志少女よ。銃を撃て」

架空戦記コードネーム『D・O・U・C』」

エロゲ大賞「少女同士」

電撃文庫大賞「俺の同士がこんなに可愛いはずがない」

なろう「異世界帰りの狙撃少女 えっ!?レティクルみないと狙撃も出来ないんですか!?

深夜アニメキリンガールズ」

まんがタイムきららウラウラ

ソシャゲ「同これ」

NETFLIXロシアン・スナイパー」

アメリカ映画「ダーク・ジョブ

2022-03-31

フィクション現実に合わせて「アップデート」する必要があるのなら

ヒーロー映画は一切の暴力を奮わず問題解決するヒーローしか出せない事になるし

フィクション現実と違うから暴力解決してもいいんだよっていうのなら

登場人物白人ばかりでも異性愛者ばかりでも別に問題ない事になるな

どっちにしろ今のアメリカ映画のやってる事はダブスタになるじゃん

2022-02-13

カリギュラ効果

カリギュラ効果とは、ダメと言われるとかえって興味を掻きたてられ、逆の行動に走るという心理現象のこと。

ローマ皇帝カリグラモデルにしたアメリカ映画カリギュラ」が語源

過激な内容のため、一部地域で上映禁止になると、皆が映画館に押しかけ大ヒットしたことで有名です

2022-02-02

俺が最近気づいたこ

西欧は割とマジで自分たち歴史を作り神を作ったのだから私たちが神の代理人なので自分達がルールを作るのは当たり前と思っている。電気自動車しか再生プラしかGDPRしかり。罰金は神へのお供えである

自分が35才なのだ10個以上上の人が障害者フランク差別する感じがジェンダーギャップなのだが多分25くらいの新入社員からは俺の世代もLGBTQやら男らしく女らしくみたいな視点ではドン引きするのだろう。そういえば自分地方大学生だった頃はホモ気持ち悪いよねと普通に当たり前のように話していた。

資本主義やら税制やら法律などのルール時間が経てば経つほどルールハッキングする奴が出てくる。格差が広がるのを食い止めるにはルールアップデート必要だがそれができた例は思いつかない。人類破壊創造構造的に欲してしまうのは悲しい

・俺がなんとなく余暇積極的になれないのは地方進学校出身大学に行って夢を叶えようと刷り込まれていて未だその途中という認識からかもしれない。社会人になって知り合ったシティボーイ達の優雅余暇の過ごし方には死ぬまで憧れ続けるのかもしれない

センスがよくて見た目もよくて休日キャンプ写真も素敵で…みたいなアカウントを好きでフォローしていたのに、同じ東京にいて自分も立派な仕事をしているのにどうしてこの人たちみたいに幸せそうに生きれないのか見てるとどんどん辛くなってくる。俺は自分ミスでは無い信頼性トラブルを進んでフォローしたのに誰から感謝されずただ自分時間無責任な人に奪われている

・いつからアメリカ映画やらドラマの悪役がイスラム系テロリストだったのが最近中国人悪者になっている。ナチュラルプロパガンダコンテンツが世の中には溢れている。宇宙少年少女日本の衰退国ネタが多くて世相は反映されるものだなあと思う

ニチレイ今川焼きは美味しい

2022-01-07

つの間にか世界中オタクだらけだな?

ふと思ったけど

スパイダーマンとかのマーベル系のやつ

たことないけど世界中で大ヒットしてるじゃん?

ベースコミックだし内容は結局仮面ライダーとかウルトラマンみたいな特撮もんでしょ?

そう考えるといつの間にか世界中オタクだらけになってるよね

自分記憶違いじゃなきゃ昔のアメリカ映画コミック読んでるオタクっぽい少年イケメンがいじるみたいなシーンあったと思うけど

うそんなのも昔のことになってるんやな

2021-12-30

1970年代舞台にした新作アメリカ映画で「日本人の顔は見分けがつかない」という事実に基づかない人種差別描写があり抗議殺到

@iso_zin_

世界中映画賞を席巻しているポール・トーマス・アンダーソン監督の最新作『リコリスピザ』で日本人に対する差別的ジョークアジア系アクセント嘲笑など)があるとの事でアジア人人権団体から糾弾されている模様。楽しみにしてただけに残念…。

あとは劇中に登場する二人の日本人女性の見分けがつかない、みたいな台詞もあるそう。時代設定がまだまだ人権意識の低い1970年代から必然性のあるジョークかもしれないし何とも言えないけど観てて嫌な気持ちになってしま可能性はある。


https://screenrant.com/licorice-pizza-boycott-media-action-network-asian-americans/

ソース機械翻訳

問題人種差別ジョークは、ジョン・マイケル・ヒギンズ演じる実業家ジェリーフリックが、『リコリスピザ』で二人の異なる日本人妻と共に二度登場することに関係している。どちらのシーンでも、彼は漫画のようなステレオタイプアジア訛りを使って女性たち(水井ゆみと安城めぐみが演じる)に声をかけている。

さらに、ジェリー再婚したことに気づかず、ゲイリーが2番目の妻を最初の妻と間違えるというジョークもある。MANAAの声明によると、アンダーソン監督インタビューでこれらのジョークについて、『Licorice Pizza』が舞台とする時代に正直でありたいと主張し、弁明している。

また、ゲイリーアラーナの年齢差についても話題になったが、この点についてはグレーゾーンのようである人種差別的なジョークについては、設定に忠実であるというアンダーソンの説明だけでは不十分だと言ってよいだろう。

ジェリーキャラクターストーリーほとんど影響を与えず、単純なジョークのために彼にあからさまな人種差別的行動を取らせる理由はない。リコリスピザ』は、プロダクションデザイン衣装サウンドトラックなど、70年代を生き生きと再現するために、すでに十分な役割果たしている。

MANAAはこれに反対する立場をとったが、他の人々が彼らと一緒に立ち上がるかどうかは、時間が経ってみなければわからない。

2021-11-06

死刑になるための犯罪の実情

平野啓一郎 @hiranok 11月5日

死刑になりたかった」と供述事件

2004年 茨木市連続ひき逃げ事件

2007年 平和記念公園殺人事件

2008年 土浦連続殺傷事件

2010年 取手駅通り通り魔事件

2012年 心斎橋通り魔事件

2014年 透析患者チューブ引き抜き事件

2015年 江戸川区女子高生殺人事件

2016年 イオンモール釧路通り魔事件

https://mobile.twitter.com/hiranok/status/1456466860715634699

 ジョーカー事件に関する話題上記のようなものを多く見かけて、前回の内容とかなり重複する部分があるのだが少し補足したい。

 前回の内容というのは「池田事件から今年で20年経つが、学校安全以外の影響・変化はあまり語られていない」「宅間を死刑執行して以降あらゆる形で模倣犯が出ている」という感じの趣旨投稿ちょっと前にして、それが結構大きな反響だったのだが、その中で「それならさっさと死刑にした方がいい」だとか「死刑廃止しても変わらない」だとか、要するに自分死刑制度反対に持って行くためにこの話をしているのだと一部の人から誤解されてしまった(ちなみに自分死刑反対派ですらない)ようだが、別にそういう話がしたかった訳じゃない。むしろ死刑制度反対に利用するために、死刑制度を設置しておくと死刑になるために人を殺す犯罪者が現れるというのがあたか一般論であるかのように語られて、池田事件以降変わってしまったものの大きさがあまり認知されていないように思える。事実、この死刑制度反対論日本では一番最初かその次くらいに出る一般的ものだが、最近海外で起きた殺人事件を調べても、日本よりなりふり構わず速攻で死刑執行する中国死刑の代わりに射殺を積極的に行っている欧米の方が頻発してもおかしくないはずなのにそういう話や死刑反対論はあまり出てこない。(スーサイドバイ・コップという言葉は昔からあったが)

 それで上記事件一覧を確認すると、宅間が異例の早さで死刑執行されたのが2004年9月。そして死刑になりたいと供述した事件の中で最も古いのは2004年11月で、それ以降ずっと根付いている。これ因果関係としては、一般死刑制度犯罪を誘発する効果があるというよりは、宅間に死刑執行までの犯罪プロセスとして上手く行かれてしまって以降、そういう流れの犯罪日本においてのみ作られてしまったという方が正しいのではないか

 次に死刑になりたいという意思で引き起こされた犯罪死刑制度反対の例としてさらっと引き合いに出されるくらいで、その具体的な実情はあまり出ないので説明しようと思う。

 「死にたくても自殺できないなら人を殺して死刑になればいい」という思考回路は広まりすぎて日本犯罪者に定着しつつあるため、自殺願望からそういう悪魔の囁きに突き動かされて衝動的にやってしまった犯罪者もいるのだが、そういう節のある人は基本死刑執行されるところまでは行かない。突発的な要素が考慮されて、心神耗弱減刑されることも少なくない。茨木市ひき逃げ事件心斎橋イオンでの通り魔事件さら仙台アーケードトラック事件がこれに該当するだろう。まあ人を殺傷するところまで行ってしまっているので無視して良い訳ではないのだが。

 もちろん死刑になりたいと確信的に事件を起こした犯人もいる。自殺サイト殺人事件の前上博は窒息と白いルーズソックス性的興奮を感じる異常性癖の持ち主で、過去100人近くに性的暴行を繰り返していたのだが、一方で犯罪を止められない自分に罪悪感を感じでおり、最後強制的自分死ぬために自殺サイトで繋がった自殺志願者を絞殺するという形で自分人生を終わりにした。

 そして土浦連続殺傷事件上記に書かれていないが、奈良小1女児殺害事件大阪姉妹殺害事件京都神奈川親族連続殺人事件特に犯人事件後の供述心理、その後の顛末等をwikipediaなんかから一つずつ確認した後で下記の記事を読んで貰いたい。

"怪物"にはしない

2007(平成19)年1月  『方法としての親鸞』(「親鸞研究会編 永田文昌堂刊) 所収

2004年9月14日、池田児童殺傷事件という惨劇を起こした、宅間守被告死刑執行された。ついに遺族への謝罪言葉一言も発することなく。事件発生から三年余り、判決確定からわず一年足らずの異例の早さだった。大量殺人に飛躍する理由を、彼は「人生の幕引きをする時の道連れが欲しかたから」と語ったそうだが、その人生の幕引きを国が手助けすることになったとは、何とも皮肉ものである。まさに彼の思惑通りになってしまった。

しかし、これで終わったのだろうか。本当にこの事件は終わりなのだろうか。このことに関して、『群像2004年12月号に、作家雨宮処凛佐木隆三の興味深い対談が掲載されている。

(中略)

から、そんな彼らにとって、宅間の死刑執行は、

最後まで世の中を呪って、呪い尽くして死んでくれることによって、さらカリスマ性みたいなものが出た。あれで途中で謝ったり反省したら、一気に宅間嫌いになりますね、宅間信者は。だから、あれは一つの物語としては、信者にとっては完璧であったような。

※参考資料

宅間守まとめwiki 宅間守発言

https://www.google.co.jp/amp/s/w.atwiki.jp/takumamamoru/pages/15.amp

・・・僕たちは、とんでもないことをしてしまったのかもしれない。宅間を怪物のままに、死刑執行してしまった。それは同時に彼を神聖化する儀式でもあり、新たな怪物を生み出す儀式であったのかもしれないのだ。事実2004年11月奈良市内で有山楓ちゃん誘拐殺害した罪に問われた小林薫被告は、「早く死刑判決を受け、第二の宮崎勤宅間守として世間に名を残したい」と語ったという。

この雨宮言葉に対し、佐木隆三は『汚れた顔の天使』というアメリカ映画を紹介した。この映画は、1938年作品マイケル・カーティス監督ジェームスギャグニーが主演のギャング映画だ。

 出所したギャングロッキーは、町の不良少年ヒーローとなる。牧師として不良少年たちの更生に力を注いでいた彼の幼なじみジェリーは、少年たちを危ぶんでいた。そんな時、裏切り者悪徳弁護士を殺したロッキーは、逮捕され死刑宣告を受ける。嘲笑うかのように平然としている彼の姿に少年たちは一層感化されてしまうが、そんな彼等の未来を案じたジェリーロッキーの元へ行き、ある頼みをする。

 いよいよ死刑当日。電気椅子に進んだロッキーは、それまでの態度とはうって変わって「おれは死にたくない」と泣き声を上げ始めた。ロッキー最後新聞記事で読んだ少年達は、落胆しロッキー軽蔑しはじめる。本当のことを知っているのは、ジェリーロッキーの2人だけだった。この作品、実話が元だともいわれている。

あれで途中で謝ったり反省したら、一気に宅間嫌いになりますね、宅間信者は。

雨宮の指摘した通り、私たちは、宅間を人間にしなくてはならなかったのだ。怪物のまま死なせてはならなかった。ANOTHER MONSTERを生み出さぬためにも

ドクターライヒワインは、こう語っている。

怪物・・・怪物なんておらんよ。ヨハンは人間だった・・・・。特にミュンヘン大学図書館炎上させて以降は、彼は人間になるために生きていた・・・そう思うよ。少なくとも人を殺すことを何とも思わない人間を、総称して?怪物?と呼んでいる間は、われわれは殺人という行為をなくすことはできない。彼らを同じ人間と思い、見つめることだ。怪物と呼ばず、われわれと同じ、名前を持つ人間だと考えること・・・・。それが、ヨハンが何であったか理解する鍵なんです。(『ANOTHER MONSTER』)

 過ぎた時を引き戻すことはできない。たとえ過去に返ることができたとしても、宅間の心がそう簡単に変わるとも思えない。しかし、しか・・・彼を怪物ではなく、一人の人間として見つめていくことは出来る。なぜ人間である彼が、そんなことをしてしまったのか。どんな環境が彼をそんな生き方に向かわせたのかと。それが私たちにできる、たったひとつ怪物退治の方法なのではないだろうか。

 前回貼ったものと全く同じコピペ申し訳ないのだが、事件本質を一番よく表しているものだと思うのでもう一度。この件の死刑執行でそれまで万全だったはずの日本死刑制度意味懐疑的にさせられてしまった訳だが、「反省もなく関係者暴言を吐き続け」「死にたい宣言した失う物のない犯人を」「特例措置を認めて異例の早さで死刑執行した」ことで、犯人希死念慮思想・主張も含めたメッセージが届いてしまったのではないか。だから日本に突如として現れた彼らのような犯罪者には単に自殺願望だけでなく、ある種の復讐心や抗議の意志のようなものも含まれているのではないかと考える。その意味で、こういう議題でアンチテーゼとして出されるようになった新幹線殺傷事件小島(無期懲役になるために人を殺した)も同質のメンタリティを持つ犯罪者だと思う。(彼がこれまでの犯罪の慣例を覆して取った選択が今後吉と出るか凶と出るかはまだ分からないが)

 最近はこの手の犯罪は下火になってくれているように思うが、こういう犯罪歴史がある以上また再燃するかもしれないし、その一連の経緯は多くの人が知っておいて損はないはず。(植松控訴取り下げ死刑確定等もあるし)

 最後に、池田事件に衝撃を受けた自分個人的感情として「学校安全管理のあり方が変わった」ということでしか重大性を広めようとしないメディア方針がどうしても納得できない部分はあった。他の人の記事コメントから察するに、(他の重大事件と比べて)加害者に焦点を当てた話に中々なってくれないのは、犯人事件前までの境遇特殊・異常すぎて典型的犯罪形成論に落とし込めずに敬遠されているということなのだろう。その一方でコロンバイン高校銃乱射事件と双璧で、「テロ組織過激派勢力やそれに属するローンウルフですらない、ただのバラバラ犯罪者のままでありながら、社会に影響を与える脅威となりうるレベルで、犯罪意味模倣性を与えてしまった事件」だったとも思っている。そういう啓示を与えてしまたこ事件こそ、犯罪者観点から語り継がれるべきだというのは、くどいようではあるが強調したい。

2021-10-27

anond:20211027085634

他人の足を踏んずけて満員電車でスペースを確保するためのものでもありますよね。


アメリカ映画でも気に食わない男性の足をヒールで踏む描写がよく見られます。万国共通です。

2021-09-10

アメリカ映画アジア人女性キャラ黒髪メッシュヘアスタイルを使うのはステレオタイプからやめようって話、違和感あるんだよなー

そもそも個人的にはそれってそんなに多いか?と思う

ハリウッドアジア人女性キャラって自分スターウォーズローズくらいしか思い浮かばないけどあれはメッシュではなかったと思うし(あのキャラはあのキャラ問題あると思う)

FF8のリノアとか?でもこれは日本コンテンツだしなー。

髪の色とかどうでもいいからそれよりも吊り目のきつい顔立ちやアジア人っぽさを強調したメイクばっかり使うのをやめてくれって気持ちが強い。

実際のアジア人女性もっと優しい顔立ちのナチュラルメイクの方が多いだろ。

これってアフリカ系の人物ストレートヘアを忌避するのとも似たようなものを感じて

二重まぶたや白い肌や明るい髪の色や青い目は白人のものなのでけして有色人種には許さない。

お前等は「エキゾチックな」「二流の」美で満足しておけ、って思考を感じるんだが。

2021-08-14

ザ・コンサルタント」っていう発達障害主人公アメリカ映画があるんだけど

ザ・コンサルタントっていうアメリカ発達障害主人公映画あったけど

医者がこの子発達障害なんで療育と投薬治療で何とか普通生活をできるようにしましょうとか言ってるのに

オヤジが息子の主人公医者に向かって「発達障害なんていう障害者であるの子普通人生を歩めると思ってるんですか」とか言ってて

結果的に、無茶苦茶戦闘技術とか諜報技術会計士としてマネロンスキルとか仕込んで、殺し屋とか職業犯罪者して生計立てられるようにしてたって内容の映画なんだけど

発達障害みたいなのを使い物にするための研究世界一進んでるアメリカですら、ネットでここ数年いっぱいいる自己意識毒虫のように肥大化した発達障害の望む願望をかなえる程度に生きるキャリアを考えたらこういう仕事させるしかないって結論なのが見ててなんか引っかかるものがあった

まぁ、発達障害めっちゃ多いはてなでさえ、動くものすべてを攻撃し始めて最後無関係オッサン包丁持って刺し殺しにいって捕まったジョジョノトーリアスBIGみたいな思考回路低能先生とか、

発達障害のくせに思いあがって、富裕層でもそんなの手に入れられてるの中々いねーよっていうクラスの金や異性や社会的地位とかを欲しがって「こうなればテロ暴力しかない」とか煮詰まった増田とか見てたら

アメリカはまだこういう特殊工作員でも仕事あるからいいよなーって思うよね、だって日本じゃ発達障害職業犯罪者以外生きる特性がありませんとか言われたら、そんなん実質死刑宣告やん

まだ昭和なら、ソ連から雇ってもらって日本赤軍みたいなテロリスト路線で食えてただろうに今そんな時代でもないし、ホント発達障害には生きづらい時代だよね

2021-08-05

anond:20210805082846

無罪推定原則もしくは、無罪推定とは

 

刑事訴訟法第336条

被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪証明がないときは、判決無罪の言渡をしなければならない。

 

国際人権規約B規約14条2項

刑事上の罪に問われているすべての者は、法律に基づいて有罪とされるまでは、無罪推定される権利を有する。

 

以上の法律、および規約にて定められている。

 

推定無罪とは

推定無罪』(すいていむざい、原題:Presumed Innocent)は、スコット・トゥローの同名小説を元にした1990年公開のアメリカ映画監督アラン・J・パクラAlan J. Pakula, 1928年4月7日 - 1998年11月19日

https://anond.hatelabo.jp/20210805082846

2021-07-08

anond:20210707213629

アメリカ映画でもニューシネマとか言われるような世代映画は「男らしさ」に由来する辛さをよく描いていたと思う。

あとブレイキングバッドとか、最近でも結構つらい男らしさを扱った映像作品は増えているし売れている印象。言っちゃえば大体の映像作品に男らしさの辛さが書かれてるかもしれない。

ただこれを「男らしさを求めるせいですね」と明示はしない印象。女性作家のは、あえてそこの原因を説明している感じ。

2021-06-10

倍速視聴とSCREENカセットテープ

 映像コンテンツの倍速視聴に関する話題を目にして、ふと思い出したことがある。以下に記すのは、個人的昭和の思い出話である

 歳の離れた兄が買っていた『SCREEN』と云う映画雑誌が、実家本棚に何冊も置かれていることに気づいたのは、私が小学校の高学年になった頃だった。裕福な家庭ではなかったので、我々兄弟は一つの部屋を共有して過ごしていた。だから実際には、もっと以前から、その雑誌本棚に置かれていたことを私も知っていた。したがって、正確に言えば気づいたではなく、興味を持つようになったと言うべきであろう。

 それらは70年代に発売されたもので、ちょうどSF映画オカルト映画パニック映画流行した時期に該当する。だから、これらのジャンル作品のスチール写真を載せたページを眺めるだけでも、子供には十分に楽しめたものだった。

 やがて、そう云うビジュアル記事を眺めるだけでは飽き足らず、活字の部分にも目を通すようになった。最初は、やはりSFオカルトパニック作品関係するところから読み始めたが、それらにも限りが有る。こうして、あまり子供向けではない記事にも、当時の私は目を通すようになっていった。現代とは異なり、地方の非富裕層の家に生まれ子供には、娯楽の選択肢が極めて少なかった。従って、ほとんど已むを得ずと云う形で、元々は興味対象外だったものにも手を出すことになったと云う次第である。私と似た境遇に在った地方の名も無き小中学生も、私と大同小異経験をしたのではなかろうか。例えば、家に置きっぱなしにされた古いジャンプ/マガジン/サンデー/チャンピオンを、何度も何度も読み返し、その結果として、元々は興味が無かった作品の魅力に気付かされたといった、そう云う経験のことである

 話を戻すと、こうして結果的活字記事も読むようになった私は、雑誌SCREEN』に淀川長治連載記事掲載されていることに気づいた。当時の子供でも、淀川長治の顔と名前は知っていた。テレビに出て「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のセリフを言うことでお馴染みの、有名なオジサンであった。その連載記事は、読者から質問相談淀川長治が答えるコーナーであった。

 読者から寄せられた「僕は映画監督になりたいのですが、どうすれば映画監督になれますか?」と云う質問に、淀川長治は次のような回答をしていたと私は記憶している。

 「こうすれば映画監督になれると云うような、確実な方法手段は無い。それは無いが、強いて言うならば、同じ映画を十回は観なさい」と。

 馬鹿小学生だった私は、これを読んでも何のこっちゃとしか思わなかったが、世の中には淀川長治が言わんとするところを正しく理解して、きちんと実行した人も存在したのだった。それを後に私が知ったのは、中学生になった頃、GAINAXが初の作品オネアミスの翼』を製作劇場公開した時のことである

 中学生になった私は「何だか凄いアニメ映画が、若手クリエイターたちによって作られて、劇場で公開されるらしい」との情報を知った。知ったは良いが、そこはド田舎に暮らす非富裕層の哀しさである。公開する映画館は近隣に無かったし、そんな映画館が有る都市部まで行く手段も無かった。当時の私に出来ることといえば、劇場公開に合わせて発売されたムック本を、少ない小遣いで買って、それに掲載された場面の絵を見て、実際のスクリーンで動いているところを想像することぐらいであった。これもまた、同じような経験を持つ人がいることだろう。なお、そのムック本には物語最後の場面までしっかり掲載されていたので、話そのものに関しては、当時の私も知ることができた。

 さて、映画の場面を載せたビジュアル記事を読み終えた私は、もちろん活字記事の部分にも目を通した。そこには、本作品監督を務めた山賀博之氏のインタビュー掲載されており、映画監督を目指そうとした山賀氏の若き日の思い出も語られていた。その思い出話こそが、淀川長治の「同じ映画を十回は観なさい」に関する話なのである

 雑誌SCREEN』の淀川長治の当該記事を読んだ当時の山賀博之氏は、その教えどおり、同じ映画を十回観たと語っていた。ちなみに、実際に山賀氏が十回観た作品の例として挙げていたのは、少年野球チームの少年少女コーチ奮戦を描いた、アメリカ映画『がんばれベアーズ!』であるテイタム・オニールかわいい山賀博之氏が語ったことは、概ね以下のようなことであった。

 「最初の2〜3回目は、普通に観客として楽しんで観ているだけ。4〜6回目辺りは、もう観たところばかりだと思って、飽きて退屈する。それが7回目頃を過ぎると今度は、場面場面で作り手が何をしようとしているのか、ココで溜めてココで盛り上げようとしているんだなとか、画の見せ方とか、そう云う作り手の意図気づき始める。同じ映画を十回観ると云うのは、こういうことかと理解した」やはり、何かを成し遂げる人は同じ文を読んでも、凡人とは違い有益な学びを得る能力が高いということなのだろう。

 ここで紹介した淀川長治氏の教えと山賀博之氏の実践エピソードは、あくまでもプロを目指す人たちに向けた話なので、我々一般人とは関わりの無い話に思えるかもしれない。また、現代コンテンツの数量が昔よりも多い時代なので、一つの作品を繰り返し読む/観るという時間的な余裕が無い現代人が大半だろう。しかしそれでも、一つの作品を繰り返し味わうこと、そして運が良ければ、そのリピート鑑賞を通じて何かを気付く/発見することは、貴重で豊かな経験であると私は思う。倍速視聴をしてまで観る作品の数を増やすことにも、一定理由合理性は有るのだろうとは思うが、何かしら自分レーダーに引っ掛かるモノを持つ作品出会った時には、少しだけ立ち止まって、それを繰り返し味わうことも試してみるのも一興ではないだろうか。

 ここまで書いた上に蛇足だが、もう少し思い出を書き残す。昔、Blu-rayDVDレーザーディスクはおろか、家庭用ビデオすら普及していなかった時代の思い出話である。その頃は、アニメ映画作品の音声を収録した、LPレコードカセットテープ販売されていた。(一部では家庭用映写機で上映出来るアニメ映画作品フィルムテープリール販売していたが、これを買って楽しむことが出来るのは、本当の金持ちだけだった。)私は子供の頃、この手の音声収録レコード商品の一つ『ルパン三世/カリオストロの城』を所有する人物から兄弟のツテでカセットテープダビングしてもらい、それを何度も何度も繰り返し聞いて、頭の中では『水曜ロードショー』で観た『カリ城』の映像を想い起こして楽しんでいた。この体験のおかげで、私は今でも『カリ城』の全セリフ暗誦できる。何の自慢にもならないが。

 そして、歳月が流れた。

 後に社会人となって働き始めた兄が、VHSビデオデッキを買ってくれたので、我が家ビデオを利用できるようになった。金曜ロードショーで放映された『カリ城』を録画すると、当然それも繰り返し何度も視聴した。カーチェイス場面などはコマ送り再生作画をチェックしていたので、倍速視聴とは正反対行為である

 ほどなく小さなレンタルビデオ屋が我が町にも出来て、兄がスプラッター映画とかゾンビ映画とか借りてきてくれて、一緒に楽しんだりもできるようになった。古い『SCREEN』の記事を読んで、勝手に凄い作品だと思い込んでいた『巨大蟻の帝国』や『スクワーム』が、実際の映像を観るとショボい作品であることも思い知った。

 大人になって、現在宮崎駿のことは反吐が出るくらい大嫌いになり、ルパン三世作品としての個人的評価も、軍配は『vs.複製人間』の方に上げるようになった。

 子供の頃には観ることはおろか、存在を知ることも叶わなかった様々な作品の数々を、今では視聴して楽しむことが出来るのだから、明らかに子供の頃よりも、現在の私は恵まれている。

 それでも、熱に浮かされたように古い映画雑誌を何度も読み耽って、観たことも無い映画の内容を勝手想像したり、何度も何度も『カリ城』のカセットテープに耳を傾けて台詞暗誦していた子供自体の思い出は、それらが経済的な制約から生じた行為だったにも関わらず、何だか私には宝物のように思えるのである。ただのガラス玉が宝石より愛しく思えるように。

2021-06-09

anond:20210609163123

そんなこと言い出したら大麻吸ってるアメリカ映画大量に違法になるやん

めちゃくちゃ多いぞ

2021-04-07

anond:20210407141635

製作委員会はそれ自体赤字にならなければいいんだよな

儲けは委員会の参加企業本業で稼ぐ

グッズだったりタイアップ広告だったりイベントだったり

委員会には法人格がないか資金調達も単体ではできない

必要リソースは参加企業が持ち寄る(現金は少なくて、現物出資人件費オフィス等)が多い)

委員会方式じゃなくてアメリカ映画みたいにファンド形式にした方が、収支が明確になって現場には金が回ると思う

2021-03-27

anond:20210327162524

金!薬!セックス!みたいなのはアメリカ映画で腐るほど見たな。

貧乏!薬!セックス!みたいなのもいっぱいあるけど。

日本社会はなんか金!不幸!か貧乏!不幸!で分かれちゃってるな。

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