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はてなキーワード: クラスメイトとは

2021-02-20

お前が「花束みたい」と思い出した恋、昔の相手はとっくに枯らしてるぞ。

 最初に言っておく。俺は「花束みたいな恋をした」が大好きだし、元カノのことも嫌いとは思ってない。大筋は実話だが、バレ対策で所々の事実は曲げてる。この文に厳密に該当する個人は多分いないが、20代童貞ノンフィクションだと思ってくれて問題ない。

 タイトル通り。「はな恋」を見て俺が思い出した元カノは、「はな恋」を見ても元カレ(=俺)とのことなんか全然思い出さなかったらしい、という話だ。

 当たり前やろと思った人、盛大な独り相撲が好きなら読んでくれ。

 どこかにショックを受けた人、その幻想をぶち殺しにきたから読んでくれ。

 はな恋の中身の話もするから未見勢は早く観に行け。行って情緒に九頭龍閃されてこい。

 まずは思い出話。

 高3のとき、親密ってほどでもないけど話すと楽しいクラスメイト女子がいた。傾向は違うにせよお互い二次元オタクだったし、かといって自分世界に閉じこもり続ける訳でもない、それなりに真面目でそれなりに社会性があってそれなりにリア充を僻んでいるタイプだった。派手に迫害される訳でもなく、かといって異性にチヤホヤされる容姿でもないし浮いた話もない、そういうバランスの男女。たまに話が弾むうちに、お互いにちょっとくらい好感情が出るのは、ヘテロ若者だったら自然だろう。

 とはいえ高3だ。少なくとも都会ではない立地の(自称進学校で、大学が近くなる奴はまあまあレアだ。少なくとも俺は「最後だし気になる人には告白しよう」って思えるほど自己肯定感が高い高校生じゃなかった、遠距離の面倒くささを押しつけるのは気が引けるんだよ。だから例の彼女とも、別の大学行ってそれっきりなんだろうと思ってた。

 幸運なことに、あるいは不運なことに。俺も彼女も、違う専攻ながら志望校が一緒なのが分かってきた。一般試験を前提に難関(扱いの大学)に挑む勉強ガチ勢どうし、「一緒に受かろうね」という共闘意識はすぐに共有できた。

 共闘意識に加えて。「珍しく気の合う馴染みの女子男子)が」「同じ大学にいるなら」「お付き合いもできるのでは」という妄想だって始まってた。多分、彼女もそうだった。

 娯楽も限られ、空気の閉塞してくる受験期。これだけ利害の一致する人間がいたら頼りたくなる。教室やら予備校やらで顔を合わせる中で、少しずつ距離は近くなっていった。並んで歩いた、肩が触れた、バーガー店に寄り道した、ハイタッチした。ギリギリ友達範疇の、しかし交わす異性なんていなかった、そんなスキンシップがひたすらに幸福だった。リア充高校のうちにベッドインまで済ませている傍ら、ちょっと手が触れ合ったくらいで舞い上がるような高校生だった(今さらだ男子校勢には謝っておく)

 そうやって、言葉にはしないまま意識けが積み重なって臨んだ試験で、めでたく二人とも合格した。地方自称進学校で、ちょっとした快挙になるような大学だった。引っ越し手続きが落ち着いて、二人で祝勝会カラオケをして(君じゃなきゃダメ健全ロボがレスキュー!したのはうさぎですか?)、そのとき彼女から交際を申し込まれた。告白が叶った女の子が泣くんだって知った。

 親も応援してくれた難関大カップルで進む、進研ゼミもかくやという出来すぎた滑り出しで。お互いの好きなことは邪魔しないようにという(主に彼女の)方針だったから、サークルバイト優先で、一緒に過ごすことはそんなに多くなかった。それでも連絡は頻繁に取り合っていたし、相手が歩く新しい世界の話は純粋に好きだった。たまにファミレスで喋って、帰り道にキスするくらいで十分だった……俺がセッしたかったのは確かだったが、彼女からその手の話をされることがなかったぶん、踏み込みづらかった。まだ未成年だし、付き合いが長くなればそのうち、くらいの気分だった。自分を好きでいてくれる女の子が近くにいる、それで十分だった。

 そんな距離のまま後期になって、学業サークルも忙しくなってきた。お互いに真面目に取り組みたいのは分かっていたから、彼女からの連絡が少しずつ減るのも気にならなかった。

 試験期間が終わって、久しぶりに遊びにいって。そこで「別れたい」と言われた。納得もできないまま地獄に落とされて、それでも受け容れるしかなかった。水泳ときプールの中で海パンを脱がされるような日常だった小学校の頃以来、久しぶりに自死を考えかけたりもしたが、そんな気持ちまで彼女にぶつけるのはどう考えても間違いだったし(H誌のI田の件は絶許)、何とか立ち直った。カルチャーでつながった相手に振られてもカルチャーで立ち直ったオタクだ。気分転換の得意なフレンズなんだね

 あんまりな別れ方をした直後は絶縁状態だったが、数ヶ月もすれば傷も癒え、少しずつ彼女との交流も戻ってきた。そのときは明言していなかったが、サークルの先輩に心変わりしたのが大きな理由だったらしいし、今ではその彼と良好な関係が続いているという。俺自身、無害な友人としてはともかく、性愛対象としては魅力に乏しいと自覚してるし、そのくせ意識的にビジュアルを磨こうとも思っていなかったから、他の男に負けるのも無理はないと考えられるくらいになった。以前ほど親密ではないし直に会うことはなくなったが、たまには最近推しコンテンツ布教しあうような関係になったし、それが結構打率だった(というか言われる前から気になってる率が高い)ものからシンプルにオタ友として付き合えるようになった。何より、秘密を共有する相手というのは大きい。

俺は俺で、学年が上がるにつれて人間関係リソースを割けなくなってきたし(だから新しい相手もいないまま)、あそこで別れなくてもいずれ、という予感を抱くことも多かった。何より、その先が破局であったとしても、彼女との思い出には励まされてきたのだ。ひとときでも誰かに愛された記憶尊い、続かなくても間違いじゃなかった、違う道に幸あれ。本気でそう思えていた。別れたときに言えなかった「楽しかったね」だって、もう皮肉なしに言えたのだ。

 という風な経験を踏まえると。

「はな恋」がビシャビシャに刺さる人だな、というのは察してもらえると思う。

絹と麦が惹かれあっていく様子は高3の淡さを思い出した。初対面で作家の話ができるの最高だし、「電車に揺られる」と言っていたら気になる。

同棲中の過ごし方は進学当初に描いていた理想のものだった。同じ本で泣いたのは知っていたから、今度は一緒に読みたかった。

環境が変わると内面が変わるのを誠実に描いてくれたのも良かった。別れてからだって心は通じ合う、そんな関係性に自分たちもなれたと思っていた。

「はな恋」のキャッチコピーにまんまと乗せられた、これは俺たちの映画だ――という直感を抱いた頃、彼女も観る予定だとリア垢TLで見かけた。ただでさえコロナで人と会えない今、久しぶりに喋りたくなって、通話での感想戦を取り付けた。

 期待通り、映画の話は大いに盛り上がった、それはそれでちゃんと楽しかった。それは良いんだ。

 ただ、何を感じたか――というより「自分経験のどこに響いたか」は正反対だった。

 あらゆるシーンが彼女との思い出に接続されたと、缶ビールを片手に俺が語るのを聞きながら、彼女は段々と歯切れが悪くなっていた。顔は見えなかったが、多分げんなりしていたんだろう。

 やはり今が優先されるのが当然か、彼女が主に考えていたのは今カレとの馴れ初めや前途だったらしい。それは分かる。社会人なりたてとして当然。

 そこからが致命打だった。「君のことも思い出したけど、それは趣味が合う人がいる楽しさであって」「君と付き合っていた頃のことなんて全然思い出さなかった」「4年も経つのに君に思い出されて、ちょっとビックリしてる」

 つまりは、4年以上も前の恋人期を鮮明に思い出している俺に戸惑っていた。そんな言い方はしなかったが、完全に引いていた。

 俺から復縁を申し出たことは一回もないし、知らないなりに彼女と今カレの関係は(少なくとも言葉上では)祝福している。よりを戻せるだなんて全く期待していない。君の運命の人は僕じゃない、否めないというか今さら否定する元気もない。

 それでも。どうやら俺は、終わった恋に甘えすぎていた。彼女が「思い出」のフォルダに整理した体験を、ずっと大事に抱えたまま、昨日のように覚えたままでいる。

 新しい恋人が出来たからだとか、そもそも男女で思い出し方が違いやすいとか、そういう話も分かる。それでも俺は、かつての恋人の中で自分がどれだけ小さくなっているかを示されたのが相当にショックだったのだ。それだけ小さくできる存在が俺だ、そのことに今さら傷ついているのだ。

 また好きになれとか、振ったことを後悔しろとかじゃない。こんな映画を観たときに思い出してくれる、そんな存在はいたかった。絹と麦に憧れたのは、あれだけ幸せ現在を過ごしていたから以上に、幸せ過去を大切にできているからだ。パンフレット一枚目フレーズ号泣したの、俺だけじゃないだろ。

 薄桜鬼ヘタリアも黒バスも、見かけるたびに彼女が話していたことを思い出す。SAOゆるゆり麻枝准も、彼女は多分もう気にしていない。

 ラジオ映画評で宇多丸さんが言っていた、「別れた後でも、その思い出がある人生は素晴らしい」ことを描く映画じゃないかと。俺自身がそうだった、それを確かめさせてくれる映画だった。柔肌の熱き血潮は夢のまた夢、それでも、そんなに寂しい訳じゃなかった。あの頃に積み重なった初めての温もりは、どれだけ経っても心を温めてくれていた。そんな粘着質な感情なんて誰にも言えない、言えないけれど。彼女だってそうだったと信じていたのだ。別れたとはいえあんなに分かり合えていた。別れた後も上手く折り合いがついた、それはあの頃への愛着があるからだと思い込んでいた。

 あん未来が待っていた、それは一方通行の夢だ。ずっと知っている。

 あんな日々もまだ温かい、それも一方通行の夢だ。知りたくなかった。

 それでも好きになってくれた自分が誇らしい、そんな幻想だって、確かに明日への糧になっていたのだ。いつかそう思ってくれる人が現れる、それまでちゃんと生きようと自分に言い聞かせていた、それだって幻想だといよいよ痛感した。

 とはいえ精神に多大なダメージを食らったとはいえモラトリアムから目を覚ますには良い機会でもあったのだ。「自然な」出会いなんか一生来ない、やるならちゃんと金をかけてシステム使ってやるしかないし、ひとりで生きてく覚悟を決めたっていい。いずれにせよ、あの頃みたいな出会いなんて一生ない。少なくとも「俺には」ない。

 色褪せてきたことに気づかず、花瓶に飾ったままにしていた花束を。そろそろ片付ける頃合だろう。

「今回の件からお前が得るべき教訓は」別れた後の恋人に思い出話なんて、大抵の場合はするもんじゃない。胸の奥の花束は、陽に晒しときには枯れていく。

別れた後も思い出話に花が咲く人がいたら、それはそれで尊敬応援もする。けど、俺は違った。

かつて恋仲だった俺たちへ別れを告げる、いい機会だった。嫌いにならないまま、後悔まではしないまま、背を向けて手を振ろう。数年の時差はあったが、麦と絹の再演だ。

……ということを書きながら、段々と思いはじめたんだが。

秒速5センチメートル」を作ったときの新海さん、こんな気分だったんじゃないだろうか。ポスト宮崎駿というか終身名誉レぺセン童貞の誠くん、さっき「はな恋」も観たらしい誠くん、大丈夫? 話聞くよ?

2021-02-19

インターネットはいじめっ子アピールが多くてうんざりする

小学一年生の頃、いじめをうけた。まぁ無視されたり指さされて笑われたり帰り道に蹴られたりしたぐらい。

母親に言い出せずどんどん内向的になって、結局祖母にバレて母親学校へ殴り込み、みたいな感じでモメにモメて引っ越しと転校になったが、

中学生になる際にその小学校の子らと中学が同じになって、当時のクラスメイトたちと再会した。

が、その時僕はいじめられなかった。

僕がいじめられた理由は多分なんかのきっかけで教室内で「いじめてもいいやつ」になってしまったのであって、

特にひどく僕が誰かを傷つけたとか貶めたとかいうことではなかったのだろうなと思う。教師も一緒になって僕を笑い者にしていたので、あの教室内においてそういう係の時期だったのだ。いじめられ係である

中学で再会した元クラスメイトたちはいじめをする子も残っていればいじめなんてダメだよという子もおり、いじめられる側になっている子もおり(というのは僕の主観だが。毎日挨拶代わりに後頭部を叩かれるのはいじめだと思う。叩き合うならまぁわかるが、一方的毎日叩かれるのはいじめじゃないか?)、人は変わるもんだなぁというのといじめられるやつってくじびきっぽいなぁと変に関心した。

僕は逃げ出した側だが、逃げなかったいじめられっ子たちは中学3年間いじめられて過ごしていた。クラス替えいじめられっ子じゃなくなった子もいたが、まぁたいていどこのクラスにも1人か2人、『多少殴ったり罵倒してもいい子』がいて、曖昧に笑ったりしながらすごしていた。

社会に出ても感覚はあまり変わらず、だいたい1グループに1人くらいバカにされたり叩かれたりしてもいい人がいて、率先してそれをやってみせるボス?というか主導者みたいなのがいて、その周りの人は忌避したりしつつも曖昧にそのいじめられ係の人を下に置くので、僕も曖昧に笑ったり、いじめられ係にされそうになったらグループを移動するなりしてのらりくらりやってきた。

幸いコロナリモートになったので、あんまりそういうシーンを見ず済む生活に移行できており安心していたのだが、インターネットを見ていてもやっぱりいじめられ係は存在するのだなと思う。

現実でのいじめられ係と違って、インターネットいじめられ係は1ヶ月位で変わる。誰それがいらんことを言ったとか、誰それがあくどいことをしたとかで、ガチ犯罪者(というと変な感じだが)がいじめられ係になるのはあんまりなくて、うっかり失言した人とかが『あいつは前々から最低だった』みたいなテンションでまさに燃え上がるかのようにいじめられ係になる。

いや、失言したのは当人なので、まっとうに怒られるのは怒られるべきだとは思うのだ。ただ、そんな全日本学級委員長選抜東京大会みたいにお説教係が列を為して順繰り同じような説教を送る必要はなかろうし(最初の5人くらいに同じように叱られれば十分ではないか)、全米罵倒チャンピオンカップみたいに侮蔑をぶつけにいかんでもよかろうに。

Clubhouseで小木さんがいじめられ係に着任して物議を醸したりしているが、いじめ係になった人らも幼少時は男子からの失礼な言動からかいによっていじめられ係を担当していた時期もあるのだろうし、

彼女らが今回やったいじめ(のように僕からは見える振る舞い)は怒られたほうが良いとは思うが、それは別にインターネットユーザーで囲んで叩くようなことをする必要もない。別に僕も彼女らに対して言うこともない。

僕がいじめられ係だったときはいじめ係を怒らなきゃいけない教師まで一緒くたになってしまったので教師に親が怒りに行く結果になったが、

本当は教師が怒ってストップしてくれればそれでよくて、僕だっていじめの子らが学区中の大人から怒られていたら流石に「そこまでひどいことはされてない」とか言い出したと思う。

ただ、いじめられ係に新しく着任した担当者を見つけると「自分はこのいじめられ係に対してはいじめ係です」と表明するためにいじめに加担してみせる必要があると思っている人は結構いるらしく、

新規いじめられ係を見つけやすくなった今の世の中はどこそこでそういう表明が行われている。

いじめを助けるのも大変なので、助けてやれとは思わんものの、いじめ係でもいじめられ係でもありませんとそっぽ向いておいてくれるだけでも、いじめられ係としては少し助かるんだけどなぁと思った金曜の夜でした。

2021-02-18

アラサー腐女子だけどいつの間にかツイフェミになってたか絶望した

タイトルのままだ

高校生2年からずっと、男子のすけべな二次創作をやってて、表現規制反対とか言ってたのに、

つの間にか29になって、周りが結婚して、私は所謂喪女で、気がつくと女性向け二次創作をやりながら

男性向けのエロを叩いていた

正直自分でも理解できないので、ここに書いて自分が何をしたいのかなんでこうなったのか

自分でわかりたいと思う

小学校の頃はそこそこ発言力の強いタイプの女だったと思う

これはおそらく後々大事になるので先に言っておくが、

私は客観的にみて、褒められた容姿ではないし体重も平均より重い

でも、小学生の頃はそれに気が付いていなかった

男子もそうだと思うけど、子供の頃は顔よりスペックで、

足が速い=イケメン、みたいな世界だったと思うんだけど、

私の場合は絵がうまかったから、特にいじめに遭うとかはなかったし

子供からアニメが好きでも浮いてなかった

しろ小学校高学年頃にはルフィとか描いて喜ばれてたし

ちょっとウェイな感じの女子も「かっこい〜」とかいって

褒めてくれて、私は自分オタクであるとかそんなことも思ってなかったし

ブサイクであるとかデブであるとかそんなこともわかっていなかった

から積極的クラス行事に参加したし、「ちょっと男子〜」って感じの子だった

で、自分立ち位置に気づいたのは中二の時

私の横を通った男子が「うわ、オタクきも」と言った

今思えば、そいつが悪いんだけど(本当にキモくても人にキモイとか言ってはいけない

私は、なぜかそいつに謝った

それによって何かが始まってしまった

多分「拗らせ」みたいなものだと思うけど、うまく言えない

それから、私は「本心じゃないことを口に出して心で文句を言う」ことが異常に増えた

高校時代記憶なんかもうほとんどそれだ

そして同時に容姿コンプレックスも増えていき、恋愛に対するコンプレックスも出てくる

クラスメイトに彼氏ができた、と聞くたびに「恋愛とか興味ありませんけど」って顔をしながら

ナルトサクラちゃんネットでディスってサスナル本を書いていた(どうでもいいけど当時のブログが消せなくて困っている)

今思うと、男女の恋愛を女を排除した世界イケメン再現してただけだ

そうやって性欲を発散してた 商業BLにあまりハマらなかった理由も多分それで

当時流行ってたBL作品て、「男同士なのに…」みたいな葛藤があったりして結構俯瞰で見る感じのが多かったんだけど

多分私は、受けに感情移入して男女の恋愛の真似事をしたかっただけなのだ

なのに、乙女ゲーとか少女漫画ではダメだった

だって私は「恋愛に興味ない設定」だったか

これまでことは総じて自己防衛

「誰かにとってキモい私」「恋愛ができない私」「ブサイクな私」

これらを認められないし、開き直れないから、

本心を言わないことで自分を守っていた

恋愛ができないんじゃなくて恋愛に興味ないだけ

私だけはキモオタクじゃない

私はブサイクなんじゃなくて化粧してないだけ

自分を護るはずの小さな嘘だったはずが、

これらはどんどん肥大化していって私の本心みたいに居座るようになった

高校卒業する頃には、自分の中に矛盾が生じて

それをどうにか打ち消していた

私が恋愛できないのは見た目重視な世の中のせい

でも私はほんとはブサイクじゃない

だってかわいい子はみんなメイクしてるから

すっぴんは私とそんなに変わらない

え?じゃあメイクしたらいいじゃん?

いやいや私、恋愛に興味ないか

大体、男なんてみんな顔しか見てないし

ていうか、顔しか見てない社会なんて生きづらくない?

無限ループ

今ならわかるけど、これ、全部「無」だよね

だって別に太ってることとかブサイクなことは改善しようとしてもしなくても

私の自由だし、それを中傷する社会なら生きづらいけども

太った私を選ぶかどうかは他人自由なんだし

私が怒っていいのは馬鹿にされた時で、私の代わりにかわいい子や痩せてる子が

選ばれた時ではない

オタクであることもブスであることも悪いことじゃない

私が勝手に悪いことにして弱者ぶっていただけだ

かわいそうであれば救われる気がしたんだと思う

まあ、そんな最悪のタイミング大学生になり、出会ってしまったのがフェミニズムだった

「本当に存在する女性差別」ほど当時の私を救ってくれるものはなかった

講義で生きづらさを発言すれば褒められたし、イベントに足を運ぶと、誰もが私の味方をしてくれた

それに何より、私の生きづらさは私のせいではなかったんだ、という実感が最高だった

私はフェミニズムに没頭した

少しでも違和感を感じると、自分に都合の良い解釈データを探して必死自分を納得させ、

学生時代堂々巡りだった思想は一番ヤバい形で完結した

「男のせいで生きづらいし、男がそれに気がつかない社会のせいで生きづらい」

でも外での振る舞いは変わらなかった

大学卒業就職しても、相変わらず文句は心の中で(またはフェミニズム垢で)言うのみだったし

なんとなく「男なんかにわかってもらっては困る」と思っていた

から専門用語を連発してネット男性やそれを支持する女性に噛みついていた

社会問題からアニメ話題までなんでも意見した

もちろんその中には社会によってどうしようもなく困っている女性

酷い男性話題もあって、それらは今も私は救われるべきで救いたいと言う気持ちがある

でも次第に、ツイッター上のフェミニストの言い方に違和感を覚え出した

彼女ら(彼ら)は、困っている人や現場のことを使って男性を責めたり自分を守っていないだろうか?と

思い始めた

例えば、「このアニメによってこういう被害が生まれ可能性があるからこういうゾーニングしませんか?」じゃなくて

「こんなものを好む男がたくさんいる国最悪」「キモオタってほんとこういうの好きだよね」みたいな感じ

あんまりうまく言えないけど、それを自分や仲間が繰り返すうちになんとなくの違和感だんだん気持ち悪さとして迫ってきた

多分、高見千歌ちゃんスカートクレームしたあたりから自分大人になったからかもしれないし、

恋愛経験ないオタクの女がポジティブに生きるのを肯定するコンテンツが増えたかからかもしれない

でもそれが自分たちが文句言った功績とは思えないし、ちゃんと思ったこと言って生きてみたら意外と楽しかった

みたいなことであって…私、勝手に黙ってた(黙らされてると思ってた)だけじゃない?って思うようになっていった

でもそれをフェミニスト友達相談したら「黙らされてるという刷り込み自体が男社会からの重圧なんだよ」という趣旨のことを言われて

その時は納得してしまった

ここがヤバいところの一つなんだけど、大袈裟ではなく自分以外のもので、自分が嫌いなものに辿り着くまで思考がやめられなくなる

ただちょっとキモいなって感じたイラストとかが「私は嫌いだな」で終わらせられない

「私が嫌いと感じるということはジャンダー的な欠点が必ずあるはずだ」って本気で思ってたし、

「私がただ嫌いなだけで表現を叩くわけないだろ!」って本気で思ってた

論破されても関係なかった だって問題がないと感じてしま感性を作ったのは悪い社会」だから

どんな論理があっても前提として不快だと思えないこと自体が、擁護派も被害である、とそう思ってた

そしていつも最終的に「こんな変な人がたくさんいる社会、私が生き辛いのも当然だ」で落ち着く

でもジャニーズを見てかわいいって言ったし、雄っぱいばっかり描いた

その時点でお察しなんだけど、

私はラブライブや宇崎ちゃんの、絵柄が嫌いなだけでした

いや、絵柄が嫌いというより、それを見て楽しんでる男がキモくて、

なんなら気づいた後もしばらく、「キモい男が悪いじゃん」って思っていたし、

つの間にか中学の時私をキモいって言ったやつと同じことしてた

そんな中で女子高生が立て続けに炎上した

美術の子と、お母さん食堂署名に反対した子

まじで地獄だと思った(前者はやめてしまったけど、後者の子にはここに書く許可を取った)

両方ともまとめられてるので知らない人は見てみてほしい

恥ずかしい話だが、若者と、それを叩くフェミニストによって目が覚めた

今までのほとんど、どう考えても私が悪者だった

彼女らは女子とか子供とかそんなことを問題とせず自分意思を持っていたのに

フェミニストから投げられた言葉は「名誉男性」だとか「ネカマ」だとかどう考えても

自らがジェンダーに囚われているものばかりだった

もっと、ただの誹謗中傷もたくさんあった

でも私がフェミニスト友達に「ちょっとひどくない?」

って言って返ってきたのは「え、ミソジニストの味方すんの?」

だったから、ああ、無理かもってなってしまった

こんなのただの戦争だ、自分が何をしたかったのかわからなくなって

突然反省した

「怒らなきゃ男はわからないでしょ」って今までいわれて納得してたのがなんか恥ずかしくなった

なんにもしてない人を怒鳴りつけてて、今まで正義鉄拳だと思ってたのは暴力だったし、正論だと思ってたのは暴言だったのだ

私はその日のうちにログアウトした

なりたくなかった大人になってしまった

自分のことを守ろうとして他人を傷つけてしまった

私はツイフェミをやめてただの腐女子に戻った

誤解が無いように言っておくと、私はフェミニズムを学んだことを後悔しているとか、女性地位向上を否定しているとかではない

だって女性差別自体は本当にあるし、無くなるべきなのだから

少なくとも私にとって過激フェミニズム自分を守り他者を傷つけることにしか機能しなかったし、

地位向上ではなく、他者思想を縛り付けるものになってしまっている傾向が見られ、それは突き詰めると自分コンプレックス

他者責任にしてしまっているだけの場合がある

私たち自由だし、何をしてもいい、なりたい姿でいることは素晴らしいし、

それを否定する人間は最低だ

だけどその個性を一人一人が好むかどうかは決められない

悪口を言わないことと、選ばないことは全然違う

世の中には、自己責任とそうでないことが両方あって

私が全部悪いわけではなくても私が悪いこともある

そういう当たり前のことに長い間気がつけずにいたのは苦しかった

自分わがままによって罵ってしまった男性嫉妬によって叩いてしまった女性

キャラクターに謝りたい

これを男性嫌悪とフェミニズムを一緒にするなという方がたくさんいるだろうが

私は本気で正義フェミニズムだと思っていたし、これが男性嫌悪であるけがないと

何かをこじつけて生きてきた

からあえて今回はフェミ二スト、ツイフェミって言葉を使いました

多分これを読んで男がフェミニストの真似してるとかいう人もいると思う

私もこういうのを読むと毎回思っていた

「また男が私の邪魔をしている」って

せっかく気がつけたからっ書いておいた

お気持ち長文ごめんなさい

2021-02-17

anond:20210217092031

ルームを共有してないのにルームメイト呼ばわりって良いのか

違うクラスだけど同じ学校だしクラスメイトと呼ぶ、みたいなノリを感じて、

それはそれで真面目な人には怒られるんかなと思ってたわ

2021-02-15

「男らしさから降りた男性は本当に魅力的なんだろうか?」という、ずっと弱いまま生きている男の疑問。

はじめに。無駄に長い日記かもしれませんが、ご容赦ください。

「男らしさ」とは具体的にどういう物なのか?未だに理解出来ていませんが、僕は自分がそれを持ち合わせていない事は理解しています

男なら、強くなれ。男なら、我慢しろ。男たるもの、立派であれ。男なら、涙を見せるな。

こういう男なら、男だから、強くなれ、強くあれ。という生き方と、僕は正反対存在でした。

僕は女子を恐怖していました。

僕は小学生の頃、同級生上級から揶揄れいじめられるような弱い子供でした。

運動神経が悪い上足も遅く、急に殴られたり目の前で自分の物を盗まれたりしても、その犯人を走って追いかける事も出来ないようなやられっぱなしの存在でした。

何故僕がそういうからかいターゲットに選ばれたのか、今でもよく分かりませんが、やられてもやり返す事も出来ないような弱い存在は格好の玩具だったのでしょう。

休み時間になる度に消しゴム鉛筆を盗まれ上履き女子トイレに投げられ、階段では足を引っかけられ、とにかくその事が嫌で嫌でしょうがなかった事は覚えています

それでも学校その物は嫌いではありませんでした。どうしても行きたくない日が多く定期的にズル休みをしたり、登校日もグループ登校ではなく遅刻寸前になって親に学校まで送ってもらう事が大半でしたが。やっぱり学校は嫌いでした。

ともかく1年生の頃に、僕は同じクラス女子生徒の事を好きになりました。その子がどういう性格でどういう人柄なのかは全く知りませんでしたが、容姿自分好みでとにかく一目惚れだったのだと思います

ある日、体育館で全校集会をしている時に一緒に並んでいた女子と何故か「お互いの好きな人を言い合おう」という話になり、僕は馬鹿正直に「○○さんの事が好き」とその女子に打ち明けました。

その話を僕に振ってきた女子は、僕の好きな相手を聞き出した後に自分の好きな相手を打ち明けなかったので、ズルい、騙された、何て卑怯な奴だ、と非常に腹が立った事は今でも覚えています

うっかり自分の好きな相手の事をその女子に話してしまったその日の内か、それとも次の日だったか、それは今となっては覚えていませんが、僕は学校廊下で○○さんとすれ違った時にある事にすぐに気が付きました。

小学校1年生の、まだ6歳の子供でも、自分が強烈に嫌われている事を理解出来るのは不思議な事だとこの歳になっても思います。生まれて初めて好きになった異性に、僕は同じ学校に通う9年間ずっと嫌われ続けました。

○○さんに何か非があった訳ではなく、僕の性格容姿が決して女性に好かれる物では無かった事が一番の原因だと、今ではよく理解しています。嫌いな相手好意を寄せられる事が女性にとって非常に不快である事も知りました。

自分女子に嫌われる男子である事を僕はその時理解出来ました。中学校を出れば流石に何かが変わるだろうと期待していましたが、結局高校での3年間もずっと女子からは嫌われていました。12年間、ずっと嫌われていました。

同じ登校班に家が近くで僕にも優しくしてくれる子が一人だけ居ましたが、僕がズル休み常習犯グループ登校もしない自分勝手な子供だった事もあって、すぐ疎遠になりました。

学生時代女子からずっと嫌われていた事、自分女子に好かれるような人間で無い事を学校で学べたお陰で、僕は今でも女性恐怖症です。親からは本当に分かりやすいなぁとその事について笑われます

道を歩いていて向かいから女性が来ると、その人の年齢に関係なく大きく迂回して逃げるような動きをしてしまます自分の方が体格が良くても、背が高くても、情けない事に女性の事が怖くて怖くて仕方がありません。

通りすがり様に、「臭っ…」「キモッ…」と言われるんじゃないか、言われなかったとしてもそんな顔をされるんじゃないか、内心そう思われるんじゃないか、そう思うだけで怖くて血の気が引いて、とにかく女性から逃げてしまます

去年散歩帰りに、下校中のまだ低学年であろう女子小学生と狭い歩道ですれ違った時、「自分が向かいから歩くだけで不審者だと思われてこの子に防犯ブザーを鳴らされるんじゃないか!?」と本気で思い、垣根を飛び越えて車道に逃げたところ、着地の際にバランスを崩してずっこけて、右の肘あたりをアスファルトで擦り剥いてしまい、そのまま痛い、痛いと思いながら帰宅する事になりました。本当に何て自分は情けなくて馬鹿なんだろう、と悲しくなりました。

僕は男子に嫌われる役立たずでした。

幾らキモくて女性に嫌われていようが男には男性同士の繋がり、「女性共通の敵として見下し」「男性友情尊いと崇める」事で男の同士の絆を深めるホモソーシャルがあるじゃないかと思う人も居るでしょう。

誰が言ったかは知りませんが、同性にさえ好かれない人間が異性に好かれる訳が無い、という言葉を聞いた事がありますキモイ奴として女子に嫌われていた僕は、同じように男子からキモい奴として嫌われていました。

子供の頃、皆に人気のある男子はどういう人だったか友達になりたくなるような明るくて面白い子や、運動がよく出来て体育の時間に大活躍するような子は間違いなくクラスや学年の中で人気があったと思います

前述したとおり僕は運動音痴で足も遅かったので、体育の時間活躍どころか同じグループ迷惑をかける完全な足手まといでした。性格も、自分が嫌われてる事に自覚が無いタイプ空気が読めないおかしい奴でした。

ボールを遠くに投げられない、捕る事が出来ない、速く走る事が出来ない、長く動く事が出来ない。僕は体育の時間の間完全に単なる数合わせで、もっと言えば僕の入った側が不利になるババ抜きのババのような存在でした。

当然、体育の時間活躍するような運動がよく出来る男子や、クラスの中心的存在先生からの評判も良いいじめの主導者からも嫌われていました。同じ男子からも嫌われホモソーシャルから疎外された子供が僕です。

それでも僕には休み時間落書きを見せ合える友達が居ました。年齢の割に体が小さくいじめターゲットになっていた子と、母子家庭鍵っ子である事を理由にやっぱり男子の中から浮いていた子が友達になってくれました。

ある日、いじめターゲットになっていた友達が転校しました。ひょっとしたら親御さんの転勤などが理由だったのかもしれませんが、クラスメイトからいじめも大きな原因だったのではないか、と僕は思っています

の子は何も悪い事をしていないのに、体がクラスで一番小さいというだけで、物をぶつけたり、馬鹿にしたり、○○菌が付いた!と貶して良い存在のように扱われていました。昔の事ですが、僕もされたという事は覚えています

僕はキモくて役立たずだったので、ホモソーシャルに入る事はありませんでした。僕のようなキモくて役立たずの男子を皆でいじめるあのノリがホモソーシャルなら、僕は昔からそれが嫌いだったし仲間とも認めて貰えてなかったと思います

僕は他人に取れるマウントなんてありませんでした。

男性男性というだけで女性を見下して上から目線で接する「マンスプレイニング」という差別意識があると聞きました。男性というだけで女性より優れているという思い込みから来る「有害な男らしさ」の一つであるらしいです。

女子に嫌な思い出があるなら、女子なんて、と割り切って見下せたら楽だったのかもしれませんが、僕は自分能力他人に勝った記憶小学校1年生の小テスト以降全くありません。

体育の遠投ではわざとらしくやる気なく投げた女子以外に飛距離で勝てた覚えがありませんし、シャトルランで性別関係なく僕より早く脱落した同学年の生徒は一人も居ませんでした。その事が、今でも忘れられません。

なら勉強はどうかというと、女子は安定して成績が良く、僕は5教科の合計点が150点台という事がありました。自分は本当に馬鹿なんだ、この学年で自分以上に頭が悪い奴は居ないんだとその時強く頭に刻み込まれました。

両親は自宅から近い学校に通って欲しかったらしいですが、結局そんな成績では自分名前さえ書けば無条件で入学出来る遠くの私立くらいしか行ける高校がありませんでした。僕が馬鹿なせいで、余計なお金がかかりました。

頭が悪いのは僕が一切努力を行わず遊んでばかりの馬鹿だった事が大きいと思いますドリルは後ろの答えを写すだけ、夏休みの宿題家族に泣きついて答えを全部教えてもらうという他力本願だけでそれまで生きていました。

結局その私立高校でも男子の仲間に入る事も出来ず、小中学校の時のように女子から嫌われ、勉強もろくにしないでズル休みを繰り返しました。高校卒業しても、自分がそこで努力して得た物なんて何にもなかったと感じました。

高校受験さえしなかった者が大学受験なんて出来る筈もなく、大学受験さえ出来ない者が就職活動なんてする筈もなく、僕は高校卒業してから現在までずーーっと親の脛を齧って何の努力もせずに家に引き籠っています

僕は自分能力他人より優れていると思った事が小学校1年生以来ありません。ずっと引き籠っているので、家族以外の女性と接した事も学生時代以来何かのお店で店員さんとして働いてる女性以外とは殆どありません。

中学校時代から友達とは話が合わないという理由でずっと疎遠です。彼らともゲームアニメなど娯楽の話題で盛り上がっていたくらいで、ミソジニーで絆を深めた事なんて一度も無いと思います。何せ女性話題が出ません。

僕は良い歳して未だに童貞で、所謂専門店女性とも関係を持った事がありません。中学校時代友達達はそんな僕に気を遣ってか、僕でも話題に混じれるゲームなどの話題しか僕の前ではしないようにしていてくれました。

僕の男性器は極めて小さく、友達家族など親しい間側の人とも決して一緒にトイレに行ったりお風呂に入りたいとは思えません。女性が言う所の「ポークビッツサイズで、その事に子供の頃から非常に強い劣等感を持っています

から自分意見や嗜好が人と合わない事が多く、現実より自由場所であるインターネットでも他人と上手く付き合えた事がありません。自分好きな物多数派意見に叩かれる、という経験は嫌というほどしてきました。

僕はこれまでの人生で親や兄弟に守られるだけで、自分が誰かを庇護したという事はこれまで一度も無かったと思います我が家という共同体で一番の弱者は僕であったため、家族弱者であった僕を外から守ってくれました。

「男らしさ」という言葉が全く当てはまらない男だと自分で思いますし、男性同士の繋がりからも完全に省かれています。現状のままで男らしくなりたいとは思っていませんし、男性同士の付き合いに入って嫌な思いをしたくもありません。

貧弱で、競争から逃げ、庇護される側で、何一つ優れている所が無い僕は全く「男らしく」ないと思います。男らしさから降りるまでもなく、初めから男らしかった事なんて一度も無かった、生物学上は男だっただけの存在だと思います

小学生の頃からずーっと現実がつまらなかったので、漫画ゲームなどの空想に逃げていました。今でもその頃から変わらず逃げ続けています

僕という存在は「男らしさから降りた新たな男性像」の一つでしょうか?

結論から言えば全くそんな事は無いと思います。ここまで長々と自分は違う、加害者ではない、ノットオールメンと言い訳をしているだけなのですから

「男らしさを降りる」というのは現在の「男らしさ」を否定して新たな「男性としての生き方」を広めるために努力し戦う事で、ただ自分現在の「男らしさ」から逃げる事では無いだろうと思うからです。

結局僕は男らしくなれず、男同士の繋がりの中に入れず、かといって現在の「男らしさ」を変えるための「ジェンダー強者」としての努力も一切しなかった、ただの負け犬でした。

魅力的な男性が男らしさから降りれば「男らしさから降りた魅力的な男性」になるでしょうが、男らしさから降りているだけの男が魅力的ではない、が答えじゃないかな…と僕は思います。ここまでお疲れ様でした。

2021-02-12

anond:20210212190536

私の大学では、騒いで授業の進行妨げるクラスメイトに「働いてる合間縫って勉強してるんだぞ」と怒鳴った学生がいたなあ

三流大学で、クソみたいなカリキュラムでも授業料はいっぱしに年100万円くらい取るようなところで

クソはクソなりに特待制度なんてあったから私は年20万円払うだけでよかったが

片道1時間以上かけて通ってたから、別のものを支払ってたんだろう

結局クソ大学なので特に技能は何も身に付かず、複雑骨折した自尊心治癒せず

新卒切符をなんとなくドブに捨て無駄に遠回りして就職した

安定性以外何も望めないような職場では一応、大卒という肩書きだけは通用した

別にどこの大学かは取り沙汰されなかった

住んでいたのがクソ田舎でよかったと思えたのは人生で初めてだった

田舎すぎて使い途がなくて貯まったお金で、学費を親に返すことができた

まあこんなものだろうと安穏と生きていたら趣味意気投合して結婚した相手がよく稼ぐ人で

自分も遊ばせてもらったから」と子供大学進学はいくらであろうと全額親がもって当然という雰囲気

聞けば関西では一流の端っこみたいな扱いの大学エンジョイしたそうだ

多くはないであろう、私の負担分の学費を考えると何も言えなくなるが

騒ぐやつ、怒鳴るやつ、高みの見物してるやつ、そのどれにも我が子にはなってほしくはないし

母校のようなクソ大学だったらお金可哀想だな思うことしきりで

大学時代の友人の現況などは怖くて知りたくないこの頃である

2021-02-10

心に残っているパンティランキングベスト

あと4個は順位微妙なのが多数なので、記憶辿り中

6位 猛疾走するJK

当時の俺は高校生だった。普通の生徒はバスで通う距離だったが、実家が貧しかったので、バス代を節約するために、自転車通学を選んでいた。

加えて言えば、小5以来自転車を買ってもらってなかったので、中学時代も、なんか後部車輪の横にかご付けるタイプの、ハンドルからサドルまでまっすぐ伸びたフレームの途中に前後に動く6段変速のやつがついてるやつに乗ってて、新しい自転車が欲しかったのも理由

普通ママチャリちょっといいやつを買ってもらい、朝が弱いので毎日の通学でいつも遅刻ギリギリで、かなりの脚力が鍛えられた。

ママチャリ最速を誇っていた。

が、ある風の強い日。俺に並びかけてくるチャリがあった。明らかにチャリだ。バイクでもない、勿論車でもない。最速を誇る俺はペダルを踏みこむ速度を速めた。

今は時間に追われているわけではなかった、俺の本気はまだまだ出していない、俺が最速だ。

が、上り坂に差し掛かった時、すっと俺の横を通り過ぎる影。

どう見ても女子高生、どうみてもママチャリ。その女子立ち漕ぎで颯爽と俺との距離を離していった。

その時、風にあおられてマントのようにたなびくスカートの中で輝いていた、真っ白な、なぜかパンティ自体も風をはらんで、カボチャパンツみたいになってたあのふわふわもこもこのやつ。

5位 布団のしたから出てきたパンティ

自宅のシングルベッドならぬ、普通の敷布団で夢とかSさんとか抱いた後、Sさんが寝てしまった。

仕方がないので一緒に寝た。起きて、やばい、早く帰らなきゃと焦るSさん

が、シャワーを浴びて、まず身に着けるべきパンティーが見当たらない。掛け布団をひっくり返したり、その辺のゴミとかなんだかんだまさぐっても一向に出てこない。

最終的に、やはり布団周辺を重点的に調べようということになり、まさかと思いながら敷布団を持ち上げた時に、ぺちゃんこになったパンティーが申し訳なさそうに顔を出した。

二人で「コーヒー飲む時間なくなっちゃったね」と笑い合った。パンティーの皺を伸ばしながら。

4位 安心しください、履いてますからパンティ

その日はえらくミニだった。S2ちゃんが着ていたのは、ワンピースというかニットで上からスポっとかぶって長袖で、裾丈が短めのスカートみたいになってるやつ。

スカートみたいにはなってるが、スカートとしての機能には少し足りてないやつ(伝われ

ちょうど寒くなってきた時期で、寒いけど生足だね、大丈夫? って聞いた流れで、下は何履いてるの? って聞いた。

レギンスとか、ショートパンツも好きだ。そういうのを期待してた。

「えーっとね、ズボン履いてる(短いキュロットみたいなやつ)」とスカートめくられると、そこには生パンティー)があった。

「それパンツじゃない?」「あ、履き忘れた! てへ」

3位 洗面台のドライヤー上で踊るパンティ

数か月前だろうか。急におんなのこのひになってパンツが汚れてしまった。休憩でホテルに入っていたが、Rちゃんは洗って乾かすといって洗面台に消えた。

出てきた後もずっとブオーってドライヤーの音が聞こえており、どうしてんの? って聞いたら、こうすれば多分帰る前には乾くと。

後で、洗面台利用する時に見た、パンティーを被るドライヤー。それに踊らされるパンティー。

2位 昨日初めて興奮を覚えたTバッグ

より正確にいうと、Tバック込みでの尻かもしれない。

そのこのケツはスレンダー貧乳なのに、妙にエロく、ここ数年のエロランキング1位だった。が、俺はオッパイ聖人

尻は社交辞令程度にしか撫でない、舐めない、諦める。すぐに裏がえしておっぱい意識が向かってしまう。

だが、紫だしエロ下着から見て、と言われたので、さすがに短時間スルーしてしまうのは気が引けた。

加えて言えば、セットだったブラジャーが、刺繍とかレースとかあるタイプじゃなくってツルっとしているタイプだったので、それはそれでまあ悪くはないのだが。(ぶっちゃけそんなに良いとは思わない)

下着姿の間は尻に意識が向きやすかった、普段より。

元々知っていたエロい尻に、一本の紐が付与されることによって、より深みのあるエロい尻になるということを知った。

その勢いでバックに挑戦してみたが、中折れした。あ、パンティーの話でしたね……。

1位 小学1年の時のM子ちゃんパンティ

俺は、スカートめくりは基本的にやらず、付き合いでやっていたぐらいだった。何故か仲がよかったというかなんだかんだちょっかいかけてきた、クラスメイトのM子ちゃんが家に遊びに来た時に、家の裏庭で、「スカートめくっていいよ」って言ってきて、その時に見たパンティー。もうどんパンツだったか覚えてない。白のグンゼ系だったのが朧気に記憶にあるぐらい。赤かオレンジの丸っぽい動物プリントがあったという記憶が後年定着してきた。生まれて初めてパンティーをパンティーだと認識した日。ただし、そこからパンティーに興味を覚えるまでには数年かかった。

anond:20210209100954

2021-02-09

絵描きママを求めてる

画用紙にクレヨンで描いた幼稚なイラストを、過去によく母親幼稚園先生に見せていた。「描けたよ〜!見て見て!」……と。すると、それを見た大人は言う。「わぁ!上手に描けたね〜!」

珍しい体験ではないだろう。現に私もそう褒められた過去を持つし、子どもが絵を描いたら皆そうやって褒める。

腐女子の私もTwitterを始めた頃は、パースも構図もデタラメBLアナログ落書きを、写真に撮って投稿していただけだった。しかし数少ない閲覧者にいいねRTをもらい、たまにリプをもらい、だんだん自信をつけていったのだ。そしてアナログから板タブになり、液タブを新調し、iPadで絵を描くようになった。次第にフォロワーも増え、本を出し、アンソロに参加し……。まだまだ欠点だらけなものの、以前よりも多くの人間に絵を見て貰えるまでになった。

振り返れば、ここまで同人活動を続けてこられたのは、フォロワー1桁代の頃の数人による反応が大きい。言うなれば幼子にとっての『ママである。絵を見てもらって褒めてもらう行為が、どんなに貴重であるかを今回の事件で痛感したのだ。

私の表現不快に感じる人も居るだろう。反応がなければ絵を描かないのか?自分が絵を好きなら問題ない?他人評価など気にしない?そう思う人はそれで大いに結構。だが私はそれを踏まえても、やはり多くの人に作品を見て欲しいし、その承認欲求が大きなモチベーションとなってきた。絵を投稿したあと、ソワソワと5分ごとに通知欄を覗く人以外は以降の文章を読まないでくれて構わない。

これから書き連ねるのは、私の懺悔と後悔も含んだ、小さくも悲しい出来事である説教したい訳では無い。ただ思ったことを垂れ流している、ただのオタク戯言である

さて、今回の事件は──ただのフォロワー同士の諍いなのだが──、Twitter上で『ママ』を求めすぎた絵描きによるものだ。その絵描きフォロワー数よりフォロー数のほうが多く、いいね数もほぼ無いオリキャラ絵をよく描いていた。よくリプを頂くので私は彼女相互なのだが、正直に言って絵が上手くない。投稿頻度が高くTLを追いにくいため、こっそりミュートにしている。

この時点ではただの絵描きだ。だが彼女は違った。相互になった絵師小説書きのもとに、DMやリプで自身の絵を貼っつけるのだ。相手推しキャラ推しカプではなく、自身の考えたオリジナルキャラを。そして感想を求める。いいねRTを欲しがる。彼女はそういう人なのだ

私も例に漏れずその絵を送られる対象のうちの一人であったが、適度に受け流していた。無視したり侮辱したりしては、彼女を傷つけてしまうと懸念たからだ。この頃、私は自分が絵を投稿した初期にフォロワーからママ』のように褒められていたことを自分投影し、「自分よりも下手な絵を褒めてあげる私って素敵!」などと酔っていたのかもしれない。少なくとも、尊敬の念で褒める気など微塵も無かった。それこそ幼い子の絵を褒めるように、『この装飾が素敵だね』『可愛い色使いだね』『雰囲気に合っているね』など。毒にも薬にもならないようなコメントをしていた。

しかし、そのコメント彼女にとって承認欲求を満たす麻薬になっていたらしい。私以外の人にもそういった感想を求め続けた。他の絵師にもその行為を繰り返し、受け流すことで承認欲求は倍増した。「あなたも○○ちゃんから絵送られてきた?あれってどうしてる?」などと他のフォロワーから相談されたこともしばしば。腫れ物に触るように、私たち彼女を取り扱っていた……と、思う。

昨夜のことだ。とある絵師投稿した作品彼女リプライ自分オリキャラ絵を貼った。しかし当の絵師無視し、それを見て彼女は拗ねた。メンヘラ気質なことは知っていたが、その行為ひとつ病みツイを連投し、あからさまに拗ねたのだ。(『拗ねた』という表現をあえて使わせて欲しい。それほどまでに幼稚だと思えるからだ)

絵師エアリプで「私だって興味のある作品を選ぶ権利はある」とのこと。その通り。絵師には同情しかない。だって絵師本人は何も悪いことなどしていないのだからとはいえある意味で私のほうは重罪だ。適当に褒めそやして、彼女承認欲求を膨らませてしまったのだから

絵描きのはしくれである私としては、絵を描く行為を好きでいて欲しくて、そうやって褒めていた。しかし、私は彼女の良き『ママ』にはなれなかった。適切に指摘し、良い方向へと導くことは出来なかったのだ。ただただ自尊心を高めるだけで、彼女自身スキルを成長させるには至らなかった。

そういえば──。幼稚園の頃は落書きを褒められていた私だが、中学生の頃、美術時間クラスメイトから言われた。「お前の絵、それだと腕の動きおかしくね?」

今でもセリフを覚えているのだ。当時は悔しくて悔しくて仕方なかった。なんとか笑顔を繕い、「え〜?何それひどくなーい?」と笑い飛ばした。だが、クラスメイト言葉はその後の私を大きく変えた。確か、その頃からだろう。私が人体パーツを意識するようになったのは。過去の絵を光に透かして、反転した絵が歪んでいたと自覚したのは。

お絵描きをするのに大切なのは、褒めてくれる『ママ』ではない。ズバリと指摘してくれる『クラスメイト』が必要だったのだ。そしてそれをバネに描きまくる不屈の精神と、自己分析し見直すポテンシャルも同様に不可欠なのである。そこまでして絵を描かなければ、膨れ上がった承認欲求など満たされないのだ。世間はお前のママじゃない。そんなにSNSは生ぬるくない。

思えば、私がパースも構図もぐちゃぐちゃな頃に褒められていたのも、別に私が無条件に愛されていた訳では無い。当時は、下手でも下手なりに工夫や伸び代が見られたからこそ、フォロワーは褒めてくれたのだろう。「描く度に色塗りが上手になってる!」「どんどん自分の絵柄を確立しているね!」と、フォロワーは私の絵と向き合って評価してくれていたのだ。『ママの甘やかし』ではなく、適切な評価だったと、今更になって思う。

もちろん、絵が下手なまま、話が面白くないままSNS投稿し続ける人はいるし、それが悪いとは微塵も思わない。無条件に認めてくれる存在を求めるから反感を買ってしまうのだ。

そういった面では私も当然未熟者だ。高い評価を得る絵師を見ては、劣等感を感じ、深く落ち込む。予想していたよりも投稿が伸びなければ、反動承認欲求がどんどん膨れ上がる。だがそれではダメなのだ自分の絵が認められないのは、そうである理由存在するはずだ。成長なしに、手放しで褒めて貰おうなど甘ったれた考えでしかない。この事件を通じて私は痛感した。己のいい加減さと、未熟な考えを。

結局、彼女は筆を折るのだろうか。まだ絵を描き続けるのだろうか。私のもとにオリキャラ絵が届けられた時はなんて言おう。当事者絵師は今後どうなるのだろう。

とはいえ絵描きはいつでも褒めてくれる優しい『ママ』の存在を、心の奥底では欲しがっている。私も無意識のうちに『ママ』を求めているのだろう。きっと、この甘えん坊状態はいいねの数を気にしている状況ではずっと変わらないはずだ。絵描きとして、早く独り立ちしたいものである

2021-01-31

お前らにチー牛顔に生まれた苦しみが分かるか

34歳、女。

三白眼、瞼は分厚い一重。

何よりも鼻がマズイ。正面から丸い穴が丸見えの、いわゆる豚っ鼻。

自分の顔がブスだと気づいたのは小学生の頃。

男子が私の顔を見て笑ったり、オエーと吐く真似をしてきたので、徐々に自覚した。

両親も「増田パッチリした二重に生まれればよかったのにねー!」とか言ってきた。

中学ときは、よく「罰ゲーム」に使われた。

私に触ったり、話しかけたり、告白したりすることが、男子にはものすごく屈辱的な行為しかった。

猛勉強して、地元では一番偏差値の高い高校(女子校)に進学した。

女子校天国だった。

美人クラスメイトを見て落ち込むことはあっても、誰も私の顔をからかったり、あからさまな侮蔑の目を向けなかった。

でも、ほとんど毎朝痴漢に遭った。

こんなブスに欲情する男なんていないだろうと嘲笑われるのが怖くて、同性の友達にも言えなかった。

大人になってから痴漢はそういう心理に付け入ってわざとブスを狙うパターンがあると知った。

今でもたまに流れてくる、女性専用車両を利用したいと答えるおばさんたちと、どこでもいいと答える若い美人の例の画像を見ると、ほんとうに苦しい。

あれに心から傷ついた女が何人いるんだろう。

大学女子大がよかったが、実家から通える距離にないし、仕送りをする財力もない家だったので、泣く泣く共学へ。

やっぱり男子けが、ブスの私を分かりやす差別した。

その後なんとか就職したけど、当然、彼氏いない歴=年齢。

でも残念なことにめちゃくちゃ性欲がある。

セックスしてみたくてたまらない。

男だったらソープに行け簡単にできるんだろうね。

女向けの風俗なんて、ものすごく少ない。

それに妊娠するリスクがある。

風俗を利用したとき万が一避妊に失敗して妊娠したら、両親になんていえばいい……?

どんなに勉強ができても、仕事をこなしても、いつだって女は顔顔顔。顔の評価がついて回る。

男の学者がチー牛顔でも、ほぼ揶揄されないけど、女の学者は、男からめちゃくちゃ上から目線ルックスを品評される。

化粧してもダイエットしても素材がマズすぎて清潔感のあるブスにしかならないんだよ。

整形も考えたけど、一生自分の元の顔を否定して生きていかなくちゃならない十字架を背負える自信がなくてやめた。

このまま、死ぬまでずっと、ブスに生まれた不運を嘆いて生きていくんだ。

私、何も悪いことしてないのに。畜生

2021-01-30

推し、燃ゆ」を読んだ

高校二年生の冬、推し出会った。

「実はね、わたし最近○○くんにハマってて」友人にそう打ち明けると決まって「なんで今更?」と返された。私の推しは、あまりにも有名だった。

けれど、そんなことを聞かれてもわからない。推しとの出会いは運命だった。あの日、ほんの一瞬、画面越しに目が合ったあの瞬間、頭の中で何かが弾けた。私の意思とは関係なく目が否応無しに彼を追ってしまう。あの日の彼はブラックホールのようだった。それまでの私が知る彼とその日の彼は何かが違った。

その日から人生が変わった。

この本の主人公あかりは、推し出会った時の私そのものだった。

あの時の私も推し生活の全てだった。

部活が終わると一目散に家に帰って推しが出ているテレビ番組を見た。お年玉をはたいて買ったライブDVDを、時間があれば何度も再生した。CDが発売される月は友達との遊びを我慢してどうにかその費用を捻出した。推しのために、生きていた。すごく楽しかった。

けれど、幾ら推し推している時間楽しいからと言っても、私にも "私の" 生活がある。

気づけば高校三年生になっていた。志望大学はどこで模試の判定は何で偏差値は幾つで… その頃からクラスメイト自分のことを "ジュケンセイ" と呼び、周りも私たちのことを "ジュケンセイ" として扱った。私もとりあえず、自分のことを "ジュケンセイ" と呼ぶようになった。

けれどいつまで経ってもやる気は出なかった。正直、自分の将来なんかよりも推しの方が大切だった。大学受験は刻一刻と迫っているのにも関わらず、推しに縋って勉強から逃げた。大学には落ちた。自業自得だと思った。自分のことを "ジュケンセイ" だと呼ぶことは出来ても、 "受験生" にはなれなかった。

「折角、良い高校に入ったのに。」

気を使って言わなかったけれど、きっとみんなそう思っていたんだと思う。「地頭が悪いわけではないのだから頑張ればそれなりの所に行けるのに、どうして頑張らないの?」担任には遠回しにそう言われた。本当にその通りだと思う。頑張りたいとは思っていた。でも、推しの方が大切だった。何で頑張れないのか、自分でもわからなかった。

推し出会って一年が経った。周りがみんな所謂「良い大学」への進学を決める中、なんて自分ダメ人間なんだろう、と自分自分に落胆した。推しに縋って生きていたそれまでの自分を心底殴ってやりたかった。

推しに縋って生きた先に待っていたのは、社会歯車に組み込まれた「わたし」の凋落だった。

しかった。このままで良いわけがないこともわかっていた。人間とは不思議もので、自分にラベル(私にとっては地元で一番の進学校に通う勉強が出来る子)が貼られると、そのラベル通りの人間になろうとするらしい。"良い大学に行くために"浪人をした。高校三年生の時よりもちょっとだけ、頑張った。ラベル通りの人間にはなれなかった。

結局、滑り止めとして出願した今の大学に拾って貰った。首の皮が一枚繋がった。私は、あかりにならずに済んだ。(と思いたいだけなのかもしれないが)

気づけば推し出会って二年が経っていた。

現実世界の私は、もう本当に、どうしようもなかった。

こんなにも自分怠惰堕落しているのに、親が私の事を見捨てず変わらず接してくれることが苦しかった。なんでこんな自分出資をしてくれるのか、わからなかった。リターンなんて何も無いのに。この先必ず廃業すると分かりきっている企業の株を親に買わせているようで、辛かった。自分詐欺師にでもなったかのような気分だった。

推し出会って四年が経った。

未だに私は推しのことは相変わらず大好きだし、推しに縋って生きていたあの時と同じように狂ったように愛を叫んでいる。けれど、何かが違う。

大学生になった。

詐欺師から普通人間になりたくて、必死にもがいた。辛い、もう辞めたい、と周りに弱音を吐きながら何が何でも良い成績が欲しくて必死に授業に喰らい付いた。二年前、私がなれなかった "受験生" になったかのような気分だった。気がついたら死ぬ気で喰らい付いた授業で優秀作品に選ばれていた。やっと人間に近づけたかもしれない。そう思った。

推し、燃ゆ。

こうなっていたかもしれない私の、話。

私の推し今日も変わらず画面の向こうで笑顔を振りまいている。そんな推しをぼーっと眺めながら今日も私は目の前の課題に取り組む。

私の背骨はいつの間にか、推しから現実生活に変わっていた。

2021-01-28

anond:20210128173638

ソースのない男叩き系の戯言ネトフェミではない人間意見と捉えてる君の方が心配になるわ

共学の男の方が男子校の男より遥かにマシなんて全く思えないし(共学ではクラスメイトの女のランク付け・悪口日常茶飯事)

煽られて当然

2021-01-26

知的障害児の母親が忘れられない 追記

知的障害を持つ子供と親について、またそういった子供を産むことや育てることについて、比較マイナスな内容です。不快に思う方もいると思いますので自己責任でお読みください。


インスタのおすすめ欄を見ていたら、軽度の知的障害を持つ娘を小学校普通学級に通わせてるお母さんの投稿が出てきた。その子クラス孤立していること、授業の指示を理解できていないという報告をサポーターの人から受けたらしく、学校に行って状況を改善するよう話をしたいという投稿だった。

これを見て、ふと小学校の時に同じクラスにいた知的障害を持つ男の子のことを思い出した。その子、Aくんは、授業中、授業に関係ないことを唾を飛ばしながら話し、正面を向いて座れないのかいつも横向きに座っていた。国語からっきしだったが算数が得意で、足が早くて、ドッヂボールが好きだったと思う。正確に覚えていないけど、小学校までは普通学級で過ごして、中学支援学級に通っていたはずだ。

当時の担任先生は、大人になった今考えても非常に真摯に生徒に向き合ういい先生だった。私も当時3ヶ月ほど入院したことがあるのだが、他県の病院にいた私のもとへ平日の放課後にお見舞いに来てくれるような先生だった。何を話したかは覚えていないが、クラスの皆に手紙を書かせ、きれい製本し、お花と私の好きだったキャラクターの小さなぬいぐるみと共にプレゼントしてくれたのを覚えている。その先生はAくんにも目をかけ、目に余るようならば厳しく叱ったりするものの、しかし他の生徒と良い意味でも悪い意味でも同じように接した。そのため私たちもAくんのことについて「変わった子だな」とは思いつつ、Aくんが障害を持っていることは成長するまで知らなかった。察している子もいたかもしれないけど、少なくともあらゆることにおいて「障害があるから」ということを理由にしない先生だった。田舎学校なので、私も含めクラスメイトたちはなかなかいい子ではなかったけれど、注意することはあれど、強い言葉で怒ることはしなかったし、ましてや手をあげることは一度もなかったから、幼いなりに先生尊敬していた。

その先生が、唯一大きな声を出して、たった一度だけ、されど一度、手をあげた相手がAくんだった。詳しいことは忘れてしまったけれど、Aくんの腕を掴んで廊下へ連れて行こうとする先生の目がなぜか潤んでいたのは覚えている。

ところで、私は小学校から歩いて子供の足で30〜40分ほど離れたところに住んでいた。家が遠いので、近くに住む幼馴染と一緒に登下校していたのだが、幼馴染のクラスは私のクラスに比べて帰りの会が終わるのがかなり遅かった。そのため、私はよく廊下で幼馴染を待っていたのだが、ある時、ふと忘れ物したことに気づいた。幼馴染のクラスはまだ終わらなさそうだったので、自分教室へ取りに戻ることにした。教室電気がついていたので、先生挨拶しようと思って教室を覗き込めば、先生と誰かのお母さんらしき人が話しているのが見えた。特別聞き耳を立てたわけじゃないが、ドアが開いていたので声が聞こえてきた。Aくんのいることでクラスのみんなに迷惑をかけている、Aくんのことを叩いてしまう、先生にも手を出させてしま申し訳ない。そのお母さんは泣いているらしく、当時小学校の低学年だったけれど、これは聞いちゃいけない話だと思い急いで戻った記憶がある。

それからしばらくして知ったけれど、その女の人はAくんのお母さんだった。実は私はAくんと6年間同じクラスだったため、私の母とAくんの母は面識があった。私が小学校卒業してだいぶ経った後、母が酔った時に聞いた話だが、Aくんの母はAくんのことについてかなり思い詰めていたらしい。

Aくんの母は、Aくんを一人で育てていた。私も私の母も、小学校から中学までの9年間、Aくんの父親も、Aくんの祖父母も親戚も見たことはない。働いていたようだし、もしかしたら離婚していたのかもしれない。Aくんの下にいくつか年の離れた妹がおり、それでもAくんのことでクラス迷惑をかけてしまうからと、学級委員を引き受け、PTA活動にもかなり積極的に協力していた。そういえば、学期末にAくんのお母さんからクラスのみんなにお礼と言って高そうなお菓子をもらった気がする。とにかく、Aくんのお母さんは周囲の子供や先生保護者に常に頭を下げていた。授業参観懇談会行事も、常にAが迷惑をかけて申し訳ない、と言っていた。母は詳しく話さなかったが、AくんとAくんのお母さんについて、冷たい言葉を浴びせる保護者もいたらしい。私は特別Aくんと仲がいいわけではなかった(そもそも性別が違うので一緒に遊んだりはしなかった)が、Aくんのお母さんは授業参観等で私に会うといつも疲れた笑顔で「いつもありがとうね、Aが迷惑かけてごめんね」と頭を下げた。小学生の私は、大人の女の人から頭を下げられることなんてなかったから、なんだか不思議気持ちがした。

私は現在20代になり、友達との会話も、結婚子育てについての話題が出るようになった。特に仲良い友達子供好きで、最近お兄さんの子供が産まれたらしく、自分結婚して早く子供欲しい、そのためには彼氏を見つけなきゃね、と笑っていた。私に子供ができたら、自分の子供と遊ばせよう、と。

彼女は当たり前に自分の子供が健常児であると信じており、私の子供もそうであると思っている。私もそう思っていた。でも、Aくんのことを思い出すと、もし自分の子供が知的障害を持っていたら、と考えてしまう。わたしは、自分の子供のために尽くせるんだろうか。Aくんの母親のように周囲に常に頭を下げ、言うことを聞かずに周囲に迷惑をかける子供を躾け、周囲の心ない態度にも耐えることができるんだろうか。私がもっと人間的に成長すればできるのだろうか。今の私よりはるか人格者だった担任先生ですら、手をあげたのに?

子供可愛いと思う。昔は苦手だったのに、今は赤ちゃんをみると思わず笑ってしまう。自分が産むのは痛そうだし怖いけれど、好きな人の子供を産むのは素敵だとも思う。でもそう思えば思うほど、もし障害を持っていたらと考えてしまう。その子父親となる人は、私の両親は、友達は、理解を示してくれるだろうか。一人で育てることになるとしても、私は自分の子供を育てられるんだろうか。もちろん健常児でも同じ不安はあるけれど、障害児なら尚更、自信がなくなっていく。

知的障害の子供を捨てる方法はないらしい。親や親戚に育てられる環境があるなら、施設にはそう簡単に入れないという。産んでもし障害児だったら。もしくは、産まれときは元気でも、後天的障害を抱える可能性もある。そうなったら多分、私は捨てる方法を探してしまうかもしれない。子供を育てられる自信がないのはもちろん、わたしはAくんの母親のようにはなれないしなりたくないと思ってしまう。

こんなことを考えている私は多分子供を産む資格はないし、年齢的にもまだ産む予定はないが、子供を産んだ親は皆こういう悩みを乗り越えているのかな。それとも私の友達と同じように、自分の子供が健常児でないなんて想像もしていない?

ネット検索すれば綺麗事は沢山出てくる。色々考えて、乗り越えて、幸せ暮らしている家族だってたくさんいる。だけど、自分母親になれるような年齢になってから、Aくんの母親が忘れられない。優しい人で、でも小学校の後半は、子供の目から見てもやつれているのがわかった。彼女はどんな気持ちで、私たちと関わっていたのだろう。

Aくんと母親が今何をしているかは知らない。ただ、Aくんが楽しく過ごせて、あの母親がもう頭を下げなくていい生活をしていたらいいと思う。


1/27 1:22

注目エントリに入ってるのを見てビビり、タイトルがあまり露骨だなと思ったので変えました。本文も誤字直したり付け足したり。

本文に書いたように、どんな子供であっても自分の子を捨てるかもなんて考えをしている時点で私は子供を持つ資格はないと思っています。私の子がどうこうというより、障害を持っている子供とその周囲について、実際に見たことを思いだして、世の中の人はどう考えているのかなと疑問に思い書きました。不快な思いをした人はすみません問題があるようなら消します。

1/27 13:48

起きたら人気エントリに入っててさらビビりました。たくさんの反応ありがとうございます

編集タイトル変えても別のところ(ブックマーク?)では変わらないんですね。増田に書くのが初めてなので知りませんでした。消さなくて良いよと仰る方が多く安心しましたが、一部タイトル含め不快な思いをしてしまった方もいるようで、配慮が足りず申し訳ありませんでした。

コメントブックマーク等、全て読ませていただいています

私は親になったならばその子がどんな子供であれ幸せにする責任があると思っているので、福祉の充実も含め、親が二人(もしくは一人)で育てていかなくてはいけないという体制もっと良い方向に変化して欲しいなと思っています。勿論今も私の子供の頃に比べたら支援等かなり良くなっていると思うのですが、やはり世の中のお父さんお母さんでそこまで考えて産んでる人は少ないと思いますし、それこそ私の友人のように健常を前提として子供を産んだ親や、子供が産まれた後なんらかの事情障害を抱えた場合、すぐに「それでも我が子だから頑張ろう」と育てていける人ってかなり少ないと思います。これはもちろん健常児の場合も同じで、健常児だから楽というわけではないことは承知しています。ただ、親が正直しんどいと思った時、育てるか捨てるかという二択ではなく、少しでも子育てをお休みしたりできるシステムがあれば、親になりたい、もしくはなりたかったけど、という人も子供を持ちやすくなるしいいと思うのですが、これは子供からしたら親と離すなんて可哀想、という意見も出そうですし難しいのかな。まとまってなくてすみません

同じような不安を抱えているよ、と書いてくださる方が多くて嬉しかったです。また厳しい意見ありがとうございます。実際に体験した話もそうでなくても、皆さんから意見を読むことで、自分の中のモヤモヤしたもの記憶が整理されていく気がします。私はまだ社会に出たてのペーペーなので、まだ結婚出産といったものぼんやりとしたイメージしかないのですが、どんな選択をしたにしろ、自分も、産むとしたら自分の子供も、幸せであるように全力を尽くしたいと思います

ここまで読んでくださりありがとうございました。

他人が怖い。

私には、他人が分かりません。何を考えているのか。どれくらいの能力があるのか。そして、私以外の人間は、私と違って他人のことが分かっているのか。全てが分かりません。

他人が何を考えているのか」は、今までの経験とその場の状況から推測できる場合が多いです。したがって、テンプレ化した会話では問題なく応答できる(と自分では思っている)のですが、あまり遭遇しない場面になると途端に難しくなります

ある時タバコを吸っていると、友達から「それ新しいやつだよね?気になってたんだよね」と言われました。これに対する返答として適切なのは「1本要る?」なのですが、私の口からその言葉は出ませんでした。

これは、空気を読む力が先天的に欠けているせいなのでしょうか。それとも、発言意図をくみ取ることをサボっているということなのでしょうか。「普通」の会話がどうやって行われるのか知ることができればこの疑問に答えが出るのですが、いまだ他人に会話の方法を尋ねたことはありません。

他人の「能力」について考えるようになったきっかけは、受験勉強です。私はペーパーテストに関しては優秀で、「まじめに勉強すればいい点数はとれる。成績が悪い人は、勉強時間が足りない」と考えていました。しかし、世の中には、一所懸命勉強しても第一志望の大学に入れない受験生がいます高校時代クラスメイトに私よりも遥かに勉強熱心な人がいましたが、結局その人は志望校に落ち、私は東大に進学しました。非常に傲慢物言いで恐縮ですが、能力の差を感じました。

人によって能力に差があるということを知った私は、世間の中の自分立ち位置を考えるようになりました。世間には仕事やそれ以外の分野で素晴らしい業績を上げている方が大勢いて、それぞれ優れた能力を持っています。その一方で、四則演算が怪しい人や、怒り狂って支離滅裂クレームをする人がいるとも聞きます。色々な人の話を聞いているうちに、何が普通なのか分からなくなり、自分位置も分からなくなりました。

自分位置を知ろうとすることは非生産的だと思いますが、それでも時々考えてしまます。(結局、自分が高い能力を持つことを確認して自己肯定したいだけなのかもしれません)

人間は、よく分からないものを怖がるといいます。私にとっては、他人がそうなのです。

2021-01-25

anond:20210123154953

自分の股ぐらから出てきた他人から

決してあんたの一部では無いからな

娘と母親ありがちな同一視現象、娘からするとめちゃくちゃウザいからな

 

例えば、職場の同僚とか、学生時代クラスメイトとか。そのくらいの距離感を保て

同僚やクラスメイトBL好きでも、距離とるかな〜くらいで嫌悪感はないだろ?

(もしこのパターンでも嫌悪感があるとしたら性について偏見があるだけ)

2021-01-23

風俗に落ちた女友達

念のため、年齢はぼかす。創作なので俺も彼女もどこにもいないです。

俺には中学生の頃に女友達がいた。その子は低い声がコンプレックスらしくあまり人前で喋る方ではなくて、アスペルガー障害を持っていた(これは後に発覚)ので、よく周りが笑っている時に笑いどころが分からないと一人で真顔でポツンと座ってるような子だった。ストレスで上唇を噛む癖があり、パッチりとした目をした可愛い子だったが上唇がいつもボロボロだった。それでも2,3人の女の子グループにいつもいて、ぎこちなく笑いを浮かべて過ごしてはいた。

の子も俺もよく休みがちだった。俺は情報量が多い学校生活を送っていると脳と体が疲弊しきるので、周りと比較することを覚えた小4あたりから社会生活を諦めていた。布団に入って教育テレビを見ながら疲弊不安で泣いてることが多かった。

彼女と同じクラスになったのは中1の頃で、席替えの時に隣の席になった。とある授業で前日休んだ人間が前日のプリント職員室に二人で受け取りに来いといわれたので二人で一緒に行ったのが彼女と接点を持ったきっかけだった。今まであんまり接点がなかったが無言のまま行くの気まずいので「マンガ読む?」と彼女に聞いた。彼女は「うん、鈴木先生とか」と即答した。

当時でアクションで連載開始したばっかりぐらいの時期だったので、同級生アクションを読んでる人間がいるとは思わなくて驚いた。父が買ってる漫画雑誌や父の本棚の本を読んでいるらしい。俺と全く同じだった。

それをきっかけに仲良くなった。ジャンプを読まず、アニメも観ず、流行がわからない俺には漫画の話をする相手彼女しかいなかった。話を合わせる必要がある同性の同級生よりも、彼女漫画の話をしてる方が楽しかった。彼女から安野モヨコ」を教えてもらい、俺は彼女に「吉田秋生」を教えた。こっそり漫画を貸し借りした。「吉祥天女すごい面白かった」と彼女は言っていた。俺は「BANANAFISHは?」と彼女に聞いたら「IQ200もある人間が男娼なんかになるわけないし悪い意味で都合がいい展開多くてBANANAFISHは好きじゃなかった」とハッキリ言った。俺はそれを聞いてハッとして「それもそうだね」と笑った。彼女は笑うわけでも怒るわけでもなく、ただ無表情だった。最初は嫌わてるのかと思ったが、こういう子なんだと理解できた。

中3になって受験シーズンに入ると周りも受験モードになってくる。彼女とは別のクラスになったが、メールで時々やりとりをしていた。俺は特に行きたい高校がなかったので通信制高校へ行くつもりでいた。欠席日数も100日を超えていたし、何よりまともに高校生活を送れるとは思わなかった。通信制高校なら週1の通学で卒業できるので、俺でもなんとかやれると思えたのだ。「教師になりたい」と言っていた彼女大学進学も視野にいれて進学校に行きたいらしい。俺も彼女も成績は上位20番台に入れたので、「学校休んでまで勉強しているガリ勉」だとかよく陰口を叩かれていた。特に進学に成績が関係のない俺は受験シーズンになっても変わる事なく学校を休んだりしていた。周りが受験モードになると俺は成績が50番台まで落ち、塾に通いだした彼女は上位10位をキープするようになった。同級生志望校を聞かれたとき通信制高校名を口にすると驚かれた。なんでそんな所に行くんだ。と。三者面談の時に担任から第一志望を通信制高校にするやつなんて初めて見た。考え直せ。」親からも「せめて普通の子みたいに普通高校行ったら?」と言われた。周りから理解はされなかったが、学校休みがちな彼女だけは「頭の中がオーバーフローしそうな時は横になってるのが一番落ち着くんだよね、それ以外どうすればいいかからない」と言っていた。あの時俺の気質理解してくれてたのは彼女だけだったと思う。面倒くさかったので、家から一番近い学校受験した。前期受験の時に同じ中学から受験した子は成績が「160人中120位」ぐらいの子だった。「え!?なんでお前もここ!?」みたいな反応をされたのを覚えてる。周りにも騒がれた。

俺は第一志望の通信制高校に通うを事は叶わず、家から一番近い偏差値40ぐらいの高校に通うことになった。彼女は後期試験第一志望の高校に受かった。思春期の周りが恋愛モードになるが、俺たちは卒業まで学校で会話することもなく、淡々メールを交わすだけだった。ある日彼女に「好きな人いないの?」と聞かれた。俺は「枕と敷布団とかけ布団の3股してるよ」と答えると「私もだ笑」と帰ってきた。「塾の先生がすごい恰好良くてね、携帯ペアストラップつけてるんだけど、あれは彼女いるんだろうな。私も彼氏欲しいな」と言ってきた。今思うと、彼女学校で仲良かった異性は俺ぐらいだったし、あれは彼女なりのモーションだったのかもしれない。彼女にとって俺は恋愛対象じゃないと思っていたので「高校行ったらできるんじゃないかな、応援してる」と返した。そんな感じで卒業して俺たちは疎遠になった。俺はこのままうだつの上がらない生活をし続けて、高校進学で高みを目指せる彼女は、もっともっと高い所に行くんだろうな。と少し寂しくなった。

俺は高校では相変わらず休みガチだったが、中退はさすがにまずいと思って卒業できる程度に通った。授業も中学の復習からまったりして、授業も教科書をなぞるだけだったので、体が辛くても無心でノートを取って、休み時間はずっと寝ていた。幸いクラスメイトも良い子が多くて、人間関係で悩むこともなかった。一度学期末の成績優秀者で学期末に壇上に呼ばれたのがトラウマになり、勉強は授業を受けるだけで一切手を付けなくなった。

高3の頃に俺は進学か就職かの岐路に立たされた。進学する金も家になければ熱意もなくて、自動就職になった。よく教師や親からは「お前みたいなやつ社会じゃやっていけない」と言われていたので、そんな大人たちがいう「楽な仕事」の代表の「市役所」に就職することにして、公務員試験対策過去問を解いてたら高卒枠で滑り込めた。うちの高校から市職員を輩出するのは初だと、また騒ぎになって、来年インタビューに行くからなと担任から言われたのがすごい嫌だった。

就職が決まってから、俺は中学の頃の彼女を思い出した。中学卒業してから高校どう?」と一度連絡したら、「楽しくやってるけど、周りが勉強出来すぎてヤバイ」と不安をこぼしていた。少し心配だったが、勉強に忙しそうだったし、彼女に連絡を入れて勉強邪魔をするのも嫌だったし、もしもガス抜きしたくなったら俺に連絡くるだろう。と思っていた。それ以降連絡は来てない。まだ教師を目指してるんだろうか。大学はどこに行くんだろうか。あれだけ不登校気味だった俺は市職員になるよ。税金ご飯食べるよ。笑っちゃうよね。鈴木先生わっちゃったね。この間ね、安野モヨコエッセイ読んだよ。いろんな話をしたかった。「久しぶり、元気?」一通だけ送った。ひょっとしたらアドレスが変わっていてメールは届かないかもしれない。無事届いた。がその日は返事が来なかった。

翌日の夜中に一通メールが来た。彼女からだ。「久しぶりー、そっちも元気?私はまあまあかな。私入ってからすぐ高校辞めちゃった。〇〇駅(県内で一番大きな駅)の西口売春してたら補導されて、親にすごい怒られて家にも居られなくなっちゃってさ、今は回春エステ転々として寝泊りしてるよー。増田大学行くの?頭良かったもんねえ」

ビックリした。

から晋三が出るかと思った。

中学の俺たちは似た者同士だと思った。しかし俺は彼女けが高みへ飛んだと思っていたのだ。俺がだらだらと低空飛行の高校生活を送ってる間に、彼女高校を辞めるぐらいまで追い詰められていた。働きたくなかった俺は公務員になり、教師になりたかった彼女風俗嬢になっていた。一体どこでどう間違えたんだ?あれだけ高校受験を励めるお前が、頑張れるお前が、なんで落ちたんだ?落ちるんだったら俺の方だろ?

俺は彼女ご飯を食べに行く約束をとりつけた。会って話がしたかった。幸い昼間は時間の融通が利くそうで、予定調整してから合うまでに時間はかからなかった。

久々に会った彼女は顔の印象がだいぶ変わっていた。黒い髪は相変わらずだったが、パッチりとした目の下には人工的な涙袋が入ってた。垢ぬけた感じはあった。体は細いがなぜか指がパンパンに膨れ上がっていて、表情があまりかわらないのは昔のままだった。ボロボロだった上唇が細くきれいになっていた。

「久しぶりだね、大人っぽくなったな」と声をかけると「そっちも中学の時よりすごいかっこよくなっててビックリした」と言ってきた。彼女はこんな事言えたのか。なんか変わったなと思った。

ファミレス軽食をしながら俺たちはお互いの話をした。彼女からは3年間の空白を埋めるようにいろんな話を聞いた。

彼女高校に進学してから授業についていくためにずっと勉強をしていた事。授業についていくために塾にも通った事。それでもとうとうキャパティシが限界を迎えた事。家で数学勉強をしてる時に発狂してしまった事。不安違和感を感じた両親が精神科に連れていき診察した結果、適応障害うつ病だと判断された事。両親と医者と本人との3者でのカウンセリングを重ねたり、いろんな検査を受けた結果幼少期からアスペルガー障害があることもわかった事。その高校を辞めた翌年は別の学校に再受験した事。受かったが周りが自分より1つ年下の環境と、前の学校県内上位の進学校だった事もありすぐに噂が広がり居づらくなった事。ブロンでODをした事。次第に金パブにも手をだすようになった事。金パブブースト学校に通い続けることができたが、そこでも最終的には居づらくなり精神限界を迎えて学校を辞めてしまった事。応援してくれた両親も激怒し愛想つかした事。フリーターとしてコンビニバイトなどをするも空気が読めず、どこへ行ってもうまくいかなかった事。バイト転々としていた当時高2の彼女自分人の力でも食べていけるようになった手段が「売春」だった事。売春を続けていたら補導されたので、寝泊りができる回春エステで働くことにした事。過食嘔吐ストレス解消の手段になった事。整形して顔をいじったこと。今の収入じゃ満足できなくなってきた事。回春エステチップをもらいながら本番をしていたところ病気をもらって運営にも本番行為がバレた事。今度デリヘル転向する事。一切本が読めなくなったこと。文章が頭に入らなくなったこと。休みの日は過食しながらyoutubeジャルジャル漫才を見てゲロ吐いてる事。誰かにずっと監視されてること。いつも誰かに悪口を言われてる気がしてるということ。昔の彼女面影を探すように俺は彼女に色んな話をきいた。中学の3年分よりも彼女と話した。

しかし俺は彼女に「普通生活に戻る気はないのか」とはどうしても聞けなかったのだ。学生生活を満足に送る事が出来なかった俺だからこそわかる。その質問残酷すぎた。普通に働けたのであれば、とっくに働いているのだ。彼女の話をきいて、彼女彼女世界でなんとか足掻こうとしてるのが俺には痛い程わかった。 

中学の頃にさ、〇〇(女友達)はIQ200もあれば男娼になるはずない。ってBANANAFISH批判してたの覚えてる?」

「あー、懐かしい。言ってたね。吉祥天女今でも好きだよ。文庫版買っちゃったの実家にある。」

「買ったんだ、言ってくれればあげたのに。俺はさ、〇〇が風俗嬢になるはずない。ってこの間のメールみて思ったんだよね。」

「だから?」

「でもそれって、〇〇のしんどさとか辛さとか経験を、俺がわかってないだけだったんだな。ってお前の話聞いて思ったよ。アッシュが男娼になるまでのバックグラウンドもっと掘り下げられていれば、〇〇もBANANAFISH楽しめたのかなー」

増田は変わらないね。私の土俵で私の漫画の話をしてくれるよね。中学の頃私と一緒にいた女友達覚えてる?あの子たち時々連絡くれてたんだけど、高校中退した時に『何があっても友達から』って言ってくれたのに、私が売春初めてから連絡してこなくなったよ。私が売春してんのも回春してんのも同級生の間でもう噂になってんでしょ?この間中学の時の××からヤらせてくれってメールきたよ。ただ話したいから会おうって言ってきたのは増田だけ。増田からメール来た時、仕事中もずっと増田の事思い出してた。うれしかったよ」

「そんなに嬉しかった?だったら、薬指切り落して俺に送り付けてくれてもよかったんじゃない?(安野モヨコ漫画ネタ)」

馬鹿じゃないの」3年越しにあってから初め聞いた彼女の笑った声と、笑った顔だった。

俺には彼女を救い上げてやることはできないし、彼女生活を支えてやることもできない。彼女を守ることもできないし、俺たちにはお互いを支えあうような力は残ってなかった。日々の生活でいっぱいいっぱいなのは、お互いが一番よく理解していた。公務員内定が決まった俺に目の色を変える同級生がいたが、一番寄りかかりたいだろう彼女は俺に依存しようとは一切しなかった。性風俗咎めず、性風俗従事している彼女をただ受け入れて話を聞く。俺にできるのはそれだけだった。

俺たちはその日たくさん話して、仕事へ向かう彼女を見送った。何故かもう会えない気がしたので、「体に気を付けて」といったら「そっちもね」と、中学の頃と変わらない無表情で返ってきた。

俺の予感はあたり、彼女と会うのはそれが最後になった。

それから数年経ったある日、彼女から「私と会った事ある人だよね?ずっとスマホ監視されてて。確認たかったの。ヤバい人にずっと付きまとわれてて、ネット本名も晒されて、ずっと監視されてるから疑心暗鬼なっちゃって」とよくわからないメールが飛びこんできた。「久しぶり、増田だよ、中学の頃から同級生だったろ。大丈夫か?」とメールを返したが送信エラーになった。

心配した俺は、ひょっとしたら彼女実家で療養しているのかと思って、中学同級生から彼女実家の住所を聞き家まで行った。表札には彼女苗字はなく別の苗字が書いてあった。念のためインターホンを押したら現住民対応してくれた。どうやら今の住民中古物件としてこの家を買ったみたいで、前回の住民とは一切コンタクトは取っていないとの事。文章でのやりとりが得意で、口語でのやりとりが苦手だった俺たちは、携帯電話番号を交換していなかった。俺は彼女と連絡をとる手段を失った。

それから今に至るまで、彼女とは連絡をとれていない。

2021-01-21

独り言

Twitterで2日に1回は見る夫婦別姓だとか離婚だとかで苗字が親と違ったり、施設にいる子はいじめられるって話。そもそもなんでそうなるんだろうなぁっていう気持ち

私の住んでる場所幼稚園小学校中学校、果ては私立高校とか大学までなんでもある感じの地域。その中学校の前には学園って呼んでる養護施設があって、小学校からクラスに1人はその学園から来てる子が居た。

基本的に学園に入ってる子って、まぁなんか虐待とかもあったのかもしれないけど親が病気で〜とかそういう子もいて、まぁ色んな人がいた。途中で学園を出て自宅から学校来てる子も居たし。ただ帰る家、住んでる家が学園ってだけでみんなと何も変わらない子供だったからまったく違和感は無かった。

おまけに途中で苗字が変わる子も居た。その時も「昨日までAだったけど今日からYだから〜」「まじ〜?間違えて呼んだらごめん!!」みたいなそんなノリ。本人もまぁどっちでもいいよ〜って言うくらいだったし。

それが普通だと思ってたか漫画とかコラムとか読んでびっくり。そんなことでいじめに繋がるんだなぁみたいな…勿論離婚した子とか施設の子はいい人しか居ない、楽観的な子ばかりじゃないのは確かだけど、ただそれは個性のあるクラスメイトってだけなんだよね。

から夫婦別姓はいじめにつながる!だとか考えてるやつはもうそんな時代じゃないよ、大丈夫なんだよって言いたい気持ち。まぁ地域差はあるんだけど。眠いから支離滅裂になったけどとりあえずこれでおしまい

40年目の真実

先日、ここ十数年使っていなかったMIXIからメールが届いていることに気がついた

差出人は小学生の頃の同級生

この同級生とは十年前に参加した同窓会にも参加していなかったため、40年以上没交渉

ならば宗教勧誘かなにかと思ったものの、一応中身を確認してみた

 

すると、自分に40年前の謝罪をさせて欲しいとの事

 

はて、何かあったかと思い出をひねり出してみるも何も出てこない

しろ同級生の顔すらおぼろげで、そもそも同級生だったのかすら怪しい

同学年であったことは間違いないのだが

 

しばらく放置しておいたものの、毎日メールが来るようになった

兎に角会って謝罪がしたいの一点張りで、埒が明かない

流石にこのご時世、得体のしれない相手と直接交渉する気にはなれないので、謝罪内容を書いて寄越すように返事をしてみた

何度か直接会って話すと拒否されたものの、没交渉が長かったこと、このご時世対面したくはないことを伝えると、

ようやくメール謝罪内容が届くこととなった

 

すると、私にとっては黒歴史と化していた事件事実が書かれていた

 

小学生の時起きた、学級文庫紛失事件犯人自分であったこ

早く読みたい一心で、黙って持ち帰ってしまたこ

事が大きくなり、事実を言い出せなかったこ

本も返すことができず、いつの間にか紛失してしまたこ

しばらくは気にしていたが、忘れてしまたこ

 

数ヶ月前に自分の子供が冤罪をかけられクラスメイト教師からまれて心を病んでしまたこ

ここで過去自分が犯してしまった罪を思い出し、謝罪を思い立ったこ

 

以上のことが、実に自分本位の身勝手文章で書かれていた

 

要は因果応報、親の因果が子に報いを地で行ってしまったらしい

 

そうだ、長らく忘れていたが、自分が人を信じなくなったのはこの当りだった

 

当時、学級文庫は係が貸し出しノート記載し、返却の際には係に告げ、返却を確認することになっていた

当時人気の本を借りた私も読み終わって返却した

だが、その本がなくなったのだ

人気の本だったので、順番待ちしている生徒多く、ついには騒ぎになった

最後に借りたのが自分であったため、未返却を責められた

しかし、自分は返却済みであり、本の行方なぞ知る由もない

だが、所詮子供最後に借りた人間犯人であると騒がれてしまったのだ

 

結局、担任教師も私の話なぞ聞かず、家に忘れてきたのだろうと責め立てられた

当然その教師から親に連絡が行き、家中探させられたのだがあるはずもなく

最終的に親が二冊学級文庫に寄贈するということで話が付いたことを覚えている

教師と親との間でどんな話が持たれたのかは一切知らない

 

私はこの事件を切っ掛けに借りた本を無くした悪いやつ

公共のものを大切にできないやつ

という悪のレッテルを張られたまま数年を過ごすこととなった

そして同級生のみならず、教師と親の信頼も信用も同時に失ったのだ

 

流石に中学校に上がってからは思い出話にも出てこないようなものではあったが、

私の人生に闇を落とすには十分な事件ではあった

 

それ以来と言っては大げさかもしれないが、物の貸し借り、出納には厳しくあたってきた

全てを記録したがる癖はこの時身についたのかもしれない

 

話を戻すがこの同級生への返事はどうしたものかと頭を悩ませた

同級生贖罪気持ちはわかるが、これは自分が楽になりたいだけの謝罪であることは明白

 

子供が似たようなことに巻き込まれてようやく自分の犯した罪の重さに気が付き、

その重さに耐えきれなくなって没交渉相手に連絡をとってきたのだろう

 

この同級生に直接謝罪の機会を設ける代わりに子供を同席させる、とか

誠意が見えないと暗喩してみる、とか

 

色々頭をめぐるものがあるが、そんなことをしてみたところで私の失った信頼と信用と人生は帰ってこない

 

この同級生を許せるかと言えば、許せるわけがない

私の人生、とりわけ感受性の高い子供の頃の話だ

覆水盆に返らずとはよく言ったもの

 

だが、それを伝えれば、きっと、40年も昔のことを未だに恨んでいる器量の狭いやつと揶揄されるだろう

特に私を糾弾した他の同級生はそう感じるだろう

彼らもまた、人の人生など砂粒ほどの価値もないのだから

 

当時私を糾弾した人間全員に釈明してこいというのも一興かもしれない

 

結局、私は同級生に返事を書けずにいる

 

今更謝罪などされても、何も変わらず、私としては胸のモヤが深まるだけだ

同級生の禊を手伝う気にもなれない

子供のことと私のことは別の話であること明白だが、親の因果が子に報いが思い浮かぶ程度には気の毒には思っている

 

ただ、同級生には今後40年は苦しんで貰うほうがこちらとしても溜飲が下がる思いだ

私は40年目の真実を胸に前に進むことにする

 

例え残された人生があと僅かであったとしてもだ

 

少々ポエムチックになってしまったが、家族知人に話せる内容でもなく、

さりとて同級生本人に直接ぶつける勇気もない

敢えて匿名という形で世の中に発信してみたのである

 

自分積みゲーをする理由

結論から言えばテレビゲームが好きだから



だけだと面白くもないので、好きな理由とか何で積みゲー存在してるのか書いてみた


ゲーム以外の趣味と呼べるもの料理ぐらいで、基本ゲームしてるぐらいにゲーム好きの人間ゲーム歴は20年超えてる

所持ハードPC、PS5、PS3PS2PSVitaPSPswitchWiiUWii

積みゲーの本数は3桁。以前数えた時は大体160本ぐらいだったので多分そのぐらいある

ゲーセンネトゲ引退済。昔から1人でも楽しめる遊びが好きで、もっぱら一人用のゲームで遊んでる。要するにぼっち

でもマルチプレイ抵抗はないので、Discordで知らない人と通話して遊んだりもする

次になんで積みゲーが多いのかを箇条書きで書き出してみた

・広く浅い遊び方をしてるので、手を出してるジャンルが多い(遊ばないジャンルの方が少ない)

・気に入ったゲームはそれなりに遊ぶ(プレイ時間100h~)

・人のプレイ風景とか、PVとか、ストアページとか色々見た時に、「面白そう」って思ったらとりあえず買う

資格勉強をしてるので意外とゲーム漬けできない


最後だけは特殊なので、次は上3つをまとめて語ろうと思う

積みゲーきっかけは、高校生になってアルバイトを始めた辺りからだったと思う

自分が好きに使っていいお金ができたので発売日が被ってるゲーム3本を、まとめて発売日に買ったりしてた

とはいえ平日は友達カラオケに行くとか、クラスメイトカラオケに行ったりしてた。田舎だったので電車で遠出しないとカラオケしか遊べる場所がなかったのだ

そうするとゲームをやるのは必然的に土日祝日用事がない平日になる

しかゲームを3本、しかRPGが混じってるので遊び終わらない内に次のゲームが発売してしま

今はそうでもないのだが、当時はなぜかお布施感覚で、好きなメーカー(開発)の新作は発売日に必ず買ってた。高校生の分際で何様なんだコイツ

新作を買ってきたはいいが、今遊んでるゲームが終わっていない。どうしよう

こうなると既に手遅れであった。「とりあえず今遊んでるやつが終わったら開封しよう」と思うも

遊んでいるゲームが楽しくて一向に終わらないのだ。時間平等に流れているので、長引けば長引くほど次の新作の発売が迫って来た

今遊んでいるゲーム楽しい一方で、新作の情報を集めるのも楽しかった。というか今でも楽しい

このゲームはどんなゲームなんだろう。このゲームはこういうジャンルなのか。今までこのジャンルやったことなかったけど面白そうだな

今はあらゆるジャンルから好みのゲームを探し出して買っているが、当時はRPGアクション以外のジャンル経験が乏しかったのでどれも新鮮だった

「この『ストラテジー』とかいジャンルゲーム楽しいな!ほかの作品も探して買ってみるか!」と思えば3時間4時間は探していた

当然ながら、新しいゲームを探している時も積みゲーはあった。プレイ中のゲームもあった

「手持ちのゲームやりきってから次のゲーム買えばいいじゃん」と思う増田諸君もいるだろう

しかしちょうど受験等を挟んで、しばらくゲームから離れていた人間に自制しろというのは無理な話だったのだ



それから先はあれよあれよという間に積みゲーが増えていった。ついでにパソコンも思い切って一新した

コンシューマーだけでは飽き足らず、パソコンゲームもやってみたかったのだ。正確に言えばパソコンでもゲーム(フリーゲームや軽いネトゲ)をやってはいたが

スペック必要とするゲームは遊べなかったので、ハイスペックパソコンで遊ぶゲームというのを体験してみたかったのだ

そしてSteamと出逢った。ついでにゲーセンデビュー果たして音ゲーにハマってた

今やパソコンゲームをするときには欠かせないSteamだが、当時はまだそこまで日本人には浸透してなかった

ストアページなんか大体は英語で書かれてたし9割方は何が書いてあるのか分からいから、分かる単語PVだけでどんなゲーム判断してた

今はそれなりにメジャーになったジャンルも、当時は日本だとマイナーだったやつが多かったので

自分にとってはすごい目新しかったし、未知のジャンル感があっていろいろ買っていた。日本語がない作品が大多数だったので、長文を読ませるゲームを引いた時はさすがにプレイを諦めてた

こうしてコンシューマーでも積みゲーが多かった自分は、Steamと出逢ったことにより大幅に積みゲーを増やした

しかも驚くことにSteamでは定期的にセールをしていて安ければ75%オフゲームが買えるというじゃないか

ゲームダウンロード版というだけでも(自分には)珍しかったのに、セールまでするとはなんてすごい存在なんだろうと思った。この時期はとにかくSteamのものにハマってた

Steamにハマってはいたが、国産ゲームの新作も気にはなっていたのでこちらも並行して買っていた。当然ながら積みゲーは増える一方だった


一番多い時期で、積みゲー200本を超えていたのだが

さすがにやり過ぎだろうと我に返る時期があった

時間は有限なのだから義務からではなく本当に楽しいと思えるゲームをやろうと思って積みゲーを減らし始めた

そして現在。今やコンシューマー勢もセールをするのが当たり前になり、ダウンロード版も当たり前になった

未だに面白そうなゲームはいっぱいあるし、発売予定のゲーム面白そうなやつがいくつもある。具体的にはエルデンリングとか期待してる

一方で、リマスター商法流行りだして往年の名作を最新ゲーム機で出そうという試みが増えた

たとえプレイ済みでも、大変楽しかったゲームが復刻されれば欲しくなるのが人間である。具体的には真・女神転生Ⅲとか

まんまと誘われた自分プレイ済みのゲームであっても、つい手を伸ばして積みゲーにしてしまうのであった。おわり

2021-01-17

あの漫画みて、自分の小さいとき楽しい時思いだそうしたとしたが、

なんかでてこなかった

思い浮かぶのは、友達の家でボールぶつけられて泣いたことや、

転校初日ヘッドロックされたことや

ファミコンPC迷ってたときに、クラスメイトファミコンしろって言ってくれたけど、

影でPC派のやつで、あいつが来ると嫌だからと陰口叩いているのを聞いたりしたことや、

なんかの拍子に土下座しろとか言われ、素直に土下座したこととか、

嫌なことが真っ先に思い浮かぶ

けど、中学高校に比べたらましなはずなのに、

それでも楽しいことがなかなか思い浮かべられないのは、変なのかな。

田舎の嫌なところ:リアル

ヘイトを出さんとリアルに嫌なところを挙げてみよう

・虫がおる

 ムカデゲジゲジスズメバチ

 一番嫌なのはムカデで、身近さと実害を併せ持っていて最悪 父が寝てるときに刺されたという話を聞いたときはしばらく落ち着いて寝られなかった

 ゲジゲジはとにかく見た目が本当にキショい 益虫らしいが、外見がゴキブリの8倍くらいキショいのでそんなこと言ってられん ホンマにキショい

 スズメバチは家の外にしか出ねえが、怖さのレベルが違う 幸い刺されたことはないが、やっぱ「刺されたら死ぬ可能性がある」ような生き物がその辺をブォンブォン飛んでるのはホンマに怖いですよ 

 俺の田舎にいたのはスズメバチのなかでもデカい、その名もオオスズメバチで、ガチデカい 5センチとかある 超怖い ほんで近づくと顎をカチカチならして威嚇してくる 警告してくれるだけ有情なのかもしれないが、俺は家に帰ろうとしてんだから威嚇されたって困る

 毛虫とかも多い 春になると毛虫に覆われて真っ白になる超キショい木が近所にあって嫌だった

交通網がカス

 というよりは、都会の交通網が優れすぎなのか

 田舎から大阪に出てビックリしたのは、隣接する都道府県に片道1000円もかけずにすぐ行けてしまうこと どっか出かけようぜ!となったときに、大阪京都奈良兵庫くらいが候補に入るのはすごい 淡路島にも行ける

 俺の田舎じゃ隣県まで遊びに行くなんてことは考えられなかった 時間もかかるし、なにより金がかかる 

その辺の人が話しかけてくる

 田舎云々じゃなくて地元からかもしれないが、その辺を歩いてて謎のジジババが話しかけてくる頻度が高い

 しかも何言ってるかガチわからん 訛り+フガフガ声によって本当に理解不能領域突入している そんで話長い 助けて!と思いながら曖昧な返事をし続けるしかない

学校ウンチ

 子供絶対数が少ない上にヤンキーが多い 少なくとも俺のところはそうだった

 特に小学校が酷くて、同級生は9人 女子がひとり、ヤンキーが7人、そして俺だった 嫌いなタイプ人間と嫌いじゃないけどヤンキーなので怖い(カジュアルに殴ってくる)タイプ人間しかいなかった

 小学校時代の思い出を楽しげに語っている人をみるとちょっと悲しくなる 9人しかいないのでさすがにぼっちって感じじゃなかったけど、じゃあ「友達」がいたかというと、いなかった気がする

疎外感

 ほとんどのイベント東京大阪でやっているもので、自分には縁がない感じがしてしま

 まあ地方開催のやつだって時々はあるし、本気で行こうと思えば行けたのかもしれないけども、やっぱハードルは高いよな

 でも俺これに関しては都会育ちでも行ってない気がするな そういう意味で実害は多分被ってないんだけども、それはそれとしてなにかのイベントの詳細を見るたびに東京東京大阪大阪なのは疎外感があった

 テレビなんかでずっと東京の話をしてるのもツラいものがあった 

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 「都会のリベラル田舎暮らしに憧れて、田舎に住んでみた!」というのが俺の家庭だった

 親は東京出身だったし、それなりにええ仕事をしていた

 ホンマ何してくれとんねん 殺すぞ 田舎に住むな という気持ちは正直あるが、「田舎特有の閉塞感」というものは感じなかった つか子供会とか参加した記憶がないし、多分浮いてる家だったんだろうな

 いや、しかし、そもそも地縁みたいなモンがある土地柄ではなかった気がするぞ 昔からここに住んでるんですって感じの家庭は全然なかった

 クラスメイト、全員近所の児童養護施設の奴か転入者だった

 多分滅びすぎて地縁が消え失せた謎の地域だったのだろう そういう意味では一般的田舎とはまた違う雰囲気だったんだろうな

 でもニュータウンではないんだよなあ!タウンじゃなかったもんあれ 道沿いにしか家ないし、「山を切り拓いた道沿いに家々がへばりついた場所」って感じだった 町とか村以下の存在だった

 稀有体験だった気もするんだが、やっぱ都会で育ちたかった感じはどうしてもある

 今都会に住みたいって話じゃなくて、都会で育ちたかったって話なんだよな

2021-01-16

都会人はムカつくけど俺自身が都会に出たいわけではないんだよな

大学三大都市圏に出たけど、都市圏メリット自分活用したことあんまりなかった

中心街に出かけたところで、別にやりたいことも買いたいものもない デカモールに入ってみてもずっと心が凪いでいる状態

植物園が好きで、都会の方が植物園の数は多いんだけど、そもそも休日にひとりで出かける元気がないのでほとんど行かなかった 結局3回くらいしか行ってない

彼女とのデートの行き先が多いのはよかったけども、たぶん地元にいたらいたで車でいろいろ出かけてたろうし、同じところに何回か行くのもそれはそれで悪くなさそう つか家デートなんやかんやで一番いい気もするし、となると安い家賃ででかい部屋を借りられる田舎の方がよさそう

ライブとかイベントの類にはそもそも興味がない コンテンツあんまハマらないし、ハマったとしてもそういうイベントテンション上げるタチでもない なんか気恥ずかしくなってしま

好きなバンドはいるけど、日本全然知られてないっぽい南米バンドなので、ライブに行くには国外旅行必要が出てくる

外食あんまりきじゃなくて、ひとりで外食することはほとんどない 彼女となにか食いに行くのは好きだけど、ひとりとなるとめんどくささの方が勝つ チェーン店くらいしか行く気にならない

自炊は好きで、その買い出しの場となるスーパーマーケットも好きだ スーパーマーケットがたくさんあって、いろいろヘンなものも手に入りやすいっていうのは都会のメリットかな

でもまあ、ホントにそのくらいだな

スーパーがいっぱいある」くらいのことにしか都会の良さを感じたことない 実は

大学生活自由を感じたのは純粋一人暮らしだったからだろう 多分地元でも一人暮らしなら自由だった 

しか交通網は発達してるんだけど、ガチで外出んしな ホンマに出ん 夏休みとか40日間家とスーパーの往復生活だったし

なので実は都会人は別に羨ましくはないんだよな 自分で都会に住みたいとも思わない まあムカデとかゲジゲジが出ることがあるのは田舎のツライ点だが……

でもそれはそれとして都会、つうか東京人は憎い

俺はもう引きこもりマインドセットになってるのでそんなに不便を感じず暮らしていけるんだけども、俺が東京に生まれていたらもうちょい違う性格だったんじゃないか?という疑念は拭えない

そもそも小学校とき同学年のやつ10人もいなかったし、その数少ないクラスメイトはほぼ全員ヤンキーみたいな感じだった ほぼ全員万引きとかやってた

東京のでけえ小学校に通ってたら、俺は幼少期にしっかり友達を作れてコミュ障にはならなかったんじゃないかと思う 幼馴染みたいな概念が成立してたんじゃないかと思う 俺は昔からの馴染みの友達と久しぶりに会って飲みに行くみたいなことがやりたいのかもしれないが、現実の昔の馴染みは全員超怖い 普通にカツアゲとかされそう

自分が外に出なくなったのは学習性無力感ってやつなんじゃないかという思いもある

外出たって山しかない環境で18年くらい暮らしたらそりゃ外に出てもしゃあないわという気持ちにもなる 比喩とかじゃなくてホントに家から出て2キロくらいは歩かないとコンビニすらなかったからな…… まあ2キロ歩けばコンビニがあったというのはまだしも恵まれてたんだろうけど!

学校帰りに友達とどっかに寄れるような環境が欲しかった 俺、中学までお小遣いゼロだったけど別に困らなかったんだよな 金を使える場所そもそもいか

今となってはもう仕方ないし、俺はこういう人間だと思うしかないんだろうけど、シティボーイの俺はどんな奴になってたのかなと思うとやっぱりフツフツと憎しみが湧いてくる

俺は山で育ったけど旧帝大に行けたわけで、東京で育ってたら東大に行けてたりしたんじゃないのか

勉強なんて嫌だ!最悪!みたいなこと言ってる奴らに囲まれ暮らしたせいで学習意欲が削られたという側面もありそう エリート校とは言わずとも、普通に勉強好きな奴もいるようなところで幼少期を過ごしてればもう少し頑張れる人間になってたかもしれない

まあ全部「かもしれない」だし、不毛ではあるんだけども

そのような感情東京人への憎悪に変換して増田に書き散らす そうすることで浮かばれるものもある、ようなないような……

anond:20210116080938

クラスメイトなぐらせろよ

反撃はなしな

1円やるよ だったら?

きっとそれでももらうんだろうな

自分ジャネーから

2021-01-14

増田若者はハッキリ言って贅沢すぎ

時代背景が今とは違う

豚肉なんて今とはぜんぜん違う価値

俺もバナナなんて食べたことなかった

小学生の時、クラスメイトが高熱で何日も寝込んで学校来れなくて

お見舞い行ったら「牛乳飲んだんだ」って自慢してて、とっても羨ましかった

その数日後にそいつは死んだけど、今思うとそれを予期してたか

親御さんは当時は高価だった牛乳を飲ませてやったんだろうなぁ

医者に見せる程の金はないけど、牛乳ならなんとか買ってやれる、そんな時代だった

2010年代まれ若者理解出来ないだろうな、俺ら増田の幼少時代の話は

2021-01-13

anond:20210113014635

運動音痴は恥によるスパイラルに陥りがちだ

私も、身長が高いのに運動殆どダメで、小学校スポーツテスト長距離走が常に飛び抜けて最下位だったのを思い出した。

中学に上がったときクラス自分よりちょっとだけ遅い子が居たから、正直言ってちょっとだけほっとした。

一人で走ってるのを見られるのはきつかったから。

でも、2年目から、その子スポーツテストの日は授業を休むようになった。

あの日、走り終わったクラスメイトと見学しているその子に見守られながら一人で走った校庭を、今でも覚えてる。

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