はてなキーワード: 学級文庫とは
税金払わずに毎日図書館に来て冷房を浴びながら昼寝しているホームレスがいる。
何日風呂入ってないのかも分からないクッセーオッサンが一角を占拠している。
宿無し生活用の装備が詰まったリュックを近くにおいて椅子の上に横になって寝てる。
クッセー靴下の匂いが染み付いて汚染された椅子は、あとで職員がファブリーズかけまくってるんだろうなと想像がつく。
住民税払ってる人間が図書館に来て本を借りるのは全く恥ずかしいことじゃない。
皆でお金を出しあっているクソデカイ学級文庫が図書館なんだから。
絵本をすごい勢いでグルグル読んでいく生き急ぎ園児、ラノベを大量に借りているニキビの中高生、彼らはきっと親が税金払ってるから堂々と使って良い。
実験や論文用の資料を読み漁っている大学生、その日の分の新聞を3つぐらい掴んで読み終わったらまた次の新聞を3つぐらい掴んで戻ってくる新聞ジジイ、将来税金を沢山収めてくれたり、過去にたっぷり税金を払い終わった人間も堂々と使うべきだ。
だがホームレスはどうなんだろう。
ずっとずっと税金を払わず、本を借りるわけでもなくただ涼しい場所、暖かい場所を求めてやってきて、夜の怪しい仕事にでも備えているのか堂々と昼間から寝息を立てている。
3人がけの椅子に堂々と横たわり、場合によっちゃ隣の椅子に荷物をボンボン置いている。
1円の税金も収めること無く公共の施設を貸し切っているホームレス。
こんな存在が許されて良いんだろうか。
「ホームレスじゃなくてツーリストがちょっと休憩に来てるのかもよ?」←知らねーよこの街で住民税払ってね―奴が知識や娯楽を求めるでもなくただエアコン効いてる場所で寝るためだけに来てるのがおかしいっつってんだよ。
健康で文化的な最低限度の生活を誰もが送るために弱い人にも優しくしなきゃいけないってのは分かる。
俺がいつかホームレスに転がり落ちた時、同じようにどっかのデパートや空港の待合室で怒られるまで寝てるかも知れないから。
でも釈然としないんだよな。
ホームレスが単なるホームレスで居てくれているだけまだマシで、風雨を凌ぐ場所欲しさにどっかの家に押し入ってくるぐらいなら、公共施設で悪臭撒き散らしてくれてた方がまだマシだってのはある。
冬場は凍りつくから仕方ないにしても、夏場だったら公園の蛇口からぬるま湯が出てくるだろ。
どうしたらいいんだろうな。
財布から金を取る、学級文庫の借りパクや他人の持ち物を盗るなどなど
今はもうしてない。小学生のときに親にバレて、というか証拠は明確にないけど私がそうした小さな悪事を働いていると察して釘を差されたことがあって(親の500円貯金から盗んでたし、いつまでも返されない学校の本や買い与えてないのに気づくと増える新たな文具とかで察していたと思われる)、案外バレるな、と思って少しずつやめた。あと同じクラスで万引きしてた子が補導されるようなことがあったのも影響してるかな。
損得の感覚、天秤が変わったと言うか。もらってくか、で盗んでたものが、バレたらめんどくさいの方に傾くことが増えた。
思い返せばあの頃盗んでたのはストレスやコンプレックス(貧乏、兄弟より出来が悪いとか)から開放されるためだったのかなと思う。気分の上がるものやオシャレなもの(文具)を持って一時の快楽に酔うというか、そういうすてきなものが持てる自分になることで安心感を得ようとしていた。
増田とは少し違うかもしれないな。
列挙より深掘りしてくれ。
大して困ってなさそうなのになんで医者なんて面倒くさい所へ行ったんだろう。
自分が他人のカギ番号覚えないのは他人に関心がなくて他人の行動など見ちゃいないのと、盗むためにカギ番号覚えるという発想がないからだが、増田はあとで盗むためにわざわざ覚えるのか。衝動的に「そこにあるから、目についたから盗む」以上に、盗む準備が入念だ。面倒くさくない?服を買い取ってもらうとか、先輩のかわいい顔を知ってる人に売るのならどうやって持ちかけるのか、盗み売りバレをどうやって口止めするのか。写真つけて学校外に売るならその手間とか、学校外なら先輩のかわいい顔の写真だけ撮って盗むのは先輩以外からでも良さげだが律儀に先輩から盗んでたのか…マメだな。
学級文庫は誰も困ってなさそうだが、金や服は盗られて困っている被害者を目視したと思う。「でも気にならなかった」とも書かないのは、記憶に残らなかったのか創作が甘いのか。
友達から盗んだエピソードがない。友達は信用をなくすと困る人カテゴリなのか、友達がいないのか。信用をなくすと困る人から直接盗まなくても、盗みがバレたら信用なくすと思うんだが。信用なくすと困る人には病院行ったの隠してるの?秘密保持面倒くさくない?
未来の自分から盗むというか、リボ払いとか消費者金融で気軽に借りるとかはしなくていいのか。別にたった今の増田は困らんでしょ。すぐ金が手に入るのに、困るだろうと想像しないなら借金しない理由がない、簡単なのに。
自分のことなら多少困る想像はできるのかな。もし返済が10年後とかなら、今の自分とかけ離れてて想像が働かなくて限度いっぱい借りそうではある。
この中国人もう2年くらい同じこと書いてるよな
■倫理観が欲しい
倫理ってみんなどこで身に着けるの?
やっぱ幼少期のころに親からなのかな、両親は普通の人だったと思うんだけど。
ADHDとかを疑って病院もいくつか行ったけど医者は総じて”そういうのじゃないよ”って
まあつまり純粋に倫理観がない、性善説を信じてる人には申し訳ないけど。
論理として、今これを言ってはいけないとか、この行動は得策ではない、とかは分かる。
一生懸命考えて地雷を避けてるんだけど、発言した瞬間にこれダメな方だったわってなることも多い。
(瞬間的な回避とか挽回方法は鍛えられたから大事になることは滅多にないけど)
盗むこととか虐げることに快楽を感じてるわけではないと思う。
親になったら変わるのかな、生む予定ないんだけど。
普通に人のロッカーとか開けちゃう、暗証番号覚えたり、スマホのパスとかもチラ見で覚える。
めぼしいものがそこにあれば回収するし(金銭とか高価なものとかヤバい写メとか)
別に何もなければ何もしない、そこに復讐とか困らせたいとか優位に立ちたいとかいう欲は無い。
信用を失くすと困るなって相手にはしないようにしてる。別にどうでもいいなって人からはもらえるだけもらっておく。
しちゃいけないよって教わったから最低限守ってるだけで、いけないことだからルールを守らなきゃ!って能動的な気持ちはない。
罰を受けるのは割に合わないから罰を回避するためにしない、という気持ちはある。
小学校の時に学級文庫をたくさん持って帰った、だって誰も読まないから。私は読みたいから。バレても特に何もないから。
中学校の時に部活の先輩のユニフォームを売った、だってたくさん持ってるから。先輩は可愛くて需要があったから。
高校生の時に定期をキセルしてた、そもそも地元は無人駅だったから。月のお小遣いを節約してる感覚だったから。
大学生の時に教室に置いてあった知らない人の財布5人分くらいから、バイト先の派遣さんのリュックから、現金全部抜いた、だってそこにあったから。
アパレルの勤め先で在庫管理任されたから内引きした、だって余ってるから。時給の補填だと思ってたから。
水商売で裏引きしてお金もらってホテルに行って相手がシャワー浴びてる間にカバンの中の現金を回収して身分証明書と会社名と社外秘資料を控えて帰った。お金持ってる人だったから。
SNSでいいなと思った素人の自撮りやカフェ写真は保存して水商売の写メ日記や会わないマッチングアプリで流用してた、自分の引き出しにないものだから。
生きてくためというか生活をもう少し豊かにするためにたくさんあるところから持ち出して補填する感覚。
想像力がないんだと思う、私のせいで誰かが困っている実感が全くない。
まだ他にもたくさん余罪はあるけど覚えてない、バレてもないし。怒られても本質が理解できないから響かない、次はもっと工夫しようと思う。
他人からひどい人間だと指摘されるので、多分そうなんだなって認識があるだけ。
なるべく正しくよりよく生きたいと思うけど、いつの間にかズレているので軌道修正が欠かせない。
倫理ってみんなどこで身に着けるの?
やっぱ幼少期のころに親からなのかな、両親は普通の人だったと思うんだけど。
ADHDとかを疑って病院もいくつか行ったけど医者は総じて”そういうのじゃないよ”って
まあつまり純粋に倫理観がない、性善説を信じてる人には申し訳ないけど。
論理として、今これを言ってはいけないとか、この行動は得策ではない、とかは分かる。
一生懸命考えて地雷を避けてるんだけど、発言した瞬間にこれダメな方だったわってなることも多い。
(瞬間的な回避とか挽回方法は鍛えられたから大事になることは滅多にないけど)
盗むこととか虐げることに快楽を感じてるわけではないと思う。
親になったら変わるのかな、生む予定ないんだけど。
普通に人のロッカーとか開けちゃう、暗証番号覚えたり、スマホのパスとかもチラ見で覚える。
めぼしいものがそこにあれば回収するし(金銭とか高価なものとかヤバい写メとか)
別に何もなければ何もしない、そこに復讐とか困らせたいとか優位に立ちたいとかいう欲は無い。
信用を失くすと困るなって相手にはしないようにしてる。別にどうでもいいなって人からはもらえるだけもらっておく。
しちゃいけないよって教わったから最低限守ってるだけで、いけないことだからルールを守らなきゃ!って能動的な気持ちはない。
罰を受けるのは割に合わないから罰を回避するためにしない、という気持ちはある。
小学校の時に学級文庫をたくさん持って帰った、だって誰も読まないから。私は読みたいから。バレても特に何もないから。
中学校の時に部活の先輩のユニフォームを売った、だってたくさん持ってるから。先輩は可愛くて需要があったから。
高校生の時に定期をキセルしてた、そもそも地元は無人駅だったから。月のお小遣いを節約してる感覚だったから。
大学生の時に教室に置いてあった知らない人の財布5人分くらいから、バイト先の派遣さんのリュックから、現金全部抜いた、だってそこにあったから。
アパレルの勤め先で在庫管理任されたから内引きした、だって余ってるから。時給の補填だと思ってたから。
水商売で裏引きしてお金もらってホテルに行って相手がシャワー浴びてる間にカバンの中の現金を回収して身分証明書と会社名と社外秘資料を控えて帰った。お金持ってる人だったから。
SNSでいいなと思った素人の自撮りやカフェ写真は保存して水商売の写メ日記や会わないマッチングアプリで流用してた、自分の引き出しにないものだから。
生きてくためというか生活をもう少し豊かにするためにたくさんあるところから持ち出して補填する感覚。
想像力がないんだと思う、私のせいで誰かが困っている実感が全くない。
まだ他にもたくさん余罪はあるけど覚えてない、バレてもないし。怒られても本質が理解できないから響かない、次はもっと工夫しようと思う。
他人からひどい人間だと指摘されるので、多分そうなんだなって認識があるだけ。
「〇〇菌」とか呼ばれたりしていて、今から思えば本当に可哀想なんだけど、
数日後に持ち主の元に物が返ってくるのが定石だったので別に濡れ衣とかではない。
しかも隠す物が体操服や紅白帽、リコーダーとか授業に必須のものばかりなので、実害も大きかった。
最初のうちは仲の良い子の物を隠すだけだったんだが、
友達がいなくなってくると少しでも自分に親切にしてくれた子の物を隠すようになり、
最終的には学年全体から嫌われていじめられるようになってしまった。
どうも彼女の中では
物を隠す→困っているところを見つけたふりをして返す→自分のことを相手は大好きになってくれる!
と思っていたらしい。
私は私物は隠されなかったが、学級文庫の本を読んでいたらその本が突然なくなり、
数日後に彼女から「あのなくなった本途中まで読んでたよね?私の家に同じ本があったから貸してあげる」と言われたことがある。
(彼女の本だと言って見せられた本はあきらかに学級文庫にあった本そのものだった。。)
以来、彼女に話しかけられても出来るだけ無視していたので、私もたぶん彼女をいじめていた1人なんだろうなと思う。
②彼女も苦しんでるんだから、みんなで盗癖も含めて彼女を受け入れるべきと言ってくる人
③彼女を担任の側にずっと置くことでクラスメイトとの関わりを極力減らそうとする人
など色々いたが、
②クラスメイトみんなで拒否して終了(正直なぜ物を隠されるのを我慢しないといけないのか意味がわからなかった)
③先生の物(授業で使う大きな三角定規とか)が隠され、先生がキレて終了
と、どれも功を奏さずで最後までいじめはなくならなかったし、彼女の物を隠す癖も無くならなかった。
いじめはダメ、絶対!だけど、「いじめる側が100%悪い」みたいなことを言われると彼女のことをどうしても思い出してしまう。
小学生のとき、林間学校でよその学校に行って、その学校の校庭でキャンプをするはずが、雨が降って来たため、教室で寝袋を敷いて寝ることになった。
自由時間、周り(いろんな学校から集まった生徒たち)と馴染めなかった私は、たまたま学級文庫にあった文庫を読みふけった。
小学校高学年の女子たちの夏休みをメインにしたお話で、初潮が来て戸惑ったり、女子同士の陰湿ないじめが発生するような、けっこうリアルな内容だった。
夏祭りに、大人っぽい女子がきれいな浴衣を着て、担任の若い男性教師と2人で仲良さそうにしていた。
次の日から、その女子は他の女子たちから「空気が腐る」と聞こえよがしに言われるようになる。
と、いうところまでは読めたのだけど、自由時間が終わってそこで本を戻してしまった。
せめてタイトルをメモしておけばよかったのだが、ときすでに遅し。
もう30年もあの続きが気になり続けている。
検索してもなかなか出てきてくれないんだよなあ。
先日、ここ十数年使っていなかったMIXIからメールが届いていることに気がついた
この同級生とは十年前に参加した同窓会にも参加していなかったため、40年以上没交渉
ならば宗教勧誘かなにかと思ったものの、一応中身を確認してみた
はて、何かあったかと思い出をひねり出してみるも何も出てこない
むしろ同級生の顔すらおぼろげで、そもそも同級生だったのかすら怪しい
同学年であったことは間違いないのだが
流石にこのご時世、得体のしれない相手と直接交渉する気にはなれないので、謝罪内容を書いて寄越すように返事をしてみた
何度か直接会って話すと拒否されたものの、没交渉が長かったこと、このご時世対面したくはないことを伝えると、
すると、私にとっては黒歴史と化していた事件の事実が書かれていた
数ヶ月前に自分の子供が冤罪をかけられクラスメイト、教師から疎まれて心を病んでしまったこと
ここで過去に自分が犯してしまった罪を思い出し、謝罪を思い立ったこと
そうだ、長らく忘れていたが、自分が人を信じなくなったのはこの当りだった
当時、学級文庫は係が貸し出しノートに記載し、返却の際には係に告げ、返却を確認することになっていた
当時人気の本を借りた私も読み終わって返却した
だが、その本がなくなったのだ
人気の本だったので、順番待ちしている生徒多く、ついには騒ぎになった
だが、所詮は子供、最後に借りた人間が犯人であると騒がれてしまったのだ
結局、担任教師も私の話なぞ聞かず、家に忘れてきたのだろうと責め立てられた
当然その教師から親に連絡が行き、家中探させられたのだがあるはずもなく
最終的に親が二冊学級文庫に寄贈するということで話が付いたことを覚えている
教師と親との間でどんな話が持たれたのかは一切知らない
私はこの事件を切っ掛けに借りた本を無くした悪いやつ
という悪のレッテルを張られたまま数年を過ごすこととなった
そして同級生のみならず、教師と親の信頼も信用も同時に失ったのだ
流石に中学校に上がってからは思い出話にも出てこないようなものではあったが、
それ以来と言っては大げさかもしれないが、物の貸し借り、出納には厳しくあたってきた
全てを記録したがる癖はこの時身についたのかもしれない
同級生の贖罪の気持ちはわかるが、これは自分が楽になりたいだけの謝罪であることは明白
子供が似たようなことに巻き込まれてようやく自分の犯した罪の重さに気が付き、
その重さに耐えきれなくなって没交渉の相手に連絡をとってきたのだろう
この同級生に直接謝罪の機会を設ける代わりに子供を同席させる、とか
誠意が見えないと暗喩してみる、とか
色々頭をめぐるものがあるが、そんなことをしてみたところで私の失った信頼と信用と人生は帰ってこない
だが、それを伝えれば、きっと、40年も昔のことを未だに恨んでいる器量の狭いやつと揶揄されるだろう
当時私を糾弾した人間全員に釈明してこいというのも一興かもしれない
結局、私は同級生に返事を書けずにいる
今更謝罪などされても、何も変わらず、私としては胸のモヤが深まるだけだ
同級生の禊を手伝う気にもなれない
子供のことと私のことは別の話であること明白だが、親の因果が子に報いが思い浮かぶ程度には気の毒には思っている
ただ、同級生には今後40年は苦しんで貰うほうがこちらとしても溜飲が下がる思いだ
私は40年目の真実を胸に前に進むことにする
例え残された人生があと僅かであったとしてもだ
少々ポエムチックになってしまったが、家族知人に話せる内容でもなく、
クラスメイトが個々に小さ~い練り消しを作ったり、うまく作れない子が綺麗に作れる子のを
盗ったとかで喧嘩していたので、
「私が大きい練り消しを作るから、皆は少しずつ消しカスを集めて!
大きい練り消しは、私は手間賃として大目にもらうけど、残りは皆に分配するよ!」
みたいな企画を立ち上げました。
学級文庫の棚の横に大きめの缶を置いて、皆がそこにせっせと消しカスを集めてくれました。
ちょっと違うかもだけど、小規模な投資家から広く出資を募って成果をリターンする
という意味では、クラウドファンディングだったんじゃないのかなあ。違ったらすみません。
なお結末ですが、よく伸びる練り消しが作れると聞いて水のりを投入したところ、
https://anond.hatelabo.jp/20180124221748 を読んで現場は大変なんだなと同時にそういうものを書き込んでくださった増田さんに感謝している。
大変そうだけれど、無理しすぎず、ほどほどのところで過ごして欲しい。
それだけじゃ何なので、掲題通りである。
一時期入り浸っていたことがあるので記憶のある限り書いてみる。
小学校は何回か転校していたため、正直各学校の独特の匂いとやけにじめっとした、あるいはやたら日当たりの良い図書室の壁に添って作られた本棚を思い出す。図書カードの置かれたあのカウンターだとか。おとなしそうな図書委員だとか。似たような雰囲気だなあと思っていた。
低学年の頃は授業時間に行く以外では寄り付かず、気が向けば学級文庫か自宅にある本を読んでいた。
その頃好きだったのは大判で、フルカラー写真が多く載っていたこまごましたものが特集されていた本だった。
ただ眺めているのが楽しかった。シリーズで何冊かあったが、色で分類されていたと思う。漢字で書かれていたテキストの部分も気が向けば適当に読んでいた。
不遜な子どもだったので、およそ感想文の類を提出したことがなかった。課題図書もふーんと眺め一度だけ気になったものを借りたか買ったかした程度だった。
自宅では主にオカルトに凝っていた時期だったと思う。魔女とか怪談とかそういうものを読み漁っていた。
なんとなく耳をすませばを思って、半年かけて図書室の本を全部読んでみた。伝統ある学校に比べたら冊数はそれほどでもないと思う。普通教室3部屋程度。読んでみたが読んだはずの本でもおぼえていない本が結構ある。
きっとその頃は読み切ることが目標だったのだろう。それでもいまだにその頃出会った作家で読み続けていたり、何冊も装丁違いで購入した本があることはひとつの宝物だと思っている。
あとすべり止めで受けた私立高校の入試で読んだことのある作品が題材だったのも愉快だった。
そこから高校までで多いときは一晩に文庫8冊。一番かかったのが篠田節子氏のハルモニアで2日だったと思う。
なんとなーく早く読めるようになったりもした。あの数年間は登下校時にも本を手放さなかった。
勉強はあんまりしなかったけれど、勉強せずに中学2年で漢字検定2級が受かる程度には知識も増えた。
当時は図書カードがあったので、誰がどの本を借りたのか分かるのも面白かった。天沢聖司にも月島雫にも出会えなかったけれど。
ここ数年で文庫化された書籍も当時はハードカバーで、月に10冊前後は購入されていた。それを片っ端から読みつつ、すでにあった蔵書も読んでいた。
多感なお年頃なので、性描写のあるものに出会うと成人指定の境界ってどこやねんと思ったりしながら読んだ。(し、本屋に行けば女性向けのBL小説は性描写があっても普通に買えた。謎だ。凝り性なものでそちらもだいぶ読んだがこちらは卒業したかもしれない)(コバルト文庫でも結構あると思う)(基準が謎だ)
野中柊氏のダリアとか、ドキドキしながら読んだ。今思えばかわいいものだ。
後宮小説なども読んで良いのかなと思いながら読んだ。
地元の公立高校で初めて、司書さんという存在を校内に認識した。いつも白衣をまとった女性で、図書館以外にもいるんだなと思った。その学校では希望があればCDなども購入していた。
アングラっぽい写真集や当時走りだったライトノベルを一式入れてくれたりもした。(その後、メディアミックスされた各作品の初版本が揃っていたため、数年後盗難にあったそうだ。嘆かわしいと同時に初版本に価値を見出す感覚がまだあるのだなと感じた)
同時に、遠野物語をはじめとする民俗学やら薔薇の名前やらを借りまくっていた。
学業に励む生徒にとっては、赤本がずらりと並んだ赤本専門の小部屋があるのも魅力だったかもしれない。
その頃は読んだなあというほどは読んでいないと個人的には思っている。
ただ、気になっていた本たちをするする入れてくださった司書さんには当時も今も感謝している。
森博嗣氏のシリーズもいくついれてもらっただろうか。講談社ノベルスがやたら充実していた。
お小遣いでは追いきれない本たちをあの時期に読めたことには感謝しかない。
ちらほらある小説もだいぶ前で時が止まっている。
大型書籍は比較的充実していたが、借りるには重いので閲覧のみとなる。
専門書も同じく時が止まっていた。
半地下で静かで独特の雰囲気が好きだったけれど、およそ学業のための空間ではなかった。
卒業後も利用できるということだったが、生憎地域の図書館の方が便利であった。
今につながる本の思い出。
急接近したり、離れたりしつつも、どんな格好であれ図書室・図書館は存在してくれればいいなと思う。
読む子は何をしても読むし、読まない子は読まない。
ひどいようだがそんなもんだよなと思う。
あるときブログで家族から勧められた本が という記事を見て、自分の家ではない習慣だなと思った。
家の中にある本は読みたいだけ読んだ。隔離されているような本も気になればこっそり読んだ。
教育機関にあったら驚かれるかもという本もリクエストして入れてもらえれば読んだ。
面白かった本を教えてと訊かれたら100冊くらい列挙できた(今はどうだろう?)
それだって、きっかけは耳をすませばだ。(個人的な気質はあるにせよ)
こういう本が読んでみたいなと思って書いたこともある。
作文はからきしだけど、幸か不幸かある程度蓄積があるので大学教員には高評価だったりもした。
もうちょっと器用だったら桜庭一樹氏のようにアウトプットにも使えたかもしれないが、そこに愛が足りなかった。
ルールのあるなか、大変苦しんでらっしゃる元増田さん越しに、学生時代、本を介してお世話になった司書さん司書教諭の先生方には感謝を伝えたい。
思えば、落ち込んで図書室にこもっていたような日もあったと思う。
期限通り返せなくてお手間を取らせたこともある。申し訳なかった。
盗作はそこまでいけない事だと思っていなかった。中学三年生くらいまで。
絵や漫画描くのが好きな小学生時代、学級文庫に自作の漫画を置いていた。
徐々にネタがなくなってきたので、母親が読んでいたレディコミのペット漫画の内容やキャラをパクった。
当時ハムスターとか犬猫のペット漫画がかなり流行っていたけど流石にレディコミ読んでる小学生はいないだろ、バレるわけないと高を括っていた。
ある日、友達の家に行くと『増田ちゃん、この漫画マネしてるでしょ』といって一冊のコミックスを見せられた。あ、そうか、レディコミの本誌を読んでなくてもコミックスになってたら、流行りのペット漫画だし本屋で手にして読むのはあり得るよな…と思った。素直に白状して『えへへ、これ超面白いよね!かわいいからマネしちゃった』とほざいた。
それから数年。
腐女子になった私は友達と毎日のように好きなカップリングのBL漫画を描きあって交換していた。
しかし友達は絵よりも小説が得意だったようで、携帯小説サイトを開設すると、あらゆるランキングの一位を陣取りいつしか人気作家になっていた。
『あ〜更新するものないな、増田ちゃんなんか萌える小説書いてよ』と頼まれたので、『いいネタあるからちょっと書いてみるわ』と、小説なんか書いたことなかったけどそう答えた。
いいネタ、それは前日にあった模擬試験で出された課題文の小説だった。すごく萌えたので、名前を変えただけの丸パクリ小説を書いた。めちゃくちゃいい文章だし、すごく好きなカップリングに当てはまってる。あまりにも自然すぎるから多分バレないと思った。が、当たり前だけどすぐにバレた。友達のメールフォームには苦情が殺到した。
『お前何してくれてんだ』と言われたので『ごめん、いけるかと思った』と素直に答えた。
ここまでしてやっと理解した。いけるかと思っても、実際はいけないということに。
理解してから数年経ち、ツイッターが普及し、腐女子の学級会で度々パクラーが吊し上げられる。この人達も多分、中学三年生の時の私と同じ思考回路なんだろうと思った。本当に本気で、こんくらい平気っしょ、と思っているんだ。
国語は漢字、作文、音読、語彙、読み取りといろいろやることがある
全体的にできるようにさせてあげるのがいいんだろうけど難しい
そもそも俺の授業で子どもが本当に伸びてるのか分からなくて不安
無駄なことやってるんじゃないかと思う
を読むと、物語の授業展開例に「気持ちを想像しよう」系の活動が多くてなんか頼れない。
こういう気持ちを問うやつは現職の先生からもけっこう批判されてる。
物語文でも「ちゃんと内容を理解させる」ことが国語力に繋がると考えてる教師は多い。
それで、そのための授業展開を解説した本もけっこうあるけど、これも取り入れづらい。
まずクラスには文章の内容が頭に入ってないのがそれなりにいて、読み取りの授業についてこない
その教材に入る前にたくさん音読をさせておいても頭に入ってない
かといってそいつらに合わせたようなクラスの多数が当たり前に分かるような授業してもつまらない
逆にやたらと理解力のあるやつもいる
そういう格差がありすぎる集団に対してどういう授業をしたらいいのかが分からない
読む書く話す聴くをどのくらいの配分でやるのがベターなのかわからん
(一応配分は決められているけどそれを忠実に守ってる人はいないと思う)
漢字もやたらとある上にそれを授業内でやると10分とられてきつい
文章を書くのがうまくなってほしいけどなかなか難しい
ひな形を与えて書かせたりすることは多いけど成長してるのかどうかわからなくて不安
視写もときどきやって子どもは集中してるし嬉しいけど力ついてるのかな
この間、エビデンスベースの教育経済学が話題になってたけどああいうのは嬉しい
教育技術にも根拠が欲しい 子どもが伸びるという確信が持てる活動をさせたい
すごい(?)先生たちが書いた教育技術の本はたくさんあるが、思いつきで書いてんじゃね?と思うことが多い
教育現場でスタンダードになってる授業方法もそれが本当に効果的なのか謎
授業の流れが一目でわかる板書がいいからそうしろって言われたけど本当にそうなんかなとも思う
ずっとこんなんで悩んでるから俺は教師に向いてないのかもしれん
以下ブコメへの返答
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若手です。授業法を参考にするときはビッグネームの先生の書籍を読みます。
でも、あれが大事これが大事と人によって大事にすることが違っていたり、時には指導法に関して正反対の考えが書いてあることもあるので「これだ!」と確信して取り入れられません。
あと、ベテランの先生はそれぞれ流派というか主義みたいなのがあってバラバラだしわかんないもんです。
それって矯正不可なんですかね。
もしも大人になっても矯正できるのであれば、低学年で字の美しさに気をとられるあまり他の面が養われなかったらもったいなくないですか?
それに字を丁寧に書くことがその子の将来にとってどれほど得なのか(頭が良いのに字が汚いやつがたくさんいる)、字を丁寧に書かせることで失うもの(授業が終わっちゃう)とか
いちいち考えてしまいます。字の美しさの指導はベテランの教員でも意見が分かれるところなので難しい。
文章力と関連あるかは別にして、国語の成績とか偏差値とかは全国クラスでした。それを支えたのは、公文式と乱読だと思います。公文式の最初の方って、書き取り以外だとひたすら品詞分解したりするんですが。
恥ずかしながら公文式がどんなことやってるのかよく知らないんですが
今度調べてみます
俺もそんな気がする そういう風にこしらえられた学校用の教材はないような気もするけど(自分が知らないだけかもしれない)そして作るのはつらすぎる。
手際の良い先生は、個々の能力に合わせて授業をセッティングしているように思う。跳び箱でいえば、高さ違うやつを並べて跳ばすように。
教育用語に学習の最近接領域というのがあって、その子にとって最も丁度良い学習課題が最も能力を伸ばすというものなんだけど(こういうのをうまく利用して授業組み立てたい)、
毎日の授業でうまいことそれを取り入れるのは難しい 自分が未熟だからというものあるが。
子どもとマンツーマンなら効果的に伸ばせると思うけど、担任一人じゃつらいものがあります。
ほんとそうですよ
http://u999u.info/o32m 公文式国語の「方法」を読むといいよ。絶版だけどamazon中古あるみたいだし。要約力を重視していた。文章の中から重要な要素を抜き出す能力ね。中学生相手に塾講師と家庭教師していたとき役だった。
安かったんでポチりました
…ほんと…国語は…難しいよな…。そもそも国語の「学力」が何であってどう測るのか、という時点で、理科や算数に比べて曖昧で、市販のテストの点数との乖離が大きい気がする…。
その通りで、算数は何を学ばせるかが明確で分かりやすいのであんまり悩まないです
宿題を一杯出したり漢字を死ぬほど書かせたり色々と強制する事はバッシングがやばいけど将来的にあの時やってよかったと思う時があるかな。
自分が受けた教育がよかったと思うことと、本当にその教育が良い効果をもたらしたのかということの間には、かなり隔たりがあると思いませんか?そこを間違えたくは無いです
根性主義的な学習はある程度効果をあげるかもしれませんが失うものも多いように思います。宿題をどっさり出す勇気はありません
自分の漢字学習のさせ方は、宿題は少なめにしておきつつ、小刻みにテストをしたり、作文に使ったりと、忘却曲線を利用したようなやり方で思い出させて学習させてます。
いま私も子供らの国語教えるのには試行錯誤してる。毎週読書させて簡単なあらすじと感想書かせて。無理矢理は読むの嫌いにさせちゃうし、楽しみながら習慣化させたい
同業?学級文庫や図書室の本だけだと満たされないかと思い、うちのクラスは家からの本持ち込み可にしてるんだけど、本嫌いな子は持ってこない
その通りで、余計なことをしたくないから意見は参考程度にしておいて授業で使うかはまた別
漢字の書き取りをめちゃくちゃやらされた結果、書き順とか部首名とかばっちり頭に入った。大人になった今でもしっかり覚えてる。脳の容量がもったいないからできれば全部忘れたい。
漢字めちゃくちゃやると他のことができなくなる
日本の国語教育って漢字偏重というかそれが重荷になってる気がしませんか
「新出漢字は軽めにやっておき、今後数年間で忘れたり思い出したりを繰り返してるうちに記憶が定着する」と自信をもっていえるなら俺は軽めに教えて他のことをしたいです
まあ自信をもっていないからモヤっとするんですよね。
あとこれもすごい悩ましいんだけど、書き順は正確に教えるのが当たり前になってますけど、書家の方が「正しい書き順はない」とおっしゃっていて、それ聞くとガチガチに正しい書き順を覚えさせるのがいいとは思えなくなっちゃいません?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
http://anond.hatelabo.jp/20150920002242
結局自分が欲しいのはエビデンスなんですよ 指導要領解説にしたってエビデンスです エビデンス厨なわけです 教育に裏付けが欲しいんですよね。
何か確かなものを頼りにして授業したいんですよ。
まあでもそんなパーフェクトに近い指導法はないですよね?だから手探りでいくしかない 指導要領解説は前任校が国語の研究をしてたんでちょっと読んでましたけどまじめに読んでなかったので読んでみます