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はてなキーワード: 学習性無力感とは

2020-01-23

anond:20200123095644

一方でSEKIROプレイ後に学習性無力感にさいなまれ続ける患者も多数生み出しているという

2019-12-26

anond:20191226105127

それみんな言うけどさあ、それぞれの性格や考え方なんて環境の影響大じゃん。学習性無力感とか言うじゃん。はてなーって文化資本格差の話とか大好きなくせによく言うわ

2019-10-11

anond:20191010150237

これ学習性無力感ってやつでしょ。増田叩いてるやつなんなの。

外部からの助けが必要だよ。文科省仕事して。

2019-09-05

anond:20190905011301

もし「増税反対」でデモを始めても

臭い奴等が乗っ取って「あべしね」「韓国謝罪しよう」にテーマを変えちゃうって知ってるから

学習性無力感

2019-07-24

選挙自民党入れた理由

なんて聞いても意味ねえでしょ。

 現状でおk → 与党

 変えた方がいいんじゃね? → 野党

それ以上難しく考えてる人は少数でしょ。日本人有権者の過半(52%)は学習性無力感選挙絶望棄権)。そのお陰で48%×37%=18%に支持された自民が、最大勢力として国を好きに動かすわけでしょ。

そして、これ見て「選挙なんて行かなくていーわ」と思ってる人にオレが何か言おうとしていると思う人もいるかもしれないけど、別にどうでもいいわ。

個人的に今回は、諸派に集まる票数を見て既存政党に何か危機感を覚えてもらいたかったので、結果はそれなりに満足してる。

2019-06-06

なんか、一周回って政治に関心がなくなってきているというか、

やっぱり、頭で分かってはいるけど学習性無力感には勝てなかったというか。

飽和攻撃を受けているような。

飽きてきたというか、無力感というか。

選挙に行かない若いモンはけしからん!(鼻息)みたいに勇ましい勢いが減ってきて、もうどうにでもなーれメンタルになってきた。

それでも選挙投票いくのだけは・・最低でも続けたいけども。

これが悟り

2019-04-09

anond:20190409115435

学習性無力感だよな。

学習性無力感の解消には成功体験を積まさせることだ!ということで危ない氾濫川に人を突き落とそうとする。

そこで浮いてくるのが死体だけだったらそりゃさら学習性無力感は深まるだけだわな。

だって「無力」だと「学習」したのだから

2019-02-03

anond:20190203142634

でもキモくて金のないおっさん正規雇用されない日本雇用制度がクソだと主張する時は変えていかなきゃならんことは間違いないけどすぐに変えれないなどと物分かりの良さそうなことを言って

キモくて金のないおっさん学習性無力感を植え付けるのは問題ないんですよねわかります

2019-01-16

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https://anond.hatelabo.jp/20111028162802

2018-12-16

anond:20181216100239

安定があったのは30年前まででしょ。

新自由主義に転換して、金の回転(貨幣流通速度)をだだ下がりにして、不景気になったからだ。

更にたちが悪いことに、精神論だけを煽って大量のブラックと、大量の起業失敗者、失敗した結果生涯の貧困が確定した大量の非正規労働者を作って、学習性無力感を作ってしまった。

不景気消費税が上がるからまだまだだいぶ続くから起業ダメでしょ。不況下の起業なんてあっという間に潰れる。海外に逃げるのは正しいが。

2018-12-08

anond:20181208010137

学習性無力感とかで調べればやがて逃げなくなる理由がわかるかも、買って・もらってすぐのペット放し飼いにしたらすぐ逃げるでしょ

2018-11-26

anond:20181125055531

元増田に触発されて、大学時代自分自殺未遂をしていた頃のことを思い出していた。自殺未遂と言っても、救急車警察のお世話にもならない程度に自殺を企てて失敗して諦めるようなものではあった。とはいえ、今思い返してみると自分人生ではそれなりに重要位置づけにあった出来事だったように感じるので、供養のために当時のことを思い返して書いてみようと思った。

大学の頃はとにかく自分の不甲斐なさ、生きる才能のなさに絶望していた。バイトでも研究室でも上手くいかず失敗ばかりで常に低評価、何をしても上の立場の者を怒らせてしまい下の立場の者からは憐れまれる、同期も含めて誰とも信頼関係を築けない、などで常に悩み苦しんでいた。いつだったか、親に「普通のことが普通にできるようになって欲しい」と言われた。自分も心底そう願っていたのだが、周囲が普通にできていることができないまま、失敗体験ばかりが積み重なっていった。

その社会的に上手くいかない大部分は、今顧みると自分発達障害的な特性に起因していたのだと思う。だが、その頃は発達障害に対する知識量が乏しく、自分発達障害であると疑いもせずに、漠然としつつも強い社会不適合感を感じながら生きていた。

そのうち、何か現実で失敗して大きく自分失望する出来事があったとき自殺を試みるようになった。

ある時は凍死を試みた。当時は北海道に住んでいたので、冬の夜に外で寝ると簡単に凍死できる。酒をコンビニでたくさん買って、酩酊したのちに雪の中で寝ることで死のうとした。だが、いざ酒をしこたま飲んでも「ここで寝たら死ぬ」という本能的な危機意識が強まり意識覚醒するばかりで思うように酩酊することができなかった。結局、1時間半ほど雪中にいたのちに無理だと悟り、冷え切った指をさすりながらフラフラ家に帰った。

ある時はヘリウム自殺を試みた。本当は数百リットル入っている大きなヘリウム缶を購入した方がよかったのだが、実家住まいだったため家に持ち込むのは現実的でなく、結局十数リットルの小型缶を2本買った。ビニール袋を頭から被り、その中にヘリウムを充満させ、呼吸すると酸素不足で意識を失いそのまま死に至るという寸法だ。結果はまあ当たり前だが、ヘリウム絶対量が足りず、意識を失うことすら叶わなかった。「死ねなかった…」と独りごちたとき、例のパーティヘリウムを吸った時の声が高くなる現象が起き、思わず笑ってしまった。一瞬だけ、自殺に失敗した絶望感が紛れた。

他にも非定型首吊りを試みたりと何度か自殺を決行した。だが、いずれも準備不足だったり、途中で怖くなってしまって未遂に終わることを何回か繰り返した。そうしてまた現実に向き合わなければならない絶望感を抱えつつ、辛くて苦しい日常に戻っていった。ただこの自殺失敗は無意味ではなく、いつでも死ねるという選択肢があると自分に言い聞かせることで、現実の辛さから目を背ける逃避行為になっていたと思う。

そうして毎日をやり過ごしていたところで、大学院の研究発表が間近の冬の時期に、これまで数ヶ月かけて実験してきたデータが使い物にならないと判明した。自分のこれまでやってきたことが無為だと感じたときに、なんとか生きようとしていた気力の糸が完全に切れてしまった。この出来事自体が大きい意味を持っていたというよりは、これまでの失敗体験により自分への失望や将来への希望の無さが雪だるま式に積み重なっていって、この出来事で許容値を超えたと言った方が正しいと思う。この先生きていても苦しいだけで希望も何もない、自分は何も成功を収めるすることができない落伍者だという思いがピークに達し、自殺を決行しようと思った。

定型首吊りをしようと、酒を飲んだあと人気のない公園に行き、自分身長以上ある遊具ロープを括り付けた。その後、遊具に昇って首にロープをかけ、足を遊具から踏み外した。頭に血がパンパンに溜まり熱くなるのが分かり、同時に意識に靄が徐々にかかっていった。あと数秒、首に圧力が加わったなら意識を失い、やがて死に至ると強く実感した。そのように感じた瞬間、死が急に身近に思えてきて、一瞬でとてつもない恐怖心が芽生えた。手でロープを掴み首に掛かる圧力を緩めたあと、必死にもがいて首からロープを外し、倒れ込むように雪の上に落ちた。

その後も何回か試したが、同じようにあと数秒で意識を失えるところで首からロープを外し、断念することを繰り返した。あと数秒だけ首に力を込めれば意識を失えたのだが、その一線を越えるのがとてつもなく大きな壁のように感じ、どうしても乗り越えられなかった。結局3回ほど試したのち、無理だと悟って家に帰った。

上で書いた通り、自分にとって自殺は辛い現実から目を背ける唯一無二の手段だった。死ぬという選択肢があると信じ込むことで、どんなに現実で失敗をしたとしても、死ねば救われると信じていた。しかしこの自殺未遂により、ここまで死に接近しても、死という一線を越えることは自分にはできない、死を現実の逃避先にするのは無理だと悟ってしまった。すると、これまでは生きるか死ぬかの狭間でウロウロ迷っていたのが、死ぬことが無理ならこの先も生きていくしかなく、この先どうせ生きていかねばならないのなら、できれば良い人生を生きていきたいという心情に変化した。死ねない絶望が、逆に現実を前向きに生きようとする動機になったのだ。

その後、研究発表は使えそうなデータをそれっぽく見せて、なんとか修了要件を満たすことが出来た。

そして大学卒業して働き始め、自分発達障害であることに疑いを持ち実際に診断が出るなど紆余曲折ありつつ、今のところはなんとか生きている。

今でも猛烈な希死念慮破滅願望が湧き上がることはしょっちゅうあるし、自分社会を上手く渡っていける人間でないことに絶望したりもする。「生きててよかった」とまで自分人生肯定できるまでには、まだ至っていない。だが、自分自殺できない、死を逃避先として選べないということは、確固とした事実として悟ってしまった。また、幸いと言っていいのか、最近は少しずつ発達してきたのだろう、人生を上手くやっていく術を徐々に身につけつつある。まあ、全て上手く実践するまでには全然至っておらず、それなりの頻度で失敗をやらかす。そのたびに湧き上がる強い自責感情消滅願望を色々な方法ごまかしつつ、結局はより良い人生を目指して少しずつやっていくしかないと思い今日もまだ生きている。

この文章を読んで、これは前向きな感情ではなく、死ぬという選択肢が消えたか消極的に生きなければならないと感じているだけではないか?と感じた人もいるような気もする。確かにそうなのかもしれない。ただ、以前は学習性無力感からか、自分人生を良くしようと自分から働きかけようという気すら起こらず、ただ日常の痛みに耐えているだけだった。そのような状況から比べると、自分人生コントロールして良くしようと動く気になった分、以前より間違いなく前向きになったように自分では感じるのだ。(管理が厳しく、親の納得のいく人生を送らないと叱責する親元を離れたことも、大きな要因であるとは思う)

そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。

ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間ゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。

こうして今になって文章化して振り返ってみると、この程度の絶望はまあ巷にはありふれているし、救急警察にお世話になっていない程度の大した話でないと自分でも思う。ただ、元増田は「人は簡単死ぬ」という現実悟り、結果として前向きに生きることができるようになったと書いている。一方で、自分は「人は簡単死ねない」という現実に直面し、結果として前向きに生きられるようになったように思う。その対比がなんだか面白くて、このような長文を書いてしまった。

以上、供養です。おわり

2018-11-18

anond:20181117113030

そらそやろ。

何でもそうだけど「成功体験」がなければ努力もできないから。

テストでいい点取ると勉強が好きになって工夫してさらに成績が伸びたり、いい点取れないと学習性無力感に囚われて勉強自分否定してくるように感じられて勉強のものに興味を失うのと同じ現象

外見に自信がない人は、人からよく見られることも諦めてるし、成功体験がないから「外見の善し悪しを測る物差し」もないんで適切な工夫もできない。

一度でいいから「これがわたし・・・!?」っていうくらい変身して、周囲の扱いが変わるのを体験すれば一気に意識は変わるよ。

2018-10-10

anond:20181010112125

いやいや、この期に及んで、大学進学率が低いのにさらに下げようとするからさ。

Fランク大学問題があるが、そこそこやる気があるがバカというやつも結構いるんだわ。あるいは学習性無力感に毒されてるというか。

単にどこかに躓いてそれをずーっとほっといたまま、進学してきた。

まあ、あと、「勉強しないことが素晴らしい」みたいな風潮になってるのもなぁ。

学習性無力感に陥ったやつに石投げても何も解決しないよ。その石はやる気があるやつにヒットしてやる気になって頑張ってはいけないという戒めになっちゃうから

2018-09-04

anond:20180904151249

飽きの問題か。むずかしいな。一般的には「学習性無力感」が原因になってるって話がある。

完全にやり尽くしたと感じるか、反対に、自分がどう頑張っても状況を好転させることができず、本質的に振り回されるだけ、などと一度脳が学習してしまうと、以降それに対して脳内ホルモンという報酬を分泌してくれなくなる。あなたの「刺さったコンテンツリスト」にも、ゲームバランスが崩れて萎えた、性格が変わって興味が失せた、などが散見される。

うろ覚えだが「ひだまりスケッチ」という漫画面白いことがかいてあった。これは芸術家の卵の話なんだけど、彼女スランプに陥っていて、先生アドバイスを与えるんだ。スランプというのは絵を描く腕よりもそれを評価する目が肥えてしまうことで起こる。以前よりも自分能力を正しく見積もることができるようになり、結果として皮肉にも前より能力が低くなったように思えてしまう。そのことが意欲の低下を招いているのだと。だから絵を描きつづけて腕が向上して評価する目に追いつけば、自然スランプは解消する。という助言だった。

あなたの現状を画家スランプになぞらえて考えると、絵を描く能力よりも、評価する目の方によりコストを割いてきた結果が、コンテンツに飽きてしまうという悩みを生んだと取ることができる。一般的能力というものは高いに越したことはないかのように思われているが、一度身につけてしまうと捨てることができないのが厄介なところだ。だけど評価する目を一時的に曇らせる工夫はあり得るかもしれない。自分が何をやっているかも判らないくら必死に何かをする。あえて目を背けつつプレイするんだ。俺は趣味プログラミングをずっと続けられている。気づいたんだが、高校生くらいのときに忙しさも相まって行き詰まり自暴自棄になって計画表を捨てたのが、逆に良かったのかもしれない。バグの状況もどれだけのプログラミングを積んでいるかも把握していない。そのプログラムが役に立つものかさえも考えることなく、そのとき作りたいものを思いつくままに作っている。直したいときに直している。もう二十年続けているが、未だに飽きる様子はまったくない。だけど技能はあまり向上してない。要はバランスである。よきプレイを祈る。

2018-08-30

何が仕方ないんだろう。

何なら仕方なくないんだ?

今ここにあの人がいない事、望む仕事に就けなかった事、配偶者と良好な関係を築けなかった事。

家族との関係破綻している事、学歴コンプレックスを抱えたままである事。

体力が回復しない事、友人との連絡が途絶えている事、旅行にいけない事、ガチャで望む結果が得られない事。

全部諦めて学習性無力感でこのまま老いて、死ぬ

望んだ未来に辿り着けないまま未練だけ残して。

あのヒーロー歌詞作成したYさんはとうに逝ってしまった。

2018-08-11

増田で学んだこと

凡才が結果を出したいならとにかく数を撃つのが一番手っ取り早い

人間露骨釣り針に抗えない

ブクマいくら集めても何の意味もない

俺が本当に欲しいのは釣り増田をバズらせた思い出ではなくてもっと別の何か

それを俺はまだ知らない

俺は承認欲求に飢えている

というよりも自己肯定感に飢えている

自己肯定感というよりも自己効力感に飢えている

学習性無力感の海の中を泳ぎきっていつか騎士にたどり着きたい

2018-07-01

anond:20180630224723

これだろうなー

ずーっと引きこもりガチニートって極少数で、

逆に社会でなんとかやろうとしてて心が折れた、学習性無力感の強い人が多そう

それに対して「できるできるできる!できない!?いかやれやれやれ」と言ったところで、それはアドバイスでもなんでもなく、「自分理想通りに動け動かないなら殴る!」という攻撃しかないのは事実だもんなぁ

2018-06-30

日本生産性が上がらんのは

ほぼすべての産業学習性無力感に毒されてるからなんだろうなと思う。

日本仕事満足度世界26カ国中最下位という話もあるし。

https://withnews.jp/article/f0140819004qq000000000000000W0090201qq000010702A

もうどうにもならんのかもしれんね。

anond:20180630210907

学習性無力感

なお、これはほぼすべての産業にいる模様。

2018-06-28

anond:20180627225759

起業するだけなら役所に20万円積めば出来るよ。

起業して儲けようというところで、根本的に儲からいから誰も起こさない。

バブル前はそれなりに創業率高かったんだが。

だいたい、儲かるネタって、むしろすでに近い商売やってる人間のほうがよく見つけられるもんだ。

あと、日本って上下関係非常に意識するしな。で、儲かってない起業家なんて最底辺人間。足元みたいやつはうようよいる。。

経済成長創業率は関連がある。

たんに、不景気長いこと続けて、学習性無力感で起こさなくなっただけ。

いや、実際立ち上げるまで嫌なことばかりだから、実際無力感なんでしょ。

2018-06-06

anond:20180606070454

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31388350V00C18A6920M00/

この記事を読んでみて思ったんだよ。

まあ、確かに体育会系みたいな上が馬鹿な上での上位下達みたいなのが日本の癌だ。そこまではいいんだが、最後の一文で台無しにしてる。

腐った忖度を期待する上と、学習性無力感に陥った下、両方変えんととならんし、上が変わらんのに下が変わったって犠牲者が増えるだけ。

下を無鉄砲突撃させて、みんなの幸せのためにお前死んでね(はぁと)感が。

2018-05-13

つらみ

将来への不安死ぬ事への恐怖、結婚できるかどうかとか、そういったものだけを普通の人は「つらいきもち」として認識しているらしいことにここ数年やっと理解が至った。自分場合はそれとはまた別の正体不明の「つらいきもち」も存在していて、これも含めて一般的な「つらいきもち」だと認識していた。みんなもそうなのかなぁと思っていたけど、違ったっぽい。これじゃ普通の人とは微妙に話が噛み合わない上に誤解されるわけだなぁと。

自分自分で、なんでそんな斜め下の解釈するんだと腹が立つ事がよくあったけど、その「斜め下」の解釈がむしろ一般的であって、自分が運悪く例外的経験をしてきた事で認識が違ってしまっていたらしい。

そしてこれまでは、自分のこの「つらい」の正体を正確に把握できた事がなかった。何故かと言うと、気持ちの原因を思い出すことが精神的に非常に苦痛だったため。

原因というのは家庭環境、養育環境のことで、学生時代にもこれについての問題意識はあった。

ふとした切っ掛けでスーザン・フォワードの「毒になる親」と出会って実際に読もうとしたけど、冒頭の数ページ読むだけで精神的に不安定になってしまい、結局その時はそのまま先には進めなかった。大学卒業後も同じことを4年くらい繰り返していた。

でも一人暮らしを始めて2年経ち、転職をしてという直後から半年間立て続けに起きた出来事対処する一環としての取り組みの結果、最近では「つらい」の比較ちゃんとした輪郭と、具体的な内容と原因が把握できつつある。「毒になる親」も最後まで目を通すことが出来たし、関連する他の書籍にも手を出せている。


自分の「つらいきもち」の正体は自分歴史的経緯から来るものだという事が確信できた。ただ、その歴史的経緯自分に対して現在無意識適用しているのは自分自身だという事も段々分かってきた。

一言で表すなら「毒親の影響」ということになるけど、もう少しちゃん表現するなら次みたいになる。(まだちょっと分析甘い)

認識できている範囲の話だけど、これらが自分の「つらい」のキモのように思っている。

毒親」ってワードを使うとすぐケチ付けてくる人間いるから面倒だし、言葉暴力的ストレートから別の表現必要だと思わなくもないけど、それでもこの単語は凄く的確な表現だと思う。

幼い頃から刷り込み自己否定などの「毒」を植え付けて、親と同じ空間におらず暴言を吐かれていない瞬間でも、自主的自己否定を繰り返すよう教育することで、大人になったり独り立ちした頃には苦しみのたうち回り…みたいな。のたうち回るような元気が残ってる人がどれだけいるのかって話だけど。

虐待によるトラウマを除くと、毒親による影響で特に大きなものは親を自分に内在化してしまうことだと思う。これにより何が起こるかというと、自己否定デフォルトとしてしまうことが挙げられる。

この自己否定ポジション的には超自我かにあたるもので、本来なら自己否定なんかじゃなくて規範としてどちらかと言うとポジティブな物として機能しなくちゃいけないんだけど、親が精神的に未成熟だったり自分人生課題に対して答えを出せていないとかで不安定な場合は、「毒」を規範として植え付けられる結果になってしまうのかなと。

それがどのようにして植え付けられるのか、憶測込みだけど文字に起こしてみると案外悲しい感じになった。

思考するだけだとそんなでもなかったけど、文字に表してみるとやっぱりこう、悲しいというか、しょうもないというか、酷くがっかりする。

休日に少しでも長く寝てたり、病欠したり、平日に休暇を取ったりすると

とか頻繁に怒鳴られてたけど、あれは完全に自己紹介だったなと思う。当時はそう思う余裕は無かったなとも改めて気が付いた。

うちの場合問題の中心は父親だったんだけど一方の母親は何をしていたかというと、俺をかばうどころか、フォローするどころか、傍観をするどころか、「あの人がおかしな事をするのはお前のせいだ」と罵ってくるタイプ人間だったので、自分の両親は味方ではないという認識だった。問題のある人間問題のある人間とくっつくんだな、という気持ち

兄弟は妹がいるけど、妹は味方というよりは共通の敵を持つ他勢力みたいな認識だったな…。

去年会って話をした時には、当時俺に対して「哀れだな…」と思っていたらしい。それは俺を庇って同様の被害を被るよりずっと利口だと思うし、去年妹と会話をして結果的問題改善が進んだし、妹が逞しく成長してくれていてむしろとても助かったと思ってる。「こっちに来るんじゃねえぞ、そのままいけ…!」みたいな。ありがとう

少し前まで、どんな些細なことであっても何か考える度に最終的に「死にたい…」という結論に結びついていた。

去年あたりから自分の親は毒親だった」と認識でき始めて、更にここ1,2ヶ月は「毒親」と濁すんじゃなくて、自分経験させられた事を「親から虐待だった」と自分に対して説明することができるようになってきた。

昔と比べてかなり進歩したと思う。昔ならそんな認識は恐ろしくて出来なかった。自分はそんな酷い目には遭っていないと思いたかったんだと思う。

そして少しずつだけど、自分のことを大事にするという概念が掴めてきているような気がする。

自分のことを大事にするといえば、最近また新たに気付いた事があって、これは個人的にはかなり収穫だと思ってる。近いうちに効いてくるはず。

初めの方で書いた「その歴史的経緯自分に対して現在無意識適用しているのは自分自身」の事なんだけど、これについての現時点での理解ちょっと整理したいと思う。

大きく2つあって、1つ目は、この記事中で何度か出てきている「自己否定」「毒」という存在の在り方と、これがそもそもどこから来ているかについて。

自己否定が起こるのは自己評価が低いためだと思う。じゃあ、自己評価が低いのはなぜ?という話になってくる。

自分欲求ちゃんと満たしていないためだというのはあるかもしれないけど、自分場合はそれよりも重大で根本的な問題として、延々とされ続けた親の否定的刷り込み存在が強いと思う。

から虐待人格否定を受けることで幼い子供自己認識は「自分は無力な人間ダメ人間」となり、それがそのまま人生脚本となり、無意識にそのように振る舞ってしまいそのような人間になる。

それを精神的に未熟な親が自己有効感を得るエサとして利用(虐待人格否定)し、それにより子供は更に自己無力感に陥り…という、子供にとって悪夢のような悪循環が発生する。このサイクルが「否定的刷り込み」の実態であり、毒親子供に植え付ける「自己否定」や「毒」の正体なのだと思う。

この強い自己否定感、自己無力感は、親が自身無力感精神的な不安定さをカバーするために押し付けられた親自身問題であり、こう認識してしまうともう親に対して「ぶっ転がすぞ」という気持ちでいっぱいになる。

以前は親に対してこんな認識を持つどころか「もう人生だめだ…死にたい…」となっていたのでこの気持ち進歩だと思う。

まり自分に対する自分認識は、無意識に親の自分へのニーズを反映したものであり、自分自分を正しく認識した上で自分に下している判断ではない。

内面化した親のニーズ自分を見ていたのだ!(強調したい部分)

毒親内面化してしまっている」という表現書籍ブログで何度か見かけていて、ただ実際どういう状況になっているのか全然理解できていなかったけど、この考えに至ってようやく合点がいった。であれば、ひたすらに自己否定をしてしまうのも納得がいく。親の抱える問題を解消できない限り自己否定は続くんだと思う。

からしたら本来自身が頑張らない限り親が死ぬまで未達だし、親が死んだ後であっても、内面化した親(のニーズから見て未達なので、子供無限自己否定し続けることになる。

自己否定の原因を正しく特定して認知を変えないと死ぬまで自分否定し続ける。

こんなの「毒」じゃなかったら何だっていうんだ。現代呪いじゃん。洗脳とも呼べるのかもしれない。まぁ「刷り込み」って「洗脳」の呼び方変えたようなもんだし同じようなもんか。

2つ目は、やり場のない感情とその矛先について。

ここひと月ちょっとは、過去に親との間にあった出来事と当時の自分感情を、出来る限り思い出して言葉として書き出すという事をやっていた。

これによって狙っていた事は、自分意思だけでは思い出し切れないトラウマ記憶に近い時系列記憶に迫り、文字に起こして認識することで「過去出来事、終わった事象」として自身に印象付けようとしたのと、あわよくばトラウマを芋づるで掘り当てて、当時の自分解釈現在自分解釈認識を上書きすることでトラウマを軽減、解消する事だった。

精神的な負荷が高いから嫌だったんだけど、EMDR以外では1人で出来るもの現実的っぽそうなのがこれしか無かったので、今の自分であれば精神的に安定している時なら回復にそれほど苦労しないと判断して挑むようにしている。

結果的にはまだ解消に至ってはいないけど、認識できていなかった事を認識することが出来た。

自分自分感情無視していた事に気が付いた。これ文字にすると厨二臭くていやだな。

無視していた感情というのは、具体的にはある期間の横暴を働く親とそれに対抗できない自分に対する強い憤りなんだけど、当時の自分ストレス発散の手段を親に奪われた挙句愛玩動物の延長みたいな扱いを受けていたので、感情を解消したり発散する機会が無い状況だった。

自分意思表現すると「立場を思い知らされる」ので、あまりの怒りと無力感から自分の机に伏してバレないように動物みたいな唸り声を上げたりしていた。趣味生き甲斐も取り上げられ仲間とも断絶されて、ストレスから肌も顔も荒れ放題、耳は切れて黄色ブドウ球菌に侵されてリンパが垂れ、首筋もあかぎれのように切れてしまい、腕の皮も荒れて剥け落ちてという有様で、生きているのがひたすら苦しかった。

病院には行っていたけど、治癒スピードよりもストレスによる身体破壊が早くて当然なかなか治らなかった。鼓動が早くなっていて体温も通常時より高く感じていたので、自律神経失調症にもなっていたなと思う。これまでで一番白髪が多かったのもこの頃。友達からは「お前、なんか覚醒するんじゃねえの」みたいな軽口を言われてちょっと救われた。高2〜3の頃だったと思う。

これを書いていると、今すぐ家を飛び出し実家に乗り込んで、徹底的に仕返しをしてやりたいという衝動自分の中に確認できる。この期間は同じく家庭環境が複雑な友達が支えてくれていたお陰で、問題を起こさず自分も生き延びる事ができた。その友達との連絡は今はもう取れなくなっている。まだ生きていてくれると嬉しい。

この記憶を思い出した事で付随する感情も引きずられて出てきて、この時に気が付いたのがここ数年ほとんど自分の怒りらしい怒りを認識していなかったという事で、なんというか新鮮な気持ちになった。感情が揺れ動くのがなんだか嬉しくて、ちょっとクワクした。

「怒りを感じていなかった」というのが実は大問題だったと思う。

この怒りの矛先は本来親に向けて抵抗するために利用すべきだったものなんだけど、利用できていなくて、そして最近ありありと思い出せたという事は当時のフラストレーションが解消されず残っているという事になると思う。解消できていないのならそれを感じなくなってしまっていたという認識おかしくて、じゃあ認識できなくなっていたそれはどこに向かっていたかというと、これはまだ検証中ではあるんだけどどうやら自分自身に向かってしまっていたっぽい。怒りの矛先が自分に向かうことで、自己否定を一層強化してしまっていたんじゃないかと思う。

しんどいのは親に向かうはずの感情の向き先が自分になってしまっていたため」と考えてみるようにした所、体が以前よりも軽くなり、洗い物が出来ない、風呂に入るのがつらいなどの恐らく精神的な問題が急に改善されだしたのは大変嬉しいんだけど、ネガティブな側面として最近色々な事にすぐイライラするようになってしまって困った……。これは多分……親に向けるべきものが溢れてコントロール出来ていない的なものかな……と思ってる。

でもこれは創作活動転用できるエネルギーだと期待しているので、自己否定改善と併せて、またしょっぱいながら活動を再開していけるんじゃないか自分には期待をしてる。

まり何が言いたいかというと、動けない、簡単な事ができない、しんどいという状態は何かしらのネガティブな強い感情無意識自分に向かうことで強いストレスを生じ、そこから起こる精神的な問題なんじゃないかと思う。と書いたところで気が付いたけど、よく見かけるような文になったし、そんなに発見ではなかったかもしれない。でもこれまでの情報との紐付けができたので、これはこれで知見かもしれない。

最近の取り組みは方向性は間違っていないと思う。例え間違っていても、死ぬまでに目的を達成するためにも引き続き認知の歪みを直す取り組みを続けたい。

「やりたい事をやらないのが苦しい」のは当然だけど、「やりたい事をやるのも同じように苦しい」というのは異常だし、このままじゃ今度こそ気が触れるかもしれないので、出来るだけ早く絶対にこの状況を脱したいです。おしまい

一人暮らしを始めて転職して、そしてまた引っ越した際には保証会社を使ったので住所を自分からは伝えていない。確認可能らしいけど。

ゴミ親父は前々から借金していた事が去年発覚して、その際に出向いて縁を切ってきた。俺のこの先10年間と俺の収入を返済に充てたかったらしい。ぶり転がすぞ。

母親は発覚直後もほとぼりが冷めてからも、問題には触れようとしない他力本願ぶり。あんたは昔から自分にとって都合の悪い事はどんな些細なことからでも逃げるよな。いや、借金父親独断からその点だけは間違っちゃいないけど自分が住んでる土地?家?が担保にされてるのにそれは無いでしょう。

みたいな状態なので、実家はもうどうにでもな~れという気持ち。妹ちゃん脱出がんば。応援してる。

早く人間になりた〜い

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