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2020-10-18

ライン工やってる増田女です。

仕事中、手を動かすだけの流れ作業してると脳がとても暇になる。

基本はオタクなので昨日読んだマンガなどを脳内で思い返して暇を潰してるのだが、思い返すネタがなくなる脳が勝手過去記憶とか引っ張り出してくる。

基本人間関係で失敗した内容ばかりで、その時感じた感情ごと蘇ってくるのでフラッシュバック一種なんじゃないかと思ってる。

昨日頭の中に渦巻いたフラバ内容に寝込むほど消耗した。

内容は幼少期(おそらく低学年)から始まった親の夫婦喧嘩

仕事帰りに必ず飲みに行く父親はおそらく飲み屋女の子に入れ込んでいた。

そして顔を見たくないかパート仕事を入れた母親は、パート先での愚痴を全て私に吐き出していた。

自分ひとりっ子なので見事な鍵っ子になった。

帰ってきて3時間程度は家に一人。

帰宅した母親に夕飯時愚痴の捌け口にされる。

それが高校卒業まで続いた。

食器を投げるような激しい夫婦喧嘩ではなく、冷戦だった。

家の空気は冷え切っていた。

父親趣味であるマンガ本が本棚にたくさんあったので、読みふける事しか時間をつぶせなかった。

(結果見事なオタクになった)

中学から高校への進路は、親に相談せず自分で決めた。

そのためにテキトーだった勉強に身を入れ、成績を上げて志望の高校合格した。

父親合格を告げたが、そうか、ぐらいしか返ってこなかったと思う。

父親は私に興味がなかった。

母親自分の事で手一杯で、子供の事は「話(愚痴)を聞いてくれる相手」としか見てなかった。

まり放置されていたのか、と、アラフォーの今になって理解した。

暇を潰せる物(ゲームマンガ)だけを買い与えて、あとは衣食住だけの面倒をみる。

しかったんだと思う。でも訴える事はなかった。私の話を聞いてくれる事はなかったから。

元々両親の仲はそれなりで、自分が生まれからしばらくしてから険悪になったんだろう。

小学3年生になっても直らなかった夜尿症と、今でも残る爪噛み癖は家族からストレスに晒されていたからではないか

そして今、結婚すらできずにライン工をしているだけの墓守娘になった。

そんな内容が仕事中に蘇ってきて、めちゃくちゃしんどかった。

振り返って寒さのせいでフラバもキツかったのだと思った。

なので冬に向けての準備をしに行こうと思う。

2020-08-18

売却癖

衝動的に手持ちの物を売り払う癖がある。

売り払うものゲームソフトだ。

親共働きで鍵っ子、家に誰もいない中私の遊び相手になってくれたのはゲームだった。

スイミングクラブ上級試験に受かったご褒美に買ってもらったマゼンタゲームボーイカラーと、ポケットモンスター銀

近所の金持ちにいちゃんが貸してくれたゲーム機が自分の家にあって、しか自分の持ち物になるなんて!箱から出したてピカピカのランドセルを背負った時と同じくらい嬉しかったものだ。

それから「いつかは卒業するだろう」と思いつつ中学ではファイアーエムブレムMOTHER1+2出会い高校では星のカービィUSDXタイムアタックに熱を上げ、大学ポケモンXYに出戻りし……

現在も私はswitchスマホを握り締めてゲームと向き合っている。

大人になったらゲームをやめるなんて大間違いだった。

しろアダルトゲームができるようになると名作ADVを男女BLの境なくやりまくったし、今はSteamやらDLsiteプロアマチュアの垣根なく無限面白いゲームを購入することができるのだ。

幼い頃のように没頭できる時間はなくなったけれど、購入本数は増えたと思う。

しかし、先述した通り私には売却癖?がある。

高校の時だ。私は手持ちのゲームポケモン銀とプラチナを残しすべて売ってしまった。

きっかけは正直思い出せない。ただ、私の高校生活はお世辞にも楽しいものとは言い難い。

友人とは一度も同じクラスになれないのに、とんでもない女(教師カマキリをくっつけておおはしゃぎする等)とは二年同クラスな上修学旅行の班も同じ。

本命に落ちて来た学校だったので授業のモチベも終わっていて、ついでに入学時両親が離婚した。

確たる理由はわからないが、私はゲームを売ってしまった。

そしてゲームをすることもやめた。親が禁じた訳でもなく、ほかに趣味がある訳でもない。受験勉強に打ち込むでもなく、高校生活を惰性で消費していった。

そして大学、私はふとゲームをやりたいという感覚に襲われた。高校から抜け出したことメンタルに余裕ができたのだろう。

衝動的におもちゃ箱(というかゲーム箱だが)を漁って手にしたのは、折りたたみ式のゲームボーイアドバンスSP。早速何かやろうとカセットを入れていた巾着をひっくり返した。出てきたのは、ポケットモンスター銀。それだけ。

そこからはもう怒涛だった。

「お母さん!ポケモンの古いゲーム捨てた!?」「アンタが売って良いっていったんでしょ!?」とかい迷惑まりないやりとりをして私は中古屋に走り、探していたものを見つけた。

ポケットモンスターサファイア不思議のダンジョン青の救助隊、闇の探検隊ポケモンコロシアム、ポケモンチャンネル………それからカービィ鏡の大迷宮USDXMOTHER1+2トマトアドベンチャー。ここに書ききれないくらいの私の思い出は、そこにあった。

けれど悲しいかな、大1でバイトもろくに始めていない私には全てを買い戻すことはできなかった。いつか絶対買い戻そう、そう胸に誓って500円箱なしのトマトアドベンチャーだけを手に私は店を出た。

帰ってきてすぐ、私はポケットモンスタープラチナを起動した。本当はサファイアをやりたかったのだが、私が手元に残しデータが飛んでいないソフトはそれだけだった。

すごく、面白かった。何をして良いのかわからず各街に飛んで聞くBGMも、適当に組んだパーティレベル80代のライバルボコボコにされたことも。

あの時得た端金で買った名前も知らないスナック菓子にかえていいものじゃなかった。何年越し、何十回目の殿堂入りを果たした時、私は泣いた。

そしてその夜、人生ではじめてバイト用の履歴書を書いたのだ。

人生初のアルバイト苦痛の方が多かったが、おかげでソフトほとんどは一年以内に買い集めることができた。FE系のソフトと一部のハード大学生の懐には痛かったけど、ようやく自分を取り戻せたような気がした。


……自分を取り戻せたような気がした?


ここに来て私はゲームに相当な依存心を持っていることに気がついたのだった。

職場ゲーム趣味について弄られると「まあゲームに育てられたようなもんなんで!w」と冗談で返したことはあったが、どうやら真実(マジ)らしい。

そして現在コロナ無職である

バイト貯金繋ぎつつ、精神を削られている毎日だ。

疲労ピークに達した時、ふとあの時の感覚が頭を過ることがある。売ってしまえばいい、と。

今手にしているswitchを手放した時、私は今度こそ自我を失うかもしれない。

2020-07-20

高校ですでに、ITでの現場経験がある、つまり師匠がいる子は別として

学校教育で となると ちょっとな、

鍵っ子などもいて、何が起きるかがわからない。

ちょっといま、新作を見ているが、さすがにこれは未成年にはNG 保護者同伴必須

2020-07-15

おれが堤真一を知ったのは再放送やまとなでしこ

鍵っ子で帰って洗濯物をたたみながら再放送をみてた

むかしは夕方4,5じくらいに再放送ドラマをよくやってた

踊る大捜査線もそこでみた

王様のレストラン古畑任三郎銀狼怪奇ファイル堂本剛金田一若葉のころ

若葉のころはやたら長いなという印象だったけどウィキペディアみると12話しかないんだよな

30話くらいあった印象

よるのドラマじゃなくて再放送がこどもの自分ドラマとの出会いだった

Gガンダムドラゴンガンダムとのバトル回から見た

なにがいいたいかっていうと名作ドラマ毎日ちょっとずつ再放送してほしい

まとめてだとみのがしたらもういいやってなるけど毎日あったら一日見逃しても次の日みるから

2020-03-04

anond:20200304090953

たまに体罰を懐かしむ奴もいるが、

殴られていた当時も今も許せない。

鍵っ子なんて虐待だというメリケン式がスタンダードになりつつある昨今だが、留守番は平気だったし今も別に問題とは感じない。

頭は切り替わらない、人間が入れ替わるだけ ってことなのかな~

子どもが一人で家にいること

今回の休校騒動でそれが一般的では無いことを知った

小一から鍵っ子で、学校学童も無い期間は一人で家にいることが当たり前だったかちょっとしたカルチャーショックだった

ツイッターだとお留守番で危ない目にあった経験ばかりバズってるけど、自分場合は小一から高三までずっと鍵っ子で何にも起きなかったか不思議に思う 

生存バイアスとか言われるんだろうか

2020-02-28

こんなに唐突休校なんか言われても小学生だけでは留守番できない!どうするんだ!って話に対して

俺はできてたけど?別に平気だろ?小1から鍵っ子だったけどなんともなかったけど?みたいにお留守番できてたマウント取ってくるやつ

「ぼくできるもんっ!!ひとりでおるすばんでぎるも”ん”っ!!!!」じゃないんだよなあ

お前らこの手の話になるとすーぐそういうこと言い出す

お前らのことは聞いてないの

お前らみたいにほっといてもずーーっと黙ってファンタジー小説読んだり電車図鑑地図帳見て時間潰して友達と外で遊べなくても全然OKな奴の話はしてないの

クラスで一人浮いてる奴ってクラスにたった一人だからそうなってるわけで

残りの30人くらいの普通のガキは友達の家に押しかけてギョピィイイイイイイイーーーーッ!!って奇声上げながら室内で鬼ごっこして障子に倒れ込んでビリビリに破っちゃったりしてるの

年相応の普通のガキはお前らみたいなおませさんと違っておとなしくお留守番できないの

anond:20200228025004

はいはい、哀れだなぁ

おまえの親は能力いからお前を鍵っ子にしたんだなぁ

うそれでいいよ

まり昭和常識を令和にふりかざすなよ

うるさいじいさんとおもわれるぞ

anond:20200228024507

社会が大変複雑になってるので昭和基準で人を図るのをやめたほうがいいよ

ちなみに鍵っ子アメリカでいうと被虐児童

おまえがやってることは奴隷の鎖自慢

anond:20200228024012

無能から鍵っ子なんて危険な役目をそつなくこなせたんだろうな

anond:20200228023555

鍵っ子子供時代過ごしてきたのにそんなこと言われてもね

過保護の親が屁理屈捏ねてるだけとしか思わん

2020-02-27

鍵っ子としては隔世の感ある(老害)

というかお留守番自習自炊もできる子であっても虐待ダー放置子ダーっていちゃもんつけるキチ親がいるんだろうな

2019-07-10

anond:20190710134016

横だけど、共稼ぎ育ちは大変だね。歪んでて。

スーパー惣菜菓子パンで育ったんやろ。鍵っ子かな?可哀想

2019-07-06

anond:20190706112432

4年生から留守家庭なくなって鍵っ子だった

共働きだったから帰ってもだれもいない

いつも再放送ドラマを見ながらダラダラと洗濯物をたたむのが日課だった

自分としてはたいしたことじゃないと思ってやってたけど、

親はめちゃくちゃ感謝してくれるのでうれしかった

2019-06-25

anond:20190625194109

鍵っ子育ちを馬鹿にするのやめろよ。

かに鍵っ子育ちとか片親はメンタリティ問題あるやつ多いけどやめろ!

もう一度言うが

専業主婦馬鹿にするのはワイの母親馬鹿にすることや

共稼ぎ鍵っ子育ちは黙ってスーパー惣菜でも食ってろ

片親は2人分の愛で育ててくれた親にでも感謝してろ

2019-06-23

専業主婦馬鹿にするのは

ワイのマッマを馬鹿にすることやぞ

共稼ぎ鍵っ子の分際でワイのマッマを馬鹿にすんな

スーパー惣菜育ちはこれだから嫌だわ

2019-06-17

行き場がない

ただ母の興味が欲しかった。

ただ幸せになりたかった。

私には2つ下の弟がいる。10ヶ月になったばかりの頃、父の不注意で弟は頭を強打し、一時期は生死の境を彷徨った。一命を取り留めたが、重い麻痺知的障害が残った。一度とて歩くことも話すことも出来ず、今も体だけが20歳に成長した赤ん坊のまま。

母はこの不憫な弟が可哀想でたまらないらしい。

弟の件があり両親は離婚した。私たち姉弟は母に引き取られた。母には仕事があり、障害を抱えた弟の世話はとてもじゃないが見れなかった。幸いにも面倒を見てくれる施設が市内にあったので、弟はそこに入所した。母は、平日は仕事をこなし、土日には自宅へ弟を帰省させたりしていた。母はとても頑張っていたように思う。しかし母はとてつもなく不器用だった。仕事と弟の帰省。これ以上に何かをこなす事はキャパシティオバーしていた。平日は仕事に疲れ帰ってきて、土日は弟の帰省時間が潰れる。当然家はメチャクチャゴミも片付かず、ご飯は出来合いは当たり前、次の日着る制服は夜に洗濯を回すから乾かず生乾きだった。アイロンなんてかけてもらった事ない。私は鍵っ子で、8時近くに帰ってくる母を1人待つ生活高校卒業まで過ごした。夜や休日であっても母との会話はなく、母は私に興味がないようだった。それもそうだ。母は家族を養うため無我夢中だったし、五体満足の私よりいつまでも手のかかる弟の方が心配だ。幼心より、母に迷惑をかけては行けない、弟が辛い目にあってるから私は甘えては行けないと思っていた。私は自分のことは自分解決する癖がついていた。それに身の回りのことは自分でやりなさい、が母の方針だった。しか方針だけで、教育には意識が向かなかったようで、箸の使い方や横断歩道渡り方、人への挨拶、身嗜みは全て学校、叔母や従兄弟から教えられた。そもそも学校とはそういうところだし、母に世のルール全て学ぶなんてことは私も求めてはなかったが、それでも母から何か教わるなんてことは小学生の時はなかったように思う。そもそも会話が少なく、抱きしめられることも、手を繋いで歩くことも、一緒に歌を歌うとか、そんな親子の思い出が少なく、教育として受けるものも無かった。無関心、ではないけど関心が低い。ネグレクトまではいかないけれど、放置気味。よく自分社会ルールを知って育ったなと自分ながらに思うくらい母からの低関心が酷かった。

話が少し逸れるが、私は少し発達障害の気がある。小さい頃から忘れ物が多く、人とのコミュニケーションが下手くそで、いつも遅刻ギリギリ。でも言い訳をさせて欲しいが、それは親のフォローがあってこそ治るものではないのか。宿題を見てもらったことは一度もないし、忘れ物チェックもない、遅刻は親も常習犯。母と会話しないかそもそも話し方を教わっていない。その気になれば発達障害テストもできるけど、私はこれを不教育による弊害だとして受診を避けている。いや、まあ、単に診断されたらダメージが大きすぎることもあるけど。

イジメられても、不審者に会っても、テストの点数が悪くても、親に相談できなかった。だが自分解決できず、限界が近くなった時、もう学校行きたくないと泣いて親に話したことがある。その時の母の顔と言葉は忘れられない。

「アンタまで、私にどこまで迷惑かければ気がすむの!!!

今まで母のため弟のため自分を殺して生きて、辛いことを悲しいことも抱えて、でもやっぱり母の愛が少ないことから生じる人格の綻びがイジメにつながったと思う。なのに、助けを求めることすらしてはいけないのか。母にとって私は、何か問題が起こるだけで迷惑存在なのか。

それから十数年経って、私は成人して医療系の職種につくことができた。母は仕事を続け、弟も変わらず体の大きな赤ん坊。母の関心は相変わらず弟。成人したので私への関心はさらに減った。母をご飯に誘っても疲れているから嫌だ。遊びも同様。ご飯を作れば冷蔵庫にあるお弁当を食べ、私の手料理には手をつけない。

なにも変わらない。あるといえば、私は彼氏が出来て依存先を変えた。彼氏は優しく、私のことを大好きでいてくれて、いつも私のことを考えてくれている。嬉しい。誰かにこんなに思ってもらったことは初めてだ。聞けば彼はご両親の元、一人っ子としてスクスクと育ったようだ。通りで自信に満ち溢れ、愛は無償なことを知り、人生悩むことはあるけど2人なら幸せになれるよと語れるわけだ。

私はちゃんと彼に愛を返せているか。きっと返せていないんだろうな。彼はよく私の態度を見て不安になるようだ。ごめんね。

フラッと立ち寄ったバーで知らない人から、「貴方言葉に棘があり、人を信頼せず、自分本心も隠しているね。そういう子は幸せになれないよ」と言われた。初対面の人にも分かるくらい、私は歪んでしまっているのだ。そのことを突きつけられた気がして、十数年来の気持ちがブワッと湧き出した。蓋を被せてきた感情が夜毎に強くなった。

私をこんな人間にした全てが憎い。

私に興味を持たない母が嫌い。

母が私に興味を持てなくした元凶の弟が嫌い。

両親と仲良く休日を過ごす友人たちが嫌い。

なんの苦労を知らず日々楽しく過ごす同級生たちが嫌い。

私のなにも知らないのに好きだという彼氏が嫌い。

なにより、いつまで経っても親や環境のせいにして、自分正当化し逃げ続ける自分が殺したいほど憎い。

この感情には行き場がない。誰にも言ったことがない。言い方が分からない。彼氏にも友達にも、家族のことをなにも話していない。私は相当嫌な人間に育ってしまった。笑顔で話してる裏で死ねとすら思ってしまっている。

行き場がない。

私の理性が人のせいにするな、自己責任だろうとストップをかける。感情を飲み込んで、また明日から母に愛される弟を横目に、幸せになれない自分人生を歩まねばならない。

私はただ、母に愛され、そして幸せになりたいだけだったのに。

2019-05-22

anond:20190522112740

今時は帰宅時に家に大人がいない子は学童に行くのが当たり前で、

そうではない子は「鍵っ子」じゃなくて「放置子」と言われて被虐待児扱いだよ。

2019-01-09

anond:20190109223742

アラサーだともう鍵っ子は通らないんだな。おじさんは悲しいよ。

2018-12-25

9歳で痴漢にあった記録

最近痴漢があるって信じてもらえない」みたいな記事が上がってたので、私の経験も書いてみる。

痴漢って結構ひどいんやで、って少しでも共感してもらえれば、

愛しの愛娘が9歳になる頃にはもう少し世の中が良くなってるかもしれない!…と思ってカーチャン頑張って書くよ!

ピアノお稽古の帰りだったと思う。

青と白の縞々のポロシャツ黄色の短パンはいていた事を覚えてるので、多分夏のこと。強い西日が差し込んでいたので16~17時くらいかな。

実家マンションの1階廊下を歩いていた時、「すいません」と男の人に声をかけられた。

グレーのスーツを着て黒ぶちのメガネをかけた人。気弱そうな感じだけど、普通ちゃんとした大人って感じだった。

ちなみに顔は見れなかったので覚えていない。他のことは全部目に焼き付いてるんだけど。

男は「小西さんってお宅がどこにあるか知ってるかな?」と聞きながら私の目の前にしゃがみ込んだ。

「知りません」と答えたら、突然股をモミモミされた。

(あれ、何これ?何してるの?何か小西さんと意味あるのこれ?)

フリーズする私。

男は段々スハーースハーーと鼻息荒くなっていく。

その間「そっかー知らないかー…そっかー」

みたいな事を言っていた。

2分くらいで立ち上がってどこかに消えた。

この時は恐怖とかじゃなく、「は?」って感じだった。

けど、何が後暗いことの標的になってしまった事は判ったので、謎の罪悪感から高校生になるまでこの経験を誰かに話すことはなかった。

これを書きながら何度も消そうと思った所を見ると、未だに恥ずべき記憶と捉えているんだろうな。

匿名から言えるけどこんな話誰にもできないよ(だから痴漢経験談は少ないのかな、書いてて吐きそうである)

夕方実家マンションエレベーターにて。

白いワンピを着て、ピンク自転車エレベーターに乗せて、自宅の階まで上がろうとしていた時だった。

エレベーターを閉める直前に男の人が乗り込んできた。

デニムに白いTシャツ。髪はちょっとボサボサ風で、無精髭を生やしていた。

この時はほんの少し嫌な予感がしたのを覚えている。

エレベーターが動き出して実家の階につくまでの数秒の間に、男は私のそばにしゃがみこんで、ひたすら太ももを撫でてきた。

「ごめんねー ごめんねー」

と何故かずっと謝られていた。

その間私はずっとフリーズしていた。

正確に言うと、男が私の横にしゃがみ込んだ時点で体に電流が走ったみたいにゾゾゾッてきて、「あ、やられる」って一瞬で理解すると同時にめちゃくちゃ体が硬直した。やられてる間はひたすら絶望しかなくて、自転車グリップをぎゅーーっと握りしめてた。

森でヒグマに会って突進された時とかって、ああなるんじゃないかなと思う。

しかも笑えるんだけど、エレベーターが到着して私が降りる時、私は男に「さようなら」と声をかけた。

エレベーターで一緒になった人には挨拶するようにと親に言われていたから。

さっきまで勝手に太もも撫でてきたやつにご丁寧に挨拶してしまうほど私の頭はフリーズしていた。

男が私と一緒にエレベーターを降りて家までついてこなかったのが不幸中の幸いだった。(鍵っ子だったから)

両方とも、やられてる時の事とかもっと詳しく言えるんだけど、20年以上経っても手が震えるから簡素描写になってる。

ちなみに、年齢が1桁だった頃の記憶でここまで鮮明に覚えてるのはこの2つだけ。

多分死ぬボケるかするまで忘れないと思う。

これ以外の痴漢もあるけど、この2つは幼少期だった事もあってか、何か自分自身がグチャグチャに踏み潰された気持ちが強かった。

怖いよね、9歳で自尊心とか全能感とか全部グチャグチャにされるのよ。

性犯罪もっと厳罰にして、GPS埋め込んで更正プログラムビシバシやってもらいたい。

この男達は絶対に私以外にもやってるだろうし。

あと子供に、性犯罪にあった時は罪悪感なんか持たなくていい、1人で抱え込まずにすぐ親や先生に訴えること。って教育した方がいいと思う。

まー長くなったけど、

男の人の協力がないとこういうのは改善されないだろうから、少しでも共感してもらえるといいなぁ。

自分で「ヒグマに突進される」って書いてて結構しっくり来たので(最近見た「レヴェナント」でディカプリオが熊に襲われるシーンに感じた絶望感と似てた)痴漢は捕食される恐怖と似てるかもしれない。

参考までにー。

2018-09-17

暗黒の青春時代を過ごした結果

なのかどうかは分からないけど、相対的にはそこそこ良いポジション社会人に居ることができている。

というのは、この度の中学同窓会に参加しての感想

もともと、教室の片隅でなんとか出席していただけの陰キャラが、他のメンバーの状況を勝手判断しているだけにしか過ぎないけど。

本音を言えば、そう思うことでしか自己解決が出来ないだけだが。

小学生時代はそこそこイケイケ、中学生になるにつれ微妙思春期を拗らせ、周囲とはうまく絡めず

休み時間は寝たフリをして机に突っ伏し、昼休みは自宅に戻ると言う鍵っ子だった。

なので、そもそもこの同窓会に参加したのもある種偶然というか、少なくとも当初の名簿には俺は存在して居なかったの無かったのだけど。

小学生時代の知り合いが名簿に俺を追加してくれたらしく、連絡が来て、同窓会に参加することになったわけだ。

ちょうど仕事地元に戻る都合があったので、まぁついでなら、と思って参加した。

そこでは、昔の中高の青春について語るのがある主目的なのだから、そうなんだろう。

だけど、クラスでウェイウェイ系であった奴ほど、余りい良い現状には居ない。

明確には語りたがらないが、無職だったりフリーターだったり、ブラック派遣だったりする。

これらの境遇差別的にみるわけではないが、ってここでそんな取り繕いに意味はないので、

まぁ、大変だな、って境遇にいるやつばかりだ。

中高と人と余り同級生と関わらず、無駄勉強とかしていたからかどうかは別として

自身は今そこそこのステータスにいる。

今だけを見れば、それでよかったんだ、

そう、あの時のつらさや青春体験できなかったのは意味があったんだ

なんて、そう思う。思いたい。思わないとやっていられない。

結局、現状のステータスで、彼らよりも上だ、そう思わないと何というか、やりきれないんだ。

勝手にそう思って、自分を慰めているだけなんだよね、実際は。


今はそこまでイケていないと勝手に思わざるを得ない彼らの語る青春は楽しそうだし、羨ましい、というのが結局の本音だ。

齢30を過ぎた今は周囲からある程度モテるような現状は認識している。

当然、魔法使いになることは回避した。

だけど、20代後半で初体験をした時に感じたそれは、なんか難しいな、と思うだけで喜びも驚きもなかった。

ネットには慰めのごとく俺に刺さるフレーズがある。

曰く、「青春なんて幻想だ、あんものは実際無いんだ。」なんて。

だけど、同窓会で楽しそうに語る彼らの中には、実際あるように見えたし、少なくとも俺には無いということは分かった。

今こうやって、あこがれていた恋愛だのなんだのに遅れて参加しても、メンドクサイだけに思えてしまう。

それに、今はイケていないにせよ、彼らの多くは家庭持ちだ。

自身、家庭を持つということに対して自由を失うデメリットを引き算すると、あまり積極的になれない。

聞くに彼らは青春の勢いで恋愛し、結婚し、小作りし、家庭を持っているのだ。

価値観多様化した現在において、その手のライフスタイルが必ずしも正道ではない、と言われていたりする。

これもネットを中心に。

まぁ、そうだよなと思う一方で、本当にそうかと思う。

結局のところ、青春謳歌できなかった人間人生において違うルートを歩まざるを得ないのではないか

結婚した奴らが言うに

「この人と一緒に居続けたい、そう思ったから。」

というのが、その理由らしい。本当かどうかはさておいて。

今の俺には、恋愛というらしいことをする相手にそうは思えない、思えたことがない。

それは、出会い問題なのか、俺自身心の問題なのか。

ただ、通れなかった道を振り返ると、思うんだ。

結局、青春謳歌せずに、ジメジメした10代を過ごしたのが結局のところの原因だって

からないけど、あの勢いだけで走り抜けることのできた青春時代に走ることができれば

今がどうあれ、少なくとも大きな思い出という過去を持つことができるんじゃないかって。

結局俺は今のこの職業、そしてそこでそれなりにやれるという思い込みしかない。

過去には何もないんだ、今をすり減らして生きているだけなんだ、と思った同窓会

そして俺は過去もなければ、未来に何かを今後残すこともないのであろう。

社会歯車として今を消費し続けるだけ。

そして、そんな今を言い訳のごとく解釈するのだ

あぁ、あの時青春の道を通れなかったばかりに


と。

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