私には、他人が分かりません。何を考えているのか。どれくらいの能力があるのか。そして、私以外の人間は、私と違って他人のことが分かっているのか。全てが分かりません。
「他人が何を考えているのか」は、今までの経験とその場の状況から推測できる場合が多いです。したがって、テンプレ化した会話では問題なく応答できる(と自分では思っている)のですが、あまり遭遇しない場面になると途端に難しくなります。
ある時タバコを吸っていると、友達から「それ新しいやつだよね?気になってたんだよね」と言われました。これに対する返答として適切なのは「1本要る?」なのですが、私の口からその言葉は出ませんでした。
これは、空気を読む力が先天的に欠けているせいなのでしょうか。それとも、発言の意図をくみ取ることをサボっているということなのでしょうか。「普通」の会話がどうやって行われるのか知ることができればこの疑問に答えが出るのですが、いまだ他人に会話の方法を尋ねたことはありません。
他人の「能力」について考えるようになったきっかけは、受験勉強です。私はペーパーテストに関しては優秀で、「まじめに勉強すればいい点数はとれる。成績が悪い人は、勉強時間が足りない」と考えていました。しかし、世の中には、一所懸命に勉強しても第一志望の大学に入れない受験生がいます。高校時代のクラスメイトに私よりも遥かに勉強熱心な人がいましたが、結局その人は志望校に落ち、私は東大に進学しました。非常に傲慢な物言いで恐縮ですが、能力の差を感じました。
人によって能力に差があるということを知った私は、世間の中の自分の立ち位置を考えるようになりました。世間には仕事やそれ以外の分野で素晴らしい業績を上げている方が大勢いて、それぞれ優れた能力を持っています。その一方で、四則演算が怪しい人や、怒り狂って支離滅裂なクレームをする人がいるとも聞きます。色々な人の話を聞いているうちに、何が普通なのか分からなくなり、自分の位置も分からなくなりました。
自分の位置を知ろうとすることは非生産的だと思いますが、それでも時々考えてしまいます。(結局、自分が高い能力を持つことを確認して自己肯定したいだけなのかもしれません)
自我が上手く発達しなかったのかも。幼少期の生育環境に問題はありませんでしたか? あと、ASD傾向があるのかもしれないね