はてなキーワード: 1993年とは
山本一郎氏と長田氏の対談の記事を見て気になるやりとりがあった。
長田氏:
でも海外の消費者団体の方とお話することがありまして,そこでですね,日本ではなぜ,ガチャが認められているんですか,不公平じゃないですか,って指摘されることがあるんです。
山本:
海外製のアプリでも,日本のソシャゲ成功事例をまねてガチャを導入している作品がありますが,基本的には賭博に該当する可能性があるのでNGだと判断するメーカーは多いようですね。
長田氏:
ほかにも,「お金を出せば有利にゲームを進められる」とか「ほかの人に勝つためには課金が必要だ」というゲームを出しているのなら,それは“無料で遊べる”と表記してはいけないのではないかとか,お金を出した人が有利なゲームは不公平のはずなのに,日本ではそれが認められているのはどうしてなのか,といったご指摘を頂戴します。
山本:
海外における「公平」の考え方と,日本のそれは異なりますよね。しかし,そういう話で言うならば,PCのオンラインゲームでは2000年代からやっていた「ゲームプレイ基本無料」って表記がそもそもマズいと思っていたんですよね。
これを見て海外ではガチャが規制されているのか!と誤解をした人も多かったようで、こちらの記事のはてブで何人かその趣旨のコメントをしている。
このやり取りの中で重要なのは、基本無料という表記の問題と不公平感についての文化の違いについてなのだが、山本氏の途中に挟んだコメントで趣旨が大きく変わって受け取られているように思われる。
ガチャについて、過度に射幸心を煽ったり誤解を招くような詐欺的な確率表記のような実態があるなら是正されるべきだとは思う。だけど、海外のスマホゲームの実態について変な誤解をする人が増えるのは残念なので、海外のスマホゲームのガチャの実態について書くことにした。
参考になれば幸いである。
AppStore、Google Playのトップセールスのランキングは、IPによってその国ごとのランキングが表示されてしまうが、以下のようにランキング情報をまとめてくれているサービスはゴロゴロある。
http://applion.jp/market/us/iphone/rank/gross/
上記はアメリカのAppStoreのトップセールスのランキングである。200位まで見ることができる。
傾向を見ると、アメリカで人気のジャンルは、戦争を題材にしたRTS、気軽にプレイできるパズル、そしてカジノ、となる。
スマホアプリ市場において、F2Pの先駆けになったのはアメリカであるが、ゲームでの課金形態は時間短縮や資源購入型の課金形態が主であった。
2012~2013年頃に日本製ゲームである神撃のバハムートのローカライズ版が配信され、トップセールスランキングで1位を取るほどアメリカで人気が出た。それ以降にガチャ機能を持ったゲームが受け入れられ始めた、と考えている。
以前知り合いのアメリカ人に聞いたところ、アメリカにもコインを使っておもちゃを排出する機械はあるが、チープでそれほどメジャーな存在ではないとのこと。
そうしたアメリカで、ランダムに商品を提供するガチャに相当する存在は何なのかというと、トレーディングカードゲーム(以下TCG)のパック販売である。
TCGの始まりは、1993年にアメリカのウィザーズ・オブ・ザ・コースト社から発売された「マジック:ザ・ギャザリング」とされていて、その後に世界中で大ヒットしている。
なじみの無い方向けに説明すると、マジックの場合、1パック買うと350円で15枚のカードが封入されていている。その中は、レア1枚、アンコモン3枚、コモン11枚、という比率で入っていることが保証されている。
当然同じレアリティでも強いカードと弱いカードがあるが、オンラインゲームやソーシャルゲームのガチャのように同じレアリティ内で偏りは無く、排出量は保証されている(はず)。
これを踏襲して、アメリカ向けのスマホゲームでガチャ相当の機能(ランダム性を持ったアイテム販売)が出てくる場合、"Pack"と呼ばれることが多い。
アメリカでは、スマホにおけるランダム性を持ったアイテム販売を規制するような法律は現時点では無いので、ガチャを持ったゲームも普通に配信されている。
カジノ系のゲームも、ガチャと同じようにランダム性を持って景品を提供するゲームと言えなくもないが、今回はカウントの対象外としている。
ガチャ的な要素があるタイトルは以下の通り。 (ちゃんとプレイしたことの無いゲームもあるので勘違いをしているタイトルもあるかも)
9位: Marvel: Contest of Champions
18位: Star Wars: Galaxy of Heroes
34位: Walking Dead
52位: HearthStone
53位: Jurassic World: The Game
57位: Knights & Dragons!
62位: DRAGON BALL Z DOKKAN BATTLE(ドラゴンボールZドッカンバトルの英語版)
66位: Castle Heros
72位: Brave Frontier (ブレフロの英語版)
89位: Marvel Puzzle Quest
100位中12タイトルなので、日本に比べると少ないがまずまずの数がある。主流であるというほどではないが、ガチャ機能も十分受け入れられている、といっても良いかと思う。
ガチャが日本の市場だけで受け入れられているって訳でもないし、またアメリカの場合だとカジノゲームのように文化によって形は違えど射幸性を持ったゲームが存在している、というのは覚えておきたい。
先ほどのサイトで他の国のランキングを見てみると、多少の順位の前後はあれど、上記のタイトル達がほぼランクインしていることも追記しておく。
中国・韓国ではランダム性のあるアイテム販売の規制が入っていることで有名な話だと思う。
中国については以下の「ガチャについての規制」の項目を読めば良い。
https://www.jetro.go.jp/ext_images/jfile/report/07001588/china_mobile.pdf
日本と比べて中国ではRMTの文化が根強く、多分国の規制が入っていなければ、ガチャの景品が現実のマーケットで取引されてよりひどい問題になっていたことが推測される。
余談になるが、トレード機能を持つ日本やアメリカのソーシャルゲームは中国人のRMTの対象なることが多い。昨今の日本のスマホゲームでトレード機能が無くなってきたのは、これに対する対策という側面もあったりする。((代わりにいいアイテムを持ったアカウントが売買されたりしてるけど))
ただ、規制されても両国ともグレーゾーンを走るメーカーは多く、法に触れない形を取った確定ガチャやVIPシステムのような提供したりもしているのが現状である。
色々書いてきたけど、早い話が隣の芝はそんなに青くないって話。
軽く調べたんだが携帯キャリアの歴史の1つのターニングポイントは1992年。
1つはエヌ・ティ・ティ移動通信網株式会社がNTT本社から移動通信事業を完全に引き継いだこと。
これが1994年にツーカーと共にデジタルツーカー(*1)となり、なお紆余曲折を経て今のソフトバンクになる。
ちなみに1992年以前の携帯CMは電話が持ち運びできるということと問い合わせ番号ぐらいしか伝えていない。
当時のことはあまり知らないがどこもこんなものだったのではないだろうか。
まあ当時はかなり値の張るサービスだったと思うので、
金のことなんか気にせずただただ電話ができればいいという好奇心旺盛な人を取り込めればよかったのだろう。
話は戻るが1992年に今の携帯キャリア3極体制の原型が出来、(*2)
まだまだ携帯電話事業に対して市井の人々の関心が今ほど高くは無かった90年代中期。
業界の中核をなす企業でありながら少々ごたつき気味だったドコモと新興勢力のデジタルホンは、
まずはブランドの認知が早急だと判断したのかインパクトの強いCMを打ち出した。
(当時のCMはみつからなかった)この桑田佳祐が映っている部分が1992~3年ドコモ開始時のCM。
「オギャーっと、ドコモ!」のキャッチコピーでタイアップ楽曲はサザンオールスターズの「シュラバ★ラ★バンバ SHULABA-LA-BAMBA」。
キャッチコピーの語感やシュラバ★ラ★バンバの曲調からバブルの残り香のような勢いを感じるインパクトの強さ。
宇宙人に扮したAV女優が乳丸出しでサザンのメンバーを襲うという、これまた豪勢でインパクトを残すものだった。
現在にいたるまでコンスタントにDocomoのCMに出演していることからも、このCMの重要さは見て取れることだろう。
こちらはデジタルホン系列の関西デジタルホンが1996〜97年に放送した「しゃべるならデジタルホン」シリーズの1つである。
クエンティン・タランティーノがひたすらしゃべり続け「しゃべりタランティーノ」という決め台詞をいうと
視聴者はデジタルホンという携帯キャリアの存在しか頭に入ってこない。
デジタルホン(現ソフトバンク)の初期を代表するCMで記憶に鮮明な人も少なくないはず。
思えばこの2つのCMが昨今の携帯キャリアのブランドイメージの源流なのかもしれない。
著名人が奇抜な格好したりショートコントをやってる携帯のCM、というものの原型は、
それでも1990年代はまだドコモの広末やIDOの常盤貴子や織田裕二などによる爽やか路線が主流だったが、
「IDOはどこにあるの?」というトヨテツのボヤキで幕を開け、
浅野忠信、豊川悦司、永瀬正敏らによって展開されたAu by KDDIの初期のキャンペーンによって、
携帯キャリアのCM=際物なイメージは確固たるものになってしまったのではなかろうか。
(*1):ツーカーの存在はデジタルホンと足並み揃えたかと思えばKDDI傘下に入ったりそれでもJ-phoneのサービス採用してたりとややこしいので割愛したい。
清原和博が覚醒剤容疑で逮捕された。1990年頃に彼がここまでひどい人生になるとは、一体誰が想像しただろう。
今の若い人で「球界のアイドル清原」の時代を知る人は少ないだろう。入団の経緯もあり、計算高そうで表情の起伏に乏しい桑田との対称で、清原は喜怒哀楽が素直で純朴、というイメージが一般には持たれていた。また球界を代表する投手のウィニングショット(例えば山田久志のシンカー)を簡単に流し打ちでスタンドに運ぶ打撃など、野球ファンに抱かせる将来への期待という点でも計り知れないものがあった。日本球界で、最もバッティングの能力が高かった選手は誰かと言われれば少し迷いつつ「落合博満」と答えるが、素質や潜在能力については迷わずに「清原和博」と答える。
1990年代前半まで、当時は日曜日の午後に、テレビ朝日で必ず西武戦の中継が行われていて、私は(アタック25と一緒に 笑)毎週ほとんど観ていたと思う。だから清原和博の全盛時代は目に焼き付いている。
かといって私は清原の大ファンだったわけではない。むしろ西武では石毛宏典や秋山幸二などに比べて、プレースタイルが野暮ったいという印象があり、話すことも面白みのない優等生発言ばかりで(ヤクザキャラの現在でもこれが器用にできたりするのが悲しい)、正直それほど好きではなかった。しかし、これからどのくらい凄い成績を残すのだろう、というワクワク感を抱かせる選手であったことも確かである。好きな選手は石毛や秋山ではあったが、毎日の成績が気になったり、テレビで是非打ってほしいと願いながら見ていた選手は、明らかに清原であった。
清原はいつから悪くなりはじめたのか。個人的な印象で言えば1993年である。多くの人は1997年の巨人入団から急激に悪化したような印象を持っているだろうが、それはあくまで「キャラ」の部分である。私は西武時代後半の不調を、そのまま巨人入団後も引きずってしまったと考えている。年度別成績を見ればはっきりするが、西武時代最後の2年と巨人入団後の2年はほとんど成績が変わらない。
それまでの清原は、PL学園時代に叩きこまれた技術をそのまま生かして、自然体の構えから、そのまま軽く素直にバットを出している感じだった。それが1993年頃から、力感のある構えから打席内で大きな(さらに言えば無駄な)動作をするようにな った。体つきは、かつてよりガッチリするようになり、野茂や伊良部の剛速球を豪快なホームランで弾き返すことがあった一方で、明らかに雑な三振が増えるようになった。それまでも調子の起伏が激しく、意外に精神的に不安定な選手であるという認識はあったが、この頃から徐々に打撃そのものが劣化している印象があった。
特に1995年は失望の年だった。春のキャンプで清原は肉体改造をして相当に絞り込んでいるという姿が伝えられ、今までとは違う精悍な顔つきの清原に、私も「これは期待できるぞ」と思っていた。しかし、シーズンに入ると成績はさっぱりで、相変わらず動作の大きな打撃フォームから、雑な三振を繰り返していた。シーズン半ばに走塁中の肉離れで一月弱ほど戦線を離脱をしたが、それまで故障知らずだった清原が、通常のプレー中に大きな怪我をするというのが俄かに信じられなかった。
この「劣化」の背景には色々考えられる。一つにはよく言われていたことだが、清原自身の打者としての理想や上昇志向が高すぎて、欠点を直そうとするばかりに利点を失わせてしまったこと、二つには秋山、石毛、辻といった黄金期を支えたベテランメンバーが次々と西武を去り、清原の自己満足的な打撃に歯止めをかける存在がいなくなってしまったこと、そして三つ目には、この時期パリーグの球場が新しくかつ広いものとなり、本塁打数も全般的に減少傾向にあったのだが、それに力で対処しようとしてしまったことである。
それでも清原が成長する過程なのかもしれない、と当時はまだ若干の期待を残していたが、巨人入団後に完全に露呈した打たれ弱さ、精神の不安定さと、週刊誌の「番長キャラ」に自らも乗っかるようになったことで、清原の将来に期待することは完全になくなった。選手としての能力以前に、人格的に国民的スターの器ではない(ある種純粋な人間ではあるけど)ことは余りに明らかだった。週刊誌の清原ネタを、自分も笑って楽しむようになってしまった。
2000年以降に(清原によるとホームから離れて打席に立つことで)若干の復活の気配も見せたが、明らに無理なトレーニングで野球選手とは言えないような体型となり、毎年のように大きな故障で長期離脱を繰り返した。番長キャラにも年々拍車がかかった。オリックスにトレードされた頃は、既にかつての天性のしなやかさは完全に失われ、最後はまともに走ることすらできなくなっていた。若い頃の清原は頑健というだけではなく、無駄に全力プレーをすることがない、身体に負担の少ないプレースタイルだったので、晩年ここまで怪我に悩まされるとは想像もできなかった。
誰しもが思うことだが、18歳の時に既に完成されていた打撃技術をそのまま大事にし、無理なトレーニングをせずに練習で自然についた筋肉だけで勝負し、私生活でももう少し節制すれば・・・もし1990年の頃の自分に会うことができたら一体何をアドバイスするか、と清原に一度尋ねてみたい。
○ 性的指向とは、恋愛・性愛対象として「どの性別の人を好きになるか/ならないか」という根本的な傾向のこと。性的指向が他者から「感染」することはない。
○ 異性の人しか好きにならない人は「異性愛者」、同性の人しか好きにならない人は「同性愛者」、異性の人を好きになることも同性の人を好きになることもある人は「両性愛者」と呼ばれる。
○ 「生物学的に異常」という表現がそもそも成り立ち得ない。近代以降の生物学はダーウィンの進化論を原理とするが、進化論は「環境に適応した動物が生き残る」という事実判断を示しているのであって、種や個体の在り方について「正しい/誤り」「正常/異常」などという価値判断を示しているわけではない。
○ ナチスドイツのように「優秀な遺伝子」の繁殖を至上命題とする「優生学(優生思想)」ならば事情は異なるが、生物学は「子孫繁栄」を種の目的として掲げているわけでもない。
○ 「性行為が生殖に結び付かないのに性欲がある」個体を「異常」とみなすならば、同性愛者だけではなく、不妊症の男女もまた「異常」ということになる。「生殖に結びつく能力を持たない」個体を「異常」とみなすならば、同性愛者一般ではなく、不妊症の男女(性的指向は問わない)のみが「異常」ということになる。
○ 生物学と異なり、医学では「正常/異常」という表現を使用し得る。
○ 1974年にアメリカ精神医学会は『DSM(精神障害の分類と診断の手引)』第3版で同性愛を治療対象から除外し、1993年にはWHO(世界保健機関)も『ICD(国際疾病分類)』改訂第10版で「同性愛はいかなる意味でも治療の対象とはならない」と結論した。
○ 日本でも1994年に厚生省(現:厚生労働省)が『ICD』を公式基準として採用し、1995年には日本精神神経医学会が『ICD』を尊重するとの見解を示した。
○ 性的指向に「正常」も「異常」もないというのが現代医学の「常識」である。この「常識」を覆そうとするのは自由だが、同性愛が治療対象(医学的に「異常」)であることを証明するのは難度の高い試みだろう。
○ 「アブノーマル(異常)」が「ノーマル(正常・まとも)」の対義語であることを踏まえれば、仮に発言者に悪意がないとしても、「同性愛は異常」という主張は必然的にネガティヴな表現として理解される。
○ 同性愛には「異常(アブノーマル)」として排斥されてきた歴史もある。不特定多数を「誤解」させたいわけでもなければ、同性愛者が少数派であることを強調したい場合には最初から「少数派」や「マイノリティ」という単語を使用する必要がある。
○ 既述したように、「同性愛は生物学的に異常」という主張は「私が信じるところの『生物』の在り方として同性愛は異常」という思想的メッセージにすぎず、「同性愛は医学的に異常」という主張は事実に反している。現代の社会において「同性愛は異常」という主張は差別的発言として理解される。
○ 法務省人権擁護局の『主な人権課題』に基づけば、特定の人種や性別、性的指向を理由とする差別的発言は人権侵害にあたると考えられる。
○ 同性愛者や両性愛者は、誰もが自分の性的指向をカミングアウトしているわけではないし、誰に対してもカミングアウトしているわけでもない。実のところ、それは異性愛者も同様である。異性と交際・結婚していることは異性愛者である証とはならない。
○ 「同性愛は異常」という主張は、自分の周囲に同性愛者はいないと思い込んでいる人ほど発しやすい。しかし、実際には同性愛者や両性愛者はごくありふれた存在で、複数の調査によれば人口比3〜6%程度は存在するとされる。
○ 目の前に同性愛者がいる可能性を考慮せずに「同性愛は異常/気持ち悪い」と発言することは、実は目の前にX県出身者がいるのに「X県出身者は異常/気持ち悪い」と発言するのと同様、他者を侮蔑する行為である。偶然、その場に同性愛者やX県出身者がいなかったとしても、目の前にいる人の家族や友人が同性愛者やX県出身者かもしれない。
○ 日本の同性愛者や両性愛者の男性の中には、異性愛者の男性の約6倍もの自殺未遂経験者がいる。
○ 誰も他人の心の内を透視できないので、内心で何かを思う分には誰からも何も問題視されようがない。ただし、「同性愛は異常/気持ち悪い」という発想が「黄色人種は異常/気持ち悪い」「男性は異常/気持ち悪い」などの発想と同様の差別的思想であることはそろそろ理解されるべきだろう。
○ 自分が同性の人を愛せないことと、「同性愛は異常/気持ち悪い」と思うことは異なる。性的指向の合致しない人に恋愛・性愛の感情を抱かないのは自然だが、自分と異なる性的指向を嫌悪することは差別的思想によるものである。
○ 「同性愛は異常」と主張する人は、以下のいずれか、または複数の誤謬を自然なものと信じ込んでいる。
○ 実際には、生物の目的は生物学では説明されないし、同性愛は障害でも病気でもないし、同性愛者を気持ち悪いと思うことは自然な感情ではなく主観的な偏見である。これらの事実を示されたとき、事実を受け入れるか、それとも受け入れるのを拒んで「差別主義者」として生きるかは各自に委ねられている。
現在、大学生の約半分が奨学金を利用している状況でその返済に困窮する若者が社会問題になっている。
でもいわゆる氷河期世代(1993年から2005年卒業の世代と定義されている)の子どもが高校を卒業するピークはこれから。
そのため、この問題はこれからさらに大きくなっていくように思われるがなぜかそういった指摘はない。
そのうち「氷河期世代なんて大学生の殆どが親の金で学校行っていたんだろ。贅沢すぎだろ」と言われる時代が来るかもしれない。
■追記
元増田です。 「現在、大学生の約半分が奨学金を利用している」の部分に驚いた人が多いみたいなんでソース貼っておきます。
http://www.jili.or.jp/lifeplan/lifeevent/education/10.html
女性に対して酷いとか企業の甘えだみたいなのがブコメでもあって強い違和感がある。
資生堂は、世の中の2歩も3歩も先に行ってて、だからこその今回の報道なんだけど、それが判ってないコメントが多いと思う。
(資生堂ショックとは、資生堂が美容部員の時短勤務者に土日や夕方以降のシフト入れを促す施策の事)
資生堂は離職率を公表しており、2013年度の国内資生堂グループ(管理・総合職)で3.2%だ。2014年度4.2%。
しかし、結婚・出産・育児理由は、0.03%にすぎない。2014年度は、ついに0.00%になった。
美容職で、離職率2013年度 3.1%(結婚出産育児理由0.80%), 2014年度 3.7%(結婚出産育児理由1.00%)。
他にも、育児期間中の転勤への配慮、配偶者の転勤に伴う異動考慮、等など。
「企業内保育所設置!」に「そこは資生堂が12年前に通った道だ……」とかやってほしい。
あえて書かないが、ググれば復職率・定着率の高さにたぶんビビると思う。(ヒント、9割は超えてる)
化粧品業界の最前線に立つ一万人以上の女性の集団をコントロールして、離職率をここまで抑えているのは驚異的だと思う。
「守る対象から戦力へ」と言い出したのが、この資生堂だというのは念頭に置く必要がある。
こう言う時、オトコは、とか書くと炎上するのだろうが、一般的な目線で見ても「企業は人を採れば良い」となりがちだ。
美容部員(想像し辛い人は、化粧品売り場で働く、相手に化粧を施して売り込む店員だと思えば良い。男性も少数だが居る)対象だから女性だ、というのは実は本質ではなくて、
これは、男性であっても女性であっても、育児短時間勤務が今後一般的になってきた時に、必ず起こる問題になる。
なぜなら
この場合、「男性社員を雇えば良い」とはならない。男性は育児をしないと企業が宣言しているのも同義だからだ。
また「育児休暇を取らない社員を雇えば良い。出産育児は権利であって義務でないので、使わない人間も居るだろう」というのは退化だ。
採用面接で「女性は寿退社or出産or育児で働かなくなるからリスクがある」と言うサラリーマンは、残念なことに未だに一定数居る。
こうすると、
2番が実際に根付いた資生堂は、日本企業としてはかなり進んでいるだろう。(実際、常に10%程度が短時間勤務者)
そして、ついに3番に手を付けた、というのが今回の「資生堂ショック」の話になる。
これは、ほぼ女性のみの美容部員だから生まれた問題ではあるものの、何れ日本社会全体にこの問題が来る、と信じたい。
(実際には、介護の話が避けがたく先に来るので、そちらから整備されていくのだろうけども……)
念の為補足しておくと、美容部員の短時間勤務者のために、夕方以降の店頭活動を代替する「カンガルースタッフ」という派遣社員が1600名ほど在籍している。
ただ、このカンガルースタッフの育児を犠牲にすれば良いかというと違うので、結局またその店頭活動サポートのサポートが必要になり……と根本的な解決にはならない。
(実態はバイトだしキャリア蓄積という意味でも難しい。わりとこのカンガルースタッフは常時募集しているので、はてなでもやってた人がいるかもしれない)
基本的に、上記の二択だった。(下手すると時短勤務を取れず育児専任女性)
当たり前の話だけど、こうするとキャリアを積むのは、育児を犠牲にした人か、(育児もキャリアも積み上げた)超人だけになる。
(働きたい人だけが働けば良いというのは、キャリアを積みたいなら育児は犠牲にしろと言ってるのと同義なので意味が無い)
この内、1番の「キャリア重視なら育児が犠牲になるのはやむを得ないよね」というのにハッキリ「ノー」と言ったのが資生堂になる。
育児は当然の権利なのでそれは尊重した上で、キャリアを積み重ねるのは、この方法だという方針を打ち出したと言って良い。
「私はキャリアを積み重ねるルートから外れた」と時短勤務者本人や周りに思わせないよう宣言した、とも言える。
キャリアを積み重ねて欲しいと言って採ったのならば、その道筋を引くのが企業の責務だろう。
理念だけでは回らない現場に寄り添ったガス抜き施策じゃないかな、と思う。
露悪的に言えば、婚期を逃したお局様みたいなBC(ビューティーコンサルタント)は、キャリア的には実績もあるしバリバリ働く。
あっちで短時間、こっちで短時間、結局土日や遅番は子供の居ない連中で回すんかいという不満が現場に蓄積される。
「キャリア指向」だけではなく「育児もキャリアも」でやりくりして土日に出ている「育児女性」にも不満が出る。
産後2ヶ月後には私は働いていた!半年も休んだ上に短時間とは軟弱だ!とソコココにそういう空気が流れる。
結果、「出産育児理由では無いんですが」と「職場で働き辛い(一身上の都合)」と、辞めていったりする。
(キャリアを積む道筋が無ければ、育児重視で行きたいと思った女性は「バリバリ働きたい人の雰囲気には馴染めず」となりがち)
そういう不満に対して「制度にべったりではなく、出来る範囲で努力はしてもらう。そういう内容で啓蒙もしてる」と証拠を見せるのが大きな目的の一つだとは思う。
(繰り返しになるが、たぶんそこらの企業よりよほど産後復帰しやすい環境を整えておいて、なお、同じ職場の女性に不満が溜まりがち、という事)
短時間勤務者は、「育児期間中の保護対象社員(特別な扱い)」から「一般社員(ただし育児時間中)」になった。
これでもし、「短時間勤務者にしわ寄せが向かう」のであれば、それは「短時間勤務者だけが育児を担っていた」事になる。
「資生堂ショック」とは、資生堂で働く女性短時間勤務社員に対してではなく、その伴侶であったり、周辺の環境に対しての事だと思う。
この報道で「男性の育児休暇推進に向かえよ他の企業は」というコメントで盛り上がらないのは、ちょっとどうかと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20151003190650
オススメ作品出せや。自分でリスクとって。なんでこの手のやつは決まりきったかのように高野文子の名前だけ出すんだよ。そんなに高野文子が素晴らしいというなら作品解説してみろやとくにあざなわ。オマエだよオマエ。書けよ絶対。
あざなわの解説は概説が多くて役に立つんだよちくしょうヒップホップやサブカルの解説分かりやすかったですありがとうございますはてな村のまとめでもお世話になってますあざなわさんだけ見ておけばいちいち魑魅魍魎ウォッチしなくていいので大変助かってます本当にありがとうございますそれはともかく本当にいっかいガチで単体のマンガの作品解説おねがいしますよなんでいにお作品の解説そんな思わせぶりな感じで切るんですかちゃんと最後まで語りきりましょうよ照れてるんですかそれとも人のことはぬるいというけど自分がしっかり書いてぬるいっていわれるのはイヤなんですかそんなのやだやだ小生やだもっと前にでましょうよところで高校生の頃にバイトしながら時の行者読んでましたーって時の行者って初版が1993年4月18日なんですがつまり40代なんですか40代にしては若者ファッションとかサブカルに詳しすぎやしませんか心は20代なんですかだから未だにはてな村の若手に絡んでるんですか心のエキスを吸い取って若返りたいんですかシロクマですかシロクマといえばはてな村奇譚に出てましたがはてな村奇譚はあざなわさんを取り入れなかったので絶対に許せない今からの版でもいいから追加ページであざなわさんを入れるべきなんでみんなあなざわさんと関わるの避けたがるんですかねたしかにこの人誰かと絡むと急に人間強度下がりそうだから孤独のままでいて欲しいんですけどそれにしても他の村人には強気なやつに限ってあなざわを避けるよね人生3日BOSEとかいうやつがモヒカンについて勘違いしてたけどあざなわさんみたいなのがモヒカンだよラストモヒカンだよでもモヒカンにしてはあなざわさんはちょっと婉曲的だしもっと腰の入ったストレートがみたいあなざわさんの常に余裕ぶった態度を崩してガチでストレートで殴らせるような熱いチャレンジャーはいないのかよウェーイ
221年~245年:魏 (植民地)
1126年~1234年:金 (属国)
1392年~1637年:明 (属国)
1897年:下関条約により清の属国から解放される←←←←←←ココ重要
1903年:ロシア朝鮮半島を南下。日本の尽力によりロシアの属国化を回避
1945年~1948年:アメリカ(非独立)←←←←←←ココも重要
1948年:大韓民国成立(アメリカ軍による朝鮮統治によって国家基盤が形成され成立)
1993年:初の文民政権誕生←←←←←←韓国は民主化してまだ20年しかたっていない
1997年:アジア通貨危機・国家財政崩壊によりIMFに土下座
2012年:米韓FTA可決、事実を知った国民は火病デモをするも後の祭り
日清戦争の講和条約は第一条から「朝鮮は独立国と認めて朝鮮から清への貢物は廃止する」。
日清戦争の清国側の宣戦詔勅にはっきり 『朝鮮ハ我大清ノ藩屛タルコト二百余年…』(和訳)と謳った上で 戦闘状態に入った上での馬関条約第一条。
女性解放運動の象徴であり窮屈な衣服しかなかった時代に画期的な運動着だった『ブルマー』が、後に「ブルセラ」として性消費の象徴になったことからも、「これはこれでアリ」順応力の高さを舐めちゃだめ
マジだ!
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%BC
19世紀中頃、コルセットで腹を締めるような当時の下着に反発した女性解放運動家によって、自由度が高くゆとりのある下着として考案された。これは旧弊な拘束型衣服からの女性衣服の転換という革新的なものであった。
ショーツ型ブルマーをオリンピックで最初に採用した国は旧ソビエト連邦
大国化と近代化を目指していた戦前の日本で、ブルマーが普及するまでは教育現場や学校で体操時に女性が着用した運動着は従来からのもんぺぐらいであったため、新しいウェアは非常に斬新に映り、全国の学校の標準運動着として採用された。
ずり落ちたり引きつったりせず軽量で、動きに対しても体に密着したショーツ型のブルマーが、オリンピックや国際競技の場で公式に使用されたことで、女子体操服の代名詞としてブルマーの認識が広まり、小学校・中学校・高校・日本人学校などで、指定体操着として採用されるようになった。
化学繊維とニット素材の発達により、ブルマーは臀部にぴったりフィットしたショーツ型へと進化した。このタイプのブルマーが日本で普及していくのは、1964年東京オリンピック以降の1960年代後半からである。
ブルマーは下着のショーツに対し、概ね以下の相違点がみられる。素材はナイロンやポリエステル等の厚地で伸縮性がある。色が濃紺やえんじ色等の濃い色調の色が用いられる。腰のゴムが太く、裾にゴムが入っている。内側にショーツを穿いた上から重ねて穿く。クロッチが必要ないため、二枚布を股間で縫製する。股上が下着に比べて深い。
スポーティーで格好いいと好意的に受け止められる向きがあった反面、性的な羞恥心が強くなる思春期の女子にとっては潜在的な抵抗感もあったという。軽量で動きに対する追従性が良く、各種スポーツに好適であった。しかし、初経を挟む前後1年からヒップが大きくなり始めて、初経の1年後以降になるとヒップから殿溝にかけてボリュームが生じ、ブルマーの裾からヒップが露出したり、ヒップが露出しなくても臀部のラインが目立ったり、女子生徒・児童向けのジュニアショーツがフルバックタイプで、ブルマーの裾からショーツが露出するいわゆる「ハミパン」が生じやすいという問題もあった。そして、座るさらには座って開脚する際、下半身で股間周辺以外の部分が露出される問題もあった。
1993年、広島県立井口高校や東京都立F中学校の体育祭のビデオが市場に隆注していることが判明する。1990年代に入ると、それまでは一部のマニアのものであったブルセラ趣味が商業的に展開され、女子生徒から着用済みのブルマーやセーラー服などを買取り販売するブルセラショップが誕生した。ブルマーが性的好奇心の対象として一般に認知されるようになると、運動会などの学校行事においてブルマー姿の女子生徒を盗撮したり、校舎に侵入してブルマーの窃盗をはたらいて逮捕されるといった事件が、社会問題として取り上げられるようになっていった。
ジェンダーフリー教育論者の中からは、通常体育の授業時は男女別服装である合理的理由はなく、男女平等教育の観点に照らして男子・女子とも同じ運動着を着るべきであると主張する人々も現れた。
公立校は2004年、私立校でも2005年を最後に、女子の体操着としてブルマーを指定する学校は日本から消滅した。2000年代後半あたりまで9割以上が生産を打ち切っており、現在は店頭をはじめネット通販でさえ入手困難な状態となっている。しかしオーバーパンツ(見せパン)としての用途や保温性の高さにより、現在でも生産され、利用されている。
制服を止めるかを問う全校アンケートをとったら、大多数が反対して結局、制服のままになりました、って話を村上春樹がエッセイで言ってた。
それはそうと、僕は制服というのが昔から大嫌いだった。高校時代は学生服を着せられて、あれには本当にうんざりした。まったく無意味なことだと思った。でも僕が一番驚いたのは、全校生徒に制服廃止、私服化についてのアンケートをとった時に約七割くらいが「制服のままでいい」と答えたことだった。これには僕もいささか唖然とした。そうか、日本人というのは基本的にとことん制服が好きなんだと思った。みんなが私服化に反対した一番の理由は「私服になると服装が華美になり、競争が生まれて好ましくない」というものだった。僕にはこれが信じられなかった。それはあまりにも管理者的な、ことなかれ主義的な発想である。
(中略)
それ以来僕は日本という国を、心の底であまり信用しなくなった。今でもあまり信用していない。何かことがあったら、どうなるかわからないぞ、と肝に銘じている。この国の七割の人間は心からは自由を求めてはいないんだぞ、と。
あと、制服やめた後、人気が落ちたから戻しました、ってケースもあるんだって。
一方で、制服の高価さ、不便さなどから、制服の廃止を訴える声も少なくはなく、最近は制服を廃止する学校も増えてきている。
しかし、一度制服を廃止した途端に受験者数が落ち込むケースが存在する。制服を再導入する学校も出てきている。千葉県立小金高等学校では、公立の学校としては珍しく1993年から私服通学を認めていたが、志願者が減少の一途を辿っていたため、2011年から制服を再導入すると決定したところ、志願者数が増加した[6]。また北海道富良野高等学校が、式典などでの服装の乱れについて指摘を受け、2011年度から制服を復活させることにした[7]。
そして制服がない高校でも、わざわざ制服っぽい服――”なんちゃって制服”を大半の学生が好んで着てくる、ってところもあるらしい。
http://girlschannel.net/topics/110743/
まあ、同調圧力って言い方は昨今なんだか、諸悪の根源みたいな扱いだけど、言うなれば、『みんなと同じがみんないい』。ってことでしょう。
だから子どもたちは皆、ランドセルを背負って歩く。学生は制服を着て満員電車にのる。女子高生のほとんどがiPhoneを撫でてる。オッサンたちはAndroid。で、ハイヒールの社会人女性がさっそうと駅の階段を登っていく。
別にそれでいいと思うぜ。
制服を私服に変えたところで、今度はそっちが痴漢の対象になるから無駄、ってブックマークコメントが有ったけど、間違ってると思う。より多様な服装をすれば、若い人を表す記号としての意味は、ぼやけるはず。痴漢を防ぐ意味では、たしかに効果はあると思うよ。でも個人的な意見を言わせてもらえば、たとえ痴漢被害が減りそうだからってそんなことすべきじゃないと思う。
「女子は痴漢被害に遭いやすい制服をわざわざ好き好んで着ている」という図式になってしまう。
いやいや。別に悪くないでしょ。どうして痴漢に合わせて服装を変えなきゃならないんだよ。それじゃあまるで痴漢に屈服したみたいじゃないか。着たい服を着たいだけ着れる。そんな国に住みたいじゃん。
-------------------------------------------------------------------------
東大基礎科学科卒。過去250~340年間世界の大数学者達が解こうとして解けなかった、世界史的数学難問4つを解き、現在ロシア科学アカデミー数学の部で審査中。マスターした11ヶ国語を駆使したプロの通訳・翻訳家。矛盾だらけの現代物理学を初め、全科学(自然、社会、人文科学)の主だった物を体系的に批判し各々に別体系を提起。各種受験生(医学部、難関大学入試、数学オリンピック、社会人大学院入試、IT関連資格)支援。
■経 歴
2002年 (至現在)セント・クレメンツ国際大学 物理学教授
2001年 英国系セント・クレメンツ大学で数理物理学の博士号取得
2002年 ロシア科学アカデミー・スミルンフ物理学派論文審査員となる
1999年 英国系ウィットフィールド大学でコンピュータ科学人工知能の博士号取得
1991年 (~1993年)University of California、 Irvine人工知能研究所で確率論批判・学習システムの研究
1988年 (~1991年)世界の認知科学の権威ロージャー・シャンクのCognitive Systemsのデータベース研究所IBSで自然言語処理研究
1986年 (~1988年)欧州先端科学研究プロジェクトESPRITにESPRITディレクターとして仏Telemecanique研究所より参加(生産ラインへの人工知能導入の研究)
1985年 西独ジーメンスのミュンヘン研究所で生産ラインへの人工知能導入の研究
1982年 (~1985年)[仏国]世界一速い列車TGVのメーカーAlsthom社の知能ロボット研究所
1981年 (~1982年)[仏国]グルノーブル大学院、ソルボンヌ大学院で通訳の国家免状取得
1980年 (~1981年)[スペイン]マドリード大学院で言語学履修 西国政府給費留学生
■専門分野
数理物理学Ph.D.、コンピュータ科学人工知能Ph.D.、マスターした11カ国語を駆使したプロの通訳・翻訳家
■講演テーマ
「ビジネスマン、文系卒社員に理工系技術と技術的発明を評価できる眼を」
近年世界の大学でビジネス志向の学生向けに、理系の技術的な事がある程度分かるためのカリキュラム改変が始まっている。しかし申し訳程度であり、また理系の拠って立つ数学物理学の科学理論自体に欠陥が有る事が最近明らかとなっているため、正しい数学と物理学の粋を伝授し、文系でも本物の理系技術評価が出来るように支援する。
「英語を完璧に&現地語(非英語)を或る程度使えるマネジャー急遽創出と、社員の中から各国語通訳をネーティブに肉薄する敏捷性と正確さで急遽育成を支援」
海外のプロジェクトや企業と折衝するとき、英語がネーティブ並みであったり、現地語を自社のディレクター自身がある程度こなせるか、英語、現地語につきネーティブ並みの社員が通訳出来ると先方との話が大きく好転する場合が少なくない。それを本当に実現する教育訓練を私は提供できる。平明に説明し、実体験をしてみたい方がいらっしゃるなら講演会場で手解きをしてみたい。
「発見された言語学理論と外国語訓練方法論を基に、文科省と英会話学校の英語教育訓練方法論の根本的誤りの中枢を詳説」
統語法意味論、文脈意味論、実世界意味論の3レベルで進展するネーティブの母国語習得過程の中、言語能力の真の中枢は解説も無しに親の喋るのを聴いているだけで分かるようになる統語法的意味把握能力で、これは文法用語を全く使っていなくても徹底した文法訓練となっている。ネーティブが敏捷性、精度の点で万全であり、先ず文法的間違いをすることはない理由はここにある。全文法分野について書き換え問題の「即聞即答訓練」を一気に中学生以上の年齢の人に施し、全文法のビビッドな一覧性を習得させるとネーティブに肉薄する敏捷性と精度で外国語を使いこなせるようになることが発見された。
「<証明された欠陥数学> 確率統計と微積分学のビジネス、金融工学、保険業界での使用に対する警告と、それに取って代る新数学体系」
我々物理世界は離散値の世界であることが原因で、物理世界に住む人間の頭脳が考え出した数学の中で連続実数値に基づく確率統計学と微積分学だけが欠陥数学として発現していることが証明された。決して建設的な予測をすることができず、崩壊していく事象に後ろ向きにしか適用できず、せいぜいリスク管理にしか使い道の無い確率統計学をビジネス学の分野では金科玉条の如く信用し積極的やり方で利用しているが、ここに「理論」と現実との間に大きな食い違いが生じている点に警告を発したい。そのためそれに取って代る新数学体系を提起する。全てを分かり易く解説します。
「新エネルギー・エコ向けの発想を大転回した技術的な重要な発明を提起」
20世紀初頭に数理物理学者Henri Poincareは二体問題までは解けるが三体問題(三つの星が互いに重力で引き合いながら運動している時の時々刻々の位置を計算で求める事)以上は微積分学を使って解く事が出来ない事を証明した。これは無限小差分を使う微積分は計算式中で交差する項をほぼ同等とみなして相殺してしまうため、作用反作用の法則(F1*v1=-F2*v2)の取り違い(F1=-F2が作用反作用の法則であると圧倒的多数が信じている)と相俟って、交互に対称な運動しか記述できないため、対称性の有る二体までは記述できても対称性のない三体以上は記述できないためである。この欠陥数学微積分を基に二体までは「エネルギー保存則」を証明したものの三体以上の「エネルギー保存則」は本来的に証明不可能であることが明らかと成った。現に永久磁石がエネルギー保存則を大きく超えることが実証され始めている。それらの実験につき具体的に物理学の素人の方々にも分かりやすく報告したい。
「世界史的体系的誤りに迷い込んだ現代物理学とその使用者への警告とそれに取って代る新物理学」
現代物理学の二本柱、量子力学と相対論の中、量子力学は水素原子の原子核と軌道電子の関係説明を辛うじて試みただけで、水素原子より複雑な原子や分子の構造の説明に実は悉く失敗し、繰り込み・摂動理論はその失敗を隠すため後に持込まれた。軌道電子は光速に比べ無視できぬ速度でクーロン力で原子核に引かれて急カーブしながら等速加速度円運動、大量のエネルギーを消費するが、半永久的に軌道を回る。しかしシュレーディンガーの波動方程式(その波動関数とその共役関数の積は確率)はエネルギー消費に一切言及せず、エネルギー・レベルが一定に保たれるという明らかに矛盾した論を展開する。また確率を持ち込んだからには、エントロピー単調増大法則がここに適用され、水素原子は瞬時に粉々に飛び散らなければならぬ現実に反する二つ目の重大矛盾に遭遇するが、これもシュレーディンガーは見てみぬ振りをする。つまり水素原子の構造の説明にすら量子力学は完全に失敗した。量子力学とは動力学でなく各エネルギー・レベルについての静力学でしかなく、「量子力学」の「力学」なる名前とは裏腹に力を論じられない。論じればエネルギー消費が起こりエネルギーレベル一定論が崩れる。
「現代のフォン・ノイマン型コンピュータ・アーキテクチャーの誤りと、創るべき新コンピュータ・アーキテクチャー」
現代のフォン・ノイマン型コンピュータの計算機モデルが取りも直さずチューリングマシンそのものである。チューリングマシンは決ったパラメータ数の状態間の遷移を静的モデル化したものであるのに対し、歴史的にその直前に発表されたアロンソ・チャーチの計算モデルのラムダ・キャルキュラス(人工知能プラグラミング言語LISPの言語理論でもある)は関数の中に関数が次々に入れ子のように代入されて行き擬パラメータが増えていくダイナミックな仕組みを持つ。この後者は人間が作ったコンピュータを遥かに凌ぎ、宇宙の始原から発生した環境データから関数をf1(t),f2(t),.,fn(t)と次々に学習し入れ子のように代入進化し、次の一ステップの計算には宇宙の始原からの全ての関数f1,f2,...,fnを思い起こし、そのそれぞれの差分を取って掛け合わせる事をしているコンピュータとも言える物理世界とその時間の学習・進化を時系列順に模写するのに持って来いの仕組である。関数と言っても多項式で充分である事を世界の7大数学難問の一つPolynomial=Non-Polynomialの私の証明も交えて平明に解説する。これは日本の国と世界の先進諸国のコンピュータ科学の今後の研究方向を左右する発言となる。
■実 績
【講演実績】
Trinity International University
「コンピュータ科学」 学士号コースの学生に卒業まで全コースを講義
St.-Clements University
「金融工学に必要な数学・物理学」の博士号コースの学生3年間に渡って講義、研究テーマと研究内容、博士論文のアドバイス
St.-Clements University
研究テーマ「コルモゴロフ複雑系の二進ビット・ストリングの下限=Lower bound for binary bitstring in Kolmogorov complexity」の博士号コースの学生Dr. Bradley Ticeに英語でアドバイス
St.-Clements University
外国語学部のポルトガル語・伊語の通訳・翻訳の学士号コースの学生に教養学部のレベルから全社会科学(経済学、法律学、社会学、経営学)、人文科学(哲学、言語学、心理学、歴史学)、自然科学(数学、物理学、化学、生物学、医学、計算機数学)、エンジニヤリング(Information Technology、ソフトウエア工学、電気工学、電子工学)の各々の学科の全講義を行う。
Госдарственный Университет Санктпетербургской Гражданской Авиации (サンクトペテルブルグ国立航空大学)
物理学学会の論文発表会で幾多の論文の露語によるプリゼンテーション。
【メディア出演】
【執筆】
ti-probabilistic Learning by Manifold Algebraic Geometry, SPIE Proceeding, 1992 Orlando 等 人工知能学会論文
考えるために女性の働き方について世代別、環境別で区分してみた。
若い世代で主に仕事の楽しさから子供を持つことに躊躇しているセグメントについて
女性がしっかり成果を出して働きつつ、子供を含めた家庭を充実させることのできる環境づくりが重要。
つまり、性別や立場の区分無く労働を効率化させ、一人あたりの仕事に使う時間を短くするとよい。
一方で育休や時短など仕事の負荷を最小化することで、子育てを支援しようという案は対象者が限られる。
そもそもそういう制度のあり、長期的に休む人を抱えられる会社に入ることができる女性が対象になるから。
保育園とかベビーシッターの類を入園者数だけでなく質も含めて向上したほうが良いと思う。
まあ数年中になんとかなると思えないので、自ら仕事をガンガンやって早く帰る。ハウスキーパーを高いお金で雇えるよう稼ぐ。
という対応策を取るべきかと思う。
なお、第一世代として働き続けている女性の内訳は 既婚子持ち26%、既婚子無し24%、独身子無し42%、その他8%
結婚出産しないでバリバリ働いて、部長とか課長とかになって日経にもてはやされる。
一方で周りの考え方が古いので男並みに働いても陰口叩かれる人たち。後輩にああはなりたくないって思われがち。
就職氷河期を経験したおかげで、滅私奉公働きます!というタイプで生き残ってきている人たち。
働き方は普通の男性のコピー版。これを指摘されるとロールモデルがない!って騒ぎ出す
結婚出産して産休育休取って、仕事は楽勝なのをあてがわれて、女性比率を上げるためにいる存在。
ヒラに毛が生えたようなのか、逆差別的に昇進してたりする。男性なら異動になってそう。
男女問わず、就職氷河期で大変でした。という人たち。正社員になれなかったけれど、様々な仕事を経験している。
2006年~2009年まで一瞬景気が上向くも、リーマンショックにやられる。 およそ 22歳~34歳
上の世代の頑張りのお陰で結婚または妊娠するまでは同期男性とほぼ同じ扱いを受けることができる。
ただし、将来的なキャリア継続性から、重要な仕事が任されなかったりする。オジサンに贔屓されたりもする。同年代の女性のワリをくったりする。
キャリアと子供を天秤にかけている。両立するハードルが高いことを心配して踏み出せない傾向。でも数年中に踏ん切り。
仕事も家庭も力ずくで両立させる僅かな例を日経で見る一方で身近にそんなことができるスーパーウーマンがいないことに気づく。
近年、独立や起業で時間の融通をきかせる手法が目立ってくるが、そういうことができるわけでもない。
大抵の日本人は知らないかもしれないが、過去にはこのような問題があった。
https://kotobank.jp/word/%E6%8C%87%E7%B4%8B%E6%8A%BC%E6%8D%BA%E5%88%B6%E5%BA%A6-1543484
過去、日本に一年以上滞在する16才以上の在日外国人(主に在日朝鮮人)は役所での指紋登録が義務とされていた。
それに対して日本人は登録しないこと、指紋押捺は犯罪者が行うものだということが差別的であるとの意識が高まり、1993年に制度は廃止された。
この時点で、犯罪者でもない人間から指紋を採取することは人権問題であると認定されるようになったわけだ。
つまり小学校での指紋採取を問題にしない=過去に人権問題と認定したことに矛盾する=在日外国人(主に朝鮮人)に対する差別だ
という図式が成り立ってしまうといえるのだ。
かくしてかの問題以降、行政は指紋採取=犯罪者扱いとして扱わざるを得ない状況になってしまった。
これで小学校の事件で問題になっているのが犯人認定の可否ではなく人権侵害だということがお分かりいただけたであろうか。
わたしはこの制度が終わる1年前の1992年に16才をむかえた。
その頃には反対運動が激化していたこともあってか、役所担当者から犯罪者扱いするわけではないとの説明を再三にうけたものだった。
この問題についての立ち位置を明確にするつもりはないが、そのあまりにもへりくだった対応にむしろ差別が無くなるはずがないのだと感じたものだ。
週刊ポスト 2015年4月15日号 高市早苗総務相実弟秘書官が関わった「消えた公庫の1億円」重大疑惑を追う 「議員案件だから信用した」内部証言を入手!
週ポ、がんばってるなあー
その態度が不自然すぎて笑っちまう
叩けばいくらでも汚いホコリは出てくるだろマイタケ?
それにしても安倍トモダチはうらやましい
オレにもマル政案件ください
三重県の小さな農業法人で起きた事件が、永田町に大きな波紋を呼び起こしている。税金からの融資1億円が闇に消え、高市早苗・総務相の実弟である秘書官が、その企業の資金繰りに奔走していた。4月6日発売の週刊ポスト(4月17日号)が、高市氏を襲った「消えた1億円」疑惑について詳報している。
舞台となったのは、三重県鈴鹿市郊外の栽培用ガラスハウスで椎茸を栽培する農業法人・N社。実質的な経営者は奈良で有力な企業グループを経営するM会長だ。M氏は高市氏の重要な支援者人脈であると推測できるようだ。
このN社の経営実態は火の車だった。だが、N社は日本政策金融公庫から2011年1月の無利子融資を皮切りに2012年5月にかけて計2億2000万円の融資を受けた。だが、最後の融資の1年後(2013年)には融資がほぼ焦げ付いたという。同誌が入手したN社の債務状況を調査した資料には、〈総額1億円以上の使途不明金が発覚した〉との記述があった。
日本政策金融公庫の無利子融資には税金が使われている。N社の使途不明金の原資の一部は税金だ。このN社の資金繰りをめぐって駆け回っているとされたのが高市氏の実弟秘書だった。
同誌は足かけ3か月にわたって関係者に取材、数々の証言から疑惑の全容と高市事務所の具体的な関与の事実を掴んだ。高市氏の実弟秘書官、前出のM会長の反応も掲載している。
2015.04.06 07:00
ココ↓に高市疑獄の秀逸な完全図解解説がある。必見!
「俺には大きなバックがいる。国からカネを引っ張れる」
その「政府系金融機関」がまさに
そういう意味で今回
高市早苗・総務相が政治資金を選挙区に配った公職選挙法違反疑惑が、週刊ポスト(12月22日発売の1月1・9日号)の取材で浮上した。高市氏は現在53歳、1993年の衆院選で初当選し、6期目となるベテランだ。第2次安倍改造内閣で総務大臣の座を射止めた。
その高市氏の新疑惑の舞台は地元選挙区(奈良2区)の大票田のひとつである天理市だ。同市は公称信者数200万人を誇る天理教教会本部の所在地である。
同誌が問題としたのは、高市氏が代表を務める「自民党奈良県第2選挙区支部」の政治資金収支報告書にあった2012年1月6日の記述だ。そこには、「天理教教会本部」に「会費」名目で支出された「2万円」が記入されていた。
天理教関連団体へと見られる同額の支出は高市氏の夫である山本拓・衆院議員の資金管理団体の収支報告書にもあった。同誌が山本氏の事務所に取材すると、天理教本部で毎年1月上旬に開かれている「お節会」に、同額を「お供え代」として払っており、「高市代議士も払っていると思います」との説明があった。
もし、高市氏の「2万円」が「お供え代」なら、公職選挙法で禁じられた地元選挙区への寄付にあたる疑いがある、と同誌は指摘している。公選法では〈公職の候補者等の寄付の禁止〉として、政治家は選挙区である地元への金銭・物品などの寄付行為が禁じられている。「買収行為」に直結するためだ。
2014.12.22 07:00
高市早苗総務相は6日、国会内で記者会見し、三重県鈴鹿市内の農業法人が日本政策金融公庫から受けた計2億2000万円の融資を巡って、高市氏の大臣秘書官を務める実弟が関与したとする同日発売の「週刊ポスト」の記事について「悪質でひどい捏造(ねつぞう)記事だ。融資には高市事務所も秘書官も私も一切関与していない」と述べ、全面的に否定した。
高市氏は、実弟が週刊誌側を相手取った民事訴訟や刑事告訴を検討していることを明らかにした。
高市氏は、記事で農業法人の実質的経営者とされる人物について「関係は全くなく、面識はない」と強調した。【小田中大】
04月06日 22時57分
http://mainichi.jp/select/news/20150407k0000m010043000c.html
高市早苗総務相は6日、三重県の農業法人が日本政策金融公庫から受けた融資に高市氏の実弟である秘書官が関与していたとする週刊誌報道について、国会内で記者会見し「私も秘書官も一切関与していない。悪質な捏造(ねつぞう)記事だ」と説明した。民主党の岡田克也代表は同日「国会などでただしていく必要がある。きちんとした説明を期待したい」と述べた。神奈川県内で記者団の質問に答えた。
2015/4/6 18:39
高市総務大臣は、国会内で記者会見し、三重県の農業法人が日本政策金融公庫から受けた融資などにみずからの秘書官が関与していたと週刊誌が報じたことについて、「秘書官や私は一切関与しておらず、悪質なねつ造記事だ」と述べ、記事の内容を全面的に否定しました。
6日に発売された「週刊ポスト」は、高市総務大臣の秘書官を務めている高市大臣の実の弟が、三重県の農業法人が日本政策金融公庫から融資を受けたり、資金調達をしたりするのにあたって関与していたなどと報じました。
これについて、高市総務大臣は記者会見で、「公的金融機関からの融資には、高市事務所も秘書官も、そして私も一切関与していない。一点の曇りもないと自信を持って申し上げられる。記事の見出しや内容はあまりにも悪質で、ひどいねつ造記事だ」と述べ、記事の内容を全面的に否定しました。
そのうえで、高市大臣は「この記事は、私や秘書官の信用を傷つけたということだけにとどまらず、安倍内閣全体のイメージを損ねる可能性がある」などとして、秘書官が今回の報道について、民事と刑事で告訴する準備を進めていることを明らかにしました。
これについて週刊ポスト編集部は「本誌の取材内容は、4月6日発売号の誌面で報じたとおりです。必要とあれば、今後も誌面にて取材内容を報じてまいります」とコメントしています。
4月6日 15時59分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150406/k10010040061000.html
そーいえば海外紙が
思い出した。コレだ↓
なるほど、今の大学生(1993年~1996年生まれ)が物心ついた時には、普通のスポーツやらなんやらと同等に、既に世の中に当たり前のようにポケモンがあったというわけだ。
そんな世の中に当たり前にあったポケモンに関するサークルができても、おかしくはないというわけだ。
理屈は分かった。
だが、納得はできない。
ファミコンと同い年だ。
だが、大学にファミコンサークル、ファミコン同好会なんてなかった。
時代の違いといえばそれまでかもしれないが、所詮ファミコンもポケモンもコンピュータゲームではないか。
なぜこれほどまでに扱いが違う!?
なのに。なぜ!?
今の大学生が妬ましい。
ああ、醜い。
そしてこの嫉妬心は将来にも再び現れるだろう。
きっと、自分が50歳くらいになったとき、将来の30歳には、今の自分には考えられないような娯楽があるだろう。
「自分の時はそんな娯楽なかった!今の30歳はずるい!自分もやりたかった!」と。
ああ、それを想像してまた気分が重くなる。
そしてそれは自分が死ぬまで続くのだろうと思うと、気が滅入る。
(ああ、あれもしたかった、これもしたかった、なんで死ななければいけないんだ)と。
治療薬でもあればいいのだが。
バスケットボールの混乱の件、
なんかいろいろ言われてるけど、ちゃんと書いてる人が少ないので。
http://www.huffingtonpost.jp/dai-tamesue-x-aera-hakunetsu-web/negotiation_b_6065468.html
「bjはオリンピックに出なくても構わない。でも、あなたたちは出たい。合意することは構わないが、その場合、NBLの選手は4年間、新団体には加盟させない」
http://www.japanbasketball.jp/wp/wp-content/uploads/H26_men_member_0801.pdf
これが日本代表のメンバー表。 bjリーグから出ているのは富樫だけ。その富樫もアメリカに行ってしまった。
bjリーグがバスケ協会から嫌われている、というのも理由の一つではあるが、トップアマの大学生よりヘタなのが実情。
そもそも日本の男子バスケは弱すぎて、過去20年間オリンピックには出場できていない。今回のリオ五輪も、予選に出たところで
本選に出れる見込みは限りなく低い。
bjリーグからすれば、選手も出ない上、まかり間違って健闘でもされたら注目度が逃げてしまう。メリットは何もない。
あなたが実力あるバスケ部の大学生だったとして、次のどちらを就職先にしますか?
1:トヨタ自動車か三菱電機の社員。充実した施設。福利厚生。社員寮。移動は新幹線。バスケをやめても一流企業のサラリーマンになれる。
2:地方のプロバスケ選手。年収300万。将来の保証なし。福利厚生なし。移動は中古のオンボロバス。
バスケやる大学生の進路は、第1に実業団、第2にNBL所属プロ。そのレベルに達しないが、それでもバスケが好きで好きで
貧乏でもいいからバスケがしたい!という三井のような奴がbjのプロ選手になる。
たまに遅咲きの才能を発揮してNBLに移籍する奴もいるが、大半の選手はそのまま朽ちる。 富樫は例外中の例外中の例外。
bjリーグ参加チームの平均的な年間売上は「2.5億円」くらい。一方でNBLのチーム運営費は3億円が最低ラインだ。
今のbjのチームがNBLのチームと試合をしたらボロ負けする。
ただでさえ厳しい集客状況で、弱くなったらなおのことファンは離れ、チームは倒産する。
倒産をまぬがれるチームは、NBLの選手や外国人をトレードで獲得できる予算のあるところだ。
どちらにせよ、自分たちの雇用と会社を守るには、統合したら困るのだ。
厳しいとはいえ、bjリーグはわずか8年で2チームから22チームまで拡大し、プレーオフは1万人の有明を満員にするなど
プロチームは下位に沈み、上位チームには実業団がずらりと並ぶ。
実業団の集客は悪くないが、親会社の社員応援団で、収益には関係がない。
NBLのプロチームで興行的に成り立っているのは栃木だけだ。和歌山とつくばは事実上、倒産状態。
北海道は一度倒産してから復活し、ギリギリ何とかなっているが、他のプロチームは虫の息だ。
ヘタクソだけど人気のあるbj、実力はあるけど人気もカネもないNBL。
答:カネ(スポンサー企業)を見つけるしかない。3年30億円くらい。
要するに統一した後のリーグでbjの低予算を補えるカネがあればいい。
1993年にJリーグが発足したときには、博報堂が何十億というスポンサーを集めてきた。
今のバスケにはそれができなかった。
最近清原和博をめぐるニュースが、薬物疑惑、DV、劇太り、後輩の離反、仕事の激減、離婚などなど、あまりにひどいものばかりだ。1990年頃に彼がここまでひどい人生になるとは、一体誰が想像しただろう。
1990年代前半まで、当時は日曜日の午後に、テレビ朝日で必ず西武戦の中継が行われていて、私は(アタック25と一緒に 笑)毎週ほとんど観ていたと思う。だから清原和博の全盛時代は目に焼き付いている。
かといって私は清原の大ファンだったわけではない。むしろ西武では石毛宏典や秋山幸二などに比べて、プレースタイルが野暮ったいという印象があり、話すことも面白みのない優等生発言ばかりで(ヤクザキャラの現在でもこれが器用にできたりするのが悲しい)、正直それほど好きではなかった。しかし、これからどのくらい凄い成績を残すのだろう、というワクワク感を抱かせる選手であったことも確かである。好きな選手は石毛や秋山ではあったが、毎日の成績が気になったり、テレビで是非打ってほしいと願いながら見ていた選手は、明らかに清原であった。
清原はいつから悪くなりはじめたのか。個人的な印象で言えば1993年である。多くの人は1997年の巨人入団から急激に悪化したような印象を持っているだろうが、それはあくまで「キャラ」の部分である。私は西武時代後半の不調を、そのまま巨人入団後も引きずってしまったと考えている。年度別成績を見ればはっきりするが、西武時代最後の2年と巨人入団後の2年はほとんど成績が変わらない。
それまでの清原は、PL学園時代に叩きこまれた技術をそのまま生かして、自然体の構えから、そのまま軽く素直にバットを出している感じだった。それが1993年頃から、力感のある構えから打席内で大きな(さらに言えば無駄な)動作をするようにな った。体つきは、かつてよりガッチリするようになり、野茂や伊良部の剛速球を豪快なホームランで弾き返すことがあった一方で、明らかに雑な三振が増えるようになった。それまでも調子の起伏が激しい選手ではあったが、この頃から徐々に打撃そのものが劣化している印象があった。
特に1995年は失望の年だった。春のキャンプで清原は肉体改造をして相当に絞り込んでいるという姿が伝えられ、今までとは違う精悍な顔つきの清原に、私も「これは期待できるぞ」と思っていた。しかし、シーズンに入ると成績はさっぱりで、相変わらず動作の大きな打撃フォームから、雑な三振を繰り返していた。シーズン後半に走塁中の肉離れで長期離脱をしたが、それまで故障知らずだった清原が、通常のプレー中に大きな怪我をするというのが俄かに信じられなかった。
この「劣化」の背景には色々考えられる。一つにはよく言われていたことだが、清原自身の打者としての理想や上昇志向が高すぎて、欠点を直そうとするばかりに利点を失わせてしまったこと、二つには秋山、石毛、辻といった黄金期を支えたベテランメンバーが次々と西武を去り、清原の自己満足的な打撃に歯止めをかける存在がいなくなってしまったこと、そして三つ目には、この時期パリーグの球場が新しくかつ広いものとなり、本塁打数も全般的に減少傾向にあったのだが、それに力で対処しようとしてしまったことである。
それでも清原が成長する過程なのかもしれない、と当時はまだ若干の期待を残していたが、巨人入団後に完全に露呈した打たれ弱さ、精神の不安定さと、週刊誌の「番長キャラ」に自らも乗っかるようになったことで、清原の将来に期待することは完全になくなった。選手としての能力以前に、人格的に国民的スターの器ではない(ある種純粋な人間ではあるけど)ことは余りに明らかだった。週刊誌の清原ネタを、自分も笑って楽しむようになってしまった。
2000年以降に(清原によるとホームから離れて打席に立つことで)若干の復活の気配も見せたが、明らに無理なトレーニングで野球選手とは言えないような体型となり、毎年のように大きな故障で長期離脱を繰り返した。番長キャラにも年々拍車がかかった。オリックスにトレードされた頃は、既にかつての天性のしなやかさは完全に失われ、最後はまともに走ることすらできなくなっていた。若い頃の清原は頑健というだけではなく、無駄に全力プレーをすることがない、身体に負担の少ないプレースタイルだったので、晩年ここまで怪我に悩まされるとは想像もできなかった。
誰しもが思うことだが、18歳の時に既に完成されていた打撃技術をそのまま大事にし、無理なトレーニングをせずに練習で自然についた筋肉だけで勝負し、私生活でももう少し節制すれば・・・もし1990年の頃の自分に会うことができたら一体何をアドバイスするか、と清原に一度尋ねてみたい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/scopedog/20140902/1409673225
で、朝日たたきのブコメが並んでいるが、はてな村民はいつからネトウヨ集団になったんだ?
ま、朝日の慰安婦報道は、たしかに褒められたものではないが、あんな報道は何十年も前の報道だぞ?
河野談話だって、 1993年 だから、20年以上も前の話だ。
そんな昔の話を持ち出して、今さら「謝罪しろ」だの何だの、韓国民や中国民みたいにしつこいな。
それより、読売や産経はどうなんだ? たとえば読売は、社説を含めて、ナベツネに検閲されており、
朝日では、朝日批判の記事もときどき掲載されるが、読売ではそんなことはあり得ない。仮に
読売内部で読売批判(≒ ナベツネ批判)みたいな趣旨の話(つまりリベラルな話)を書けば、
あっというまに左遷されるか首だぞ。恐怖の独裁体制。言論統制。
ブラック企業問題だって、技術者の特許問題だって、法人税の切り下げだって、
読売と自民党はすべて労働者の権利を切り捨てる方針を取っている。
それにもかかわらず、はてなな村民は、読売や自民党を責めることはない。
結果的にひどい目に遭っても、黙っている。唯々諾々と受け入れる。消費税増税も唯々諾々と受け入れる。
朝日を叩くしか能がないから、自民にいいようにあしらわれるんだよ。自業自得。
( 24年も続いた不況も、福島原発事故も、誰のせいだか、よく考えてみろよ。)
トラバへの回答。
> どこの政党ならいいんじゃ?
ま、あんたにしてみれば、自民以外はみんな左なんだろうけどな。 www
おいおい、NTTって1985年設立で、まだ創業30年すら経ってないけど。
郵政、東京電力、日本道路公団、日本航空、Jフォン、ロシアのガスプロム、アメリカのエンロン。
これらの企業もう忘れたの? 合併や事業変更しただけで潰れてないから大丈夫?
>松下電器産業と三洋電機が合併することによってパナソニックという企業が誕生したが、三洋はいろいろあって「潰れた」と言えるじゃん。 同じことで、合併つまり合体ではない場合も
>「メガバンク」という概念が吹っ飛ぶ可能性も、今メガバンクと呼ばれてる企業のどれか一つが吹っ飛ぶ可能性も多分にあるよ。
スレ主?がこう書いてるから、合併再統合が起きた場合の企業は「潰れた会社」カテゴリに入るってことになるんじゃない?
とすればNTTって先行き短い可能性もかなり高いぜ。
「JAPANESE ONLY」を掲げて無期限入場禁止処分になった浦和レッズのサポーターだけど、この人達べつにレイシストじゃないでしょ。
最近、海外からの観光客が増えて応援の統制が取れなくなっている
(横断幕を張った人物の主張)ゴール裏は聖地、自分たちでやっていきたい。他の人達は入ってきてほしくないという意図があった。最近は海外のお客さんも来て統制が取れなくなる
で「差別の意図はない」とこのサポーター達は言ってるんだけど、「いやこれこそ差別的行為だろ」とガンガン叩かれてるわけです。
彼らがしていることは差別だけど、人種差別をする気はないんだろうね。
ゴール裏は聖地、自分たちでやっていきたい。他の人達は入ってきてほしくないという意図があった。
自分たちに従って統制の取れた応援が出来る人は入場を許可するけど、そうでない奴の入場は俺たちが許さん!
というのが彼らの言いたいことでしょ。
「日本語通じない人は統制とりようないし、まずそいつらを弾き出さないと」ということで、あまり深く考えず「JAPANESE ONLY」を掲げたと。
なので次の段階は「俺たちに従う奴ONLY」と掲げるんだろうな。
Jリーグ観戦にほとんど行ったことがないから解らないんだけど「俺たちに従って応援しろ!」とサポーターは他の観客に強制できるんだっけ。
みたいなルールあんのかな。
普通に考えてそれはないと思うんだけど、数回の観戦経験から言うと、なんかサポーターでかい顔してるよね。
それで「俺たちの言うこと聞くならそこに座らせてやるけど、聞かないならほか行けよ」という差別的態度を取ってもいいんだという意識なのかな。
少し前の新聞記事で「Jリーグ入場者の平均年齢は39歳」と出てた。
1993年にJリーグができた頃に二十歳前後でサッカーファンになった人が、そのまま中核にいて、若いファン層が入ってきてないんだね。
サポーターみたいな老舗のファンがでかい顔して、訳の解らない応援ルール作ったりして、新規ファンを差別してるから若いファンが増えないんじゃないの。
今回の件は「Japanese Only」という多くの人が認める差別的表現を用いてしまったから大問題になった。
無知のせいだと思うけど、無知のせいだろうが何だろうが差別的表現は許さんという処分は、まあ妥当だね。
でもJリーグを、あるいはサッカーを愛する人が考えた方が良いのは、サポーターの中にある新規ファンへの差別意識なんじゃないの。