はてなキーワード: コトバンクとは
もう2ヶ月以上続くインドの農民デモ。今までは最低価格保証がされていたが新法では価格保証が明記されず自由化で生活が苦しくなるとして政府に抗議。地方から首都に出向いて道路を占拠したりしている。
インドで農産物取引の自由化などを促す「農業新法」が成立したことに対し、約13億人の人口の半数以上を占めるといわれる農民の抗議が広がっている。
スウェーデンの環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんも農民支持をTwitterで表明。
ところがデモに関して農民支援のレクチャーを受けたと見られる資料を誤爆ツイートして「グレタの背後に怪しいやつがいる」とインドの与党支持者や反グレタの間で反発広がり一騒動。インド警察も「背後」を調査したという。
その「背後」でデモ支援資料を作成してたというのがカナダの親カリスタン運動団体だとか。
'Preliminary enquiry has revealed that the toolkit in question appears to have been created by a pro-Khalistani Organisation 'Poetic Justice Foundation',
Furious Indians burn posters of the eco-campaigner after she wades into farmer protests dispute | Daily Mail Online
カリスタン運動とはシク教徒によるインドからの分離独立運動のこと。シク教とは信者数が世界で5番目に多い宗教で、歴史的経緯からインドのパンジャブ州に多く住む。
パンジャブ州は 1947年の印パ分離独立の際に,パキスタンからの難民であった多くのシク住民が移り住んだ。インド政府は同州をパキスタンとの戦略上の観点から農業州として固定化する方針を打出し,工業投資は控えてきた。 1960年代から米や麦の生産は向上したもののこの政府の一方的な方針に対してシク教徒の不満は次第に増大し,富裕なジャート系シク教徒の反政府運動へと発展,80年代には暴力行為が横行した。一方,このころ一部の海外移住シク教徒の間でもカリスタン運動が提起され,これがパンジャブ州での動きに相乗作用した。
今回のデモもパンジャブ州の農民が首都ニューデリーにトラクターで抗議に訪れている。
インド政府やヒンドゥー教の与党支持者は単なる農民デモとしてだけでなくカリスタン運動にも警戒しグレタさんに対しても「テロリスト支援だ」と批判している。
1月26日に警察との衝突で農民側に死者が出た。デモ参加者に少数派シーク教徒が含まれていたことから、政府やヒンズー至上主義の与党インド人民党(BJP)は、デモがシーク教徒の分離独立運動に結び付いていると主張し、世論の批判をかわそうとした。
◎はじめに※必読
① これから後ダラダラとまとまりなく続く話は隙自語のチラシの裏も裏のクソもクソみたいなものなので、本当に暇な人以外は読まない方がいい。
② この話の中で先日賞を受賞したとある小説家の方を取り上げるが、これを書いている増田はその方のことが嫌いなわけではない。今回賞を受賞した本はまだ読めていないが、デビュー作は読んでいる。とても面白かった。オススメ。
あくまで『〇〇出身』という表記についての増田が持ったくだらない感情を吐き出したいだけです。以上、よろしくお願いします。
◎今回書こうと思った事の発端
今朝L〇NEを開いて飛び込んで来た地元の新聞社のトークの見出しの文字が『〇〇出身の小説家、賞を受賞』だった。
記事を確認する。確かに〇〇出身。しかし、〇〇出身とは言っても育った場所は他の場所のようだ。→別に〇〇出身を大きく取り上げる必要はなくないか?
1 その土地・身分などの生まれであること。その学校・団体などから出ていること。「九州の出身」「民間出身の閣僚」「出身校」
2 官に挙げ用いられること。出世すること。
「名利を志し―を宗として」〈沙石集・一〇〉
コトバンクより。今回の場合は1の方。辞書を引いたりもしたが、大体こんな感じ。見出しに間違いはない。
小説家のプロフィールからしても〇〇で生まれたのも間違いはない。
◎じゃあなんでもやっとしたんだ?ここからは増田感情の話なので本当に読まなくていい。
これは確実に増田のコンプレックスが起因している。多分調べれば増田が上げている小説家もその出身地も分かると思うが、増田はその〇〇に近い半島の出身。(近いとは言っても険しい山に隔てられた陸の孤島ともいえる、なので田舎の人間の言う距離が近い、だと捉えてほしい)
まず隣!県!!育ちは隣県だってわかってるのか?
記事を書いてるような県庁所在地(じゃないかもしれないが)の人間にとっては隣県(明確な場所はわからないが〇〇や半島と比べたら確実に都会)と県庁所在地にたいして違いはないのかもしれないが、増田からすれば違いは大有り。隣県なら半島のように新幹線の通る駅にたどり着くまで二時間半なんてことはまずないだろう。
いかにもその小説家が出身地で育ったような書き方をしないでほしい。
絶対に、ほらやっぱりこの土地は素晴らしいじゃないか!みたいなのがよく調べも記事を読みもしないで言うのが出る。出てしまう。恥ずかしすぎる。
これは明確な情報かはわからないが、その小説家は中高一貫の出身だという。
仮に小学校の間は〇〇で過ごしていたとしても、都会の中高一貫がどんなものなのか増田にはわからないが、近隣にある過疎化と少子化の進む地域の中で人員削減の為につくってみた公立の小中学校で合体してみて一貫教育です!や、エスカレーター式でその大学へと大半が進むニッコマのニの方の学校や前総理夫人の出身校と同じ母体の女子校とは、まず違うだろう。
動物園のような小中高が地方にはあるし、それが当然で大学名なんてたいして問題にもならなくて地元のどこの高校を出たかだけが重要視されているような世界が外にも同じように広がっているとでも思っていると、その小説家もそうだと思ってしまうのだろうか。恥ずかしいを通り越して悲しい。(Twitterを見ていたら多分記事も読まずにそう言っている人がいたので余計悲しくなってきた)
◎結論、何が言いたいの?
その見出しさあ、なんか恥ずかしいのよ。ってだけの話(それなのにめちゃくちゃ長くお気持ち書いちゃったな……)
田舎者の地元愛の塊みたいなのをその見出しに感じたからだと思われる。そして所詮自分もその田舎者の一部ということを願書の住所を書いていたら改めて感じて悲しかったのかもしれない。
以上、自意識過剰の増田が地方と都会の差を勝手に見出しから感じて恥ずかしがったり悲しがったり妬んだりしただけの話。受験生なのに何必死になってこんなの書いちゃったんだろうね?
*~~はじめに※必読
① これから後ダラダラとまとまりなく続く話は隙自語のチラシの裏も裏のクソもクソみたいなものなので、本当に暇な人以外は読まない方がいい。
② この話の中で先日賞を受賞したとある小説家の方を取り上げるが、これを書いている増田はその方のことが嫌いなわけではない。今回賞を受賞した本はまだ読めていないが、デビュー作は読んでいる。とても面白かった。オススメ。
あくまで『〇〇出身』という表記についての増田が持ったくだらない感情を吐き出したいだけです。以上、よろしくお願いします。
**~~今回書こうと思った事の発端
今朝L〇NEを開いて飛び込んで来た地元の新聞社のトークの見出しの文字が『〇〇出身の小説家、賞を受賞』だった。
記事を確認する。確かに〇〇出身。しかし、〇〇出身とは言っても育った場所は他の場所のようだ。→別に〇〇出身を大きく取り上げる必要はなくないか?
1 その土地・身分などの生まれであること。その学校・団体などから出ていること。「九州の出身」「民間出身の閣僚」「出身校」
2 官に挙げ用いられること。出世すること。
「名利を志し―を宗として」〈沙石集・一〇〉
コトバンクより。今回の場合は1の方。辞書を引いたりもしたが、大体こんな感じ。見出しに間違いはない。
小説家のプロフィールからしても〇〇で生まれたのも間違いはない。
**~~じゃあなんでもやっとしたんだ?ここからは増田感情の話なので本当に読まなくていい。
これは確実に増田のコンプレックスが起因している。多分調べれば増田が上げている小説家もその出身地も分かると思うが、増田はその〇〇に近い半島の出身。(近いとは言っても険しい山に隔てられた陸の孤島ともいえる、なので田舎の人間の言う距離が近い、だと捉えてほしい)
まず隣!県!!育ちは隣県だってわかってるのか?
記事を書いてるような県庁所在地(じゃないかもしれないが)の人間にとっては隣県(明確な場所はわからないが〇〇や半島と比べたら確実に都会)と県庁所在地にたいして違いはないのかもしれないが、増田からすれば違いは大有り。隣県なら半島のように新幹線の通る駅にたどり着くまで二時間半なんてことはまずないだろう。
いかにもその小説家が出身地で育ったような書き方をしないでほしい。
絶対に、ほらやっぱりこの土地は素晴らしいじゃないか!みたいなのがよく調べも記事を読みもしないで言うのが出る。出てしまう。恥ずかしすぎる。
これは明確な情報かはわからないが、その小説家は中高一貫の出身だという。
仮に小学校の間は〇〇で過ごしていたとしても、都会の中高一貫がどんなものなのか増田にはわからないが、近隣にある過疎化と少子化の進む地域の中で人員削減の為につくってみた公立の小中学校で合体してみて一貫教育です!や、エスカレーター式でその大学へと大半が進むニッコマのニの方の学校や前総理夫人の出身校と同じ母体の女子校とは、まず違うだろう。
動物園のような小中高が地方にはあるし、それが当然で大学名なんてたいして問題にもならなくて地元のどこの高校を出たかだけが重要視されているような世界が外にも同じように広がっているとでも思っていると、その小説家もそうだと思ってしまうのだろうか。恥ずかしいを通り越して悲しい。(Twitterを見ていたら多分記事も読まずにそう言っている人がいたので余計悲しくなってきた)
ただ、田舎者の地元愛の塊みたいなのをその見出しに感じたからだと思われる。そして所詮自分もその田舎者の一部ということを願書の住所を書いていたら改めて感じて悲しかったのかもしれない。
以上、自意識過剰の増田が地方と都会の差を勝手に見出しから感じて恥ずかしがったり悲しがったり妬んだりしただけの話。受験生なのに何必死になってこんなの書いちゃったんだろうね?
先に書いておきますが、私個人の考えとしては、M-1決勝に上がった方々は皆さん「漫才」をしていたと思っているし、どのネタもとても面白かったと感じています。
このエントリーは、マヂカルラブリーやおいでやすこがを「漫才ではない」と断定し、「ちゃんとした漫才をした見取り図が優勝すべきだった」とする意見への違和感をきっかけとして書いたものです。
2020年のM-1終了後、Twitterトレンドに「見取り図」が上がりました。その中で多く散見されたのが、「見取り図が一番面白かった、優勝してほしかった」というもの。
その気持ちはとてもよくわかりました。笑いの感性は人それぞれ。自分のツボにハマった人が最も面白いし、勝って欲しいと思うのも当然です。
ただ、その中で気になる意見がありました。「最終決戦に上がった3組の中で、『ちゃんとした、正統派の漫才』をしていたのは見取り図だけだったから、M-1と冠するなら見取り図を勝たせるべきだった」というものです。決して少なくない方々がそのように呟き、トレンドを盛り上がらせる一端を担っていました。
ですが、その感想は的を射ていないと思うのです。
なぜなら、その方達が言うように「漫才」の定義にこだわるべきなら、見取り図はそもそも最終決戦に上がれなかったことになるからです。
寄席演芸の一種。2人で一組になり,滑稽な話題を掛合で聞かせるもの。
https://kotobank.jp/word/漫才-137921 より
漫才(まんざい)は、2人ないしそれ以上の複数人による寄席演芸の一種目。通常、コンビを組んだ2人によるこっけいな掛合いで客を笑わすものを言う。
(中略)
漫才は基本的に、演者が「演者自身」として発話し、その会話の流れによって観客の笑いを呼び起こそうとする演芸であり、その点で、何らかの役柄や舞台設定を、扮装や簡単なセットによって提示するコントとは異なる。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/漫才 より
複数の人間が、演者自身として滑稽な掛け合いをすることが漫才なのです。会話の掛け合いでなくてはならないとは書いていません。
マヂカルラブリーは野田さん自身としての動きと村上さん自身としてのツッコミ。おいでやすこがは、こがさん自身としての歌と小田さん自身としてのツッコミで、しっかり掛け合いをしていました。
対して見取り図は、最終決戦では盛山さんとしてのツッコミとリリーさんとしてのボケで掛け合いをしていましたが、1回戦では挨拶もそこそこにマネージャーと大御所としての設定に入り、締めまでキャラクターを演じ続けていました。「ちゃんとした漫才」という定義にこだわってしまえば、1回戦のネタは正統派とはいえず、決勝の決勝には上がれなかったことになります。
ただ、上記のようなスタイルの、いわゆるコント漫才というものは、サンドウィッチマンやパンクブーブーなど、過去の王者達も採用しており、漫才の1つのスタイルとして確立されています。ほとんどの人が、漫才であるということに異論はないでしょう。私ももちろんありません。
私が言いたいのは、漫才に正統派なんてないんじゃないか、ということです。
コント漫才が、本来の漫才の定義とズレながらもスタイルの一つとして定着していったように、これからも多くのスタイルが生まれ定着していくことでしょう。
サンドウィッチマンの伊達さんの言葉を借りれば、「センターマイクに向かって舞台袖から出てきて『どうも』と始まれば、それは漫才」なのです。
演芸としての枠が大きいからこそ、時代ごとの芸人さん達が新しい発明をしていき、内容を進化させ、思いもよらなかった角度で私たちを笑わせてくれるのだと思います。
改めて書きますが、2020年のM-1では、マヂカルラブリーもおいでやすこがも、見取り図も、もちろんその他のメンバーも、内容やスタイルが違っただけで、皆間違いなく素晴らしい漫才をしていました。
はじめにコトバンクからもっともらしい「再現性」の意味をとってきた。
"測定の精度(precision)を表現する条件として、測定者、測定システムおよび測定場所が異なり、測定手順も異なることが望ましいという条件のもとでの実験により得られた測定結果のばらつきの大きさを表現する指標。これに対して、繰り返し性(併行精度:repeatability)とは、測定手順、測定者、測定システム、測定条件及び測定場所が同一で、短時間の繰り返し測定の結果から得られるばらつきの程度をいう。(今井秀孝 独立行政法人産業技術総合研究所研究顧問 / 2008年)"
https://kotobank.jp/word/%E5%86%8D%E7%8F%BE%E6%80%A7-185101] - 2020年12月13日閲覧
1. "測定の精度(precision)を表現する条件として、測定者、測定システムおよび測定場所が異なり、測定手順も異なることが望ましいという条件のもとでの実験により得られた測定結果のばらつきの大きさを表現する指標。"
- 別の表現をすると「査読者などの研究に直接関わっていない者らが、論文を読んで再現実験をとった結果得られる、手法の成果のばらつき」と言えるだろうな。なお、「らしい」というのは文脈が明らかではないためだ。どうでもよくないこととして、コトバンクはこの文章をどこから引っ張ってきたのかもっと詳しく書いてほしいな。
2. "繰り返し性(併行精度:repeatability)とは、測定手順、測定者、測定システム、測定条件及び測定場所が同一で、短時間の繰り返し測定の結果から得られるばらつきの程度をいう。"
- 別の表現をすると「研究に直接関わった著者らが、論文を書くために測定実験を行った結果得られる、手法の成果のばらつき」と言えるだろうな。
この定義に基づけば、併行精度は繰り返し性よりも範囲が狭い。そして測定の精度が良ければ素晴らしい論文といえるんだろうな。すっきりした。
さて、化学や生物学はもちろん深層学習分野における一本の論文に書かれた「精度」とはほとんど2.の「繰り返し性」のことを指すと思うのだけど、何が問題なんだろうね。
時間が経てばほかの人による検証が重なってようやく1.の意味での「精度」が出るんだろうけど・・・
たぶん、化学や生物学の論文は「発見」が重要であり、深層学習は突き詰めれば「モデリング」が重要だからだろうな。
発見が重要な場合、その発見を礎に次に何ができるかを考える。性能は再現しやすいかどうか、その条件を突き詰めていくことだけが重要だ。もちろん嘘は一発レッドカード。
一方、モデルを使って何かをしたい場合、対応すべきケースは腐るほどある。だから性能はケースバイケースで出にくかったりする。この点が叩かれ、解釈性をはっきり示せと求められてしまう原因なんだろうな。
つまり再現性には2通りあって、でも性能を評価する指標は分野によって異なるってことか。困ったな。
ところで論文の評価方法はどうだろう?私の論文の評価に関する認識はいまだにあいまいだけれど、少なくとも重要な論文の引用数は多いみたいだ。
ただし、論文を引用したからと言って必ずしも追加実験を行ったとは限らないってことは知ってる。議論の省略や事例の紹介にとどめるケースがあるからね。
時間が経てば昔は最先端に思えた手法もだんだん自明になっていくから仕方ないにせよ、実は論文の評価には「論文を書いたときに関係なかった人物が追加実験を行ってどの程度再現されたか」を、追試した人の名前と所属を明らかにいたうえで担保していくべきなのではないかなと思った。だっていまの論文って新規性がないと採択も評価もされないじゃん?誰がその結果を担保するの?読んだだけでわかるの?毎回追加検証してたら時間がかかるから一定の妥当性で評価するのは仕方ないけど、追試も準研究成果として認められるべきだと思う。なんてったって深層学習はパソコンとデータ収集に時間を割ければ誰でも検証に参加できるわけだし。(難しい、特に博士でこれは認められないだろうな。手を動かしただけって言われそう。
E = employee(従業員)、株主の商品・サービスを売る人(株主に貢ぐ君)、利益は株主の総取り
S = self employee(自営業者)、自分の商品・サービスを自分で売る人、利益は自分のモノ
B = business owner(ビジネスオーナー)、自分の商品・サービスを"株主に貢ぐ君"に売ってもらう人、労働時間ゼロも可能
資本主義は、資本リスクを負った株主を頂点とするゲーム。労働者はコスト。
サラリーマンはすべて負け組 出世争いなど、完全に会社に飼われている人たちのやること
資本家から見れば歯車は単なる歯車だ。それに気づいた私は大きな組織で偉くなることが全く魅力的に思えなくなった
永遠に続く格差の正体。死ぬ前に脱出するにはこの「うまい話」に気付け
「資本でリスクを取った者にリターン(利益)を与える」という社会なのである。逆に言えば、資本でリスクを負わない者はリターンも手に入らない。
「所有とは盗みである」
生産活動が重税に悩まされる一方で、私的利益が天然資源という限られた手段から得られるのは不正義の極みとして、かかる制度は奴隷制に等しいと主張した。
中略
とりわけカリフォルニアにおける鉄道建設により、地価や地代が賃金の伸び以上に上昇した事実に目を付けていた。
中略
土地単税
地代は私的所有よりも社会全体に分有すべきとの主張でよく知られ、こうした視点が最も明快に示されているのが『進歩と貧困』である。ただ、地代を社会的に共有しようとすれば土地を国有化した上で個々人に賃貸しする方式を採ることになり、地価税を高率に設定すれば地価が下落することになるが、ジョージは地主に補償を行う必要は無く、嘗ての奴隷所有者と同様の対応をとるべきとした。
「共同所有自己申告税」(COST)
ttps://toyokeizai.net/articles/-/319184?page=3
ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀: 公正な社会への資本主義と民主主義改革
デモステネスによると、公共奉仕を課された人が自分よりも富裕だとみなす人を指名して、財産を交換するように申し立てられる「アンチドシス」という制度があった。指名された人は、奉仕の負担を受け入れるか、指名した人と全財産を交換するのかどちらかを選択しなければならない。
ttps://furuyatoshihiro.hatenablog.com/entry/2020/06/18/000000
ttps://hajimete-sangokushi.com/2020/04/26/ancient-greece-tax-2/
Antidosis - Oxford Reference
ttps://www.oxfordreference.com/view/10.1093/acref/9780199545568.001.0001/acref-9780199545568-e-485
最も裕福な古代アテナイ人だけが税金を払った–そして彼らはそれについて自慢した
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/hackernewsj/status/1325666978858749952
結局、1996年までに行われた9次にわたる周波数オークションで、米国政府は合計200億ドルにものぼる国庫収入を得て、財政的には大きな成果となった。これは、本来これぐらい大きな価値のあった「国有財産」が従来は無償で贈与されていたことを意味し、資源配分の効率性の点でも満足すべき結果だったというのが大方の評価である
ttps://www.osaka-gu.ac.jp/php/fumihom/Kenkyu/Kyodo/oniki/itmetemp/docments/Comments1/Ikeda5.txt
イーアクセスの買収価格があれ程高くなった理由は、究極的には、電波オークションを行わずに総務省が恣意的に電波枠を配分しているから、という事になるだろう。電波オークション無しにイーアクセスに配分されていた電波枠の「含み益」が実現化されたという事。国民の財産がイーアクセス株主に移転した— 佐々木 (@WBJPPP)
なぜ、ソフトバンクはイー・アクセスを時価の3倍以上の価格で買収するのか? | All About News Dig(オールアバウト ニュースディグ)
第十五条
アホな国民に教えたる!
電波割当制は、総務省が国民の財産(電波)を"テレビ局と携帯電話会社のそれぞれの株主"へ贈与してるんだよ!!!
埋蔵金はここにあるんだぞ、電波オークションによる国庫収入だ!
財務省が国民の財産(国有地)を"不動産会社の株主"に贈与しないだろ!!!
電波割当制は即刻止めよう!
レントシーキング(英: rent seeking)とは、民間企業などが政府や官僚組織へ働きかけを行い、法制度や政治政策の変更を行うことで、自らに都合よく規制を設定したり、または都合よく規制の緩和をさせるなどして、超過利潤(レント)を得るための活動を指す。
電波割当制
国有地払い下げ
再販制
新聞社の株式は、日刊新聞紙法によってなんと譲渡制限が設けられているのだ。
ttps://gendai.ismedia.jp/articles/-/49808
「公務員は絶対的身分保障があることをすっかり忘れている。この身分保障のプレミアムはとてつもなく高価。」
ttps://twitter.com/mimio774/status/1161873040646406145
政府職員は安価であるが故に理由なく解雇することは禁じられている
ttps://blogs.itmedia.co.jp/creiajp/2013/04/employment_at_will.html
最近何かと鬼の首を取ったかのように「自他境界ガー」と物申す奴が多くて気持ち悪い
「俺は俺、お前はお前。だから言わなきゃわからない。だから俺はお前の言いなりにはならない。」ってな意味合いで使われることが多いのだろう。他人を批判するときにも使われてる場面をよく見かける。確かにそれはそうだ。「俺は俺、お前はお前」と叫び出したくなる場面は日常生活でもたまにある。「言わなきゃわからねえんだよ」と言いたくなることも。だが、それらの意を伝えるために自他境界という言葉を使う必要はあるのだろうか。
そもそも自他境界という言葉自体どこから来たのだろうか。もしそのような用語が本当に存在し、ネット上で正しい意味で用いられているならこちらも納得しよう。だが、おおかた胡散臭いメンタリスト()の誰かしらが、心理学のタームの意味も解さず使っていたのが起源だろう。そう踏んで調べてみたがヒットしたのはごく僅かであった。
・+ac.jpの検索ではざっと見た限り東京聖徳大、東大の2件(東大の方は統合失調症についての話で自他境界は別の意味で使われていた)
これでは自他境界という単語自体はっきりと確立して用いられてるとは言えないだろう。一応、自他境界に類する言葉として「personal boundary」なる言葉が存在するようではあるが、これに関しては日本語の検索では大したヒットはなかった。
つまり、自他境界という言葉は専門家の間できちんとした定義を受けて使われる言葉ではなく、また、国語辞典に載っているような一般的に意味が浸透した言葉でもないということだ。このような曖昧不定形な言葉を、他者を批判するために用いるのはいかがなものだろうか。「自他境界が曖昧」は人格否定ともなる語である。まるで精神科医のようにそのレッテルを他者に貼るのは果たして正しいことと言えるのだろうか。
そもそも。そもそもの話、自他境界というものがあるとして、我々皆がはっきりとした自他境界など持ち合わせているのだろうか?人間は社会性を持つ生き物である。我々はさまざまな共同体に帰属し、その中で影響を及ぼしあいながら生きている。無論、近しい相手だとしても相手は相手、自分は自分であるから言葉によるコミュニケーションは必須だし、仲が良いからとお互いに100%理解し合えるわけではない。だが、幾らかは言葉を介さずとも理解しあえるのが身内というものである。「察する」「合わせる」は共同体を形成する以上必要な行動であるし、相手にそれを求める事が全く異常な行動だとは思えない。むしろこの社会では、「察せない」「合わせられない」ほうが異常とされるものである。
個人の境界は緩やかな広がりを持ち、その広がりが共同体、群れの形成に役立つのだろうと思う。自他境界というものを突き詰めていけば、「より狭く、はっきり」させて行けばたどり着くのは究極の個人主義社会だろう。
俺自身、個人主義を渇望する人間の一人である。「俺もそうしたんだからお前もそうしろ」「みんな〜してるんだよ!」的な言説は反吐が出るほど嫌いだ。しかし、人間は多かれ少なかれ群れを必要とする生き物であるし、群れを作るか作らないか、全体主義に生きるか個人主義に生きるか、というのは好き嫌いの話でしかない。
自他境界に正解はない。それがはっきりしていればしているほど、「人間的」で「都会的」で「大人」だとするのはリベラルの悪い癖ではないだろうか。
倫理と論理の問題なんだが、既婚者が風俗に行くのと、既婚者が未婚者と体の関係を持つのって、なぜ前者は特に何も言われないのに後者はめちゃくちゃバッシングが来るんだろうか。
最近、某コント仕掛けのスペシャリストのグルメ担当が、既婚者でありがながら複数の女性と肉体関係を持っていたという件を某センテンススプリングに暴露され、活動自粛を表明した。
少し前にも、世界的阪神ファンを義父に持つ某新生デスノート俳優が「ソ○ー損保、フゥ~」女優との不倫騒動もあった。
しかし考えてみてほしい。
これらは要素として「既婚者」「配偶者以外との肉体関係」の2点がある。(奇しくも両者とも幼い子供がいるという共通点があったが、それを考慮するとさらに感情論が入りそうなので無視)
仮に要素に「恋愛要素」を加えるとすれば、キャバレーなどの疑似恋愛体験の場の利用も同様であろう。
そうなると既婚者でありながらそういった店の利用がある人間はおしなべて非難されるべきであるはずだが、なぜ「不倫」のみがバッシングを受けるのだろうか。
そもそも不倫が 「道徳にはずれること。特に、配偶者以外と肉体関係をもつこと。また、そのさま。(コトバンクより引用)」 という意味である以上、等しく罰を受けるべきではないのだろうか。
これに関して、論理的な回答を期待する。
※勘違いをしてほしくないので補足すると、「不倫をバッシングするな」「不倫は悪くない」という擁護の立場ではないことを強く主張しておく。
まぁ、結局著名人バッシングなんて感情が先立つものなので、論理的に考えたところで意味はねぇんだろうな~、なんてことは思っていません。
「しゃもじ」とか「ひもじい」とかの「もじ」って普通に「文字」らしい。もともとこれらは女房言葉・女房詞といって、室町時代初期頃から宮中や院に仕える女房が使い始めた隠語だそうだ。「お」をつけて丁寧にする言い方や、いろんな婉曲用法があるのだけれど、語の最後に「もじ」を付けて婉曲的に表現するのを文字詞(もじことば)と呼ぶらしい。
じゃあ、「〇文字」という言い方に五十音全部あるだろうか。調べてみた。
け、つ、や、はブックマークより。出典は「日本国語大辞典」とのこと。多謝。
あ文字 | 姉 |
---|---|
い文字 | イカ、石 |
う文字 | 妻、宇治茶 |
え文字 | エビ、エソ |
お文字 | 帯、恐れ |
か文字 | 髪、母、餅、かたじけない |
---|---|
き文字 | 気分、貴~、キツネ |
く文字 | 漬物、還御(尊い人が帰る)、酒 |
け文字 | 健康な |
こ文字 | 鯉、(女房詞ではないが)小麦 |
さ文字 | 魚、サバ、寂しい、ささやかetc. |
---|---|
し文字 | ? |
す文字 | すし、推量 |
せ文字 | 世話 |
そ文字 | そなた |
た文字 | タコ、煙草 |
---|---|
ち文字 | ? |
つ文字 | ツグミ |
て文字 | ? |
と文字 | 取る、取られる、父 |
な文字 | ? |
---|---|
に文字 | ニンニク |
ぬ文字 | 盗人 |
ね文字 | 練貫(絹織物の一種)、練り絹、ネギ |
の文字 | 海苔 |
は文字 | 恥ずかしい、お歯黒 |
---|---|
ひ文字 | 空腹である、「ひだるい」の「ひ」 |
ふ文字 | フナ、文、母 |
へ文字 | ? |
ほ文字 | 干し飯 |
ま文字 | ? |
---|---|
み文字 | 味噌 |
む文字 | 麦 |
め文字 | お目にかかる |
も文字 | ? |
や文字 | やりくり、遣り手 |
---|---|
ゆ文字 | 腰巻、入浴時の単衣 |
よ文字 | ? |
ら文字 | ? |
---|---|
り文字 | ? |
る文字 | ? |
れ文字 | ? |
ろ文字 | ?※ |
※呂の字ならある。キスのこと。「口」の字がつながっていることから。だが女房詞ではない。
わ文字 | わずらい、若者、我 |
---|---|
ゐ文字 | ? |
ゑ文字 | ? |
を文字 | ? |
ん文字 | ? |
---|
ご文字 | 御寮人(女性への敬称) |
---|
きゃ文字 | 華奢な |
---|---|
しゃ文字 | 杓子 |
オバケの「お」の字も出ない、という表現、「オバケ」や「お」を別のにしたのを見かけるけど、どれが一番最初なんだろ。辞書を引くときはどうやって調べればいいのか。「文字」の項目?
幼い頃、母が「あっちゃん、あんころもち、あにぶた、あんこ。あってもあっても、ありきれない」という歌を教えてくれた。この「あ」を、該当する人の名に買えて遊ぶのだが、ネットでは見つからなかった。ローカルネタ?
https://anond.hatelabo.jp/20190426211521
この誤字脱字報告で筆折った話、記事読んだあとに、あー、私もネットの同人小説で昔誤字見つけて報告しちゃったことあったなぁ〜っ言い過ぎるとそうか気になるよね〜て思って反省したけども、いや悪いことしてるわけじゃないよね?
確かに紙の同人誌に対して誤字脱字の報告されてもすみませんとしか謝れないし、文字直して再版します!!とか出来ないし…まぁもちろん間違えたこっちが悪いんですけど…って板挟みだったんでしょう。
増田さんもすっごくモヤモヤしてたんだろうなというのがあったので、これに関してはまじで不運だったなとしか言いようがないと思いました。
でもさ、この記事に従って誤字脱字誤変換の報告を誰もしてあげなかったが為に起きてる悲しい事故の話、聞いてもらえますか??
数年前、pixivにあった、とあるアニメの二次創作漫画の作品タイトルに
『〇〇模造マンガ』
ってあったんですよ。
中を開いてみると、内容としては過去にあった悲しい出来事をなかったことにして、生き残っていたら、と言う感じでした。絵柄を原作アニメに寄せてるわけでもなかったので、何が模造なのかさっぱりわからなかったんです。
捏造-事実でないことを事実のようにこしらえること。でっちあげること。
模造-本物に似せてつくること。また、そのもの
いやいや、どうやったらこんな間違いすんだよwwww
今見ても本当にただ間違って使ってるし、多分その人が投稿したてで、見つけた時すぐに誰かが指摘してあげれば直ったことだと思うんですよね。ただ、私が見つけた時ですら既に投稿から2年ほど経過している作品だったので、だれも言ってあげなかったんだな…数年後に私に見つかってしまってかわいそうに。
が、恐ろしいのはその閲覧・ブックマーク数。
2年ほど前であれば、その作品は当時いわゆる覇権ジャンルです。作品名をあげれば、作品の内容を知らずとも大手カップリングを言い当てることができるレベルの超巨大ジャンルであり、その作品のブックマーク数は5万を超えているのです。
pixivコメント欄には、中身を称賛するものがあるだけで、誤用の指摘をする人はいませんでした。まぁコメント欄で誤字指摘するのもどうかと思いますが笑
マジで怖くなっちゃったんですよね。閲覧数がどっかの市の人口レベルにいる作品で、ここまで意味全く変わってくるレベルの誤用された二次創作が、2年も経った段階でまだ修正されずに残っているんです。
その方はそれ以降もいくつか作品をあげられていたので、おそらく投稿以降音信不通になったと言うわけではなさそうだったのですが、もう怖くて怖くて。だってこんな中学生なら絶対わかるようなあからさまな誤用、誰も指摘する人いなかったの!?ジャンルの人冷た!って思いますよ。もしくは指摘しても作者さんにシカトされてんのかな…
模造と捏造、全く意味が異なる言葉なので、こんな間違いするの2パターンしかありえません。
1、捏造、と打ち込むつもりではいたが、入力時に誤ってしまっている場合
2、模造の意味を本当に誤って覚えている
1ならいいんですけど、2だったら恥ずかしいですよね、私なら死ぬほど恥ずかしいです。
よく調べもせずに、聞いたことあるからこの単語使おうくらいな軽い気持ちで打ち込んで、いやいや漢字の意味よく考えればわかるだろって暫く落ち込むと思います。
まぁこんな恥ずかしい間違いなので、指摘する側だって相当気遣いますよ。『この誤用を指摘してしまうと相手に不快な思いをさせてしまうかもしれない、と思って指摘を避けた方がいたのかも』って思った人がいたかもしれない。だってそんな間違いするわけないと思いたいですもん。でも漢字の意味考えたらわかるじゃないですか。
流石にこれ放置かわいそうなんじゃって気持ちになったんですけど、今更2年前の作品に突っ込むのうざいだろうな…って気持ちと、単に知らないジャンルの知らない人にそこまで時間割く義理ねーよという気持ちで競い合って、後者の感情がデカくなったんでやめました。
そして、今年に入ってこれ系の恥ずかしい誤用・誤字をまた見つけてしまいました。
今中高生で大人気の覇権ジャンルで、その創作の内容としては夢小説作品で、作中のキャラクターと自分がくっつく上で、別途原作上にはない作者さんオリジナルのキャラクターが出てきて、手助けしてくれる。と言ったものです。
オリキャラ偽造注意!
…
いやもう…こんなのクロじゃないですか。
偽造-にせものをつくること。
流石にこれは嘘だと言って欲しかったんですけど、作者さんは多分本気で間違えてるようでした。(複数回同じような投稿があったので)
何が怖いって、こんなあからさまな誤用を、ジャンル特性上、中高生たちがみてるんです。
間違った覚え方をして、さらにこれが学校で流行ってたらどうしようって…ていうかそもそも、作者さんが中高生だったら、大人として正してあげたほうがいいのかな…でも、作者が仮に社会人だったら、指摘するほうが失礼かもしれない…っていうか何回も言いますけどこんなの指摘するほうだって気を使いませんか??
模造はコピー
偽造はニセモノ
簡単に言えばこんな感じですよね。全然違いますよね??知らないだけで実はそういう言い方するの?そんなわけないよね????だって通貨とかパスポートとか後ろに名詞くっつけたらわかるじゃん…捏造とか架空のとかはよく聞くけど、偽造とか模造とか聞いたことないよ…もしかして擬似家族とかそういうのと間違えてんのかな、それにしても使い方間違ってると思いますけど…
こんな誤用が、誰も何も指摘しないからという状況で、今後いろんな手を介して一気に拡散していく方がよっぽど怖くないですか?日本中頭悪くなっちゃうよ
最近はこういうの突っ込むとすぐ「凸だ!」「焼きマシュマロだ!」って炎上するじゃないですか。善意を盾にして悪意を振りかざすなってよく目にしますけど、果たしてこれは悪意なんでしょうか?
読んでるこっちが恥ずかしくなるほどのあからさまな誤用、誤字脱字、誤変換。
これらの報告・指摘をしない、放置するほうが善意になるってことなんでしょうか。本気でそう思うなら、そうなんでしょうけど。
読者からの誤字脱字誤変換、加えて誤用の報告について、指摘する側、される側、善意悪意などなど、もう一度考えたいところですよね。
昨今のブコメなりニュースに対するインターネットの反応を見ていると、
マスコミやジャーナリストという言葉にアレルギー反応を示す人がいる。
マスコミとは
>>マスコミュニケーション(英: mass communication)あるいは大衆伝達(たいしゅうでんたつ)とは、マスメディア(具体的にはテレビ、ラジオ、インターネット、新聞、雑誌、書籍など)を用いて、不特定多数の大衆(マス)に大量の情報を伝達すること。<<
ジャーナリストとは
>>ジャーナリズムに関係をもつ人。新聞・雑誌などの編集者・記者など。<<
コトバンクより
ここでのジャーナリズムとは
>>新聞・雑誌・ラジオ・テレビなどにより、時事的な問題の報道・解説・批評などを伝達する活動の総称。また、その機関。<<
コトバンクより
つまるところ、前述のアレルギー反応を持つ人は、報道、社会情勢の伝達を行う人々に対するアレルギー反応である。
では、この人々がどのようにして情報をアレルギー無く摂取するのか。
面白いことに、果物アレルギーの人が、加熱加工した食物が平気であるように、処理を加えた情報なら摂取できるのである。
ここでの処理済みの情報を提供する人々(主にインターネット上に存在する)の実態、全体はあまり良く分かっていない…と思う。分布はインターネット全域に広がり、形態は多種多様である。
それでも、マス(大衆)に情報を発信できることから、それらはオルタナティブ・マスコミと、もはや当て嵌めることができると思う。
そして、たしかに言えることは、オルタナティブ・マスコミに、悪名高きまとめサイトも含まれるということだ。
このマスコミの特徴の一つとして、「インターネットの反応」と言う、調味料を加えることがある。
なんでも、風の話に聞くところ、はてなと呼ばれるサイトが提供するサービスの一つに「はてなブックマーク」というものがあるらしい。
これも、調味料を加える形のオルタナティブ・マスコミとして見ることが出来て、使用者の多くは、マスコミのサイトで情報を摂取する時に、ブックマークと呼ばれる「インターネットの反応」を自発的にふりかけて摂取する。
もはや、インターネットでは、ジャーナリスト、マスコミという言葉でアレルギー反応を起こす人が急増している。
これは、もはやインターネットにおける現代のアレルギー「花粉症」のようなものだろう。
オルタナティブ・マスコミの現在の特徴として、マスコミが存在しないと、存在できないことにある。
そこで、マスコミの方でも、これらのアレルギー反応を持つ人たちに対応できる、オルタナティブ化を打ち出し、現代の人々の体質に合わせる必要があるのかもしれない。
は? マジだが?
① 身もやせるような思いでつらい。他人や世間に対してひけ目を感ずる。恥ずかしい。 「世の中を憂しと-・しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば/万葉集 893」
② 心づかいをして控えめである。つつましやかである。 「されば重木は百八十に及びてこそさぶらふらめど、-・しく申すなり/大鏡 序」
③ (節度をもって振る舞うさまが)殊勝である。けなげである。 「己が振舞-・しければ、一筋取らするぞ/保元 中」
動詞「やす(痩)」の形容詞形で、身もやせ細る思いだというのが原義。
平安時代には② の意でも用いられ、つつましくしとやかなさまを優美と感ずることから③ の意が生じた。
③ は優位の者がほめことばとして用いた。→やさしい(易)
ご飯論法とは新語・流行語大賞にもノミネートされた用語で割とみなさんも知ってるものだと思う。
議論における言い逃れや論点のすり替えを表す言葉。たとえば、「朝ご飯は食べたか」という質問の「ご飯」を故意に狭い意味にとらえ、「ご飯(米)は食べていない(が、パンは食べたかもしれない)」と答えるといった具合である。2018年、法政大学教授の上西充子がTwitterに投稿したことから広まり、主に国会質疑で政権側が野党の追及をかわすために論点をずらしたり、ごまかそうとするのを揶揄する表現として使われた。同年、『「現代用語の基礎知識」選 2018ユーキャン新語・流行語大賞』のトップ10に選出された。
ご飯論法とはつまり、ことばを勝手に厳密に定義して、そこに当てはまらないものを切り捨てて、議論の俎上からごっそり引き抜いて終わらせるやり方ということだ。
一方で、最近の(特に先鋭化した)ツイフェミやアベ政権批判派の人たち(だけではなく、反フェミやネトウヨにもしばし見られるが、観測上はこういった人たちに多い)にもう一つのご飯論法(仮にアンチご飯論法)があるように思える。
B:食べました。
A:何を食べましたか
B:僕はパンを食べたけれど、朝食べるのがご飯とみそ汁じゃないといけないなんてのは日本人らしさの押し付けだよね、そもそもご飯よりもパンのほうが準備に時間もかからないし、洗い物の手間もかからない。ご飯だといちいちおかずやみそ汁を用意しないといけないけど、パンならトーストにチーズとハムをのっけて焼けばいいだけ。ジュースもあれば、栄養はほぼOKだ。なんで日本人はいつまでも白米にしばられているんだろう。それが日本の悪いところだと思うんだよ、そう思わない? ね、そう思うでしょ。みんなー。
A:( ゚д゚)ポカーン えっ、私はまあ、ご飯のほうが腹持ちがいいから、好きなんだけどさ…
B:だいたい、朝から腹持ちがいいものを食べたら、眠くなって朝の会議や朝礼に間に合わなくならない?そんなことやってるから、日本人の生産性はいつまでも上がらないで、欧米どころかアジア圏からも取り残されるんだよ、そうやって日本はもうだめになっていく。だいたい、そういう日本が素晴らしいなんてのを声高に言うやつら、僕は信用しないね。ああ、だから今の政権はダメなんだ、良識ある人間はいつもびくびくくらさないといけない。まったく、お前もそんなやつだったのか。残念だよ。
A:( ゚д゚)ポカーン うーん、ご飯派とパン派、どっちでもいいと思うし、私は特に眠くなる体質じゃないからご飯でも大丈夫なんだけどね。つまり、君はパンのほうがいいと思うんだね。
B:誰もパンじゃないといけないとは思っていない、でも、ご飯よりも優れているものがいっぱいあるってことを知ってほしいんだ、それをみんなが知らないのはあまりにも世の中腐ってる。そんな日本はダメなんだ。
A:( ゚д゚)ポカーン おっおおう。わかったよ。じゃあ、私会議に行くね…
元のご飯論法が文脈を厳密に狭めることで議論をストップさせるのに対し、このアンチご飯論法は
・相手が純粋な感想を述べると、それも全部つぶしながら、持論につなげようとする。
・論点を整理しようとすると、その整理すら間違っているといって、勝手に新たな論点を作り出す。
第十五条二項
A. カルテルは,事業者間の協定や申合せに限らず,事業者団体の活動として行われる場合が少なくありません。
事業者団体が,団体としての意思決定によって,構成事業者の価格,供給数量などを制限したり,入札談合を行うことは,競争を実質的に制限する行為として,独占禁止法で禁止されています。
独占禁止法が規制する事業者団体の禁止行為は,行為の態様(相互拘束や支配・排除)に制限はなく,競争の実質的制限に至らない行為でも規制されます。例えば,団体に加入しなければ事業活動を行うことが困難である場合に,加入を拒否したり,一定地域における店舗数や既存店舗との距離を加入の条件としたり,加入希望者と競合する既存の構成事業者の承認を加入の条件とすることなどは,一定の事業分野における事業者の数を制限するものとして違法となり得ます。また,価格,数量,販売先,広告活動などについて,構成事業者の自由な事業活動を制限する場合も同様です。
ギリシャ、TV放送免許オークションで290億円調達 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
記者クラブ―情報カルテル ローリー・アンフリーマン, Laurie Anne Freeman (原著), 橋場義之 (翻訳)
収賄額0円の収賄罪…“抹殺”された福島県元知事が“現在”を語る (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)
福島汚職「賄賂0円」判決の前代未聞 FACTA ONLINE
あいちトリエンナーレで津田大介さんが監督の「表現の不自由展・その後」について、納得できない点を頭の整理を兼ねて書いてみます。
憲法上の「検閲」とは次の通りであり、本展における河村市長、官房長官のいずれの言動もこれに該当しないことは明らかなので、憲法上の検閲ではあり得ません。
「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的とし、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるもの」(判例)
したがって、本案件で「違憲」と言い出した者(例えば大村知事等)は明らかに失当です。というか憲法上は事前の規制を重く見ているため、事後的に批判した河村市長や官房長官(この二者には取り止めさせる権限なし)よりも事前に強く要請した大村知事(実行委員長として権限あり)の方が判例の趣旨からして危なそうです。
『あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に関するお詫びと報告』を読んでもわかるように、津田大介さんは「検閲」という言葉を「何らかの理由により効率の美術館で展示できなくなったもの」と自らに都合よく恣意的に用いています。
憲法上の検閲でないとしても、この意味で検閲という強い言葉を用いることはミスリードです。本件の場合、事後的にも発表が禁止された事実はありません(あいちトリエンナーレ以外の場所で公表を続けることも十分可能です。)。
「公権力が,表現行為ないし表現物を検査し,不適当と判断する場合には発表を禁止すること。公表以前に行う事前検閲,公表後に行う事後検閲とに分れる。」(ブリタニカ国際大百科事典・コトバンク)
ヘイトスピーチ規制法の正式名称は「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」とあるように、「本邦外出身者」をターゲットにしているため、本件展示が法律上のヘイトに該当しないことは明らかです。
(法律の規定する範囲が狭すぎる、という議論はあると思います。例えばDV防止法は成立当初、男性は被害者とは規定されていない法律でした。)
「自国であった負の歴史を思い起こさせる作品を展示することが、その国や国民に対するヘイトにあたるとは考えていません。」「大浦さんは昭和天皇の肖像は日本人としての自画像であり、天皇批判ではないとしています。」とあるように、津田大介さんは、自国民同士のヘイトは想定していないようです。
ただし、国民を分断し、他のグループにに対して差別的言動を行うことは十分に考えられます。
津田大介さんは、過去、RADWIMPSのHINOMARUという楽曲を「国威発揚」であるとして激しく批判をしています。また、そういった批判を受け、RADWIMPSは謝罪に追い込まれています。
更にTwitterにおいて『今後もどんどん「国威発揚」の依り代として芸術が利用(寄生)されていくんだろう』ともコメントしています。
昭和天皇の写真を焼く行為に比べてはるかに穏当(少なくともヘイト的な要素はありません。)なものに対してこのような反応を見せており、極めて左派的な思想であると思われます。
津田大介さんは「不自由展実行委によって拒絶」、「そのまま展示することはコンプライアンス的にハードルが高」(い)、「展示スペースの都合」という理由で、会田誠さん・鷹野隆大さん・ろくでなし子さんの展示はしなかったと言っており、言外に自身の政治思想は反映されていないことを含ませています。
少女像や昭和天皇の写真の焼却などが選定されたのは自らの意思ではなかったかのようです。
しかし、その一方で『約80組の作家選びは当初、学芸員に任せるつもりだった。ところが、上がってきたリストを見て「ピンとこない。これはまずい」と方針転換。自ら決定権を握った。』(7/8北海道新聞インタビュー記事)とあるように自ら選定していったことを明かしています。
津田大介さんの言動をまとめると以下の通りになります。少なくともダブルスタンダードと言われることはやむを得ないでしょう。
1.検閲の意味は憲法どころか辞書よりも広くとるが、ヘイトの意味は狭く(法律通りに?)とり、いずれも自らに都合よく解釈した。
2.過去に保守的な楽曲に対して激しく批判し、更にそれに公金が用いられることに慨嘆したが、自らの政治思想に沿った展示を公金を用いて行った。
3.自らは中立かのように装いつつ、自らの思想に反する展示はテーマに合致したとしても排除した。
津田大介さんは今回の謝罪文で『自国の現在または過去の負の側面に言及する表現が安全に行えない社会となっている』とコメントしています。
しかし、前述のHINOMARUに対する批判を行ったにも関わらず今回のポストが手に入れられたということは、少なくとも「日本が好きという者を批判しても言論界ではプラスにはなってもマイナスにはならない」ということを体現したと言えるでしょう。
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家父長制が崩壊したのに「嫁」なんて言葉を気取って使ってるのはアホくさいからやめろという話だよ。
息子の妻。家父長制下にあった日本では,いわゆるシャモジワタシを受けて主婦となるまでの期間の妻をさす呼称であった。当時の嫁が,一家の主婦となるまでには,長い試練の生活を強いられるのが普通で,新潟県佐渡の「添うて7年子のある仲だ,嫁にしゃくしを渡しゃんせ」という民謡などにも,その間の事情はうかがわれる。しかし,家父長制の崩壊した新憲法下の今日では,嫁と主婦との間に,かつてのようなへだたりはなくなってきている。 (→杓子 )
一家の経営において,社会慣行上容認される家政管理を中心とする主婦の権限。家長権が強大であった時代の商家,上層農家においては,家事全般にわたる責任者としての座が家長の妻に与えられ,これとともに食生活,衣生活など家事の切り回しに関する権限が,主婦権として確立されていた。オカミ,オウエ,エヌシ,イエトジ,オカタなどの呼称があるのはその証左である。主婦権の譲渡はヘラワタシ,シャモジワタシなどと呼ばれ,通常,嫁が婚家の家風になじんだ時期をみて,姑から嫁に対してなされた (→杓子 ) 。隠居制による家族では,夫婦単位に生活が営まれるため主婦権も姑と嫁に分散される。家長権が弱まり,核家族化した近代家族においては,家父長制下にみられたような主婦権は存在しなくなってきている。