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はてなキーワード: 女性解放運動とは

2024-03-04

anond:20240304135244

発達の女が昭和だろうが令和だろうがずーっとハードモードだという主張はわかった

発達の女=永遠にハードモード。よーく分かりました。

けど、じゃあなんで淘汰されてないのかって

平成初期までは社会が、きちんと教育されることを条件に存在を許していたか

今は女性解放運動が功を奏して自由恋愛市場を獲得したおかげで

あらゆるパラメータ見える化し超ハードモードになったために

もっと容姿学歴性格に寛容だったはずなのに、いまは完璧を求められてそれについていけない

市場化したら競争が激しくなるのは当然だよね

でも今は発達に限らず、あらゆる免罪符が守ってくれるからイージーではある

障がい持ちだからメンヘラから、ブスだからお金が無いから

「じゃあ、結婚できなくても仕方ないね

なんというディストピア

とはいえ食うものにも困らず雨風しのげる屋根はあるわけで

結婚という話は置いておくと、昭和よりはイージーなのは間違いないし

最初に立ち返って発達の男と比べても過度な競争さらされないことからイージーであるのには変わりはない

ま、発達はスペクトラムなわけで「人による」で結局は片付く程度の話なんだけどさ

2023-12-21

anond:20231221101746

単なる男性不信によるミソジニーすら、ポリコレになるんだよな。

女の子はなりたいものになればいいのに。

可愛い女の子も、逞しいバリキャリ女子も、みんなみんなそれぞれが女の子として魅力的なのに。

どうしていつの時代も、「女はかくあるべき」と叫ぶデカい声が幅を利かせるのか…。

女性解放運動看板を掲げる女性束縛運動が多いよね。

2023-10-11

anond:20231010202012

歴史的経緯で言えば「女がやらない」ではなく「女はやらせてもらえない」だったわけだけどな

で、社会がそう成立してる中で、利益を最大化しようとした場合、男が働き女が家って形になる

卵と鶏的な話だが、それが固定化すると、なかなか変えられない


昨今は、女性解放運動やらポリコレ恩恵

男女雇用均等法が整備されたりして

女性が働きやすく(稼ぎやすく)なっている

そういうポストに付けるようになったのは至極最近の話


ここまで来て、初めて、「女性はきつい仕事やらないよなぁ」みたいな事を言われるように【なれた】

男として働きたくなければ(男は働かなくて楽が出来て良いなぁと言われたければ)、始めればいい

男性解放運動

すでに女性解放運動が行われポリコレ根付いた社会

男に隷属せざるを得ない社会で、声を封殺されてきた女性たちと比べれば

全然お手軽に実現できるはずだよ

2023-10-04

anond:20231003192002

女性解放運動男性社会仮想敵として戦ってきた中で、その存在無視されてきたのが弱者男性

その弱者男性女性叩きをする時に、容姿がある程度の水準に達していない女性をいないものとして無視しているのが現状。

2023-09-05

anond:20230905063312

フェミニズムテンプレを表面だけなぞってきたその理論の、何が間違っているかというと、

旧き家父長制世界女性が消費されていた、という前提から勝手空想して

平等になると女性が消費されなくなる」と考えてしまっている点。 

 

現実には、男女平等になると、男も女もモノとして消費される。

今まさにそうなってるだろ、ホストクラブがある。自由恋愛市場では男性に向けたルッキズムATM扱いがまかり通る。 

 

お前は、テンプレしかフェミニズム考えてないから、「まだ女性がモノとして消費されてるってことは、まだ男女平等ではないね」とか主張するが、違います

順調に、男性のモノ消費は増加しており、つまり男女平等は順調に完成しています

元増田自由恋愛の失敗だ成功だ言ってるのも、自由恋愛人間のモノ消費を男女関係なく進めるからだね。自分がモノ扱いされてることが気にくわないってのが間違いなくあるだろ。

自由にやると、男女の区別なく全人類がモノ消費される。

男女平等はむしろ進んでいる。お前の考えの真逆

 

刹那的快楽を追求するようになったのは、古い社会の抑圧から解放された女性である。当たり前だろ。女性解放運動だぞ。男性が変わってないとか話はじめるのは分脈が全然お門違い。

anond:20230903222603

男女問わず「優位に立ちたい」というマウント本能やら狩猟本能やらは、人間普遍的にわりと持ってる気はする

というか、じゃなきゃ女性解放運動すら起きないのでは

それはサディシズムとして性癖にも反映される

あとわりと男性型の脳な部分はあるかもね

俺も一部女性的な脳だと感じることはある

別にヤバいもヤバくないも、単にそういう個性個人ってだけだろう

2023-08-12

日本女子サッカー競技者数が増えないたった1つの理由

女子W杯なでしこジャパンベスト8で終わった。2年前の絶望的な状態からは良くはなったが、まだ発展途上に居ると言うことが良く分かった。

12年前の女子W杯まさかの優勝を遂げてから女子サッカー競技者数は大幅に増えると思われた。

しか実態は増えていない。

JFAの「選手登録数」によると12年前の2011年は26,237人で、そこから一時的に伸びて2013年には3万人を超えたが、以降は伸び悩み。ここ数年は28,000人前後をうろついている。→https://www.jfa.jp/about_jfa/organization/databox/player.html

日本はアメスポ文化の国なので他のスポーツ競技人口傾向はアメリカのそれと似てるのだが、女子サッカーだけは似ても似つかない。アメリカは知っての通り女子サッカー大国だが日本小国。それはなぜか。いろいろ調べてみたら・・・

吹奏楽部女性を取られている」という結論に至った。

日本アメリカ吹奏楽大国であるのは同じ。

しかし、日本アメリカでは、男女比率が決定的に違う。日本では男女比2:8~3:7で、アメリカはその逆だ。

米国における吹奏楽軍楽隊起源としており、男性だけ、または男性中心の吹奏楽部(あちらの部活動学校授業の一環だが詳細説明は省く)や楽団が多数構成されるようになり、その文化が今でも根付いている。近年は幾分女性率は上がっているが、未だに女子禁制のバンドも少なくない。

日本でも1950年代までは男性中心だったが、1960年代から一気に女性比率が増え、1970年の段階で男女比ほぼ半々となり、今や大半が女性だ。

こうなった理由はいくつか考えられる。この時期に何度か起きたギターブーム男子生徒がそちらに流れたこと、日本におけるウーマンリブ女性解放運動)でのターゲットの1つに吹奏楽が選ばれたことなどが挙げられている。ただ米国では男女比逆転の話はない。

世界的には女子サッカーは「女性解放運動」の象徴とも言われており、女子サッカーの強さと女性の権利の強さは比例すると言われる。男子サッカーがそこまで強くないアメリカスウェーデンが強いのが象徴的だ。

しかし、日本における女性解放運動の象徴は、1960年代から急激に女性比率が上がり、今やほとんどが女性で占められる「吹奏楽部」であり、女子サッカーではない。

日本女子サッカー競技者数が増えないのはバスケバレーボールかに女子生徒を取られているためとよく言われているが、それだと女子バスケバレー普通に強いアメリカ女子サッカーも強く、競技人数が桁違いの理由説明がつかない。

真の理由は「吹奏楽部女子生徒を取られているから」なのである

2023-01-24

anond:20230123220150

そもそもフェミニズムってのは女性解放運動でもなんでもなく、女権主義と女権拡大運動であり、いか自分達は責任を取らずに権益を拡大できるか?ってゲームなので、その中で出てきた性的搾取ってワードに含まれるかどうかってのは大して意味の無い話だと思う。

平等しろ!ってのを擦ってた時期があるので一貫性矛盾は感じるけどね。

2022-12-09

anond:20221209111212

ミソジニーは、女性嫌悪だよね。憎悪とも言うかなぁ。

昔の男は、女性しからそういう行動に出てたんじゃあなくて、単にそれが男の権利だと思ってたわけでしょう。

まぁその権利意識が良くねぇよ、ってのが女性解放運動とかに繋がってくんだと思うけど、それが現代フェミニズムまで続いてきた結果、

女性ガッデム!って人らが出てきて、それがミソジニー

昔の男は、女性プラマイゼロ位置に置いて自分プラス位置に置いてたけど、

今のミソジニー自分プラマイゼロ位置に置いて女性マイナス位置に置いてる。

そういう違いだと思う。逆にそうでなければミソジニーという呼称には当たらないんじゃないかな。

ミソジニーの反対語って「女性や女らしさに対する愛好」を意味する「フィロジニー」らしいんだけどね、

フィロジニーフェミニズム観点(ツイフェミじゃなくてフェミニズム自体の)から言えば、唾棄すべきものだろうね。

2022-04-26

アンチフェミニズム運動しないことは弱者男性を間接的に救う

「たわわ」等身体論はここでは論じないものとする。

フェミニズムの「ガラス天井」の問題アンチ運動しないことは弱者男性を間接的に救う。

まず女が下方婚することが前提である。ここ大事

双方の給料家計をやりくりしていくがもしもパートナーレイオフ失業)に遭ったり、疾患で休職したりした際、女の稼ぎで暮らしいかねばならない。

そこへ雇用機会不均等にされ、マタニティハラスメントなんぞされようものならその世帯は泥船である

女は下方婚し、リスクへ備えることができるよう女性解放運動していかねばならない。

雇用均等の国でフェミニズム運動の契機になることは、この構造もあるという例

スカンジナビア半島なんかは両親が子世帯と親世帯で手とり足取り助け合うというより社会サービス(保育・介護福祉)が前提というのもまた然り。扶養家族制度より、女にも社会保険料を払わせる。

2022-04-13

月曜日のたわわ」に言及する「毎曜日のたわけ」の話

まあ、端的に言って……

これに言及してる自称フェミニズム」の人達、これ全て偽物の「エセミニズム」ですわな。

そもそも女性解放運動歴史を紐解きますとですね。

例えば、今や日本では見られない「ブルマー」。これ、そもそも女性解放運動が元ですわな。

この言葉も「女性」などという言葉が付くのも気に食いませんが、それを一概に否定するのも先史の日本で戦った者たちへの侮蔑でしょうし、今は問いません。

まあ、斯様な運動に微塵の興味も無い方は知らんかもしれませんが。元々は、そういうもので御座います

まあ、その丈が不要に一律で短くなるのは実際問題よろしくない事で御座いましょう。それに関しては構いません。徒に性別衣服統一し、剰え羞恥を与うるするなど、フェミニズム意向に真っ向から叛逆するもので御座いましょう。

然し乍ら、そこから選択の権を奪うならば、それはそれでまたフェミニズムに真っ向から叛逆するものに御座います

何故なら、そもそもフェミニズムとは「女性が肌を晒し、剰え、その衣服煽情的ものにするなど端ない、怪しからん」という意向に対して異を唱えたものでありませば、決してその逆ではないからで御座います

そもそも於いてミニスカートも同じくフェミニズム運動の賜物であるという事を、今の日本人はご存知無いのでしょうか。

男性は上体とはいえ裸体を晒しても問題はなく、女性規制せねばならない。これを何故に許すのか?

フェミニズム本質とは、男女同権にて男女平等あくま人間尊厳に拘うものであります

これを申しますと、自称フェミニズムの方は仰ります

「それは男性の性欲が問題なのである」「男性性的な目で女性を見るが故に、その自由を我々は妨げられるのである」……剰え、「これに同意しない者は名誉男性であり、女性の敵である」と。

果て、上記の話を全く聴いていないのでしょうか?と問わざるを得ません。

女性が肌を晒し、剰え、その衣服煽情的ものにするなど端ない、怪しからん」

貴方方の仰ることは、「なので、そのような端ない恰好をする事は許さない」としか聞こえませぬ。それが女性の締め付け以外の何であるというのでしょうか?

無論、その間には数々の論理を入れているのでしょうが。全く以て意味の無い無理屈しか思えません。

真に男女同権を志すなれば、そこで唱うるべきは最低でも「男性も性を隠し、女性と同様に慎め」であり「女性の姿や格好に文句を言う」などというものでは無いでしょう。

或いは「男性も今以上に性的魅力を解放し、性的消費されよ、そうやって虎視眈々と狙わるることを粛々と受け入れよ」というのが男女同権なのではと思われまする。

そして、そのように男性性的な目で見るような創作は今や無数に存在する。これが数十年も前なら考えられなかった事です。

また、昔と異なり医学の発達した今、まだ技術的には難しく、一般的制度倫理も今は許さぬとはいえ男性でも出産をするという可能性も見えてきております

あらゆるリスクも、コストも分け合う未来というのは、近くなっていると考えて良いでしょう。そういった自由を常に勝ち得てきた。

だのに未だに我々はフェミニズムを唱えながら、その口で男性女性だで区別を為す。

これが如何に愚かしいか気付かずして、何がフェミニズムか?

真のフェミニズムとは、男女なる概念社会通念から消し去ることだと言っても過言ではありません。

無論、その自由を奪う事は許されません故、あくまで名乗るのも志向するのも自由でしょう。

然し、真のフェミニズムとは「どのような身体を持とうとも、その意は自由に選べること」であり、決して人の嗜好を怪しからん端なしと規制することではない。

それこそ、人の衣服規制する名誉男性仕業と言って差し支えないでしょう。そうやって、子供の服まで勝手規制するような親の役割に終始していれば満足なら、一人で人形遊びしているのがお似合いでしょう。永久に締め付けの再生産をすれば宜しい。

されど、そのように本質を損なった批判非難は、何を述べ立てようと偽善であり、偽のフェミニズムである

それを言う側も聞く側も履き違えるなというのが、私の結論であります。このような存在自称でも「フェミニズム」と取られられる方が迷惑なのですから

本当に恥を知ると良い。としか

令和四年 四月二十一日 追記

また文章の読めない戯けが数人増えたようですな。

前のは消えました哉。滑稽。

2021-12-22

anond:20211222085148

よくわからんけど、

ラブライブのようにスカート履いた女を全面に押し出すな

宇崎ちゃんのように胸が強調されたTシャツを着た女を全面に押し出すな

キズナアイみたいにパンツスタイルだけど露出が高いか広告に出すな

みたいな感じで、

女が女性解放運動で勝ち取ってきた権利表現規制論者の舌先三寸で放棄するなってことじゃね?

表現規制推進派は女性が着る服を制限するな

どうやら表現規制派は「表現の自由戦士は〜wwwwww」と上から目線(なんで皆上から目線しかできないのかわからないけど)

で煽ってくるくせに、

女性が着る服がミニスカ露出過多などではないほうが「女性」が尊重され自由となり権利が守られると、これまた上から目線だが思ってるようだ

でも世界的な女性解放運動とかでせっかく服飾が自由になってきたのに、これでは逆戻りになる

イスラム系の国々だと女性の服がこれでもかというくらい露出禁止されてるけど、これって女性尊重自由権利もない状態だよね?

日本でも昭和あたりでさえイスラムほどではないけど女性尊重されていなかったように思う

結局表現規制を進める奴は、女性尊重なんてしてないしそれこそ「自分理想押し付ける」ことしかしてないよね

それって「表現の自由戦士」って揶揄してる人と同じような強引さで進めてるってのがわからないのかな?

2021-09-26

今の日本フェミニズムに対する素朴な疑問

例の騒ぎで、今の日本フェミニズムは、女性容姿に対して制限をかけようとしてるように見えるわけだけど、今の日本フェミニズムは、昔の女性解放運動(平塚らいてうとか)とで反対方向に走ってるのはなんでだぜ?

女性である私は「フェミニズム」と聞くと、後者イメージを求めたくなるんだが、これって間違ってるんだろうか?

2021-09-21

anond:20210920092539

タリバンは、イスラム教の急進派の一派。

フェミニズムは、少し複雑だけど17世紀の市民革命起源とした女性解放運動ルーツとなっている。

カトリック派のキリスト教否定するとともに、信教の自由思想が成立する。

18世紀のフランス革命では、新たに人権という新しい価値観も生まれた。

フェミニズムを含めた欧州近代社会には、人権信教の自由がある。

しかタリバンにはそのどちらもない。

にもかかわらず、フェミニズムタリバンが同じ思想を持ってしまっている理由については謎だ。

17世紀の市民革命は、イスラム教と同根であるキリスト教のもの否定はしなかったということだろうか。

2021-08-15

女子スポーツ選手給料

女子選手給料が安いのは差別ではないか? というのは割と定期的に話題になる。

これには構造的な問題があり、多くの競技男子競技人口より女子競技人口の方が少ない場合が多い。

競技人口が少ないので助成金などの割当が少なくなりがちで、競争による競技レベルの向上が起こりにくくスポンサーも付きにくくなる。

この競技人口が少ない事への原因に女性差別的な要素があるのではないか? という指摘が昔からある。

女の子スポーツなんてしなくていい」「ああいう野蛮な競技女性がやるべきではない」といった家族社会圧力がそうさせているのではないか? という指摘だ。

元々女性スポーツという命題女性職業選択と合わせて、女性解放運動の根幹を担ってきたものでもある。

女性保護されるべきだ」という考え方が「だから女性仕事スポーツなどすべきではない」と変化し、女性の行動の自由が著しく制限されてきた歴史がある。

そういった行動の制約からの開放こそが女性解放運動の本質であり、女子スポーツ選手給与問題もその文脈の延長線上にあるものだという事は理解しておかねばならない。

無論、単純に女子スポーツの人気が無く収益性が低いという面はある。

しかしその原因に女性差別的な要素が含まれている以上、そこは是正する必要がある。

また性差を抜きにしてもスポーツ選手給与格差は問題を孕んでいて、引退後のセカンドキャリアなども含めて幅広い議論を進める必要もあると思う。

女性スポーツ選手給与問題女性だけの問題だと捉えると色々と見誤るのだ。

2021-08-11

最近はてな匿名ダイアリーでここまで感銘を受けた日記は滅多になかった。素晴らしい。

anond:20210810181919

これまで見たフェミニスト自称している人の中でもここまで潔い人はそう見た事が無くて好感が持てる

はっきり申し上げておきます部落差別より女性差別のほうがひどい。上記にあげたような苛烈差別事例を知った上で言うことです。その理由ひとつに無徴の存在である部落民に対して女性は有徴の存在であり、部落差別から逃げるために素性を知られてない遠方に引っ越すという手段もあり実際多くの人がそうしていたようですが、女性女性であることから逃げる手段自殺しかありません。

男性男性から降りていい~とかそんなに男が嫌なら性転換手術でもすればいいのでは?みたいな無茶振りする人を比べたら大分潔い

女性女性であるから逃げられないけど男性はいつでも逃げられるじゃんってスタンスなら知らないけど

から一歩出るだけで醜いおっさんジーロジロ品定めここから逃げる手段ないんすよ

これも偽善者ルッキズムエイジズムだ言われそうだけどまあ女性から見たら醜いおっさんってはっきり言って死んでほしい存在だよね

なんだかわからないけど女性差別問題は怖いから少しでもセクハラと誤解される表現自主規制しよう、万が一表に出てしまったら即座に責任者の首とばそう、そんなふうになってくれたらいいのにと夢見て泣きそうになります

近年フェミニズムの影響で少しずつそう変わりつつあるのでフェミニズム成功していますね。

女はやさしさや思いやりといった(あえて言いますが)宿病をかかえています。それは先天的ものか、それとも後天的ものか、両方だろうか?とにかくフェミニスト自称する人たちすら、女性は優しくなければ、人の気持ちが分からなくてはという教条に縛られているので、そういう人たちと肩を並べて武力闘争可能かどうかはあやしいものです。ねえ、やりすぎは良くないよやめよう、とお目目ウルウルのいい子ちゃんが必ずまざってしまい男たちはそのすきをついてくる気しかしません.

やさしさというのは女たちが生まれつき体に埋め込まれた起爆装置なのだろうか?差別に抗戦しようとした瞬間、それは作動し、女の体は爆発四散するのでしょうか?

フェミニストはありとあらゆる差別と戦い弱者に救いの手を差し伸べる庇護である」みたいなスタンスを表明しているせいで足元を掬われている活動家の人は少なくありませんね。

これが貴方のように「女性差別問題以外には興味ねえんだよ!」と割り切ればそうはならないのに、今度は同胞である女性から差別主義者とかエゴイストだの言われるのが辛い所というか。

それで思い出したけど水平社=部落解放同盟は徹底したシングルイシュー在日朝鮮人差別して反省しなかったり、男と女で日当に差をつけて差別してたという話も聞きますイシューを抱え込まないことがやはり運動成功秘訣ひとつであったのかと感じます女性女性というだけでやはりシングルイシューはいけないといった脅迫をされます。色々な差別問題に敏感ではなければいけないような圧力にかかって、あらゆる差別に眉をひそめなきゃなんないあの感じ、全ての弱者のために涙しなきゃいけないような義務感、女だから聖母を求められてるんですよね。それもバー死ねでございます女性差別以外知ったこっちゃねーでいいんだお

フェミニズムLGBTとくっついたのは良くなかったと思いますね。そのせいで変態男を女子トイレ女性更衣室に入れて良いか否かというどうでも良い事でもフェミニスト同士が争う事になってますし。

実際黎明期フェミニストというのは女性差別以外はどうでもいいと思っていたか成功した所はあると思うんですよ。昔の女性解放運動の先導者が黒人差別はいけない黒人にも自由を!なんて言ってたと思います

解説文でだんなさんが男社会のなかで女性としてうけていた差別があったか部落問題に熱心だったのでは的なことかいとるけどんじゃー女性差別問題に集中すればよかったのでは、女なら自分当事者である女性差別問題に注力すればいいのに、しろよと思ったし、そうすべきだろがいすら思うんだが、そういった、正しくない女柴田の正しくない思いで発刊された、正しくない存在である力作のこの本によって後世の人間である私が歴史を知ることができたわけで、そしてこれは間違いなく後世に保存し読みつがれるべき大名著なんです!!!

アンビバレンツな感覚分かります柴田氏は差別される部落民女性というだけで差別される自分を重ねて共感したのが行動力の源だったんでしょうけど、部落なんてどうでも良いか女性のために動くべきだったんです。

現在フェミニスト自称している人間達は女性だけでなく男性性的少数派も救う!と聖女ぶっているのが各所で嫌われている一番の理由ではないかと、本当にそう思います

ところで今更なんですが、元増田さんの文章女性ありがちな自分を良く見せよう、常に綺麗でありたい、加害者になるなんて絶対に有り得ない」という女性ならではの意思が見られないんですが、ひょっとして男性だったりします?

2021-08-10

anond:20210810181919

やっぱり権力もなにもあてにならずとにかく徹底的に相手に恐怖という根源的感情を植え付けて支配するしか対抗の方法は無いのかな

あなたと同じようなことを考えた榎美沙子中ピ連をやっていたけど消えちゃったね。女性解放運動における失敗例で負け組、というのが一般的評価ではないか

一方、方向性は榎と同じようでありながら、世渡りと金けがうまい上野千鶴子東大教授上り詰め、ベストセラー印税で儲け、退官後は高級タワーマンションと別荘で悠々自適の老後を送っている。女性解放運動における勝ち組と言っていいだろう。

差別するやつをただびびらせればいいというのはアホの発想。結局は経済力がないと差別から解放されない。もちろん権力必要。人を操縦する器用さも必要あなた頭脳でそれができるかな? あなた文章、失礼ながらあんまり頭良さそうに見えないけどね。

2021-06-24

知の巨人立花隆先生

知の巨人立花隆先生によるウーマン・リブ批判

 文化人類学者たちの報告によれば、現代においても、アマゾンとまではいかなくても、女性上位の社会はいくつか存在するようであるしかし、地球上の大部分の社会では、我々の社会のように、男性上位になっている。これに不満をいだく一部の女性たちが、最近ウーマン・リブとやらいう運動をはじめて話題を呼んでいる。ウーマン・リブとはウーマン・リベレイション、つまり女性解放のことである

 だいたい女は男にくらべて脳細胞の数が少ないせいか(日本人場合、脳の重さの平均値・男1372.9グラム、女1242.8グラム)浅はかさと愚かしさをもってその身上とし、それがまた魅力ともなっているのだが、浅はかさもここまでくれば、いささか許しがたい。

 女性解放運動というのは、昔から禁酒運動と同じくらいポピュラーで、同じくらい成功率が低いものである理由簡単禁酒を望む酒飲みと同じくらいの比率しか解放されたいと願う女性がいないからだ。

 ウーマン・リブ指導者にはくやしいことだろうが、大多数の男が男らしくありたいと望むように、大多数の女は女らしくありたいと望んでいる。

 ある日、男らしくない男たちが大同団結して、男らしさが、侵略反革命を支える。男らしさの返上。男らしさの基準で男の優劣をきめる社会に怒りをたたきっける」とわめいてデモりだしたとしたらどうだろうか。あるいは、突然豚に知恵がついて、豚らしさの返上。豚らしさの基準で豚の優劣を決める社会に怒りをたたきつける」と、ブーブーいいだしたらどうだろうか。

 女性特有思考様式は、現実無視して議論を展開することである

 現実第一。原始、古代社会においては、母権社会アマゾン社会がかなり存在したにもかかわらず、いまは見る影もないということ。これが意味するものは、女性上位社会は、人間社会史において自然淘汰された不適応社会であるということ。社会不適応性は、その社会体制維持のために、どれだけのエネルギー必要とするかにかかっている。

 歴史上、女性は抱く女から抱かれる女へなることによって自己解放をなしとげ、現に解放された存在なのであるウーマン・リブ志向しているものは、一種先祖帰りでしかない。それはフランス王統派と同じくらいアナクロである

 ウーマン・リブ幻想をかたちづくっている現実無視の第二は、女性生理的にも心理的にも、抱くよりは抱かれることに適しているのだということに目をつぶっていることにある。人間生殖器官の構造機能を一べつしただけで、生理的に、男性能動的、女性受動的にできていることがわかろう。

 心理的には、女性心理学第一人者、ヘレーネ・ドイチェが指摘するように、女性特性ナルシシズム受動性の二語につきている。しかし、不幸なことには、ごく一部の女性は、正常な女性心理の発達を阻害されて、抱かれることより、抱くことを望むようになる。

 マリー・ボナパルトは、正常な女性は膣型であるのに対し、この種の精神的不具の女性は陰核型であるという。陰核は発生学的にいって未発達のペニスである彼女たちは、膣という素晴しい道具を持っていることを知らずに、陰核がペニスなみでないという点に欲求不満を持ちつづける。その結果は、真のオルガスムスをついに味わえないという結果になる。

 ウーマン・リブは、一夫一婦制を、女の性欲求の封じ込めと非難するが、これは彼女たちが精神的不具者であることを公表しているようなものだ。正常な女性の性心理からは、女性が自ら一夫一婦を望むものであることは、あらゆる心理学上のデータ証明している。

 多淫な女、複数男性を望む女は例外なく冷感症、不感症なのであるオルガスムス不全がニンフォマニアウーマン・リブを生むといっても過言ではない。女性が真に解放されたいと望むなら、早くオルガスムスを味わわせてくれる男を見つけることだ。そしてそのときオルガスムスを味わうためには、女は抱くことより、抱かれることが必要なのだということを忘れないことだ。

 立花隆文明の逆説 危機時代人間研究

知の巨人立花隆先生による井田真木子著「プロレス少女伝説」評

 「プロレス少女」はどうでもいいことを巧みに書いた典型のような作品である

 私はプロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。そういう世界で何が起きようと、私には全く関心がない。もちろんプロレス世界にもそれなりの人生模様がさまざまあるだろう。しかし、だからといってどうだというのか。世の大多数の人にとって、そんなことはどうでもいいことである

 大宅壮一ノンフィクション賞発表 文藝春秋 平成3年5月

2021-04-12

働く女性・専業主婦・風俗嬢を広く救えるフェミに戻ろう

男女雇用機会均等法(1986)で「女性社会進出」というフェミニズムの具体的課題一定の達成を遂げた後、主流派フェミニズム売れっ子研究者達は社会における女性表象批評男性批判など、より抽象的な男女差別の話に目を向けるようになっていった。それはそれで大事なことだと思うけど、女性貧困というリアルテーマについては結果的に徐々に主流派フェミニズムから言及されなくなった。1990年代には『ふざけるな専業主婦』の石原里紗彼女フェミニストではない)が火を付けた「専業主婦論争」というのもあったけど、このとき専業主婦についてのフェミニズム側の評価ははっきりしないまま下火になってしまった。私見では、当時の主流派フェミニズムでは専業主婦というのは「間に合わなかった人」の扱いだったような気がする。女性みんなが(男性並みの待遇給与で)働く女性になれば、女性生活をめぐる諸課題は解消に向かうけど、いま専業主婦をやっている人達はそれは難しいかもしれませんね、でもシャドウワークにも価値があるんだからちゃん評価しましょうね、みたいな。認めてるけど結果的バカにしてる、みたいな。

女性貧困」というテーマについて地道に調査研究していた女性/男性研究者達はその後もずっといたけど(後述)、そういった人達上野千鶴子小倉千加子のようなスター研究者になることはなかった。当事者の声では、自分の知る範囲だと、専業主婦たちによるオルタナティブフェミニズムの読み解きをしていた「シャドウワーカー研究会」が、そうした主流派フェミニズムに対して同人誌模索舎とかで売ってた)で非常に辛辣な指摘をしてた。最近だと『ぼそぼそ声のフェミニズム栗田隆子もこの系譜に連なるものだと思う。

あと、もうひとつ女性貧困と密に関わるテーマとしてセックスワーカー問題があるけど、これも主流派フェミニズムでは微温的な取り扱いのままだった。SWASH要友紀子さん(『売る売らないはワタシが決める』)ほかワーカーの当事者運動が出てきて、ようやくフェミニズムの界隈でもそれなりの認知を得た形だけど、未だに主流派フェミニズムにとってさほど重視されているテーマとはいえない。特に地方女性支援センターみたいなとこに巣くってる公務員フェミニストは毛嫌いすることも多い。

いまは働く女性専業主婦セックスワーカー、みんなを支えるような「お金労働の話をするフェミニズム」が求められてるんじゃないか。これは新しいフェミニズムというより、伝統的なフェミニズムへの回帰だ。かつて山川菊栄というものすごい女性解放運動家がいた。明治まれで、山川均の妻で、戦後労働省の婦人少年局長をやった。母性保護論争で与謝野晶子平塚らいてうの論争に乱入して歯に衣着せぬ論理的批判で両方ともノックアウトし、ついでにモブ役だった伊藤野枝までボコボコにした驚異のつよつよフェミニストだ。後期江戸文化についても造詣が深く文化史家としても評価されているがそれはまた別の話。このひとはもともと社会主義者だから女性労働問題というのを生涯のテーマにしてきた。戦前家事育児社会化を主張し、60年代日本高齢化社会について警鐘を鳴らし、70年代北欧福祉政策を紹介した。未来学者としても卓越していたんじゃないかと思う。

その彼女名前を冠した山川菊栄賞という賞があった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E8%8F%8A%E6%A0%84%E8%B3%9E 受賞者の研究テーマをみれば、決して社会的には目立たなくても、さまざまなかたちで「社会的に弱くある立場女性たち」に注目して課題を掬い上げる実直なフェミニズム女性学の伝統がみてとれる。声の大きいスター研究者にも山川菊栄精神に立ち戻って、具体的に実践的に女性生活を良くするような取り組みに力を貸してあげてほしい。

あと「弱者女性弱者男性のどっちがしんどい」みたいな議論は、ぶっちゃけ言えば低付加価値寄りの労働者階級が男女でいがみ合ってるだけで、どっちが勝っても勝った側がすごく得するような対立じゃないと思う。抜本的に良くするには、横(異性)から取るより、上(上の社会階級)から収奪されてるものを一緒に取り返したほうがいい。幸いこれからしばらくは働き手は不足し続ける。労働運動の軸では弱者女性弱者男性は協力できる部分もある。ミソジニー持ちのクソ男やそれを再生産する社会構造のことは批判しつつ、それでも「もらってない人間」同士で連帯していったほうがいいんじゃないかと思う。

anond:20210412131854

2021-03-19

フェミニストはいい加減ツイフェミ排除したほうがいい

概要

性差別容認しない人がフェミニスト、いわゆるツイフェミミサンドリストなどの性差別者。

②ツイフェミフェミニストではないし、フェミニストはツイフェミ=性差別者を容認できないはず。

フェミニストがツイフェミ排除しない、しようとしない限りフェミニストの一部として見られる。これはフェミニストにとって不利益。だからツイフェミフェミニストではないという主張を大々的にすべきではないか

 ここでいうツイフェミSNSフェミニストを名乗りながら差別的過激な主張、活動を行うものを指す。

本文

 フェミニストとして物申したいんだけど、いい加減ツイフェミフェミニストとして切り捨てたい。

 いや、ツイフェミフェミニストと違うことなんてここでは当たり前のことだと思う。なんにでも噛みついたり、クソリプ飛ばしたりする頭のおかしい人ばかりじゃなくて、真面目に性差別を無くそうと取り組んでいる人がいたり、自分からは動かなくてもそれに賛同して活動に参画したり、声は上げずとも自分だけでも変わろうと思うまともなフェミニストがいるのは、まぁはてななんて見てる人は知っているだろう。しかし、世の中はそういう人ばかりじゃない。

 ツイフェミフェミとついてる通り、フェミニストを名乗っている。フェミニズムは女性解放運動なんて捉えられがちだけど、男女同権、男女平等が根源の主張であって、男性差別するためのものではなく、これも等しく容認できないはずだ。

 ツイフェミフェミニストは違い、同様に見られてはならない。しかし、世の中の大半はツイフェミのような声の大きく目立つ頭のおかしい主張を見て、フェミニストフェミニズムを誤解してはいないだろうか。それはフェミニストにとって大変に不利益なことではなかろうか。

 そのために私は、フェミニストを名乗りながら異性を攻撃する輩を、そろそろ本格的に排除しなければならないと考える。少なくとも、フェミニストはこれを容認しないという動きを見せるべきだと考えている。

 もしかしたら私が知らないだけで、そういう動きはすでにあったのかもしれない。でも、私はそれを知らないので、多分あったとしてもあまり大きなインパクトは無かったのではないか。もし有名な活動としてあれば、私が無知であるとして教えて欲しい。

 

返信

フェミニズムは一人一派だよ。 フェミニストを自認している人のメッセージ全てがフェミニズムのメッセージだよ。 女性のことを思う同志を斬れなんてまともな提言とは思えない。

フェミニズムを自認しながら性差別をおこなう矛盾した存在フェミニストか。

そしてこれをフェミニストという枠に置くことは容認できるのか。

女性のこと"のみ"を慮るのは同志ではなくないか

私がおかしいのか?

2021-02-14

anond:20210214175417

物凄く難しい事なので実戦出来る人は殆ど居ないと思う

女性解放運動に限らず人権の獲得を目指す運動は「ちゃん人間として見られていない人が人間として見られる事」を目指しているので

フェミニズムは「人間として見られていない」とされている女性が「人間として見られる」という本当に解決されるか難しい目標のために活動しているらしい

2020-11-04

anond:20201104071702

スカートが短くなって脚を見せるようになったのは、女性解放運動が起きた19世紀後半以降なんだ。

保守的な人なら、19世紀後半より前のように、くるぶしまで脚を隠すロングスカートか、パンツスタイルになるよ。

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