はてなキーワード: 披露とは
※つらつら書いてたら8000字超えてて文字数制限引っかかったので分けました
【追記】アイカツ!に引導を渡された
https://anond.hatelabo.jp/20200812183017
5か月前にこんな増田を書いた。
当時ファンが思い浮かべていたものとは異なる"実写ドラマ"をお出しされ、世のアイカツ!ゾンビは無印至上主義派・過激派・穏健派の3つに分けられた。
俺は無印もスターズ!もフレンズ!もオンパレード!も好きだ。当然完全新作アニメで行くと思ってたのでいきなり実写で、顔も知らん女性たちが、ステージで、歌って踊る光景を見せられて思考が完全に停止し、ついて行けるものだけついてこいと言わんばかりの、濁流のように流れる情報に身を任せるしかなかった。
「アワセール」というひみつ道具で「セミは卵を産み木の上で子育てをする」が常識となった世界で白目になるスネ夫状態になったもんだから、もちろん情報なんてまるで頭に入ってこないし、9年という時間で作られた棒でひたすらぶん殴られた気分だった。翌日になっても「あれは夢の回だったのか…?」と記憶を改ざんするほどで、Twitterで「アイカツプラネット」と検索をかけ公式に暴言を飛ばす品のないツイートを見かけて夢じゃないことを認知した(してないし検索もしてない)(こういうのスタッフは結構見てるからマジにやらない方がいい)。とはいえ何も手につかなかったので仕事の合間に書き殴ったのが上記の増田である。
そんな波乱の新作発表だったアイカツプラネット!
当初秋放送だった本編もようやくスタートし、墓から掘り起こされたアイカツ!ゾンビはどうなったのでしょうか。
ここが凄いよアイカツプラネット!
・マイキャラちゃんのパーツがめっちゃ多くなった
顔・前髪・後ろ髪・メッシュ・目・目の色・肌の色・メイク・メガネ・初期ドレス…とかなり弄れるようになりました。
なので他のマイキャラちゃんと被りづらくなったのは嬉しいですね。オンリーワンのマイキャラちゃんで強敵に挑め!!
・モデリングが超進化
DCDアイカツ!シリーズのマイキャラちゃんを初めて好きになったと思う。めっちゃドキドキしたわなんなんこれ可愛すぎる。
もちろん版権キャラも可愛いぞ!俺のオススメ「ノエルスノーマン」を着せてやれ!可愛いから!!!
・横画面
縦は動画で見る時狭いんだよね~~~~~~!!!やっぱ横っしょ!!
横画面を縦に2台並べるとかバンダイやるじゃない!!
まぁ上画面はアピール成功した時ぐらいしか見ないんだけどなブヘヘヘヘ。
・曲も頑張ってる
捨て曲ないですね。やっぱりアイドルアニメなんで曲は最重要項目の一つです。
オススメは「キラリ☆パーティ♪ タイム」かな。TRFの「survival dAnce」っぱりに「ウォウウォウウォウウォウォウ イェイイェイイェイイェイイェイ」するの楽しいよ。
どうでもいいけどOPサビの「RIN!RIN!RIN!」の振り可愛くないですか。右から二番目の娘キレめっちゃあるね。
・音ゲーがまぁまぁ新鮮
今まではボタン叩いてたのがタッチパネルになって新鮮。スマホゲーでやってるんだけどね、やっぱり別もんですよ。
精度やノーツ色やラグやらもうちょい改善して欲しいから今後に期待。
・版権キャラが可愛い
8月の初お披露目で数少ない褒められた部分はやっぱり凄かった。みんな可愛い。
百合豚的には幼馴染でアバターの顔がいいシオリを推したい。設定だけ見るとどう考えても霧矢あおいタイプの「そういうことだろ」なキャラなのは大変うれしいが、ドラマパートもあるからフクザツなんだよな!(ナマモノになるのか?この場合)
つーかシオリは初期アバターも可愛いんだからそれでデビューしても良かったんじゃねーかな。どういう経緯であのアバターになるんだろう。現ハナが偽物だってことがバレて彼女を守るためにあんな顔が良くなったのか?これもう半分レイさんだろ。いや…普通にシオリには自分だけの光を明確に持っててそれを反映させたんだろう。イイヨイイヨー。
どうでもいいけど彼女の髪型の上半分がジョジョ六部のエルメェスの兄貴と同じということに気付いてから冷静に直視できない。
で、↑の文書いたの1話終了後なんですよ。2話見たのね。ルリ可愛すぎない??????????????
えっお前マジ版権絵だと顔がいい美人でさわやかクールキャラだと思ったらキュート過ぎるんじゃ!!!!!神谷奈緒じゃん!!!!!!!!!!キャラデの方のカウントダウン絵でもそんな感じだったから完全に騙されたんですけど!!!!!!!!
いやもうほんとギャップに〇された。あんな顔良いのにリアルアバター共に裏表なく人懐っこくて元気ハツラツでハナに勝ってめっちゃ喜んででも実は別人で混乱するテンションの緩急が忙しい娘、なのに仕事ではバシっと決めるって……こんなん推すしかないじゃん!!!!!!!!!!!!あの顔で無邪気キャラとか死人が出るぞ!!!!!!!!!!!!!
オフはポップで仕事はビシっとキメるって…これ半分おと蘭だろ(百合豚)。オンオフの切り替えがちゃんと出来てる娘は見てるだけで楽しい。やっぱるりルリなんだよな~~~~~~~~~!!!!!!!!!
彼女はあんまり細かいことは気にしなさそうというか、パッパラパーに片足突っ込んでそうな感じ(失礼)なんで「あのハナに勝った!嬉しい!!」からの「別人でしたー」っつわれて混乱しただけで済んだけど、これ多分別の奴がやられたらブチ切れそうなんだよな…キューピットなんかそっちのタイプだと思う。ハナシオリとルリで話回すのかどうか気になりますね。一人ああいうタイプいるだけで回しやすくなると思う。ゆるゆり京子タイプ。
キューピットも敬語キャラだと思ったら軽率に顔や胸の前で♡やらピースするしメタデッキ組んでくるバリバリガチ勢だしその癖属性メタってだけでただのR一枚しか使わんくてこいつ勝つ気あんのか分からんし舎弟引き連れてるしそいつも中々いい性格してそうなのが強い。早く活躍させてくれ。
もう吐く。あまりの可愛さの洪水に幸福過多で毎週オロロロ吐いてる。もう無理。アニメパート15分は短すぎるから30:30の1時間番組にしてくれ頼む。
放送前はこの作品に金落とせるのか…?と不安だったんですよ。キャラは確かに可愛いけど心から愛してなかった気がするし。
プラモも同じで、デザインを気に入ってもこいつがどういう活躍をするのか、どんなバックボーンがあるのかを知らないと買えないんですね。ガワがよくても中身を知らないとどうせ積む。
でも杞憂でした。アイカツプラネット!のキャラめっちゃ好きになった。もうバカみたいに金使っちゃうね。大人をなめんなよ!!!!!!
アイカツプラネット、ギャップ萌え(死語)が強過ぎる。
・意外とアイカツ!してる
ひょんなことがきっかけでアイドルの扉を開く→意外とデキる→でもまだまだなんで段階を踏んでアイドルとはなんぞやを学ぶ→アイカツ!がきっかけで周りに人が増える→壁を乗り越える(予定)
と、まだ2話目ですが無印を彷彿とさせる構成におじさん泣いちゃった。なんだよ…アイカツ!してんじゃねぇか……。
実写やりまーす^^っつわれた時は本当にどうなることかと思ったけど歴代スタッフで固めたからか、意外や意外ちゃんとアイカツ!してて安心したよ。アイカツプラネット!を信じて本当によかった!!
「ハナの中の人を変更したことは後々正式発表します」って展開は、完全にその前にバレるパターンだよな。あと中身を変えて活動することは、発表するまでの間ファンと対戦相手を騙し続けるってことで……やっぱりDMFよろしく空き缶投げられる展開来るか?!(あの世界のファンちょっとガラ悪いよね) ここを乗り越えてハナはオリジンになるんやな…;;壁を乗り越えろ、歴代主人公がそうしてきたように!!(らき公のピンチってツバサ先輩にガチ説教されたことぐらいしか思い浮かばない)
・アイカツ!シリーズである
これだよな。新作見られるのは嬉しいよ。
ここがアレだよアイカツプラネット!
・PRが出ねぇ
無印時代のアクセサリーと同じかそれ以上に出ない。死。
1プレイ200円でこれはかなりきつい…それでコーデが揃うとはいえ、従来の倍の値段を筐体にポンポン入れる親はあんまいなさそうなのでメインターゲット辛そう。もちろん遊びの場を間借りさせていただいてる俺も辛い。
その救済で廉価版のCPなんだろうが、やっぱオリジナル欲しいじゃないですか。
なんか中古の値段も凄いことになってんね、全盛期ゴスマジハットやモノブロックコーデ、1/400アクセより高いんじゃない?
・使いたいドレスが低レアリティだとボコられる
俺はヒップホップっつーダボパーカーが好きなんで使いたかったのに相手が高レべドレシアで固めてきた為戦略的に使えなかった。
じゃあ難易度が「やさしい」で「よわい」CPU相手にすればいいじゃんって思われるかもしれませんが、低難易度は単純につまんないんですよ。
使いたい低レべドレシアの為にゲーム性を犠牲にするか、勝てるか分かんないけど楽しくやりたいから高難易度を攻めるか…場合によるけどどっちかったら俺は後者かなぁ。
ただそれで負けちゃうと連勝数がストップするし、戦績も悪くなるジレンマ。だから使えなかった。勝率等が可視化されてる以上こういうのは高い方が見栄えがいい。バンナムのガンダムのクソゲーも戦績付いてから一気にギスり出した印象なんであんまいい印象ない。ギス出してギスギスするってか。ガハハ!
前作の「旧Rカードですごくむずかしい選んだらゲージが全く増えなくてギリギリの戦いを強いられたけど特に失うものはないので楽しめた」が今作の場合、「明確に減るものがあるので勝たないと損する」に変わったっちゅーか。やはり勝率システムは害悪……。
まぁ、ここら辺はうまくデッキ組めば低レべでも勝てるっちゅー話なんで…。音ゲーうまくなれば無双できんのかね。
・マッチングしない
対戦ゲーでCPU戦とか何が楽しいの?派なんで全国対戦選んでるのにあんまマッチングしない。生身の人間と戦わせてくれ。
・ドレシアチャンスで勝てないとドレスを着れない
これやっぱ負けても着れるようにしてほしいんだよな~~~~前にルリに三タテかまされて汎用ワンピ一枚で晒しプレイされたマイキャラちゃん見て泣いちゃったよ(泣いてない)。
辱めを受けないよう強くなるのがいいんだろうが…もうちょっと手心をさぁ、そこまでシビアにならんでもと思わんでもない。
アニメのステージバトルは両方ドレス着てたじゃねーかよえーーーっ!!なら最初からDCDもその仕様にしろや!
そりゃ販促アニメで初期装備のワンピじゃカッコ付かんよなぁ。それはDCDでも同じなんだから早急に何とかしてくれよ!せーーーーーーーっかくきゃわわなドレスをゲットしても音ゲーで勝てなかったら意味ねーじゃねーか!バトル開始時は最初に選択したドレスを着て、ドレシアチャンスに勝てたらアピール出来ますだけじゃいかんのか?
・ランキングが連勝数依存(みたい)なので雑魚狩りが横行する
正確には雑魚狩りではないけど、アイカツ!で雑魚狩りなんて言葉使うとは思わんかった。
要は連勝数ストップさせたくないから「よわい」相手と戦うってやつ。
手持ちが少なかったり音ゲー部分に自信がないと強い敵と戦いづらいよね…あえて強敵に挑んで緊張感を味わうのも楽しさの一つ。
ただランキング伸ばすのが連勝補正ありきならそれもう作業プレイにならん?前シリーズと比べて搾取が強くなってるっつーか…仕切り直しで搾取部分が強化されゲーム部分がおざなりになるのはバンダイ(ナム)伝統だからしょうがないね^^; なわけねーだろが!
・「よわい」がよわくない
平気で高レアデッキで固めてくるのなんなんですか?修羅の国ですか???
そもそも難易度ごとに選出されるマイキャラちゃんって何基準なんだ?音ゲーの精度が微妙だったとか?
よわいならよわいらしくLv.2や4のドレシア使ってくれよ…怖くて選べねぇよ……。
・「よわい」を止めろ
ちょっと配慮がないっつーか、言い方ァ!!って話ですよ。今までのアイカツ!シリーズなら「やさしい」じゃない?
こういうとこだと思うんだよね。バンダイのゲームってさ、なんつーかさぁ、細かいところが行き届いてなさすぎる。
開発が変わったからそういう部分が共有されてないのか?スターズ!ぐらいバチバチに殴り合いする世界観だったら「よわい」でもまぁいいと思うんだよ、もうちょっとオブラートに包むかもだけど。結構直球に「自分のブランドも持ってない人に興味はないわ」っつったこともありましたし。
まぁでも今作は明確に「バトル」という言葉を使っているので「よわい」「つよい」で行くんだろうなって納得は出来る。けど俺はまだ本作の世界観をきちんと理解していないから、「よわい」は少し解釈違いです。「にがて」でもいいんじゃねーかな(対象が相手か自分か分かりにくいか)。
嘘松認定されそうなんですがこれはマジ話で、親が「よわい」を選んだら子供が「なんでよわい選ぶの~~~かわいそうじゃん~~~!」てグズってる光景を見かけました。子供は小2ぐらいかな。それだけの話。
・スキルの発動条件にマイキャラちゃんのパーツを指定するな
パーツを自由に選んできゃわわにするのが楽しいのに制限掛けてどーすんだよアホかマジで。
これ設定した奴はマイキャラちゃんに愛着ねーんだろうなって思う。スキル無視すりゃいいんだろうけど少しでもバトルを優位にしたいじゃないですか対戦ゲーなんだから。ただその発動条件をマイキャラちゃんのパーツにするなって話。色々なパーツを試してほしい!ってことなのかね。したらまぁ…気持ちは分からんでもないけど開発のエゴでしょ、それを決めるのはお前じゃねぇよ。
・音小さい
全筺体共通っぽい。マジに音小さくてバトル中曲が聴こえない。隣の隣の太鼓にかき消される。
・棒
ストライクウィッチーズのエイラやゼーガペインのカミナギのような、成長途中(最大譲歩表現)枠は1人いりゃ十分なんですよ。全員それにしちゃずっこけるよ。
元々地方アイドル出身だから演技自体ほぼ未経験なんだろうか。ボイスも売りの一つなんだからもーちょい頑張ってほしかったってのが本音。
本編はドラマ演技含め意外と良かったんでそっちが良ければまぁ…いいのか?DCDのボイス追加はあっても撮り直しはしないだろうし。
・名前が多い(これはただ単に多いなって思った程度なのでアレとかソレとかじゃないです。愚痴じゃないです)
俺多分アバターの名前しか覚えられないと思う。
・音ゲーで対戦って楽しいんか?
対戦ゲーって相手に嫌なことしてそれが通った時の屈服感を味合わせるのが面白いんじゃないん?て。
元も子もないこと言うと音ゲーで対戦って面白いんか?結局自分との勝負じゃん音ゲーって。タイミングよくノーツタップするかってゲームだし。
いや……うーん、はい。楽しいです。ただこれは対戦ゲーの面白さってより音ゲーの楽しさだと思わんでもない。
続き
何が嫌いって、質問者に寄り添った回答じゃなくて
どっかのサイトから丸々コピペしてきたんじゃねーかっていう回答の仕方をするのが嫌い
全体的に回りくどくて、資格持ちの俺でも分かりづらい程度には説明がくどい
たまに本気で何言ってんだコイツ?って思う。ちゃんと読むと筋が通ったことを書いてるんだけど、とにかく分かりづらい
足し算のやり方おしえてーって小学生に足し算の起源から説明してる感じがするの
小学生が知りたいのはそこじゃねえのよ。19+11はなんで答えが30になるの?って疑問に対して起源を説明するやつは居ねえだろ
質問者はやり方がわかんねえって書いてんの。足し算の起源教えてくださいって書いてねえよ
問題文のこれとこれが必要です。それで、これとこれを掛け算するとこうなります。後これは、例外的にこういう性質があるのでこう計算してください
って説明すりゃいいじゃん。丸暗記した知識を使わないと解けない問題だって
計算内容と、補足としてこの問題を解くには知識の丸暗記が必要だから、覚えてないなら覚えてね。試験によく出るよ
で、いいじゃん。それ以外の情報要るか?ガチャガチャと豆知識みたいな内容を書き連ねる必要ないだろ。その内容の8割は試験の範囲外だぞ
仕事の規模は違えども、こういった小さな大きなミスってどこにでもある。
よーくわかる。しかもそれが自分が担当で、ミスが判明した時に体から血の気が引くあの瞬間。
自分達の部署の場合、完成品を取引先に披露した時に今回の様なミスが発覚した。
「これ、どういうことですか?」
こうなると主導権は向こうの物。
「これはまずいですよ」
納品する物の機能的には全く問題無いが、パッケージに誤植があるだけだが、「チェック体制はどうなっている?」、「信用できない」と次々に指摘される。
ミスが発覚した瞬間のあの感じ、もう2度味わいたくない。
完全に劣化TikTokで、ほとんどがTikTokno転載だし隙あらばBTSのDynamiteが流れる。
Dynamiteに限らず同じような音楽に乗せて踊ったりライフハックを紹介したり芸人が狭い業界のあるあるネタを披露してたりカップルがいちゃいちゃしてたりフィルターで修正されまくった女が腰振りダンスを披露してたりと大人からすると地獄のような世界が広がっている。
そんな中で、ちょくちょくなんの会社を経営してるのかよくわからん経営者が語ってる動画を散見する。まあ大抵人材ビジネスを謳ってるから新卒コンサルとかだろう。
いやなんでTikTokとかいう頭悪い世界でビジネス語っとんねんと思ったんだけど、頭悪いピュアなやつら相手にそれっぽく経営とか語っておいたら簡単にカモれるからか。Twitterとかと違って斜に構えたやつら少なそうだし。頭いいな。
短編のオムニバス、絵柄はいちご100%をもっと柔らかく萌えにしたような。多分。10年近く前。
覚えてる話4つ
内容
①巨乳の保育士。主人公はおむすびの配達員(多分)、おにぎり食べてたらほっぺに米粒がついたらしく、保育士の人がいつもの癖でつい、子供達にいつもやってるように直接口で取ってくれる。胸当たってるしチューされたやんみたいな。
②幼馴染の貧乳、短髪、元気がいい。男勝りなとこがあるけど、主人公と話し合い(言い争い)の時急にどっかいなくなる。探しに行くとT字路みたいな廊下(行き止まり)で上の制服脱いで一生懸命外れたブラホックをとめようとしてる。そこを影からこっそり目撃してしまった主人公。
③厳しい女の先生(or上司、同僚)、巨乳、クール系な顔、眼鏡、スーツてきな服。なんか厳しくされる、この人嫌いだけど怖いなってイメージを抱く。ある時校舎裏的なとこに行くとその先生が真面目な顔して座ってて、手には飴の袋(大容量の)。それを一つ舐めた瞬間、「おいし〜〜〜♡」みたいな顔でジタバタ悶えだす、この先生こんな可愛いんだってイメージが変わる、あと目撃した事がその場でバレる。
④ドラマをしたい巨乳の子。低身長眼鏡。肩からかけるドラム。どっしりとドラムに胸が乗る。披露します!って言ってドラムどこどこ叩くと、バインバイン揺れる。主人公は焦りこれ以上やるのはまずい!(揺れるせいではだてきたから)と思い合格にする。
エロくないかもしれないけど、小学生の頃読んでエロく感じた。話は鮮明に覚えてるのに探しても見つからない、すごくもやもやする。
VTuberにスパチャしたけど読まれなかったとか最近反応してくれなくなったとか、その手のお気持ちで吹き上がっている輩を最近目にするけど、それはお前のコメントのタイミングがズレていて面白くないからだよ。
面白くないだけならまだマシだけど、配信者の活動の妨げになってることすらあるよ。配信者のファンだとか配信好きだとか名乗るなら、お前が熱を上げている対象が提供している「配信」という芸について理解しろよ。
配信者ってのは文字通り配信を生業として人生かけてやってる芸人(近年のお笑い芸人に限定した意味ではなく、広く芸事を職業とする人)であって、配信者の芸とは「面白い配信をすること」なんだよ。
配信者のトークが好調に回っている最中とか、ゲーム実況でボスに挑戦してるとか、そういうタイミングで投げられた無関係な内容のスパチャに反応なんか出来るわけないんだよ。「面白い芸の流れ」が切れるんだよ。
ミュージシャンでもお笑い芸人でも舞台役者でも何でも良いけど、なにか別の芸事に置き換えて考えてみろよ。
今まさに大勢の観客が盛り上がっている最中、流れに乗っている芸を、額面がどうであれ一人の客からの投げ銭が飛んできた程度で止める芸人なんか居るわけがないんだよ。
どんな場面でも「面白い芸」を見せる事ができるから芸人は芸人として生きていけるのだし、それをわかっているファンなら芸の邪魔をしないように観客席での振る舞いに気を配るもんだろう。
お前が配信をよく見ている人種なら、配信の内容に反応した通常のコメントが、場合によってはスパチャよりも優先して拾われている場面を見たことがあるだろ。
あれは内容に対して適切なタイミングで面白いレスポンスを返していて、「読んだら配信が面白くなる」コメントだから読まれてんだよ。
あの手のコメントの投稿者は「面白さ」とは何かってのをちゃんと理解してる人間で、配信内容を受けて当意即妙に面白い内容を考えて投稿しているし、配信者もその面白さが理解できるから反応するんだよ。
いわば即興大喜利のお題、ラジオの投稿コーナー、歌舞伎の大向うの掛け声みたいなもんで、熟練した観客が壇上の芸を受けて自らも芸を披露する、その相互関係が面白さを生み出しているんだよ。
その点、額の割に大した反応が貰えていないスパチャってのは、どれもこれも配信の内容とクソほど無関係な内容を意味不明なタイミングで投げていて、配信の面白さに寄与しないようなやつばっかなんだよ。
ただ一方的に愛をぶつけているだけだったり、個人的な事情を盛り込んだ私信的な内容だったり、配信内容とは全然無関係に〇〇と言って欲しい、〇〇やってほしい、みたいなやつだったり。
別にスパチャで配信者から反応してもらおうって考え自体は否定しない。元々そのための機能として用意されているものだし、自分の好きな配信者から直接反応がもらえたらそりゃ嬉しいだろうよ。その気持ちはわかる。
ただ、配信の盛り上がりどころでこの手の内容を投げ込むのは、「今のあなたの配信の内容には全く興味はありません」と言ってるようなもんで、完全に配信者の活動を蔑ろにした態度なんだよ。
お前は確かに少なからざる金額を配信者に支払った上客かもしれない。それでもあくまで大勢いる客の中のひとりでしかなくて、配信者はお前一人のために配信してるわけじゃないんだよ。
お前の「配信者への愛」とか「配信者にやってほしいこと」はお前一人の願望だけど、他の視聴者は全員「その配信者がやっていること」を見るために配信に来ているし、配信者はそんな視聴者全体の方を向いて配信をやっている。
配信者が「大多数の視聴者はこのスパチャの内容には興味がないだろうな」と判断したら、それでも他の視聴者が楽しんでいる流れを切って反応してやるか、それともスパチャ自体をスルーするか、どっちを選んでも損な二択を強いられているんだよ。
お前のスパチャを見た配信者自身が内心では「ちゃんと反応してあげたい内容だ」と思っていたとしても、タイミング次第では雑に対応せざるを得ないんだよ。それはスパチャを送ったお前にとっても、雑な対応をせざるを得なかった配信者にとってもすごく不幸なことだ。
配信者のファンだ、愛しているんだと主張するなら、愛の証明としてファン歴とか配信への張り付き度合いとか使った金額とかを誇るより前に、お前が愛する対象とその活動について理解すべきこと、想像して思いやるべきことがあるだろうよ。
愛する人の活動内容をしっかり理解して、最大限楽しい配信を出来るように気を使ってやれよ。反応を求めるスパチャを送るにしても、配信の流れを汲み取って然るべきタイミングにしろよ。そういう配慮があってこその愛だろ。
配信者が人生かけてやってる芸の性質も面白みも分かってねえ、今やっている内容さえどうでもいいと思ってる、そんな人間が一方的に好きだ何だと言い寄ったところで、配信者が良い反応を返してくれる可能性はゼロだよ。
キュレーターとは,現代美術の文脈において展覧会の企画・運営等を総合的に指揮する人のことである。どんな作品を取り扱うのか,どんなタイトルの展覧会にするのか,展示の順はどうするのか,ライティングは?解説は?チラシに掲載するキャッチフレーズは?等々。
今日のクラシックにおける自主企画の演奏会は,多くの場合「プレイヤーがやりたい演目をやる」ということになっている。もちろんそこにコンセプトやテーマがあったりする場合もあるのだが,美術作品とお客さんをキュレーターという専門家が架橋している美術市場と異なり,クラシック市場にはキュレーションを専門に勉強している人がいない。現状コンサートのマネジメントは演奏家がやっているわけだが,あまりに画一化しすぎているのではないか。クラシック音楽にも,お客さんと作品をキュレーションで架橋する発想があってもいいのではないか。そのあたりのことが気になってのツイートだった。
ということで,このnoteではこの件についてもう少しだけ深堀してみようと思う。久々の投稿ですが,お付き合いください。
目次
1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界
5.まとめ
1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界
繰り返しになるが,現状のクラシック系自主企画コンサートは「演奏家がやりたい演目を披露する場」として機能している。これ自体が悪いわけではないし,演奏家の独りよがりだと批判するつもりもない。もちろん演奏家は選曲やプログラムノートに苦心しているし,そこには確かに工夫の痕跡がある。
でもね,正直クラシックのコンサートの演目って似たり寄ったりじゃないですか。
コンサートに「一度も聞いたことのない楽曲」が含まれていることは稀だし,大体定番曲が並んでたまに新曲初演があるくらい。クラシックのサックスなんかはまさにそうだ。クラシック音楽が「過去の音楽を再現する」文化である以上,演目の重複は避けられない。まぁこれは仕方のないことではある。
ただそうすると,当然誰しもが「同じ曲を聴くなら上手い人の演奏聴きたいよね」と思うようになる。つまり,技術で劣る演奏家の演奏会に行く理由がなくなってしまうのである。
このnoteでも何度も言っていることだが,クラシック音楽は特に「文化的に醸成された良さや美しさの基準」が強烈に機能するジャンルで,「この人あんま上手くないけど個性的で好き!」とか「この若手は下手だけどトッププロにはない魅力があるなぁ」みたいな評価が生じにくい。また,特にクラシックサックスのように難しい近現代曲が必須のレパートリーになっているジャンルは,必須とされる技術レベルが結構高い。例えば音色がめちゃくちゃ魅力的だったとしても「指が回らない人は使えない」「スラップタンギングできない人はコンクールの一次予選の課題曲が吹けない」みたいな悲しい評価が下される。
結果的に,クラシック演奏家市場では「楽器の上手さ」が保障されているプレイヤーにしか人が集まらない状況が生まれやすいのである。これは,ブルーハーツと東京事変がどちらもCDになって成功できるポピュラー音楽とは事情が全く違う。ブルーハーツみたいなパンクロックって,演奏したり作曲したりするのに必要な西洋音楽的技術が結構低いんですよ。川谷絵音や東京事変やKing Gnuの曲とは複雑さが全然違うわけです。それでもブルーハーツとかモンゴル800とかが世間に認められてCDを出しているという事実は,「ポップスはクラシックに比べて多角的に評価されている」ということの証左だろう。個人的にはとても健全だと思う。一方のクラシック演奏家市場は,「楽器の上手さ」がほぼ唯一の評価の観点として強烈に幅を利かせているのである。
「プロの世界なんてそんなもんだよ」というかもしれない。でも,僕はこの「楽器の上手さというパラメーターが最強の世界」が気にくわないんですよね。
例えばこれが「クラシック演奏家育成」をテーマとするソーシャルゲームだったら,と思って考えてみてほしい。
このゲームでは,プレイヤーが最初のガチャで引いたキャラを「一流のクラシック演奏家」に育て上げることが目標とされている。当然キャラクターには「楽器の上手さ」というパラメーター以外にも「音楽史についての知識」とか「自身の活動への俯瞰的視座」とか「個性的な音色」とかのパラメータもあるわけで,キャラによっては「音楽史についての知識」が先天的に強い,みたいなやつもいる。当然プレイヤーもその辺をコツコツ育てたりするわけだ。なのに,「音大卒業」というチュートリアルイベント以降,ゲームで勝っているのは「楽器の上手さ」のパラメータに全振りしてキャラ育成をしたプレイヤーのみ。もっといろんな勝ち方があるとおもってたよ…最初のキャラガチャで「音楽史についての知識」が強いキャラを引いた人はどうしたらいいの…運営しっかりしてくれよ…
まともなゲームの運営なら「これだと勝ち筋がひとつしかないゲームになってしまうな。よし,他のパラメータを育成した人が勝てるようなイベントを投下するか!」などといった対応がなされるはずだ。しかし,このゲームにおいて運営がそのような神対応をすることはない。いつになったら修正はいるの?まだなの??もう勝てそうにないし…リセマラするかゲームやめるかどっちかだな…。
…まぁでも現実世界にはゲームの運営はいないし当然リセマラもできない。だれもゲームバランスの調整をしてくれないのだ。結果的に,「楽器の上手さ」が一定値を超えていない人は今後も仕事がないし,今仕事がある人でさえもそれを上回るパラメータをもった若手が現れた瞬間に仕事を取られる世界になっている。多様性とは程遠い市場が出来上がってしまっているのである。
そこで,「せめて僕の周りにいる音楽家には幸せになってほしい(そして一生楽しい飲み会に付き合ってほしい)」と考えている僕は,「演奏会のプログラミングやプログラムノート等に拘りまくってお客さんの聴取経験を素敵なものにデザインできれば,技術でトッププロに勝てない演奏家にもファンがつくのでは?これってつまりキュレーションでは?」と考えた。
「モナリザ」みたいな超有名絵画を目当てに美術館に行く場合を除き,僕たちは「特定の絵」を見にいくというより「その展覧会でデザインされている体験」に価値を感じて美術館に足を運ぶ。例えば僕は以前「ベルギー奇想展」という展覧会にいったのだが,一つ一つの絵のクオリティというよりも,複数の絵の鑑賞を通して得られたその展覧会全体の印象のようなものに興味を覚えた。「作品の価値」ではなく「作品群を総体として経験することの価値」に感動したのである。まさにキュレーションの賜物だったのだろう。
また,「ベルギー奇想展」というタイトルやチラシに載せられていたペストマスクみたいなデザインのキャラクターにも強烈に惹かれた。頻繁に美術館にいくタイプではない僕でさえ,「行ってみたい」と思えたのである。そして,この辺のこと全てを把握し,「美術館での体験」をデザインする人がキュレーターなのである(と僕は思っているんですがあってますかね。もしかしたら広報にはそこまでコミットしないキュレーターもいるのかもしれない)。
一方,クラシック音楽の演奏会はどうだろうか。そこに「体験のデザイン」という発想が見て取れる場合は少ない。もちろん選曲や曲順にこだわりが詰め込まれていることはわかっている。それでも,普段美術館に行かない僕に足を運ばせたような,「作品群を総体として経験することの価値」を際立たせるようなコンサートってなかなかないんじゃないかな。少なくとも,多くのプレイヤーは,「コンテンツは演奏(楽曲)のクオリティ,そのほかはあくまで付属品」だと考えているし,むしろ演奏のクオリティのみでガチンコ勝負することが美徳だとされている感さえある。でも先ほども指摘したように,この土俵で戦って勝てるのは「楽器の上手さ」というパラメータが抜きん出ている人だけだ。
キュレーターは自分で作品を作れない。その代わりに,個別の作品の羅列に「作品群を総体として経験することの価値」を付与する。演奏家も,キュレーターのように体験をデザインすることができれば,お客さんを呼べるのではないか,というのが冒頭で引用したツイートの意図だった。つまり,「楽器の上手さ」以外のパラメータを活かせる場はありますよ,ということだ。
具体的には,音楽史や楽曲分析に関わるパラメータを磨いてきた人は,それを用いてMCや曲目解説,選曲で魅せることができるだろう。その場合,チラシやSNS広報のあり方も抜本的に考え直さなければならない。このへんについては別途記事を書こうかな。とにかく,僕は「楽器の上手さ」のパラメータが高い上位5%の演奏家しか生き残れない現状を打破する手段として,キュレーションの発想を生かさない手はない,と考えている。
とはいっても,「そんなことできねーよ」という声も聞こえてきそうだ。キュレーションそれ自体を仕事にする人がいるんだから,「作品に対する俯瞰的視座をもって聴取体験をデザインする」とかめちゃくちゃ高度じゃん。自分たちは演奏家なんだよ,演奏以外やりたくねぇ!
…まぁもちろん気持ちはわかるんですが,今の僕が「楽器の上手さ」のパラメータで勝てない人にできるアドバイスは,①プレイヤー兼キュレーターになれ,もしくは②プレイヤー兼クリエイターになれ,くらいしか思いつかないのが現状だ。すいません。
クラシックの演奏家って特殊な立場なんですよね。CDやスピーカーがなかった昔のヨーロッパなら,演奏家はまさに一家に一台欲しい人材だったはずだ。演奏家がいないと音楽を聴くことすらできなかったのである。そのような時代背景とパトロンがいてこそ演奏家という仕事は成立していた。でも現代ではbluetoothスピーカーとAppleMusicがあればいくらでも自宅で音楽を聴けてしまう。馬車や人力車が自家用車にとって変わられたように,そして今後タクシー運転手が自動運転にとって変わられるように,中途半端な演奏家はオーディオ機器および音源の中の一流プレイヤーにとって変わられるだろう。個人的には,オーディオ機器や音楽サブスクリプションサービスの発達は,演奏家という職種に対する破壊的イノベーションだと思っている。
だからこそ,演奏家は「他者の作品の再現」以外の価値を作らなければならないのだ。
こういうと,「演奏家だって生演奏という価値を生み出している!!」という反論が聞こえてきそうだ。もちろんわかってます。僕はクラシック音楽愛好家なので,生演奏に魅力を感じています。でも「生演奏は素晴らしいのでサブスクで聴かずに演奏会に来てください!」という売り方をしたとしても,多くの人は,「わざわざホールまでいって中の上くらいの生演奏を聴くより,自宅のスピーカーでトッププロの演奏を聴く方が楽だよな…」と考えるのではないだろうか。コンサートホールまで往復2時間かかるし,演奏会って夜ご飯の時間に丸かぶりだし,拍手するタイミングとかマナーとかよくわからないし…だったら家で聞けばいいや,「楽器の上手さ」ならこのCDの中の人の方が上でしょ?…これが一般人の残酷な本音のような気がする。だからこそ,「作品群の連続体験をデザインする」というキュレーターとしてのスキルを磨いてはどうか,という提案をしているというわけだ。
また,オリジナル作品を作れる演奏家も強いと思う。むしろこっちの方がわかりやすく価値を提示でき,周りと差別化できるような気もする。「他者の作品の再現」や「生演奏」以外の価値を生み出す上で手っ取り早いのは作品を作ってしまうことだ。もちろん,他の作曲専業の人々と張り合うような作品を作るのは難しいしむしろ得策ではないので,毎回演奏するアンコースピースだけ作るとか,曲間に即興演奏を入れるとか,そんなことから始めてもいいかもしれない。
ちなみに,「自分の作品を持った方がいい」と言っているクラシックサックス演奏家出身の僕自身が作品を作っていないのはなんか説得力がないと思ったので,最近気が向いた時に曲を作っています。
恋、というものを全く知らないままに今年3/2成人式を迎えてしまった。
これだけ書くとイキってるようでやだけど、まあ事実なので仕方がない。
これのせいで困ることが1つだけあった。
学生時代は(今は低賃金労働者だが)多くの人がジョーカーと言わんばかりに自身の恋愛遍歴や今の恋バナを披露していた。
でも恥ずかしいので、みんなのタイプに当てはまりそうな人を言っていた。
その人に対して嘘の思いを申告しているような思いで、今でも本当に申し訳ないと思っている、なんてことはない、どうでもよい。
ただそれでも"好き"が何かは知っている。が、バカにされない回答方法は未知である。
なので、訳もわからずそう答えていた。
恋は盲目と言うが、どちらかと言えば恋に盲目だった学生時代だった。
20代のもうやめてしまった職場でこうした話が上がったことがある。
自分に振られたのでとっさに「すいません、自分そういった経験なくて…」と言うと、
すごくなんとも言えない空気になった。
無論、さっさと抜けるべきだとか、そもそも話の種くらい持っておけとか、
ただ、そこには「恋愛してるよね?」という圧があり、あの場では恋の中身は常識だった。
なぜ恋に至らなかったのか?という理由も自分なりに考えているが、
知らないものをテーマにしたところで明確な答えがわかるはずもない。
今でも連絡を取っている友人は男しかいない。
成立自体が泡沫であったとしても、
長々書いた。結局なにもわからない。
誰かを好きになったことが一度もない。
これだけ書くとイキってるようでやだけど、まあ事実なので仕方がない。
これのせいで困ることが1つだけあった。
学生時代は(今も学生だが)多くの人がジョーカーと言わんばかりに自身の恋愛遍歴や今の恋バナを披露していた。
好きな人って何?
仕方がないので、自分のタイプに一応当てはまっている人を言っていた。
その人に対して嘘の思いを申告しているような思いで、今でも本当に申し訳ないと思っている。
ただそれでも"好き"が何かわからない以上、回答方法すら未知である。
なので、訳もわからずそう答えていた。
恋は盲目と言うが、どちらかと言えば恋に盲目だった高校時代だった。
大学のもうやめてしまったサークルでこうした話が上がったことがある。
自分に振られたのでとっさに「すいません、自分そういった経験なくて…」と言うと、
すごくなんとも言えない空気になった。
無論、さっさと抜けるべきだとか、そもそも話の種くらい持っておけとか、
ただ、そこには「恋愛してるよね?」という圧があり、あの場では恋の中身は常識だった。
なぜ恋に至らなかったのか?という理由も自分なりに考えているが、
知らないものをテーマにしたところで明確な答えがわかるはずもない。
今でも連絡を取っている友人は男女ともにいる。
成立自体が泡沫であったとしても、
長々書いた。結局なにもわからない。
※人によっては不快な気持ちになるかもしれません ご了承の上お読みください。
初めてその人を見た時私はその人の髪色の所為でその人の存在自体が自分の居る場所に妙に不釣り合いなように感じたことを覚えている。
動画サイトで後ろ姿しか見たことのないその人は、動画で受ける印象よりも少し若く見えた。髪の毛が短くなっているからだろうか、服の着こなしといいその人は自分に似合う物をそれなりに考えて着てるみたいだった。第一声は「意外と背が高いね」だった気がする。ちょっと立ってみて、と言われて立った私は緊張で少し震えていたと思う。何か吹いてみて、と言われて吹いたのは先輩から事前に渡されていた軽い小曲集の1つだったがそれすらもろくに吹けなかったので内心ものすごく緊張しながら吹き終えた事だけを覚えている。
好きなんだろうか、と思ったのは暑い盛りの夏が終わった時でその頃には私は部活にそれなりに馴染んできていて、それなりに楽器も吹けるようになっていた。
朝練に出るため川沿いを自転車で走っていたときに見えるまだ出たばかりのまばゆい太陽を眺めながらあの人もこの太陽を見ているのだろうか、とかそんなことをふと考えた。もっともその人はいつも練習時間に遅刻してくるのだけれど。朝早く起きているのかすら怪しい。でも、そんなところがその人の私から見た好ましいところだった。
先輩方のお別れ会、というものを空き教室でやったことがあり、そのときもその人は遅刻してきた。
お別れ会を進めようにも来ないのだから進めることが出来ない。私たちはその時間の間にペットボトルのジュースを何本か開け、持ち寄ったお菓子を紙皿にぶちまけて食べていた。行儀が悪い。
遅れてきたその人を見てようやく揃った、と全員が安堵した。その人を含め1、2年生で合唱なるものを披露したときその人は少し泣いている様に見えた。指揮を振るときにしかめったにつけない薄いフレームの眼鏡を少し持ち上げて目頭を軽く指でなぞる仕草は皆が前を向いていたときにこっそり横目で見ていた私だけが気づいていたのだと信じたい。
その泣き方は別れに何度も立ち会ってきたけれどそれにまだ慣れきっていないといった感じだった。
私はその人にも別れの歌がよく聴こえるように一層口を大きく開けて歌った。その日の歌は毎年聴いてる合唱の中で一番良かった、と言われた。それを聞いて私は、来年になったらまたおんなじ事をこの人は言うのだろうと思った。
楽器屋の壁にある演奏会のポスターが貼ってあるのを見つけた。そのポスターにはその人の名前も載っていてその演奏会に出るのだ、という事に気がついた。塾の帰り道、コンビニに寄ってチケットを買った。学生なので安く済んで良かったと思った。
年が明けて、学期始めの前日にスカイツリーのよく見える街までその演奏会を聴きに行った。中は混んでいて客の大半は知り合いの伝手で来ているらしかった。楽器を吹いて参加する事もできるらしく、学生らしき人が楽器を持参してパンフレットの裏に載った譜面を吹いていた。でも、ステージの上を目を凝らしてみてもその人の姿はそこには無かった。
演奏会が終わりホールから出て行こうとするとその人は出口の辺りに居た。一般の参加者の人にだけ配布されたバッチか何かを回収する係らしかった。あとでその人のSNSを見ると演奏会のあった日に「ありがとうございました」というメッセージと舞台裏から撮ったらしい写真が添付されていた。その人は理事で、演奏には参加していなかった。
冬が明け、春になり私には後輩が出来た。今まで2人しか居なかったので後輩が出来るのは素直に嬉しかった。三年の先輩はいないので実質私たちが一番年上だった。
新入生がその人の前で演奏する時期がまたやってきた。去年の自分を見ているようでとても初々しかった、それと同時にもうそこには戻れないさみしさを感じた。もうあの頃には戻れないのだ。泣いたって叫んだって私はもう前に進まなきゃいけなくて、あの子達はきっと自分よりももっと上手くなってそのうち私も追い越されてしまうんだろう、と思った。それが羨ましくて私は新入生の演奏を聴くように言われたが練習がしたい、といって断った。後輩に興味の無い人間だとあの人は思ったかもしれない。それでもあの人は頭の片隅でほんの少し思っただけでそのことについては1秒後には忘れているのだろう。
夏になりコンクールの時期がやってきた。コンクールにはそれなりに力を入れている学校で上位大会にもよく出場している学校だった。コンクール以外でも全国大会に参加したことのある、知る人は知る中堅の強豪校だった。
コンクールの結果はとしによってもまちまちだったが私たちの前の代までは連続で地区と県は必ず抜けていた。最も中学の時は最後の年しか県を越えた事は無かったので中学と似たようなものだと思った。オーディションは学年問わずほぼ全員強制参加だ。オーディションを真ん中くらいの微妙な順位で抜けた私にはなぜかソロが回ってきた。その前のソロコンの順位がたまたま一桁台だったからかもしれない、まぐれで良かっただけの順位を当てにされても、と思ったがなんとかその人の期待に応えよう、と思って私はそれなりに全力を尽くした、つもりだった。
結果は予選落ちで、このくらいひどい成績を取ったのは史上2回目らしい、しかもその前は15,6年ほど前のことだ。
コンクール予選の音源を聴いてみたがそこまで特に大きなミスを感じなかった。音圧で耳がおかしくなっていたのかもしれない、とおもったけれど舞台裏で聴いていた友人にはべつに地区落ちするような音楽じゃない、と言われた。スタンドで飲んだタピオカを飲みながらちょっぴり泣いた。帰りの電車でも泣いて、家に帰ってからも2階の自室へつながる階段を上る気力すら湧かなくて、気がついたら床に突っ伏して泣いていた。涙と鼻水がフローリングに滴った。
次の日の反省会でほぼほぼ全員大泣きした後、心機一転で音楽室の大掃除をした。空は真っ青で、雲は学校の前にある会社よりも遠くの方に見えた。窓越しにその人と目が合ったとき私は片膝立ちで窓の外をぼんやりと眺めていた。サボっていると思われたんじゃないかと思ってそのイメージを払拭するかのように窓を濡れ布巾の乾いた布巾で一生懸命拭き上げた。一緒に掃除していた後輩に「先輩、落ちないでくださいよー」と言われて自分が窓の縁から落っこちそうになっているのに気がついた。
窓の外側からその人の車が見えたことだけ、私ははっきりと覚えている。
これで終わりです
まあ、何でも良いけど冷静に論じたい人は、まず科学的・合理的に考えて確からしい、
そうである可能性が高いくらいの根拠を添えて話した方が有益だと思うけどな
前半
https://anond.hatelabo.jp/20210104090522
グループ自体はジブラの娘がラップしてることしか知らなかった。流行ってるらしい。
驚くほど歌詞が単純なんだよな。「聴き手を笑顔にしたい」ってことしか言ってない。でもその直球の励ましが却って洗練された仕事に感じる。あどけない女子が直向きに踊って歌って「元気出して」って言ってる、アイドルって結局それで十分なんじゃないか。
こういう応援ソングが受けるのも不安な世相を反映しているのかなとも思ったり。
なんか全体的に見てNizi Projectってラブライブ!ぽい。ラブライブもそんなちゃんと見たことないから大それたこと言えないけど。パフォーマンスのバックストーリーとして青春群像ストーリーを展開してるとことか、わりとパフォーマンスの方向性がべたな「カワイイ系」の日本のアイドル像ぽかったりとかなんとなく雰囲気が似てる。単純に9人組だからそう錯覚すんのかな。
出で立ちとかパフォーマンスは日本人好みにチューニングされてる感じだけど、曲自体はJ-popであまり見られない作りだったのがヒットした一要因かもしれない。あんな一定のリズムやテンションでサビまで流れ込む曲は「サビで爆発する」J-popにはなかなかなくて、それを幼さが残る可愛らしいアイドルが歌う新鮮さがあった。
まあなんだかんだいってもNiziUが売れた最大の要因はJ.Y.パークのマネジメントセオリーが注目されたことだと思ってる。
ドルチェアンドガッバーナはNHK的にセーフか否かで一部盛り上がりましたね。
オーソドックスなフォークソングのスタイルを下地に、R&Bとかレゲエのエッセンスをなんの疑問もなく混ぜ込む、このバランス感覚は今どきの若者だからこそだろうなと思う。どこまで意図したかはわからないけど結果として長渕とか井上陽水を聴いて青春を過ごした中高年から、SpotifyやTikTokに浸る今の学生世代にもしっかり刺さる名曲ができてしまった。
「香水」みたいな同じリフを繰り返すタイプのアコギの弾き語りってエドシーランとかがやってるのと同じアプローチで、エドシーランはヒップホップとかとのミクスチャーのつもりで意図的にやってるんだよね。
ヒップホップ感覚で聴けるポップスがヒットしたことに時代の変化を感じる。
「ヒップホップは歌えない」って曲も出してるけど意外と瑛人はフリースタイルとか出来ちゃいそう。
当たり障りないけど誰にも一度は経験ありそうな普遍的なシチュエーションにLINEやドルガバなどの固有名詞を放り込む詩世界も素敵だ。
Perfumeもとうとうメドレーを求められるような境地に入ったのか。来年も紅白で見たい。
せっかくの別スタジオだからライゾマティクスに期待しすぎてしまった。
Perfumeに続けてベビメタが出るのは紅白出演者の世代交代のつもりだったりとか…じゃないよな流石に。
テレビ出演してないとまだまだ認知度も比較的低いのかともに見ていた母は認知していなかった。母はあまりにも情報量が多すぎてぽかんとしていたが曲タイトルだけは「そのまんまじゃんw」と笑っていた。
今回の紅白は無観客だったり別撮りだったりでカメラワークの制限が少ないから寄りのショットやボーカルでないメンバーを抜いたショットが多いかもしれない。
サポートメンバーは博多華丸の娘さんらしい。個人的には鞘師里保に出てほしかったけど、かっこよかったね。
筒美京平追悼メドレー。
なんかちょっと背中が丸まってて流石に郷ひろみも歳とったなーなんて思ったり。ベテランはそれが味だよな。
ヘアスタイリングはあれでよかったのか?スネ夫みたいになってた。
冒頭の司会とのやりとりからして癖が強い。立ち姿からして唯一無二。こんな奴見たことない。
こんな声が裏返ってたっけ?
セットに囲まれて360度カメラがぐるっと回り込むのは無観客ならではで感心した。
この人高橋真梨子みたいにこれからちょくちょく出演するんだろうな〜
山崎育三郎は安倍なつみの前でもあんなキザな顔をしているのだろうか。
視聴者がこの件で一番期待していたのはおそらくGreeeenの顔出しじゃなくて"岩城さん"が歌う「イヨマンテの夜」だった。
3曲メドレーそしてうち1曲はフル尺という破格の待遇だが、国内トップクラスの人気を持つグループなのは間違いないし、歴代の紅白司会者かつ東京オリンピックテーマソングを歌う歌手という功労者であることは拭い去りようがないので、これもまあ妥当な扱いだろう。
昨年と同じく新国立競技場からの中継。「カイト」の合唱は広いグラウンドの真ん中で5人だけで歌っていた昨年からここまで歌が世間に浸透したんだという感慨があってよかった。でもバック映像がちょっとくどかったかなー。テロップでポエム流すのとかちょっと寒かった。
Cメロ部分をまるまる口上にしていた。普段はこういうのファン以外は喜ばないからやってほしくないと思う達だけど、今回はこの瞬間だからこそわざわざいう必要があったしいい演出だったと思う。
こういういかにもアイドルっぽい曲調の応援歌を投入してくるところにサービス精神を感じる。
NiziUでもそうだけど今ニーズがあるポップスってやっぱ応援歌なのかもな。
オリンピック関係で求められる「カイト」、自分たちが世間へのエールとして歌いたい「君のうた」、自分たちの代表曲の一つで大衆に求められている「Happiness」で、3曲披露する意義をそれなりに示してた。
さまざまな記録を提げ鳴り物入りで登場。
舞台セットが累との戦いのイメージだったり背景映像が日頃見かける紹介VTRでは見ない映像だったり。スタッフがちゃんとリサーチして作ってるのか、そこまで「鬼滅の刃」が世の中に浸透しているということなのか。なんかわからないけどディテールが凝った演出。
去年もそうだったけど紅白だとすごく歌いづらそう。PAに嫌われてんのか?
管楽のサポートメンバーイントロしか出番ないじゃんと思ってたら合いの手とかハンドクラップもやってた。
ギターも出番少ないなこの曲。
去年までは音像とか音色とかの上物は洋楽に寄せてその代わり大枠はJ-popのセオリーに従った構成で大衆性も獲得するヒゲダンとかKing Gnuみたいなのが売れるタイプだったけど、
それとは真逆で、音やフレーズは従来からあるJ-popやフォークなのに、曲のアプローチそのものは現代的な洋楽のそれに肉薄してる「夜に駆ける」や「香水」が大ヒットしたのはパラダイムシフトかもしれないな。
真ん中のアリーナステージも上手いこと使ってたね。
歌い終わりにけん玉リレーが追いついてないの一番残念なパターンかもな。
CDを出さない。ネットでは普通に露出してるしバラエティ番組にも頻繁に出るけど音楽番組は避ける。曲もそうだけど活動自体に斬新さがまだまだあると思う。
この曲って一聴するとaccessとかfripSideとかの昔からあるザJ-popって感じのシンセポップぽいんだけど、基本的にベース部分はA♭→Gm→Cmの繰り返しで、そこにB♭やE♭のコードを場繋ぎとして差し込んだり細かい細工をして展開を作ってるんだよね。それでドラムパターンも一定でクラブとかで流しても違和感なく踊れるような作りになってる。
最後のサビで半音さがるっていう転調を行ってるんだけど、コード進行がシンプルなおかげでそこがすごく目立つ。やっぱ転調は肝心なときしかやっちゃいけない技だよ。
やっぱメインボーカル2人ともいなくなるのは痛い。
いろんな曲のフレーズが散りばめられていたけど世代的になんとなくわかっちゃう。伊達に16年前からやってるバンドじゃねえわな。
この時期に阿波踊りしてるの見せられてもなんとも変に思わない歌手は椎名林檎だけだな。
最後のウィスパーボイスセクシーだな。「母親か」ってすげえツッコミだなおい。
ゆずの曲をフルオーケストラで聴く機会なんてないからこれは面白いものを見た。
篠笛の人が妙に目立ってた。刺客みたいになってた。
おじさんのあいみょん好きは本当に謎。いやいい曲だけど。
吉沢亮が出ててあいみょんが主題歌の映画なんてあったっけ?と思って調べたら、吉沢亮って「空の青さを知る人よ」の生霊の役やってたんだ!観てたのに全然気が付かなかった。流石だわ。
「マリーゴールド」のイントロのギターのフィードバック音とか「裸の心」のぽんぽん鳴ってる音とか、これよく聞くと歌が始まってもずっとループで鳴り続けてる。普通のポップスって顔しながらこういうブレイクビーツぽいのを密かに延々と鳴らし続けてるのラナデルレイみたいでかっこいい。
We Are The World的なドリームチームをさくっと作っちゃったYOSHIKIのパフォーマンス。
ロサンゼルスと中継だとタイムラグがあるだろうによくオケに合わせてピアノ弾けたな。
凄いスケール感だったけどやっぱりこの曲はまだ歌われる時期ではないような気がする。
バロック調でのオーケストラアレンジは何回も聴いた「愛をこめて花束を」に新しい解釈ができて楽しかった。
普段のでっかい花束を抱えてくる様なパワフルなパフォーマンスもいいけど、ボッティチェッリのプリマヴェーラの様な軽やかを携えたこのバージョンも好き。
自分が歌いたいマイナーな歌を歌って見ている側にも響くものがあるのが凄いな。ミスチルというブランド力だな。
モノトーンで無機質なんだけどどこか暖かみがあるセットがちょっと丹下紘希ぽい。「IT'S A WONDERFUL WORLD」から「I ❤️U」の頃が僕にとってミスチルが一番身近だったのでなんだか懐かしい気持ちになった。
ギターはアンプ直刺しでドラムセットも簡素。サポートメンバーもストリングスとピアノにかぎっていて(コーラスは被せ?)、機材がなるたけシンプルなのが潔い感じでかっこいい。
1番の終わりのコードがマイナー調で暗いのが大サビの後で暖かい響きのものに変わってるのがベタだけど良いな。
いつもの「天城越え」だけど冒頭のピアノのアルペジオが繊細な印象。
当然のように上手い。
思うことは色々あるけど、「期せずしてYOSHIKIの「Endless Rain」へのアンサーになった。」ということだけに留めたい。書ききれない気がする。
メイク濃くなってから観月ありさと見分けがつかなくなってきてる。
「どうなっちゃうんでしょうね」
この曲カバーしてる人何人かいるけどかわいくみせてやろうって衒いがあるんだよね。本人は流石にすっきりしてる。
合唱やる人多すぎてここにきてなんか見飽きだしてたから、冒頭の演出で「またか」とはやとちりした、すまん。
「守ってあげたい」は名曲。カバーだと鬼束ちひろバージョンが好き。
20分くらいまえから時たま怒号が聞こえてた気がするけど、玉置浩二のスタンバイでなんかトラブルあったのかな?
「田園」だからベートーベンの「田園」をモチーフにしてるのか。Superflyのときも思ったけどオーケストラアレンジもいつになく拘ってたよな。
良くも悪くも星野源と対照的なパフォーマンス。星野源が月なら福山雅治は太陽みたいな人。僕みたいな日影者はなんか感覚が合わないな。嫌いじゃないけど。
まだ13回しか出てないのなんか意外だわ。
今剛は一瞬しか映らなくてもすぐわかるな。今剛とJマスシスぐらいだろそんなの。
MISIAは鼻腔共鳴が半端なさすぎてたまに何言ってるのかわからないときがある。でもそんなこと気にならないほど歌が上手いからなんとかなってる、圧巻。
サブちゃんの「今の若者は世界を歌ってる」っつうのは的確なコメントだったと思う。ただコメント全体的に長かった。
ジャニーズ多かった。2枠をJO1とDISH//に譲るべきだ。
優勝旗ってどこに保管されてるんだろうね。
透明ディスプレイの使い方が上手い。映像が宙に漂っているよう。
2年前のOPムービーは良かった。コロナ禍の影響で出演者は別撮りにするしかないにしてもああいう路線はできないものなのか。
番組に客観性を持たせるという意味でサブちゃんが顧問的位置に座ってるのは個人的に賛成。でもサブちゃん話してるとき加藤一二三みたいだななんか。
いきなり三連ちゃんは各スタジオのPAの調子が実際に放送してどうなのか確認したかったからか?
やっぱりはじめてことで混乱してるところがあるのかも。
いつもいい曲あてがって貰ってる。衒いがないけど耳に残ってきれいにまとまったポップス。
平野紫耀はピッチが甘い(違和感あるほどではないけど)が声質で誤魔化されてる。ハスキーボイスに細かいビブラートが混ざってくる感じが初期の森進一ぽい。
実は弱ペダに出てた人が一番上手いのではないか、コーラスパート担当だったけどうまく溶け込んでる。
メインボーカルの男の子が変声期できつそう。でも当てふりにすると空々しいだけだから歌うしかないのか。
ワイプ芸でアイドル連中が賑やかしになってた。こういう時にジャニーズは勝手がいい、だから重宝されるのか。
氷川きよしの大幅な路線変更で後釜っぽい見られ方してるんだろうな。
「肌が合う」と生々しく歌った後で「惚れたねほの字だねほっほー」とぶりっ子かますの、ファンからはどう写ってんだろう…
SMEが推してる若手実力派女性歌手ってAimer、milet、Uru辺りだと思うんだけど、なんで他2人と比べてキャリア浅いmiletなのかな?と思ってしまった。
今年のAimerは「SPARK-AGAIN」が、Uruは「あなたがいることで」が結構ヒットしたのに、miletが披露したのは去年リリースされた曲だしなあ。
AimerもUruもミステリアスなキャラでテレビ出演は慎重だし、キャリアがある分序盤の枠だと声掛けづらいとかそういう事情なのだろうか。
ただ観客がいないだだっ広いホールの真ん中でレーザーに照らされながら歌う様はMVの再現のようでなかなか見応えがあった。
オリンピックと大河/朝ドラに全フリしたような人選。しゃべりは芸人に任せてる。
今回はサブちゃんと徹子にどう相手するかが一つの課題だったのか。
南キャン山ちゃんがチコちゃんに恐々と相手してるのじわじわ笑えてくる。
審査方法は今回データ連動を利用した視聴者投票のみ、視聴時間に合わせて投票数が変わる仕組みで大泉洋も言っていたがよく考えたものだ。
アイドルオタクは推しのために興味のない演歌もちゃんと見ろということだ。
「今年は踊らないの?」って件をウッチャンがめんどくさそうにあしらってるのが一番印象に残った。
ああいう、場の勢いでやってみたら上手く行っちゃって後々ややこしくなることってままある。
今年はNiziUと坂道グループが対比される構図だったけど、振り付けとか曲そのものの難易度はそんな大差ないように見えた。ただちょっとNiziUのほうが丁寧。
秋元康の歌詞ってイケイケどんどんで人を励ますような描写が少ない。AKBや坂系に限れば「働け、進め、若くて可愛い子に惚れた」ということしか歌ってない気がする。
「イントロがあってAメロがあってBメロで溜めてサビがきて、で、それぞれ律儀にキーやリズムパターン変えてて」っつうJ-Pop特有の歌劇調のスタイルが通用しなくなってきたなと思う。「夜を駆ける」も「香水」も「Make You Happy」も実はループミュージックの構造を成していて、リズムパターンやコード進行を大きく変化させないクラブやヒップホップミュージックの方法論に従っている。ダンスが身近になったりSNSの拡散が馬鹿にならなくなった今だとそういったどこを切り取ってもさまになるスタイルがどんどん主流になりつつある。J-Popらしいコテコテの曲は「紅蓮華」のような映像作品とのタイアップか、デートの雰囲気作りにちょうどいいバラードでしかみられなくなり、そのうち今の演歌のような「中高年向け音楽」という扱いになるかもしれない。
スカートの裾を振り上げる振りは衣装が独特な造りだから出来ることで、こういう衣装の意匠と振り付けが連動していたりするのがかっこいい。
サビの「No!no!no!」の裏で被せられてるシャウトの声は誰なんだろう。いい声してる。
だんだん大泉洋に対するウッチャンの態度がやさぐれてきてるけどどうなるんだこれから。
演歌歌手でもないのに往年の代表曲歌わせられるのは陰りが見えてきたサインかもしれないんだよな…
「Ultra Music Power」歌うときの知念の声が年々伸びなくなってきてるのが切ない。
八乙女光ってEXIT兼親に似てるよね?入れ替わってもしばらく気付かれなさそう。
こういう若い女の子が集まってるグループで1人欠席があったりするとなんか不穏な気持ちになる。
SnowManは欠場。いつ誰がコロナに感染してもおかしくないからNHKのプロデューサーはこの2、3ヶ月肝を冷やしてたんだろうな。
篠原ともえには悪いけど、Perfume(ライゾマ)の演出とかに見慣れちゃった今はただでかいだけじゃ白けるんだよな。
もう普通に歌わせてあげたって。
尼崎のヤンキー数原くんはこの王子様衣装をどう思ってんだ。衣装合わせのときに「キンプリと間違えてんのか?」って愚痴ってそう。
無観客ライブでエア握手してる紹介VTRからして可笑しすぎる。
良心的存在であるウッチャンですら吹き出してしまう衣装のセンスはどうにかならなかったのか。
元SMAPメンバーですらドアップきついときあるのによくこんな煽ったカメラワークをやるな。
洗練されたコードや譜割に独創的な詩世界。シンプルな衣装と舞台演出が曲の完成度やパフォーマンスを際立たせていて良かった。だからこそ最初の寸劇は蛇足に感じたけどこれはご愛嬌か。
坂本冬美はかっこいい老け方してる。ツンデレな温泉宿女将とかやたら頭のキレるベテランパートみたいな役どころでドラマに一回出てほしい。
10年前くらいの洋楽でよくあったEDMみたいだけど、もはやキスマイはそういう歌を歌う集団って僕は納得してる。
中継主体であることで民放特番ではよくある局内を練り歩く演出が今回採用されたのは面白かった。
何歌うかとか演出がどうだとか本調子かどうかとかそんなこと関係なくただ出てくれるだけで満足できるか?そういう安心感があるか?っていうのが大御所か否かだと考えている。
その中でも今回トップクラスにホッとしたのは天童よしみの出演シーンだった。
もう天童よしみが歌うならば知らない曲でもジャニーズのねじ込みがあってもなんとも思わない。
さだまさしがライブ後にNHKの生放送でフリートークするのを見てる人意外といるよね。
さだまさしの歌を聞くと毎回「力抜いててこうも声が通るものなのか」と感動する。中音域ちょっと歪むのもかっこいい。
やっぱりJ-Popらしい転調をだんだん耳が受け付けなくなってる。音像はがっつりサブベース聴かせてて海外のメインストリームと混ぜても聴き劣りしないレベルだと思うんだけど、なんだろう。
小室哲哉に全く触れられてないのがどうしようもないけど悲しい。
鈴木雅之を嫌いな人ってあんまいないだろうけど、かぐや様から入って「夢で逢えたら」とか「ロンリーチャップリン」知らない層もやっぱり一定数いるのかな。
意外とジャスチャー激しい人だったのに今更気が付く。
毎年恒例の子ども向けの配慮コーナーだけど当の子どもに支持されてるかは疑問。
歌ってるときの二階堂ふみのすごく努力したのはわかるし見応えあるけど本職の人にはやっぱり敵わない感じ、歌手になる夢に挫折する「エール」の役どころにはまってたな。
いずれは誰かに歌い継いでほしい。
後半に続く。
まず始めに。私は空の軌跡からのファンである。そして、私は本作を数十分ほどプレイしてこのシリーズに”ようやく”見切りがついたつもりだった。ライターの紡ぐテキストの非常に強い癖が全く変わっていなかったからである。
「はは」「ふふ」「くく」を、まるで接頭辞の如く頭に付けて応酬される会話には、もはや嫌悪感さえ抱いていることをハッキリと自覚してしまったのだ。ここまでしつこいと、もはや冗句の領域である。
また、「寿ぐ」のように書き言葉と喋り言葉の区別がついておらず、辞書を引いて気に入ったから多用しているでは、と疑うほど拙さを感じる用い方は、逆に語彙が少ないからだろうとしか言いようがない。キャラの個性として利用されているのであればもちろん有効な手法ではあるが、作中ではまるで流行り言葉であるかのような扱いである。この点に関しては創では大幅に減ったとはいえ、やはり健在ではあったのだ。
流行り言葉のように使われていると言えば、「届く」もまた同じだ。これは武人の共通認識なのであろうが、いくら何でも多用しすぎである。ピンポイントで使えば閃の軌跡シリーズ特有の味にも思えるだろうが、現状ではあまりにも軽く、鼻につく言葉になってしまっている。
現状を打破する論理的な道筋を立てる前に、とかく精神論を展開するのもいい加減キツいものがある。精神の未熟な少年少女ならまだしも、リィンやロイドはそれぞれ教官、警官といったいい大人だ。既にそれが許されるような立場でも年齢でもないだろう。こういうのは要所でやるから響くのであって、常にそのような”醜態”を晒すのは見るに堪えないものがある。
このような価値観がまかり通るのは、全ての物事を主人公であるリィンやロイドを中心に考えているからこそだろう。その歪んだ価値観は新・旧7組という言葉に端的に表れている。登場人物は皆、何故か新・旧と呼び分けているが、本来であれば現7組以外は7組という括りで呼ぶ必要はないのだ。もっと言えば、現7組の人間に対し、新7組と括るのは無神経というものであろう。リィンさん。あなたはこの子らの担当教官なのですよ、と言いたくなってしまう。
原因は既に述べたように、世界の中心をリィンだと思っているからである。リィンから見れば彼の生徒は新であり、級友は旧なのだから、確かに彼が世界の中心であれば皆そのような呼び方をするだろう。そして、それが実際に行われているのである。だからこそ登場人物はライターの操り人形にしか見えない。リィンが好き過ぎて彼個人に設定が堆く盛られていくのも、書いていておかしいと思わないのだろうか。
これを強力に補強しているのが好感度システムだ。これはあらゆる関係性を主人公にのみ閉じる呪いである。サブにも何かしら関係性が見えるのは空からの登場人物ばかりなのは本当に酷い。これは何も皇子の結婚やアガットとティータのような恋愛模様だけを指しているわけではない。紆余曲折を経て家族になったレンとカシウスの微妙な距離のように、時と共に関係性が進んでいるのはシステムとライターの作り出した価値観により雁字搦めになっていないキャラに限られているのだ。
リィンの級友、または教え子達の横の繋がりなど、あってないようなものなのは既プレイ者なら分かることであろう。端々に会話が交わされている場面は申し訳程度にはあるが、誰と誰の仲が良いのか、などというのは全く感じられない。リィンを通してしか付き合いがないのではないかと疑うほどである。例外はシステムの軛から抜け出せているユーシスとミリアムぐらいであろうか。
展開のワンパターンさ加減にもうんざりである。ゲーム後半で、敵に援軍を呼ばれる。そこに駆けつける意外な仲間。という展開があるのだが、これをきっちり3ルート分やるなど正気の沙汰ではない。しかもその意外性というのが、全てあえて敵側に潜り込んでいたというものなのだ。そう、3ルート分全てである。ここでは本気で頭痛を覚えたものだ。プレイヤーを馬鹿にしているのかとも思えたのだが、一体どういうつもりでこういう展開にしたのであろうか。素で燃える展開だと思っていたのだろうか。是非聞きたいものである。
さて、ここまで読んだのであればお察しの通り、無事投げ出さずにクリアまで遊べたのだがその理由はCルートの存在に尽きる。決まり切ったテンプレ展開と、森羅万象が主人公に収束する精神論ありきの価値観に支配されておらず、真っ当に面白いものだったからだ。テキストの癖も完璧に抜けている。危うく完全に積んで、今度こそ本当にシリーズにも終止符を打つところだったのだが、せめてCルートまで進めてからコントローラーを置こうと予め決めていたのが幸いした。
あからさまに下敷きに某アニメを使っているし、何処かで見たような要素が目白押しではあるが、上手くミックスして、さらにルーファスのキャラを壊さずに馴染ませてある。いつものライターが書いていればやはりルーファスにしか矢印が向いていない関係性しか作れなかっただろうが、このルートは別のライターが書いているためそのようなことは一切ない。
このルートはウェットすぎないのが心地良い。印象深いのが、人形達の中から本物のラピスを見つけるという場面だ。まるで直感や奇跡のパワーで分かったかのように思わせておきながら、実は発信器を付けていたから分かったのだというのは(本当であっても照れ隠しであっても)ルーファスらしいし説得力もあって非常に好感を持った。ライターのセンスにだ。
惜しむらくは、他の2ルートにリソースを吸われて明らかに尺が足りていないところだ。人形の中から探す場面も、欲を言えば一緒に旅をしたという体験をプレイヤーと共に積み重ねてこそより輝いたはずである。これは最終局面に至るまで響いている。また、スウィンとナーディアにはしっかりとした背景が設定されているのが読み取れるのだが、尺の都合でそれが披露されるのはかなり限定的なものになっている。思わせぶりな台詞だけで半ば放置に近いと言って良いだろう。積み重ねさえあればもっと良いシーンになったはずだという箇所が多く、惜しい気持ちで一杯である。
私は軌跡シリーズで紡がれる政治劇には、多角的な視点を持たずに作品自体がクロスベル独立こそ正義だと一方的に主張すること以外は一定の評価を与えているので、大まかな流れ、つまり起きた事件はこれで良いのだが、実際に描くのはCルートだけであれば間違いなく良作になっていただろうと確信している。
3つのルートが合流すると、あからさまにいつものライター節になってしまっているのも良くない。Cルートの残滓など欠片も残らず吸収されてしまっている。合流後のルーファスなどもはや別人である。本来の彼が再び顔を出すのは本当に最後の最後の局面だけだ。
全体を通した部分で改善したと思えるのはロボット大戦の大幅な抑制だろうか。いや、むしろまだ完全撤廃を諦めていなかったのかとも言えるのだが、極々限定的になったのはありがたかった。システム的にもお話的にも全くもって面白くも何ともない要素で、あまりにも邪魔すぎるのだが、この設定は次回作にも持ち越すつもりなのであろうか。せっかく作ったモデルを(次回作ではエンジンやモデルを一新するので)最後に活用したかっただけだと信じたい。
不満は多々あれど、Cルートに見た光明でまた見限ってしまうことが出来なくなってしまったのは良かったのか悪かったのか……。ただ一つだけ言えるのは、もう予約買いをすることはないだろうな、ということだけである。
2020年にストリーマー界隈で一番勢いがあったのは間違いなくVであろう。V全体の11月、12月の配信では最高同接、平均同接共に伸び悩んでいる。
にじホロのお祭り配信(1つの配信に人を集める3Dお披露目など)はどれだけ跳ねても12万程度で、数字としては夏ごろから伸びてはない、むしろ20万集めた近くこともあった夏からすると下がっている。
平均同接に至っては11月、12月においてほぼ全員右肩下がりだ。イベントの多い12月に数字としてここまで落ち込むのは非常に危険であろう。原因をいくつか考察してみた。
①APEXやりすぎ問題
Vとは逆に視聴者が1,5倍になったグループがDTN、デトネーターだ。彼らを筆頭にCRカップでリアルのストリーマーは多くの視聴者を獲得した。その事象は当たり前だ、彼らはFPSで世界と戦った経験もある猛者なのだ。APEX中にプレイに夢中で喋れないVよりも、プレイに喋る余裕もあって結果も出せて盛り上がるDTNの方が面白いに決まっている。CRカップの結果も露骨で、大量にいたVは殆ど結果は出せずプロの荷物持ち状態で、DTNは2チーム出場でそれぞれチャンピオンを取る対照的な結果、そらそーよ彼ら上手いもん。FPSのストリームに重きを置くことはあまり得策ではないと筆者は思う。
もはやVといえばにじかホロの2強状態だが、それは故のマンネリ化を感じる。要は方針も2種類しかないために色がでなくなってきているように見える。キャラを完全に守るVも少ないの相まってどの放送も似たりよったりになり、飽きが加速しているのではないか。
企業に属している以上、発言にはとにかく気をつけないといけないのは当然である。炎上についての話題で怒号が飛びあうことそのものが嫌で界隈から離れていった人も多いのではないだろうか。
ここまで大きくなったが故の難しさではるが、企業に属するということは発言内容も企業の思想として受け取られてしまうのは社会の掟であり、覆すことはできないだろう。炎上内容も少し気を付ければ済んだレベルのしょうもないことが多いので意識レベルを上げて改善していく事を願うのみだ。
幼少期寝ゲロで苦しい思いをしてから20数年間一度も吐いていない。
途中めちゃくちゃ気持ち悪くても、いつも喉がきゅっと締まって出なかった。
毎回車酔いで「きもちわるい…」って言い出して
慌てて気遣ったり予定変更せざるを得なかったりする家族がいるんだけど
先日の元旦の初日の出ドライブでもお家芸を披露して車中で吐いた。
「気持ち悪い」とぐったりした様子を見た瞬間から自分は気が気じゃなかった。
吐いた本人が「毎年行ってるから行きたい」って理由で行ったのに。またかよ。
帰宅したあとはケロっとしていた。
「自分は車酔いしやすいって自覚してるならこれから酔い止め飲んだら?何でいつも対策しないの?」
って提案したら
「吐いてしんどい思いしてる家族へ辛く当たる人」として認識されて家族全員から冷たくあしらわれた
え?これ自分が悪いの?
祖母「じゃあ増田は迷惑だからもうドライブにはすぐ酔って吐く◯◯を連れて行きたくないって言いたいの?気遣いがないね」
は?なんでそういういじめみたいな話になるんだよ
毎回人に迷惑かけることが予想できるんだから、できる限りの対策するのは当然だろ?
って言ったら総スルーされた
吐いた本人からは「みんなお前の意味ない発言をスルーしてるんだよ」って嘲笑された
異常者は自分
自分は吐いてしんどい思いをしている人間に辛く当たる異常者です
この家の害ですまんな
夫の元カノである女性は、西部のあるところでショー・パブをやっている。インディアンのモジャモジャ髪をエイヤっとばかりに首ごと斬っていく、フロンティア・スピリットの立場からは楽しいものなので遠征の度に寄っていた。
彼女と夫の関係については、南北戦争時代に知り合い半年程に渡って決闘を繰り返しその後夫が勝ち越したという風に聞いていたが、男というものは得てして意味のない見栄を張るものだからどちらが勝ったのかは実のところわからない。夫は叙勲後に他大陸の私と知り合ったので、私は彼女については手配書にあるプロフィール以上の事は知らない。
さて夫には戦場でのある口癖がある。仕入元は騎士道小説なのかゴシップなのか知らないがまああまり全員が言うようなものではない。私は嫌いではないので別に指摘もやめさせもしない。
彼女のパブでは最近、インディアンの処刑から過去の戦場を渡り歩いた時の冒険譚にシフトした。半年とはいえ夫も出てくるのかな、その際はどうぞお手柔らかにと思いながらも通い続けた。
しかし最新のショーは、夫の口癖と同じセリフを言う男性がイギリス仕込のガンマンを倒して血が流れたという話だった。人差し指の爪先をトリガー部分に入れてガッシュガッシュガッシュ、こうすれば血を噴く筈だと、頭蓋骨を鉛玉が貫いて血が出るまで。
二十歳そこそこの男性がゴシップから得た知識を実地で披露して殺されるなんてよくある笑い話の中でも一番バカなパターンだ。なのに夫は、トリガーを指でガッシュガッシュして血。すごい強いじゃん。びっくり。
私自身は硝煙の臭いが服につくのが嫌いでステゴロで闘らせてくれとおねだりするタイプなのでガッシュガッシュされた事はないが、見る限り夫は戦場の他の事に関してはそこまで常識外の強さを誇っていたりはしない。
今現在はどうなんだろう。もし今夜誘って銃を抜いてと言ったら二児の父となった彼は未だに私の脳をガッシュガッシュできるのだろうか?その場合きちんと弾道を予測しないといけないのか?私が?欧州最強の武闘家であり妻の私が?
奴隷時代に年下の賞金首の男と決闘させられた際、私はかわいい彼に体勢を崩さないパンチの仕方や飛んでくる弾丸を回避するムーヴや気功の繊細さについて教育を施した。自分の丹田の下に指を置いてみて、呼吸と同じくらいの感覚で気を練るのだと教えた。それがかわいい年下の戦士を屠った礼儀だと思っていた。
それが夫ときたらなんだ。西部最強だか知らんが、絶対強者の風上にも置けない。
夫は敗北を経験したことがないと思う。最強のガンマンだからこそ無感情な殺戮という愚行に走ってしまったのだ。
ここまで書いて決心がついた。人生の伴侶となった以上私にも責任がある。まだ以前極東で傷ついてしまった時の軟膏があるのでそれを用意して決闘に及ぼうと思う。夫がどうか最強の武人たる矜持をどこかで学んでいてくれますように。
夫の元カノである女性は、ネットのあるところでエッセイを公開している。男と女のモヤモヤを快刀乱麻を断つといったようにすぱりと斬っていく、女性の立場からは楽しいものなので更新の度に読んでいた。
彼女と夫の関係については、大学時代に知り合い半年程交際しその後夫から終わらせたという風に聞いていたが、男というものは得てして意味のない見栄を張るものだからどちらから別れを切り出したかは実のところわからない。夫は就職後に他大の私と知り合ったので、私は彼女についてはネットにあるプロフィール以上の事は知らない。
さて夫には房中でのある口癖がある。仕入元はエロ漫画なのかAVなのか知らないがまああまり全員が言うようなものではない。私は嫌いではないので別に指摘もやめさせもしない。
彼女の作品は最近、現在付き合いのあるオトコの話から過去のオトコを渡り歩いた時の冒険譚にシフトした。半年とはいえ夫も出てくるのかな、その際はどうぞお手柔らかにと思いながらも読み続けた。
しかし最新の更新は、夫の口癖と同じセリフを言う男性がAV仕込のガシマンをして血が出たという話だった。3本指の爪先でGスポット部分の襞をガッシュガッシュガッシュ、こうすれば潮を噴く筈だと、粘膜に傷がついて血が出るまで。
二十歳そこそこの男性がAVから得た知識を実地で披露して嫌がられるなんてよくある笑い話の中でも一番バカなパターンだ。内臓を指でガッシュガッシュして血。すごいバカじゃん。びっくり。
私自身は粘膜を指で触られるのが嫌いでとっとと入れてくれとおねだりするタイプなのでガッシュガッシュされた事はないが、房中の他の事に関してはそこまで常識外の行動をとったりはしない。
今現在はどうなんだろう。もし今夜誘って指を入れてと言ったら二児の父となった彼は未だに私の膣をガッシュガッシュするのだろうか?その場合きちんと手マンのやり方を教育しないといけないのか?私が?何人目かの彼女であり妻の私が?
大学時代に年下の童貞の男と交際した際、私はかわいい彼に化粧を崩さないキスの仕方や残ったムダ毛を無視するマナーや膣の繊細さについて教育を施した。自分の舌の下に指を入れてみて、それと同じくらいの感覚で膣を扱うのだと教えた。それがかわいい年下の童貞を食った礼儀だと思っていた。
それが夫の相手ときたらなんだ。誰だか知らんが、童貞を食ったやつの風上にも置けない。
エッセイの彼女は夫が童貞を喪失した相手ではないと思う。非童貞だからこそガシマンという愚行をネタにされてしまったのだ。
ここまで書いて決心がついた。人生の伴侶となった以上私にも責任がある。まだ以前タンポンで傷ついてしまった時の軟膏があるのでそれを用意して一儀に及ぼうと思う。夫がどうかエッセイの彼女との夜以降のどこかで学んでいてくれますように。