はてなキーワード: 応当とは
違法ダウンロードブームを牽引した雑誌 『ネットランナー』(ソフトバンクパブリッシング社)の2003年7月号で津田氏は、「注目度ナンバーワンファイル共有ソフト! Winny2完全解説 コピれないCDをコピれ! 会社のセキュリティを突破して隠密メールを受信しよう! 悪ふざけでは済まされない凶悪いたずら大全集!」などと銘打った特集の編集や記事の執筆に参加している。
また、 2003年には著作権物の違法な流通に用いられたWinMXについて、その使い方を解説した「だからWinMXはやめられない」を自らの名義で上梓している。
まぁ、あの時はまだダウンロードは違法じゃなかったしWinnyも、適法に使うことが難しいというだけで、違法ツールではないから
一時代築いた論客にWinnyの映画で神格化され始めてる47氏の話をしてほしいよね
こち亀で有名な話あるけど、すぐ死ぬか死なないかの二択になるのは本当によくないんだよな
まず生きてその次の行動を考えろっていう
何でもかんでもあきらめるのはよくないけど、全ての評価軸を他人に委ねたまま年齢が上がっていくと本当につらい
数学のコンテストで入賞したのは相対的に輝かしい記憶ではあるんだろうけど、いま当時より数学ができるようになっているのならそれでよくないか?
英検1級とTOEFL90以上あって挫折したとしても、(試験テクを忘れて点数は多少落ちるかもしれないが)今も一応当時と同じくらいは英語力あるんやろ?過去に凄いと評価されていたころの自分と同程度の力をまだ保持できているのなら、周りからの評価は変わったかもしれないが十分すごいってことだ
中身は変わってないのに渡米したり大学に入ったりして評価者が違うから評価が変わっただけやん なら場所変えたらまた褒めてくれる人はいるだろうし、そもそも他人に褒めてもらえなくなった瞬間に自分の実力を正確に評価できなくなる人ってこの人に限らず結構いて本当によくないよ 理論物理やりたかったなら理論物理勉強してもええやん えりすぐりのエリートしかなれない魔界みたいな分野だから職にできるかはわからんけど、そもそもそういうエリート意識から羨望を集めたくて理論物理学者になりたかったのか、理論物理をやりたくて理論物理学者になりたかったのか、そのあたりをはっきりさせたほうがよさそう
「自分は見ず知らずの人間に付いていきそう」な軽い人間に見られることに傷つくっていうけど、それがよくわからない。
1. そこで断れば良いだけでは? 断ることによって「自分は見ず知らずの人間に付いていくような人間ではない」ことを証明できるわけで。簡単ですよね。
2. それなら、そう見られないようにPDCA回して改善すればいいだけなのでは・・・?そこでアンケートとって「何故私に声をかけたのか?」を聞き取ることで、今後このようなことが無いように改善の糧になりますよね。
「軽い女に見られた」ということが自身にとって嫌な事だとして、その責を相手に求めるのは何故か?自分にも責はないか?改善できないか?となぜ思考しないのでしょう。例えば「腕も脚も細いし脅したらカネをユスれそう」とカツアゲされた男が、筋トレしてムキムキマッチョメンになってカツアゲされなくなった。みたいな成功例ありますよね。抑止力。そもそも、誰が誰をどう見ようが自由だし縛れるものじゃないんですが。あなたは誰か他人を「コイツ仕事できなそう」「年収少なそう」とか思ったこと、ないんでしょうか。
3.男の性質を知らなすぎるだけなのでは? 単にダメモトで話しかけてるだけでしょう・・普通に考えて。ダメだとわかってるけど一応当たって砕けてみるだけで。
男の恋愛は名前を付けて保存、女の恋愛は上書き保存、なので、男の生存戦略は「数打ちゃ当たるやろ」なんですが、それを女の生存戦略「一番いいのを選別する」と見てしまっているのでは? 「男も、女の生存戦略と同じ行動をしている」という誤解をしているのだろうか?説。
つまり「この男は一生をかけて一番いいものを選んだ選択を、私にぶつけてきた」という、背景の誤解をしたうえで誤った自己嫌悪しているだけなのでは?(それはそれで相手の人生を賭した行動に敬意を払って重く受け止めているとも言えますが)
「お前ごときが、お前の人生を賭けた一世一代の選択を私にぶつけてくるのか?」ではなく、「はいはい無駄打ちご苦労さま~シッシッあっちいけ」では、まったくメンタリティが違ってきますよね。「平服でお越しください」「御社を第一志望に選んだのは」、社交辞令、営業トーク、男の「お前だけだよ」を真に受けてしまうよう・・・ってコト?
他には:
・ググって出てくるのがほぼ職場のシチュエーションなので、職場限定の問題?それだと自分の考えは的がややズレてるか。シチュエーションが、ストリートナンパと職場で分けて考え直ししないと。
・恋愛でない一般的な話として「断る」という意思を伝えること自体の精神的負担がめんどくさい? それならわかる。自分もアブラぎった鼻息荒いウェイ営業をあしらうのちょっとめんどくさいし、家電量販店とか服屋とかで話しかけられたくない。それはもはや恋愛関係ないんですけど。でも社会で人生をやっていく上でそういう人に遭遇するのは不可避ですよね、犬も歩けば棒に当たるというか。そのコミュニケーションコストの支払いを拒否するのは不可能ですね、残念ながら。社会通念上「受忍すべき範疇のもの」として却下されるでしょうね。それが嫌なら人類補完計画しかなさそうです。気持ちはわかる。
誰かを好きになったことが一度もない。
これだけ書くとイキってるようでやだけど、まあ事実なので仕方がない。
これのせいで困ることが1つだけあった。
学生時代は(今も学生だが)多くの人がジョーカーと言わんばかりに自身の恋愛遍歴や今の恋バナを披露していた。
好きな人って何?
仕方がないので、自分のタイプに一応当てはまっている人を言っていた。
その人に対して嘘の思いを申告しているような思いで、今でも本当に申し訳ないと思っている。
ただそれでも"好き"が何かわからない以上、回答方法すら未知である。
なので、訳もわからずそう答えていた。
恋は盲目と言うが、どちらかと言えば恋に盲目だった高校時代だった。
大学のもうやめてしまったサークルでこうした話が上がったことがある。
自分に振られたのでとっさに「すいません、自分そういった経験なくて…」と言うと、
すごくなんとも言えない空気になった。
無論、さっさと抜けるべきだとか、そもそも話の種くらい持っておけとか、
ただ、そこには「恋愛してるよね?」という圧があり、あの場では恋の中身は常識だった。
なぜ恋に至らなかったのか?という理由も自分なりに考えているが、
知らないものをテーマにしたところで明確な答えがわかるはずもない。
今でも連絡を取っている友人は男女ともにいる。
成立自体が泡沫であったとしても、
長々書いた。結局なにもわからない。
のたくった、サイズもバラバラな字で「ペンキやさんになりたい」と書いてあった
なんでペンキ屋なのかは覚えていない
ただ、それが当時本気でなりたかったものだということは何となく思い出せた
場当たり的にそこそこ響きの良いものばかり言い続けて、それなりに各々の夢にも興味を持っていた
だけど命を賭しても叶えたいと思ったものはその中にはなくて、全部なあなあの集まりで
辿っていくと幼稚園の「ペンキ屋」が後にも先にも唯一の、本心からの夢だったのだと思う
その会社に塗料部門があるのは、何の因果か知らないけれど。捻じれに捻じった形であるが、一応当時の夢を達成しつつある。
ちっぽけなあの頃の自分がずっと引っ張って、自分でも気が付かないうちに背中を押してくれて来たんだろう。
そう思って、頑張っていこうと思う。
一年の計は元旦にあり、っていうけどどう考えても一年の計画なんて複雑性の高すぎるものが一日でたつわけないよね。
まぁそれでも一月だってんでがんばって計画立ててみたりするじゃない?
「死ぬまでに達成したこと」「今後数年で達成したいこと」「今年頑張りたいこと」あたりで分類して、WBSに分けてブレイクダウンしてさ。
やってみるとさ、例えば「旅行に行きたい場所」のリストに20くらい上がったりするわけ。
無制限にブレストすると50くらいは軽く挙がるんで、これでもだいぶ取捨選択して。
なんとなく20くらいだったら「死ぬまでに達成したい」であればやりきれそうな気がするじゃん?うん、よゆーだよね。
でもさらに分類するとこれって「これは夏休み相当の時期にしか行けない」ものだったりしてそれが10くらい出てきたするわけよ。
今後の人生で自分のために使える夏休みって10回もなくない?て思うわけ。
それでも更に頑張って、優先順位をつけて、じゃあ今年ここ、来年の事情からするとこう、とか一応当てはめてみたりすると8くらいは当てはまるのよ。
でもさ、今までの経験からしてこういう計画ってやれて半分、八割達成できたら万々歳なんだよね。
つまり経験則的に「取捨選択したリスト20」のうち6か7達成できればいいほうなんだよね。
人生って、短すぎ。
番組を結構見ていたので、見ていない人向けに経緯をまとめてみた。
問題となったモンスターハウスシリーズは、TBSの水曜日のダウンタウンでの人気企画。
クロちゃん含む3人の男と3人の女が同じシェアハウスに住んで恋愛をしていくテラスハウスのパロディ企画。
開始当初からクロちゃんが複数の女にアプローチして告白していったり、
スタジオではVTRを見てキャーキャー怖い怖い言ってクロちゃんの恐ろしさを強調していった。
今回の騒動は、モンスターハウスシリーズの最終回が26日の特番で流されたところから始まる。
司会のたむらけんじと目隠しされたクロちゃんが何処かの遊園地で番組を始める。
(この時点でとしまえんだと分かる人には分かったらしい。)
企画内容は知らされず、続きは番組後半でということで一旦スタジオへ。
二人目の女が「クロちゃん信用できないから、オンエアを見て告白の結果返す。」
クロちゃんは当然のごとく振られる。
告白のあと、テレビのdボタン投票によりクロちゃんの行動を許すか許せないかを投票により決めて
許せない場合は檻に入れることになったことが、たむらけんじから説明。
この時点で、としまえんで檻に入ったクロちゃんが一般公開されることが告知される。
番組終了後から夜間についての入場は無料となることも告知された。
結果は当然のごとく許せないが95%で次の日の夜までクロちゃんが檻の中で公開されることになった。
オンエア直後からTwitter上で報告がたくさん上がっているのでまとめる。
https://twitter.com/Leach_mrs/status/1077945830269566976
https://twitter.com/___jksleep/status/1077947919347507205
https://twitter.com/w0pt4TVIXTeqXEt/status/1077952176440303616
https://twitter.com/rin10173/status/1077953230737334272
https://twitter.com/0__0i0__0/status/1077954122513494016
https://twitter.com/SoichiRo_SAN_t/status/1077960200634589191
https://twitter.com/otm_one/status/1077967836901924864
https://twitter.com/XXXKNGDRGN/status/1077967881478975488
https://twitter.com/RMC_youta/status/1077968095082307584
初投稿、下書き無しなので文に乱れがあったり読みにくかったりすると思うけど許して欲しい。
友達と「彼女がいるのにエロ本を買うのはダメか?」と言うことを話していて考えたこと。
個人的な性と半生の話が出てきてあまり公には話せないのでここに書くことに。もしかしたら似たようなこと考えている人がいるのかなって希望も少し。
性の目覚め
最近、どうもエロいので自分の中にあるエロのかたちを一つ一つ考えている。
その体験っていうのが幼い頃見た夢なんだけど、その説明のために一応当時のことを書いておく。
当時保育園の年長組だった僕は、おゆうぎかいで確かダンスを踊ることになっていた。男女別で、女子はモーニング娘。の「ラブマシーン」だった。衣装は黄色いフリフリの服だった。
夢の内容は、その「ラブマシーン」を自分が女の子に交ざって踊っている夢だった。
そしてそれを見る両親を僕が見ている夢だった。
「あれ、○○(僕)じゃない?」と母が言い「そんなわけ無いだろ。○○は男の子だよ。」と父が言う。それを僕が見ている。
そんな夢。
あまりに強烈だったので起きてからも夢の内容を覚えていて、そしてその事を考えているとなにかドキドキすることに気がついた。
何となく床に下腹部を擦り付けると言い様の無い快感があって、そこからは特に話すこともない。
ともかく、学校で性教育を受けるまで、僕のエロのすべてがその夢だった。というわけでもない。『ぷよぷよ』の「アルル」も、『ワンピース』の「ナミ」もエロい!と(感覚的に)思えたし、事実それらの女性キャラクターでオナニーもした。なんなら同人誌を調べるために新しいマンガに手を出した。乱暴だがその辺から性教育を受けたと言えるだろう。行為や言葉の意味はわからないけど何となくおっぱいはエロかった。
小学生のころ「オナニー」とか「セックス」の意味を辞書で調べるノリがあった。自分の「オナニー」とは違ったのでピンと来るのに時間がかかった。自分のしている(た)「オナニー」がおかしいと感じ、“あの夢”は悪夢になった。
時は流れて大学生の頃の話。
親元を離れて独り暮らしを始めた僕は、おそらく多くの童貞がそういう道を通っているように、ただれた性生活を始めた。片端からエロサイトを見て、pixivと2ちゃんねるとTwitterを行き来した。エロ本やオナホールを買ってきては友人たちにレビューを聞かせた。よくいるエロいやつだ。多分普通と少しだけ違ったことは、いくつかの特殊性癖にも精通したことだと思う。
ケモノ、男の娘、ペドフィリア、みたいなある程度メジャーな特殊性癖でヌけるようになったところで、大学の先輩から「なんでそんなもんでヌいてんの?」と聞かれた。
しばらく先輩の「なんで?」が引っ掛かっていた。先輩には悪いが、遅効性の毒みたいだった。最初はただの好奇心とちょっとした虚栄心だったと思う。自分の知らないエロの世界に触れて、粋がりたかったのだろう。男の子の世界には「面白いやつとエロいやつが強い」という不文律がある。特殊性癖は「エロくて面白くなる」上で大きな武器だった。
「なんで?」の毒が回りきった頃、自分の性癖の分析を始めた。その性癖を初めてエロい!と感じた画像や動画を覚えている限りもう一度インターネットから探してきた。そしてそれらの要素を抽出して、どこがエロいのか?を考察していった。
すると大学に入ってから意図的に開発した性癖に関して興奮のポイントに二つの共通点を見つけた。
・犯される側に感情移入している
・弱さ、危うさを無意識に感じている
心理学とかはやってないので精神分析とかではないけれど、当時はただドMなだけだと思っていた。
ふと思い出すと“あの夢”は女装と両親との関係の崩壊を“エロく”感じる夢だった。
「女体化」にであったときに強い憧れに似た興奮を覚えたのも、露出・赤面した少女の画像ばかり集めていたのも、当然の成り行きみたいにMに目覚めたのも多分深いところであの夢に繋がっているような気がした。
今思えばエロくなろうとしたのは仲間内の地位をあげるためじゃなくて、あの夢から逃げていたんだと思う。でも結局お釈迦様の手のひらの上で飛び回る孫悟空みたいに、僕は“あの夢”に囚われていた。良くも、悪くも。
まとめ
性癖に故郷があるなら僕は女装とか羞恥とかの村に生まれたんだと思う。少し一般から外れてはいるが“なんとかなる”部類だ。
これが食人とかスカトロの村だったら、多分とっても大変だったんじゃないかなって感じる。
最近は同性愛が認められててうれしいけど、性的指向と比べ性的趣向は未だに犯罪者枠だ。
性被害を受けた人や性癖を持たない人が訳のわからない性癖を気持ち悪く思うのも理解できるし、特殊性癖をもろ手をあげて歓迎しろ!なんて言うつもりはない。だって気持ち悪いし。
でも痴漢の村に生まれたおじさんはお金を払ってイメクラに行くべきだし、ネトラレの村に生まれた兄ちゃんはエロ本を買うべきだと思う。それだけじゃなくて彼らが村から出ようとするなら恋人がそれを助けてあげてもいい。でもその努力って絶対隠れてするし、なんなら持ってることすら気づかれたくないから「エロ本を買った」「風俗に行った」だけが表面に出て崩壊しちゃうんじゃないかな。
普通にグラビアのおっぱいで目覚めて、部活のマネージャーと付き合って、大学の後輩と結婚するタイプの友達には理解されない話だけど、僕みたい(いわゆる「普通」の)異性愛者の村に上京することができた、そこ以外の村の人ってけっこういると思うし、「彼女がいるのにエロ本を買うのはダメだ」という人は一夫一妻の異性愛者村に生まれた人の価値観なんじゃないかなぁ。
本来ダンスを綺麗に踊るためには体の動かし方とか、体・関節の柔らかさとか重心移動のあれやそれとか…とにかく技術や体の素養がいるんだと思う。例えば高橋大輔選手や熊川哲也さんの踊りやステップが美しいのは、練習量も勿論だがリズム感、体の柔らかさなどの身体能力の高さにあると思う。だから上手い人と同じ振り付けのダンスを踊っても、体が固かったり踊り慣れてない人の踊りは只の運動神経悪い芸人になる。
個人的にダンスの授業は大嫌いだった。体が固く、運動神経も鈍かった、踊り慣れてない、ついでに背が高かったので下手な踊りが目立つ、この四拍子のせいで基本運動神経悪い芸人みたいな動きになる。しかも学校ではダンサーが使うような前面が鏡ばりになった教室で踊らされたので、常に自分の醜い姿を見せられるのである。自分の顔でさえ直視に耐えがたいのにダルダルな踊りまでついてくるとかなんの罰ゲームだと当時は思った。最終的に踊っている最中は全力で鏡の中の自分から目を逸らしていた。先生には「恥ずかしがらず鏡見なさい」と注意されたが自分の心が崩壊しそうだったから無視した。ゲーム画面に写った顔を直視し続けるようなものだったのだ。
嫌いな理由はまだある。それは皆でダンスを踊らされる場合である。自分の学校は進学校であると同時に、ダンス部が全国大会に行ける程強く、学校もダンスに力を入れていた。(入ってから知った)なので体育祭などもダンスが目玉といった感じだった。体育祭ダンスの振り付けは基本ダンス部の人が考える…のだが全国行くまでのガチな集団である、踊りのレベルが高い。足をめっちゃ上げさせる振り付けや、片足でずっと停止させる振り付け、激しく動く振り付けなどがあった。激しく動くのなんかダンス部がやると凄く綺麗になるのだが自分みたいな奴がやるとそれはもう只のイソギンチャクになる。落差。
また限界まで足を上げているのにダンス部の人達に「もっと上げて!」と言われることもあった。ごめんなさい無理です昔から足全然上がらないんです。
嫌いな理由はまだまだある。テストだ。最近の学校はどうだか知らないが、自分の学校は基本数人ずつ皆の前に出て、横一列となって踊るというのが体育のテストだった。「みんなのまえ」である。しかも横一列である。上手い奴と下手な奴の差が如実に表れる。プロ集団と運動神経神経悪い芸人の共演である。テレビだったら死ぬ程面白い絵面だろう。しかし自分は芸人ではないので笑われてもお金は貰えないしというか仕事でもない。只の公開処刑だったことは言うまでもない。笑うんだったらせめてお金欲しい。
最後の嫌いな理由は「練習」である。イソギンチャクみたいな踊りしか踊れないなら練習すれば良い…先生は時間外練習を推奨していた。しかし、自分はそれが嫌だった。何故体育の授業以外でダンスを踊らなければならないのだろう。確かに練習しないと皆に笑われるし、体育の成績も悪くなってしまう。だが学生に許された時間は無限ではない。私はダンスに費やすなら勉強や部活に費やしたかった。受験もあるし、進学校だったので勉強もおろそかに出来ないし。しかも勉強に比べてダンスの技術なんぞ将来ダンサー以外には何の役にも立たない。チームワークや協調性?それは部活やら他の文化祭の催し物やらで身につくだろう。寧ろダンスは下手な人上手い人が分かれてしまう分チームワークに亀裂が入ることの方が多いような気がする。
一応当時は少し体育の授業以外でも、友達と一緒に練習をしたこともあったが…ちょっと練習するだけでは運動神経悪い芸人からは特に脱出出来なかった。
因みに自分の学校は期末試験の終了数時間後に、体育祭のダンスの練習をさせる高校だった。流石にこの時はダンス部の人も「眠いよ!」と嫌がっていた。
しかし学校はダンスに力を入れていたが生徒全員というわけではない。寧ろ進学校ということで勉強に力を入れてる子が大半だった。特に受験に力を入れてる子にとっては試験直前、直後にも打ち込まれるダンスの授業を嫌がっていた。
他校だと高校は体育選択なんだろうか?自分の所は何故か必修で週2くらいあったが。
数年前ダンスが必修化したと聞いて驚いた。運動音痴かつ、目立ちたがりでない人にとっては下手したら苦痛の時間にしかならなそうだったからだ。実際はそうでもないんだろうか…?皆ダンスの授業大好きだったりするんだろうか
自分がダンスを嫌いになった理由は主に「高いレベルの踊りを強制的に皆の前でやらされ笑われた、しかも出来が評価にも響く」だったのでこの辺が改善されれば、まだダンスが好きでいられる人はいるんじゃないんだろうか。
実際小学校の頃のダンスの授業は好きだった。体を動かすこと自体は楽しいからだ。そこに評価も人の目も絡まないなら普通に楽しい。
後、運動神経悪い芸人は笑ってもいいと思う。芸人が笑わせるためにやってる芸だと思うからだ。芸人も笑われて本望、寧ろ笑われなかった方が嫌だろう。しかし普通の人にとっては自分の運動してる姿を笑われるのはショック以外の何物でもない。体育の授業で皆の前でテストさせるのやめた方がいいと思う。
世の多くのアナルフェチは可愛い女の子のウンコに幻想を抱いている場合が多い。
しかし、ここで一つ疑問がある。それは、
アナルが好きでウンコを好きになったのか?またはウンコが好きでアナルを好きになったのか?
ということである。
おそらくはじめはウンコに全く興味がなく純粋にアナルだけを好きだったんだろう。
しかし、次第にその神秘性に惹かれ、中の物まで気になり始めた。
ウンコに興味があり、それが出てくる穴にまで興味が出た。
しかし、スカトロではないので、あくまでウンコは出ないものとして考えている(可愛い女の子はウンコをしないのだ!!)。
色々考えてみたが、おそらく前者は無いだろう。純粋なアナル好きはウンコに興味を示さないのではないか?と思う。だから先も後も無い。
後者は王道である。私もそうだった。しかし、私の場合はスカトロに憧れがないわけではなく、実はウンコ食ったことある(可愛い女の子はウンコをしないはずなのだが、その時は何か間違いが起こった)。
以上より、ウンコが先だと思うのです。