はてなキーワード: 出川とは
それぞれの特徴を知っておけば、外国語は習得しやすくなるはず。
いいか、英語なんてそんなにはりきってやる必要はないんだよ。出川イングリッシュみたいにテキトーでも十分。
大学受験で英語を学んだ日本人の方が、あいつらよりよっぽど文法もスペルも正確だよ。
間違ったらどうしよう、じゃなくて堂々と間違えればいい。ブロークンイングリッシュでも単語を連発すればほぼ通じるし、今ならスマホで翻訳すればいい。
単語もフランス語とか他の外国語から借用しているものが多数あるツギハギだらけのポンコツ言語、それがEnglishの正体だ。英語ごときにビビるな!
外国の移民は堂々と間違えた英語で話している。その面の皮の厚さを日本人も見習った方が良い。
敗戦国の日本は戦勝国が統治している。戦前は敵国語だった英語が、今じゃ必修の第一外国語だ。神風特攻隊の英霊が知ったらひっくり返るだろうよ。
日本には今も外国軍が駐屯して日本を監視している。(本当の独立国には外国軍が駐屯していない。例:アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国など)
戦前の日本人はドイツ語が堪能だった。ドイツ語を勉強してみれば分かるとおり、英語よりも簡単に習得できる。
ドイツ語の発音ルールは、ヘボン式と似ており、日本人なら英語よりも親しみやすい。(一部、ウムラウトの発音など少し違うところもあるが、少数の例外を覚えば良いだけなので楽)
初めて異国語同士でコミュニケーションを取った人らがどうやったのか、不思議でならない。
まさかボディーランゲージとかを駆使して言葉と意味を擦り合わせてた訳でもないだろうし。出川にそれをやらせる番組があったけど、無理だろそんなの。テレビじゃあるまいし。
日本に宣教師が来た時とかどうしてたんやろ。それ以前に中国や朝鮮ともやり取りしてたし。
宣教師なんかは下調べの上で来てただろうから、中国経由とかで日本語を覚えてたりしたんだろうか。じゃあ中国語はどう覚えたんだって話だけど。中東経由で中国語を、近隣国経由で中東の言葉を……みたいな感じなのかな。
今ほどグローバルじゃないから、近い土地同士なら言葉も近かったんだったんだろうか。例えるなら日本語の方言同士で(といっても明治の標準語制定以前程度にはバラバラな感じの)、何となくの雰囲気や拾える単語と文脈を照合したりして、少しずつ対訳をまとめる感じ?
そもそもコミュニティ内で言語が発生したのも、分化して改めて双方向的に翻訳できるようになったのも、具体的な方法論を考えると不思議だ。
今日アメトークでダチョウ倶楽部やっててふと気になったけど、いつから「リアクション芸」と言うようになったんだろう。
こういう「芸」が全盛だった1990年代のバラエティをよく覚えているけど、当時は「られっこ」キャラの芸人に危険なことをさせて、痛い、熱い、苦しいと泣き叫ぶ姿を、俺たち視聴者はただただ純粋に笑っていた。上島や出川は「芸」だと思ってやっていたのかもしれないけど、観ている側からすれば、学校の教室のいじめをバラエティでリアルに再現していた(ように見えた)からこそ面白かった。
「リアクション芸」などという言葉ができたのは、たぶん2000年代後半ぐらいで、おそらく「いじめを助長する」という指摘に配慮するようになったのだろう。「お約束」が見えていないからこそ面白かったのに、「お約束でやっている」ことを強調するようになって「リアクション芸」は急速につまらなくなり、令和になって消滅しつつある。そしてそれはいいことなんだろうと思う。
上島さんが亡くなって、それについては悲しいの一言だけど、この際「リアクション芸」というのが個人的には苦手という死ぬほど嫌だったことを言っておきたい。かつては「リアクション芸」がはじまったら、速攻でチャンネル変えた。
ダチョウ倶楽部の中だけで熱湯風呂をやっているぶんにはいいだろう。しかし実際は、上島を熱湯風呂に叩き込む役割は、とんねるずやダウンタウンだったり、番組での立場が圧倒的に強いMC芸人だった。どう見ても、強い立場の人間が、弱い人間が苦しんだり痛がったりするのを見て楽しむ、というものでしかなかった。教室や部室の中のいじめやしごきをバラエティ風にしているだけである。あれをみんなが笑って楽しんでいる事実が、中高時代の自分にとっては自殺が思い浮かぶほどつらかった。
また、これがテレビの中で完結していればまだしもだが、決してそうではなかった。出川が繰り返し語っているように、リアクション芸人は街中を歩いてても、急に暴言を吐かれたり、軽く暴力を振るわれたり、自宅の前で騒がれたり、という被害を毎日のように直接受けていた。そういうエピソードを聞くたびに、リアクション芸人というのは、根本的に間違っているんじゃないかと思わざるを得なかった。
上島さんはリアクション芸にプライドを持っていたかもしれないけど、強い人間が弱い人間を痛めつけて笑うという、こうした芸は、もう令和の時代は完全に終わりにすべきだと思う。本当にそうなってほしい。