はてなキーワード: 平積みとは
ならananはどうなの?
こんなのがオタク向けイラストなんかよりもはるかに公共的な書店に平積みされてるんだぞ?
https://magazineworld.jp/anan/anan-2267/
令和のポプテピピックとか変態アニメとか散々な言われようの「吸血すぐ死ぬ」が好きだ
原作を買い込み作者のツイッターアカウントをフォローし単行本が出たらそれ片手にアカウントジャックを見てゲラゲラ笑うくらいには好きだ
無論、アニメ化する日を待っていたのは言うまでもない
実言うと今もアニメなんて雑魚い1オタクが見た幻覚なんじゃないか?と不安になるけど、ツイッターを開けばTLは賑わってるし、本屋に行けばアニメ化の帯が巻かれて平積みされてるから、おそらく現実だ
先日、「漫画は集めなくちゃならんから」と遠慮してた友人に「テレビつけるだけなんだからこのビッグウェーブに乗っとけ」と無理やりアニメを見せた
見事ハマってくれた
のだが…………
友人に言われて初めて気づいたのだ
原作からのオタクでも許容量を越えた情報とその衝撃に毎回怯えているというのに…アニメ見て、さあ沼ろう!ってところにこの量全部摂取したらヤバイんじゃなかろうか
(実際私も単行本が数冊出てからハマり、過去のアカジャや作者のツイートまとめを見て情報の密度と量に脳みそが弾け飛びそうになった記憶がある)
世の中をいろいろと騒がせている一世風靡したセピアじゃない方のやり手経営者とかいるじゃない。
メディアでよく見かけて本屋さんでも著書が並んで平積みになってる人。
そう言う人がさ
全部スマホで仕事ができる!勝たんしかスマホ!って言うもんだから
もしかしたら、
結論として私思ったのは
ああいう人は指示出してメールとかだけで仕事が出来ちゃう人だと思うのね。
きっとああ言う人が
物理的なそうねフィジカルな伝票や荷札シールを出したり貼ったりすることがない人たちの世界線は平行線交わらないから
そうそうにもうタブレットで仕事は出来ないかもって結論付いちゃったけど、
寝ながら仰向けになって動画を見ていてうとうとしていたら、
大ダメージを喰らいつつ角が刺さって
もう伝説の勇者しか抜けない剣ならぬタブレットになっちゃったもんだから、
これもしかしたら、
スポーツ新聞で女性タレントが始球式で絶対一面になってそうなノーパン始球式ならぬ
ノーバンで取ればセーフみたいなドッチボールシステムのルールを取り入れつつ、
いろいろと物色していたんだけど、
その副産物として
もしかしたらこれでしか勝たんタブレットで仕事を!って思ったのよ。
もういきなり初っぱなで、
さっき言ったフィジカルに接続された物理的なプリンターも接続することが出来ないし、
それリゾ!ラバ!って言いながら
いきなりしょっぱなで出鼻を挫かれたワケなの。
そう言った感じで全部スマホでお仕事ができちゃうなんて桃源郷の幻想のシャングリラのピーチツリーフィズなのよ。
要はあ・ま・い!ってわけ
私はあまーい!って言うよりも
手に持ったヴィブラスラップって言う楽器でガーって決めるところまでがお仕事だと思ってるから、
そうそうにそして
外に出て外出したらネットに繋がっていなかったという
結局私たちはLANケーブルの束縛から文字通り解放されたと見せかけて、
ダブルミーニングで上手いこと言っちゃったような気がして
抜けさせない問題があるのよね。
本当にああいう人たちって本当どんな仕事してんのかしら?って思うわ。
サザエさんに出てくる黒い家電話が出てきて一向に現実味がない!って批判があるけど、
あれはあれでもう時代劇としてみた方が
腑に落ちる感じがして格さん助さんな海山商事よ。
だから私結構意外とフィジカルなことやってるの多いんだなーって思っちゃって、
よくさテレワークテレワークだワーイ!って在宅で仕事してる人って
私だったら絶対カレー煮込みながらお仕事しちゃう自信あるもんね。
においは仕事先にバレないから絶対にカレー煮込みながら仕事していても分からないもんね。
在宅で完全にテレワークで仕事が出来ちゃう以外の仕事もあるんだなーって
今日はそう思ったし、
うふふ。
すっかり定番もうちょっと本当はタマゴ成分が欲しいところだけど、
ほどほどにした方が良いかもしれないわね。
そうかもね。
いい朝ですね!言いたくはなるわね
ならないけど。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
お前こそ ふざけんな
何がリアリティだ
頭も体も同じ程度に揺らせよ
実際には揺れてるって揺れ度合いが極端なんだよ
普通は揺れてても揺らしたくないんだよ
揺らすなよ
女性向けでは無いんだろ
異常に露出過多で胸部臀部が強調表現なのもウンザリガックリどん引き
話は面白いけど
ライトノベルの表紙もツライ
本屋さんで手に取りにくい
家族にも見られたくない絵柄
話の内容は全然違うし
恋バナも少しずつで18禁にするほどでもないのに
一般人にはわかんねーよ
男性向けで分けてくれよ
イチイチ疲れるし面倒
ハッキリ明示しろ
分けないで一緒に作った方が安上がりだと思うけど
見るに耐えない
未成年者に
胸が揺れる表現や
あれは異常強調表現だよ
日本は基本的に後者を優先してきたわけだが人命軽視は結果的に経済の衰退に繋がってしまうので悪手。これ忘れられがちなことをこの30年ぐらいで思い知ったのでもっと啓蒙されるべきだった。
また社会のあらゆるプレイヤーが経済優先で動くと賢い層よりも大衆向けのプロダクトしか作られなくなり本屋にメンタイコやひろゆきの本が平積みされるみたいな衆愚化した状況を招く。こうなると愚の再生産が始まってしまいこの悪循環を断ち切るのは容易ではない。
全員が目先の経済ばかり追うのでなく知識層の育成にもリソースを割かないと、平常時は良くても難しい有事の際にひどい状況になってしまうのは見ての通りである。経済優先では人は救われないのだ。
当方現在海外在住。日本にいたときは大型書店を巡って、全フロアのコーナーをだーっと見て歩いて気になった本を片っ端からみていって、気に入ったものを買って帰ると言うムーブをしていた。
書店員さんの推しのポップが好きだ。店ごとの平積みの本を見ていくのが好きだ。棚の中で表紙を向けている本のセンスの違いが楽しい。書棚の背表紙の文字に囲まれている空間が好きだ。きちんと分類されタイトルを一覧できるのが素晴らしい。全てのフロアの棚を見たと言う、なんとない制覇感が好きだ。全然知らなかった分野の面白そうな本に出会うと心がおどる。大量の本の中から背表紙で惹かれた本をたまたま手に取って良い本だったときなど絶頂すら覚える。
で、海外にきて日本の本屋に行くわけにもいかずAmazonやDMMとかに頼ることになるのだけれど、どうにもカテゴリ分けが微妙でおすすめ順も新刊順も探しにくい。何回も同じ本が出てきたり雑誌が混ざってたり何より一覧性がよくない。
もともと気になっている本を検索して一本釣りで買うのはやりやすいのだけれど、おすすめで出てくるのも自分の履歴からで新しい本との出会いも少ないし、物理本のように目次をぱっぱっと読んでいくのもなかなか難しいし、好きな範囲を立ち読みできないので買うか判断が難しい。
スクロールとページングがウザイ。書棚のようにどこまで見終わったのかがページ数の数値でしかなく、いつまで経っても終わりがないから制覇感がなく、特にセールだとなんか見落としているんじゃないかと気になってしまう貧乏性。
まちゅくのショタ時代を懐古するあたりsexy松結成前後にはガッツリオタをしていたと考えられる
3人体制の時期を乗り越えた女は面構えが違う。
ドル誌を毎月何冊も買い漁り丁寧に切り抜いてイッピ袋を作った老婆は、おそらく中〜高の頃ジャニヲタの友人が多く、校内ではハイカーストな集団に属していたであろう。
学校ではジャンプ担の友人とつるみながら、少クラでB.I.shadowを見てこっそり担降りしたのかもしれない。
仲間内で交換ノートを行なっており、罪の意識もなく手に入れた闇写を見せ合い、録画した少クラのDVDを貸し借りするのだ。
彼女の担歴から見るに、社会人になってからは美担に降りた可能性が高い
うきなすのどちらか。
おそらく社会人になってもジャニヲタを続けていたのに、それでも年老いて囚われているのがあの頃の記憶なのは
アンチ滝沢の愚痴垢も存在せず、ただ仲間と夢中になって本屋で平積みになったドル誌を立ち読みしたり、魂前日に夜鍋でうちわを作ってレス貰えることを夢見たり、心を踊らせながら横浜アリーナの前でふまけん双子コーデややまちね双子コーデを楽しむあの頃が、老婆にとっては最も楽しい時間だったからだろう
悲しき老婆よ
https://togetter.com/li/1698356
キャンパスは同じでカリキュラムも概ね社会科学・人文科学系なので多少は共通項もあるはず
国際教養は1学年600人くらいで、政治経済は1学年800人くらい
https://waseda.app.box.com/s/mm9excnx8y4qfd92ls95bqzbtx5lpm51
https://waseda.app.box.com/s/6jfnkx02vtydrgbxm8xrzb7mdshufppc
あと「留年」という言葉で誤解されがちだが、早稲田の学部は基本的に年度取得0単位でも進級はする。その代わり、5年生以上を「延長生」と呼称する。俺は詳しいんだ。
→定員分を吸収できるだけの講義数があっても、多くの人が取りたがる特定の人気講義に人が集中したら抽選にせざるを得ない。それは早稲田に限った話ではない。
→選外となった希望者にオンライン聴講権限を付与するような制度はあっていいと思うが(あるかどうかは知らん)、
いくらオンライン講義とはいえ質問への対応や課題の採点、単位認定等は担当教員が行うわけで、限度がある。
その辺は大学教員の多忙さに理解のあるはてなブックマークユーザーの皆さんならご理解いただけるかと思いますが…
・定員が多すぎるのではないか
→定員が多すぎるから抽選になるのではなく、募集数を超えて人が集中している講義のみが抽選になる。
・必修が抽選なんてひどい
→例の学生は必修の抽選に落ちたなんて書いてないように見えるんだけど、どこかにそう書いてあった?
必修が自動登録されて、空いたところに教養科目とかを入れるのがよくあるパターンだと思う。
同じ必修でも担当教員を選べるタイプの科目であれば、当然教員や内容によって人気の差は出るので抽選は発生し得る。だとしても全員を受け入れきれない必修科目なんてまずないと思うけどなあ。
→申請した科目が抽選ばかりで、それに落ちまくったらそうなる可能性はある。
ただ科目数自体は確保されているはずなので、本来は2次や3次登録でそういう学生を吸収しきるという仕組みになっている。
件の学生の場合、1次で半分以上落ちたとはいえ2次で十分挽回できる範囲のはずなので、なぜベストを尽くさなかったのかという気持ちもある。
https://www.waseda.jp/fire/sils/assets/uploads/2021/03/Schedule_Spring_CurrentStudents_J.pdf
n次登録が終わった時点でまだ空きのある講義の情報(現在の履修者数/定員)が掲示板やポータルサイト(全学共通)で提示され、学生はそれを見て次の登録申請を行うのが基本的な流れ。
全てが抽選というわけでもなく、担当教員が選考を行うこともあるが、そこは人による。
自分のいた頃は3次登録が終わってもあぶれてる人はかなりレアケースだった記憶があるし、全登録期間が終了して全講義の定員が埋まってるなんてことはあり得ない(必修科目なら尚更)のでどこかしら滑り込めた。
そもそも人気講義は選外になることを織り込んで「取りたい講義」「取れそうな講義」を組み合わせて申請するものなので、件の学生は不運とはいえその辺もちょっと不器用だったのかなという印象。
ただ…推奨17単位で、3次登録の申請が全て通っていたとしても合計18単位というのはちょっと履修計画に余裕がなさすぎると感じた。
窮状を訴えるのに2次登録の結果だけ触れてないのが引っかかるんだけど…申請忘れてたりしないよね…?(他人のことなのに止まらない冷や汗)
先行:0(1科目限定)
1次:9/19
2次+3次:5/9+?
大体の人は1次で落とされまくっても2次で半期20単位分くらいの履修を確定させる。(年間取得上限は必修込みで40)
1次よりも2次や3次の方が通る可能性は高いだろうに「1次の登録数>2次+3次の登録数」になっているのはさすがに2次+3次の申請自体が少なすぎるような気がする。
これだけ見ると典型的な「人気講義ばかり申請して抽選で爆死する人」のようにも見えるが、今年の講義実施状況が分からないのでそこは何とも。
とはいえこういう人は少数ながら毎学期必ずいる。自分がいた頃も、履修登録を忘れていて自動登録の必修以外ゼロ単位になった奴がいるなんて話も聞いたことがある。(真偽不明)
件の学生は期間内に登録自体はしてるようなので憤懣遣る方ないというのは分かる。なので問題は抽選云々というより救済措置の方にある。
定員が多すぎるというブコメが多いが、普通に定員を吸収しきるだけの講義数はあるよ。履修登録の度に全講義が定員いっぱいになる学部が回るわけないじゃん。
だから登録期間終了後にあぶれた学生を定員に余裕のある講義に受け入れるくらいの融通はきかせてあげてほしい。
個人的に優先してほしいのは
って感じ
自分がいた頃は学部事務所に行けば誰かしら履修相談に乗ってくれたが、今のご時世でそこのバックアップがうまくいってない、行き届いてない、周知されてない可能性は大いにある。
特に「抽選で選外になる可能性を織り込んで履修計画を立てる」のは基本のキみたいなものなので、各学部はそこをもっとフォローするべきだと思う。
(選外になる可能性を考慮しろという注意書きはシラバスに明記されていたし、今もされているとは思う)
国際教養の細かい事情は分からないが、一般的に1年生は必修が多いのであぶれることはさほど多くない。
(必修科目が定員超過することはまずないし、そもそも自動登録されることが多い)
件の学生は新2年生とのことなので、去年と同じ感覚で取りたい科目を申請していった結果、抽選で爆死したのではないかな~と思った。
従来は2年次に1年間留学する学部だと思うけど、コロナで留学できてない分国教で履修登録する学生が例年より増加している可能性もあるのでは。学部内履修学生数の増加に対して開講科目は増えているのだろうか。
国際教養学部というのは早稲田でも少し特殊な学部で、学部生は原則として2年次に海外留学する必要がある。
ところがこのご時世で留学生の行き来が殆どなくなってしまっている。
これは推測だが、
・本来であれば留学で国外にいるはずの日本人学生が、学部内の講義に集中して抽選が多く発生してしまった
・コロナ禍において、急に学部内の講義を増やすことができなかった/オンライン対応で定員を増やすことができなかった
この辺りは要因としてあり得るのかなと思う。
Add-Onlyというのはおそらく国際教養学部独自の制度だと思うが、これがコロナの影響でなくなったというのはよく分からない。
https://twitter.com/naataso_wsd/status/1382293955446902792
ただまあ、政経には元々そんな制度なかったので、救済措置として登録期間終わった後も空きの残っている講義にぶち込める制度作れや!というのは賛成。
1次でどれが抽選になるか分からなくて選外いっぱい出るのは仕方ないし、自分も経験がある。ただ2次以降は充足状況が公開されるので、それを加味して計画を立てるんやで。
2次は…?
人気講義が既に埋まっている段階ではもはや公平もクソもないので
選外になった講義の資料を融通してもらうくらいええやろがい。皆大体同じ額払ってんだろ
(このご時世でアレだがメールだけでなく直談判も意外と通ったりする)
(この時期は履修専門のアドバイザーがいた気がするけど今もあるんだろうか…?)
「戦略が悪い」という話にしてしまうと「人気のない講義に余裕を持って申し込んだけれど、本当に運が悪く低確率で全部落ちてしまった」人も自己責任になる。あなたは運悪い0.01%だから留年ね!で納得できるか…
そもそも人気のない講義は抽選になりません!!!!!!!!!!!!ストレートインです!!!!!!!!!!!!!!
人気がなさすぎてマンツーマンみたいになることもあります。(胃痛)
だからこそ「取りたい科目」を軸に「人気や日程を鑑みて取れそうな科目」を組み合わせて申請すればほぼ問題なく単位数確保できます!!!!
オンラインの授業なら物理的に講義室が足りないってこともないはず。何故対応できないのか/調べたら毎年600人以上入学してるのね。それは確かにオンラインでもパンクするわ。でもだから対応できないはおかしいよね。
確かにオンラインでもパンクするわ→だからといって対応できないはおかしい
「パンクするから対応できない」は成り立つだろ???何が言いたいんだ???
上でも書いたけど、聴講生としての視聴権限を与えるのは良いと思うしやるべきだと思うよ。
受講生として受け入れるのであればまた別の話だけど
獲得した科目数の少ない生徒を優先的に当選させればこういう事は無くなりそうだが何故そうしないのか?
履修科目数までは考慮してないと思うが、年次が高い方が優先になるというのはあったと思う(うろおぼえ)。4→3→2→1か4→1→2→3
より良い、より偏りの少ない抽選システムがあり得るのではないか?というのは同意するし、件の学生もそういう主旨の発信だと思う。
授業料ほしさに、教えられる分以上に定員増やしすぎたのかな。
定員100名の人気講義を希望者全員が受講できるように学部定員を100名にしました!
かくして不人気講義は廃止され、それに伴って学部の研究領域も縮小し、研究能力も低下しましたとさ。めでたしめでたし。(これは皮肉です)
総合大学を選ぶメリットはカリキュラムの選択肢の多さで、カリキュラムの選択肢は多ければ多いほど履修希望者の偏りが「人気」という形で生じるわけ。
だから登録期間終了後の救済措置や聴講制度の導入には賛成だけど、抽選が発生すること自体はある程度避けられないんですよ。
人気講義なら増やせばいい!って言う人もいるけど、ぶっちゃけ講義の人気なんて楽単か教員個人の人気に拠るところが大きいので、例えば同じ「政治学」をA先生とB先生がそれぞれ受け持ったところで、結局教え方の上手いA先生の講義に人が集中するだけなんだよね。
沢山の授業を開講し、管理する立場からすると、「人気科目だけでカリキュラムは作れない」「カリキュラムは学問の体系の表現である」から、全体として万遍なく履修登録されて学問を身に着けて欲しいとは思う。
そう思います。人気科目だけでは学部、ひいては学問も成り立たない。
救済措置云々とは別の話としてね。
マイルストーンなんか見て、楽単、人気講義だけ取っていったら、抽選外れまくった時はこうなるよね。過度の集中を促すマイルストーン誌が元凶のひとつ。
学生の有志団体がアンケート等を基に集計・出版している「マイルストーン」という情報誌があって(毎学期周辺の書店や大学生協に平積みされている)、
シラバスと見比べながら大体どういう講義があって、どれが人気で、どれが楽単で、どういう試験方式で…といった口コミ情報を新入生でも入手できる。同学科の友人が少なかったので大変お世話になりました。
ただその一方で、楽単や人気講義への過集中を促した面も否めないとは思う。
今はそれに加えてSNSの発達が一部講義の人気先行に拍車をかけている面もある…かもしれない。
自分の時代も人気科目とそうでないのがあって、落ちた科目は他で我慢して、最低限の科目数は確保できたのに、今は違うのか?/ドラフトではないが、ある程度抽選で落ちたら、他を優先的に選択できるようすべき。
本屋が好きだったし、一度は書店員として頑張ってたこともあるけどもう嫌になって辞めた。
最近どこの本屋にもヘイト本やトンデモ健康本(スピリチュアル・ニセ科学)コーナーが絶対にある。しかも店の配置的にイチオシ商品を優先的におくような場所に平積み・ドカ置きで激推しされてることが多い。
店員だった頃、年配のお客さんたちが新聞の広告に出ていたから〜とニコニコしながらそういう本を買い求めていた。私たちが探しやすいようにってわざわざ新聞の切り抜きまで持ってきてくれるんだよ。いつもレジでなんでもないことにありがとうって言ってくれる、取り置きしただけでも感謝してまたくるよって言ってくれるような優しい感じの人も、そういう変な本を買っていく。キツい。例えば年配の人がトンデモ健康法を信じて病院の治療を拒否したりして最悪のことになったらどう責任取れるの?こんな優しい物腰の人たちがヘイト言説を吹聴するようになって晩年に身近な人たちの信用とか一気に失っちゃったらどうするの?自己責任って言うの?いい加減な内容の本を大量生産して、勝手に配本するのやめてくれないかな。私は店長とかじゃないから拒否する権利がなかった。そのまま並べて売れないでくれって願うしかなかったけど売れていく。ほんとキツい。
たぶんこういう人たちは本の権威をまだ信じてくれていて、本になるくらいだから立派な内容と認められたものを立派な先生が書いてくれたんだろうなーって楽しみにしてるんだと思うよ。すごい、そんな不思議なことで病気が治るんだ!とか、テレビ(ちょっと軽薄なメディアという認識?)は扱わない、難しい内容とか歴史問題の真実を硬派で堅実なメディア、本こそが教えてくれるんだって信じてるんだよ。
本が売れないのはわかるよ。でも、こういう過激なものに頼らなきゃ本当に売りたいものが作れないとか仕方なかったとかそう言う言い訳、トンデモ本にハマって亡くなったり人間関係失った人に向かって言えるの?
本が好きだから本が売れない時代でも頑張ろうと思ったけど無理だったよ。最低賃金も長時間重労働もきつかったけど頑張れた。でもデタラメ本を売り切るためにいっぱいPOP書いてオススメですってニコニコ笑顔で言うのは無理だわ。
いつも来てくれるおじいさんが「おすすめの広告?書いたの君なんだ!内容がわかりやすかったし上手だから買っちゃったよ〜読むね〜!」って買ってくれた本、だめだよ。絶対信じないでほしいし二度とこんな本を置く本屋さんなんかに近寄らないでほしい。だから続けるのは無理だった。こんなことしてたら「本屋」は死ぬ。本はもう少し生き続けると思うけど。
いいものも悪いものもある、受け取り方によって毒にも薬にもなるのが本だって簡単に言うことはできるよ。でも何が正しいかすら思考停止するようならもう、本という権威はどこかに返上しといてくれ。
さて、今年度の7月に適応障害と診断を受けてから8ヶ月の時間が経ちました。
この8ヶ月の中での変化や、心や気持ち・環境との対峙の仕方などについて書いてみたいと思います。文脈が崩壊したり、段落のつながりが見えなかったりしたら、ごめんなさい。
【読んでくれると嬉しいなーという人】
1、診断の効用と注意点
診断が下ったことで、自身の状態が外部のストレス環境に大きく依存するということがわかりました。環境によって波は大きくなったり小さくなったりしますが、そういった波とうまく付き合っていくための方法を獲得できました。もちろん、まだまだ未獲得だったり、未学習な部分も多いですが。
(これについてはあとで詳しく書きますね)
一度自身の精神的にきつい状態を認めて病院に行き、診断をもらうということは、”病理”の世界に立ち入るということなのだと思います。
そうなったときに、一点不安だったことが、自分のアイデンティティの根っこを「病気」に持っていかれるのではないかということでした。つまり「病気だ」というラベルを自分自身につけて剥がせなくなるということです。これはメリットもデメリットもあることだと思います。
例えば、症状がひどかった当時は、診断書をかばんに入れて持ち歩いたりしていました。おそらく当時を振り返るに、自責傾向の強い自身にとっては、「自分は病気だ」とラベルを貼ることが唯一自分を責めないための手段だったのだろうと思います。「がんばらないと自分の価値がない」という精神的シャカリキさから、「もうがんばらなくてもいいんだ」という気持ちへ、診断を機にやっと切り替えることができた感じですね。診断の力はすごいです。
また、適応障害を機に、調べたり本を読んだりすることで、自分の認知がかなり歪んでいるということにも気づくことができました。(「認知の歪み」は過去記事にもある通り、去年の7月に「みんな私のことが嫌いなんじゃないか」などの考えのことですが、これは日常のささいな他人の言動を捉えるときにも適応されるので、取り組むことは一定重要な課題だと思います)。これは一朝一夕では解消されないので、なかなか苦労していますが、長期的に改善できるといいなと思います。
③別の病気への移行
適応障害はストレス環境により症状が出てしまうという一過性のものなので、ストレス環境から身を離せば、症状がなくなります。ただし、うつ病(恒常的な)だったり双極性障害にも移行するということもあり、ちょこっと注意しなきゃいけないな…と思っています。
この移行は、診断をきっかけに起こることなのかわからないですし、ごく個人的な所感なのですが。あまりに病識が強くなりすぎた場合に、「ほかの病気のこの側面も自分の状態にあてはまるんじゃないか…」と強く思いすぎることにより、自分の不安定な状態を強化していく…というサイクルに入るんじゃないかなと思います。ここについては、ちょっと個人的に思うところもあるので、また別の記事に機会を見てまとめます。
2、波とうまく付き合うためのあれこれ
①感情を記録する
「muute」というアプリを用いて感情とその日にあった出来事を記録しています。記録することでよかったことはまだよくわからないけれども、2ヶ月くらいやってみた所感として「気分がいい時には記録つけない」「気分が落ちすぎていても記録つけられない」ということ、軽くしんどい時には記録を取れます。記録を見返すことで、「何がきっかけで落ちることが多いのか」を把握することができます。あと、アプリのデザインがかわいい。そして、毎週AIからの「ニュースレター」が届くのが嬉しい。
もうちょっと重めの出来事を整理するのために「認知行動療法アプリ」というアプリを入れています。これは割とがっつりと書かなきゃいけなかったり、アプリのデザインもあんまりかわいくなかったりするので、個人的には使いにくいなーと思うんですが、ちゃんとやれるならよいと思う。私は一度だけ、先月末に仕事であった出来事を振り返るために使いましたが、頓挫しました。認知行動療法を一人でやりきるのは、結構エネルギーがいるので、信頼できる人と一緒にやれるといいかもです。だれか一緒にやろう。
②依存先について
どっかの大学の熊谷先生は「依存先を増やせ」ということを常々から言っていますが、その通りです。依存できる場所は分散し、相談の内容もそれぞれに分けられると超ベスト。これは相手のためでもあるし、自分のためでもあります。
ざっとあげると、「母親」「病院」「社内の相談窓口(キャリアセンター、こころの相談センターなど)」「仕事の同僚」「退職した元同僚」「パートナー」「知人」「元劇団の人たち」などかな。大学とか会社とかなんらかの組織に属している人は、組織のリソースはガンガン使った方がいいです。これ読んでいる人に学生さんがいたら、とりあえず健康センターとか保健室とか、なんでもいいから、お茶しばきに行く感覚で軽めのノリで一度はいっとくことをおすすめします。相談のハードルを元気なときに下げておくことも大事です。
個人的な話に戻ると、最近は友人との接触頻度を増やすことに意識を向けています。例えば、「ゲームやるだけの仲間」に入れてもらったり、過去の大学の友人に気軽に話せる場(「mocri」というアプリ)を持ったり、「〇〇の会」と称してエネルギーのある時には知人を家に呼んだりしています(例、「私たちのためのバレンタインの会」など)。対面で会うのは結構エネルギーいるから、そのときにはオンラインの手段もまぜこぜにしながら、ぼちぼちね。
あと、予定の管理がなかなかできないので(当日体調が悪くなったり、コンディションが悪くなるということが結構ある)、気の知れた人には「波が読めないので、当日連絡するか、遊びをやってることだけ教えてもらえたら当日調子がよければ行く」というふうに事情をつけて話しています。
③過敏さとの向き合い方
今「HSP」なんて言葉が大流行しており、書店での平積みも凄いことになってますが、「過敏さといかに向き合うか」という命題は、特性によりけりでしょうが、「すぐ疲れちゃう」と感じている方にとっては、とても大事です。情報の取り込みすぎは、疲れちゃうから制限しながらね。私の方法を載せておきます。
【音】
音への過敏傾向のために「耳栓」はマストです。トイレやキッチンの換気扇や冷蔵庫の「ブォーン」という音が気になった時には情報取り込みすぎのサインだと思っています。
最近耳栓が役に立ったのは、水族館のイルカショーに行った時でした。意図せずスピーカーの真ん前に席を陣取ってしまい、生の音に触れた時には頭が割れるかと思ったので、よいしょとつけました、危機回避成功。あとは最近は電車ですね、地下鉄とJR快速は要注意。窓が開いていて大変に脳みそに音が突き刺さってくるのでイヤホンもしくは耳栓マストです。
【光】
これは入社当時から苦労していたのですが、白熱電球が大の苦手でして。白熱電球の下にいるだけで、パフォーマンスが低下することがわかっています。だから、なるべく太陽光を取り込んだり、廊下の光だけで部屋の中は電気を消したりと、いろいろ工夫をしています。前の教室とかだと「電気ついてるけど消そうか?」とか「窓のある部屋がいいですよね」とか、スタッフみんなが配慮してくれました。感覚はひとそれぞれだから、しんどいときにはちゃんと言えることが大事です。ちょっと勇気いるけど。
【睡眠】
ストレスサインとして「悪夢」と「途中覚醒」は念頭に入れておいています。キャパシティを超えるストレスを受けた時って、交感神経優位な状態で睡眠に入ってしまうことが多いので。交感神経鎮めてから入眠する(お風呂に入ったり、湯たんぽ使う)などがベストですが、極度に疲労しているとそれもできにくいと思うので、お薬の相談もできるといいかなと思っています。自分はまだ眠剤は使用していないですが、場合によっては。
【教えて】
スマホとの距離感は、今試行錯誤です。依存気味なので、いい方法あったら知りたいです。
【その他】
鬱の状態のときの衝動性は怖いなとも思うんですが、早く通り過ぎるものに吸い込まれるってのは、本当にあるのね。だから「ホームの端っこにはいかない」「赤信号の時には道路のキワに立たない」ことは普段から意識をしたいものだなって思います。
3、最後に
新年度が始まり、社会人4年目になる4月に向けて、近況報告がてら書いてみたいという思いで書き始めましたが、波と付き合うための手立てやアウトプットできることがなかなか増えていて、自分でも感心しました。
こないだ見た映画で「いいなあ、君は私とは別れられるけど、私は私とは別れられないんだよ」というセリフがあって、「あーその通りだなー」ってぼんやりと思ったんですよね。そうそう、別れられないなら仲良くする方法を探すしかないのです。死ぬ勇気もないので生きるしかないんですが、穏やかに生きられるための方法や環境をゆるゆる作っていきたいものです。
今の本屋で売れてるのはネトウヨ本ばっかり!地獄!みたいな言説特にはてなだとよく見るけど実際そんな感じします?
コロナ以降は本屋自体あまりいけてなくて、近所の本屋はどんどん消えていってる始末だけどちょっと大きな本屋行っても一番売れてるのは鬼滅関連でそれを除外していっても売れてるノンフィクションとかだと「ケーキが切れない不良少年」とかだし、フィクションだと映画化原作とか村上春樹とかそんなじゃない?
日本国紀とかもう二年前の本で棚ざしだし。ああいうのが一時期でも平積みで展開されてたのが許せない!みたいな気持ちあるかもしれないけど創価学会本とか基本誰も買わないのに平積みされてたりしたよ。
確かに非リベラルやアンチリベラルの意見だって、インターネットで吐き出するぐらいは自由にできるさ。
書店に本を並べることもできるだろう。
流石にそれらを直接口封じされるほどヤバい状況にはなっちゃいない。
だけどそういうのって、学問だの批評だの言論だの民放テレビだのアカデミー賞だの直木賞だのNetflixだのの場からは、価値観のアップデートができていない野蛮で遅れたアホの野次だとか、衆愚の自尊心をくすぐる思想的ポルノでしかないと見られてるじゃん。
非リベラル側がストーリーを語る権利がないがしろにされているってのは、その辺を指してるんだと思うぞ。
リベラルの元増田からすれば「世間一般には非リベで保守の奴らのほうが多くて、俺らは数で負けてるんだから、優位にあるわけがない」って感覚なんだろう。
でもな、数の問題じゃねえんだわ。
なんだかんだいっても言論の中心ってのは、やっぱ格調高そうな大学の先生とか、文化人とか、テレビとか、賞レースに参加する作品とか、大企業のプレスリリースとかなんだわ。
たとえその担い手が人数としては少なくても、その辺を通じて出されるメッセージは、真面目なメディアを通して、真面目に扱われ、真面目に広められる。
(アメリカのFOXは、あの極端な保守があのメジャー度なの意味わからんしこえーな。扱われ方の実態をよくしらんので置いておくが)
虎ノ門ニュースだのまとめサイトだの平積みの愛国本だのは、影響力と売上はあっても、結局ゴシップやカスとり雑誌、流言飛語のたぐいでしかない。
俺はあの辺に触れてないけど、たぶん愛好者層のほとんどは自分たちが好んでる情報がうさん臭くてバカにされるもんだってのは自覚してると思うぞ。
たとえばいくらソシャゲが売れてようと、そのプレイヤー達ですらゲームのトレンドを作るのはコンシューマや大作PCゲーだと思ってる。
ユニクロヘビーユーザーでも、世界のファッションを動かすのはルイビトンだかエルメスだかだと思ってる。
今、言論における重鎮たちは圧倒的にリベラルが多いと思わないか?
たまに芸能人だの思想家だのが非リベラルなことを言う場合、みんな「敢えて言う」とか「歯に衣着せぬ本音を」みたいな前置きをするか、「過激発言」みたいな後先考えぬ炎上芸ぽい奴ばっかりだ。
カズオは、リベラルがストーリーを語る権利を自分たちの専売特許であるように感じてる、と言った。
僭越ながら俺が表現しなおすならば、「語ったストーリーを聞いてもらえる権利が、リベラルに偏っている」という問題だ。
もちろん厳密な権利論では、語られてる主張を聞くかどうかってのは聴衆に任せられる部分であり、語り手が「俺の声を絶対聞け!」と要求する権利はない(あったら世の中がやばいことになる)。
だが、非リベラルの意見には、世間的な大義名分が与えられづらいのは確かだ。
非リベラルの意見は、真面目な高尚な場で、真面目で高尚に扱ってもらいづらい、ともいえる。
リベラルの人間は、それは非リベラルというレッテルで聞くのを拒否しているわけではなく、実際に聞いた中身が余りに暴力的だったりくだらないから反対しているだけだ、と言うかもしれない。
でも、それはリベラル価値観で暴力的でくだらないとされてるにすぎないのかもしれない。
ならますます不味いぞ、世間全体がリベラル価値観に寄ってるということだから。
あと後編の方、何十も前の死んだ作家が非ポリコレだからどうの、なんてのはどうでもいいとこだろう。
露骨に古典が燃やされだす、もしくはドラマや映画や批評本で古典を題材に撮ったものが連発されだしたなら取り上げる意味が出てくるけどそうじゃないからな。
やっぱ腐女子兼フェミってあんまもの考えてないんだなって改めてわかったわ。
商業BLの多くは、表紙から「男性同士の恋愛ものなんだな」と察することができる程度だけど、裸で汗かいて絡み合っている表紙のものが普通の書店に平積みで置かれていることもある。
それが宇崎ちゃんとどう違うのかと聞かれたら、答えられない。
宇崎ちゃん、単におっぱいがデカくて表情が挑発的なだけで、作中ではハプニングで乳に触っちゃったりするシーンはあるけど、能動的な行為としてはキスすらしてないんだけど。ていうか、ニコニコ静画で読める最新の話を見てきた限りでは、まだ付き合ってないし。あの二人(あれ、恋心はもう自覚したってことでいいんだっけ?)。
それと裸で絡み合うBLとの違いが答えられないというならお前の頭おかしすぎますわ。
えーっと、仮に「人権」の話をするなら、そもそも他人が勝手にその人の恋愛やセクシュアリティを妄想してあれこれ書くこと自体が人権侵害なんだけど(異性間だろうが同性間だろうが)。お前の人権概念どうなってんの?
もちろん、創作されたキャラクターに人権なんてあるわけないんだから、原作で妻子がいるキャラクターでも好きなだけ男とセックスさせればいいんだけどさぁ(原作で貞淑な乙女がビッチ化するエロ同人と一緒だよね)、仮にキャラクターの人権を重視するんならそもそも人権のある存在を対象にした二次創作なんてしてるんじゃねーよ。人権は「お前にとって都合の良いライン」のことじゃないんです。
横だけど
は裸で絡み合う男と同程度にエロいもんだと思うけど。
挑発的ってのは「性的に誘ってる」って意味じゃなくて「ガキの喧嘩みたいなノリで煽ってくる」「ウザ絡みしてくる」って意味な。ポスターの台詞も「注射が怖いんすか~?」だったけど、どう考えても性的な意味での挑発ではないよね。あれを性的な意味での挑発だと読解する人は認知が歪みすぎてるだろ。
いいえ、違います
意味わかんないよ。同じじゃん……
「どっちも原作を蹂躙していてクソ」という意見ならともかく、「女キャラがビッチ化する二次創作と男キャラがゲイ化する二次創作は違う!」と言われても、知らんがな、同じやろ、以外に言えないわ。
ざっと読んで書いた増田(anond:20210306183907)にも書いたけど関係がない
セクシャルに言及がないキャラを同性愛者として二次創作を行う女性のこと"腐女子"とし
社会的、政治的そして経済的に性別は平等と信じる人を"フェミニスト"とするけど、
性的な搾取のない創作はできるので腐女子であってもフェミニストにはなれる
増田がそれなりの規模感の会社で取締役や準ずる立場になろうとしているならば疑う余地なく女性差別はある
だけど、おそらくは係長せいぜい部門部長程度の話だよね?なら関係ない
問題意識を持ち意見を常に上げていくことはとても大切だけど会社選び職業選びはもっと大切
そう言う創作が全てではないので
増田が性的搾取がある作品を好んで読んでいる・創作しているのならそうなのだと思う
肌色が多い・ボディラインの強調がすごい萌え美少女物と変わらないね。増田と同じく問題に感じる
けど萌え美少女物と同じく年々規制は厳しくはなってるしゾーニングは強化しているっぽい(途上)
それが宇崎ちゃんとどう違うのかと聞かれたら、答えられない。
宇崎ちゃんはエロ漫画じゃないけど公共の場にふさわしくない服装だった表情なのは疑う余地がない。TPOだね
女オタクは比較的ゾーニングできていると反論できるかもしれないが、実際女オタクだってR-18二次創作をTwitterのオープンなアカウントで載せている。
その検索しやすさのおかげでエロ絵を簡単に探せている。私が実際に恩恵を受けている。
絶対に隠れようという雰囲気のある界隈もあるが、女オタクは自浄作用があると胸を張って言えるレベルではない。
正直割合で言えば男オタクのエロ絵の方がなんの抵抗もなく載せられていると思うが、割合多いからなんなんだという話で。目くそ鼻くそだ。
微塵も隠れてないし、流行りのプラットフォームを使って検索避けしてますとか正直バカなんだと思っている
けれど優先されるべきは日本国の法律とプラットフォームのルール
もちろん、時間は有限なので好きなこと興味があることだけするべきだけど、
企業の社会的責任は国際規格 (ISO 26000:社会的責任に関する手引)にもなっているお気持ちの問題でも無いよ
上にも書いたけど、増田が性的搾取がある作品を好んで読んでいる・創作しているのならそうなのだと思う
原作で妻や恋人のいないキャラクターしか二次創作しないという個人的なラインを守っている。
描く分にはエロもない。
共感する
20年来の腐女子で、日常的に男同士の恋愛二次創作でにこにこしているんだが、それは趣味の話で、現実では当然仕事をしてお金を稼いでいる。
その中でどうしても、男性社員による扱いや、同じ仕事をしていても出世の道が遠いことに女性差別を感じたり、職場じゃなくても痴漢にあったり、「女性の地位向上を!」「性的搾取をやめろ!」と叫びたくなる場面がある。
わざわざ表立って活動をするほどの勇気はないものの、女性の権利を守る署名には積極的に参加してきたり、二次創作に関係のない意見を呟けるアカウントを作って呟いたりしてきた。
その中で、宇崎ちゃんの炎上を見て、初めは意見を呟いていたが、徐々にブーメランになって返ってくる気がしてきた。
言われたわけではないが、男オタクに「お前が普段読んだり描いたりしている二次創作も男性の性的搾取だろ」と言われるんじゃないかと思えてきた。
商業BLの多くは、表紙から「男性同士の恋愛ものなんだな」と察することができる程度だけど、裸で汗かいて絡み合っている表紙のものが普通の書店に平積みで置かれていることもある。
それが宇崎ちゃんとどう違うのかと聞かれたら、答えられない。
女オタクは比較的ゾーニングできていると反論できるかもしれないが、実際女オタクだってR-18二次創作をTwitterのオープンなアカウントで載せている。
その検索しやすさのおかげでエロ絵を簡単に探せている。私が実際に恩恵を受けている。
絶対に隠れようという雰囲気のある界隈もあるが、女オタクは自浄作用があると胸を張って言えるレベルではない。
正直割合で言えば男オタクのエロ絵の方がなんの抵抗もなく載せられていると思うが、割合多いからなんなんだという話で。目くそ鼻くそだ。
ぎょっとするのは私が慣れていないから、不快感があるからで、多分男オタクから見たら男性キャラのエロ絵は同じようにぎょっとするものなんだろう。
隠れるのやめませんか?オタクは恥ずかしくない!BLは腐ってない!と言い出す人たちは当然隠れていない。
ATSUGIのタイツの炎上の時は、気持ち悪いと思ったけど、もう意見は書かずに勝手に買わないだけにした。
私のフェミニストアカウントはフォロー200フォロワー10程度で、炎上したり「棚に上げてる腐ェミさん」と晒されたりするような存在ではないけど、自分たちは加害してないと思い込んでいるように見えるだろうなと急に客観視してしまい、呟けなくなってしまった。
私のしていることが加害なら、自分のしている加害だけ悪くないと言っていることになるのか。
自分を庇いたい気持ちがあるから言い訳するけど、私は男性の人権を踏みにじる二次創作はしていないつもりだ。
原作で妻や恋人のいないキャラクターしか二次創作しないという個人的なラインを守っている。
描く分にはエロもない。
でもそれは個人的なラインだし、「男性は男友達と仲良くするとこんな目で見られるんだね」と言われたら、言い返せない。
いや、現実ではそんな目で見ないから言い返せるんだけど、二次元でやってることを三次元でやらない保証はあるのかと聞かれたら、ない。
だから、腐女子とフェミニスト兼任してる人は、どういうスタンスなのかが気になる。
自分の中で矛盾していると感じているのか、それとも感じていないのだろうか。
色々書いたがやっぱり私は宇崎ちゃんのあのポスターはどうかと思うし、ATSUGIのタイツも気持ち悪いと思う。感情ではそうだ。
それを自分の行為と矛盾せずにどう表明したらいいのかわからない。
沢山の反応ありがとうございます。
※ここで言う「下手くそ」はどっからどう見てもパースが狂ってたり強烈な違和感を覚えるような絵のことで、漫画家なら全員が完璧な絵を書けって言ってるわけじゃない。
※
漫画家は絵が上手い人しかなれない特別な職業だと思っていけど、近年はTwitterで一発当てて書籍化する漫画家が沢山いてひっくり返ってる。
小説も音楽もバズったやつから質とか関係なしに売れていく節があるし、そういう世の中なんだなとは思うけれど。
でも漫画(絵)ほど善し悪しが分かりやすいものなんて無いのに、だれが表紙絵の時点で関節がありえない方向に曲がっている大判の漫画本(1000円)を買ってるの?いや売れてるからポコポコと何度も同じような本が出ているんだろうけどさ…
話が面白いとかコマの魅せ方が上手いとか何かしら素敵なポイントはあるんだろうけど、でも画力=説得力じゃん。
少女漫画のイケメンが赤面しながらも告白してくる大ゴマにそこらへんのオタク中学生と同じレベルの落書きみたいな絵がどーんと載っていて萌えるか?萌えないだろ、線汚いし目寄ってるし唇の下の線おかしいしまず顎が歪んでるなって容姿の方が気になってしまうだろ…
無料のマンガアプリでオリジナル連載されてる半素人の作品なら画力が商業漫画に及んでいなくても文句を言う筋合いはない。黙って読むし合わなかったら離れる。
でも商業漫画、しかもエッセイやギャグじゃないシリアスな恋愛モノとかで、下手したら美術部の学生よりも歪な絵を描いているのはもう、どういうことなんですか?と。
そういう支持層が謎すぎる不思議本と何10万部も増版してる作者の本が並べて平積みされていて、本屋の新刊コーナーは特に混沌としている。
不思議本の作者は自分の画力不足に気づいているのだろうか?近所の本屋に言って他の漫画と並べて置かれている自分の本を見て、惨めな気持ちにはならないのだろうか?←この考え方物凄く性格悪いよね、不快になったら申し訳ない。自覚してる
とにかく、
何が理由なのかね。自分は元々絵柄の好みが激しいので、個性以前に基礎的な絵が出来上がっていないのは気持ち悪くて見ていられないのかもしれない。YouTuberがテレビでオリジナル曲を披露してるのを見た時に近い共感性羞恥も感じる。
自分は嫌いなんだけど、どこかの誰かは好き好んで不思議本を買ってるんだよな…。
絵が上手い下手は別として、話をまとめてコマ割りして人に読ませられる形に整えられる人は凄い。自分は出来なかったから。物語を形にできる時点で外野から「画力ガー」とか言ってる奴とはステージが違うんだよな。
終わり。でもやっぱり何コレとは思い続ける。
思ったより伸びてて驚いてる
お察しの通り増田は特段漫画に詳しいわけではないので、コメントで挙げられてる「下手くそ」な漫画家の名前も殆ど知らない!色々とごめんな
始めの方で触れてるけど、俺が下手くそな不思議本だと思ったのはSNSでバズった四コマ漫画をそのまま引き伸ばして単行本にしたようなやつ。こんな話題を撒いといてアレだけど万一本人のエゴサに引っかかったら申し訳ないから具体例は出しません。バズったのを売りに出すのは理にかなってるかもしれないけど、それにしたってその画力でええんか??と疑問に思ったの。だから書きました。文章が曖昧だから色んな捉え方されてるけど、「絵が下手くそな商業漫画」はちょっと主語デカすぎたかも。増田はミーハーだから有名所は全部「うめぇ!おもしれぇ!」で読んでるよ。もし四コマ下手くそ漫画が売れまくってたら、俺も尻尾振って購入してたかもしれん。知らんけど…
などなど、自分自身で考えることができていない人が多い。そもそも科学的な営みの経験がない人が圧倒的多数なので仕方のないことなのかもしれない。
少なくとも総合職ならば、必死に勉強するものだと思っていたのだけど違うの?
ゴミの山からゴミを生成する簡単なお仕事。最近では上司の前任の前任が作り始めたゴミをまた今年も生成している。国民の役に立つことをしたいなぁ。
諸先輩方と似たようなキャリアパスを辿ると考えたら通勤中に吐きそうになった。その日は仕事に行けず休んでしまったのでいよいよ重症。キャリアパスの幅が広い省庁とか羨ましい。
何度キーボードをクラッシュしようと思ったかわからないくらいゴミ。なお、一般的な職員のITリテラシーもゴミの模様。ワード、エクセル、パワポ、ワード、エクセル、パワポ、ワード、エクセル、パワポ・・・。ワード、エクセル、パワポも使いこなせていないのにAI・RPAとか言い出すお年寄りたち。せめて本屋で平積みされている本を何冊か読んでからお願いします。
補佐クラスがマネジメントをまるでしていない。できていない。誰が何をするのか整理しようよ。その上は言わずもがな。
4年目の総合職係長と、15年目の二種係長が同じ役職ってなんなんだろうと。できる一般職の人はさっさと昇進すべきだし、自分が賢いと勘違いしているアホな総合職・一種を昇進させるのは周囲に迷惑をかけるのでやめてもらいたい。
残業が長いこと自体はそこまで気にしていない。これまので過去最長は平日のみで月120時間なのでそこまででもない。なお、国会のせいではなかった。残業時間が長いことについては、初めから覚悟していたし、年間平均を取れば大学院の方が労働時間が長かったので正直余裕。研究室での実験と比較すれば当社比でホワイトまである。
何が問題なのかと言われれば、7時間以上残業して生成されたものがゴミであり、私はwordの使い方以外何も成長しておらず、残業代が支払われれば私の口座に振り込まれることで税金が消費されていくという徒労感。国民のための仕事なんだと、自分が成長していっているんだという実感を心から持てるのであれば、1日くらい寝なくても別に構わないと思って職を選んだし、これは今でも変わらない。残念なことに心からそう実感できたのは、今までて3日くらいしかない。
幸いにして、セクハラ・パワハラの被害には自分は遭わなかったと思っている。ただ、怒鳴るアホとかチクチク文句を垂れるお姉様(ババア)とか、いまだにいらっしゃるので、自分がそうならないための記録も兼ねてデスノートに記録したりはしていた。パワハラで辞めてしまった人もいた。官房の人事課に不快な案件について詳細をメールするなど細かい作業は怠らなかったこともあってか、私は異動で考慮してもらえたのかもしれない。個人的に一番辛かったのはスメハラです。息をしないのは流石に不可能だった。
動いた結果、想像の斜め上を超越してしまう出来事が最近生じまして・・・。周りを変えるとかそんなこと言わずに自分を守るためにとっとと去ろうと決心したところ。転職活動のためにいろいろと勉強する時間も作りたいし、もう言われたことだけを超速で終えるマンになってしまった。
然り。昔の自分をひっぱたきたい。
コロナの状況で転職市場がまるで読めないけれど、次の異動までに転職するつもり。仕事もコロナもそうだけど、何より京都に帰りたい。転職できたらこれに対するアンサーを書きますので、楽しみにしててください。