はてなキーワード: どん引きとは
落ちこぼれたやつを最低限のセーフティネットで救い上げる方式にしろよ
このままだと大多数のまともな人間は使いつぶされる。
なぜ障碍者どもに王侯貴族かのように振る舞うことを許してるのか
今のやつらは甘やかされ過ぎて勘違いしている
ADHDだのASDだの、一昔前は人間扱いされていた人間が、人間扱いされないようになって
ああ、俺は障碍者だから社会の歯車として生きていかなくていいのだ、という免罪符を与えられる
俺もADHDの診断を受けたものの、薬物は使わずにTool Assistedで何とか社会人として生きている
あのまま、医者の言われるがままに手帳を取っていたらと思うとぞっとする。
日本は何でもかんでも付加価値にならないところにお金と労力を掛けすぎだ。
そりゃいいところもあるよ。余裕があるから細かい部分にフォーカス出来て独自の文化が作られている側面もあるだろう
だが、それが行き過ぎて大多数の優秀な人間、善良な人間が割りを食うようになったらおしまいだよ
昨年、障がいを抱えながらも定年まで勤め上げた叔父が亡くなった。
晩年、彼はずっとこういい続けた
こういう事例を見掛けるたびにそれを思い出す。
今までそれから疎外されていながらも、存在を許されていたはずの彼らが
社会の在りようを自分中心に定義するようになってしまえば、大多数の人間が苦しむようになる
これでは誰も救われないじゃないか。
多様性の時代、存在を許すこと自体はいいし、出来る範囲でさらなる快適さを求めるのはいい
だが、それはあくまで存在だけであって、社会の有限の余剰リソースを使ってそれが許されているに過ぎない
少数民族が大多数のリソースを使いつぶす社会は絶対にうまくいかない
それはまるで、グリーンベレーが少数民族に国を支配させたような植民地支配の形だ。
我々は、お互いに謙虚でなければならない。
私の故郷は、海抜六〇〇メートルの丘陵地に佇む半農半漁の村で、後方は形のよい峯が三つ並び、前方には大きな入江があって多島海に伸び、子供の頃は、その入江で魚つりに興じました。
竹の棒に糸を張った粗末な釣具で、餌もミミズでしたが、満潮の時などは入れたら釣れ、入れたら釣れで、一時間もすれば小鯛などバケツいっぱいになりました。
腹が立つのはフグで、五回に一度はかかり、フグに毒があることは子供にも分かることでしたから、腹立ちまぎれにフグの白い腹を石にこすりつけるとみるみる大きくなり、このガキッとばかりに思い切り石に叩きつけと、パーンという音がして腹が裂け、溜飲を下げました。
私は五人兄弟の次男として畑仕事や魚釣りに勤しんでいましたが、田舎の貧しい暮らしから豊かな生活を夢見て、一足先に日本へ行った八歳年上の兄祥雨を追いかけて◇◇へ来ました。
その時十七歳で、一九三九年でした。兄は布施(東◇◇市)でセルロイド工場を経営し、腕輪やクシを作っていました。
その兄の元へ身を寄せ、普通学校四年を卒業したものの、価値ある社会活動をしていくためにはさらに学が必要だと感じ、向学心に燃えて◇◇・東成区の夜間学校(◇◇商工実務学校)へ通うことにしました。
工場住込の私の仕事はまず、朝五時に起きて無煙炭をおこし、六時半に出勤する職人さんの仕事に間に合うように湯を湧かしておくことでした。
そして、仕事が終わるのは夕方の六時。急いで自転車を走らせ学校へ行き、帰りは一〇時で、それから夕食をとり、深夜の一時過ぎ、二時過ぎまで勉強して、寝るのが連日三、四時間でした。
その死にものぐるいの努力が効を奏して、成績はトップとなり、幸か不幸か、級長をやらされました。
戦時中でしたから、訓練ばかりで、「前へ進め」「全体とまれ」と号令をかけるのが級長の役目でした。
ところが、私は強度の「どもり」でしたから、その号令の文句がなかなか言えず、落ち込んでしまって、《死んでしまおう》と何度線路に寝込んだかわかりません。
星の光が目に入るたびに、《ちょっと待て、死ぬんだったら、もういっぺん努力してみよう》という気持になり、「どもり」の矯正学校を五つも修了して、死ぬほどの努力を重ね、矯正しました。
こうして、《ヤレバデキル、ダメナコトハナイ・・・》の信念を貫いて苦節の日々を克服したことが、大きな自信となりました。
終戦後の一九四八年のことですが、体を悪くして、マイシンの注射を打ったところ、耳に障害が発生し、聞こえなくなってしまいました。
これまた、苦節の日々で、断食をしたり、いろんなことをやってみましたが、完治するまでには至らず、補聴器の世話になる毎日となりました。
ところで、戦争は激しくなり、私も協和会の勤労報国隊に徴用されて、九州の炭坑で二ヶ月ほど働かされました。
石炭を掘って出てきたら顔は真っ黒で、目が辛うじて見え、つらい日々でした。
そうこうするうちに戦争が終わり、兄はそのまま日本に残りましたが、私は里心がついて故郷へ帰りました。
日本兵が釜山の港からどんどん引き揚げて行くさなか、私も小さな船で玄界灘の荒波を掻き分け、決死の覚悟で日本へ戻ってきました。
一九四八年に兄と、資本金二〇万円の◇◇グリップ化工株式会社を設立し、自転車のハンドルグリップをセルロイドで製造し、販売しました。
以来、資材をセルロイドからプラスチックに変え、◆◆◆グリップの普及に努力しました。
その途上、兄を交通事故で失い、私が会社を引き継ぐことになりましたが、中小企業信用保証協会や育成協会からの資金融資は韓国人業者としては第一号だと思います。
一九九〇年に◇◇グリップ化工から◆◆◆技研に社名を変え、現在では日本全国の占有率九〇パーセントを獲得し、一億人以上の人に◆◆◆グリップを握ってもらっています。
私は、金属、木材等で作られている従来の物をプラスチックに代えて作るという物づくりを企業の基本理念の一つにしてきましたから、事業の発展に伴い、グリップの他にも車輪、カゴ、チェインケース、泥除け等、タイヤ以外のものは全てプラスチック化し、その間の特許も数百にのぼって、◆◆◆製品は世界のブランドとなりました。《継続は力なり》の精神で、より精度の高い関連商品の開発に努めています。
一九六〇年頃、日本と韓国との間にはまだ国交はなく公式には往来できない時で、金融機関の祖国産業視察団の一員として、初めて祖国を訪問しました。
懐かしい山河の景色、幼なじみの顔、感激の涙に浸るばかりでした。
その感激もさめやらぬ時、町から一キロも離れていず、一六〇戸もあるわが懐かしい村には電気も水道設備もないことに気づき、昔と変わらぬ貧しい古い部落がそこにありました。
《故郷のために何かしてやりたい》という衝動にかられ、その後、回を重ねて訪問する毎に藁葺きの集会所を二階建の近代的な建物にして
事務所や老人らの憩いの場に使用できるようにし、また、電気架設の資金協力や子供たちの遊び場等も寄贈し、植木やスピーカー等も添えて故郷の人の心を癒やすことに努めました。
人間は誰しも食うがため、生活するがために働き、事業するものだと思いますが、私もご多分に漏れず世間並みの生活を夢見て渡日し、口では言えない苦労と努力を重ね、一応の目的は達したと、自分を顧みています。
これまで、通産大臣や府知事、税務署長などの表彰を受け、韓国政府からも国民勲章冬柏章を受章しましたが、私の企業活動に対� =キる評価だと喜んでいます。
現在、◆◆◆ー技研のグループ企業として◆◆◆販売と韓国◆◆◆があり、◆◆◆技研は私の長男に任せています。
◆◆◆販売は兄の息子が取りしきり、ヘルメットを中心としたオートバイ・スポーツ用品を製造販売し、韓国◆◆◆は弟の息子が社長を務め、スキー・水泳用品を主力としたスポーツ製品を製造・販売し、輸出による外貨を稼いで祖国の経済発展に寄与しています。最近は中国青島にも進出し、六〇〇人ほど雇用しています。
兄の処世訓は《まず、自分自身が立派になり、次に家族の支えなり、その次に身近な社会に貢献する》ということでした。
私は、兄の遺志も引き継いで、家族会を設け、年一回会合を開いて、十親等以内の全学徒に、成績に応じて奨学金を支給しています。
その家族会の会長は私ですが、弟の息子がすべて代行してやってくれています。
いわば、祖国故郷で私の夢を実現してくれる代理人のような存在です。後は、全家門の子孫たちが末永く仲良くしてくれればいいと願うばかりです。
振りかえってみれば、私の人生は苦しいことのみの連続で、喜びや楽しみというものがあっただろうかと思う時がありますが、◆◆◆販売の新社屋落成式(一九八四年)に、私が挨拶をし、息子夫婦、兄の子供夫婦、韓国の甥夫婦を紹介し、その三人を後継者として披露しました。
三人はそれぞれに立派に成長してくれ、私の夢を実現してくれる後継者になってくれたことが人生最大の喜びです。それに子孫たちが、私の喜寿(七十七歳)をニューオオタニホテルで祝ってくれたことも忘れられない喜びです。
外孫まで入れると四十五、六人になりますが、アメリカに行っている七、八人の子孫たちもその日(一九九八年九月一八日)にはみな帰っ� =トきて祝ってくれました。
私たち韓国人は、税金も人一倍納め、社会に貢献しているにもかかわらず、後ろ指をさされる傾向が強いのですが、人間というものは生存競争のなかにあってライバル意識を持ち、自分より事業を大きくやっていたり変わったことを大きくやっていたりすると、ねたみの心が出てきて、あらぬ中傷に走るのではないでしょうか。
私たち韓国人の側にも虐げられたひがみ根性というものが抜けきれないのではないかと思いますが、真面目に生き、社会に貢献していくことが肝心で、価値ある社会人になるためには自分自身が努力し、そのためには人の話を聞くことです。
何か疑問を感じたら、聞くのが一番の近道で、その疑問を解いてくれる人が見つかるまで聞きつづけたらいいのではないでしょうか。聞くことにお金はかかりませんし、それが私の処世訓の一つです。
YouTubeでパレスチナとイスラエルの歴史を学ぼうと思ったら、英語で検索するに限る。
(本当はアラビア語とヘブライ語もわかれば最善なのかもしれないけど、ハードルが高すぎる)
ここ数日でたくさんたくさん視聴したので、中でも良質なものを紹介していきたい。
(実際に動画を見ずとも、紹介文だけでも読んでって)
1920年のパレスチナ: もう一方のパレスチナ人の物語 (字幕なし)
Al Jazeera English - Palestine 1920: The Other Side of the Palestinian Story | Al Jazeera World Documentary (47:17)
今でもユダヤが盛んに引用する、かつてのスローガン「土地のない人々のための、人々のいない土地 (A land without a people for a people without a land)」は、シオニストによる幻想である、というのが動画の主題だろう。パレスチナで健全な経済活動が発展していた証として、1934年の地元のアラビア語の新聞で「鉄道が5分遅れた」ことが報道されているというのが興味深い。
また、「パレスチナ人は国家を持ったことがない」との主張もよく見られるが、それには「今のイスラエルがしているような土地の奪取や抑圧がなかったからだ」という反論もまた定番で、この動画内でもオスマン帝国時代にパレスチナが議席を持っていたことが紹介されている。
イスラエル - 国家の誕生 (公式英語字幕あり = 自動翻訳の日本語字幕に切り替えても精度が高い)
DW Documentary - Israel - Birth of a state | DW Documentary (51:56)
※11月11日現在、動画が非公開になっている。直前までTwitterで言及があるので、ごく最近に非公開になったばかりか?ただしチャンネル内のイスラエル関連の動画全体が非公開になっているわけではなく、批判的な内容の動画も残されている。→DW Documentary - Israel Palestine
イスラエルの建国をイギリスによるお墨付きとしたバルフォア宣言の、但し書きとも言える「もちろん、パレスチナにもともと住んでいる非ユダヤ人の市民的・宗教的な権利が侵害されるべきではないことは明白である」という一節が、現代にむなしく響いている。
ドイツならホロコーストへの負い目があってもおかしくないとも思えるが、番組としてはユダヤ人のシオニズムに批判的である。もっとも、「ユダヤ人の排斥」という共通の関心の元に、パレスチナとナチスドイツに親交があったという歴史の側面も紹介されている。
なお、動画の公開は今年の5月だったが、ハマスの奇襲攻撃を受けてなのか10月13日に動画のタイトルが「Birth of a state (国家の誕生)」から「Story of a contested country (論争を呼ぶ国の物語)」に替えられたあと、10月20日にふたたび元に戻されたという経緯があるようだ。
どうしてイスラエル人入植者は紛争地であることを気に留めないのか (公式英語字幕あり)
Vox - Why Israeli settlements don’t feel like a conflict zone | Settlements Part II (10:56)
アメリカ新興メディアVoxによる、今も進むイスラエル人による西岸地区への入植の解説と当事者インタビュー。
大きく分けて、イスラエル政府やアメリカ資本の支援を受けた大規模な入植事業によるものと、宗教的信念に駆り立てられた個人・家族レベルの草の根入植が同時に進んでいる。エルサレムを含む西岸地区全体が「神が我々に与えた土地なのだ」という理念が、世俗的な入植動機の建て前としても、シオニズム信奉者の原理主義としても、お上から下々まで一貫していることに恐怖さえ感じる。
アメリカ新興メディアVICEによる、エルサレムにおける強権的な入植活動の実態。
いわゆる「入植地」とは違って、エルサレムにおいては一軒一軒の家単位での入植が進んでいる。一等地にはパレスチナ人に対して大金を提示することもあるようだが、この動画で紹介されているのは、入植者に都合よく作られた法律と軍隊に守られて、パレスチナ人を追い出してユダヤ人が住み着いてしまうという事例。
イスラエル側の副市長が、悪びれもせず「(イスラムの聖地である)岩のドームのある場所に、(ユダヤの悲願である)エルサレムの第三神殿を建てるのが夢だ、我々の世代のうちに」と語っている。
Rick Steves' Europe - Rick Steves' The Holy Land: Israelis and Palestinians Today (56:46)
ヨーロッパを中心に各国を旅する人気番組。この回では現代のイスラエル・パレスチナの各地を訪れ、ガイドや地元の人々との会話を交えながら、歴史と文化を紹介している。
近代の戦争の歴史やヨルダン川西岸地区での入植や抑圧の問題にもしっかり触れているが、全体としてはイスラエルとパレスチナの人々の活気にあふれた明るい側面を見せてくれる点で、YouTubeの中では貴重な資料。しかしいっぽうで、このイスラエル・パレスチナ回だけコメント欄が閉じられているのは、動画に暗い影を落としている。
イスラエルのアパルトヘイトが、いかにして私の故郷を破壊したのか (公式英語字幕あり)
アルジャジーラによる2022年のドキュメンタリー。パレスチナ出身の父を持つアメリカ育ちの二世ジャーナリストが、イスラエルの隔離政策のせいで変わり果ててしまった父の故郷を訪ねる話。
イスラエルの元軍人の助けを借りて「パレスチナ人立ち入り制限区域」を歩くが、パレスチナ人に対するイスラエル人入植者や駐留イスラエル軍の露悪的なふるまいは、過去のユダヤ人や黒人に対する差別と迫害そのもの。ウイグルにも近いと感じる。
パレスチナ暫定首都の市長と会おう (ドキュメンタリー映画) (英語字幕ありだがYouTubeの字幕ではないので日本語翻訳にはできない)
VICE News - Meet the Mayor of the Unofficial Capital of Palestine (Full Documentary) | The Short List (2:13:43)
2020年公開の、パレスチナの暫定首都であるラマラの市長の日々に密着したドキュメンタリー映画。本編は1時間30分で、残り40分は監督のインタビュー。
文化的で明るく楽しい街の一面もたくさん紹介されていて、イスラエル軍による監視や抑圧と自治権や移動の自由の制限さえなければ、よい街のよい市長だったはずだろう。市役所の幹部には女性も多く、先に紹介した旅番組でもパレスチナの大学は女子学生のほうが多いと語られていたが、日本より女性が社会に進出している感がある。
オスマン帝国時代の法律のなごりで、イスラム教徒が多数派の中にあって市長はキリスト教徒と定められているというのも興味深い。(もともとはオスマン帝国時代からキリスト教徒が多数派の街だったらしい)
なお、本題とは関係ないが、映画内の音楽は武満徹や芸能山城組による日本の曲が多用されていて、特に脈絡もなく日本語の子守歌が流れてきた(30:32)のには驚いた。
ちょっと世界一周してくる。by nojiken - #115【現在進行中の悲劇】 パレスチナで何が起こっているか僕が見たことを伝えたいと思います。パレスチナ問題はとても根深いです。(エルサレム、ベツレヘム、ヘブロン / イスラエル、パレスチナ) (30:25)
動画自体は2020年の公開だが、前半は歴史の解説で、後半は本人による2013年のヨルダン川西岸地区への旅行体験記。イスラエル軍に抑圧された厳しい環境下のパレスチナ人の一般家庭に泊めてもらったりしていて、日本人のふつうの観光系YouTuberの動画とは一線を画している。
欧米は親イスラエルだと思われるだろうけど、実際、YouTube上で「再生回数順」で検索する限りは、パレスチナに寄り添った動画のほうがずっと多い。
数少ないイスラエル寄りの動画は総じて、聖書や2000-3000年前の歴史に触れたあとはパレスチナやアラブを悪や下に見ることに主眼が置かれていて、もっとユダヤ人の悲しい歴史や難しい立場で同情を誘うほうが戦略としても優れるのではないかと思うのだが、そうした意味でのプロパガンダにはイスラエルとして興味がないか、成功しているとは言えない。
なお、聖書を持ち出すのは非キリストのイチ日本人としては全く理解できないどころか、2000年掛けの土地の所有権の主張にはどん引きさえするのだが、イスラエルを支持するアメリカのキリスト教福音派に対してはこういう話が最も好まれるようだ。なのでこの点は戦略としては正しいのかもしれない。
いっぽう、パレスチナの側は、古い映像では聖戦の主張や過激な言動が目立っていたが、2004年にPLO議長がアラファトからアッバスに替わったあたりからは、PLOやファタハはもちろんハマスからさえ、宗教的な主張はほとんど聞かれなくなり、抑圧からの解放と自由を主眼に訴えるようになってきている。どれほど意図しているのかはわからないが、これは第三者(特に非イスラム圏)の同情を得るという意味では、戦略としてとても成功しているように思う。
しかしイスラエルに対してミサイルを撃ち込み続けるハマスも、精度が悪いとはいえ目標を軍事施設に限ることはどうしてできないのだろうか。民間人を狙うことの効果が、差し引きでプラスになるとはとても思えないのだが…。
ガザ地区の様子については別の増田を書いているのでご覧いただきたい。
→ anond:20231017113202 ガザ住民の普段の暮らしぶりについて調べてみた。
紹介トラバ
→ anond:20231111160010 NHKスペシャル「ドキュメント エルサレム(前後編)」がすごかった
元々は致死率も高かったし、多産多死だった日本では大抵の家庭が子沢山だった。
子供を増やす事が一家の働き手になるわけだからインセンティブがあったし、
社会的風潮も女性が家にいて子供の面倒を見る事が大前提だった。
経済力あるケースが増えると子供以外で自己実現する手段が沢山あり、
どうしても優先順位は劣後し、結果作らなくなった。
元々子供が欲しいという女性はそれほど多くなかったのではと思えてくる。
都心でもなければ、地方の給与水準であっても子供を育てるのは無理筋ではないにも関わらず、
経済的理由が先に来る。(昔はもっと貧しい中で育てていたはずだが)
要は現実を見る事ができず、仮想空間の中で完結してしまっているのだ。
男は正直昔からセックスの事しか頭にはなく、本質は変わりない。
大谷翔平、ちいかわ相手に目をハートにしてるけど決して自分はミーハーではない。
ハンドスピナーも買ってないし、バナナジュースも飲んでないし、イカゲームも見てないし、梨泰院クラスも見てない。SPY×FAMILYはちょっと見たけど合わなかった。
愛の不時着は見て、水星の魔女は最近見て、タピオカを飲みまくってツムツムもやりまくってたけどポケモンGOもやってなかったしカヌレも食べてない。
山盛りのパクチーも食べてないけど、大谷翔平もちいかわも好き。
でもヤクルト100も飲んでないし推し燃ゆも読んでないし花束みたいな恋をしたも見てない。
ちいかわのハマり方だって、ナガノ先生にリプ送ってる奴に引いてるタイプで「ちいちゃんが怖い目に会いませんように…」とツイートもしてないしかといってキッズのイキリちい虐にはちゃんとどん引きしてる。
まだまだってことはないと思うよ。日本や海外のシェアが高い素材・部品があることを指して「中国にはまだ無理」みたいな話をする人の中には、単純に国際分業体制について理解してないやつも多いし。
後発国の一部が成熟して技術先進国になっていく過程で、徐々に最終製品も自力で作れるようになっていくことがあるけど、素材や部品(特に初期開発投資が多額になる素材・部品)は、既存の技術先進国企業から輸入し続けるパターンも多い。先行企業が既存投資の成果で安価に高品質に提供できている製品なら、わざわざ自国で作るより、よそから有り物を買った方が安いから。
問題は、そういう国の産業が、貿易障壁や安全保障上の理由で、最終製品に必要な素材・部品を海外から買えなくなった時にどうするかだ。2019年の、日韓の半導体材料3品目(フッ化ポリイミド・レジスト・フッ化水素)の輸入規制強化問題を覚えてるだろうか。あの時は日本の元気の良い人達が「日本の高純度半導体材料は韓国シェア○○%、これで韓国の半導体産業は死亡wwww」ぐらいなことを言っていたのだが、結局どうなったかというと、今では韓国のフッ化ポリイミドの対日依存度は0に、レジストは半分以下に、フッ化水素は1/3になった。海外から材料が買えなくなれば、当然、国内のケミカル産業には大きな市場と商機が生まれる。サプライヤーとしては、設備投資がリクープできることが見えてれば積極的に技術投資する。結果として日本の半導体向けフッ素関連製品製造企業は、(「徴用工問題をめぐる意趣返しとしてホワイトリスト外しを使っちまえ」という官邸の浅はかな考えのせいで)劇的に業績が落ちた。つまり「現時点で国外依存度が高い」だけではなく、「いくら商機があっても技術的に超えられないハードルがあるかどうか」がポイントで、上記3素材については日本側の想定よりハードルは低かったということ。
素材や単純部品に関しては、今時は「特定国に囲い込まれていて、他国ではどうにもできない製造技術」というのはそれほど多くない。その製造ラインやプラントを設計したり実際に製造に関わってる人材は、貿易障壁とか安全保障上の理由とは関係なく、どんどん引き抜けるので。さほど金にならないなら手を出さずによそから買うし、金になるなら自国内でやる。それが国際分業というもの。
とはいえ「高度半導体製造業」は、さまざまな要素を組み合わせて最終製品を生み出すメガ・インダストリーなので、素材や単純部品ほど簡単に「自国で代替」とはいかない。同時にたくさんの素材産業・部品産業を編成しないと最終製品の内製には辿り着けないからだ。たとえばx86系CPUを国際流通価格で海外から調達できる間は、中国という国が自力でCPUを内製するコストメリットはほぼなかった。山東省などで行政紐付きのCPUプロジェクトも複数立ち上げられたが、資本主義のエンジンである市場・商機・利益が期待できないプロジェクトは産業としても成長しない。人材も呼べないし、サプライヤーもついてこないし。
こういう形で、ある意味では国際分業体制によって中国の半導体産業の内製化率向上に一定のブレーキがかかっていた状況の中、今回のバイデン政権の規制は仇になってしまう(中国側の技術投資と内製化率を加速させる)可能性がある。10nmなどプロセス幅での規制は、中国半導体産業が力を入れている次世代半導体(GaNベース)にはあまり効かない。業界サイトのセミコンポータルの以下記事読むと、規制案を受けて、HUAWEIやSMICが次世代半導体製造で内製化率向上の弾込めを着実に進めているのがわかる。
https://www.semiconportal.com/archive/blog/insiders/hattori/220107-uschinawebinar.html
半導体は、コストミニマムめざした国際分業で成り立っている産業である。日本の政治家は、米中や世界の緊張を和らげ、各国が火花を散らさぬように政治力を発揮すべきである。それが日本の責任であり義務であろう。
この含意が読み取れるだろうか。米中の半導体をめぐる対立が激化し、産業として二極化すると、日本の半導体製造に関わる諸産業が(フッ化水素など3素材を作っていた日本企業と同様に)割を食うことになるぞ、と言っているのだ。
普段は別の美容院メインで働いてるけど今日だけこの店にヘルプで来た、
という元気で明るくて接客好きそうな30代の女性美容師に初めてあたっていきなり
「お仕事なにされてるんですか?」
サービス業です
…。〇〇関係の~
3年通った美容院だったけどあまりに不愉快で無神経だと思ったのでこれっきり。
自分の何に興味掻き立てられたのかしらないけど、
俺の会社はその美容院から1キロくらいしか離れてなくて大体の地元民は知ってるようなところだから、
「社名どこですか?」を呼び起こしかねない具体的な仕事名も言いたくなかったんだよ。
客との接客や会話が好きな美容師なんだろうけど、そもそも自分の一方的な好奇心を満たしたいがために特定個人の仕事にまつわる具体性をどんどん引き出そうと3回も質問重ねるのは明らかに無神経だし想像力足りなさ過ぎ。
本当に不愉快だった。
多分ネットでサイゼデートネタが初めて出たのはこれだったと思う
https://itest.5ch.net/hayabusa3/test/read.cgi/news/1356245316/
『おいしいイタリアン』って札幌→新さっぽろJR移動で連れていかれたお店がサイゼリアだったという、驚愕の35歳とのお話です。フリーズする私に「知らないかもしれないけど、東京ではメジャーな店なんだよ。向こうではよく行ってたんだ。」とドヤ顔で教えてくれたという・・・黒歴史でございます。
かつてドヤ顔で「すてきなカフェ」とタリーズに連れて行かれ「おいしいイタリアンの店」とわざわざ新さっぽろのサイゼリアに連れて行かれた過去があります・・・朝っぱらからスミマセン。扉が開いてしまったものでそそそ、そうなんですよ、サイゼリは内心「マジかよ?!」って思ってたんですけど、ヘタレが災いしてついて行ってしまったのです・・・。しかも札幌からわざわざJRで。バカですねー
タリーズでは別の衝撃があってですね、これみよがしに「俺、食べ物なんでも美味しそうに食べるねってよく褒められるんだ」ってよくわかんない自慢をされ、コーヒーひと口でニコッ☆ケーキひと口でニコッ☆とよくわかんないアピール。いや、アナタ35歳ですしUZEEEEEE!!!となりましたな。
35歳で実家住まいの男性は間違いなく何かのフラグ立ってるって学びましたRT @bernese093: uzeeeeeeeeeeeeeeー…(どん引き)因みに、ラパウザの彼も35歳だったそうです。35歳って何かあるんですかねー…(遠い目)
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51923155.html
https://newskenm.blog.2nt.com/?m&no=41031
https://togetter.com/li/426590
:
:2015/07/30(木) 23:24:03.20 ID:Or9Xubxu0
サイゼがお似合いって事だ
バカにされてるんだろ
18 :
:2015/07/30(木) 23:24:52.90 ID:mP1uhM8k0
24 :
:2015/07/30(木) 23:26:24.10 ID:RIjSx+bL0
付き合うなら金に汚くない若い女にしておけ
27 :
:2015/07/30(木) 23:26:37.17 ID:+3zrg0NL0
お前が試されたんだろ
俺もよくやるは
2012年の話で既にサイゼリヤで試すって概念が出始めてるけど、ここから何きっかけでサイゼで試すがよく言われるようになったかは思い出せない。初出の2012年より2015年のまとめのほうがよりコメントに棘を感じる。
今ではわざとサイゼリヤに連れて行っておめでとう合格だよ男は漫画にも出てくるまぁまぁ知られた概念だ。
トゥゲッターでもこの女性は大炎上して話題になってたみたいだけどトゥゲッターは消えていた。
本文で検索したらとても多くのまとめが出てくる人気ネタのようだ。
https://www.excite.co.jp/news/article/E1500893172295/
http://blog.esuteru.com/archives/9834130.html
知らん間に出来ていたサイゼテストって新語で語ってる男までいる。
https://www.excite.co.jp/news/article/E1500893172295/
共通の女友達が夕方私の家に来て、そのあとに彼が来て3人で鍋をした。
なもんで、その日の朝方、みんなが来る前に部屋を片付けているときは
彼が泊まるなら、彼が風呂でも入っている間に
いつも通りクローゼットに隠せばいい。
そう思ってしまったのだ。
私はこんなにもウッカリ者だというのに。
ぬいぐるみこと、わんころべえとは、恐らく小学校2、3年生からの付き合いだ。
別に某漫画のキャラクターでもなんでもなくて、本当にただの犬のぬいぐるみ。
私はわんころべえと名付けて大切にした。
毎日一緒に寝た。
わんころべえがいなければ、本当に私はどこかで死んでいたかもしれない。
人が家に来るときは今までずっとクローゼットに隠し続けてきた。
ずっと大切にしているなんてどん引きする以外にないだろうと、
恋愛面においてわんころべえの存在をにおわせたことなんて一度もなかった。
なんて考えていたのに、友人を駅まで送って、
家に二人で戻って彼と片付けをして、
眠り支度をして、「さー寝よ寝よ」とシーツをめくり、
「!!!!」
普通に忘れていた。
私にとってはいつもの光景。彼にとっては「ナンダコレ」というところだろうか。
言い逃れはできないと、大事にしているぬいぐるみで、普段は隠していたと白状した。
彼は普通に「そうか」と返して、そのままその日はいちゃいちゃして寝た。
予想よりも普通だった。もう早くいちゃいちゃしたかっただけかもしれない。
でも、内心はわからない。どっちか判断がつかないまま翌日彼は普通に帰った。
まあもうバレちゃったししょうがないか。どん引きされたらそのときはそのときだ!
そんな風に考えていたら、後日、電話していたときに彼はこう言ったのだ。
あんなに隠していたのに、自らしっかりと存在を主張してしまう。
その会話をきっかけに、私たちの間にわんころべえは普通に存在するようになった。
「いぬじろう元気?」「いぬじろう今日はどこおるん?」「今日は椅子の上か」
そうやって彼から存在を確認されるたび、なんか、もう隠さなくていいかな……と私も段々と隠さなくなってきた。クローゼットの暗闇の中ではなく、ベッドの上や棚の上など、ひっそりと見えるところにちょこんと座らせている。
彼の反応は、私の人生を受けて入れてもらったようで、とても嬉しかった。安心した。
彼となら、もし一緒に暮らすことがあっても、連れて行って怒られたりはしなさそうだ。
いられる間はずっと一緒にいたかったので、本当に、泣きそうなぐらい嬉しかった。
そのとき、ふと彼が「いぬじろうでもやってみよう」と言ったのだ。
「わんころべえだよ!!」
もうその頃には、私が正式名称を返すのが定番になりつつあった。
姓名判断は名字と名前で区切られるので最初「わん・ころべえ」とかでやっていたのだけど、いまいち運がよくない。私がどうすれば運がよくなるかを唸っている間に、彼は私の名字とわんころべえを組み合わせはじめ、そのうち私の名字といぬじろうをいろんな漢字にしてやりはじめた。
と、彼が見せたのは私の名字に、犬治郎という漢字表記の組み合わせ。
そして、なるほど確かにいい。めちゃくちゃいい。
唯一家庭運だけ凶だったけれど(笑)わんころべえよりめちゃくちゃ良かった。
あんなに訂正していたのに、うっかり「いぬじろう、ありかもしれん」と思ってしまった。
そのあと、私はうっかりと、彼の名字でもわんころべえの姓名判断をやってみそうになったのだけど、彼の名字が画数的に何をやっても凶になってしまうのでやるのをやめた。でも、もし私の名字が変わることがあったら、わんころべえも私と一緒に変わって欲しいなと思った。
彼とも、わんころべえとも、ずっと一緒にいられたらいいなあ。
Vtuberのことをバーチャルキャバ嬢と称してキャバ嬢がVtuberと声優とキャバ嬢はなんだかんだでごっちゃにされるんだけど、
その中でも、「不特定多数に対して話しかける能力。話し続ける能力」が求められる。
とにかく1時間なり2時間をひたすら画面に向けて話し続ける能力が求められる。
最近ではコラボで数字をとる手法も重視されているため、対話能力の比重も高まりつつある。
・キャバ嬢
でも、Vtuberと圧倒的に違うのはキャバ嬢に求められるのは「聞き出す能力。気持ちよく話させる能力」。
おっさんの話をどんどん引き出し気持ちよくさせてお酒を入れさせる能力が求められ、
逆に自分のことをベラベラベラベラベラベラベラベラ話すタイプのキャバ嬢はよっぽど話し上手じゃない限り氏名が取れない。
いいキャバ嬢ほど聞き上手。
声優タレントに必要なのは今はどちらに重きを置くかはわかれるところだが、演技力とトーク力。
トーク力に関してはどちらかというと「対面での対話能力」が重視される。
もろちん、ソロで番組が持てることもあるが新人声優の場合、だいたい事務所や出演作品でユニットを組まされ
そういった番組で、うまく相手をいじったりいじられたりしながらキャラを立てていく能力が求められる。