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はてなキーワード: 一世風靡とは

2020-07-28

三浦春馬が死んで1週間と少し経った

自殺報道ガイドライン」がどうのこうの言われて…が理由かはわからないけど、もうほとんど報道もされてない気がする。もうみんな日常に戻れてるのか。みんな適応能力いね

私はまだ全然受け止めきれてない。特別ファンだったわけじゃないし、舞台もいくつかしかたことないけど、私が幼い頃からの大スターで、最近ミュージカルでもよく観てたし、いつでも当たり前に観られる俳優だと思ってた。何より「死」から一番遠いところにいる太陽のような存在だと思ってたから、名前の隣に「死亡」と続くのが変な感じ。

訃報が流れた当日はテレビは一つも見れなかったけど、今は少しでも受け止めようと思って、名前検索してネットニュースを読んだりもしてる。(不謹慎だとは思うけど)私はワイドショー的な情報も多少は有り難く受け取った。例えば、部屋から死にたい」と書かれた日記が見つかったというニュース。これを知れたおかげで、「ああ、三浦春馬は死にたくて死んだのか。よかった」と少し思えた。(とはいえ詮索・憶測は大嫌いなのでほとんどのニュースミュートしてる。)


訃報のちょうど5日後に「SUPERハンサムLIVE 2012」が映画館で上映されていたので、都内映画館に観に行った。

別に死んだから上映されたわけでもないし、死んだから観に行ったわけでもない。死ぬ2・3日前にも配信・上映されていて、そのとき私は自宅で配信を見てた。楽しく見てた。

というか2012年に現地でも観てた。でも「推し」は三浦春馬ではないので、正直彼がステージ上にいたときでも観ていなかった時間はたくさんあった。そもそも見るべきところが多すぎるんだよなハンサムライブ

死んだから観に行ったわけでもないけど、まあ、つい目で追ってしまうよね。めちゃくちゃかっこよかった。何で今まで知らなかったんだろうってくらいかっこよかった。顔が端正なだけじゃない、脚が長いだけじゃない。全ての出で立ちがまさに「ハンサム」。このイベントが「イケメン」とかじゃなく「ハンサム」を冠してるのは間違いなく三浦春馬のおかげが大きいだろうと感じた。

開演時のコメントで彼は「今日昼公演あって明日も2公演あるけど、そんなの関係ねえ!」と言った。そうだった、彼は2012年末、劇団☆新感線の公演(しかも上演時間時間くらい)にメインキャストで出つつハンサムライブに出演してくれていたんだった。恐ろしいことするね。でも「三浦春馬ならこれができる」と思ってたし、事務所もそう思ってたし、実際彼はやり遂げた。映像見ればわかると思うけど(8月6日にも映画館上映・ネット配信されるから観てね)翌日2公演控えてる人の動きじゃないんだよね。ダンスも歌も笑顔も。


彼を「30年で完成した完璧作品」と評するファンもいる。けど、そんなきれいなものではないと思う。だって、決まってた映画も、ドラマも、ミュージカルも、全部捨てていっちゃったんだもん。これを「美しい物語」として消費してしまうのは、それこそ完璧主義者の三浦春馬に失礼な気がする。

と思ってしまうほど、ライトファンイメージの中でさえ「三浦春馬」は完璧だった。

そんな「完璧三浦春馬」でいることに彼は疲れてしまったんだろうか。彼の友達が言っていたように「たとえどんなに苦しくても、必ずその困難に打ち勝ち、最高のエンタメを届けてくれた」を貫いてくれたのは最後の優しさだったんだろうか。それとも最後まで苦しめてしまってたのかな。

でも、たまには負けてもいいから、生きていてほしかったよ。(これは完全に私のエゴだということはわかってる。)


今日、彼の著書やCDが売上ランキングの上位を席巻してた。…こんなことがなくても一世風靡するだけのポテンシャルがあったはずなのに。特にもうすぐ発売される新曲「Night Diver」は本当に美しい曲なので、ここまで読んでくれた方は絶対に聴いてほしい。

でもこの世に三浦春馬存在しない以上、もう「歌の力」も「演劇の力」も「エンターテイメントの力」も信じられなくなっちゃったな。エンターテイメントが私の生きる力を支えてくれていたのは間違いないけど、これって別に命綱ではなかったんだなーって強制的に気付かされちゃった感じ。

今、世界が美しいとは私には思えない。そんな美しくない世界に、美しい彼はもったいない。仕方ないね

書いてたらちょっと落ち着いてきた。読んでくれてありがとうございました。おやすみなさい。

2020-06-30

川崎のぼるは調べると一世風靡をした漫画家っぽいのに

漫画史振り返り的なコンテクストでも全く存在感がないな

一般受け向きだったからだろうか?

漫画史のコンテクストを掘り起こすのはオタク

知らないけどあまり社交的じゃなかったのだろうか?

話題になりやすいのはトキワ荘など社会性のある作家たちだなら)

よくしらないが原作つきのヒット作が多かったからだろうか?

(超絶作画以外は話やキャラも考えてこそ漫画家という風潮)

2019-07-06

忘れられた○○って魅力的じゃない?

忘れられた文明とか、忘れられた土地とか、無性に心惹かれる。かつて一世風靡したのに今は見向きもされないやつ。ちょっとしたロマン自分なら何か再発見できるかもなんて思っちゃう

実際に見てどう思うかは知らない。

2019-03-12

anond:20190312130003

レズ風俗レポで本でて一世風靡したじゃん・・

なんで女が必ず男を選ぶとおもってんだろ

2019-02-12

30歳までに人生を勝てなかった

ノリアキという、歌手がいて。

彼は現在、35歳くらいだ。

もはや歌手活動自体はあまりしていない。

ツイッターなどは更新してるみたいだが、田舎機械学習カフェ?みたいなのでインタビュー最近受けたらしい。

  

自分は30歳。

自分が盛り上がってた一世風靡した人たちを色々に見る。

人間だけじゃない、色々な店が消えて行った。

  

なんだか世間では、「停滞するな、チャレンジだ!」というが。

チャレンジして芽が出たノリアキですら、こんな感じ。

もちろん、凄い成功した人はいるけど。

色々に手をだして、微妙だった、という結論が出た人が多いのではないか

  

30歳という年齢が怖い。

専門職なので、その職業のある程度の世界最先端は知っているつもりだが。

専門外の、子供の時に夢を見た数学物理などはどうか。

恐ろしいくらいに知らない。

30歳までに、隙あらば勉強しているが、やはり大学以上の数学物理は難しい。大学入試くらいは解けるのだけれど、その上の、専門レベルとなると歯が立たない。

それでも、毎日、一つ一つ学んで成長しているが。

知らないこと、マダマダ遠い。

  

奨励会という将棋プロの育成施設は、20代後半までが年齢制限らしい。

将棋とか、自分は初段なんだけど、初段ですら、3年以上かかっている。プロとか及びもつかない。

その中で、20代後半までやっている人と言うと、これはものすごい。

  

将棋という1分野ですら、その高みに絶望する。

数学はいくつも分野があり、物理も、いくつも分野がある。

物理に関しては、熱力学機械系の解析力学などの、普通力学は、普通理解できたが、量子力学実験系との兼ね合いなどが難しい。数学が絡むと異常にキツイ

数学も、解析、代数幾何とどれも半端ない

  

30歳、数学物理は行けるだろうか。ギリギリか。

しかし、30歳ってもう遊んでいる場合じゃない。

自分も、成し遂げられないまま、過去の挑戦に慰められる存在になるんだろうか。

怖い。

2018-10-05

萌え絵エロ絵の作者は男

こういう決めつけこそ差別的だよな

実際は男向け女作家なんて沢山いるし、というか萌え絵一世風靡した作家って女性のほうが多くない?

エロゲ畑だと余計そう感じるわ

2017-09-25

ネットで見たエロ動画で誰かわかんなかった

ぐぐってもみつかんないだろうと思ったけど、キーワードでぐぐったらピンポイントでヒットしてグーグルすげえって思った

メガネ とかかなり一般的用語だったのに

かなりかわいくてその検索結果によると数年前に一世風靡したらしい

川島あずみみたいなもんかな

確かにすげーかわいいんだよな

肌もきれいだし

やたら笑顔だけどメンヘラっぽいあやうさがある

胸はひかえめだけどいれぢちよりかはいいや

ケツがすげーいいからそれでいい

2015-06-28

派遣労働人身売買だし

企業の営業屋が野合して1980年代一世風靡したのかどうかしらんけれど

2010-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20100114030325

しかしなんだな

一世風靡した

キチガイニートの影響が全く無くなってるのが面白い



この一分前にぶく麻されたわけですねw

わかりやすいけど悲しい行動が薄く透けて見える。

しかしなんだな

一世風靡した

キチガイはてサの影響が全く無くなってるのが面白い

http://authority.jp/page/1

2009-09-28

なぜアニメ咲-saki-」は失敗したのか?

2008年アニメ界を一世風靡したしたアニメがあった。その名を「ストライクウィッチーズ」と言う。

放送前に誰からも注目されていなかったそのアニメは、斬新な発想と確かな描写をやり遂げ「マクロスF」「コードギアス」というビックタイトルが放送される中、

アニメオタクの支持を一心に得て大成功のまま幕を降ろした。それをきっかけに名を馳せたのが制作会社GONZO 第5スタジオ」であった。

ストライクウィッチーズ2期を待望される中、5スタが次に手がけたアニメヤングガンガンにて連載中の「咲-saki-」と言うマンガだった。

コミックス2巻が出る頃にはアニメ化オフォーがあったと言う人気タイトルである。物語の区切りになる大会決勝戦の終了の目処がつくであろう時期にして待望のアニメ化であった。

「あのストライクウィッチーズを作った5スタが咲-saki-を作る」……原作ファンは歓喜に震えた。実際に放送されたアニメ咲-saki-」はその期待に応える素晴らしいクオリティであった。

だが、半年の放送を終わろうとしている今、アニメ咲-saki-」は失敗してしまったと言える。それはなぜだろうか。

【失敗の原因その1】 アニメスタッフ解釈の違い

当初こそ原作を尊重し、原作の良さをさらに広げる神演出をしていたアニメ咲-saki-」であった。

原作時の穴の埋めた小手返しの追加、染谷まこの実家の良改変、そしてもっともたる例が第3話でヒロイン原村和が主人公宮永咲を想い、自身の指に口付けするシーンの追加だ。

これは連載版ではあったものの、コミックス収録時に修正された幻のシーンである。それをアニメで復活させた偉業にはすべての原作ファンが大喝采をあげた。

 

だが、放送が進むにつれてほころび始める。

おそらく最初のほころびはコアな人気を持つキャラクター、鶴賀の蒲原の笑い方であろうか。原作では「ワハハ」と描かれているものが

アニメでのイントネーションが「ワ~ッハッハァ~」なのである。

非常に些細な違いではあるが、ここで初めて視聴者が首を傾げた。だがこの当時はまだ本編の面白さが保たれていたのでさほど気にされず流されていった。

 

そうした細かい所で未熟な描写が多々あるものの、各個人の「気付き」の能力の差によって大騒ぎにはならずに済んでいたアニメ咲-saki-」であったが、

ついにブーイングが巻き起こってしまったのが、そう。副将戦での「特急券だー!」である。これはもう原作を読んでいた古くからのファンには到底受け入れられない棒読みっぷりであった。

こんな、演技指導で即座にどうにでもなる一言にゴーサインを出してしまう愚かさ。いかに制作陣の解釈がファンと掛け離れているか痛感してしまう一幕であった。

 

その「アニメスタッフ解釈の違い」が最悪な形で出てしまうのが決勝、大将戦である。

龍門渕高校、天江衣が出上がりをする際の演出が原作では「爆発」に対してアニメでは「炎上」になってしまっている。

それまで海底撈月と言う「待ち」の上がりで猛威を振るっていた天江が転進、「攻め」に出た時の脅威を演出したのが原作での「爆発」と言う魅せ方であった。

それがアニメでは魅せる事を考えていないような迫力のない炎の炎上でさらっと済まされてしまった。

事実上ラスボスたるキャラクターの一面を確実に削がれてしまった。

 

さらに致命的なのが主人公宮永咲必殺技「嶺上開花」を「槍槓」で阻止する鶴賀の加治木ゆみのシーン。

原作ではカンをし、嶺上牌に手を伸ばそうとした所にイメージ演出として槍が降り注ぎ、「その嶺上牌、取る必要なし」とツモを制す非常にかっこいい見せ場の一つであるのだが、

アニメでは宮永がツモろうとするシーンがなかったために「取る必要なし」というセリフだけが原作通りで空回り。

副将戦の原村和vs龍門渕透華のコスプレイメージ演出を流用したような安易さも合わさって非常に滑稽な一幕となってしまっている。

 

このように、初期こそ非常に秀逸であった描写も放送中盤を過ぎたあたりから無残な醜態を晒すようになってしまっている。

この「解釈の違い」は単純に「原作と違う」事が問題なのではない事を声を大にして言いたい。原作と違っても面白い例もある事は「けいおん!」や「大正野球娘。」の成功が証明している。

咲-saki-」は原作と違ったが故に、つまらない。では何故そうなってしまったのか?

 

【失敗の原因その2】 大将戦終了を原作連載と足並みを揃えようとした弊害

彼ら、アニメスタッフらはいつからか気付いてしまう。うまく調整すれば「原作連載とアニメ放送で同時に大将戦を終わらせられる」ことに。

それは確かに実現できれば否応なしに盛り上がるであろう。

その為の犠牲に、原作ストックは途中から加速度的に消化されていく。原作連載もアニメが追いつくのを待っているかのように休載を続ける。

元々休載の多い作家であったが、過去例を見ないほど休載が多くなる。そもそもアニメが放送中に連載が休載など前代未聞である。もしこれをただの偶然と思うようなら、とんだお花畑である。

 

加速した原作消化スピードは細部に配慮する余裕がなくなり、あれほど秀逸だった演出は見る影もなくなる。

(予断だが、「ストライクウィッチーズ」を当初からその演出の秀逸さで評価していた某ブログは、咲-saki-考察対象にしていたものの決勝先鋒戦を最後に筆を取らなくなっている)

ひたすら原作トレースするかのごとく消化していく。

ただトレースするだけならともかく、先へ先へと進めるために緩急がなくなり、落ち着きのない展開になってしまっているせいで「麻雀」という「静」の闘いにアニメ的「動」を与えた

初期の秀逸さも当然なくなる。

 

かつてアニメとらドラ!」が原作文庫刊行とアニメ2クール放送終了の足並みをそろえようとし、文庫1冊分をアニメ2話で消化し、描写が圧倒的に足りなくなり、

説得力もなく感情移入も出来ない無残な結果になった。あの過ちに近いものを「咲-saki-」はやってしまったのである。

 

【失敗の原因その3】 個人戦

放送途中で原作に追いついたアニメは当然オリジナル展開に突入する。そう、個人戦である。今まで登場した多くのキャラクター達が今度は一人一人の戦いをする。

あのキャラとこのキャラが戦ったらどっちが強いだろう? そんなファンなら誰もが想像する夢の対決の実現。それを放送途中で原作と同時に終わらせ、余った尺を使って実行した。

 

だが「アイシールド21」を例に、オールスター展開がいかに失敗するか論じられたのはまだ記憶に新しいだろう。

その上、今まで登場してきた多くのキャラクター達の見せ場をたった数話で見せようなんて到底無理な話である。

 

そんなアニメ咲-saki-」がオリジナル展開で何をしたかと言えば、原作で一度やった事の再利用である。

 

咲は一人で迷子になり、和はそれを追いかけ叱り、タコスは試合数を勘違いし、部長は牌を叩きつけ、京太郎パシリにされ、キャプテンは開眼し、

かおりんは「みっつずつみっつずつ」をし、むっきーは「私なりに精一杯」と言わされてしまう。

アニメオリジナルとして新しい物が何一つとしてない、実にみすぼらしい作劇である。

唯一の要素としてあるアニメオリジナルキャラ、南浦数絵も「南場になれば強くなる」というタコスの類似能力しかなく、なぜ南場で強くなるかと言う理由付けもなく、

人数不足で個人戦にしか出場できなかったというおいしい設定を与えられながらも大多数のキャラと絡むことなく消えていった。

 

そしてアニメの不出来さは頂点を迎える。そう、個人戦の結末だ。それまでアニメ咲-saki-」の劣化に気付かなかった最後の極少数もさすがにNOを突きつけてしまう。

これこそがアニメスタッフの未熟さが最大限に表れた結果であった。

「個人戦の結果」という事実を持って、すべての視聴者アニメ咲-saki-」は失敗していた事に、ようやく気付いたのである。

 

 

個人戦終了後、最終回に向けて全キャラクターが一堂に集結する合宿に入る。個人戦ですら持て余していた大人数をたった2話の合宿で活かせるはずもないのは言うまでもない。

だがそれでも一応の体裁を整えた展開をもってアニメは放送を終えようとしていた。

 

そのラスト2分。

全国区キャラクター達が大挙して登場する。その特徴的なデザイン原作者が連載のために先行してデザインしたものであろう事が容易に察せられる。

そんな魅力的なキャラクター達が派手な活躍ダイジェスト的に見せる映像の興奮度の高さが逆に、物語として前後の描写の必要ない場合、すなわち原作の優秀さだけを借りてきた時に

その魅力を最高に発揮するという証明になってしまったのは、何とも皮肉な幕の引き方である。

 

 

咲-saki-」という作品は魅力的だ。それは誰しもが認めるところだろう。だがアニメとして他者に渡った場合、必ずしもその魅力を維持し続けるとは限らない。

アニメ咲-saki-」は優秀な原作無駄に消化し、せっかく神アニメになり得たチャンスを逃し、「GONZO 第5スタジオ」と言う台頭していたネームバリューをも失墜させた。

見紛うことなき『失敗』である。

 
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