「卒業式」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 卒業式とは

2022-08-04

続・最近買って読んだBL

anond:20220803085802 の続き。

『あした愛かもしれない』(山下街)


あらすじ

 大学1年生の凪(なぎ)は、アパートの隣人でフォークソング部の先輩・夕(ゆう)に片想い中。飲み会で酔い過ぎると眠ってしまう夕を送り届ける役を、部屋が隣同士ということで凪は請け負っているが、実はその際に朝までこっそり夕に添い寝をしている、という秘密があった。

 イケメンで人あたりのよい夕はとてもモテる。そんな彼への恋心など不毛だとして、凪は自分の想いを押し隠しつつ、部活の先輩後輩関係として夕との仲間を深めていくが……。

増田感想

 某BLレビューサイトで何故かとても人気のある作品普段私は、登場人物の顔が見分けのつかない系の漫画にはあまり手を出さないんだけど、期間限定でお安くなっていたので買ってみた。

 思ったよりかなり良かった。先輩後輩の関係のまま、徐々に仲良くなっていって、ちょっとしたアクシデントがあって、好きなのがバレて恋人同士になる、という過程が丁寧に描かれている。

 タイトルがやけに思わせぶりだけど、内容としては「ずっと愛している」状態なので、タイトル詐欺かも。

 エロ描写セックスのシーンはあれども極少というかほぼない。大学生同士のカプとはいえ大人恋愛から、そりゃセックスをすることはあるにしてもそのシーンをガチで描く必要まではあるかっていうとまあ別にないので、これくらいで丁度いいよねーと思った。

 最初から最後まで初恋のふわっふわな感じが貫かれており、とても幸せ世界だった……フゥ。

『きみが終着駅』(ロッキー

 大学生の沙樹(さき)は、飲み会の後に間違えてゲイバーに入ってしまった。そこで会社員風の男・幸村(こうむら)に声をかけられ、名刺をもらう。沙樹はノンケなので当然幸村とどうにかなるつもりはないのだが、もしいい人だったらゲイの友人に紹介してやるかくらいのノリで幸村と会い、一緒に食事をするようになる。

 服装や振る舞いなど、どこにも隙のない幸村に対して、徐々に興味が湧いてきた沙樹だったが……。

増田感想

 『86万円の初恋』が良かったので作家買い。『86万円の―』もだが、この『きみが終着駅』も変人観察日記っぽい趣きがある。なんかこう、変な人をちょっと冷めた目で意地悪く分析的に見るというのが、作者の性癖なのかな……。

 淡々としたストーリー運びで、言葉で語るよりは絵で魅せるタイプ作品。劇的な大事件などが起こって超反省して考え方を変えるような話ではなく、じわじわと互いに影響を与え合ってのめり込んでいく感じ。

 本題の沙樹と幸村の話だけでなく、沙樹の姉の駆け落ち話もけっこうよかった。

 初めはやたら高みから幸村を見下していた沙樹がなんやかんやでBLの受けになっているのは、ファンタジーって感じだ。

 エロ修正が入るくらいはあるけど、エロ本になるほどは割合が高くない。

 正直『86万円の初恋』ほどは心に残らないけど、まあまあよかった。

フロムヘブンヘブン』(ほど)

 高校卒業式の日、林は片想い相手藤田に呼び出され、ひた隠しにしていた想いが完全に本人にバレていたことを知った。終わった……と観念した林だったが、その一週間後、地元から遠く離れた町のラブホ藤田セックスすることになった。

 事後、これきりで今度こそ藤田との関係は終わったと林は諦めたが、何故か藤田は当たり前のように次に逢う約束をとりつけようとしてくる。

 天国から地獄へと突き落とされるはずが、天国からまた天国へ……。予想外のご都合展開におののく、林の運命いかに。

増田感想

 ボコられたり脅迫されてもおかしくない展開から、もう既にラブラブカッポーになってしまたかのような急展開にビビる林の心理のわかりみの深さたるや。そんな都合のいい話ってある??? という疑問を次々に木端微塵にしいくように、初々しい付き合いたてのわくわくドキドイベントが起こるので、読者的にもまじかー!? と唖然とせざるを得ないw

 まさか初回でラブホ行っちゃうような奴らがこんなに着々と愛を育んでいくとは思わなかった……。

 萌えイベント目白押しだけど、二人の仲を揺さぶったり引き裂きそうになるような事件はあまり起こらないやさしい世界で、心が癒されるー。


今回のセールでは狙って買った訳でもないのに癒し系作品ばかり入手して、萌え癒しシャワーを浴びて心が洗われた気分だ。

2022-08-02

anond:20220802131718

プロムだけではなくて、卒業式の入場行進の時に並んで歩く異性を自分で選べと言われた。誰からもお声がかからない女の子はどうするんだろ? 声をかけても拒絶されっぱなしの男はどうすんだべ? 負け組(Loser)にはツラい社会よのう、弱者男性女性諸君

2022-08-01

女子校出身自閉症スペクトラムの人

中高はもちろん大学女子大で、就職してから診断が下り女性って何人もいるらしいけど、

女子校生活に全く馴染めない状態で何年も過ごしていて、自分が変という自覚がなかったのってすごくない?

まあ馴染めないだけでハブにされるとかいじめられるとかはなさそうだけど

どこの仲良しグループにも入れてもらえないとか辛すぎないか

それだと行き着く先は卒業式終わって直帰でしょ?

2022-07-28

コロナ生活2年半の受験生

今の中学3年生や高校3年生の子って、小6・中3の3月によく分からないままいきなり学校休校になって

そのまま卒業式を迎えた子たちだよね。

そのままコロナ対策うんぬんの新学校生活を迎えて、

高校大学への受験を控えた今夏は夏期講習やらの時期にコロナ大中でしょう。

20代以上との世代的な価値観の違いって将来大きく出ると思うわ。

2022-07-25

anond:20220725115554

ガッチガチ規定があって、靴下の丈まで指導が入るなら嫌だけど、

益田のようにタイツOKなら防寒にも困らないし、夏は脱げるしで制服の方が楽なのはから同意

いか制服アレンジするかで面白がったりも出来るし。

体型が標準的じゃないと、セミオーダー気味の制服の方が体に合う、成長して合わなくなっても「そういうもん」として見てもらえるので助かってたんよね。

あけすけに言って、胸や尻の発育具合が個人差大きい時期だから制服のほうが目立たなくて無難なので本当にありがたかった。

私服だと洗い替えも必要だし、毎日同じに見えると洗濯してないように思われるっていう社会人の悲しみを先取りで味わう事になって切ない気がする。あと金かかるよね、制服一着か二着で三年間と私服三年間だと。ワイシャツとか小物はもっと多いとしても。

きちんとした席にはTPOもあるんだし。

学校行事でも入学式とか卒業式だけの計算としても、きちんとした格好を二回はしなきゃいけないし、ここで場違いだと、それこそ人間関係ハード具合が上がりそうで面倒だな。

2022-07-24

安倍元総理国葬閣議決定とかあったわけですが

国葬にするからって弔意を強制するものではない、って言ってはいるけど、

卒業式国歌斉唱で座ったままで歌わないでいたら処分された、みたいな話が出てくる予感がしてならない。

2022-07-21

自身犠牲にする事は人の為にならないって話2/2

一人暮らしを始め、仕事を見つけ、何でもやるというつもりで生きた。

1年の間、私はがむしゃらだった。

金はない、後ろ盾も人脈も経験もない。

それでも金だ、金が必要だった。

全ての問題は金が解決する。

視野狭窄になり、ある程度金が貯まるまで私は文字通り昼も夜も働き続けた。

その合間に更に短い仕事中の休憩や、寝る間を惜しみ試験勉強をした。

そんな生活が1年近く、あっという間だった。

そしてセンター試験申請をだし、残暑が過ぎて木枯らしが吹く10月頃に、

|

私は倒れた。

|

仕事中にひざが嫌な感覚に襲われて、変な方向を向いているのが見える。

倒れたまま立てない。痛い。ずっとグルグル回っていた時の視界のように、目が言う事を聞かず世界が回る。

私は救急搬送され、入院し、診断は過労と、右ひざの半月板損傷

特にひざは手術が必要で高額医療保険適応されるほどだった。

高額医療保障も、入院中の諸費については補償してくれなかった。

結果、貯金3分の2近くが3週間の入院で消えた。

|

入院はとても時間が余る。

リハビリは辛く、余計な事を沢山考える。

これから先の事、金の事。

死んでしまおうとすら考え、やり残した事を考えて、

そんな時、思い至ってしまった。

私が卒業し、妹も高校に入れ替わりで進学した事を。

その後、妹も同じことになるのではないか、と。

|

結果だけ言えば、私は大学を断念した。

体調が治り、センター試験申請は終えていたので試験は受けたが、総合上位10%程に入る点を取った。

希望だった大学の推薦を受け、入学式に出て、その足で退学届けを出して帰った。

中退という名乗りの為と、籍だけ置いてすぐ抜ける事で金を抑える為だった。

|

奨学金という借金をしてまで私は大学にそんなに行きたいのか?ー

流されて大学生になろうとしていただけだった私の答えは当然、NOだ。

|

それから私は就職し、貯金を始めた。

Wワークも再開し、また金を貯め始めた。妹の為に。

こんな苦しい思いをさせたくなかった。

全てはおそらく、あの幼き日の妹が服の裾を掴んでいた感覚が忘れられないせいだ。

自分でも馬鹿だと思う。

あの家から逃げた贖罪気持ちもあっただろう。

あの時、独り立ちとは名ばかりでたしかに私はあの環境から逃げたのだ。

そして数年後、妹は大学生になった。

|

大学生になるにあたって、一切の連絡を断っていた母に会い、

「妹の学費はこの口座から自動引き落としにしろあなた勝手に使う事も残高を見る事すら許さない。」

そう告げて、書類登録だけさせた。

|

妹は専門学校へ進学した。

大学入学式の日、久々に会う妹は、とても成長していた。

私の身長なんて追い越されていたし、身内びいき抜きにとてもスタイルもよくなっていた。

高校陸上部だったそうで、健康に焼けた小麦色の肌をしていた。

ただ唯一、態度はとてもスレていた。

強気、と言えば聞こえはいいが、実際はヤンキーに近いかもしれない。

私はあの家から逃げた罪悪感から、上手く会話できなかった。

記憶あいまいだったが、酷く非難されていた事だけはよく覚えている。

|

私はそれから妹に会わず、金を稼ぎ続けた。

高卒だがWワークの甲斐もあり、おそらく正社員でも稼げない中々の金額を稼ぎあげた。

そして入学式の時の会話を受け、私は学費を支払っている事を教えないことにした。

知ればきっと、何か心に負い目を持つかもしれないと愚案したからだ。

母にも厳命し、たがえれば仕送りの使い込みについて裁判にすると脅した。

|

妹が2回生を過ぎ3回生になる頃、

ある日電話が掛かってきた。

からだった。

|

「妹が留年した。退学するつもりかもしれない。どうしたらいいかからない。私の話を聞いてもらえない。」

|

それはそうだ、と私は思っていた。

そして次に「ああ、もう1年追加でこの生活、続けないとな…」

それだけだった。心は枯れ、擦り減っていた。

それでも逃げなかったのはやはり贖罪の側面が大きかったのと、

私が好きなゲーム配信者やリスナーにふと生活愚痴をこぼし、一緒に嘆いてくれたからだった。

正直、もう家族のことを忘れ、一人で生きたかったが、それでもあと数年と気持ちを入れ直していた。

|

私は妹に会い、話してみた。

自分のやりたい事と違ったかもしれない」

「母の話を聞かないのは、アイツは見栄ばかり気にして私を操作しようとしてくるのが気に食わないからだ」

もっと遊びたいのに許されないのは辛いか大学辞めて独り立ちしたい」

|

何を言っているんだ?狂っているのか?

そう思いながら、私は真っ白になった頭を出来るだけ稼働し、

思いつく限りの語彙を総動員し、説得した。

これまで掛かった学費もあるだろう、将来的には学歴大事

一時の感情ふいにするには惜しい環境だ。

私を見てみなさい、生活軌道に乗せるために色々苦労があった。

そう話すと妹は不承不承ながらも納得し、大学にも留年しながら通いだした。

その時は正直私は「甘やかしすぎたのだろうか、それとも、ただ留年して一年下の後輩と同学年になるのが嫌なだけだろうか」と思っていた。

心臓が早鐘をうち、私はそれから1週間高熱を出した。

妹は薄々どこからお金が出ているか大学生の中盤以降気付いているようだった。

|

数年後、ようやくその時が来た。

妹が大学をついに卒業するのだ。

長かった。辛酸、苦渋、体調不良、暗雲立ち込めたただただ易くはない道のりだった。

だがやり遂げた。

卒業する妹よりも、もしかしたら私の方が感動しているかもしれない。

卒業式の日、私は親類の席に座り、式を見送った。

涙はとめどなく、言葉は形に成せず、嗚咽に乱れ、近くの他の親御さんに心配された。

|

そして式の後、私は校門で待ち受け、妹に祝辞を伝えるつもりだった。

それが間違いだったのかもしれない。

式を終え、LINEメールで祝って帰途につけばよかった。

|

「なんでここにいるの?気持ちわるっ」

「親面でもしてんの?身内だからって何で泣いてんの意味わからん

「多分学費とか支援してくれてたんだろうけど、どうせ金だけじゃん」

「ただの金の関係なんだからさっさと帰ってればよかったのに」

|

聞きたくなかった。

再び、あの日感覚フラッシュバックした。

足元が瓦解し、暗い穴に落ちる感覚に陥る。

あの時と違うのは、私はもう耐えるだけの幼い子供ではなくなっていた。

たかが金?昼夜関わらずこの学校学費を稼ぐのに、どれ程私が苦労したのか。

ただのバイトで、自分生活ギリギリまで詰め、自分キャンパスライフ犠牲に働き、

ましてや留年して遊びたさに退学しようとしたお前が、それを言うのか?

そう思った時、自分感情が爆発した。

明確に、何かが切れた。

吹っ切れたと言ってもいいかもしれない。

ああこれが目の前が真っ赤に染まるという感覚か…

そう思って気付いたら妹の頬に赤い手形を残していた。

1度ではない。何回もだ。

妹は困惑の顔をして、妹の友人は顔を青くして後退りしていた。

|

私はまた大粒の涙を垂れ流し、興奮極まり鼻血を流し、目は染まり無意識に手が出てしまっていた。

|

頭の中に私の声が響く。

「なぜ、どうして…」「もう全てが遅い」「勝手感謝されるのを期待したのはお前」

自己嫌悪と、自分がしてきた事の無意味さをただ漠然と感じていた。

環境が人を育てたのか、血は争えないのか分からないが、私は選択肢を間違えた。

|

私は教員や親御さんら男たち複数人に羽交い締めにされ、事務所に連れて行かれた。

ほどなくして警察が来て事情聴取をされ、半日近く経ってから解放された。

|

私のこの数年

キャンパスライフを諦めた人生

学歴を捨て、誰かの為に尽くそうとした心は

親に絶望し、親の代わりになろうした結果は

幼い頃に掴まれた裾をほどけず、握り返した先は

これなのだ

|

から追及しないか解放してやってくれと進言があったらしく、

私への咎めはなかった。

帰る際に妹には人垣越しに目線があったが、会話はせず会釈だけして、そのまま覚束ない足取りで帰った。

それから私は3日間家に引きこもり、流れ出る涙も枯れ果て出なくなり、かすれた声で笑っていた。

2022-07-14

anond:20220714135913

入学式卒業式は確定で池ちゃんが来ていた。

”だから “池ちゃん入学式卒業式に出なかったことが2回ぐらいあった時は騒ぎになった。



こういう事。


コロナの今だと全学年が出席しない入学式卒業式もあるだろうけどさ…

brightsoda “俺のいた頃は入学式卒業式は確定で池ちゃんが来ていた。” “俺の在校中に池ちゃん入学式卒業式に出なかったことが2回ぐらいあって” どっちやねんw

俺の入学式卒業式は池ちゃんが来たが、在学期間中の他学年の入学式卒業式に出なかったことが2回くらいあったのかなと読んだ。

anond:20220714094742

brightsoda “俺のいた頃は入学式卒業式は確定で池ちゃんが来ていた。” “俺の在校中に池ちゃん入学式卒業式に出なかったことが2回ぐらいあって” どっちやねんw

俺の入学式卒業式は池ちゃんが来たが、在学期間中の他学年の入学式卒業式に出なかったことが2回くらいあったのかなと読んだ。

創価中学創価高校の思い出

自分典型的学会2世で、2000年代前半に創価中学創価高校(創価学園)に通っていた。

最近よくあの頃のことを思い出すので適当に書く。

いかんせん20年近く前のことなので中学高校混同してたり不正確かもしれないけど許して。

受験

地元の5歳ほど上の代に創価中学合格したひとがいて、それなりの田舎だったこともありレジェンドのように語られていた。

そのレジェンドが通っていたのと同じ地元の塾に小4から通った。創価学会員はこの手の験担ぎが大好きなのだ

受験

前日に38度の熱を出してしまった。前述のレジェンドも同じようなことがあったなかで合格したらしく、カーチャンは興奮しながら唱題していた。創価学会員はこの手の(ry

当日は携帯本尊(お守りご本尊とも呼ばれる)をカーチャンに持たされた。どんなものかはググってくれ。

お決まりの「公共交通機関でお越しください」であったが、トーチャンの車の後部座席に寝ながら向かった。ゲートで係員に止められていたが、後部座席で寝込む俺を見て敷地内の駐車場誘導してくれた。俺は眠くて寝てただけなのに。

通常の会場とは別室に設けられた体調不良者が集められた部屋で試験を受けた。ポカリ飲み放題で、毛布にくるまって行儀悪く立膝しながら快適に試験を解いた。

俺が受けた年は倍率11倍で過去最高だったとかそのあと聞いた気がする。

入学式

創価学園だからといって必ずしも池ちゃん接触の機会があるわけではないが、俺のいた頃は入学式卒業式は確定で池ちゃんが来ていた。

普段は会館で見る衛星放送映像の中にいる池ちゃん(とそのスピーチ)を生で見られるということで、たぶん保護者が一番テンション高かったんじゃないかな。

うちもカーチャンテンション爆上がりしていて、出席できるのは保護者の片方だけだったがトーチャンは問答無用蚊帳の外に置かれていた。かわいそう。

ちなみに俺の在校中に池ちゃん入学式卒業式に出なかったことが2回ぐらいあって、それまでは皆勤だったから中々の衝撃を学会シーンに与えていたような記憶がある。

あとスピーチ中の池ちゃんはアゲどころで机を手でバンバン叩くことが多く、その少し後に流行ったやる夫AAの「だっておwwwwwバンバン」を見たときに池ちゃんだろこれって悪友と笑ったことがある。

かっぱえびせん

入学式卒業式ほどじゃない節目イベントときに池ちゃんからメッセージ差し入れが届くことがあった。

終業式のときなんかに学年主任が「池田先生から差し入れいただきました!」って言って全校生徒にかっぱえびせんが配られるのが定番だった。

コンビニで売ってるようなサイズ感ではなく一回り小さいものだったので「けちくせー」と思った記憶がある。貰い物に文句をつけるな。

何より面倒くさくてウザかったのが、その手のことがあるたびにクラスでA5の便箋が配られて「今回の感想と決意を書いて提出しなさい」と先生から言われたことだった。学会員決意するの好きすぎる。

かっぱえびせん感想も決意も出るわけもなく、俺は一回も提出したことないがそれで怒られた記憶はない。真面目な生徒は毎回提出していたように思う。

唱題部屋

創価学会においては、唱題という行為をすればするほどえらいという価値観がある。本尊にむかってみんなで「なんみょーほーれんげきょー」と連呼するあれね。

校舎の一階に謎の立派な扉があって、その奥に20畳ぐらいの和室本尊があった。

体育会系メインストリームなひとたち(サッカー部野球部)なんかは大きな大会の前になると、朝や昼休みに総出で唱題をしていた。練習すればいいのに。

かに生徒会とかの意識の高い優等生自発的に空き時間に唱題しに来てた。

ちょっと記憶あいまいなんだけど、誰でもアクセスできる部屋というわけではなく、部活で唱題する人と一緒に応援をしたい人とか、招待制というかクローズド場所だったような気がする。誰も唱題していない時間に潜り込んで畳の上で昼寝した思い出。

休み時間サッカー

創価学会とあまり関係ないが印象深い思い出がひとつある。

小学生のころ休み時間サッカーをするのが好きだった。地域サッカークラブみたいなところにも入りたかったが親に許されず、そのまま下手の横好きで休み時間サッカーを続けていた。

中学入学してすぐのころ、休み時間サッカーに混ざりたくてそれとなく輪に入ったら横で同級生同士が「なんで増田がここにいんの?プゲラw」と話しているのが聞こえてそれ以降休み時間中庭に近寄るのはやめた。体育もスポーツも大嫌いになった。

当たり前だが同級生はみんなどこにでもいる普通思春期10代だった。それまで接した創価学会大人たちはみんな優しかったので、こんなんだったらこ学校に進んだ意味ないじゃんと思った。

唱歌

創価学園を語るうえで欠かせないのが愛唱歌存在で、校歌や寮歌のほかに10種類以上の愛唱歌と呼ばれる歌があった。

休み中庭で、掲揚された三色旗の前で有志で愛唱歌を歌う活動があった気がする。

唱歌のうちとりわけ記憶に残っているのは「負けじ魂ここにあり」という歌で、気になる人は歌詞をググってもらえるとわかるけどテンションの上がりそうな勇ましい感じの曲だ。ここぞという機会で歌われていた。

1番から5番まである長い曲で、平時は1番と3番と5番が歌われていた。式典とかの機会だとフルバージョンだったかな。Radio MixOriginal Mixみたいな。

いわく5番が一番大事だそうで、5番だけがちゃんが書いた歌詞だったかな?1番~4番の長い前振りがあって、5番に本命が来る。クラブミュージックか?

これを書きながらググった歌詞見直したらメロディー覚えてて歌えちゃった。人間記憶すごい。

ちゃんネーム

創価学会では、学会本部に依頼すると池ちゃん子供名前を付けてもらえるサービスがあるのは有名。

ちゃんネーム割合結構高かった気がする。クラスに2,3人ぐらいはいた。

創価大学への推薦

中学卒業してエスカレーター高校へ進学すると、創価大学への推薦を見据えて学校生活を送る必要が出てくる。

確か条件が5段階評価の平均と、欠席・遅刻日数だったかな。

成績に関しては赤点取りまくらなければ大丈夫、ぐらいのラインだったと思う。欠席と遅刻は年間だったか累計だったか10回まで、みたいな感じだった。

自分創価大学へ行く気は早々に失っていたので、面倒くさいと思ったら勝手に早退して家でラグナロクオンラインやったりしてた。

成績はボロクソだったが赤点補習をきっちりとこなせば問題なかったので、留年とかそういう問題は皆無だった。なんだかんだで寛容で優しい学校だったと思う。

体育の赤点だけは、夏休みに登校して体育教師顧問をするサッカー部と一緒にトレーニングをする、みたいな内容でそれが嫌で最低ラインの出席3分の2を維持するハックで乗り切った。

ちなみに一度受けた体育の赤点補習では、俺の休み時間サッカーの件の当事者サッカー部だったのでそいつが居たが、妙に気遣ってくれたりしてむずがゆかった。あいつ良いやつだったな。

総合的な学習と池ちゃんスピーチ

創価学会にはとにかく記念日が多いのだが、記念日会合で池ちゃんスピーチをぶると翌日には聖教新聞に全文が掲載される。

総合学習みたいな時間にはその聖教新聞クラスで配られ一文読みをしていた。ここでもかっぱえびせんときと同じようにA5の便箋感想と決意を書かされる。一度も提出したことはないが(ry

ちゃんスピーチの全文を読んだことある人がはてなにどれぐらい居るかわからないが、池ちゃんスピーチって基本的に中身がない(個人の感想です)

「〇〇(歴史上の偉人)は言った、ほにゃららほにゃらら。だから君たちも勉学に努めなさい」一同「ハイッ!」っていうのが池ちゃんスピーチ定番のやり取りで、勉強しろって説法をするとき引用しか言えないのかこの人、と常に思っていた。

他には「戦争悲惨だ、最低の行為だ」「いじめはよくない、いじめ人間100%悪い」みたいなありふれた内容で、何をみんなそんなにありがたがっているのか分からなかった。そのためにはどうしたらいいのか、どうすべきなのか、具体的な方法理論言及することが皆無だった。せいぜい本を読めとか勉学に励めとかそれぐらいで、マセガキだった俺の好みの内容ではなかった。

「いついつの会合スピーチめっちゃよかったよね~」と言っている同級生もいたが、松屋吉野家ぐらいの違いしか俺には分からなかった。

哲学者の道

創価学会は独特な語彙やネーミングが多いが、学校にもそれはあらわれていた。

中学ロッカールームは「鳳雛ホール」という名称だった。ほかに学校内の講堂は「池田講堂」だったり、食堂が「栄光ホール」みたいな名前だった気がする。一番大きい体育館も何か独特の名前があったと思うが覚えていない。俺の卒業後に校舎が建て直されたりしてググっても情報全然出てこない。

最寄り駅の鷹の台駅から学校までは10分以上玉川上水沿いを歩くのだが、玉川上水沿いの道は「哲学者の道」と呼ばれていた。哲学者の道を横に外れた場所昔ながらの林があって、そこでエロ本を見つけたことがある。なるほど哲学者の道

ちなみに近隣の武蔵野美術大学白梅学園の生徒もここを使って通学していて、妙に大人の女性に見えたなあ。

白梅学園バス停前後創価学園と朝鮮大学校に囲まれている画像なんかが有名だけど、不思議朝鮮大学校に関する記憶がない。

終業式だか始業式を飛ばして悪友と学校を抜け出して武蔵野美術大学学祭に遊びに行ったのは楽しかった。

VIPスレ立て

悪友が「創価学園の生徒だけど質問ある?」みたいなスレを立ててVIPで爆伸びしていた。創価系の質問スレググる結構多いけど、当時2chにどっぷり浸かっていた俺の知る限りでは悪友のスレ元祖だと思う。

校内の写真とかをガンガン上げていて大丈夫かと思った。今でもインターネットで出回る創価学園にまつわる有名画像のいくつかは悪友がアップしたもののはず。

生徒や先生たちの宗教観

基本的には学会二世しかいないので、典型的創価学会員の世界観を持っている生徒が多い。

一方俺はネットde真実ゴリゴリにこじらせていたので、普段からちゃん創価学会懐疑的スタンス公言していたが、それでいじめられたりするようなことはなかった。池ちゃんいじめを許さないご指導が活きていたのかもしれない。

ちゃんへのおかしいと思った点を熱心な生徒に話してみたりしたが、全否定されたり人格否定されるようなことはなくまともに議論じ応じてくれたように記憶している。

なにかの学校行事の決意発表大会みたいな学年集会の場で「俺は正直池田大作という人は別に好きではなくて~」みたいに自分の考えを披露したことがあるが(今思うとこじらせすぎている)、それでも「こう考えてる人がいることが分かってよかった。増田言葉で聞けて良かった」とニュートラルな反応をしてくれた同級生いたことが印象的。

一方で先生頑迷な人が多かったように思う。一度英語先生に「創価学会員はどうして個人なのに人の投票行動に介入するんですか?自分で決めるべきことなのでおかしいと思う」と言ってみたことがあるが、「人は選挙権のほかにも、個人として選挙をお願いする権利もあるんだよ」と答えになっていない返答をされた。いまでも意味わからん

現代文のH先生

基本的にあまり好きな先生はいなかったが、現代文のH先生だけは好きだった。

やたらと情熱的な語り口で面白い授業をするひとで、いろんな国へ旅するのが好きで授業の雑談ではその話を臭いぐらいロマンチックに話すので好きだった。

ほかの教科はやる気皆無だったが、現代文だけはノートもしっかり取っていたし、試験前のノート提出もしていた。

あるときH先生に提出したノートを紛失された。丁重謝罪されてノート点も満点つけてもらった(らしい)が、それ以降H先生の授業へ興味を失った。クソガキすぎる。大人だって失敗するときはあると今ならわかる。

スクールカースト

平等平和を謳う創価学会員もしょせんは人の子なので、スクールカースト存在していた。

今でいう陽キャは「メジャー」と呼ばれ、陰キャは「マイナー」と呼ばれていた。

ちなみに親が幹部かどうかはスクールカーストには関係なかった。ただディベート大会で全国レベルの成績を残したり、生徒会役員だったりするようなインテリ勢は親が幹部っていうパターンが多かった。そしてインテリ勢はメジャーマイナーの括りにも縛られないアウトサイダー雰囲気があった。

不祥事

不祥事っぽい出来事もあった。

世は前略プロフィール全盛期、同級生メジャー勢の女子前略プロフィール(というかそれに付随するいわゆる「リアル」のページ)で飲酒パーティー写メ(死語)をアップしていて、学校に垂れ込まれて停学になってた。

停学になったメジャー女子たちはほとんどその後創価大学へ進学し、銀行員になったり不動産屋になったり売れないクラブDJから水商売世界に入ったり、様々なよう。

疲れたのでこのへんで。またなにか記憶の扉が開いたら書く。

追記

履歴書学歴呪いについてのブコメをしている人がいるが、今のところ特に困難だと感じたことはない。

転職もしつつ順当にキャリア年収を上げて生きてきたけど、「親が創価なんで」の一言でそれ以上深掘りされることも差別されることもない。

2022-07-13

結婚式で中高年共が先輩風吹かしてるのが本当みっともなくて見てられない

知り合いの結婚式に行ってきた。

まあ俺らは学生時代の仲間同士でドンチャンドンチャンして「奮発して3万出したけど料理だけだとせいぜい1万程度の価値しかないし2万分飲むぞー!!ギャハハハハハ」みたいに適当に盛り上がっとった。

んでまあ割りとベロベロに近いモードながら朧げに卒業式来賓祝辞じみたジジババ共の贈る言葉を聞いてたんだが、やっぱ酒はいっててもつれぇわ……

なんかさあ「夫婦生活長く続けてきた俺らの方がお前らより人間として上だから」みたいな圧があるんだよな。

それどころか「夫婦として沢山中出しして子供作ってきたので生物として格上やぞ???」ぐらいのこと考えてそうなのがまあキンモー

なにより奴らが言いたいのは年功序列ってことなんやろなと。

この実力社会現代の中で全力で年功序列オーラ出して「若造は未熟で馬鹿者だが見守ってやるぞ^^」みたいな面できる最後場所結婚式なのかなあとすら思うわけよ。

ほーんまキモすぎて辛いっすわ。

結婚式暴力性とかゆーが中高年共が年功序列でイキってることのがよっぽど暴力っすわ。

いやー恥ずかしいね……。

人生の先輩っぽいこと言って格好つけたいんだろうけど結局中身がないから滑り倒して年齢だけを論拠に威張ってる奴ばっかでさ。

こうはなりたくないんだけど、まあい自分結婚式で作文読む羽目になったら同じレベルに陥るんだろうな。

暴力性だわ。

中身のない空っぽな虚勢の殻しか作れなかった数十年の人生をピカピカの新婚の前で必死に取り繕いながら語らされるのもある種の暴力なんやろな。

憐れやで。

2022-07-12

舌ピを開けた、大学4回生

4回って言い方でわかる人もいるかもしれない。私は関西大学生だ。頭は良くないけど、そんなに後悔しない大学生活だった気がする。まだまだやりたいことあるしね。

本来なら舌ピなんて1回で開けて楽しんで就活を前に閉じるものかもしれないけど、私はやっと内定が出た直後に開けた。そこの会社に行くかはまだ迷っているけど、我慢できなかったので。

ピアス病院で開けた。ニードルかなと思ったらピアッサーで、少しずれてしまったけどまぁ満足してる。開けたのは先週土曜だから、そろそろ3日くらい。まだじんわり痛いし、違和感もある。舌を火傷した時や、口内炎が出来たような痛み。咀嚼すると痛みが強くなる。熱いものは駄目。辛いのとアルコール煙草は控えている。奥歯の方に押し込めるものは割と食べれる。スープ飲み物豆腐とかプリンは全く問題なし。茶碗蒸しが大活躍している。

両耳たぶは開いてるけど、他は開けてなかった。

耳は高校卒業式のその日に開けた。アマゾンで買った一番安いピアッサーで、その日に。高校校則が厳しくて、携帯持ち込み禁止、寄り道禁止、髪染めピアス禁止アルバイト禁止SNSアカウント作るの禁止、他にも色々禁止だった。校則に書いてあるだけとかじゃなくてほんとに先生に見つかったら指導されるレベルの厳しさだった。有名ではないけど幼稚園からある女子校からそんなものかもしれない。今となっては懐かしいけど、それは私が隠れてバイトSNSも寄り道もしていたからで、真面目に守っていたならきっと後悔していただろう。

一度無断で休んだ時は反省文を書かされた。学校へ行くくらいなら死のうと思ってホームドアのない電車を探していた時、行かなくてもいいんじゃないかと思った。先生や親も死ぬよりサボる方が嬉しいんじゃないかなんてやたら冷静に客観視してた。反省文を書きながらこれは何の反省なんだろうと思った、だって死ぬか行かないかの二択だったのに。

両耳のピアスは私としては早かったが世間的には遅いだろう。私はいつもそうだった。みんなより全部遅い。化粧を覚えたのも高校3年だった。

前髪を初めて作ったのもはたちになる少し前だ。高校生の時から散々ある方が可愛いだろうと言われていたし思っていたのに。

髪を初めて染めたのもはたちすぎてからしかインナーの一部で殆どからいくらい暗い青だった。でもそれがきっかけで色んな色をやった、インナーだけど。大学入って直ぐに染めてたらもっと色んな色が出来たのにとも思う。

次は全頭してみたいと思っている。遅いかもしれないけど、遅すぎはしないだろう。だって大学生だし。ぎりぎり。

いつも遅い。みんながやり始める頃にはそんなの興味無いとばかりに見ていて、後からやりたくなってもっと早くても良かったなと後悔する。そしたらもっと楽しめたのに。

でもそういう意識が強すぎて早まってしまうこともある。

成人した直後からワインを飲んでいる。家にカクテルセットがあるというと驚かれる、大学生では珍しいかもしれない。日本酒もすき、ジントニックもすき。クラフトビールもすき。そんな感じ。

幼少期に読んでた本は大抵大人びていた、気がする。少しだけ。英才のように文豪たちを読破したとかカントを読んだとかはない。今はキルケゴール死に至る病を買って、大学生だと言うのに意味が分からなくて呻いている。もしこれを読んだ方の中に哲学好きな方がいたら、あれを上手く読み解く為のコツとか解説書なんかを教えて欲しい。

閑話休題

遅いとか早いとか、そういうことは無意識に思ってしまう。早いうちに触れるのはいいことだ、何歳になっても遅いなんてことは無い。そうは言っても現実はその通りでは無い。

小説家イラストレーターになりたかった。学生のうちに仕事を受けられるようになっていなければそれで生計を立てるのは難しい。そもそもいちばん暇な大学生プロレベルまで出来なかったのは才能がないのだろう。能力ではない、やり続けるという才能が。

研究者になりたかった。小学生の頃の行きたい大学マサチューセッツだった。ちなみに今も昔も英語ができたことは無い。向き合う度に外国語は向いていないことをひしひしと感じる。

研究者に憧れがある、科学者数学者天文学者宇宙の真理やこの世の理、最先端技術、未知の可能性、人類進化魔法区別がつかなくなるまで発展する科学技術。無闇な憧れだ。論文も本も何も理解出来ず、どういうふうに系統だっているのかも分からない。でも憧れている。でももう遅い。私はサインコサインすら分からない。

頭がいい、と思っていた。昔は。人と会話することもある程度得意だ。

国語勉強しなくても偏差値が取れた。小学生漢検2級を取った(これは母の全力の献身によるものだ、私の努力ではない)。他の教科も聞いてたら何とかなった。でも中学2年くらいから授業を聞かなくなって、数学理科ががくんと落ちた。相変わらず国語トップ近くで、社会は本から得た知識でなんとかなって、英語は長文とリスニングで何とかした。文法からきしだった。

高校ではやれば出来るのにと言われ続けた。地頭は良いのにと。そうかもしれないと思っていた。そう思いたかった。

でもそうでは無いのだろう。

本を読んでも理解できないことが増えた。読み終わっても中身を忘れることが増えた。あんなに無限に読めると思っていた本を、もうしばらく最後まで読めたことは無い。難しくなったら駄目だった、ライトノベルは多分いまでもサクサク読める。

私は天才でも秀才でもなくて、やる気とかいう最大の生まれ持つ才能も持っていなくて、やる気がなくてもなんとかなる能力もなくて、全く興味の湧かない仕事内容の会社就職しようとしている。

昔はゲームなんて時間無駄だと本気で思っていた。それなら勉強した方が世界も広がって能力も高まって良いと。

勉強なんてもう何年もしていない。ソシャゲ毎日時間と毎月数万を使う立派なソシャカスだ。

ピアスタトゥーには憧れていた気がする。酒や煙草にも。アウトロー感のあるものには憧れがあって、でもテンプレートな安い人間にはなりたくなかった。でもなってしまった。

白衣を着て、日本でも有数の大学院で試験管を持ったり数式を書き散らしたり、ドイツ文学フランス文学を原文で読んで純粋理性批判について論文を書くような学生だったら、髪がペールブルーターコイズ二色で舌や唇にピアスが開いてて身体タトゥーが入ってたら最高にかっこよかったかもしれない。

そんな格好をしている美大生なんて山ほどいる。

そんな格好をしているバーアルバイトなんて山ほどいる。

そんな格好をしている鬱の社会不適合者なんて山ほどいる。

私がなりたかったものにはもう一生なれなくて、それでも表面だけで真似できるものだけ、努力しなくてもできるものだけ、真似している。

大学は楽しかった。散々文句を言ってやる気がなくてチャイムがなって数十分後に来てチャイムと同時に帰っていたけど、物を作るのは楽しかった気がする。ともだちもいる。そうそう人を友人と口に出せない私が友達だと確信を流石に持てるくらいには仲がいい、はず。

桜の咲く公園で夜にビールを飲んだり、宅飲みマリカしたり、自主休講して展示を見てパフェを食べたり、ナイトプールにいったり、ディズニーとユニバにいったり、覚えてもいないくらいたくさん話して笑ってた。最近は知り合いの家に酔った勢いで雀卓をアマゾンで買って送り付けてルール説明した。自分も分かってないのに。

彼らにとって大した思い出でもないかもしれないが、私にとっては一人では死んでも得られないそれらをくれた事に死ぬほど感謝している。

ずっと死にたいという思いはあって、でもその中にもう死んでも構わないというポジティブ希死念慮があることは間違いなく楽しかった大学生活のお陰だろう。いやなこともたくさんあった、アルバイトも大変だった。バイト先に警察が来たこともあった、これはいい経験だけど。人生経験できることはできるだけしておきたいので普通にその時も良かったなと思っていた、店からはたまったものじゃないだろうが。

そんな気持ちからバンジージャンプも行ったりした。単に絶叫好きなだけかもしれないが。ピアスもその一環かもしれない。開けなければどんな痛みかなんて知らない。舌ピ開いてるあのキャラクターとかも、開けた直後はポタージュとか豆腐とか食べてたのかな、と思うとちょっと面白い

シーシャも行った。今度葉巻もいく。

努力の要らないものばかり。ボランティアでもしてみれば良かったな。したい気持ちはあるけれど時間とか労力とかいきなりその日鬱になったらとか思うとなかなか出来ない。

習い事もしてみたかった。音楽からっきしだから何か楽器とか。バレエとかダンスかにも興味がある。踊るのはすきだ、振り付けは真似するのが苦手だから即興ばかり。音楽を流して踊り続けるのだけは得意だ、人に見せたことは一度もないけど。あとボルダリングとか、薙刀とか、色々やってみたかった。

そういう系だとサバゲーもある。これはサークルに思い切って入った。楽しかった。銃を買ったけれどコロナサークルが停止してそのままなくなってしまったので一度もフィールドで撃てなかった。いつか思いっきり撃ちたい。

スキースケートは好きだからフィギュアスケートもやってみたかった。ずっと憧れはあるけどスケートリンクが近くにあったことがないのでこれはしょうがない。

バイクにも乗ってみたい。一度後ろに乗せてもらって、免許取りたいといったけれど、結局バイクを持つのが大変なことやお金を考えて取っていない。

美容にはすぐお金を使ってしまう。というか費用対効果だ、時短になるならやっておきたい。二重はやった。脱毛はもうすぐ一回目がある。まつパもやりたい。レーシックもやりたいけどカラコンを入れなくなりそうだと思うとちょっと躊躇する、眼鏡も少し気に入っているので。外した方が可愛いけど。

少しでもかわいくなりたい。自分死ぬほどかわいくなくて、死ぬほど魅力がないのを知っているから、少しでもってなってしまう。

アイドルになりたかった。歌手でも俳優でもいい。最近ミュージカルがすきだからミュージカルにも憧れる。服のモデルもいい、写真撮られるのも色んな服を着るのもだいすきだ。

でも私は人前が苦手だ。頭で苦手だと思ったことはない、好きなアーティストライブにいっても、こんなにたくさんの人の前で歌ってこんなにたくさんの人に愛されるのはどれだけ快感だろうということを考えてしまう。

でも人前に出ると勝手身体が震えて、平衡感覚おかしくなって、喋れなくなる。大学の発表でもそうだ。上手く話せなくなる。頭は冷静だから対処はできるけど、身体勝手に震える。

人前というか知らない人と歌う機会があったことも少しあって、褒められたら嬉しかった。けど歌手アイドルになれるほどじゃない。顔も可愛くないし、ダンスも下手だ。自分では出来てるつもりでいても動画を見るとキレのなさに絶望する。これは本当に才能だと思う。

女の子アイドルゲームが出来ない。羨ましくなってしまうから男の子なら普通に推せてたまに羨ましくなるくらいだけど、同性だと近いから難しい。でもなりたいのは男の子アイドルだ、イケメンと一緒に可愛い女の子にキャーキャー言われるなんて最高じゃん、と思う。

先生になりたかった。人に物を教えるのはすきだ。上手い方だと思う、友人に教える時も。相手知識量や理解力に合わせて単語解説をいれ、分量を変え、分かりやすそうな例えを使う。フラット目線を持っているとも自負しているし、向いている気もしてる。先生と言うよりかはマンツーマン指導する方が向いているかもしれない。

でも一度家庭教師登録していて、仕事の話もあったけど、大学名で難色を示された。多分向こうの親御さんが文系理系学生がいいと言ったんだろうな、とぼんやり思った。同じ大学でも塾講師をしている子はいるので普通に学力があれば大丈夫なんだろう。私には教える力はあっても学力はない。でもやる気がなかったからこそやる気を出させたり、本を解説するのだけは本当に上手いと思うのだけど……まぁ、仕方ない。

他にもいろいろ夢はある。理想生活もたくさんある。でももう叶わない。分岐点はとっくの昔にある。

今できる楽しそうなことだけを積み重ねて、本は難しくて気力がない時には読めないかソシャゲの周回とTikTokをして、少しずつあの日高潔な私が死んでゆく。取り返しはもうつかない。じきに働かなきゃいけなくなる、働けるかは分からないけど。

せめてできる新しいことをしようと思って日記を書いた、ちょっと憧れていたから。ツイッターフォローしてる文章の上手い人のnoteが良かったから、ああいものを書きたいと思った。

私は承認欲求が強い。物凄く。いいねひとつ一喜一憂して、私より評価されている人全員が羨ましくて、なんとかいいねをしてくれそうな人に届いて欲しいけどそれを表に出せない。せめてタグをつけてRTをするくらいだ。

私は私の作品が好きでも、クオリティが低いことは知っていて、それでも好きだと言って欲しくて、でも他の有象無象の、私から見てあまりにも稚拙低俗作品といっしょくたにいいねされてると悲しくなる。こういうところが本当に性格が悪いと思う。けれど好悪はもう変えられないし、今更承認欲求も手放せない。昔は承認欲求なんてないと、どうでもいいと、むしろそれを持っている人になんでそんな感情を持つんだろうと疑問にすら思っていたのに、自分承認欲求があるとしたら全てが腑に落ちた。無いと思い込んでいても消せなかったものは、多分もう消えてはくれない。

私は自分底辺であることを知っていて、それでも結局どこかによく見られたいという願望が残っていて、ナルシストなところもあって、性格の悪さもあって、それがこの文章からも滲み出ていることが本当にいやで、でも取り繕うことすらしないのも嫌だからどうしようもない。

理想自分になりたかったと思いながら、今日自分ひとつ成長させてくれるはずの買い込んだ本をめくることすらできず、朝になった。

この文章最初からひたすら思いついたことを脱線するまま書いて、読み返しや修正もしていない。

どうせ誰にも刺さらないことを知っている。私の作品が好きですという感想匿名で貰ったことは一度もない。一度も。本の感想も。

最後まで読んでくれた人が数人でもいたら御の字だろう。

それでも誰かが読んでくれて、コメントをしてくれることを夢見ている。認めたくないけど、心のどこかであわよくばインフルエンサーとかがTwitter投稿したりして、バズって、はてな文学みたいな扱いを受けたりしないかななんて期待している。醜い。でもこの醜感情を抱えていたくないから書いてしまおう。心に秘めていたりツイッターでぼかしながら細切れに話してることを、全部思いのまま書きたくてこの文章を書いた。

何が刺さるんだと言われたら自分でも分からない。実力以上の評価が欲しい訳でもない。努力もしないくせに数字だけ貰えるなんてことはないと分かっていて、それでも楽なことの方がすきでそちらを選ぶ。趣味からなんて言い訳せずに絵の練習でもしていたら今頃もう少しましだっただろうか。漫画も描きたかった、漫画の方がバズるから表現媒体としても面白いネタを思いついても小説では書けないこともある。でも描こうとしても絵が下手すぎて結局再現は出来ない。

楽な方に楽な方に流れている。

今度はスクランパーとインダストリアルを開ける。

ひとつ開けたら憧れの気持ちが止まらなくなってしまった。人生で一回は開けておきたい、テンプレートに近づくとしても。死にたいとか鬱だ何だとかいっている言葉が、昔より軽くなりそうだ。ファッションが変わっても私の中身は何も変わらないのに。

楽な娯楽だ。努力しなくてできる変化、合法的自傷。腕を切ったことはない、痛いから。でも首を絞めることはある。いつか首を吊るためのシミュレーションのように。一度失敗したきりだけど、いつかはきっと死ぬだろう。寿命まで耐えられるとは思えない。

本当は耐えて欲しい。耐えられるくらいでいい、その程度でいいから、幸せになりたい。

普通の人になりたい。創作をする、私は天才だと思っている友人は、死にたいけれどその死にたさも自分から治らなくていいと言っていた。

私は幸せになりたいか心療内科に通った。意味あんまりないけれど。

これを書いている間もずっと舌が痛い。これが収まる頃にスクランパーとインダストリアルを開ける。思い切り食事ができるのはまだ先になりそうだ。

何度も終わらせようといい感じに結べそうな文を書いているのに書きたいことが溢れてしまう。

私は人に知って欲しいたちだ。なんでも、やったことや見たもの、感じたことや思想、なんでもすぐツイートしてしまう。勿論セーブはかなりしているけれど。そしてそのツイートを全部見て欲しいと思ってしまう。何故なら私は好きな人ツイートを全部見たいタイプから。ある程度好意を持っていたら何を喋っていたか知りたいかなんて当たり前だと思うけど、世の中では意外と少数派らしい。でも私の中ではそれが当たり前だからツイートを見ていないと言われる度にそんなに私に興味がないのかと傷つく。表には出さないようにしている、めんどくさいと思われるから。でもあえて出す時もある、相手が平気そうだったり、そういうキャラで私がやっていけそうなら。メンヘラちゃんキャラでいたら、少しだけ私の本音を言うことができる。

からひたすら書き連ねるのは楽で楽しくて、でと整理されてない文章なんて誰も読みたくないだろう。でも日記というか、書き散らしというか、日々の所感としてはこんなものかもしれない。

舌が痛いし眠くなってきた。多分何も無ければ無限に喋り続けられるだろう。自分の話をするのが好きだ、相手に知ってもらいたいから。好きな人のことはなんでも知りたい、血液型とか、健康診断の話になった時の視力とか、すぐメモってしまう。私の記憶力が悪すぎてメモっているだけで、覚えておきたいというだけなんだけど。締めに頭の中で用意しておいた文章ストックがもうない。前のを引っ張ってこよう。ちょっと書き換えて。

そうやって楽な方に楽な方に流れている。

今度はスクランパーとインダストリアルを開ける。お手軽な変化を得て、なんとかぎりぎり生きている。バイトの当欠も、説明会のキャンセルも、自主休講にしすぎな大学も、なんとかなってるとは言えないけど、取り敢えずまだ致命傷ではない。致命傷ではないけど、ゆるやかに死んでいくのだ。

きっと今の私は、昔の私が一番なりたくなかった姿だろう。働きたくないとか甘えるやつ、努力しないやつ、後回しにするやつ、遅刻するやつ、頭の悪いやつ、死にたい

2022-07-09

2022/7/8 大学生日記

今日は授業が4限目の電磁気だけなので12時半ごろに起きた。

LINEグループが盛り上がっているみたいで通知のバイブ音がめちゃくちゃうるさい、これで目が覚めた。

半目でグループトーク内容を見てみると、どうやら安倍元総理がそんなに遠くない大和西大寺で銃撃されたらしい。

ルギア世界ではないんやぞと思いながら、現実の話だと受け入れるのに時間が掛かった。

体が震えるほど動揺した、日本で銃を使った襲撃事件が起きるとは思っていなかったから。しか被害者安倍元総理。
長い間見慣れた人で、今年の近畿大学卒業式にも来ていてとても赤の他人だとは思えなかったかである

日本もとうとうここまで来たか2022年に入ってから、いや俺が大学入学してからろくなことがない。世界全体に暗い雰囲気

蔓延っているように思えてならない。コロナで気分が沈み、大国ロシア戦争を始め、日本元首相が銃撃された。

しか最近運が悪い、ついていない。女には振り回されるばっかり、良い感じ!と思っていた女の子はみんな別の男を作ってどこかへ行ってしまう。

まあそれはいものこと。友達はなんだか女の子と楽しそうにしていてなんだか一人取り残された気分になっていた。

そんな気分の俺には重すぎるニュース。重い気持ちを奮い起こしてなんとか大学チャリを漕いで行った。片道20分といえど最近は
溶けるくらい暑いので重労働

なんとか着いて電磁気の授業を受ける。先生がいつものように授業を始める、案の定就活関連の話で30分くらい潰れた。

就活の話をしてくれるのは本当にありがたいことだ、厳しくて高圧的でとっつきにくい先生だけど、実は誰よりも僕たち怠惰大学生を気にかけてくれているのかもしれない、

そう思うと少し嬉しくなる。俺は人に優しくされることが少ないように思う、ちょっとくらいはみんな俺に優しくしてくれ。そんな俺は些細な優しさにも感動してしまう。

授業が終わって先生と話すのも嫌いじゃない、今日はどうやって企業を探すのかと質問した。

自分の興味がある業界か、それともやっていけそうと思う業界か。それは君次第だね〜と言われた。病んで辞める人が一番多い、8時間やってける仕事を選びなさいと言っていた。

君は彼女いるの?と聞かれたので、今はいませんと答えた。ちょっと強がりな答えかもしれなかった。昔はいたんだね彼女が、じゃあ君はその人と結婚するってなると相当覚悟

いるでしょ?その覚悟と一緒だよ就活は、と先生は言う。なるほど納得、電磁気もこれくらいわかりやすく教えてくれたらいいのに、けど電磁気のものが難しいか

先生のせいでは決してない、むしろ丁寧に教えてくれるのでありがたい。まあ結婚に失敗したら離婚すればいんだけどね〜と笑いながら言う、苦笑いで返すしかない。

電磁気教室は8階、エレベーターが混んでいるのでいつも階段を使うが、上りはほんとにきつい、山登りの気分。下りはそんなにキツくないけど目が回りそうになる。

1階まで下る途中で7階に就活資料があることを思い出したので5階で踵を返し、7階に戻る。24卒向けの情報はまだない、意外な企業から求人が多くて参考にはなった。

図書館前のベンチで勉強、後ろの席で男一人が女の子二人に男女の友情は成立しないと偉そうに講釈を垂れている。やかましいわ、自分女の子からちょっとモテるからって

いい気になるんじゃない、と妬みつらみの気持ちで盗み聞きしながら勉強していた。なんだかんだで勉強していると、17時ごろに安倍さんが亡くなったというニュースが流れてきた、

分かってはいたが公式に発表されると現実味が増し、えもいわれぬ悲しみと恐怖で気持ちがいっぱいになって泣き出しそうだった。

そのあとサークルミーティングに行った、友達といると少しは気分も紛らわせる。今日は家にご飯がないので友達ラーメンを食べに行った。
ラーメンを食って友達タバコを吸う、

濃い味を食べた後のタバコはなんであんなに美味いのか。女子友達彼氏と別れてくる、と言い残して帰っていったので男だけになった。男になった途端に女、童貞セックスの話しかしない。僕は童貞っぽいと言われるので直し方を教えてください〜と俺の友達に問う。自慢げに友達は答える。みんな女が欲しいよね、俺も欲しいけど女の話ばっかりしてると滑稽な気がするので俺は終始口を開かなかった。チャリに乗って帰宅今日は誰もいない、友達今日出来事最近の悩みについて話す、大小問わず暗い出来事ばかりの俺たちは否応なしに会話の内容も暗くなってしまう。腹を割って話せる友達がいるだけ幸せだ。なんだかんだで0時までの課題を仕上げる、一息つくためベットに横になりYouTubeを見る。しばらくすると両親が帰ってきた、父が激しく俺を呼ぶ、嫌な予感しかしない。母が自分では歩けないほど酩酊していて介抱した。どうせ父の女の話をするために二人で外食していたのだろうと思っていたが、予想は当たっていた。酩酊してもなおビールを飲もうと缶を開ける母、ものに当たり叫ぶ母、また喧嘩を始めた、勘弁してくれ。ヘッドホンをしていれば声は聞こえないが激しい喧嘩なので振動が伝わってくる。俺は今年で21歳、もう子供じゃない立派な大人だ、情けない話だが夫婦喧嘩に怯えてしまう、普段とは豹変した両親が醜く喧嘩をするのは見るに堪えない、しか喧嘩の原因は痴情のもつれ、それは20歳前半までにしてくれ。

過度のストレスを感じて体が震える、まともにパソコンタイピングできない。こんなとこには居たくないと、パソコンiPadを持って家を飛び出た。喧嘩収集がつかない時はいつも俺が仲裁に入る、俺は家の中で常に気を張っていなければならない、うんざりしているが両親は見捨てられない、学費を払っているのは誰だ、飯を作っているのは、洗濯をしているのは、そんなことを考えると放っておくわけにはいかない。しかし、今日くらいはわがままを言ってもいいだろう、マック避難だ。

親に親らしいことをしてもらった記憶がないわけではないが、愛情がなかったように思う、いつも俺を道具に喧嘩していた、当てつけのように小言を言われた、俺の悩みを聞いても社会に出るともっと辛いと一蹴された、俺が自立しようとするとヒステリックを起こして暴れていた、父との関係が悪いと思いきや仲直り、俺の誕生日に家に帰ると年甲斐もないようないちゃつき方をしていた、俺は家を出てコンビニで泣きそうになりながら友達電話した、親の二面性をこうも強く見せつけられると気が狂いそうになる、助けてくれ、子供なのはどっちなんですか、俺は小さい頃からわがままも言わずに育ってきた、勉強もやるし素行も悪くない、大学だって悪くない、それでも俺は不完全な、望むような息子ではないと言うのでしょうか、ごめんなさい可愛げのない息子で。少しくらは俺のわがままも聞いて欲しい。

そう思ってマックで長々と文字を打ってしまった。正直消えてしまいたい、大嫌いな親からまれ自分も大嫌いだ、だけどここで死んでしまっては親に負けたような気になって胸糞悪い、死んでたまるか、彼女を作ったり趣味を楽しんだりして幸せに暮らすんだ、俺は負けない、自分自身に負けない、負けてたまるか、昨日の自分に負けないために今日も頑張る、例え報われなくとも、足掻く価値はある、負けるものか、絶対に負けるものか、がんばれ俺、ひとりぼっちかもしれないけど頑張れ俺、きっといい事がある、自己研鑽に励め俺、俺はいいとこもあるはず、自信を持って胸を張って生きていけ。幸せになってみせる。

2022-07-08

anond:20220708011528

ポリコレアフロこと、久能整

メジャーリーガー子ども入学式卒業式出産の立ち合い、家族イベントで休むのです。行かずにいられるか!と行きたくて行きます。」

「一方で、日本人野球選手子どものために休むのを見て、解説者は『奥さんが怖いんでしょうね…』と言うのです。」

日本人は、メジャーリーガーが行きたくて行っていることが理解できない。なぜなら自分はそう思ったことがないから。。。」

メジャーリーガー子どもの成長に立ち会うことを権利だと主張し、日本人義務だと思っているのです。」

2022-07-05

成人式行かなかったし大学卒業式あんまり乗り気ではないんだけど、こういう式典って自分のためだけじゃなくて親のためでもあるんだなーって最近思う。

4年間大学生活過ごしてきて、その最後の日の卒業式に参加しませんってなると、親としては悲しいだろうな。

2022-07-03

anond:20220701203714

史上最も偉大な日本サブカル漫画家100人

知名度、後世への影響、漫画史的意義などを独断偏見考慮した上でサブカルくそ野郎フィルターで濾した二番煎じを俺も作ってみた増田

作家デビュー代表
田河水泡1929年のらくろ
手塚治虫1946年新寶島』『鉄腕アトム
藤子不二雄1951年オバケのQ太郎
藤子・F・不二雄1951年ドラえもん』『エスパー魔美
藤子不二雄1951年笑ゥせぇるすまん』『まんが道
石ノ森章太郎1952年サイボーグ009』『さるとびエッちゃん
松本零士1954年銀河鉄道999』『宇宙戦艦ヤマト
つげ義春1955年ねじ式』『ゲンセンカン主人』
楳図かずお1955年漂流教室』『まことちゃん
赤塚不二夫1956年おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん
水木しげる1958年河童の三平』『墓場鬼太郎
谷岡ヤスジ1959年ヤスジのメッタメタガキ道講座』
山上たつひこ1965年光る風』『がきデカ
佐々木マキ1966年『うみべのまち』『やっぱりおおかみ』
林静一1967年赤色エレジー
宮谷一彦1967年『性蝕記』
竹宮惠子1967年風と木の詩』『地球・・・
東海林さだお1967年アサッテ君
萩尾望都1969年ポーの一族』『11人いる!
吾妻ひでお1969年ふたりと5人』『失踪日記
諸星大二郎1970年暗黒神話』『夢見る機械
植田まさし1971年かりあげクン』『コボちゃん
山岸凉子1971年天人唐草』『日出処の天子
谷口ジロー1971年孤独のグルメ
蛭子能収1973年地獄に堕ちた教師ども』『私はバカになりたい』
魔夜峰央1973年パタリロ!
大友克洋1973年童夢』『AKIRA
いしいひさいち1972年がんばれ!!タブチくん!!
鴨川つばめ1975年マカロニほうれん荘
高橋葉介1977年夢幻紳士』『学校会談
江口寿史1977年すすめ!!パイレーツ!!』『ストップ!!ひばりくん!!』
吉田秋生1977年BANANA FISH
中崎タツヤ1978年『じみへん』
高野文子1979年絶対安全剃刀』『黄色い本
いがらしみきお1979年ぼのぼの
とり・みき1979年クルクルくりん』
山下和美1980年天才柳沢教授の生活
丸尾末広1980年少女椿』『芋虫
佐々木倫子1980年動物のお医者さん
あさりよしとお1981年宇宙家族カールビンソン
山田花子1982年『神の悪フザケ』『魂のアソコ
宮崎駿1982年風の谷のナウシカ
日渡早紀1982年『僕の地球を守って』
岡崎京子1983年リバース・エッジ』『ヘルタースケルター
山野一1983年『四丁目の夕日』
浦沢直樹1983年YAWARA!』『20世紀少年
岡田あーみん1983年『こいつら100%伝説
山本直樹 a.k.a. 森山塔1984年Blue』『レッド』『よい子の性教育
高河ゆん1985年アーシアン』『ローカライザー
矢沢あい1985年NANA
吉田戦車1985年伝染るんです。
望月峯太郎1985年ドラゴンヘッド』『ちいさこべえ
安達哲1986年さくらの唄
桜玉吉1986年しあわせのかたち』『漫玉日記
伊藤潤二1986年富江』『伊藤潤二傑作集 3 双一の勝手呪い
松本大洋1987年鉄コン筋クリート』『ピンポン
西原理恵子1988年『まあじゃんほうろうき』『パーマネント野ばら
山本英夫1989年殺し屋1』『ホムンクルス
榎本俊二1989年GOLDEN LUCKY』『えの素』
新井英樹1989年宮本から君へ』『ザ・ワールド・イズ・マイン
安野モヨコ1989年働きマン
CLAMP1989年カードキャプターさくら』『XXXHOLiC
漫☆画太郎1990年珍遊記 -太郎とゆかいな仲間たち-』
今敏1990年『海帰線』『OPUS
高橋しん1990年いいひと。』『最終兵器彼女
ねこぢる1990年ねこぢるうどん
田丸浩史1990年ラブやん
冬目景1992年羊のうた』『イエスタデイをうたって
サガノヘルマー1993年『BLACK BRAIN』『ボーラーズ』
沙村広明1993年無限の住人』『波よ聞いてくれ
黒田硫黄1993年大日本天狗党絵詞』『セクシーボイスアンドロボ
五十嵐大介1993年『はなしっぱなし』『海獣の子供
古屋実1993年『行け!稲中卓球部』『ヒメアノ~ル』
あずまきよひこ1994年あずまんが大王』『よつばと!
玉置勉強1994年東京赤ずきん
木尾士目1994年げんしけん
古屋兎丸1994年ライチ☆光クラブ』『帝一の國
こうの史代1995年夕凪の街 桜の国』『この世界の片隅に
カラスヤサトシ1995年カラスヤサトシ
町田ひらく1995年卒業式は裸で』『少婦八景
大石まさる1996年みずいろ』『水惑星年代記
押切蓮介1998年でろでろ』『ハイスコアガール
清野とおる1998年東京都北区赤羽
東村アキコ1999年海月姫』『かくかくしかじか
クリムゾン1999年蒼い世界の中心で
石黒正数2000年それでも町は廻っている
ばらスィー2000年苺ましまろ
浅野いにお2001年ソラニン』『おやすみプンプン
押見修造2002年スイートプールサイド』『惡の華
華倫変2003年カリクラ 華倫変倶楽部上下』『高速回線は光うさぎの夢を見るか?』
蒼樹うめ2004年ひだまりスケッチ
花沢健吾2004年ルサンチマン』『アイアムアヒーロー
鮒寿司2005年『胎界主』
阿部共実2005年空が灰色だから』『ちーちゃんちょっとたりない』
谷川ニコ2007年私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!!』
クジラックス2008年『ろりとぼくらの。』
panpanya2008年『蟹に誘われて』
宮崎夏次系2009年あなたはブンちゃんの恋』『と、ある日のすごくふしぎ』
九井諒子2011年ひきだしにテラリウム』『ダンジョン飯
藤本タツキ2013年ファイアパンチ』『チェンソーマン

2022-07-02

中高一貫私立男子校

高校運動部所属していた頃、監督の繋がりで中高一貫私立男子校と合同練習練習試合をすることがよくあった。

そこは全国的にも有名な進学校教育熱心な家庭が多い。

すごい違和感を覚えたのが、練習試合での母親の参加率

多いとき部員の7割くらいの母親が参加してた。

手伝いの持ち回りがあるわけではなく、応援するためだけに来ている感じだった。

応援の仕方も独特で自分の息子を「○○クン頑張ってー!」って声を出す感じで、試合してるこっちが恥ずかしくなってた。

親の行事参加が入学式卒業式だけだった、貧困家庭公立校育ちの自分もかなり特殊だとは思うけど。

2022-06-29

anond:20220629084929

春休み入試があったり卒業式があったりでこない。

きみ一生休んでていいよいわれたおじさんは来ているとおもう。

2022-06-28

anond:20220628004654

相手独身卒業してるだけのことやん、もしかしたらもうすぐ経産婦となって小梨卒業かもしれんし

おまえもいつか65か70くらいで社会人卒業するんやし

数学の森せんせも人間は10年くらいでなにか一つ卒業して次の段階にいくのだといっていた

人間卒業するイキモノなので節目はお互いに祝福しあえよ

自分が主役じゃないと気に食わないままだと

将来自分の子供の誕生日入学式卒業式(最低でも一人頭6回はあるだろ)の祝福圧に耐えていられんぞ

2022-06-24

「女は男の上位0.01%くらいモテる」話と、Yちゃんのこと

男性は話しかけるだけで嫌われたりするが、

女は相手さえ選ばなければ性的需要がある。

女というだけで男の上位0.01%に該当するくらいモテる

という旨の増田を読んだ。

https://anond.hatelabo.jp/20220619175902

それを読んだときはへー()と笑って済ませていたのだが、その記事が不意に小、中学校と同じだったYちゃんを思い出させたので、書く。

はいっても、私はYちゃんのことをよくは知らない。

私が覚えているのは、

通学路の途中に彼女のお家があって、それは平屋で、玄関の前にたくさんものがあったこと。

波板で覆われた部分が目立っていたこと。

お父さんが自分で建てているらしいという噂の建てかけの離れがあって、それがいつまでも完成しなかったこと。

お母さんはいないらしかたこと。

成績はクラスで1番か2番に悪かったこと。

特別不潔というわけでもなかったが、いつもなんとなくぼっさりとした顔をしていたこと。

小学生の時におうちが火事になって、先生の呼びかけでみんなで古着をあげたこと。

小学生の時は小さくて痩せた印象だったが、

中学生になってからどんどん太っていったこと、

そして中学生になってからはあまり学校に来なくなったこと。

とても人口の少ない田舎で、小学校中学校面子ほとんど変わらないようなところだった。

いじめも諍いもそれなりにはあったけれど、9年も同じ顔とつるんでいると案外いじめっ子いじめられっ子が固定化することもなく、狭い世界でいがみ合っては仲良くなり、を、繰り返していた。

しかしYちゃんはなんとなく、そういう仲良くなったりいがみあったりの人間関係の輪にはいなかったように思う。

誰と仲が良かったのかよくわからない。

避けていたつもりはなかったが、あまり話した記憶もない。

いじめられていたことはないと思うのだが、そう断言できるほど彼女をよく見ていたわけでもない。

なんとなく、クラス全体のなかですぽんと暗く見えにくいところにいたような気がする。


今となればなんとなくわかる。

彼女の家が裕福ではなかっただろうことも。

けれども当時、私は私なりに日常を生きるのに精一杯で、私からなんだか見えにくい場所にいた彼女のことを気にかける余裕はなかった。


中学になってからまり学校で見かけなくなった彼女だが、あるとき

「Yちゃん援助交際をしている」

ホテルからおっさんと出てきたところを先生に捕まった」

という噂が流れた。

ちょうどテレクラブームになっていた頃だった。

私も友達もいたずら電話したことはあった。

しかし、おっさんと、ホテルから

田舎中学生だった私には途方も無い話に思えた。

そのとき、ふと誰かが言った。

「ああいう見た目でもさあ、売れるんだね。」

それはひどく失礼で口に出しちゃいけない、と反射的に思ったけれど、でも、心のなかで同意してしまものがあった。

あいう見た目でも、

なんとなくぼさっとした、ひどく太った、友達いるかどうかよくわからない、彼女でも。


実際に彼女援助交際をしていたかは知らない。

彼女卒業式にいただろうか。

成人式でも見た覚えがない。

同窓会LINEは、誰がいるのか把握していない。

さほど気になりもしないのだが。


ただ、その噂は私にとっての「性欲」の認識を少しだけ変えてしまものだった。

当時中学生だった私が本や漫画から得た知識では、性欲とは、性的魅力の承認として向けられるものだった。

の子かわいいから、きれいから、いい匂いから、好きだから漫画の中の男の子たちはヒロインに顔を赤らめた。

しかしYちゃんの噂から、そういう承認の気配を、私は感じ取ることができなかった。

自分の知る「性」のあり方からとおくにある、Yちゃんと知らんおっさんセックスを少しだけ想像して、それからすぐにやめた。

この話を改めて考え直せば、大人になった今はいろいろなことが言える。

たとえばおっさんにとって「女子中学生」とはそれだけで価値である、だとか、

そもそも性的魅力が当時の私基準の「かわいい」「きれい」だけではない、だとか。

0.01%増田にとって、Yちゃんは「女だから認められて、援助交際なんて方法で金を稼げて、うらやましい」存在だろうか。

しかしたら本当にそうなのかもしれない。

それとも援助交際の噂なんて嘘なのかもしれない。

からない。


それでも、どうしても、あのとき感じ取った「承認の結果ではない性欲」の存在

私の中に消えずにある。

2022-06-21

学級裁判の思い出

https://news.yahoo.co.jp/articles/9405d0c154f1679b57df7a25eebad1cefcc5508f

この記事を見て思い出したんだ。小6のとき帰りの会クラス発言力ある男子が【今日のよくなかったこと】コーナーで、給食ときに小競り合いになった私の態度を挙げ、クラスの全員の前での謝罪要求したことを。

話を聞いた女の担任先生は、冷たい声で「私さん立ちなさい」と命じた。学級裁判開廷だ。仕方なく立ち上がった私の態度はとても不貞腐れたものだったろう。担任は苛立ちを隠さずこう言った。

「俺くんに謝りなさい」

私は、どうして謝る必要があるのか? そうだとしてもどうしてみんなの前で謝らなければいけないのか? 大変に不服だった。

腹が立って何もせず立っていたら、そのうちに放課後チャイムが鳴った。他のクラスの子たちが下校していく声が聞こえる。

クラスの子たちも限界を迎え、男子を中心に「早く謝れよ」という声が出始めた。私も限界だった。早くこの場から立ち去りたい。この場を収めるには私が折れなくてはいけない。謝る理由も納得できていないけど、そうしなくっちゃいけないんだ。

から私は、それこそジャンポケの斉藤ネタそっくりに「すいませんでした」と言った。11歳のときの私は今より大人だったかもしれない。

だが、謝罪要求してきた男子からは「そんな態度じゃ謝ったうちに入らないからしっかりと自分に向かって頭を下げろ」と言い出した。調子に乗るんじゃねえ。私は「もう謝りましたけど?!」と反論。これには外野も騒ぎ出し、法廷カオスだった。

そのとき担任は、行き過ぎとも思える要求を「そうですね。私さんは俺くんにちゃんと頭を下げなさい」と肯定した。命じてきた。ビックリした。

私は当然納得いかず頑なに拒否。結局学級裁判は結審せず、翌日にまで持ち越された。ちなみにこのあとの記憶はない。小6の頃の学校生活なんて日々こんな感じだったから、記憶からなくなってむしろ良かった。

ただ、小学校卒業式直後の謝恩会でその担任に「先生は私のこと嫌いだったんですか?」と聞いたときのことは覚えてる。「そうですね、嫌いでしたよ」と微笑まれたことも。20数年も前に廃業した、自宅近くのボーリング場でのことだった。学級裁判もあのボーリング場も、生涯忘れない。

あの担任については、申し訳ないが苦しんで死んでくれてたらいいなと思っている。

こういう教員、意外といたよね。

2022-06-15

anond:20220615094426

アメリカ高校なら定期的に月一回くらい学校でやってるよ。卒業式のあとはプロム(PROM)でカップル参加が必須彼氏彼女でなくてもいいけど友達でも誰でも相手を見つけられないと参加すらできずに惨め。

聞くところによると普通ダンスパーティー中学校でもやってるそうだ。小学生でもやってるところもあるとか。(俺はアメリカじゃ高校しか行ってないから知らんけど)

イギリスだと、有名なところでは映画小さな恋のメロディ』の中で学校ダンスパーティーのシーンが出てくる。フランスだと昔見たソフィー・マルソー主演の恋愛映画ラ・ブーム』がもろ「ダンスパーティー」という意味タイトル中学生恋愛模様が描かれている。

2022-06-01

親友結婚する

俺には親友がいる。

場にいるだけで全体の雰囲気が明るくなるような性格で、慌てて食べるとだいたい何かしらこぼしちゃうやつで、そして何より顔がいい。

わりとおとなしめな性格の俺とは正反対なの。

あっちは友達だと思ってるのか親友だと思ってくれているかは知らない。

知らないっていうか聞いたことない。聞くのもなんか恥ずかしいし。

知り合ったのは高校入学してから

ちょっと地元から離れた高校入学たから周りの人は友達同士みたいな状態だったんだけど

そこに割って入っていくような勇気もなくふらふらしてた。

部活見学学校の中うろついてたとき、行こうと思ってた部活活動場所の近くを一人でうろついてる人がいた。

これがのちの親友

第一印象はめちゃくちゃ顔がいいなって思ったことはおぼろげながら覚えてる。

自分でもまあまあひどい第一印象だと思っているのでこれは親友にも教えてあげない。

なんで話しかけようと思ったのかは覚えてない。

同性だしま別にしかけても不審じゃないなって思ったのかもしれない。

なんやかんやあって同じ部活に入った。もう10年以上前記憶が薄れてきてる。

親友が好んで聞くバンドのことを知ってて話が弾んだ。

電車方面が同じだった。

携帯の番号が下4桁以外一緒で盛り上がった。

クラスは別だったから喋るのは部活の時だけ。あと帰るとき

なんか居心地が良くて部活でもよく一緒にいた。

卒業式の日、一緒に写真を撮って別れた。

高校生の時は毎日のように連絡とってたけど、卒業したら共通話題もないうえに俺は自分からあんまり連絡を取らないタイプだったから連絡の頻度も減っていった。

お盆とかの時期に地元に帰ってきてる部活メンツご飯行こうって集まった時、親友プレゼントを渡された。

「このまえ誕生日だったでしょ?おめでとう」って

もうなんなの。俺はプレゼントあげてないじゃん。

お前の誕生日、俺の一か月前じゃん。

親友は翌日にもうアパートに戻っちゃうらしいから、オンラインショッププレゼントを選んで贈った。

ちょっといいスキンケア用品。

それから毎年、誕生日の時期になんとなくプレゼントを贈り合っている。

ありがとうの連絡と、少しの近況報告。

親友誕生日の時と俺の誕生日の時の年2回の連絡。

今年もしっかりプレゼントを贈った。

しばらくしてから親友から報告したいことがあるって電話がきた。

ずっとお付き合いしてた人と入籍して結婚式もするんだって

自分のことじゃないのにめちゃくちゃうれしくなった。おめでとうってめちゃくちゃ言った。

それで、と親友は続ける。

「友人スピーチを俺にやってほしい」って

理解するまで3秒くらいかかったと思う。

え、俺でいいの?って3回くらい聞き返した。

誰かの結婚式に行くのも初めてだし、スピーチってお前…俺は人前で話すのが苦手なんだぞ。

俺をそんなところに引っ張り出してもいいのか。

ハレの日に呼んでもらえるだけでも十分なのにさ。

なんかむずむずして嬉しくなっちゃってその日の夜はなかなか眠れなかった。

式はまだまだ先なんだけど、スピーチって何話したらいいんだろうな。

あとスピーチってカンペとか原稿読みながらでもいいのかな。

親友幸せに笑う場にふさわしいスピーチにできるといいな。

女を好きな女であること

数日前、ドラッグストアコンドームを探しまわった体験録を書いた悲しき24労働者です。

https://anond.hatelabo.jp/20220528225125

勢いに任せて書き殴りろくに推敲もしないままインターネット大海へぽいと投げてしまったものの、なんだか恐ろしいことをしてしまったような気がして翌日こわごわ匿名はてなを開いたところ思いの外たくさんの方に読んでもらったようで。コメント見ました。全部見ました。匿名はてなを覗くとき匿名はてなもまたこちらを覗いているのだ。

サガミオリジナル0.02Lサイズはやはり男のプライドなんでしょうか。白状するとさっぽろ時計台と書きながら思い浮かべていたのはテレビ塔のほうで普通に脳内変換ミスでした。長文乱文すみません、いやほんと、長いっていうのがいちばん多かった。す、すみません

いやー、なんだかみんなおんなじ文章読んでるはずなのに気になる部分が全員違うって、そりゃそうなんだけど不思議なことだなあとブルーライトが眩しい液晶の前でうっすら笑みを浮かべながらスクロールに次ぐスクロールをしていたら。

「今好きな女の子がいて、のところがスルーされてるのはなぜ? 何度も読み返した」

さすがデュオ

俺たちが見逃してしまうことに平然と気がつく!

そこにシビれる!憧れるゥ!

女を好きな女の話をしましょう。

えー、いま現在わたくしは好きな女の子がいます。付き合ってはいません。思いを伝えてもいません。

わたしにとっては好きな女の子、向こうにとってはわからない。お互いにとっては毎日LINEをする友達

仕事が終わらないだとか、三谷幸喜は血も涙もない脚本を書くねとか、コナンが外出するとそれだけで人的及び物的被害が多発するから彼は名探偵になるよりも早急にお祓いを受けたほうが世のため人のためってやつだよねとか、そんなくだらないことをつらつらと話すだけだけど、それで結構満足している。

LGBTというアルファベット4文字がだいぶ世間に浸透し、昨今なにかと話題のセクシュアル・マイノリティ。いや別に話題になろうがならまいがわたしが女を好きな女であることに変わりはないのだけれど。まあ言語でもって共通認識があったほうが話が早いのは確かな人間社会

わたし男の子女の子も好きになる女なので、所謂バイセクシュアル女性というやつにあたるんだろうなとふんわり思っている。

なぜふんわりかというと、実のところ自分のことを「女が好きな女である」と自覚したのがわりに最近、ここ数年のことだから。石のように揺るがない確固たる意志だとか、テコでも動かんぞ!というがんとした姿勢でもって「好きだ!」というのではなく「いやまあ好き……っすね………」みたいな感じ。

自分のことを定義付けできたのは大学生になってから女の子への初恋中学生とき。憧れの先輩がいた。

週に一度、習い事のためにいつもは乗らない電車に乗るときが、部活も学年も帰り道も違う先輩と2人きりで話す唯一のチャンスだった。

容姿端麗・頭脳明晰運動神経抜群な先輩は地区いちばん頭のいい高校合格した。卒業式の日、制服ボタンを貰った。翌年同じ高校入学した。廊下ですれ違うたびに手を振ってくれる先輩が眩しかった。先輩みたいな人になりたい。憧れの存在だった。

ただ当時のわたしアイドルの嵐がめちゃんこ好きだったり、仲の良いクラス男子定期テストの結果を競い合って負けたらサーティーワンアイスを奢るために一緒にショッピングモールに遊びに行ったりと、まあ、なんだ。傍目から見たら普通に男子が好きなんだなあという感じだっただろうし、自分でも男子が好きなんだなあということは疑いようもなかった。

ただ一方で、じゃあこの先輩への説明のつかない気持ちはなんなんだという疑問が胸の奥ーーのほうでキャラメルリボンのようにぐるぐる渦巻いてもいた。

実際サーティーワン男の子からサーティーワンの帰り道に付き合ってほしいという申し出を受けた。素直に舞い上がった。けど、高揚のままによろしくお願いしますとシェイクハンドしてしまうのは、なんか、なんか違うよなと思った。

「ごめん」のひと言を伝えるのがやっとのわたしに、サーティーワンボーイは

「おっけ。次のテストも負けねえから」と爽やかに返してくれて、それが告白されたことよりも嬉しかったのを覚えている。

アイスの冷たさが沁みる季節も過ぎて、短い秋をのんべんだらりと過ごしていたある日。地元図書館で本を貪り読んでいたところ、雷に打たれたような衝撃を食らった。

それは少女小説マリア様がみてる」との出会いであった。まじ、衝撃であった。

マリア様がみてる通称マリみてとの出会いわたし恋愛観を180度どころか900度くらい変えた。まじ、根底からひっくり返ったのち勢いそのまま何周かした。わたし精神世界さながらセカンドインパクト後のような様相であった。信じられん存在感をもってして、わたし世界を一夜のうちに変えてしまった。

お、女の子のこと、好きになってええんか……。

先輩への憧れを、尊敬とか思慕とかそういう言葉もやもやっとさせなくてもええんか……。

近付きたいと思ってええんか……。

まじか…………。いや、まじか…………。

もう、絶句であった。

クラスメイトたちがせっせと次の定期試験に向けて勉強しているさなか、わたしはただひとりマリみてを読み漁った。とりあえず全巻読破した。

まじか。うわー。まじかー。

マリみてを読むことに全ての力を注いでいたためサーティーワンボーイとの賭けには再び負け、今度は購買のパンを奢らされた。苦手な物理では赤点を取った。けれどもそれらはマリみての前では些細すぎる出来事だった。

まじかー。

この「まじかー」という思いを3年間引きずったまま、けれども先輩との距離をそれ以上縮めることもできずに、先輩が卒業したあとは何事もなかったかのような顔をして男の子と初お付き合いをしたりしてわたし高校生活が終わった。

大学入学後、興味本位クィアに関する講義をとった。

マリみてどころの騒ぎじゃなかった。

天変地異天地開闢サードインパクト

盆と正月クリスマス創造神破壊神がいっぺんにこの世にやってきて世界をめちゃくちゃに踏み荒らし、亡き者の命を弔い新たなる生命誕生を祝福し、一筋の光を灯しては消して灯しては消して「じゃ!あとは自分で頑張って!」と言って帰っていった。

まじ、衝撃であった。

セクシュアリティ、多様な性、LGBT性別二元論エトセトラエトセトラ。それらすべての言葉や考え方が、自分がどれに当てはまる当てはまらない関係なく、誰もかれもに関係する言葉であるのにも関わらず、わたし過去18年間何ひとつ知らなかった。

ただ己の直感のみで生きるしかなく、その直感の中に「もしかしたら女の子が好きかもしれん」というものがあり、がしかし、なまじ男子も好きになるがゆえに「いやいや、まあそれとこれとは違うっしょ」という感じで奇跡的な気付きに雑に蓋をしてしまっていたのだった。

せめてマリみて読んだときもう一歩踏み込んでおけば!

と思わないでもなかった。

でも、じゃあ仮に高校時代に「女を好きになる女」みたいなことを調べたとして、わたしが先輩に何がしかアプローチすることはあったのか?先輩後輩の均衡を最後まで崩さなかったのは紛れもなくわたし選択肢ではないのか?

どうしょもないIFすぎる問いを抱えたまま、とりあえず次に好きな女の子ができるまで、何事も何事もなかったムーブで過ごそうと決めた。

ただ、ちょぴっと知識を得たことで、わたしの「普通」がちょぴっと変わった。

女を好きな女であることをことさらに全面に出すこともなく、かといって、押し込めるわけでもなく。普通に男の子とも付き合うし、好きになったら女の子にも普通にアプローチする。だって好きなんだもん。別にいいじゃんね。

クィア講義を受け持っていた先生は、セクシュアリティ個人的もので、そして流動的なものでもあると言っていた。わたし結構この言葉が気に入りだった。

個人的ものわたしだけのもの。流動的なもの。変わってもよいものわたしのものから、変わったって変わんなくなって、誰に文句を言われる筋合いはない、もんもんとしたときは、そういうものわたしの体の中心にすーっと通っていることを思った。

その「すーっ」を思う効能は、何事も何事もなかったムーブよりもはるかに効き目があった。

いま好きな女の子に対して、踏み込みたいという気持ちが無いわけではない。そりゃ好きだからな。

2人で遊ぶこともある。今度は旅行しようねと話してる。

舞い上がらないわけがない。でも彼女が少なからわたしを信頼してくれているのがわかるから、それを壊すようなことはできないなーと、綺麗な横顔を見ながら思う。

わたしにとってわたしセクシュアリティわたしだけのものであると同時に、彼女にとってのセクシュアリティ彼女だけのものであり、そんでもって関係性というのは両者で作るものだ。お互いを尊重したうえで変容を求めるなら変容を、現状維持なら穏やかに関係を続けていけばいいのだ。

で、わたし別に彼女に「わたしは男も女も好きです!」みたいな宣言したことはない。ので彼女は多分知らないと思う。言うならきっと、女だとか男だとかではなく。必要なのはあなたが好きです」というただひと言なんだと思う。で、わたしはまだ思いの丈を伝える覚悟がないから言わないだけで。

ていうか別に宣言とか、しないよね。なんかセクシュアル・マイノリティばかり言う言わないうんたらかんたら色々ありますが、

言う人もいる、言わない人もいる。

わたしのように匿名ツールでなら言えるとか、ざっくばらんな恋バナをする友人には言えるみたいな人も、いや家族職場に言います、という人もいるだろうし。本当に、人それぞれ。その人だけのもの個人的もので流動的なものから

からこう、ネットでも現実社会でも、まじかーまだその段階かーみたいな発言やら意見やらを見かけることは多々ありますが、知識を得た今ならそういったあれこれ全て、わたし個人的ものを傷つけたり揺るがせたりすることはできないのだよ、と自分に言ってあげられる。ただ、中高生のころのわたしのように、じゅうぶんな情報知識アクセスできない若い子たちが不用意に傷ついていないか心配しているよ。ていうか本当、いちばんはそこだよね。

長々書いたけどとりあえずマリみて読んで世界5周半くらい回してきてください。

2022-05-23

もう数ヶ月も前なのだが、修論を書いていたころのことを思い出すと今でも涙が止まらない。

でもどうして涙が止まらいか言語化できない。

私の人間性としての負の部分を言語化するからかな。

あたしは疫病神から、いるだけで研究室迷惑をかけるんだ

本当は私なんか研究室に入らない方が研究室のためだったのだけど、でも私修士号しかたから、普通就職よりは内定の貰える技術職で就職たかたから、だから傲慢にも在籍していたの。許して。

教授は私のことをもう許してくれないのでしょうけれど、私は教授に好かれたかったよ。教授のために滅私奉公する私が好きだったよ。

卒業式にも出てないし、大学から卒業証書事務室に取りに来いと言われているけれど平日しかだめらしいし新入社員有給取れないし難しいな。卒業証書かいらないか大学側で破棄してくれよ。そういうわけにもいかないのでしょうけど。

そんな、まるで教授に砂かけて卒業したような私が、大学院の専門ど真ん中での業界職種仕事を始めるのに罪悪感がある。そういう学生って多い?そういうもん?気にしなくていい?

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん