はてなキーワード: 自主休講とは
4回って言い方でわかる人もいるかもしれない。私は関西の大学生だ。頭は良くないけど、そんなに後悔しない大学生活だった気がする。まだまだやりたいことあるしね。
本来なら舌ピなんて1回で開けて楽しんで就活を前に閉じるものかもしれないけど、私はやっと内定が出た直後に開けた。そこの会社に行くかはまだ迷っているけど、我慢できなかったので。
ピアスは病院で開けた。ニードルかなと思ったらピアッサーで、少しずれてしまったけどまぁ満足してる。開けたのは先週土曜だから、そろそろ3日くらい。まだじんわり痛いし、違和感もある。舌を火傷した時や、口内炎が出来たような痛み。咀嚼すると痛みが強くなる。熱いものは駄目。辛いのとアルコールと煙草は控えている。奥歯の方に押し込めるものは割と食べれる。スープや飲み物や豆腐とかプリンは全く問題なし。茶碗蒸しが大活躍している。
両耳たぶは開いてるけど、他は開けてなかった。
耳は高校の卒業式のその日に開けた。アマゾンで買った一番安いピアッサーで、その日に。高校は校則が厳しくて、携帯持ち込み禁止、寄り道禁止、髪染めピアス禁止、アルバイト禁止、SNSのアカウント作るの禁止、他にも色々禁止だった。校則に書いてあるだけとかじゃなくてほんとに先生に見つかったら指導されるレベルの厳しさだった。有名ではないけど幼稚園からある女子校だからそんなものかもしれない。今となっては懐かしいけど、それは私が隠れてバイトもSNSも寄り道もしていたからで、真面目に守っていたならきっと後悔していただろう。
一度無断で休んだ時は反省文を書かされた。学校へ行くくらいなら死のうと思ってホームドアのない電車を探していた時、行かなくてもいいんじゃないかと思った。先生や親も死ぬよりサボる方が嬉しいんじゃないかなんてやたら冷静に客観視してた。反省文を書きながらこれは何の反省なんだろうと思った、だって死ぬか行かないかの二択だったのに。
両耳のピアスは私としては早かったが世間的には遅いだろう。私はいつもそうだった。みんなより全部遅い。化粧を覚えたのも高校3年だった。
前髪を初めて作ったのもはたちになる少し前だ。高校生の時から散々ある方が可愛いだろうと言われていたし思っていたのに。
髪を初めて染めたのもはたちすぎてから。しかもインナーの一部で殆ど分からないくらい暗い青だった。でもそれがきっかけで色んな色をやった、インナーだけど。大学入って直ぐに染めてたらもっと色んな色が出来たのにとも思う。
次は全頭してみたいと思っている。遅いかもしれないけど、遅すぎはしないだろう。だって大学生だし。ぎりぎり。
いつも遅い。みんながやり始める頃にはそんなの興味無いとばかりに見ていて、後からやりたくなってもっと早くても良かったなと後悔する。そしたらもっと楽しめたのに。
成人した直後からワインを飲んでいる。家にカクテルセットがあるというと驚かれる、大学生では珍しいかもしれない。日本酒もすき、ジントニックもすき。クラフトビールもすき。そんな感じ。
幼少期に読んでた本は大抵大人びていた、気がする。少しだけ。英才のように文豪たちを読破したとかカントを読んだとかはない。今はキルケゴールの死に至る病を買って、大学生だと言うのに意味が分からなくて呻いている。もしこれを読んだ方の中に哲学好きな方がいたら、あれを上手く読み解く為のコツとか解説書なんかを教えて欲しい。
閑話休題。
遅いとか早いとか、そういうことは無意識に思ってしまう。早いうちに触れるのはいいことだ、何歳になっても遅いなんてことは無い。そうは言っても現実はその通りでは無い。
小説家やイラストレーターになりたかった。学生のうちに仕事を受けられるようになっていなければそれで生計を立てるのは難しい。そもそもいちばん暇な大学生でプロのレベルまで出来なかったのは才能がないのだろう。能力ではない、やり続けるという才能が。
研究者になりたかった。小学生の頃の行きたい大学はマサチューセッツだった。ちなみに今も昔も英語ができたことは無い。向き合う度に外国語は向いていないことをひしひしと感じる。
研究者に憧れがある、科学者、数学者、天文学者、宇宙の真理やこの世の理、最先端の技術、未知の可能性、人類の進化、魔法と区別がつかなくなるまで発展する科学技術。無闇な憧れだ。論文も本も何も理解出来ず、どういうふうに系統だっているのかも分からない。でも憧れている。でももう遅い。私はサインコサインすら分からない。
頭がいい、と思っていた。昔は。人と会話することもある程度得意だ。
国語は勉強しなくても偏差値が取れた。小学生で漢検2級を取った(これは母の全力の献身によるものだ、私の努力ではない)。他の教科も聞いてたら何とかなった。でも中学2年くらいから授業を聞かなくなって、数学や理科ががくんと落ちた。相変わらず国語はトップ近くで、社会は本から得た知識でなんとかなって、英語は長文とリスニングで何とかした。文法はからきしだった。
高校ではやれば出来るのにと言われ続けた。地頭は良いのにと。そうかもしれないと思っていた。そう思いたかった。
でもそうでは無いのだろう。
本を読んでも理解できないことが増えた。読み終わっても中身を忘れることが増えた。あんなに無限に読めると思っていた本を、もうしばらく最後まで読めたことは無い。難しくなったら駄目だった、ライトノベルは多分いまでもサクサク読める。
私は天才でも秀才でもなくて、やる気とかいう最大の生まれ持つ才能も持っていなくて、やる気がなくてもなんとかなる能力もなくて、全く興味の湧かない仕事内容の会社に就職しようとしている。
昔はゲームなんて時間の無駄だと本気で思っていた。それなら勉強した方が世界も広がって能力も高まって良いと。
勉強なんてもう何年もしていない。ソシャゲに毎日数時間と毎月数万を使う立派なソシャカスだ。
ピアスやタトゥーには憧れていた気がする。酒や煙草にも。アウトロー感のあるものには憧れがあって、でもテンプレートな安い人間にはなりたくなかった。でもなってしまった。
白衣を着て、日本でも有数の大学院で試験管を持ったり数式を書き散らしたり、ドイツ文学やフランス文学を原文で読んで純粋理性批判について論文を書くような学生だったら、髪がペールブルーとターコイズの二色で舌や唇にピアスが開いてて身体にタトゥーが入ってたら最高にかっこよかったかもしれない。
そんな格好をしている美大生なんて山ほどいる。
そんな格好をしている鬱の社会不適合者なんて山ほどいる。
私がなりたかったものにはもう一生なれなくて、それでも表面だけで真似できるものだけ、努力しなくてもできるものだけ、真似している。
大学は楽しかった。散々文句を言ってやる気がなくてチャイムがなって数十分後に来てチャイムと同時に帰っていたけど、物を作るのは楽しかった気がする。ともだちもいる。そうそう人を友人と口に出せない私が友達だと確信を流石に持てるくらいには仲がいい、はず。
桜の咲く公園で夜にビールを飲んだり、宅飲みでマリカしたり、自主休講して展示を見てパフェを食べたり、ナイトプールにいったり、ディズニーとユニバにいったり、覚えてもいないくらいたくさん話して笑ってた。最近は知り合いの家に酔った勢いで雀卓をアマゾンで買って送り付けてルールを説明した。自分も分かってないのに。
彼らにとって大した思い出でもないかもしれないが、私にとっては一人では死んでも得られないそれらをくれた事に死ぬほど感謝している。
ずっと死にたいという思いはあって、でもその中にもう死んでも構わないというポジティブな希死念慮があることは間違いなく楽しかった大学生活のお陰だろう。いやなこともたくさんあった、アルバイトも大変だった。バイト先に警察が来たこともあった、これはいい経験だけど。人生で経験できることはできるだけしておきたいので普通にその時も良かったなと思っていた、店からはたまったものじゃないだろうが。
そんな気持ちだからバンジージャンプも行ったりした。単に絶叫好きなだけかもしれないが。ピアスもその一環かもしれない。開けなければどんな痛みかなんて知らない。舌ピ開いてるあのキャラクターとかも、開けた直後はポタージュとか豆腐とか食べてたのかな、と思うとちょっと面白い。
シーシャも行った。今度葉巻もいく。
努力の要らないものばかり。ボランティアでもしてみれば良かったな。したい気持ちはあるけれど時間とか労力とかいきなりその日鬱になったらとか思うとなかなか出来ない。
習い事もしてみたかった。音楽がからっきしだから何か楽器とか。バレエとかダンスとかにも興味がある。踊るのはすきだ、振り付けは真似するのが苦手だから即興ばかり。音楽を流して踊り続けるのだけは得意だ、人に見せたことは一度もないけど。あとボルダリングとか、薙刀とか、色々やってみたかった。
そういう系だとサバゲーもある。これはサークルに思い切って入った。楽しかった。銃を買ったけれどコロナでサークルが停止してそのままなくなってしまったので一度もフィールドで撃てなかった。いつか思いっきり撃ちたい。
スキーやスケートは好きだから、フィギュアスケートもやってみたかった。ずっと憧れはあるけどスケートリンクが近くにあったことがないのでこれはしょうがない。
バイクにも乗ってみたい。一度後ろに乗せてもらって、免許取りたいといったけれど、結局バイクを持つのが大変なことやお金を考えて取っていない。
美容にはすぐお金を使ってしまう。というか費用対効果だ、時短になるならやっておきたい。二重はやった。脱毛はもうすぐ一回目がある。まつパもやりたい。レーシックもやりたいけどカラコンを入れなくなりそうだと思うとちょっと躊躇する、眼鏡も少し気に入っているので。外した方が可愛いけど。
少しでもかわいくなりたい。自分が死ぬほどかわいくなくて、死ぬほど魅力がないのを知っているから、少しでもってなってしまう。
アイドルになりたかった。歌手でも俳優でもいい。最近はミュージカルがすきだからミュージカルにも憧れる。服のモデルもいい、写真撮られるのも色んな服を着るのもだいすきだ。
でも私は人前が苦手だ。頭で苦手だと思ったことはない、好きなアーティストのライブにいっても、こんなにたくさんの人の前で歌ってこんなにたくさんの人に愛されるのはどれだけ快感だろうということを考えてしまう。
でも人前に出ると勝手に身体が震えて、平衡感覚がおかしくなって、喋れなくなる。大学の発表でもそうだ。上手く話せなくなる。頭は冷静だから対処はできるけど、身体は勝手に震える。
人前というか知らない人と歌う機会があったことも少しあって、褒められたら嬉しかった。けど歌手やアイドルになれるほどじゃない。顔も可愛くないし、ダンスも下手だ。自分では出来てるつもりでいても動画を見るとキレのなさに絶望する。これは本当に才能だと思う。
女の子のアイドルゲームが出来ない。羨ましくなってしまうから。男の子なら普通に推せてたまに羨ましくなるくらいだけど、同性だと近いから難しい。でもなりたいのは男の子のアイドルだ、イケメンと一緒に可愛い女の子にキャーキャー言われるなんて最高じゃん、と思う。
先生になりたかった。人に物を教えるのはすきだ。上手い方だと思う、友人に教える時も。相手の知識量や理解力に合わせて単語に解説をいれ、分量を変え、分かりやすそうな例えを使う。フラットな目線を持っているとも自負しているし、向いている気もしてる。先生と言うよりかはマンツーマンで指導する方が向いているかもしれない。
でも一度家庭教師に登録していて、仕事の話もあったけど、大学名で難色を示された。多分向こうの親御さんが文系か理系の学生がいいと言ったんだろうな、とぼんやり思った。同じ大学でも塾講師をしている子はいるので普通に学力があれば大丈夫なんだろう。私には教える力はあっても学力はない。でもやる気がなかったからこそやる気を出させたり、本を解説するのだけは本当に上手いと思うのだけど……まぁ、仕方ない。
他にもいろいろ夢はある。理想の生活もたくさんある。でももう叶わない。分岐点はとっくの昔にある。
今できる楽しそうなことだけを積み重ねて、本は難しくて気力がない時には読めないからソシャゲの周回とTikTokをして、少しずつあの日の高潔な私が死んでゆく。取り返しはもうつかない。じきに働かなきゃいけなくなる、働けるかは分からないけど。
せめてできる新しいことをしようと思って日記を書いた、ちょっと憧れていたから。ツイッターでフォローしてる文章の上手い人のnoteが良かったから、ああいうものを書きたいと思った。
私は承認欲求が強い。物凄く。いいねひとつに一喜一憂して、私より評価されている人全員が羨ましくて、なんとかいいねをしてくれそうな人に届いて欲しいけどそれを表に出せない。せめてタグをつけてRTをするくらいだ。
私は私の作品が好きでも、クオリティが低いことは知っていて、それでも好きだと言って欲しくて、でも他の有象無象の、私から見てあまりにも稚拙で低俗な作品といっしょくたにいいねされてると悲しくなる。こういうところが本当に性格が悪いと思う。けれど好悪はもう変えられないし、今更承認欲求も手放せない。昔は承認欲求なんてないと、どうでもいいと、むしろそれを持っている人になんでそんな感情を持つんだろうと疑問にすら思っていたのに、自分に承認欲求があるとしたら全てが腑に落ちた。無いと思い込んでいても消せなかったものは、多分もう消えてはくれない。
私は自分が底辺であることを知っていて、それでも結局どこかによく見られたいという願望が残っていて、ナルシストなところもあって、性格の悪さもあって、それがこの文章からも滲み出ていることが本当にいやで、でも取り繕うことすらしないのも嫌だからどうしようもない。
理想の自分になりたかったと思いながら、今日も自分をひとつ成長させてくれるはずの買い込んだ本をめくることすらできず、朝になった。
この文章は最初からひたすら思いついたことを脱線するまま書いて、読み返しや修正もしていない。
どうせ誰にも刺さらないことを知っている。私の作品が好きですという感想を匿名で貰ったことは一度もない。一度も。本の感想も。
最後まで読んでくれた人が数人でもいたら御の字だろう。
それでも誰かが読んでくれて、コメントをしてくれることを夢見ている。認めたくないけど、心のどこかであわよくばインフルエンサーとかがTwitterに投稿したりして、バズって、はてな文学みたいな扱いを受けたりしないかななんて期待している。醜い。でもこの醜い感情を抱えていたくないから書いてしまおう。心に秘めていたりツイッターでぼかしながら細切れに話してることを、全部思いのまま書きたくてこの文章を書いた。
何が刺さるんだと言われたら自分でも分からない。実力以上の評価が欲しい訳でもない。努力もしないくせに数字だけ貰えるなんてことはないと分かっていて、それでも楽なことの方がすきでそちらを選ぶ。趣味だからなんて言い訳せずに絵の練習でもしていたら今頃もう少しましだっただろうか。漫画も描きたかった、漫画の方がバズるから。表現媒体としても面白い、ネタを思いついても小説では書けないこともある。でも描こうとしても絵が下手すぎて結局再現は出来ない。
楽な方に楽な方に流れている。
ひとつ開けたら憧れの気持ちが止まらなくなってしまった。人生で一回は開けておきたい、テンプレートに近づくとしても。死にたいとか鬱だ何だとかいっている言葉が、昔より軽くなりそうだ。ファッションが変わっても私の中身は何も変わらないのに。
楽な娯楽だ。努力しなくてできる変化、合法的な自傷。腕を切ったことはない、痛いから。でも首を絞めることはある。いつか首を吊るためのシミュレーションのように。一度失敗したきりだけど、いつかはきっと死ぬだろう。寿命まで耐えられるとは思えない。
本当は耐えて欲しい。耐えられるくらいでいい、その程度でいいから、幸せになりたい。
普通の人になりたい。創作をする、私は天才だと思っている友人は、死にたいけれどその死にたさも自分だから治らなくていいと言っていた。
私は幸せになりたいから心療内科に通った。意味はあんまりないけれど。
これを書いている間もずっと舌が痛い。これが収まる頃にスクランパーとインダストリアルを開ける。思い切り食事ができるのはまだ先になりそうだ。
何度も終わらせようといい感じに結べそうな文を書いているのに書きたいことが溢れてしまう。
私は人に知って欲しいたちだ。なんでも、やったことや見たもの、感じたことや思想、なんでもすぐツイートしてしまう。勿論セーブはかなりしているけれど。そしてそのツイートを全部見て欲しいと思ってしまう。何故なら私は好きな人のツイートを全部見たいタイプだから。ある程度好意を持っていたら何を喋っていたか知りたいかなんて当たり前だと思うけど、世の中では意外と少数派らしい。でも私の中ではそれが当たり前だから、ツイートを見ていないと言われる度にそんなに私に興味がないのかと傷つく。表には出さないようにしている、めんどくさいと思われるから。でもあえて出す時もある、相手が平気そうだったり、そういうキャラで私がやっていけそうなら。メンヘラちゃんのキャラでいたら、少しだけ私の本音を言うことができる。
だからひたすら書き連ねるのは楽で楽しくて、でと整理されてない文章なんて誰も読みたくないだろう。でも日記というか、書き散らしというか、日々の所感としてはこんなものかもしれない。
舌が痛いし眠くなってきた。多分何も無ければ無限に喋り続けられるだろう。自分の話をするのが好きだ、相手に知ってもらいたいから。好きな人のことはなんでも知りたい、血液型とか、健康診断の話になった時の視力とか、すぐメモってしまう。私の記憶力が悪すぎてメモっているだけで、覚えておきたいというだけなんだけど。締めに頭の中で用意しておいた文章のストックがもうない。前のを引っ張ってこよう。ちょっと書き換えて。
そうやって楽な方に楽な方に流れている。
今度はスクランパーとインダストリアルを開ける。お手軽な変化を得て、なんとかぎりぎり生きている。バイトの当欠も、説明会のキャンセルも、自主休講にしすぎな大学も、なんとかなってるとは言えないけど、取り敢えずまだ致命傷ではない。致命傷ではないけど、ゆるやかに死んでいくのだ。
きっと今の私は、昔の私が一番なりたくなかった姿だろう。働きたくないとか甘えるやつ、努力しないやつ、後回しにするやつ、遅刻するやつ、頭の悪いやつ、死にたいと
休め あしたは自主休講とかすればいいよ
軽く勢いをつけて手すりに登ろうとしたけど、泣きすぎで力が入らなくてうまくいかなかった。
三回目のジャンプで親に手を引っ張られてよろよろと室内にころげこんだ。未遂の未遂くらいで終わってしまった。
希死念慮は昔からあった。小学生の頃からずっと。その度に「読んでいるシリーズの新刊が読めなくなるのは残念だから」とかなんとか理由をつけて先延ばしにしてきた。
リストカットはしたことがない。しようとしたことはあるけれど。小説で「手首を切ってもうまく死ねない」と読んだことがあったし、うっかり生き残ったら跡を誤魔化すのが大変そうだと思っていた。
高校生の頃、クラスメイトの今から思えばちょっとメンヘラと中二病が入った子と「どうしてもっと前に死んでおかなかったんだろうって思うよね、早く死にたい」と意気投合したことがある。私は表面的には今日も明日もハッピーです、という体をとっていたので、その数分間が私の学校生活で唯一希死念慮を表に出せた経験になる。
正直17歳くらいで自分は死ぬんだろうなと思っていた。酒が飲めないうちに死ぬのは惜しいなとも。
大学に入った直後高校時代よりも楽しく、開放的で、死にたいと思うことは少なくなった気はする。
それも居酒屋とホテルのバイトで疲弊するまでの間だったが。無能力感でバイト帰りに川を見て、「ここから飛び込んだら深さがないから頭から飛び込んでどこかに打って気絶して溺死かな」と考える日が続いた。
あまりにも仕事ができなかったのでADHDを疑い、通院が始まる。ADHDではないものの極度のあがり症と診断され、通院し続けるようになった。
その後いろいろあって至る現在。就職活動とストレス買いで作った借金を親に詰られ、死のうと思った。
ベランダから見る地上には全く恐怖を抱かなかった。履いていたスリッパを放るように脱いでしまったので揃えてから決行しようと思っているうちに止められた。
親にはずっと死にたいと思っていたことを泣きながら話した。親はピントのずれた返ししかしなかった。
自分の無価値感についても話したし、期待に添えない子供でごめんなさいと繰り返した。「そんな期待なんかしていない」と言われた。
飛び出すように家を出て、半日考えた。
私は「価値がない子供でもいいから生きていてほしい」と言われたかった。「死のうとなんてするな」と言って欲しかった。
親の期待やら何やらから逃れたくて、自分が親の思い通りに動く人形じゃないと証明したくて親が嫌がるとわかっているオタク趣味に夢中になったのかもしれない。でも結局逃れられなかった。親はそれを「正しい」方向にしようとし、私を「正しくない」と糾弾し続けた。
事実、借金してまで買い物をするのは異常なのだとわかっている。でも止められなかった。自分の無価値さから目をそらしたかった。
でも逃げさせてくれなかった。大学を自主休講したこと、就活を(私はそれなりに頑張っているつもりだが)頑張っていないこと、大学に行く時だけ電車に乗ると吐き気がすること(実際は楽しいことがあった後でも吐き気がするし、大学自体に恐怖心を抱いて家から出られなくなり、それを治療していたこともわかっているはずである)。
私はもう耐えられない。生きていくことに耐えられない。親に生きてくれと言われたら生きるつもりなんて、何でもかんでも親に依存しているのだろうか。でも親にさえ生きてくれと言われなかったらどうしたらいいのだろう。私にはもう、死なない努力をする精神力が残っていない。
カウンセリングにでもかかれば変わるだろうか。今更もう何もかもどうでもいい。
これから私は身辺整理をする。親が望む通りに物を減らして片付けをし、部屋を綺麗にする。
無駄遣いをせず私がしてしまった借金を返し、3〜50万くらいの現金を作っておく。
それが終わったらなるべく迷惑をかけない形で命を終えようと思う。
1年もあれば準備には十分かなと見積もっている。それまでに生きる気力が沸くようなことがあればその時考え直す。
簡単な賭けだ。十分な金を稼ぐまでに生きる気力が沸くかどうかの賭け。
考えてわかったのは「やっぱりもっと早くこの決断を下すべきだった」ということ。
せめて大学に通う前に決断していれば、私大の決して安くはない学費を親に浪費させずに済んだのに。そのお金で老後資金の足しにできただろうにと思ってしまう。
お父さんお母さん、お金と時間を私みたいな不良品に使わせちゃってごめんなさい。
朝に弱い。本当に起きられない。
生来朝には弱い方なのだけど、自分に甘いために更に起きられない。
一応、目は覚めるのだが、まぶたが上がらない。
目を開いても、起き上がれない。
精一杯気力を振り絞って起き上がっても、サボって良い理由を考え始め、「仕方ないな~」と言いながら寝なおしてしまう。
大学生の時分には、単位や授業の内容を考慮して大丈夫そうであれば余裕で自主休講してしまい、よく後で後悔した。
社会人になったら、たしょうはマシになったが、社風がゆるい事もあり、時々サボってしまう。
こんな時分が情けなくて嫌だし、もっとしっかりしなければ……と思うのに、どうしてもどうしてもサボりたい。とにかくサボりたい。
ずっと眠っていたい。
このままではダメだと思い、朝起きれない人へのアドバイスで言われるようなものは一通りやってみたりはしたのだけど、
病気といえるほどのものでもないし、切迫して困っているわけでもないのでよけい克服できない。
だらしないから嫌だし、どうにかしたいと思っているのに、精神を鍛えるしかない…
ママに起こしてもらいたい……
過去を整理する。
今ではそこそこブラックすぎない会社に拾われて人生つまらないなりにあまり苦しくなく生きられている。
あまり苦しくない人生というものに、それなりに満足できているのは一度それなりに苦しんだからだろう。
ストレス耐性のある人間からすれば全然余裕だったんだろうが、生まれつき精神構造が弱かった自分にとっては十分に苦しい時間を過ごした。
あれより下もきっとあるんだろうが自分が知ってる中で一番下があれだ。
あれより下がきっとあるだろうから必死にそこから逃げ出そうとして、その結果中退の道を選んだとも言えるだろう。
ろくにやってなかった。
緩やかに限界に近づいていた。
毎週やってくるレポート提出日におびえていた。
土日に図書館に行ってレポートを書くための資料を集めて、それでちゃんと準備をしているのに全く進まないレポートに苛立っていた。
何を書けばいいのか本当に分からなかった。
今思えば当たり前の事を書けばよかったんだと思う。
自分は出来の悪い学生だと認めて凄く基本的な事、誤差の計算の話とか実験の教科書に既に書いてあることの焼き直しとか、装置のもっと細かい説明を百科事典から丸写ししていればよかったのだろう。
呆れられるだろうが、何もしないよりはマシだ。
それか、他人のレポートを借りて少しだけ言葉や計算を変えて丸写しするかだ。
あの頃の自分は阿呆な癖にプライドだけは高く、そういう事はできなかった。
それでいて自分の出来の悪さには半分気づいていたので、その後ろめたさから教授に相談することも出来ないでいた。
ただ完成しないレポートとにらみ合いながら、そのままでいると無力感で気が狂いそうだからとラジオを聞いたり横目にテレビを見ながら部屋の周りをぐるぐるしてばかりいた。
朝の6時までそんなことを続けてから、12時間眠って夕方の6時に起きて、5分ほど布団の上であぐらをかいてから大学をサボってしまったことにふと気づいたりしていた。
実際は友達が少ないからと昼休みになるたび図書館に行って学習まんがを読んで過ごしているうちに無意識に勉強をしていたんだと思う。
それでも勉強が人より出来るのは間違いがなかったので親は自分に妙な期待をしたらしく私立中学に行くことを勧めてきた。
その頃の自分は「いい子」だったので親がそう言った以上は逆らうこともなく、素直に塾に通い、素直に人より多く勉強をして、気づいたらそこそこの私立に入っていた。
今覚えばこの時点で覚悟を決めておくべきだったんだろう。
自分は運動も出来なければコミュニケーションも上手く取れなくて、それでいて賢くもないと。
ダラダラと過ごすうちに最初は中間だった成績は下の下まで落ちていった。
今思えば、自分は小学校の頃にちゃんと勉強をする癖を付けそこねたんだろう。
勉強は暇つぶしの範囲でしかしなかったし、テストの大部分は学習まんがで覚えた知識を応用してどうにかしていた。
嫌々ながらも机に向かって問題を熱心に解くことは少なく、宿題も面倒になると適当に埋めて終わらせていた。
算数の問題(今覚えば公務員試験の数的処理によくにていた)を解くのはパズルみたいで好きだった。
だけど単純計算は嫌いで、よくケアレスミスをするのは知っていたのに全然トレーニングをしようとはしなかった。
そうして面倒くさがって勉強しない癖を付けたままダラダラと中学高校時代を過ごし、大学受験シーズンを迎えた。
分からないことが多すぎた。
英語の基礎はなっちゃいないし、数学も積分の問題を解いているのに微分がそもそもろくに理解できていなかった。
社会化の知識は小学校で止まっていたし、かろうじて理科はどうにかなると思ったらこれも中学校で止まっていた。
自分は勉強しなくても勉強が出来るはずだという感覚を未だに捨てきれなかった自分は混乱した。
何から手を付ければいいのか分からなくてとりあえず周りに合わせて受験生がやるような問題を解こうとした。
手も足も出なかった。
中間テスト前に毎回丸暗記して何とか赤点を回避していた知識は反復不足でほぼ全てが抜け落ちていた。
高校1年の問題どころか、中学2年程度のレベルでも怪しい所が無数に合った。
まず何をすればいいのか。
それを誰に相談すればいいのか。
その答えも出せないまま刻々と時はすぎて、気づけば滑り止めも受からないまま高校時代は終わった。
塾には行っていた気がするのだが、基本的な部分で躓きまくっているのをどうすればいいのかが分からなくなり、誰に相談するでもなく自主休講を繰り返していた事だけは覚えている。
相談すれば真摯に対応してくれていたのかも知れないが、あの頃の自分はプライドと疑心暗鬼が心の中で手を組んでこんな奴らに相談しても馬鹿にされた挙句にはぐらかされるだけだぞと完全に思い込んでいた。
浪人生になった春。
新しい塾に入ることにした。
そこは前に通っていた塾よりもレベルが低く、自分が通っていた高校の名前を出したらすぐに上のクラスに入れてもらえた。
自分の今の実力は非常に低いから不安なので一応テストを受けたいと申し出た。
いくらもう1年時間があって同級生には高校3年生もいるとはいえ、こんな問題も解けない奴はヤバいだろうと感じた。
今思えばここで油断したのかも知れない。
勉強をしない生活が基本となっていた自分は、隙あらばサボろうとしていたのをよく覚えている。
最初のうちは授業にはちゃんと出ていたが、いつの間にか加速度的にレベルの高くなる内容に振り落とされ、気づけば足が遠のいた。
どこであんなに差がついたのかとその頃の自分は悩んでいたが、答えは明白である。
日々の反復学習だ。
予習も復讐もロクにせずに授業に出るだけでは大学受験レベルの問題が解けるようにはならないおつむの作りをしていると高校時代に散々味合わされたはずなのに、半年もしないうちにそれを忘れてしまっていたらしい。
そうして勉強をする癖を付けることが出来ないまま、二回目の大学受験を迎えた。
滑り止めには受かった。
「こんな所行ったら終わり」だとすら思わず「こんな所に行く自分が想像できない」滑り止めだった。
他の試験会場で味合わされた絶望感がそこの試験の時だけなかったのを覚えている。
同時に「こんなに簡単ならきっと逆に競争が熾烈化してギリギリの戦いになるだろう」なんて考えていた。
そうして勉強する癖も、自分のイメージする大学生にふさわしい知識も、自分のイメージする大学生にふさわしい学習環境も、何一つ手にすることがないままに大学生編が始まるのであった。
もう一年浪人して心を入れ替えておけばよかったのかも知れないと今は思う。
二浪したら人生の終わりの始まりだとその頃の自分や両親は思っていたが、その程度で終わるなら大学を中退したらどうなってしまうと思っていたんだろうか。
大学に入った頃の自分はまだ自分がそこの学生である事を実感できないでいた。
結局一度も心の中で認めていなかったのかも知れない。
周りの学生も教師も皆馬鹿に思えたし、そんな連中とつるまなきゃいけない自分自身の馬鹿さ加減にも日々絶望していた。
心の半分ぐらいがずっと灰色だった。
浪人時代に失敗したから大学に入ったらちゃんと勉強を頑張ろう!
そう思って友達付き合いやサークル活動を控えて勉強に打ち込もうとした。
駄目だった。
ただ予習・復讐を忘却曲線に合わせてやるだけの事が出来なかった。
だから勉強もできないしサークルにも入ってないし友達もいない救いようのない学生が出来た。
そうしてその救いようのないクズは日々レポートに苦しみながらクズ故のプライドの高さと自己肯定感の低さから来る多方面への遠慮から誰にも頼れずにいた。
そうして自分は大学2年の後半辺りから少しずつおかしくなり始め、就活シーズンの頃にはすっかり頭が駄目になっていた。
誰からも自分は必要とされないだろうという不安から就職活動に踏み切ることも出来ず、だからといってなにもしないのも不安だからとか公務員試験の勉強を始めた。
公務員試験の勉強と、普段の授業と、実験レポートと、卒業論文、その4つにグルグルと毎日追われていた。
授業の実験はなくなったが研究室に妙なやる気があったのでそれに似たことをよくやらされた。
何かをすると他の何かが頭をよぎった。
勉強もしなくちゃいけないし、レポートも書かなくちゃいけない、卒業論文も進める必要がある、面接の準備もしておいた方がいいのだろう、授業の宿題もちゃんとやらなければ……
パニックだった。
計画を立てて物事を実行に移す。
自分にかけていたのはその習慣だったのだ。
今にして見ると簡単な事だ。
だけど自分はまだそのことに気づいていなかった。
だから机に向かって何かに取り組んでは、すぐ別の何かが気になってフラフラしては精神をすり減らしていた。
気晴らしのために遊ぼうとしても色々な事が気になって遊べなかった。
眠ることは生理的に必要不可欠なのでこれなら許される気がした。
悪い夢を見ることが多かったけれどもそれが一番疲れが取れた。
寝ている間の半分は夢すら見ていないからだろう。
実験レポートの内容は相変わらず酷いもので、教授にチェックを受けるたびに皆の前で叱られた。
あるときには呼び出しを受けて教授から2時間にわたり叱責を受けたこともあった。
回りでパソコンに向かっていた同級生・上級生が憐れむような、何か理解できない生き物を見るかのような目でこちらを見ていたのを覚えている。
そうして気づけば研究室へ行くのが嫌になり、卒業論文も進まなくなった。
将来への不安から勉強にも身が入らず単位も不足し、文句なしの留年でその年は終わった。
入る前から死にかけている生きの悪い学生なんてどこも取るはずがないだろうなと今でも思う。
次の年度が始まっても、院生に上がった元同級生や下級生、そしてあの教授たちと顔を合わせると思うと研究室には行く気になれなかった。
研究室を変えたらどうだという話もあったが、どうせたらい回しにされた人間しかやってこないようなもっと酷い研究室に送られるのだと思い拒否した。
今覚えば分が悪くとも賭けに出た方がマシだったろう。
ギリギリの精神を「もうすぐこの状態から抜け出せる」という希望で何とか繋いでいたのが逃亡からの留年という形で切れてしまったこともあり、次の年度は完全に駄目だった。
日々の多くを家に引きこもって過ごしていた。
毎日死ぬことばかり考えていしたし、もうすぐ死ぬのなら今頑張っても無駄だなとふて寝ばかりしていた。
何かを頑張る気にもならなかったし、かといって遊ぶ気にもならなかった。
ただ毎日を死んだ目で寝て過ごした。
段々寝ようとしても寝れなくなっていったが、グルグルと頭のなかで過去や妄想を反芻しながら布団の中で目を閉じている方が起きて何かやるよりかはマシなので眠りもせずに布団の中で過ごした。
そしてその日々の中で、こんなことを続けていたもどうにもならないと思い、自分は中退を決意した。
決意の方向が間違っていたような気もするし、実際もうあの頃の自分はどうやっても大学を卒業できなかった気もする。
生活を見直し、人生を見直し、行動を見直し、とにかく気持ちがどうこうよりも前に日々をどう生きるかを前向きに組み立てなおしていれば可能性はあったのかも知れない。
だけどあの頃の自分は1人でそれが出来る状態にはなく、それを助けてくれる人間も周りには居なかった。
両親は自分の人生で忙しかったし、大学は腐ったみかんの相手なんてする気はなかった。
今の自分は、もしかしたら今後の人生で持てるモノのほとんどを持ってしまっているかもしれない。
実家は比較的金持ちだ。父親が稼いでいる。千代田区の民間のマンションの家賃なんて払える人間は少ないだろう。
自分が後天的に手に入るモノ つまりお金はもう手に入った状態なのだ。
持病も安定している。
ツライ今が頂点なのだ。
正直、金でいい思いはしてきている。
だけど、なぜか苦しい。
自分は容姿のいい健康な体が欲しいけども、手に入らないことは明らかである。
それが手に入らないと幸せになれなそうな気がする。
容姿のいい健康な女の子になりたい願いはおそらく今どこかでも、誰かに願われ、奇蹟は起こらず涙が流されているだろう。
これまで、「自分」を主語にしてたくさん、手に入らないモノについて述べてきた。
自分語りは飽きられるという指摘はごもっともだ。あと1回書いてしまうかもしれない。でもやめようと思う。
実は、自分語りじゃないモノも書いている。課題のシナリオなのだが、何も書けない。ただただ、「自分が」「自分が」である。
文章を書けば、気持ちがラクになると思っていたけども、そんなことはなかった。
とても、真摯にコメントを書いていただいた方に申し訳ない気持ちでいっぱいである。言葉というのは所詮は気持ちを変えられるかもしれない程度のモノでしかないことに気付いた。
○○○大学○像○部という、カリキュラムは専門でいいと言われたらそれまでな、一番無職率が高くて、学費は薬学部と大して変わらない高額な、僕と同じ高校の専門的なこともやっておらず、バカな同級生が進学した関西で大学受験をしたものにとっては噴飯モノの大学の三流学部の僕は今日もいつも通りの気持ちで大学に行く。
もう行きたくない。
何故か、楽天トラベルで神戸のシティホテルを予約してしまったので、今夜泊まり、明日の大学の授業は自主休講しようと思う。
神戸大学の花形学部を卒業した父親が稼いだ金で僕は神戸でシティホテルに泊まるのだ。
いつ無くなるか分からない金で優越感を少しでも感じようとしている。潮風を少しでも浴びようとしている。夜全く寝れない体をフカフカのベットで夜睡眠に矯正したい。
いつまでも容姿のいい女の揺れる胸で泣いたりしたくない。ありとあらゆることにコンプレックスを持ちたくない。
紋切りだろうが消えちゃいたい。
http://megalodon.jp/2015-0608-1101-42/anond.hatelabo.jp/20150608073626
自分の人生で多分一番最悪だった日とその周辺のことを書いてみる。
とある人に見せるためと、自分のために書いたものだけれど、ここだと改行もできるので全体公開でいいかなと思った。
変な文体だし、省略した部分もあるし、誤解が入っている部分もあるかもしれない。
三回ぐらい最悪だった日のことを文章や漫画にしようとして書いたりしていたのだけれど、どれもうまくかけないので、上手くかくことを諦めてみた。書くことでひとくぎり付けれたらいいなと思う。
私は他の人よりも変な考え方をしている面があるのかもしれないので、あらかじめ断わっておく。
―――
包丁を変えようと思う。
気が付いたら11月だったし。11月は嫌なことがあった月だったように記憶している。
一人暮らしなので自主休講しようと親にバレない私だが、最近どうも大学に行けていなかったのだが、11月だったからかなと今日思った。
包丁は自分が一人暮らしを始める際に母が兄から買い上げて、そのまま私に与えたものだった。
兄の元で新品状態だったので、母が見かねて兄が購入した代金をそのまま与えて、今包丁は私の手元にあるのである。
ちょっといいお値段で、スルスル切れる。
見た目もかっこいい。
でも包丁に関する思い出が纏わりついていて、私はこれを捨てたらちょっと落ち着く気がするので、新しい包丁を買おうと思う。
兄が一人で包丁を買ってきた理由が「護身用」だったのだ。筆箱にカッターナイフを入れておかないと不安だと言っていたことの延長のようだった。
攻撃的なことをブツブツと言っていた。いじめられた経験や肉体的に辛い病(痒みなど)に精神がやられていたのかもしれない。精神病院に入りたいとさえ言っていたが、普段から愚痴っぽかったりしたので、他の問題もあって家族は放置していた。
兄は持病こそもっているものの、ストレスを多大に受ける学校や職場に居たわけでもなかったし、精神病院は金がかかるというのが理由だった。
それで、確か11月にちょっと事件があった。弟が兄に突っかかって、気がたっていた兄は繊細な面もある弟を何時間か罵った。
私は最初晩御飯を食べていたように思う。食べ終わったら移動した気がする。私が移動してから、終盤には母が泣きながら泣いている弟を庇っていたが、私が庇おうとするとどうせこじれるだけだろうと思っていたのか、放っておいたように思う。母親は子供の一人と対話するときに他の子どもがまぜっかえしたりするのが嫌いだったからとか、弟が頭のおかしい状態の兄につっかかるのがアホだと思っていたかもしれない。
ここらへんはいまいち覚えていない。そういや父親はなんでこんなことをするのかと兄に聞いていたように思う。
母の静止も聞かず、弟は家を飛びだした。両親は探しに行った。私は家に居た。
弟は警察に泣きながら駆け込んでいたらしい。警察と救急車が来た。
弟は自分が母を切りつけたと嘘の通報したわけだけど、家に居た私は初めて警察に応対した。警察って怖かった。違う人が同じこと何回も聞いて来た。そして警察は不躾なことをいうものだなと思った。
近所のヤンキーがにやにやしながら写真撮っていたので今でもあいつは死ねばいいのにと思う。殺意が湧いていた。にやにや笑うやじうまにみんながならないことを願う。警察は止めなかった。
近所のおばちゃんが、誰も怪我してないのね、よかったと私を抱きしめてくれたので、近所のおばちゃんは神だと思った。
警察は結局家には入らなかったけど(両親も来て無事に警察や救急車は帰っていった)、警察が家の前に来る前に自分は居間で包丁?果物ナイフ?を持って座って一人でブツクサ言っている兄を確認して「わお」って思ってた。
兄を見て、思春期になると包丁を持ち出しながら殺してやるって言って家の中をうろうろしつつ何もしないのが全国スタンダートかと勘違いしていたこともあった私だったが、さすがに異常事態というのは現実との仕切りも境も無いものなんだなと思った。
ひとまず兄の精神は見るからにやばかったし、(ほっといたら首つって自殺してるかもと冷静に思った)警察が帰った後、弟は兄と同じ屋根の下にはいられないと近所(徒歩10分程度)の祖母宅に避難したが、近所の祖母もまたことあるごとに「信仰心が足りなかったから」などと口にして人を追い詰めるタイプだったため、クッション役なのか、母親も弟につきそった。父は基本的に穏やかな性格ではあるが家族間の調整役として役に立たず、逆に兄を刺激するかもしれないとして、同じく祖母宅に泊まることになった。
自分は当時、自分なりに家族を調整しようと頑張っていたようだった。
「私は家に残ってた方がいいよね?」みたいなことを母に電話したように思う。
それで、精神がおかしいと認定された人間の隣の部屋で私は寝ようとして、熱が出た。人生の中で今のところ最悪な夜は明確にそれだった。
…今考えたら兄を警察に引き渡していたら私は安全100%だったことに気付いたが、家族が前科者ってのも嫌なのでまぁ結果的によかったのかもしれない。
私は布団の中で涙が出て来るし、携帯で友達にメールしてた。ポカリとかあると良いよ、大変だったね、近くに住んでたら行けたんだけどって話を聞いて、私はとても心強かった。友達のおかげで私はあの時期を生きていたように思う。
○○ちゃんのこと、もっと家族は顧みるべきだよという旨の言葉を言って貰えて嬉しかった。当時私は高校三年生だった。なのに年内に引っ越したいと言う話を聞いて私はぶち切れたりもしていた。
兄がいじめられた記憶のあるこの土地に居たくないからだとか言ったためであるように思うが、兄はヒキニートみたいな状況だったから勝手にどこにでも行けと思っていたし、受験生はもっと支援されたり特別がられたり、お夜食を差し出されるものかと思っていた。高3になったら家族の中でちやほやされるかなと思っていたけれど、運が悪かったのか、それとも他のことで頭いっぱいになれてよかったのか、高3の時の家が一番大変だった。
結論を言えば、最悪な夜はそれでおわりである。文章にすると、大したことがなかったことのように思える。私は憎しみが基本的に持続しない性質だったし。それから何日かはやはり兄はやばかったがそれからマシになっていったし(いまだに早く死にたいとか言っているが)弟は高校に入ったら割かしのびやかな性格になり、友達もできたようだった。引っ越しの話も立ち消えになった。
母親も相当なトラウマになっていただろうなと思うが、私はちみちみとその夜の事を一人で掘り返しては悔しいなと思う。
私は殺されるかなぁと思いながら眠ったあの夜の何かが悔しい。
私はあの時の中家族の中で一番だいじょうぶだったから放置されたんだろうなと思うが、そのことに対してみかえりがないというか、褒められなかったというか、私の気持ちが踏み倒されたみたいで悔しいのだ。
母親から後でありがとうとは言われたが、死ぬかと思いつつも兄が自殺しないかな、包丁はもう持っていないかなと気にしつつ確認して寝たことに対して礼が足りないと思っているのかもしれない。
損をしたと思う。なげうったつもりだったのに、認めてもらえなかった。
もっと言えばその夜に家じゅうの武器になりそうなもの(バット、ドライバー、はさみ、ペンチなど)を自分の寝室の鍵がかかるところにしまっておいたのだが、後日父親が自分のドライバーを使うときに無いと言ったので自分の寝室から持っていてやったら、多分事情を知らなかったであろう父親が、不満げに私に接したことを根に持っているのかもしれない。
余談と言うか、他の日のことも書いておく。
11月の事件よりちょっと前だろうか、何日も物騒なことを言ったり、町の人間を殺してやりたいと言っていた口だけの兄に私は乱暴に罵った。数日前から殺すなら殺してみろという心持ちで、そういう切っ掛けを求めていたので「殴るぞ」と言われて「殺せるものなら殺してみろ」と言った。家族の前で殴られた後首を絞められた記憶はあるけれど、慌てて家族に制止されたにしても、平均体重の私よりも軽い体重で病の兄は力が弱く、到底私は入院と言うことにはならなかった。痕も残らなかった。
それと関係しているのか、時々私を殺せと思うことがある。ただのそういうフェチである可能性も否めないが、なぜあの時死にぞこなったんだろうなと思う。死ぬならあの時だったと思う。
私はずっと認められたかったのだ。この年にもなって恥ずかしい人間なのかもしれないけれど、大学生になって成績表が出ても誰にも褒められないのに虚無を感じるとか、劣等感がなぜか付きまとうので大学を辞めたいと思ったりしている。(こればかりは別の理由の可能性が高いかもしれないけれど)
小学生のころ兄が入院して母親が付き添って寝るので「留守番お願いしていい?」と言われた時に、うんと答えると子供だったけれど、兄に家族を取られたように思っていたのもしれない。兄弟がいなくて一人っ子だったらよかったのに、もしくは別の夫婦の一人っ子だったらなとしばしば思った。優秀で自分に甘いお兄ちゃんが欲しいなぁ、あぁでもそうじゃなかったら要らないと、私の事情を知らずに言った友達に対して殺意が湧いたことがある。
兄も病で辛いのだろうとか、本心は優しい人間だとは知っているけれど、好きだけれど、何年もニートを享受していて憎い。私もその立場にたったら周りは甘やかしてくれるだろうか?病人だから。うらやましい。私は頑張ったのに、その分認めて貰えただろうか?
親は私に夜中に外出してはいけないなどとは言うけれど、死なれたり傷つけられたら困る程度の認識なのだろうなと思ったりもする。多分きっと愛されているのだろうけれど、兄弟の通院時間に彼らは母親とふたりっきりだったのだと思うと羨ましい。
私も病気や入院をしたりして構われたいと思う。それなりに中学校に行って高校に行って大学に行ったけれど、構われなかった。私も包丁を振り回したりしたらいいのかと思っていた時期もあるし、メンヘラになりたいけど医療費が怖いなと思ったりする。病人から見れば死ねと思われるかもしれないが、私だって行きたくない所は行きたくないし、ずっとクソニートしてる兄が妬ましいし、許容されることがうらやましい。もっと言えば、将来どうなるのだろう。兄を扶養する構図になる前に家を出ろとアドバイスされたこともあるが、私に母親や父親を捨てろと言うのだろうか。ていうかむしろ連れ去ってくれそうな人が居ないとひとりぼっちになってしまう。
11月のあの夜の後日談としては、叔父(母親の兄)が、無事大学に入学できた私を一対一で回転寿司に連れて行ってくれたのだが、叔父は中途半端に母から聞き出したのだろう、母を切りつけたと警察に駆け込んで証言したお前の弟は頭がおかしい、今は大丈夫だろうがだんだん精神病院に入れなくてはいけなくなるだろう、覚悟をしておきなさいということをおじさんの運転する帰りの車で言われた。
本当に頭がおかしかったのは兄だと言おうかと思ったけど、黙っておいたので話がまた広がることは無かった。けれど悔しくてメソメソした。その日の話は家族にはしてないけれど、後日叔父の娘(私にとってのいとこ)から「あのハゲじじいが変なこと言ったんじゃない!?ごめんね!!!わたしもあいつ嫌い!」ってメールが来たので救われた。弟はいまのところずいぶん元気であるし、精神病院の御世話にはならないだろうなと思う。兄の葬式をやることになるだろうかと風呂場で思うことはあるけれど、そうでないといいなと思う。
まぁ最近は、兄はそこまでは精神がひどくない。デトロイト・メタル・シティみたいなことは言わないし、嫌いな人間の体内に入って相手が一番困るときに穴という穴から出たいとか前は言ってたけど、今は言ってないだろう。死にたいとかオレは醜いとか言ってたセリフは、私の前では言わないけど時々まだ言ってるだろうなって思う。
私は死にたいとか自分は死ぬべきだとか自分は醜いって思ってた時期もあるし今も時々そう思うけど、(家族にそう思ってるって伝えるぐらいで、友達にはそう思っていることを99%言わないけれど)ひょっとしたらこれはあのころのことを癒すために思っているのかもしれないと、ちょっと考えた。
あと関係ないけど、ジュースとかがこぼれてもびっくりするぐらい驚かずに「ああこぼれたな」って思って黙って拭くのはあの日あたりが起源かなぁと思っている。それだけ。
包丁の話に戻ろう。オチとしてあらかじめ作っていたんだけれど、中間がのびのびになってしまった。
私が別にこんなに切れ味の良い包丁を持っておいてやる義理も、時々それに関する思い出を思い出してやる義理も無いんだと思ったのだった。
メンヘラごっこじゃないけど、二の腕に包丁を押し当てて、切れはしなかったけど赤い痕が残って、ふとそう思った。この二日間大学を休んで、アホみたいに寝たので頭がすっきりしてたのもあるかもしれない。
包丁は事情を知ってる他人に渡すのも(そんなの数人だが)事情を知らない他人に渡すのも申し訳ないので、捨てたいのはあるんだけど貧乏性だし、燃えないゴミの日まではとりあえず新聞紙にくるんで仕舞っておこう。
母親は家に来るたびに「やっぱりこれ切れ味いいわね」って言ってた。
実家からこの切れ味の良い包丁が無くなったのは、兄がキレた時に攻撃力の低いアイテムしか持っていて欲しくなかったからである。
「ごめんなさい。配慮が足りなくてごめんなさい」との旨のメールが来た。
最近、子育てに関してのエントリーをよく見かけるので、レアケースだと思われる私の経験もシェアしておきたい。
私には6歳年上の妻がおり、結婚したのは19歳、第一子をもうけたのが20歳の時でした。(一浪)
教育学部に在籍。みんなが盛んに単位を取りまくっている間、私は細々と単位を取りました。
講義を休んだ理由として「子どもが生まれたので休みました」というとウソつけ!と一蹴されましたが、さほど気にしておりません。(ウソつけ。
大学1年から2年にかけては、とにかく子どもがよく熱を出す(6ヶ月から近くの保育園に預けた)し、
突発性発疹などにかかると一週間休むとか当たり前にあったのですが、何せ大学生です。簡単に休めます。
自主休講、同じ学科の友だちにノートを見せてもらう、先輩からの情報を得るといった技術を遺憾なく発揮することで、最低限の単位はそろえました。
2年間でそろえた単位は50単位程。128が卒業要件だったのでバッチリですね。ダメですね。
さすがに子どもが2歳を超えると、熱を出さなくなったり、出す兆候にこちらがすぐに気づいて先回りし予定立案ができたりするので、安定して大学に通えるようになります。
1・2年と出席が足りずに再履修になった講義も多く、勝手知ったる感じもありました。後輩たちとも仲良くなりました。
単位が足りないので、夜間の経済学部の講義を受けることもありましたが、ほとんど休みませんでした。
4年目の後期ですら私の時間割表はきちきちに入っておりましたが、無事に終えました。卒業です。
大学に通いながら子育てすることは不可能では無い。自由が利く分むしろ良いかも。働く頃には子どもは熱を出しづらくなっているので休むことはあまり無い。
見学すら行かず。
片手で足りるほどしか出てません。
当たり前だけど。文化祭に連れてきた時困った。おむつ交換する台とかない。
親は海外に駐在してた。妻の親は片道1時間以上。助けは得られない。
手取り30万超えてくる26歳。夜勤もしてたから。私はおかげで子どものこと一切私がみるスキルが身についた。
イクメンって言葉が流行りだしたとき、「なにこれ。いつものことなんだけど。」って思った位には子育てしてました。
バイトは月8万くらい。3年から授業に出るので奨学金に切り替え。ありがたかった。返済まだ10年続きます。ありがたいことです。
合格しなくても臨時任用として引く手あまたなので職には困らない。
と言うわけで、子育てが大変だと思ったことは無く。
確かに自由な時間はほぼないですが、40過ぎたら子どもも成人なのでそこから自由です。
就職1年目に第2子ができました。なにもかも分かりきってるので、素早い対応がとれます。
私がちゃんと稼ぐようになったので、奥さんもパートになれ、何かあったら奥さんが休めるようになりました。(トータルの収入は減りましたが
と言うわけで、大学在学中に子育てするとこうなるというケースでした。
朝に書いたので淡々とした語り口になっておりますが、もうちょっと山あり谷ありではありました。
はてブのコメントや、トラックバックのいくつかにお答えする形で追記したいと思います。
浮かれておりますので、もしかしたら少し淡々とした語り口から外れているかも知れません。ご容赦ください。
ブログあるのですが、iPhoneネタばっかり書いているか、教育に関して書いているので、書く場所が見当たらず増田に。これだけ注目されると逆に名乗り出づらいものですね。(Twitterではバラしてますが)
小学校1種と中学校2種(英語)です。なので2回の実習は小学校に4週間、中学校に2週間行きました。
家庭教師とマックを掛け持ちしてました。18-20時で家庭教師。小休憩をはさみ、22時から1時までマックといった感じです。(その頃働いていた店は12時まで営業だった。)
夜泣きをほとんどしないか、きっちり2時間おきに起きる、とってもいい子だったので、夜はちゃんと眠れました。
すみません、これは親のすねかじりました。ここまでは親も出してくれると言ってくれたので。ちなみに国立大でした。
6ヶ月から預けたのは無認可の所です。月5万。延長は15分単位でとられるので必死にお迎え行きました。
次年度より認可保育園へ。普通に審査通りましたね。私の収入が安すぎるので保育料もぐぐっと下がって2万8千円だった気がします。
教職についての考え方が多岐にわたるので、一概には言えないのですが、大学の講義で扱う教職科目よりも、就職してから経験したことや学んだことの方が圧倒的に大きいです。
というか、教育実習に行くまでは完全に机上の空論状態で聴講しますので、頭に入ってない。教育実習行ってからの内容はかなり血肉となったと思います。
ちょっと愚痴になりますが、今、子どもとの時間があるため休日に開かれる自主的な研修会に出られないのは非常に残念です。
その分本を読んだり、実践を積み重ねたりと、勉強はしているつもりではいますが…。やっぱり勉強したいっていうのは思います。若いうちしか勉強できない(先輩にストレートに聞けない)ので。
また、大学1年の時に友だちと起業したり(登記されると公務員になれないのでサブ役でしたが)、ゼミでお世話になった准教授が近々立ち上げるNPOの理事に誘われるくらいにはコネクションや経験はあると思ってます。
卒業論文は、FlashMediaServerを用いたオンラインポートフォリオの研究です。実際にLAMP+FMS環境を大学の教室内にセッティングし、小学生の子どもたちがどのようにポートフォリオを構築するのか研究しました。
その通りだと思います。私自身も思います。大学生には大学生にしかできないことがあります。
まずもって、就職一年目から「子を持つ親」として保護者と接することができるのはデカイです。
一生ものの友だちは高校時代にたくさんできました。今でも年1度はみんなで集まる企画が立ちます。
ビンゴです。笑
夜勤をすると、夜勤明けの午後+翌日休みという長い時間がとれるため、その間にバイト入れてました。どっちかが見ているときはどっちかが稼ぐというスタイルです。
さらに、産婦人科は夜勤中に出産があると手当がつきます。一晩で5万以上手当のみで稼いでくることもあり、パートと言えども手取りは20万超えます。何なんですか。
はい。そうでしたね。やっぱり先立つものが保障されているって大きいです。なのでレアケースです。
既定事項です。
禁則事項です。
長い追記まで読んでくださり、ありがとうございました。
失敗をあげつらって批判するのはとても楽しいからね。自分を貶す後悔日記は否定しやすく他人へ迷惑もかけない至高の趣味。無意味だろうと。
まず特に注意したいことが2つある。1つ目は親の洗脳を早く解くこと。2つ目は怠惰に流されないこと。
1つ目だが大学へ進み下宿を始めても3日に1回は電話をする、子離れ出来ない親の心証をいつまでも窺うんじゃない。俺のやりたいようにやれ。
いつまで親に携帯料金を払ってもらうつもりだ?そのせいでメールしか使えない不便な生活に甘んじる?既に中高とガラケー文化圏に接せなかったコンプレックスに一生呪われていくんだぞ。お前には奨学金とアルバイトがあるんだ。自分で稼ぐ手段のない田舎の高校生じゃあないんだ。自分で携帯を買うという発想に早く気付いてくれ。
そうだな、6月に発売されるiPhone 3GSがオススメだ。パソコンとインターネットが大好きなお前は間違いなく満たされるぞ。外出中に暇を潰す便利な手段を手に入れたお前なら俺程ひきこもりと自主休講を拗らせることはないだろう。
バイト先も自分で考えろ。何が『不安だから初めてのアルバイトは大学の中でやりなさい』だ。具体的にどう不安だというのだ。たかがアルバイトごときで取り返しの付かない失敗などしないよ。そして合わなければすぐに辞めるという発想を持て。意味のわからない責任感に縛られてお互いに不幸な状態を長々と続ける必要などない。『最低1年は続けないと堪え性のない人間に思われる』?
新卒に対してアルバイトの具体的な期間まで履歴書に書かせる企業が存在するのであればそう思われるかもしれないな。お前はただでさえ郊外の大学へ通いその近くに住んでいるんだ。バイトは都市部へ通うべきだ。書店すらなく漫画の新刊に気付けない灰色の生活なんて懲り懲りだ。
食事も薄味に拘る必要なんかないぞ。素材の味が苦手なお前が悪いんじゃない。美味しく料理出来ないのが悪いんだ。濃い味が美味しい。だから求める。それでいい。まだ健康を気遣う程の年齢じゃあるまい?外食で積極的に野菜を頼むようになる姿はまだ想像できないだろうね。
過度に倹約する必要もない。所詮大学生ごときが稼いで何になる?今は積極的に使う時期だ。そもそも大学生という時間を買うのにいくら掛かってると思ってるんだ。焼け石に水の足掻きより有意義に使うことを考えろ。遊べ遊べ。親の反対を押し切って奨学金を借りたことは数少ない俺の褒められる過去だ。無利子で借金が出来るんだぞ?恐らく一生に一度しかないだろうな。大学生という環境の中で持つ金は働き出してからの同額よりずっと価値があるぞ。感謝して返済のために20年間生き続けろよ。清貧勤労学生でイイハナシダナー?犬にでも食わせとけ。
2つ目だがお前は自分のものぐさぶりをまだ理解していない。ほぼ皆勤賞で高校を終えたようなお前にゃ実感が薄くて当然だが。見栄を張る相手が消え一人暮らしという自由を手に入れたお前はどこまでも堕落する。自分の性質を理解し意識して立ち向かえ。問題を先送りにすることは楽とは違うぞ。余計悪化させる自殺行為っていうんだ。必修じゃないからゼミには入らないなんて絶対にやっちゃいけねえ。ぼっちと無知を拗らせた俺は就活の危機感すらわからなくなるからな。
それと週に5回学校に行く時間割はやめておけ。もっと効率を考えろ。お前は興味が怠惰に負ける人間だ。ちょっと関心のある講義ごときで1コマのために登校なんてしやしない。そもそも大学に入った目的はなんだ?とりあえず学力があるから思考停止で大卒資格を求めただけだろう。元々学部の内容に関心が薄いことを思い出せ。その上で無理矢理自分を奮い立たせて立ち回るんだ。無関心を言い訳にするな。それでも選んだ道だろう。
他にも細かいことをいくつか言っておこうか。
サークルは複数掛け持ちしておけ。活動内容より人の相性だ。
オタサーを躊躇うな。つーかオタクを隠せないし隠す意味もねえよ。
退屈でも部室に顔を出しとけ。これを読んだお前ならパケホの携帯を手にしているだろう?それで時間を潰せ。上級生だって新入生は嬉しいんだ。居着けば馴染めるさ。
クリアしたゲームは売れ。読み終えた漫画も売れ。持ち続けても価値が下がるだけだ。親の顔色を気にしながら売る許可をもらう必要なんてないんだ。物を大事にするのと売らないことは別の話だ。お前は飽きっぽいから殆どの物に2度と手を付けない。その代わり広く浅くだ。リアルタイムで流行ってる内のが楽しいぞ。
だがSteins;Gateはパソコン版が出たらすぐに買え。アニメを待つな。ラジ館に間に合わないんだ。同時代性を殺すな。今だけなんだ。
アイドルマスターシンデレラガールズというゲームを始めるなら2011年12月の間だ。パッションはやめてキュートにしろ。そしてクリスマスマラソンでイヴを入手し無育成で塩漬けしたまま翌年6月頃に売れ。入手のための課金は躊躇うな。まとめて大きく課金する方が効率的だ。手に入れたドリンクは無駄遣いするなよ。さらに次の年に佐久間まゆというアイドルがSRになる。お前が心の底から惚れることになる女だ。まゆは一度のSR化で収まる器じゃないからな。ボイス追加に備えてスタドリを貯め込んでおけ。
過去の俺に送りつけて世界線を書き換える手段はないものかね。並行世界の俺が読むでもいい。俺の4年間を俺の手柄じゃなくても構わないから何かの糧にならないものか。失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した…とメモ帳にコピペするのはもう飽きた。
http://anond.hatelabo.jp/20130528020415
自分も大学に行けてない。入学当初はそんなことなくて、単位を落とすことはあっても自主休講なんてわずかだった。でもここしばらくは、てんで駄目だ。
明日こそ行こうと思うし、行かなきゃならないと思う。行かなかったら、卒業出来なかったらどうなるか。でも、家にいるうちはあまり考えないようにしている。
大学のカウンセリングも受けてみた。長く通ったけど、治ったり治らなかったり。ADHDの疑いがある。或いは、面倒なことから逃げ出しているのではないか。そんな感じだ。
外にいれば明るく振る舞える。たった数ヶ月通うなんて簡単だ。そう思えるのに。
研究室に顔向けできない。呼び出しの電話やメールに出られない。それが杞憂だとわかっていても、どうしても。
何か不幸があったわけでもないし、トラブルがあるわけでもない。自分でも説明の付かない状況に、ただ自己正当化と自己嫌悪を繰り返している。
もう楽をしてもいい、無理をしなくてもいいという意識がある。当事者になれない。
なぜなら近づいてきてくれないから。歳上や目上への接し方が分からない。
あまつさえ苦手意識さえ持ち、さらにそういった輩同士でつるみ安堵する。
希望を捨てきれない。
感性や感情に溺れそれらを美化する。(※仮想的に行うならば良いことである)
そのグループに混ざるか、一人でしかできない勉強や読書、書き物をすればいい。大抵の人は携帯で遊んだり、家に帰るくらいしかできない。
小学校の班づくりや林間学校の気分のままでいるので、一人とは基本の立ち位置という認識ができない。
結果として不利になり、ますます焦り、ひねくれる。質の悪い友人を作り/に巻き込まれ時間を無駄にする。
社会の縮図とは体育会であり、数年で身につく意識やスキル、経験は雲泥の差。体育会が就活に強い理由はここにある。
一般的に学生が社会に触れられるのは体育会・バイト・起業のいずれかにほぼ限られる。(サークル活動アピールは就活時に企業・団体の面接官に全く受けない理由もこれ)
(ただし収入がなければ年金は控除され得る。住民税/所得税も控除条件がある。)
(大学生で確定申告を理解している人間は何人に一人いるだろうか?)
そればかりか社会に嫌悪感を抱き目をそらしがちで、モラトリアムに足を取られる。
「手間」と「時間」それぞれにコスト意識を持つと行動も変わる。戦略も立つ。
予習に留めるという意識でないと成長できず、バイトの環境が次第に居心地が良くなり足をとられる。
(人気職種のTV、出版、広告、一部の金融etc..の志望者は入学直後からすでにコミュニティがあり、所属員は圧倒的に有利に情報収集/就職活動を進められる)
一般的に、上記のような「日本の大学生」の「垢」を落とすのが所謂「就職活動」。
それに気付けないまま企業にふられつづける大学生多し。もちろんそれでけでなく人生をプアにしている。
むしろそういう相手を「友人」と呼んでいる増田のメンタリティが気になる。
(もう今の大学生ぐらいの層も「知人=友人」になってきてる世代か。うわー俺歳食った)
さておき、一瞬高校かと思ったら代返とか大学なのな。だったら本当にそれこそ自由にすればいいと思うがなあ。授業料払ってる限りどう使おうと自由なんだから。完璧に学業ほっぽりだしとかなら流石に金の無駄だろうと思うけど、俺もよく自主休講して学食とかキャンパスの池のほとりで小一時間と言わず何時間もその歳でその友人たちとしかできないお喋りに高じたし、増田みたいに一人になりたいときは図書館でパチパチノーパソ叩いてたりもしたし。
曰く、大学時代の友人はかけがえがないという。それは高校までと違って自分で友人となる対象を選べる最初の世界が大学であり、そして最後の時代でもあるからだ。クラスや学年の枠に縛られたり、職場や利害関係の枠に縛られずに選べる、そしてリアルで近くなれる最初で最後の友人たち。(いや今時なら趣味の世界でネット経由で友人関係を広げるとかも可能だけどさ。)
そこに、そんな奴を紛れ込ませておく方が損だよ。それこそ人付き合い上難しいのかもしれんけどさ。