はてなキーワード: 木尾士目とは
『少女☆歌劇レヴュースタァライト』(著者:上漆黒猫):舞台少女たちの友情とライバル関係、そして恋愛模様を描いた作品。アニメ化もされています。
『ひとりぼっちの○○生活』(著者:七海よう):引きこもり少女と人形作家の女性の成長と恋愛を描いた作品。
『あさひなぐ』(著者:こざき亜衣):女子高生の弓道部員たちの日常と成長を描いた作品。主人公たちの友情や恋愛模様もあります。
『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』(著者:赤坂アカ):生徒会長と副会長の恋愛模様を描いた作品。緻密な心理描写と、斬新なストーリー展開が特徴です。
『シスター&ブラザー』(著者:木尾士目):男装した女子高生とその弟の成長と恋愛模様を描いた作品。主人公たちの人間関係や家族愛が、作品の魅力の一つです。
知名度、後世への影響、漫画史的意義などを独断と偏見で考慮した上でサブカルくそ野郎フィルターで濾した二番煎じを俺も作ってみたぞ増田ァ
最近のアフタヌーン(月刊漫画雑誌)について語ってるスレがあって、
その中でげんしけんの木尾士目の最新作について「普通。毒にも薬にもならない」って評されてて、確かに・・と思った
まったく面白くないってほどじゃないんだけど、無難にまとめすぎてて、げんしけんみたいにとがったところがない
だから良くも悪くもフックがなくて心にひっかかる、心に残るものがほとんどない
キャッキャウフフしてるまったり系マンガって感じでそういうのがメジャー層には受けるって悪い意味で学習しちゃってる感じ
こないだヒャダインやら米津玄師やらが計算して作ってるからいまいちノレないみたいな増田あったけど、あーゆー感じかな・・・
いやまあ年をとるってそういうふうに狡猾になっていくことなんだろうけどね
そういうんならそもそもアフタヌーン全体が昔のアフタヌーンらしさを失ってるしね
雑誌ごとの特徴って意味でレゾンデートルなくしてどーするよと思うが
久しぶりに一気にまとめ読みした
サクッと読めるのはいい
読む前と読んでるとき:二代目評判悪いイメージあるけどやっぱ好きだな
やっぱ初代にくらべると見劣りしちゃうな
読んだあとずっと残るものがほぼないに等しい
おっと思うところもたまにあるけどほんと少ない
初代みたいに、もとい、木尾士目の初期マンガみたいに、こじらせたような読んでて恥ずかしくなるような意識高い感じとか、
行間で読ませるマンガならではのものっていうのがかなりなくなってる感じがする
ぢごぷりでの大コケにびびったのと、良くも悪くも漫画家としてこなれちゃった感じ
まあ二代目といいつつ実質斑目アフターになってる時点でお察しだけど
結局2代目の看板に頼らざるを得なくなってる時点でアレなのに、看板だけじゃなくて中身も初代の人気キャラに頼っちゃった時点で、もう輪をかけて失敗作なんだよな・・・
巻数は初代より多いしアニメ化もされたけど、マンガとしての密度は初代に遠く及ばない
いやちげーのよ
でも年取って内容知った上で改めて再読すると、いろいろアラとか残念さのほうが目立って目についてしまったという
ゆーても二代目の1巻が2011年5月でほぼ10年前になんのか・・・
当時どうだったっけなあ
スマホの普及率も全然低くて、まだ今ほどオタクがライト化してなかったときだから、古いオタク像と新しいそれとのちょうど境目だったのかなあ
あとやっぱフィクションむずいんだろうねと
初代のあの空気感は少なからず作者本人の実体験もあるから濃いんだろう
クリエイターはそのときにしかつくれないものがあるからほんとこえーわ
まあパンピーが観測できるのは世に出たものだけだから、出なかった可能性を考える意味はないんだけど
でも伊坂幸太郎が砂漠のあとがきでかいてたみたいに、今の自分にはこれはかけないといわしめるようなもの、たくさんあるんだろうなあ
一発やとかもそのたぐいかなあ
某ブコメで気になってググって見てみた
1時間20分は長かったなあ
ルイスキャミーが終始すごく気を使ってて、
小説版の小梅けいとは木尾士目が好きだから決まったとかそれくらいかなあ・・・
あとスターウォーズの大作同人誌出したってのは読みたいって思った
このご時世だから多分オンライン対談だったんだろうけどそれもつまらなさにつながってたきがする
やっぱ対面で相手を見ながら、資料をみながらあーだこーだ語るからこそ生まれる間とか空気感があると思ったわ
対談ってね
顔見えないからすごく手探りで言葉のキャッチボールしてる感じがしてて聞いてるのがすごくしんどかった
ただでさえ聞くときに次元の壁がひとつあるのに、話してる側の時点で次元の壁があると、2つの違和感を飲み込んで聞かないといけないからすんごくしんどいんだということがわかった
そこそこブクマをいただいた。これだ。
https://anond.hatelabo.jp/20180823115109
そこで最初に取り上げてるのが篠房六郎先生のおやすみシェヘラザードだ。漫画の出来については決して誉めてはいない。篠房先生個人については期待している。そんな感じが伝わるレビューだと思う。
要するに私は今回急に軽薄に篠房先生を持ち上げているサヨク達よりはよほど昔から篠房先生を知り、その作品と作家そのものとに視線を向け続けているということだ。
先生がムサビ在学中で同級生ネタの漫画描いてた頃から知っている。先生が近年漫画やアニメについて先走り気味なレビューをするたび先生よりずっと物知らずなオタクたちがめちゃくちゃ叩くのを苦々しく見てきた。
それはそれとして先生の漫画家としてのキャリアや能力の停滞具合にはもどかしい気持ちをずっと持ってきた。四季賞をとった作品はよかったのに、そこから全然伸びない。
わたしはこれを乱暴に一口にすれば「パンツ脱げないから」だと思っている。同じアフタヌーンの歳の近い作家で、木尾士目は四年生五年生のあとげんしけんを描いた。ひぐちアサはヤサシイワタシのあとおおきく振りかぶって!を描いた。
二人とも、あえて慎重さを欠く言い方をするけれども、「成長した」のだ。自意識の中をひたすらぐるぐるするところから外に出た。
四年生もヤサシイワタシも若い人にしか描けないその頃の傑作ではあるが、その後に描いている漫画のほうが他人がいる。他人のことを無視しなくなっている。弱々しい臆病さがなくなり、他人にはだかを見せられる大人になっている。
篠房先生はいつまでたってもこれができない。二十歳そこそこの頃に空談師という閉じきってるのに社会をわかった気になっている漫画を描けたのはよかったのに、40代になってもそこからの成長がない。
描く漫画はますますバカらしいほど読みにくくなり、出てくるキャラのしゃべり方や呼吸は全部当人の脳内だけを材料にした貧しいもので、友達のいない人が自分の中で煮詰めすぎてしまりのない味になったものをデロデロと皿に垂らすような作品になっている。
たぶんこの人は幅広い友人を持たなかったのだと思う。友人が居なくても客観的で余裕のある妄想を出来る人もいるが、篠房先生はそのタイプではなかった。描く絵も描くネームもすべてが自家中毒。こつこつ頑張る性格が悪い方へいっている。
いつもお絵描き講座のような自分のためのメソッド開発に勤しんでいるが、この人ほど「努力」をしてなくてもこの人よりいい絵を描く漫画家はごまんといる。
最近も新しいメソッドを開発したとはしゃいでいたが、独特の癖のある首のつきかたなどは全くなおっていない。彼のキャラはみんな首に変な緊張感があり、肘のはりかたや手首の角度まで全て強烈なくせがある。
絵を進歩させたかったらメソッド開発という自家中毒鍋を煮詰めつづけるより他の漫画家の絵をたくさん模写してみればいいのに、ずっと自分の絵を見て絵を描いている。
お分かりのように私は異常者だ。それほど売れてない漫画家にこんな風に余計なお世話の勝手な検討をし続けている人間だ。
他にもこんちき先生についてもかつて余計なお世話のエントリを書いた。https://anond.hatelabo.jp/20180327221003
おりたたぶの新連載はとても嬉しい!テレたこなし感がない全力を一般で見せてくれていて感無量だ。みんなも読んでほしい。よい漫画だ。
それで本題に戻るけれども、私はずっと篠房先生がパンツを脱いで、他人を受け入れて、時代遅れな「うまくやれないオタク」自意識の言い訳の世界から飛び出して、面白い漫画を描いてくれる日が来るのを待っていた。
元々若くして四季賞を取るほどの麒麟児だったのだから、問題は素質ではないと思っていた。
くっだらない。
こんな下らない、おまけにへったくそな絵で賞賛されて。おまけにきちんと仕上げてすらいない。(それすらわからない目の人は少し拡大してみればよろしい)
自分の本業でくすぶってる人間ほどTwitter政治にのめり込む現象の理由も理解できた。
コツコツ頑張ってきた本業よりはるかに激しいレスポンスという飴がもらえるんだもん。自制心が強くない人間は政治戦士になってしまうだろう。
どんなにつまんない人間のままでも、成長なんかなにもしなくても、くっだらない絵でも、その絵すらきちんと描いてなくても、アスカの首がどうかなっちゃってても、誉めてもらえる。
コツコツ仕事で頑張る時の百分の一以下の労力で。出来なんかどうでも同じ党派の人から全肯定されて、人格まで誉めてもらえる。これはすごい飴だ。
百歩譲ってなんの才能もない見込みもない作家は政治戦士になろうが白ハゲ漫画家になろうが当人の勝手だとしても、篠房先生にはこんなイージーで腐った飴の味を覚えてほしくなかった。