はてなキーワード: 高橋しんとは
私が描いた「セクシー田中さん」という作品の個性を消されてしまうなら、
どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、
粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本の
完成にこぎつけましたが…。
(中略・気になるなら魚拓見て)
そして、私があらすじ、セリフを準備する終盤のドラマオリジナル展開は
8話〜10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、
私が準備したものを大幅に改変した脚本が8話〜10話まとめて提出されました。
特に9話、10話の改変された脚本はベリーダンスの表現も間違いが多く、
ベリーダンスの監修の方とも連携が取れていないことが手に取るように分かりましたので、
「当初の約束通り、とにかく一度原作者が用意したあらすじ、セリフを
「足りない箇所、変更箇所、意見はもちろん伺うので、脚本として改変された形ではなく、
といったことを、小学館から日本テレビさんへ申し入れをしていただきましたが、
それを小学館サイドが「当初の約束通りに」と日本テレビさんにお戻しするという作業が
数回繰り返されたと聞いています。
最終的に、日本テレビのチーフプロデューサーの方から「一度そのまま書くように」との
指示が出たとも伺っていましたが、状況は変わらぬまま約4週間が過ぎてしまいました。
ドラマの制作スケジュールのリミットもどんどん迫っていましたので、
本当はドラマオリジナルとなる8話〜10話全ての脚本を拝見してオリジナル部分全体で、
何とか改変前の内容に修正させて頂いて、日本テレビさんにお渡しすることになってしまいました。
9話、10話に関する小学館と日本テレビさんのやりとりを伺い、
時間的にも限界を感じましたので、小学館を通じて9話、10話については、
当初の条件としてお伝えしていた通り、
でもまぁ、製作過程のあれこれ脚本やドラマの良し悪しは一概には言えないので、そこについては深く言及しないとしても、
(言及している人いるしね)
高橋しん+しんプレ@shinpre
不幸なのは
作品が変えられることではなく
作品が失敗することではなく
作品が
そう感じさせてしまう事です。
赤木アカ
漫画の実写化は、漫画の連載を100年やっても読まないだろうなっていう遠い層に向けて「かぐや様」を届けてくれる漫画家としては滅茶苦茶有り難く、かゆい所に手が届く文化です
誰がどう見てもアカンやろかつ事実と確認出来るインスタでの奇行について言及ではなく、
詳細は確認できない書類周りにお気持ちベースでなんか言ってるのマジでなに目的なんだ?ってなる
とりあえずひとりは、『法律解説ごっこ(anond:20240201182631)』と、『原作者は神ではないがやりたい二次創作者フォロワー(anond:20240201181732)』ってのは
わかったのでスッキリはした
そのラインナップなら間違いなく
蟻子「盛りつけ上手な円山さん」は好きだと思う
あと
ながらりょうこ「ねこと私とドイッチュラント」「ヨーロッパたびごはん」も絶対好き
松本英子「謎のあの店」「局地的王道食」は興味深い食や店満載のエッセイ&ルポ漫画でいい
入江喜和作品は「おかめ日和」他ごはん要素以外もすばらしい漫画が多いのでどれもおすすめだけど
有間しのぶ作品はどの作品もだいたいうまそうなごはんが出てきて漫画としても最高におすすめだけど、特に「リバーサイド・ネイキッドブレッド」はパン屋さんが出てきてどれもこれもがうまそうで通いたくなる
それぞれの家庭で人が人に作るごはんやお弁当も愛に溢れててこれはぜひ読んでほしい
白乃雪「あたりのキッチン!」も多分好きだと思う、あとイシヤマアズサのエッセイ漫画シリーズも
山田怜「鳴沢くんはおいしい顔に恋してる」、鷹野久「午後3時 雨宮教授のお茶の時間」もよかったし多分好きそう
上村五十鈴「雑貨店とある」も良い、真造圭伍 「ひらやすみ」も出てくるごはんがいちいちおいしそうなのでおすすめ
山田可南「澤飯家のごはんは長男の光がつくっている。」、ふじつか雪「トナリはなにを食う人ぞシリーズ」は気軽に読めて家で作れるレシピが結構載ってる
高橋しん「髪を切りに来ました。」は厳密にはグルメ漫画ではないけど食が重要な要素としてあって漫画としてすばらしいし、おいしそうな沖縄料理が作れるレシピがいくつか入ってる
しかしなんでこの漫画が紙の本で売れないのか全然理解できない、最高なので電子でもなんでもいいので買ってほしい
高橋由佳利「トルコで私も考えたシリーズ」はエッセイ漫画だけどトルコ料理のレシピが載ってて楽しい
南Q太「POP LIFE」は作品も作中のごはんもおいしそうでよかった
小池田マヤ作品は全般おすすめだけど、「女と猫は呼ばない時にやってくる」から続くシリーズはかなりおいしいもの家でマネできてよかった、とんぶりの使い方とか
流水りんこ「流水りんこの南印度は美味しいぞ~!」「働く!!インド人 印度定食屋繁盛記」は「インド夫婦茶碗シリーズ」を読んでなくてもまあまあ楽しめてインド料理を知れる楽しくてうまそうな漫画
上の方のトラバで出てるけど銀平飯科帳はマジで面白いので私もおすすめ
あと「いつかティファニーで朝食を」を読んだならぜひ「創太郎の出張ぼっちめし」も読んでみて
まだ思い出せそうだから思い出したら書いていくね
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思い出したやつで好きそうなやつ↓
西川魯介「まかない君」
水凪トリ「しあわせは食べて寝て待て」
魚田南「はらへりあらたの京都めし」
あとこれはpixivなんだけど窓口基「サイバネ飯」は最高なので読んでください kindleでもあったかも
ttps://www.pixiv.net/user/15033/series/2584
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「鍋に弾丸を受けながら」は誰かブクマカが絶対紹介するからいいだろと思ったけど面白いので読んだ方がいい、紙の描きおろしが最高だし読んで損はないので紙で買ってください
昔、10代の頃読んだ高橋しんの最終兵器彼女のあとがきに「人にはこういう物語が必要な時期があります」というようなことが書いてあった。「だから必要が無くなった人は古本として売るなりして他の必要な人に渡してください」という意味のことも書いてあった。当時はそんなもんかとしか思わなかったけど、今から思えば割とその通りだなって思う。
くっさいくっさいサブカル盛り合わせウニイクラ牛肉巻きもそういうことなんだろうな。俺はもう十分歳をとってしまったので最終兵器彼女もゲボ吐きそうなサブカルもいらないんだけど、その時々のその作品で「そういう概念」に初めて触れる若い子が常にいる。クセェと感じる感覚器官がまだ未発達な子たちが。
その子達も大人になればくせえーーーッてなって青春の思い出あるいは黒歴史になるんだろう。それを分かっててベッタベタなサブカル中2海鮮丼を狙って作り続けてる人達はすごいなと思う。
知名度、後世への影響、漫画史的意義などを独断と偏見で考慮した上でサブカルくそ野郎フィルターで濾した二番煎じを俺も作ってみたぞ増田ァ
成熟時代になれば「実存的虚無感」を感じることは必然です。成長時代のように、消費や所有に幸せを感じられなくなっていますし、生きることに困っている人がいません。生きることに精一杯で、明日死ぬかもしれないのであれば、私達は悠長に生きている意味など考えていられないでしょう。成熟時代を生きる私達は、生死を脅かされる不安がないから悠長に実存的虚無感に悩むことができるのです。実存的虚無感とは、「ここに実体はあるが、中身を伴わない」ことを言います。例えば、平和を望んで戦っていた兵士が、いざ平和の世界を手に入れると、戦いしか知らなかったがために、実存的虚無感に襲われるなどが当てはまります。
ある極限の状態、生死の切迫した事態、そういうものに自分たちが囲まれたとしたら、虚飾や体面をすべてとりはらうことができ、そのときはじめて、ぼくたちのなかから「純粋なぼくたち」が現れ、なんの衒いも、けれんもない「純粋な意思の疎通」ができるはずだ――ぼくらがそんな妄想にとらわれることはなかっただろうか?
一再ならずそう妄想したことのあるぼくは、柴門のこの描写をみて、それが普遍的な観念だと知った。
ぼくらは、現実が現実とは思われないような希薄なリアリティのなかで、コミュニケーション不全の重圧に耐えて生きている。「有事」にかこつけて、純粋の自分を出して、純粋なコミュニケーションをするという「解放」を心の奥底から待ち望んでいるのだ。
だが、だがな。
やっぱりいっとくけど、現実で求められるのは散文的な努力なんだ。
恐怖の正体を理性の目でみきわめること、〈私〉と〈世界〉を論理=歴史によってつなげること、そうやってはじめて、おれたちは離人症的な朦朧さから解放されるんだ。リアリティももてるんだ。
これを宗教的分類へ当てはめれば、「内在系」タイプは“幸せになりたい!”的な「利益祈祷型」の宗教(宮台氏の言葉では「行為系宗教」)に惹かれ、「超越系」タイプは“ここはどこ?私は誰?”的な「意味追求型」(「体験系宗教」)に惹かれます。
戦後日本社会は高度成長で都市化が進行し、そのなかで「利益祈祷的」な(全体性の)「埋め合わせ」が求められましたが、ある程度豊かさが実現して郊外化が進むと「意味追求的」な(全体性の)「埋め合わせ」が求められるようになります。(全体性についての詳しい説明は省略します。)
家族や地域の豊かになると信じられるから、都市化や郊外化が肯定されるのですが、日本の場合良し悪しを判断する基準は西洋キリスト教的な「個人」ではなく、「生活世界」に所属している「我われ意識」です。したがって「ここではないどこか」(世界)を希求せず「ここ」(社会)を安定して志向できるには「生活世界」への共属意識が必要だと宮台氏は考えました。
「都立大助教授・宮台真司氏が言っている「サンス(意味)よりアンタンシテ(強度)を!」という言葉の意味、原典を紹介しているサイトか、宮台氏の著書を教えてください。」より
操縦すると死ぬロボットに乗る漫画。読後は爽やかな気分だった。
確かに女子中学生がレイプされて妊娠したとか、父親が失踪して代わりにバイトして三人の弟と妹を育ててた兄貴が明日遊園地行こうねって決めた瞬間戦闘が開始したり。
でもそれはごく一部で、何も知らずに死んでいった二人を除けば、生まれてくる弟のため、心臓病の幼馴染にフルマッチの自分の心臓を移植するため、兄と兄の母親のためと、死に対して前向きなストーリーの方が多かった。
同作者の作品。ミミズジュースとかのり夫とかで話題になってた。
いじめのシーンでミミズジュースは確かにあったし胸糞悪いとは思ったけど、すぐに皆殺しにされてるし、のり夫も同性愛者で愛する男を守るためにバラバラに解体されても一切弱音を吐かずにいたわけだし。
最後に主人公の母親は銃殺され、友人は病院の窓から突き落とされ、政府関係者も犠牲者遺族に包丁で刺されて死んで、地球丸ごとリセットされるけど、鬱になるほどじゃなかった。
金に困って闇金に金を借りてずぶずぶと堕ちていく債務者たちがたくさん出て来る。
無関係な一般人が巻き込まれはするものの、殆どが下らない見栄のためだとか、ニートだとか、犯罪に手を出してお金が無くなったとか、同情の余地が無い人間ばかり。
彼女が戦争を終わらせるための兵器となってどんどん人じゃなくなっていく話。
設定的に好きなジャンルだと思ったけど、彼氏側がなんだか情けなくてあまり。
まあそんな状況になればそう思うんだろうけど。
最終的には結ばれるし、これが鬱漫画って呼ばれてる理由が分からなかった。
世界が滅んでも好きな人が居るなら良いとかそういう漫画だと思うんだけど。
いじめで家族を殺すまでされた女の子がいじめっ子に復讐する話。
胸糞悪い展開にして殺せばはいオッケーみたいな軽さ。
今むしょうに読みたいと思っているのが、ヨコハマ買い出し紀行のようなマンガか小説。
ような~、と言ってもいろいろだけど、
何かないかな?
(7/24追記)
わかりにくい例や条件で申し訳ありませんでした。たくさんのトラバ、ブクマ嬉しいです。ありがとうございました。
「地球を丸ごとぶっ壊す物語って知りませんか?」関連の
トラックバックとブックマークコメントで言及されたもの、自分で言及したものをまとめました
情報を提供してくださった皆さんと、場所を提供してくださった株式会社はてなさんに感謝します
ありがとうございました
あああああああああああああああああああああ面倒くさかったああああああああああああああああああ
誰かに面倒くさいこと軽い気持ちで押し付けて平気な顔してるやつが大嫌いなんじゃあああああああああああああああ
感謝なんかしてねえくせに軽い言葉で済ませようとする奴が大嫌いなんじゃあああああああああああああああああああああああ
そこのお前じゃお前えええええええええええええええええええええええええええええええ
二度とこんなことやりたくないです