はてなキーワード: 1994年とは
2017/06/26
2016年12月20日、日本のテレビ東京系のテレビ番組「開運!なんでも探偵団」で「衝撃的なニュース」が報じられた。番組始まって以来最大の発見として、世界で4個目となる中国宋時代の陶器「曜変天目茶碗」が発見されたというのだ。番組の中で、日本の著名な美術鑑定家の中島誠之助氏は、「12~13世紀の中国南宋時代に福建省の建窯で焼かれた『曜変天目』に間違いない」と述べ、2500万円の価値があるとした。
「曜変天目茶碗」は中国の宋時代に作られ、その窯は建窯と呼ばれた(歴史的には建陽窯とも呼ばれる)。現在の福建省南平市建陽区水吉鎮にある。この茶碗は釉薬が焼成の過程で流れ落ちて厚く溜まり、一部は凝集して滴を作る。この滴の周囲で特殊な窯変反応が起き、七色に輝く光彩を生じる。その輝きはまるで夢幻かあるいは変化する気象のようで、色鮮やかな霞をまとっており、神秘の小宇宙に輝く星空のようだ。この種の茶碗が焼けるのは極めてまれな偶然によるもので、一説には窯変過程でこのような効果が生じるのは数百万個に一個ほどと言われる。現在世界に存在する完全な「曜変天目茶碗」はわずか3個で、東京の静嘉堂文庫、京都の大徳寺龍光院、大阪の藤田美術館が所蔵し、すべて日本の「国宝」に指定されている。中国には現在「曜変天目茶碗」の陶片が1点あるのみだ。
天目茶碗は宋代に制作され、その生産は元時代の初期まで続いたが、以後は二度と作られていない。中国では明や清の時代に曜変の再現が試みられたが成功しなかった。日本では江戸時代から再現が試みられており、美濃や瀬戸で「白天目」などは生産されたものの、「曜変天目茶碗」の再現には至らなかった。1974年、日本の化学者安藤堅は48歳で、それまで定収入が得られていた仕事を辞め、高級住宅も売却して「曜変天目茶碗」を再現するための研究を始めた。彼は貧困の中で困難な研究を続け、ついに1977年に古代の「曜変天目茶碗」に似た最初の作品を焼くことに成功した。安藤に続いて、日本の陶芸家の林恭助、桶谷寧、長江惣吉や中国の人間国宝(国家級非物質文化遺産建窯代表性伝承人)である孫建興らが曜変に似た作品を作っている。
番組の放送後、徳島県教育委員会はこの茶碗を県文化財に指定するための調査を計画した。
しかしここで、日本の陶芸家や専門の研究者から「曜変天目茶碗である」という番組の鑑定に対して疑問が投げかけられた。愛知県で古くからの窯が多い瀬戸市に住む陶芸家の長江惣吉氏は家業の陶工を継ぐ9代目で、父親の曜変天目研究を継承している。彼は父の業績を引き継ぎ、「曜変天目茶碗」の再現に一定の成功を収めた。1996年以来、中国を28回も訪れて建窯の研究を行っている。中国では中国科学院上海珪酸塩研究所と連携して陶磁器の国際研究会にも参加し、中国の陶磁専門家に友人も多い。中国古陶磁の再現についても意見交換を行っている。その長江氏が番組に異議を唱えたのだ。彼はインターネットで、福建省周辺で作られた「曜変天目茶碗」の複製品を購入し、これが番組の認定した「曜変天目」と出所が同じだと考えている。
「この茶碗には顔料(スピネル顔料)が使われています。この顔料はヨーロッパで18世紀に発明されたもので、曜変天目が作られた宋代(12~13世紀)には存在しません。ですから、こういった顔料が宋代の茶碗に使われることはありえません。この顔料の主な成分は、化学的に製造されたコバルト、クロム、セレン、カドミウムです。これらの元素が多く含まれていれば、例の茶碗を分析すれば各々の顔料部分からこれらを検出できるはずです。これらの元素は完全に天然原料から作られた当時の建盞には全く含まれません。仮にこれらの元素が天然原料に不純物として含まれていたとしても、その量は 0.01% 程度にしかなりません」
「曜変の光彩はオパールのように、見る角度が変わると光彩も変化します。非常に美しく、人を魅了するものです」
「いわゆる「曜変」という言葉の意味は、輝きが変化するということです。(長江氏がネットで購入した茶碗を示しながら)しかしこの茶碗は、単に青・緑・赤の顔料が発色しているだけです。この種の茶碗の場合、釉薬の成分(リン酸)の関係で、顔料釉と白濁釉にわずかな光彩が出るのみです。曜変の明るい光彩とは比べ物になりません。私がネットで買った茶碗を番組の茶碗と比べると、赤色の内側部分がよりはっきりしていて白い部分はありませんが、これは顔料で描くときの方法の違いや白濁釉と顔料の濃淡の違いによるもので、実際のところはどちらも同じですよね?」
長江さんは後で筆者に述べた。
「あの茶碗は中国の福建ではどこでも見られる商品です。「曜変天目茶碗」に似ていると言う人もいるかもしれませんが、これは偽物として作られた物ではなくただの商品で、非常に安い値段で売られています。番組の中でテレビ東京はあの茶碗を宋代に作られた「曜変天目茶碗」だと説明しましたが、これは「鹿を指して馬だと言う」ようなものでしかありません。」
中国陶磁史と中国陶磁考古学の分野で世界的な影響を持つ権威である沖縄県立芸術大学教授の森達也氏も、筆者の取材に対してこう述べた。
筆者がその理由を尋ねると、森達也氏は以下のように述べた。
「1. 日本国内には3個の「曜変天目茶碗」があります。私は杭州で出土した「曜変天目茶碗」の破片も手に取って見たことがあります。「曜変天目茶碗」の外側にはテレビ東京の番組の茶碗のようなはっきりした模様はありません。
2. テレビ東京の番組の茶碗に見られる模様は雲のようですが、これは曜変天目の模様とは全く異なります。本物の「曜変天目茶碗」の模様は白くて丸い斑紋で、その周囲には虹のような色鮮やかな光芒が出ています。
3. テレビ東京の番組で鑑定された「曜変天目茶碗」には、茶碗の底に「供御」という二文字があります。確かに建窯の窯跡では「供御」と書かれた陶片が見つかっていますが、割れていない完全な陶磁器でこの二文字が刻まれたものは世界中で一つも見つかっていません。模倣品でこの二文字を刻んだものは数多く存在します。テレビ東京の茶碗は本物の「曜変天目茶碗」とは全く異なるものですが、最近中国で流行している模倣品とは非常によく似ています。」
「テレビ番組としては劇場的な効果さえあればよく、科学的な研究は要らないのです。あの茶碗が日本の3点の国宝と同じであるなどというのはナンセンスな話ですが、陶磁器科学の研究を行っている人々からすればこれは非常に残念なことです。」
この論争は中国にも広がっている。中華陶磁芸術設計大師の資格を持ち、国家級非物質文化遺産建窯代表性伝承人(日本の人間国宝に相当する)でもある建窯陶磁研究所所長の孫建興氏は、「曜変天目茶碗」を再現し建窯を再び曜変の産地とする事業に40年にわたって取り組んでいる。彼はこれまでに黒釉の天目茶碗や黄(赤・青・金・銀)などの兎毫盞、異毫盞、虹彩(金縷、白点)、鷓鴣斑、鐵銹斑、毫変、国宝油滴、金(銀、虹彩)油滴、黄天目、蓼冷汁、灰被、玳瑁、柿紅、虹彩、金(銀)彩文字、木葉、窯変、曜変天目などの一連の作品を作ってきた。彼が長江惣吉氏に送ったメールで、彼は述べている。
「これは曜変の偽物で、現代に焼かれたものです」
筆者も電話で孫氏と長時間話をした。彼は筆者にこのように述べた。
「テレビ東京で放送された茶碗はせいぜい数年前に作られたものです。」
新聞や雑誌で真贋論争が過熱した後、この「曜変天目茶碗」の所有者は茶碗を奈良大学文学部文化財学科教授の魚島純一氏に渡し、分析を依頼した。魚島教授は蛍光X線装置を用いて茶碗表面の色の部分を分析した。
魚島教授は物質に含まれている元素を検出できる蛍光X線分析装置で、茶碗表面の各色にX線を照射して元素の種類と量を測定した。その結果、アルミニウムなど10種類の元素を検出したが、化学顔料に使われる元素については発色に影響しないほどわずかな量しか検出されなかった。
魚島教授は述べている。
「X線分析の結果、表面のどの色の部分かによらず、検出成分はほぼ同じであった。このことから、茶碗に使われている釉薬は1種類であると考えられ、この分析結果からは茶碗が偽物であることは断定できない。」(《德島新聞》,2017年2月28日)
一方、長江氏は筆者に対して次のように述べた。
「魚島教授は、釉薬の発色に影響するだけの量が検出されなかったため、判断ができないと言っている。であれば、魚島氏は最低限どれだけの量が含まれていれば発色に影響するのかを具体的に言った上で、分析の結果その最低量を下回っていたことを示さなければならない。しかし、魚島教授のデータには下限値の数値も書かれていないし、彼が分析で得た数値も書かれていない。よって彼の判断には根拠がない。」
日本の複数のメディアの報道によれば、その後、茶碗の所有者から茶碗についての資料が提供されないため、徳島県は文化財指定のための調査を中止した。
私自身、「開運!なんでも鑑定団」は好きな番組だ。自分も中国の古陶磁を蒐集しており、骨董の鑑定について10年近く独学で学んでいる。浅学ながら陶磁器の本や文章なども執筆してきた。私は中島誠之助さんの陶磁器鑑定、特に日本の陶磁器鑑定については相当の経験をお持ちで深い造詣を有していると思っている。
だが、中島さんと彼の鑑定についてはともかく一般論として、一人の鑑定士の鑑定範囲が日本だけでなく海外をもカバーして、なおかつ正確であることを求められるというのは、鑑定士にとっては間違いなく一種の冒険と言ってよい。陶磁器は全世界に存在し、最古の陶器は数万年以上の歴史を持っている。一人の鑑定家が古今東西全てについて完全に判定できて一度も間違えないなどということが可能だろうか? 一度間違えればその後も間違いの危険は存在するのだ。
「荘子」で述べられているように、「吾が生や涯(かぎり)有り、而(しか)も知や涯無し。涯有るを以て涯無きに随(したが)うは、殆(あやう)きのみ」(我々の人生は有限である。しかし人間の知は無限だ。有言の身で無限のことを追い求めるのは危うい)なのだ。
このことは、最も権威ある陶磁器研究者であっても忘れてしまうことがある。例えば、1959年、国際的に知られた陶磁研究の専門家で日本陶磁研究の第一人者でもあり、当時日本の文部省の技官として文化財専門審査会委員を務めた小山富士夫氏が、「永仁の壺」と呼ばれた陶器を日本の重要文化財に指定するよう強く推薦したことがあった。これを受けて同年6月27日、文部省は「永仁の壺」を鎌倉時代の古瀬戸作品であるとして重要文化財に指定した。
その後、日本の有名な陶芸家であった加藤唐九郎が海外に渡航した際に、唐九郎の息子である加藤嶺男が「いわゆる「永仁の壺」は自分が作った」と述べた。唐九郎の帰国後、彼はメディアが大騒動になっているのを目の当たりにした。1960年9月23日、唐九郎は「永仁の壺」は1937年に自分が作ったものであることを認めた。(真の作者が誰であったのかについては異なる見解がある。)「永仁の壺」が本物である証拠は、古瀬戸の「松留窯」で発見された陶片が「永仁の壺」の胎釉と一致するという点にあったが、実は「松留窯」自体が加藤唐九郎による捏造で、陶片も彼が偽造したものだった。
このようにして、「永仁の壺」を含む重要文化財3点が指定取り消しとなり、小山富士夫は委員会を辞職した。ゆえに、賢明な鑑定家は誰であれ、古物の鑑定には、異議の申し立てが容易に行えるように、議論の余地を残しておかねばならないのだ。
私は中島氏の鑑定が間違っていたと言っているのではない。第一に、私はこの分野の専門家ではない。この件で私が真贋を判断するのは無意味だ。第二に、厳密にいえば、文物の鑑定とは考古学、歴史学、美学、自然科学にわたる総合的な学問である。全面的に、かつ正確に古代の文物の年代を特定・鑑定する厳密な科学的方法は存在しない。言い換えれば、こういった議論で100%の是非を決める結論を得るのは難しい。
筆者は言いたい:このような重大な鑑定では、もっと広く意見を求めるべきだったのではないか?
確かにテレビ番組では、科学研究の場合のように「この品物が疑わしい」と言うのは難しいことだ。しかし、結論を出すのが難しい文物、特に「鑑定団史上最大の発見」といった結論や、「現存4個目の中国宋代の陶器「曜変天目茶碗」」のような鑑定については、中国建窯の専門家と日本の権威ある専門家の意見を求めるべきではないだろうか。筆者はテレビ東京の番組担当者に、この論争についての意見を求めて何度も電話をかけ、メールを送った。しかしこの原稿を執筆している時点では、彼らからの返答はない。「週刊ポスト」の報道によれば、この件についてのテレビ東京の見解は以下の通りだ。「鑑定は番組独自の見解であり、お答えすることはございません」(《週刊ポスト》,2017年6月23日,146頁)
だが、もしもっと広く意見を集めることができたら、例えば中国で初めて建窯の陶磁器の再現に成功した前述の孫建興氏のような専門家の意見を求めてはどうだろうか? 彼の「曜変天目」に関する研究と実験は非常に深いものだ。彼は考古学、鑑定、科学実験の各方面に非常に造詣が深い。こういった人々の意見には重みがあると言えないだろうか。もしテレビ東京がこのような人々にもっと意見を求めるようにすれば、論争は減るのではないか?
もう一つの問題は、文物の鑑定に自然科学が介入するという話だ。実際、今のところ文物を科学的に鑑定する完璧な方法というのは存在しない。多くの人が挙げる放射性炭素年代測定法は、自然界に存在する炭素14という同位元素を使ってもともと生きていた動植物の年齢を決める放射年代測定法だ。動植物が生きている間は生物の新陳代謝によって生体内の炭素14の量は一定に保たれる。生物が死ぬと体内の炭素14は崩壊して減り続ける。だが磁器・陶器・青銅器などは無機物だ。しかも時代の古い文物の場合、炭素14年代測定では年代の上下の誤差が大きい。一方で、1000年から2000年前という比較的新しい歴史的文物の場合、基本的には炭素14鑑定は使えない。
また、熱ルミネッセンス法と呼ばれる鑑定方法もある。陶磁器が焼かれるときに500℃以上に加熱されると、外部から吸収した輻射エネルギーが放出される。その後、焼成から年月が経つと、年月の長さに応じた量の輻射エネルギーを再吸収していく。熱ルミネッセンス法の原理は、古陶磁の内部に蓄えられているこの輻射エネルギーの量を計ることで年代を測定するものだ。誤差範囲は一般的に±20%程度で、相対的には正確な方だ。
しかしこのような報道もある。
「数年前、北京の二つの有名な博物館がそれぞれ六朝時代の陶器を古物市場で20万元で購入したが、後にそれらがすべて贋作であることが判明した。これらの品は河南省の某博物館の下で作られたアンティーク工芸品であったが、なぜこれらが北京の潘家園旧貨市場に流れたのかは分かっていない。ある古物の専門家が古物市場を訪れ、そこで売られている品物を熱ルミネッセンス法で調べると、約1600年前という測定結果が出た。そこで誰もがそこの品物を買った。買われたことが知られると、同じような品物が古物市場にどんどん出現した。そこで国家文物局がすぐに公安部に通報した。公安部の担当者は、「墓が荒らされて大量の遺物が盗まれる事件が発生している」と説明した。警察が現地に到着すると、地元の住民が自宅で贋作を作る作業をしているのを発見したという。彼らは六朝時代の墳墓から盗掘したレンガを削って粉にしていた。この粉を贋作に使えば、熱ルミネッセンス法にかけても墳墓の中で長年溜め込んだ輻射を出すので贋作を判別できなくなる。また彼らは、こうして作った粉で六朝陶器を偽造するための特別な装置も使っていた。このようにして、熱ルミネッセンス法での検査は失敗してしまうのだ。」 (《鑒定家VS造假者》,新華網,2005年03月15日)
魚島教授が蛍光X線分析を用いた点に関して、森達也教授は私に述べた。
筆者は魚島教授にも、蛍光X線検査について質問を行った。彼は言う。
「私はあくまでも顔料部分の元素を調べる目的でこの装置を用いました。私が調査結果を発表した際に、茶碗が偽物であると考える人たちから非難を受けましたが、私は真贋鑑定をしたわけではありません。」
筆者:
―― それはつまり、あなたの検証結果は、この茶碗には18世紀以降の顔料は使われていない、ということですよね。
魚島教授:
「それは新聞がいい加減に書いていることです。私は18世紀以降云々といったことは言っていません。私はただ、現代のものと考えられるような種類の顔料は検出されなかった、と言っているだけです。」
筆者:
―― 言い換えれば、18世紀以降に発明された化学顔料は使われていなかった、ということですよね?
魚島教授:
「これらの顔料が使われているから茶碗は偽物なのだと主張する人々もいますが、私はただ、そのような顔料は検出されなかった、と言っているだけです。私は陶磁器鑑定の専門家ではありません。あの茶碗が偽物だと主張する人々は、化学顔料の元素が茶碗に含まれているはずだ、と言っています。私は単に、その元素があの茶碗に本当にあるかないかだけを調べたのです。どの時代に作られたものか、という調査をしたのではありません。ただ、あなた方が言っているような元素はありませんでした、と言っただけです。」
筆者は質問した。
―― 例えば、もちろんこれは(例の茶碗のことではなく)仮定の話ですが、誰か現代の人間が、今回指摘されたような元素を含む現代の化学顔料ではなく、昔の顔料を使って茶碗を作ったとしたら、あなたの検証方法では今回と同じような結果が出ますか?
魚島教授:
「その可能性はあります。」
しかしながら、中国では古代の陶磁器を偽造または模造する際に化学釉薬を使うことは多くない。中国の多くの地方には陶磁器の偽造工房があり、こうした工房の多くには専門技術を持った人間がいるわけではない。地元の農民が、数千年間にわたって埋まっていた陶土を掘り出し、古代の方法で焼いているのだ。匿名で語ってくれた、中国で著名な建窯の研究家や考古学者、鑑定家たちが筆者に述べたところでは、現在中国には建窯産品のコピー品工房が1600以上存在する。その多くは偽造品を作りたいわけではなく、単にアンティーク風の品や旅行土産を製造するのが目的だ。もちろん中には偽造品の製造を目的とする人々もいるが、偽造品の製造方法はどこにでもあるような手法だ。科学的な鑑定が困難になるように、古い器の底の部分だけを新しい器に接合したり、古い胎土に新しい釉薬を使ったり、古い胎土に古い釉薬を使ったり、その他いろいろな方法を使っている。
このことは、古物鑑定が文化や歴史年代、改竄や継承といった問題と関わっていることを示している。加えて社会的な影響や国際的な影響も大きい。今回の鑑定やテレビ東京の件は別にしても、日本の博物館や歴史研究部門では、中国の文物を鑑定する際に同じような問題に直面しているはずだ。それゆえ、重大な結論に至るような場合には、我々は注意深くなる必要があり、広く意見を求めるべきなのだ。
張石 略歴:
1985年、中国東北師範大学外国語言文学系研究所卒業、修士号を取得。1988年から1992年まで、中国社会科学院日本研究所助手研究員、 Permalink | 記事への反応(0) | 00:35
低音でドスの効いた声を活かした男臭い男役が多い。中堅悪役やチンピラ、ヤクザといえばこの人というイメージが強い。
低音とのギャップを活かしたハイテンションなオカマ役も多くこなす。噂では二丁目で働くアニメ好きの方々に大人気だったらしい…。
近年ではマイティ・ソー、ジョジョ、僕のヒーローアカデミアへの出演から正義役のキャラクターを演じることが多くなってきている。
落ち着いたバリトンボイスから男臭い男役が多い。頼れる兄貴分から正義、クール、チンピラ、荒くれ者など演じる幅は広い。
特撮愛が物凄く、自身が演じたデカマスターへの愛は異常。ディケイド以降は仮面ライダー1号の声を担当し、映画『仮面ライダー1号』では本人と対面したことをラジオで語っていた。緊張したらしい。
男臭いおっさん声ながらシリアス、コミカル、クール、オカマと広い芸風を持ち洋画吹き替えから国産海外問わずアニメまでこなすベテラン。
80年代前後の24時間テレビのメインテーマは、必要な支援は何かということを明確化していた。
気持ち悪さはあまり感じない。むしろ誠実さや実直さといった、プラスのイメージを抱くテーマである。
回数(放送年) | メインテーマ |
---|---|
第1回(1978年)・第2回(1979年) | 寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を! |
第3回(1980年) | カンボジア・ベトナム・ラオスの難民のために! |
第4回(1981年) | アジア・アフリカの障害者のために!国際障害者年記念 |
第5回(1982年) | ストップ!ニッポン姥捨て時代! |
第6回(1983年) | 君の地球のボランティア!アフリカ飢餓緊急援助!世界コミュニケーション記念 |
第7回(1984年) | この地球の未来は子どもたちのもの! |
第8回(1985年) | アフリカ飢餓救援 |
第9回(1986年) | 寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!そしてアジア・アフリカの飢えた子どもたちのために! |
第10回(1987年) | SAVE THE CHILDREN |
第11回(1988年) | 君は地球のボランティアお年寄りに在宅福祉を、障害者に社会参加を! |
第12回(1989年) | アジア・アフリカの子どもたちに海外援助を! |
第13回(1990年) | 地球を救え!10年計画 |
第14回(1991年) | 雲仙・普賢岳災害救援!寝たきりのお年寄りにお風呂カーを!障害者に社会参加を!アジア・アフリカに海外援助を! |
90年代ごろ、何が必要な支援かということがメインテーマから消えた。
その代わり、メインテーマが薄っぺらい美辞麗句だけで構成されるようになった。
個人的にはポジティブの押し売りみたいな薄気味悪さを感じるし、一抹の気持ち悪さすら感じる。
回数(放送年) | メインテーマ |
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第15回(1992年) | 愛の歌声は地球を救う |
第16回(1993年) | 出会い |
第17回(1994年) | チャレンジ! |
第18回(1995年) | もう一度、チャレンジ |
第19回(1996年) | ONE LOVE〜つなげよう!ひとつの愛〜 |
第20回(1997年) | 勇気を出して |
第21回(1998年) | いま、始めよう |
第22回(1999年) | 伝えたい…夢のちから! |
第23回(2000年) | がんばる…君のために! |
第24回(2001年) | 家族って何? |
第25回(2002年) | 家族で笑ってますか…? |
第26回(2003年) | あなたを一番愛する人… |
第27回(2004年) | あなたの夢はみんなの夢 |
第28回(2005年) | 生きる |
2000年代の中ごろ以降、メインテーマは90年代以降の薄っぺらい美辞麗句路線を維持しつつも、
本来漢字やひらがなで表記すべきところを意味もなくカタカナで表記(キズナ・キセキなど)したり、
一般受けしやすい単語(絆・愛など)に薄っぺらいポエムをドッキングさせたりしている。
回数(放送年) | メインテーマ |
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第29回(2006年) | 絆(キズナ)〜今、私たちにできること |
第30回(2007年) | 人生が変わる瞬間(とき) |
第31回(2008年) | 誓い〜一番大切な約束〜 |
第32回(2009年) | START!〜一歩を踏みだそう〜 |
第33回(2010年) | ありがとう〜今、あの人に伝えたい〜 |
第34回(2011年) | 力(ちから)〜わたしは、たいせつなひとり。〜 |
第35回(2012年) | 未来 みらい |
第36回(2013年) | ニッポンって…?〜この国のかたち〜 |
第37回(2014年) | 小さなキセキ、大きなキセキ |
第38回(2015年) | つなぐ〜時を超えて笑顔を〜 |
第39回(2016年) | 愛〜これが私の生きる道〜 |
第40回(2017年) | 告白〜勇気を出して伝えよう〜 |
数十年もの間、毎年数億円単位の募金を集め、それを社会福祉のために役立てている24時間テレビの存在には頭が下がる思いだ。
そういう実績がある以上、今後も続けていくべき番組だろうとは思う。
1992年(第71回大会) | 江の川 | (初出場) |
1993年(第72回大会) | 江の川 | (2年連続2回目) |
1994年(第73回大会) | 江の川 | (3年連続3回目) |
1995年(第74回大会) | 江の川 | (4年連続4回目) |
1996年(第75回大会) | 江の川 | (5年連続5回目) |
1997年(第76回大会) | 江の川 | (6年連続6回目) |
1998年(第77回大会) | 江の川 | (7年連続7回目) |
1999年(第78回大会) | 江の川 | (8年連続8回目) |
2000年(第79回大会) | 江の川 | (9年連続9回目) |
2001年(第80回大会) | 江の川 | (10年連続10回目) |
2002年(第81回大会) | 江の川 | (11年連続11回目) |
2003年(第82回大会) | 江の川 | (12年連続12回目) |
2004年(第83回大会) | 江の川 | (13年連続13回目) |
2005年(第84回大会) | 江の川 | (14年連続14回目) |
2006年(第85回大会) | 江の川 | (15年連続15回目) |
2007年(第86回大会) | 江の川 | (16年連続16回目) |
2008年(第87回大会) | 江の川 | (17年連続17回目) |
2009年(第88回大会) | 江の川 | (18年連続18回目) |
2010年(第89回大会) | 石見智翠館 | (19年連続19回目) |
2011年(第90回大会) | 石見智翠館 | (20年連続20回目) |
2012年(第91回大会) | 石見智翠館 | (21年連続21回目) |
2013年(第92回大会) | 石見智翠館 | (22年連続22回目) |
2014年(第93回大会) | 石見智翠館 | (23年連続23回目) |
2015年(第94回大会) | 石見智翠館 | (24年連続24回目) |
2016年(第95回大会) | 石見智翠館 | (25年連続25回目) |
※2009年校名変更
尚、出場校は2校(1回戦が決勝)の模様
週末に親切な大人と会話する機会があったので聞いてみたが、車文化にしろバイク文化にしろ、一回ボロボロになったのは珍○団といったクソどものせいだと嘆いていた。
私が小学生高学年以来当時趣味の1つにしてた鉄道趣味が滅びつつある理由がまさにそれなんだよ。
無秩序に人口が増えたせいで暗黙の了解が崩壊した、珍カスならぬDQNがオタク名乗りをするようになって、やがて自治がうまくいかなくなった結果、
一般人から企業もろとも白い目で見られるようになり、結果、趣味が衰退していっている。
2000年代前半にはすでにそういった問題が起きていて、2010年代の特に東日本大震災以降の車・バイクのオタク消費旋風が引き金になって鉄道趣味はひどく腐敗した。
話変わるけど、私の小学校時代で今住んでいる神奈川の北東部に引越す前の大阪・高槻在住時代の思い出を思い出そうと思う。
友人から忘れるように言われたので覚えていないが、今や引越し後とは比べ物にならないように貧しかったのかよく家に引きこもっていた。
1994年以前と言う(私が今年で32才になるから)あまりに昔のことなのか、引きこもり時代の趣味について漫画・小説とアニメ以外覚えていない。
実は両親は以前からつい何年か前まで共働きで、父親は地方公立大卒業の中堅か底辺の作家で、引越し後はつい数年前前後まで公務員(定年退職)だった。母親は準勝ち組的な職業(定年退職かつ無転職)だったが、いい大学の卒業生とは思えないほどのスケバンか不良体質で、男勝りの性格なのか偏差値のいい高校に通っていたときでさえいじめられていたこともある。(無論、不良になったり、なんとか院のお世話になったこともない)ちなみに転校はしていないと言う。
事実、小学生時代にまともなドラマの代わりに不良・アウトローもののアニメやドラマのビデオを一家全員で見ていたりしていた。内容は決して小学生に見せるべきものでなかったと思う。父親も内心呆れていたのではないだろうか。
記憶違いもあるかもしれないが、家にある当時の手記を読む限り、2000年代の価値観でもオタクといえるほどに一家全員がサブカルにはまっており、ゲームやオタク向けアニメなんかは神奈川に引っ越した直後から見ていたと思う。
私や妹(1才違い)の幼少期と青春時代もそれで、まともな大学かつ偏差値の低くない高校(ちなみに小学校や中学校の偏差値はかなり低かったと思う)を出た人とは思えないほど中高生時代はある意味やさぐれており、中二病とかこじらせるような年代とかになれば同級生や学校に隠れて所謂不良やギャルサーと交際していたりもしていた。(一方的に偏見を持たれた母親とは違って私と妹の場合は中学生や高校生時代の不良によるいじめに便乗したのに何も咎められていなかったというのが不思議。乗り気でなかったから救われたのか?)
ちなみに、私は数年前に自ら当てたギャンブルの当たり金(両親側も過去に大金を当てたにもかかわらず)を巡って家庭内トラブルになり、お金と引き換えに住む家を追い出されている。初めは1キロしかその家とは離れていなかったが、旧年の年の瀬に両親側がURに転居したようで5キロも離れてしまったようだ(別居しているだけであって、帰ってくるのは問題ないようだ)
このブログではこのニューゲートの裁判をネットに転がる資料の調査であるが、これを調査した結果極めて重大な疑惑が存在することが判明したのでこれを報告して広めるために記述した
ニューゲート事件は2014年5月にSOD専属女優としてデビューした香川ルリカは実は前月に藍原佐理衣として二重にデビューしていた。これに怒った事務所ニューゲートが違約金を求めて訴えた裁判を、PAPSとHRNが拾い、AV出演の強要というありもしないでたらめをでっち上げて勝訴した。ところがHRNはこの裁判ででたらめな事実をでっち上げて吹聴し、これを法整備に利用しようと政界にねじ込み、不当な判決(どうみても業界差別)を正当化するために大々的にメディアスクラムをかけた。おそらく2chにも工作し、関係者の住所をさらした。さらにツィッターでも嘘の事実の扇動を行った。これらの疑惑を含む巨大な人権侵害の疑惑の総称である。これをこともあろうにフェミニズムや人権を看板に掲げるヒューマンライツナウが行ったところに真の闇がある。現時点では疑惑としておく。
HRNやPAPSはすべての性行為は女性へのレイプという極めて歪んだラジカルフェミニズムを信奉している。後藤弘子とかがそうだ。このため、刑法の改正にもそれをねじ込むためにもこの事件を利用した。ことごとく歪んだ性概念にもとづくカルトな行動原理でありにより今回のようなことを起こしていると考えられる。本来政治は近づいてはならないレベルだが、現在近づいている。
残念ながらストーカー禁止法でもSNSのストーカー行為というでっち上げられた事実で法改正がなされており、刑法もでっち上げでなされるのではないだろうか。法改正以前に警察が何をしていたのかの分析が欠けている。ところがラジカルフェミニズムは全く事実を事実としてとらえるという基本的な現状認識が欠落しており、こうしたバカげた法律を肯定してしまう。
繰り返し言うが、PAPSはフェミニストと思ってはいけない。それはラジカルで極めて歪んでおり、むしろアンチフェミと同じレベルだ。なぜならミサンドリー(男性嫌悪主義)が入っているからだ。これがログミーの香川ルリカの告白に影響している。男性は理解できない、そういう風に書いているが、女性でも理解できないという発想ができない。HRNもそうだがPAPSは自分たちの考えに合わない女性は排除する(ろくでなし子に対するツィートをみればわかる)極めてカルトだ。一方HRNの伊藤和子も中見里を紹介するほどラジカルに傾倒しており、PAPSと心情は同じだとみることができる。彼女はAVに出演することをそもそも「恥ずかしいこと」と考えている。(クローズアップ現代のツィートで判明)
このように女性の人権など口先にしか過ぎないというのが残念ながら分析した結果だ。
さて、AV強要はいくつかの事例がでてきている。香西咲、くるみんアロマ、ほしのあすか。しかしくるみんアロマを除いてはAV出演を強要されたかもしれないが、実際出演してファンを獲得し、ビデオは一定の売り上げをを収めている。
そして彼女たちの主張は香西咲を除き、ギャラが払われていないから強要になっているというロジックになっている。これに占い師等の洗脳が加わりいかにも強要のようである。しかし、基本的には強要とはいいがたい。なぜならまず民事訴訟してもいないし、刑事事件にもなっていないからだ。これが法の欠缺というのなら、そもそもAVに派遣することが有害業務にあたり、派遣を偽装しているという主張ならば、ギャラの請求もできなくなってしまう。マスコミはこのおかしさを平気で主張しているので、全く法律が理解できていないのではないか。個人事業主は派遣できない。
整理すると香西のケースを含めいまだに不明な点があるが、共通する背景はギャラを不払いという主張だ。しかしこれはAV業界だけではなく、どの業界にもあり得ることだ。これをとりたてて出演を強要されたというのなら、どの業態でも強制労働になる。つまりそうした意味ではどこにでもあるギャラの不払いであり、AV業界だけを出演強要というのは完全な差別であり、人権侵害である。これが理解できない人はレイシストである。つまりAV強要とは架空の概念に過ぎないのだ。
もう一つうがった見方をすると強要という表現をすることで、伊藤和子やHRNはあくまでもAV女優という独立した人格の個人事業主ではなく、ただの労働者というモノとしてしかみていないし、そうなるように仕向けている。このマジックワードが強要なのだ。
この不自然なロジックはHRNの伊藤和子は奴隷労働禁止法を取り入れるという願望をもっており(これは本人がツィートしている)AVはその踏み台なのである。
もう奴隷労働禁止法の目的はAV業界だけではなく、もっと広く不払い賃金を過払い金と同じく過去にさかのぼって請求できるようにすることだと考えられる。この根拠は伊藤和子が何が何でもAV女優を「プロダクションに所属する(奴隷)労働者)」に従っているところからもわかる。リベンジポルノのように扱えというのも損害の算定がしやすいからだ。彼女は共産党と仲がいいが、こんなめちゃくちゃな制度に耐えられるのは大企業だけで、彼女は国家社会主義か独占資本主義をどうも理想としているだけに不思議だ。
いずれにせよ伊藤和子が人権を尊重しているとかいうことは全くない。なぜなら彼女のいうとおりにすれば業界が崩壊してもっとAV女優は悲惨な運命になるからだ。しかし彼女はAV女優はその辺のゴミとしか思っていないので全く気にしない。彼女が「人間」として扱っているのは弁護士、芸能人、自分に都合がいい記事を書いてくれるメディアだけだ。
したがって、今回の件はAV女優ヘイトとビジネスが完全に目的となっている。
HRNが非営利?法律さえ作れば事務所の別の弁護士がやればいいだけで非営利とか手弁当などということばにだまされてはいけない。政府の代わりにAV業界を調査しているのだから、ボランティアだろうと何だろうと正当な批判や疑問に答えないというのは許されない。
@sugibow 弁護士なので年末は事件解決で立て込んでて本当に余裕がない上に、身内が急病で大変なんですと低姿勢に説明しても、電話口で怒鳴り上げて取材協力を迫る記者がいるんですよね。こちらは一円も謝礼を頂いてないのに。— Kazuko Ito 伊藤和子 (@KazukoIto_Law) 2016年12月21日
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どこの社とは言いませんが、ほんとーに嫌なことがあった。
今後、信頼のおけない人の取材は受けないことを固く決意。— Kazuko Ito 伊藤和子 (@KazukoIto_Law) 2016年12月21日
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>
@KazukoIto_Law お察しします…— 香山リカ (@rkayama) 2016年12月21日
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>
さて、この問題の原点となったのは東京地裁判決だ。これは香川ルリカをニューゲートが違約金を求めて裁判をした。ニューゲートは敗訴した。
まず第一になぜニューゲートが香川ルリカに違約金を求めたか。この理由がわからない。
伊藤和子の洗脳に染まった人には理解できないかもしれないが、AV女優の連絡先をプロダクションは把握していない。携帯を変えてしまえば連絡が通じなくなる。そんな世界である。
したがって基本的に違約金を取ろうとしたら逃げられてしまうのである。香川はなぜ逃げられなかったのか。
第二に香川ルリカは判決文によるとギャラが支払われていないと主張している。
しかし、ギャラを請求した気配がない。あくまでも違約金のことしか述べていない。
ここで驚愕の説がある。香川ルリカは同時期にデビューした藍原佐理衣だというのだ。
女優名 | 藍原佐理衣 | 香川ルリカ |
---|---|---|
生年月日 | 1994年10月18日 | 1994年2月10日 |
血液型 | O型 | A型 |
出身地 | 東京都 | 神奈川県 |
身 長 | 158cm | 155cm |
サイズ | B85 W58 H82 | B88 W60 H86 |
趣 味 | - | ヨガ、食べること(笑) |
特 技 | - | ピアノ |
メーカー | アリスJAPAN | SOD(専属) |
プロダクション | プライムエージェンシー | ニューゲート |
その後 | 契約切れも販売中 | 発売中止 |
比較してみると、血液型以外はスリーサイズ、身長、出身地とも似通っている。
以下のブログから2014/05当時藍原になった時点で香川は相当やせていたことがわかっている。
http://ameblo.jp/maru4524gt/entry-11842577002.html
するとAVの撮影からデビューまでは次のような時系列であることがわかる。
香川ルリカとして撮影
何らかの原因で痩せる
藍原佐理衣として撮影
2014/5/9 藍原デビュー(この時痩せているのは上記ブログの写真で明らかである)
そして藍原も3作品をだして引退したようになっているようだ。
こちらについてはAVに出るのがいやだったという主張は全くない。しかも香川はデビューイベントをすべてキャンセルしているため、2014/05に彼女が痩せていたかそうでないかはだれもわからない。そう、香川ルリカ=藍原佐理衣は2014年5月を最後に行方不明になっているのだ。
そうなると、
PAPSJPの香川ルリカの手記
はやはりPAPSのメンバーが勝手に書いたもので、完全なでたらめだということになる。もっとも「口述したものをメンバーが文書化した」ものであるから、香川ルリカが自由意志でしゃべったという保証は全くないので、いくらデタラメを書いてもそういう意味では嘘がない。ただしこれらの文章は全て信用もできない。
>>そして私の場合は、出演する毎に、違約金がとんでもない額になっていきました。それを支払わなければ裁判で負けて本当に支払う羽目になると追い詰められ、最後はAVに出演せざる
>>を得なくなったのです。 撮影のときは、子宮(膣のこと)や性器の痛みを訴えても、メーカーやプロダクションはもちろん監督や女性のメイクさんからも、みんなで白い目でみら
>>れ、「君はやるしかないよ」と言われました。<<
などと書いているが、その後藍原として撮影してAVデビューしているのだからこの辺の記述はまるで信用ができない。また強要したのは誰か。これも曖昧である。彼女はSOD専属女優としてデビューしているだけではなく、さらにアリスジャパンからもデビューしているからだ。しかも内容は似たものが多く、どちらかが特にハードな撮影だったとはいえない。最初がつらければどうして藍原名義で出演したのか。さらに藍原名義の方はなぜ強制されたと言わないのか。この時点でPAPSとHRNの主張は根底から崩れることになる。
違約金をなぜ請求したかは単純で、SODから専属デビューのはずなのに勝手に別名義でAVに出たから以外には考えられないだろう。
というか普通に違約金を取ってもおかしくないが、AVであるがゆえに裁判を打つと負けて取れないのである。理不尽極まりない。
芸能界でいえば、SMAPとしてジャニーズからデビューした中居くんが福山雅治として翌月デビューしたようなもので、通常ありえないことがわかる。
そして香川ルリカがPAPSの被害女性なのは、その前に撮ったDVDの本数、年齢、デビューして販売が即中止になったAV女優がほかにいないからだ。しかもこの2400万円という金額はSOD専属ならうなづけるだろう。
また藍原は確かに痩せているが、ビデオを解析してみると、腹部には太った時に現れる肉が割れた線が入っており、彼女が直近まで太っていたことが分かった。
以上からPAPSの言う被害女性は香川ルリカであり、香川ルリカは藍原佐理衣なのだ。
そうすると、裁判をしてまでもなぜ違約金を要求し、かつ香川ルリカははギャラを要求しなかったかがわかる。SOD専属契約違反だからだ。なるほど、たしかに香川がPAPSにでも泣きつく以外方法がなかったのもうなづける。
警察も取り合ってくれないという主張もそれはやむを得ない。なぜなら契約違反だからである。むしろビデオに出たらと言われたと言っているが、たしかにそうだろう。専属契約をして別のところではAVに出ているのだから。お詫びにちゃんと専属でデビューするのが筋だと言えるからだ。
また伊藤和子がSODが販売中止にしたにも名指しで批判するのも香川が専属でデビュー予定だったからとするとつじつまが合う。
警察にとりあってもらえずAVに出演すれば、と言われたのも当然だ。藍原として出演しているのだから。それにSODに専属契約している。しかし、伊藤和子はこれらの事実を伏せて警察がひどい発表している。しかし、これは女性差別でもなんでもない。
また業界の動きが鈍いのもわかるだろう。いくらAV業界でも前代未聞の珍事であり、そんなめちゃくちゃなことは通常起きないからだ。
このように藍原=香川とすると冒頭にあげた謎を含め、すべてのつじつまが一気にあう。
このように疑惑を考えていくと残る謎はなぜ香川ルリカは藍原に変身したのか。この点である。これは事務所のせいであって彼女のせいではないという説もある。たしかに上の表のとおり事務所が違っている。香川本人としては何らかのトラブルで事務所を変更したつもりになっていたのかもしれない。
いずれにせよ、PAPSとHRNは香川ルリカに対するめちゃくちゃな判決を引き出したうえでAV業界に殴り込んでいるが、この2つの団体はあきらかにAV女優に対するヘイトを行ってる。在日韓国人の暮らしている街に在特会の街宣を入れているようなもので極めて不当だ。なぜならラジカルフェミニズムはセックスワーカーや女性の自由意志、性的自己決定権を認めないからだ。若い女性だから保護する、一見いいように見えるのなら、あなたは女性差別主義者だ。若いからと言ってなぜ女性だけが保護されるのか、これが進のフェミニストでありリーガルマインドである。なぜなら若いから保護されるとは、たんなる人形で人間扱いされないということであり、人権を否定されているからだ。(これに対していかなる反論も無用)
また、フェミ団体や人権団体がうそをついた例はたくさんあり、このような団体が本当のことを言っていると思ってはいけない。とくに今回の件は裁判の結果を歪曲して利用しているのであり、極めて不当と言えるだろう。こんなことをしなくても香川に何か理由があれば、違約金を蹴ってもだれも何も言わなかったかもしれない。いずれにせよ香川も大変なことをしてしまった。
いくつか自分とは異なる考えを見つめるために2chをみてみる。
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/company/1444425987/45
45 :名無しさん:2015/10/12(月) 17:53:47.83 ID:K6j1vqRF0.net
藍原佐理衣=香川ルリカだという前提で。
事務所の命で必死で痩せたのに藍原佐理衣名義で専属?のアリスからの契約も切られた香川ルリカ。
自分のせいにされAV業界での居場所を無くした彼女はニューゲートに対しぶち切れ飛び出す。
ニューゲートは香川ルリカに後の仕事の当てがあったかどうか知らないけど、
AV二社に対しての悪事発覚を恐れ口止めで引き留めようとするが、彼女は頑として聞き入れない。
事務所は逆切れで香川ルリカに巨額の違約金請求裁判を起こし追い詰めようとする。
が、彼女はどこからか徹底抗戦の構えで左翼系反ポルノ団体PAPSがバックにつく。
弁護士探して相談しているうちにPAPSが声をかけたのかもしれない。
左翼系の連中は香川ルリカを悪の巣窟AV業界に追い込まれた若い被害者の女として、
朝日系の日本外国特派員協会で会見させ、新たな慰安婦問題の代表にして
世界にジャパンディスカウントとして大々的に発信したいと目論んでいそうだが…
自らの潔白を証明したいというのはよくわかる。
ただ皮肉な事に、香川ルリカは発売中止したSODは恨んでいるが、アリスやAV業界は恨んでいるのかどうか?
藍原佐理衣より元々の芸名香川ルリカ名義の物を発売中止だからSODにお怒りなのでは?
香川ルリカの本当の狙いとしては、事務所の悪事告発と自らの潔白証明だけでなく、
騒動を終わらせたら着エロ時代から慣れ親しんだ「香川ルリカ」名義一本化での
AV業界復帰で本格始動を望んでいるの意図があるのかもしれないね。
AV業界に未練があるのか二度と関わりたくないのかやや不明な所はあるが。
この書き込みだと事務所が悪いようになっているが、誰が悪いのかは謎だ。だが藍原と香川は同一人物であり、無理やりAVに出ていたわけではない。
いずれにせよ、いつまでもPAPSの匿名のビデオの人をやるというのも限界があるだろう。PAPSに飼い殺しにされるのが香川の意思なのだろうか?
http://hayabusa8.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1469456631
587 :
2016/07/26(火) 15:39:49.11 ID:kIJ8Qxjc0
各所にちゃんと綿密に調査した上で何が起きたのかを公表すれば?
というとそれは絶対に行わず強制出演があったのみだけ大々的に発表するというw
従事者の為なんて考えた事ないだろうにw
まずは香川ルリカの件から全部客観的に何が起きたかを公表すればいいのにね。
720 :
2016/07/29(金) 12:57:40.06 ID:VjbY7b/00
何故不当な巨額違約金請求だったのか
そこに至るまでに何が起きていたのか、香川ルリカが事務所と揉めて
「契約解除」を言い出し弁護士に頼るまでになったのか。
デビューに際してブログとツイッター開始するまでやる気満々だったのに。
ニューゲートが監視付きまでさせて「強制痩身」させ、何故か香川ルリカが痩せただけと評され
このあたりまでメーカーとかにもちゃんと調査が行われて真相解明になればよかったんだけどね。
ニューゲートとの契約解除で揉めたという内容を、一切調査せずに「強制出演」とのみ断じて
反AVキャンペーンやりたいだけと捻じ曲げてるのが問題なのでありw
HRNやPAPSのような人権団体、フェミ団体がうその情報を言うのはたいして珍しいことではなく、前例はいくつかある。それは責めないが、正しければ、善意なら、正義なら、いくら嘘を言ってもだまされる方が悪いと思っている集団なのは間違いない。
マスコミの皆さんはこれを見たら、ぜひ藍原と香川ルリカを洗ってほしい。そうするとPAPSとHRNがいかにでたらめを言っていたかがわかるだろう。違約金を請求したのはむしろ例外的だし、そうしたくなるのもあたりまえな背景がわかるはずだ。これをあらわずしてニューゲートを悪者扱いするネット民やフェミニスト、PAPS、人権団体は叩き潰される以外のなにものでもない。 Permalink | 記事への反応(1) | 22:30
1年ぐらい前に「そういえば日本の歴史は教科書を読めばいいけど、インターネット上の歴史は意外とまとまってないよな」とふと思いつきで書いて、以降何か思い出す度にちまちまと書いてて、最終的に本にするかどっかで公開しようかと思ってた。
が、金取るほどじゃないし、そもそも出典元は自分の記憶とWikipediaとかその他ウェブサイトだし、正確性も担保できないし、どうせなら皆で見て「あーこういうのあったねー」とか「これが無い!」とか言い合うのも楽しいと思ったので書く。
あと、自分だけでなく、一度某所に公開して出てきたやつも一部混ざってます。※2016年まであります。
・アメリカで現代のインターネットの起源となる「ARPANET」が始動する。最初はカリフォルニア大学ロサンゼルス校とスタンフォード研究所、カルフォルニア大学サンタバーバラ校、ユタ大学の4つを結ぶネットワークから始まった。最初に送信されたメッセージは”lo”だった。(login:を入力しようとしてクラッシュした)
・東北大学とARPANETが接続される。日本にARPANETが入った最初の出来事である。
・慶應義塾大学と東京工業大学を接続するJUNETが誕生。日本におけるインターネットの起源。後に東京大学をはじめ、様々な研究機関や大学が接続されるようになる。
〜〜中略〜〜
・Windows95誕生。一般市民にインターネットが急速に広まる。地下鉄サリン事件発生。
・阪神淡路大震災発生
https://www.youtube.com/watch?v=ktPL7X7nFXk
https://www.youtube.com/watch?v=FvfBJapb2pw
・芝雅之により掲示板「あやしいわーるど」が誕生。日本インターネットのアンダーグラウンドの祖先。元は地下鉄サリン事件を題材にした不謹慎ゲームを配布するために立ち上げたウェブサイト。
あやしいわーるどで発生した文化は後のインターネットに大きな影響を与えたものも多い。
・ネット流行語:「マターリ」「ヽ(´ー`)ノ」「『餃』『子』『の』『王』『将』」「萌え」「Warez」「ギコ猫」「ツンデレ」
・あめぞうにより「あめぞうリンク」誕生。酒鬼薔薇事件発生。あやしいわーるどに少年Aの実名が投稿される。
・あやしいわーるど閉鎖。あやしいわーるどから派生した掲示板が大量に発生する。これらは2016年現在も続いているものもある。
・「あめぞうリンク」にスレッドフロート型掲示板(あめぞう掲示板)が設置される。最初にあったのは「掲示板ニュース速報」「株式速報」
読みづらいとされていた大型掲示板サイトの中でこのシステムは当時は画期的で、爆発的な人気を誇るようになる。
・この頃に「ひろゆき」出現。
・この頃はまだコンピュータも高価で、インターネットもまだ滅多に使われず高額だったため、利用者が好事家に限られていた。雑談以外には、株式、経済、社会情勢、コンピュータ等、専門的で高度な話題が多かったとされている。
・テキストサイト全盛期
・あめぞうの利用者が増加し、サーバ確保が困難になったり荒らしが増えるようになり運営に様々な問題を抱えるようになる。
・サイトの引き継ぎ先を求めていたあめぞうの声に応える形で同年、利用者の1人であったひろゆきにより「2ちゃんねる」が誕生。当時は「あめぞうのセカンドチャンネル」という位置づけとされていた。1日あたり1万人程度の来訪者。
https://www.youtube.com/watch?v=h22l8iWAW18
https://www.youtube.com/watch?v=6rNZBF9DXTU
・スクリプト荒らしによりあめぞう掲示板壊滅。同年閉鎖。西鉄バスジャック事件発生。犯人が2chに書き込んでいたことを受けてひろゆきが初めてテレビに出る。
・ネット流行語:「(この掲示板は)匿名というのが前提になりますので、うそもあるし、ひどいことも書かれます。そういうのをうそはうそであるとか、見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しいものがあるでしょう」
・教育改革国民会議(森内閣)「バーチャル・リアリティは悪であるということをハッキリと言う」
http://www.nicovideo.jp/watch/nm3956863
https://www.youtube.com/watch?v=LWSZMrz0zsk
・2chに対抗した1ch.tv誕生。あめぞうと西和彦が関わる。
・アメリカ同時多発テロ事件発生
・先行者出現
・田代神
・MAD GEAR SOLIDの1作目が公開される。「性欲をもてあます」
・グリッドコンピューティングを用いたUD ガン研究プロジェクトが開始。2007年に終了するまでの間、Team2chが大きく貢献する
・WinMXで逮捕者。「かぎのおとが おやがかぎわたしや もうだめぽ」
・ドラえもんのキャラを使ったFlashが流行(後にオラサイトと呼ばれる)
https://www.youtube.com/watch?v=DaoGHZFKt6s
https://www.youtube.com/watch?v=nQl3NIJYkt0
・超美少女ロボ・プリティ PiPi (FUJIMIコミックス) 富士美出版 (1995年4月20日)
・当たりが出たら (FUJIMIコミックス) 富士美出版 (1994年6月5日)
・おまかせロイド ツインクル 1 (カラフルコミック) ビブロス (1995年6月27日)
・おまかせロイド ツインクル 2 (カラフルコミック) ビブロス (1996年5月1日)
・Jewel Master リイナ (カラフルコミック) ビブロス (1997年7月25日)
・お姉さんといっしょ (MDコミックス) メディアックス (1999年6月20日)
・閉店後のヒミツ (MDコミックス) メディアックス (2000年8月20日)
http://adultcomic.dbsearch.net/author/%E5%AE%89%E4%B8%96%E5%A4%A2.html
「メジャーリーグ史において最も重要な40人」はアメリカの著名スポーツメディア「スポーティングニュース」が先日発表して話題となったもの。ソースはこちら。
The 40 most important people in baseball history, ranked | MLB | Sporting News
ここで挙げられている40人について調べてみたんだけど、筆者はMLBにそこまで詳しいわけではないので、何か誤認・誤訳があったらごめんな。
MLB史上最大のスター。驚異的なペースでホームランを放ち、MLBの野球を「ライブボール時代」へと変えた。当時、ブラックソックス事件により信頼を失っていたMLBは、ルースの人気によって復活し、さらにはアメリカ最大のスポーツにまでなった。
近代MLBにおける初の黒人選手。ニグロリーグで活躍した後、1947年にドジャースでMLBデビューして、MLBの「カラーライン」を打ち破った。またMLBの初代新人王でもある。
1920年、ブラックソックス事件の収拾を図るために、強大な権力を有するコミッショナー職が新設され、判事であったランディスが就任した。事件に関わった8人の選手は永久追放とされ、その厳格な対処がMLBの信頼回復に繋がったと考えられている。
1900年にアメリカンリーグを創設し、現在まで続くMLBの2リーグ体制を作り上げた。審判に権力を与え、違反行為に厳しい罰則を課すことで、クリーンなイメージを生むことに成功した。強権的な性格から、のちにランディスと対立して辞任した。
カージナルスやドジャースのGMを歴任し、MLBで初めて選手育成のためのファーム制度を整えた。また、ジャッキー・ロビンソンと契約して、黒人選手がMLBに参加する道筋を作った。
1966年、エコノミストとしての経験を買われてMLB選手会の代表に就任し、最低年俸の増額、選手年金の拡充、そしてFA制度の導入に貢献した。彼の在任期間中に選手の平均年俸は1.9万ドルから32.6万ドルにまで向上した。
スポーツ用品のSpalding社を興し、ナ・リーグ創設にも関わった。初めて野球のルールブックを出版、ボールの標準化に努めるなど、初期のMLBの発展に尽力した。野球選手としても超一流で、通算勝率のMLB最高記録を保持している。
シカゴ・カブス(の前身)の社長であり、1876年のナショナルリーグの創設者の一人である。のちにナ・リーグの第二代会長に就任して公正かつ厳格な運営を行い、MLBの基盤を作り上げた。スポルディングとは盟友だった。
黒人野球チームのスター選手であり、また球団オーナーとしても成功した。彼の呼びかけによって、1920年にニグロリーグが設立された。「ブラックベースボールの父」と呼ばれる。
野球評論家・統計家で、「野球の父」とも呼ばれる。ボックススコアを考案して試合の記録を取り、「打率」などの指標を提唱した。またスポルディングのもとでガイドブックを刊行するなど文筆活動も盛んに行い、野球の普及に多大な貢献をした。
元はブルワーズのオーナー。MLB選手会とオーナーの対立が激化していく中で、1998年(実質的には1992年)に第9代MLBコミッショナーに就任。リーグの再編、収益分配制度の導入、オンライン配信の開始などにより、就任前と比較して5倍以上とも言われる空前の収益をMLBにもたらした。
ドジャースのオーナー。冷徹な経営者であり、1957年に球団をブルックリンからロサンゼルスへ移転させた。それによりアメリカ西海岸における野球ビジネスを開拓し、経済的には大成功を収めたが、ブルックリン住民からは深く恨まれた。
1977年から1988年まで刊行した「Baseball Abstract」を通じてセイバーメトリクスを提唱した。米国野球学会(SABR)のデータと統計の手法を用いて、RCやRFなどの様々な新しい指標を作り出した。
1974年、ドジャースの選手だったトミー・ジョンに、自らが考案した靭帯再建手術を施し、それを成功させた。この手術は「トミー・ジョン手術」として、いまでは広く施術されている。また、1990年には肩再建手術も成功させている。
ブレーブスで活躍し、ベーブ・ルースの記録を超える通算本塁打755本を放った。黒人のアーロンが白人のルースの記録を破ることには反発もあったが、彼はそれを乗り越えた。通算打点2297点は現在でもMLB記録である。
ヤンキースに所属し、当時の記録である2130試合連続出場を達成して「鉄の馬」と呼ばれた。しかし筋萎縮性側索硬化症に苦しみ引退、そして37歳の若さで亡くなった。背番号の「4」はMLBで初めて永久欠番となった。
野球クラブのニッカーボッカーズや全米野球選手協会(NABBP)において、チームの人数や塁間の距離、一試合のイニング数、バウンドルールの撤廃など、基本的なルールの策定に貢献した。遊撃手のポジションの創始者とも言われる。
(野球ルールの策定に関してはアレクサンダー・カートライトの名前がよく挙がるが、現在ではドク・アダムスを評価する声が多いようだ)
ニグロリーグで活躍した後に、MLBで最初の黒人スカウトとなり、最初の黒人コーチとなった。ニグロリーグ野球博物館の設立や、ドキュメンタリーへの出演、多くのインタビューを通して、ニグロリーグへの関心を高めることに尽力した。
MLBにおけるヒスパニック系選手の先駆けであり、中南米出身で初めてMLB殿堂入りした。慈善活動中の飛行機事故により38歳で亡くなり、そのため慈善活動に貢献した選手に贈られる賞にその名が冠されることになった。
肩、肘、膝に関する整形外科医。1985年、ロジャー・クレメンスに施術した関節鏡手術で脚光を浴び、以降もスポーツ医学の権威として数多くの選手の手術を担当している。
「シューレス」の異名で知られるMLB初期の名選手。しかし、MLB最大の八百長事件であるブラックソックス事件に巻き込まれ、MLBから永久追放された。ファンは彼に同情的であり、いまなお悲運の選手として記憶されている。
最多安打4256本や最多出場3562試合などのMLB記録を持つ「安打王」。しかし、引退後の1989年に野球賭博に関わっていたことが発覚し、MLBからは追放された。
走攻守すべてに優れたMLB史上最高のオールラウンダーであり、当時MLBにおいて台頭しつつあった黒人選手の代表格でもあった。オールスター24回出場は最多タイであり、「オールスターはメイズのために作られた」と評された。
1901年にアスレチックスの初代監督に就任すると、それから1950年まで指揮を取り続け、5度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。もちろん監督の就任期間としてはMLB史上最長である。
上院議員、ケンタッキー州知事、そして第二代MLBコミッショナー。ランディスが黒人参加に否定的だったのに対して、チャンドラーは進歩的であり、1947年にドジャースおよびジャッキー・ロビンソンを支持し、その契約を承認した。
連邦最高裁判所の名判事として著名。1922年、球団が選手の移籍を制限できる「保留制度」について、それが反トラスト法に該当しないとの判決を下した。これにより、現在までもMLBは反トラスト法適用免除の特例として扱われている。
1900年にパイレーツのオーナーとなった。その後のナ・リーグとア・リーグの対立を調停し、「ワールドシリーズ」を提唱して1903年の初開催に尽力した。また1909年に、鉄筋コンクリート製の近代的な球場を建設したことでも知られる。
スコットランド出身のビジネスマン。1934年、野球発祥の地であるクーパーズタウン(これはスポルディングが広めたデマであるが)に野球博物館を作ることを思いつき、そのアイディアがアメリカ野球殿堂の元になった。クリーランド自身は野球に全く興味がなかった。
レッドソックスで活躍し、MLB史上最高のバッターの一人とされる。最後の4割打者であり、通算出塁率.482はMLB記録である。1970年に刊行された、自身の打撃理論を記した「The Science of Hitting」は、後の多くの打者に影響を与えた。
大学で統計を学び、1969年にスポーツ百科事典「The Baseball Encyclopedia」を、1974年からは「Sports Encyclopedia: Baseball」を毎年刊行し、高い評価を得た。他にサッカーやバスケットボールの百科事典も編纂している。
ジョン・マグローらと並んでMLB史上最高の名将とされる。ホワイトソックス、アスレチックス、カージナルスの監督を歴任し、ワールドシリーズを3度制した。データを駆使した細かな継投を得意とし、現代的な「クローザー」というポジションの確立に貢献した。
MLBで首位打者を獲得するなど活躍し、引退後は監督となった。1934年に日本の野球チームと対戦したとき、相手チームに「ジャイアンツ」というニックネームを贈った。1949年に訪日した際にはチームを率いて全国巡業を行うなど、戦後日本に野球を広めるのに貢献した。
アストロズのオーナー。1965年、世界初のドーム球場・アストロドームを建設し、さらにドーム球場では天然芝が使えないために、人工芝アストロターフを開発した。人工芝は70年代に流行し、その走りやすさからMLBの野球をスピーディなものに変えた。
MLBのインターネット部門であるMLB Advanced Media社(MLBAM)のCEO。MLB.comを運営し、試合のオンライン配信や、チケットの販売などを開始したことで、巨額の利益を上げている。
1998年のサミー・ソーサとの最多本塁打争いにより、1994年のストライキで低迷したMLBへの注目を取り戻した。最終的に70本塁打を放って当時の新記録を作ったが、2005年頃からステロイドの使用が確実視されるようになり、その名声は失墜した。
1969年、カージナルスに所属していたフラッドはトレードを拒否し、マービン・ミラーと共に「保留条項は反トラスト法違反であり、トレードは無効である」との訴訟を起こした。裁判には敗れたが、この事件をきっかけにFA制度が導入された。
日本での任意引退を経て、1995年にMLBのドジャースと契約した。30年以上前の村上雅則を除けば、MLBで長年に渡って活躍した初めての日本人選手であり、その後も続々とMLBに移籍する日本人選手たちの先駆けとなった。
1977年のワールドシリーズで、当時のMLBコミッショナーだったボウイ・キューンは、女性記者であることを理由にラットクの取材を許可しなかった。彼女は平等な取材を求めて訴訟を起こし、勝利した。これ以降、全てのチームが取材に制限を設けないようになった。
1920年、カージナルスの選手だった彼は、野球用品メーカーとして有名なローリングス社に、グラブの親指と人差指のあいだに「網」を貼るべきだと提案した。これにより現在の形の野球グラブが完成した。
2002年、レッドソックスのGMに史上最年少となる28歳で就任する。2004年のWS優勝で「バンビーノの呪い」を打ち破ると、2012年には新たにカブスの球団社長となり、2016年のWS優勝で「ビリー・ゴートの呪い」までも打ち破ってみせた。
野原ひろしの年収は650万であり、これは2016年現在から見れば5%のエリートに属するというブログを斜め読みした。
ふむ。では当時ならひろしは平均、あるいは平均よりちょっといい程度とみなされたのだろうか。
Wikipediaによれば野原ひろしの年収650万はアニメ94話の台詞からの推測であり、これが放送されたのは1994年4月である。
そして国税庁の資料を見ると1年勤続者(男性)の平均年収(賞与含む,単位:万円)は当時以下のように推移している。
西暦 | 平均年収 |
---|---|
1989 | 493 |
1990 | 520 |
1991 | 547 |
1992 | 558 |
1993 | 555 |
1994 | 560 |
1994年の平均年収は560万である。650万は当時の平均より90万多い(ちなみに彼は35歳だが、1994年の35歳~39歳の平均給与は全体平均と同じ560万である)。
年収というやつは必ずしも正規分布しているわけではなく、一部の凄まじい金持ちが平均値を引き上げる傾向がある。従って中央値は基本的に平均よりも低いと見た方がいい。
その点も含めると、おそらく1994年の野原ひろし650万は中央値よりも100万ほど多いと思われる。平均給与より月収が8.3万多い計算になる。これを平均よりちょっと良い程度と思うかどうかは……まぁ人によると思うが、どちらかというとそこそこ年収のあるやつが自分の年収を隠して言う時に「いや俺だって安月給だよそんなん。え?平均とくらべて?同じようなもんだよ、あー、まぁ、ギリギリ平均よりちょっとだけ良いくらい?」的な雰囲気を感じる。イラッ☆
1年勤続者(男性)の平均年収は1997年の577万をピークとして緩やかに下っていき、リーマンショックでとどめを刺される。
野原ひろしは35歳の男性社員である。ということでこの全盛期で見ると、35歳~39歳男性の1997年の平均は589万である。バブル全盛期の中央値は平均値と殆ど同じだったと仮定すれば、1997年のひろしの年収650万は平均よりちょっと良い、というのは、まぁわからなくはないだろう。月給にして他の人より5万円多いのを「ちょっと」というのは、多い側からみればそうかもしれないが、少ない側から見ると「あ?それちょっとっていうならよこせや」と思うところな気はするが。
なお2014年の35歳~39歳男性の平均年収は502万である。やんなるね。
一方で春日部市における平均年収から見た野原ひろしはどうか(春日部市の平均収入でググると妙な数字が出てくるけど、これソースが不明瞭だし計算式も公開されてないので信用に値しないと考え無視した)。
総務省統計局では都道府県別の家計調査が2000年からしかないが、ひとまずこれを参照する。春日部市単独のデータは無いが、春日部市は人口15万人以上であることから中都市に該当する。曰く、2000年の賞与を含めた年平均月額の世帯主収入は466,591円である。12倍すると534万。バブル全盛期をちょっと過ぎた2000年でこの数字である。
650万とは実に120万の差がある。中央値はこれより更に下であることを考えれば、春日部市における野原ひろしは当時から見ても平均的、あるいはそこからちょっと良いだけとは言い難いように思う。
野原ひろしのような人生は、なるほど現代からすると相当なカチグミであるように見える。しかし当時の社会背景を考えれば、こうしたレールに乗ることは平均的な能力プラスアルファでどうにかなる範囲だったのではないか。
彼は1994年当時で35歳、二十歳で大学を中退して(つまり高卒で)入社したとのことである。従って1979年入社であり、これは残念ながらバブル期前である。
加えて彼は高卒であり、今ほど大卒信仰が強くない時代とはいえこれがプラスに働くことはまず無い。ゆえに就職活動において基本的には不利な立場にあったと言える。
どう考えてもこの時点で相当なカチグミである。これを平均よりちょっと良いレベルとは当時ですらやはり言えないように思う。
そういうわけで、野原ひろしは1994年当時で見てもエリートだと思う。バブル真っ盛りの時と比較してギリギリ「平均よりちょっといい程度だね」と見栄込みでいうことは出来ると思うが、それ以外ではいささか厳しい。
さらに国内商社は年功序列で給料が上がるため、2014年55歳の野原ひろしの年収はほぼ間違いなく1000万を超えているだろう。2014年の55歳~59歳の男性平均年収は631万であり、彼は最終的に平均の1.5倍を上回る所得者ということになる。
彼は今からみてもエリートだが、当時からエリートであり続けた、というのが正しい見方ではないだろうか。
子供のいる夫婦に限定すれば野原ひろしは平均になりえるのではないか、というブコメを見て「あ、それは見てなかったわ」と。
そういうわけで追加で調べた。
1996年の国民生活基礎調査「1世帯当たり平均所得金額,世帯主の年齢(10歳階級)・世帯構造別」を見ると、「夫婦と未婚の子のみの世帯」の平均所得は621万である。おお、これなら650万は平均よりちょっといい程度やんけ、と思ったが、問題がある。
これは世帯収入、すなわち共働きを含めた数字だからである。ひろしは単独で650万である以上、この数字と直接比較はできない。
この基礎調査に世帯主収入のデータは無いようだったため、これを推測すべく、2000年の家計調査の「有業人員別1世帯当たり1か月間の収入と支出」を見ると「全国・勤労者世帯(核家族世帯)」の世帯収入と世帯主収入のデータがある。核家族における世帯の実収入は月額568,391円、このうち473,674円が世帯主収入である。割合にして83.3%。
この比率が4年で大きく変動していないとすれば、621万の83.3%は517万である。残念ながら650万とはかなり差があると言わざるをえない。
96年の「1世帯当たり平均所得金額,世帯人員・地域ブロック別」を見ると、世帯人数ごとの所得額が地域別で分かる。ここでとりあえず「3人」を見てみると、全体平均が718万、一方で埼玉が属する「関東Ⅰ」ブロックでは829万である。当時全体平均に対して首都圏の所得は115.4%になる。
この比率を当てはめると、517万の115.4%で596万。これが1996年の東京ブロックでの子持ち既婚男性30代の平均年収の推測値である。
ただし、この「関東Ⅰ」には丸ノ内線内在住かつ子持ちの夫婦が含まれている数字であり、彼らが平均を大きく引き上げることは間違いないだろう。従って都内在住の子持ち夫婦というカテゴリで見るなら野原ひろしは平均的かもしれないが、埼玉県春日部市という点で考えれば、97年の最も所得の良かった時期の子持ちの夫婦という点で比較してもやはり平均的な家庭よりも所得に余裕がある立場ではないかと思う。
野原ひろしの務める双葉商事は中央区日本橋にある商社という設定だが、例えば日本橋にある神鋼商事の四季報を見ると平均年齢39歳で平均年収711万である。これと比較してみると35歳の営業課長で650万というのはちょっと低い印象がある。
とはいえ商社も色々である。総合商社なら平均で1200万~1300万になるが、中堅商社でいえば650万というのは平均的かもしれない。
Wikipediaによればバブルは86年から91年だそうで。顔真っ赤にして「ITバブルがー!サブプライムがー!」とか書こうと思いましたが、無知をお詫び申し上げる。
しかし政府統計を見る限り、この86年から91年の所得平均がずば抜けて凄いかというと特にそんなことはない。上述の通り、一番平均所得額がいいのは97年だからである(なので無知な自分は97年がバブル全盛期だと信じて疑いませんでした)。ただしピークへ向けて毎年のように平均所得と可処分所得が上がっていっているので、サラリーマン的に印象の良い時代だったことは間違いないとは思う。
バブル時代はボーナスがたくさんでた、というのは嘘ではないだろうけれど、全国的な平均を取るとそうでもなかった。給料が銀行振込ではなく手渡しだったなら「札束!」という印象が今よりあっただろうこと、東京の一部の羽振りの良い連中が誇張されたこと、当時の情報メディアは新聞とテレビが全てだったこと、といった条件下で醸成された「バブルの頃はみんな高給取りだった」んじゃなかろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20160409094753
「Ken Kiyoshi」という人物がいる。
彼の所在地は以下の通り。
Ken Kiyoshi ICIJ Offshore Leaks Database Connected to 1 address Connected to 20 entities Linked countries: Japan Data from: Offshore Leaks https://offshoreleaks.icij.org/nodes/117463 "281809";番号281809 "ADDRESS";"Room 1009, 4-20-2 Ebisu Shibuya-ku Tokoyo 150-0013 Japan"; 所在地 〒150-0013 日本国東京都渋谷区恵比寿4丁目20番2号 1009号室 https://offshoreleaks.icij.org/nodes/281809
パナマ文書が示す「〒150-6010」は、2016年現在の郵便番号区分では
恵比寿ガーデンプレイスを除く東京都渋谷区恵比寿を示す地域区分。
当該所在地の高層建築物は「恵比寿ガーデンテラス弐番館」に特定される。
「恵比寿ガーデンテラス弐番館は、1994年8月築、地上13階地下2階
建総戸数220戸?の大規模マンション。
「恵比寿ガーデンテラス弐番館10階」の賃料は、公開されている
あたりでは、2LDKで42.2万円、41.4万円、1LDKで34.6万円、1Kで
http://www.plus-home.co.jp/rent/6509/
http://www.marycorp.co.jp/detail_marycorp_1_marycorp_2_271
http://www.rnt.co.jp/building/detail/1576/
http://concierent.jp/rent/333/48434/
恵比寿ガーデンテラス弐番館を所在地とする法人は以下の三法人。
http://www.houjin-bangou.nta.go.jp/
3011001064749 株式会社CONTAINER 東京都渋谷区恵比寿4丁目20番2号恵比寿ガーデンテラス弐番館
法人番号3011001096420と5010401017455は
パナマ文書が示す部屋番号1009とは異なるので、
韓国人12人に活動している日本の男性アイドルグループApeace(エーピース)
https://ja.wikipedia.org/wiki/Apeace
企画・制作:株式会社CONTAINER/Golden Goose 特別協力:サミー株式会社 協力:文化服装学院 / メイクアップアーチスト学院 衣装協力:NAVAL ■日程 2011年6月18日(金)~ロングラン公演 ■会場 K THEATER TOKYO 東京都渋谷区恵比寿4-20-2 恵比寿ガーデンプレイス内 ■座席・料金 ロングラン公演:¥4,600(税込)
特ラ連レポート122
新規加入会員紹介コーナー
(平成23年6月~7月)
http://www.radiomic.org/activity/backnumber/No122/newkaiin.html
株式会社 CONTAINER(K-Theater) 会員番号030-0616 代表取締役 田村孝司 入会:7月25日 移動 AKG … 4本 シュアー … 12本 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前4-12-20 担当 支配人 斉藤昇三 TEL 03-5421-7062 FAX 03-5421-7063 〔ひとこと〕厳しいレッスンと数々のオーディション審査より キャスティングされた精鋭達21名によるエンターテイメント グループ、「Apeace」が、K-Theater Tokyoでロングラン 公演をおこなっております。
この情報ではCONTAINERの所在地が神宮前になっている。
国税庁の法人データベースには当該所在地に8件の法人があるようだが
K-Theater Tokyoは恵比寿ガーデンテラス弐番館の
恵比寿ガーデンシネマの跡地につくられた日本初のK-POP専用劇場。
今は映画館になっているようだ。
http://www.houjin-bangou.nta.go.jp/
東京都/渋谷区/神宮前4丁目12-20/登記記録の閉鎖等含める/商号等
8件 見つかりました。
1011002035263 有限会社アートビートパブリッシャーズ 東京都渋谷区神宮前4丁目12-20表参道ヒルズゼルコバテラスW405
2010401095900 株式会社アルファ・アンド・カンパニー 東京都渋谷区神宮前4丁目12番20号W406
4011001005116 株式会社オモテサンドウ 東京都渋谷区神宮前4丁目12番20-W304号
9011001050347 株式会社幸和画廊 東京都渋谷区神宮前4丁目12番20-105号
4011002034898 有限会社後藤繁雄事務所 東京都渋谷区神宮前4丁目12番20-405号
4011001072577 ミストラル株式会社 東京都渋谷区神宮前4丁目12番20号
ちなみに特ラ連は特定ラジオマイクの利用者が設立した非営利団体で
イベント関連会社等は無線を使う関係で特ラ連とは利益共有の関係にある。
http://www.differ.co.jp/schedule_20150425.html
ApeaceLIVE2015♯3~Back to the Future~ 日付 4月25日(土) チケット料金 8500円 FC先行特典付き 開場/開始 開場 13:45/18:15 開演 14:30/19:00 お問い合わせ先 株式会社CONTAINER http://apeace.jp/ 0570-064-257 平日14:00~18:00まで
このイベント告知を見ると、
株式会社CONTAINERの問い合わせ電話番号は0570-064-257になっている。
0570-064-257という番号は、
コネクトプラス株式会社または株式会社ロム・シェアリングの連絡先と同一だ。
特定商取引法に基づく表記 NU'EST JAPAN OFFICIAL FANCLUB
http://www.nuest.jp/info/law.html
〒106-8011 東京都港区六本木3-16-35 イースト六本木ビル
〒106-0041 東京都港区麻布台2-3-5 ノアビル 1F
電話:0570-064-257(平日14:00~18:00)
つまり、株式会社CONTAINERと株式会社ロム・シェアリングという法人は
実体として一体的に活動しており、ソニー傘下で仕事をしている。
上記NU'EST JAPAN OFFICIAL FANCLUBサイトのプライバシーポリシーの管理は
ソネットエンタテインメント、すなわち日本、台湾、香港で運営している
そのSo-netを2016年に完全子会社化した親会社の企業名は
パシフィック・センチュリー開発(Pacific Century Development / CCD)
というグローバル企業があり、
その日本法人である日本パシフィックセンチュリーグループ株式会社で
パナマ文書に書かれていた名前Ken Kiyoshiと姓名の読みが同一だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/PCCW
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%98%89%E8%AA%A0
李沢楷 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%B2%A2%E6%A5%B7
http://timetide.way-nifty.com/jprofile/2013/07/post-07d0.html
PCCW&CCC カルチュア・コンビニエンス・クラブ(株)H19有報時の役員抜粋 取締役 日下孝明 サンレジャー:港区参照 ご近所シリーズ05参照 取締役 喜吉憲 Ken Kiyoshi 国際基督教大学出身 1971年4月-(株)日本興業銀行 入行 1997年4月-同行 香港支店長兼IBJ Asia Limited 副会長 1998年3月-日本パシフィックセンチュリーグループ(株)代表取締役 2003年4月-カルチュア・コンビニエンス・クラブ(株)顧問 2003年6月-同社 常務取締役 2004年6月-同社 代表取締役副社長 管理部門管掌 2006年3月-同社 取締役管理本部長 2006年7月-同社 取締役社長補佐 取締役 三木谷浩史 三極委員会メンバー 取締役 角川歴彦 取締役 奥谷禮子 ■考察 国際基督教大学出身といえば、神政連の一押し→有村治子議員 →(公財)ドナルド・マクドナルド・ハウス・チャリティーズ・ジャパン 理事 PCCWといえば→パシフィックセンチュリープレイス丸の内
日下孝明はワンダーコーポレーション代表というより
パナマ文書に日本の政治家はいないという話が独り歩きしていたが、
ほらほら、やっぱり出てきた。
だがこの人とパナマとの関係性を考えるにはさらなる調査が必要。
不逮捕特権を持つ人物相手の捜査となると特捜以外に考えられない。
CCCW Japan Limitedがしっかり入っている。
CCCW Japan Limitedの資本の源はもちろんCCCW Limitedだ。
PCCW Japan Limited | ICIJ Offshore Leaks Database
https://offshoreleaks.icij.org/nodes/131516
Ken Kiyoshi | ICIJ Offshore Leaks Database
https://offshoreleaks.icij.org/nodes/117463
グローバル企業ソニーの系列傘下の芸能イベント会社の所在地は、
日本政界とも関係があるかもしれないPCCW役員&CCC顧問の名前と同一。
テレデジック(英:Teledesic)とは1994年マイクロソフト社のビル・ゲイツと米携帯電話業界のパイオニア、クレイグ・マッコーが始めた低軌道通信衛星を用いたインターネットサービス。
当初の計画では低軌道衛星840機を用いて衛星コンステレーションを構成する壮大な計画であった。低軌道衛星のため、通信遅延時間を極力抑えることができ、また地上局も低出力で運用できるため小型化が可能であった。周波数帯としてはアップリンク28GHz帯、ダウンリンク19GHz帯を用いることにより広帯域な通信帯域を確保できるため、16kbps〜2Mbps迄のブロードバンド配信サービスが出来ることが売りであった。
1997年には米ボーイング社が計画に参加し、またスポンサーにはサウジアラビアの富豪であるAlwaleed Bin Talal王子が名乗りを上げた。その後、イリジウム事業の失敗により窮地に陥っていた米モトローラ社が主契約を勝ち取ったが、衛星の数を840機から288機に減らし衛星高度も低軌道から中軌道とする等の計画変更を行い、現実的な計画に変更された。しかし、マーケットの冷え込みを受け、2003年には認可を受けていたアップリンク、ダウンリンク周波数帯の使用権をFCCに返却した。
通信衛星を用いてインターネットをサービスする同様な計画としては米モトローラ社が計画していたCelestri、仏アルカテル社が計画していたSkyBridge等があるがCelestriは早々に計画が中止され、またSkyBridgeもイリジウム事業失敗の後、立ち消えとなった。
落合博満のプロ通算500本安打・1000本安打・1500本安打・2000本安打という節目の安打が全てホームランであることは有名であるが、落合曰くそれは偶然ではないという。
つまり狙ってホームランを打ったわけだが、節目の打席以外でも毎打席ホームラン狙いが基本前提だったために、節目の打席でホームランを狙って打つことが造作なかったと語っている。
イチローはホームランを狙えば打てる能力があることを他の選手やファンから評価されており、節目の打席ではホームランを狙うことが多いとされる。
通算本塁打の割に先頭打者本塁打や1試合複数本塁打が多いことに加えて、年間200本目のヒットがホームランの年があることや、プロ通算1000本安打がホームランだったことなどから狙えばホームランを打てる能力があることと、何らかの節目の時にはホームランを狙うことが多いことが指摘できる。
(確か1994年の200本目の安打や日本通算500安打目の打球ももう少しでホームランという打球だったから狙っていたかもしれない)
しかし、同時にそのような節目を迎えた時にはスランプが少ない選手の代表であるイチローが不振に陥ることが多いが、ホームランを狙っていた影響があると思われる。プロ通算1000安打の直前も不振で、久々のヒットとなるプロ通算1000安打目がホームランだった。
だが、落合はそのような節目を迎えた時に特別な不振には陥ってはいなかったように思うし、本人もそう語っていた気がする。
(2000本安打の前に6打席ノーヒットというのがあったが、6打席くらいは大したものではないだろう)
それも毎打席ホームランを狙うのが基本前提だったからなのだろう。
ところで、サッカーにおいて日本人FWはゴールを狙える場面で変にもたつくことが多いとよく指摘される。
シュートを打てる場面でパスしてしまったり、キープしてる内にタイミングを逃してしまう、お馴染みの動作である。
その特有のもたつきが無かった日本人の一人がキングカズこと三浦知良と言われる。彼と並んでゴンこと中山雅史もその一人だろう。
日本代表の代名詞が決定力不足となったのも、思えばカズやゴンが日本代表から遠ざかってからのことのように思う。
2000年代以降各種メディアで日本代表の決定力不足が当然の如く囁かれるようになっていたが、その時にJリーグの歴代選手の1試合あたりの平均シュート数を比較した記事があった。
それによると確か上位は殆どが南米系の外国人選手で、日本人で上位に食い込んでいたのはカズとゴンだけだった。
シュート数におけるゴールの決定率でいえば日本人FWはむしろ高い方なのにシュート数が少ないためにゴールが生まれにくいことを指摘する記事で、シュートを多く打てるカズとゴンは凄いというようなことを書いていたと思う。
カズは実際、「FWはシュートを99回外しても、平然と100回目を蹴る精神構造でないとやっていけない」と言っていたが、
カズやゴンや南米のFWはシュートが狙える時はとにもかくにも狙ってシュートを打つことが基本前提としてあるためにシュートを打つことへの変な躊躇や恐怖がない。だからシュートチャンスで変なもたつきを出さずにシュートを打てるのだろう。
軽く調べたんだが携帯キャリアの歴史の1つのターニングポイントは1992年。
1つはエヌ・ティ・ティ移動通信網株式会社がNTT本社から移動通信事業を完全に引き継いだこと。
これが1994年にツーカーと共にデジタルツーカー(*1)となり、なお紆余曲折を経て今のソフトバンクになる。
ちなみに1992年以前の携帯CMは電話が持ち運びできるということと問い合わせ番号ぐらいしか伝えていない。
当時のことはあまり知らないがどこもこんなものだったのではないだろうか。
まあ当時はかなり値の張るサービスだったと思うので、
金のことなんか気にせずただただ電話ができればいいという好奇心旺盛な人を取り込めればよかったのだろう。
話は戻るが1992年に今の携帯キャリア3極体制の原型が出来、(*2)
まだまだ携帯電話事業に対して市井の人々の関心が今ほど高くは無かった90年代中期。
業界の中核をなす企業でありながら少々ごたつき気味だったドコモと新興勢力のデジタルホンは、
まずはブランドの認知が早急だと判断したのかインパクトの強いCMを打ち出した。
(当時のCMはみつからなかった)この桑田佳祐が映っている部分が1992~3年ドコモ開始時のCM。
「オギャーっと、ドコモ!」のキャッチコピーでタイアップ楽曲はサザンオールスターズの「シュラバ★ラ★バンバ SHULABA-LA-BAMBA」。
キャッチコピーの語感やシュラバ★ラ★バンバの曲調からバブルの残り香のような勢いを感じるインパクトの強さ。
宇宙人に扮したAV女優が乳丸出しでサザンのメンバーを襲うという、これまた豪勢でインパクトを残すものだった。
現在にいたるまでコンスタントにDocomoのCMに出演していることからも、このCMの重要さは見て取れることだろう。
こちらはデジタルホン系列の関西デジタルホンが1996〜97年に放送した「しゃべるならデジタルホン」シリーズの1つである。
クエンティン・タランティーノがひたすらしゃべり続け「しゃべりタランティーノ」という決め台詞をいうと
視聴者はデジタルホンという携帯キャリアの存在しか頭に入ってこない。
デジタルホン(現ソフトバンク)の初期を代表するCMで記憶に鮮明な人も少なくないはず。
思えばこの2つのCMが昨今の携帯キャリアのブランドイメージの源流なのかもしれない。
著名人が奇抜な格好したりショートコントをやってる携帯のCM、というものの原型は、
それでも1990年代はまだドコモの広末やIDOの常盤貴子や織田裕二などによる爽やか路線が主流だったが、
「IDOはどこにあるの?」というトヨテツのボヤキで幕を開け、
浅野忠信、豊川悦司、永瀬正敏らによって展開されたAu by KDDIの初期のキャンペーンによって、
携帯キャリアのCM=際物なイメージは確固たるものになってしまったのではなかろうか。
(*1):ツーカーの存在はデジタルホンと足並み揃えたかと思えばKDDI傘下に入ったりそれでもJ-phoneのサービス採用してたりとややこしいので割愛したい。