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2018-12-12

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多治見市文化財保護センターに行ってまいりましたわ

加藤五輔展がこぢんまりとした展示室で開催中ですわ

加藤五輔は明治時代の染付絵師でお米に字が書けそうな

絵をたくさん磁器に描いていらっしゃいます

花紋花瓶が好みでしたわ

国際万博にも作品出展していらして

昔は「五輔作」を銘で名乗っていたもの

美濃国五輔」「大日本美濃五輔」と世界視野に入れた

銘に変わっていったそうですわ

途中、多治見修道院に立ち寄りました

葡萄園葡萄剪定がほぼ終わっていましたわ

上方向にぴょんと飛び出した枝だけ数本残っている株がありました

いつもの土岐市美濃陶磁歴史館では

「やきもののこま犬大集合!」を拝見しましたの

古い時代狛犬は阿行が獅子で吽行が狛犬だったもの

つのまにか両方狛犬になったそうですわ

愛知県陶磁美術館狛犬館に関して同じことを書いたかもしれませんわ

狛犬と同じように飾られる「神猿:まさる」と「神狐:しんこ」の

展示もありましたわ

阿行の狛犬の方が口のパーツが上下に分割されているため保存が難しく

上顎がなくなってしまった怖い姿でいくつも展示されていましたわ

おかげで内部が覗けて頭と胴体を別部品で作った痕跡などがわかりました

2018-11-01

anond:20181101163921

大阪に何度か行ったことあるけど、大きな公園は少ないし、ひたすらコンクリートモルタルの街並みが続く。街路樹のある通りも東京に比べて少ない。

グーグルマップの上空写真確認しても、東京に比べて緑の部分が少なすぎる。

果たしてそうかな? 東京の目抜き通りである銀座中央通りと、大阪の目抜き通りである御堂筋とを比較してみれば、イチョウ並木が2キロ以上に渡って綺麗に整備されている御堂筋の方が緑豊かなストリートだと思うよ。

街路樹のある通りと言ったけど、大阪街路樹のある通りは、堺筋御堂筋四ツ橋筋、なにわ筋天神橋筋天満橋筋上町筋・・・普通に街路樹が整備されている通りばかりだけど?

東京大阪も緑地帯密度は同じくらいだと思うよ。東京都心である銀座京橋日本橋東京駅の一帯の中では、緑地帯らしい緑地帯なんてないよ。

難波駅前のアール・デコ精華小学校を、そのまま緑豊かな文化施設転用すればよかったものを、文化のぶの字も知らない行政が取り壊した挙句、地権で揉めて何年も>更地のまま、やっと出来たのは家電量販店パチンコよりはマシだけど、それにしても大阪凋落を見てるようで辛い。

アルマーニ制服採用して話題になった銀座の泰明小学校(同じく戦前アール・デコ建築)とは対照的というか、なんか悲しくなるね。

廃校現在も供用されている学校を同列に論じられても・・・

大阪で言えば、中之島大阪市役所。あれがもし建て直さずに残っていれば、その後の文化行政も変わったかもしれない。過去の栄光をどんどん馬鹿みたいに目先の金>と利便性で塗り替えていって、京都神戸に下に見られる都市に堕ちていく大阪。いつまで東京を追いかけてるつもりなのか。

東京だって有楽町にあった旧東京都庁を取り壊して、今は無印良品の店になっちゃったじゃん。

流石に大阪京都神戸から下に見られるというのは笑い話でしょ。

鉄道網や高速道路国道網は全部大阪から放射状に伸びる仕組みになっているし、京都神戸大阪ベッドタウンの一つでしかない。

2018-10-29

リアルでは言ってないけれど

額面年収の5%以上を自然文化財なんかの公益のために寄進してる。

会社ではギャンブルや女遊びに費やしてる、しょうもない奴になってるけど、全部嘘で、密かに石碑に名を増やしていってる。

女旱りで誰にも惜しまれず記憶されず人生を終えるだろうおっさんの、世に自分を残すための密かな抵抗

そういう繋がりでときどき社交界なんかにも招待されるので、一度だけ参加した。

立派なスーツ紳士なかにヨレヨレシャツ浮浪者みたいなのが一人、とても浮いてしまたから行かなくなった。

後の歴史に、この時代の様々なところで名だけを残す謎の人物となれたらいいな。

2018-09-25

痛いニュース(ノ∀`):韓国日本の文化庁が高麗の名品を貸してくれない。器が小さい。仏像問題文化財交流に持ち込むな」 http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1980457.html

一度貸したら屁理屈捏ねて戻ってこないじゃん!

そんな国に誰が貸すの?wwww

2018-09-09

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jiji.com/jc/article?k=2018090900147&g=int

国立博物館焼いちゃったり、素人が好きな色塗っちゃったり、なんというかこう、ラテン系の国って文化財の扱いまで割とラテンなノリですよね。

しかし古いものにそんなにこだわっちゃってどうするの、今を生きなきゃ、って現地の人達の「今」を楽しむメッセージが込められているのかもしれません。

いつまでも歴史だの伝統だのに囚われている日本人幸せなんだろうか。

まさにハッと気づかされました。

2018-08-22

ルーヴル美術館展に意味はないのか?

腹の立つ意見を目にしたので。

国立新美術館で開催中の展覧会ルーヴル美術館展 肖像芸術——人は人をどう表現してきたか」。ルーヴル美術館所蔵品の中から肖像芸術テーマ絵画彫刻を集めた展覧会で、来場者数30万人を突破する人気ぶりながらも、玄人筋評価は低い。たとえばこんなツイート

ルーブル展、確かに良い作品もあったけれど、なんというかあんまり何も残らなくてさびしくなってしまった。人はたくさん入っていた。「ルーブル展」という名を冠し、膨大な保険料広告料を支払い、そうしてこの展示をやる意味をどう見出しているのだろうかとかんがえてしまった。

https://twitter.com/milletolio/status/1031883317900009472

30万を超える来場者の多くは楽しみ、喜び、感動したろうに、そんなことには意味がないと、この人は言いたいのだろうか。

本展に限らず、一般美術館展というのは一部で評判がよくない。展覧会には学術的に意味があるべきだ、学術意味のある展覧会こそ評価されるべきだという考え方があるからだ。調査研究の成果を示す、新たな見方提示する、埋もれていたものを発掘する、展覧会というのがそういう場であると。もちろん、私もその考えには同意する。そして、この観点に立つと、いわゆる美術館展というのは、あまり評価できないものになるわけだ。所蔵品のうち、数点から十数点の名品とその他の数合わせ作品を、適当テーマを作って持ってくるだけのものから

しかし、それでも私は、こういった美術館展が好きで足を運ぶし、開催してくれる関係者の人たちには感謝に堪えない。というのも、こういった展覧会では、少なくとも1つは、心に残るようなお気に入りの名品があるから。1点出会いがあれば、入館料なんて安いもんだと、私は思ってる。

ヨーロッパに行けば、そんな出会いゴロゴロしてるぞって言うかもしれない。まあ、その通りだろうね。美術館展を批判している人を見ると、たいてい何度も海外に行っている人だ。でも、世の中気軽に海外に行ける人ばかりではない。私もその一人。そういう人間にしてみれば、少ないながらも名作を日本に持ってきてくれるのはありがたい話なんだよ。国立西洋美術館をはじめ、日本にも西洋美術コレクションはあるし、それなりにがんばっているとは思うけど、ルーヴル美術館展その他の美術館展を腐せるほど、充実したものではない。

以上が、ルーヴル美術館展をやる意味の1つ。日本にいい作品を持ってきて、日本在住の人にいい作品との出会い提供する。子供若者貧乏人。時間がない人だっているし、病気などで海外は難しい人もいる。十分意味あることでしょ。

もう1つ挙げると、これルーヴル美術館に多額のお金が入るわけだよね。そのお金ルーヴル美術館運営資金に充てられる。つまり文化財保護や修復、施設の維持、スタッフ給料研究費などに用いられるわけだ。これって意味のあることじゃないの?

国内外美術館展覧会に足繁く通っていると、内容が薄いながら素人受けする展覧会に苛立つということもあるのかもしれない。でもそれって単にnot for youなだけなんだよね。見下して腐すという行為は醜い。

最後に、本題とはずれるが、ひとつ美術ってなによりも作品ありきだと思う。研究大事だけど、まずはやっぱり作品だ。先に引いたツイートの「良い作品もあったけれど(略)何も残らなくて」との言。いい作品見て何も残らない人が美術作品を見る意味とは。

2018-05-24

anond:20180523222809

吉田寮生として簡単に。一応二十年前くらい前に住んでた絡みで。

現在築100年を超える吉田寮では、大学当局より新吉田寮(2015年入居開始)への移転を求められ、

過去数年にわたる団交が不調に終わった事により、最終的な退寮期限を当局に定められ、強制代執行を匂わす措置に対しての抗議活動が行われている。

京都大学自由な学風」とは全く違うのが、「大学当局」または「学生部」でして。

実の所、あんまり握手できるような団交はありません。

団交はほぼ毎年行っているかと思います

https://sites.google.com/site/yoshidadormitory/kakuyaku

確約書は、団交の結果を貰ってハンコついてもらってるもので、実の所、ここに上がっているよりも前のやつもまだ寮にあるんじゃないかなと。

去年ちょっと都合あって近くに行ったので覗いたんですが、未だに自分が貼ったポスターがありました。「季節を抱きしめて」というやつですが。

文化財認定による宿舎保護、又は構造改修による現状維持

誰もがこの方法による現状保存を思い浮かべるが、逆になぜ誰もが思い浮かぶこの①の方法が未だに達成されていないのか。

寮生の生活空間としての寮を維持したいというのが主であり、文化財であれば退去が求められるかと思います

なので、二十年前の時も内部で議論が分かれた所です。

なお、大学当局(っていうと大げさですが、学生部とか文科省から出向してくる人とか会計監査院とか)にはその考え方はありません。

無いんだからどうしようもない。

学内認知度も低く、学生部のところには「京大に来る謎のバイト」とか「月一万で住める間借り」とかあったりするんですが、知る人ぞ知る魔境ではあります

日本初の合成繊維を作った研究室」とかも潰れてますし、大学感覚としては、「残しているんじゃない、残っているだけだ」という感じでしょう。

大学敷地内に、廃墟みたいな温室があったりするのも京大らしいと言えば京大らしい。らしいじゃなくて多分廃墟だと思うけど。

b 構造改修が事実上不可能、又はほぼ新築と同額の予算がかかり、実際に予算を出す当局としては二の足を踏む構造改修費用である

ここはちょっと突っ込んで置きますが。

独立行政法人と言われても、結局の所、文科省申請国家予算に計上~みたいな流れになるんですね。

で、毎年どうも勝手適当予算申請はしているっぽくて、たまに通ると急に通達やってきたりとかします。

寮だけではなく、大学運営問題ではあるんですが、そもそも独自に使えるお金なんてほとんどないのと、後付けでお金補填する事も難しいという事があります

「急ぎなんで建て替えるけどちゃんと後で補填してよね」という話が通じないんですよ。

故に、職員給料しわ寄せがいくような運用がなされるんですよね。

という事は、社会人になって地震後の官公庁お仕事してみてよく分かりました。予算申請してて取れるとか言われてたけど蓋開けてみたら取れてなくて来年とか、マジで平気であります

日本国内において築100年程度築浅(?)のたか木造宿舎に、保存価値はないとみられている可能性が非常に高く、

保護を得られない前提で耐震改修が必要となるが、所詮学生向けの安普請なので、耐震改修を行ったうえでのPL法責任を負う

稀有建設会社はこの世に存在しないと考えられる。また現在耐震基準で改修した場合は、ただ置石の上に支柱が立っているだけであろう

日露戦争賠償金で建てられたとかのネタがある寮ですが、「安普請」ではありません。

http://tabenokoc.blogspot.jp/2012/03/blog-post_9674.html

とか読んで貰えば。

あとは疲れたので適当に流しますが、そこそこ情報出てるんですけどね。。。。。。

現在住民が出してますよね。。。。。。

頼みもしないのに勝手に湧いてきて寮かくあるべし論を述べられる方も、二十年前にもだいたい二年に一人はおられました。

まあそんなところです。そんな憧れる所でもないと思いますけどね。

2018-04-24

anond:20180424190804

観光客課税しかないな

文化財保護伝統的な生活を守るとかもっともらしい理由付ければ通らないこともなさそうだ

2018-04-20

新入社員に言いたい。無駄から音読するな

先日、新人ちょっとした報告書を作ってもらって会議説明してもらった

別に多くを望んではいない

これから本格的に仕事に当たることになる前のちょっとした予行演習、助走みたいなもの

さて、報告書に目を通す

『今回、文化財保護にかかる問題限定したことは、森林公園を望む2万人あまり署名者、文化庁をはじめとする多くの専門家の~~~』

なかなかよくまとめているじゃないかと思っていると新人の口からとんでもない言葉が飛び出した

「今回、文化財保護にかかる問題限定したことは、森林公園を望む2万人あまり署名者、文化庁をはじめとする多くの専門家の~~~」

はああ???

そんなことは読みゃ分かるんだよ!

なんで同じことをそっくりそのまま声に出して読むんだよ!

あれか、今の学生は猫も杓子もTOEIC病でシャドーイングばっかやってたからか?

なんだろう。例えばサークル飲み会とか合コンとか彼女とのあれこれなんかを通して「あ、女の子にこの話題は無しなんだな」

みたいなの自然と学んでいくじゃん。別に教科書があるわけでも誰に習うわけでもなく

それと同じことだと思うんだけど今の若い奴らって「資料に書いてあることをそっくりそのまま音読するのは時間無駄」っていうことを学ぶ機会がないのか?

ゼミの発表とかどうしてたんだ?ひたすら音読してたのか?

周りの奴らにも教授にも微妙空気が漂ってたの感じ取らなかったのか?

多分教授の中にも資料音読野郎はいると思うんだけど、そういう講義を受けて友人と「あいつの講義マジ無駄だよな」みたいな会話しないのか?

それを反面教師にしようと思わないのか?

『見て覚えろ』『自分で考えろ』っていう指導ははっきり言って好きじゃない

でも『資料に書いてあることはみんな分かってるから音読するな』

ってそこまで面倒見てあげるのも上司仕事のうちに入るのか?

2018-01-12

[] 日本で見つかった「国宝級中国陶器」は本物か、偽物か?

原典:日本發現的「國寶級中國瓷器」是真是假? 日經中文網

日本で見つかった「国宝級中国陶器」は本物か、偽物か?

2017/06/26

日経中文網 特約コラムニスト 張石

2016年12月20日、日本のテレビ東京系のテレビ番組「開運!なんでも探偵団」で「衝撃的なニュース」が報じられた。番組始まって以来最大の発見として、世界で4個目となる中国宋時代の陶器「曜変天目茶碗」が発見されたというのだ。番組の中で、日本の著名な美術鑑定家の中島誠之助氏は、「12~13世紀中国南宋時代に福建省の建窯で焼かれた『曜変天目』に間違いない」と述べ、2500万円の価値があるとした。

曜変天目茶碗とは

曜変天目茶碗」は中国の宋時代に作られ、その窯は建窯と呼ばれた(歴史的には建陽窯とも呼ばれる)。現在の福建省南平市建陽区水吉鎮にある。この茶碗は釉薬が焼成の過程で流れ落ちて厚く溜まり、一部は凝集して滴を作る。この滴の周囲で特殊な窯変反応が起き、七色に輝く光彩を生じる。その輝きはまるで夢幻かあるいは変化する気象のようで、色鮮やかな霞をまとっており、神秘小宇宙に輝く星空のようだ。この種の茶碗が焼けるのは極めてまれな偶然によるもので、一説には窯変過程でこのような効果が生じるのは数百万個に一個ほどと言われる。現在世界に存在する完全な「曜変天目茶碗」はわずか3個で、東京静嘉堂文庫京都大徳寺龍光院大阪藤田美術館が所蔵し、すべて日本の「国宝」に指定されている。中国には現在「曜変天目茶碗」の陶片が1点あるのみだ。

天目茶碗は宋代に制作され、その生産は元時代の初期まで続いたが、以後は二度と作られていない。中国では明や清の時代に曜変の再現が試みられたが成功しなかった。日本では江戸時代から再現が試みられており、美濃や瀬戸で「白天目」などは生産されたものの、「曜変天目茶碗」の再現には至らなかった。1974年、日本の化学者安藤堅は48歳で、それまで定収入が得られていた仕事を辞め、高級住宅も売却して「曜変天目茶碗」を再現するための研究を始めた。彼は貧困の中で困難な研究を続け、ついに1977年に古代の「曜変天目茶碗」に似た最初の作品を焼くことに成功した。安藤に続いて、日本の陶芸家の林恭助、桶谷寧、長江惣吉や中国人間国宝国家級非物質文化遺産建窯代表伝承人)である孫建興らが曜変に似た作品を作っている。

曜変天目茶碗」の鑑定が日本で大論争に

番組の放送後、徳島県教育委員会はこの茶碗を県文化財に指定するための調査計画した。

しかしここで、日本の陶芸家や専門の研究者から曜変天目茶碗である」という番組の鑑定に対して疑問が投げかけられた。愛知県で古くからの窯が多い瀬戸市に住む陶芸家の長江惣吉氏は家業の陶工を継ぐ9代目で、父親の曜変天目研究を継承している。彼は父の業績を引き継ぎ、「曜変天目茶碗」の再現に一定の成功を収めた。1996年以来、中国を28回も訪れて建窯の研究を行っている。中国では中国科学院上海珪酸研究所と連携して陶磁器の国際研究会にも参加し、中国の陶磁専門家に友人も多い。中国古陶磁の再現についても意見交換を行っている。その長江氏が番組に異議を唱えたのだ。彼はインターネットで、福建省周辺で作られた「曜変天目茶碗」の複製品を購入し、これが番組の認定した「曜変天目」と出所が同じだと考えている。

「この茶碗には顔料(スピネル顔料)が使われています。この顔料ヨーロッパ18世紀に発明されたもので、曜変天目が作られた宋代(12~13世紀)には存在しません。ですから、こういった顔料が宋代の茶碗に使われることはありえません。この顔料の主な成分は、化学的に製造されたコバルトクロムセレンカドミウムです。これらの元素が多く含まれていれば、例の茶碗を分析すれば各々の顔料部分からこれらを検出できるはずです。これらの元素は完全に天然原料から作られた当時の建盞には全く含まれません。仮にこれらの元素が天然原料に不純物として含まれていたとしても、その量は 0.01% 程度にしかなりません」

「曜変の光彩はオパールのように、見る角度が変わると光彩も変化します。非常に美しく、人を魅了するものです」

「いわゆる「曜変」という言葉の意味は、輝きが変化するということです。(長江氏がネットで購入した茶碗を示しながら)しかしこの茶碗は、単に青・緑・赤の顔料が発色しているだけです。この種の茶碗の場合、釉薬の成分(リン酸)の関係で、顔料釉と白濁釉にわずかな光彩が出るのみです。曜変の明るい光彩とは比べ物になりません。私がネットで買った茶碗を番組の茶碗と比べると、赤色の内側部分がよりはっきりしていて白い部分はありませんが、これは顔料で描くとき方法の違いや白濁釉と顔料の濃淡の違いによるもので、実際のところはどちらも同じですよね?」

長江さんは後で筆者に述べた。

「あの茶碗は中国の福建ではどこでも見られる商品です。「曜変天目茶碗」に似ていると言う人もいるかもしれませんが、これは偽物として作られた物ではなくただの商品で、非常に安い値段で売られています。番組の中でテレビ東京はあの茶碗を宋代に作られた「曜変天目茶碗」だと説明しましたが、これは「鹿を指して馬だと言う」ようなものでしかありません。」

中国陶磁史と中国陶磁考古学の分野で世界的な影響を持つ権威である沖縄県立芸術大学教授森達也氏も、筆者の取材に対してこう述べた。

「少なくとも「曜変天目茶碗」ではありません。12~13世紀製造されたという可能性も非常に低いものです。」

筆者がその理由を尋ねると、森達也氏は以下のように述べた。

「1. 日本国内には3個の「曜変天目茶碗」があります。私は杭州で出土した「曜変天目茶碗」の破片も手に取って見たことがあります。「曜変天目茶碗」の外側にはテレビ東京の番組の茶碗のようなはっきりした模様はありません。

2. テレビ東京の番組の茶碗に見られる模様は雲のようですが、これは曜変天目の模様とは全く異なります。本物の「曜変天目茶碗」の模様は白くて丸い斑紋で、その周囲には虹のような色鮮やかな光芒が出ています。

3. テレビ東京の番組で鑑定された「曜変天目茶碗」には、茶碗の底に「供御」という二文字があります。確かに建窯の窯跡では「供御」と書かれた陶片が見つかっていますが、割れていない完全な陶磁器でこの二文字が刻まれたものは世界中で一つも見つかっていません。模倣品でこの二文字を刻んだものは数多く存在します。テレビ東京の茶碗は本物の「曜変天目茶碗」とは全く異なるものですが、最近中国流行している模倣品とは非常によく似ています。」

森達也教授さらに述べた。

テレビ番組としては劇場的な効果さえあればよく、科学的な研究は要らないのです。あの茶碗が日本の3点の国宝と同じであるなどというのはナンセンスな話ですが、陶磁器科学研究を行っている人々からすればこれは非常に残念なことです。」

この論争は中国にも広がっている。中華陶磁芸術設計大師の資格を持ち、国家級非物質文化遺産建窯代表伝承人(日本の人間国宝に相当する)でもある建窯陶磁研究所所長の孫建興氏は、「曜変天目茶碗」を再現し建窯を再び曜変の産地とする事業に40年にわたって取り組んでいる。彼はこれまでに黒釉の天目茶碗や黄(赤・青・金・銀)などの兎毫盞、異毫盞、虹彩(金縷、白点)、鷓鴣斑、鐵銹斑、毫変、国宝油滴、金(銀、虹彩)油滴、黄天目、蓼冷汁、灰被、玳瑁、柿紅、虹彩、金(銀)彩文字、木葉、窯変、曜変天目などの一連の作品を作ってきた。彼が長江惣吉氏に送ったメールで、彼は述べている。

「これは曜変の偽物で、現代に焼かれたものです」

筆者も電話で孫氏と長時間話をした。彼は筆者にこのように述べた。

テレビ東京で放送された茶碗はせいぜい数年前に作られたものです。」

新聞や雑誌で真贋論争が過熱した後、この「曜変天目茶碗」の所有者は茶碗を奈良大学文学部文化財学科教授の魚島純一氏に渡し、分析を依頼した。魚島教授は蛍光X線装置を用いて茶碗表面の色の部分を分析した。

魚島教授物質に含まれている元素を検出できる蛍光X線分析装置で、茶碗表面の各色にX線を照射して元素の種類と量を測定した。その結果、アルミニウムなど10種類の元素を検出したが、化学顔料に使われる元素については発色に影響しないほどわずかな量しか検出されなかった。

魚島教授は述べている。

「X線分析の結果、表面のどの色の部分かによらず、検出成分はほぼ同じであった。このことから、茶碗に使われている釉薬は1種類であると考えられ、この分析結果からは茶碗が偽物であることは断定できない。」(《德島新聞》,2017年2月28日

一方、長江氏は筆者に対して次のように述べた。

「魚島教授は、釉薬の発色に影響するだけの量が検出されなかったため、判断ができないと言っている。であれば、魚島氏は最低限どれだけの量が含まれていれば発色に影響するのかを具体的に言った上で、分析の結果その最低量を下回っていたことを示さなければならない。しかし、魚島教授データには下限値の数値も書かれていないし、彼が分析で得た数値も書かれていない。よって彼の判断には根拠がない。」

日本の複数メディア報道によれば、その後、茶碗の所有者から茶碗についての資料が提供されないため、徳島県文化財指定のための調査を中止した。

なぜ「曜変天目茶碗」の鑑定は論争を引き起こしたか

私自身、「開運!なんでも鑑定団」は好きな番組だ。自分も中国の古陶磁を蒐集しており、骨董の鑑定について10年近く独学で学んでいる。浅学ながら陶磁器の本や文章なども執筆してきた。私は中島誠之助さんの陶磁器鑑定、特に日本の陶磁器鑑定については相当の経験をお持ちで深い造詣を有していると思っている。

だが、中島さんと彼の鑑定についてはともかく一般論として、一人の鑑定士の鑑定範囲が日本だけでなく海外をもカバーして、なおかつ正確であることを求められるというのは、鑑定士にとっては間違いなく一種冒険と言ってよい。陶磁器は全世界に存在し、最古の陶器は数万年以上の歴史を持っている。一人の鑑定家が古今東西全てについて完全に判定できて一度も間違えないなどということが可能だろうか? 一度間違えればその後も間違いの危険は存在するのだ。

「荘子」で述べられているように、「吾が生や涯(かぎり)有り、而(しか)も知や涯無し。涯有るを以て涯無きに随(したが)うは、殆(あやう)きのみ」(我々の人生は有限である。しかし人間の知は無限だ。有言の身で無限のことを追い求めるのは危うい)なのだ

このことは、最も権威ある陶磁器研究者であっても忘れてしまうことがある。例えば、1959年国際的に知られた陶磁研究専門家で日本陶磁研究第一人者でもあり、当時日本の文部省の技官として文化財専門審査委員を務めた小山富士夫氏が、「永仁の壺」と呼ばれた陶器を日本の重要文化財に指定するよう強く推薦したことがあった。これを受けて同年6月27日文部省は「永仁の壺」を鎌倉時代古瀬作品であるとして重要文化財に指定した。

その後、日本の有名な陶芸家であった加藤唐九郎が海外に渡航した際に、唐九郎の息子である加藤嶺男が「いわゆる「永仁の壺」は自分が作った」と述べた。唐九郎の帰国後、彼はメディアが大騒動になっているのを目の当たりにした。1960年9月23日、唐九郎は「永仁の壺」は1937年に自分が作ったものであることを認めた。(真の作者が誰であったのかについては異なる見解がある。)「永仁の壺」が本物である証拠は、古瀬戸の「松留窯」で発見された陶片が「永仁の壺」の胎釉と一致するという点にあったが、実は「松留窯」自体加藤唐九郎による捏造で、陶片も彼が偽造したものだった。

このようにして、「永仁の壺」を含む重要文化財3点が指定取り消しとなり、小山富士夫は委員会を辞職した。ゆえに、賢明な鑑定家は誰であれ、古物の鑑定には、異議の申し立てが容易に行えるように、議論の余地を残しておかねばならないのだ。

私は中島氏の鑑定が間違っていたと言っているのではない。第一に、私はこの分野の専門家ではない。この件で私が真贋を判断するのは無意味だ。第二に、厳密にいえば、文物の鑑定とは考古学歴史学、美学、自然科学にわたる総合的な学問である全面的に、かつ正確に古代の文物の年代を特定・鑑定する厳密な科学方法は存在しない。言い換えれば、こういった議論で100%の是非を決める結論を得るのは難しい。

筆者は言いたい:このような重大な鑑定では、もっと広く意見を求めるべきだったのではないか?

確かにテレビ番組では、科学研究場合のように「この品物が疑わしい」と言うのは難しいことだ。しかし、結論を出すのが難しい文物、特に「鑑定団史上最大の発見」といった結論や、「現存4個目の中国宋代の陶器「曜変天目茶碗」」のような鑑定については、中国建窯の専門家と日本の権威ある専門家の意見を求めるべきではないだろうか。筆者はテレビ東京の番組担当者に、この論争についての意見を求めて何度も電話をかけ、メールを送った。しかしこの原稿を執筆している時点では、彼らからの返答はない。「週刊ポスト」の報道によれば、この件についてのテレビ東京見解は以下の通りだ。「鑑定は番組独自見解であり、お答えすることはございません」(《週刊ポスト》,2017年6月23日,146頁)

だが、もしもっと広く意見を集めることができたら、例えば中国で初めて建窯の陶磁器の再現に成功した前述の孫建興氏のような専門家の意見を求めてはどうだろうか? 彼の「曜変天目」に関する研究と実験は非常に深いものだ。彼は考古学、鑑定、科学実験の各方面に非常に造詣が深い。こういった人々の意見には重みがあると言えないだろうか。もしテレビ東京がこのような人々にもっと意見を求めるようにすれば、論争は減るのではないか?

もう一つの問題は、文物の鑑定に自然科学が介入するという話だ。実際、今のところ文物科学的に鑑定する完璧方法というのは存在しない。多くの人が挙げる放射性炭素年代測定法は、自然界に存在する炭素14という同位元素を使ってもともと生きていた動植物の年齢を決める放射年代測定法だ。動植物が生きている間は生物の新陳代謝によって生体内の炭素14の量は一定に保たれる。生物が死ぬと体内の炭素14は崩壊して減り続ける。だが磁器・陶器・青銅器などは無機物だ。しかも時代の古い文物場合炭素14年代測定では年代の上下の誤差が大きい。一方で、1000年から2000年前という比較的新しい歴史的文物場合基本的には炭素14鑑定は使えない。

また、熱ルミネセンス法と呼ばれる鑑定方法もある。陶磁器が焼かれるときに500℃以上に加熱されると、外部から吸収した輻射エネルギー放出される。その後、焼成から年月が経つと、年月の長さに応じた量の輻射エネルギーを再吸収していく。熱ルミネセンス法の原理は、古陶磁の内部に蓄えられているこの輻射エネルギーの量を計ることで年代を測定するものだ。誤差範囲一般的に±20%程度で、相対的には正確な方だ。

しかしこのような報道もある。

「数年前、北京の二つの有名な博物館がそれぞれ六朝時代の陶器を古物市場で20万元で購入したが、後にそれらがすべて贋作であることが判明した。これらの品は河南省の某博物館の下で作られたアンティーク工芸品であったが、なぜこれらが北京の潘家園旧貨市場に流れたのかは分かっていない。ある古物の専門家が古物市場を訪れ、そこで売られている品物を熱ルミネセンス法で調べると、約1600年前という測定結果が出た。そこで誰もがそこの品物を買った。買われたことが知られると、同じような品物が古物市場にどんどん出現した。そこで国家文物局がすぐに公安部通報した。公安部担当者は、「墓が荒らされて大量の遺物が盗まれる事件が発生している」と説明した。警察が現地に到着すると、地元の住民が自宅で贋作を作る作業をしているのを発見したという。彼らは六朝時代の墳墓から盗掘したレンガを削って粉にしていた。この粉を贋作に使えば、熱ルミネセンス法にかけても墳墓の中で長年溜め込んだ輻射を出すので贋作を判別できなくなる。また彼らは、こうして作った粉で六朝陶器を偽造するための特別な装置も使っていた。このようにして、熱ルミネセンス法での検査は失敗してしまうのだ。」 (《鑒定家VS造假者》,新華網,2005年03月15日

魚島教授が蛍光X線分析を用いた点に関して、森達也教授は私に述べた。

「彼は本物の曜変天目との比較を一切行わず、例の茶碗のみで分析を行いました。これでは意味がありません。」

筆者は魚島教授にも、蛍光X線検査について質問を行った。彼は言う。

「私はあくまでも顔料部分の元素を調べる目的でこの装置を用いました。私が調査結果を発表した際に、茶碗が偽物である考える人たちから非難を受けましたが、私は真贋鑑定をしたわけではありません。」

筆者:

―― それはつまりあなた検証結果は、この茶碗には18世紀以降の顔料は使われていない、ということですよね。

魚島教授

「それは新聞がいい加減に書いていることです。私は18世紀以降云々といったことは言っていません。私はただ、現代のものと考えられるような種類の顔料は検出されなかった、と言っているだけです。」

筆者:

―― 言い換えれば、18世紀以降に発明された化学顔料は使われていなかった、ということですよね?

魚島教授

「これらの顔料が使われているから茶碗は偽物なのだと主張する人々もいますが、私はただ、そのような顔料は検出されなかった、と言っているだけです。私は陶磁器鑑定の専門家ではありません。あの茶碗が偽物だと主張する人々は、化学顔料元素が茶碗に含まれているはずだ、と言っています。私は単に、その元素があの茶碗に本当にあるかないかだけを調べたのです。どの時代に作られたものか、という調査をしたのではありません。ただ、あなた方が言っているような元素はありませんでした、と言っただけです。」

筆者は質問した。

―― 例えば、もちろんこれは(例の茶碗のことではなく)仮定の話ですが、誰か現代の人間が、今回指摘されたような元素を含む現代の化学顔料ではなく、昔の顔料を使って茶碗を作ったとしたら、あなた検証方法では今回と同じような結果が出ますか?

魚島教授

「その可能性はあります。」

しかしながら、中国では古代の陶磁器を偽造または模造する際に化学釉薬を使うことは多くない。中国の多くの地方には陶磁器の偽造工房があり、こうした工房の多くには専門技術を持った人間がいるわけではない。地元の農民が、数千年間にわたって埋まっていた陶土を掘り出し、古代の方法で焼いているのだ。匿名で語ってくれた、中国で著名な建窯の研究家考古学者、鑑定家たちが筆者に述べたところでは、現在中国には建窯産品のコピー品工房が1600以上存在する。その多くは偽造品を作りたいわけではなく、単にアンティーク風の品や旅行土産製造するのが目的だ。もちろん中には偽造品の製造目的とする人々もいるが、偽造品の製造方法はどこにでもあるような手法だ。科学的な鑑定が困難になるように、古い器の底の部分だけを新しい器に接合したり、古い胎土に新しい釉薬を使ったり、古い胎土に古い釉薬を使ったり、その他いろいろな方法を使っている。

このことは、古物鑑定が文化や歴史年代、改竄や継承といった問題と関わっていることを示している。加えて社会的な影響や国際的な影響も大きい。今回の鑑定やテレビ東京の件は別にしても、日本の博物館や歴史研究部門では、中国文物を鑑定する際に同じような問題に直面しているはずだ。それゆえ、重大な結論に至るような場合には、我々は注意深くなる必要があり、広く意見を求めるべきなのだ

※ この記事は筆者の個人的視点を示したものです。

張石 略歴:

1985年中国東北師範大学外国語言文学系研究所卒業修士号を取得。1988年から1992年まで、中国社会科学院日本研究所助手研究員 このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2017-12-05

なんでも鑑定団

文化財とか古文書とか骨董とか専門にしてて、なんでも鑑定団見てたら大抵本物かにせ者か、値段はいくらか解ってしまう。

だけど、勉強になるから鑑定団はいつも見ている。

そしてアシスタントのお姉さんの美脚を主にいつも鑑定している。これは読めない。永遠テーマだ。

2017-11-27

anond:20170920014600

若者の総意は「天皇死ね

→ お前の主観だろ

反天連デモに反対するのは右翼高齢者子供しかいない

普通社会人なら、デモ集団に関わろうとは思わない

日本人の大体が渡来人家系といわれているが、天皇一族渡来人家系

→ それは本当?すり替わったとかい陰謀論のこと? 生物学的な遺伝のことを言ってるなら、何も問題ないだろ

ネトウヨはおろか普通右派からですら嫌われている。日本人家系ですらないから。

→ お前の主観だろ

しろ普通左翼天皇制賛成

→ お前の主観だろ

国内外各地で「天皇制は変えるべきだ」という声が相次いでいる。

女系天皇や退位の議論ではなくて? 違うなら、お前の主観

天皇制の維持には何兆円もの予算が使われている。文化財軍事費屁理屈つけて費用などを削減するこの国で天皇制が維持できるとは思えない。

→ 累積で言ってる? 2文目は何言ってるかわからん

極端な左翼どころか、普通の日本人ですらこの有様なのに、天皇制を守ろうとか言っている連中って正気なの?

→ 守ろうって何?上から目線すぎないか

2017-11-23

考えてみれば誰に何言われずとも端からエロ本置いてないコンビニなんて山ほどあるんだし、ゴリゴリ数字主義で売るものを決めてるコンビニでそうなってるんだから

物理エロ本を守るためには税金から補助金出して貰う文化財ルート目指さないともはや駄目なんだろうな。資本主義社会の中でどうしようもなく「弱い」存在なんだろう

吹きあがってる人たちに「最後物理エロ本買ったのはいつ?」って聞くとたぶん黙る

ほんとうに表現の自由を守りたいなら表現の自由武器にして論戦するよりも黙ってたくさん金を出せ。それ以上でも以下でもないんだろう。物理エロ本限定しなくとも。

2017-11-22

anond:20171122181653

ところでさ、俺が100年の歴史ある文化財

「俺&彼女LOVE」って落書きつけたらどんな気分になる?

 

俺にとっては素晴らしい思い出になるが

2017-09-20

日本人よ、天皇制ってそれでも守りたいんか?



極端な左翼どころか、普通の日本人ですらこの有様なのに、天皇制を守ろうとか言っている連中って正気なの?

2017-09-19

韓国で盗まれ日本で売却の文化財 韓国に寄贈

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170919/k10011147681000.html

なんか美談みたいになってるけど、こっちの記事を読むと印象が変わってくる。

http://japanese.joins.com/article/598/233598.html

国外財団は、1998年6月にこの墓誌不法日本に搬出された事実確認し、日本の所蔵者と会って説得を続けた末、韓国国立中央博物館所有権移転されることになった。

有償で譲ってもらえるよう交渉したのではなく「説得」、それを「続けた」とあるので、この財団の人が何度も何度も無償で渡すように「説得」しにきて根負けしたのかもしれない。

2017-06-27

https://anond.hatelabo.jp/20170627200348

(なんかエスパーラリーっぽいが)

大統領理想にした場合民進党党首大統領レベル理想が求められるだろう。

っていうかそれくらいのレベル人間じゃないと政権取れない。

ついでにいうと「国籍」であって人種差別じゃない。

差別」はバズワード

日本における外来思想カウンターアイデンティティ創造神道に集結させていった感じで、国教宗教化することが良くなかったんじゃないかなあって気がする。

神仏分離令などせず、神道を上位に、下位組織として寺社をおいて国営化すれば文化財破壊することもなかったんじゃないのって。

2017-06-03

オタクへのアドバイス

口呼吸をやめよう

歯を磨こう

鼻毛を切ろう

耳毛を処理しよう

爪は長くなる前に切ろう

眉毛をすこし整えよう

猫背を直そう

髪を短くしよう

独り言をやめよう

毎日ヒゲを剃ろう

毎日風呂に入ろう

穴のあいた服は捨てて新しいのを買おう

汚れた靴はきれいにしよう

舌打ちをやめよう

自分だけ異常にテンションあがってつまらないジョークを楽しげに何度も繰り返すのはやめよう

相手の話をさえぎって自分の話をしないようにしよう

興味ない人に自分の大好きな作品布教するのはやめよう

差別的発言はやめよう

もうすこし落ち着こう

公共の場で大声で話すのをやめよう

くちゃくちゃ音を立てて食べるのをやめよう

箸の持ち方を覚えよう

インスタント食品や肉中心の食生活見直し野菜を食べよう

お酒はほどほどにしよう

歩きタバコはやめよう

スナック菓子を食べ過ぎないようにしよう

水分補給スポーツドリンクがぶ飲みはやめよう

親に暴力を振るうのはやめよう

親の金を盗むのはやめよう

便器の前でズボンを足元までずり下げるのはやめよう

ずるずる鼻をすするのはやめよう

首をぼきぼき鳴らすのはやめよう

他人に何かやってもらったら「ありがとう」と言おう

眼鏡の度が合ってなかったら新しいものを作ろう

社交辞令を真に受けないようにしよう

いつも本音毒舌トークをするのではなくあたりさわりのない社交辞令も言えるようにしよう

電車のドアが開いてもダッシュで席を取りに行かない心の余裕を持とう

イヤホンヘッドホン大音量で長時間音楽聴くのはやめよう

満員電車に乗るときリュックサックは背負ったままではなく手に持つか網棚に載せるかしよう

歩きながら唾を吐かないようにしよう

道端や小便器にガムを吐かないようにしよう

タバコペットボトルや空き缶のポイ捨てはやめよう

部屋にゴミを溜めすぎないようにしよう

部屋の掃除をしよう

睡眠はちゃんと取ろう

インターネットスラング日常会話で使わないように気をつけよう

太っているなら痩せよう

痩せすぎているなら積極的に食べて体を鍛えよう

タイピング必要以上に音を立てる謎アピールをやめよう

頭を振って髪をわしゃわしゃしながら「あー、くそっ」と突然自分自身にキレないようにしよう

料理がまずいとチェーン店店員に難癖をつけないようにしよう

コンビニで長時間漫画雑誌立ち読みするのはやめよう

ブックオフで長時間漫画立ち読みするのはやめよう

図書館で借りた本に書き込みしたり折り目をつけたりするのはやめよう

図書館で借りた本は返そう

他人から借りたものは「返して」と催促されなくてもちゃんと返そう

他人から借りたものを汚したり壊したりしないように気をつけよう

これくらいといった軽い気持ち万引きしないようにしよう

本屋で売ってる本から付録だけ抜き取って何食わぬ顔で持ち去るのはやめよう

カードショップブースターパックを10袋程度取って選んでるフリをしながらひとつかふたつをこっそりバッグの中に入れ残りを元の場所に戻すという見え見えの万引きはやめよう

家の壁を壊さないようにしよう

自傷行為はやめよう

ドラッグには手を出さないようにしよう

飲酒運転はやめよう

文化財落書きするのはやめよう

などなど

2017-05-19

園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市園城寺町にある、天台寺門宗総本山。山号を「長等山(ながらさん)」と称する。

開基(創立者)は大友与多王、本尊弥勒菩薩である日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所である。また、近江八景の1つである三井の晩鐘」でも知られる。

なお一般には「三井寺(みいでら)」として知られるため、本文では「三井寺」の呼称を用いる。

目次 [非表示]

1 歴史

2 伽藍

3 黄不動

4 文化財

4.1 三井寺秘仏

4.2 国宝

4.3 重要文化財

4.4 その他

5 御詠歌

6 前後札所

7 交通

8 周辺

9 脚注

10 参考文献

11 関連項目

12 外部リンク

歴史[編集]

三井寺7世紀大友氏 (古代)の氏寺として草創され、9世紀に唐から帰国した留学円珍天台寺門宗宗祖)によって再興された。三井寺平安時代以降、皇室貴族武家などの幅広い信仰を集めて栄えたが、10世紀から比叡山延暦寺との対立抗争が激化し、比叡山の宗徒によって三井寺が焼き討ちされることが史上度々あった。近世には豊臣秀吉によって寺領没収されて廃寺同然となったこともあるが、こうした歴史上の苦難を乗り越えてその都度再興されてきたことから三井寺は「不死鳥の寺」と称されている。

三井寺」の由来となった井戸「閼伽井屋」(重文

三井寺起源については、次のように伝承されている。大津京を造営した天智天皇は、念持仏の弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立しようとしていたが、生前にはその志を果たせなかった。天皇の子大友皇子弘文天皇)も壬申の乱のため、25歳の若さで没している。大友皇子の子である大友与多王は、父の菩提のため、天智天皇所持の弥勒像を本尊とする寺の建立を発願した。壬申の乱大友皇子敵対していた天武天皇は、朱鳥元年(686年)この寺の建立を許可し、「園城寺」の寺号を与えた。「園城」という寺号は、大友与多王が自分の「荘園城邑」(「田畑屋敷」)を投げ打って一寺を建立しようとする志に感じて名付けたものという。なお、「三井寺」の通称は、この寺に涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから御井」(みい)の寺と言われていたものが転じて三井寺となったという。現在三井寺には創建時に遡る遺物ほとんど残っていない。しかし、金堂付近からは、奈良時代前期に遡る古瓦が出土しており、大友氏と寺との関係史料から裏付けられることから、以上の草創伝承は単なる伝説ではなく、ある程度史実を反映したものと見ることができる。

三井寺では、他宗で「管長」「別当」などと呼ばれる、一山を代表する僧のことを「長吏」(ちょうり)と呼んでいる。貞観元年(859年)、三井寺初代長吏就任し、その後の三井寺の発展の基礎を築いたのが、智証大師円珍である円珍は、弘仁5年(814年)、讃岐国那珂郡香川県善通寺市)に生まれた。俗名は和気広雄、母方の姓は佐伯氏で、円珍の母は弘法大師空海の妹(もしくは姪)にあたる。幼時から学才を発揮し神童と呼ばれた広雄は、15歳で比叡山に登り、初代天台座主義真に入門。19歳の時に国家公認正規の僧となり、円珍改名した。その後、比叡山規定に従って「十二年籠山行」(12年間、比叡山から下りずにひたすら修行する)を終えた後、大峯山熊野三山を巡って厳しい修行をする。このことから三井寺修験道とも深い繋がりを持っている。仁寿3年(853年)には唐へ留学して6年間、各地で修行青龍寺の法全(はっせん)から密教の奥義を伝授された。天安2年(858年)、円珍は多くの経巻、図像、法具を携えて日本帰国した。翌貞観元年(859年)、大友氏の氏寺であった三井寺に「唐院」(とういん)を設置。寺を整備して修行道場とすると共に、唐から請来した経典や法具を唐院に収蔵した。貞観8年(866年)、太政官から円珍伝法の公験(くげん、証明書)が与えられた。顕教密教に加えて修験道を兼学する円珍伝法は、これによって政府公認を得たわけであり、天台寺門宗ではこの時をもって開宗と見なしている。貞観10年(868年)、円珍天台宗最高の地位である天台座主就任。以後、没するまでの24年間、その地位にあった。

円珍の没後、比叡山円珍の門流と、慈覚大師円仁の門流との2派に分かれ、両者は事あるごとに対立するようになった。円珍の没後1世紀まりを経た正暦4年(993年)には、円仁派の僧たちが比叡山内にあった円珍派の房舎を打ち壊す騒動があり、両派の対立は決定的となり、円珍派は比叡山下りて、三井寺に移った。比叡山延暦寺を「山門」と別称するのに対し三井寺を「寺門」と称することから、両者の対立抗争を「山門寺門の抗争」などと呼んでいる。比叡山宗徒による三井寺の焼き討ちは永保元年(1081年)を始め、中世末期までに大規模なものだけで10回、小規模なものまで含めると50回にも上るという。

三井寺は、平安時代には朝廷貴族尊崇を集め、中でも藤原道長白河上皇らが深く帰依したことが知られている。これら勢力から寄進等による荘園多数を支配下におき、信州善光寺荘園末寺として記録に著れる。中世以降は源氏など武家信仰も集めた。源氏は、源頼義三井寺に戦勝祈願をしたことから歴代尊崇が篤く、源頼政平家打倒の兵を挙げた時にはこれに協力し、平家を滅ぼした源頼朝も当寺に保護を加えている。頼朝意思を継いだ北条政子もこの方針継承し、建保元年(1214年)に延暦寺に焼き払われた園城寺大内惟義・佐々木広綱・宇都宮蓮生ら在京御家人に命じて直ちに再建させている。しかし、園城寺僧侶として育てられていた源頼家の子公暁叔父である源実朝暗殺するという事件を起こしたために、以後鎌倉幕府より一時冷遇を受ける。だが、北条時頼の信頼が厚かった隆弁が別当就任すると再興され、続く南北朝内乱でも北朝足利氏を支持したことから室町幕府保護を受けた。両幕府のこの厚遇は、強力な権門である延暦寺勢力牽制するために園城寺に対して一定支援をすることが必要であると考えられていたからだと言われている。

文禄4年(1595年)、三井寺豊臣秀吉の怒りに触れ、闕所(寺領没収事実上の廃寺)を命じられている。三井寺が何によって秀吉の怒りを買ったものかは諸説あって定かではない。この結果、三井寺本尊や宝物は他所へ移され、金堂をはじめとする堂宇も強制的に移築された。当時の三井寺金堂は比叡山に移され、延暦寺転法輪堂(釈迦堂)として現存している。慶長3年(1598年)、秀吉は自らの死の直前になって三井寺の再興を許可している。これは死期を悟った秀吉が、霊験あらたかな三井寺祟りを恐れたためとも言われている。秀吉の再興許可を受け、当時の三井寺長吏・道澄が中心となって寺の再興が進められた。現在三井寺の寺観は、ほぼこの頃に整えられたものである

明治維新後は天台宗寺門派を名乗っていたが、1946年以降は天台寺門宗総本山となっている。

壬生寺(みぶでら)は、京都市中京区壬生にある律宗大本山寺院である本尊地蔵菩薩、開基は園城寺三井寺)の僧快賢である中世に寺を再興した融通念仏の円覚上人が創始したとされる「大念仏狂言」を伝える寺として、また新選組ゆかりの寺としても知られる。古くは地蔵院、宝幢三昧寺[1]、心浄光院と号した。

目次 [非表示]

1 歴史

2 境内

3 文化財

3.1 重要文化財

3.2 焼失した重要文化財

3.3 重要無形民俗文化財

4 行事

5 関連項目

6 アクセス

7 脚注

8 外部リンク

歴史[編集]

園城寺三井寺)の僧快賢が、991年(正暦2年)に自身の母のために建立したとされる。京都では珍しい律宗総本山奈良唐招提寺寺院である

中世に融通念仏の円覚上人が中興。大念仏会の際に上演される重要無形民俗文化財の「壬生念仏狂言」(壬生狂言)は円覚上人が始めたものと伝えられる[2]。

江戸時代後期の幕末には京都治安維持目的活動した新選組(当初は壬生浪士組といった)の本拠壬生村の八木家に置かれた。当寺境内新選組兵法調練場に使われ、武芸などの訓練が行われたという。その縁で境内には局長近藤勇銅像や、新選組隊士の墓である壬生塚がある(近藤勇の墓とされるものは、当所以外にも会津若松市三鷹市などに存在する)。

当寺旧本尊地蔵菩薩半跏像(鎌倉時代後期の作)は、「壬生地蔵」と呼ばれ信仰を集めていたが、1962年昭和37年7月25日放火により本堂とともに焼失した。現在本尊地蔵菩薩立像は、火災後に本山唐招提寺から移されたものである

境内[編集]

現在の本堂は1970年昭和45年)の再建である境内には他に大念仏堂狂言舞台重要文化財)、近藤勇銅像壬生塚、千体仏塔(パゴダ様式仏塔に1000体の石仏を円錐形に安置したもの)などがある。

文化財[編集]

重要文化財[編集]

木造地蔵菩薩立像唐招提寺旧蔵、平安時代

錫杖(しゃくじょう)

紙本墨画淡彩列仙図 長谷川等伯筆 六曲一双(左隻の一扇を欠く)

壬生寺念仏堂狂言舞台)(附 道具蔵、脇門、土塀2棟、棟札2枚)

典拠2000年平成12年)までに指定国宝重要文化財については、『国宝重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録名称索引統計資料)(毎日新聞社、2000)による。

焼失した重要文化財[編集]

木造地蔵菩薩半跏像 旧本尊鎌倉時代

木造四天王立像 鎌倉時代

金鼓 正嘉元年(1257年)銘 - 「金鼓」は仏堂の軒先に吊るす「鰐口」のこと

以上3件は1962年火災で焼失した。[3]

重要無形民俗文化財[編集]

壬生狂言

壬生六斎念仏踊り(指定名称は「京都の六斎念仏」)

行事[編集]

壬生狂言

毎年節分春秋に演じられる無言劇。大念仏狂言(だいねんぶつきょうげん)とも呼ばれる。重要無形民俗文化財指定されている。公開は2月節分の当日と前日、4月29日から5月5日まで、及び10月体育の日を含む3日間(年間12日間)[4]。詳細は「壬生狂言」を参照

壬生六斎念仏踊り

年中行事として、かつては毎年8月9日精霊迎え火、16日の精霊送り火23日の地蔵盆壬生寺で上演されていたが、現在は9日にの実施されている。重要無形民俗文化財。詳細は「壬生六斎念仏踊り」を参照

地蔵盆時の出開帳

壬生寺は、地蔵菩薩本尊とする寺として、地蔵盆の際に地蔵石仏を貸し出す、俗称レンタル地蔵」を行っていることでも知られる。

京都でも新興住宅地などでは地域地蔵がなく、地蔵盆が行えないことがある。この場合宗教色を薄めた「夏祭り」とする所もあるが、地蔵を借りてきて地蔵盆を行うところもある。壬生寺場合は、明治時代から京都各地の区画整理などに伴って祀れなくなった石仏が多数引き取られており、これを出開帳の形式をとって希望する各町に貸し出しているのである

2017-05-03

http://anond.hatelabo.jp/20170502202439

京都文化財は好きだし凄いと思うけど

それ以外の物、特に人は日本一根暗でめんどくさいと思う

あと基本的独自文化なんですよとか言いながら

コンプレックス丸出しなのはどういう冗談なんだろうね

2017-04-26

日本仏教って仏教じゃなくね?

http://anond.hatelabo.jp/20170425210458

から思ってたんだけどさあ。

まず仏教には五戒があるんだが。

酒飲まない、不道徳セックスしない、嘘つかない、殺生しない、盗まない。

これは在家仏教徒のための戒律ね。

俗世に生きる人でもこれくらいはまもろうねってゆるめの戒律

日本坊主でこれ守ってるやつ何人いる?

比較的清廉であろう元増田だってどれか破ってるかもしれんよ。

肉食って酒飲んで嘘つく坊さんどこにでもいるだろ。

出家戒律はこんなもんじゃなく厳しく細かいよ。

日本の坊さん一個も守ってないんじゃねーか?

なんで嫁さんいるの?なんで財産持ってるの?なんで金勘定してるの?なんで経済活動してるの?なんで修行してないの?なんで下らない娯楽で心動かしてんの?

本来なら無駄話すら禁じられてるのに。

これらの戒律無意味な苦行なんかではなくて、

修行の前準備として絶対必要もの

俗世のことは全部在家おんぶするかわりに身を清めて

全力で勉強瞑想修行するのが沙門の果報なの。

嘘ついたりだらしないセックスしたり飲酒したりしてたら在家レベル修行もできないし、

商売なんかしてたら出家レベル瞑想なんか絶対進まない。

実利的に戒律があるわけ。

修行というなによりも大事なことに全力で取り組めて出家は嬉しい。

在家もそんな尊い僧に帰依できて嬉しい。

これが仏教社会なわけ。

坊さんであったらもうものすごい人格と智慧持ってないとダメで。

ちょっと話したらこの人すごい!て思われるくらいの能力修行で開発してるのが僧なのよ。

ちょっと身の回り清くてもそれだけじゃダメなのよ。

真剣悟り目指して瞑想してて能力が開発されてないと。

そんな覚悟と自負のある坊さん日本に何人いるのか。

殆どがただの文化財管理人じゃん。学芸員にしたほうが専門家なだけいいよあんなもん。

http://anond.hatelabo.jp/20170425210458

こういう現象が続いたことが明治廃仏毀釈に至ったわけで、その時代に各地で失われた多くの文化財のことを考えれば、放置すると仏教界だけでなく日本全体にとって不利益というのは分かる。ただ、「そういう目に遭ってもなお性懲りもなく同じことを繰り返す人々」なわけだよな。結局、体制自体を変えないとダメなんだろう。

地元の様子を考えるに、僧が寺を「我が家」のようにして後を継いでいくのが100%悪いとは思わないのだが、後を継ぐ肉親がいなくなった時点ですっぱり手放すという決断自分でできないのが問題なのだと思う。知り合いのところも、子がダメなら孫、みたいな感じでなんとか後を継がせようとしてた。それは結局「自分が住み慣れた家(寺)から出て行きたくないから」なんだよね。

かといって、増田のあげた例で言うなら、「養子で入った新しい住職」の権利を強めると、今度は「信じて入れた養子に冷たく追い出された高齢の元住職夫妻(あるいは元住職が亡くなって、妻のみが追い出される等)」といった別な方向の修羅場が発生するだけのことだと思う。難しいね

とりあえず、元住職夫妻限定で入れる素敵な養老院を、本山出資して整備してみるとかそういう方向での解決はどうなんだろうかね。

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