注目されたいことだけはわかってて、それを目的に何かしようという魂胆が醜い自分が嫌いだけど、したくてたまらない、でもやりきることができない、のでさらに醜い
注目されたくて始めた事をやりきって継続できるなら、それは素敵なんだとわかってるのに、出来ない、出来てないのが情けない。
ところが、そういう人たちが「オタク相手だったらそれが許される」と思ってオタク差別してたわけな。
ところが最近になってから、オタク差別するとオタクが群れて反論するからあわててオタク差別ってのを否定しようとしてる。
別にそれはそれでいいんだけど。
そうすると残るのは何かと言うと、オタクでもなんでもないが、「他に理由もなく人に対してキモイから差別してもいいと思ってるやつ」だ。
「あるいはそれを肯定するやつ」だ。俺は差別してない。そういう問題だと指摘しただけだという逃げ道はふさいどく。
それって、オタクからの批判は少し弱まるかもしれないけど、オタク以外の人間からしたら、オタク差別よりはるかに罪が重いぞ。
じゃお口にチャックしてオナニーでもしてな。
考えるとは言ったが、書くとは言ってないぜ、ベイベー
そこまで勿体つけてご立派な意見が言えるわけでもないだろうに、黙ってれば。
隠し撮りとかで実際のそれ観たら、本格的に気持ち悪くて全会一致でアウトなのか、それとも普通の男女が雰囲気作っていって自然に行われたのかでかなり違ってくると思うんだけど、後者ってことはないんだろうな...
ここ数日Twitterで起きている「オタク差別問題」の話について。
関連するツイートがTLで流れてくる度にもやっとする。
何故もやっとするのかを考えてみた。
既に他にも数人、この件に関して記事を書いている人が居るが…。
先ず、言える事は主語が大きいという事。
そもそも「オタクは差別されていたかいなかったか」という言い方で話をしている人が多いが「オタクは~」という主語は、
対象とする人の範囲を広げすぎている。最近の言い方で言うなら、「主語が大きい」と言うのだろう。
そもそも「オタク」の定義…「オタクとはどういう人を指すのか」という物が明確ではない。
この問題について語りたいなら、先ずはそれぞれがそれぞれに持つ「自分の考えるオタクの定義」即ち
「自分は、オタクとはこういう人を指すと思う」という、それぞれが持つ「オタク」のイメージを明確にすべきではなかろうか?
建設的な議論がしたいなら主語を共通化させる事は非常に大事なのだが、この問題に関してツイートしている人の大半は、
主語の共通化をさせずに語っている印象を受ける。
この問題に関してツイートしている人が、「議論」としてこの問題について何かを語りたいのなら、先ず「オタクとは何なのか」
という主語の共通化をさせるのが議論の筋道だろう。
しかし、それをせずにこの問題について語っている辺り、この問題について語っている人の大半は「ただ、声を上げたいだけ」なのだろう。
主語を大きくすれば大きくする程、受け取り手から見れば主張は薄っぺらくなる。
国会前で政権批判のデモを行っている人達が良く「国民は~」と言うが、あの「国民は~」と
彼らの言う、「オタクは~」が同じレベルなのだ。
「お前らそもそも『オタク』という物がどういう物なのか本当に理解しているのか?」
という疑問を抱かざるを得なくて、この問題について語っている人のツイートが無知の集合体の様な感じで見ていてもやっとするのだ。
これについては、こちらの増田の方も同様の事を感じていた様だ。
参考
「オタク差別」があるのではなく「キモい人差別」があるのだと認めろ
「被害者ぶっている」と言う言い方は良くないかも知れないが、「被害者ぶっている」と言わざるを得ない。
流れて来るツイートの大半は「オタク差別は有った」「オタクは不幸な境遇だった」という様なツイートだが…、先に述べた様に、先ず「主語が大きい」状態で、
その「大きい主語のカテゴリに含まれる者達」は皆差別されていたという様な主張が為されている。
そこに違和感がある。私だって多分オタクと言われる部類の人間だ。だが、私は差別を受けた経験は全くない。
「オタクは差別されていた」等と主張するツイートを見ていて思うのは「一緒にするな、オタクは皆差別されていたみたいに言うな」
という事だ。
実際、差別されていたオタクというのも居るのかも知れない。
だが、そうでないオタクも間違いなく存在する。少なくとも私は差別されなかったオタクだ。
その上で、…だ。差別されていたオタクは居るかも知れない。だが、今Twitterで発生している流れは、最初に「オタクは差別されていなかった」と
主張した人物に対して数で攻撃している。
これは最早、数の暴力と言っても良い。
その根底には「自分達は差別され虐げられて生きて来たのだから、自分達には他者を差別し、虐げる権利がある」という劣等感みたいな物が有る様に感じられる。
総じていえば「被害者ぶっている」と思わざるを得ない。
「嘗て自分達は差別され虐げられる側だったから、今は他者を差別し、虐げても良い」と考えているのなら、それは既に「加害者的な思考」であり、余りにも下衆い。
参考
オタク差別を批判することを、やめることにします。
長すぎたので、最後の部分を分割。 余談 とある、それなりに言動につい..
ここまで述べた様に、この件(「オタク差別問題」)について語っている人の中で目立っているのは
「大きな主語を振りかざしながら被害者ぶりつつ、自分達より弱い者を攻撃している人達」だ。
それが「人数が多くて目立っている」のか、それとも「人数は少ないが、声が大きいから目立っている」のかは解らない。
ただ、そういう人達(「大きな主語を振りかざしながら被害者ぶりつつ、自分達より弱い者を攻撃している人達」)がオタクという言葉を使って
「自分達より弱い者」を攻撃している姿に「お前らそもそも『オタク』という物がどういう物なのか本当に理解しているのか?」
ともやもやするんだろう。
そういう事を考えながら増田を読んでいたら、とても良い事を書いている増田を見付けたので、最後にそれを紹介して置く。
>そもそもオタクってのは、本来は「何らかの趣味に傾倒する人」という定義だったはずだけれど
>今は「やたら被害意識だけが強く集団で自分以外の指向を持つ人間を攻撃したがる人」と言う枠組みとしても使われている。
>そういう人たちが繋がる為のシンボルとしてアニメが使われているだけで、彼らの多くは本当にアニメを好きな訳ですらないのではないか。
>今放映中の流行り物アニメをちょっと見るだけで、それを更に深く突き詰めようともせず放映終わればすぐ忘れ、
>他のマイナーな作品に手を出す事もなく、同人の世界もよく知らない、
>漫画やゲーム等アニメより手を出すのに金や手間がかかる分野には手を出そうとしない、という「自称オタク」を数多くみるとそう思える。
>あれは「何らかの趣味に傾倒する人」ではない。
>彼らは同類同士で繋がる為の「ネタ」としてアニメを利用しているに過ぎない。
>アニメが選ばれるのは、自宅にいながらタダで見る事ができて、
>テレビの一般番組やら世間一般の流行モノとは違う為に「普通じゃない自分」という中二気分も満たしてくれるコンテンツ、
>として体よく利用出来るからだろう。
引用元:オタク文化の加害者としての側面を見ないふりするか、オタクに勘定しても..
そういう(「やたら被害意識だけが強く集団で自分以外の指向を持つ人間を攻撃したがり、同類同士で繋がる為の「ネタ」としてアニメを利用している」)のが『オタク』
なのであれば、私は思う「お前らと一緒にするな」と。
なし
よっぱらい。
ベロベロで吐きそう。
最後の方
「俺はシン・ゴジラとかサクラ大戦新作の話がしたいんじゃない! 庵野秀明や広井王子のゴシップで盛り上がりたいだけなんだ!」とわけのわからないことをペラペラ喋ってた
しまいには「燃え盛るこうしんまるのなかでバイオハザードをやり続けたかもしれないじゃないか!」と言うようなことを繰り返し言ってた
気持ち悪い
吐きそう
気持ちわるー
元増田が訂正したら考えても良いが。