はてなキーワード: この国のかたちとは
2位じゃだめなのか発言を批判している人達は未だに現実を直視できないでいるが、結論から言えば、それは1位でもだめだった。
今はAIが話題になっているが、その前段階のディープラーニングや、イーサのマイニングの時点でCPUは既に「オンボード」だった。
決められた箱の中で金だけ遣って1位を取っても意味がない。箱を突き破ってでも新しい世界を創造しようという気概がなければ、人を惹きつけることはできない。
先輩方は、自分達が若い頃は体罰に耐えた、パワハラに耐えた、これだけ我慢したのに報われないのは理不尽だ、最近の若者は甘やかされているとのたまうが、
それだけ頑張ったのに報われなかったのなら、やはりそれは何かが間違っていたんだと思う。例えば暴力を振るわれたのなら、なぜ殴り返さなかったんだ?
弱いからか?怖いからか?戦うことから逃げて敗者になったのに、なぜそれが努力したことになるんだ?なぜそれが報われると信じる?
日本人は未だゆりかごの中にいる。日本政府がその価値を保障してくれるという日本円は価値が下がり続けているが、政府の保障も何もないビットコインは上がり続けている。
国民年金があれば老後もなんとかなるだろうと皆が思っているが、支給開始年齢も金額も変幻自在のこの制度は、絶対に破綻しないことにより相当タチが悪くなっている。
国民皆保険は日本が世界に誇る素晴らしい制度だと皆は言うが、税負担は重くなる一方だ。
思い出してほしいが、日本は民主主義の国だ。すべての物事が民主的に決定されるのなら、優秀な政治家なんてものは必要がないはずだ。
もしそんなのが存在するのなら、それは独裁者であり、専制君主であり、絶対的権力者ということになる。
この国のかたちは、ほとんどの国民にとって理想的なものだ。夏休みの宿題は最終日にやればいい。そう思っているから世の中にしっかりと反映されている。
政治家が悪いとか、作戦が悪いとか、色々な言い訳が思い付くだろうが、結局は実力が一番大事だ。怠けた事への報いは、身を以って知るといい。
平成18年9月29日
私は、特定の団体や個人のための政治を行うつもりは一切ありません。
(略)
私が目指すこの国のかたちは、活力とチャンスと優しさに満ちあふれ、自律の精神を大事にする、世界に開かれた、「美しい国、日本」であります。この「美しい国」の姿を、私は次のように考えます。
2つ目は、自由な社会を基本とし、規律を知る、凛とした国であります。
3つ目は、未来へ向かって成長するエネルギーを持ち続ける国であります。
4つ目は、世界に信頼され、尊敬され、愛される、リーダーシップのある国であります。
(略)
我が国は、昨年初めて、総人口が減少に転じていく人口減少社会を迎え、合計特殊出生率も1.25と、過去最低の水準になりました。
直近の出生数は昨年を上回っていますが、第2次ベビーブーム世代がまだ30歳代である、残り5年程度のうちに、速やかに手を打たなければなりません。
内閣の総力をあげて少子化対策に取り組み、「子育てフレンドリーな社会」を構築します。
(略)
戦前、戦中生まれの鍛えられた世代、国民や国家のために貢献したいとの熱意あふれる若い人たちとともに、
第1回(1978年) 寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!
第2回(1979年) 寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!
第3回(1980年) カンボジア・ベトナム・ラオスの難民のために!
第4回(1981年) アジア・アフリカの障害者のために!国際障害者年記念
第6回(1983年) 君の地球のボランティア!アフリカ飢餓緊急援助!世界コミュニケーション記念
第9回(1986年) 寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!そしてアジア・アフリカの飢えた子どもたちのために!
第11回(1988年) 君は地球のボランティアお年寄りに在宅福祉を、障害者に社会参加を!
第12回(1989年) アジア・アフリカの子どもたちに海外援助を!
第14回(1991年) 雲仙・普賢岳災害救援!寝たきりのお年寄りにお風呂カーを!障害者に社会参加を!アジア・アフリカに海外援助を!
第19回(1996年) ONE LOVE〜つなげよう!ひとつの愛〜
第21回(1998年) いま、始めよう
第29回(2006年) 絆(キズナ)〜今、私たちにできること
第32回(2009年) START!〜一歩を踏みだそう〜
第34回(2011年) 力(ちから)〜わたしは、たいせつなひとり。〜
急に具体性がなくなってへんてこりんなスローガンに変わった。まぁその頃には番組もすっかりニセチャリティー番組になったんだけどな。
そもそも募金額よりもスポンサーからのお金のほうがよっぽど多いんだから24時間スポンサーのコマーシャルでもいいと思うよ、知らんけど
ここでテーマの変遷を見てみよう
年 | 24時間テレビテーマ | 参考:京大学祭テーマ |
---|---|---|
1978 | 寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を! | 振りかえれ人類の歴史を みつめよう青年の未来を もどすな歴史の歯車 我らの文化は我らの手で |
1979 | 寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を! | 今、新しい時代に立ち向かう仲間たちよ 数百年を内蔵する思想を持とうではないか |
1980 | カンボジア・ベトナム・ラオスの難民のために! | 友よ! この変革のとき 時代の胎動に耳をすまし 共に奏でよう 希望の交響楽を |
1981 | アジア・アフリカの障害者のために! 国際障害者年記念 | 今、戦争と平和の対峙の時 80年代の行く手を示す羅針盤を我らの手に |
1982 | ストップ!ニッポン姥捨て時代! | 草の根も 花も咲いたら ひざまずき ひろひとおがんで むせび泣く 人は昔にゃ戻れないピーピーヒャララ ピーヒャララ |
1983 | 君の地球のボランティア! アフリカ飢餓緊急援助! 世界コミュニケーション記念 | 万声一京 極祭色 騒がぬ民に 盛りなし |
1984 | この地球の未来は子どもたちのもの! | 海を、荒れた海を見つめながら 彼女は呟いた 「わたしは誰?」 |
1985 | アフリカ飢餓救援 | もうすぐきっと冬になる 騒ぐんだったら 今のうち |
1986 | 寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を! そしてアジア・アフリカの飢えた子どもたちのために! | えっせん あーす げげっせん よんせん はっせん |
1987 | SAVE THE CHILDREN | 白い乳房の上の11月祭 |
1988 | 君は地球のボランティア お年寄りに在宅福祉を、障害者に社会参加を! | 裏からのぞけば 見えてくる |
1989 | アジア・アフリカの子どもたちに海外援助を! | 堕落への誘い |
1990 | 地球を救え!10年計画 | ・・・・・・そして創造-草の根からのルネッサンス |
1991 | 雲仙・普賢岳災害救援! 寝たきりのお年寄りにお風呂カーを! 障害者に社会参加を! アジア・アフリカに海外援助を! | ヤルハ粋狂、 ヤラヌハ卑怯 |
1992 | 愛の歌声は地球を救う | 人が右なら 私は左 |
1993 | 出会い | 花も実もある 根も葉もない |
1994 | チャレンジ! | 古今東西 有実無題 若気至りて無限大 |
1995 | もう一度、チャレンジ | 我輩は京大生である 理性はもうない |
1996 | ONE LOVE 〜つなげよう!ひとつの愛〜 | 知と痴の融合 |
1997 | 勇気を出して | 狂うは一時の恥、狂わぬは一生の恥 |
1998 | いま、始めよう | 堕落の道も一歩より |
1999 | 伝えたい…夢のちから! | 素晴らしき無駄なエネルギー |
2000 | がんばる…君のために! | 無人島ダンス |
2001 | 家族って何? | それはそれ これはこれ |
2002 | 家族で笑ってますか…? | 総長! 京都を占拠致しました! |
2003 | あなたを一番愛する人… | やっぱ京大やし。 |
2004 | あなたの夢はみんなの夢 | 倒れる時は前のめり |
2005 | 生きる | せっかくだから |
2006 | 絆(キズナ) 〜今、私たちにできること | 溢れる才能の無駄使い |
2007 | 人生が変わる瞬間(とき) | 満喫! モラトリアム。 |
2008 | 誓い 〜一番大切な約束〜 | 単位より大切ななにかを求めて |
2009 | START! 〜一歩を踏みだそう〜 | 失った常識のかわりに |
2010 | ありがとう 〜今、あの人に伝えたい〜 | 仕分けできないムダがある |
2011 | 力(ちから) 〜わたしは、たいせつなひとり。〜 | 年に一度の計画発電 |
2012 | 未来 みらい | NFって、出席点ありますか? |
2013 | ニッポンって…? 〜この国のかたち〜 | 京大を、取り戻す。大学の理想、形を物語るのは、学生であります。 |
2014 | 小さなキセキ、大きなキセキ | 「 」 |
2015 | つなぐ 〜時を超えて笑顔を〜 | 「ばっかお前・・・俺がついてるだろ!」 |
2016 | 愛 〜これが私の生きる道〜 | 「ぽきたw 魔剤ンゴ!? ありえん良さみが深いw 京大からのNFで優勝せえへん? そり!そりすぎてソリになったw や、漏れのモタクと化したことのNASAそりでわ、無限に練りをしまつ ぽやしみ~」 |
2017 | 告白 〜勇気を出して伝えよう〜 | 戦争に加担した大学から平和を希求する大学へ 軍事研究するヒマがあったら、みんなで肩組んで騒ごうぜ! |
2018 | 人生を変えてくれた人 | 未定 |
惰性も惰性で脳が完全に溶けてしまっている
バブル崩壊あたりから酷いが、リーマンショック後から知能指数が更に落ちた
今なおアダルトビデオや風俗産業で女性を搾取することを誰も止めない。合法的だからOKと言ってのける。
嘘で塗り固められた国に住む哀れな人達に、救いがあらんことを願う。
「「誰が小人を殺したか?」小人プロレスから見るこの国のかたち」
http://news.livedoor.com/article/detail/4121363/
一部抜粋
「日本のテレビの中では自主規制というんですか、そういうことをやり続けていた。『8時だョ!全員集合』(TBS)でも、小人が登場する回はあったものの、投書が来たらそれで終わりです。
『どうしてああいう人を出すんだ』『ああいう人を笑い者にするんじゃない』って。小さな芸人の白木みのるさんが言っていたんですが、
逆に言うと、そういう人たちこそが小人を見たくないんです。『かわいそうだから』っていう方便を使って、まさに『見せかけのヒューマニズム』ですね」
80年代前後の24時間テレビのメインテーマは、必要な支援は何かということを明確化していた。
気持ち悪さはあまり感じない。むしろ誠実さや実直さといった、プラスのイメージを抱くテーマである。
回数(放送年) | メインテーマ |
---|---|
第1回(1978年)・第2回(1979年) | 寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を! |
第3回(1980年) | カンボジア・ベトナム・ラオスの難民のために! |
第4回(1981年) | アジア・アフリカの障害者のために!国際障害者年記念 |
第5回(1982年) | ストップ!ニッポン姥捨て時代! |
第6回(1983年) | 君の地球のボランティア!アフリカ飢餓緊急援助!世界コミュニケーション記念 |
第7回(1984年) | この地球の未来は子どもたちのもの! |
第8回(1985年) | アフリカ飢餓救援 |
第9回(1986年) | 寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!そしてアジア・アフリカの飢えた子どもたちのために! |
第10回(1987年) | SAVE THE CHILDREN |
第11回(1988年) | 君は地球のボランティアお年寄りに在宅福祉を、障害者に社会参加を! |
第12回(1989年) | アジア・アフリカの子どもたちに海外援助を! |
第13回(1990年) | 地球を救え!10年計画 |
第14回(1991年) | 雲仙・普賢岳災害救援!寝たきりのお年寄りにお風呂カーを!障害者に社会参加を!アジア・アフリカに海外援助を! |
90年代ごろ、何が必要な支援かということがメインテーマから消えた。
その代わり、メインテーマが薄っぺらい美辞麗句だけで構成されるようになった。
個人的にはポジティブの押し売りみたいな薄気味悪さを感じるし、一抹の気持ち悪さすら感じる。
回数(放送年) | メインテーマ |
---|---|
第15回(1992年) | 愛の歌声は地球を救う |
第16回(1993年) | 出会い |
第17回(1994年) | チャレンジ! |
第18回(1995年) | もう一度、チャレンジ |
第19回(1996年) | ONE LOVE〜つなげよう!ひとつの愛〜 |
第20回(1997年) | 勇気を出して |
第21回(1998年) | いま、始めよう |
第22回(1999年) | 伝えたい…夢のちから! |
第23回(2000年) | がんばる…君のために! |
第24回(2001年) | 家族って何? |
第25回(2002年) | 家族で笑ってますか…? |
第26回(2003年) | あなたを一番愛する人… |
第27回(2004年) | あなたの夢はみんなの夢 |
第28回(2005年) | 生きる |
2000年代の中ごろ以降、メインテーマは90年代以降の薄っぺらい美辞麗句路線を維持しつつも、
本来漢字やひらがなで表記すべきところを意味もなくカタカナで表記(キズナ・キセキなど)したり、
一般受けしやすい単語(絆・愛など)に薄っぺらいポエムをドッキングさせたりしている。
回数(放送年) | メインテーマ |
---|---|
第29回(2006年) | 絆(キズナ)〜今、私たちにできること |
第30回(2007年) | 人生が変わる瞬間(とき) |
第31回(2008年) | 誓い〜一番大切な約束〜 |
第32回(2009年) | START!〜一歩を踏みだそう〜 |
第33回(2010年) | ありがとう〜今、あの人に伝えたい〜 |
第34回(2011年) | 力(ちから)〜わたしは、たいせつなひとり。〜 |
第35回(2012年) | 未来 みらい |
第36回(2013年) | ニッポンって…?〜この国のかたち〜 |
第37回(2014年) | 小さなキセキ、大きなキセキ |
第38回(2015年) | つなぐ〜時を超えて笑顔を〜 |
第39回(2016年) | 愛〜これが私の生きる道〜 |
第40回(2017年) | 告白〜勇気を出して伝えよう〜 |
数十年もの間、毎年数億円単位の募金を集め、それを社会福祉のために役立てている24時間テレビの存在には頭が下がる思いだ。
そういう実績がある以上、今後も続けていくべき番組だろうとは思う。
職業上同性愛者とよく会うので、友人知人も同性愛者が多いです。そんな中、ゲイの友人に「同性愛者なら海外に行ったら?」みたいな言葉を平気でいう人達が一定数います。「同性愛者が結婚できる国の方が、良いじゃん」「あっちだったら(同性愛が)認められているからさ」なんて無責任に言っちゃうのです。私はその言葉を聞いて、非常に違和感を覚えます。愛のために、自分の居場所や今まで築いてきた関係、意のままにあやつれる母語をかなぐり捨てて、海外に行ける人なんてそうそういません。第一、海外に住むには膨大な面倒くささが含まれています。ビザの問題とか、仕事とか、住居の関係も。
私は2年くらいサンフランシスコに住んでいました。サンフランシスコにはレズビアン、ゲイ、バイシェクシャル、トランスジェンダー(LGBT)に対し、かなり先進的な考え方を持つ町でした。まさに、寛容、という言い方がしっくりきます。年に数回そういう人達のための集まりやパレードがあり、そう言う人達が集まるコミュニティやお店があります。そこで感じたことは、「この人達は行動したから、自分たちが欲する権利を得ているのだな」ということです。そして、一部の保守的な人達を除く一般の人たちも、その人達に関して非常にオープンでした。ゲイパレードの参加者の3分の1くらいは、異性愛者でしたから。
アメリカのLGBTの人たちは自分たちの権利のために行動します。積極的に情報を発信し、周知活動(パレードやポスター等)を行います。知ってもらうことは何よりも大事なのです。アメリカにはまだ保守的な人がいて、LGBTの人たちにひどいいじめをしたり、白い目でみたり、時には暴力をふるう人もいます。アメリカは、自由の国と言われていますが、実は保守的な面も色濃く、反発の力は日本よりかなり力強いものを感じました。しかし、「愛情の反対は無関心」と、昔の偉人が言っていたように、LGBTの人たちにとって、なによりも危惧しているものは、自分たちのようなマイノリティに対して、一般的な人達が無関心・無知であることだったように思います。だから、彼らはどんなに批判され、冷たい目で見られても、結構ケロっとしていました。(実は多分傷付いているかもしれませんが)
アメリカで同性婚が認められたことを非常に嬉しく思います。しかし、そうなって当然だったとも思います。異性愛者の生徒も交じる講義の中で、よくLGBTの権利についてディスカッションされました。それは、LGBTの権利が認められるかどうかではなく、彼らの権利は「認められるべき」だと当たり前のように話していました。その上で、今後どのように法律が変えられるべきか、自分たちはどうするべきか、という議論になりました。これは、LGBTの人々が積極的に周知活動を行い、認めてもらった結果であると言えると思います。
さて、冒頭の話に戻します。「同性愛者が結婚できる国の方が、良いじゃん」「あっちだったら(同性愛が)認められているからさ」このような言葉は、いかがなものでしょうか。あたかも、この国ではLGBTであることが認められておらず、この先も同性愛の結婚が認められないだろう、とするような言い方です。また、多分そういうことを言う人は、同性愛者の人たちの実情を知ろうとしていない(=わかりあえない存在として見ている)ような気がします。知ろうとせずに、無関心でいる人達に、そして、無責任に「同性愛者は海外に行け」と、自分たちから遠くへ追いやろうとしている人達に、警告を鳴らしたいのです。
分かりあえませんか。愛の形は同じで、たまたま生まれ持ったものが大勢の人とは少しだけ違っただけだった。それを知るだけで、だいぶ目線が変わるのではないですか。
そして、LBGTの皆さん、少しでも良いから、自分たちのこと、周りの人たちに知らせてください。一部の人たちを除けば、きちんとわかってくれるはずです。真っ直ぐした言葉で、発して下さい。「私は海外ではなく、日本で生きたいのだ」と。理不尽な言葉に、人知れず傷付いて、俯かないでください。
この国は、今後どうなるのでしょうか。お互いを知ろうとしないまま、人々はこのまま人間らしい美しい愛を持った人たちを、看過していくのでしょうか。私は、この国が好きです。もっと住みやすい場所になり、繁栄していってほしいと考えています。そして、LGBTの方々もまた、好きです。その人達にとっての安心できる居場所をこの国の中で作ってほしいと考えています。アメリカのように、とは行かないかもしれないけれど、この国のかたちにあった、LGBTのあり方を模索する時が来ているのだと思います。