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2018-07-20

anond:20180720125228

私は貝になりたい』はドラマ現実を元にしているとは言えフィクションだけど。加害者になる恐怖とか犯罪者として裁かれる恐怖みたいなもの視聴者はある程度共有してたんだけど。うじきから見ると自分連合国軍法廷裁判官みたいな意識なんだろうね。平和主義気取りの方がよっぽど怖い。

2018-07-14

[] 弁護士法治国家否定

法治国家日本

法曹関係者には、いろいろな考え方の人がいる。

法治国家否定するラディカルな思想を持つ人がいても、おかしくはない。

しかし、日本が人治国家になったら法律無用法務を専業とする弁護士不要となり、自らの存在意義否定する「矛盾」に陥るのではないか

 

オウム事件とこの集団対応は、この「前例のない事件に対しては前例のない体制で」でやってきた。それだけの大事件であり、特異な集団であり、特異な思想だったからです。

で、今回の支援要請につき、国が応えられないなんてありえない筈、と確信しています

・その必要性があり、決して憲法違反するものではなく、法令違反するものでさえないのだから

日本が、テロと闘うならば、そのテロ行為の背景などにも対応していくことによってこそ、「闘う」といえるのだから

助けてください。

 

滝本弁護士の主張から、鍵となるキーワードを拾ってみよう。

  1. 前例のない」
  2. 憲法違反
  3. テロと闘う」

 

前例のない」

社会は常に変遷して行く。かつてない状況に出会ったら、新たな対処方法確立する必要がある。そこまではOKだ。

しかし、最初は手探りの試行錯誤ゆえ不具合が生じた場合、後でちゃん不具合修正できるのか?

ロールバック可能手段も用意されているのか?

 

滝本弁護士独断で、関係者の利害を調整することなく、物事を強引に進めてしまった場合、その結果重大な人権侵害などが起きても、ちゃん回復できる仕組みも併設されているのか?

新規対応で失敗しないためには、ちゃん保険もかけているのか?そこを注意深く観察する必要がある。

デリケート問題を扱うにしては、十分な議論を尽くすだけの「慎重さ」が欠けていないか

 

万一、間違った前例を作ってしまった場合、後戻りできなくなるのでは困る。

歴史を振り返ると、人類は多くの失敗を繰り返している。(同じ失敗を繰り返すのは、単なるアホでしかない。)

前例がない」場合こそ、十分に時間をかけて話し合い、慎重に対処すべきという「共通認識」が必要だ。

 

憲法違反

人々の利害関係の調整は、政治家法曹職務である

民事および刑事係争は、法律というルールに基づいて解決を図るべきだ。

なぜ、滝本弁護士は、他の利害関係者と対話の機会を持たないのか?独断偏見で話を進めていないか

司法試験勉強をしたなら、少なくとも一度は日本憲法を読んだことがあるはずだ。

1945年昭和20年)に、ポツダム宣言を受諾して連合国に対し降伏した日本政府は、そこに要求された「日本軍の無条件降伏」「日本民主主義的傾向の復活強化」「基本的人権の尊重」「平和政治」「国民自由意思による政治形態の決定」などにより、事実上憲法改正の法的義務を負うことになった。

そこで連合国占領中に連合国軍最高司令官総司令部の監督の下で「憲法改正草案要綱」を作成し、1946年昭和21年5月16日の第90回帝国議会の審議を経て若干の修正を受けた後、同年1946年昭和21年11月3日日本憲法として公布され、その6か月後の翌年1947年昭和22年5月3日施行された。

第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種信条性別社会身分又は門地により、政治的、経済的又は社会関係において、差別されない。

 

なぜオウムだけは差別して、議論の輪から外しても良いと言えるのか?(言っていないなら問題ない。)

好き嫌い」という感情ではなく、「真偽」という論理、すなわち法律ルール)に基づく説明ができなければ、法曹としては失格だ。

パブリックコメントを発する以上は、他者から質問に答える義務がある。(質問を受け付けないのなら、それは単なる独り言しかない。結果、他者聞く耳を持たず、自身孤立する結果を自ら招くだけだ。)

滝本弁護士には、公開の場で質疑応答を行なうだけの「誠意」を見せて欲しい。

  

テロと闘う」

テロ」といえば昨今の「テロ等準備罪」を巡る議論を思い出す。

日本では犯罪を実行したことを罰するのが原則です。それに対して、共謀罪犯罪計画合意したこと自体を罪ととらえ、犯罪を実行する前に処罰しようというものです。深刻な犯罪を未然に防ぐことが狙いです」

 

「新々過失論」(危惧感説)

「過失」を巡る法理の分類は、歴史的に「旧過失論」「新過失論」「新々過失論」(危惧感説)などが挙げられる。

 

 

テロ等準備罪は、危惧感説に基づく新しいタイプ法律と言える。日本では、藤木英雄先生先駆者として有名だ。

藤木英雄1932年2月20日 - 1977年7月9日)は、日本刑事法学者。元東京大学法学部教授

戦後の数ある刑法学上の論争の中で、実務上最も重要な意義をもったのは過失責任を巡るものである

藤木は、高度成長期において非伝統的な犯罪が多発するという状況に際して、新たに企業側の過失責任拡張することで、被害に苦しむ市民を救わんと尽力し、新過失論を一歩進めて「新・新過失論」・「危惧感説」を提唱した。

危惧感説が登場する以前の新過失論は、逆に伝統犯罪交通事犯に対する過失責任限定意図していただけに、画期的な転換といえる。

危惧感説は、後に板倉宏らの一部の学者検察官の支持を得て、森永ヒ素ミルク中毒事件採用されるに至ったが、北大電気メス事件( 札幌高判昭 51.3.18 高刑集 29.1.78) では明確に排斥されており、学会でも一般的な支持は得られなかった。

 

日本ではまだ、危惧感説に基づく国民合意形成が十分になされている状況とは言えない。(テロ等準備罪も始まったばかり)

従って、滝本弁護士が、「テロと闘う」という大義名分の下、かつてない法的判断要求するつもりならば、日本国民に対する説明義務が伴う。

滝本弁護士が単なる思い付きや感情論で言っているだけなら、後世に悪影響を残す有害前例を作ってしまうかもしれない。

ハッタリではなく、滝本弁護士が藤木英雄先生の業績を踏襲し、発展させる意気込みがあるなら、一概に有害とは言えない。

 

この点については、オウム限定する必要がない。

なぜなら、日本国民全員の利害に関わる問題からである

従って、公開の場で議論を尽くされなければならない。

どのような方法で公開討論を進めていくべきか?日本国民全員で検討する必要がある。

(滝本弁護士には「オウム問題を風化させたくない」という思いがあり、さら法治国家否定しているわけじゃなければ、この結論に至るだろう。)

2018-05-15

妹のゴミ部屋を掃除した

妹が一人暮らししていたゴミ屋敷のような部屋を、この3日間をかけて片付けた。
とにかく吐き出して残したいという思い9割、誰かの役に立つかもしれないという雑な期待1割で書きます

経緯

2009年春に妹が地方大学へ進学し、それからアパート一人暮らししていた。
その後いろいろあって、3年前の4月に突如実家に帰ってきて、実家ニートに転身した。もともと内にこもりがちの性格であったが、在学中にうつ病も患っていたらしい。3年近い休学を経て、結局退学した。今もそれほど状況は好転していない。
それ以降、アパートに戻っておらず、契約けが残る状態が続いていた。

丸3年放置されていたため、さすがにだめだろうと父へ打診し、今年の5月に父と僕で片付けと解約を行った。この件については妹は一言も口を聞かなかったので、二人で強行した。
大人二人いればなんとかなるだろうと2泊3日で予定を組み、自分が先行して部屋に入って片付けを先行する手はずになった。
この件については全く頑なな妹の態度から、「人が死んでるのかな?」とか、「異臭騒ぎになっているはずだからバラバラにして冷凍されているかも」とか、「郵便受けに大量の督促状とか入ってたらどうしよう」とか、出発までの数日間はそんなことを勘ぐり、心中穏やかではなかった。
父が出発当日に妹に声をかけたが、部屋に引きこもって出てこなかったらしいので、結局父と二人で作業も行うこととなった。

大家さんに借りた鍵(妹は持っているとも無くしたとも、何も言わなかったらしい)を使い、ドアを開ける。
アパートはよくあるタイプの1Kで、玄関から入るとキッチンがあり、扉を挟んで左にユニットバス、奥の戸を開けると6畳の居間があるという構造自分は妹のアパートにこの時初めて入ったが、大学時代は全く同じ間取りアパートを借りていたので、。

開けた瞬間、なんとも言えない臭いが真っ先に鼻についた。多分、配管の中の水が蒸発しきって、下水臭いが逆流していたのだろうと思う。3年間開けていたのでこんなものかもしれない。
玄関は、空き缶が詰められた大きなゴミ袋(45Lくらい)と、紐でくくられた雑誌が何束か、それと買ってきたであろう掃除用具が転がっていた。
次に、左側のユニットバスの扉を開ける(内心、かなりビビっていた)。ゴキブリカマドウマ死体が転がっていたり、シャワーカーテンが真っ黒にカビていたり、臭いも更にきつかったけど、思っていたほどではなかった(シャワーカーテンなんかは消耗品だし)。とはいえ、ここで用を足す気には全くなれなかった。

最後居間の戸を開ける。が、30cm位しか開かない。何かがつっかえているらしい。30cmの隙間からは、ゴミ部屋が広がっていた。テレビで見た、あのゴミ屋敷のような部屋だった。
床が見えなかった。ベッドと同じ高さまでゴミが層に積み重なっており、畳なのかフローリングなのか、カーペットを敷いているのかどうかとかは全くわからなかった(ちなみにフローリングの上にカーペットが敷かれていた)。

その後合流した父と3日間(作業時間は丸2日)をかけて、なんとか片付けを終え、解約までこぎつくことができた。
可燃ごみは45Lのゴミ袋で40袋弱、ビン・缶が10袋程度、ペットボトルも同じくらいで10袋、粗大ごみが約100kg、これに加えて冷蔵庫洗濯機リサイクル家電処分した。

教訓と考察

ゴミ屋敷の片付け作業において

片付け作業でのポイントを忘れないように記録します。もう二度とやることは無いかもしれませんし、そう願っていますが。

事前に”どの程度の”状況なのかは把握したい。
妹がこの件については全く口を割らず、また僕も父も部屋に入ったことが無かったので、状況がわからず、準備も中途半端になってしまった。
もし屋敷と言えるくらいの広さだったり、糞尿があるようなら、心身の衛生のためにも、専門業者に頼んだほうが良いと思う。今回はそういうのが無かったので、なんとかなった。運が良かった(?)。

二人以上で作業するのは必須だと思った。一人では絶対心が折れる
僕は心が折れた。居間をひと目見ただけで、頭の中が真っ白になり、10分くらい部屋の前で狼狽していた。動転していた中、「とにかく十分な装備が要る」と思い、部屋からいったん離れて近くのスーパーマスクゴム手袋軍手ウェットティッシュ調達した。部屋に戻り、まずは何かに着手しようと玄関に散らばっていたカタログ雑誌を、紙紐(転がっていた掃除用品の中にあった)で縛り始めた。雨が降りしきり、薄暗い玄関で黙々と作業しながら、「妹はこんなところで6年間も住んでいたのだろうか」「こんなところにいたら頭がおかしくなるに決まってるやろ」「こんなしょうもないものに囲まれて、6年間で何が得られたんだろう」「玄関にあった掃除用品は自分でなんとかしたかったけど、どうにもならなかったのだろう、自分を恨んだり呪ったりしたかもしれない」「なぜ助けを求められなかったんだろう」「今もそう、どんな思いで、どんな気分で生きているんだろう」「なんでこうなったんやろ、なんでやろ」と頭がぐるぐるし、だんだん悲しくなり、終いには泣きそうになっていた。作業したくない言い訳かもしれない。その後、父が到着するまでの間、恥ずかしいことに作業を投げ出して近くのカフェに逃げ込んで、清掃業者を調べていた、というか茫然としてしまっていた。
父が加勢してからは、とにかく話しながら作業した。話すことがなければ、「オラオラオラ」とか「うげーなんじゃこりゃ」とかなんでも良いか独り言を出して、”黙々”という状況をなるだけ避けた。そうして余計なことを考えないようにした。独り言は案外一人では言えないものなんだな、というのも初めて得た気付きだった。

できれば一緒に作業する人は年長者が良いかもしれない。
僕の父は、僕ら兄妹の引っ越し祖母遺品整理などを手伝っていたので、片付けは手慣れたもので、そういった作業用キット(父曰く「いつものやつ」)を自前で作って実家から駆けつけてくれた。僕が狼狽して入れなかった居間を見ても、「おうおう、アイツ(妹)、なんちゅう散らかしようや。ちょっと中入ってつっかえてるもん取って」と怯まなかった。「あ、このおっさん、やる気やな」と、自分もここで覚悟を決めた。

車も必須可能なら、軽トラなどを借りておきたい(量が多いのと、ゴミなので車内を汚したり臭いをつけたりするため)。
借りるときは、片付けている部屋から持ち込み可能自治体清掃センターがどの程度離れているのか、といったところから積載量も考えた方が良いかもしれない(遠いとこまめに運んだときタイムロスになるため)。

土足で作業すること。そうでないと身動きが取れない。靴もできれば底が頑丈な登山靴や安全靴が望ましい。ゴミの下に鏡などがある(今回はゴミの下から合計5枚、そのうち2枚が割れていた)。自分も気づかずにそれを踏み抜いたが、軽登山可能な厚手のスニーカーだったので助かった。
土足に加えて、ゴム手袋マスクメガネ(花粉症用の装備が良いかもしれない)は必須。3年人が住んでいなかったので臭いはそこまでだったが、代わりに埃っぽさが酷く、メガネが無いと危険だった。実際、作業が終わるころにはレンズホコリで白くぼやけていた。衛生面でダメージを受けるとモチベーションがすっごい下がるし、何より感染病とかが心配になってくる。

作業スペースが限定されるので、二人で作業するときはきっちり役割分担をすること。
居間ゴミ処分作業の中心になるが、動けるスペース・何かを置いておけるスペースが全く無かったので、二人が作業するためには何らかの作戦必要になった。
そこで、僕がとにかく可燃ごみ・ビン・缶をゴミ袋に詰め込みまくって部屋を原状復帰させること、父がダンボール分別必要もの解体や、分別必要ゴミの分解、雑誌などの資源ごみの紐括りなどを担当することにした。そうすることで、足の踏み場がない居間には僕、玄関には父という配置で、前衛の僕が分別できないゴミ玄関に投げ、後衛の父が投げられたゴミを処理するというフローができるので、二人の動線干渉せず、効率的作業できた。

進捗は正義
床に敷かれたカーペットが少し見えたときは「このゴミ無限ではなく作業意味があるんだ」と勇気づけられたし、いっぱいにしたゴミ袋の数を数えるのが少なくともそのときは僕にとっての勲章だった。2日目の午前、居間の奥の窓まで到達し、締め切られていたカーテンと窓を開け、光と風が差し込んだときは「ライン川を渡った連合国軍兵士はこんな気分だったのか」と思いながら、ガッツポーズをしていた。完全に頭が湧いているけども、何にせよ進捗をあげている気分になれないと、無限に続くような作業に耐えきれなかった。

一番ゴミが多いのはベッドの周り。
ゴミ屋敷になってくるとベッドの上は最後生活圏になるので、燃えるゴミの大半はここから出るのだろう。実際、ゴミ袋に詰め込む作業時間の7割程度は、ベッドの周りに関わっていたと思う。逆にベッドからというところのゴミは、実はベッド際ほど層が高くなかった(放り出された空のダンボールが折り重なって、最初は見えなかったが)。
ちなみにベッドの周りのゴミの中に、(合算すると)現金十数万円が埋もれていた。大事な物もきっとベッドの付近で見つかるのだろう。「こうして廃棄品から千万が見つかることになるんやなー」と父がのん気にぼやいてた。そのとおりだと思う。

ゴミ屋敷にしないためにできることはなんだろうか

延々と続く作業の中で、「なぜこうなってしまったのだろう?」と考えていた。
妹が精神的に患っていたこともあって決して一般論ではないですが、自分一人暮らし経験とも照らし合わせながら、整理したい。

ベッドの周りのゴミの中で特に多かったのは、ティッシュビニール袋、綿棒、割り箸から揚げ棒や焼鳥の串、500mlの牛乳パック、レシートアイスの棒とカップ、コンドーム(もちろん全て使用済み)。要するに、普通は捨てることに一切躊躇しない物がほとんどだった。
でも人によっては、ビニール袋は「何かに使うかも」とか、レシートは「いくら使ったのかわからなくなるのが不安」とか、そういう(場合によっては無意識的な)抵抗が働くかもしれない。捨てるときには、その都度、軽重異なるが判断が求められるし、捨てて得られるものも無いので"保留"という形で、なんとなくそのへんにうにゃむにゃしてしまうのかもしれない。
上でも述べたとおり、ベッドの周り(特に上層)はもはやゴミ屋敷化してしまった状態での行動を反映していると考えられる。この時点では、もう何かを判断する力を失っていたのだろう。ベッドの周りには大量のバファリンもあった。ゴミ屋敷とかそれ以前に、妹がそうなってしまう前に手立てを打ちたかった。悔やみきれない。
「余計なものを買うから、ああなるんだ」と思い込んでいたが、そうではなく「本当にしょうもないものも捨てられないから、こうなるんだ」という当たり前の気づきもあった。

あれだけ汚い居間の中で、中身の入ったゴミ箱・ゴミ袋の類が不思議と見当たらなかった(未開封の市指定ゴミ袋は片付けの途中で見つかった)。
捨てることがシステムの中に組み込まれておらず、捨てるハードルを高くしてしまっているというのもわかった(これは自分一人暮らしの中で覚えがあって、生ゴミ用に蓋付きのゴミ箱を買ったが、ゴミを放り込むのも、袋を出して捨てて入れ替えるのも面倒になって使わなくなったことがあった)。
ゴミ箱なんて使わずに、不格好でもそのままくくって捨てられるように市指定ゴミ袋を部屋に転がしておき、そのゴミ袋の下とか横にでも換えのゴミ袋を置いておくなど、とにかく「捨てやすい、ゴミ出ししやすい」を状況を作ることが大事なのだと思った。

捨てられない人にとって、通販は敵。
ダンボール処分に困る。解体担当の父もうんざりしていた(任せきりですまんかった)。硬くて解体しくいし、資源ごみだし。中身の方を早く取り出したくてダンボール処分どころではないかもしれない。
特にひどいなと思ったのはニッセンで、ゼクシィみたいな分厚いカタログが何冊も何冊もゴミの山から出てきた(発狂するかと思った)。体積的には、ニッセンで買ったものより多かったのではないだろうか。資源ごみは回収日が限られていて、しかも包装ビニールから取り出して紙紐で縛るなど手間がかかるので、捨てられない人間はあっという間に溜まる(自分定期購読した雑誌を、未開封状態積読した覚えがある)。
ゴミの下層の方に多く見られたのも、もともと捨てる手間が大きく、また捨てるメリットも少ない(生物のように腐ったりしないし)ので、まだ正常な判断ができる初期の時期でもなかなか捨てられず、結果、ゴミ屋敷へのトリガーとなるのだろう。

仕送りも敵。
ごみの下層でほったらかしにされたダンボールの中には、自分も見覚えのあるものメーカーのもの散見された。送り主は母で、仕送りされたものだった(僕も同じ時期に別の地方大学へ進学し、一人暮らしをしていたときに送られてきていた)。
中身はマヨネーズとか、ごま油とか、缶詰とか、そういうどこでも買えるような食品だったが、台所を片付けていたときほとんど未開封なのに気づいた。確かに、そのへんで買えるもので、しか調理しないと使えないようなものなど邪魔しかない(僕は強く「仕送りをやめろ、やるなら現金にしてくれ」と伝えていた)。
送られた品というのはなんであっても捨てにくいものだし、ましてやそれが一人暮らし栄養状態心配する母なのだからなおさらだありがた迷惑とはまさにこのことなのだろう。残念ながらこれもゴミ屋敷トリガーとなっていたと思える。

これは僕の直感なのだけど、一面床が見えなくなったらおしまいで、誰かに助けを求めたり介入したほうが良い。
床にゴミがある状態というのは、心理的ストレスが高い。捨てたくなるはず。だけど、一回ゴミで覆い尽くされたら、あとは高さしか変わらないのでゴミが増えたことを認知できない。そしてその期間が長くなるほど、もはや変えられない事実になる。ちょうど僕が初めて居間を見て「これは専門業者に頼むしかない」と感じたときと同じ絶望に、毎日毎日曝される。
この状況を打破するためには、他の誰かの助けがいるのだと思う。

どうでもいいこと(なんか汚い話)

初日に父がアパートに到着したときのこと。ユニットバスを見ると「うわーきたなー」と言いながら、そのまま入って、じょぼじょぼじょぼとおしっこをしていた。ちなみに2日目には自分大事荷物ユニットバスに置き、3日目には大の方もしていた。団塊世代の衛生感覚、恐るべし。僕は最後まで我慢してしまった。

意外とゴキブリは居らず、生きているのは1匹も見なかった(これは地域特性かもしれない)。
その代わり、5ミリくらいのうねうねした、尺取り虫のような、ちっちゃなムカデのような虫がそこかしこで這っていた。なんだったんだろう。

賞味期限が5年前に切れた卵の処理は簡単乾燥しきっているので液体ではなくなっていた(冷蔵庫の中だからかも)。

2018-01-18

日本韓国謝罪する必要があるのだろうか

ちょっと見てくれよ

戦後日本韓国にしたこ

1945年 終戦

1950年 朝鮮戦争において日本特別掃海隊連合国軍韓国側)の要請掃海作業に当たり56名が死亡

1965年 日韓基本条約により日本から韓国11ドル経済援助(日本朝鮮投資した資本及び日本人個別財産の全てを放棄し、韓国は対日請求権放棄することに合意)+日韓請求権協定により8億ドル経済支援 (参考)当時の韓国国家予算は3.5億ドル程度

1972年 田中角栄首相による謝罪

1982年 鈴木善幸首相による謝罪

1983年 中曽根首相により韓国に対し40億ドル借款

1990年 海部俊樹首相による謝罪

1992年 宮沢喜一首相による謝罪

1993年 河野談話従軍慰安婦問題に関し「お詫びと反省」)

1993年 細川護煕首相による謝罪

1994年 村山富市首相による謝罪

1995年 村山談話第二次大戦に関し「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」)

1995年 アジア女性基金設立日本国民拠出約6億円と政府からの5億円で韓国他5カ国に償い事業内閣総理大臣のお詫びの手紙

1996年 橋本龍太郎首相による謝罪

1997年 アジア通貨危機により日本韓国100億ドル支援を行う

1998年 小渕恵三首相による謝罪

1998年 日韓共同宣言2001年韓国議会により破棄を全会一致で決議)

2001年 小泉純一郎首相による謝罪

2007年 安倍晋三首相による謝罪

2010年 菅直人首相による謝罪

2015年 慰安婦問題日韓合意日本軍慰安婦問題を最終かつ不可逆的に解決日本韓国10億円供出

戦後韓国日本にしたこ

1945年 終戦

1948年 大韓民国建国され初代大統領李承晩は対日戦勝国としての地位国際社会要求したが認められず

1948年南朝鮮済州島(現韓国)で韓国軍による島民虐殺が行われ多数の難民日本脱出する

1950年 朝鮮戦争(このとき日本特別掃海隊連合国軍韓国側)の要請掃海作業に当たり56名が死亡)

1950年 北朝鮮に対し敗戦濃厚になったため山口県亡命政府設立日本政府要求(戦況好転のため立ち消え)

1950年 日本密入国した犯罪者等の韓国人強制送還しようとしたが韓国側拒否

1952年 李承晩ライン一方的に設定し対馬竹島領有権を主張するがアメリカイギリスフランス中華民国からの抗議を受ける

1952年竹島周辺で300隻以上の日本漁船を襲い4,000人近い漁師韓国拉致し44人を死亡させた

1953年 日本漁船韓国軍により銃撃・拿捕され民間人一人が殺され他の乗組員へも非人道的扱いが行われた(第一大邦丸事件

1954年 竹島軍事占拠

1959年 在日朝鮮人の帰還事業阻止のため韓国特務機関による新潟日赤センター爆破未遂事件

1961年 済州島周辺の公海上で韓国警備艇日本漁船不法に銃撃・拿捕する事件複数発生

1965年 日韓基本条約等により日本から20ドル(参考:当時の韓国国家予算は3.5億ドル程度)を得た+日本朝鮮投資した資本及び日本人個別財産の全ては放棄したほか日本から約25年に渡る経済面技術面の支援を受け大きく経済成長した(「漢江奇跡」と呼ばれるがこれが日本支援によるものであることは韓国内でほとんど周知されていない)

1973年 韓国民主政治家で韓国中央情報KCIAに命を狙われていた金大中(のちの韓国大統領)が日本滞在中に拉致され韓国に連れ去られる

1998年 日韓共同宣言

2001年 韓国議会日韓共同宣言の破棄を全会一致で決議

2005年 反日法を制定し親日派認定された人物およびその子孫が所有する財産没収法の不遡及に反するのではないかという見解がある)

2011年 「外交関係に関するウィーン条約」に違反して韓国日本大使館前慰安婦像設置

2012年 李明博大統領竹島上陸天皇への謝罪要求を行う

2013年 日韓間による犯罪人引渡し条約無視して靖国神社放火した刑事犯中国人日本への引き渡さず「政治犯」として中国送還

2015年 慰安婦問題日韓合意日本軍慰安婦問題を最終かつ不可逆的に解決日本韓国10億円供出

2017年 文在寅大統領が「日韓合意には内容及び手続き面で重大な欠陥があるとして、日韓合意では問題解決がなされないとする」とする声明を発表

現在竹島対馬周辺を中心に韓国漁船違法操業が行われている

2018-01-17

戦後韓国日本にしたこ

こちらも合わせてご覧ください

戦後日本韓国にしたこと」

https://anond.hatelabo.jp/20180117173801

戦後韓国日本にしたこ

1945年 終戦

1948年 大韓民国建国され初代大統領李承晩は対日戦勝国としての地位国際社会要求したが認められず

1948年南朝鮮済州島(現韓国)で韓国軍による島民虐殺が行われ多数の難民日本脱出する

1950年 朝鮮戦争(このとき日本特別掃海隊連合国軍韓国側)の要請掃海作業に当たり56名が死亡)

1950年 北朝鮮に対し敗戦濃厚になったため山口県亡命政府設立日本政府要求(戦況好転のため立ち消え)

1950年 日本密入国した犯罪者等の韓国人強制送還しようとしたが韓国側拒否

1952年 李承晩ライン一方的に設定し対馬竹島領有権を主張するがアメリカイギリスフランス中華民国からの抗議を受ける

1952年竹島周辺で300隻以上の日本漁船を襲い4,000人近い漁師韓国拉致し44人を死亡させた

1953年 日本漁船韓国軍により銃撃・拿捕され民間人一人が殺され他の乗組員へも非人道的扱いが行われた(第一大邦丸事件

1954年 竹島軍事占拠

1959年 在日朝鮮人の帰還事業阻止のため韓国特務機関による新潟日赤センター爆破未遂事件

1961年 済州島周辺の公海上で韓国警備艇日本漁船不法に銃撃・拿捕する事件複数発生

1965年 日韓基本条約等により日本から20ドル(参考:当時の韓国国家予算は3.5億ドル程度)を得た+日本朝鮮投資した資本及び日本人個別財産の全ては放棄したほか日本から約25年に渡る経済面技術面の支援を受け大きく経済成長した(「漢江奇跡」と呼ばれるがこれが日本支援によるものであることは韓国内でほとんど周知されていない)

1973年 韓国民主政治家で韓国中央情報KCIAに命を狙われていた金大中(のちの韓国大統領)が日本滞在中に拉致され韓国に連れ去られる

1998年 日韓共同宣言

2001年 韓国議会日韓共同宣言の破棄を全会一致で決議

2005年 反日法を制定し親日派認定された人物およびその子孫が所有する財産没収法の不遡及に反するのではないかという見解がある)

2011年 「外交関係に関するウィーン条約」に違反して韓国日本大使館前慰安婦像設置

2012年 李明博大統領竹島上陸天皇への謝罪要求を行う

2013年 日韓間による犯罪人引渡し条約無視して靖国神社放火した刑事犯中国人日本への引き渡さず「政治犯」として中国送還

2015年 慰安婦問題日韓合意日本軍慰安婦問題を最終かつ不可逆的に解決日本韓国10億円供出

2017年 文在寅大統領が「日韓合意には内容及び手続き面で重大な欠陥があるとして、日韓合意では問題解決がなされないとする」とする声明を発表

現在竹島対馬周辺を中心に韓国漁船違法操業が行われている

戦後日本韓国にしたこ

1945年 終戦

1950年 朝鮮戦争において日本特別掃海隊連合国軍韓国側)の要請掃海作業に当たり56名が死亡

1965年 日韓基本条約により日本から韓国11ドル経済援助(日本朝鮮投資した資本及び日本人個別財産の全てを放棄し、韓国は対日請求権放棄することに合意)+日韓請求権協定により8億ドル経済支援 (参考)当時の韓国国家予算は3.5億ドル程度

1972年 田中角栄首相による謝罪

1982年 鈴木善幸首相による謝罪

1983年 中曽根首相により韓国に対し40億ドル借款

1990年 海部俊樹首相による謝罪

1992年 宮沢喜一首相による謝罪

1993年 河野談話従軍慰安婦問題に関し「お詫びと反省」)

1993年 細川護煕首相による謝罪

1994年 村山富市首相による謝罪

1995年 村山談話第二次大戦に関し「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」)

1995年 アジア女性基金設立日本国民拠出約6億円と政府からの5億円で韓国他5カ国に償い事業内閣総理大臣のお詫びの手紙

1996年 橋本龍太郎首相による謝罪

1997年 アジア通貨危機により日本韓国100億ドル支援を行う

1998年 小渕恵三首相による謝罪

1998年 日韓共同宣言2001年韓国議会により破棄を全会一致で決議)

2001年 小泉純一郎首相による謝罪

2007年 安倍晋三首相による謝罪

2010年 菅直人首相による謝罪

2015年 慰安婦問題日韓合意日本軍慰安婦問題を最終かつ不可逆的に解決日本韓国10億円供出

2017-11-04

anond:20171104200612

そこには無いジャンルみたいですね

強いて言えば、「占領軍監督憲法」や「被支配憲法」あたりでしょうか

 

そこで連合国軍占領中に連合国軍最高司令官総司令部監督の下で「憲法改正草案要綱」を作成し[1]、その後の紆余曲折を経て起草された新憲法案は、

大日本帝国憲法73条の憲法改正手続に従い、1946年昭和21年5月16日の第90回帝国議会の審議を経て若干の修正を受けた後、同年1946年昭和21年

11月3日日本国憲法として公布され、その6か月後の翌年1947年昭和22年5月3日施行された[1]。

2015-07-22

戦時機雷掃海国際法上は武力行使

だが

朝鮮戦争当時、日本からは、日本占領下においていた連合国軍要請事実上命令)を受けて、海上保安官民間船員など8000名以上を国連軍作戦に参加させ、開戦から半年に限っても56名が命を落とした。また、アメリカ軍によって集められた日本人港湾労働者数千人が韓国の港で荷役作業を行った。

朝鮮戦争には、第二次世界大戦の終戦以降日本占領下に置いていた連合国軍特に国連軍として朝鮮戦争に参戦していたアメリカ軍イギリス軍の指示により、日本海上保安庁掃海部隊からなる「特別掃海隊」も派遣され、死傷者を出しながら国連軍作戦遂行に貢献した。

しか

この文脈で「戦時」のホルムズ海峡機雷撤去に行く想定してんの?マジで?誰が?

2014-01-24

http://news.livedoor.com/article/detail/8461334/

戦後連合国軍占領下にあった日本は、平和民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日日本を築きました。

この文章で、「守るべき大切なもの」に「日本国憲法」が含まれるとかいミスリーディング

2013-09-02

米軍犯罪

>>10

>>単なる刑事犯罪が国家間の問題になるってどうなんよ

米軍兵士個人の犯罪を、「米軍犯罪」という勢力があってな。

真面目な話し、「米軍犯罪」第一号は、

朝鮮人共和国崩壊させたことなんだと。

www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/06/0606j1220-00001.htm

>>南における米軍犯罪は、1945年9月8日、仁川米軍が一歩を印した瞬間からまり

の1945年9月8日をwikipediaで見てみると

ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD

>>9月8日朝鮮半島上陸した連合国軍実質的アメリカ軍)は臨時政府認知せず

だってお。

2012-10-05

http://anond.hatelabo.jp/20121005173537

増田の大好きなウィキコピペおいとくよ。

死刑および死刑制度については、人権冤罪の可能性、倫理的問題、またその有効性、妥当性、国家としての人類尊厳など多くの観点から、全世界的な議論がなされている(詳細は死刑存廃問題を参照のこと)。議論には死刑廃止論死刑賛成論の両論が存在する。死刑制度を維持している国では在置論と呼ぶ、廃止している国では復活論と呼ぶ。もちろん死刑の廃止と復活は、世界中で史上何度も行われてきている。

近年では死刑は、前述のように凶悪事件に対して威嚇力行使による犯罪抑止、または犯罪被害者遺族の権利として存置は必要であると主張される場合がある。ただし前者は統計学および犯罪心理学的に死刑有用性が証明されたものではなく、存在意義はむしろ社会規範維持のために必要とする法哲学的色彩が強い。後者は親愛なる家族殺人被害にあったとしても、実際に死刑になる実行犯は情状酌量すべき事情のない動機かつ残虐な殺害方法で人を殺めた極少数[32] であることから菊田幸一など死刑廃止論から極限られた被害者遺族の権利を認めることに疑問があるとしている。また、いくら凶悪なる殺人行為であっても、その報復生命を奪うことが果たして倫理的に許されるかという疑問も指摘されている。

また、死刑執行を停止しているロシア当局によるチェチェン独立指導者の「殺害」などがあり、死刑制度の有無や執行の有無が、その国家人権意識の高さと直接の関係はないとの主張も存在するが、死刑制度民主国家では廃止され非民主国家で維持される傾向にある。地理的には、ヨーロッパ、そして南米の6カ国を除いた国々が、廃止している。ヨーロッパ諸国においてはベラルーシ以外死刑を行っている国は無い(ロシアにおいては制度存在するが執行は十年以上停止状態であるといわれる。チェチェンを参考のこと)。これは死刑制度ヨーロッパ連合が定めた欧州人権条約第3条に違反するとしているためである。またリヒテンシュタインでは1987年死刑が廃止されたが、最後の処刑が行われたのが1785年の事であり事実上2世紀も前に廃止されていた。またベルギー1996年死刑が廃止されたが最後に執行されたのは1950年であった。このように、死刑執行が事実上行われなくなって、長年経過した後に死刑制度も正式に廃止される場合が多い。

欧州議会欧州審議会議員会議2001年6月25日日本およびアメリカ合衆国に対して死刑囚待遇改善および適用改善を要求する1253決議を可決した。この決議によれば日本死刑の密行主義と過酷拘禁状態が指摘され、アメリカ死刑適用に対する人種経済差別と、少年犯罪者および精神障害者に対する死刑執行が行われているとして、両国行刑制度を非難するものであった。

通常犯罪における死刑が廃止されても、国家反逆罪ないし戦争犯罪によって死刑が行われる場合がある。例えばノルウェーのヴィドクン・クヴィスリング1945年5月9日連合国軍逮捕され国民連合指導者と共に大逆罪で裁判にかけられ、銃殺刑に処せられた。ノルウェーでは、この裁判のためだけに特別に銃殺刑を復活(通常犯罪死刑1905年に廃止されてはいたが)した。また同様にイスラエルナチスによるホロコーストに関与したアドルフ・アイヒマンを処刑するため、死刑制度がないにもかかわらず(戦争犯罪として適用除外されたともいえるが)死刑を宣告し執行した。

中東アフリカアジアにおいては総じて死刑制度が維持されている。冷戦時代は総じて民主国家が廃止、独裁国家が維持していたが、現在では冷戦崩壊後の民主化大量虐殺反省により東欧南米が廃止、アジアおよび中東アフリカの一部が民主化後も維持している状態である。またイスラム教徒が多数を占める国では、イスラーム法を名目とした死刑制度が維持されているが、トルコのようにヨーロッパ連合への加盟を目指すために廃止した国や、ブルネイのように1957年以降死刑執行が行われていないため事実上廃止の状態の国もある。

2011-01-01

モリタクと一億玉砕

http://www.tanteifile.com/newswatch/2011/01/01_01/index.html

海外に目を向ければ、「中国バブルの破たんに加え、中国海軍増強も怖いですね」と勝間氏は述べた。すると森永氏は、以下のように持論を展開した。「私は日本丸戦略というのを提唱しています。軍事力をすべて破棄して、非暴力主義を貫くんです。仮に日本中国に侵略されて国がなくなっても、後世の教科書に『昔、日本という心の美しい民族いました』と書かれればそれはそれでいいんじゃないかと」。

http://ja.wikipedia.org/wiki/玉砕#.E6.9C.AC.E5.9C.9F.E6.B1.BA.E6.88.A6.E3.81.A8.E4.B8.80.E5.84.84.E7.8E.89.E7.A0.95

大戦後期、連合国軍日本本土に迫ると、軍部は「本土決戦」の準備を開始するとともに、「一億国民[3]の全てが軍民一体となって玉砕する事で、連合国軍は恐怖を感じて撤退するだろうし、たとえ全滅したとしても、日本民族美名永遠に歴史に残るだろう」と主張し、国民の士気を鼓舞し、総力戦体制の維持を試みた


日本の非暴力主義と軍国主義の目指すところが、実は全く同じであったということか。

個人の生活や生命度外視して、「組織の信念の為にみんなで美しく滅びよう」という意見を、

公の場で堂々と言えるのはまさしく「日本的」だな。

2010-10-29

[]日本ダメダメ利権って…

よくわからないキーワード編集合戦が繰り広げられています。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C6%FC%CB%DC%A5%C0%A5%E1%A5%C0%A5%E1%CD%F8%B8%A2?kid=301536&mode=edit

8月末ごろから地味に続いている模様。作成者(id:perushaneko)が書き込み、もう一方の編集者id:subuaka_nandesu4_4)が削除するという繰り返しである。

# perushanekoperushaneko 2010/09/17 23:58 また消えていたので、復旧しておきます。コメントは後ほど。

# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/09/18 06:02 「コメントは後ほど。」簡単でもいいのでここで述べてください。そうして後回しにすることが議論を回避する行為になります。

# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/09/18 06:09 コメントを書ききれないのならリンクを張るという手もあります。コメントを後回しにしてキーワードを復旧することは、すなわち理由を述べずに復旧するのと同じです。

# perushanekoperushaneko 2010/09/25 01:45 更新しておきます

# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/09/25 07:16 「更新しておきます」だけでは理由にならない。

# perushanekoperushaneko 2010/09/27 22:14 追記しました。

# perushanekoperushaneko 2010/09/27 22:16 内容を追記しました。

# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/09/28 07:13 「追記しました。」「内容を追記しました。」復帰理由になっていません。

# perushanekoperushaneko 2010/09/30 23:38 更新内容があるので内容を書き足します。

# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/10/01 06:34 復帰理由になっていません。前述したとおり、このキーワードは明らかに偏向しており(中立的でない)、使用者もごく少数(調べる限り「中韓を知りすぎた男」の中の人コメント欄の「素朴人」氏、そしてid:perushaneko氏のみ)であり、他のはてなユーザーにとって有益といえないキーワードとして登録できない言葉自分ペット名前自分勝手に作った造語自己紹介など、第三者から言及される可能性がほとんどなく自分だけにしかわからない言葉の登録は行わないようにしてください。)に値する(はてなキーワード作成・編集ガイドライン http://hatena.g.hatena.ne.jp/keyword/%E3%81%AF%E3%81%A6%E3%81%AA%E3%82 %AD%E3%83%BC%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E4%BD%9C%E6%88%90%E3%83%BB%E7%B7 %A8%E9%9B%86%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3)。復帰するのであれば相当の理由を述べてください。

# perushanekoperushaneko 2010/10/01 21:23 ちょっと更新します

# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/10/01 22:10 「ちょっと更新します」復帰理由になっていません。

# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/10/01 22:17 はてなキーワード作成・編集ガイドライン」の「キーワード編集・削除時の責任」には 「キーワード作成編集・削除を行う場合には、その作業意図を他のユーザーに説明する責任を負います。特にキーワードの削除および復帰といったキーワードの存続にかかわる作業には、必ず説明を行う義務があります。」と書かれています。 id:perushanekoは「更新します」と述べるだけでキーワードを復帰するのは、作業意図に値する説明を述べずにキーワードを復帰しています。 id:perushanekoはキーワード編集・削除時の責任を果たしていません。

# perushanekoperushaneko 2010/10/06 22:32 こうしんしておきます

# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/10/07 06:34 復帰理由になっていません。

# perushanekoperushaneko 2010/10/14 22:44 更新しました

# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/10/15 04:00 復帰理由になっていない。

# perushanekoperushaneko 2010/10/21 02:24 更新中・・・

# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/10/21 09:06 復帰理由になっていない。はてなキーワード作成・編集ガイドライン」の「キーワード編集・削除時の責任」には 「キーワード作成編集・削除を行う場合には、その作業意図を他のユーザーに説明する責任を負います。特にキーワードの削除および復帰といったキーワードの存続にかかわる作業には、必ず説明を行う義務があります。」と書かれています。 id:perushanekoは「更新します」「こうしんしておきます」「更新しました」「更新中・・・」などと述べるだけでキーワードを復帰するのは、作業意図に値する説明を述べずにキーワードを復帰しています。 id:perushanekoはキーワード編集・削除時の責任を果たしていません。

# perushanekoperushaneko 2010/10/29 00:38 更新しておきます

# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/10/29 06:43 復帰理由になっていません。

作成者(id:perushaneko)がさしたる理由も書かずに復帰しつづけているといった有様。議論になっていない。これはひどい

内容

作成者によって書き込まれた内容を下記に転載する。

西暦20世紀前半に行われた全世界規模の戦争に、当時の主要な"地域大国"が参画することになる。

日本(当時は、大日本帝国)も極東地域に位置し西太平洋地域権益利権東アジア地域シベリア方面への利権を有してあったため、これに国内事情はさておいて否応なく巻き込まれることとなる。しかし、結果から言うと(周辺的な諸事情なども複雑に絡み)国際的な"血を流す政治(当時としては一般的なパワーゲーム)"に敗退することになる。

敗退(1945年の敗戦、ないしは終戦)後の日本は、連合国軍(後の国際連盟平和維持部隊などの元祖)の占領統治をサンフランシスコ平和条約が発効するまでの期間受けることになる。

条約が発効当時、日本日本国として再編されていた。当然それまでの大日本帝国時代の利権は組み替えられ変質を遂げており敗戦前の状況を制限するさまざま方法が、再編当時なされたことが、近年(西暦20世紀後半から21世紀初頭にかけて)、連合国主要国の公文書公開により徐々に明らかになりつつある。

[wikipedia:コートニー・ホイットニー]

日本ダメダメ利権に総称される概念はこれらを含んでいる。

これらに、日本ダメダメ利権スキームとしては、日本<国家感・民俗制度・その他>を貶めることでそのキックバックを受け取る利権構造が代表的なものである)は戦後の”ニュー・ディーラー”を主体とするGHQ政局の主導する公職追放※で、敗戦前までは政権政府の中枢から遠ざけられがちであったいわゆる"左派"の関係者(大きく言うところのフランクフルトシューレ関係者")によって『戦後日本』に強固に確立されていくことになる。

http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1204609

アジビラっぽい内容。真偽は自分にはよくわかりませんが、はてなサヨクの皆さんはどうお考えでしょうか?

作成

http://d.hatena.ne.jp/perushaneko/

こういう人が書いてるという時点で内容に信頼が持てないです。

 
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