はてなキーワード: 青年とは
総じてブサイクだよな。こいつら。
そんなの俺っちには全くわかんないけどさあ。
なんだかんだいって
目がしじみでも団子鼻でもデブでも、
真っ当な青年なら
こざっぱりして爽やかさな雰囲気まとって青春を謳歌しているか、
湿っぽい自分の魂胆を恥じて陰日向に潜んで生きるかのどっちかだから、
こんな面下げて強姦まで至っちゃうのは精魂ゆがんでるからかもな。
とここまで書いてみて、
文化大革命は中国共産党主導による中国の倫理論の変革だ。下層階級を党主導部が利用し、寺院や仏像などの古来の文化を破壊する事件が相次いだ。多数の死者をもたらしたとされる。
中国の文化大革命は主に政府にとって目障りなインテリ層を中心に粛清された。技術者・富裕層、一部の農民・・・そしてそのような政治劇が1976年まで繰り広げられた。そしてこれは、実は日本ではいつ起きてもおかしくないのかもしれない。
日本の中にある貧困崇拝は非常に内向きの古臭い発想だが、これが日常生活の中に持ち込まれたのが日本版ラテン思想だろう。これはまさに文化大革命時の毛沢東思想に近い。文革期の中国共産党の富裕層に対するの敵対意識と、現代日本のインテリ・富裕層叩きは、私には非常に類似点が多いと思うのである。
日本のこういった発想は、とある大学生によると富裕層でない階級で青年期を過ごした人間が富裕層になり、彼らの振る舞いに不満を抱いた人の思想が広がったことに由来するという。この思想はそもそも古くない考えである。私の知る限り、2000年当時にはありえない考え方であった。
それ以前の日本(今でもそうかもしれないが)は金持ちを目指すことが美徳とされ、貧しいことはむしろ恥ずかしいことであると言われていた。ちなみに、この考え方は2010年代前半ですら通用した常識である。
私は月に1000円~2000円払ってロト6やロト7を買っており、億単位の賞金が当たることを見越して様々な研究をしていると、富裕層叩きを見るたびにないと思う。昔は無機質な中間層と違う趣のある文化に憧れていたが、後で知ったのだが、今増えている富裕層は最近まで中間層は貧乏人だったもので、もともと富裕層の資質がなく、富裕層叩きのメインターゲットとされている人達だ。
今日本各地に行くと、そういう外国水準の所得単位での分別すら無理になっている。文化面での貧困化が徹底されている。デモ行進を見ると、以前は都市部だから許されたような右派系の排外デモがある。中国で外交危機があって反日デモがにわかに活発化したのと同じだろう。
実際街頭で往年の宗教勧誘のように日当を対価にデモ行進に参加させるケースも増えている。地方都市に多い。現在起きているデモ行進などは思想の左右問わずに日当で集めて頭数をそろえているのが多数であるというのが現実ではないだろうか?
中国人は過去に同じことを難解も経験していることだからそれを熟知しているんだろう。だから日本人の私はこんなことは発言をしたくないのだが、2017年、日本でも「文化大革命」が起こるのだろうと、ガックリしてしまうのである。トランプ政権になってからアメリカが日本と同じ道を辿り始めたように、70年以上平和を守り続けた日本が、中国と同じ道を辿ろうとしてる。
日本にノンポリ層が健在であることが救いだ。毀誉褒貶ある。こういった精神すべてを賛同することはない。あの地域には外国ではPC問題になるような文化が多すぎだ。しかし私は、世界で当たり前の対応のできる者が健在であることにほっとする。「政治的中庸がいなければ日本は存在しない」と言われるほどの現状がどこまで持つのだろうか?
オタクの姿勢もかっこいい。この集団は、昭和末期時代からも宮崎事件の余波で権力とたたかった。反骨姿勢は今も生きている。彼らについては私も言いたいことはあるが、それでもこういうことは本当にスゴイよ。
一方、非ノンポリ階級の対応はよくないよね。でもこれは「腑に落ちて」しまった。彼らは多数派になりつつある。日本を見てほしい。強い先祖返りを髣髴とさせる。一人ひとりの威圧感も凄まじいが、実際にデモにいくと左翼や右翼の兵隊みたいな感じが不気味でしかない。
この日常を経て、キビキビと「塩生活」に明け暮れる彼らがファシズムの片棒を担ぐわけだ。ノンポリは非国民と。逆に強烈なイデオロギーを持つ層は、左翼や右翼を見ると「ホッ」とするわけだ。日常を感じるから。
プロ市民のイデオロギストっぷりは私も批判し続けているが、ついにマジでノンポリを嫉視するようになってしまったんだなあと、本当にガックリきてしまう。ある意味、戦争前夜臭くて不快だったが。
私は民主主義そのものの社会的価値は否定しない。事実70年以上も守り続けてきているし。それ以上に豊かな生活にあこがれている。1995年に両親の転職(貧乏職から転身!)で関西から関東に越してきたとき、新しい生活に胸を膨らませた。1990年代から2010年代までオタクとしての経験もある。家族代々鉄道好きでもあった。
しかしそのような「豊かな」暮らしを経験した私だからこそ、その風情とか肯定的な表現を守ること、また新しく築くことはあっても、根本にある負の因習は打破しようと、そう訴えたいのである。守る価値のない因習を拒否し、破壊する発想が必要だ。残念ながらそれと矛盾するのが、「所謂畳精神化するアメリカ」であり「日本の文化大革命の兆し」ではないか。本当に私に未来はあるのだろうか。
日本人に問いかけたい。貧乏人だらけの国と同レベルの発想に恥ずかしく思わないのかと。君たちの憧れる今では黄昏の国の日本は江戸幕府をぶっ壊して新しく国を作り、経済的・科学的・文化的豊かさを受け入れたのではないかと。そして、そもそも何故貧乏を恥じ、お互いに豊かになることを目指したか考えてみよと。
近いうちに21世紀版の文化大革命が日本でも起きる。願わくばそれが起きないように努め、万が一起きても自分自身が巻き込まれないようにしたい。
この問題の根幹には、「勝手にやる連中がしっかりやったとして、準備は参加せずイベントだけ参加するフリーライダー問題」が存在し、
世間は(教授と名のつくクズまで)、「子供の権利」を盾にフリーライダーを擁護する。
やりたくないなら良いから、困った時だけすがるな。
田舎のイベントで、町内会にも参加せず、青年会にも参加せず、会費も払わずに、「なんでうちの子がー-----」って火病る馬鹿居るが、
知るかよ、テメェのための祭りじゃねぇんだよ。
勝手に引き籠ってろ。
世の中はな、ギブアンドテイクなんだよ。
誰も助けてくれない?
当たり前だ、ボケ。
テメェが他人のために動かんのなら、他人もテメェのためには動かねぇんだよ。
それで、子供が不明になったりしたら、「村社会は冷たい」とか言っちゃうんだろ?
氏ねよ。
2017/01/29 下記書籍を適応読書した。読書時のメモを以下に記す。 中嶋 洋子(監修),"改訂新版 いちばん詳しくて、わかりやすい! 栄養の教科書",新星出版社,2016. 栄養学の基礎知識 栄養学入門 栄養とは 生きるため 体内で体を作る成分 活動のエネルギー源 摂取すべき食物の中の成分を栄養素と呼ぶ 消化管で消化 吸収 体の五割 水分 タンパク質 脂質 ミネラル 1番多く食べるのは糖質だが 体内量はわずか 糖質はエネルギーとして消費されやすい 過剰な糖質は脂肪に変換され 体内に蓄えられる エネルギー源 成長 体の維持 栄養素の代謝 栄養とは 食べて生命維持などする生物の活動のこと 代謝 同化 異化 栄養学 健康とは肉体的、精神的、社会的に良好な状態のこと 栄養学では、体の健康だけでなく精神的な健康や社会的な状態までを広く視野に入れて考えることが大切 栄養素が不足すると 活動力低下 感染やストレスへの抵抗力低下 病気になりやすかなる 栄養の目的意識は時代とともに変わる 食糧不足→満ち足りた 物余り 今日 健康増進 生活習慣病対策 精神的緊張の増大 運動不足 新しい栄養問題 外部環境要因 遺伝要因 生活習慣要因 様々な病気は生活習慣病という観点で捉えることができる 生活習慣の改善に主体的に取り組む 食塩 高血圧 食品 食品 栄養素を供給 一種類以上の栄養素を含む 有害物を含まない 食べるのに好ましい嗜好特性を持っている 経済性 手軽さ 便利さ 食品が生体に与える効果 食品の機能 一次機能 栄養機能 体成分の素材 エネルギー タンパク質 糖質 脂質 ミネラル ビタミン 五大栄養素 生命維持 二次機能 感覚機能 香り 味 色 歯ざわり おいしい 嗜好性 テクスチャ 味覚嗅覚応答 三次機能 生体調節機能 体の調子を整えて健康状態をよくする 病気を予防する保健効果 機能性食品 生体防御 体調リズムの調節 老化抑制 病気防止 病気からの回復 一次機能 糖質 脂質 タンパク質 ビタミン ミネラル/無機質 五大栄養素 摂取量大 前三者 三大栄養素 水 酸素 食物繊維 栄養素の体内での働き 熱量素 糖質 脂質 タンパク質 構成素 タンパク質 脂質 ミネラル 水 調節素 ビタミン ミネラル タンパク質 必須栄養素 熱量素の糖質 脂質 タンパク質は必要に応じて互いに変換されながらエネルギー源へ 過剰 糖質は脂質へ 糖質が不足 タンパク質→糖質 体内で合成できない、できても必要量に足りない → 食事でとらないといけない 必須栄養素 ビタミン13種 ミネラル16種 必須アミノ酸9種 必須脂肪酸3種 栄養素の種類 摂取量 バランス 栄養バランスに深刻な影響 要因 貧困 日本人の食事摂取基準2015 エネルギー産生栄養素バランス 三大栄養素 総エネルギー摂取量にどの程度占めるか 割合 まずタンパク質 脂質 残りを炭水化物 が適切 二次機能 なぜ おいしさ 嗜好 これは、食べたときの化学的・物理的刺激が口腔や鼻などの感覚受容器で受け取られ、神経を通って大脳皮質に送られ、食物の風味として評価された結果 味や匂い 感覚 食物 認識 危険な食べ物を食べないよう注意 食欲増進 食べる楽しみを与える 消化吸収活動 活発化 おいしさ評価 視覚 形状 外観 色 つや 嗅覚 香り 味覚 味 触覚 温覚 冷覚 聴覚 かたさ 歯ごたえ のどごし 味蕾 甘味 酸味 塩味 苦味 うま味 皮膚感覚をともなう辛味 渋味 えぐ味 三次機能 保健機能食品 トクホ 栄養機能食品 健康食品 栄養を摂る上で知っておきたいこと 食品成分表示 日本食品標準成分表 どんな成分がどれだけ含まれているか 食品別 成分別 文科省 測定 データ分析 資料作成 2015版 最新 2191食品 エネルギー 水分 タンパク質 脂質 炭水化物 灰分 無機質 ビタミン 可食部 100gあたりのエネルギーや成分含有量 廃棄部 廃棄率 一部では調理後の成分量も 実際 部位 季節 地域 状態で差 あくまで標準成分値 食品の分類 18食品群 大 中 小 細分の四段階 原動植物 加工度合い 食事摂取基準 日本人の食事摂取基準 厚生労働省 推定エネルギー必要量 エネルギー摂取量は、消費量と釣り合って体重に変化のない状態が最も望ましいという考え方のもとで 推定エネルギー必要量(キロカロリー/日) = 基礎代謝量x身体活動レベルの指数 レベル 低い 普通 高い 栄養素についての判断指標 推定平均必要量 推奨量 目安量 目標量 生活習慣病の一次予防 耐容上限量 不足のリスク ← → 過剰摂取による健康障害のリスク 推定平均必要量 推奨量 目安量 耐容上限量 何をどれぐらい食べれば良いのか 主食 ご飯 パン 麺類 穀類 糖質エネルギー 主菜 肉 魚 卵 大豆製品 タンパク質 脂質 副菜 やさい きのこ いも 海藻 ミネラル ビタミン 食物繊維 プラス 乳製品 果物 食事バランスガイド 食事の望ましい組み合わせと量 食生活指針 厚生労働省 農林水産省 コマのイラストでわかりやすく http://www.maff.go.jp/j/balance_guide/index.html 食べる量をカロリーではなく、つ SV サービングという単位 料理という単位 生活に取り入れやすく 水やお茶 コマの芯 運動 コマの回転 どの食品群からも満遍なく 食生活指針 国民の健康増進 QOL向上 食糧の安定供給 生活習慣の一次予防 何を どれだけ どのように 10個の大項目 食事を楽しみましょう 一日の食事のリズムから、健やかな生活リズムを 食生活はQOLの向上に最も大きな役割を果たす 主食、主菜、副菜を基本に食事バランスを 料理について ごはんなどの穀類をしっかりと 野菜 果物 牛乳 乳製品 豆類 魚なども組み合わせて 食材について 食塩や脂肪は控えめに 栄養素について 適正体重を知り、日々の活動に見合った食事量を 食事と運動の関係 食文化や地域の産物を活かし、ときには新しい料理も 食料の安定供給や食文化に配慮 調理や保存を上手にして無駄や廃棄を少なく 食料資源や環境問題に配慮 自分の食生活を見直してみましょう 実践するために今までの食事を見直し これからの健康目標を作るなどの行動期待 体のしくみを知って 体のしくみ 組織 上皮 結合・支持 筋 神経 器官 器官系 消化 高分子物質→低分子物質に分解 大腸 発酵 腸内細菌 ごう?業? 腸内に有益菌が優勢になるよう 糖質の吸収後のゆくえ 食事直後の糖質の貯蔵 肝臓で貯蔵 血中にでてエネルギー源 インスリンの作用により、食後の過剰なエネルギーは肝臓 筋肉 脂肪組織に一時的に蓄積 血糖の維持 濃度は一定に 低下すると、肝臓から送り出される 脳 神経系は脂肪酸をエネルギー源として利用できない 血糖値の維持 重要 グルコース 1g 4kcal グルコース→ピルビン酸→水と二酸化炭素 解糖系 酸素が不足 ピルビン酸→乳酸 酸素が十分 ピルビン酸→アセチルCoA TCAサイクル 水素抽出 酸素と結合 ATP エネルギー貯蔵物質 脂質 皮下脂肪 内臓脂肪 脂肪酸→β酸化→アセチルCoA 1g 9kcal 脂質は水に溶けない リポタンパク質を形成して血中を輸送 タンパク質 代謝回転 アミノ酸 エネルギー代謝 食品のもつエネルギー測定 ボンベ熱量計 燃焼 水の上昇温度 1g 糖質 4 脂質 9.45 たんぱく質 5.65 キロカロリー 完全には利用されない 生体利用エネルギー量 アトウォーター係数 基礎代謝量 生命維持に必要な最低のエネルギー代謝量 食後12時間後 早朝 空腹 20-25℃ 室内 目を覚まして静かに横になった状態で測定 体重で割ると性別 年齢別にほぼ一定の値 基礎代謝基準値 男性 18-29 24.0 63.2kg 1520kcal/day 実際に必要なエネルギー消費量 推定エネルギー必要量 が設定されてる 男性 18-29 170.3 63.2 レベルII 2650kcal/day その他 糖質 過剰 脂肪 不足 酸血症 筋肉量減少 1日3食 大原則 鎌倉時代から 生体リズム 栄養素の十分な摂取 心と体が喜ぶ食事 朝食 必ず バランス 5 色 赤 緑 黄 白 黒 味 甘 塩 酸 苦 うま 調理法 焼く 煮る 蒸す 揚げる 生 青年期 壮年期 自己管理 生活習慣 リカバリー 週末に一週間単位で振り返って、全体のバランスを取るようにするなどの工夫 食べ過ぎ注意 脂質 塩分控えめ 食物繊維 積極摂取 カルシウム 鉄 ビタミンb1 乳製品 小魚 レバー 魚介類 豚肉 肥満 BMI 22が適正 内臓脂肪型 りんご型 皮下脂肪型 洋なし型 体脂肪 適度な量 男性 18% 女性 23% 測り方 手と足など複合的に測るものがよい 食前や入浴前に測るとよい サプリメントは健康補助食品 薬でない 医学的効果は保証されてない サプリ飲んでおけばいいというのは誤り 利用する場合は専門家に相談 腹八分を心がけて免疫アップ 食物アレルギー 成人 甲殻類 果物 小麦 魚介類 エビ 小麦 そば 鶏卵 ピーナッツ 乳 アレルゲン特定 重要 アレルギーミルク 健康診断 生活習慣病になりやすい体質 遺伝子レベルで診断 テーラーメイド医療 以上。
やぁ、ソシャゲ研究家だよ。分類で言うとエロ画像収集家程度の趣味だよ。
昨日は、ファイアーエムブレムヒーローズがiOS/Android同時配信の告知と配信日決定、そして動画がでて盛り上がったね。
あの任天堂がガチャに堕ちた。そういう人もいるけど、私はわくわくしているよ。
さて、このソシャゲのガチャがあることで存在する、ある意味儀式、ゲームをはじめる権利、ダウンロード稼ぎなど様々な噂になるリセマラについて話すよ。
リセマラっていうのは、リセットマラソンっていう奴だね。私がはじめてこの言葉を知ったのはMHGだったかな。リオレウスの逆鱗がほしいけどリオレウスを倒すのはかったるい、だったらスパッと切れる尻尾を切って出なかったらリセットすればいいじゃん。ってのではじめて知ったよ。
ソシャゲだと、ガチャからでる最高レアリティをおおよそ最初にもらえる課金アイテムで引いてゲームを有利に進めようと考える行為だよ。
このリセマラのせいで発生する問題があるよ。ユーザー間でのキャラディスが一番ひどいとおもうよ。
例えば、ファイアーエムブレムのソシャゲだからファイアーエムブレムで例えると、ウォルトっていう最初の弓使いがいるんだけど、はっきりいうと彼はものすごく弱い。最初のキャラなのでレベルも低いし、ステータスもレベル相応。いや、ちゃんと育てば良いんだけど、彼はものすごく成長率が低くて多くの場合は残念な最終的なステータスで他の弓使いに劣りやすいからいいところなし。
でも、彼はそんな弱さのお陰で縛りプレイで単騎や、リセットを縛るプレイだと何故かメキメキと育っていってエースと化したり、そういう事があって彼に対するディスっていうのは基本的にないよ。性格も人畜無害だし。まぁ、対戦する要素もあんまりないしね。
でも、ソシャゲだとこのリセマラのせいで「自分がもっているキャラクターが強いキャラじゃないと嫌だ」っていう層がいるんだ。つまり優劣をつけたがる。そうなるとウォルトさんみたいなキャラは人畜無害な青年でも叩きの対象になるよ。悲しいね。多分、なんたらwithとかに5.0とか点数つけられる。
ファイアーエムブレムのガチャソシャゲ。どんなものか楽しみな反面、こういう事が起きるんじゃないかなって結構心配しているよ。
ファイアーエムブレムは結構古いゲームでコアなファンもいる。最近では新しいソフトで新規のファンをつけたり、スマブラにマルスやロイやアイクやルキナがでているからそういうところからも入ってくる。私もGCのスマブラから封印の剣買ったのがファイアーエムブレムデビューだったしね。
任天堂はうまくやってくれると思うけど、できることならこのガチャのせいでキャラディスが起こらないことを願うよ。
私はリリーナが好きだよ。彼女は魔力がゴリゴリ上がり育てきると魔力はほぼカンスト、ヒロイン補正で出番は多く、成長率は優秀、ついたあだ名は魔王。だから大丈夫だとは思うけど、なにかの間違いでリリーナの上位互換が出た時に冷静に「リリーナはかわいいから」とキャラディスを流すことができるかは不安だよ。
大学によると思うが、ウチの場合は修論を提出した段階で、博士後期課程への進学と学位発行がほぼ決まる。逆に提出した段階での差し戻しを食らう場合は、修士論文撤回の憂き目となる。教授も出せるように指導するし、学生も間に合うようについて行かなくてはならない。とりあえず提出できたので問題がなければ、このまま無事に修了、進学となる。良かった。
よくある適当な私大の阿呆学部を卒業したので、司法試験を受けるでもないのに卒論は書かなかった。留年もかました典型的マジメ系クズな学部生時代の禊ぎをすませることができ、うれしく思っている。ウェーイでもDQNでもオタクでもなかったあの頃の残念さ、大学を卒業してからの放浪にも似た十年を、期せずして総決算する機会となって良かった。
文系修士・博士は無意味だと騒がれて久しいが、そんなことないと思う。そもそも社会的に無意味・無効な誤差として処理される人間にとって何かしら一つをやり遂げた記念が、社会的に認証されることは自信を得る機会になる。もともと無意味な人間には、意味のあるものだ。
幼少期から思春期、青年期にかけて自信を育む機会を生かせなかった人間には辛いことが多い。自信の無さが生活態度、言動に現われるし、結果、多少の理不尽なり違和感を周囲に与えて暮らすことになるからだ。その齟齬が対人関係の軋轢となる。
もちろん修士号をもらったところで、身に染みついた挙動の滑稽さ、可笑しさが拭えるわけではない。聖痕のように残るものだろう。それでも、何かをやり遂げたという実感が、ありふれて大したことではない修士論文の提出という事柄に込められていて、少しだけ自信を得ることができた。
4月からは博士課程に進む。同時に研究分野の珍しさと新しさもあり、ある企業が研究員として雇ってくれることにもなった。学振は落ちたけれど、博論を書きながら、研究員という願ってもない形だ。
もう若者ではない。朝、鏡をみると、残念なおっさんが寝ぼけてくたびれている。老いつつある両親に会った際、母に結婚について聞かれたが、それはあきらめている。でも、覗いてみたい世界があり、その世界に研究員という形で足をつっこんで暮らしていけるのだ。悪くない。
21世紀も後半になる頃には、僕はこの世界からログアウトしているだろう。それでも、自分が残した浅薄で僅かな研究や記録が、後継の偉大な天才と俊英たちのいくらかの踏み台になり、また諸俗凡人の皆さんに少しでも益するならば、それでいいじゃないかと思っている。百年後に一度、次の誰かが少しだけショートカットできるための一行を書く仕事、それが僕の務めだ。
修士論文を書くということは、最低限、その分野の歴史の全体が見えており、研究史の中で自分の立ち位置を把握した上で、浅彫りの僅かながらも確実な成果を置いていくことを意味する。そうすることで、今までぼんやりと見えていた世界がくっきりと鮮明に見えてくる。ザルだった視点が、精細さをもってくる。それが世界と他者と自己の精彩さに変わってくる。分野によるし一概にも言えないかもしれないが、僕はそういう経験をした。
修論を出し終えて、本当にやって良かったと思っている。
ファブリーズの件もそうだが、今の日本は「超潔癖主義」に蝕まれすぎではないかと思う。くさやが臭いのは誰がどう考えても事実なので、地元はこのCMに便乗するくらいでいいと思う。
何かにつけて「地域差別ガー」というバカにはあきれてしまうが、つまるところ地域の抱える不都合な事実を外部が指摘することを拒絶するけつの穴が小さい子供である。それこそ、彼らの好きな言葉を借りれば「言論弾圧愛好家」ではないか。文化や社会には二面性がある。
私が生まれて間もない頃の話だが、1980年代~1990年代の鉄道文化が洗練されていたという話題がSNSや掲示板で流行している。はっきり言って、不良が巣を作りそうな文化がそこにあったわけだが、それでも鉄道ファンは誇らしく思う。「鉄道王国」も日本文化だと自尊心を持っているはずだ。
本来文化・社会性とはそういうものではないか。2000年代の新自由主義旋風だって文化や科学技術などの高度化の裏に犯罪の高度化や富裕層人口のインフレの問題もあった。2010年代も1960年代の再来のようなのムードの裏に貧困問題があった。オートバイブームの裏にはシビアな封建もあった。
オタクが今日社会全般で受け入れられているという。あれといえば、昭和の負の遺産にもかかわらず迷惑者が誰も輩出しなかったことを「世界に誇る日陰者」と自画自賛する書き込みが拡散されたことが多くの人に衝撃を与えたものだった。案の定、オタク自身の努力で出世が実現するとスゴイ発言まみれになった。
冷静に考えてほしいのだが、同じ大衆の同胞であるべき人達がそれと村八分にされる時点で、そもそもすごくなんてないのである。そもそもオタクとは昭和時代の学歴社会化実験の失敗に伴いヤンキーと共に発生した負の遺産である。本来ここで必要な発想は、負の歴史として再発防止策を考えることであり、恥かしく思うべきことである。
仮にもしオタクがすごかったとしてもそれは個人個人がすごいのであってオタクはすごくないのである。社会が立派だったとしても、それは日本人の寛容性のことである。もしあなたが大衆の一員であれば、さほど無関係ではないか。
私は「オタクスゴイ」とそっくりな問題を抱えているのが「マイルドヤンキー」ではないかと思っている。地方のリア充の話題が出ると、なぜか不良とこじつけた話題が出てくる。不良とは縁のない人でもヤンキーのように扱われる、あの変な社会の空気である。
当たり前だが、リア充すべてが悪人なわけではない。大体ヤンキーの本来の意味は実は汚い。もともとはアメリカ人の白人を罵る言葉として生まれたものだ。ジャップと同じ意味合いでアメリカ人が「ヤ○○」の言葉を使うものとしてとらえてほしい。
マイルドヤンキーに代わる言葉はあるだろ。とんでもなくダサそうな文化を謳歌しているのは一握りの地方民のうちの一部とか、不良経験者だけではないかと思う。あのグダポンの撒き散らす固定概念への批判としてもいうが、私は地方を何度も見てきたが、北関東でもマイルドヤンキーなんて一握りの数しかいなかったよ。
そもそもマイルドヤンキーの言葉の根底に都会人による地方人への偏見がある。車好きを例に挙げるまでもなく、外国には日本人が思い浮かべる都市部の人間は殆どいない。むしろマイルドヤンキーの特徴として挙げられる、「買い物先でショッピングセンターに依存している」人は日本を出れば都市部ですら腐るほどいる。国土全体で鉄道依存社会が成り立つ国は、日本を除けば、オランダみたいな地形に恵まれる地域やシンガポールのような都市国家以外にない。
私はこの潔癖の究極が「子供」至上主義だと思う。日本人はみな車嫌いで鉄道好きというおかしな風潮も、子供のために嗜好を装う仕草だという。必死すぎる。大人な人は、それが普通ならしょうがないと受け入れるべきではないか。一番ひどいのは私鉄だ。
子供は日本人の美徳だと、道徳的な人を表す言葉として普及しているが、これはあの押しつけがましい「道徳」と同じうさん臭さを感じて、私は不気味に思っていることである。子供って要は非現実的理想の追求であり、病気だ。
そもそも日本の私鉄社会の根源は鉄道の公有化の失敗だとか戦争の連続による財政難だとか、歴史上におけるネガティブなものの副産物である。今でも「幼稚」とかいう。それはつまり堂々とした対等な存在としてリスペクトするものではなく、結局これは子供なる年齢を使った言葉で「恵まれない現実にある人達」を見下している、前時代的な、差別を連想する表現である。
欧米圏を見ればわかるように、鉄道は弱者というか、つまりよそ者、あるいは貧乏人や弱者のためにある公共施設であって、所得関係なしに使うことをよしとする、ましてや商売の道具としてみなす日本はおかしいのである。
一昔前ですら日本ではここまで「子供」はうるさくなかった。子供は大人らしい事由で成熟した男女を目指した途上段階であり、気づけば加齢で大人になっていた、あるいは10代ですでに見た目も中身も大人同然という人もごろごろいて、それがわずか15年ほど昔までの常識だった。
あるいは「リア充な美しい大人は好きですか」というように、青年性を脱した兄や姉であるべきだった。正しさではなく「美しさ」が評価された。この美しさという言葉自体清潔を意味するもので今の異常な潔癖主義に通じたのも、もちろん事実ではあるけどね。
特定の環境を聖域化し、あるいは特定の人を「聖人」化してみなし、それを潔癖性を極めた発想とともに崇拝し、潔癖と反する不都合な事実を見て見ぬふりをしたり、あるいは無理してでも隠蔽させようとしたり、それを指摘する存在を許さない、あの感覚。グダポンの言葉を借りればこれは畳精神である。
昔の高校を題材にした作品から黒髪すっぴんさんの描写を削減し、わざとそうでない人を代わりに差し替える。これも聖域を作る発想に由来することではないかと思っている。
その点、例えば私が韓国の学生をみて感動をしたのは、日本において学生というと黒髪が少ないイメージなのかもしれないが、実際には黒髪のおりこうさんが多くいたこと、そういう風潮がそこかしこにあったため、他人に緊張することがなかったからである。
バスの停留所で会話したローカルの若い女性は、なんかお茶目で、自分の生活圏にやってきた外国人を楽しませようというホスピタリティがあって、ものすごく魅力的だったが、やっぱり大人でオタクで、至上主義のない国のほうがよほど大人も魅力的だなと感じたのだった。
これは地方にも言える。マイルドヤンキーの連中なんてありゃ「普通のリア充か重度なオタク」だ。オタク?ってくらい偏執的で、大衆らしさに欠けている。いわゆる元ヤンさえ良くも悪くもリア充らしさがない(事実、彼らが外国に行くとサブカルオタク扱いになる)広い意味での問題なのだ。
日本に出てくるテレビのタレントには個性らしさがない。オタクがいない(例外はあるが)。根っこからのおりこうさんであることを売りにした俳優・声優がいないし、変わった趣味を売りにする者もいない。誰もがそうなるありのままもないし個人差もない。
これは、日本人の一定割合。どちらかといえば韓流ファン経験のある人たちで、同じくマイルドヤンキーか学がありそれなりに品格のあるような人が、ものの感じ方の成熟が遅れたことにあるんじゃないか、と私は思っている。子ども時代や貧乏なときは誰もが感性が幼稚で極端な理想を抱くものだ。
しかし、大人になり、10代になり、豊かになれば、あらゆる体験を通して現実を知るというか、様々な存在を知って、自分自身の肉体と考えの成長もあって、そういう非現実な理想を一度捨てることになると思う。代表が大学生における運転免許取得ラッシュだ。「免許取得者は学のない人のほうが多い」とか「都会人は一生免許と無縁」の虚構に気づく。
私達ネット原住民的には中二病とか高二病とも揶揄される、つまり冷笑主義にも陥るのだが、その現実・実在、不都合性を含めた事実の中にある魅力に気づき、そこから新しい夢を見出だしたりするのが、普通の諸外国ならハイティーンか遅くても20代で経験する段階で、日本人もかつてはそうだったのではないか。
そういうわけで、高学歴だろうと、立派な社会的地位にいようが、年齢が中高年だろうと、マイルドヤンキーと変わらないような潔癖主義の理想を振りかざして現実を拒絶したり自由な創造表現のユーモアを叩くあの感じは非常に納得がいかない。幼稚な人が多すぎる日本の現実がほんとつらいです。
(韓国などの例外を除く)外国のコンテンツは、優れた表現ほど徹底的に不都合な現実・事実に向き合っている。だが、それをただそのまま描いたり、不穏に誇張するだけではなく、そこから楽しさや夢を見出だそうとする傾向があると思う。その際にはお堅い因習を破ることになる。
だがその独創性の第一段階にある「お堅い因習を破ること」を全力否定するのがグダポンのいう「畳精神」であり、右派や私の言う「コリアニズム(文化的右傾化)」である。つまりどんな理不尽でもそれがしきたりで、その空間では聖域性を守るために自分が屈しなきゃいけないし、適応しない他者は咎めなきゃいけないという枷を兼ねた同調圧力も発生する。韓流ブームにものすごく親しんだ人ほど危ない。
ティーンエージャーになる前の現実離れした理想主義(と、それを理想を向けられた側がそのまま受けとめなければいけないということ)に畳精神やコリアニズムはとても相性がいいのである。新しい幼稚な感覚と、古い老いた因習をコラボさせると、アニメや漫画か特撮ドラマかビデオゲームまがいな、子供だヤンキーだという狂うジャパンがあふれるのである。
私が現代の日本はともかくとして一昔の韓流・華流コンテンツを敬遠したのは、アメリカのコンテンツとは違い、理想主義を極めたあのディズニーでさえ、そのテーマパークや映画などに「不都合な現実を受け入れた上でのイマジネーション」がないからだ。理不尽なものを批判的に描くこともなく、拒絶せずにそれを受け止めることすらしない。現実逃避ありきなのだ。
私の記憶する限り韓国や中国のテレビドラマやアニメには、日本人がネガティブ過ぎるとして驚いた自転車乗りの姿が描写されていない。1990年代や2000年代(2010年代)に日本型の暴走族が話題になったが、それを風刺するような作品は出てこない。当たり前だが韓国人や中国人のオタクを風刺するような作品もない(日本ですらオタク風刺作品はあるが)
そういう子どもたちはこうしたコンテンツの変わりに漫画や小説(ライトノベルを含む)やゲームのいかれた様子を見ることで、それを教訓にすることができるわけである。日本の作品で言えば喧嘩番長や龍が如くに出てくる「不都合な現実を誇張した」不健全で卑猥な日本の風景も、実は意外にも理想や夢とどこか通じるものがあるし、その中にもやはり社会に対するメッセージもある。
そう考えると、欧米程でないにしても自由な創意工夫性は日本においてはなんとか健在であり、その自由表現の娯楽を通して成長につながることもできたりし、その上でまた新しい夢が見れるというのが、本当にすごいと思っていて、韓国や中国にもそういうクリエイティビティを獲得するには、まず日本同様に現実至上主義と畳精神の解体を加速させることが必要なのだ。
みんな痩せたいっていうのにどうして真っ先に太る食べ物に飛びつくのだろう。
青年時代はずっと肥満だったけど、30過ぎてからこれを止めることでみごとに標準体重まで落としてそれを維持しているわたしからの忠告です。
はっきりと言いますが肥満は遺伝じゃありません。習慣の積み重ねです。
肉の脂身(鳥の皮もだめ)
かつ、天ぷら
お刺身
・絶対Ok
葉物野菜
脂身の少ないお肉類
玉子料理
・意外とOK
豆、ナッツ類
チーズ類
・続けるコツ
覚えるのが大変という人、野菜は葉っぱ、茎、種はOK。根っこ、果実はNGと覚えるとわかりやすい。
絶対ダメを我慢し続けると、むしろ酔っ払ったときとかに大暴発してしまうので、外食ではなくて自宅で量をコントロールしながら食べるか、似たような代用品で満足するようにする。
血糖値を上げると人間は意外と空腹感をわすれることができるので、「必要だけど食べ過ぎはダメ」「意外とOK」のところから適量を選ぶとよい。
朝はできるだけ炭水化物を食べて活動のエネルギーを確保する。夜は肉やタンパク質を食べるようにして、寝ている間にゆっくりと消化させる。
食べ過ぎ絶対ダメ。満腹感を放置するとどこかで必ずバカ食いをしてしまう。水で膨らますとか愚の骨頂。満腹の幸福感<食後の爽快感だと自分に言い聞かせる。
どうしても空腹感が我慢できないときは、胃袋の大きさをコントロールするつもりで一度に沢山食べるより、小分けにして食事の回数を増やす。
おそらく外食でラーメンはこの10年で片手で足りる程度しか食べてない。
俺は”マナーの悪い喫煙者”を潰したい。そう思ったのは家族に愚行を泣かれたからだ。
今日立ち寄った高速のPAに、喫煙所とトイレの近い場所があった。
そのトイレから出る際、”マナーの悪い喫煙者”の男がトイレ前で点火しながら喫煙所へ向かった。
俺は煙が嫌いなので、小声で「喫煙所に入ってから点火しろよ」と言った。
そこを近くにいた家族が聞きつけ「今は家族がいるんだ、絡まれたり暴力を振るわれたらどうする」と言われた。
確かにその通りだ、とは思った。だが向こうも悪いと言った。
「それでもやるな。すぐに黙って避けるなりしろ。なぜそんな事も分からない」と泣かれた。
愚行だった。
実際「カッとなってやった」で殺人を犯すような人間もいるのだ。
”マナーの悪い喫煙者”に限らず、社会規範のゆるい人間への注意などは時に命にすら関わりかねない。
ところで本日見かけた”マナーの悪い喫煙者”は上記の者の他にも複数いた。ちらほら見られる行動である。
ある男に至っては、広いPAだったので喫煙所から20mほども歩いて移動していた。
その途中にはベンチがあり、食事している人間もいたが横を通り過ぎていた程である。
「『俺ルールとしては』これくらいの位置から火をつけ、近くに非喫煙者がいても煙を吹き散らしてセーフだ」
こういう考えが存在している事になる。
実質的には距離が短くなっただけで、完全に歩き煙草だ。しかも喫煙所近くとすら言えない。
つまるところ
という、謎のゆるく適当な理屈が”マナーの悪い喫煙者”を動かしている。
しかもなおタチの悪いことに、こうした輩は前述のように明らかに規範意識がゆるく自己利益を優先している。
それはつまり携帯灰皿があればどこでも喫煙可能と思いこむような者と同じく
「『俺ルールとしては』配慮しているからいいだろ!何様だお前は!」
と注意時にこのような行動に出る可能性があることを示している。
なお論外の、喫煙所ですらない自車のそばで吸って吸殻を捨てている者などもいる。
(駐車した際に足元に吸殻が落ちていることが複数回あった)
「『俺ルールでは』これくらいならいいだろう、と思って吸って捨てている」
こんな者は、珍しくもなんともないと言えるわけだ。
ところで舞台は年の瀬の高速道路である。そこには他の人々もいた。
年老いた人を支える青年もいた。
もしも煙が不快だったとして、「喉の弱い老人や子供がいるからやめて欲しい」などと注意できるだろうか?
むしろ逆だ、と思う。
うちの親がしたような「カッとなっての攻撃行動」への不安があるだろう。
幼い子供をかかえて、もし突き飛ばされたら。
小さな子供を怯えさせ、トラウマを残すような怒鳴り方をする理不尽な者なら。
老人を殴りつけるような相手だったら。
危険な存在を相手に、守るべきものがあると挑むことはできない。
ごく当然の心理であろう。
故に、俺は俺のルールとして、”マナーの悪い喫煙者”を”真っ当な喫煙者”と分ける。
そして、そういった存在は糾弾されるべきだとこのページに書く。
願わくば”マナーの悪い喫煙者”が、世間から一掃されて欲しいと心から願っている。
こういった考えがあると世間に広まって、多くの人からの社会圧の高まりで
『俺ルール喫煙者』が少しでも圧迫されていけば幸いであると感じている。
バブを抱きしめながら入浴した時の「救えなかった」感は異常よね。
で、お馴染みのしっぽりといきたいこんな季節。
なーんて、これどっかのネットで見たヤツだけど。
なかったら、ゆず味のバブかバブルガムブラザーズでもいいわよ。
このなんとも言えない、ミカン版の酒池肉林感が街を盛り上げていくわ!
ほらあれよ、あれ、
果物を二つに切ってその中に入って、
わっしょいわっしょいってやるやつなのよ。
それと、
ゆず投げ祭!
あと、ゆず追い祭!
これも青年会がやろうって言ってるみたいだけど、
もう、無茶するなよ~って感じよね。
あと、
カピバラなのか、カピパラなのか。
おぎわらなのか、はぎわらなのか。
「ふぁぎわらさんですか?」ってごまかすけどね。
うふふ。
また安くメロゴールド買えたので、
それにしました!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
キモくて金のないオッサンが、普通の青年から徐々に時間をかけてキモくて金のないオッサンになっていったことについて世間的に自己責任論を押し付けられているという苦しさはわからいでもないが
それと将来のために芸能活動をほぼ単身で頑張っている20歳そこそこの女の子が変態から偏執的に好かれ公権力から守られることもないまま死亡寸前にまで傷つけられたことに関する本人の責任を同立に扱うのは
ユーリ!!! on ICE 、見てる?
「カザフの英雄」っていう字面を見て以来、ソワソワしていたものが、ユーリ・プリセツキーと友達になったあの瞬間に全てが弾けた。
カザフスタンを含む中央ユーラシア・テュルク系諸民族が持つ「民族英雄」の姿をはっきりと感じ取ったからだ。
カザフスタンは、歴史的にテュルク系諸民族が多く暮らしてきた土地である。
遊牧騎馬民族が繁栄した土地であり、彼らはテュルク系の言語と、それに基づく言語文化を持つ。
彼らの文化・信仰あるいは歴史は、口承文芸によって伝承された経緯があり、口承文芸のうちの一大ジャンルとして数えられるのが「英雄叙事詩」と呼ばれる物語形態だ。
カザフに限らずテュルク系諸民族の中で広く伝播した『アルパムス・バトゥル』や、キルギスの英雄叙事詩『マナス』は邦訳出版されており、母語によって英雄叙事詩の世界観に触れることができる。中央アジアを題材とした創作物でおそらく現在もっとも有名なのは森薫の『乙嫁語り』だろうが、作中に登場する馬などの名は、先述の英雄叙事詩にて確認できる。アルパムスやマナスとは叙事詩中での主人公にあたる英雄の名前であり、英雄たちは作中でもっとも強く、激しく、時に美しい。
「英雄叙事詩」の歴史や形態などについては省略するが、重要なのはカザフの地に育まれた文化には「英雄」の存在を待望し、受容する姿があるということである。
彼らは街や、施設などに英雄叙事詩中に見られる名付けをし、また街中では英雄の像を見ることもできる。余談ではあるが、キルギスの首都ビシュケクに立つ騎馬マナス像の馬には、立派なちんちんがついている。あと動物園の馬もなかなかのブツをボロンしてる時がある。
英雄叙事詩の主なテーマの一つに「外敵との戦い」がある。英雄が戦う相手は「異民族」や「異教徒」であることが多い。たまに超自然的な怪物と戦うこともある。
敵対する異民族や異教徒を、英雄は苛烈に打ち倒していくわけだが、全ての異民族や異教徒が敵となるわけではない。
盟友となった異民族とともに、英雄はさらなる敵を打ち倒していくのである。
(英雄叙事詩中に現れる異民族は大抵がモンゴル系の遊牧騎馬民族な訳だが、細かいことはいいんだよ)
敵についても、少し話をしたい。
英雄は異民族と敵対し、彼らを倒して強さを示す。異民族の長との一騎打ちはしばしば物語のクライマックスとなり、もっとも盛り上がるシーンであると言っても良い。
YOIにおける王といえば、J.J.ルロワに他ならない。
11話でオタベック・アルティンと対峙したJJの姿は各位の記憶に新しいことと思うが、ここでもオタベック・アルティンが持つ英雄性を感じ取ることができる。
そうして「勝利」を得た英雄は、やがて自集団を束ねる長となり、後世へと名を残す偉大な存在となるのだ。
英雄叙事詩はその他様々なエピソードによって構成されているので、興味を持った皆さんには是非読んでいただきたい。
ここまでの参考文献は以下の通りである。
坂井弘紀2002『中央アジアの英雄叙事詩:語り伝わる歴史』東洋書店
坂井弘紀訳2015『アルパムス・バトゥル:テュルク諸民族英雄叙事詩』平凡社
我々は幸運にも日本語でテュルク系英雄叙事詩に触れる機会を持った。最大の感謝をここに表す。
以下、蛇足。
オタベック・アルティンはサマーキャンプを経てバレエからは離れたようだけど、彼はその後どこに行ったのだろう?
個人的に、例の演技終了時のポージングからはコサックダンス(ホパーク)の匂いを感じた。
12話で明らかになるのだろうか、期待は大きい。
主に雑誌からのコピペ作業で月500万PVのサイトを個人で運営している人。個人が運営するメディアではたぶん日本でもトップクラスのPVでためになる話でも聞けるのかと思ったらびっくりするぐらい何も得るものがなかった。
もともとその業界はWEBではブルーオーシャンで雑誌の情報をそのままコピペしてアクセスを集めるのが黙認されてる状態。2ちゃんねるは規制がはいっているが規制がはいっていない2ちゃんねるまとめさいとのようなもの。
アフィリエイターはプログラマーでもライターでもないので期待して会いに行ったわけではないのだがそれにしてもインターネット上の月500万PVのイメージを持っていったものだから少々がっかりした。どんなソースコードがSEOに良いのか聞いたりしたのだがテンプレートを借りてやっているのでよくわからないと言われた。
ネット上では人格者のように見える。切って貼って良い人格を演じているだけの実像はまるで大学2年生のように無垢で無能だがただたまたま開設したサイトが当たってしまった幸運な青年だった。聞いてみると大学の時から当該サイトで荒稼ぎしているので就職したことがないらしい。
だからどうだという話でもないのだが廃れることが確定している業界で不幸にもブルーオーシャンで泳いでいる無能な青年がすこし心配になった。
・靖国神社で行ったなら、少なくとも日本の不当な歴史歪曲への物理的抵抗だと見ることができますが、福島の神社は別に関連がないのに、何故?
・これは村の神社だということです。
村の人々まで嫌韓になりそう。
・何故なのか?
国格が落ちる…
すぐに釈放せよ。
・日本のやつらは韓国の文化財を略奪し、景福宮、石窟庵、その他数多くの文化財を毀損した。
それと比べると何でもないのにどこが国の恥?
なぜ悪口を言ってるんだ?
・よくやった。
兵士「あと2人。あと2人、戦闘で倒したら、お前を解放してやろう」
僕「ハァ、ハァ。ここへ来て1年か。わが町は無事だろうか?仲間はほとんど戦闘員になって戦場に散ってしまったけど。でも、井戸の下に隠した大事なものだけは守れたからな。OKです!」
兵士「今日は、ある町に行くぞ。あと2人だから、あまり害のないような人間を消せばいい。今回は、それだけで終わる」
僕「あい、OKです!」
兵士「ああ、OKだ。じゃあ行こうか。どうした?」
2人の青年、歩きながら。
僕「え?」
兵士「私語はつつしめ」
僕「(OKです)」
兵士「しかしながら、この町は、寂れているな。たいした町ではなかったのだろうな」
僕「OKです!(あんたしか私語をつつしんでいない人は、いないぞ)」
僕「なんと!」
僕「(来た!抜け駆け、、、2人で、、、間違いない、BLルート来たー!わっくわっく)」
兵士「ゴホン。ちなみに終わったあかつきには、いいものを見せてやるぜ」
僕「へ、へえ・・・・・・・・・・・・・・。(コイツ頭おかしいんかな?)」
僕「OKです!」
兵士「俺は、実は息子を探しているんだ」
兵士「お前ぐらいの年頃だった」
僕「かわいそうですね、そりゃぁ」
寂れた町の真ん中に、2人ポツン。
兵士「さて、町についたぞ。すぐに行くぞ。用意は、大丈夫か?」
僕「OKで~す」
兵士「そう。しばらく歩き慣れねえと思うから、適当にそのへんを歩いてろ」
寂れているが広場だと思われる町で、目隠し青年が、そのあたりをうろうろする。
僕「ああ、何も見えないって悲しいんだな、こんなに( ´ー`)何か見えるって楽しいんだなぁ」
数時間後。。。。。。。。
僕は、目隠しをとった。
僕「水鉄砲だと思えばいい・・・。最初はそう言われたのだ。だから、僕はウッタのだ。だから、あれは僕のせいではないのだ。次も、次も、次も、次も、僕なんかのせいじゃないのだ。1000人目も違うのだ。その次も、僕のせいではないのだ。そう言われたのだ。絶対に、違うのだ。だから、、、」
どこかなつかしい人間が、目の前に倒れている。
僕「僕のせいではないのだ。僕は、ただ、目かくしてをして、ウッタだけなのだ。。。。」
兵士「あと1人は好きなやつを打っていいぜ。俺でもいいぜ。みんな同じ人間を打つけどな。ちなみに、この娘は、最後に会いたい人は誰かってきいいたら、家族だって言ってたぜ」
目隠しをしない青年は、破裂したような音とともに、その場に倒れてしまった。水鉄砲が破裂しただけのような感じで。僕は大丈夫、と彼は言ったのだ。
でも、兵士の耳には、大丈夫じゃない、といっているように、聞こえたのだった。
兵士「大丈夫だ。この娘は、お前が打ったことに気づいていない。この子も、目隠しをしているからだ。イヤーな・・・・・・任務だったな今回も。戦争なんて、なくなればいいのに。くそう・・・俺も、こうしないと、大事な家族jが消されちまうって話なんだ。すまなかった。青年よ。さらばだ、青年よ。さて、この兄妹を、寄り添えて墓でも作ってやるかなぁ」
しかし突如亡くなったことへのショックと、没後に友人たちが受けたこのうえない悲しみにかなり心動かされ、一介の田舎の青年でしかない私も、大きな喪失の感覚に襲われています。
今回書くことは特に誰のためにもならないのかもしれませんが、書かざるを得ませんでした。
雨宮さんの最近のWEB連載を読んでいて気づいたことがあります。
39歳の時に、最大の危機が訪れたと彼女は言っているのですが、何が起きたのかは隠されています。
http://www.daiwashobo.co.jp/web/html/amamiya40/vol07.html
最大の危機は39歳のとき、突然訪れた。自分の人生には起きないだろうと思っていたこととか、自分はこういう人間だと思っていたこととか、すべてがひっくり返されるようなことが起きた。まさか、この年齢で、と思うようなことが起きて、はっきり「年齢なんてあてにならない」と思った。40歳、普通なら落ち着きそうな40歳という年齢であっても、神様は何も、手加減も容赦もしてくれない。40歳でも信じがたいことは起きるし、ドラマチックなことも、喜劇も悲劇もロマンチックコメディも、なんでも起きる。舞い上がったりドン底に叩き落とされたり、混乱の極致に立たされて、私は「もう無理。起き上がれない」と友達にLINEして、薬を飲んでベッドに潜り込んだ。
「自分の人生には起きないだろう」「神様は何も、手加減も容赦もしてくれない」「舞い上がったりドン底に叩き落とされたり」…といった記述から判断すると、完全な憶測に過ぎませんが、この時もしかすると、ひとつの可能性として妊娠されてたのかも知れないと思いました。
彼女のようなきわめて繊細な人が妊娠中絶をしたとすると、その心理的・精神的影響は想像を絶します。
PASS「人工中絶手術後ストレス障害」というものがあります。
2015年から16年にかけて、雨宮さんはずいぶんと痩せられています。とても素敵な、ファッションモデルのようになりました。
もちろん、それはまったく健康なものではなかったはずです。2016年10月には40度の熱を出したことがtwitterでは語られていました。
なぜいま、彼女が亡くなったのか。いずれにせよ、2015年以降の大きな危機のあとの時間を、彼女は必死に生きていた。
このようなことを憶測で語ることは、たいへんに問題であるし、何も生まないかもしれません。
まったく違っていたら、本当に申し訳ありません。
しかし、すでに遅いとはいえ、彼女の言葉の意味をすこしでも理解することで、出来事が明るみになるリスクを冒してでも本気で伝えたかったことを受け止めたいし、彼女の死をすこしでも理解したいと思い、このポストを記しました。
・・・接客商売?・・・小売屋?・・・まあ、そういう店員な者ですが。
数人で現場?・・・というか店頭に居るんだけど、自分が客の相手しててとか、ほかの人が接客してるのを横とか離れた所で接客以外の作業しつつ気にしててとか、
そういうときにおもうのが、やっぱり客と店員でも、気が合う・合わないの組み合わせがあるんだな、という。
で、
ときどき注文する、でも初対面の瞬間から、そう店に入って来る直前のそれからオレん所に近づいてくるまでの様子やら風貌←これにはどういう表情でなんの物事に対応してたか、の意味が含まれる、っていうかソレがほとんどなんだけど、
その段階で、あーなんかやーな○○だなー、とか、あーこれはヤヤコシイひとだろなー、とか直感して、元気のあるときなら「ウッシャア!」ダウナーな気分のときなら「やだな・・・。でも頑張って自分の気持ち殺さなきゃです・・・」とか覚悟をキメてるんだけど、
ヤヤコシイひと、っていうのは、これ自分もちょっとそうだからたぶんそういう連鎖反応みたいになっちゃうんだろうなとはおもってはいるんだけどまだそれ以上には直せないからわかってもいまのところイミねー状態なんだけど、
こっちのできない事を要求してそれを通そうとしてヒステリックな響きが声色に出てくるとか、そういうかんじに態度が豹変するひと、っていうのか。でまた、こっち、オレもソレはできないのでなんとか宥めながらこっちの事情、ったってまあ客側にしてみればそんなのほんとカンケーないことなんだけど、まあそれを理解してもらって要求を引っ込めてもらおうとしてるうちに、こっちもヒステリックに拒絶を繰り返すだけの流れになっちゃって。
で、なんかヤな奴だなあ、ってのは、これはもうホントに余計なお世話なハナシなんだけどもさ、んーと、ああそうあれ、こっちの、オレからすると”ぞんざい”な言い方とか物事のあつかい方とか、なーんかみててムカつくというか、そうそう”残念”なかんじな人。そんな表情でそれやんなくても・・・、みたいな、そんな言い方はねえだろ!って、アレです。
でね、くりかえし来ていただいてるそんな方々にね、やっぱりこっちもそのつど毎回何度もなぶられてるとね、身構えちゃって、そしてやっぱりいやこれはイカンことなんだけどね「なんだコイツ!」ってのをその奴にこっちも放散しちゃってるのだろうね、そんな方々も表情くもってたり強張ってたりしてんのよね。そこまでしていやされててなんでまた来る、いや来ていただけてるのかそれはそれでよくわからんのだけども、まあそれはまた別の考察、ってほどでもないか単にウチが最後の最果ての地なだけか、ってなにこれ烏滸がましいイヤすんげー失礼、ってまあそれは今回はさておいて。
・・・きのうね、年令がそうオレと同じくらいかいってて10才したくらいかって、これもまあね、もしこれ年上だと、ははっ御高説拝聴いたしますッって姿勢制御モード?でなんとか自分の気持ちをねじ曲げて納得させて抑えることができるけど、同い年とか変に近い若さ、ってなんだそりゃまあ同世代的な年恰好だと「オマエそんなオレとおんなじ年代でソレかよ・・・。ちゃんとしろよなさけねー、ってかオレもいっしょくたにみられて評判おとされてる気分だわーヤダヤダ!」って気持ちで考えちゃう、ま、まあそのくらいの世代だろう同性のが来てね、まあやっぱり何回か顔を合わせてる客なんだけど、注文後に訊いてきたのよちょっと細かいとこの内容をいまから変更できるか?ってね、んでオレそれは通すとあとあと対処がキリないことになる内容だと判断したんで即座に端的に、それはできません、つったのよ、そしたらソイツは了承してくれて引っ込めてくれたんだけど、そんときオレの返事のあとにちっさい声で、
『ぁっメンドクサイですか』
っていったのよ!・・・おめーまえからも思ってたけど、ぜったいがっこーとかでいじめられてただろってかイジメられてるだろそんな言い方してるからじゃー!!・・・・・・ふう。
・・・で。そんなこともありつつ仕事あがって、最寄駅から帰宅しようとタクシー乗り場を通り過ぎてたら、なんか駐禁防止みたいなチェーン付きポールはさんでる二人組が立ってたのね、向かい合って。片方は大学生くらいな年恰好でケータイあてて喋ってて、反対側は青年から中年くらいの、スーツ着てて手ポケットに突っ込んでその学生だかを仏頂面でじっとみてる様子の。なんだろうこれ連れだってタク待ちしてるにしては立ち位置が変だし、っておもって注意がそっちにむいてその学生のアンチャンの通話に意識がいって内容聴いてしまったら、
どうもコイツ、つまりスーツのほうのひとね、が、そのアンチャンの目前で、喫い終わったブツを側溝だか排水溝だかにポイしよった、それを俺、つまり電話でガンガンどこやら、もしかしていやたぶんケーサツ?か?にしゃべりまくってるアンチャンね、が見咎めて注意したけど聞きよらへんのじゃあ、わあわあガアガア、みたいな・・・。
あーあーあー。
これはそれは・・・。って気持ちで足取りもゆるめずそのまま通りを渡って自宅への路地に入っていくオレ、そしてその背にかぶさるようにヒートアップしたアンチャンの関西弁の罵声が~。
ある画商が絵が売れずに貧困にあえぐ青年画家から絵を買うように懇願されるのだが、
画商は「君のような凡才は生きている間に大成できないだろう」とを酷評して買おうとしない。
そうは言うものの、画商は青年の相談相手として、二人の間に緩い友情のような繋がりができる。
それでも画家は絵を買おうとしない。
まったく絵が売れない青年画家は、貧困のあまり絶望し、餓死するよりはマシだと自殺してしまう。
偶然その場に居合わせた画商は、青年の死を確認すると、すぐさま彼の絵をほとんど全て持ち去り、
それらの作品を「現代フランス新進気鋭の画家」のものとして高値で売りさばき、
http://anond.hatelabo.jp/20151017231411
がそこそこ好評だったので、改めてタイトルを追加してみようと思って書いてみます。
http://morning.moae.jp/lineup/121
主人公・テツローはフィギュアの造形師を目指す主夫だが、数年間くすぶっている。
ほぼ作者の実体験にもとづいて描かれており、自分の夢に向かいながら生きることの難しさや不安と真摯に向き合った作品だと思います。
テツローと嫁の掛け合いがたまらなくいいです。というか嫁がかわいくて強い。
初めて父親になるシーンはとても美しいです。
http://shonengahosha.net/works/baransupor_001.html
『EAT-MAN』『地球の放課後』の吉富昭仁による、トランスセクシャルフィクション。
女性の出生率の減少した世界で、国の要請で子供を産むために性転換した少年と周囲の関係性を描く。
・HaHa(1巻完結)
『ハイスコアガール』の押切先生が騒動の最中に始めた、自分のルーツと向き合う物語。
裏表紙にある
目の前にいる母の歴史は何も知らない。
母の事をもっと聞いておけばと
後悔の念で涙するのは嫌だ。
僕は思う。
親の半生に関心を持ち敬意を持って
自分のルーツとしての母親の半生をたどるという試みを面白く、感動的に描いている作品です。
・雲出づるところ(2巻完結)
http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063002416
駅で拾った子供を育てながら幸せに暮らし、やがて出水は妊娠する。
癌を患いながら出産を決意した出水と十一の、闘いの日々を描く。
生きていくことの不条理さを詰め込んだ作品で、希望があるのかどうかすらわかりませんが、
それが著者が人間の生死というものに徹底的に向き合った結果なのだと思います。
・名づけそむ(1巻完結)
http://shodensha.tameshiyo.me/9784396766740
誰もが持つ、「名前」にまつわるエピソードを集めたオムニバス。
日常の意外な瞬間に、ありふれた名前を通して、ささやかな喜びや希望、そして胸が締め付けられるような切なさや痛みを感じる人々の姿を全10編で描く。
上にある試し読みのように、短編でこれだけ描写の重さを乗せられるのはすごいなと思いました。
・闇夜に遊ぶな子供たち(1巻完結)
http://renta.papy.co.jp/renta/sc/frm/item/6274/
『死人の声をきくがよい』のひよどり祥子の、うぐいす祥子名義の作品。
霊感が強く、よからぬものが近づくと体調を崩す少女・マコとその兄・トシオに降りかかる災難の数々。
私の中では『度胸星』『預言者ピッピ』に並んで続きが出て欲しい作品。誰か。
・木版漫画集 或る押入れ頭男の話(1巻完結)
(試し読みがありませんでした)
あとがきで「私は、二冊の木版漫画集を刊行する為だけに、私の人生、10年間をそっくり使い果してしまった。
それが良かったのか、わるかったのか、今は判らない。」というぐらい寡作な藤宮史先生の作品。
人間不信から内向的になり、大学にも通わずアパートの一室に引きこもった青年が、何もかも捨てていっそのこと押入で暮らしたい、いや押入そのものになってしまいたいと思っていたら、
ある日男の顔は本当に小さな押入れ然となっていた。家を追い出されその日暮らしをする中で、彼はどこに辿り着くのか。
木版ならではの重厚さとストーリーの重苦しさがマッチしていて、これまで味わったことのないような読み口の作品でした。
・こども・おとな(1巻完結)
http://www.s-manga.net/omf/omf_978-4-08-890409-2.html
http://sokuyomi.jp/product/ningyoouzi_002/CO/1/
なども良かったです。
最近漫画の読み方が保守的になってきているので、自分にムチを入れる意味も込めて書いてみました。
みなさんのオススメも教えてください。