「不都合な事実」を含む日記 RSS

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2017-10-25

ミクロ弱者マクロに救われるとは限らない

anond:20171023212011

弱者であれ強者であれ個人ミクロ存在なので、マクロから見た場合統計的しか補足できない。

「(マクロ意味で)弱者(の総体を)救えば、(マクロ意味で)強者であるあなた(の属する強者総体)も(一定範囲内で)利益を受ける(可能性が高い)」ってのが真実で、()の中が省略されているだけだよ。

でも個人人生あくまミクロベースなので、個人レベルでの生活論で言えば上記理論に私財(生命しろ財産しろ自由にせよ)を投入すれば、多くの場合不利益のほうが大きい。例えば金持ちが全財産をまるごと寄付して、即座に寄付総額よりも大きな利益を受け取れるってのはまあ、概ね間違いだ。そんな事例は検討する必要が無いほどレアだ。

どっちかって言うと確実なのは弱者虐待しすぎると自暴自棄になった弱者強者をぶち殺しに来るぞ」ってことで、宗教テロにせよ経済格差テロにせよ本質的にはこれだ。強者弱者に気を使う必要があるのは、別の、そして決定的レイヤである物理的な暴力」で逆襲をされないようにするという一点にかかっている。

そもそも最初の「弱者を救えば強者も救われる(利益がある)」ってのにおける「強者が得る利益」ってのは「殺されない(その可能性が低下する)」って言う利益だ。文明が進んで先進国になった現在個人間の格差ジャンルによるけれど、数十倍から数百倍にたっする。例えば資産とか、生涯賃金(稼ぐ能力)とかがそれ。先行者富裕層)絡みて一番イヤな種類の公平はファイトクラブ的な裸で拳な暴力世界であって、その世界では彼らのアドバンテージはなくなってしまう。それはある意味とても公平ではある世界だ。そして現代社会だって一皮むけば中身は全くそのまんまなのだ

でも「すべての人民の間には物理暴力がある」っていうただの現実は、先進国において強者(多くの場合経済的知的富裕層)にとっても、弱者(同じく経済的教育貧困層)にとっても不愉快事実だ。強者から言えば自分たち脅迫されうるっていうのはストレスだし、そもそも弱者側にも武器があるってことを知らせるのが不都合だ。弱者の側から言えば自分たち要求武力を背景にした強請りたかであるってのは不都合な事実だし、人権だとか考えておいたほうがストレスがない。そもそもこの件をほじくり返せば共同体(この場合国家)に「分断」が発生してしまって、それが国力低下を招くのは西欧見ればあきらかだ。臭いものは蓋をしてなあなあにしておいたほうが全員にとって都合が良い。

みんなが自分利益を最大化したいと思いつつも、自分以外の参加者を決定的に怒らせて団結を壊すのは全員の不利益であるので、なあなあでみんなが少しずつ我慢できる結果を模索する――その現場福祉政策政治的合意をさぐる国会であり、今回のような選挙だよ。

2017-08-22

https://anond.hatelabo.jp/20170822021614

ちゃんと本文読みましたか

 

実在人物茶化した後に

運営」ではなく、「読者側からアクションがあったって事

 

要は君たちみたいな

pixivニコニコ表現の自由謳歌する

ハーディストさま側から規制の声が上がったってことだよ

 

表現の自由幻想抱くなといいつつ

片方で人様の嫌がる露骨性的表現擁護するのなら

まさにそれは君たちの二枚舌を喝破する不都合な事実

2017-08-20

ミソジニーミサンドリー非対称性

最近炎上したGoogleの件にも通じるかも知れないけど、「ミソジニーのほうが話が通じる」という感想を抱く人をたまに見かける理由について考えてみた。

まず、前提として

ミソジニー女性嫌悪)は男性に多い。

ミサンドリー男性嫌悪)は女性に多い。

日本は長らく家父長制をやっていたので、男性社会的責任の大半を負っていた。だからロジカルシンキング社会構造知識を多く求められ、教育されるぶん、女性よりも男性のほうがその辺の能力が高くなるから女性はその辺はあまり教育されないから。あと生理がないぶん体調でイライラすることも少ないから。

東京大学女性比率を上げたいのに上がらなくて悩んでるのは、「女性は賢すぎると男性モテなくなる」という家父長制下の価値観がいまだ根強いかららしい。

社会って共感で成り立っているので、共感安心してそこで満足する。わざわざ不都合な事実に目を向けに行く必要がない。このようにロジカルシンキング必要事実ファクト)を遠ざけてしまうので、女性ロジカルシンキングを獲得するのってハードル高くて困難だよなぁと思う。

から、「ロジカルシンキングを獲得した男性」よりも「ロジカルシンキングを獲得した女性」のほうが純粋能力は高いと思う。乗り越える困難の量が違うから。だから希少性が高く、数が少ない。

から女性が多いミサンドリストは話が通じにくい。なぜなら気持ち理解する「共感」のコミュニケーションチャンネルに偏っていて、頭でロジカル理解する「対話」のコミュニケーションチャンネルが弱くなるから

気持ち的に不都合な事実理解するには、頭が必要

たとえば女性用下着メーカーワコールに勤めてる男性社員ってすごいと思うんですよね、共感不可能領域にいるんだもの。みたいなことをひろゆきが言ってた気がする。

気持ち」って共感することでしかコミュニケートできない、ハイコンテクストなんですよね。

ロジカルシンキングを身に付ければ、ロジカルシンキングを身に付けているすべての人とコミュニケートできる、ローコンテクストなんですよね。

2017-01-15

「超潔癖主義」の非現実性

くさや問題が表した潔癖主義

ファブリーズの件もそうだが、今の日本は「超潔癖主義」に蝕まれすぎではないかと思う。くさやが臭いのは誰がどう考えても事実なので、地元はこのCMに便乗するくらいでいいと思う。

何かにつけて「地域差別ガー」というバカにはあきれてしまうが、つまるところ地域の抱える不都合な事実を外部が指摘することを拒絶するけつの穴が小さい子供である。それこそ、彼らの好きな言葉を借りれば「言論弾圧愛好家」ではないか。文化や社会には二面性がある。

私が生まれて間もない頃の話だが、1980年代1990年代鉄道文化が洗練されていたという話題がSNSや掲示板で流行している。はっきり言って、不良が巣を作りそうな文化がそこにあったわけだが、それでも鉄道ファンは誇らしく思う。「鉄道王国」も日本文化だと自尊心を持っているはずだ。

本来文化・社会性とはそういうものではないか2000年代新自由主義旋風だって文化や科学技術などの高度化の裏に犯罪の高度化や富裕層人口インフレ問題もあった。2010年代1960年代の再来のようなのムードの裏に貧困問題があった。オートバイブームの裏にはシビアな封建もあった。

オタク文化マイルドヤンキー問題共通点

オタク今日社会全般で受け入れられているという。あれといえば、昭和負の遺産にもかかわらず迷惑者が誰も輩出しなかったことを「世界に誇る日陰者」と自画自賛する書き込みが拡散されたことが多くの人に衝撃を与えたものだった。案の定オタク自身の努力で出世が実現するとスゴイ発言まみれになった。

冷静に考えてほしいのだが、同じ大衆の同胞であるべき人達がそれと村八分にされる時点で、そもそもすごくなんてないのである。そもそもオタクとは昭和時代学歴社会実験の失敗に伴いヤンキーと共に発生した負の遺産である本来ここで必要な発想は、負の歴史として再発防止策を考えることであり、恥かしく思うべきことである

仮にもしオタクがすごかったとしてもそれは個人個人がすごいのであってオタクはすごくないのである社会が立派だったとしても、それは日本人の寛容性のことである。もしあなたが大衆の一員であれば、さほど無関係ではないか

私は「オタクスゴイ」とそっくりな問題を抱えているのが「マイルドヤンキー」ではないかと思っている。地方リア充話題が出ると、なぜか不良とこじつけ話題が出てくる。不良とは縁のない人でもヤンキーのように扱われる、あの変な社会空気である

当たり前だが、リア充すべてが悪人なわけではない。大体ヤンキー本来の意味は実は汚い。もともとはアメリカ人白人を罵る言葉として生まれたものだ。ジャップと同じ意味合いアメリカ人が「ヤ○○」の言葉を使うものとしてとらえてほしい。

マイルドヤンキーに代わる言葉はあるだろ。とんでもなくダサそうな文化を謳歌しているのは一握りの地方民のうちの一部とか、不良経験者だけではないかと思う。あのグダポンの撒き散らす固定概念への批判としてもいうが、私は地方を何度も見てきたが、北関東でもマイルドヤンキーなんて一握りの数しかいなかったよ。

そもそもマイルドヤンキー言葉根底に都会人による地方人への偏見がある。車好きを例に挙げるまでもなく、外国には日本人が思い浮かべる都市部人間殆どいない。むしろマイルドヤンキーの特徴として挙げられる、「買い物先でショッピングセンター依存している」人は日本を出れば都市部ですら腐るほどいる。国土全体で鉄道依存社会が成り立つ国は、日本を除けば、オランダみたいな地形に恵まれる地域シンガポールのような都市国家以外にない。

「超潔癖主義」の究極である子供ファシズム

私はこの潔癖の究極が「子供至上主義だと思う。日本人はみな車嫌いで鉄道好きというおかしな風潮も、子供のために嗜好を装う仕草だという。必死すぎる。大人な人は、それが普通なしょうがないと受け入れるべきではないか。一番ひどいのは私鉄だ。

子供日本人美徳だと、道徳的な人を表す言葉として普及しているが、これはあの押しつけがましい「道徳」と同じうさん臭さを感じて、私は不気味に思っていることである子供って要は非現実的理想の追求であり、病気だ。

そもそも日本私鉄社会の根源は鉄道公有化の失敗だとか戦争連続による財政難だとか、歴史上におけるネガティブもの副産物である。今でも「幼稚」とかいう。それはつまり堂々とした対等な存在としてリスペクトするものではなく、結局これは子供なる年齢を使った言葉で「恵まれない現実にある人達」を見下している、前時代的な、差別を連想する表現である

欧米圏を見ればわかるように、鉄道弱者というか、つまりよそ者、あるいは貧乏人や弱者のためにある公共施設であって、所得関係なしに使うことをよしとする、ましてや商売の道具としてみなす日本おかしいのである

一昔前ですら日本ではここまで「子供」はうるさくなかった。子供大人らしい事由成熟した男女を目指した途上段階であり、気づけば加齢で大人になっていた、あるいは10代ですでに見た目も中身も大人同然という人もごろごろいて、それがわずか15年ほど昔までの常識だった。

あるいは「リア充な美しい大人は好きですか」というように、青年性を脱した兄や姉であるべきだった。正しさではなく「美しさ」が評価された。この美しさという言葉自体清潔を意味するもので今の異常な潔癖主義に通じたのも、もちろん事実ではあるけどね。

不都合現実」を受け入れた理想の発展が必要

特定環境を聖域化し、あるいは特定の人を「聖人」化してみなし、それを潔癖性を極めた発想とともに崇拝し、潔癖と反する不都合な事実を見て見ぬふりをしたり、あるいは無理してでも隠蔽させようとしたり、それを指摘する存在を許さない、あの感覚。グダポンの言葉を借りればこれは畳精神である

昔の高校を題材にした作品から黒髪すっぴんさんの描写を削減し、わざとそうでない人を代わりに差し替える。これも聖域を作る発想に由来することではないかと思っている。

その点、例えば私が韓国学生をみて感動をしたのは、日本において学生というと黒髪が少ないイメージなのかもしれないが、実際には黒髪のおりこうさんが多くいたこと、そういう風潮がそこかしこにあったため、他人に緊張することがなかったかである

バス停留所で会話したローカル若い女性は、なんかお茶目で、自分生活圏にやってきた外国人を楽しませようというホスピタリティがあって、ものすごく魅力的だったが、やっぱり大人オタクで、至上主義のない国のほうがよほど大人も魅力的だなと感じたのだった。

これは地方にも言える。マイルドヤンキーの連中なんてありゃ「普通リア充か重度なオタク」だ。オタク?ってくらい偏執的で、大衆らしさに欠けている。いわゆる元ヤンさえ良くも悪くもリア充らしさがない(事実、彼らが外国に行くとサブカルオタク扱いになる)広い意味での問題なのだ

日本に出てくるテレビタレントには個性らしさがない。オタクがいない(例外はあるが)。根っこからのおりこうさんであることを売りにした俳優・声優がいないし、変わった趣味を売りにする者もいない。誰もがそうなるありのままもないし個人差もない。

これは、日本人一定割合。どちらかといえば韓流ファン経験のある人たちで、同じくマイルドヤンキーか学がありそれなりに品格のあるような人が、ものの感じ方の成熟が遅れたことにあるんじゃないか、と私は思っている。子ども時代や貧乏なときは誰もが感性が幼稚で極端な理想を抱くものだ。

しかし、大人になり、10代になり、豊かになれば、あらゆる体験を通して現実を知るというか、様々な存在を知って、自分自身の肉体と考えの成長もあって、そういう非現実理想を一度捨てることになると思う。代表大学生における運転免許取得ラッシュだ。「免許取得者は学のない人のほうが多い」とか「都会人は一生免許と無縁」の虚構に気づく。

私達ネット原住民的には中二病とか高二病とも揶揄される、つまり冷笑主義にも陥るのだが、その現実実在不都合性を含めた事実の中にある魅力に気づき、そこから新しい夢を見出だしたりするのが、普通の諸外国ならハイティーンか遅くても20代経験する段階で、日本人もかつてはそうだったのではないか

そういうわけで、高学歴だろうと、立派な社会的地位にいようが、年齢が中高年だろうと、マイルドヤンキーと変わらないような潔癖主義理想を振りかざして現実を拒絶したり自由創造表現ユーモアを叩くあの感じは非常に納得がいかない。幼稚な人が多すぎる日本現実がほんとつらいです。

(韓国などの例外を除く)外国コンテンツは、優れた表現ほど徹底的に不都合現実事実に向き合っている。だが、それをただそのまま描いたり、不穏に誇張するだけではなく、そこから楽しさや夢を見出だそうとする傾向があると思う。その際にはお堅い因習を破ることになる。

だがその独創性第一段階にある「お堅い因習を破ること」を全力否定するのがグダポンのいう「畳精神」であり、右派や私の言う「コリアニズム(文化的右傾化)」である。つまりどんな理不尽でもそれがしきたりで、その空間では聖域性を守るために自分が屈しなきゃいけないし、適応しない他者は咎めなきゃいけないという枷を兼ねた同調圧力も発生する。韓流ブームものすごく親しんだ人ほど危ない。

ティーンエージャーになる前の現実離れした理想主義(と、それを理想を向けられた側がそのまま受けとめなければいけないということ)に畳精神コリアニズムはとても相性がいいのである。新しい幼稚な感覚と、古い老いた因習コラボさせると、アニメ漫画特撮ドラマビデオゲームまがいな、子供ヤンキーだという狂うジャパンがあふれるのである

私が現代の日本はともかくとして一昔の韓流華流コンテンツ敬遠したのは、アメリカコンテンツとは違い、理想主義を極めたあのディズニーでさえ、そのテーマパーク映画などに「不都合現実を受け入れた上でのイマジネーション」がないからだ。理不尽もの批判的に描くこともなく、拒絶せずにそれを受け止めることすらしない。現実逃避ありきなのだ

私の記憶する限り韓国中国テレビドラマアニメには、日本人ネガティブ過ぎるとして驚いた自転車乗りの姿が描写されていない。1990年代2000年代(2010年代)に日本型暴走族話題になったが、それを風刺するような作品は出てこない。当たり前だが韓国人中国人オタク風刺するような作品もない(日本ですらオタク風刺作品はあるが)

そういう子どもたちはこうしたコンテンツの変わりに漫画小説(ライトノベルを含む)やゲームいかれた様子を見ることで、それを教訓にすることができるわけである日本作品で言えば喧嘩番長龍が如くに出てくる「不都合現実を誇張した」不健全卑猥日本風景も、実は意外にも理想や夢とどこか通じるものがあるし、その中にもやはり社会に対するメッセージもある。

そう考えると、欧米程でないにしても自由な創意工夫性は日本においてはなんとか健在であり、その自由表現の娯楽を通して成長につながることもできたりし、その上でまた新しい夢が見れるというのが、本当にすごいと思っていて、韓国中国にもそういうクリエティティを獲得するには、まず日本同様に現実至上主義と畳精神解体を加速させることが必要なのだ

2016-08-05

野尻抱介氏の東電に対する認識

http://ch.nicovideo.jp/nojiri_h/blomaga/ar1079330

1Fのレポート部分は面白いですよ。さすが、野尻抱介氏は優れた作家だな、と。

楽観的な未来予測も、それはそれで。僕の好みではないですが、まあ、それはどうでもいいし。

でも「さて、見学レポートからは少し外れるが、私の東電に対する認識を語っておこう」から始まる東電礼賛の文章は、ちょっとないのでは。

あの被害人災的側面を看過していいとは、表に出ている各種情報総合して判断するに、思えないんですが。

不都合な事実から目を逸らした物言いでは。

反原発イデオロギーにとらわれていない人の文章は素晴らしい!これこそがリアル!」みたいに無邪気に褒めている人たちがいるけど、これのどこが「リアル」なの?

正直、引いてしまいました。

2016-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20160726221802

差別は良くないとは頭ではわかっていても。。。となるよな

実際の現場にいけば

ましてやパワー系の暴れん坊とかすさまじいからな

障害者が力のある男だったりした場合、女の介護者に対する性的暴行なんかも間違いなくあるんだが、

なぜか障害者差別に繋がるとか言い出してもみ消されるんだわ

ドイツ難民暴動とまったく同じ手口

口先だけで差別良くないとか言って現場不都合な事実無視する連中がいる限り、

この問題は一切解決することはないだろう

2016-01-26

アメリカ自国不都合な事実でも法律が開示せよとしてるから、全てをさらけ出すけど

日本警察証拠をわざと紛失させたり

なにもかも秘密にしようとしていて本当に先進国としてひどい

しかアメリカ日本の事になると一緒になって隠すけど

2015-08-29

自衛隊員の「自殺」が多いけどさ。

アレ本当は自殺じゃなくて絶対殺されてるだろ

不都合な事実から政府は隠してるけど。

 
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