俺は”マナーの悪い喫煙者”を潰したい。そう思ったのは家族に愚行を泣かれたからだ。
今日立ち寄った高速のPAに、喫煙所とトイレの近い場所があった。
そのトイレから出る際、”マナーの悪い喫煙者”の男がトイレ前で点火しながら喫煙所へ向かった。
俺は煙が嫌いなので、小声で「喫煙所に入ってから点火しろよ」と言った。
そこを近くにいた家族が聞きつけ「今は家族がいるんだ、絡まれたり暴力を振るわれたらどうする」と言われた。
確かにその通りだ、とは思った。だが向こうも悪いと言った。
「それでもやるな。すぐに黙って避けるなりしろ。なぜそんな事も分からない」と泣かれた。
愚行だった。
実際「カッとなってやった」で殺人を犯すような人間もいるのだ。
”マナーの悪い喫煙者”に限らず、社会規範のゆるい人間への注意などは時に命にすら関わりかねない。
ところで本日見かけた”マナーの悪い喫煙者”は上記の者の他にも複数いた。ちらほら見られる行動である。
ある男に至っては、広いPAだったので喫煙所から20mほども歩いて移動していた。
その途中にはベンチがあり、食事している人間もいたが横を通り過ぎていた程である。
「『俺ルールとしては』これくらいの位置から火をつけ、近くに非喫煙者がいても煙を吹き散らしてセーフだ」
こういう考えが存在している事になる。
実質的には距離が短くなっただけで、完全に歩き煙草だ。しかも喫煙所近くとすら言えない。
つまるところ
という、謎のゆるく適当な理屈が”マナーの悪い喫煙者”を動かしている。
しかもなおタチの悪いことに、こうした輩は前述のように明らかに規範意識がゆるく自己利益を優先している。
それはつまり携帯灰皿があればどこでも喫煙可能と思いこむような者と同じく
「『俺ルールとしては』配慮しているからいいだろ!何様だお前は!」
と注意時にこのような行動に出る可能性があることを示している。
なお論外の、喫煙所ですらない自車のそばで吸って吸殻を捨てている者などもいる。
(駐車した際に足元に吸殻が落ちていることが複数回あった)
「『俺ルールでは』これくらいならいいだろう、と思って吸って捨てている」
こんな者は、珍しくもなんともないと言えるわけだ。
ところで舞台は年の瀬の高速道路である。そこには他の人々もいた。
年老いた人を支える青年もいた。
もしも煙が不快だったとして、「喉の弱い老人や子供がいるからやめて欲しい」などと注意できるだろうか?
むしろ逆だ、と思う。
うちの親がしたような「カッとなっての攻撃行動」への不安があるだろう。
幼い子供をかかえて、もし突き飛ばされたら。
小さな子供を怯えさせ、トラウマを残すような怒鳴り方をする理不尽な者なら。
老人を殴りつけるような相手だったら。
危険な存在を相手に、守るべきものがあると挑むことはできない。
ごく当然の心理であろう。
故に、俺は俺のルールとして、”マナーの悪い喫煙者”を”真っ当な喫煙者”と分ける。
そして、そういった存在は糾弾されるべきだとこのページに書く。
願わくば”マナーの悪い喫煙者”が、世間から一掃されて欲しいと心から願っている。
こういった考えがあると世間に広まって、多くの人からの社会圧の高まりで
『俺ルール喫煙者』が少しでも圧迫されていけば幸いであると感じている。