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2017-06-06

[] #26-4「オサカレビュー

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ストーリー構成キャスト

さて、自分はこれを「テンプレものゾンビサバイバル」と評したが、これは要所要所のツボは抑えていることを指しているだけだ。

この作品ある意味で「顧客の求めているもの」を提供しているとも言えるし、提供していないとも言える。

どういうことか説明していく。

まず、この映画を“豪華なキャスト”目当てで観たい人は、ぜひ映画館に足を運んで欲しい。

カメオ出演俳優のために予算を使い果たしたんじゃないかという豪華っぷりである

また彼ら豪華なキャストの掛け合いもたっぷりである

主演のマッピーもしっかり絡むので、彼の美声に終始酔いしれることだろう。

逆にゾンビサバイバルものを目当てに観に行くならば、あまり期待しない方がいい。

ゾンビサバイバルもの個人的に好きな箇所は、「パニック状態になって、人間社会崩壊する前段階」である

日常が徐々に壊れていくような、でもそれがまだ原型を留めているような段階のことである

そこを丁寧に、上手く描いたゾンビサバイバルものは、個人的にそれだけでワンランク評価を上げたくなる。

本作も、その前段階にたっぷり尺を使う。

なんと1時間

上映時間のおよそ半分である

いくら自分が前段階が好きだからといって、モノには限度がある。

見せ方も無駄だという印象が強く、ただ登場人物たちがくっちゃべっているシーンが長々と続く。

パンデミックを想起させるニュースを挟んだり、ゾンビになりかけた様子のおかしい人が映るシーンなんてもの申し訳程度にしかない。

ゾンビサバイバルを観たい人は、後半の部分だけ観ても差し支えないレベルだ。


だが、これもある意味でわざとやっている節がある。

なぜかというと、主演のマッピー声優業が主な俳優なのだ

『ヴァリアブルオリジナル』の主人公を筆頭に、その他のアニメでも青年役、少年役で彼の声を聴かない日はない。

からマッピーを目当てに観に行く人にとっては、彼が長々と話しているのはそれだけで至高なのだ

だが、このマッピーという俳優が、ある意味作品全体の雰囲気を歪にしている側面もある。

大根というわけではないのだが、これまで声優業ばかりやってきたせいなのか、その癖が抜け切っていない。

或いは、マッピーも実写向けの演技が出来たのかもしれないが、彼のファンアニメから入ってきた人間ばかりなので、ファン向けの演技指導をさせたのだろうか。

マッピー発声は本作でもすごくアニメっぽくて、実写向けの演技路線である周りの俳優とは明らかに浮いている。

一人だけ吹き替えなんじゃないかってくらい。

ヒロインが「バリケード突破された!」とリアル路線で喋り、周りの俳優エキストラもそれに合った演技をする中、マッピーけが雑音が全く無い環境で「ヤバいよ、本当にヤバい!?」と言っている場面の脱力感といったら筆舌に尽くしがたい。

マッピーは主演なので、それが起承転結ずっと続くのである


本作のコンセプトとは?

これは自分勝手憶測だが、この映画監督は元々コッテコテゾンビサバイバルを撮りたかったのだと思う。

でもスポンサー問題で、予算が足りなかった。

なのでマッピー所属する事務所関係する企業出資を募ったら、出してきた条件がこの前半のかったるい展開だったのではないだろうか。

或いは広告担当が、俳優を前面に出して集客しようとした結果、それを極端にやりすぎたというか。

映画監督俳優目当てとゾンビサバイバル目当ての人間をハッキリさせたかったので、前半は開き直って俳優劇場にして、後半でゾンビサバイバルを詰め込んだ、と自分妄想している。

特に監督のこだわりが感じられたのは、子供ゾンビが出てくることだ。

しかもこの子ゾンビが……(ネタバレというほどの展開ではないが、個人的な見所ではあるので伏せておく)。

本作のゴア描写は大したことはないのに、レーティングが高めなのはこれが原因だと考えられる。

それでなお“善良な人間からクレーム”も覚悟しなければならない。

周りからカットしようと意見されたに違いない。

監督も色々譲歩し続けたと思われるが、ゾンビサバイバルシビアさを表現するため、これは残そうとしたのだと思う。

自分としては、今回でこの監督も注目せざるをえない一人になった。

次 ≫

2017-05-23

[]鳥野しの「麦の惑星」2巻まで

舞台現代東京の片隅、山がある田舎

ある日、隕石が落ちてくる

それは実は不時着した宇宙船で、それに乗ってた子がいた

ひょんなことから山の頂上にあるパン屋で救助がくるまで暮らすことになる

パン屋をひとりできりもりする青年宇宙人の子、それらを取り巻く人間関係が描かれる

地味だけど普通に面白い

地味だけど(2回目

自分が求めてたものがそのまま変なひねりをきかせずに提供されるってすごい安心感

これが宇宙人バトルとか宇宙人ってのがフィーチャーされすぎちゃうと、俺が見たかったのはそっちじゃなかったのにってなるところだったか

でも逆に言うと宇宙人の子存在意義いまいち少ない気がするから、今後どれくらいからめてくるのかが注目どころかなあ

そのバランスも今のところいい感じだと思う

宇宙人感覚人間感覚を再発見するってのも地味だけど好き

容姿のいいおっさん快楽堕ちで涙や鼻水まみれで喘ぎ倒す男性向けエロ漫画ってある?

先日ディビさんのその指先で転がしてというエロ漫画を購入した

おねショタで画面にびっしり書き込まれ言葉責め調教道具、トロトロになって快楽に飲み込まれ性処理係に堕ちる男の描写等々とても抜ける漫画でさすが男性向けは実用性が高くてええわーって感じだったがショタ趣味じゃないので出来ればおっさんが良かった、せめて青年なら完璧だった

男性向けでそういうジャンルはあるのだろうか

2017-05-17

かつて女子高生だった

朝の通学電車で、後ろにいるきっと努力をして立派にサラリーマンしてる青年生殺与奪権を自分が握ってると思うととてもワクワクした

この聡明で人の良さそうな男の人生って私の気まぐれで終わっちゃうんだろうなって考えながら毎朝乗っていた

2017-05-16

ネットで見つかる実際の痴漢冤罪事件

痴漢に関して不毛な言い争いが続く中、

ふと実際に痴漢冤罪事件の話はどういったものがあるのだろうと思って調べてみた




防衛医大教授痴漢冤罪事件 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E8%A1%9B%E5%8C%BB%E5%A4%A7%E6%95%99%E6%8E%88%E7%97%B4%E6%BC%A2%E5%86%A4%E7%BD%AA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

痴漢冤罪自殺した25才の青年、死の直前に書かれたメッセージとは? 名誉回復に向けて警察と闘う母の奮闘

http://tocana.jp/2015/12/post_8112_entry.html

リアルそれでもボクはやってない!”痴漢冤罪、30歳中学教師2年半の戦い【前編】 - 社会 - ニュース週プレNEWS週刊プレイボーイニュースサイト

http://wpb.shueisha.co.jp/2014/11/24/39391/

無罪判決:「痴漢現行犯」に問われた男性 大阪府警誤認逮捕 地裁支部証拠不十分」 - 毎日新聞

https://archive.is/20160823095235/http://mainichi.jp/articles/20160823/ddn/041/040/008000c

夕刊フジ特捜班「追跡」--痴漢冤罪の恐怖--あなた犯人に…(1)

http://www.zakzak.co.jp/tsui-sat/tsuiseki/contents/2002_04-09/020914_01.html

奇跡体験!アンビリバボー痴漢えん罪事件壮絶記録868日 - フジテレビ

http://www.fujitv.co.jp/unb/contents/131107_1.html

西武池袋線痴漢冤罪小林事件@wiki アットウィキ

https://www44.atwiki.jp/kobayashiinochi/

痴漢冤罪事件高裁逆転無罪 | 事例紹介 | 高野法律事務所

http://takanolaw.jp/en/bigcases/chikanenzai/

2017-05-14

名刺交換研修させるような会社新卒カードを使う奴が哀れすぎ

日本橋東京のほう)で、声をかけられた。

こんにちは。初めまして!私XXXの〇〇といいます

はい

「私、この4月に入社したばかりでして」

「それはおめでとう」

ありがとうございます!実は研修で」

(来た来た)「名刺交換だろ?」

「そうです!よろしくお願いします!」(深々とお辞儀

「あのねー。名刺交換してその後どうなるか知ってる?仕事中にセールス電話がじゃんじゃんかかってくるの。いい迷惑なんだよ。そんなブラック会社みたいな研修させるとこ、さっさと辞めたら?」

相手の反応をうかがう前に立ち去ったが、確かに新入社員ぽい感じの元気な青年だった。



今の大学生って、情報収集するツールだけは持ってるはずだしブラック企業感度が高いはずなのに、なんで街角名刺交換させるような会社に入っちまうんだろうな。

今入ろうとしてる会社がどんな研修するところか、その研修が何の目的でやらされてるのか、ググって出てこないもんでもないだろう。まして悪名高いところならさ。

この手の不動産営業会社って大量採用大量離職で内定バンバン出すんだろうけど、そんな不景気でもないのに他から内定もらえなかったのかな。



まー所詮他人事からどうでもいいですけどね。

2017-05-08

茅ヶ崎の侍野郎の正体が分かりました!!

茅ヶ崎の侍野郎ことbonchacchanga 1989年まれ人権がらみの仕事をしている。愛車は日産軽自動車埼玉の零細大学を出ている。

出身高校神奈川ワースト私立高校だった、東海道線で通学していた、小田原同級生とおふざけしていた、などの証言

ついでにこいつも

自称・グダポンの影武者ことgreatchina2 1985年まれ小学生中学生時代保護観察経験あり(不良との交際理由らしい)。それなのになぜか進学高校卒業出身大学現在の状況は不明

バイク免許持ちや自転車乗り経験公言しているが、なぜか自動車自転車を毛嫌いしている。(愛車は50ccスクーターと250ccネイキッド)

祖母が元不良らしく、母もインテリ系ながら不良臭かったと公言しているらしい。(子供時代青年期に母を怒らせて原付で引っ掻き回されたことがあるとか)

1995年まで貧乏だったらしく、保育園幼稚園に通っていない。

影武者趣味がついに判明したとか。グダポンと奇しくも同じで鉄道好き、アキバ系オタクなどなど、なかなか香ばしい状態のようですな…失礼だが車社会回帰鉄道離れのきっかけになる気がするな。

大都市部の若者でも子ども扱いを嫌って車やバイク免許を取る人が非常に多い現実ってことをよーく考えた方がいいね、グダポンの影武者を騙る某人。

2017-04-19

単行本の巻数をドラゴンボールに換算してしまう癖

単行本3巻…悟空クリリン天下一武道会に初出場した頃やな

単行本8巻…レッドリボン軍が全滅した頃やな

単行本14巻…ピッコロ大魔王が倒されて悟空青年になった頃やな

単行本17巻…ラディッツと戦った頃やな

単行本21巻…地球に来たベジータを追い払った頃やな

単行本27巻…悟空スーパーサイヤ人になった頃やな

単行本30巻…神様ピッコロが融合した頃やな

単行本35巻…セルが倒された頃やな

単行本39巻…ベジータがブゥを道連れに自爆した頃やな

単行本42巻…最終刊やな

2017-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20170411224538

確か10年ほど前に、ACが「電車あなたの部屋ではありません」みたいなメッセージを打ち出したCMが流れていた。

部屋でヘッドホンをつけて音楽大音量で流しながら、ハンバーガーを食べている青年だったが、実は部屋ではなくて電車内でそれをやっていた、という演出

個々での認識としては以前からそれなりにあったと思うが、そのCMが流れて周知のものとなったということを考慮すると10年前くらいになると思う。

というか、この手の社会通念は、大体ACとかの公共広告機構が一枚噛んでいる気がする。


まあ、マナーとかの社会通念は咎める側も守らない側も主観が入り込む余地が多くて、そもそも理由自体合理性を欠くというケースも少なくないからね~。

からケースバイケースみたいな陳腐結論にならざるを得ないというか。

マナーを謳う多くの人は「何となく不快から」位にしか認識してなくて、それを正論に摩り替えて、大義名分に仕立て上げているだけだと思う。

でも、そういった感覚的なもの最大公約数として出来たマナーに関していうなら、理由が何であれ社会の均衡を保つ一助になるのも確か。

自由」と「勝手」は違うわけだけど、まあ自分行為他人の許容だとか順応をアテにしたものでないのならば「自由」の範疇と捉えて、今後も享受していっても問題ないとは思うよ。

2017-04-08

http://anond.hatelabo.jp/20170408111659

1980~90年代くらいの漫画で「ジャーマンコスプレックス」とかいうどうしようもない技が出てくるのがあった記憶があるんだけど。

思い出せない・・・

確かソープ嬢かそういう風俗関係主題漫画で、エロというよりは青年コミックプロレスエピソードとして出ただけで主題では無かった気がする。

誰か思い出して。

冒険してもいい頃だったかなあ・・・でもググってもそれらしき話はヒットしない・・・

2017-04-02

おはようおじさん

月に一度あるかないかの頻度で、通勤中に遭遇するおじさんがいる。

30代後半だろうか。青い企業ジャンパー作業ズボン工場(こうば)のおじさんに他ならない。

私がのっそり歩いて会社へ向かっているとき、彼は追い越しざまに「おはようございます」とあいさつをする。こちらを向き、キリッとした口調で。

今時珍しい人だ。知らない人に声をかけるだけで「事案」にされる世の中で。

最初は、同じ会社の人だと思った。工場併設で、正社員から期間工派遣まで様々な作業服を身につけた人々が昼夜働いている。おじさんもそうなんだろう、おはようございますと私も返した。

おじさんはとても歩くのが早い。信号に引っかかった私を後に、おじさんはどんどん歩いていく。

ある朝もおじさんは「おはようございます」と、格式張った様子であいさつした。私もおはようございます、と返した。

この日、おじさんは同じ会社の人ではない事に気がついた。入り口を素通りし、そのまま行ってしまった。

またある朝も、おじさんは「おはようございます」と言った。私は会釈した。

同じ会社の人ではない、では色んな人にあいさつする人なのかなと考えた。しかし様子を見た限り、すれ違う老若男女だれにも声をかけなかった。

また違う朝も、おじさんは「おはようございます」と言った。私は会釈も返さなかった。わからないのだ、おじさんの目的が。

もしかして毎日私が提げているランチバッグが目についたのだろうか。国民キャラクターがあしらわれた、年甲斐なくかわいらしい派手なバッグだ。

そこそこ愛用したために穴が開きかけており、これも機会と買い替えた。やはり派手な色なのは好みだからしょうがないが、絵のないデザインにした。

新しいランチバッグに変えてから初めておじさんに遭遇した朝、おじさんはあいさつしなかった。チラッとこちらを見ただけだった。やはりランチバッグが興味の対象だったんだろうか。

派手なランチバッグが手に馴染んだ頃、おじさんが追い越しざまに「おはようございます」と言った。変わらず、真面目な様子でしっかりこちらを見て言うのだ。ランチバッグ以外で個体識別したらしい。私は会釈もしなかった。

あいさつをもらったらあいさつを返すのが、模範的行為だろう。人付き合いの基礎だ。わかるよ、わかるがあのおはようおじさんに、私はおはようを返さない。不安だとか謎だとか、そういう不確定要素が最大の恐怖なのだおかしな話だ。ただおはようと言ってくるおじさんが恐怖。じゃあ容姿美麗な青年が同じ行為をしてきたらどうか、それでも不確定要素に変わりないのだから恐怖だろう。

通勤時間や順路は、諸事情で変えようがない。だから確率問題だけで、おはようおじさんに追い越される。

遭遇しない事が最適解。ただのあいさつするおじさんに遭遇しない事が最適。あいさつは犬でも猫でも大事な生きる基本。矛盾じゃないか

冷静に考えておじさんはいい人じゃないかクソッタレは私じゃないか。おじさんは悪ではない。しかし私はおじさんにできるだけ遭遇したくない。

明日月曜日だ。いつもは徒歩通勤から、時たまおはようおじさんに追い越される。しか明日仕事の都合上、車で出勤する。だからおじさんに追い越される事はない。翌火曜日は徒歩だから、追い越されるのかもしれない。

2017-03-24

四半世紀前、ミニ四駆第一ブームの頃

近所にプラモ屋があった。

店内は薄暗く、

商品はうず高く積まれ

レーサーミニ四駆グレードアップパーツは

万引き防止の為か店員の後ろに並べてあった

店員の兄ちゃんは細身の疲れた青年みたいな人で

義眼が特徴的な人だった。

プラモ屋の店先にはミニ四駆コースが置いてあり

買ったパーツをそこで試したりした。

ミニ四駆遊びに飽きると隣の公園に行き

公園の滑り台とかでミニ四駆を走らせて遊んだ

公園のすぐ脇には畳二畳ほどのちんまい駄菓子屋があって

基本無人なんだが、買う段になるとすーっと主人が現れて

会計してくれる。

2017-03-19

高校野球ツマランな。バックネット裏に、同じ服着た少年がズラッと並んでると、全体主義を思わせて萎える。あのどうしょうもないおっさん達って大切やったんやなぁ。やっぱり、ピュア野球している青年と、呑んだくれて堕落したおっさんという対比も重要やったんやろか。

フランスでの「君の名は。

2月下旬パリ孤独出張おっさんに、冬の雨が冷たい。美術館巡りも飽きたので映画でも見るか、ということで言語がわかる「君の名は。」。調べるとミニシアター3箇所だけでしかやっていない。他に週1や月1の公開が何か所か。マジかよ、パリ都市圏1200万人に対して3か所かよ?いや、公開後2カ月経っているからこんなものか。まだやっているのが奇跡というべきか。海外XXXスクリーンで公開、というが実態毎日やっている館数は一部なのではないか、という気もする。

 

どのミニシアターもかなりのマニアック臭がする。一番近いのは10区の北東。10区か。。。パリ治安はあまりよろしくない。正確に言うと、普通場所悪い場所があるのだが、北と東は悪い。10区は悪いほうである。行くだけ行ってみるかと、これも評判の良くないRERに乗って移動。RERはパリ近郊の中距離列車である日本人観光客は、空港から市内までの移動でB線と、市内からベルサイユ宮殿までの移動でC線にお世話になるのだが、間接照明で社内は薄暗く、社内中にトイレ匂い漂っている。刃物で刻まれガラスや壁への落書きが痛々しい。日本から来た新婚さんが、最初に夢から覚めるのがこのRERである。とはい最近は新型車両へ交換が進み、新型の社内はキレイで、快適に利用できた。

目的地の映画館移民街の駅にある。地下鉄から上がってみると、何をしているのかよく分からない人たちが、歩道にわんさかいらっしゃる。手に何か持って売っていらっしゃる人、呼び込みをしていらっしゃる人、一番多いのは何もせず通り行く人を見ていらっしゃる人。東洋人はほぼいない。白人もかなり少ない。過去パリの激安ツアーではこういうところのホテルを使って安くあげていたらしいのだが、さすがにトラブルが多いので最近は減っているらしい。映画館自体は意外に普通で、ほかにもミニシアターをみかけたので映画館の街かもしれない。だが「三葉!」「瀧君!」とかそんなスイート映画を見た後に、このハードボイルドワンダーランドを通って帰るのも、おっさん寂寥感が増幅される気がして、3つのうちほかの映画館に行くことにした。

テロはあったものの、最近パリ体感治安はマシになってきている気がしており(おっさんは年に数回定期的に出張に来る)、日本大使館HPを見ると確かに日本人被害件数は減っている(観光客が減っただけの可能性もある)。一方で、こんな警戒情報も出ている。空港から市内に向かう渋滞中のタクシーの窓を割って乗客の膝の上からバッグを奪う。そんな荒っぽい強盗流行っている。日本人も1カ月の間に6件も被害に遭ったらしい。ここはリオデジャネイロか、ヨハネスブルグか、と頭がクラクラする事例である

さて、移動して来たのが南にある6区のミニシアター。6区はリュクサンブール公園など、日本人イメージするパリである。このミニシアターは面倒くさそうな意識高い系シアターの雰囲気白人フランス人しかいない。日本映画を上映しない限り日本人が来ることもないだろう。

俺「君の名はチケットくれ(英語)」店員吹き替えフランス語だけど大丈夫だよね?」俺「吹き替えマジで?」店員冗談、ごめん、字幕だよ」とのこと。フレンチジョークをかましてきやがる。100席程度の小スクリーンはいえほぼ満席。両側に客がいる状況である。両方とも可愛い20代女子であるしまった、さっき一風堂餃子とマー油(焦がしニンニク油)入りラーメン食ったばかりだ、などと緊張する。絵にかいたようなおっさんである。客層は俺以外全員が白人フランス人若者老人からファミリーまで。片側の女子が後半ボロ泣き。隣の彼氏が慰めながら、俺の隣で濃厚なキスをかましてやがる。クソが(嫉妬文化)。逆側の女子もすすり泣きだったので刺さりは良い模様。エンドロール誰も立たず。イギリスでは残る人がほとんどいなかったので、文化差なのか、満足度差なのか、たまたまなのかよく分からない。

さらに続いて南の14区、モンパルナス近くのミニシアターへ。完全に住宅地の中にポツンとあるライブハウスミニシアターで、区民会館のような立地である。ところで、どんだけ暇なんだ俺。ここも100席程度で、レイトの割に入りは良く6割くらい。またもや俺以外全員白人フランス人レイトショーなのに小学生くらいの子供がいる。ありなのか?夜更かしするこういう悪い子が、地下鉄強盗するパリ青年ギャングになっていくのか(違う)。あっという間に上映終了。終了後の会話に熱があり(フランス語なので内容はまったくわからないけど)、こちらも観客の満足度は高そうであった。

Allocineというフランス語映画サイトがある。映画館もコレで探したのだが、観客レビューで「君の名は。」はなんと歴代4位。

http://www.allocine.fr/film/meilleurs/

レビュー数が少ないから高めに出てはいるのだろうが、上から順に、フォレストガンプハクソー・リッジグリーンマイル君の名は。ジャンゴシンドラーのリストであるフランス語サイトなので、日本人アジア人投票としているとかではあるまい。興行収入はたいして上がっていないようだが、評価はかなり高いようであるサイト上このまま記録として残っていくのか、と調べてみると、100位以内におおかみこどもの雨と雪とか、かぐや姫が出てくる。このまま残っていくようである。若干大丈夫なのか、という気がしなくもない。

英語圏IMDbでもレーティング8.7であり、IMDbは最低25000レビューないと歴代ランキングに乗らないらしいので対象外だが、8.7を歴代ランキングに照らすとこれも12位-18位相である。同じ8.7はフォレストガンプロードオブザリングマトリックスなど。現在22000レビューなので今後歴代に入ってくる可能性はある(ただし歴代に乗るときレビューの重みづけアルゴリズムが発動して、レーティングが変わるようである。)。

http://www.imdb.com/title/tt5311514/?ref_=fn_al_tt_1

アニメ好きを中心とした少数レビューゆえの点数ではあるのだろうが、それにしても高評価である日本映画は、欧米展開時の配給が弱かったり、マーケティングがあまりなかったり、スクリーンミニシアターや隔日ばかりだったりと、ポケモンドラゴンボールなど確立されたキャラクターを除いては、欧米興行収入を上げるにはまだまだ厳しい条件が多いのだろうが、このように高評価作品が続いていけば、道は徐々に広がっていくのではないかと思う。

2017-03-06

既婚者のひと、結婚してしあわせ?覚悟できたきっかけってなに?

もう40近い年齢になっているのに、別に絶対結婚したいって思っているわけじゃない

自分人生大事にはしたいと思ってる

でも結婚すること=人生大事にしていることと思わない

たぶん自分(女)の身体関係子供が望めないか

欠陥品の自分を娶ってもらうのは申し訳ないっていう気分が背中に乗っかってる

今付き合ってる彼は10年目

彼の両親とはよく食事をするが自分の両親にはこの10年で1回しか会ってくれてない

何かと理由をつけてだめだしされていて、結婚してもらえる気配はない

が、いつかは・・・とにおわされているので離れがたい

だって普通に好きだし、10年も一緒にいられるなんて相性良いってことじゃないか

しかし、自分から結婚しましょう!」と申し込みするほど覚悟は決められない

しかし、最近よくごはんを一緒に食べてる青年(相当年下)に

結婚なんてそんなに覚悟きめることなのか?別にしてもそんな人生大きく変わらないだろ、といわれてすごい動揺してる

別に子どもなんていてもいなくても、子どもを持つことって自由に選べることじゃないんだから結果次第だろ、

子ども持つために結婚するんじゃない、好きな人と一緒になりたいか結婚するんじゃないの?と

いやいや。二人きりの世界じゃなくなるんだよ。結婚したら相手の両親も家族になるし

責任があることだから、お互いの家族のために子どものことだってちゃんと向き合わないと、と後からいろいろ大人分別が出てきて青年の言うことはまだ世間を知らないから言えることだ、と自分を落ち着かせてるけど

いつだってそうだったんだよ

一人暮らしするときも、ペットを飼うときも、他の人はちゃんとしてるからできてることで、自分にはできないことだと思い込んでたりして

から本当は結婚もしてみたいし、

その覚悟を決めてもらえるほど愛されてるのって、うらやましいな、幸せだろうなって思う

結局言い訳ばっかりして覚悟できない自分を許してる、ただの甘えなんだよね

でも、そこまでしてまで結婚するべきなの?って考えがまたループしちゃって

また今年も結婚しないまま年取ってくのかなーって怖くなってる

青年は優しいけど今からそこに飛び込めるほど勇気ない

すごい年下だから周りもすごい反対するんじゃないかなとか

別に付き合ってもないし青年自分好意があるかもわかんないのに心配したりして

年取ったら分別つくだろうなって思ってたけど、いつまでも20代女子みたいな悩み事でふらふらしてて

から結婚できないのかな、とか思ったりして

いや、「できない」んじゃなくて「しない」んじゃなかったっけ?

いやいや、できればしたいんだから「できない」で合ってるよね、とか

またループする

2017-03-05

ひとつ、男の考える理想ヒロインとの関係を考える。

もっとも有名なもの恋人関係がある。次にどっちかというと属性の方が有名だが、母子関係。同じく兄妹 or 姉弟関係。加えて父娘関係。あと他人関係

これらすべてを満たすシチュエーションはこうなるだろう。

主人公が幼少のころは、母親代わり
↓
主人公が年少のころは、近所の歳が離れたお姉ちゃん主人公少年のころは、近所のお姉さん
↓
主人公青年のころは、姉のような妹
↓
主人公壮年のころは、姉のような子供主人公老年のころは、姉っぽい孫


歳をとらないヒロインって、よく考えたらこドラえもんじゃね?

2017-03-04

ちゃんと喘ぎ声だしてるか?

諸君の中には「喘ぎ声をだすのは、男の沽券にかかわる」なんて思っている人も少なくないだろう。

男の子なんだから我慢しなさい」と言われて育ってきた我々日本男児

我慢もせずにあられの無い声をだすなんてとんでもないと思っても仕方がないだろう。

ベットではあんなに喘いでいたくせに」などと罵られようものなら、切腹ものだ。

しかしだ。

私の矮小人生経験から申し訳ないが、男でも喘ぎ声を出した方がいいという結論に至った。

 

自分の声に興奮する。

日本では古来から言葉には力が宿っていると信じられてきた。いわゆる言霊だ。

言葉の力というものバカにできないものだ。

「俺はBIGになる」と毎日言っていた青年が、将来人気ミュージシャンになったなんて話もある。

 

モノは試だ。これを呼んでいる諸君

「はぁはぁ、気持ちいい、ああ、気持ちいい」と繰り返し言ってみて欲しい。

だんだん気持ちいいような気がしてくるだろう。

自己暗示一種なのだろうが、人間というもの不思議である

 

これと同じように喘ぎ声を出すことによって、喘ぎ声を出すくらい気持ちいい気がしてくるのだ。

最初は演技でもいい、ワザとらしいと思えるくらい喘いでみよう。

だんだんとその嘘は本当になってくるのだから。 

 

自分気持ちいいところを相手に伝える。

「なんで私の気持ちをわかってくれないの!」なんて女がいたら、張った押したくなるだろう。

相手気持ちをくみ取ってくれるなんていうのは怠慢で烏滸がましい。

結局のところ自分気持ちを伝えるには、相手と向き合って話しかないのだ。

 

それと同じように、自分が攻めれれて気持ちいところを相手に分かってもらうためには、

きちんと口に出して伝えるしかない。

しかし「あ、耳弱いんで、耳攻めてもらえます」なんて言い方は無粋だろう。

恥ずかしがらずに「ああ、だめ!耳は弱いんだ。あ、ああ、あああ~」

 

 

■なんだかんだでパートナーもノリノリ

性の違いこそあれ、結局のところ同じ人間だ。

若干の違いこそあれ、同じように喜びを感じ、同じように怒りを感じ、同じように哀しみを感じ、同じように幸せを感じるのだ。

我々が「ああ、そこはらめぇなの」という言葉を喜ぶように、パートナーも「ああ、そこはらめぇなの」という言葉を喜ぶのだ。

ここはひとつ愛するパートナーのために折れてもらって「らめぇ」と言ってもらえないだろうか?

2017-02-25

聲の形を分かろうともしない、石田。それが僕だ

人とコミュニケーションが取れない、楽しくない。

そう思うようになってずいぶん経った。

きっかけははっきりと覚えていて、中学生とき人間関係トラブルを起こしたことが原因だ。

それ以来、自分からコミュニケーションをとることに対して臆病になった。

最初グループのうちの一人であるBと些細なことで喧嘩した。

原因はもう忘れてしまったが。

僕は仲直りするきっかけを見いだせず、意地になって謝ることもできず、

Bとは口を利かなくなった。

グループの別のAが、一度仲直りしたら?ときっかけを

作ってくれたことがあったが、自分些細なプライドを優先し、

それを無視してしまった。

その後、理科の授業で、唾液のデンプンを分解する作用に関する実験があった。

班員のうち二人の唾液を混ぜても、分解できるか実験してみろ、

というような指示があった。僕はAと同じ班だった。

一人はもう一人の男子が手を挙げた。

もう一人は誰も手を挙げなかったので、

じゃんけんで決めることになった。

じゃんけんは僕が負けた。

でも、僕は唾液をさして仲のよくない男と混ぜられるのが気持ち悪くてしかたなかったので、拒絶した。

今思えば、じゃんけんに参加した時点でそれを拒否することは筋の通らない話だと思う。

でも僕は、うまくいかない人間関係や、思春期慢性的不安から来るイライラといった身勝手理由自分正当化し、

拒絶の言葉を放ってしまった。

「お前、もういいわ」

僕の身勝手さに愛想を尽かしたAはそう言って、自分の唾液をビーカーの中に吐いた。

その日Aと口を利くことはなかった。

今回は100%自分が悪いという自覚はあったが、またしても謝ることはできなかった。

もやもやしたものを心のうちに秘めながら、僕は下校した。

この日のうちに謝ることができていれば…と今でも思う。

次の日から、僕の学校生活は一変した。

僕の身勝手さに他のクラスメイトも愛想を尽かしたのか、

クラスメイト全員から無視されるようになった。

たった一日の間に、急激に変わってしまったクラスに僕はただただとまどい、呆けるしかなかった。

とりあえず、寝たフリをしたり、意味もなく学校内を徘徊したりして、やり過ごした。

Bとの喧嘩はともかく、Aへの一言には後悔しかなく、謝りたいと思ってはいたが、

まりの劇的な変化に、僕は怯えてしまい、逃げることしかできなかった。

けれど、事態はどんどん悪化した。

最初無視だけだったが、やがていじめを受けるようになった。

筆記用具を壊されたり。

僕の机だけ掃除のあとイスが降ろされていなかったり。

体育の授業で卓球があったが、どこにも入れてもらえず、50分間壁に向かって打ち続けたり。

別の男子グループからプロレス技みたいなのを掛けられたり。

酷いあだ名で呼ばれたり。

AやBから無視されたり、何かされたりするのは仕方がないと思っていたが、

学年全体がほぼ敵のような状態になってしまい、

怖くて怖くて仕方が無くて、僕は前述のように逃げることしかできなかった。

気が付いたときには自分一人ではどうにもできない状態に外部も自分内面も変わってしまった。

僕は自分意志ではないが、親の言うことを聞いて勉強はそこそこやっていたので、

勉強を頑張って他の同級生がいないような高校に行けば、やり直せると思っていた。

からどんなに辛くても勉強は続けて、中学同級生が数人しかいない学校に入った。

けれど、原因を作ったのは自分はいえ、誰も助けてくれなかった、もしくは攻撃してきた

大多数の他人への不信感から、僕は人と積極的に関わる意欲を失っていた。

僕は高校時代、話したことが無い人には一度たりとて、自分からは話しかけなかった。

高校1年のときは、みんな友達がいないので、話しかけられたし、それをきっかけにして、

話す人ができた。

けれど、進級するに従い人間関係が固まってくると、そういう消極的姿勢では

友達の少ない僕はどんどん浮いた存在になった。3年生の時には、クラス友達が一人もいなかった。

卒業式とき卒業文集白紙のページは白紙のままで、

僕は下級生と一緒に、卒業生の誰よりも早く帰宅した。

3年間高校に通ったが、何の思い出もできなかった。

大学では学部ではぼっちだったが、入ったサークルには少しだけ馴染めた。

どこか自分と似たような、これまでの学生生活に馴染めなかった人が集まるようなサークル

だった。

そこで人の優しさに触れたり、人と何か協力して物事に取り組んだり、飲みにいったり。

やっている活動自体はあまり楽しくなかったが、そこにいる人たちは好きだった。

けれど3年になって、サークルを引っ張る立場になると、僕はそのプレッシャーに負けた。

自分がさして楽しくないことを、後輩に教えるのが苦痛だった。

また心無いことを言う人間が、年下とはいえきっと僕より濃い人生を送ってきた後輩に何か教えるなんておこがましい

とも思っていた。自分のつまらない劣等感コンプレックスを克服できなかった。

一応最後までやり遂げたが、かたちだけだったと思う。

直接接した後輩とは最後まで打ち解けることができなかった。

高校よりは自分の中に何かが残った大学生活だったが、悔いは残った。

すっかりコミュ障となった僕は就活では苦労したが、生存本能の為せる業かどうにか自分に嘘をついて

1社だけ内定をもらって事務仕事をしている。

けれどコミュケーションが取れない、愛想はない、仕事もできないで肩身は狭い。

仕事楽しいと思ったこともない。

他人のことは怖くて、外にいるだけで疲れる。

自分のことが愛せず、当然他人のことも愛せない。

友達もいない。

彼女もいない。

少し好きなことはあるが、趣味と呼べるものもない。

今僕は24だが、このままいくと何にも楽しみを見いだせず、

会社では疎まれ、やがてはクビになり、プライベートはずっと一人で、

死んだ顔のまま、年だけを重ねたおぞましい中身空っぽオヤジになって

誰に気付かれることもなく死んでいくのが容易に想像できる。

聲の形」という漫画を読んだとき、まさに自分のことだと思った。

石田自分のしたことに向きあって人の痛みを知る、立派な青年となって、

成人式同窓会を「可能性」と言える男になった。

対して僕は自分に向きあえなかった石田だ。

成人式トラウマしか捉えられず欠席した、逃げるしか能のない男になった。

年を重ねれば重ねるほど、可能性は失われていく気がする。

気の持ち様次第で、年を取ってから自分を変えられる人もいるかもしれないが、

そのハードルはどんどん高くなっていく気がする。

どんどん上がるハードルを目の当たりにして、これから先僕はどんな人生を歩もうか。

僕には明るい未来なんて見えないが、心臓は鼓動を止めない。

自分で止める勇気もない。

どんなことになろうとも、天寿を全うする。

その事実からだけは、僕でも逃げられそうもない。

ホビー

追記

酔っぱらいながら追記を書こうとしたら間違って削除してしまった。

俺はただ、綺麗な牧瀬氏が無事帰還したと報告したかっただけなんだ。

せっかく色々とコメントいただいたのにごめんなさい。

一応、元の文章残しときます





30歳になって半年が過ぎた。

30歳ともなれば流石に「中年」を自称してもいいと思っていたけど、年季の入ったベテラン中年からすれば、30歳なんてまだまだ糞若造らしい。

58歳の上司がそう言っていた。

じゃあ俺は何なんだろう。

少なくとも少年ではないことは明らかだ。

今だ童貞はいえ、こんなに顎がたるんで、髭が青々としていて、目の奥が濁りきっている少年はこの世に存在しないだろう。

でも上司に言わせると、俺はまだまだ糞若造なのだ

では、青年、か?

青い、年齢?

正直、全然、しっくりこない。

そりゃ、髭は青々としているが、青い春はとっくに過ぎ去ったという自覚は残念ながら、ある。

たとえ童貞だとしても、だ。

童貞童貞のまま、青春と別れを告げた。

青くはない。全然青くはない。じゃあ、なんだ。俺は今の俺の立ち位置を何と表現すればいい。

少年ではない。中年ではない。青年でもない。それならば俺は。


……まあ、いいか。そんなことはどうでもいい。どうでもよすぎてなんかもう、この文章を打ち込んだ時間を返してほしい。

誰に頼まれたわけじゃなく、どうして俺は日曜の夜に、こんな吹き溜まりの吹き溜まりに、糞の役にも立たない文字の羅列を打ち込んでいるんだ?

意味が分からない。


そういや今日ちょっとした一線を越えた。

買ったんだよ。フィギュアを。あの、美少女のやつを。

守ってたんだよ、一応ね、そういうおもちゃは買ったとしても、トランスフォーマーかあるいはジョジョキャラまでってさ!

わからんと思うけど、俺も訳わからんけど、なんか一線引いてたんだよね、美少女ものには。

それを破ったわけだよ、今日

買ったのよ、牧瀬紅莉栖。

そしたらさ、なんかズレてんの、首。

素人目で見ても明らかにズレてんの、首の位置が。

それだけならさ、まだ愛嬌として受け入れられたんだけどさ、入んないの、穴。

ほら、背中の、アーム挿す穴にさ、全然全く、これっぽっちも入んないのよ。

ヤフーででググって、ドライヤーで温めればいいとか書いてたからその通りやってみたけど、効果なし。

日曜の日中にだよ。

いい年した、少年でも中年でも青年でもない、ただただ髭の濃い、謎の生き物がだよ。

ドライヤー美少女フィギュア背中をひたすら温めてる光景想像してごらんよ?

ちょっと、笑えない?

笑ってくれないかな。


結局、クリスティーナは返品した。

わりといい値段したしね。泣き寝入りはしないよ。ちゃんとした、首のズレてない、穴の大きさが妥当助手を再召喚するべく、必死で返品方法検索したよ。

それでコンビニ行って、荷物発送の手続きをしたんだけどさ。

品物欄に具体的な品物名を書けってさ、店員の兄ちゃんに言われてさ。

ちょっとパニくっちゃって。

「え、牧瀬紅莉栖のフィギュアって書かないといけないの!?」ってね。

こんな不思議な生き物にも羞恥心はまだ残っていたんだね。

30秒ほど考えて、頭をフル回転させて、ようやく書いたよ

「ホビー」

鼻で嗤われたのは多分気のせいだ。


そんなこんなで一日が過ぎ、また明日から会社勤めだ。

辛い。泣きたい。死にたい遠くへ行きたい

こんな長々と糞にも劣る文字列を羅列してきた理由は、大まかに言って一つだけだ。


ここで数十分頭を振り絞って考えてみたけど、よさげな締めの言葉が思いつかなかった。

そもそも何でよさげに締めないといけないと思った?

こんな世界の片隅にもほどがある吹き溜まりの吹き溜まりでなにを格好つけることがあるというのか。

ああ、もう死ねよなんか、そこのお前! は別に死ななくていいけどさ、あ、今、外で下痢みたいな騒音まき散らしてるバイク運転手は死んでくれていいよ。

ひっそりと、誰にも迷惑かけずに、自損でさ。

バイクといえば、ばくおん!!フィギュアバイクがついてくることを知ってさ、綺麗な身体になって帰ってくる予定の助手を乗せたいなとか考えてるわけですよ。

それがちょっとした明日希望になってるわけですよ。

ダメ

2017-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20170212083507

処女厨云々より物語構成上の問題では。

・無事ではないと救出のモチベーションの低下

強姦済だと物語に対して波が出ない

レーティング問題

ルパン三世がそもそも大人向けの作品であったことを忘れるべきではない。

また、不二子が性を武器にしていることも重要。そして性的陵辱を(直接的な描写ではないにしろ)作中では結構与えられているが、乗り越えていたりするので、それを前提にしたキャラクターでもある。

変わってきてるのは、青年向け漫画モチーフ少年漫画っぽくなってきてて、そこが中途半端エロ要素につながってきてるじゃないかと思う。

昔はガンガンレイプされてたと思うけど、調べてないので留保

2017-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20170208105212

ダメだ。

そうやって、さも当たり前の共通言語のように、ツイカスだとかクズだとか、品性に欠ける単語を使ってしまっては。そうやってラベリング意識刷り込み他人侮蔑することを当たり前にやるというミーム感染拡大させる、それは増田が嫌うネットの人々がやっていることと何も変わらない。特に、私達のようにWebを見てきた30や40を超えた人間は、ネット空気になじんだような口調になってはいけない。

どんな嘲笑を受けようが、自分高潔さを保ちながら、丁寧な言葉を選びながら誠実に謙虚に核心を突く議論を(たとえ匿名でも)展開していく。そういう事を続けて、わずかでもその姿勢共感して倣ってくれる人を増やしていかないといけない。ただでさえネット上ではみな次第に同じような卑しい口ぶりと思考回路になっていくバイアスがあるのだから、それに抗って「ネットの向こうの人」の多様性を見る者に意識させていく必要性が、今ますます高まっている。

想像してみてほしい。Web言論悪化してみえる大きな原因の一つは、発信者リアルに低年齢化しているからではないか10年以上前の時点ですら、小中学生PCを使ってMMORPGに入ってくることがあった。今の子どもは幼稚園以前からスマートデバイスに触れて、小学生でも大人以上に使いこなす。そうしてネット上で、子ども子どもを「キッズ」だなんだと揶揄しているような中に、そうと気づかず青年中年までも同じようなノリでやれやれと叩きはじめる。現実に、小中学生しょうもないいがみあいをしている所に大人が一緒に混じってやりあうことがあるだろうか。ネット上では、ある。しかも悪いことに、子どもたちは彼らが自称ながらも本当に大人であろうということを知ってしまっている。世の中はそういうレベルものだという認識を強めていってしまう。そんな中で、そういう輪の中に大人たちが立ち入らない(スルーする)ことは賢明ではあるけれども、場合によっては、きちんと良識ポリティカル・コレクトネスをふまえた丁寧な注意をしてあげるべき状況も少なからずあるはずだ。その時ただちに理解されずに、袋叩きにされて逆効果のように思えたとしても、子どもたちが育っていったとき「あの時はアホだと思ったけどマトモな大人が確かに存在した」と思って貰えることが重要だ(ただし上から目線にならないよう相当注意しないと、本当に逆効果になってしまう)。それがないと、ネット同調性に囚われ、低みにとどまり続け、自省能力を失った大人たちが将来多数派になってしまう。その後の未来はもう誰もが薄々感じているような様相になるだろう。実際のところ、ネット上での振る舞いを教えてあげられるのは、教師でも親でもない。彼らはその場に居合わせていないのだから同級生から学ぶことも難しい。この問題を現状で一番どうにかできる可能性があるのは、その場に居合わせ大人だけ。その事実をもう少し重く捉えてほしい。

から、本当に憂いているならば、そう簡単に「さよなら」を言ってほしくない。日本人性質的に無理なんだとか、そういう諦念をバズらせて思考感染させないでほしい。

2017-02-06

舞台「孤島の鬼」2017版を観劇して

※私の答えが見つかったので、現在最終解答を書いています

ですが、この初見感想も非常に重要でしたので、是非お目通しいただいて推理の参考になさってください。

※表に出した最新考察と印象はこちら。初見感想の次にでもどうぞ

http://anond.hatelabo.jp/20170209222825

http://anond.hatelabo.jp/20170212024356

夜明けて昨日の話。

推しの握手会が思いの外さっくり終わり、通りすがりのご夫婦に推し布教も楽しくできて、気力と時間が余ったので当日券でレッドシアター行ってきた。

とても面白かったのだけど、なんかこうすごくもやっとする原因を掴みたくて、江戸川乱歩原作の方の感想を漁り、こちらのブログに辿り着いた。

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

こちらを拝読してめっちゃスッキリしたので、スッキリしたこと前提に感想を書く。

ネタバレしまくるし、恐らく原作既読でも舞台観劇の方は先に舞台観た方が絶対面白いだろうから観劇予定のある方は読まないでくださいね

まず私がもやっとしたのが、「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」ということ。

こーゆー考察甲斐のあるタイトルや、善悪、美醜、世間自分の解離みたいなモチーフが出てくる作品だと、どうしても「果たして鬼とはなんだったのか?」と邪推してしまう。

そこでまず強烈に思い浮かぶのが主人公であるはずの『私』。

『私』役・佐藤永典さんのお人形のような美貌と、書いて字のごとく鬼気迫るお芝居、そして聞き慣れない失われた昔の日本言葉は、あまりにも『我々観客と同じ存在である共感し難い。

そもそも、主人公目線で語られる物語は、主人公感情移入させて物語に没入させることが狙いのひとつだろうに、全然『私』=箕浦感情移入できない。

ネタバレにならないことを祈って例を挙げると、演劇で観たことがあるミステリーだと『罠』『スリル・ミー』などが思い出される。)

これは『私』が作品の『語り部』であるため、強制的に観客が『聞き手』の役割を担ってしまうからでもあるかもしれないけど……

それにしたって、締めの内容からしても物語の本題が「『私』と諸戸道雄」の関係に集中してしまってならず、

そうすると、田中涼星さん演じる諸戸の執着心のおぞましさに沿ぐわない清廉でどこか儚げな美しさが、彼の一途な愛を健気で尊いものに感じさせてきて、その愛情を受け入れない『私』が何か恐ろしいもののように思わざるをえなかった。

でも、それっておかしくね?って思って。

ホモフォビアを受けることへの同情というか、同性愛差別への嫌悪感も逆手に取られているような気がする。「理由はどうあれ女の子は泣かせちゃいけない」みたいな、ずるい構図が仕組まれているように感じる。

自分が恋をしてフラれた時のこと・恋されてフッた時のことを参照すると、

いくら思わせ振りだったとしても応えてくれない相手の方が悪者だなんて絶対に思えないし、

どんなに周りから薦められてもどうにも受け入れられない相手はマジほんと無理。

目線だって絶対許せない地雷カップリングというもの実在する。

から「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」であるとは、理性的には到底思えない。

でもじゃあどうして「『私』が鬼」だと感じるような作品に仕上げてしまったのか?

これが冒頭に書いた「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」というもやもやの詳細。

この感情原作に対して正当なのか? 舞台版という二次創作であるが故の解釈押し付けなのか?

という部分が気になって、ググって辿り着いたのが先ほどのブログ

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

Wikipediaに書いてあった、「陰獣」みたいな新作をとリクエストされて執筆されたのが「孤島の鬼」らしいというエピソードから勝手妄想して、

江戸川乱歩=諸戸目線で「創作された箕浦」が『私』なのではと解釈し、舞台版にめちゃくちゃスッキリできた。

諸戸道雄の死で物語が終わるのもさもありなん。

観客は真の主人公である江戸川乱歩(諸戸)に感情移入させられて、「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」だと錯覚してしまうのではと。

田中涼星さんの白木蓮みたいな美しく一切の嫌悪感を感じさせない諸戸は、きっと江戸川乱歩ブロマンス結晶として大正解

対する『私』がエゴイスティックに語れば語るほど、それは作者(江戸川乱歩であり諸戸)の恋の哀しみの深さ、恋情の深さを伝えてくる。

女性に執心する姿がなんか気持ち悪く見える・描かれるのも作者による悋気からだろうし、諸戸に対して残酷過ぎる描写は傷付いた作者本人が語らせてるからだろう。

『私』が歪であればあるほど、「箕浦にもどこか諸戸(作者)を愛する部分があってくれ」といった願いの叫びに聞こえる。

(観ていると「箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑が浮かんでならないのだけど、『白髪になってしまうほどの生理的な恐怖・嫌悪』という動かぬ証拠は、容疑を否定してならず、この辻褄の合わないミステリーももやもやの一つだった。)

メタ推理として「陰獣」を出したのも、江戸川乱歩自身による己の殺害物語カタルシスにあるように感じられたから。自身を不幸の中で殺すことで、遺された人間へ爪痕を残すという側面も含めてね。

(愛を願いフィクションを書き綴るのに成就させず永遠片想いとして殺す……って、個人的めっちゃ萌える。)

作者による「ぼくが考えた最高に美しく残酷箕浦永遠に愛してる)」ってやつ。考えたというか、「恋愛疑心暗鬼の中で見えていた箕浦」。

しかしそれが本当に『箕浦』のすべてだったのか?

舞台「孤島の鬼」(2017)では、語り部の『私』と『箕浦』を別の役者さんが演じている。

私は原作未読であるため、同一人物であるはずの二人を別々の人間が演じるということが奇策なのか妥当なのかわからない。

でも、配役を知ったとき

美少年役もまだまだできそうな童顔の佐藤永典さんが30代で老人のような白髪姿になった『私』で、

佐藤さんより身長も高く年上にだって見えかねない美青年石田隼さんが20代箕浦過去の『私』」を

演じることが疑問だった。

いくら『私』は外見が変わってしまったといえど、あまりにも二人の外見が似ていないこともあってね。

「もう一人の自分」みたいな表現が出てくる演劇はいくつか観たことがあるはずだけど、原作未読とはい観劇前に違和感を持ったことはなかったように思う。(まあ大体そういった存在物語の核心中の核心に触れるので、配役表から対の存在公表されてることは少なそうだけども。)

しかし『私』を『諸戸が想い描く箕浦』とすると配役がまあしっくりくるし、『本物の箕浦』と役者を分けたことが大発明のように感じられる。

舞台上には二人の箕浦が同時に立ち、シーンによって他者とのコミュニケーション表現担当者が変わるのだけど(どっちが台詞を言うか、みたいな)、

諸戸と出会い親交を深めた学生時代箕浦はずっと『私』(佐藤さん)が表現し、

諸戸と別離大人になり恋人の初代との出会いから箕浦石田さん)は登場する。

石田隼さん演じる箕浦は、佐藤さんの『私』と同一人物のはずなのに、鬼なんて印象もなく何故か善良な青年に感じられていたのだけど、『私』の方が諸戸(江戸川乱歩)の色眼鏡認識された箕浦なんだと思えばこの対比はすごくいい。

 

「『私』は諸戸目線で見えていた認知の歪んだ箕浦であるため、『私』の歪さから箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑を持ってしまうが、

事実として『箕浦』は諸戸に迫られることに身体変調するほどの生理的な恐怖・拒絶を示している。

(皆さんは自分の体が深層心理拒絶反応で意のままに動かせなくなったことがあるだろうか。私はある。手から全身が痙攣してゆき、これしきのことで動じるな止まれ意識しても震えがまったく止まらない。だから私は生理的な拒絶は動かぬ心の証拠だと考えている。)

箕浦』は諸戸の性愛を受け入れることはできなかった。

しか性的に愛されないことが、『愛されていない』ということなのだろうか?

必死に求めるあまり諸戸からは見えなくなっただけで、性愛ではないけれども某かの情が、性愛にも決して劣らない尊い愛が『箕浦』にもあったのではないか

そういった諸戸の盲点が、諸戸が『私』と会話し夢中になっている時の『本物の箕浦』(石田さん)にあったのではないかと、舞台演劇となり二人の箕浦が居ることで私は考え至った。

物語としての「孤島の鬼」の作者は諸戸(江戸川乱歩)だという解釈は私が勝手にしてるだけなので、舞台版が諸々の采配をこの解釈で行ったかはわからないけど、改めて『私』と『箕浦』の登場場面の違いを確認しながら観劇したら面白そうだなぁ!

より妥当なところの分裂理由として「箕浦二面性」はあるだろうし、じゃあそれぞれの境界線舞台版ではどこだと考えられているか読み解くのも面白い

作中に登場する双生児は境目が見えたけど、二人の役者に分けられた一人の人物のメスは何処に入ったのか。

うろ覚えだけど、諸戸の告白以降は『私』が箕浦として生きているから、舞台では箕浦と諸戸は一緒に天国に行けたのだ、な~んて解釈ハッピーだよね。

(どちらかというと、諸戸が悋気を持たなければ、欲を出さなければ、あるいは悪い男になれていたら、箕浦と一緒に天国に行けたかもしれないのに諸戸が鬼の箕浦を生み出してしまった…って自己破滅エンドの方が私は好きかな。まさに疑心暗鬼を生んだ、的なね。)

(報われず自分に追い込まれ破滅した美しい男性テーマ舞台大好物なんです。)

延々と箕浦組について語って夜が明けてしまったけれども、他の役者さんや演出表現もとても良かった。

諸戸の父親最期に対して、主人公である箕浦』の感情が語られず『諸戸道雄』の感想セリフとして発せられたのも、諸戸の父親を演じていたのがまだ30前半と『私』に近い年齢の美しい河合龍之介さんで妖しい男の色気を放っていたのも、「諸戸の主観こそが語り部の『私』」であったとするならよりしっくりくる。

父親の変貌は、絶対他人箕浦よりも諸戸の方がショックな出来事だ。

父親越えなんてテーマもよくあるほど、子供から見た方が親はより巨大さ恐ろしさを増すし、親が壊れる様というのは「自分にも起こり得る恐怖」と「自分があれほど巨大に感じていたものとは一体何だったのかという虚無」感がぱない。私も父親経験たからわかる。

河合さんの怪演は本当に感じるものが多くあった。

舞台というもの面白いもので、同じ現実を同じ密室複数の人々と同時に別々の目線位置角度(物理的な意味で)から観測するものから

書籍映像物語を鑑賞する以上に「他者が見ていない『自分視点』」が感想を述べる際にものすごく意識される。

たとえ自分複数人居たとしたって、観劇した感想は同じにならない。

演出による印象操作完璧に同一にはできない。(それをぶち超えるクソチート暗殺者が『音楽』だと私は考え重要視しているけど、それはまた別の話)

から舞台は観るだけでも楽しいし、感想を言うのも聞くのも他メディアの何倍も楽しい

そんな訳でこれらの感想はすべて《私》の主観しかなく、原作者スタッフキャストが込めた意図真相はわかんないんですけどね。

舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」、とてもよい観劇でした。

2017-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20170203003421

小論文書かせるのやめて欲しい・・・誰が始めたんだよあれ・・・30超えて何で夢見る青年みてえなこと書かないといけないんだ・・・

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