はてなキーワード: ファッションモデルとは
おまえが社会に出る時に出鼻をくじかれたのは100%上の世代のせいかもしれないが、その後20数年経った現在の問題の責任の一端はおまえにもあるんだよ
<野球>
・種田仁 特徴的なバッティングフォームは「ガニ股打法」と呼ばれた。
・小久保裕紀 一本足打法の長距離砲。引退後は日本代表監督を務める。
・元木大介 「クセ者」として活躍。バラエティー番組でもおなじみ。
・新庄剛志 傑出したスター性で日米を沸かせた「球界のプリンス」。
・稲葉篤紀 打席に入ると「稲葉ジャンプ」で球場が揺れた好打者。
・小林雅英 ロッテ時代は「幕張の防波堤」の異名をもったストッパー。
・松井秀喜 日本を代表する長距離打者。2013年に国民栄誉賞を受賞。
<サッカー>
・岡野雅行 元サッカー選手で元日本代表。ニックネームは「野人」。
・三浦淳宏 FKの名手であり、日本における無回転フリーキック、ブレ球の先駆者。
<その他のスポーツ>
・高橋尚子 元マラソン選手。シドニー五輪金メダリスト。国民栄誉賞を受賞。
・貴乃花 第65代横綱。兄若花田とともに「若貴フィーバー」を巻き起こした。
・清水宏保 元スケート選手。二つの五輪で三つのメダルを獲得した。
・野村忠宏 柔道史上初、全競技通してはアジア人初となる五輪3連覇を達成。
<アイドル>
・GLAY CDセールス、ライブ動員数など数々の金字塔を打ち立ててきたバンド。
・平井堅 シンガーソングライター。代表作は「瞳をとじて」など。
・YUKI 元JUDY AND MARYのボーカリスト。現在はソロで活動。
・GACKT シンガーソングライター。俳優としても活躍。
・岡本真夜 「TOMORROW」は200万枚を突破する大ヒットを記録。
・華原朋美 代表曲は「I'm proud」「I BELIEVE」など多数。
・松岡充 俳優、タレント。ロックバンド・SOPHIAのボーカリスト。
・常盤貴子 代表作に『愛していると言ってくれ』『ビューティフルライフ』など。
・竹山隆範 お笑い芸人。元カンニングのボケ担当。俳優としても活動。
・塚地武雅 お笑いコンビドランクドラゴンのボケ。俳優としても注目を集める。
・サンドウィッチマン ツッコミ担当伊達みきお、ボケ富澤たけし。
・後藤輝基 お笑い芸人、司会者であり、フットボールアワーのツッコミ担当。
・梅宮アンナ ファッションモデル、タレント。父親は俳優の梅宮辰夫。
その他
・門倉貴史 経済評論家。日本における地下経済学の権威として知られる。
・荒川弘 漫画家。代表作は『鋼の錬金術師』、『銀の匙 Silver Spoon』。
・うすた京介 漫画家。『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』などが有名。
https://www.meijiyasuda.co.jp/dtf/daily/lifeevent/200408sp021.html
トラウデン
「実は、服飾産業は全世界のCO2排出量の10%を占めています。ほかにも低賃金で過酷な労働を強いて製造している問題もある。私はファッションモデルなので、そういう現実を知らないまま服を着るのは違うと思っていて。袖を通す前に一体どんなところでその服が作られているのか意識することが重要なんだと思っています。問題解決の第一歩として、まずは関わる人間のことを考えていたい。いつも当事者意識を忘れたくないですね」
フレネミー誘引体質は生まれつきじゃなくて教育の結果だから、今からじゃ難しいけど直せないほど絶対的じゃないと思うよ。逆に、服を替えて脱ダサを目指すのは一見難しくなさそうだけど、自分で買い与えた服を着た小学生の実子をダサいという親兄弟に「ダサくない」と言わせたいなら、悪いけど難易度ベリーハードじゃきかない位に無理な挑戦だと思う。仮にあなたがファッションモデルになったって、きっと評価は変わらない。
かの美人大女優グレースケリーだって、実の父親からの「別に美人じゃない」という評価は覆せなかったんだよ。アカデミー賞インタビューの時だって、ケリーの父は「信じられない。(父が可愛がってる一般人の)姉の方がいい女優になれただろう」って答えてる。ちなみに姉を可愛がってた理由は、父親似でスポーツ好き(グレースは病弱でスポーツ苦手)だったから。モナコ王妃になろうと大女優になろうと、家族を貶すような人に客観的評価なんて関係ない。あんなに魅力的だったケリーも、結局ファザコン拗らせて破局繰り返して王妃になっても冷めた家庭だったと娘にいわれる人生。あなたもファッションの勉強より愛してくれそうな人を探す(自分じゃ難しいなら評判いい婚活業者にでも何社か登録して「絶対見下してこない性根のいい人」とか指定してトライ&エラー繰り返すとか)のにお金と時間かけた方がいいよ。そんなにファッションの勉強して努力する根性がある時点で幸せになれる資質は持ってるから自己肯定感獲得さえすれば幸せになれると思う。
フレネミー誘引体質は生まれつきじゃなくて教育の結果だから、今からじゃ難しいけど直せないほど絶対的じゃないと思うよ。逆に、服を替えて脱ダサを目指すのは一見難しくなさそうだけど、自分で買い与えた服を着た小学生の実子をダサいという親兄弟に「ダサくない」と言わせたいなら、悪いけど難易度ベリーハードじゃきかない位に無理な挑戦だと思う。仮にあなたがファッションモデルになったって、きっと評価は変わらない。
かの美人大女優グレースケリーだって、実の父親からの「別に美人じゃない」という評価は覆せなかったんだよ。アカデミー賞インタビューの時だって、ケリーの父は「信じられない。(父が可愛がってる一般人の)姉の方がいい女優になれただろう」って答えてる。ちなみに姉を可愛がってた理由は、父親似でスポーツ好き(グレースは病弱でスポーツ苦手)だったから。モナコ王妃になろうと大女優になろうと、家族を貶すような人に客観的評価なんて関係ない。あんなに魅力的だったケリーも、結局ファザコン拗らせて破局繰り返して王妃になっても冷めた家庭だったと娘にいわれる人生。あなたもファッションの勉強より愛してくれそうな人を探す(自分じゃ難しいなら評判いい婚活業者にでも何社か登録して「絶対見下してこない性根のいい人」とか指定してトライ&エラー繰り返すとか)のにお金と時間かけた方がいいよ。そんなにファッションの勉強して努力する根性がある時点で幸せになれる資質は持ってるから自己肯定感獲得さえすれば幸せになれると思う。
ブコメ、トラバで石を投げてる奴らが無意識の慣習の中で差別している姿がありありと浮かぶ。
ココシャネルはその発言の中で内面の表れが見た目である旨をいくつか述べている。
他にも彼女は「下品な服装は服だけが目につき、上品な服装は女を引き立たせる」といった発言も残す。
つまり中身と外見がどちらかを磨くことによって両者が同期する、という思想がうっすら見える。
ただ人がルッキズムに陥るのは避けられない事項だと思っている。
地位、有利不利がルッキズムで決められるべきではないものの、容姿には明確に価値が発生する矛盾をはらんでいる。
元増田は性的感性において発生した価値を素直に表現しすぎてはいるが、こんなものは大体の人間が大小気づかずやってしまっている。
新生児に対する研究によれば、生後14時間ほどの幼児も魅力的でない顔よりも魅力的な顔を好むという[10][11]。このような嗜好は、猫のような人間ではない動物にまで及ぶ[12]。これらの発見から、ルッキズムは人間の視覚システムの働き方という生得的な産物であることが示唆される[13]。
はてブでは「正論!」と大絶賛だが、違和感があるので書いてみる。
話は飛ぶのだが、マイケル・ウォルツァーという政治哲学者が「複合的平等」という考え方を提起したことがある。
社会のなかには様々な領域があり、カネを稼ぐ人が優遇される領域、野球が得意な人が優遇される領域、プログラミングが得意な人が…(以下略)など無数の領域が存在する。ところが、往々にして人間社会ではそのなかの特定の領域で優れた人が、他の領域にまでその影響力を行使してしまうことがある。たとえば、カネを稼ぐのが得意な人が、なぜか専門知識もないのに教育の領域に口を出してくるとか。
ウォルツァーは、特定領域で優れた人が、その事実によって別の領域にまで支配力を及ぼしてしまうことをやめて、さまざまな領域の自律性を担保することで平等を実現しようと主張する。つまり、いくら金儲けが上手だろうとも、教育の知識がないなら、教育の話に口出ししてくんな、このスットコドッコイ!というわけだ。
他方、この考え方に従うなら、ある領域でものすごく能力が乏しい人であっても、そのことが別の領域におけるその人の評価に影響を及ぼすべきではないという話になる。要は、いくらスポーツが苦手だからといって、プログラマーとしてのその人の評価に何ら影響を及ぼすべきではないという当たり前の話。
ところが、世の中ではそういうことがしばしば起きる。なかでも重要なのが、人の「見た目」。確かに、ファッションモデルやアイドルが「見た目」で評価されるのは、ある程度やむをえない。そういう領域で活動しているからだ。だから、複合的平等の発想に立つなら、ミスコンテストやミスターコンテストは別に否定されないと思う。だが、ほとんどの人はファッションモデルやアイドルではない。
実際のところ、男性もかなりそうなのだが、とりわけ女性の場合、その「見た目」がその他の様々な領域での評価に大きな影響を与えがちになってしまう。
ここでようやく話が元増田に戻ってくるのだが、この元増田の場合、「仕事の実績で評価される社会人」と書いているから、まさに「仕事の実績」という領域で評価されたことが素直にうれしかったんだろう。ところが、見た目の麗しい新人が入ってきたことで、「見た目」という評価基準が不当にも拡張されているという感覚を抱いてしまった。
元増田自身も追記で「差別っていうのは確かに言い過ぎだったかもね」と認めているように、新人が入ってきたことで元増田に対する周囲の評価が変わったのでないのなら、元増田が差別されたどうかは微妙なところ。でも、複合的平等が達成されているかに見えた領域だったのに、また「見た目」という評価が不当に入ってきたことの失望は理解できる。
こういう観点からみると、元増田も「女子としてちやほやされたかった」という増田は、元増田の主張を不当にゆがめているし、言っていいならハラスメントですよ、それ。
米より高い金を出してひえ・あわ・きびを買って食べる人がいて、ファッションモデルが囚人服着て手錠かけてランウェイを歩く時代に、今更何をって話なんだけどねぇ。
日本人は、これほど差別的になったのか——。ニュースを見かけ、そう思った。「大坂なおみに漂白剤が必要、芸人による黒人差別」。
明治以降、西欧列強に追いつけ追い越せと、日本人は持ち前の真面目さで取り組み、ついにその「欧米人」の価値観に追いついたらしい。こうして欧米人と同じく『肌の色が黒いことは悪いことだ』という前提で、「人種差別だ」と叫ぶようになったのだから。
私が批判するのは「漂白剤が必要」と言った「芸人」ではなく、それを「差別」だと叫ぶ日本人のことである。欧米人の価値観に寄り添うことが「良い」ことであると信じ、疑わない人々である。
差別とは何か。それは、並列であるはずの価値を善悪に並べ替え、「悪」のレッテルを貼ったものを貶めることである。そうしてできた価値観というものは、文化に依拠する。当然だ。日本の「新米は良いけど、古米は悪い」という価値観は、コメのない文化、あるいはコメがあっても年に何度も収穫できる地域の文化であれば、形成されることがない。そして、この日本において、「肌の色によって人を分ける」という価値観はない。なぜなら、日本人は異民族との関わりが薄い環境で、文化を築いてきたからである。
それが、なぜ「肌の色」に価値を置くようになったのか。日本が見習った欧米の文化が、そこに重大な価値を置くからである。アメリカでは、いまも「彼が黒人だ」——つまりは「彼の肌は黒い」というだけで、殺意の対象となり、実際に殺される。肌の色の価値観は、人の生死がかかるほど重大なものである。
だから「肌が黒いこと」は「悪い」。これが欧米人の価値観である。しかし、時代が変わり、「肌が黒いこと」で「人を蔑んだり、殺したりする」のは「良くない」ということになったので、それを糾弾することにした。これが欧米文化の価値観である。つまり、「差別」だというのならば、そこには「肌が黒いこと」は「悪い」という、前提が存在しなければならない。それなしに「差別」という言葉は存在しない。
「でも、実際『肌が黒い』ことは『悪い』でしょう」——この価値観から抜け出せないのならば、では別の例を挙げよう。例えば、同じように公の場で「あの人の耳は小さすぎる。もっと大きい耳があったらいいのに」と言ったらどうだろうか。これは人々の糾弾の的になるだろうか。ならないのである。なぜなら「耳の形」については、欧米人も、それを見習う日本人も、強固な価値観がないからである。
では、これが「ファッションモデル」が「細すぎる」という話だったら? 「彼女に足りないのは、脂身でしょうね」。これはどうだろうか。その発言者がもし太っていたら、そこには笑いが起きるだろう。なぜなら、この場合、「太っている」ことに「悪い」という価値がつけられ、「細すぎる」ことには「良い」価値がつけられているからだ。ならば「太っている」ことを前提としたこの「笑い」は「差別」だと糾弾されなければならないだろうか。「肌が黒い」と言ったときと全く同じ温度で、人々は憤慨し「差別だ」と叫ぶだろうか。
「黒人に漂白剤が必要」。これがお笑いとして、面白いか面白くないかという話は別であり、この場合、完全にスベっているので、見ているこちらの心が痛い話ではある。が、そんな個人の話よりも、ここに「差別」を見出す——つまりは「肌が黒い」ことを「悪い」と疑わない日本人がこれほど増えたということには、欧米化のツケを感じずにはいられない。
当たり前のように、欧米の価値を「良い」ものとする日本人。今回の問題についてすら、欧米人にインタビューをし、当然のごとく得られる「差別はいけない」というコメントを記載し、日本人に欧米人の態度を見習わせようとする記事。このまま彼らの後をついていけば、私たちは日本にはなかったさまざまな「差別」を身につけるだけである。日本人が目指すものは、欧米にはない。彼らとは違う、私たちの行く先は別の方向にあることを知るべきである。