はてなキーワード: 青年とは
失体感症(アレキシソミア)・失感情症(アレキシサイミア)と書いたほうが分かりやすいかもしれない。
アスペルガー症候群と高機能自閉症の違いは、幼児期に言語発達に遅れがあったかどうか。
高機能自閉症では幼児期に言語発達に遅れがあるが、その後は言語発達が追いつくため、青年期以降はアスペルガー症候群と区別がつきにくくなる。
知的能力障害を伴わない自閉スペクトラム症を高機能自閉スペクトラム症と言い、アスペルガー症候群、高機能自閉症などが含まれる。
元増田が言いたかったのは、こちらの高機能自閉スペクトラム症のことだと思われる。
これも勘違いがあるけど、一般的に「コミュニケーションに問題がない」と言われているのは、自閉症スペクトラムの中でもアスペルガー症候群の人である
コミュニケーションの障害がなければアスペルガー症候群とは診断されないので、元増田のほうが勘違いしているものと思われる(言語性IQとか動作性IQというのは診断には関係ない)。
これはまったくその通りというか、矛盾しているというか、自閉スペクトラム症の診断基準には
『その症状は、社会的、職業的、または他の重要な領域における現在の機能に臨床的に意味のある障害を引き起こしている』
とあるので、困っていない元増田は「自閉スペクトラム症の傾向がある人」であって「自閉スペクトラム症」とは診断されないはずなのだ(そもそも精神科の診断名っていうのは、困ってる人を治療のためにラベリングするためのものなので、困ってない人をラベリングする意味がない)。
ただしすべてものの90%はクズである。ご存知スタージョンの法則である。
「邦画はクソ!」というあなたに見て欲しい日本映画黄金期の名作 - シロッコ手習鑑
http://sirocco.hatenablog.com/entry/Japanese-Movie
1行で要約すると
「邦画はクソ、つまらない」という人は日本映画黄金期の名作見てないんじゃないの?「七人の侍」おすすめ。
通常であれば、うんうん「七人の侍」いいよね。黒澤映画の基本だよね。で済ませていたところだが、
>面白いという保証のない現代映画をみるなら映画黄金期の名作を見るのをオススメします。
という一文がどうにもひっかかったのでここにキーボードを執った次第。
邦画について検索すると「邦画はクソ」という結果が出てくるらしく、その一例として示されたまとめサイトの
でも現代人が「邦画クソ」という場合、この前見に行った邦画がつまらなかった、ハリウッド大作と比べると
どうしても全米が泣けない、原作改変しすぎて新規ファンの流入もないし原作ファン激おこだし誰得なの?
マンガ実写化に文句言うのはカッコ悪いってカッコつけるために言ってるんじゃねえよこちとらカッコ気に
してられないほど必死なんだよ。
みたいな文脈だと思うんだよね。もっと良い新作邦画を作ってくれよ、の裏返しの邦画クソ。
まずいものを食べてまずかった、という生の声。味噌汁がしょっぱいので盛り上がらなかった、とかね。
そこへ評価が確定している過去の名作を見ればいいのに、とアントワネットばりにケーキを薦められても違くない?
オールタイムベストにランクインしている名作を見るランキング型消費では、「君の名は。」「シン・ゴジラ」が
ブームだからと見に行くのと大差ない、いやむしろ悪いんじゃないか。
新作を見て評価するのは、きさんがやらねば誰がやる?
>面白いという保証のない現代映画をみるなら映画黄金期の名作を見るのをオススメします。
新作映画は見てみるまで面白いかどうかわからない。評判はあっても時間の審級を経てはいない。
それでも、新作を見る人がいるからこそ映画は作り続けられる。回転資金がなくなれば味噌汁さえも作れなくなり作品数は減る。
最初のスタージョンの法則に戻る。名作は幾多の駄作の屍の山の上にわずかに咲く花だ。
山が小さくなれば名作のド壌も枯れてしまう。
新作見るより過去の名作を見ればいいのには、映画興行の否定だ。
邦画の良さを紹介するために邦画を殺したら本末転倒ではないか。
1.で大体言いたいことは終わった。あとは重箱の隅です。
当時の娯楽の王様である映画作品が数多く作られていた50年代60年代が日本映画黄金期なのには異論はない。
しかし、その後テレビの隆盛、レンタルビデオの登場など、作品数・入場者数が減っていくには理由があり
単に数が下だから今は暗黒期、だから黄金期のを見ようという論は雑である。
物価の上昇はあるが、観客動員数や映画館の数は最盛期より減っているにもかかわらず興行収入上位には
現代の作品ばかり並んでいる。現代だって捨てたもんじゃないよ。上位=名作とは言わない。
では黄金期に多く作られた中でどれほどの作品が今に伝えられているのか。直木三十五の作品は読み継がれているだろうか。
名作とされるものしか今に至るまで残らないから黄金期はより素晴らしく見え、洋画もヒットが見込める
現代邦画は、ダメなものも全部さらけだされているから相対的に90%クズ感が増してしまう。
上澄みと生データを比べたら勝ち目無いよね。観る側向けにはこの点クギをさしたい。
だが、過去の名作を踏まえた上で今映画を作っている方々には、なんで見えてる地雷そびえ立つクソを作りあげてしまうのか。
味噌汁のミソとクソを間違えてはいないか。映画評論してきた経験は製作の現場には役立てられないのか。
金と時間が許せば名画座に毎日入り浸って映画漬けの日々を送り何百本のノルマを果たして蓮見ゼミに潜り込むんだ。
という夢の前提条件も今ではhuluなりNetflixなりで自宅に居ながらにして叶えられる。
しかし大スクリーンで一時停止も巻き戻しもなく集中して見る体験は映画館でしか味わえない。
「七人の侍」が公開された1954年、「ゴジラ」と「君の名は」も公開されていた。
奇しくも今年、その系譜を継ぐ「シン・ゴジラ」「君の名は。」が、それぞれ好評を得ながらヒットしている。
「シン・ゴジラ」「君の名は。」が新作としてかかるのは今しかない。
1968年の五月革命のパリが舞台。パリ留学中のアメリカ人青年マシューは
シネマテーク抗議デモを通じて知り合ったテオとイザベルの家に転がり込み……。
邦画でなくてすまんね。
怪盗キッドも書いてたり四番サードとか短編でもいろいろ書いてるんだけど
で、当時YAIBAはサンデー好きじゃなくてもかなり人気があって
YAIBAだけを読んでる人もそれなりにいたと思う
(うしとらも人気だったけど劇画チックが苦手という人は一定数いた)
そんなYAIBAが青年になって火星に行くっていう衝撃的な終わり方をして
と皆が期待してるところに「探偵モノ」っていう情報が入ってきた
「え?ファンタジー要素は?」
って皆が若干がっかりしつつも青山剛昌がリアル系に挑戦するってことを固唾を呑んで見守って
いざそのサンデーが発売になった日には一目散に買いに走った
巻頭カラーの新連載を読み進めていくと当時流行ってた金田一みたいにシリアス展開満載で
「ああ、もうこういう路線で行くのかな」
「そうこなくっちゃ!」
っていうのがコナンの出発点
祭りは全員が参加できるようにシステムが整っているし、非リアを排除するようにできていない。
ハロウィンってノリが悪いやつやコスプレしてないやつは排除するだろ。
祭りは非リアでも射的やったり、ソースせんべい食ったり、楽しめるもんがあるんだよ。
婆さんが孫と来て一緒に盆踊り眺めたりできるんだよ。リア充は青年会で神輿担いで一体感を得たりできて、非リアは屋台でB級グルメ食ってぶらぶら一周して帰ったりできんだよ。ジャージでも着物でも、どっちでもいいんだよ。ハロウィンみたいに格好で差別したり、マウントしたりしないんだよ。
祭りは老若男女が楽しめるようにシステムが整ってるんだよ。ヤクザもガキもオタクもみんな楽しめんだよ。ハロウィンみたいな仲間内で騒いで、ノレないやつをマウントするようなものとは違うんだ。一緒にするな。
という認知行動療法のワークがあるらしい。人生の目標を見つけるための課題なんだとか。
確かにプロ野球選手になりたい子どもは、お金のために選手になりたいわけじゃないだろう。
大人になると、どうしてもお金の心配が先に立って、そもそも何をしたいのかを考えるのをやめてしまう。
そうこうしているうちに、人生の目的を見失ってメンタルがやられてしまうわけだ。
そこで金が無尽蔵にあったら何をしたいかを考えてみる。言うなれば妄想だ。妄想。
妄想してみると、最初は高級品を買い占めるとか、そういう方向にしか意識が行かないんだけれども、
頑張って妄想し続けてみると、例えば人によっては、お金を使って人助けをしたいとか、
とある研究分野に投資して人類の生活を一変させたいとか、色んなことを思いつき始める。
実はそういう部分こそが、人生の目標のヒントになるような事柄なんだってさ。
都会での出世を夢見た青年が都会への道すがら宿で休んでいたとき、
自分が都会で大出世して当時の人としては栄華栄達を極めるような人生の夢を見る。
その後、都会に行くのを考え直して田舎に戻り、今まで通り普通の生活をすることを選んだ、というお話だ。
たぶんこれは自分が望んでいることを突き詰めて考えた結果、
目の前に車椅子が必要なくらい太ったおっさんとファッションの権威みたいなおばさんが楽しそうに喋ってる。
外は小雨で俺はカフェで雨宿りしてる。
歩いていけるんだけど、ちょっと疲れたし、なんとなくカフェにいてる。
メニューは全て英語でよくわからないけど、ミルクが読めたので暖かいミルクを買った。
この時期のカナダはダウン着てる人もいればTシャツだけの人もいて服装は本当にバラバラだ。
紅葉はまだ少し先のように感じる。赤い葉もあれば黄色い葉もあり、もう枯れてる葉もある。
カフェには太ったおじさんとファッションおばさん以外にも多くの客がいて店内はほとんど埋まってる。
二面が大きなガラスになっていて外がよく見え、とてもオシャレだ。
こんなオシャレなカフェは俺の住む日本の田舎ではスターバックスしかない。
俺はあげた。1,500円だったけど。
5年ぐらい前だったかな。
免許証あずけるとか必ず返すからとかいってたけど、どうせ返ってこないだろうわずかなお金のためにこちらの個人情報を渡すのも嫌だったし、1,500円ぐらいのことで免許証を他人に預けるぐらい困窮してるならこれはもう施しだとおもってお金あげた。
免許証も確認しなかったし名前も住んでいるところも聞かなかった。
その青年はとくに感謝するわけでもなく金を受け取ったらまた夜の街をどこかへふらふらと歩いていった。
もしかしたら時々俺のような頭のぬるいカモがいるので手当たり次第に声をかけていただけかもしれない。
あるいは本当に返すつもりで声をかけたのに、乞食のように一方的に金を恵まれて侮辱されたと内心怒っていたのかもしれない。
しかし交通費うんぬんがまるっきり嘘だとしても、あげた金をあとから惜しむような気持ちにはならなかった。
善行をしたという気分ではまったくなかったけど、その年の近い男はもしかしたら違う道を歩んできた自分自身の姿のようにおもえたから。
1,500円は当時フリーターをしていた自分にとっては2日分の食費、本当はたかがといえるほど少額でもなかった。
ともあれ、形だけでも返してもらう約束をしてお金を渡してたら、きっと後々まで金を貸したことを思い出しては裏切られたように感じてムカついていたとおもう。
当時そこそこハマっていたGTOの影響で「やべー、ヤラハタになっちまったよw」などと友人たちと自虐的にはしゃいでいたことを今でも時折思い出す。
愛すべき彼らは全員めでたく結婚した。結婚式はどれも極めて感動的だった。
対して、私は未だ童貞だ。
ヤラハタどころの騒ぎではない。ヤラサーである。魔法使いになれるという都市伝説もあるが、そんな救いは当然なかった。
ヤラサー男を待ち受けていたのは、魔法などという甘ったれたファンタジーではなく、極めて地続き的などうしようもない現実だった。
前髪の大多数は生えることを諦め、年に一度の健康診断では「肥満」だの「高尿酸血症」だのとディスられ、脇と足と耳の裏が存在感を主張し始める。
努力次第で何とかなる部分もあるし、もうどうしようもない部分もあると思う。
しかし重要なのは、今更見た目をマシにする努力を行う意義を見出せないということだ。
私は23歳で運転免許を取得した。当時の免許証を未だに持っているのだが、写っているのは(あくまで今の自分と比較してだが)それなりにシュッとしている若者だ。
でも、こいつでも駄目だったのだ。このシュッとしたいい感じの青年でも、箸にも棒にも掛からなかったのだ。
それなのに、今更「そこ」を目指したところで何になるというのだ。
痩せてようが、髪があろうが、比較的臭くなかろうが、どうしても女性と付き合えなかったのが私という男なのだ。
……なにか雑音が聞こえる。
童貞の大抵の悩みはソープに行くことで解決する。なるほど、よく聞く言説だ。
実際、私も真に受けた時期があった。
まずは捨ててみよう。「初めての女」などに拘ってる場合ではない。そう思い、私はプロのお店で経験を積むことに決めた。28歳の頃だ。
いきなり本番は怖いから、まずは練習のつもりでピンサロを予約した。
念入りに身体を洗い、歯茎から血が出るくらいの勢いで歯を磨き、ヒゲを剃り、鼻毛を切り、ついでに指毛まで抜いた。
そうして挑んだ初風俗は、結果から言えば、実質的には2分で終了した。
その店では、嬢と顔を合わせたらすぐにシャワー室に連れていかれ、身体の隅々を洗い合うというサービスがあった。そこでもちろん、ちんちんも洗われたのだが……。
「あっ、すいません、ちょ、ちょ、あっ……」
一応、90分コースだったため、その後もすべてのサービス(身体舐め、フェラチオ、素股等)を受けることはできた。
しかし、私は「射精しないこと」だけに全精力を注いでいたので全く楽しくなかったし、それにも関わらず、結局5回も射精してしまったという体たらくだ。
私は早漏。どうしようもなく、早漏。セックスもまともにできない身体に産まれ落ちていたことに気づいた28の夜。
奇跡的に女性とセックスができる状況に持ち込めたとしても、私は所詮、シャワー室で射精してしまう男だ。
恐らく、フラれはしない。私なんかと付き合ってくれる女性のことだ。きっと優しく笑って許してくれるだろう。
しかしだ。彼女の宙に浮いた性的興奮はどうすればいいのだ。可哀想だろう。
……いや違う。そういうことではない。
単純に「私が」嫌なのだ。情けなすぎて想像しただけで死にたくなる。それが全てだ。
こうして私は、童貞でありながらすっかりセックス恐怖症となってしまった。
「TENGA」だ。「TENGA」の刺激に慣れることで、少しでも「持ちこたえる」ことが出来る身体になりやしないだろうか。
そう思い、50回以上再利用できるタイプの「TENGA」を購入した。5千円もした。
しかし、毎日根気強く使用することで、少しづつ持続時間は延びた。
今では1分半は耐えられる。
ちなみに、射精した後の「TENGA」はもちろん、水洗いして乾かす作業が必要となる。
しかし、その後すぐに眠気に襲われるため、「まあ、いいか。どうでも」といった気分で次の日の何も起きない一日のために休息につくのだった。
つづく
http://anond.hatelabo.jp/20160702174925
毎度おなじみ gudachan@bonchacchanga の不定期活動報告です。
gudachanは自分の作ったまとめに対する反応を日々チェックしており、
自分の意見に肯定的な反応はRTしたりリプライで別のまとめのurlを送り付けたりしてさらなる承認に結びつけ、
逆に否定的な反応には相手にレッテルを貼りしばらく叩くという習性があります。
あんまりよくわからん。 QT 広島が6大都市に慣れなかった最大の理由は「郊外高速交通」の不在 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/1022672 @togetter_jpさんから
6:51 PM - 11 Sep 2016
ttps://twitter.com/kankimura/status/775149685510070272
ttp://archive.is/Rzdkj
そもそも本来「6大都市」というのは大正時代の「六大都市行政監督ニ関スル法律」で提示された古い概念。東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、の事を長らく指してきた。それを数だけ同じ「6」にして大都市圏に適用するから、「仙台か広島か」みたいな訳の分からない話になる。
6:55 PM - 11 Sep 2016
ttps://twitter.com/kankimura/status/775150719645028352
ttp://archive.is/ak7wN
ttps://twitter.com/kankimura/status/775151776936845313
ttp://archive.is/uTCGj
序に書いておくと、仙台と広島に対する「感覚」は住む場所によってずいぶん違うと思う。例えば、畿内の人間の多くは広島は割とよく行くので、「西にある福岡に次ぐ大きな町」という感覚があるけど、仙台にはまず行く事がないので、「東北の町の一つ」くらいの感覚なのではないだろうか。自分だけかな。
ttps://twitter.com/kankimura/status/775152846970904577
ttp://archive.is/xISD2
そもそも東国の人は、畿内から西に行く事が少ないでしょうし、移動する場合にも飛行機移動が多くなるでしょうから、地理感覚がつかみにくいですよね。我々が東北や新潟に行く際に地続きで行かないので、距離感覚がつかめないのと同じだと思います。
ttps://twitter.com/kankimura/status/775156122520997888
ttp://archive.is/Vdl5O
木村幹氏がgudachanのまとめについて以上のように反応しました。
6大都市という言葉にこだわって仙台と広島どちらが上かという話にそもそも意味がなく、
居住地域によって感覚も異なるので大した意味はないという指摘で、これはまあもっともな意見でしょう。
しかしgudachanにとって自分の主張を否定されることは人格の否定に等しく、到底受け容れられるものではありません。
仙台は発展しているとツイートしたら、面識のない「朝鮮研究学者」が、挨拶もよこさずに本人の感知しないスペースで冷笑を繰り広げて呆れた。この朝鮮研究学者は「東国」と言う言葉を用いて、仙台の発展を否定しようとしていた。これは完全にレイシスト、差別主義者の発想ではないか
4:22 AM - 13 Sep 2016
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775655913021542400
ttp://archive.is/REabK
Togetterのurlを貼ってその内容について感想を述べる、という当たり前にされている行為が、
gudachanの脳内で「挨拶もよこさずに本人の感知しないスペースで冷笑を繰り広げ」に変換されました。
「自分の主張は多くの人間に共有してほしいが、否定されることは我慢できない」という彼の自意識によって、
木村氏の特に何でもない感想すら「冷笑」に見えてしまうのが涙を誘います。
異なる意見を持つ人を尊重せず、表だって物を言えない陰口みたいな悪意をぶつけるのは匿名のネット原住民の常識ではある。しかし、一般社会になじむものではない。だが、Twitterを見ての通り、ざんねんなことに人文学系の学者には「逆張り冷笑系ネット原住民」は大勢いる。レイシストはクソだ
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775656161953452032
ttp://archive.is/tT83X
なぜこれをレイシストだと気付いたかと言うと、私は数年前にネトウヨが「東夷が」と言う煽り・罵詈雑言表現を用いているのを、ネット原住民の総本山の掲示板のマトメ記事で見たことがある。こういうのは普通に考えてFacebookのコミュニティや昔の個人運営掲示板では一発退場である
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775656428853874688
ttp://archive.is/xtkX1
関東一円を指して「東国」と言うことと関東や東北の人間を「東夷」と罵ることにはかなりの差があると思うのですが、
批判には反論ではなく相手の態度や言葉遣いを問題視し人格を否定するという習性のあるgudachanが今回なんとかひねり出したのがこの理屈です。
Twitter運営は相手が学者だろうが、こういうレイシストを排除するような仕組みを作るべきだと思う。普通に考えてほしい。2016年の日本で「東国」なんて言葉を使うのは学者だけだ。日常表現ではない。学者だからこそ知っている言葉を、悪意ある用い方をするのは、卑劣。学問の侮辱でもあるね
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775656711659008000
ttp://archive.is/J7KTY
そしてこの「東国」には古来、百済からの渡来人がやって来た歴史がある。朝鮮学者だから知っているのだろう。知った上で悪意ある表現をしているのなら、それは「自称朝鮮の専門家」である桜井誠のそれと何も変わらないと思う。「東国」と言う言葉を用いて、仙台の発展を否定するレイシストはヤバい
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775657148747427841
ttp://archive.is/sFtjr
俺が嫌いなのが、こういう露悪「ユーモア」なんだよね。こいつらにとっては薀蓄こじらせたような悪意ある冷笑や逆張りがジョークか何かのつもりなんだよね。どう考えてもただのヘイト。俺が「朝鮮女子」をずっと問題視しているのもこれですよ。当事者に対するリスペクトがない。その逆しかない
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775658792792887296
ttp://archive.is/AnxNb
面識のない「朝鮮研究学者」は本当は何の変哲もない、そのへんの中小企業のオヤジかもしれない。何とでも自分を偽れるのもまたネットだから。ただ、俺が厄介だと思っているのは「東国」と言う言葉をことさら用いることで在日朝鮮人差別が増幅されることですよ。レイシスト一人のことはどうでもいいがね
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775659223329878016
ttp://archive.is/ZH88b
社会への拡散力。これが恐ろしい。だってそうでしょ?在特会作った人だって元はNAVER掲示板のトロルじゃないか。NAVERの季節の話題専門のHOT掲示板(だったと思う)で運営の設定するテーマを無視してずっと歴史や領土について書き込んでた奴が、今や日本最大の極右勢力だもん
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775659498308407296
ttp://archive.is/MAKQ9
朝鮮の専門家であれば関東大震災当時、在日朝鮮人虐殺があったことは知ってるはずです。そしてその虐殺に巻き込まれたのは東北人も多かった。つまり大和民族で日本人であっても関係なかった。「東国」呼ばわりは極めて危険だぞ。俺の先祖も東北人だからこれは許せないね
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775659969345490944
ttp://archive.is/ibkgj
「東国」という言葉を使うことは在日朝鮮人虐殺に繋がることであり許せないとのこと。
いつの間にか木村氏は在特会に匹敵するレイシストということになったようです。
「東国」が問題であるならばgudachanが日頃使用している「裏日本」なども問題になる気がしますし、
前回の「地方人の分際でなんでそんなに偉そうなんですか」などはどうしようもないのでは?と思わずにはいられません。
女性に虐められる男子なんているのかなあー。日本は女性が男性に酷い扱いされる国。逆はないはず
おかゆ @okayu_desert
女性嫌悪・蔑視と萌えアニメ好きが結構被ってるあれはなんだろう。いや俺も萌えアニメはよく見るし、若い女性が近くにいると発汗して息が詰まるけどさ。やっぱ小中学校時代に女子にイジメられたり、陰口を叩かれたりした記憶はなかなか消せるもんじゃない。それを拗らせるとミソジニーに発展する。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769100353266716672
ttp://archive.is/YAbIc
gudachanは勝部元気氏に多大な影響を受けているのはご存知の通り。
リプライありがとうございます。でもそれってよくあるいさかいのレベルじゃないでしょうか。「女子=陰湿」みたいな性的な決めつけに繋がる発想だと思います。私は小学生の時も中学生の時も女子生徒とふざけあっていましたよ
おかゆ @okayu_desert
@bonchacchanga ぼくは小学校時代に女子に虐められてました。男子と違い肉体的な暴力ではなく言葉の暴力とかですね。中学のときも一時的に裏で悪口を言われたりだとか。特に理由はなくて単純に「顔がキモイ」とか「暗いから」とかです。もちろん社会的には女性のほうが抑圧されています
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769125069498888192
ttp://archive.is/wYfBZ
「女子からいじめを受けたことがある」と言っている人を「よくあること」と一蹴するgudachan。
本当のイジメというのは、力関係によって生ずるものです。これはレイシズムとかも同じですが、関係性が不均衡であるにもかかわらず、劣位の側が優位の側を凌駕して苛めるというのは到底可能性が少ないです。「痴漢冤罪」と一緒で。皆無ではないですが
おかゆ @okayu_desert
@bonchacchanga 少なくとも「逆は無い」と断言するのは早計です。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769125486106546176
ttp://archive.is/TUNRf
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769125870330011648
ttp://archive.is/8v30X
たとえば同級生にキモイ奴がいればいじるのは普通の小学生のよくあることじゃないですか。自分も囃し立てる側にも、言われる側にもなりましたよ。クラスみんなを煽ったこともありますし、みんなから口を聞いてもらえなかったこともあった
おかゆ @okayu_desert
@bonchacchanga 「女子=陰湿」だとは思いませんが、ぼくはまぁそういうイジメを受けたことはあるってことです。あとイジメを「よくあるいさかい」などと言うのはおかしいですよ。やられた本人からすれば生涯に渡ってトラウマになるレベルです。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769126144683618304
ttp://archive.is/aiEXZ
そういうことは誰しも経験あるんですよ。やはり女子生徒が、男子生徒を一方的に標的にし、いじめをするということは、構造的に不可能だと思うので、よく自分の経験を見つめ直すといいと思います
おかゆ @okayu_desert
@bonchacchanga 「女子=陰湿」だとは思いませんが、ぼくはまぁそういうイジメを受けたことはあるってことです。あとイジメを「よくあるいさかい」などと言うのはおかしいですよ。やられた本人からすれば生涯に渡ってトラウマになるレベルです。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769126409352556545
ttp://archive.is/P07pJ
本当に酷いいじめのある学校もあるとは思いますし、田舎は酷いということを、私は地方都市出身の同級生から聴かされたりしましたが、それでも加害者は男子で、被害者は女子であることが多いです
おかゆ @okayu_desert
@bonchacchanga よくあるレベルだからいいというものではないです。イジメという行為を矮小化するのはやめましょう。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769126636595752960
ttp://archive.is/AOo7j
自殺などの深刻な事案もありますから、いじめはなくすべきです。理想は根絶。現実は難しいけど。それは人種差別と同じなんですね。そこは私もよくわかりますよ。でも女子は男子をいじめることはできません。絶対に
おかゆ @okayu_desert
@bonchacchanga よくあるレベルだからいいというものではないです。イジメという行為を矮小化するのはやめましょう。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769126838748614656
ttp://archive.is/nG0Qh
なんというか、女子にとって不快な男子生徒がクラスにいれば気色悪く思うのは当然のことで、それが自分に投げかけられたなら、自分自身の自己改善をするべきだったんではないでしょうか
おかゆ @okayu_desert
@bonchacchanga いえ不可能ではないでしょ。事実として私は5~6人からいじめを受けました。学校、もっといえば教室という限られた空間なら「不可能」ではないです
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769127605551280128
ttp://archive.is/wtvNO」
いじめを受けたと思っている者に「お前が悪い」と言うのは端的に言ってセカンドレイプに類似する行為なのではないかと思うのですが、
勝部流フェミニズムに心酔しているgudachanには理解できません。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769128262798757888
ttp://archive.is/kPZps
確かにいかなる理由があってもいじめはいけないですよ。でも関係性の違いによって、優位のある側が劣位にさらされる側に対してあるべき振舞いとか、改善の努力までは否定できないはずだ
おかゆ @okayu_desert
いじめ被害者に「自己改善」を求めるなど、「自己責任論」の一種でしかありません。「被害者が悪いから加害がある」など加害者側の自己正当化にすぎません。とにかくいかなる理由があったとしてもいじめは絶対にいけませんよ。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769128803201277952
ttp://archive.is/lzVlN
もちろん私は顔がキモい人や暗い人も尊重される社会の方がいいと思います。また、子どもにとってのいい加減なものの見方で誤解があった可能性もありますが、いずれにしても、大人になった今まで引きずることではないですね
おかゆ @okayu_desert
「あるべき振舞い」とか「改善の努力」とはいったい何のことでしょうか?私がいめられた理由は主に「容姿」だったわけでして、そこに「改善努力をしろ」と言われてもどうしようもないです。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769131235272560640
ttp://archive.is/kexgK
お気持ちは十分お察ししますが、一方的な被虐の前に、まず「あの頃の自分」を振り返ることが、暗い過去と決別する第一歩だと思いますね~
おかゆ @okayu_desert
@bonchacchanga 幼少期に受けた心の傷は一生掛かっても消えるものではないです。「引きずることではない」など他人にそう簡単に言っていいものではないです。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769133168767094784
ttp://archive.is/MG7DP
嫌なら一発「やーめーてー!」って言えばいいんですよ。なんで言わなかったんですか?
おかゆ @okayu_desert
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769133375562977281
ttp://archive.is/EM2qg
絶対に構造的にありえない「女子生徒の男子いじめ」について、そんなのおかしいと声をあげると「セカンドレイパー男が性的被害にあった女性に投げかける言葉と同じ」と言われるんだからすげーな
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769138394014232576
ttp://archive.is/gWiXW
gudachanにとって自分の考えは絶対なので何が悪いと言われているのか理解することはできません。
一連の発言にこちらこそ「すげーな」としか言いようがありません。
このおかゆさんは基本的にリベラル風で正しい考えをしていそうなだけに、女性と男性の力関係をご理解いただけないのが大変残念である
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769140830279917569
ttp://archive.is/GLizg
たとえば合理性がなくて無駄が多い女性もいますね。でも、いじめをする女性はいませんよ。できないんですよ
おかゆ @okayu_desert
いや人の性格なんて人それぞれでしょ。特定の属性に「この性格の人はいるけど、あの性格の人などいない」って、それこそ差別的でしょ。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769141798853685248
ttp://archive.is/7SuRi
おそらく、gudahcan本人は自分が差別的な思考をしていること、本人が批判しているネトウヨと同じ思考洋式であることに全く気付いていないのでしょう。
http://anond.hatelabo.jp/20130706163318
それではまたどこかで。
これはすごくわかります。
隣近所の付き合いが減ったことで、助けを求めることのハードルが近年上がっているような気がしています。
助けてほしい気持ちはあっても、
自分で声を上げて助けてもらうことはためらわれる、というような感じ。
何もせずに助けてくれればよろこんで助けてもらうんだけども、といったような。でも、もう、関係が断絶されていて気づきようがない、みたいなことはあると思います。
でも、正直、他人を助けたいっていう人はそんなに少なくないと思うんですよね。
助けるっていうと大げさでためらう部分はあるけど、ちょっと手を貸すだけでもよければ、ってことなら、
見返りを求めるかは人によるかと、ただ、お礼の言葉は必要だと思います。
だから、もう少し他人を頼ってもいい気がしてるんですよね。もっとカジュアルに助けてって声をあげる人が増えて、カジュアルに助ける人が増えて、ありがとうっていう、そんな機会がふえたらいいかな、って思います。
この、他人に助けを求めるって問題に関しては、前に24時間テレビのドラマを見たときに、ちょっと痛感したところがありました。
事故によって車いすになった青年が、川に身を投じようとしている母親と子供に対して、これからの人生どうしたらいい、みたいなことに対して、一言いうんですよね。
検索したらあったので引用します。http://news.livedoor.com/article/detail/6929730/
”『助けて』って言えばいいんじゃないですかね? そういうのって、死ぬほど恥ずかしくて、情けないことなんですけど、結果、死なないから。大丈夫なんですって ”
2014年の映画で、一言でいえば音楽院でドラマーを目指す青年ニーマンとそこの鬼教師フレッチャーとのガチバトル?
愛読しているブログで考察記事があり心惹かれたので、さっそくレンタル。
朴訥な青年が鬼教師の傍若無人なふるまいを受ける中で狂気じみてくるのがたまらないですね。
血だらけで笑いながらドラム叩くシーンあるんですよ。おっかないけど、狂うほど突き詰める人間の姿そのものってもはや芸術的。
個人的には、フェスの舞台で恥をかかされたニーマンが、父親から抱擁の後、舞台に舞い戻ってフレッチャーの舞台を乗っ取る展開が印象深いです。
ここ、ニーマンが父親の愛情に浸るより、フレッチャーに自分のドラムを見せつけることを選択したシーンだと感じます。
彼はドラムを評価しない父より、たとえ鬼でもドラマーとして自分を見るフレッチャーの評価がほしかったのかもしれません。
ブログの考察記事ではニーマンの承認欲求とその達成のための手段としての彼のドラムに触れていて、興味深く読ませていただきました。
最初、ニーマンは普通のドラマーでした。しかし、フレッチャーとの関わりが進むにつれ、ドラムへのめりこんでいきます。
ただ、ここでのドラムへの執着は、ドラムという音楽そのものよりフレッチャーの評価に向けられたものです。
この点に、彼にとってのドラムが承認欲求を満たす手段であると表れているのかと。
ニーマンはフレッチャーからの承認を乞い続け、最終的にはブチ切れて憎悪が爆発する。そこまで至った彼の演奏が、フレッチャーを感服させるというね。
なんというか、愛憎劇ですね。
それを集中して向けたフレッチャーの行いによって、さらにそれが育ち、ついに狂気へ変わる。
狂気に走ることで芸術が完成される図式は映画『ブラック・スワン』と通じるものがあるように思います。
承認欲求って一般的にめんどくさいもの扱いされますが、あそこまで昇華させると薬、というか劇薬ですね。
ニーマンはドラマーとして天才だったかわかりませんが、それほどの承認欲求の種を持っていたこと自体が天賦の才だったかもしれません。
エクセルでカレンダー表を自動作成するためにVBAでプログラム組んでる最中、ふと「祝日」って何なんだろう?と思って、結局法律なのかなぁと祝日法の条文読んでてワロタw
成人の日 一月の第二月曜日 おとなになつたことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます。
建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。
昭和の日 四月二十九日 激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。
憲法記念日 五月三日 日本国憲法 の施行を記念し、国の成長を期する。
みどりの日 五月四日 自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。
こどもの日 五月五日 こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。
海の日 七月の第三月曜日 海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う。
山の日 八月十一日 山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する。
敬老の日 九月の第三月曜日 多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。
体育の日 十月の第二月曜日 スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう。
メルトダウンと聞いて反射的にキノコガウンを想像してしまった。
森の中、木々の切れ間。苔の生えた丸石に囲まれた小さな広場で長老ドワーフが「ぬしこそまさに森の王者よ」と告げると、
そばに控えたドワーフの少女が色とりどりのキノコがびっしりと生えたガウンをしずしずと運んでくる。
少女に上目遣いでガウンの着用をすすめられたヒト種の青年は、彼にとってガウンというよりチョッキのようなサイズに戸惑いながら、キノコの毒の有無をしきりに気にしているようだ。
というシーンまで一気に意識が飛んで行って、フフっと口角が上がったところで、「何がおかしいの!?」と強い反原発思想を持った母親にキレられて現実に引き戻された。
頭の中で自動生成される景色はあんなに穏やかで素敵なのに、何かの形で出力するには自分がポンコツすぎてがっかりだ。
あーもーさっさと寝て夢の中に行きたい。今日は海かな、森かな、山かな、空かな。
http://anond.hatelabo.jp/20160903194513
選定基準は
・他文庫で手に入りにくい
・ジャンル小説寄りだったり、わりとライトに愉しめる感じのやつ
順不同
脚本家・ミステリ作家として有名なデュレンマットの粋が収められた傑作選。
デュレンマット独特のケレン味の効いたツイストは、高度な本格ミステリに馴れた現代の読者にも新鮮な驚きをもたらす。
ちなみに「巫女の死」は『オイディプス王』をベースにしているが、本文庫で『オイディプス王』は出されていない。すなおに岩波で読んでおこう。
・ウォー『ご遺体』
第二次大戦前後の暮れゆくイギリス貴族やイギリス男性の生態を皮肉たっぷりに描くユーモア作家イーヴリン・ウォー、その傑作の一。
セレブが利用する葬儀社兼霊園で働くことになった青年をとりまく変なキャラたちが見どころ。
夏目漱石がイギリス留学時代に部屋に引きこもって読みふけったという文豪スティーブンソン。
日本で知名度の高い『ジキル博士とハイド氏』や『宝島』もこの文庫に入っているが、実は最高傑作と言われているのはこの『新アラビア夜話』。
ボヘミアの王子フロリゼルを主人公に、ミステリーのようなファンタジーのような摩訶不思議な短編が並ぶ。
・ブッツアーティ『神を見た犬』、ピランデッロ『月を見つけたチャウラ』、ロダーリ『猫とともに去りぬ』
ここらでイタリアを代表する三人の作家の幻想短編集をつまんで、ラクしてライバルに差をつけよう。
ロダーリはあたたかみのある笑いを、ピランデッロはどこかとぼけたシニカルな味わいを、ブッツアーティは得体のしれない不安をあなたに提供してくれるはずだ。
ならば,フレンチ・ノワールの法王(本当にそう呼ばれている)パトリック・マンシェットだ。
ノンストップという形容すらなまぬるいほどの疾走感で綴られる犯罪劇は、頭で理解するではなく、心で感じるんだ。
エリート寄宿舎学校! 生徒内権力争い! 美少年! 同性愛! いじめ! 実存主義!
全部もってけ、あなたがたが欲しているものはすべてここにある。
・ロブ=グリエ『消しゴム』
とはいえ、基本的にどうでもいい情景描写が七割くらいを占めているのでそこを飛ばせば一気に読めるぞ!!
リオオリンピックは終わったが、文学の聖火はいつでもブラジルで燃え盛っておるぞ!!!!!