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2022-08-15

共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで

これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。

ただ、内田が、

感情の器」って、あくまでも個人的身体条件のようなものから

というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。

たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミス道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会規範構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。

そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。

家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。

アレックス・カー20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。

おりしも建設省代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代

アメリカの7倍のコンクリートを使って日本山河コンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。

その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。

「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。


A・カーは、フェアプレイ精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者トップ黒海に豪奢な別荘を保有し、人民実質的農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。

「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司説教ブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖

最近、想起するのはやはり旧統一教会家族価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族崩壊している、といった、「おまゆう問題崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするとき動機付けメカニズムなのだ

内田永井議論テーマひとつである人権平等。あたか普遍的原理についても、

それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。

アメリカ建国者の一人、トーマスジェファーソン人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。

これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。

どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質人民に備わっていると信じて建国者デモクラシー設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権矛盾が、南北戦争北軍正当性を決定的にする。

内田議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要キーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。

自分でうまく整理がつかなかった。内田はいう。

「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。

これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係いかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。

内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。

まず外付けの倫理から。どのように受容されてきたか

舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後憲法のものアメリカ経験に基づいたものだ。

しかし、日本人権教育は、残念なことに、人権普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。

戦後人権を外付け実装してきた日本は、そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。

現在、旧統一教会問題話題の、国家宗教というテーマにしてもそうだ。

政教分離キーワードとなるのは、恐怖から解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西課題だ。宗教いかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴ勝利した古代ローマ

そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要再確認された。それが言論の自由関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場比喩が生まれる背景ともなった。

他方、旧世界フランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会権威苛烈弾圧が恐怖であった。だから公共空間合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランス言論の自由は、その意味カトリック否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したこと歴史的な背景は深い。

このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。

それは、実は国によって微妙コンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的価値なら、なぜ何千年も克服できなかったか意味を問うというか。

しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後日本裁判所も含めて。

でも、それこそが日本人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。


その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。

内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは自分の国や自分家族自分自身の歴史だと俺は思う。

自分自分先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理けが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本アジア欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。

歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。

自分理想とするもの現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。

自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。

ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要キーになるし、国家宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米経験教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決行政戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料支出したこと違憲とした歴史的判決で、戦争経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。

しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通体験共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代

50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。

「あの頃は」という共通過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。

まり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。

それが、失われ、外付けの価値観だけがカラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。

永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代

「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。

と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。

また、日本憲法に組み込まれ歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。

高度成長期に「あの頃」といえば戦争時代だった。

それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、

視聴者からは、おしん私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。

しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ

しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争記憶との関連が薄まった。当然、日本憲法リアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。

しかし、いずれにしても過去記憶憲法規範が直接に結び付かない、その世代経験、そこに、永井紛争国の辺境の地を自分テーマに選んだヒントがあるように思えてならない。

紛争リアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生ときに知った人権、そして憲法価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。

しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。

永井氏が、内田氏との対話のなかで

私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこから自分母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親単身赴任でしたし。

といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。

全然人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。

動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的ロールモデルとは限らないのだ。

この体験辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。


ともあれアレックス・カー面白い

読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。

A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.

Dogs and Demons, 2002, A.Karr

2022-08-05

清水晶子(東京大学)「学問の自由キャンセルカルチャー」Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

目次

anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用

anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜

anond:20220805230307 Part4 〜キャンセルカルチャー批判

anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答

学問の自由キャンセルカルチャー」Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=3920s

1:05:20~1:10:25

Sara Ahmed, "You Are Opressing Us!"

「誰かがノー・プラットフォームにされたと言うためのプラットフォームを与えられ続けたり、あるいは口を封じられたことについて延々と話をしていたりする時、そこにはいつもパフォーマティブ矛盾がある。しかしそれだけではない。そこであなたが目にするのは、権力メカニズムなのだ。」

自分がすでに抱いている信念を裏付け証拠を求める欲望は、時に、その証拠を生み出すための挑発や威嚇につながることがある。

侮辱的な言語行為が次々と述べられるのは、侮辱され気分を害してほしいという欲望があり、他者が気分を害するせいで『われわれの自由』が制限されるのだという証拠を望んでいるから、である。」

この枠組みを非常に早い時期に的確に指摘したのが、イギリスフェミニストとして知られるSara Ahmedです。

2015年のブログ記事でAhmedは、ガーディアン紙に掲載された、これ別の書簡なんですがこれも公開書簡です、

個人に対する検閲や口封じを許すことはできない」というタイトルの公開書簡を取り上げます

この公開書簡英国でのいくつかの例を取り上げつつ、

トランスジェンダーについてあるいはセックスワークについて特定批判見解を持つフェミニストたちが、

大学沈黙させられているというふうに主張するものでした。ちょっとここ分かりにくいんですけど、

2015年の英国のこの文脈では、沈黙させられているというふうに主張しているフェミニストたちというのは、

階級的にもそれからジェンダーモダリティという点でも、いわば多数派の側になります

Ahmedは、公開書簡で取り上げられている例というのが実際には、特定見解理由にした検閲だったりノー・プラットフォーミング、

ノー・プラットフォーミングっていうのはイギリス運動なんですけど、

イギリス学生運動の中で採用されてきた戦略で、非常に危険で受け入れ難いと見なされた見解とか信念、それこそネオナチとかです、

そういうものを公開する機会そのもの提供しない、そういうのがノー・プラットフォーミングといわれるんですが、

ただAhmedは、この公開書簡で取り上げられている例が実際には、

そういう検閲とかノー・プラットフォーミングには当たっていなかったということを、事実確認した上で、

にもかかわらずこれをあえて、キャンセル検閲、口封じ、ノー・プラットフォーミングという形で主張することで、

どういう効果が目指されているのか、ってふうに問います

これAhmedの引用なんですが、

「誰かがノー・プラットフォームにされたと言うために

そういう発言をするためのプラットフォームというのを実際には与えられ続けていたり、

あるいは口を封じられたことについて延々と話をしていたりする時に、そこにはいつもパフォーマティブ矛盾がある。

しかしそれだけではない。そこであなたが目にしているのは、権力メカニズムなのだ。」。

まり検閲された、口を封じられたという主張それ自体が、

検閲され口を封じられたはずの側がより力を獲得する、そういう目的のためにされていると。

からこそ、検閲され口を封じられること、言い換えればキャンセルされることというのは、ここではむしろ求められている。

キャンセルされたいんですね、どっちかっていうと。

次の引用ですが、

自分がすでに抱いている信念を裏付け証拠を求める希望は、時に、その証拠を生み出すための挑発や威嚇につながることがある。

侮辱的な」、これoffensiveですね、「侮辱的な言語行為が次々となされるのは、侮辱され気分を害してほしいという欲望があり、

他者が気分を害するせいで『われわれの自由』が制限されるのだというそ証拠を望んでいるから、なのである。」。

からキャンセルされると、そのキャンセルされた人ということでどんどん力が集まって、むしろキャンセルされたい。

キャンセルされるために、より侮辱的な、よりoffensiveな言葉が発せられるという、そういう仕組みができてるというのが、

Ahmedの見立てなんですね。

「この書簡は、フェミニスト発言自由になされるべきで、健康で活発な民主主義のしるしである討議や対話可能にするものだ、と考えている。しかし、トランフォビアや反トランス発言を、ハッピーダイバーシティ食卓自由に表明してよいような、ただのありふれた観点として扱うことはできない。食卓を囲んでいる誰かが、別の誰かを抹消するべきだと、意図的あるいは事実上主張しているときに、対話などしようがない。あなたを会話から抹消したがっている誰かと「討議や対話」をするとしたら、「討議や対話」はそれ自体が抹消のテクニックになる。特定の討議や対話を拒絶することこそが、したがって、生き延びる鍵となる戦略になりうるのである

学問あるいは言論の自由というもの支点とした、抑圧側と被抑圧側の逆転の構図、

表現を変えるのであれば、抑圧されて周縁化されてきた側からの異議申し立てを封じるための口実、

あるいは道具としての、学問とか言論の自由の利用っていう、

今日の報告では、90年代からこの図式が少しずつ洗練されつつ引き継がれた様子っていうのをざくっと見てきたわけですが、

その図式が現時点で到達しているのが、自由侵害された口を封じられたという主張が、

実は封じられることもなく自由に繰り返され拡散されることで、力をさらに獲得している、

クリックアルゴリズム時代キャンセルカルチャーというパワーメカニズムだ、ということになります

からこそ私たちは、国家や強力な組織経済あるいは社会規範要請などから学問の自由というものを守ると同時に、

現代の今2022年時点の学問の自由というのが、もろ刃の剣であること、学問の自由特定の利用には警戒すべきであるということを、

忘れてはならないと思います

最後にこういう自由濫用というものサバイブするためにAhmedが提唱した戦略引用して、私の報告を終わりにしたいと思います

「この書簡は」、先ほどの公開書簡ですね、

「この書簡は、フェミニスト発言自由になされるべきで、

健康で活発な民主主義のしるしである討議や対話可能にするものだ、というふうに考えている。

しかし、トランスフォビアや反トランス発言を、

ハッピーダイバーシティ食卓自由に表明してよいような、ただのありふれた観点として扱うことはできない。

食卓を囲んでいる誰かが、別の誰かを抹消すべきだと、意図的あるいは事実上主張しているときに、そこに対話など存在しようがない。

あなたを会話から抹消したがっている誰かと「討議あるいは対話」をするとしたら、

「討議や対話」はそれ自体が抹消のテクニックになる。

特定の討議や対話を拒絶することこそが、したがって、生き延びる鍵となる戦略になりうるのである」。

ありがとうございました。

anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答

リベンジポルノ問題解決

リベンジポルノ問題そもそもセックスを隠れて行うという社会規範帰着する。そのためセックス動画制作には大きな規制が敷かれ大半の人のセックスは観ることができないようになっている。リベンジポルノ問題解決するにはみんながポルノを撮って公開・共有すれば良いのである。そうすることで個撮「流出動画の希少性は皆無になり特定による社会的制裁を受けることもなくなる。

2022-07-22

anond:20220721111925

人殺し漫画を読んでも人を殺さないのは社会規範がきちんと浸透しているから。

女へ性的加害をしても良いと判断するのは、まんさん(笑)への加害欲を肯定する社会から

教育者が悪いと言う奴は間抜けで、親や先生の言う事だけで子どもは育たない。

はてなによく居る下方婚連呼腐った羊水連呼キモオタ母親からそう言えと教育されたとおもうわけ?

Twitterにいる弱者男性はそうあれと親や先生から言われて育ったのかよアホらしい

2022-07-20

anond:20220720173901

人類歴史上最大の破壊をもたらしたのはどう考えてもキリスト教だろう。

それはさておき反社認定については検索するだけでもいろいろ出てくるよ

それが全部法的に認定ずみかは知らんけど、マインドコントロールとか霊感商法とか社会規範から乖離とかが主な論点っぽいか

まあ文字通り日本サタンと呼んでる時点でふうつうの人は引くと思うけどね

2022-07-17

anond:20220717091129

日本流行るのは宗教じゃ無くて、従ってさえいれば良いという社会規範常識みたいなやつだよ。

宗教ですら、どの宗教に入るべきか、選択を迫られるだろ?あと一つの宗教に入ったら、別の宗教の人と距離を置くことになるとか。そういうのが流行らない。「みんな一緒」「最初からそういうことになっている」のが大事。アホでも分かる世界観選択をする必要のない共同体

2022-06-11

anond:20220611051847

少年ジャンプって絶対そんなお上品なもんじゃないわ

エログロ優先の子供向けお手軽ポルノみたいなものなのに

着飾った言い方するの腹たつw

 

社会規範に従ったら面白いモンなんか書けねえよ、差別上等。ぐらいの勢いだろあんなん。

何をどう勘違いしたらそんな上滑りの綺麗事ばっかり並べられるんだよ。キメエ。

2022-05-08

anond:20220508162349

まあそれは分かるけど非難してる側が法的にはどうにもできないからと社会規範やらを持ち出してくるから

表現の自由という憲法に書かれた錦の御旗を持ち出して応戦してるだけでは

2022-04-29

表現に関する法的根拠を真面目に解説する

1.刑法

まず、この手のもので一番強いもの刑法である

(太字強調は筆者による)

[刑法 第百七十五条]

わいせつ文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。

電気通信送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。

[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律 第7条第6項]

児童ポルノ不特定若しくは多数の者に提供し、又は公然と陳列した者は、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。

電気通信回線を通じて第二条第三項各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写した情報を記録した電磁的記録その他の記録を不特定又は多数の者に提供した者も、同様とする。

これらの表現たとえ大人相手しか売っていなくても有罪になる。

児童ポルノの方は基準がおおむね明確である(もちろん過激水着などボーダーラインのものはある)。

では刑法的な『わいせつ文章、図画』の基準はどこにあるかというと、現在基準は『無修正性器である。だから大人しか見ない(ことになっている)アダルトビデオエロマンガであっても日本では性器にはモザイクをかけねばならない。肛門はセーフである(はず。少なくとも2021年に発売されたアダルトビデオ無修正肛門が映っている作品複数確認している)。もちろん『修正が甘い』と判断されると違法になることはあり、以前薄消しが流行ってビデ倫関係者逮捕されたことがあるし、逆に『モザイク破壊もの制作した人も逮捕されたはずだ。

余談だが、AV女性器内を内視鏡で見るシーンなどではある程度中に進むとモザイクが外れているのでどうやら基準は外性器らしい。

もちろんこの基準医学書例外である

古典芸術(ダビデ像など)も例外であると考えられるが、ここでは一旦その是非は置いておく。

2.東京都青少年の健全な育成に関する条例

実は『18禁』に関する唯一の法的根拠はここにある。だが仕組みは分かりづらい。

条例のものは多数の都道府県にあるが、東京都条例を取り上げる理由は後述する。

この条例は『青少年に見せるには有害であるコンテンツについて規定している。『大人が見ても有害』は想定していない。

そしてこの条例では『表示図書類』についての定めがある。いわゆる『18禁である

(表示図書類の販売等の制限)

七条 図書類の発行、販売又は貸付けを業とする者並びに映画等を主催する者及び興行場(興行場法(昭和二十三法律第百三十七号)第一条の興行場をいう。以下同じ。)を経営する者は、図書類又は映画等の内容が、次の各号のいずれかに該当すると認めるときは、相互に協力し、緊密な連絡の下に、当該図書類又は映画等を青少年販売し、頒布し、若しくは貸し付け、又は観覧させないように努めなければならない。

一 青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年健全な成長を阻害するおそれがあるもの

二 漫画アニメーションその他の画像(実写を除く。)で、刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為を、不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全判断能力形成を妨げ、青少年健全な成長を阻害するおそれがあるもの

第九条の二 図書類の発行を業とする者(以下「図書類発行業者」という。)は、図書類の発行、販売若しくは貸付けを業とする者により構成する団体倫理綱領等により自主規制を行うもの(以下「自主規制団体」という。)又は自らが、次の各号に掲げる基準に照らし、それぞれ当該各号に定める内容に該当すると認める図書類に、青少年が閲覧し、又は観覧することが適当でない旨の表示をするように努めなければならない。

18禁』をつけているのは誰かというと、基本的には出版社等の発行者自らもしくは自主規制団体がつけている。そのようなコンテンツ青少年に見せないようにする旨が書かれている。

それに対し、出版社18禁扱いしていないけれどこれは18禁にするべきだろ」というコンテンツは出てくる。そのようなコンテンツがいわゆる『有害指定』を受ける。

八条 知事は、次に掲げるもの青少年健全な育成を阻害するものとして指定することができる。

一 販売され、若しくは頒布され、又は閲覧若しくは観覧に供されている図書類又は映画等で、その内容が、青少年に対し、著しく性的感情を刺激し、甚だしく残虐性を助長し、又は著しく自殺若しくは犯罪を誘発するものとして、東京都規則で定める基準に該当し、青少年健全な成長を阻害するおそれがあると認められるもの

二 販売され、若しくは頒布され、又は閲覧若しくは観覧に供されている図書類又は映画等で、その内容が、第七条第二号に該当するもののうち、強姦等の著しく社会規範に反する性交又は性交類似行為を、著しく不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全判断能力形成を著しく妨げるものとして、東京都規則で定める基準に該当し、青少年健全な成長を阻害するおそれがあると認められるもの

そして重要な点として。東京都有害指定を受けた書籍は、取次が扱わなくなるため“事実上販売できなくなる

ではその『一般指定』と『18禁』を分ける基準であるが、実のところ『器具使用人格否定などの表現(星崎レオ氏のtweetより)』はそれほど重視されていないと考える(出版社が受けている指導として編集者経由でそのように聞いたのかもしれないが…)。

増田審議会議事録を読んだ限りで言うなら、主なポイント『性行為描写』ではなく『性器描写である

(というか、これは増田個人的意見であるが『性行為描写』を基準にする方がアホらしいと思う。まさか男性器を女性器に挿入する行為』だけをアウトにして他は野放しにもできないだろうが、『では何を広義の性的行為としてアウトにして何をセーフとするか』に基準が作れるとは思えない)

性器無修正だとそもそも刑法175条違反というのは先述したが、『性器モザイクなどの修正』だと基本は18禁になる。そこで『白抜きだけれど性器輪郭ははっきりしているか、いわゆる“謎の光”で周辺含めて飛ばしいるか』といったことが議事録には書かれている。(それがバカらしい、という点は増田同意する)

その点で言うなら、星崎レオ氏に関しては有害指定された該当書籍は分からないが、、それ以前の単行本では『男性器の輪郭が分かる白抜き』が使われており、正直かなりボーダーライン上ではある。

もっとも、女性に関しては「そもそも股間に何も描かない」という手が使いやすいのに対して男性でその手は使いづらい、というのはあるだろう。

だが一方で、男性器と女性器は平等に扱うべきであり、男性肛門女性肛門平等に扱うべきだとも思う。胸は平等ではないと思うが。

2022-04-22

anond:20220422124001

フェミニストスターターパックで君も、今日からフェミニストになろう!

トーンポリシング

暴言咎められたときに言うやつ。

マンスプレイニング

主張に反論されて、反論し返せない時に言うやつ。

シーライオニング

主張の曖昧な部分を確認されて、説明できない時に言うやつ。

モノ化、性的搾取性的消費

明確な根拠提示できないときに言うやつ。

TPO社会規範倫理

明確な根拠提示できないときに言うやつその2。

Whataboutism

主張の一貫性のなさを指摘されたときにいうやつ。

フェミの使うWhataboutismは本来のものとは用法が違う

2022-04-14

anond:20220414132249

不良もヤンキー一般的社会規範においては悪と分類される行動をとるが

「仲間想い」であるとか「地域愛着がある」などという利点も同時に持ち合わせている

非常事態においては悪と分類される行動をとる余裕がなく後者の利点が大きく表に現れるにすぎない

当然、非常事態においても通常時のように弱い者いじめ犯罪に走るヤンキーや不良も少なくない

2022-03-18

anond:20220318185703

しか社会は両立させることが正義で、両立させないことは悪、何ならハテナでは育児放棄する父親DV野郎みたいな感じになってるじゃん?矛盾してね?

社会規範なんて矛盾が無いものの方が珍しいと思うが。

特に日本人はとにかく臭いものに蓋をしたがるし、見たくないものを見ないようにするためならどんな支離滅裂ストーリーも平気ででっち上げる。

ていうかマジな話、仕事育児要求水準はどんどん上がる一方なわけで、俺やお前らは自分能力や体力がそれに追いつく勢いでどんどん上がってると感じられるのか?全くそんなことないだろ?昔の小学生が1年かけて習得したことを1ヶ月でどうにかできるようにはなってないだろ?だったら全部やるのは無理なんだよ。どう考えても。

2022-03-05

戦隊リーダーレッドだろおおお!!」←これさぁ……

マリオは赤青のツナギで、リンクは基本緑の服で、マルスは青、ピカチュウ黄色

それからガンダムの主役機はトリコロールだね

でもそれは「そのシリーズ作品がそういうお約束になっている」というだけで、社会規範やらジェンダーロールやらは大して関係ないんだよ

からそういう話に繋げても仕方ないんだ

なんでそんなことがわからないのかな

2022-03-02

anond:20220302202030

なんで着替えとかトイレがそこら辺だと女は林業できないの?

それって男性女性で違う社会規範を持ってる今のジェンダーに縛られた考えだよね

考えが古くて働く選択肢勝手に狭めてるのを環境のせいにすんのやめなよ

2022-03-01

プーチンの部屋から大量のアニメ漫画が見つかる可能

ロシアの侵攻は今後どうなるかわからないけれど、現在ロシア破滅する以外の未来はないと思うんだよね

で、その後にどうしてこうなったのかというのが散々検証されるよね

その時にプーチンの部屋から大量のアニメが見つかったらどうなるのだろう

現実として大量のアニメが見つかるとは思えないけど、思考実験みたいなものから付き合って欲しい

プーチンの部屋から大量のアニメが見つかったとして、「アニメの影響でプーチンは変わってしまった」、「プーチンは心を閉ざして周囲の反対を押し切りウクライナへの侵攻を決め戦争を始めた」、なんてことになった時、それでもやはりアニメ現実区別はつくでしょ、と私たちは言い切れるのだろうか

プーチン愛国カルトになって変わってしまった説があるけどさ、YouTubeネトウヨ本で親がおかしくなった、みたいな話題は散々あったわけで、それがアニメだった時にそれでもアニメ現実ではないのだから影響はないと言えるのだろうか、言っていいのだろうか

陰謀論を焚きつけるような動画ネトウヨ本、およそ悪意と呼べるようなものがないアニメ宗教マルクス主義、なにかしらに影響を受けて社会規範から逸脱する行動に移してしまうと影響を与えたものは悪と呼べるのだろうか、仮にプーチンアニメの影響を受けていたら社会はどうすべきだったのか

社会というアノニマスな誰かではなく、当事者である私とあなた、一人ひとりはどうすべきなのだろうか

プーチンのような独裁者を作ったロシア有権者が悪いと言うかもしれないけれど、日本においてはブラック企業に務める労働者が悪いと同義だろう

現在の私はどうすべきなのだろうか

あなたはこれからどうするのか、教えて欲しい

2022-02-28

彼氏彼女がいない人間社会不適合者ではない、むしろ社会適合者

調査によると今の20代男女で男の4割、女の3割が彼氏彼女いない歴=年齢らしい

これまではずっとパートナーがいない人間は何か人として問題を抱えているとみられて、

育ちとか遺伝子とかどっかに欠陥があるんじゃないかと思われていた

かにそうした人間がごく少数で、大多数の人間パートナーがいる状態ならそう考えても妥当性があるが、

もはや結婚適齢期人間の3割がパートナーを持てないとなると、これは社会の方がどっかおかしいんじゃないかと考えるのが、

知性のある人間として当然の推論と言える

現代日本社会にはむしろ社会適応的に、正常な振る舞いを行うと異性からアプローチしない、されないという結果になる社会規範がインストールされている

従って現代日本社会において彼氏彼女いない歴=年齢の人間は、社会不適合者ではない。むしろ社会過剰適応者と捉えられるべきだと思われる。

2022-02-24

https://news.yahoo.co.jp/articles/465aa8bc12bb68ea57f0d33e34ad707755734060

のだめ新装版ではシュトレーゼマン主人公の胸に触る描写が変更されているらしいけれど、

これって本当に良いことなの?

個人的には賞賛どころかその反対で卑怯行為しか思えないんだけど。

一度世に出た作品を後から修正し、まるで最初からそうだったかのように出版するって歴史修正じゃないか

当時描かれたものは当時の社会規範が反映されているだろうしそれは後の世で歴史研究する資料になったりもするだろうに後から変えるのってどうかと思う。

本当に意識を「アップデート」したのだとしたらそれは過去を都合良く修正するんじゃなくて新作に生かすべきじゃない?

作者さんは新作も描いてるみたいだけどそっちはいまいちで過去の栄光に頼るしかいからこうやって話題さらおうとするの?

まあ、のだめ新装版の改変を賞賛するってだけならまだいいんだけど

それをやってる人達って大体がポケモンの昔の歌詞で「スカートの中」って言ってたのはスカートめくりの肯定新しい歌詞では「スカートの中」が削除されている事から明白だ!

って言って、いつまでも責め続けているし。

一度間違えたらその後改めてもけして許される事なくいつまでも責める続けるべきって発想を披露してるんだよね。

で、その理屈で言うならのだめの方も一度間違った描写をしたんだから未来永劫責め続けないとおかしいんだけど

自分達好みの作品に対してはえらいダブスタぶりを発揮して無条件で全肯定するよね。

2022-01-02

今のフェミニストによるトランスジェンダリズム叩きがこんなに盛んで大手を振っているのって、結局相手社会規範を逸脱した「キモい男」で、叩いても仕返しが怖くないからだと思うわ。

2021-12-10

anond:20211210125232

NTRした男性女性幸せまっしぐらに描く

NTRされた男性を「ざまぁ」的に描く

女目線で「幸せまっしぐら」になり、男目線で「ざまぁ」となるなら、それは単に「真の愛の物語」であって、NTRとしては消費されない

不倫もそうだが、「背徳感」なり「罪悪感」なりが必要ジャンルで、それを排したら、それはジャンル詐欺

そして元増田NTRも含めて、普通にそこらに溢れてる創作物だが、別に男側から批判燃えてないだろ?

そういうことだよ


余談だが「性的な魅力を前面に押し出した女という性が社会で男に消費され、勝手私たち女性押し付けられる」に対応させるの

多分無理なんだよ

筋肉モリモリマチョマンの変態みたいな男の表象社会で女に消費される」という事態になっても、男は「だから?」って感じだろ

それがチャラ男になって「高収入で誠実だけど詰まらな夫よりも、危険でゾクゾクさせてくれる彼(はぁと)」みたいな消費があったとして

(というか少女漫画でもレディコミでも、乙女ゲーでも普通にあると思うが…ってか、少女漫画はなんで半グレっぽい奴が最後つのか)

それは、男に「危険セクシー人間たれ」みたいな社会規範にならんから、だめなんだよ

2021-12-02

オタク「僕たちがモテないのは社会が悪い!こんな社会おかしい!」

オタクオタク嫌いの連中はモテなさそうw」

モテるかどうかで人間価値が決まる社会規範が嫌いなんじゃなかったのか?

2021-11-02

anond:20211102153551

「今にも生死に直結する切実な問題」なのをもうちょっと詳しく。

自分から見ると、それが「男性特権」という話になるのが今ひとつピンとこない。

生死に直結する切実な問題という話で言えば、男性特権があるというよりもネグレクトされているという印象。

母子加算はあったが、父子加算は長らくなかったし、寡夫年金は今でも男性に支払われない。

男は仕事ができて当然、多く稼げて当然という謎な社会規範により、男性父親貧困ネグレクトされ続けてきた。

正直、貧困福祉問題ジェンダー関係なくあり、それをジェンダーと結びつけて考えようという思想特権階級のキラキラした趣味しか見えない。

2021-10-19

anond:20211019213142

ヤマギシ会ではなく、そういう社会規範を織り込んだ血縁一族が子孫を残すことになるだけ。歴史は繰り返す

2021-10-16

anond:20211016003644

日本の」社会規範がそうなってるから、そしてそれが維持されるように化粧品メーカーが煽ってるから

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