はてなキーワード: 社会規範とは
「ご自由にお持ちください」と書いて置いてあるモノを全部持ってっちゃう人のことをどう思うだろうか。
ホームセンターの端材置き場にある端材を軽トラで全部持ち去る。あり?なし?
ATMの脇に置いてある封筒を洗いざらい持ち去る。あり?なし?
スーパーのビニール袋のロールをガラガラ回してたくさん取ってく。あり?なし?
置いてあるビラの中から裏が白いものをメモ帳を作るために全部持ち去る。あり?なし?
物質的に豊かに育った人って、基本的にこういうことはしませんよね。恥ずかしいから。誰に対して?→自分に対して。
タダなんだからもらえるだけもらってしまえという行為が、〈自分から見て〉浅ましい、さもしい、卑しい、見苦しい、下品と感じて、抵抗をおぼえる。
このような、己の内なる線引きで自分の行為を律する規範を〈節度〉とか〈行儀〉と言う。
それは明文化された社会規範ではなく、環境の中で培われ、コンテキストでも変わる、相対的な規範だ。
生まれや育ち、性格といったさまざまなコンテキストをひとりひとりが持っているから、当然その規範も人によってさまざまだ。
なので、タダで持っていっていいものを「どのくらいなら持っていってもセーフか」という線引きも人によって異なる。
「全部持ってっちゃあかんの?」という人もいれば、それに対して「よしなよ、みっともないよ」という人もいる。
一方、置いたほうも置いたほうで、「普通はひとり1個しか持っていかんやろ」とか「ごっそり持ってくやつはおらんやろ」といった、〈置く人なりの線引き〉で置いている。
己の線引きでどうするかとともに、置いた人はどういう線引きでこれを置いているのか、まずは両者を引き比べるべきだろう。
両者に隔たりがあるのなら、どちらに沿うべきか考える。
己の線引きで行動するなら、それは〈利己的〉と呼ばれる。
提供する側の線引きを想像して行動するなら、それは〈空気を読む〉と呼ばれる。
そして、両者の線引きがもし異常にかけ離れていたら、それは〈非常識〉と呼ばれる。
〈常識で判断しろ〉〈ちょっと考えればわかるだろ〉というのは、他人が引いた線を想像することであり、世の中の大多数の人はどう捉えるだろうかと〈社会通念〉に思いを致すことだ。
タダで提供するなら全部持っていかれる肚を括れとか、全部持っていかれて腹を立てるなら最初から上限数はいくつまでと注意書きをしろ、と要求するのは、こうした〈社会通念と折り合いをつける努力〉の放棄にほかならない。
ある種の発達障害を持つ人にとってこうした〈暗黙の了解〉が理解できないことは承知している。
だが、ブコメを見ていると、一定の常識は持ちながらも能動的主体的に社会と折り合いをつけることに関しては拒絶する人、早い話が青い臭い反抗期のクソガキみたいなやつらがウジャウジャいて引いた。
「◯◯大学ラグビー部 お断り」とか「お相撲さん お断り」とか店の前に貼られたらあとで監督や親方にめっちゃ怒られると思うんだけど……。
えーっとね……『我田引水』って言葉があるんだけど、聞いたことない人も多いかな?
水源から引いてきた水をどの田んぼにどれぐらい流すかを農家の人は話し合って決めてたりするんだけど、たとえば自分の田んぼにばかり水を流したら他の田んぼは枯れちゃうでしょ?暴力を背景に強行することは出来るかも知れないけど、最後は村八分にされたら暗殺されてもおかしくないよね。だって他の人の畑が枯れちゃったらその人達は暮らしていけないもの。だから自分のことばかりじゃなくて、他人のことも考えなきゃ駄目だよ。って話の「自分の田んぼのことだけ考えて水を引く(他人の畑が枯れても構わない)」って部分を抜き出した言葉なんだけど。
食べ放題でお店が損しても関係ないって顔して食べるのなんてまさに「我田引水」だよね。
お店だって利益を出さなかったら土地代も払えないし、自分たちの食い扶持だって維持できないから。
食べ放題の値段設定も基本的には「普通の人が普通に食べて、それでお店が経営を回せるぐらいの価格」に設定されてるわけ。
ラガーマンが荒らしてくるのを前提にして高く設定したら、他のお客からしたら割高になっちゃうし、そうなると店も「ラガーマン共のせいでこんな値段になっちゃって申し訳ありません」って気持ちになるよね。
最初から「ラガーマンお断り」ってお店の前に貼ってもいいけど、それはそれで地域からラガーマンを追い出そうとしてるみたいでお互いに気分が良くないでしょ?
だから、ラガーマン達は食べ放題のお店に行くときは手加減しなきゃいけないんだよ。
自分たちが町から追い出されるべき怪物として扱われないようにするために「僕たち……人間……共存できる……ウホウホ」って態度で示さなきゃなの。
それが出来ないんだったら、「食べ放題、ラガーマン・力士お断り」って街中に貼られて、その結果として「ラガーマンって人の迷惑も考えずに食べ放題で暴飲暴食するんでしょ?モラルがなさそうだよねー」って評判が立って、大麻事案とかが起きた時に「食べ放題でお店のことも考えずに食べまくるような我田引水の人達だし、社会規範とかガン無視で大麻とか吸っててもおかしくないよねー」みたいになっちゃうわけ。
自分たちの身を守るため、社会と共存するためにも、手加減すべきときには手加減をするべきじゃないの?
これって当たり前のことだと思うんだけど?
元増田のことは知らんけど、なにかと社会規範のせいにする(美しい世界を目指す姿勢が世界を壊すと考える)ことは危険だと思ってるだけよ
・いじめをする
・差別をする
・嘘をつく
・犯罪者が多い
・悪いことができる
・事実ではなく信じたいかどうかで情報を取捨選択するので認知が歪んでる
・事実より信じたいことを優先するので会話が成り立たない
・↑信じたくない事実に関して人の話を聞かない奴が多すぎるためまともな議論ができない
・中身を理解しないまま社会規範を内面化してるので言ってる事が支離滅裂
・意味のない会話に強いこだわりがある
・ミスを属人的に責める事しか考えておらず、改善のための最適な行動よりもまず個人を責めることを優先する
・意味のある行動や最適な行動をとることに興味がなく、無意味にミスを責めることを優先する
・自分に対して甘くフェアじゃない
・フェアネスに興味がない
・社会に合わせろと言ってくるが実質的には自分に合わせろという意味である
・非常に傲慢
・こだわりが強い
・奇妙な動きをする
・空気が読めない
・コミュニケーションが苦手
・人の顔を見ない
・思ったことをズバズバ言う
※全員がそうじゃないというのは知ってる
主張の本筋は、「自閉症にとって本質的に相容れない特徴・あまり存在しない特徴」で、「特に定型発達に特徴的な行動・そういった集団を大量に抱える特徴がある」ということ
定型発達が自閉症の特徴を語ったときに「自閉症の全員がそうではないんだけど」「自閉症=奇妙な動きをすると結びつけれるような内容じゃないと思う」「そういう自閉症はごく一部だよね、まともな自閉症との関わりがないのかな」
純粋にフレーズだけ入力して解説せよ、とするとこうなったんだが、
どんなプロンプト入れたかわからんけど、もうちょっとやりようがあるでしょ。挟みとAIは使い方だよ?
「アタオカはいらない、お金がいる」というフレーズは、女性が直面する問題に関する日本の社会的な議論を反映しているようです。この文脈で「アタオカ」とは「お世話になる男性」を指し、「お金がいる」とは、女性が経済的自立を求める現代の傾向を表しています。
このフレーズは、伝統的なジェンダーロールと現代の社会動向との間の緊張を示しているかもしれません。日本の社会においては、長い間、「男性が働き、女性が家庭を守る」という役割分担が一般的でした。しかし、経済のグローバル化、女性の教育水準の向上、そして女性の労働市場参加の増加などにより、この伝統的な役割分担は変化しています。
この変化により、多くの女性が経済的自立を目指すようになりました。結婚やパートナーシップにおいても、従来の「男性が経済的に支える」役割に頼るのではなく、自分自身の経済力を重視する傾向が見られます。このことは、「アタオカはいらない、お金がいる」というフレーズに象徴的に表れていると言えます。
この現象は、女性の社会進出やジェンダー平等に向けた進歩の一環として捉えられる一方で、日本のように伝統的な家族構造や社会規範が強い国では、新旧の価値観の衝突や世代間の意見の相違を生じさせることもあります。これにより、働く女性への社会的支援や育児・家事分担の公平性など、さまざまな社会問題が浮き彫りになっています。
したがって、「アタオカはいらない、お金がいる」というフレーズは、日本社会における女性の地位や役割、そして経済的自立に関する重要な社会学的課題を示していると言えるでしょう。
高校生のころ、人妻と不倫恋愛をしていた。初体験もその人だった。
当時は、恋愛での心の結びつきが最優先で、社会規範を逸脱するリスクには全く意識が及んでいなかった。
今となってはご家族の皆さま本当に申し訳ございませんでした、というところ。
ニュースの中で、私とのアレコレの後に子供もできていたということなども知ったのだが、
聞いていた年齢と報道の年齢が違っていたのが、小さな驚きだった。
(活動のなかで年齢などは公開していなかった)
逢瀬を重ねていた当時、相手は二倍の年齢だ、という話だったのだが
実際はそれより2歳ほど上だった。
自分にしてみれば、「だいぶ年上カテゴリ」なので数歳違っても何も変わらなかったのだが、
相手にしてみたらそれは大きな差だったのかな??
今やこういう表現も古くなったけれど、いわゆる女心というやつだったのかな?
とぼんやりと考えた。
ふと見てみたらすごいことに…こんなにコメントもらうとは思わなかった。文章とっ散らかっててすみません。納得するところも初めて気づいたところもありで、思ったより簡単な話じゃなかったようなかえってシンプルでもあるような、やっぱり悩んでます。これを踏まえて少し踏み込んでみたので話し合った内容をちょっとまとめてみる。
①現時点での俺や俺実家の考えは?
→子供なしの二人暮らしで結婚したいと思ってる。事実婚でも構わないんだろうけど、せっかくなら結婚したいなというのが俺の希望。俺の周りは結婚してる友人が多いが地元にいる友達はほぼ子持ち、近くのやつはほぼ子供なし。俺の親については子供好きだけど姉が2人・孫4人いるので足りてる気がするし、彼女のことはかなり気に入ってると思うが遠距離なのでそもそも会う機会はほぼない(故に望む・望まないに関わらずサポートは見込めない)。
→直接聞いてるわけではないけど彼女の両親は孫に夢ありそう。これまでも彼女は親に知り合いの子供の話をされて反応に困ると言ってた。かなりしっかりしたタイプのご両親なので俺は近くに住んで助けてもらうのもアリでは?と思ってたけど、彼女の反応からしてある程度距離を保ちたいだろうなという感じ。
コメント見て、あーこれは絶対彼女が思ってることだなと思った。正直子供についてちゃんと考えたことなくて、子育てするビジョンは皆無だった。気がついたら子供がいて家が立ってて、という。子持ちの友達から子供可愛いけどお金の苦労がね、みたいな話を聞いてからうわ、みんなもうそんな歳?と気づいた感じ。はっきり言ってそのくらいの「欲しさ」しかなかったし、子供とどうこうしたいみたいな夢もない。子供にこだわらず彼女とずっと暮らしていく方を選びたいし彼女の希望がなければ覆らないと思う。かなり見通しが甘いなとも思うけど。
→色々な理由がなかったらどうなんだろう?と思ったので聞いてみた。彼女はだいぶ悩んでいる様子で、まとめると「元々子供好きじゃないから“子供のいる未来”を望んではいない、でもそれとこれとは別で産むのが当然。“子供を産んで一人前”という考え方に異論はあるし世間は違うだろうが、私は旧体制に準ずるべき」みたいな考えがあるみたいだった。メリットがないって感じ?と聞いたらちょっとニュアンスが違う、「古い一般論として子供は産むべきでそうするつもりだが個人的には要らない、なので可能な限り先延ばしにして有耶無耶にしたい」という感じだった。
→③の話をしている中でつまり将来的には子供を産みたいのかな?と思ったので深掘りしたところ、子供を産んだら不満は飲み込んで「いいお母さん」になるつもりはある。でもあわよくば適齢期をやり過ごしてその後不妊などで逃げ切り完了、が本当は理想と話してくれた。話した感じだと「子供は要らない、持ちたくない」という自分に対する罪悪感みたいなものが大きい気がした。俺の決断だったら支持できるのかな?と聞いてみたら「社会規範から離れることが問題だからそれはないよ」とのこと。
彼女は俺より決断力のある人なのでここまで悩んでいる様子を初めて見た気がする。煮え切らなくてごめんね、と言われたのでそれは俺のせいだし人生かかってる話だからすぐには決められないよと言った。なるべく彼女の負担を減らしたいと考えたんだけど、これが合ってるかはわからんね…。俺が決めて話した方が楽なのかもしれない。
俺にとって彼女がいうんならそれが正しいし、でも別れるって話になると別だよなという感じ。自分の頭で考えなきゃいけない(そしてそれを彼女に伝えなければいけない)ことだと思うので、もう少し悩んでみようと思います。
元増田が絶対にその彼女と結婚したいと思ってると仮定して、彼女が一番モヤってるのが、
①彼女は「不妊でない既婚者なら子どもを持つべき」と考えている人のようなので、独身であれば「独身だから子供はつくらない」と言えるが、結婚してしまうとそのカードが使えなくなってしまい、彼女の考える社会規範から自分がはずれていくことが不安説
⇒いまどきそんな社会規範などないので大丈夫ということを彼女自身が腑に落ちるようになんとかがんばる
②彼女は彼女の考える社会規範から外れているので、元増田にはの女の子を探して、”ふつう”の人生を送ってもらいたいと考えている説
⇒子どもいなくても老後一人になっても親や他人から何言われても元増田は幸せになるから結婚したいという旨を伝える
流されてほないらんか!→結婚してやっぱり欲しかったかも…となると両方悲しくなるから、違う女の人と結婚して子どもがいる人生か、その彼女と結婚して子どもいない人生かどちらがよいか、流されずに考えよう。まぁ他の人と結婚してもそれこそ不妊とかで子どもできない可能性もあるけど。
話し合いできる人たちっぽいしがんばれ
イエス・キリストが出る前のユダヤ教徒は、病人や障害者を「前世のせい」「自分のせい」と言って助けなかったよね。近寄るもの汚らわしいという態度で(接触感染する病気もあっただろうからこの態度は経験上仕方なかったのかもしれない)。そういう人々に手を差し伸べて救ったのがイエス・キリストだった。
当時のユダヤ教徒、あるいは信徒というほどではない市井の人々の考え方はスピ系寄りで、それに抵抗して生まれたのがキリスト教だったのかな。
キリスト教では前世を否定するし、この世の行いによって天国と地獄へ仕分けされると教える。神が天地を創造して、人間は自然の一部ではなく支配者で、愛する人と天国で再会することを願いながら人は死んでいく。
イエス・キリストが実在したのか、病を癒す奇跡があったのか、事実はわからないけど当時弱者救済思想が必要とされ、支持される基盤はあったんだろうと思う。
イエス・キリストが登場する前の中東には前世の思想があったのかな? キリスト教の普及でそれは下火になってしまった?
日本のスピ系は仏教用語を使うけど仏教はスピ系に近い部分もあるのだろうか。前世とか輪廻転生とか。スピ系が仏教思想を利用しているのだろうか。
スピ系と宗教の一番の違いは「今苦しんでいる人に手を差し伸べようとするかどうか」の気がする。
宗教は道徳部分が多いから、助け合おう、罪を許そうなどと教えることが多い。それが自分のためにもなって天国に行けるから、という感じ。実行するかは別だけど。
スピ系は「現世の苦労も本人のせいだから」「本人が(無意識に)選んだことだから」という感じで、総じて冷たい。BC時代に逆戻りではと思ってしまう。
「あなたの苦労は自分のせいだが、私は魂レベルが高いから助けてあげます」「魂レベルの高いあなたには他人を救う使命があります」とか言われても傲慢で嘘くさいと思ってしまうし。選民思想に近い印象を受ける。
宗教が何かはだいたいわかる。道徳であり生活の知恵であり社会規範であり、統治と自己正当化の道具。死だけが救いと思えるような辛い境遇にある人々の心の支え。
じゃあスピ系とは何だろう? 豊かな人々の暇つぶし? 金儲けの道具? それなら宗教と同じか。スピ系も宗教の一つなんだろうか。
新入社員だった時、ジュース買いに自販機がおいてあるフリースペース行ったら「あ〜、はまらない、はまらない〜」と休憩用に置いてある机に椅子を合体させようと苦戦しているソイツと、ソイツの存在を認識していないかのように無言で休憩しているオッサンが数人いた。これがファーストコンタクト
俺はサボるために頻繁にトイレに行くが、かなりの頻度でソイツに会う。ソイツは目的の小便器や大便器が埋まっていると「あぁ、ここもダメだったか…」と大声で言い残し去っていく
暇な時に社内をパトロールしてるとソイツも巡回していて一階ですれ違ったと思ったら二階でもすれ違ったりする。挨拶すると「あぁ、お疲れ様です…」と挨拶を返してくれるが、ソイツとすれ違う人はソイツに誰も挨拶しない
ソイツがどこの部署で何の仕事をしてるか知らないが、こないだ営業のオバさんに「あの、これ持ってきたんですが…」と何かの紙を渡そうとしてるのを見た。「それ私じゃなくてAさんの担当だからAさんに渡して」と言われ「あぁ、Aさん…」と少し黙った後に「あの、これ持ってきたんですが…」とオバさんに紙を渡そうとしてた
最寄り駅から会社までの社員専用バスの車内ではスマホを見ながら「あぁ、◯◯が××で〜」と一人で話しているけど車内の誰もソイツのことを見ない、陰でコソコソ笑ったりもしない。電車のセルフ車掌が現れた時のような緊張感もなく、ただ存在しないモノとされている
社内でソイツが話題に登ることはない。存在に触れてはいけない空気がある。俺も社会人だからソイツがいくら奇行をしても見て見ぬふりをしてる。多分みんなそうなんだと思う
ソイツは障害者雇用なのかもしれないが、道徳や社会規範として、障害であったり病気を抱えている人を馬鹿にしちゃいけませんってだけでは悪意なく存在しないことにされる人間が生まれるんだなって最近に気づいた。
馬鹿に逆張りしてれば馬鹿じゃなくなるとでも思っているのだろうか
あとそういうタイプのオタクって全体的な思想はリベラルよりなのに社会規範のマッチョな部分を素朴に内面化していることがあってちぐはぐだなとも感じる
流行ってるな〜っていうのはあくまでTwitterにおける自分の体感を深く考えずに言っただけなのでエヴァを始めとして昔から言われていたのはおっしゃる通り
ここではあくまで庵野とか富野みたいなクリエイターではなく(その人らは今更だろうし)、オタク冷笑芸で最近バズってんな〜っていうSNS上のアカウントの話
ついでに自分でも主張が雑過ぎると思ったのでもう少し具体的に話す
「社会性を持つ」って事自体は当然大切で何もそれに逆張りしろってわけじゃないんだよ
ただ「オタク」の中でも特に社会性の低い特定個体の行動、あるいは逆に人間全体に当てはまるし実生活では多かれ少なかれ隠しているであろう卑近な欲望をわざわざ引っ張り出して「これだからオタクくんは恥ずかしいよね」って冷笑して回る人間が果たしてきちんと社会をやってると言えるのか?
あとその手の説教をする奴もオタク側というのがポイントで、要は「自分はオタクである/あったことをきちんと反省しけじめをつけたのでお前らもそうするべき」っていう拡大した切腹行為なんだよな